とある暗部の暗闘日誌 作:暮易
『さあ、間も無く始まります!今大会有数の注目カード!常盤台中学校VS霧ヶ丘女学院!競技種目は極めてスタンダードな「玉入れ」となっております!現時点で暫定一位の常盤台に、何処まで霧ヶ丘が食いつけるでしょうか!兎角申しまして、両雄、知らぬ者無しの"超"の付く有名校!観客席からも並々ならぬ期待と歓声が響き渡っております――――』
興奮した解説実況者の大声が喧しく、俺は今すぐにでもこの場を離れたくなった。またしても火澄に呼び出され、彼女たちの出場競技の観戦へと駆り出された。早く昼の休憩時間にならないかな。しぶしぶ駆けつけたものの、俺の目的は彼女の手作りのお弁当に一極集中していた。最近食ってないからな、この機を逃す手はないぜ。
競技場に常盤台代表が入場するのを、観客席からぼうっと眺める。火澄や手纏ちゃんの姿を難なく捉えるも、御坂さんは発見できなかった。玉入れには参加してないみたいだな。
『―――続きまして、両校の注目選手のご紹介です。常盤台代表選手の中には……噂の
火澄たちがでる競技だけで良かったのだが、プログラムの最後の方ではっきりとした開始時間がわからないから、と朝早くから観戦に興じている。この試合で最後だ、と空腹を我慢しつつ、片手に持つ缶コーヒーを呷った。ひとつ前の試合でめちゃくちゃになったグラウンドの修復に、思った以上に時間を取られたようで、この競技の終了はお昼休みに食い込みそうだった。
競技場の端に、霧ヶ丘女学院生が揃っていた。遠目にも、彼女たちの顔には殺る気に満ち満ちているのが察せられる。
いやはや、この試合、荒れそうだな。とにかく早く終わってくれよ、とため息をついた。
『――――そして最後に。霧ヶ丘女学院を率いる主将であり、奇しくも、
興味は全くないが、この試合が終われば火澄たちと昼飯だ。試合内容を全く諳んじられなければ、その間に小言を付け加えられるのは間違いない。改めて競技場へと向き直り、両校の生徒たちへと視線を移した。
毎度恒例の、解説実況者の各競技中の諸注意の放送をBGMに、競技者たちの様子を眺めると、とある事に気づいた。
集団の中にまぎれ、集中し何かに没頭している、とでも言うような険しい表情を、既に浮かべている娘たちの姿が。それもどちらの陣営ともにな。なるほど、試合開始前に、すでに勝負は始まっているってことか。
玉入れに使う籠は、各自担当の選手が後生大事に抱えていた。彼らの周囲には、籠を抱える選手を護衛する係の者がそばに待機している。試合終了前に、籠を倒して玉をこぼしてしまえば、勝負は決まったようなものだからな。それもさもありなん。
玉入れのボールは、ゴムボールの中に微かに鉄心が入っているもの、極めて軽量なもの、といった様々な種類のものを使用しているらしい。華やかな試合になるようにと、各能力者が能力を使いやすいように調整しているって話だ。
『―――4, 3, 2, 1, スタート!試合開始です!おおっと!開始早々、見事な能力の応酬!各陣営から水や氷、炎や…電撃が飛び交う!いやぁ、これだけの量があると、煌びやかな印象を受けますねぇ。しかし、あくまで牽制や妨害のためだけに能力の使用は許可されています。人体に影響のある強度で能力を使用した生徒は、その場で即失格となります。両者、無事に中央付近の玉の配置付近にたどり着きました。おや、これは――――』
両陣営、競技開始の合図と同時に中央付近、ボールが配置されている地点へと駆け出した。
だが。霧ヶ丘女学院が猛然とスタートダッシュを切るさなか、常盤台の女生徒たちの半数が、突然何もないところで転倒した。よく見る光景だ、アイススケートのリンクの中で。
常盤台の陣営目前の、一部の地面が凍結していた。そのために、虚を取られた生徒がスリップしてしまったようだった。
霧ヶ丘女学院に遅れて、ようやく常盤台もボールの配置地点にたどり着いた。ルール上、ボールは一度手に触れなければ籠へ投入できないことになっている。能力を使って直に籠へ大量投入できない訳だ。
そこに来て、両陣営ともに玉を手に取ろうと試み……失敗していた。滑稽な光景だった。
常盤台の生徒は、ボールを手に取ろうとするも、蹲ったまま。誰ひとり持ち上げられていない。一方の、霧ヶ丘女学院の生徒は、手に取ったボールを掴んだかと思ったら、即座に手放して手を振り回している。
おやおや。これは一体どうしたんだろう。
『―――ただいま情報が上がりました。どうやら、両校、お手玉に能力で細工を行っていたようですね。常盤台のお手玉は凍りつき、地面に接着されています!中には撥水性のボールも混じっていたはずなのですが、例外なくひとつ残らず地面とくっついている!霧ヶ丘女学院の方は、お手玉が手に取れないほどに発熱している模様です!ルール違反のフラッグが揚がらない以上、長時間持たない限りは火傷しない、ギリギリの温度に調節されているようですね!意外な展開となりました!依然として―――――』
さすがはエリート校。順応速度が半端ではなかった。どちらの学校も、瞬時に対応する。霧ヶ丘女学院は、順次冷やされたボールを、次から次に空へと打ち上げ始めた。常盤台の方は女学院の妨害と、凍りついたボールの処理に徹している。
肝心の火澄たちは、複数の生徒をまとめ上げ何やら次の手を仕掛けんとしている様子であった。ここからは目を離さずに彼女たちを伺おうかな。
霧ヶ丘女学院が空に打ち上げるボールの数が、だんだんと常盤台の妨害に競り勝ち、いよいよ籠へと投入されるかのように見えた、その時。
突如、霧ヶ丘女学院の陣営の背後に、巨大な炎の竜巻が噴出した。炎の竜巻は、強烈な突風を産み出し、その余波は観客の帽子を軒並み吹き飛ばした。
当然、霧ヶ丘女学院の籠へ入るはずだったボールも何処へともなく吹き飛ばされる。
『これは一目瞭然!常盤台の仄暗選手と手纏選手の
竜巻の引き起こす突風は強烈だった。竜巻の近くにいた霧ヶ丘女学院の生徒たちは、風に飛ばされグラウンドを転げ回った。複数の生徒が躍起になって、水塊や氷塊、泥塊を竜巻に打ち込むものの、傍目にも効果は無く、炎の竜巻は不規則に突風を産み出し、霧ヶ丘女学院のボールの投入を見事に妨害していた。
そして、霧ヶ丘女学院が炎の竜巻の対応に追われる間。常盤台は、手際よく強風の弱まるタイミングを見計らいつつ、
一時、焦りの浮かんでいた霧ヶ丘女学院だが、今ではだいぶ落ち着きを取り戻していた。ボールを投入できないならば、と開き直り、今度は逆に、常盤台のボールの妨害に徹していた。
その落ち着きの理由は、衆目にも一目で理解できた。なんと、火焔の竜巻の周囲に、巨大な氷壁が形成されつつあったのだ。氷壁は竜巻をリング状に覆い、融解と凝固を一進一退に繰り返しながらだが、僅かに少しづつ、高さを伸ばしていた。このまま時間がすぎれば、竜巻の突風を封じる可能性があるだろう。
『――――霧ヶ丘女学院の反撃です!巨大なドーナツ型の氷壁が、竜巻の強風を防がんと、徐々に屹立しつつあります!こちらも素晴らしい能力ですね!
感覚的にだが、最初と比べ突風の勢いが減って来ていた。今では霧ヶ丘女学院のボールも籠に入ってきているが、籠に入ったボールの数は、やはり常盤台がリードしている。競技時間がもう少し長ければ、霧ヶ丘女学院にも勝利の芽はあるだろうが、贔屓目に見ても、常盤台の勝利は堅いように見えた。
霧ヶ丘女学院が次の手を打つか。それとも心が折れるのか。常盤台が追撃の一手を放ち、トドメを指すのか。この試合の結果は、残念なことに俺にはわからなかった。
間の悪いことに、携帯には"
任務の前に。既に、俺の心は死んでいた。ついさっきの、火澄たちとのやり取りが頭の中でリフレインする。
「いい?景朗、ちゃんと応援してくれないとお昼ご飯抜きだからね。」
競技場入場前の、火澄のからかい言葉に、俺はちょっとビクついた。それもそのはず。今日はそもそも火澄の弁当が狙いでここへやってきたのだ。ただ単に火澄にイジられて帰りました、では、洒落にならない。
「理不尽な。そっちの競技中に、俺の応援をどうやって判断するんだってんだ。」
そう反論したもの、彼女は有無を言わさず、「これは決定事項です」とのたまい申された。
手纏ちゃんは、ニコニコと可愛い笑顔を浮かべるのみ。
「だって、アンタ最近、すぐどっかにぷらっと行っちゃうじゃない。誰に呼び出されてるのか絶対口を割らないし。」
「い、いやだから学校の、研究室の先生だって。」
「じー。」
火澄は俺の答えを信じてはいないみたいだ。それも仕方がないのかもしれないな。小さな頃から一緒だったし、俺の嘘はなんとなく、で見抜いてしまう。
スーッと。彼女が少しだけ視線を逸らした。お。俺だって、多少は彼女のクセを理解している。これは、照れくさい時にヤルやつだ。いやまあ正直、これは"クセ"云々言う前にわかり易すぎるものだったかな?
「きょ、今日は、ちょ~~っとだけ、多く作っちゃったから、あんたがいないと絶対に余っちゃうと思うのよ。逃げたら殺す!からね。」
火澄の影に隠れていた手纏ちゃんも、言いづらそうに彼女のあとに続いた。
「私も……そのぅ、今日のお弁当に……。お手を加えさせていただいたので……。ぜ、是非とも、景朗さんも召し上がってくださいね。」
おお。手纏ちゃんも進歩したなあ。今日は言い切った。
「言われなくても、そのつもりなんで!いやあ、今日はそのために来たようなもんさ。あ、そうだ。飲み物とかは持ってきてる?持ってきてないなら、それくらい用意させてくれ。」
ああ。どうしよう。
「こちらユニット4。異常無し。そちらは?」
『ユニット1。こちらも問題ない。オールグリーン。一面コケとヘドロだらけだ。』
「……」
極限まで簡素な定時連絡のやり取りだったが、何時もより"ユニット1"こと"ユニット"リーダーがイラついた様子であるとは伺い知ることができた。無理もない。彼ら、"ユニット1"と"ユニット2"は今現在、悪臭漂う下水路にその身を置いているのだ。
現在、"ユニット"は第十六学区、つまりは第三学区と第一学区の狭間に位置する商業区画へと、護衛対象"プレシャス"の警護をするために足を運んでいる。
とりわけ時間の短かったブリーフィングでは、正直なところ、事態の把握に必要な情報を十分に蒐集できなかったが、今当たっている任務について、一言で述べれば。護衛対象"プレシャス"を今日一日、無事に護衛し通すこと、といえば良いだろうか。
"プレシャス"と対象を呼ぶものの、誰に対しても、それこそ大覇星祭のために外部から足を運んできた一般生徒の保護者にさえも、その名をわざわざ伏せる意義が存在するとは、俺には思えなかった。"プレシャス"とは知る人ぞ知る、12人の統括理事会の1人、トマス=プラチナバーグ氏のことである。
本日の11:23頃に、トマス=プラチナバーグ氏が正午からプレゼンを行う予定だった、第十五学区に位置する会場にて、爆破テロが仕掛けられた。幸いなことに、プラチナバーグが入場する前に爆発が起きたため、プラチナバーグには何の影響も有りはしなかった。
しかし、プレゼンの会場は使用できる状態ではなくなり、会場の変更を余儀なくされた。周辺の施設は対テロ対策が不十分であったため、急遽、学園都市中央南西部に位置する第十五学区とは真反対の方向、学園都市北部の第三学区へと会場の変更が成された。第三学区は普段から外部から要人や一般客を受け入れる窓口的な役割を持つ学区であり、それ故、学園都市でも有数の対テロ対策が実施されていた。
プラチナバーグ氏は、今、第七学区を護送されている。第三学区への途中に通過する、第一学区、第十六学区のうち、第十六学区はとりわけ警備の手が薄かった。そこで、蛇の道は蛇。俺たち"ユニット"のような汚れ仕事専門の部隊にも、緊急で対テロ護衛任務が廻ってきたという訳である。
供に
中百舌鳥は、高度に身を隠す光学迷彩スーツを身にまとい、常人の目からは姿を視認できなくなっている。特別な透視ツールを用いなければ、彼を発見するのは難しい。
一方の俺は、中百舌鳥のように光学迷彩スーツを着用せずに、姿を堂々と光に晒し、高性能な双眼鏡片手に周囲を偵察している。こうすることで、狙撃手と対になる
秘匿任務中だからだろうか。中百舌鳥は彼にしては珍しく、口数少なめに、周囲に気を配っている。
『"ウルフマン"、敵影なし。今のところ、敵の襲撃の気配は微塵も無え。』
「こちらもだ、"スカイウォーカー"。しかし、今日はもう秋だってのに、いや、秋だからこそか。この辺はやたら雀蜂が多いな。近くに巣が在るんだろうか。」
『悪いな、"ウルフマン"。余り口を開きたくねえ。下らねえ話はよしてくれや。……まぁ、なんだ。マジで近くに巣を見つけた時は、オレにも教えろよな。』
「了解。」
嗅覚、聴覚ともに、能力を使い最大限に賦活させていたからだろうか。敏感に周辺を飛び回る雀蜂の羽音を捉えてしまい、それが少々耳障りだった。
『ユニット3、ユニット4。"プレシャス"が十六学区に入った。第一学区では何事も無かったようだ。いよいよ此れからだぞ。集中しろ。』
リーダーから連絡が入り、俺たちは気を引き締め、より一層周囲の警戒に努めた。逐一"プレシャス"の移送状況が通達され、今もなお彼が無事に移動しつつあることを確認する。
もうすぐ、俺たちが担当する、とあるビル郡交差点付近に護衛対象が到着する。そこは乱立する商業ビルのせいで視界が悪く、敵襲を警戒する必要のあったポイントのうちの一つだった。
この第十六学区は学園都市の中でも学校が少ない地区のため、大覇星祭の活気は他の学区と比べるとそこまで伝わってはこない。
しかし、レストランやアトラクション施設、レジャー施設が目白押しで、街を行き交う一般客自体の
数は多いようだった。
平和そのもの、何時もの光景にあくびが出そうだった。一般客で混み合うこの大覇星祭の時期に、容赦なくテロを観光するテロ屋の気がしれないなあ。
任務に集中しなければならないとは思うものの、任務そのものより、俺は約束をブッチした火澄の機嫌の方が気が気で仕方がなかった。
このまま何もなく、任務の終わりが見えてきたかに思えたその時、事態は大きく動いた。
"プレシャス"があと少しで、俺たちのカバーポイントを無事に通り抜けられる頃合に、地下からのテロリストの強襲を警戒していた部隊から、続々と奇怪な通信が入ってきた。
『おい、今、何か黒い影が動いたような……!』
『ゴキブリだ!山のように居るぞ!』
『詳細は不明だが、黒い波がこちらに近づいてきている!』
複数の通信が混雑し、状況を正確に捉えられなかったが、恐らくは、ゴキブリが大群をなして下水道を徘徊しているようである。
すぐさま、続けて通信からは発砲音と怒声、耳を引き裂くような悲鳴が溢れ出した。驚き、状況が全く掴めず、同じく地下で歩哨任務に当たっていた"ユニット1"と"ユニット2"に連絡を取る。
「こちらユニット4!ユニット1、ユニット2!其方の状況はどうなってるんだ?」
返信は直ぐには帰ってこなかった。中百舌鳥とすぐに合流しようかとも考えたが、彼が通信に口をはさんでこない以上は、ここでさらなるテロリストの出方を窺っていたほうが良いのだろう。
地下で暴れているらしいゴキブリは、敵が引き起こしたものなのだろうか?
『"ウルフマン"!状況はつかめねえが、オレたちはオレたちの仕事に集中したほうが良さそうだぜ。ヤツ等にとっちゃ、下が混乱している今が絶好のチャンスだろうからな。』
中百舌鳥から通信があった直後だった。"ユニット"リーダーから、初めて聞く切羽詰った呼び声が忙しない銃声とともに耳に入ってきた。
『――糞ッ!ユニット1より各員に告ぐ!ユニット2が殺られた。こちらは今、ゴキブリの大群の襲撃を受けている!視界を埋め尽くす量だ!とてつもない数だ!どこから涌いたのか見当もつかないが、この様子じゃ地下の部隊はほぼ全てが無力化しているだろう!撤退をッ……チィ!』
もし、これが敵の意図した攻撃ならば。いや、そんな偶然あるものか。地下へのゴキブリの襲撃は十中八九敵の攻撃であるはず。ならば、然るに。すぐにでも、次は"プレシャス"へと強襲が始まるはずで。
『糞がァッ!挟まれたッ!―――畜生ォォォォオ!至急、救援を―――』
銃声が谺するさなか、リーダーから最後の通信が入った。それっきり、彼からの連絡が途絶える。呆然とする俺に、中百舌鳥から叱咤の激が飛んだ。
『"ウルフマン"!?聞いているのか?敵襲に備えろ!―――クソッ。ゴキブリの次は、蜂かよ……!』
中百舌鳥の言葉に反応し、虱潰しに辺りを探るのを止め、握っていた双眼鏡を下ろした。通信を聞き取るのに集中していたせいだ。まったく気がつかなかった。知らぬ間に、数十匹の蜂が、俺たちの周囲をぐるりと取り囲んでいた。
『うわあああ!さッ刺されたぁッ!たッ助けてくれ!』
『気をつけろ!刺されたら一瞬で昏倒するぞ!……見たこともない蜂だ!』
他の狙撃班からも、悲痛な連絡があとを絶たない。蜂が辺りを飛び回っていたのは、このためだったのか。巣が近くにあったわけじゃない。敵の尖兵だったって訳だ。ふとした見かけは雀蜂だが、なるほど、これは……。通信にあったとおり、独特の凶悪なフォルムをしている。学園都市が新たに生み出した新種だろうか?
空宙に浮かびながら、こちらの動きを見計らっていた蜂の大群から、数匹が高速で飛来し、俺に向かって突撃してくる。
鋭敏に反応し、なんとか両の拳で叩き落とす。マズイな、想像以上に疾い。これは、常人では反応できないぞ。中百舌鳥のヤツが危険だ……。
「"スカイウォーカー"。まだ無事か?」
『チクショウ、今んとこはまだ襲いかかられてねえが、時間の問題だ!悪いが、"ウルフマン"。ここはトンズラさせてくれ。能力を解除して、地上へ急降下するッ』
「ああ!逃げろ!俺も急いで合流する!」
改めて、目の前の大群に対峙する。どうやって蟲どもを切り抜けようか、と思考を切り替えようとするも、またしても緊急の通信が俺の脳裏を貫いた。
『狙撃班!至急援護を!護衛対象に敵部隊の襲撃!護衛部隊が襲われている!……ッ一体どうしちまったんだ!?狙撃班からの反応も無い!このままでは―――』
次から次へと事態は急転している。嫌な予感がする。少なくとも、俺たちは混乱状態にあり、敵にイニシアチブを取られたままだ。
体躯をしならせ、一息に飛び跳ねて、屋内へ逃れる。蜂の群れを掻い潜り、ビルの階段を駆け下りた。同時に、能力を発動させて、"人狼化"を行った。
『最悪だッ!護衛部隊も蜂に襲われている!まともに敵歩兵部隊に対応できるのはパワードスーツ部隊だけだァ!誰でもいい!至急救援を――うッ、ぐぁぁ……』
小さな蜂どもにとって、雑多な商業ビルへと侵入するのは、何よりも容易なことだったろう。強化された聴覚で、排気菅やダストシュート、至るところから蟲の飛翔音が聞き取れた。
今の状態の俺でも振り切るのは難しい。如何せん、数が多いし、的が小さすぎる。対昆虫兵器兵装が必要だが、誰がそんな状況を予想し得ただろう?火炎放射器、マイクロ波誘導加熱兵器、音響兵器。どれもこれも、こんな街中で使えば、味方まで巻き込んでしまうだろうよ。
『チクショォ!ダメだッ!振り切れねェ!』
「モウスグダ、合流スルマデ逃ゲ切レ!」
中百舌鳥の極限まで緊迫した叫び。時間が惜しい。ここが何階だったか知らないが気にしてられない。窓を突き破り、屋外へと飛び出した。眼下に映る地表まで、まだかなりの高度があった。勢いそのまま、目前に迫る壁を蹴って、また新たな壁へと飛び移り、落下速度を調節していく。
上方から蜂の羽撃きが耳に入る。そうだ、どうやって蟲どもから中百舌鳥を助ける?ヤツらの殲滅は難しい。とりあえず、中百舌鳥を抱えて逃げるか?
―――駄目だ。護衛目標"プレシャス"は今まさに敵の手に落ちようとしている。直近の護衛部隊の援護に行かなくてはならない。どうする?しかし、救援に向かうならば、中百舌鳥を見捨てるしか方法が…?
チッ。任務はまた失敗か。仕方がない。まずは、中百舌鳥のヤツを回収してからだ。その後はあとで考える。
両手両足の爪を尖らせ、壁面に食い込ませた。摩擦で熱と煙が生じるものの、俺の落下速度は急激に緩やかになる。上空から付け狙う蜂どもを油断なく注視しつつ、俺は地表へと降り立った。
『くああっ、刺された!うおおおおおッ!』
マズい!間に合わなかったか!急いで路地を駆け抜け、地に倒れ伏した中百舌鳥を見つけ出した。数匹の蜂が奴に取り付き、毒針を突き刺している。
こうなれば、とにかく、急いで処置を受けさせなければ。中百舌鳥の体にまとわりつく蜂を蹴り飛ばし、体を肩に抱えて、この場を離れようとして――――
姿勢を起こした俺の目前に広がったのは、加勢すべき"プレシャス"直近の護衛部隊が制圧されつつある光景だった。
あちこちに転倒した車両が転がっている。敵は大規模な玉突き事故を誘発させたのか。まんまとしてやられている。車両を遮蔽物に、銃撃戦の痕が見て取れる。
軽装の護衛たちはそのほとんどが意識を失い横たわっていた。通信で聞いたように、まともにテロリスト共に対抗していたのは少数配置されたパワードスーツ部隊だけであった。彼らは孤立無援の中、テロリストどもから必死にプラチナバーグを守り通そうとしている。
だが、その彼らも長くは保たないだろう。敵部隊はこの状況を予測していたがごとく、かなりの数の対
俺はこの状況を放り出して逃げ出すのか?
一瞬の、逡巡。それが、運命を分けた。迷いを振り切り、中百舌鳥を担いで走り出そうとしたまさにその瞬間。
首筋に小さな痛みを感じた。まるで、小さな虫に噛まれたような。
その次に、俺が知覚したのは、自身が大地に倒れ伏す振動だった。中百舌鳥と一緒に、地面に転がった。体がぐらついて、うまく立っていられない。
疑問とともに、すぐに起き上がろうと試みるも、体は言う事を聞かず、蝸牛のようにゆっくりと動くだけだった。弛緩した体に力が入らない。
俺と中百舌鳥に、すぐさま毒蜂が群がってくる。比較的はっきりとした意識の中、俺は中百舌鳥が蜂に貪られ、ショック死する様を目の前でまざまざと見せつけられた。
針が体内に入り込む、えも言われぬ悪寒を感じながら、俺は突然の身体の痺れを招いた原因を目撃する。それは、どす黒い色をした蜘蛛だった。俺の手の平ほどもある、大きな蜘蛛だった。音もなく忍び寄る、生粋の狩猟者。
後悔すら、体を襲う痺れと悪寒、高熱の中に消えていった。朦朧とした意識には、目の前の味方が発する、増援を縋る虚しい声だけが届いてくる。
このまま意識を失えたら楽だな。そういえば、俺はこうやって体の自由が効かなくなっては、その都度能力を発動させてきたんだっけ。そういう時はいつだって、ロクなことがなかった。
そうやって昔のことを思い出す度に、怒りが湧き上がる。
どうせなら、今、立ち上がれよ。また後悔するぞ。蟲の毒くらいでこの俺をどうこう出来ると思ってんのか畜生ッ……!!
「GOOAAAAAAHHHH」
奥からくぐもった唸り声を漏れ出しながら、俺は力強く立ち上がった。一歩一歩踏みしめるごとに、意識がクリアになっていく。中百舌鳥は既に事切れていた。今、この瞬間に、悔やんでも仕方がない。
倦怠感が断ち消えるとともに、俺は今まさにプラチナバーグを手中に収めんとしている奴らへと飛び掛った。再び、鬱陶しく蜂が寄り集まってくるが、もはや、俺にはその毒は意味をなさない。蜘蛛の毒も。
こじ開けられた護送車には、意識を失った青年の姿が。間一髪だった。今まさに、プラチナバーグが収奪されようとしていたのだ。
俺に反応できたのは、わずか2名だった。残念ながら、その刹那に意識を刈り取られただろうけどな。盛大な音を立てながら、俺にタックルを食らった2人は数メートルほど吹っ飛び、動きを止めた。
機動性を重視したためだろう。敵部隊は軽装の上、対PS兵装の他には、ごく普通の小火器しか用意していない。群がる毒蜂をものともせずに向かってくる俺の姿に、敵部隊は大いに動揺をしてみせた。味方の護衛部隊が数を減らしてくれていたおかげで、残り4,5人といったところ。これなら、俺ひとりで制圧してやる。
慌てて発砲してくるが、高速で動く俺には全く命中していない。敵が油断していた上に、虚を着いたのが功を奏したのか、ものの数十秒でさらに2人片付ける。
状況判断する時間を与えてしまった、残りの3人には、しっかりと陣形を組まれ、強力なアサルトライフルで弾幕を貼られている。彼らとプラチナバーグの距離はごく僅か。
俺は思い切って、ライフル弾を喰らう覚悟で、奴らとプラチナバーグの間に割って入った。プラチナバーグが人質に取られるのだけは避けたかった。
数発の弾丸が俺に命中したが、なんとかプラチナバーグの傍に移動できた。俺の思いがけない行動と、その意図を察した敵3人は悔しそうに発砲を続けたが、切り替えも速く、すぐさま逃走に入った。
プラチナバーグの安全を確保しなければならない俺は、奴らより一層地団駄を踏みたい気分だった。追い縋りたい気持ちをなんとか抑えて、増援部隊が来るまでその場に留まった。
それからたった数分で、どうやら暗部の増援が到着した。どうにも速すぎる。最初から周囲に待機していたのでは?と思わせる速度だった。
すぐさま、彼らが何者か察せられた。"
それから数分後。ようやく、遅ればせながら、"
衆目にこれ以上今の自分の姿を晒したくはない。俺は事態の回収を彼らに任せ、中百舌鳥の死体を担ぎその場から逃げるように撤収した。
先程の戦闘で、多くの人間に人狼化した俺の姿を目撃されていただろう。学園都市に、新たに狼男の都市伝説が誕生してしまうな。面倒なことにならなきゃいいが。諦めるしかないか。
回収地点につく前に、最後に残った"ユニット"のオペレーターに今までの推移の報告を行う。半裸で人間を担ぎ、走り回る俺の姿を、不審そうに見つめる奴もいた。
『実働部隊で生き残ったのは貴方だけよ、ユニット4。』
無機質な女性の声。顔も名前も知らない彼女からの連絡で、俺は"ユニット"の壊滅を改めて確認した。
『貴方の活躍で、なんとか"プレシャス"が敵の手に渡らずに済んだわ。そのことについては、お手柄だと手放しに賞賛を送りたいのだけれど。気の毒なことに、そうも言ってられない。結局、"プレシャス"を無事に講演会場へ護送出来なかった。上からの命令を遂行できず、立て続けに二度の失敗。状況を改善したくとも、実働班は壊滅。私たちは今、非常に危うい立場に居るわ。』
「言いたいことはわかった。……俺は、これからどうすればいい?」
『貴方の、"蜘蛛"に噛まれたという証言。ゴキブリと蜂の報告は他の部隊からも連絡が入っていたのだけれども、その"蜘蛛"の情報だけは貴方からしか上がっていなかった。現時点では、報告にあったゴキブリ、"食人ゴキブリ"と貴方も目にした毒蜂、"AVH"の情報から、第五学区の"産学連携生物産業総合技術研究所"へと報復部隊が向けられている。しかし、そこに貴方の"黒色の蜘蛛"の情報を加味した、私たちのリサーチでは、その他にもう一箇所候補が挙がった。第二十一学区、バイオプラスチック研究開発アカデミー。』
「今すぐに、其処へ向かえと?たった一人で?おまけに確証も無いんだろう?」
『……そのバイオプラスチック研究開発アカデミーと関連深い企業を踏まえて、推測した結果。"スリット"という産業スパイの機関がこの事件の首謀者にリストアップされたわ。彼らの活動はつい最近、統括理事会に露見した。今はわざと泳がされていたの。私たちですら手に入れられた情報よ。"スリット"自身も察知していたでしょうね。』
俺の応答は無視された。オペレーターの声色も心なしか切羽詰っている。
『情報から推察するに、"スリット"を泳がせるように指示をしたのは、今回の護衛対象"プレシャス"だった可能性が高いわ。貴方の発言通り、確証はない。"スリット"のように、理事会に首根を押さえつけられている非合法組織は山ほどあるもの。』
「その"スリット"が、プラチナバーグを襲ったと言いたいのか?」
『その可能性は高いはず。彼を人質に取ろうとしたのは、逃亡のためか、取引のためかは分からないけれど。……"ウルフマン"。貴方は、最後の活躍で、奇跡的に任務失敗のペナルティを受けずに済むかもしれない。けれど、私たち後詰めのスタッフはまず間違いなく処分されてしまうでしょうね。ただ、問題はそれだけじゃないわ。今後、貴方がまだ"この世界"で仕事を続けたいなら、今この時、今回の失態を挽回しなければならない。貴方、これからも大金が入用なのでしょう?』
『敵地に突入するのは、貴方1人。命令に従うも、背くも、貴方の自由。結果を得られなければ、どうせ私たちは処分されるわ。命令違反のペナルティも在りはしない。ただし、貴方もここで上層部に覚えをよくしておかなければ、資金稼ぎに苦労することになる。』
暗部で傭兵でもやらなければ、どうやって大金を稼げるというんだ。それに、今日は一度に3人も仲間を殺された。仲間だなんて呼ぶ間柄じゃないし、そんな意識も無かったが、弔い位はやってやる。
「いいだろう。あんた等を助けてやる。せいぜい俺を支援しろよ。……中百舌鳥の遺体はここに棄てていく。後で回収してくれ。」
人狼化した俺ならば、薄暗い森の奥地であろうが、関係なく走破できる。
"ユニット"オペレーターの案内に従い、第二十一学区、山間部、貯水用ダムの畔に建てられた、バイオプラスチック研究開発アカデミーへと辿り着いた。
2階の窓を破り、建物内へと侵入した。中は静謐そのもので、少なくとも周囲には、人の姿はもちろん、物音ひとつ聞こえない。それなのに、どうしてだろう。落ち着かない。第六感はしきりに違和感を感じ取っていた。
オペレーターの話によれば、敵の中に蟲類に感応し操作できる"
少し離れた部屋から、人の匂いが漂ってくる。慎重に近づき、目的の部屋に忍び込んだ。
床に数人の男女が転がっていた。手足を縛られ、1人を除いて皆意識を失っている。ただ1人だけ、必死に拘束を解こうともがいていた女性に近寄った。
彼女は俺の姿を見て、可哀想なほどに顔を引きつらせ、この世の終わりでも覗いたかのように震えあがった。
彼女の胸に付けられたタグを確認する。研修生,
「オペレーター。ココデ当タリカモシレナイ。」
オペレーターに通信を入れようと思った矢先、ヘッドセットから聞こえてきたのは砂嵐にも似た雑音だった。ジャミングだ。敵は間違いなくここにいる。まずは一刻も早くバレないうちに、人質を開放してしまおう。それから敵を仕留める。
怯えながらもじっとこちらを見つめる彼女に、できるだけきちんとした発音を心がけて、今から拘束を解くこと、そしてほかの人質を逃がしていち早く退散するように、と語りかけた。
未だに震える彼女が今の状況を理解できているかわからないが、時間がない。拘束を爪で破り、床に落ちていたオーバル型の赤縁メガネを彼女に手渡してやった。そこまでして、彼女はやっと少し落ち着いたようだった。
「首謀者ハ何処ニイルカワカルカ?」
俺の問いに、彼女は一生懸命に首を横に振った。これ以上はもういいだろう。俺の方を不思議そうに見やりつつ、背を向けて、ほかの人質の方に向き直った。
人質が逃げる間は、標的を見つけてもしばらく時間を稼がなきゃならなくなるかもしれない。とりあえず、一刻も早く敵を見つけ出さなくては。部屋を退出する。そして、人質が拘束されていた、その部屋を退出する間際。背中から、女の濁った声が。
「テメェーの匂いは掴んだぞ、狼男。」
俺が振り返ったその時には、既に部屋中に巨大ゴキブリが湧き出していた。瞬く間に、視界が黒く染まる。
「賭けには私が勝ったんだよ!必死こいて仲間を助けようとしてたもんなぁ!目の前で殺してやったけど。あはっはっはぁー!またこーやって、暢気に人質を助けようとすると思ったよ!」
先程の怯えていた様子など微塵もない。蟻ヶ崎は醜悪な怒りに身を染めて、俺を睨みつけていた。
「ほらほら、ひとぢちサンがゴキブリにモグモグされて苦しそうだよぉ?助けないの?」
クソッ!コイツ……。一瞬、躊躇した。ためらわず、振り返った瞬間に殺していれば。黒光りする、食人ゴキブリの波が押し寄せてくる。もはやヤツには近づけない。この場から一刻も早く離れければ、危険だ!
「さっきは良くもやってくれたなぁ!テメェーのおかげで、プラチナバーグを捕らえ損ねたじゃねぇーか!……テメェだけはゼッテェぶっ殺してやっからな!毛むくじゃらァ!」
施設内を走り抜ける。食人ゴキブリどもはコンクリートだろうが鉄筋だろうがお構いなしに、食い散らかして穴を開け、執拗に俺に追走してくる。
数の暴力。多勢に無勢。あの大群に喰い付かれたら、髪の毛一本残らないだろう。俺は施設内を縦横駆け抜け、食人ゴキブリから逃げ回るだけで、何の手立ても打てずにいた。
際限なく沸き上がる焦燥感を能力で無理矢理に押さえつける。この施設は、あの食人ゴキブリの開発が行われたところだろうか?そうだとしたら、何か逆転の芽があるか?
いや、そんな悠長なことをしている暇はない。食人ゴキブリは通常のゴキブリとはサイズも段違いだった。移動速度は想像以上に疾い。障害物をブチ抜いて、最短距離で迫ってくる。
無策のまま、逃げ場所がなくなり、ついには屋外へ飛び出す。畜生、ここで逃げてどうする?おめおめと奴を逃してなるものか!絶対に仕留める!ハハッ。どうやって!?
視界の中央に、貯水ダムと、傍に建てられた大規模な上水施設が映る。いっそダムに飛び込むか?……いや、ゴキブリの中には、確か主に水中で生活する種類のヤツも存在したはずだ。唯の水では……
近くにそびえ立つ、巨大な上水施設を目に捉える。上水施設。浄化には、確か次亜塩素酸ナトリウムが使われて……。洗剤何かに使われている成分だ……。水溶液は、塩基性を示す……。ゴキブリが水中で窒息死しないのは、呼吸口を油性の毛で塞ぐからだったはず。それなら……イチかバチか……ッ!
上水槽に侵入し、強烈な塩素臭を漂わせている場所を探す。蟻ヶ崎は俺の"匂い"を掴んだと言っていた。それでゴキブリを操っているのなら。うまくゴキブリどもが水に突っ込んでくれるように祈りながら、俺は水中に飛び込んだ。
さあ、蟲ケラども。俺と息の我慢比べだ。
人生最悪の光景が広がっていた。水面一面に浮かぶゴキブリの死骸。
どれほどの時間が経ったのかは分からない。不思議なことに、水中に入り、息をこらえていると、だんだんと息が苦しくなくなった。意味不明だな。兎に角、俺はどうやら、その気になったら呼吸をせずとも暫くは生命を維持できる体になっているらしい。
何はともあれ。蟻ヶ崎、俺も賭けに勝ったぞ。それとな、"匂い"を掴んだと言っていたが、それはこっちの台詞だよ。
「オペレーター、聞コエルカ?」
俺の通信に、焦燥に駆られたオペレーターの声が間を空けず返ってきた。
『"ウルフマン"!?何をしていたの?任務を放棄したかと思ったわよ!』
「ポイントBデビンゴダッタ。ジャミングサレテイタ上ニ、件ノ、蟲使イノ"
俺の報告に、オペレーターが、はっと息を呑んだ。今頃、遠く離れた"ユニット"拠点のトレーラーの中で、ディスプレイの前で、前のめりになっているんだろうな、と笑みが込み上げてくる。
『そ、それで、標的は確保できたの?!』
「イヤ、マダダ。」
『ッ。何をグズグズしているの!』
気持ちはわかるが、もうちょっと落ち着いて欲しい。
「今向カッテイル!コチラモ相手ノ"匂イ"ヲ押サエテアル。追跡ハ容易ダ。ソレデ、改メテ確認スル。標的ハ生ケ捕リガ望マシインダナ?」
『ええ、もちろん。今回の事件の責任を取ってもらうわ。』
「通信終了。次ハ標的ヲ確保シテカラ連絡スル。」
バイオプラスチック研究開発アカデミーに戻る。蟻ヶ崎の匂いを辿り、電算室らしき場所へと向かった。目的地に近づくにつれ、蟻ヶ崎の狼狽した怒声が聞こえてきた。
「チクショォ!チックショォ!時間がねぇーってのに!なんでセキュリティが開かねえんだよ!手ブラじゃ帰れねぇぞドチクショォォォッ!」
彼女は相当に狼狽しており、拳銃片手に、イラつき混じりにガシガシとコンピュータを蹴り続けていた。彼女の周囲を舞う数匹の蜂が俺の姿を捉えると同時に、彼女は振り向きもせず、銃口をこちらへ向けた。
「何もかもテメェのせいだ。テメェが2度も余計な茶々を入れなけりゃァ、もうちっとズラかる時間が稼げたのによぉ……ッ。」
近づいてきた蜂を速攻で叩き落とす。すぐさま、彼女は逡巡無く発砲。俺は態々避けもせず、淡々と彼女へと歩み寄った。
腹部に拳銃弾を受けても、全く怯まない。スタスタと、彼女の前に立ちはだかると、彼女はその場に崩れ落ち、泣き出した。
そのまま様子を見る。再び、首筋に蜘蛛に噛まれる痛み。天井にこの毒蜘蛛を潜ませていたのか。彼女はピタリと泣き止み、同時にニヤリと嗤い、俺を見上げた。
「残念。モウ効カネエンダ、ソレハ。」
蟻ヶ崎の目の前で、蜘蛛を引っつかみ、握りつぶした。表情を凍らせた彼女が言葉を発する前に、鳩尾に拳を入れ、意識を奪った。
蟻ヶ崎を、回収に来た別系統の暗部の部隊に渡した後。オペレーターから蟻ヶ崎確保までの事後報告を要求された。
『……それを聞けて良かった。今日からしばらくは、絶対に水道水に口を付けないことにするわ。』
「俺もそうするつもりだよ。まぁ、なんにせよ、だいぶ明るくなったな。やっぱり、蟻ヶ崎を捕まえたことで、俺たちの失態はおおよそ軽減されたんだよな?」
オペレーターは、しばしの間、口を閉ざした。彼女にとっては、俺ごときに、地の性格を晒したのは屈辱だったのだろう。お互い様だと思うが。
『貴方には、一同、感謝します、"ウルフマン"。』
拠点のトレーラーへと戻ってきた。あれほどの事があったのに、肉体的には全く疲れていなかった。もちろん、精神的には相当キているけどな。
以前の失敗を踏まえ、拠点に置きっぱなしにしていた携帯には、火澄たちからの夥しいメールと着信履歴が。当然覚悟していたが、どうにも怒り心頭すぎるご様子。はあ、あのタイミングでブッチした言い訳を考えるのも億劫だ。
『"ウルフマン"。貴方に転属の連絡よ。』
突然の、"ユニット"オペレーターからの通信だった。
『"ユニット"は現時点を持って解体。スタッフはそれぞれ別の組織へ転属することになった。"ウルフマン"、貴方は部隊名"ハッシュ"へ加入して下さい。その意思が在るならば。』
レスポンスが早い。さすがは暗部組織。末端の部隊の興亡なんて日常茶飯事、上層部にとっちゃ、所詮は取るに足らない瑣末事か。
ふと、気になった。今日亡くなった同僚3人。リーダーこと"ユニット1"は、あの外見で意外なことにまだ学生だった。他の皆はどうだったのだろう。死んだ人間のことを根掘り葉掘り聞いても意味はないかもしれないが。
「なあ、あんた。最後に頼みがあるんだ。今日死んでしまった、ユニット1, ユニット2, ユニット3の3人は、表じゃ何をしていたんだ?皆もう生きちゃいない。知っていたら、教えてくれないか?」
黙り込んだオペレーターは、悩んでいるようだった。しかし、嫌々ながらも、口を開いてくれた。
『機密漏洩は、重大な契約違反だけれど、相手は死人。ほかならぬ貴方の頼みだから、特別に教えましょう。
ユニット1,
ユニット2,
ユニット3, 中百舌鳥遊人 金崎大学3年。
どう?これで満足して頂けたかしら?』
「ああ。……やっぱり、表の個人情報もそうやってしっかり調査されているんだな。俺についても当然詳しく調べられているのか?」
3人とも、まだ学生だった。今日、人生が終わった蟻ヶ崎も、学生だった。この間殺してしまった"粉塵操作(パウダーダスト)"の粉浜薫も、成人していたかどうか。
人類の英知と希望に溢れる、学園都市?どこがだ。学生同士が殺し合う、最低にクソッタレなところじゃねえか。腐って腐って腐って腐って、底が見えやしねえ。
『ええ。想像の通りに。最も、貴方はちょっと"特別"だったようだけど。』
「ああ。実はそうなんだよ。俺は"特別"だったのさ。……そんじゃな。色々教えてくれてありがとう。あんたも元気でな。」
『さようなら、"ウルフマン"。』
後日、転属となった"ハッシュ"と呼ばれる部隊の、メンバーたちと顔を合わせた、その時に。俺は意外な出会いに驚かざるを得なかった。
なるほど。"ユニット"オペレーターが、"ハッシュ"について、色々と事前に教えてくれていた、その意味に納得する。
"ハッシュ"とは、その名の通りに、解体された部隊から、寄せ集められて作られた"ごたまぜ"部隊であると。
「オ、オレは、
そう自己紹介したのは、ショートヘアの黒髪をサイドポニーで纏めた少女である。ショートデニムが、更にボーイッシュな雰囲気を高めていた。ついでに、いかにもスポーツドリンクが入っていそうな、肩にかけた無骨な水筒にも目を惹かれる。
どこかで聞いた声だった。割と最近だ。そう、粉浜を追い詰めるときに、俺が誤って攻撃してしまった、同じく暗部組織に所属していた少女であった。
「まさか、こんな所で会うとはな。よろしく。
俺はにこやかに、彼女に答えると、握手のために手を差し出す。丹生多気美と名乗った少女は、目の前の少年が、未だに誰だか分かっていないみたいだが。
「えっええっ。まだ教えてない。どうして、アタシのコールサインを知ってるの……?」
テンパっているせいで、口調が素に戻っていたが、そこにはあえて触れないでおく。
「この間は、いきなり攻撃を仕掛けて悪かったな。まあ、これからは侘びも兼ねて、俺が守ってやるよ。……やっぱ、スグには分からないか。」
そう言ってニヤリと笑うと、彼女は何かに気づいた表情を見せた。驚愕とともに、俺を無意識のうちに指差していた。
「そうさ。"
一週間に一度は更新します。忘れ去られそうなので(笑)間に合わなければ、それまでに書いてたところまで(仮)とか付けて。早く仕上がればすぐ上げるつもりですけど、きついだろうなあ。
読む価値ないクソSSだけど、見てもらってるとわかるとやっぱ嬉しいですからね。