とある暗部の暗闘日誌 作:暮易
episode27:予告
上記のものから現在のものに変えています。
本文に変更した内容はありません。誤字の訂正を少々した程度です。
通路の反対側には逃げ道を塞ぐように眞壁という男がいる。どんな能力はわからないが、大能力者だという話だ。一団の能力は発火能力の陽比谷と、空間移動系の鷹啄の2名しか判明していない。景朗は油断なく、その場の空間の異変をまるごと察知できるよう、意識して神経を逆立てた。
――しかし。その威嚇行為にどのような意味があるというのだろう。景朗にはさっぱり理解不能だった。過熱された鉄パイプの回転は仕掛け花火のように蒸気音を挽きたて、裏路地を不細工な白光で満たしている。常軌を逸した高温は空気を焼き、焦げ臭い煙がほのかに視界を霞ませる。
かような状況を引き起こしている張本人は2度目の名乗りを終えるや否や、サングラスにドヤ顔をブレンドさせてレンズ越しに目配せをしてくるばかり。
(……え?説明は?答えになってない、ぞ……)
"能力主義(メリトクラート)"。発火能力者(パイロキネシスト)。モデル業。……だからどうした。なぜ"第六位"を付け狙っていたのか、それどころか何故決闘を挑んできたのかも已然分からないままだ。そんな景朗の戸惑いなど露知らず、陽比谷は口を結んだまま相手の出方をじっと見つめている。
「ッ……とりあえずお前なんぞにキョーミは無いッ!おらッ、説明とやらをするんだろうが!」
その疑問は正しかったようだ。景朗と同じ考えの人間もいたらしい。
「陽比谷君、始終貴方の紹介だけで終わっています!その方を呼び止めた理由を話して、改めて闘いの承諾を取り付けなくては駄目でしょう!」
「あはは、仰る通り!でもどうしても一度キメておきたくってね!そういう場面だと思えてさ!ここで逃したらもうチャンスないだろっ?」
気の抜けるような発言に、暴力的な解決方法が再び頭に浮かんできそうになる。もうすこし抑えてみよう、と景朗は耐え切った。
「こっちから訊くぞ!あんたらは決闘厨で俺と戦うと。じゃあ何で俺を選んだ?こうやって探し出してまで何故?『決闘厨だから』だなんて答えるなよ」
「ああそうそうそう、察しが良くて助かる!実際のところそれが一番大きな理由だよ。要点をかいつまめば僕らは単に"決闘"が好きなだけで、とにかく強い奴らと闘いたいんだよ。本当さ!」
ふざけたような返答だ。あまりに煩わされるようなら逃げ出して、後日始末をつけるか。そんな考えも刹那、頭をよぎる。全員の顔と匂いは掴み取っている。時間の無駄はよろしくない。早急に彼らの特徴を暗部の情報網で整理して、今度は自分から追い打ちをかければ良い。火澄だって待たせている。
(アホか。どう考えてもこっちが重大な問題だ。まったく次から次に面倒事が……)
愛嬌の欠片もなくなった景朗の表情に、陽比谷のニヤつきは真顔に戻っていた。
すぐさま鉄パイプを振り回すのをやめると、彼はしかと握り締めた。
「全然納得できてないか。ふぅー……よし。もう一度だけ聞かせてくれ"先祖返り(ダイナソー)"。僕らは"能力主義(メリトクラート)"だ。……君はそれだけじゃあ僕らが何故、君を探してたのかわからない。予想も想像もつかない。……そうなんだね?」
「……」
無言の肯定を返す。相手は小さく息をつくと、またしても急に押し黙った。
「ひびやくんがおちこんでるの珍しいよね、ふふ」
「そうなんですか?……というか鷹啄さん本当に大丈夫ですか。どうしてそんな具合悪そうなんです?」「あれおかしいな。さっきの動悸がまだ……」
落ち着いているのではなく、彼は落ち込んでいるらしい。ぽそぽそと呟き合うお仲間さんたちは準備もよろしく、皆して仲良く同じデザインの薄黒いバイザーをちゃっかりと着用している。たかが鉄パイプの輝きと言えど、陽比谷のそれは常人には直視しづらい眩しさを放っていた。彼女たちの用意の良さから察するに、彼はしょっちゅうこういう事をやらかしているらしい。
「くは!また眼中に無かったのが確定したな、ドンマイ陽比谷。そりゃそうだって、今までだって誰もお前のこと知らなかったんだろう?」
「……御坂さんは知ってくれてたさ。名前だけは。……"仕事"の方でね」
「ッぷフ!ふふははハハ、マジでか!そうだったのかよ!?うはははハハッ!笑えるなそれ!」
"目的"を前にしてそっちのけで軽口を叩き合う"能力主義"たち。まるで危機感の感じられないその態度は景朗の感覚とは大きく食い違っていて、ほとほと彼を戸惑わせた。
彼らはどうしてか、危険人物を刺激しているという自覚が極めて薄い。そのようにしか見えない。"第六位"が本気を出せばいくらでも危うい状況になり得るはずなのにだ。
その口ぶりからして、奴らは皆が"大能力者(レベル4)"であるらしい。ならばそれ故に、"第六位"の強襲に対応できる自身がある故に、余裕のある態度が取れるのだろうか。
「笑いすぎでしょう!」
「ははっ、悪い悪い!でも――ッ今まで黙ってたのがさらにウケるッふはハハッ!もっと早く言ってろよ!」
景朗を挟んで緊張感もなく男子2人が唾を飛ばしている。彼ら自身が口にした"第六位"を前にしてだ。
(断定はマズいけど、でもやっぱりこいつら"暗部"ってカンジはしなさすぎる。あの子なんて下手すりゃ小学生だぞ。俺の裏の"バイト"の情報をどこからか入手してきたんだろうか?"先祖返り(ダイナソー)"なんて言ってるし……)
"先祖返り(ダイナソー)"という超能力者の情報を知り得るのは、一部の裏の企業だけだ。とはいえ残念ながら、そういった機密が拡散するのは防ぎきれない面もある。"先祖返り(ダイナソー)"の情報は、情報屋どもにとっては十分に利益を生み出す案件であるのも確かなのだ。
(陽比谷とやらはお抱え研究所が4つだ。大金を持ってるはずだ。金を惜しまなければ……)
"先祖返り"の情報を買うのも不可能ではなかっただろう。
もし、彼らが暗部ではないとしたら。只の一般人、所謂カタギのヤツらなのだとしたら。
(拉致って尋問?疑わしきは罰するか?それは……用心の為とは言え、俺も過激な思考回路に染まっちまってるぞ……)
景朗のカンは、連中がただ街をさすらうだけの"決闘厨"にすぎないと伝えていた。こうして自分を見つけ出した手前、流石にその辺の奴らよりは優秀なのかもしれないけれど。
無礼な来訪だったとはいえ、自らも軽挙な行動にでるべきではなかった。出会い頭に陽比谷に組み付かず、互いに冷静に話をしていたら。うっすらと後悔が募る。
何時の間にか、自分は問題解決のためならば暴力的な手法も躊躇しなくなっている。景朗が自省する気持ちなのは、そこだった。
「だいたい真壁さんも同じ扱いでしょうがよ!不愉快じゃないんですか"炎上物体(メテオロイド)"ッ」
「なワケあるか、お前ほど自意識過剰じゃないってフツウ(笑)」
やり取りを見かねた岩倉が、慌ただしく横から手を差し伸べた。
「お聞きください"第六位"さん!私たち"能力主義(メリトクラート)"の至上命題は、あなた方と同等の『ステージ(レベル5)』に立つ事なのです。なぜなら、私たちは元来、"超能力者"を目指すためだけに"大能力者(レベル4)"が集った――」
そこまで言いかけて、彼女は言い淀んだ。おもむろに陽比谷を一望したのだ。続きを引き受けて繋ぐように、次に陽比谷が口を開いた。
「彼女の言うとおり。僕らは"超能力者"になるためなら全霊を懸け、手段も対価も、友情すらも厭わず。そういった意志を持つ"大能力者"だけが入ることを許された、ガチガチの"学生決闘集団(メンズーア)"……だった。今じゃだいぶ違うけどね。ま、そこのところは今は関係ない」
それこそ理由はわからなかったが、説明を続ければ続けるほどに、彼は表情を無くしていった。
「さっきも言ったように僕らはレベル5を目指す"能力主義(メリトクラート)"であって、同時に"決闘厨"でもある訳だ。だから"君ら(レベル5)"を探し出して、レベルアップのために"決闘"を挑む。理解してくれよ。君を探してた理由は疑いなく、これで全てだ」
自称ではあるが、奴らは自らが高位能力者の集まりだと宣言した。
景朗は唐突にポケットに手を入れ、そこにある"暗部"で使う特別製の端末を触った。もしかしたら、奴らの仲間にハッキングが得意な能力者がいるかもしれない。そんな奴がもしこの場に居て、この端末にちょっかいを出されていたら手遅れだ。
手遅れかもしれないなら、気兼ねなく使うべきか。景朗はおもむろにその端末を取り出すと、相手に確認を取った。
「ちょっといいかな?」
少々ネットで"あなたたちについて"検索してもいいかな?その一言には、そういう意図が込められている。
非常に高価だった特別製の端末は、ハッキング能力を防ぎ切れるかわからない。しかし、"街"の技術の結晶だけはあって、ハッキングを受けた痕跡くらいは感知してくれる設計だという話だった。
それなら今更、検索サイトに"能力主義"の四文字を打ち込むくらい、構うまい。"表"の情報に関することならば、学園都市のネット検索で必ずや何らかの手がかりをつかみ取れるはずだ。
陽比谷は抜け目なく、背後に控えるテレポーター(鷹啄)にアイコンタクトを送った。
合図を受けた鷹啄は、熱にうなされたような顔をさらに困惑させて、硬直した。"自分だけの現実"が著しく掻き乱されている事に、そこで初めて気づいたようだ。予想通り、彼女は能力が使えなくなっている。
2人のやり取りから察すると、お手軽テレポートで景朗の端末を奪い取る算段だったに違いない。ということは、ハッキングはされていないかもしれない。景朗はほんの少し、安堵した。
「まさかとは思うけど"超能力者"がアンチスキルに救助要請なんてことはないよね?それはそれで笑える話になりそうだけど、今は勘弁願いたい」
どうぞご自由に。渋々と差し出された左手のジェスチャーは、そう答えていた。
即席の情報でいいならネットでいくらでも見つけられる。大きな嘘はすぐバレる時代なのだ。
「……やっぱり君も、僕たちのことは興味すら無かったみたいだね。流石だ。いいなぁレベル5!どんな景色を見ているんだい?羨ましいよ」
語りかけるような声調だった。陽比谷の期待とは裏腹に、返された反応は味気なかった。"第六位"が横目に散らしてきた極めて興味の薄い視線に、彼は歯を軋らせた。
「最高の返事をありがとう"先祖返り(第六位)"。君たちがそんな顔するからさ。僕たちだって手段を選ぶ気がなくなってくる」
「それで"決闘"か?人狩りみたいな真似しといて言いたい放題言ってくれるね。そんなに必死になるほどか?よっぽど暇なんだな、だんだん哀れに思えてきたよ。他にやることないのかよ?」
"能力主義(メリトクラート)"。それは決闘集団の側面も併せ持つものの、ネット上では単に学園都市で最も力のある"大能力者"限定の学生サークルとして扱われていた。有名ではあるが、それに比して内情はほとんど出回っていない。そして、ちょろちょろと目にする、陽比谷という名前。
「ああそうさ。他にやること無いんだよ。だから好きなことをやるだけさ。第一ね、"能力主義"っていう名前からしてわからないかい?元々"うち"に来るような輩は皆が皆、"自分自身の能力を証明する行為"が大好きなのさ」
「ほぉぉ、"大能力者(レベル4)"の方々がおっしゃると薄ら寒くなりますねぇ?」
目の前の男、陽比谷天鼓。コイツマジでモデルだった。オマケに"最高のパイロキネシスト"だという自称は正しかった。複数の研究機関から次期"超能力者"候補に挙げられている逸材らしい。
景朗もだんだんと合点が行きつつあった。彼らからしてみれば、"超能力者"たちは自分たち"能力主義"の存在を知っていて当然だ、ということだったのだろう。現実は残酷だったが。それに加え、"超能力者"ならば"決闘"くらい幾度か経験してきていたはずだ、とも考えていたらしい。
他には、陽比谷兄妹、統括理事会、陽比谷以外の"候補"と目される能力者の情報、色々と興味深い単語が羅列されていて……。しかし、何より情報量が多かったのは、ご本人の自慢どおり学生モデル業についての事柄だ。またしても疑問が沸く。暗部の人間が好き好んでメディアに晒される職業をするのかと。
「手厳しい事言ってくれる。でも丁度いい。逆に聞かせてもらおうじゃないか。なら、君こそ一体どうやって訓練して"超能力"を獲得したっていうんだい?」
一々確認をせずとも、景朗は肌で感じ取った。真剣な五対の瞳が、自分の躰へと向けられている。
「"街"のサポート無しでやれることと言ったら、自己暗示やら、鍛錬によるメンタル面の発達やら刺激やら、そういったことしか残されてないだろう?しかし、能力の"優位性"だけを比べるメソッドに絞れば、"実験"や"身体検査"以外にも確立されている。ご存知のとおり、例えば……同質の能力者との"競争"とか、異種能力者との"闘争"だったりさ。君も少しは理解しているんだろう?」
陽比谷の問いかけに、記憶の彼方から揺り動かされる、今では遠い昔に思える記憶があった。
"暗闇の五月計画"の当時。先進的な"能力開発"技術を持った幻生たちでさえも、実際に能力を使わせて、絹旗と黒夜を戦わせていた。
「僕らにはただ確信があるだけさ。どんなに社会性を身に着けようと、人間だって動物の一種なんだ。闘争本能、つまりは"戦闘行為"には必ずや、能力上昇(スキルアップ)に貢献する部分が存在するに違いないってね。なあ、君の意見を聞かせてくれよ"先祖返り(ダイナソー)"」
"戦闘行為"という単語をことさら強調しつつ、質問者は景朗の瞳を覗き込んできた。そこには、穏やかならぬ強い意思が込められていた。
悟らざるを得なかった。この少年は、きっと諦めない。対話ごときでは、"決闘"とやらを断念したりはしないのだ。
「また黙りかい?それもいいね。言葉は要らないと言うのなら、実際に――」
「闘え闘えってうるせえんだよ。たったそれだけの考えしかないってのか。マジでそれだけでレベル5に突っかかってるって?正気なのか疑うよ」
「アドバイスありがとう。でも喧嘩ならとっくに売ってきたさ。君でもう4人目だ、"六番目"クン」
嘲るように口を動かす最中、景朗は陽比谷の発言に意識を縫いとめていた。奴は、景朗以外に3人のレベル5に闘いを挑んでいる。良い情報だった。調べてみれば真偽がわかる。奴らの正体を知る材料になり得る。
「……で?それで手加減されて生かして帰してもらった上で、自己満足して楽しんでるわけか。ホンットに、"超能力者"の連中が気の毒だよ」
「陽比谷、なんだか俺も分かってきたぜ。少なくとも態度はLevel5級だ、この野郎」
景朗と陽比谷の会話に乗じて、背後からも皮肉げな掛け声が響いた。その声色には、ほのかに苛立ちと敵意が混じっていた。
もたもたしていると、後ろの奴まで闘いの相手をしろと言い出しかねない雰囲気だ。
会話を重ねるにつれ、景朗はある結論に達しつつあった。
バカ正直に"決闘"を受けて情報を聞き出すか。全員を制圧して無理やり秘密を暴くか。よくよく考えれば、それらは選ぶべきではない選択肢ではないかと。
一団全員か、もしくは特定の個人か、どちらでもいい。連中の中に暗部の人間が混じっている可能性はゼロではない。ならば軽々しく能力を披露して、正体を特定される手がかりを与えてはいけない。然るに、ここでは手は出さない。
もし、やるとすれば……トコトンやるしかない。命は奪わないまでも、制圧拉致尋問のトリプルコンボを食らってもらう。但し、この時の状況ではそれも些か考え無しなやり方で、悪手だとしか思えない。
それならば……。
「とりあえず、色々とわかってきたよ。じゃあこうしよう。どうやって"第六位"の情報を掴んだのか。あとはその辺さえ教えてくれればお望みの"決闘"とやらは受けて立とう。この俺でよければ」
「悪いが、ネタばらしは約束を果たしてくれた後じゃないとね」
相手も馬鹿ではない。それなりの確信があってこれほどの暴挙に至ったのだ。"先祖返し(ダイナソー)"を探った手がかりについてはやすやすと明かすつもりはないらしい。最後の交渉材料だと感づいている訳だ。
「ああそうかい。それじゃあ先に俺の方からひとつ、ネタばらしをさせてもらおうかな。もっと早く訂正しておくべきだった。こほん。あー、そもそもさ、あんたらは一体全体どうして俺が……えーとその、"先祖返し"?とやらだと勝手に決め付けちゃってるワケ?気の毒だけど初めて聞くなぁそんな能力。ていうかその人が"第六位"なの?知らなかったよありがとさん」
陽比谷は微動だにせず、景朗の虚言に耳を傾け続けている。
バチバチと、再び鉄の棒が赤くなっていく。直に光量が増して白色へと変わるだろう。
「ふふ」
真正面の発火能力者は微動だにせず立ち尽くし、うっすらと薄気味悪く口元を歪めている。
「ほーら、予感はしてたんだよね。状況を理解すればするほど君はヤる気を失っていく。問答無用で勝負を吹っかけるくらいで正解だったねまったく」
陽比谷は茶番はうんざりだといった様子で首を左右に曲げ、はたと思いついたように後ろを振り向いた。
「ちゃんとバイザー付けてるかな?」
彼の顔を目にした仲間たちはやや青ざめて、静かに頷いた。彼女たちはその時までは陽比谷の活躍を興味深そうに観察していた、とギリギリだがそう言える様子であった。今ではもはや、微塵も楽しんでいるようには見えない。どこか心配そうに様子を眺めている。
「おーけー、交渉決裂だな。逃がさないって言ったのは撤回するよ。んじゃ悪いが俺も忙しいんで、ここらへんでさよならさせてくれ。ま、心配するな。俺は"先祖返し"とやらじゃないからさ――――ッ!」
鷹啄は能力を使えない。ならば眞壁を蹴飛ばして逃げだそう。機敏に振り向き駆け出そうとした景朗だったが、彼ははたと立ち止まった。そうせざるを得なかった。
行く手を遮るように烈光の壁がせり上がっていたのだ。突然の眩しさが、瞳を刺す。
豪音と、燃える虹。熱線の柱が天高く、裏路地を席巻した。ケバケバしいピンク色と青色、紫色の高電離気体(熱プラズマ)の格子が踊るように沸き立ち、逃走経路を塞いでいる。
とてつもない発熱だと肌が感じ取る。強靭な景朗の皮膚でも、触れれば唯では済まなそうだった。
壁を作った犯人は唄うように、調子良く語りかけた。
「さっきの君は実に良かった。とてもいい目をしていたよ。寒々しくて今にも僕を殺してくれそうな冷酷さが有った。初めて会った時の"第一位"もあんな眼をしていたなぁ――」
陽比谷には、わずかな予備動作も見られなかった。しかし――
色鮮やかな光。虚を突くように、閃光が放たれていた。予告なしの攻撃だった。
「ちッ」
細く、されど凶悪な"火線の虹"が、景朗の脇腹や向こう脛をかすめていった。それは落雷の如く、一瞬のうちに眼球を刺激したにすぎない。だが景朗の衣服はところどころ焼け焦げ、穴があいてしまっていた。
風が燃える音が、残光を追うようにあとから吹き抜けていく。
熱を伴った光の束。第四位にも匹敵しそうな"絶対的な破壊力"を感じさせるものだった。
「ほら、怒れよ」
にっこりと笑った陽比谷は、穏やかにそう言ってのけた。
「"や"ろうよ。まだ喧嘩の名分が足りないって?」
景朗は足元にちらりと視線を向けた。特注のスニーカーは炎には当てられず無傷だった。
火傷など屁でもないし、服はボロボロだが……靴さえ無事なら問題はない。景朗の体重を支える特注の靴は高額で、そいつを傷つけられていたら、本音を言えば心中穏やかではなかっただろう。
「ああ、言っておく。心配するな。僕は怪我なんて覚悟の上だから安心してくれていい。腕のいい医者にも沢山心当たりがある。さあ、やろう!」
二の腕やスネは軽い火傷。灰に汚れ、服はズタボロ。なんとも無様な格好にさせられてしまった景朗は、しかしそうであっても、どこか憐れむように陽比谷を見つめ返す。
つたない挑発だと、その眼は語っていた。
「なんだよどうした?僕じゃ相手に不足か?ずいぶんと口数が少ないけど、いつまで負けた時の言い訳を考えているんだ?心配せずともここには僕たちしかいないよ?」
泰然と棒立ちのままで、景朗はあくまで余裕を崩さなかった。その態度に、陽比谷は口調とは反対に、諦めかけた表情を浮かべている。
景朗は必ず逃げだす。相手にはされない。そのことを悟っているのだろう。彼をそこまで執着させるものに、景朗にはまるで見当がつかなかった。
「必死なところ悪いけど、俺には全然ピンとこないな」
陽比谷は歯がゆそうだ。相手が一向に仕掛けてこないからだ。決闘だと口にするからには、相手にも殺る気になってもらわねば意味がないのだろう。
(逃げ道はひとつじゃないぜ)
「ッ!待てッ、待てェ!逃げるなッ!行かないでくれッ!」
背後がダメなら、真上に逃げればいい。景朗は真横の路地の壁を蹴り、垂直に駆け上がる。
人間場慣れした運動能力で、息つく間もなく数メートルほど壁を登ってみせたのだ。
やや遅れて、今度は景朗の頭上からも茹だるような熱が吹き出した。見上げれば、裏路地で挟まれた細長い青空に、脱出を阻むかのような炎の絨毯が敷かれている。
空に蓋をする、数千、数万度の炎のカーテン。真昼間にオーロラが出現したかのような、大規模な現象だった。されど。
壁を駆け登る逃亡者は、ためらいもなくその炎膜に突撃していった。"能力主義(メリトクラート)"の残りのメンバーは、誰もが火達磨になる青年の光景を脳裏に描く。
「おやめなさい陽比谷君!」「わっ、わぁっ!?」「……はえ?」
その場に居た3名の女子は悲鳴も上げられず息を呑み、肉の焼ける匂いを想像した。
だが、そうはならなかった。炎は青年に触れる寸前で、一瞬にして煙のように立ち消えたのだ。
男は悠々と屋上へ逃れていった。
陽比谷は悔しそうに、拳を強く握りしめていた。
突如。ビルとビルを跳び抜け、瞬く間にその場から離れていた景朗の目に、遠間からそびえ立つ"高電離気体(プラズマ)"の長大な火柱が映った。
陽比谷が苛立ち任せに放った砲撃なのだろう。鮮やかでありつつも、見るからに荒々しい炎の噴出だった。
ずいぶんとあからさまに不機嫌さを露わにしてくるものだ。それが尚更に、"彼ら"を素人臭く感じさせる。
決断は正しかったかもしれない。奴らは純粋に、"第六位"に用があった一般人だったのだろうか。
「クソッ」
悪態が零れて、人知れず風の抵抗に消えていく。どちらにせよ、降って沸いた面倒事には違いなかった。
先ほどのお騒がせ集団が『待ち伏せ』を食らわせてきた暗部の刺客だと想定して、直接自宅へは行かずに、景朗は別の場所を目指す。
全神経を張り詰め、追跡者の存在に気を配り、そうして彼は第七学区に用意していた"隠れ家"へと到着する。
道中、五感を研ぎ澄ませて移動を試みたが、ついぞ尾行の気配は捉えられなかった。
そのため"隠れ家"に着くやいなや、景朗はひとまず着替えに入った。
シャツとズボンには穴が空き、無事な布地も先ほどの焦げ付きで変色して汚れてしまっている。
まとめて脱ぎ捨てると、そのまま"隠れ家"に放置しておいた。それは、さらなる襲撃を期待してのことだった。接触感応(ダウジング)能力者などが出張ってくれば、このボロ切れからこの"隠れ家"を突き止めてくるかもしれないからだ。
もともと"隠れ家"は襲われるのが前提となっている。景朗からすれば、襲撃される分には一向に構わないのだ。むしろ敵襲が実現すれば、影で動く者たちの尻尾をさらに炙り出せることになる。
だがそれも、あくまで保険だ。たとえ空振りに終わろうとも構わない。既に、陽比谷という人物の個人情報はきっちり掴んである。本命は彼だ。奴はもう、景朗からは逃げられない。しっかりと形勢を整えた後に。迅速に、何用で景朗を炙ったのか問い正しに伺えばいい。
それでいいはずなのだが……。
景朗の直感は、こう予想しつつもあった。"能力主義(メリトクラート)"の強襲は、自身が危惧するような裏の事情とは関係の無い出来事でもありそうだ、とも。
("能力"は凄かったけど、暗部にしちゃ気が緩みすぎで見てらんなかったし。というか堂々としすぎてただろ流石に。……そうか、わかったぞ。あいつらくらい気が緩んでいて、案外それで普通なのかも……。誰も彼もが俺みたいに、いつ来るともしれない"敵"に怯えている訳じゃない。いつの間にかすっかり、近づいて来る奴らを片っ端から"処理"しなくちゃ安心出来なくなっちまってる……)
もちろん、疑惑は細部まで突き詰める必要がある。奴らの背後で誰かが糸を引いているのかもわからない。"能力主義(メリトクラート)"とやらは利用されただけで、何者かの差金なのかもしれない。あるいは全くもってため息のでることに、只の学生のお遊びであった可能性も残っている。
調べる事は多そうだ。
(またひとつ、ろくでもない予定ができちまったよクソが)
――ならばさて、火澄との約束はどうすべきか。今日は断ろうか?
(さっき俺に"あんな形"で接触があったんだ。前みたいに狙われてからじゃ遅い。……万が一襲撃がくるのだとしても、俺と居た方が安全だ……)
いくらなんでも、奴らは幻生心に沸く、かすかな不安。
「なんにせよまずは……待合わせ場所変えないと……」
火澄は1人でも解決してしまうだろうが、元々は景朗が自分で蒔いた種だ。クレア先生を放ってはおけず、彼はその日のうちにカタをつけておく腹積もりだった。
場所と待ち合わせ時間の変更を願うメールを火澄へ打つと、続いて迅速に"人材派遣(マネジメント)"へもメールが送られる。"能力主義(メリトクラート)"とは何者だ、という要件だ。
20分ほど遅れると告げると、火澄からは先に待っていると返事があった。
たっぷりと時間をかけて、寄り道を幾度も織り交ぜて。精一杯尾行に気を遣いながら、景朗は変更した待ち合わせ場所へと到着した。
火澄の姿はなかった。距離的にも時間的にも、とっくに到着していなければおかしかった。彼女の気まぐれでも起きたのか、もしくはトラブルに遭遇したのでもなければ。
ケータイを取り出したものの、待ち人は着信もメールも受け付けてくれなかった。約束の時間になってしまった。連絡が取れない状況だとは思えない。
(着信に気づかないなんてよくある事じゃないか。遅れてるだけじゃんかッ)
つい今さっきの、あの『邂逅』が脳裏にチラついてしまう。もうこうなったら粘着野郎だと思われたって構うものかと、しばし着信音を鳴らしつづけるも、一向に反応はない。
彼女がやってくるであろう方角へと、景朗は少しずつ歩き出した。耳をそばだて、そしてセクハラを心の中で懺悔しつつ、彼女の匂いも同時に探っていく。
時間はかからなかった。ほどなく、聞き慣れた火澄の声を鼓膜が捉えていた。
安心できるかと思えたその瞬間に、思考が凍りついた。
その声は、どこか怯えていた。
彼女は誰かと――誰か数人と、言い争っていた。
たった二十分前に嫌というほど聞かされた、陽比谷たちの声だった。
景朗のなりふり構わぬ全力疾走に、道行く人たちは驚く暇もないようだ。
(急げッ、早く、早くッ!)
予告扱いですみません
なるべく早く追加更新したいから予告扱いにいたしました。
続きもできているのですが、キリのいいところまで書かせてください。
予告扱いにしたからには、一週間以内に更新します。
やります!頑張ります!
なるべく紛らわしくならないように、更新がわかりやすくなるようにタイトルを変えますし、活動報告にも情報を載せる予定です。
なぜ一話にまとめない?というご質問。それに対しては……
中途半端にしておいたほうが、続きを書くモチベーションが維持できる!と言い訳させてください……
感想も、すぐに返信いたします!長らくお待たせいたしました!返信作業、楽しみにやらせていただきます!