とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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今回はくっさいです。臭いです。クサすぎです。
最初の方が、特に臭いです。
くせえっ! なんちゅーくささやっ!と。
苦情がお有りの方は、バンバン

くさすぎ

と感想をひとこと連発してくださいorz



そして……





うおーーーー、予定してたヒロイントウジョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオお約束はたせましたあああああああああああああああああああああ


episode29:欠損記録(ファントムメモリー)③

 

 

「――おい……マジか……そんな……違ってくれ……」

 

 聴覚に火を入れて、轟々と際限なく研ぎ澄ます。

 すぐさま耳に入ってくる、聞き飽きた少女の弱々しくなる脈動すら、越えて。

 "音の景色"を遠くへ、もっと遠くへと手繰り寄せていく。

 

  空気を蒸らす湿気は振動を手早く空間へと伝わせ、神経との親和性を高めてくれる。

 

 

 そして――――願いは虚しく。

 

 

 景朗は、闖入者の存在を感知した。

 聞き覚えのある足音に、息切れの吐息がダメ押しの合図を送ってくる。

 その正体は、どうしようもなく弱いくせに。

 やたらと格好の良い科白を言い放ってくれる知り合いに、相違なかった。

 

「……おい……おいおいおいッ! あいつ!? なにやってんだあいつ! クソ……クッソマジか? どうする? どうする? ……どうする……」

 

 そもそも、どうしてここまでやってこれたのか。

 狼狽えている場合ではない。周囲には自分と同じく、警護する監視役がいたはずだ。

 素通りなんて考えられない。

 

 いいや、原因を探っている場合ではない。

 

 現に、ここまでの接近を許している以上、なにか対応をとらねばならない。

 

 

 小さな小さな、ツンツン頭が目に入る。ようやく、対象の全体像が確認できた。

 どうしたことか、奴はすでにボロボロの格好である。

 

 既に、誰かと戦ってきた……?

 おそらくは……。

 

 立ちふさがる監視役どもを、無理やり右の拳でなぎ倒してきたという事なのか。

 

 

(それでも! 一体全体どうやって"操車場(ここ)"を嗅ぎ付けたんだ――偶然か? そんなのありかよ!? あいつ"ここが何なのか"分かって向かってきやがってんのか――――)

 

 

 わざわざその表情を確かめるまでもなく、一目で察し取れた。

 限界を超えているにちがいない。

 上条当麻は苦しみに歯を食いしばり、一分の手加減もない全力疾走を延々と続けてきた様子である。

 

 

 その血気迫る意思が、ありありと教えてくれる。

 少年の狙いは考えるまでもない。

 彼を知る者にとっては、簡単すぎる推理だった。

 

 

 

 もし彼が、眼下に広がる実験(殺戮)を知ってしまったというのなら。

 恐らく、そこに迷いなどなかっただろう。

 条件反射するように、全霊を振り絞って駆けつけてくるはずだ。

 それこそ今、景朗の瞳に映るあの姿のように。

 

 

 

 

 となれば。

 このままでは監視対象(上条当麻)が、実験対象(一方通行)と衝突してしまう。

 

 

 

 

 

 

 己の飼い主たるアレイスター・クロウリーに下された任務は、上条の監視と護衛で。

 己の保護者を主張する木原幻生の厳命は、"絶対能力進化計画"の遂行だった。

 己の友人かどうかもわからない上条当麻の目的は、一方通行の打倒(己の身を顧みない実験妨害行為)のようである。

 

 

 

(まずは上条を引き剥がす? そうさ、それでいこう。あいつをここから遠ざければいい。実験は滞りないし、上条も殺されずに済む)

 

 

「ひとり一般人が入り込んでるぞ! お前ら何やってたんだッ! 手ぶらの"無能力者(ド素人)"だぞ! 今すぐ捕まえろ!」

 

 

 

(非能力者の隊員なら、あいつは手も足も出ない。これで差し迫った問題は全て解け…つ……あ、く、ダメだ……。

"上条の自由意思には不干渉(アレイスターの命令には絶対)"だ……でも、もう指令をだして……クソッ。今更撤回できっかよ……)

 

 

 "監視"と"護衛"。

 上条に対する監視。それについては、今更目新しく語ることもない。

 徹底的に上条をマークして、監視する。それが内容で間違いない。

 

 しかし、実のところ、"護衛"という任務に関しては。

 まさしく名ばかりの呼称であった。

 

 最終的に上条を保護する結果となってきたから、護衛と呼んでいるだけである。

 意味するところは、上条の心身の安全をおもんぱかる事ではない。

 

 ある意味、それも"実験"なのだ。

 

 上条当麻という人間をより深く観察(監視)するために添える、性質の悪い行為にすぎない。

 

 "上条当麻の、自由意思を守る"

 

 当人のために護衛が自ら花道を敷くのではなく。その行先を決めるのではなく。

 

 ただ両脇に寄り添って。

 彼の"目的(道筋)"に邪悪な横槍をはさもうとするその他の外因を、排除するのみ。

 

 

 故に、上条が自ら"第一位"に挑み、打倒しようと挑戦するのなら。

 邪魔をしてはならない。

 彼がなぶり殺しにされるのを、見届けろということなのだ。

 

 

 

(でも、あいつが"一方通行"とかち合えば……殺される……それも……)

 

 

 とうとう一万人を人形の如く殺し尽くしてしまった"一方通行(アクセラレータ)"の残虐性は、完全にタガが外れてしまっている。

 

 

 まるで、幼子が捕まえた蟲ケラの足を興味本位で削ぎ落とすが如く。

 たった今も、冷たい骸となった少女の残骸の、その指をしゃぶり、肉をかじり。

 "遺体"を"玩具"に変えてみせた男だ。

 

 威勢良く啖呵を切るであろうあの男を、白髪野郎がどんな風に料理するのか。

 想像すらしたくない。

 

 

 

 人の気も知らず。

 一方の上条はまるで障害の無い一本道をひた走るように、着実に距離を縮めている。

 彼はまっすぐと、生き地獄を味わうミサカクローンの元へと向かっているのだ。

 

 

 どこもかしこも目を覆いたくなる光景だった。

 だからこそ、硬直している猶予はない。

 第十七学区の操車場。その一等高いクレーンの上に陣取った景朗は、マイクに声なき叫びを叩きつけた。

 

「なにしてる?!」

 

『ッ?! しかしッ! 上からは見逃すように指示されたばかりですッ!』

 

「――ッんなワケッ?!」

 

 そんなわけあるか、と口に出す前に。

 歯がゆさを堪え、まずは行動ありきと幻生へ直通の回線を開く。

 

「"実験"の状況を確認されていますね?」

 

『ホッホ! もちろんだともっ! 幻想殺し(イマジンブレイカー)と一方通行(アクセラレータ)の干渉っ、見逃せない! ああっしかし観測機材が不足しているっ! キミもしっかりと"観察"しておいてくれたまえっ!』

 

「それッ、それは見逃していいってことですか? 実験はどうなさるおつもりですッ?」

 

『キミが気にすることではない。構わないよ、静置しなさい。イマジンブレイカーの彼は静置したまえ、いいね?』

 

 

 

 幻生との通信は一方的に途切れ、聴こえてくるのは少女の悲鳴と、悪辣で下品な命を奪う愉しみの雄叫びばかり。

 

 

 

 

 上条当麻はついに、操車場へ足を踏み入れた。

 彼の目的は疑いなく、"実験の阻止"だろう。

 

 

 

 汗にまみれたその面が、あらわになった。

 見覚えのありすぎる顔だった。

 打ち鍛えられた鋼の意思が、瞳に宿っている。

 

 

 それを目撃すると。寝ている時に突然足が吊るような、ぴり、とした不快感とも痛みとも捉えようのない"ひきつり"が、胸の中に走った。

 

 

 

 まさかとはおもうが、上条は本気で"助けることが可能"だと思っているんだろうか?

 嗅ぎつけてきたからには、あれほど怒りを滾らせているからには、それなりにこの計画の実情を知って、駆けつけて来たはずだ。

 景朗ですら、かつて経験したことのない"暗部"の巨大プロジェクトを。

 

 

 またぞろ、バカなことを。そう浮かびかけた心の声が、"バカ"の一言では流石に済ませられない、と。胸の中をかき乱した。

 

 

(またかよ……何考えてんだッ……!?)

 

 自分のことなんて顧みず、目の前の捉えやすい正義感だけに突き動かされて、その場しのぎの、いかにも正義ぶった台詞を吠える。

 

 だが、ここまで来るともはや――――ただの痛い奴だ。

 

 

 でも、何故か。暴れまわって怪我をしたって。

 最終的にはアレイスターに徹底的に保護されている。

 

 

 あいつの"過去"に何かあるのか?

 あいつの"能力"にどんな秘密があるというのか。

 

 

 そばで見ていると、どうしようもなく疑問に思う。

 何も考えてない馬鹿な奴にしか見えないのだ。

 僻みだと理解しているけれど。

 正直なところ、そんなに"大層な奴"だと思いたくない自分がいる。

 

 

 

 それでも、毎日の積み重ねにはそれなりの重みを感じずにはいられなかった。

 

 

 あいつらとつるむのは楽しい。

 

 でも、勘違いしてはいけない。

 それは景朗の"一方的"な感想だ。

 

 上条当麻に裏表があってほしくない。そんな想いだってなくはないけれど。

 アレイスターがかように肩入れする男を、心の底から信じていい訳がない。

 …………その、はずだ。

 

 

 

 暗部(この世界)では、誰も信用できない。すべきではない。それが客観的な事実だ。

 徹底的に弱って、死に直面して後がなく、絶望を瞳に宿した人間くらいしか、馬鹿な自分には"そう"だと断定はできない。

 物事が決定的に終わりかけて、決着がつく寸前に――――ああ、そうか。彼らは被害者だったのか、と。やっとそこまできて、自分は"そう"だと気づくのだ。

 

 

 上条だって、何を隠しているかわかったものじゃない。そう決めつけねばならない。

 それは感情ではなく、あくまで可能性が規定するものだからだ。

 

 

 景朗が重用している"人材派遣"だって、裏切られたら口を封じて安全を守るしかない。

 『潮岸』の身内である以上、陽比谷だっていつ暗部の手先になるかわかったものじゃなかった。

 御坂美琴だって、こんな実験に加担してる悪魔みたいな女だ!

 

 

 しかし。このまま、ただ状況を傍観し続ければ、その先は……。

 一方通行が上条当麻に引き起こすであろう惨劇の、その先は――あまりに明らかだ。

 

 

 小萌先生や、銀髪のシスター。クラスメート。上条には"両親"が居るそうだ。

 

 まさか、例に挙げた全員が後暗い人間だとは……思えない?

 

 "幻想殺し"が何者であろうと、周囲にいる人たちは……。

 

 なにより。

 今までの推理こそ、景朗が無理矢理に思い描いた"仮定"に過ぎない。

 もし。自分と同じように、上条当麻がただアレイスターの魔の手にとらわれているだけの"被害者"であったのなら……。

 

 

 

 本当に目の前で、なぶり殺される。

 

 それでも……残念でした、の一言で終わりか……?

 

 でも、あいつはアレイスターの……かもしれなくて……。

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は懐からもう一つ、別物の通信機を取り出した。

 

「土御門……出てくれ……」

 

 まずは、唯一の"同僚"に話を通す。

 

『どうした?』

 

 彼に、アレイスターと直接会話する算段を取り付けるつもりだった。

 

「マズイ事態だ。あいつが死にそうなんだ! あいつ今にも"第一位"に喧嘩をふっかけて――」

 

 ところが、景朗が状況を伝えきる直前に、通信に巨大なノイズが走る。

 

『構わん。放置しろ』

 

 耳に飛び込んだのは、いくど聞いても聞き慣れぬ"飼い主(アレイスター)"の無機質な応答だった。

 

 驚きは声にはならず、喉の奥底で飲み込まれた。

 

 

「――――ッ。……でもこのままでは"イマジンブレイカー"が死にます」

 

『混同するな。私が命じたのは"監視"だ。貴様の"意志"は必要ない。余計な手出しはしないことだ。ただ、"見届けろ"』

 

「死にますよ。本当にいいんですか?」

 

 矢継ぎばやに送った確認の催促に、返事はない。

 

「いいんですね? このままでッ?」

 

 虚しい問いかけだけが、夜に消えていった。

 とうに、通信は切られていた。

 

 わずかばかりの抵抗は意味をなさなかった。

 

 景朗の雇い主はどいつもこいつも、一度として満足な答えを返してはくれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 操車場の平地に、つんつん頭の長い影が伸びていく。

 "三頭猟犬"には、それがはっきりと見えた。

 もうまもなく、2人の戦いが始まってしまう。

 猶予はわずか。今動き出さねば、間に合わない。

 

(幻生もアレイスターも、『手を出すな』と命令しやがった。

ああ……なんだ……。

そうか、俺。結局、上条に関わらなくていいのか……。

2人のお墨付きが出たんだ。どうやら、ここでこうして見ているだけでいいみたいだ……)

 

 

 あの2人に逆らえば、どうなるか。

 命令を無視してしまったら。

 万が一、逆鱗に触れてしまったら。

 

 そんな事をしでかして、もし火澄やクレア先生にペナルティが与えられたら……。

 

 何のために今まで手を汚してきた?

 別に、上条を守るために汚してきたわけじゃあない。

 

 

 

(悪いけど、お前の命より優先したいものがある。さようなら、上条当麻……)

 

 

 上条当麻が、一方通行に制止の声を投げかけた。

 かの友人は、決して期待を裏切らなかった。

 

 流れるように、その口からは白髪男を罵倒する言葉が放たれた。

 

(『三下』か。耳が痛いな……)

 

 

 

 

 

 黒髪の少年が、白髪の化物に飛びかかる。

 

 そこから先は、かつて見たような光景が広がった。

 

 "超能力者(最強)"が"無能力者(最弱)"を圧倒する。

 

 当然の帰結だ。

 

 

 

 

 景朗の予想通りだった。上条にできたのは、相手の気を引くことだけだった。

 

 

 命からがら、ツンツンウニ頭は飛び回って、逃げ続ける。

 

 

 だがそれも、長くは続かない。

 

 

 "超能力者"が飛び上がり、着地した。

 たったそれだけでコンテナが横倒しになり、小麦の粉が小さな砂嵐のごとく舞いあがった。

 

 

 

 "超能力者"が次に何をするつもりなのか。

 似たような体験をした事がある"超能力者"にも、その先が読めた。

 

 

 粉塵に火がついて、爆発が起きた。

 上条は缶けりで蹴っとばされた空き缶みたいに、まるで人間じゃないみたいに、軽々と転がっていった。

 

 

 

 しかし。

 

 倒れ伏す少年の目から、輝きは消えていなかった。

 闘志は決して弱まっていない。

 意志が体を引っ張るその様が、遠く離れた景朗にも確認できた。

 再び上条は、ふらつきつつも立ちあがった。

 

 

 

 そのような、抵抗にすらなっていない、些細な上条の"抵抗"を間に受けて。

 

 白髪男は淡々と、気だるそうに語りだした。そろそろ決着をつけると、彼はこぼす。

 その時。

 感情の欠落したような声色の奥に、隠しきれぬ苛立ちが混じっているような気がして。

 景朗は、たしかに見抜いた。

 "悪魔憑き"には、その気持ちが理解できてしまった。

 

 "一方通行"は上条の"失われる気配が一向にない抵抗"が気に入らなかったのか。

 冷酷な結末(簡単な決着)を選んだようだ。

 

 

 両腕を前に構えた。あれが必殺の一撃の準備らしい。

 

 銀髪の少年の、背筋がしなる。"あれ"が伸びきってしまったら、"ひとつの終わり"だ。

 

 

 ふらつく上条は、よけられるはずもない。

 やっとの思いで立ち上がった男に、決死の追撃を加えるその卑怯さ。

 

 

 その刹那。

 

 自分だって、同じことをやったじゃないか、と

 

 

 景朗の脳みそに、電撃のように刺激を迸らせた。

 

 

 

(――――マジで死ぬ。あいつ死ぬ。

 

 初めからアレイスターは、上条を食わせる気だったのか?

 それじゃあ、それじゃあ、あいつは俺と同じだ。

 アレイスターに翻弄されて、ただ惨めに終わりを迎えるだけか?

 

 今、今、今。

 いま飛び掛れば!

 

 

 でも、"第一位"をどうやって?

 コンテナだ! 食えばいい! 時間はかかるけどコンテナをまるごと食い散らかす!

 全力で守りに徹すれば、"第一位"には俺を一撃で吹き飛ばせる決め手がないんだから!

 いざとなったら……俺にも"切り札(羽狼蛇尾)"が……でもこんな衆人の目前でそんなことしたら、俺だって!!!!)

 

 

 

 

 アクセラレータが、跳ねた。

 無遠慮に止めを刺す動作。景朗にとっては、油断にまみれた姿そのものであった。

 

 絶好のチャンスだった。

 ――――しかし。景朗の躰は動かなかった。

 

 

 

 

 

 

 だが、予想外なことに。

 

 

 上条は生き残っていた。

 

 

 

 それどころか、かつて"悪魔憑き"に見舞ったような、見事なカウンターを"第一位"に味あわせてみせている。

 

 

 "悪魔憑き"が華麗に躱してみせた一撃を、"一方通行"がしくじった所以は。

 動体視力の差か。それとも、上条の覚悟の差か。

 

 

 

 

 動けなかった。当然だ。

 あの場所(聖マリア園)で過ごした情景が、最後まで脳裏にちらついた。

 

 

 第一位をどうする? そんなことをしてどうする?

 

(こんな大事な場面で横槍なんて入れたら――――

 だって、まだ実験は終わっていない!)

 

 

 

 

 

 風に乗ったミサカ10032号の血臭が、鼻腔を塗りたくっている。

 彼女はまだ生きている。せめて、上条が死んでしまう前に。

 

 

 

 

 今にも命を吹き消えそうな、上条の願い(瀕死の少女)が、ついえれば。

 

 一方通行が"死にかけのミサカクローン"に止めをさせば、ひとまず"実験"は終わりだ。

 

 あの二人には逆らえない。でも、せめて、そこからなら。"実験"を壊さずにすめば、景朗は――――。

 

(……死ね、死ねよ。早く死ね!!!)

 

 

 

 

『……妹達(シスターズ)だってさ、精一杯生きてきたんだぞ』

 

 

(――――ッ!?)

 

 やっとの思いで上条が紡いだ言葉が。

 景朗の躰のみならず、思考まで止めて。

 深く楔び、突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分自身が、過去に"クローン"どもに吹っかけた、大層な台詞を思い出し……。

 

「ふふハハハハははははははっ。ふひひひひひひひひひひひ…………」

 

 笑いが、口からこぼれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私に毎回そう尋ねてこられるのは、貴方の趣味なのでしょうか、とミサカは訴えかけます』

 

『だから、死ぬのはきっととんでもなく辛いはずだよ、って言いたいだけさ』

 

『一体どのような意図がお有りなのでしょうか。はっきりと申し上げてください。ミサカたちは徒労を感じています』

 

『でも君は人間だろ。鶏や豚なんかじゃないだろ……それとも――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、おれにはかんけいない……」

 

 自分には関係ない。馬鹿らしい。そんな訳はない。でも、そう思い込んで無理矢理にでも忘れるしかない。でも。

 

 心の中に()をしまって置く場所はいつも決まって同じ場所で、そしてやたらと狭かった。

 おまけに、すぐさま新鮮な()がころころと追加で入り込んでくるばかりだから。

 片付けようとする度に、毎度のようにうず高く積み上がっていく石の山を見せつけられて。

 

 そんな体たらくでは、忘れようにも忘れることはできない。

 

 

 時を追うごとに積み重なって、ぐらぐらと揺れるようになってしまった。

 振動は毎日のように、ふとした瞬間に脳裏を揺さぶって。

 

 自分には関係ない。

 その言葉は、本当は自分が何をしたかったのか、どうすべきだったのか、何を考えていたのかを、隠しきれていなくて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上条当麻は宿敵にやっとの思いで一撃を加えると、とたんに活力を取り戻した。

 二発。三発と、それまでの鬱憤を晴らすような追撃が決まった。

 まさしく、路上のストリートファイトで見かける光景だった。相手は180万人さなかの、第一位であるはずなのに。

 

 

 やはり、奇跡は長くは続かないものなのだと、景朗は悟った。

 景朗は上条の動きの端々に、崩壊の兆しを見つけ始めていた。

 上条は満足に息を吐き出すことができていない。

 彼を支えている気力の決壊の、予兆とも言うべき"粗"が現れている。

 

 どうあがいても肉体の消耗には逆らえないのだ。

 怪我や出血で制限時間は大幅に短縮されている。

 直に、動きは尽きる。

 

 

 殴られてはいるが、しかしてそれでも、"一方通行"は未だに遊んでいる。

 プライドが邪魔をしているのか、勝ち方にこだわっている。

 つまりは、この状況においても、某かのルールにしたがって動いている。

 ルールがある以上、アクセラレータは"スポーツまがいの遊び"だと認識してるのだ。

 少なくとも、"殺し合い"ではなく。

 

 故に。

 "第一位"が気分を変えて。

 殺し合いに天秤を傾けたら。

 終わる。

 

 

 

 

 

 

 その時。

 パタパタと音を立てていた一つの足音に、景朗は意識を向けた。向けざるを得なかった。

 足音は、明確に操車場へと近づいていたからだ。

 

 

 まもなく。

 またしても聞き覚えのある声と匂いを、彼は感じ取る。

 

 新たな登場を果たしたのは、フェンス越しに操車場を探る、御坂美琴だった。

 

 

(はは。このタイミングで来たか、御坂さん。

今更怖気づいたのか? 事情は知りもしないが。

ほら、やっぱり信用できなかった。

誰もかれも疑って信じるべからずだ。

仕方ない。俺はアレイスターの懐刀なんだからよ。

大勢の人間に恨まれてるし、命の限り呪われてる。

……だからこそっ!)

 

 せめて、自分の"行為"にほんの少しでも正当性を持たせられるとしたら。

 全ては、人質を守るため。"彼女たち"を危険に晒さないために、その生存と幸福を守るために。

 唯一の目的に反する"行為(命令違反)"は、今までに手にかけた人たち全員に対する裏切りになってしまう。

 

 

 ここで上条を助けるとして。

 "守るべきもの(殺人の理由)"を破滅へ近づけてまで、なぜそうするのか、明確に答えはあるのか?

 

(だって、それが普通だろう。死にそうな人がいたら、可哀想だって思うのが普通だろう?)

 

 そうさ。でも……。

 

[それじゃあ、なぜ私たちはあなたに見逃してもらえなかったの?]

[どうして私たちはあなたにとって特別じゃなかったの?]

 

 "あの日"。ダム湖の水底で聞こえた"幻聴"は、景朗にそう語りかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "一方通行"の嗤い顔が、眩い烈光に照らされている。

 

 彼の真上には、高電離気体の巨塊が熱を持つ。

 乖離能力が手を加えていたような、低温の火炎どころではない。

 

 

 高エネルギーの波長が生み出す、青白い光が全てを物語っている。

 

 

 

 

 

 御坂美琴が必死の形相で悪あがきに遁走している。

 

 彼女の立ち位置は如何程なのか。

 クローンの生存に奔走する少女の姿は眩しかった。

 

 

 

 

「カミやん……殺されない程度にボコられてろよ……ミサカクローンが死んだら、助けてやるからよ……」

 

 

 ありえもしない未来にさじを投げて、景朗はぽつりと呟いた。

 

 

 "実験"が終わっていれば、"2人の戦い"に手を加えても許されるだろうか。

 幻生もアレイスターも少しは、ペナルティを軽くしてくれるだろうか。

 

 

 無理だ。逆らった懲罰は、景朗ではなく……自分ではなく、他人に向かう。

 そんなことをすれば、唯一、己の行動を正当化できる免罪符も、消えてなくなってしまう。

 

 

 

 守りたい人。絶対に聖域を汚したくない人。

 

 その為に仕方なく従ってきた(殺してきた)

 でなければ、俺は……言われるがままに人を殺す、"第一位"と何が違う?

 

 違う! 俺は違う!  "アレイスターの番犬(殺戮者)"なんかじゃない!

 

 なるほど。気の狂った殺戮者ではないと、だから上条と妹達を見殺しにするわけか。

 それゆえに、暗部の仕事で大金を手に入れようと欲を掻いてもいいわけか。

 

 

 当然だ! 人間は自己の生存のためなら、家族の生存のためなら、手を汚すしかないときがある!

 

 だったら。

 

 上条は見捨ててもいい。

 

 アレイスターのいうがままに、幻生の言うがままに、写真で見ただけで話したこともない赤の他人を殺してもいい。

 

 誰かの幸せのために、それ以上の不幸を撒き散らすのは仕方がないことなんだ。

 

 それは世間が決めたことであって、俺だけの責任じゃあないはずだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 上条を待ち受ける光の玉は、無情にも巨大さを増していく。

 

 人一人を軽く飲み込む規模で、炎の塊が迸る。

 

 あのプラズマの大質量を一身に受ければ。

 "悪魔憑き(キマイラ)"の体とて、大きく質量を削り取られてしまうだろう。

 況や、ただの人間如きに。生存の術はない――――。

 

 

 

 それに、万が一。生き残ったとしても――――。

 

 

 

(ああ……そうか……そうなんだな……それすらもアレイスターの狙いか……はは。

 生き残っても(勝っても)死んでも(負けても)、カミやんは終わってるじゃないか……)

 

 

 景朗が知る中でも。いいや。おそらくは、暗部の歴史上でも有数の予算が注ぎ込まれた、一大プロジェクト。

 それが、この"絶対能力進化(レベル6シフト)計画"だ。

 いかな"通りがかった一般人"が迷い込んだだけだと主張しようとも。

 

 計画を頓挫に追い込んだ張本人には、想像を絶する懲罰が下されることだろう。

 

 

 少なくとも、まっとうな人間なら絶望のあまりに首を括るほどの。

 莫大な負債を押し付けられる。

 

 人一人の人生など、大海の嵐にかき乱される草の葉のように崩壊してしまう。

 

 

 どちらに転んでも悲劇(地獄)が待っている、そんな上条の姿が。

 景朗が手をかけてきた人たちと重なった。

 

 

 

 誰かを助けるために。良心に従うがままに。善なる感情を信じるがままに、命を振り絞っている。

 そばで見てきたから、知っている。

 上条が今までやってきた事は、たったソレだけだ。

 

 だというのに。果たしてこの先、彼に待ち受けるものは――――。

 

 考えるのがバカバカしくなるほどに、"間違い"に"間違い切った"出来事が目の前で繰り広げられていく。

 

 

 

 

 

 助けなければ、上条は死ぬ。

 自分がすべてを投げ打って助けても、ここまでの事態を仕出かした上条は堕ちて、景朗も大切なものを失うだろう。

 

 

 ならば。

 もうどうでもいい。

 

 どうせ毎日のように、この街のどこかで同じような出来事が転がっているんだから。

 キリがない。第一。

 "ボク"の時だって誰も助けてくれなかった。

 

 

 ……いいや。違うかも知れない。"ボク"は逆らわなかった。諦めて、逃げ出している。

 

 

 

 でも、あいつはちがう――――。おれとは、少々ステップがちがうぞ。

 

 血だるまになって、勇気を振り絞って、正しいことに命をかけたその結果、改めて地獄に堕ちるんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 で、結局。おれなら、どっちがいい?

 

 

 

 

 

「……………………もう……かんがえなくていい…………」

 

 

 

 最後の瞬間まで、失望とともに。

 超能力者はコンテナの上で、一歩も動かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし。

 振り絞った景朗の"未練"すら、世界は嘲笑った。

 

 世の中というものはとことん思い通りにならない。

 

 "良い"意味でも、"悪い"意味でも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 "奇跡(上条)"が――――――――――――――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実験が、凍結……あ、そうか、ツリーダイアグラムは……」

 

 

 

 

「無期限凍結……。なんだ、本当に"守った"のか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すげえじゃん、上条。でも……」

 

 

「ははは。こんなもんだっけ? 暗部(世界)って……」

 

 

 

 

 

 上条は守り通した。見事なまでに。"文句"は付けられない。

 おかげで、"全て"に結論がついてしまった。

 "自分"というものが、浮き彫りになる。

 ぐうの値も出ないほどに"世界中"から罵られ、最後通牒を叩きつけられた気分だった。

 ――――この"卑怯者"と。

 

 

 

 とはいえ。景朗の日常は何も変わらない。少しは忙しくなくなっただけだ。

 やる気が噴き出してくる"脳内ホルモン"を多量に分泌すれば、いつもの毎日が帰ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから、あっという間だった。

 本日は、八月三十一日。つまり、夏休み最終日である。

 

 "絶対能力進化計画"の凍結に伴って、景朗のスケジュールに猶予が生まれて、はや十日。

 とはいえ、土御門に深刻な声色で『夏休みの宿題を終わらせてこい』と言われ、疑いつつも身を扮して徹夜でやり遂げてきた、早朝だ。

 

 土御門曰く『どえらい朝早く上条が出かけて行ったので迎えに行くぞ』とのことで、第七学区内の目的のコンビニへと向かっている最中である。

 

 

「今日はなんなの?」

 

「ふむん。ここはひとつ、"どうせ宿題やってないだろう友人をひとつ助けてやるかの会"ですたい」

 

「くっはっは! この任務ってあいつの宿題の面倒まで見てやる必要あったんやねえ!」

 

「霧ヶ丘の元エリートが夏休みの宿題くらいでみみっちいんだぜいまったくもう」

 

「じゃあてめえがやれよ! 何の意味があるのかわからなかったぞ!」

 

 ぷるぷると震える青髪ピアスを無視して、相変わらずの無神経男はグラサンを太陽光にピカリと反射させてみせた。

 

「今年の夏だけは多めに見てやろうって話だぜい。カミやん、ぜぇぇぇっっってえやる暇なかったはずなんだにゃー」

 

「なっ。おいおいこの夏何があったんやいい加減白状しろよほんっとにボクに何も関係ないんやろうな?」

 

「オマエもひつこいにゃー。平凡そのものの日々だったぜい?」

 

「少しは吐けよ。じゃねえと宿題渡さねーぞ」

 

「女々しいやつだにゃー! 小萌センセー小萌センセーとマザコン奮発させてはぁはぁヨダレ垂らしてる分際でみみっちいぜよ! だからモテないんですたい」

 

「お前らそればっかりだな。だいたい……っ! そうだ・・・そうだぜ・・・ふはは、みみっちい偏見はこれ以上はよしてもらおう。俺ってばちょいと前に、元常盤台のお嬢様から愛の告白を授かったばかりなんですからよ?」

 

「な!? 本当か?」

 

 想像通りに、相手は目を見開いた。土御門は全身をかくかくプルプルと震わせて、立ち尽くす。

 

「ああ、本当さ」

 

 しかし、その答えとともに。

 サングラスを俯かせ、哀愁たっぷり。切なさたっぷりに。

 可哀想なものを見る視線を隠しもせずに、苦しそうにつぶやいた。

 

「……そうか……」

 

「なんだそのツラは本当だって言ってんだろ嘘じゃねえよ」

 

「お前はところどころ繊細だからな……今度すき焼きでも奢って……いや奢ってくれ」

 

「ぶっころすぞシスペドぉ。奢れだぁ? てめぇが奢れ!」

 

「ぶあっひゃっひゃっひゃ! なんだぜい今の! 天然! 無意識!? 狙ってやったのかにゃー!?」

 

 景朗は土御門を無視して、すたすたと歩き出した。どことなく恥ずかしそうな横顔を、地味に隠している。

 天然のうちに、無意識のうちに土御門の発言にネタを合わせてしまったらしい。

 

 やあ、悪い悪い、と土御門は馴れ馴れしく青髪の肩に組みついた。

 

「いやー、まあ、その、なんだ。ぼちぼちおごってやる! だから、オマエとカミやんに何があったかは知らんが、今日は元気だしていくんだにゃー?」

 

「はぁ…………わかっとるでー! 今日は朝からかっ飛ばしていきますのんよー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿題を何とかしようと悪あがきしている人(冴えない顔の上条当麻)を無事に発見し、すわ、ほんの少しばかりイジくって鬱憤を晴らしたあと。

 宿題をぽとん、と手渡して、感謝感激雨霰の賛辞を受け取りましょうか、という流れだったのだが。

 

 ここ一番、世界中でも青髪ピアスにしかできない! とばかりに景朗が驚異の肺活量を披露し、記憶にある限りの二次萌属性キーワードの羅列を披露した、その直後。

 

 

『待ったー? って言ってんでしょうが無視すんなやこらーっ!!』

 

 という掛け声とともに、常盤台女子中学生がお手本のような見事なリアタックルを敢行。

 

 上条当麻は、御坂美琴と青春街道まっしぐらに消えていった。

 

 

 取り残された2人の負け犬高校生男子二人は。

 

 女連れで抜け駆けしていくクソウニ頭に、わざわざ追いかけていって『はいこれ、夏休みの宿題! よかったね心配なくなって! それじゃあデートごゆっくり!』と口にするなんてコレ一体どこぞのマゾヒスト用の罰ゲームですか? 

 

 と満場一致で上条当麻死刑論にGOサインをだし、久しぶりの完全オフということで、夏休み最後の日を有意義に過ごすことに決定した。

 

 

「なーなー、どうせなら寿司食わしてくれへん? 回転寿司でかまいませんよー?」

 

「却下だ。無限に皿を食い尽くす気だろうがバキュームカーかオノレは。オレは二度とゴメンだ」

 

「いい加減そのネタから離れません?」

 

 ゲンナリとしなだれていた青髪のポケットが、その時。超音波を発信した。

 周波数があまりに高音域に達しているせいか、土御門は気づいていない。

 景朗にだけきこえる、秘密の着信音というやつだ。

 

 さらに周波数帯によって、大まかな通話の相手が分かるようになっている。

 

「あーあ」

 

 思いっきり苦い顔つきのままに、景朗は着信に対応した。

 できれば一番ご遠慮願いたい相手だった。

 

『オラァ、ハッハァーッ! レッドブ○ガブ呑みで最後の悪あがき中のところにジ・エンドの朗報だぞァワン公!』

 

 木原数多が、最近めっきり聞き覚えのなかった喜声ではしゃいでいる。

 

「いったいなんの御用で? なんにせよ、声小さめでお願いします」

 

『あぁ。なんだよオマエ。シケた声出しやがって。テメエにはガッカリだぁ。まだ課題が残っってますそんなぁーボク心筋梗塞になりそうですぅ。くらいのリップサービスを期待してたんだがなぁ? おし、仕事だ、シゴト』

 

「……さっさとどうすりゃいいか教えてください」

 

『こちとら珍しく"迎電部隊(スパークシグナル)"から救援要請食らったばかりなんだよ! オレらも詳しいことは知らねえ。とにかく、目的地点(ポイント)へリードぶっちぎって走れオラ! 今すぐっ』

 

 ちらり、と真横の人物を仰ぐ。

 散財を回避できた土御門は、どこか嬉しそうだった。

 

 

 

 

 颯爽と街中を駆け出した景朗は、ケータイの音声に意識を向ける。

 

『第七学区の"蜂の巣"近くのゴーストマンションだァ! ドンパチが始まっちまってるらしいからとっとと行け!』

 

「だからッ! なにをすればいいッ?」

 

 

『要人保護だ! ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤ! ロシア系、所持能力も不明。写真もねえ』

 

「はあ? それでどうしろと?」

 

『さあな。だがまあ、テメエなら行けばわかんだろ』

 

「どういう意味だ?」

 

『どうやら"対象(オブジェクト)"はテメエの元"同僚"らしいぞ。"デザイン"チームの情報分析官(ディレクター)だ!』

 

 

(同僚?! "デザイン"! プラチナバーグの私兵部隊だ……)

 

 それが何故、"迎電部隊(検閲機関)"からの依頼に繋がる?

 

(もしかしたら……)

 

 情報が錯綜している理由は、依頼元が混線しているから、なのかもしれない。

 景朗の記憶にあるプラチナバーグの私兵部隊は、数々の連戦で疲弊し尽くしていた。

 それは半年以上前の話だが、そうそう良い人材が転がっている業界でもない。

 未だ目立った噂を聞かない以上、彼の私兵部隊は精強ではないと踏んでいる。

 

 だとすれば。

 プラチナバーグ側が手を持て余して、"迎電部隊"へ救助要請をした。

 それがQRF(Quick Reaction Force)の部署でもある"猟犬部隊"にたらい回された、というシナリオはどうだろうか。プラチナバーグは表向き、"理事長"に従順な勢力である。コネクションはないわけではない。

 

(そう、例えばこの"俺"とかね。元々、"(プラチナバーグ)"の部下だし……)

 

 

 それにしても。"デザイン"とは、懐かしい名前だ。

 景朗が丹生とともに、プラチナバーグの組織へ引き抜かれた、あの当時。

 勧誘を取り持ってくれた、名前も知らない"彼女(オペレーターさん)"が所属していた組織である。

 

『"ウルフマン"、貴方の"切り札"がご到着よ。……この貸しはいつか必ず返してちょうだいね?』

 

 "収束光線(プラズマエッジ)"なんてハズレくじを引かされたのも、いい……悪い思い出だ。

 

 

 

 

 何かのきっかけで、また"彼女"と話をする機会があるかもしれない。

 そんな予感が、ふわりと湧いて浮かびでた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五分ほど全力疾走を重ねると、目的のビル周辺にたどり着いた。

 第七学区の一等後暗い区画、通称"蜂の巣"と呼ばれるビルの密集地域である。

 

 その外周部に陣取った景朗は、周囲をぐるりと見渡した。

 雑居ビルが乱雑するエリアとは、真反対から飛びいったようだ。

 そこは、高層マンションが迷路のように入り組んでいるエリアだった。

 

 

 その場所で一体全体、何が起こっているのか。

 当然のごとく、景朗には知らされていない。

 たった五分では、木原数多から追加の情報が連絡される余地もない。

 

 

 しかし。現場への到着とともに、どうやら景朗が呼び出された"原因と思しき事件"が、目の前に飛び込んできた。

 

 たまたま目を向けた、すぐ正面のビル。

 景朗のすぐ目の前のビルだった。

 

 

 

 

 

 

 小学校低学年くらいの女児が、マンション7階の、手摺壁の上からぴょこりと顔を出した。

 

 彼女はどう見ても、外国人の少女だった。

 

 見事な銀髪。プラチナブロンドというのだろうか。キンキンに白さが混じった金髪は、その色素の色合いと光加減で、輝かんばかりに透き通るはずだ――――今は少々ホコリにまみれ、くすんだ色をしているが。

 涙の滲んだ瞳は、琥珀を思わせる明るい黄土色の輝きを放っている。

 

(要人はダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤ。ロシア系。ぱっと見、あの子もロシア系に見える……)

 

 背が低いせいか、壁の上に現れたのはその小さな顔やっとひとつ分である。

 

「――ひくっ! ふぅ、ふぐ、ひぐっ――はぁはぁ、ひぃ、ふっ」

 

 彼女はマンション内をずっと走ってきたか、ゼエゼエと荒い息をついていた。

 何が一体そうさせたのか、その表情は今にも泣きそうで、極限まで引きつっている。

 

 しかして、驚くべきことは、まさにそこからだった。

 

「ふぐっ!」

 

 なんと。その女児は――――高さ7回のビルの手すりから、身体をまるごと乗り出して、その外側の庇(ひさし)の部分に、足をかけ――――恐る恐る歩き出した。まるで、誰ぞかの追跡を受けているかのように。

 

 

 あの行為の意味は?

 

 ひとまず周囲の状況を判断しようと、景朗が耳を澄ませた、その時。

 

 あっという間に、その理由が明らかになった。

 

 ボガオォォォォォォンッ! と。住宅マンションで耳にするには、あまりに壮大な爆発音。

 

 おそらくは、どこかの部屋が爆薬で吹き飛ばされた音だった。

 

 

 続く、複数の男たちの野太い悲鳴。罵声。

 

 

 今の爆発、あの女児と関係が? 有るに決まっている。

 

 

 

『探せ!』『絶対に殺すな!』と荒々しい男たちの怒声が、彼女が出てきたマンション中に響き渡っている。

 

 

 女の子は、恐らくあの男たちから逃げているのだろう。

 庇をゆるゆると進む彼女の目的地は、どうやら地表まで一直線に降りられる"避難はしご"のようだ。

 はしごは壁伝いに進んだ数メートル先にある。彼女の目線もそこに釘付けだった。

 

 

 恐怖に打ち勝つためか、『マーマ、マーマ』と女児は母親の名を呼んでいる。

 小さな小さな悲しみを堪えた泣き声だったが、景朗の耳にはしっかりと届いていた。

 

 

("マーマ"、母親か。そうか、デザインの分析官、あの子の母親か? 一体どこにいる? あの子がああして逃げ出しているって事は……まだマンションの中か? クソ、間に合うか?)

 

 しかし、あの女の子を放っていくか?

 

 対象はあの女の子ではなく、恐らく母親一人……。

 

(クソ、迷ってる暇はないか。探せ! 耳を澄ませ。聞き取れ、このくらいの距離なら物音ひとつなんだって聞き取ってやる!)

 

 注意深く女の子を見守りながら、景朗は周囲の雑音をまとめて拾っていく。

 

 鼓膜をつんざくように轟いたのは、――――総勢5台、車両の駆動音だった。

 

 

 装甲車など、特徴的な車種だと目立つからなのか。

 至って普通の黒塗りのセダンが2台、ビルの真下の道路わきに強引に乗り出してきて、停止した。残る3台は、マンションの裏手側に移動している。

 

 まずいことに、停車したのは女の子のすぐ真下だった。

 車の中の男たちにも、庇の上の女児は丸見えだ。

 

 彼女の装い――――子供用の軍用迷彩スモッグなる、需要がどこにあるのかわからない一品の、その色合いは、背後の白塗りの壁とくらべてあまりに目立ちすぎている。

 

 ひと目で気づかれる。女児もその事を理解したらしく、悲鳴を押さえ込んで、庇の僅かな面積に身を伏せた。

 

 

(まだわからない! あの車の連中が敵だとはわからない! クソッ木原! 連絡を早くよこせよ!)

 

 

 車のドアが開く。中からゾロゾロと現れたのは、フルフェイスのマスクを被った素人臭さを感じさせない男たちだった。全員が軽火器で武装している。

 

 

 マンションの中庭を挟んだ反対側からも、依然3台の車の駆動音が轟いている。

 

 

「いやがった!」「上だ!」「おい撃つな!」「まて――――」

 

 

 男たちが騒ぎ、声を上げ、銃口を動かした、その時には――――。

 

 

 景朗の巨体は、迷わず動き出していた。

 

 

 猛然と、両腕を振りかぶる。

 野球の投球モーションそのままに、腕先の奇跡が最速に達した、その時。

 

 指の先から、証拠の残らないただの水弾を発射する。

 

 水滴の散弾は、ぞろぞろと顔を出した五人の男たちのうち、3人を一気に無力化した。

 命中したものは嗚咽すら漏らすことなく、気絶する。

 

 

 その間にも、"超能力者"は音もなく大地降り立ち、滑るように標的に迫っている。

 

 

「なっ! だれ――ッ!?」「がっ……ッ!」

 

 残る二人。ひとりは、振り向かれる前に蹴り飛ばし。

 敏感に反応できたもうひとりには、腹に掌底をぶちかます。

 

 

 数秒と立たず、オールクリア。5人の不審者は、全員気を失った。

 

 

 

「チビっ子! そこに居ろ! いいなっ?!」 

 

 我慢できずに、景朗は叫ぶ。

 

「おいっ! チビっ子!」

 

 しかし、呼び掛けに女児は応えなかった。庇の上に縮こまって動かない。

 

 無理もない。あそこは7階の高さなのだ。一度怖じ気付けば、あの年頃の女の子なら二度と真下を覗けまい。

 

「ちびっ子! 大丈夫だ! とりあえずそこを動――――なッ!」

 

 錯乱して、女の子が落下したらマズい。

 ひとまず落ち着けようと試みた。その時。

 

 

 

 

 事態が次から次に急変し、切迫する。

 

 

 

 

 どうやら穏やかに説得する時間すら無いようだ。

 

 景朗が女児をなだめようと口を開きかけたその瞬間だった。

 彼の視界に、遠方から光る、銃口のマズルフラッシュ(発火炎)が煌めいたのだ。

 

 

 ライフルによる、狙撃。二つほど、隣のビルからだった。

 

「ガア゛ッ!」

 

 やはり、弾丸の目的地は女の子だった。

 咄嗟に、景朗は無理矢理に喉から大量の空気を吐き出した。空気砲のように衝撃を伴った吐息の塊は、弾道になんとかカスって――――狙いをギリギリのところで外す。

 

 

 

 

 しかし。さらに予想外の事態が起きてしまった。

 

 スナイパーが使った弾頭が、特殊なものだったのだ。

 

 "衝槍弾頭(ショックランサー)"。学園都市製の、マンストッピングパワーに優れた特殊口径弾だったのだ。

 弾頭に掘られた溝は多大な空気抵抗を引き起こし、大凡精密射撃には適さない強烈な衝撃波を産む。

 弾丸に直接命中しなくとも、すぐそばを衝撃波が通り過ぎていく。

 

「わあ゛あ゛ーーーーっ!」

 

 

 女児は"衝槍弾頭"に煽られてバランスを崩し、落下する。

 ドップラー効果で色調が変わる、落下の悲鳴。

 バタバタと、水色のスモッグが風になびく。

 

 

(――――ッそうだ。このままキャッチすればいいじゃないか。あんな高所にいるよりマシだ)

 

「ぐえ!」

 

 景朗は難なく女児をキャッチして、素早く片手で抱え込んだ。

 女児の背負っていたゴロゴロと中身の詰まったリュックサックが、腕にくい込む。

 

 

 ひとまず子供を抱えたまま、景朗は男たちが乗ってきた車の陰に寄り添った。

 

 

(この車、防弾だ。スナイパーは……逃げた。そりゃそうだ。位置がバレたもんな……ッんあ?」

 迸る異臭。非常になじみのある、特有のアンモニア臭が、鼻いっぱいに広がっていく。

 

「うぅ、ひぐ、うう、マーマ……ッ」

 

(この子……漏らしてやがる……。ッああもうどうする? この子を連れてくか? 一刻も早くマーマとやらを助けに行ってやらないと……。でもこの子を連れてったら、自由に動けない。どうする? 担いでくか? この車防弾だし、中に隠してちゃちゃっと全速力でマンションを片付けるか?)

 

 耳を澄ます。近辺には誰もいない。

 急がなければ、時間が惜しい。先ほどの爆発も一体なんだったのか気になるところだ。

 

 

「クソッ!」

 

 

 景朗は車のドアを、力尽くでガキリと開いてみせた。

 

「いいか嬢ちゃん、おとなしく隠れてろよ? 君はさっきまで賢く行動できてたろ? ここから動くな?」

 

 返事を聞く前に、強引にドアを閉める。

 

(スピード勝負だ。ちゃっちゃとターゲットを見つけて、保護して、ここに戻る)

 

 先ほどの男たちも、マンションで暴れている仲間たちも、『絶対に殺すな』と漏らしている。

 ひとまず信じるしかない。手提げカバンのように女児を振り回して暴れまわるのは、不可能だ。

 

(車が動いたら連れ去られる……)

 

「らァッ!」

 

 二台の車両。少女が載っていない方を、景朗がぞんざいに蹴っ飛ばすと。

 

 ふわり、と車は浮いて――――十数メートル吹っ飛んで、グシャーン、と逆さまにひっくり返った。

 

「うおらああああっ!!!」

 

 そのまま叫びつつ、流れるように女児の車両の真ん前に移動する。

 腕付くでバンパーをこじ開けて。

 

「エンジン……これだ。おらああとれろおおおっ!」

 

 バキバキバキリ、と"最強の肉体変化"の面目躍如とばかりに。

 駆動するエンジンを、まるでプラモデルを引き裂くように筋力だけで引きちぎった。

 

 

「よっしゃああああああああああああっ!!!」

 

 そして。遠くに見える、新手が乗ってきた中庭の車両三台へ向けて。

 

 景朗は意味深な笑いを浮かべて振りかぶった。

 

 金属の塊が、重力を無視した軌道で飛んでいく。

 

 数秒後。エンジンが激突した車両は盛大に横倒れ、残りの二台を巻き添えにしてクラッシュした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダメだ。もう終わりだ……」

 

 あれから数分と経っていない。

 

 "超能力者"が力の限り暴れたのだ。

 迎電部隊の援軍に気を配りつつも、目に付く範囲の傭兵たちは、既にあらかた気絶させてしまっている。

 

 されど。

 ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤなるロシア人女性は、発見できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとまず、現場の敵影は排除し尽くしている。

 残してきた女児の回収のために、景朗は急ぐ。

 

 

 数分前となんら変わらぬ姿の廃車を目に捉えて、ほっと胸をなでおろした。

 

 こそこそと忍び寄って脅かしては悪いと、勢いよく足音を立てて歩く。

 

 ところが、気遣いは裏目にでてしまったようだ。

 

 こつこつと車に近づくたびに、なかでチビッ子がおびえているのがわかってしまった。

 なんだか、その反応が可愛らしい。こんな時に不謹慎だとはわかっていても、景朗の口元はわずかにほころんだ。

 

 ふと、聖マリア園での日々を思い出す。懐かしく、幸せで、今思い返せば。

 あの頃には悩みらしい悩みなどありはしなかった。

 

 

 

 

 

 ゴバァン! と車のドアを引き剥がす。閉めるときに変形してしまったせいで、立て付けが悪くなっていたようだ。

 

「チビッ――――」

 

 車内を覗き込んだ途端に、ぱぁん、と中から発砲音。

 ぶるぶると震えているお漏らし女児が、両手でおもちゃのようなプラスチック製の拳銃を構えていた。

 

 

 情け容赦なく発射された"スタンシェル"が、景朗の顔面に突き刺さっている。

 まっとうな人間なら、悶絶どころか、下手したら死亡している事案である。

 

 

 何事もなかったかのように、景朗は高圧電流を流す弾頭をむしり取った。

 改めて両手を広げて、安全を表明するジェスチャーとともに。

 

「おちつ――――」

 

 ぱぁん。

 同じような音がして、再び首筋に弾頭が刺さる。

 

 子供が構えている拳銃は、中折式で装弾数が4発のものだった。正面からみると、たこ焼き器みたいである。

 ドデカイ穴がサイコロの四の目みたいにぽっかり四つ空いている。

 

(もういい。あと2回か)

 

 ぱぁん、ぱぁん、とチビッ子はガクブル怯えて全弾撃ち尽くした。

 

 ばたばたと、あわあわと、もたつく仕草で子供はぱかり、と拳銃を開く。

 中から、撃ち尽くした空薬莢をポコポコと取り出して。

 意外にも手馴れた風に、再装填を済ませてみせた。

 

 かちゃり、と改めて拳銃を構えて。

 表を上げた女児はそこで初めて――――切なそうにリロードの一切を傍観していた大男の想いに、ようやく気づいてくれたようである。

 

 

「よしよし。嬢ちゃん落ち着いて。危害は加えないから。いいかい? 俺は君のお母さんを助けに来たエージェントだ。所属は"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"。つってもわかんないか……よし、君のお母さんのお名前は?」

 

 

 少女は固く口を閉ざしている。が、驚くべきは、それだけではない。

 

(ワオ、素晴らしい)

 

 オマエみたいに胡散臭くて何処の馬の骨かもわからん奴に、絶対に教えてやるもんか。

 怯えながらではあるが、女の子のカオにはありありと、そう書いてある。

 

 

「じゃあ、君の名前を教えてくれないかな?」

 

「……しらない」

 

「ちょ、いや"しらない"って。君さぁ……」

 

 賢いし、勇敢なチビッ子にはちがいない。しかし、お互いに緊急事態なのだ。

 気は進まないが、ビビらせて、チビらせて。ガキなんざ脅かして吐かせるしかないか、と景朗の思考は物騒な方向へと進んでいく。

 

(この子の名字か、母親の名前を確認しとかないと。……というか、この娘。この件に全く関係なかった、なんてオチはないだろうな? ないよな? ありえないよな? この子ちゃんと狙われてたもんな? 早くしないと蜂の巣だっつっても周辺部だし、風紀委員ならもう駆けつけて来ちまうかもしれない)

 

 念の為に、耳を澄ます。

 圧倒的な環境把握能力を誇る自慢の聴覚は、不審な物音など絶対に聞き漏らさない。

 今は、周りに誰もいない。安全だ。

 

 生意気にも睨みつけてくる女児に、ニィっと笑顔を見せて。

 次の瞬間、景朗は犬歯を剥き出し、盛大に吠えた。ほんのちょっと、良心が痛む。

 

「GRRRRROOAH!!!!」

 

 獣のような咆哮に、ガキはぶるった。

 目が点になって、驚きつつも、パチパチと瞬きを繰り返し。

 いっそうじーっと、景朗の顔を見つめて、首をかしげている。

 

「ゴラアアクソガキッ! いい加減にこっちの言うこときかんとブチ殺すぞガキャァッ!」

 

 雨月景朗ヴォイスver木原数多。効果があると良いのだが。

 

 

 しかし。しかし、なんと、しかし。

 

 そこで返事を返したのは。

 その場に登場するはずのない、新たなる"第三者"からの厳しい制止だった。

 

 

 

「そこまでですの! 完璧に聞かせていただきましたわよ」

 

 

 唐突に。突然に、背後にトスン、とお上品な足音が生じて。

 その瞬間に、景朗は一瞬にして悟っていた。

 

(しまった。"空間移動(テレポート)"には音がない……)

 

 

「ジャッジメントですの! 動かないでくださいましっ! ゆっくりと両手をあげなさい! 聴いていますの? フリーズ!」

 

 

 風紀委員(ジャッジメント)が誇る、熱血空間移動(テレポーター)こと。

 御坂美琴(常盤台の電撃姫)の"露払い"を自称する。

 本気を出させるとなかなかに厄介な、大能力者(レベル4)の少女との、思わぬ再開だった。

 

 

 

(まさかこんなところではちあわすとは……ツインテレポ(白井黒子)!)

 

 

「児童恐喝。器物損壊。女児わいせつ目的誘拐現行犯。叩けばいくらでもホコリが出てきそうな貴方のような原始人に、一切の手加減はいたしませんわよ。命が惜しくば、大人しくお縄につきなさい!」

 

 口調に反して、背後から響く白井黒子の声色には、緊張が多分に含まれていた。

 

 大男の厳つい筋繊維の一本一本が放つ威圧が、歴戦の能力者のカンに囁くのか。

 

 白井黒子にうっすら滲む脂汗の、そのひとつぶひとつぶが垂れる感触が。

 背中を向けた景朗にも伝わって来るような。

 それほどの緊張を、背後の風紀委員は感じ取っているらしい。

 

 それにしても、なのだが。

 

(……なぜこの娘は最初から"わいせつ"の罪状(レッテル)を貼り付けてくるんだ。何回目だよこの職質娘! ……面倒くさいぞ。一撃で仕留めないと"逃げ"に徹されたら厄介だ)

 

 "能力者"たちは、すべからく"脳"が弱点である。(弱点じゃない人間なんてそうそういないが)。

 

 しかし。こと"悪魔憑き"に限っては、"空間移動系(テレポーター)"に与えられた特権である"、脳への直接攻撃"に対して。

 万全の耐性を持っていると言っても、過言ではない。

 

 ぶっちゃけ、誰もが恐るテレポーターであるが、この"悪魔憑き"には恐るるに足らぬ……と言いたいところだが。

 とある事情により、衆人の面前で変身するのを避けねばならない肉体変化能力者にとっては、"人間形態"のままで、逃げ惑う空間移動能力者を追い詰めるのは、すこしばかり面倒に感じるところであった。

 

 

「ちょっとねえ、誤解しないでもらいたいな。ジャッジメントのお嬢さん」

 

「はて。誤解、とは?」

 

「そうさ。あんた誤解の達人じゃないかよ」

 

(そもそもジャッジメントどもは何回職質してくりゃ気が済むんだよ……確実に20回は超えてんだぞ、いい加減にせいや……)

 

 女児を回収するところを邪魔されたせいか。それに加えてふつふつと、別種の苛立ちまで沸き上がりはじめていく。

 

 ツインテレポ。景朗がそう呼ぶこのツインテールお嬢さまと彼との間には、実は浅からぬ因縁があったのだ。

 全ては、白井黒子による一方的な大量虐殺、もとい大量職質が原因である。

 

 なぜかは知らないが、景朗があれやこれやと身体検査をされては困る"青髪"のナリをして通りを闊歩している時に限って、彼はやたらとジャッジメントに職務質問(学生なのになぜ!?)を喰らってしまうのだ。

 大抵はきちんと、一応の数点の質疑を交わしてから移送車両を呼び込む(それでも通報される!)礼儀をわきまえた学生(ほぼ女学生)ばかりなのだが、このツインテール横暴娘だけは別格だった。

 

 それは、在りし日の昼下がりだった。

 

『どこからどう見ても変質者でまちがいありませんの。とっととブチ込んでくださいまし――』

 

 今思い返しても慈悲の欠片もない、凍てついた、一度聞いたら忘れられないような特徴的な少女のドラ声だったように思う。

 そしてたしか、その声が十メートルばかり後方から聞こえてきた途端の出来事だったはずだ。

 

 どう見ても変質者? ヲイヲイ全裸でストリーキングしている変態でもいるのか? 

 いやだなあ、そんなやつの体臭なんてニオイたくない。

 けしからんやつがいるものだ、と青髪は世俗の乱れに涙し、任務に勤しんでいたのであるが。

 

 

『――――止まりなさい! そこの変質――キミ、止まりなさい!』

 

『え? ――ええっ!? な、なんですのん? ボカァ何も――――に、ニモツ? ええああ、ちゃ、ちゃいますのん! こ、ここここれはトモダチから運ぶよーに言われただけでしてッ! いやいやセ、センセーボクにもトモダチくらい……ややっ!? どうして幼女の裸体が印刷してある書籍やデジタルデータ記録媒体がこんなに大量にっ! あ、危ないところだったーッ! とんでもない犯罪の片棒を担がされるところやったーっ! ホ、ホンマおおきにー。え? なんですか? え? この車に乗ればええんですか? え? い、いやあ、でもボク、これからトモダチと用事が……』

 

 

 

 問答無用だった。

 言葉ひとつ交わさずに、風紀委員の女子中学生は青い髪の大男に犯罪者の烙印を押(ジャッジメント)しくさったのだ。

 

 車に蹴り入れられる前に、ツインテール少女の表情がちらりと見えた。そこには。

 善意をなした人間だけが浮かべられる、爽やかな充実感が滲んでいた。

 

 それはまさしく、ファ○リーズでひと吹き除菌するようなお手軽さだったのだろう。

 

 ああ。どうして。

 頭髪が青いというだけで男子高校生をアンチスキルの車両に問答無用で押し込む女子中学生の残虐性を、どうして世間は放置するのだろうか。

 笑ってギャグで済ませられない、忸怩たる憶いがふつふつと蘇ってくる。

 

 

 突然、なにか辛い出来事を思い出したかのごとく無表情になった大男の変化に気づいたのは、目の前の、車の後部座席の足元にすっぽりと身を隠してしまっていた女の子のほうだった。

 

 半開きのまぶたで、女児はじーっとこちらを覗いている。

 大人しく状況の推移を見守っているらしい。

 とりあえず泣き止んでくれてはいるようだ。

 

 

「いいですか? 俺は壊れた車のなかにこの子が隠れていたから、助けようとしていたまでですよ?」

 

 そう言いつつ、おもむろに振り向こうとした男の動きに、鋭い指摘が飛ぶ。

 

「動かないで!」

 

 逃げられてはかなわんと、景朗は大人しく指図にしたがうことにした。

 

(わたくし)、お伝え致しませんでした? 聞かせていただきました、と。厚かましいことをおっしゃいますわね。くだらない問答はここまでですの。貴方を拘束します」

 

「そりゃあ、こんな壊れた車から強情にも出てきてくれないんですから、仕方ないでしょう。それくらいで、ちょっと横暴じゃないですか?」

 

 

「貴方お気づきでして? あちこち返り血のようなものがついていますわよ。そのような不届きものの言葉を、(わたくし)がそのまま素直に信じるとでも?」

 

 諦めたように、景朗はわざとらしいため息を付いてみせた。

 

「貴方を拘束します! 両腕をゆっくりと後ろ手に回しなさい!」

 

「はいはい。わかりました。大人しく受け入れましょう。どうにでもしてください」

 

 もぞもぞと腕に、白井黒子の手が触れた。その時。

 

「ぶえっくし!」

 

 景朗はわざとらしく、巨大なくしゃみを放った。

 

「!? 何事ですのッ!」

 

 白井黒子は勢いよく距離を取り、自らスカートの下に手を突っ込んだ。

 太ももに手を当てているようだ。

 

「なにって……ちょっとちょっと、くしゃみくらい自由にさせてくださいよ?」

 

「大人しくしなさいと言ったでしょう」

 

「勘弁してくださいよ。何でもかんでもお伺いをたてろと?」

 

 カチャリ、と背後で手錠がかかる。

 

「あのー、ジャッジメントさん。それじゃあ、振り向いていいですか?」

 

「……いいでしょう」

 

 振り向いた男の顔を見て取った途端に、ぐぐっと白井黒子は身構えた。

 

「何をニヤけていらっしゃいますの?」

 

(手錠なんかで"俺"を拘束した気になられているみたいなので……そりゃあ笑えますって)

 

「じゃあ、ジャッジメントさん。なんだか無性に股間が痒くなってしまったので、掻いてもいいですか? あ、手錠が邪魔でズボンに入らない。すみません手錠を――」

 

「フザけないでくださいましッ」

 

「あ。それじゃあこうしましょう。ボクの代わりにあなたが掻いてもらえません?」

 

(あれ? 咄嗟に思いついた冗談だけど女子中学生相手になんつー……これセクハラだorz)

 

「くうっ! ……いいでしょう。大人しくしていると言うのなら後ほど、思う存分掻いて差し上げますわ。留置場の中でお好きなだけ!」

 

「はあー、冗談ですよ。あ、またくしゃみでそうなんですけど、おーけーですか?」

 

 ジャラジャラと手錠を鳴らしつつ、男は車のそばに座り込んだ。

 すっかりと虚脱したその態度と、からかい混じりの悪態に、やや離れた位置に陣取った白井黒子は苦々しそうに顔をしかめている。

 

「……それこそお好きなだけ、あちらを向いておやりになってくださいな」

 

 白井黒子は居心地の悪そうに言い放つと、ケータイを取り出した。

 一刻も早く応援を呼ぶつもりらしい。彼女の焦りと緊張が、目に見えて伝わってくるようである。

 車の中でもぞもぞと動く女児を横目に、白井は電話に意識を傾けた。

 

 そのタイミングを見計らっていた景朗は、思いっきり第二波をぶちまけた。

 

「は――ぶえっくしっ!!!」

 

 脂ぎったオジさん顔負けの、ドデカイくしゃみだった。

 白濁した粘液は白井黒子の顔面へと飛沫し――――どストライク。

 

「もしもしういはちょ、うゲエエエエエエエエエエエエエエエッ! ひいいいいっ! あ、あなたはああっ! 何てものを人様に向かって……はえ? あ、あ、あ、れ……足、が……あな、た……」

 

 女子中学生は、はたり、とその場で眠りに就いた。

 

「大量職質の恨み、思い知れ」

 

 アスファルトへ頭を打ち付けないように、支えつつもゆっくりとツインテールを地面に寝転がし。

 くるり、と振り向きざまに、車を降りて逃げようとしていた女児へと語りかけた。

 

 

「とにかく俺は何にもしないから、武器は下ろして。俺を撃たないでくれ。今から君をお家に返してやるからさ。俺はモギーリナヤ氏を探してるんだけど、君は何か知らないか?」

 

 その名を出した途端に、うっすらと女の子の表情筋がヒクついた。

 小さな反応で、見逃す人間の方が多いかも知れない。

 しかし、景朗にはしっかりと確信があった。

 この子は無関係ではないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 女児の首根っこを引っつかみ、子猫を加える親猫のごとくマンションの中庭へと景朗は移動した。

 

 焦げ臭さにつられて見上げると、空にたなびく黒煙が狼煙のように火災の存在を知らせてしまっている。

 これでも、爆発があって10分ほどは経っているはずだ。

 いい加減に、もう間もなく、アンチスキルがやって来ることだろう。

 

 

 今からの数分が、現場を探る最後の機会になる。

 

 木原数多から遅れて連絡されてきた住所と、煌々と炎が上がっていたマンションの部屋番号は一致した。

 目的の部屋からは、未だにモクモクと煙が上がっている。

 

 

 学園都市製の建築物であるのにここまで火災が悪化している以上、やはりそれなりに激しい爆発だったのだろう。

 

 先ほどひとりで突入した時に確認したが、やはり部屋の中身はまるごと吹き飛んでいた。

 

 生存者の有無を確かめたが、確認できたのは爆風で肺が潰れた死体が三つ。

 転がっていた死体のどの装備も、中庭やマンション専用通路で転がした奴らと同様のものだった。

 

 部屋の住人らしき人物は、焦げ付いて転がってはいなかった。

 となると。住人は一体、どこまで逃げ出していったのやら。

 

 

 小さな女の子は、焼けた家を目撃した瞬間、グズグズと泣きだしてしまっている。

 この子を放り出したままで、いったいどこへ。

 

(しかし、ちょっと困った事態になった)

 

 やはり住んでいた家が燃えているのはショックなのだろうか。

 涙と鼻水をポロポロと流し、女児は精一杯な様子で、ひとつの台詞を繰り返すばかりになってしまった。

 

「ぼうしをさがしてください。おねがいします、マーマのぼうしをさがしてください」

 

 ヒクつく子供に問いただすと、帽子とは、母親から貰ったロシア帽のことらしい。

 動物のタレ耳のような耳あてが付いた、よくメディアで見かけるヤツだ。

 

 

 泣く子と地頭には勝てない。その言葉の意味がしみじみとわかる。

 この緊急事態に、帽子ひとつにかように執着されても、と説得をつづけたが。

 メソメソと喚くチビッ子には何を言っても無駄だった。

 

(まてよ? "母親"の帽子か! 何か手がかりが隠されてたのかもしれない! 緊急事態の時は帽子の手がかりを使え、って子供に言い聞かせてたのかも!)

 

「その帽子かぶってたんだろ? 逃げる時にどこかに落っことしたのか?」

 

「ふぐっ。でも、よくおぼえてないです……」

 

(匂いでわかる!)

 

 チビッ子の髪の毛を嗅ぎわける。むわっとした動物の香り。

 風呂嫌いな子だったのか、少々臭っていた。

 

(まあ、おかげで匂いは強く残ってるな)

 

 サイレンの音が近づいている。

 今にも"警備員"が蜂の巣に突っ込んでくる。

 

 女児を中庭の公園の遊具の下に隠し、景朗は全速力で探しに行った。

 

 だが、結局。その帽子とやらは、見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 女児を連れて、警備員から距離をとり、すぐさま状況を説明すると。

 頭を抱えるような報告が、木原数多から届けられた。

 

 

『ガキ? ガキなんざ知らねーぞ。とにかくよぉ、テメーが確保した奴はまだ危険らしいからよ、ウチでそんまま保護しとけって話だ』

 

「は?」

 

『おーし。テメエに一任するわ。オラ、今回の件はオマエがタントーだ。いいだろ? 喜べよ、思う存分人助けしてこいや。じゃーな切るぞカス』

 

 

 "猟犬部隊(ハウンドドッグ)"の人間にあずける……?

 ありえない選択肢だ。馬鹿げている。

 

 

 しかし。自分なんかのそばにいては、もっと危険だ。

 

 

 かと言って。……やはり、しばらく落ち着くまでは。この子への"謎の襲撃"が一件落着するまでは、そこそこ強い人間が守っていてやらないと……。

 

 信用できる人間がいるか?

 

(丹生? でも、この子狙われてるかもって……巻き込めない……)

 

 何てことだ。今日は夏休みの最終日だっていうのに。

 

 存外にも理知的な黄色い瞳が、景朗を覗き込んでいた。じーっと、覗き込んでいた。

 まぶたは半開きだ。タフなことに、ここにきてチビッ子は、なんだか眠そうな様子をみせている。

 

 

「チビちゃん。とりあえず、俺ら"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"っていう君のお母さんの仕事仲間だから。んで、俺たちがしばらく君のことあずかることになったから」

 

 黙ったまま、チビッ子は景朗の様子を観察している。そればっかりだ。

 みっしりと詰まったリュックが重そうだったので、持ってやろうかと手を貸すも。

 

「さわるなっ」

 

 先程から、この調子だ。

 

 泣きやんで、我が家の火事の衝撃から復帰し始めたのか。チビッ子は途端に、この世の全てを疑ってかかるような、典型的な暗部のガキんちょみたいな反応を醸し出し始めていた。

 

 透き通るような銀髪。まだまだ子供の証だ。大人になるにつれて色素が沈着して変色していきそうだ。白いままかもしれないが。

 目玉は学園都市では珍しいことにギンギンの黄色で、どっからどう見ても日本人じゃないのに、日本語はペラペラだった。おそらくは、学園都市で育った子供だ。

 

 肌はなまっ白くて、青白く、全然日焼けしていない。部屋の中から出ずっぱりなのかと思えば、ガリガリの身体には平均程度の筋肉はついている。

 

 先程も景朗に向かって震えながらもスタンシェル四発をぶち込み、割と鮮やかに再装填してみせた。この子はカタギの子供ではないようだ。

 

 

(最終手段を取ろう。仕方ない)

 

 一番使っていない秘密基地(セーフハウス)に匿おう。

 半ば倉庫のような扱いになっているところだが、この子だって安全さは何よりの快適さに勝る、と理解してくれるはずだ。

 

 セーフハウスの場所は、第十学区。

 第十学区には同じようにいくつか拠点を作ってあったが、これから案内する場所は"第二位"にしてやられたときに、咄嗟に火澄や手纏ちゃんを運び入れた賃貸オフィスである。

 

 

 

「これから第十学区の秘密基地に行くから。君はそこでしばらく俺たちが匿う。俺は……スライス(三つ分)って呼ばれてる。君の名前は?」

 

「しらない」

 

「そうか。それじゃあ君のことずっと小便漏し(アクシデント)って呼ぶけどいい?」

 

 クレア先生が、ちっちゃい子が漏らした時に『アクシデントしちゃいましたか……』と言っていたので、景朗たちも須らく"アクシデント"と呼んでいる。

 

「……それでいいもん」

 

「おーけー、もうこっちで勝手に調べるよ。よし。とりあえず着いたら、君、お風呂入ろっか。そのリュックサックの中に着替えは入ってる?」

 

「いいです」

 

「え?」

 

「おふろはべつにいいです」

 

 この子、徹底的な風呂嫌いのようだ。

 

(ウチにもいたな。風呂嫌い(花華)。昔の話だけど……)

 

「いや、いいですとか、そういう問題じゃないでしょ。おしっこ漏らしたままで気持ち悪くないの、君?」

 

「おきがえないからむりですー……」

 

 女児はそっぽを向いて、ぼそぼそと他人事のように、そう言った。

 

「コンビニで買えるからできますー」

 

(あれ? コンビニに女児のパンツとか売ってたっけ?)

 

 と、いうか。女の子を連れて、そんなものを買って、街中を歩いて……。

 風紀委員に絡まれたら……。

 

(だ、大丈夫だ。今は青髪クンの"ガワ"じゃあないんだぜ?)

 

 不安だったのか、景朗はまっすぐ、第十学区のセーフハウスへ向かうことにしたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 貸し店舗がゴロゴロと立ち並ぶ、第十学区のオフィス街。

 その一角の、賃貸オフィスの一室に、景朗は銀髪のチビッ子とともに足を踏み入れる。

 

 その階層のフロア全体を貸し切って使っているが、その実、上下の階もぶち抜いて別名義で借りているものだから、そのややボロっちいビルまるごと景朗の巣なのであった。

 

 殺風景なコンクリート打ちの空間には、ゴロゴロとイリーガルな暗部御用達の道具類(銃器や電子機器)が山積みにされている。

 

 隣の部屋を除けば、どこかで見たような景朗お気に入りの巨大冷蔵庫が所狭しと並んでいる。

 中身はもちろん、冷凍のブロック肉で満杯だ。

 ただし、ほとんどが腐りかけているものなので、子供に食べさせるわけにはいかない代物である。

 

 以上に述べたように、そこそこまとまっている物件(セーフハウス)だったのだが。

 

(それなりに高い買い物だったのに、使い捨てにせざるを得ないかも……)

 

 チビッ子の境遇しだいでは、この秘密基地はお払い箱になってしまうかもしれない。

 景朗は人知れず、息をついた。

 

 銀髪の女の子は、若干関心したように、暗部の拠点と変わり果てた内装をキョロキョロと物珍しそうに見渡している。

 

 

 

 二人が最終的にたどり着いたのは、給湯室を改造したような、畳張りの一室だった。

 そのフロアの中では唯一、生活感が存在する場所だろう。

 迫っ苦しい印象はなく、広さもそれなりに有った。宴会のひとつやふたつはできそうな間取りで、こたつまでぽつんと鎮座しているくらいだ。

 

 チビッ子を連れ込むと、景朗は備えてあった小さめの冷蔵庫を即座に開く。

 

(まずい。食物は……缶詰だけか……)

 

 女の子はどたどたと畳に上がり込み、部屋の隅にぽつんと置かれていた小さなラックステーションに興味を向け始めた。

 ぐちゃぐちゃと湿った足音が、い草と反響して恐ろしいことになっている。

 

(おいチビ……お前さん小便漏らしたままだったろうが……)

 

 ラックには、景朗が過去の任務で散々に壊してきた数々のケータイの残骸が山積みになっている。バラバラにして捨ててしまえば、読心能力者によからぬ利用を防ぐ事ができる。

 しかし、かと言って、データが入っていたHDDやメモリは万が一の悪用を防ぐため保管して、こうして一箇所にまとめ、放置していたのだ。

 完全にバッキバキに砕いてしまっているために、もはや誰の悪意にも晒されないだろうが、念の為に、というやつである。

 

 

「おーい、それ壊れてるぞ。というか、あまり触るなー?」

 

 女の子は言いつけを聞いたのかそうではないのか。

 景朗に興味を失ったふうに、水色迷彩のスモッグのポケットから自前のケータイを取り出し、無心にいじくりまわす。

 

「ふぅ。マジ、どうする? 子供の面倒はそれなりに見れる自信はあるけど……暗部のガキとなると……おーい、とりあえず、ハラへってないかー? 何か食べたいものあるかー?」

 

 

 猫背になって丸まった女の子は、画面から目を離さない。

 

「おみず」

 

 ややして、適当に放り投げられたような返事がやってきた。

 

「いや、食いモノでなにかないかなぁ」

 

 火事で家が燃えていた時は、耐え切れずといった風にわんわん泣いていた。

 景朗とて、すこしは優しくしてやる腹積もりだった。

 

「……ぶどう」

 

「いや、もっとこう、食材ではなく食品でなにかないかなぁ」

 

(買いに行くしかないか。しかし、こんな状況でも水とぶどうが欲しいって……ワインの酵母菌みたいな嗜好だなぁ。……いや、単に俺が信用されてないってだけか)

 

 冷蔵庫には、いつぶち込んだのか覚えていないワインのビンが、横倒しになっていた。

 

(ワイン。ぶどう、か……)

 

 そういえばクレア先生はワインが大好きだったなあ。景朗の大好物でもある。そんなことをふと思いつき。

 ワインは水とぶどうと、酵母菌から造られてて……と。そこまで考えて。

 

 その時。ある種のひらめきが、唐突に炸裂した。

 雨月に衝撃が走る。

 

(アルコール発酵……? これ、俺の体内で可能なのでは? 基本は酵母と糖分だ。こ、これは……まさか、できるのか? できる……いやはや、できるぞ! な、なんてこった、こんなタイミングで思いつくとは。

 

まさか……できるのか!?

 "雨月酒"が!

なんとも恐ろしい……体内発酵して……なっ?!

 の、飲ませる……せ、先生に……なあななななななななななんて恐ろしい考えを……俺は……!!!

うおおおお、うわあああああああああああああああ)

 

 

「おかし」

 

 

 女の子が、ポツリと口にした。幼い声色が、景朗の注意を再び引いた。

 しかしそれでも、画面からは一切目を離さない。すごい集中力だ。

 というかすごいメンタルだ。この状況でゲームか何かに一心不乱になれるとは……。

 

 

「おかしって言われても……もういっそ料理名でたのむ」

 

「たぬき」

 

「は?」

 

「うどん」

 

「ああ……そういうこと。つーか、そろそろいい? どうしたの? 急に三文字以上喋れなくなっちゃったのかなチビちゃん? そろそろ三文字縛りやめてくれないかな?」

 

 買い物にでも行くか、とパタリと冷蔵庫を閉じた景朗が立ち上がる。

 後ろを振り向き、少女の姿を目に捉えた、そのとき。

 ケータイを覗き込んでいた娘も、突然、バタリ! と立ちあがった。

 ものすごい勢いだった。

 ぎょロリ、と、信じられないようなものを見つめる目で、景朗を見つめ返していた。

 

 

「? どうした? チビッ子?」

 

 

 ふわり、と女児の顔が、興味津々で鮮やかな様相に変わっている。

 

 女児はやっと、三文字以上の言葉を口にした。

 とはいえ、それは、三文字から五文字に変わっただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし。先程までの単語とは比べ物にならないほど、大変な意味を持つ五文字だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"うるふまん"……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 思わぬ単語をつぶやかれ、景朗の思考は停止した。

 

("ウルフマン"。懐かしい名前だ。一年前、俺はそう呼ばれてた。名乗って、た……)

 

 

 脳みその奥が、冷たく凍っていく。

 

 なぜ、こんなチビからその名前がでてくる。

 

 いいや。そもそも。

 

 どうして景朗が、件の"ウルフマン"だと見抜いてみせたのだ?

 そんな要素は皆無だったはずだ!

 

 

「ガキ、お前なにして。能力者か?」

 

「そうよ! わたしは欠損記録(ファントムメモリー)!」

 

 

 チビッ子は興奮を抑えきれずといったふうに、はっきりとした喋り方で、そういった。

 

 先程までどこか落ち着かない様を顕にしていたというのに。

 今では牙を顕にした大男に遠慮する様子もないようで、とてとてと畳を走り、近寄ってくる。

 

 表情でわかる。問いかけてはいるものの。

 少女は景朗が"ウルフマン"であることを、まったくもって疑っていない。

 確信を得た人間の、顔だった。

 

 

「どうしてわかった?」

 

 こんなチビあいてに遠慮する必要はない。わざと認めて、話を聞いてみよう。

 そんな考えが、その瞬間をよぎっていたのだろう。

 

 景朗は混乱からそうつぶやくと、少女から離れるように後ずさった。

 

 

「あなた、ウルフマンなのね? そうなんでしょう? ウルフマンじゃないの? ねえ、ウルフマンなら変身して見せて!? お願い、お願いよウルフマンっ!」

 

 

「なんのことだ。ガキ?」

 

 舌の根が乾きかけていた。

 無論、比喩的な表現だ。景朗の舌はそれほどやわなものではない。

 

 そして、比喩的な表現が現実をひっくり返すほどに。

 一方の女児はすっかりと、"豹変"してしまっていた。

 

 しっかりとした、其の辺の大人となにひとつ変わらぬ理知的な言葉使いで勢いよく喋りだす。

 

 今までのたどたどしい舌づかいはまったくの演技だったのだと、はっきりとそうわかる様だった。

 

 

「ほら! "ウルフマン"のデータ!」

 

 女の子はもはや、景朗を微塵も恐れてはいない。

 ドタバタと近寄ってきて、手に持っていたケータイを景朗の大きな手に押し付けてきた。

 大人気なくも、奪いとって画面を除く。

 

 

「……こ、れ……ッ!」

 

 去年の九月。

 景朗は、初めての暗部の戦いで、ケータイ電話を"粉塵操作(パウダーダスト)"という男に壊されてしまった。

 

 そのせいで、仄暗火澄が残したメールや留守電の記録を、まるごと聞きそびれてしまっている。

 

 

 

 

 その、失われたはずの記録が。

 

 なぜか少女のケータイに、表示されている。

 

 

 

 

 ウソか? 嘘じゃない。

 

 

 一年前。

 

 

 そう。ちょうど一年前だ。

 

 

 八月の暮れから、景朗が初任務を受ける、九月の頭まで。

 

 仄暗火澄は、景朗に連日、メッセージを残してくれていた。

 

 だからこそ、理解できる。

 

 

 

 

 

 強烈な見覚えがあるのだ。

 

 失われてしまった、仄暗火澄との言い争いの記録。

 当時の言い争いの全てが、一字一句、残さず景朗の目に飛び込んでくる。

 

 覚えている。間違いなく、これは、本物だとしか、思えない……。

 

 

 

 

 

「わたしの能力の欠損記録(ファントムメモリー)は、完全に壊れてしまった記録媒体から、元通りの情報を抜き出すことができるの! あなたは"ウルフマン"なんでしょう?」

 

 

 何も答えられず、硬直した景朗の、その様子を"肯定"だと受け取ったのか。

 

 

 なぜだかわからない。だが、銀髪の幼子は、感動に目尻を潤わせた。

 

「うわーああっ! ウルフマン! 助けに来てくれたのね!?」

 

 感極まったように、ぴょんぴょん飛び跳ねる、女児。銀髪がゆらゆらと、揺れている。

 

 

「君のお母さんが……あの"オペレーターさん"なのか?」

 

「ちがうわ! マーマなんて最初からいないのよ! もうとっくに死んでるんだから!」

 

 

 

 

 女の子は大人顔負けの理性が灯った眼光を、景朗へと照射した。

 その様子はさながら。

 どこか自慢げに、わたしはもうおとななんだから、と言外に語っているようであった。

 

 

 

 

「わたしよ、わたしなの! わたしはダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤ。あなたといっしょに戦ってきたのは、この"わたし"なのよ!

 あなたの"オペレーター"さんは、このわたしのことなんだからっ!!」

 

 

「……」

 

 信じられない。突然のカミングアウトに、景朗はわけがわからず、理解が追いつかない。だが。

 少女は興奮冷めやらぬ様子で、たしかに。

 あの時の"オペレーターさん"しか知りえぬ情報を、景朗にベラベラとまくし立ててみせている。

 

 

「電話……そうだ。君が本当にあの"オペレーターさん"だって言うなら、俺は電話番号を知っている」

 

 手早くポケットからだして、一年前に教えられていた"オペレーターさん"の電話番号の、着信ボタンを押す。

 

(いやいや、なにしてんだ。無駄だろ、これ)

 

 なにしろ、"暗部"の電話番号だ。それも一年前に教えられたものときている。

 つながるわけがないはずだった。

 

 PRRRRRRRRRRRRRR!!!!!

 

 信じられないことに、少女に渡されたケータイがぷるぷると振動する。

 

 

「ほら、わたしでしょう? あなたに電話して欲しかったのに、一回もかけてこなかった!」

 

 

 銀髪の子供は興奮の絶頂という様である。

 ぴょんぴょん、ぴょんぴょん、と。

 ドスドスと畳が揺れるのも辞さず、歯がゆそうにジャンプを繰り返すのだ。

 

 

「約束したのにっ! "ウルフマン"! 約束したでしょう? わたしにひとつ貸しがあるってあなたはそういってたでしょう?? "収束光線(プラズマエッジ)"が役に立たなかなかったのはわたしのせいじゃないじゃないっ! あなたがよこした"人材派遣(マネジメント)"のせいなんだからっ。

 

 だから、約束は約束よ? わたし、狙われてるの。助けて、助けてよう、"ウルフマン"ッ」

 

 

 




 ヒロインは複数いますといいました。
 確定はまず、この子です。

 銀髪ロリ。ロシア養女、ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤ。
 ダーシャと読んでやってください。


 すっごい遅れて登場しましたが。

 実はこの子、作者のアイデアの中では、最古参のヒロインです。
 そうです。
 丹生よりさきに、暗部でいっしょに任務に望んだのは、このちびっこ。
 天才少女、ダーシャちゃんだったのです……

 彼女の能力は、強能力(レベル3)の念写能力(ソートグラフィー)。
 欠損記録(ファントムメモリー)となっています。
 詳し話や、更なるイベントは、次の話で。
 一週間程ください。
 もしかしたら、すっごい短い話(ダーシャ関連の話)をもっと短期間であげられるかもしれませんが。
 短くていいからスグ話を読ませろ、というかたは……まあ。いいや。


 

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