とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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extraEp01:記憶洗浄(メモリーローンダリング)

 

 

 

「あーっ! また叫び声が聞こえました、第十学区ってホントに噂通りの所なんですねーっ」

 

 印山(いやま)少女は、随分とはしゃいでいる。十分ほど前はガチガチに緊張して、『これが人生初デート』なのだと縮こまっていたのだ。

 ところが、生来好奇心の強い質だったらしい。"第十学区"独特の喧騒が、彼女の凝りをすっかりとほぐしてしまったようだ。少女がもともと決闘集団に興味を持っていたことを、失念していた。

 今では不良同士の諍いを――恐らくエンターテインメントとして――楽しそうに眺めている始末である。

 

「ごめんね。ぱぱっと"吸い出し"てちゃちゃっと済ませちゃうから。絶対に痛くないから心配しないで」

 

「はい、心配してません。大丈夫です! きちんとゴリラさんの顔、覚えてますからね!」

 

 ぎゅうっ、とつないでいた手を、小学生女子はしっかりと握り締めた。

 

「……ところで、彼ってそんなにゴリラに似てたのかい? さっきも言ったけど僕らは明るい所でしっかりと顔を見たわけじゃないから、実はあんまり……ね?」

 

 何故だか、陽比谷少年はものすごく切なそうな口ぶりで、そう呟いた。

 

「いえ、正直、別にそこまでゴリラ顔だったわけでもないですよ。でもゴリラ君って最初に呼んだのは陽比谷さんじゃないですか」

 

「いや、ははッ! それなら言いんだ!」

 

 眩しいようにキラキラと見つめられて、印山も嬉しそうに微笑んだ。

 

「ん、っと。そろそろかな……」

 

 唐突に、2人の足が止まった。

 

「そろそろ到着ですか?」

 

 印山はキョロキョロと、ビル街を見渡した。第十学区の街並みは、初めて目にする少女にとってはとりわけ煩雑な様相だった。どこに何があるのか、何のための建物なのか、想像がしにくいのだ。

 

 すれ違う通行人はみなが想像以上にまともな服装で、まっとうな格好の人物ばかりだった。それが尚一層、落書きやゴミがちらほらとバラつくストリートの景観とミスマッチを引き起こしている。

 如何にも妖しい雰囲気の汚らしいビルの真隣に、第一学区で見かけそうな立派な新装ビルが配置されていたりするのだから。

 

「いや、こっちの話。はいこれ帽子。こっからはあんまり素顔晒して歩くのも面倒だからね、しっかりとかぶって」

 

「へえ、そうなんですか。はぁい……わかりました」

 

 ごくり、と小学生6年生女子は息を呑み込んだ。いくら全幅の信頼を寄せる大能力者と一緒とは言え、その場所は噂に轟く第十学区の中心部なのだ。

 言われた通りの行動を心がけよう。印山が改めて意識を引き締めた、その時。

 

「よし。じゃあはい。背中に乗って?」

 

 案内をしてくれていた少年が、突如背を向けて、身をかがめた。あまりに突飛な行動に、率直な疑問が印山の体を凍らせる。

 

「はい?」

 

「危ないからね」

 

 振り向いた横顔は、依然としてキリッとしていてカッコよかった。どの角度から見ても素晴らしいイケメンだった。

 

「あの、歩けますよ、全然、疲れてませんよ?」

 

「いや、危ないから。ここからはすこしおぶってく」

 

 印山は再び、キョロキョロと周囲を見渡した。幼い子供の姿も見かけないわけではない。

 

「なんというか――――そういう遊びなんです?」

 

「さあ、はやく!」

 

 相手は大真面目だ。かつてないほどに真剣な面差しである。まあ、いいか。これほどまでに言うのなら。一応、これはデートだってこの人は言ったのだから……。

 

「わかりました……。お願いします――――わわっと! うわあ、陽比谷さんって見かけによらず筋肉すんごいんですね!」

 

「はいはいしっかりつかまってー」

 

「はあ、はい……う、ううん…………」

 

 背負われ、ゆさゆさと揺られる。それがそれほどまでに気持ちよかったのか。印山少女はものの1分も経たぬうちに深い眠りについていった。

 

 

 

 ぐぅぐぅと夢見る少女をしっかりと支えて、足早に少年は歩き出した。

 機敏な動作で眼球だけを動かして、彼が監視カメラの有無を察知すると。

 一歩一歩進むごとに、文字通り"がらりと顔つきが崩れ"だす。

 

 やがて、全くの別人に成り代わる。

 

「はぁー。丹生、なんであんな怒ったんだろう……」

 

 変わり身を済ませた男の口から、先程までとはまた異なった声色があらわれた。陽比谷の高めの声とは対局に位置する、成人男性を思わせる低音だ。

 

 雨月景朗はしっかりと少女を支えると、警戒を怠たる様子もなく、小走りに急ぐ。

 

「とにかく話を……やっぱ携帯の電源切ってるか」

 

 丹生が怒り狂った理由は、恥ずかしながら理解しているつもりだ。そうではなく、あれほどまでに怒りを爆発させた要因はなんだったのだろうか。

 

 たとえば、誰かと一緒に仕事をしていて、その人がミスをしたら、怒る。ただ、その怒り方というのには、いろいろな種類があるはずだ。

 

 あの時の丹生は、どうしようもなく自分を抑えきれていなかった。そんな風に思えてならない。普段の彼女とはだいぶ様子が違った。要するに、それが問題だった。

 

 景朗はしばし、真剣に悩む。

 

 とはいえ、本当に我慢できずに怒っただけなのだろうか。それはそれで、別の意味で脳髄がしびれるというか……。

 

 

 

 自分のデカい歩幅のせいだろう。背中の少女の帽子はパタパタと、大きく振動してしまう。

 少しずつ位置はズレ始め、印山の素顔が顕わになってしまいそうだった。

 ゆうゆうと片手で少女を支えると、景朗は反対の腕で帽子を掴み、少女に目深にしっかりとかぶせ直した。

 

 

 

 印山は思ったとおり、"陽比谷"の誘いを断らなかった。騙して連れてきてしまったが――。

 少女はまだ幼く、巻き込んだ事に罪悪感がふつふつと浮き上がる。

 純粋さが幾分か残っている、幼さ。その証拠に彼女は、とてつもなく軽かった。

 背や腕に加わる重さは、景朗にとってはあってないようなものだ。

 

 

 

 

 手纏ちゃんに逃げられて。むせ返るコーヒー臭にあえなく新たな領域を開拓する寸前で、なんとか着替えを済ませた、その直後。印山にくっつけていた景朗の羽虫が帰還した。それはすなはち、印山が孤立した、という合図だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗が立ち入ったのは、どこをどうとっても変哲のない、特徴のないビルだった。古くもなく、新しくもない。ただ一つ、塗りたての塗装剤がピカピカと壁面に光沢を与えていた。

 

 中に入った景朗はどこにも目を向けず、ひたすら階段を探して上り詰めた。なぜなら住人もテナントも何もかも見つけられず、ビル内はどこまでも空き部屋だらけ。ほとんど無人の状態だった。

 

 おまけに内装には全く手がつけられておらず、どこまでも白塗りの殺風景である。

 一方で階段と廊下は迷路のようにつながっていて、上階を目指す者を必要以上に歩かせる造りになっていた。

 

 景朗はそのまま階段を上り詰めて、とうとう吹き抜けの天井に迫る、屋上の真下のフロアまでたどり着いた。

 

 

 

 不思議なことに、そこで初めて彼は人影を目にすることになった。

 

 サラリーマン風の男性がちらほらとベンチに座り、何やら端末をいじり、自然な様で空間に溶け込んでいる。

 

 ベンチは広い空間の四隅に無造作に置かれていた。一箇所に固めておけば良いものを、それぞれのベンチの近く、コーナー(隅っこ)にワザと分散させて自動販売機が設置されている。

 

 

 彼らは、ここで一体何をしているのだろう。奇妙なことにこのフロアだけに限って、少人数ながら人が集まっている

 

 外観からは貸物件なのかすら分からない有様で、何のために存在する場所なのか知り用もないこの建物に、何の用事があるのだろう。

 

 

 

 

 景朗は一番遠くの自販機に足を運ぶと、おもむろにポケットからコインを取り出した。

 

 コインといっても、それは"硬貨"ではなかった。学園都市で流通している貨幣ではないし、もちろんアメリカや中国等で使われているものでもない。

 

 おそらく、ゲームセンターに足繁く通う少年少女に尋ねても、その存在を知る者はいない。

 玩具か何かか? と答えを返されるであろう、しかしそれにしてはいやに出来栄えの良い、なかなかに作りこまれた不思議な"メダル"だった。

 

 

 景朗はためらいもなく、投入口にそのメダルをつっこんだ。

 

『いらっしゃいませ』

 

 自販機のスクリーンに変化はなかった。だが、明らかに"活きた人間"を思わせる、女性の機械音声がスピーカーから発せられていた。

 

 

「不死鳥」

 

 それだけを淡々と答えると、手持ち無沙汰に黙り込む。

 景朗の音声をどこかのマイクが拾ったのだろう。

 

 すると。

 

 どこか遠くからだ。エンジンが稼働する厳かな静音が、空気に乗って伝わってきた。

 エンジン音はしばらく続く。

 最後に、カタンと静かな物音が生じて。再び静けさが戻った。

 

 

 今一度フロアを出て、改めて階段を昇るのが煩わしかったのか。

 景朗は何の気なしにぐぐっと力を込めて、跳躍した。

 

 少女を背負ったまま、ひとつ上の階へと吹き抜けを突き抜けて、飛び上がる。

 

 

 

 屋上に着地すると、目に飛び込んできた。新しい道筋が出来上がっていた。

 隣のビルから景朗のいる屋上までを、強化プラスチック製の"透明な跳ね橋"が繋いでいる。

 

 

 景朗の用事は、隣の巨大なビルにあったのだ。

 

 向かう場所はつい先日、"カプセル"の子供たち4人を"記憶洗浄(メモリーローンダリング)"した"洗浄屋(ブレインウォッシャー)"である。

 

 その目的は当然のごとく、印山の脳裏に刻まれた"景朗の素顔"の洗浄だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隣のビルに渡る。先ほどのビルはどこか物寂しい造りであったけれども、景朗が踏み入れた建物はどこもかしこも分厚く、堅牢な印象を感じさせるものだった。そして。

 その雰囲気にこれまたぴったりとマッチする、どこか金庫扉にも似た豪勢な造りのドアの真ん前に、景朗はたどり着いた。

 

『血液認証をお願いします』

 

 音声と同時に、ドアに取り付けられていたよくわからないデバイス的なものがぱかっ、と開いた。採血用だと思われる小さな針や剣山のような器具を前にして、景朗は不機嫌そうにポケットに手を突っ込んだ。実はその中には、コンビニで入手しておいたケチャップの小パックが入っていた。

 

 小さな遠沈管のようなバッチにどろりとした赤い液体を滴下して、それっぽいボタンを押す。もう一度押す。押す。押して押して、押しまくる。

 

『……あっれー? なにこれ、なにか変……難しくてわけがわから……あれっ、ちょっ、ダメぇぇ! ボタン連打しないでぇぇっ! してるでしょ? そんな押しちゃダメッ!』

 

「面倒くさいです。網膜の方が絶対良いですよ、ホラ」

 

 景朗は高級そうなレンズに顔面を近づけ、有無を言わさずまばたきで反応を探った。

 

『うわっスッゴイねー相変わらず……アニメでも見たことないドピンク……』

 

「どうです? 俺だってわかったでしょう? はやくドア開けてください」

 

『はいはい。よしよし、結果は……けえあっ! なにこれ!? 血じゃないっ! 何? 何入れたの?』

 

「血ノリと間違えてケチャップ入れちゃいました。すみません」

 

『ふえー!? ケチャッ――――――っ血ノリ?』

 

「だから前から血液認証は問題だって言ってたでしょう。案の定、ケチャップ混入させたことにすら気付かなかった。いっとくけど手品レベルですよ今の。これじゃ意味ないでしょう」

 

 それこそ、学園都市暗部の後暗い技術を駆使すれば……網膜のデータもどうにかなるし、それこそ血液などは、当人を襲えば容易く入手できる。まっとうな暗部組織であればの話であるが。

 

『いっ、いいのっ! どうせキミにはわからないんだからっ。ウチらがどれだけ怖い思いしてるか……っ』

 

「気持ちは分かりますけど。弱小でいつでも消せるのがあなたたちの魅力なんですから……中途半端に厄介処にならないほうがいいですよ? もっと素人路線で行きましょうって。相手が貧弱だとこっちもそれなりに安心できますから」

 

『わかってる! でも頭でわかっててもそんな無用心なマネムリっ! 平然とやれる心臓は持ってないっ」

 

「誰もこんなところに重要案件を持ってきたりしませんよ……」

 

『ああっ、今本音がでたよ? うひぃぃいん一生懸命やってるのに』

 

「はい、それじゃほらこれ、前回もらった名刺です。どうぞどうぞ」

 

 名刺とは言うものの、取り出されたそれは紙でできた頼りのないものではなく、非常に頑丈な金属製のプレートだった。

 景朗は半歩後退して距離をとり、視線を右往左往させてドア一面を見回す。

 前回来訪した時を思い出し、ドアの取っ手らしき金具の近くに、カード差し込み口を発見する。

 そこに、"名刺(という名の金属板)"をぶすりと挿入した。名刺は機械音とともに引き込まれていく。

 

『キー君、どう?』

 

『間違いなく先週の土曜に渡したやつだ。ほぼ"不老不死(フェニックス)"で確定?』

 

 少年らしき人物の音声が、新たにスピーカーから漏れ聞こえた。

 景朗は最初からこうしておけばよかったと、うっすら後悔を滲ませた。

 

「もういいですか? 早くしてください、時間が惜しいんで」

 

 

 

 ようやく、豪奢なドアが重々しく開く。

 早速とばかりに、景朗は印山をおぶったまま店内へと進んでいった。

 

 

 

 彼らがあっという間に景朗を常連客だと認めたその秘密は、あの"名刺"にある。

 

 相手は読心能力(サイコメトリー)や催眠能力(ヒュプノーシス)を駆使する洗浄屋だ。

 

 あの"名刺"にこびりついた"記憶の残滓"を読み取ったのだ。

 

 

 彼らの言った通り、景朗は先週の土曜日にこの"洗浄屋"を利用している。

 

 名刺という名の金属板は、前回の利用時に相手から渡されていたものだ。

 その時のやり取りが、あの"名刺"には封入されている。景朗は手渡されていたそれを、今、そのまま相手に送り返した。それだけだ。

 その"記憶"を"読み"込み、景朗の身分に納得がいったのだろう。 

 この店に来たのはついぞ一週間前の話だというのに、さすがの念の入れようだ。

 

 

 つまりは。名刺だと散々に形容したが、要するに、あの金属プレートはサイコメトラーたちが好んで使う独自のカードキーみたいなものなのだ。

 簡単に壊れないよう金属で仕上げてあるのは、そこにこびり着いている"記憶"を保護するためだと考えられる。

 

 プレートに込められた"記憶"は、"外側の入れ物"と違って偽造や複製をするのがほぼ不可能だ。その上、仮に他のサイコメトラーに細工をされようとも、絶妙な違和感を感じとれるらしい。

 だからこそ、絶好の身分証明として使われているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地に、"洗浄屋"にやっとたどり着く。

 "なんか全体的に黒っぽい歯医者さんに来たようなカンジ――"

 それが、その店内の雰囲気を簡単に説明した一言だ。

 

 

 室内に入って目に付くのは、とにかくデカイ椅子だ。

 それこそ歯科医院で必ず見かけるような、機能性を感じさせるリクライニングシートが数台置いてある。

 それぞれに、モニターや何に使うか想像のつきにくい電子機器が付随している。

 

 病院や歯医者は衛生管理的な面から汚れの目立ちやすい白っぽい内装にしているが、その部屋はそういった配慮が皆無なせいで、なんだか全然白くない歯医者に来たなあ、と。そんな気分にさせられてしまうのだ。

 

 

「よ、ようこそいらっしゃいませー」

 

 出迎えたのは、メガネをかけた女子大生風の白衣の女性だ。

 ふわりと化粧と香水のニオイが漂ってくる。どうやら強引にお色直しをしたようだ。

 本人は、女子大生風じゃなくて、本当に女子大生だと主張している。

 実は彼女が実際に女子大生だという調べをつけていたのだが、景朗は毎回ワザと『自称女子大生の……』とひねくれた呼び方をしていたりする。

 

 スタイルからルックス、他の何もかも全てが、なんというか平凡というか凡庸で、どうしようもなく説明しづらい。特徴がないのが特徴というやつかも知れない。

 強いて言えば、青ブチの細いメガネがほんのり知的さを醸し出している、と言えるかもしれないが……野暮ったい三つ編みもフツーに普通だ。

 

 

 

 そんな彼女こと、源氏名"みりん"さんのメガネの奥底からは、疑いと怯えの色がありありと照射されている。

 

 

 景朗は嘆息すると、やむなしか、と首をひねった――――――そのままゴキゴゴギッ、っと約720°ほど、まるまる2回転させてしまう。

 

 

 洗浄屋(ココ)へ来たら、毎回"これ"をやってみせている。

 女店主はそのグロテスクな通過儀礼をよしとしたのか、ほっと一息付いたように安堵してみせた。

 

 

「ちぇー。せっかく"不死鳥の生き血(Blood of Phoenix)"が手に入ると思ったのに」

 

 現金なもので、さっそくボヤキを言い放つ。

 

「ヘタに前金渡して手抜き仕事されたらタマらないんで」

 

「わわわ心外っ!? キミ相手に手抜きなんてするわけないでしょう!?」

 

 景朗は慣れたもので、背負っていた印山をリクライニングシートへ乗せると。有無を言わさず女店主へ号令を発した。

 

「"みりん"さん、この子の"忘却"と"予防"の処理をお願いします。大至急お願いします」

 

「よーし、キー君お仕事だよー!」

 

 "みりん"さんはバタバタと準備に取り掛かる。そのすぐ後だった。

 彼女の様子を眺める暇もなく、新たな呼び声が背後の黒革のソファから放たれた。

 

「フェニックス、それ誰? JK?」

 

 声変わり前の少年の声が、景朗を振り向かせた。

 マンガらしきものを読んでいた糸目の小学生男子が身を乗り上げて、椅子に寝かせられた少女に関心を寄せている。

 

 女子大生風のメガネ白衣よりもむしろ、景朗にとってはその少年こそが、気をつけるべき存在であったようだ。

 恐るべきしなやかさを誇る景朗の筋肉が、ほのかに強ばっている。

 

 

「残念。小学生だ。たぶん君とひとつかそこらしか違わないぞ」

 

「……そうなんだ」

 

 能面のような無表情を維持したまま、少年は再びマンガに目を戻した。興味が失せたようだ。

 印山少女は小学六年生にしては背が高く、発育が良い。高校生に見えないこともない。マンガ少年は反対に背が低く、年齢よりも下に見える。

 小学生の時の自分も彼と同じくらい背が低かった。"戦闘昂揚(バーサーク)"に目覚めなければ、今のような巨体には成長していなかったかもしれない。

 

 

「だからキー君、"きなこ"君、お仕事だよー?」

 

 再びマンガに熱中し始めた"きなこ"少年を、"ミリン"さんが手招く。

 

 

 少年はため息一つにマンガをソファに放ると、印山少女の隣にパイプ椅子を運び、座った。そしておもむろに、ごついゴーグルのようなヘッドマウントディスプレイを装着し、手早くコードがあちこちにくっついたグローブを装着する。

 すぐそばに侍る"みりん"さんは、眠る印山のおでこに謎のジェルを塗りたくっており、既に準備を終えていた。

 タイミングをみはから、彼女は少年の左手を印山のおでこに誘導する。

 くちゃり、と液体が潰れる音がした。

 

 

「フェニックス、忘却処理の期間は?」

 

 "きなこ"少年が疑問を発した。ゴーグルのせいで景朗の居場所がわからないのか、あさっての方向を向いている。

 

「その子は今日の昼ごろ、だいたい11時から13時。その時間帯に第七学区の繁華街に居たはずだ。その間の"記憶"をぶっ飛ばして欲しい」

 

「了解」

 

「余計なものを見るなよ」

 

「心配せずとも見たくても見れないよ。ボクの力じゃあ」

 

「キー君、集中して」

 

「わかってる」

 

 "きなこ"少年はその一言をきっかけに、言葉を発しなくなった。グローブを装着した彼の右手が、何もない空間をひっきりなしにひっかき、掴み、つねり引っ張っている。

 ヘッドマウントディスプレイと連動した何かのアプリケーションが、ゴーグルをかけた彼にだけは視えているのだ。いろいろな操作を、その右手で行っているのだろう。

 

 

 彼が何をしているのか、景朗は知っている。"きなこ"少年は異能力(レベル2)読心能力者(サイコメトラー)で、その能力は"時刻明細(クロノグラム)"というらしい。

 

 人や物体が、どの時間にどの場所にいたのかを読み取ることができる能力だ。読み取るイメージは場所と時刻、すなわち時間と空間に限られていて、あまり多くの情報を読み取ることはできないらしい。

 

 つまり彼は、印山ちゃんが景朗の素顔を盗み見た時間帯をより正確に絞り込んでいるのだ。

 

 人の"記憶"にメスを入れるのだから、精密な操作が必要とされる。"きなこ"少年はその前段階の処置をしているというわけだ。

 

 彼の仕事が終わると、あとは"みりん"さんの出番になる。

 

 彼女は強能力(レベル3)の"催眠能力(ヒュプノーシス)"、通称"記憶洗浄(メモリーローンダリング)"という能力を有している。

 その力では"記憶"の読み取りができない。催眠による上書き(ローンダリング)しかできないため、しかるに"時刻明細"の補助が必要なのだと。

 万能ではない能力だ。

 されど、"記憶を封じる"という用途に関して言えば、なかなか強力な能力らしい。

 文字通り相手の記憶認識を上書きしてしまうので、その他のサイコメトラーやテレパスに復元される可能性は低いのだそうだ。

 

 

  "みりん"の女子大生に、"きなこ"の男子小学生。明らかな偽名だ。

 戸棚の奥底でいつの間にか消費期限が切れていそうなラインナップである。そうでもないか?

 まあとにかく、2人そろって"洗浄屋"だというわけだ。

 

 

 

 

 "きなこ"少年がひと仕事終えるまで、"みりん"さんは景朗こと"不老不死(フェニックス)"と世間話に興じるつもりであるらしい。

 

「不死鳥さん、さっきの話だけど本当にケチャップなんだよね? もおお、クリーニング代上乗せさせてもらうよ? ……それにしても、どうやって洗ったらいいんだろう……」

 

 ゴソゴソとデスクの裏側で何かを探していた"みりん"さんが、どこからかマニュアルを取り出した。さっきの金庫扉の洗浄方法を調べているらしい。ケチャップをあちこちにひっかけた景朗が恨めしいようだが、恐ろしくて真正面からは睨みつけることができないようだ。

 

「だからアドバイスしたでしょう。頑丈なだけので十分だって。本当に危険な奴らにはあんなもの役に立たないですよ。それよりも、どう裏社会を渡っていくかが重要でしょう? そこにお金をかけないと」

 

 無駄にセキュリティの硬い、一体いくらつぎ込んだのかよくわからない"あの玄関"がおそらくこの洗浄屋でもっとも高価な設備だ。

 それこそ、店内に設置してあるその他全ての機器をまとめたものより、あのドア一枚のほうに金銭的な価値があると思われる。

 

 しきりに怯えている彼女であるが、実際に襲撃があったとすると――あれを抱えて逃げる訳にもいかないわけで。

 

 つまりは、"ドア"という名のひと財産をまるまる放棄しなくてはならないのだ。

 非常に気の毒だ。自業自得な話ではあるが。

 

(おまけにセキュリティのためのセンサーを繋いでいる分、あのドアはハックされやすくなっているんじゃないだろうか。最終的にはアナログな方が信頼できる部分もあるとおもうんだけど)

 

「そうだよね。政治は味方を増やすよりもまず、敵を作らないことが大事だって聞くものね。よ、よーし。それじゃあ……」

 

 ガサゴソと探っていた手をとめて、"みりん"さんは息をタメこむ。

 

「それじゃあウチを"不老不死"御用達のお店にしちゃおう! なんて計画なんてどうかな? ホ、ホラホラ、ロゴも考えてあるのよっ」

 

 用意していたとしか思えない早業だった。テンションを高めた"みりん"さんはご丁寧にフリップを取り出して、景朗にくるりと翻してみせた。そこには"不死鳥"をかたどった中二病臭いマークが数種類描かれている。

 

「おおおい勝手なことするな! どうなっても知らないぞ」

 

「で、でも、そしたらこれからずっと洗浄料金は無料で、しかも今ならウ、ウチがお嫁さんとしてついてきます」

 

「あたまおかしい」

 

 間髪入れずに、否定を見舞った。提案を一刀両断するそのセリフに、相手は屈辱の怒りを浮かべている。

 

「ひどっ!」

 

「ぷフーックスクス、どうしてフェニックスがみりん姉の相手なんかしなくちゃならないんだよ(笑)。"超能力者"なのにww」

 

「コラぁ"さとる"ッ! 集中しなさいっ!」

 

「バカっ、実名出すなよっ!」

 

「あー。心配ご無用、俺も本名は"さとる"って名前だから」

 

「嘘つかなくていいよフェニックス……」

 

「ゴホン。"キナコ君"、アナタはおしゃべり禁止」

 

「もう終わったよ!」

 

 ガチャリ、と乱雑にゴーグルを背もたれに立てかけ、"さとる君"が勢いよく立ち上がった。

 乱暴にしないでえ、と慌てた"みりん"さんはぴゅーっと飛んでいって、ゴーグルが壊れていないか確かめている。

 

「ほら早く。次はあなたの番でしょう。ああそうだ。これ。こいつ。こいつの顔を使ってください」

 

 ばふり、と景朗はテーブルに放る。それは、新たにポケットから取り出されたファッション雑誌だった。強引にくしゃくしゃに折りたたまれていて、ところどころ破けている。ひどく乱暴に扱われていた、と言っていい。

 

 もちろん。その雑誌の表紙を飾るのは、昼間散々拝見してきた"あの男の顔"である。

 

「あー。その子知ってる。え? どういうこと?」

 

 わけがわかっていない"みりん"さんに、景朗はすごむ。

 

「昼間、その娘が見た男を全部"そいつ"の顔に変えてくれ」

 

「……ふへ? ひゃ、あ、は、はいっ。承りましたっ」

 

 余計な質問するな、マナー違反だぞ、ともう一度鋭い眼光を見舞う。

 "みりん"さんはビクッと震えて、雑誌を片手に仕事に取り掛かっていった。

 

 その様子を切なそうに眺め、景朗はソファに沈み込む。が、体重が体重なので文字通り沈みそうになり、やはり立ち尽くさねばならなかった。

 

 女子大生の腕の中の、見覚えのある表紙を見つめて、景朗は複雑な心境だ。

 なんだかんだで、コンビニの雑誌コーナーで手早くその男の顔を発見できて、その時、こう思ってしまったのだ。

 

(なんやかんやで陽比谷の顔、なかなかに便利なのかも。ちょくちょく"使わせて"もらおうかな……)

 

 

 "奴"には、強力な精神系の使い手と連絡をとる伝手が、ごまんとありそうだ。

 後日、印山から情報を抜き出そうと試みた陽比谷は、おったまげることだろう。

 戦慄の瞬間だ。彼女の記憶の中が、自分自身のドヤ顔で溢れかえっているのだから。

 

(印山少女なら、それもありえない話ではないだろ? くっくっく……)

 

 

 

 

 

 

 

 

「フェニックス。"例のモノ"は?」

 

 いつの間にか。ぴたりと影のように後ろに回り込んでいた"きなこ"少年が小さな、それはそれは小さなかすれ声を、囁いた。

 

 反射的にごくり、と景朗の喉が鳴る。珍しいことに緊張しているようだ。

 

「……持ってきたとも」

 

 

 "きなこ"君は普段からクールな少年だった。何事にも動じない切れ長の細い糸目も、その性格を表していた。しかし、ここに来て。

 

 景朗が、とあるデータが詰まったマイクロチップを渡すと。彼は豹変した。

 

 糸目がぐにゃりと湾曲して、口角が丸くのびる。

 そのまんま教科書に載っていそうなエロス顔ならぬ、エビス顔だ。

 

 

 この少年はこれで、"みりん"女子大生の徹底的な管理下に置かれている。

 しかるに、余りにも若い時分に発症(目覚め)してしまった少年は、とある系統に不如意な生活を送っていた。

 

 

 ありがたやありがたや、と尊敬と謝礼の感情に満ち満ちたエビス(エロス)顔が、下から見上げてくる。ボクはもう"これ"じゃないとダメなんだよ、と表情で語っている。

 

 

 彼はこそこそと端末にデータチップを差し込んだ。

 

『アナタ、視線が毎回鬱陶しいのよ。一体どこをみてるのかしら、木偶。その窮屈そうな図体で悪あがきはよしなさい』

『笑って欲しいですって? そうね、縮こまって靴でも舐めてちょうだい』

『汚らわしい。消えてくれない? ステロイドが空気感染してこっちまでニオって来そう』

『……チッ、喉仏さえなければ……。っ最大級の侮辱ね! その学生服はなんの真似? 今日はもう口を開かないで!』

 

 イヤフォン越しにでも、景朗の聴覚は音声を拾っている。"さとる"君が見ている動画は、景朗が彼のために編集した"結標さんのサディスティック罵詈雑言スペシャル12連発集"だ。

 

 

 

 なぜ結標さんチョイスかって? 

 彼女の情報自体は書庫等でもオープン(公開済)である。裏と表を完璧に演じ分けられている人なのだ。いかに空間移動系が便利なのかを物語っている話だ。性格も姐御肌でオープン(さっぱり)な方だし、格好もオープン(開放的)だし……というかあんまり仲良くないし、やたら毛嫌いされてるし、いいよね、と自分に言い訳を聞かせつつ。

 

 あ、そうだ。なぜ結標さんチョイスかって?

 それはこの"きなこ"少年の表情を見てもらえば一目瞭然だ。

 

 彼はJKが好きだ。一言で表せばなんてことなく聞こえるかもしれないが、彼は相当に業が深い……。重度の中毒症状が見て取れる。

 

 齢11才そこそこで何故か1990年代の女子高生の行動様式や社会文化、風俗に異様に詳しい高学年小学生男子は、JKじゃないともうダメなんだ、というかムリなんだよ、と景朗に力強くそう語っていた。

 

 景朗が彼にいたらぬ知識を押し付けたわけでは、決してない。

 少年は最初から"そう"だった。

 生まれつきなのだ。極稀に、こういったエロスのカリスマの宿命を背負った逸材が、この世にはこうしてまろび出るのだ。

 ご理解いただければ幸いだ。彼はもはや手遅れに見える。末期症状を呈している。

 

「すごい……レベルファイブってすげー……こんな世界で生きてるんだね……」

 

 

 少年はこちらをちらほらと、嫉妬に駆られて睨みつけてくる。

 

 こんなに美人でセクシーな格好のじょしこーせーとアブノーマルな会話を嗜んでいて、尊敬するって?

 

 バカ野郎。これは相当危険な世界の話なんだぞ。

 

 今更ながら、やりすぎてしまった感がして"みりん"さんにあわせる顔がない。

 さとる君は結標さんが大のお気に入りだ。だからきっと。

 今夜はさぞやフィーバーするのであろうな。

 

 背筋が凍る。

 

 景朗は自らが加担した悪行のおぞましさに、思わず十字を切った。

 クレア先生にあわせる顔がない……。

 あ、あとついでに結標さんにも。

 

 でも、許してくれ。いいや許されなかろうと構うものか。

 だってこいつ最高におもしろいんだもの。

 それに加えて。景朗が少年にそこまで手心を加えるのには、実はもう一つ理由があった。

 

 少年をよおく観察すると、誰かの面影に気づくだろう。

 クセ毛、髪型、糸目、エロス顔、エロい性格。

 とある人物と非常に共通点がある。

 

 

 彼が髪の毛を青く染めて、関西弁を話せば……。

 

 そう。何を隠そう……実は彼こそが"青髪クン"のモデルなのだ。

 

 

(ぜんぶ彼からパクっています)

 

 

「はああ……むすじめさんかぁ……超キテル……ありがとう……いつかボクも――」

 

 夢を彼方に焦がれ、少年は力強く端末を握り締めている。

 その姿はさながら"リトル青髪クン"だ。

 

(可哀想だが君じゃムリだ。諦めろ。結標さんは相当な面食いだ。君みたいな半ズボンの似合うお子様(ショタっ子)が相手にされるとは思えない)

 

 

 

 

「あーっ、ちょっとちょっとちょっと、なんか静かだよっ? ねえ不死鳥くん、またキー君に"ヘンな"の渡してない? ダっ……ぁぅ――ダ、ダメなんですからね! そういうのはちゃんとしたトシになるまで管理するんだからっ」

 

 エロネタ, アダルトネタ, その他の18Gold()系統――もちろん電子的デジタルデータに関しても――の一切合切に禁輸措置を食らっている"さとる君"は――。

 

――心底、憎しみが込められたしかめ面で、"みりん"さんの背中へと中指(フ*ックサイン)をつき立てた。

 

 しかし。彼女は印山ちゃんのまぶたをクリップで固定し、意識のない眼球とにらめっこを続けている。どうあってもこちら側は見えていないはずだ。

 なぜ背後で行われている闇取引に感づけたのか。第六感とは不思議だ。"自分"ほどとは行かないまでも、何の変哲もない人間でもこうして雰囲気だけで敏感に嗅ぎ取ってしまう。

 

(でもな……諦めたほうがいいよ"みりん"さん。こいつはもう芽生えてしまったんだ。"男"ってのは一度発芽したら、枯れるまで花粉を飛ばしつづける宿命なのさ……)

 

 

 

 とんでもない早業で、少年はソファの下に景朗が渡したマイクロチップを隠してみせた。へなへなに歪んでいたエロ坊主ヅラを糸目に引き締め、ぐっとサムズアップ。

 

「恩に着る、Bro.(ブラオ)

 

兄貴分(ブラザー)はやめろ」

 

 景朗もかつて、同園の"兄貴分"たちに世話になったものだ。

 受けた借りは、誰かに返すのが義理と人情、世渡りの心得だと。そんな気がして、強烈な飢饉に飢えていた少年を見捨てることができなかったのだ。

 

 こうしていざ呼ばれると、すんごい嫌な気分だった。

 確かに兄貴分に違いない。

 毛が生え始めた奴の面倒を見るような奴は、どう足掻いたって兄貴分でありそれ以上でもそれ以下でもない矮小な存在ではあろうが……。

 

 どうして自分はこんなことをしてしまうのだろう。リトル青髪クンの未来の肖像権を果てしなく侵害してしまっている罪悪感からだろうか。……いや、違う。

 

 それ以上になによりもまず。

 このリトル青髪クンがやがてたどり着くであろう境地を、"デルタフォース"の一員として見届けてみたい。

 そういった願いが、自分の根底にはあるのだ。

 叶わない願いだろうが、"奴ら(デルタ)"にもさとる君を紹介してみたい。自分と同様に奴らも戦慄して、そして――――さぞやこの子を可愛がってくれるだろう。

 

 

 

(あーくそ。早く"みりん"さん終わらせてくれないかな。こんな下らねえこと考えてる暇はないはずなんだ……)

 

 

 

 

 

 

「ウチだってちょっと前まで女子高生だったのに……」

 

 その時。悔しそうな呟きが2人の耳に入った。だが。

 

「三年前は"ちょっと前"じゃないっ」

 

 悲しそうな"みりん"さんに対して、リトル青髪クンはオエーッと嘔吐するジェスチャーで煽り返した。

 

「女の子が男に視える"呪い"をかけてあげよっかぁっ!?」

 

 がばっ、と怒れる女子大生が振り向いた。

 能力の影響なのか、らんらんと光る眼はてかてかと艶ばんでいる。

 

 "みりん"さんが最終兵器(宝具)"直視の魔眼(ゲイ・ホルク)"の使用に踏み切ったのだ。

 

 効果は彼女のセリフ通り。目にした女性がすべて、女装したホモ軍団に変わる。つまり、すべてのエロ動画がホモ動画に脳内変換されてしまうという、苛烈なペナルティでなのである。

 "直視の魔眼"の名のとおり、まともに"ネタ"を直視したノンケ(ノーマルな性癖の人)は、そこで思わぬ"ゲイ(掘られて苦しんでる)"を目撃して、死ぬ。つまり、ノンケは死ぬ。

 

 

「うわああっ! ごめんなさいっ! それだけはやめてぇっ!」

 

 毎度の恒例行事なのだが、いつ見ても哀れを誘う。

 彼は両手でがっちりと両目を覆って床に倒れ伏し、縮みあがってしまった。

 

 流石は"きなこ"君が最も恐れる"絶対遵守の力"だ。

 

 

Bro.(ブラオ)助けてぇっ! Bro.(ブラウ)ッ!」

 

 少年を助けるつもりはなかったのだが、"みりん"さんが印山少女から目を離していては"記憶洗浄"が進まない。

 

 

 噂に聞く精神系最高峰の"精神掌握(メンタルアウト)"、食蜂操祈。

 彼女の能力すら跳ね返している自分に、強能力程度の洗脳・催眠が通用するとも思えない。

 されど、万が一という事もある。もしも……くらったら……ホモ痔獄だ。

 

「ふざけてるってことは、終わったんですか?」

 

 極力視線を合わさず、景朗は威圧する。

 

 ちなみになぜ、自分が操られていないと信じられるのか。その理由は、単に、小娘に操られている者をアレイスターが重用するとも考えづらい、という逆算的なもの。また、自分に操られている兆候が全く観られなかった事(景朗は生まれて初めて自撮りというものを行った)から、結局はいい案が浮かばなかったので手が尽きて諦めた末の総合的な判断、によるものだ……。

 

 

「すっ、すぐ終わるから、あと少しですからねっ!」

 

 あからさまに怯えていそいそと作業にもどるその姿に、心が若干痛む。元はといえば、"きなこ"少年に悪ふざけをしている自分のせいだ。

 ここはキレてもいいところですよー、と。こちらが申し訳なくなる。

 

(まあ、でも、嫌われるくらいでちょうどいいんだ)

 

 

「みりん姉おやつどこー?」

 

「れーぞーこー」

 

 なんとも締まらない。早く終わらせろ、と無言の圧力を、"みりん"さんへと飛ばし続ける。

 

 少年は冷蔵庫から焦げ茶色のドーナツの失敗作のような物体を取り出した。

 まるでゴミを見る目つきのまま、齧り付くのを一瞬躊躇したが、結局彼はかぶりついた。

 

ふぇにっふふ(フェニックス)ひる(いる)ー?」

 

 

 景朗は実のところ、ものすごく食べてみたかった。のだが、興味のないフリを返す。

 わざとらしく手で払いのける仕草をして、断った。

 

(ダメだダメだ。あんまり仲良くなってもお互いに不幸になるだけだ)

 

 

 

 "みりん"と"きなこ"の2人組は非常に仲がよくみえる。しかし、実は"姉弟"ではなかった。

 止むにやまれぬ事情があって、2人して暗部に片足を突っ込んだ生活をしているだけだ。

 

 2人組には一切を教えていない。

 

 この世にはもはや生きてはいないであろう"きなこ"君の姉は、スキルアウトと暗部の"半グレ"――半ば暗部の領域に踏み込んでいた。

 

 例えるならば、音楽シーンでいうインディーズシーンがスキルアウト上がりの"半グレ"どもで、メジャーシーンが暗部組織に近い。

 上手く例えられてはいないだろう。だが、どのみち学園都市の裏業界の複雑な状況をきっぱりと区切ることがそもそも無理筋な試みなので、致し方ない。

 

 "きなこ"少年の姉御さんたちは、彼のサイコメトリー能力で、"何か"を読み込み、その事実をもって更なる"何か"に利用しようとした、らしい。

 その"何か"の正体はわからない。

 だが、結果的に統括理事会のメンバーの誰かの怒りを買ったのだ。

 

 姉御さんたちは恐らく謀殺されている。

 

 残された"きなこ"君を、彼女と親しかった"みりん"さんが必死に庇っていた。

 

 景朗が初めてこの"洗浄屋"を利用した時点で、"きなこ"少年は口封じのために統括理事会の幹部に狙われており、相当危険な状況だったようだ。

 

 

(紫雲の件では、この2人の時の失敗は犯したくない……)

 

 

 初めて洗浄屋を訪ねて。景朗は当然のごとく、陰で蠢く暗部の人員の存在を察知した。

 まだ暗部のイザコザに慣れていなかった頃だ。

 Lv5に成り立てだった景朗は、不調法にも思いっきり警戒し、そして失敗した。

 

 何で? どうして? いったい誰が俺を狙ってやがるんだ冗談じゃねえぞ! とばかりに闇雲に"威嚇"してしまったのだ。

 

 実のところ、暗部のエージェントたちは景朗の敵ではなかったのだ。しかし……。

 

 さしものLv5には、それなりの"重み"がある。統括理事会メンバーに一考させるくらいには。

 自らの幹部の首と、Lv5とどちらが重要なのかを天秤に掲げる、一手間を惜しまぬ程度には。

 

 顛末はあっけなかった。

 

 恐らくだが"きなこ"少年は偶然にも、とある統括理事会のとある幹部に関する、非常に都合の悪い証拠を握ってしまっていたらしい。

 

 しかしそこで、"不老不死(フェニックス)"が横槍を入れたわけだ。

 

 結局、とある理事会の幹部は"事故"で亡くなり、"きなこ"君には賞金がかけられた。

 

 "不老不死"が利用していた"洗浄屋"を襲撃すれば、それは彼に対する敵意の狼煙となる。

 さりとて、碌な後ろ盾もないチンケな洗浄屋ごときに"不老不死"がまともな個人情報や秘密をあずけているはずもない。

 

 襲うメリットが無く、デメリットばかりが目立つ案件になった。それが、彼女たちが無事に暮らしていけているひとつの理由なのだろう。

 

 しかし、おかげで"きなこ"君は学校に行けず、ずっと身を隠し続けなくてはならない身分となってしまっている。

 生意気にも、えっちなお店に行ける年齢になる前に、自分でなんとかしてみせる。そう言っているけれども。

 

(かといって、俺がこれ以上関わっても……)

 

 

 景朗は想像もしていなかった。吹けば消え飛ぶようなチンケな裏の"洗浄屋"が、こんなにも、アットホームな処だったとは。誰に予想できようか。

 

 口にするだけで恥ずかしくなるところを我慢して、本音を吐露すると――。

 必死に"きなこ"君を守って育てようとしている"みりん"さんの姿に、母性にも似た、心地の良いものを感じてしまっている自分がいる。

 

 その光景には、ものすごく心惹かれるものがあった。もちろん、性的にどうこうではなく、ずっと見ていたくなるような、美術品のような美しさが――――。

 

 

 かといって、あまり自分が関わってしまえば――――。

 接近しすぎれば、どちらも危険になる。共倒れになるだけだ。

 

 

 おかげで、ぶっきらぼうな言い方になる。まるで男子校で純粋培養されたシャイな高校生のように、"みりん"さんが相手となると、口が悪くなってしまう。

 

 

「終わったよ!」

 

 

 景朗は無言のままに、どかどかと印山をシートから剥がして、背負い上げた。

 店を出る前に、料金の精算が残っている。

 

現金(キャッシュ)でいい?」

 

「ぶ、物品で!」

 

 景朗の簡素な物言いに、相手は珍しいことに勇気を振り絞って返事を返した。

 そこから先は、2人の交渉合戦だ。

 

「キャッシュなら相場の2倍だす」

 

「半分でいいからっ。今日こそお願い!」

 

「何をだ? はっきりと言ってくださいよ」

 

「っ、血を!」

 

 "血"をよこせ。この問答が、毎回毎回、このように続いている。

 "不老不死"を恐れつつも、最後には必死に、執拗に食いついてくるのだ。

 

「無礼だとは思わないんですか?」

 

「どうしてもお願いします。欲しいの」

 

 

 もうすでに、相手は泣きそうな顔だ。

 それでも、その日は折れなかった。

 

 

「……本当にわかってるんですね。危険性を?」

 

「覚悟してるよ」

 

「泣きついてきても助けない。いいんですか?」

 

「も、もちろんわかってる」

 

 無言のまま思考する景朗のその所作から、了解したものと受け取ったらしい。

 彼女は注射器をおずおずと差し出してきた。

 

 景朗は乱暴に奪い取り、荒々しく床に投げつけてみせた。わざとだった。

 

 "みりん"さんの目を見つめ続ける。これから景朗が渡す"もの"をどう扱うかで、危険にも安全にもなりうる。彼女に渡して大丈夫なのだろうかと、悩む。

 

 

 

(仕方ない……。貴重なものだし、身代わりに差し出せる状況がくる可能性も、ある、だろうか……)

 

 

 景朗は要求された"物品"を渡す"腹いせ"に、特大のデモンストレーションを見せつけてやることにした。

 

 

「いいでしょう。じゃあ、これから取り出すところを"しっかりと"見ててくださいね」

 

 ニコリ、と笑って、景朗は印山少女をそっとソファに下ろした。

 陰から恐る恐る見守っていた"きなこ"君が、興味津々な様子で聞いて近づいてくる。

 

「君は見ないほうがいいよ。どうしてもって言うなら止めないけど、見ないほうがいいって言っておくから」

 

 ビビりかけた"きなこ"君は、それでも居座った。ならば善し、と景朗は――――

 

 

 

――――右手を手刀の形に携え、2人の目の前でそのまま――――自らの腹部に、思いっきり突き刺した。

 

 そして。"みりん"さんも、"きなこ"君も青ざめたまま、言葉ひとつ発することができず、立ち尽くした。

 

 景朗が平然と、自らの腹をさばき、内蔵を取り出し。

 そこから綺麗な透明の"腸"を引きずり出して。

 まるでソーセージのように、自ら"くびり"だして見せるまで。

 

 

 まっとうな人間ならば噴水のように流血するところだが、景朗はそうはならなかった。

 鮮血は極少量に抑えていた。だがそれでも、彼の手は紅に染まっている。

 

 

 ニコニコと笑う"不老不死"は、真っ青でふらつく"みりん"の手のひらに、"特別製の血液の腸詰"をにぎらせてやった。

 

 薄い腸の皮は、透明なビニールのようだった。中に密封された血液の独特の色合いが、"きなこ"少年の視線を惹きつけている。

 

 それは、濃ゆすぎる緋がたたって、赤銅色の領域に達した"液体"だった。

 濃厚さと透明さを併せ持ち、見た目からは予想もできない流動性に富んでいる。

 

 まったくもって平気な様子の景朗を、真実を疑うように確かめてから。

 ぽつり、と"みりん"さんは呟いた。

 

「これが、"不死鳥の生き血(Blood of Phoenix)"……」

 

 

 丹生に極力負担の少ない体晶を考え、考え抜いた末に景朗がたどり着いたひとつの結論が、この液体だった。

 "Blood of Phoenix"と、噂されている。

 

 体晶の特徴である、"能力の暴走"。それは同時に、人体に害を及ぼす。

 そこでだ。能力の暴走なんてどうでもいい。体晶としてのメリットは極限まで薄まってもいい。

 そういった考えのもと、景朗が極力、人間に危険を及ぼす因子を徹底的に省いた一品。

 それこそがこの"不死鳥の生き血"である。

 摂取すると、レベルは僅かに上昇する。相性が良いものが飲めば、レベルひとつ分くらいは上昇するかもしれない代物だ。

 景朗の自前の細胞を使用し、とかく、脳や内蔵の細胞を保護するように作ってあった。

 そのため、レベルが上がるというよりも、演算処理能力の限界を強引に突破できる、といった説明が正しいかも知れない。

 

 

 

「出血大サービスです。せいぜい身を守るために使ってください。風邪ひいた時とかね。ああ、水虫にも効きますよ」

 

「あはは……。ちがう、もん……そんなことより、不死鳥くん、それだ、大丈夫なの?」

 

「大丈夫に決まってるでしょう。今まで俺を誰だと思ってたんですか……」

 

 

 

 可愛いことに、2人は店を出た途端に、本物だー、とはしゃいでいる。

 

 景朗は自嘲気味に、ひとつ息をついた。何しろ――。

 

 "Blood of Phoenix"なんてちゃちなものとは言わず。

 "もっと恐ろしいもの"が、この街の革新的技術で生み出されているようなのだ。

 

 『Med.Phoenix』『Five_Over. Modelcase_"PHOENIX"』『Equ.Dynosaur』

 

 暗部の闇は深い。ざっと耳にしただけで、これだけ気持ちの悪い名前が聴こえてくるのだから。

 

 

 

 

 




色々コメントしたり、発言したりしてきましたが、まだまってください!
あ、あえてノーコメントで。まだつづきがあるのですorz
もうすこし皆さんにおみせしてから、言いたいことがあるんです。お願いしますorz


それは置いといて、感想返しが遅くなってます。すいませんorz
明日中に返信いたします!

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