とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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episode04:酸素徴蒐(ディープダイバー)

 

 

霧ヶ丘付属中学は、学園都市の有名校がしのぎを削り合う第十八学区に存在する。これからは毎日、第十二学区から公共交通機関を乗り継ぎ、学区をまたいで中学に通うことになる。

 

登校初日。駅から出たオレは、今だなれない第十八学区の街中を徒歩で移動していた。この学区は、外見こそ第七学区と大きな違いはないものの、その雰囲気にはだいぶ異なるものを感じた。第七学区と比べて、通り行く人の数にも違いはないものの、活気が無く、皆疲れたサラリーマン、OLのような表情をしている。

 

一方、治安は両者、雲泥の差で、ここ第十八学区は町の路地裏にたむろする様な不良無能力集団の姿がほとんど見られない。無理もない。すれちがう、通学途中の学生たちのほとんどは高位の能力者だ。この学区と、第七学区の"学舎の園"近辺は、この学園都市で最も高位能力者の密度の高い場所である。

 

 

ちらほらと霧ヶ丘女学院の制服を着た娘たちの姿を見かけるようになってきた。こっちの道で合っているみたいだな。付属中学には、彼女たちのあとを追っていけばそのうち到着するだろう。

 

一応、出発する前に、ここいらの地形は一通り頭にたたき込んできているのが、無駄だったかも知れない。いや、無駄だと結論づけるのは早計かな。おかげで、学校の近くにある良さげなケバブのお店をチェックできたじゃないか。

 

なんとなく、コレはオレの勝手な予想なのだが、元の小学校の特別開発クラスですら、ついぞ友達を一人も作れなかったオレである。恐らく、霧ヶ丘付属の中でも、そうそう友達を作れるわけがないだろう。しばらく楽しみは食う事だけになりそうである。

 

そう考えていたのだが。視界に移る女子高生たちの後ろ姿を眺めていると、年上のお姉様たちと甘酸っぱい思い出づくりだって、頑張ればできないことはないんじゃないだろうか、という気になってくる。せっかくだ。挑戦せずに諦めるのはいかがなものだろう。……よし。そう悲観的になることもないか。元気だしていこう。

 

 

 

 

厳重なセキュリティチェックを乗り越え、遂に学校に到着した。さすがは能力開発優先校。とてつもない数のセキュリティだった。

学校の内部を見渡す。これは…中学校というより最新鋭の研究施設といった様相なんだが。どうしよう、まともな学園生活をおくれるか分からなくなって来た。

とにかく、見た目だけじゃ学校らしさが伝わってこない。学生服を着た生徒が廊下を歩いていなきゃ、完璧にただの研究機関だぜ。

 

驚くことに、入学式はなかった。事前に配布されていたガイダンスに従って、オレは自分の担当となっているこの学校の研究室へと直行した。どうやら、この霧ヶ丘付属中学はアメリカのハイスクールのような授業形態らしい。生徒をクラスを作って割り振らず、代わりにそれぞれが所属する研究室を割り振る。そこから生徒が勝手に授業の行われる教室に出向いていく、という流れである。

 

そもそも、高校の付属校だからな。設立されたのも、割と最近らしいし、こんなものかもしれん。まぁ、コレはコレで楽そうだからいいか。中学生活は悲しくも、幻生先生たちとの実験生活に消えるであろうオレにとっては、いっそ他人に関わる時間を極力排除できてかえって便利かもしれない。

 

目的の研究室に入った。担当の先生に挨拶をすると、そっけなく、よろしく、と一言だけ返された。うーん。この人達、教育に関心があるようには見えないな…。学校生活で利用する自分のテーブルやロッカーを案内された。授業が無い時は、普段はこの研究室で検査や実験に協力することになるらしい。

 

入学早々申し訳ないが。と先程からオレに研究室の紹介をしてくれていた先生からなにやら前置きされ、どうしたのだろうと疑問を持ちつつも、話を促した。

 

「早速だが、明日から君には、午前の授業を受けた後、先進教育局の木原研究所に出向する様に願いたい。話はすでに木原所長から聞いているのだろう?」

 

なんだと。ちょっとまて、もしかして…。オレはすぐさま彼の胸に付けられた教員証を注視した。

 

霧ヶ丘付属中学校木原研究分室所属 木原蒸留 先進教育局木原研究所出向

 

おいおい…この人たちも、幻生先生の部下なのかよ。学園都市の木原って、この界隈じゃそうとう有名なんじゃないか…?いや、それはいまさらか。

 

初日は特にコレと言った用事もなく、この後は目を付けていたケバブ屋で昼食を取って、そのまま帰宅した。なんだよ、午後は丸々実験するのかよ…。幻生先生やりたい放題じゃねぇか。勉強は自分でしないと厳しそうだな。

 

 

 

 

 

翌日。正午を少しまわった頃合い。木原先生ズに言われたとおりに、オレは先進教育局へとやって来ていた。恐らくここは木原一族の一大拠点に違いない。なにせ木原幻生直轄の研究所があるというのだから。

本音をいえば、そんなとこにわざわざ行きたくねえんだけどな…。オレ、木原一族には苦手な人が多い気がする。

 

だが、孤児院の資金援助のためだ。もはや止まるわけにはいかない。今年の春にも、うちの園には新しいメンバーが増えている。みんな不安そうな顔をしてやってきた。彼らのためにも、実験に協力し続けなくては。

いつの間にか、後戻りできなくなっている。気づいているとも。オレは、もう幻生先生には逆らえないのかも知れない。

 

ただ、新しく入ってきたメンツに対して、あのビクビクしていた真泥がお兄さんぶって、色々と世話を焼いていたのを思い出す。クレア先生に抱きしめられて戸惑った表情を浮かべていたガキどもの顔も思い浮かんだ。あの光景は絶対に否定させない。大丈夫、能力で肉体も精神も強くなったしな。

 

 

 

 

研究施設への出入りにも慣れたもので、なんなく木原研究所の所長室へと案内された。そこで待っていたのは、お馴染みの幻生先生と、なんかこう…ぎょろっとした目が特徴的な、同い年くらいの女の子だった。女の子は制服を着ているし、一緒に実験に参加するメンバーなのかな?

 

2人ともソファに腰掛けて、なにやら難しそうな内容の話をしていたが、オレの入室とともにこちらに目を向けた。幻生先生に呼ばれて、隣に腰かける。

 

「ちょうどいいタイミングで来てくれたね。さっそくだが、布束クン、紹介しよう、彼がプロジェクトの要、雨月景朗クンだ。景朗クン、こちらが以前、私が言っていた共同研究をする相手側の責任者、布束砥信クンだよ。布束クン。改めて彼ともどもこれからよろしく頼むよ。」

 

「of course. 彼が噂の。期待させてもらいます。私たちの研究に幸多からんことを。」

 

この女の子が、共同研究組織の責任者…?どうみてもオレと同じくらいの年齢なのだが。大丈夫なのか?しかし、ただの女の子だと考えてはいけないのかもしれない。幻生先生とはそこそこの付き合いだ。彼はそういう冗談をする人じゃない。

この女の子、きっとものすごく頭がいいんだろう。

学園都市だと、どんどん飛び級していく天才児童(ギフテッドチャイルド)の話には事欠かないが、実際に見るのは初めてかも知れない。

 

…まずいな。訝しむ視線でずいぶんと見つめてしまっていた。第一印象が悪くならないといいが。

 

「初めまして。ご紹介の通り、雨月景朗といいます。これからどうかよろしくお願いします。」

 

「no problem, 布束砥信よ。確かに貴方とそう変わらない年齢だけど、心配しないで。こう見えて、私がこの計画の発案をしたの。企画、運営も任されているわ。既に聞いているとは思うけど、私たちの研究には貴方の能力が必要なの。hopefully, 貴方が期待通りの成果を上げることを祈らせてもらうわ。」

 

そういうと、布束さんは立ち上がってオレに手を差し出した。ちょっと上からな物言いをする人だけど、それでも隣の幻生先生よりだいぶマシだぜ。やはり女の子だからかな。こちらも手をとって、しっかりと握手した。その後は、これから皆が試みる実験の目標、目的、方法などの概要を教えてもらった。

 

その研究で開発する装置(デバイス)の名前を聞いて驚いた。"学習装置(テスタメント)"だとさ。はは、字面だけみたら、確かに先進"教育"局が行うに相応しい題目だろうよ。しかし、テスタメント(聖書)ねぇ…。

 

 

 

幻生先生たちと毎週末やっているものと似たような機械で、似たような操作で、似たような注意を受けて。わざわざ先進教育局という場所にやってきたわりに、布束さんたちの実験は今まで受けてきたものとそこまで代わり映えはしなかった。

普段どおりに能力を使用して、脳みそにピリピリとくる刺激に無反応を示していただけで、実験はつつがなく終了した。

 

測定機械から席を外すと、布束さんが何やら足早に近づいてきて、心なしか早い口調で話しかけてきた。顔には出ていないけど、どうやら興奮している?

 

「awesome. 素晴らしいわ、雨月君。期待以上の能力ね。今日、貴方が私たちに見せてくれた反応。それだけでも称賛に値するわ。これなら、研究が想像以上に捗りそう。anyway, これからもどうかよろしく頼むわ、雨月君。」

 

「どうも。オレの能力がお役に立てそうで何よりです。」

 

こっちこそ、予想以上に喜んでもらえてなんだか気が咎める。全然集中してなかったなんて言えないぞ、これは。

お。足音だ。誰かが後ろから近づいて来ている。この足音だと…なんだ、幻生先生か。

 

「ははは。だからいっただろう、布束クン。彼の能力は本物だと。我々は、貴重な能力を提供してくれている彼に感謝すべきだよ。なにせ、この学園都市に3人といないレアな研究素材なのだからね。」

 

おいおい、幻生先生、突然ヨイショしてくるなんてらしくないぜ。褒めたって能力以外は何も出せないぜ?ていうか、いつもいつもしれっと"素材"扱いしてくるよね…。

 

「exactly, 木原所長、この度は雨月君の提供、ありがとうございました。無事、目標を達成できそうです。」

 

「なに、礼には及ばんよ。我々の世界は、持ちつ持たれつだからね。」

 

ちょ、おい。提供ってなんだよ、幻生。

 

 

 

 

霧ヶ丘付属入学直後から、布束砥信とともに"学習装置"開発を行うこととなった。彼女の予定では、これから約1年間、オレは実験に協力しなければならないらしい。最も、うまく研究が進めばもっと早く装置を完成させられるかもしれないとのこと。

はあ、積極的に研究に協力していくべきだろうな。1年も午前授業だけだと、勉学の負担が半端ないものになりそうだ。

 

 

入学してはや3ヵ月。外気はもうだいぶ暑くなっている。梅雨もそろそろ明けそうだった。彼女との研究こそ着々と進んではいるが、その他のこと、たとえば、友達とか霧ヶ丘女学院のお姉様たちとの交流とか、そういった個人的な学生生活に関してはからっきしだった。

 

 

常盤台に行った火澄は、月に2,3回ほど様子を見に来てくれているらしい。らしい、と表現したのは、彼女がうちの園に来てくれるのがいつも週末だったためだ。週末はオレ、実験素材になってますから。彼女に会えないのは辛いな。この3ヵ月で顔を会わせて話をしたのは3,4回である。

最近だと、月に数回の、火澄が作ってくれた晩飯の作り置きを食べるのが最も幸福な時間である。切ねえー。

 

こちらは友達の1人も居ないというのに、火澄は"学舎の園"では大変よろしくやっているようであった。実験が早く片付いた日に様子を見に行ったことがあるのだが、彼女の住む寮は"学舎の園"の内側にあるらしく、結局なにもできずに引き返した。何やってんだろう、オレ。

 

偶に顔を会わせた時も毎回、「彼女の一つでもできた?」なんて聞いてきやがる。友達すら居ませんよって正直に答えると、可哀想な人間を見る目で憐れんでくるぜ。

まあ、正直、"学舎の園"に住む女の子が彼氏を作るのは非常に困難な事だろうから、火澄に彼氏ができる心配はしてないんだが。

 

 

新しく施設に増えたメンバーも、そろそろ慣れてくる時期だな。今年の春に入園してきたガキどもは、みんな幼く、幼稚園に通う年頃の子たちや小学校低学年の子が多い。花華と真泥がだいぶはりきって面倒を見ていたな。クレア先生はチビッ子の面倒に大忙しで、大変幸せそうで結構である。

 

 

 

 

警備の皆さんも、こんな暑い日に御苦労さん。午前の授業を終えたオレは、気乗りしないまま木原研究所へと向かう。

 

布束さんに会うのは幻生先生に会いに行くほど嫌な訳ではないが、もう3ヵ月も一緒に居るというのに未だにイマイチ距離感がつかめていなかった。絶対的に、あの人とラブコメな空気にはなりそうにねえんだよな。

 

だらだらと歩いて、ようやく学校の最寄りの駅に着いた。と、そこで、携帯が振動した。話題の布束さんからのメールである。今日は急に別件が入ったため実験は中止、ですか。……もっと早く、あと20分早く連絡くれないものだろうか。今からまた学校に戻って授業を受け直す……?

 

………い、イヤだなあ。もういいや。今日はこのまま……。あ、そうだ。無駄足になるかもしれないが、せっかくだから火澄に会いに行こうかな。ちょっと照れくさいけど。ここんとこひと月くらい会ってないしな。あっちで昼食を取って休憩して、会えなければそのまま帰ればいいや。ダメもとで行こう。

 

 

 

 

第七学区は第十八学区の西隣に位置しているから、目的とする"学舎の園"付近には直ぐに到着できた。駅から出て辺りを見回しながら、ほんの少し散策するだけで、武装無能力集団(スキルアウト)らしき集団を目にしたが、やはりここ、第七学区は治安が悪そうだな。

学園都市で最も中学、高校が集まっている学区であり、おまけにその学校のグレードもピンからキリまで。学区全体が不良中高生の溜まり場みたいな所なのだ、それもむべなるかな。

 

 

"学舎の園"に着いて、致命的な問題が発生した。携帯のバッテリーが今にも切れそうな状態になっている。本当に、今にも切れそうだ、これ。電話をかけた途端に切れるんじゃないだろうな…迷っている暇はない、一刻も早く連絡しなくては。慌てて火澄にメールを打とうと試みたが、むなしく途中で電源がシャットアウトされてしまった。

 

気づけば、八方塞がりであった。当然、"学舎の園"の中には入れないし、道行く常盤台生に誰ソレを呼んできてくれ、と頼もうが、ハイ承りました、とは成るはずもなし。ここで帰るか?いや、さすがにそれでは、今日は何もできずじまいではないか。…どうしたものか。………ふむ…そうだな……よし。

 

 

とりあえず、大通りから数ブロック離れた別の通りへと出向いた。そして複雑な迷路のように路地裏の入口が視認できる通りを選ぶ。ぶらぶらとそのまま歩いていると、さっそく、目的の現場を発見できた。

 

「いいじゃんいいじゃん。俺達と飯食いに行こうよ?奢ってやっからさ?」

 

「オレらこの辺の良い店知ってんだ。ゼッテェウマいって。キミ可愛いし、コイツが言うように全部奢りだぜ?」

 

「…あの、いいです。お誘いは有難いのですが…私、早く学校に戻らないと…。そのぅ…友人と昼食をご一緒する約束をしておりまして…うぅ…ですから…」

 

常盤台の女の子が1人、野郎3人組に絡まれ、路地裏に追いやられていた。ホント第七学区は期待を裏切らないなあ。

 

女の子は野郎どもに完全に委縮していて、強く出れないでいた。野郎2人は女の子を壁際に詰めて、強引にメシに誘っている。残りの1人は、周囲を通り過ぎる通行人へとガンを飛ばしていた。

 

「…あの、もう…行かないと…。…この度は、すみません。私…」

 

「え?何?声小さくて聞こえないよ。恥ずかしくて大きな声出せないのかな?それじゃ、さっそく行こうぜ。」

 

女の子の拒絶を無視して、野郎の1人が無理やり肩を掴んで引っ張ると、その娘はおびえた表情を浮かべた。どこからどう見ても無理やり彼女を連れて行こうとしているな。

これなら大丈夫そうだ。その時ちょうど、オレが彼らを凝視しているのに気づいたらしく、3人目の男が「何見てんだ、ア?」とこちらを威嚇してきた。

 

まっすぐ彼らのほうに歩いて行った。あまりに淀みなくオレが直進してくるので、彼はすこしたじろいだようだった。オレの自信満々な態度を見て、能力者だと予想しているのかも知れない。

 

「あんだぁ?なんか文句あんのかよテメェ!?」

 

彼らまであと数歩といった距離まで近づいた。さすがに少女にかまけていた残りの2人も、男があげた声で気付いたようで、同じくこちらを睨んでくる。

 

「なにコイツ?俺等のジャマしないでくれる?…さっさと消えねぇと痛い目見んぞテメー」

 

「ムカつくなぁ。なあ、もうい~じゃん。ちゃちゃっとフクロにしちまおうぜ。」

 

弱気な女の子相手に後少しといった塩梅で邪魔が入ったのだ。2人組は相当イラついている様子である。対照的に、女の子は希望の眼差しを送ってきた。可哀想に。さっさと終わらせよう。

 

ご気づきの通りに、オレは既に能力を発動させていたため、彼等に何の恐怖も感じていなかった。効果的に彼らの敵対心を削ぐためには…とりあえず、彼らのマネをして威嚇してみよう。

 

その場の注目を浴びているのを意識しながら、オレは右拳をしっかり握りしめ、すぐそばのビルの壁面に強かに打ちつけた。コンクリートが圧縮され破裂する音が響き、壁にサッカーボール大のクレーターが形成された。それを目前で目撃した野郎3人組はきっちり硬直している。良いカンジだな。ついでに一言。

 

「フクロにするのはかまわねーけど、オレを相手にするんなら、骨折どころじゃ済まなくなんの、覚悟してくれよ?」

 

3人組は互いに目くばせすると、テメェのツラは覚えたなどと言ったありきたりな捨て台詞を残して逃げて行った。だがまあ、全員恐怖にひきつった顔をしていたから、報復は別に心配しなくとも大丈夫だろう。たぶん。

 

1人残された女の子も若干怯えていたが、できるだけ丁寧な口調で優しく話しかけると、だんだんと警戒を解いてくれた。

 

「大丈夫ですか?無理やり連れて行かれそうになってたので、止めに入ったんですけど。余計なお世話だったでしょうか?」

 

「いえ、余計な御世話だなんて、そのようなことは…。あの、助けてくれて本当にありがとうございました。」

 

とりあえず感謝はされているようだ。どうやら無駄足にならずに済みそうだぞ。

 

「申し訳ありません。そっ…その…私、友人を学校に待たせておりまして、急いで戻らねばなりません。助けていただいたというのに、直ぐに失礼せねばならず…。で、ですが、今回助けていただいたお詫びは、後日必ず…」

 

彼女がそこまで口にしたところで、途中で割り込んで話を遮った。ちょうど都合が良かった。

 

「いえ、お詫びだなんて。構いませんよ。そんな大層なことはしてませんから。ただ、常盤台中学の生徒さんですよね?俺と同じくらいの年に見えますし、一年生でしょうか?もしよろしければ、ひとつお願いがありまして。常盤台の一年に仄暗火澄という女の子が在籍しているんですけど、これから直ぐに学校の方に戻られるのでしたら、その時可能であれば彼女に一言、[雨月景朗が、"学舎の園"の正門正面のカフェで待っている]とだけ伝えてもらえないでしょうか?」

 

「えっ?火澄ちゃん…?」

 

んむっ。なんだ?その反応は…。まさか…。

 

「仄暗火澄って、黒髪のロングでストレートヘアーの女の子のことですか…?」

 

「はい。オレが知っている仄暗火澄の特徴はそれであってますけど。」

 

おやおや。知り合いだったか。偶然って怖いな。

 

「えーと、彼女の友人といったらいいのかな。たまたま近くに寄ったので、顔でも見て行こうかなと。」

 

「…あの…、火澄ちゃんの知人の方なのでしたら、どうして電話やメールで連絡をお取りになられないのでしょうか…?」

 

「んぐっ。それは…ですね。不運なことに携帯のバッテリーが切れてしまって。…まあ、突然こんな話をされてもお困りですよね。すみません。この話はなかったことにして下さい。」

 

警戒してこちらを見つめる彼女の顔を見て、自分がどれだけ不審な言動を取っているのか改めて確認できてきた。どんだけオレは火澄に会いたいんだよ。もういいじゃねえか。恥ずかしい…。

 

しかし、オレが頼みを取りやめたのと同時に、今度は彼女のほうが申し訳なさそうな態度になり、火澄に電話で確認しましょうと言いだした。もう好きにしてくれ。

 

彼女はその場で誰かに電話をかけ始めた。しばらくして、なにやらゴニョゴニョと電話越しの相手と会話すると、通話を切って、オレに向き直った。なにやら彼女自身もすこしばかり驚いている様子だった。

 

「あの…。火澄ちゃんが、至急こちらに駆けつけて下さるそうなので……そのぅ……それまでご一緒してくださいませんか?」

 

なぜだろう。何も悪いことはしていないはずなのに。嫌な予感がするなあ。

 

 

 

 

「どうしてこっちに来る前に連絡しないのよ?!」

 

邂逅一番に火澄にそう問い詰められた。確かに、オレが携帯の電源が切れる前に連絡を入れておけばそれで済んだ話である。ひたすら白旗を振って彼女の機嫌を治めるしかなかった。

 

近くのカフェテリアで、火澄の友人さんと供に3人で昼食をとる。もともと彼女と火澄は一緒に食事をする約束をしていたらしく、それは構わないのだが、火澄に罰として奢りなさいよ、と言われてしまった。助けていただいたのに…と友人さんは大変恐縮してくれている。火澄はそれで当然だとばかりに睨みつけてくる。そこまで悪いことはしていないはずだろ。ちょっと悲しくなった。

 

"学舎の園"の近場とあって、お値段は割と高めだったが、こちとら霧ヶ丘から多額の奨学金を貰う身である。そこまで負担が大きいというわけではなかった。火澄も恐らくオレの奨学金のことを知っていて奢れと言い出したのだろう。アイツだって貰ってんのに…。

 

席に着いて、シナモンコーヒーという初めて頼んだブツで一息ついた。シナモンとホイップと、ブラックコーヒーとのコラボレーションが素晴らしい。気に行ったぞコレ。

 

気づけば、火澄が呆れていた。隣の友人さんもくすくす笑っている。しまった。周囲を気にせず思い切りコーヒーを堪能していた。席に着くなりコレではさもありなん。ていうかいい加減"友人さん"呼ばわりも面倒になってきたな。

 

「う。すみません。オレ、コーヒーに目が無くて。」

 

「ふふ。そんなにお好きなんですか?」

 

友人さんはオレが火澄の知り合いだとわかってから、ほとんど警戒しなくなった。彼女と火澄、この2人の中は相当良好みたいだな。まだ知りあって3ヵ月ほどしか経って居ないというのに。こちとら未だに1人も友達いませんよ。

 

「あの、オレ、雨月景朗っていいます。そちらさんはなんとお呼びしたらいいでしょうか?」

 

「あっ。あの、手纏(たまき)とお呼びください。私は手纏深咲(たまきみさき)です。火澄ちゃんのルームメイトで、同じ部活に入っています。」

 

ん?ルームメイト?前に火澄に聞いたような…確か常盤台の寮は2人で1部屋で…同じ部屋の子がとても良い子でよかったとか何とか。そうか、つまり…

 

「あれ?ルームメイトってことは」

 

生じたオレの疑問に、間髪入れずに火澄が答えてくれた。

 

「そうよ、景朗。この子が前に言っていたワタシのルームメイト、深咲ちゃん。先に言っとくけど、深咲ちゃんが優しいからって、あんまり調子に乗っちゃダメよ。ソッコー燃やすから。」

 

おおう。なんと恐ろしいことを。燃やさないで。あなたに火を着けられたら消し炭になっちまうよ。

 

「まさか、火澄ちゃんに何度もお話を伺っていた"あの雨月さん"にあのような形でお会いすることになるなんて…。もの凄い偶然ですね。」

 

「え?ちょっと待ってください。火澄のヤツがオレのことを、なんて言って」

 

「ちょ、ちょっと深咲ちゃん!?コイツの話はそこまでしてないでしょ?!」

 

また火澄に話を遮られた。おいおいおい。手纏(たまき)さんにナニを喋ったんだよ?!

 

「それより景朗!あんた一体ここに何しに来たのよ?!連絡もよこさずに。」

 

ぐはっ。この話題はマズい。特に理由なんてない……いや、正直に言っても、火澄に会いたかったから、なんて恥ずかしくて言えない。おまけに隣には初対面の手纏さんも居るのに。火澄は勝ち誇った顔を俺に向けた。

 

「どうせ、また友達作れなくて、1人寂しいからワタシに会いに来たんでしょうけど?」

 

やめてええええ。

 

「やめろおおおおおお。いの一番にオレに友達居ないことバラしてんじゃねえよおお。初対面の手纏さんだって居るんだぞ!チクショー!」

 

手纏さんはお可哀想に…とオレに同情の視線を向けている。くそう。今日は厄日だ。火澄は腹を抱えて笑っていた。笑い過ぎて涙を流しそうにすらなっているし。

 

「アハハハーッ………ハァ、認めましょう!昼前に学校が終わったけどガチで友達が1人もいなくて。暇で暇で、ここに来るくらいしかやることなかったんですよ!うう…」

 

ついに手纏さんも笑い出した。

 

「くすくす…っ。話に聞いていた印象とは違いますけど、雨月さんって面白い人ですね。火澄ちゃんが話をするのもわかります。」

 

手纏さんの発言に火澄が慌てていた。これはチャンスだろうか。流れを変えなくては。

 

「そうだよ。火澄、手纏さんにオレのことなんて言ってたんだよ?」

 

「べ、別に何も言ってないわよ!ワタシの育った施設の話題になった時に、あんたのことにもちょっと触れただけです!それ以上でもそれ以下でもないから。これ以上この話は聞いても無駄だから!」

 

火澄は手纏さんを注視してなにやら必死にアイコンタクトを取っている。オレは一縷の望みをかけて手纏さんに視線を向けた。目があった。なにやら顔を赤くしてしまわれた。これならいけるか…?

 

「火澄はこういってますけど、手纏さん。オレだけ一方的になじられるのは不等だと思いませんか…?火澄は、ホントはオレのことどう言ってたんでしょうか?」

 

オレの発言に、手纏さんは少しの間考える素振りをしていた。火澄が必死に止めようとジェスチャーしていたが、手纏さんは覚悟を決めたようだ。おお、あれだけ気の弱そうな手纏さんが…!よっぽど信頼しあってるんだろうな、2人とも。

 

「ふふ。そうですね…。あんまり教えちゃうと火澄ちゃんが可哀想なので、これだけ。火澄ちゃんは、景朗さんのこと、常に面倒を見てあげなくちゃいけない頼りないヤツだ、って言ってましたよ。いつも、どうしてるか気になるって。」

 

な…なんだと…。って、おい、なんだ、この空気。火澄はそっぽを向いてるし、オレも正面切って彼女をみれない。そして手纏さんは気づいてない。

 

「…そういう話を聞いていたので、今日助けていただいた時の雨月さんの印象と、以前話を伺った時の印象がだいぶ違うな…と感じました。」

 

そういって、手纏さんはこっちを見つめてきた。イエイエ、お気になさらず、といった気持ちをこめて見つめ返したのだが、なにやら頬をうっすら赤く染めていらっしゃる。…なに、この娘、可愛くね?今更ようやく気づいたぜ。弱弱しい性格と外見、色素の薄いふわっとしたセミロング。顔も小さくて可愛いし。今日、もしかしてツイてるんじゃないか…?

 

なんてことを考えていたら、隣から冷たい視線を感じた。火澄がいつのまにか表情を消している。逢って早々軟派なことするなってね。いえっさー…。

 

「深咲ちゃんの印象が食い違うのも無理ないわ。コイツ、最近ころころ性格が変わるの。昔は、ワタシが言ったように気が弱くて頼りないヤツだったのに、最近はこうみえて、すっかり脳筋(脳ミソ筋肉)になっちゃったのよ。」

 

火澄、オレのこと脳筋って思ってたのか…。た、確かに。最近能力の弊害で喧嘩っ早くなってきているし、無理もないか。…ん?よくよく聞けば、その言い方だとオレが性格安定しない変人みたいじゃないか。

 

「性格が変わったってのは…恐縮な話だな。能力強度(レベル)が上ってから考え方も変わったとは思う。…それよりさ、話は変わっちゃうんだけど、手纏さん、さっき火澄と同じ部活に入ってるって言ってなかった?」

 

本当に唐突に別の話を振ったな。無理やり過ぎたかな…?そう思ったのだが、火澄は何やらもじもじと居心地が悪そうな態度を見せた。

 

「まあ。雨月さんはご存じなかったのですね。火澄ちゃんと私は、今年の春から常盤台中学水泳部に所属しているんですよ。」

 

なるほど。火澄、水泳苦手だったのに、水泳部に入ったのか…。苦手を克服しようと思うのは素晴らしいことだと思うけどな。どうして教えてくれなかったんだろう?

火澄を見やると、しぶしぶ口を開いた。

 

「はぁーっ…まぁ、いっか。前々から、あんたに泳ぎが苦手なのからかわれてたし、同じ部屋になった深咲ちゃんが水泳部に入るっていうでしょ?だからいっそ、ワタシも水泳部に入って、弱点を克服してやろうかなって思ったのよ。あんたに教えなかったのは、泳ぎが上達してから見返してやろうとしてただけよ。」

 

「…ごめんなさい。火澄ちゃん、雨月さんに秘密にしようとしてたのに…」

 

手纏さんの沈んだ声を聞いた火澄は焦ると、オレを睨みつけて彼女をフォローし始めた。

 

「だ、大丈夫よ、深咲ちゃん。景朗に内緒にしてたのは下らない理由だからだし。気にする必要ないわ。…もぅ!景朗のせいで深咲ちゃんが落ち込んじゃったじゃない!」

 

ココでオレすか。だがしかし、手纏さんが落ち込むのはこちららも反対だからな。乗ってやるとするか。

 

「なんだよ、昔泳げなかった時、さんざんからかったの今でも忘れて無かったのか。ふふん。水泳部に入ったと言われても、実際にこの目でその泳ぎの上達とやらを見せてもらわなければ到底信じられないぜ。」

 

お、コレ、咄嗟に口にしたけどナイスな提案じゃないか。泳ぎの上達を見るという口実で、火澄の、あわよくば手纏さんの水着姿まで拝見させてもらえるかも知れない!!!

 

「いいでしょう。景朗にはワタシの泳ぎの上達振りを見せつける予定だったし。深咲にこれからたっぷりと教えてもらうから。こう見えて深咲は我が常盤台中学水泳部の期待のルーキーなのよ!」

 

っしゃー!負けず嫌いの火澄に火が付いたようだぞ。これで彼女たちの水着姿を拝める時がやってくる。ところで、手纏ちゃんって水泳上手なのかな?火澄の発言で彼女は照れてしまっているけど。

 

「へー。手纏さんって泳ぎ上手なの?水泳部に入るくらいだからやっぱり自身あったりする?」

 

「むぅぅ。景朗、深咲ちゃんを外見で判断しちゃだめよ。深咲ちゃん、今年入った1年生の中では1番の期待株で、部内でもすでにトップクラスの実力なんだから。」

 

常盤台の水泳部でトップクラスとな。それは本当にすごいな。

 

「…そっ、そんなことないですぅ…。あの、雨月さん。私の能力、"酸素徴蒐(ディープダイバー)"って言うんです。能力を使って、周囲の物体から気体状態の酸素を無理やり引き剥がして、自由に操作することができて…。それで、水の中でも私は自由に呼吸ができるんです。だから、泳ぐのには自信があって…。…じ、実際は…他の人たちより、純粋に泳ぐのに適した能力を持ってるだけなんです…」

 

なるほど。水の中で自由に息ができるなんてな。確かに他の人と比べたら、大幅なアドバンテージを得られるのかもしれない。さて、それはそれとして。ここはもうひと押ししておくか。

 

「そんな能力聞いたこともなかったです。凄い能力じゃないですか!いっぺん見てみたいなあ。…あ、そうだ。火澄がオレに泳ぎを見せてくれる時に、一緒に手纏さんの能力を見せてくださいよ!もし、手纏さんがよろしければ、ですけど…」

 

「……え、えと…。その…私…お邪魔でなければ…。」

 

キラリ、と火澄の目が光ったが、嬉しそうにもじもじする手纏ちゃんを見て悔しそうにしていた。その後も、3人でいろいろな雑談を楽しんだが、お昼休みも残り少なくなって、またの機会に、と話を終えることとなった。

 

携帯の電源が切れているため、手纏さんとメアドや番号の交換ができなかった。畜生、と呟いて携帯を握りしめていると、火澄がそれをみてほっと一息着いていた。ああ、チクショー。もったいない。今の雰囲気なら絶対イケただろう。

 

なんだかんだで別れ際は火澄も名残惜しそうな表情を浮かべてくれた。手纏さんにも、またお話しましょうとお願いしたら、好意的な返事を返してくれた。携帯のバッテリーが切れて一時はどうなることかと思ったが、どうやら結果オーライな1日になりそうだ。

 

 

 

 

 

中学生になって初めての夏休みが来た。相変わらず友達は作れなかったが、夏休みのスケジュールはほぼ毎日埋まっているんだぜ。全部実験だけどな。

 

日々の業務に潤いがあればもう少しモチベーションも上がるかもしれないんだが、布束さんとは実験を除いたプライベートな会話は全くない。彼女はそもそもオレに興味がないようだ。ああ、もちろん、研究素材という意味合いを除いての話だよ。

 

「very well. おつかれさま。今日の実験はこれでお終いよ。ここのところは際立って順調だわ。貴方の努力の賜物ね。」

 

布束さんはそう言うと、検査機のシートに横たわっていたオレに取り付けられた計器を外し始めた。彼女が言うように、夏休みに入ってから集中して実験を行っているが、特に問題なくスムーズに日々のノルマをこなしている。

 

彼女にプライベートな話題を振っても毎回毎回素気無く素通りされてしまうので、普段はこのまままっすぐ帰るのだが、今日はなにやら珍しく機嫌が良い様子である。

 

「はい。おつかれさまです、布束さん。このごろ、研究が一段とはかどっているみたいですね。今日は何時もより機嫌が好さそうです。最初は研究が遅れ気味みたいでしたけど、どうですか?期日通り学習装置(テスタメント)の開発は終わりそうです?」

 

「right on. それ以上よ。予定では丸1年、実験データの演算に時間が掛りそうだったのだけれど、貴方のお陰で飛躍的に進んでいるわ。probably, この分だと予定の1年で装置(デバイス)の開発まで漕ぎ着けられると思うわ。」

 

おお。想像以上に良い反応が返ってきた。オレとしても、やはり実験はつまらないし、早く終わるのならそれに越したことはない。夏休みに入ってからは、毎日同じことの繰り返しで、極めて退屈だった。だからこそ、実験に集中して、よい成果が出るように頑張ってみたのだ。急がば回れだな。

 

だが結局、オレの夏休みが実験で埋め尽くされているこの現状は変わっていないが…そこは、ほら。だらだらと引っ張って、来年の夏休みまで潰れてはたまらないだろう。とりあえずその心配は必要無くなりそうである。

 

「しかし、布束さんは、毎日毎日実験で疲れたりしないんですか?オレたち、一応学生でしょう?せっかくの夏休みだし、なにか実験以外のご予定は?」

 

オレの質問に、布束さんは少し考えるしぐさをみせた。

 

「not at all. そのような考えを持つこと自体が、久し振りね。貴方の脳から返ってくる反応の解析は常に興味深く、時を忘れて思索に耽ってしまうわ。…そうね。むしろ私は、今の研究がひと段落つくまで、気を置けないのかしら。totally, 夏休みという学生の特権のような長期休暇。研究に専念できるという意味では確かに素晴らしいものだと考えられるわ。」

 

そう言うと、布束さんは忙しそうに隣の部屋へと消えていった。うーむ、ダメだったか。やはり彼女は筋金入りの研究の虫だった。きっと、ああいった人がこの学園都市の技術的優位を支えているのだろう。

 

…それこそ、学生という身分では、彼女を見習わないといけないんじゃないかっていう話で………。さて、帰るか。帰りにアイスクリームを食べていこう。第七学区で美味しいアイスクリームの屋台を見つけたんだよな。他のところとは漂ってくる匂いが頭ひとつ飛びぬけていて、この間近くを歩いている時に惹きつけられたのさ。

 

 

 

 

 

小学六年生の夏休み以来。つまりは、アンダーグラウンドな研究に関わりだしてから。オレの長期休暇はことごとく実験に費やされてしまっている。なんと今日で夏休みは終わりである。

 

たまたま実験の予定が無かったオレは運悪く、"夏休みの宿題"を大量に滞納していた花華以下複数のチビっ子たちに拘束され、一日中宿題の手伝いを強要されていた。

 

そろそろ夕方。まだ日が落ちるには早いが、腹はだいぶ減っている。そして今は花華の宿題につきっきりであった。オレの超絶思考加速(むりやり心拍数を上げて思考速度を上昇させてみた)を使って、先に花華以外のチビどもはカタをつけてしまっていた。そのため、彼女が最後の1人である。

 

早いとこ手伝いから解放され、夕飯にありつきたいところではあるが、今日の料理当番はなんと、最後に残った花華だった。憎いことに、彼女のターゲットも残りわずかであり、ここに来て放棄するのは憚られた。

 

「ふぇぇー…。ここもわかんないよぅ、かげにい。」

 

花華の手が止まった。最後に残されたのは、彼女が最も不得手とする算数の問題集だった。今日幾度目の作業だろうか。とりあえず、口頭でその問題の解答への流れを説明してみた。が、

 

「ぅぅ。やっぱりわかんない。ごめんよぅ…。」

 

やはり無理だったか。小学四年生になり、最近大きく背を伸ばしつつある花華だったが、中身はほとんど変わっていな……い、と言いたいところなのだが。実は、この1年で料理の腕をめきめきと上げてきており、皆の胃袋を握りつつあった。

 

火澄が居なくなった今、オレがうちの園でたった1人の年長者である。本来ならば園の仕事もいの一番に買って出なければならない。しかし、中学に通い出してからは、園に帰って来れる時間帯が遅くなり、特に料理に関しては、この花華に頼りっぱなしの状態であった。最近めっきりオレに頼ってこなくなった彼女の数少ない頼みである。叶えてやりたかった。そこで。

 

「大丈夫大丈夫。気にすんなって。よし、もう1回1から整理して説明しよう。ゆっくり考えればいいから、な。」

 

そう言いながら、彼女の頭に手を置いて、ぽんぽんと宥める振りをする。同時にこの時、能力を解放して、花華の焦りや苛立ちを抑え、集中できるように不快感を取り除いてやった。そして、先ほどの説明と対して変わらない内容のものをもう1度丁寧に話した。

すると、しばらく考え込んでいた花華が鉛筆を走らせ始めた。途中まで計算過程をみて、正解の考え方であるのを確認して、ほっと一息ついた。

 

そう。この日。オレは土壇場で新たな能力の使い方を見つけ出したのである。ほどよい塩梅に相手の精神を落ち着かせ、集中して考えられるようにすれば、学校で習う程度の勉強はなんとかなるものであった。将来、家庭教師のバイトで稼げるかな。そう気楽に言ってしまったが、この方法にはやはり問題点が見受けられた。

 

簡単にいえば、能力を過度に使って集中させた子は、直ぐに消耗して疲れてしまうようなのだ。花華本人の気合で今も継続して宿題に取り組めているが、彼女の疲労は相当なものだろう。

 

「と、とけたぁ。あと少しだぁー!かげにい、ご飯遅くなっちゃうの、ごめんねぇ…。」

 

花華もこの頃はずいぶんと責任感を持つようになった。可愛いヤツめ。だけど、実は既に手は打ってあったりするんだ。先程、火澄にメールで、今晩急遽夕食の支度をお願いできないか確認していたのだ。

花華の宿題の消化具合を見て、夕飯の準備がシビアになりそうだと判断しての行動である。花華にこのことを先に伝えてしまったら、終わる宿題も終わらなくなってしまうかと思ってね…。可哀想なことをしてしまったな。

 

お、ちょうどいいタイミングで返信が来た。…よかった。どうやら、頼みを聞いてくれるらしい。花華のピンチを全面に出しといたからな。これで花華は休めるぞ。

気がつけば、花華は欠伸を噛み殺し、ウトウト眠そうにしている。宿題の残りの量は、夕食後に取り組んでも十分間に合いそうだな。

 

「花華。この分だとさ、宿題、夕飯が済んでからやっても間に合いそうじゃん。それでお前、だいぶ疲れてるみたいだからさ、今日の夕飯、やっぱりオレらで準備するよ。ここらで少し休憩しよう。ちょうどいいからさ、夕飯できるまでそこで寝ときなよ。」

 

「…だ、だいじょうぶだよぉ。すぐに終わらせて、ちゃんと料理できるよぅ?」

 

そう言いつつも、彼女は尚も眠たそうな顔つきのままであった。

 

「今日はもう気にするなって。ここんとこずーっと料理頑張ってくれてじゃん。たまにはオレらに任せてくれよ。真泥は夏休みの最初に全部終わらせてたからさ、今日は珍しくみんなの中で一番元気じゃん。だから、あいつにいっぱい手伝ってもらうよ。」

 

「ふぇ、ほんとにいいのぉ?……ごめんね、かげにぃ。……それじゃ、休憩するよぅ…。」

 

花華は申し訳なさそうな顔を崩さなかった。

 

「そんな顔すんなって。」

 

再度の説得で、ようやく了承してくれたらしい。オレの言葉にしぶしぶと頷くと、そのまま花華はこてん、とソファに横になり、直ぐに寝息をたて始めた。…オレらに任せろって言ったけど、火澄に押し付けます。ごめん、花華。

 

その後は、うちの園に来てくれた火澄と買い出しに行って、道中ずっとネチネチと文句を言われ続けたものの、なんとか夕飯を遅くなる前にに準備できた。真泥を含めて3人で料理の支度をしたのだが、その時、久しぶりに会う火澄に真泥がドギマギしていて、無性に笑えてしまった。

 

もちろん火澄も皆と一緒に夕食をとった。夏休み最終日に彼女を呼びつけたことをクレア先生にもなじられたが、なんだかんだで先生も嬉しそうにしていたからオーライってなもんだろう。

 

花華にもじとっとした目でにらまれてしまった。あとで謝ったらちゃんと許してくれたけどね。

 

 

 

 

 

季節は秋。学園都市に住む者にとっては、この季節は特別なものとなる。学園都市で最も大規模な年中行事、大覇星祭と一端覧祭が開催されるからだ。学園都市の顔とでも呼ぶべきイベントである。

 

どのような学校であれ、この2つの行事に力を注がぬ所は存在しないはず。1人の学園都市に暮らす学生としてはそう信じてやまぬところだったのだが。なんと、我が霧ヶ丘付属中学校はこのどちらの一大行事に対しても、一部の限定的な研究室に所属する生徒以外は、参加の制限が設けられる事態となった。

 

個人的には霧ヶ丘付属のこの対応が俄かには信じられず、やはりここは学校ではなく、能力開発研究機関だったのか、と噴き出してしまった。布束さんはいかにも彼女らしく、どちらの行事の間もより一層実験に集中できると喜んでいたように見えた。

…正気かよ。大覇星祭も一端覧祭も中高生が華だというのに…。積極的に競技に参加できないなら、それはそれで純粋に観戦を楽しもうかと思ってたんだけどなあ。

 

火澄のいる常盤台中学なんて見どころありそうだし。隣の公舎のお姉様方、霧ヶ丘女学院はうちとは違ってきちんと参加するようである。というかむしろ能力開発校らしく、上位に食い込む心意気で臨んでいるようで、最近は体操服姿の女子生徒たちが、運動場でわいわいと楽しそうに各競技の練習をやっている。こっちの学校、だいぶ雰囲気が違うんだよな、あっちの高校とは。

 

大覇星祭が迫る、とある週末、火澄から連絡があった。要約すると、大覇星祭の期間中、霧ヶ丘付属と対戦する機会があればその時に、一緒に昼食でもとろうかという話だった。

大覇星祭、恐らく一端覧祭の時も、学校で実験やら授業があるから、彼女と会うタイミングなんて皆無であろう。そう伝えたのだが、最初は素直に信じてはもらえなかった。なにかの冗談だと思ったらしく、「競技に参加しないからって、サボってないで出てきなさい」と言われてしまった。

繰り返し、詳しく説明すると、しばらく絶句、その後に呆れた声が返ってきた。彼女もうちの学校の異常性にあいた口が塞がらないらしい。空いた時間にできるだけ常盤台の観戦に行く所存であると伝えると、どう答えればよいか困ったような返事が返ってくる。電話越しにお互い苦笑しつつ、何とも後味の悪い通話を打ち切った。

 

 

大覇星祭、一端覧祭ともに、結局碌に参加することなく、布束さんの実験に協力している間に終わってしまった。来年こそは必ず、出場こそできなくとも競技の観戦に興じよう。そう決意し、奮起して実験に臨んだためか。いよいよ彼女の計画の終わりが見えてきた。この分だと中学二年生の春ごろには、"学習装置"の開発まで終了できそうな勢いであった。

 

 

 

 

 

十二月。聖マリア園は十字教系関係者が運営する養護施設である。教会としての側面も持っており、当然、クリスマスイヴ、降誕祭の時期にはとりわけ忙しい。何も言わずとも、どこからか火澄も駆けつけ、それが当たり前のように毎年のように準備、運営の手伝いを取り仕切ってくれた。

 

既に施設を出て、大学や高校へ通っている兄貴分や姉貴分たちも顔を見せ、クリスマスの間は皆慌ただしくも、幸せな一時を過ごした。皆、うちの園の好景気ぶりに驚きを隠さず、そのことに安堵している様相だった。

 

火澄の"大能力者(レベル4)"への到達、常盤台中学への入学についても話題が広がった。口々に褒められて、照れてタジタジになっている彼女をからかっていると、同時にオレの中学、霧ヶ丘付属についても触れられてしまった。

もともと霧ヶ丘付属は一般人には秘匿されている謎の多い学校である。そこそこの有名校だと、その名前をちらほらと知っているだけの者がほとんどであり、火澄に負けないように激励されて微妙な気持ちになったりもした。常盤台中学と比べられねえよ。

 

たまたま、大学へ行っている兄貴分の中の1人が、驚いたことに霧ヶ丘付属の内情を聞き及んでおり、よく入学できたな、と訝しんでいた。詳細をツッコまれる前に運よく話題をそらせてホッしたのだが、その間火澄がこちらを睨んでいたのに気づき、冷や汗が流れた。

 

 

皆、明るい笑顔でパーティを楽しんでいる中、1人だけポツンと壁際に座りんでいる人を見つけた。そこそこ目立っている。なにやら絶望にくれている風であった。しかし、誰も近寄らない。

 

良く見ると、その人はクレア先生だった。今はシスター・ホルストンか。珍しい。彼女の周りには常日頃、ほとんど絶やさずわいわいと騒ぐ子供の姿が見られるのだが。不思議と今日は皆が皆、先生に積極的に絡んでいかないのだ。

むしろ避けているとすら言える。彼女に近づこうとすると、火澄にやめなさいよ、ほっときなさい、と制止された。これまた稀有な、彼女にしては素気ない、我らが先生に対する態度であった。

 

火澄の忠告を無視して、彼女の大好物であるシャンパンを(実のところアルコールが入っているものならなんでも喜ぶ)を勧めてみたものの、返事がない。間を置いてやっと帰ってきた反応もうわ言のようであり、曖昧で聞き取れない。

声に抑揚がない。虚空を見つめて、何かに必死に祈っている風でもあった。ぼーっとしてるだけかもしれないけど。

 

「…かげろう君ですか。もう中学生ですもんね、ホント毎日見るたびにぐんぐん大きくなっていきますね。背もだいぶ伸びました。…そうですよ…ふふふ……かげろう君や火澄ちゃんも、もう中学生になったんですよね……」

 

な、なんか怖いんだが。急にどうしたんだろうか。いったい…?

 

「どうしたんですか?クレア先生。魂の抜けたような表情をして…何かあったんですか?」

 

「ふふ…かげろう君と初めて会った時は、まだかげろう君がこんなにちっちゃい時でしたね……5,6歳くらいの時でしょうか?」

 

ちょうどその位だった。オレが先生の御世話になりだしたのは、6歳の時からだった。先生はいままでずっと何十人もの子供たちを相手にしてきたから、記憶があやふやになっていても仕方がないか。

先生は今29歳だから…7年前…おお。そうか、先生、オレと会った時は、大学を出た直後だったのか。

 

「そうです。たしか、今、先生がえーと…29歳だったから「うぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…」

 

その時突然。オレの話を遮り、先生が大きなうめき声をあげだした。

どうしたってんだ!?先生のこんな取り乱し様、見たことが無い。

 

「やめてくださいいいいいいいいいいいい。誕生日が…クリスマスが終われば私の誕生日が来てしまううううう…ぅぅぅぅぅ…うわああああぁぁぁぁぁん。」

 

彼女は叫び続けながら、頭を抱えてうずくまった。ああ、そういうことだったのか…。シスター・ホルストンことクレア・ホルストン(29歳独身)は現時点で満29歳。彼女の誕生日は12/26だから、クリスマスが終われば彼女は三十路、30代に突入してしまう。

 

ずーっと、オレ達の世話で忙しく、これまで浮いた話ひとつ聞かなかったからなあ…。皆、事前にこのことを察知していたのか。みんなが注意してくれなかったのは、いつもいつもクレア先生の地雷を踏むのがオレだから、あえて放置し、生贄に捧げようとしていたんだろうな。

もくろみ通り、学習しないオレはみごとに地雷を踏んでしまったぜ。今思うと、この上なく直接的にな…!

 

「…うふふ…ふふふふふふ……かげろう君。たしか、貴方の学校っていろんな研究機関から研究者が集まって運営してるんでしょう?」

 

こ、今度は笑い出したぞ…!何が始まるんだ。逃げたい。

 

「は、はい。たくさんの研究所の分室が所狭しと…。そ、それがどうかしたんですか?」

 

オレの返答に、それまで俯いていたクレア先生は一瞬、顔を上げてこちらの顔を伺った。その時、ちらっと彼女の瞳が怪しく輝いているのに気づく。直後。彼女は刹那の間にオレに詰めよって、同時にオレの両手を引っ掴み手繰り寄せ、密着して離れられない状態へと持ち込んだ。

 

顔と顔がくっつきそうなほど近付いている。濃厚なお酒の匂いが、最近富に性能が向上しつつある我が嗅覚を刺激した。

 

「その研究室には、まだ独身の、働き盛りの殿方が大勢居られるのでしょう?かげろう君。先生の言いたいこと、言わなくてもわかってくれるわよね?」

 

ずいずいと鼻をオレの鼻に押し付けてくる。完全に目が座っていた。彼女の瞳には、きっとオレの姿は映っていないのだろう。困ったぞ!

 

「せ、先生、近い近い近い近い!近いです!」

 

「近いって!?ち、近いうちに紹介してくれるのね?!」

 

「ええ!?ちょ…ちが……」

 

く、くそ!…こうなったら……!!

 

「は、はいぃぃ!わかりました。完全に了解しました!皆まで言わずとも了解しましたとも!ち、近いうちに必ずや先生の理想の男性をご紹介いたしましょうぅぅ!」

 

そう言うと、先生は感激したらしく、オレを抱き締めて頭部に頬ずりをして何度も感謝の言葉を述べ始めた。そうして、とりあえず先生が落ち着くのを待った。頃合いを見計らって、先生から距離を取る。

 

「先生。心配ご無用ですよ。ここにいるメンバー全員、先生の味方です。その気になれば、アイツらも助けてくれますって。…さ、さあ、今日は大好きなお酒、たーんと飲みほしてくださいよ!そう、今日はいつもみたいに途中でお酒を取り上げたりしませんから。今日くらい、主も御赦しくださるでしょう。」

 

そういって、近くにあったシャンパンの瓶を手に取り、グラスに注いだ。クレア先生は涙をぬぐうと、嬉しそうにシャンパンの瓶をオレから奪い取り、グラスをオレに押し付け、乾杯ーッ!と声を揚げ、一気に呷った。

瓶が空になるまでラッパ呑みを敢行すると、今度はワインを求めて夢遊病患者のようにふらふらとテーブルのほうに旅立っていった。

 

ふふ。計画通り。先生は泥酔すると記憶を失うんだ。きっと明日には先程のオレの発言を綺麗さっぱり忘却しているに違いない。そして絶望とともに三十路に……ククク……。

 

ふと視線を感じた。オレとクレア先生との寸劇を観察していたらしい、花華と真泥の2人が、悪魔でも見るかのような目をオレに向けていた。し、しかたないだろ!

 

居たたまれなくなって、その場から離れようとした。すると、正面、先生の消えた方向から、ワイングラスを持った火澄がやってきた。顔が赤くなっている。この匂い、コイツもワインを飲んだ様子だな。先生に勧められたみたいだ。

彼女もこちらを睨んでいる。ちッ、さっきからなんなんだよ?そもそもみんながオレを先生の生贄に捧げたのが発端だろうが。畜生…

 

「景朗!さっきはやたらと先生にくっついてたじゃない?…むふぅーッ!先生に対していやらしいこと考えてたら容赦なくブッ潰すからねぇ!」

 

オマエも絡んでくるのかい。先生といい、花華といい、真泥といい。四面楚歌だ。

 

「そ、そんなこと別に考えてなかったさ!なんだよ、急に。大体、クレア先生となんて今更じゃんか。」

 

まあ、正直なところ、抱きしめられてた時はちょっとおっぱいが当たっててゴニョゴニョ…

 

「むぅぅ、うるさぁーい!大覇星祭も一端覧祭も、学校、学校って、ちっとも会ってくれなかったじゃない!…やっぱり、ワタシがここから出てったから、もう付き合うのが面倒になったんでしょ?」

 

ぬぐ。確かに、大覇星祭や一端覧祭に関して言えば、こちらに非があったと思う。やはり常識的に、この2つのイベントに"学校の用事"で忙しくて参加できない、という言い訳は厳しいからな。

 

「それは違う!信じがたいかもしれないけど、ホントにうちの学校はそういうイベントに全く興味がなかったんだよ!その…ら、来年こそ!…来年はきっと大丈夫だから。今年は本当にすまなかったって。オレだって…誰とも予定無くて、正直、みんなの競技、観戦したかったよ。」

 

オレの意気消沈した演技を見て、火澄も少しは溜飲が下がったらしい。苛立った様子から一転、落ち着きを見せる。来年はきちんと顔を見せなさいよ、ともじもじと呟いていた。

ちょうどその時、オレ達の様子をそばで見ていた花華や真泥も近づいてきた。

 

「そうだよぅ、かげにい。火澄ねぇのいうとおり、来年はわたしたちの競技もちゃんと見に来てよぅ。」

 

花華が恨めしそうにしている。そうだったな。今年はコイツらの大覇星祭や一端覧祭の競技や出し物にも全く顔を出していなかった。真泥も一端覧祭の時に、恥ずかしそうにオレを誘ってくれていたんだ。来年はきっと…

 

 

 

 

 

中学一年生最後の冬もあっという間に過ぎた。季節は再び春。あっというまの1年だった。友達がおらず、毎日毎日ホントに実験ばっかりしていたせいだろうな。

 

そして三月。2年連続でクレア先生が、うちの園にまた新しいメンバーを連れてきてくれた。3人のチビっ子たちだ。これから暫くはにぎやかになるな。今回の春に限って言えば、うちの園のメンバーの誰かとの別れは無く、純然たる出会いの季節だったと言える。去年は火澄が居なくなってしまって、彼女に懐いていたチビどもが悲しそうにしていたからな。今年はそういう湿っぽい空気は一切なく、皆新しい出会いに顔を綻ばせていた。

 

 

 

 

中学二年生の春。これまでオレの中学生活を悩ませ続けた、"学習装置"開発の研究がようやく終わりを迎えた。

 

とある日。その日の実験の終了の合図とともに、ここしばらく姿を見せなかった幻生先生が、布束さんを引き連れて現れた。

 

そういえば、去年はほとんどこの人と会わなかったな。ずいぶんと久しぶりな気がする。彼のニタニタとした、あまり好ましくない類のにやけ面も変わっていない。

 

しかし今日は一体どうしたんだろう。そろそろこの研究も終わるそうだし、さっそく次の計画の打ち合わせだろうか。だとしたら、相変わらずせっかちな人だな。

 

幻生先生のすぐ後ろに、端末を弄りつつ無線で誰かと話をしている布束さんの姿も見える。心なしか今日の実験は早く終わったし、彼女もそのことで一言二言あるんだろうか。計画の開始時のメンバーがそろったな。微塵も嬉しくないが。

 

「景朗クン、お疲れ様。久しぶりだね、元気にしていたかな。おや、この一年でだいぶ身長も伸びたようだね。なによりだ。ここのところはめっきりと顔を会わす機会がなかったが、キミの活躍は余すことなく聞いていたよ。」

 

そりゃどうも。こっちは憂鬱だよ。布束さんはちょっと目がギョロっとしているけど、まあまあかわいい女の子だからな。あんたと四六時中くっついて実験するよりはだいぶ楽しかったさ。それももうすぐ終わりか…

 

「お久しぶりです、幻生先生。珍しいですね。今日はどういったご用件で?」

 

「今日は今後の研究予定についてキミと話をしに来たんだよ。予定よりだいぶ早く学習装置(テスタメント)の開発が終わったからね。スケジュールの調整も大変だったよ。…しかし、まあ、今日はこの話は置いておこう。さすがだったな、景朗クン。当初の予定より半年は縮まったのではないかね?キミを推薦した私も鼻が高いよ。」

 

ん?どういうことだろう。幻生先生の口ぶりだと、学習装置(テスタメント)の開発が既に終わってしまっているみたいじゃないか。オレの怪訝な表情を察知したのか、布束さんが端末の操作をやめてこちらを向いた。

 

「excuse. 雨月君、そういえば貴方にはまだ言ってなかったわね。今日で研究の基幹演算アルゴリズムの最終チェックが終わったわ。eventually, これですべての実験が終わったということよ。以降の予定は無し。あとは本格的に装置(デバイス)の電子的,工学的なディテールを砥上げるだけね。thereby, 今まで助かったわ。貴方の協力に感謝します。」

 

え?もう布束さんとの共同作業は終わり…なのか?いつのまにか終わってたよ。ええー、そんな。これからはまたこの不気味なお爺ちゃんとくんずほぐれつしなきゃいけないのか…。ちょっと。いや、かなり残念だ。本当に残念で仕方ない。

 

「そうですか…。いえ、こちらこそ今まで楽しかったです。名残惜しいですが、また機会があれば。」

 

「maybe, そうね。もしかしたら今後、装置の最終的な較正のために、再び貴方の力を借りる必要があるかもしれないわね。yeah sure, その時はまたよろしくお願いするわ。」

 

幻生先生もまた彼女の話に相槌を打っていた。

 

「遠慮することはないよ、布束クン。必要ならばいつでも連絡してくれたまえ。」

 

オレが一礼すると、布束さんは軽く微笑んで一言 bye と口ずさみ、電算室の方へ歩いて行った。マ、マジで素気ないなあ…。もう会えないかもしれないのに。正直寂しいです、布束さん。

 

名残惜しく、彼女の後ろ姿を見送った。今後また彼女の世話になろうとは夢にも思わずに。

 

 


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