とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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episode27:乖離能力(ダイバージェンス)①

 

 

 学生にとっても社会人にとっても週の初めの欝曜日、ではなく月曜日はどこか気分が乗らなかったりするものだ。ご存知の通り"実験"に駆り出され、より輪をかけて後味の悪い思いをした雨月景朗にとっても、週の始まりは最悪の一言に尽きた。

 

 何か気分が明るくなる出来事でもあれば良かったのだろうが、そこから尾を引くように残された一週間も味気のないものだった。

 

 あまつさえ、自分が捕まえた"能力者"の例の二人組がたどった結末を耳にして、あの時楽に死なせておけば、とビルから飛び降り自殺(といっても彼はその程度では怪我すらできない躰であるから、もはや単なる紐なしバンジーと呼ばれるレクリエーションに当たるかもしれない)したくなるほどテンションがド底辺まで降下していた景朗だったが。

 

 

 金曜日の昼下がり。週末をどう過ごそうか、と青髪ピアスは教室で能天気な笑みを浮かべていた。とうとう週の最後まで土日に予定が入らず、幸いにも自由に週末を過ごせそうだったのだ。こと最近に限って言えばそれは珍しい出来事で、気分はようやく上向き始めていた。

 

 

 

「――ちーなーみーにー、先生が専攻していた発火能力(パイロキネシス)も発現する生徒さんが比較的多い種類なのですよ。

 

パイロキネシスの面白さはなんといってもその多様性にあるのです。皆さんもご存知だとは思いますが、炎を特異的に操る能力の系統は一口に発火能力と称されています。ですが、実はその能力の本質は皆それぞれ違っていて、具に調べてみると細かな違いが発見できるのです。

 

発火能力者を発火能力者たらしめている"発火"の仕組み。つまりは炎を生み出す機構(プロセス)についてですが、それはほとんどの場合において個人個人で微妙に異なっているのです。

 

具体的な例を挙げて説明しますと、"発火"のために直接的に分子を振動させて加熱させる能力者もいれば、そうではなくて摩擦熱や電気抵抗による発熱、果ては化学反応熱を原理に用いている能力者もいたりする、ということなのです。

 

不思議ですよね。今お話したように、"発火"を引き起こす原理は人それぞれ違うのに、発火能力者たちは皆、結果的にはその能力を"発火"という同一の現象で導出させるのですから」

 

 

「先生ー、自分が専攻してたからってパイロキネシスばっかり贔屓しないでくださいー」

 

「ち、ちがいますっ!そういうことを言いたいわけではありません!大事なのはこれからです!いいですか?ですから私は、自分の能力に関わる知識だけ知っていればいい、だなんて考えは大間違いだって言いたいのです。

 

 

先ほどのパイロキネシスのお話に戻しましょう。"発火能力者"たちは皆、同じように炎を扱います。ですけどその"発火"の本質は、異なる原理によるものでした。

 

さて、ここで彼ら全員に、とある"発火能力"専用の"能力開発(カリキュラム)"を施すとしましょう。個々人の才能にも目をつぶることにします。皆さんは果たしてそれでも、"カリキュラム"を受けた生徒さん全員に一様に効果が現れる、と予想しますでしょうか?

 

違いますよね。つーまーりー、皆さんの隠されたポテンシャルを100%見抜く技術が未だ確立していない以上、"能力開発(カリキュラム)"は盲目的に受け続けても確実に成果が現れるものではない、ということなのです。だからひとりひとりに適した訓練方法を、皆さんひとりひとりが真剣に学び、創り出していかなければならないのですよ。最後の最後、能力を発動させるのはほかならぬ学生さんたち自身なのですから。

 

そしてそのためには!普段から"未知"を"既知"に変えていこうとする姿勢が必要になってくるのです。

 

科学の発展は日進月歩。学園都市のシステムスキャンも性能は微々たるものですが、比較的短いスパンで性能は向上しています。

 

未だ知りえぬ皆さんの能力の隠された秘密が、ある日突然に発掘される。なんて可能性も十分に起こり得るでしょう。そうなった時に光明を見出すのは恐らく、型にとらわれない幅広い知識や経験となるはずです。ですから、"能力開発"だけでなく、皆さんは今学んでいるどの学問に対しても決して手を抜くべきではないのです!高位能力者を目指す人も、そうでない人も一様に!」

 

 

「先生ー、ちな、先生が知ってる中で一番強い発火能力者ってどんな能力だったんですかー?」

 

「むむ、ここでそういう質問が来ますか。先生としてはもうすこし言いたいことがあったのですけど……ふぅ、くどくなる前に終わりにしておきましょう……。うーん、そうですねー……優秀な発火能力ですかー……あ、もしかしたら皆さんの中にはメディアで"彼"を見かけたことがある人もいるかもしれません――」

 

 黒板の前では相変わらず小さな小萌先生が長々と一生懸命に喋っている。

 

(小萌センセーはホントにもぉー見てるだけで癒されるぜ……)

 

 景朗は確かに、熱心に彼女の説明に耳を傾けている。ただ、肝心の話の内容はどうにも耳から耳へ筒抜けになっているようだ。むしろ甲高いロリボイスを一種の音楽と捉えて"聴いている"状態に近い。

 

 小萌先生に知られればさぞや悲しまれ、必然、クラスメイトにリンチされる羽目になろう。であるのに、彼はとうとう話すら聴かずに、授業とは何の関係もないことを考え始めていた。

 

 情熱的に授業をする彼女の姿を引き金に、なんと景朗は唐突に、"隠れ家"の机の上に放置され今も埃をかぶっているであろう積みゲー(ジャンルは察してください)の存在を思い出していたのだ。

 

 ここでいう"隠れ家"とは、第七学区にある彼の自宅のことではない。

 

 危険な世界に生きるものの心得として、景朗も資金を惜しまず有事の際の"隠れ家(セーフハウス)"、いわゆる秘密基地みたいな物件をいくつか準備している。その場所を知っているのは丹生多気美と……今では仄暗火澄と手纏深咲の2名も頭数に入れねばならないだろうか。"第二位"の襲撃を受け、咄嗟に彼女たち2人を運び込んだのは第七学区にある景朗の自宅ではなく、件の第十学区の隠れ家だったのだから。

 

 セーフハウスと呼べば仰々しくなるが実際のところ、入居数の少ない曰くつきのマンションの一室や、寂れた雑居ビルの一区画などを架空の名義で購入し、そこに武器やら食料やら、通信設備や盗聴器材類を他の暗部の人間の真似をして揃えているだけである。当然に、生活感は微塵もない。唯一、侵入者へのセキュリティだけは強固にかためられている、とは言えるかも知れない。

 

 そのような有様のものだから、どの"隠れ家"もアクション映画のワンカットで使われていそうな無骨な空気を漂わせてい……や、しかしよくよく考えれば、コンピュータの周辺には可愛い萌え絵が所狭しと描かれた"パッケージ"が無造作に置かれており、やはりシュールといえばシュールな光景になっているかもしれない。

 

 

 そう。景朗が思い出したのは、その隠れ家の一室に捨て置かれた未開封のゲームソフトのことだった。

 

(いや~、忙しくて完璧に忘れておりました。これを機に確実に封印を解いておかねばなりますまい)

 

 思いっきり視線を真下に移し、妄想に励む青髪ピアス。しかし、体の大きな彼が授業中にそのような行為を行うと、とても良く目立つ。

 

 うつむく青髪を難なく発見した小萌先生は、小悪魔的なスマイルを浮かべて右手を振りかぶった。

 

「そこっ!青髪ちゃん、ちゃんとお話を聴くのです!」

 

 小さな手から投擲されたチョークの風音を余裕で察知した景朗は、下を向いたまま首をひねって避けた。そして。

 

「あ」

 

 思わず声が漏れた。その理由は不意打ちでチョーク投げを食らったからではなく……。

 

「のわあっ!?」

 

 チョークはすこん、と青髪の背後の席で真面目に授業を聞いていた上条の顔面に直撃した。

 

「ひゃわわっ上条ちゃん大丈夫ですかっ、ごごご、ごめんなさい~」

 

「コラぁ青髪避けてんじゃねえよっ!テメェが喰らうところ楽しみにしてたのにっ!」

 

「うはあしまった!?せっかく小萌センセーが頂戴してくれてはりましたのに!も、もう一発!もう一発お願いします小萌センセーはぁはぁ」

 

 青髪クンのフリもすっかり板についている。よくぞ咄嗟にここまで言えるようになったものだと、景朗の表情が一層緩んだ。

 

「ひっ!?や、やですっ。もう青髪ちゃんにチョークは投げません!」

 

 

 

 

 

 

 

 帰りのHRが終わった。久しぶりの自由な週末がいよいよ目前に迫っていた。が、放課後すぐに、一通のメールが景朗の元へ届く。

 

 差出人は仄暗火澄だった。内容はとても短く、要件だけがきっぱりと告げられていた。

 

[学校に居なかったのでメールします。見たらすぐに電話して下さい]

 

 ちなみに、メールに題名は無い。画面内は白と黒の一辺倒で、絵文字の一つも見当たらない。

 

(このメールは……要するに、喋る覚悟ができたら電話かけて来いや、ってことだよね。現代社会の暗黙のルールだよね。それも多分、きっと猶予は今日の夜いっぱいってところだよね……)

 

 下校途中の生徒が溢れる通学路で、ぴたり、と頭一つ飛び出た男子学生の足が止まった。

 景朗は雑踏の中立ち止まり、ケータイのディスプレイを前にして人知れず緊張の一瞬を迎えたのであった。

 

 

 

 彼の頭の中は、幼馴染の彼女のことでいっぱいだった。

 

 緊張気味に動きを止めたのは、それだけ熱心に考えを巡らせている証拠なのだ。なにせ、優にひと月以上、仄暗火澄と直接会うことはおろか電話で声すら聞いておらず、久しぶりに会話をすることになるのだから。

 

 その原因は五月まで遡る。

 

 約2ヶ月前になるだろうか。"第二位"のせいで火澄と喧嘩してから暫くの間、景朗は彼女とモメ続けた。決着は突かず、7月の今もなお微妙な冷戦状態である。

 

 2人の衝突が始まった当初。全部説明しなさいよ、と吠える彼女に対し、説明してどうなるよ、と景朗はかつてないほど開き直り、強固な姿勢を崩さなかった。

 

 その後も彼は、話して欲しいと願う彼女を撥ね退け続けた。アレイスターや幻生から押し付けられる任務を理由に誘いを断ったのだ。その気になれば話し合う時間は作れていたであろうに。

 

 そうして、いつしか景朗が冷淡な態度を取るうちに、火澄からの反応もそれなりのものに変化してしまっていた。

 

 以後、彼女とはメールや電話で味気のないやり取りが続いている。

 

 完璧に自分が悪い。それくらい景朗とて理解していたのだけれども。

 

(まだ俺を心配してくれている)

 

 それはとてつもなく嬉しい事実だった。今の彼女との関係は心地よいとは言えなくも、彼女から受ける関心は喜ばしいものには違いなかった。

 

 そして景朗はそのことを思うたびに、暗い想像をせずにはいられなくなった。

 

 もし今の自分の真実を知った後、彼女はどう変化するのだろうか。

 

 彼女だけに含まれない。クレア先生たちもそうだ。景朗の真実を知ったあの人たちは、その後一体、どのような視線を自分へ向けるのだろうか……。

 

 

 

 

 "あんな事"があって、彼女たちは被害を受けて、それでもこうして気遣ってくれている。普通なら怖がって、離れていってしまってもなんらおかしくはない。

 

(何なんだろう、この関係は)

 

 それが、火澄との関係を想う彼の偽らざる感想だった。しかしてそのセリフには決して、悪い印象が込められているわけではない。

 

 姉弟のように育ってきたが、家族ではないのだし。恋人なんて呼べる付き合いでもない。極端に両者の関係性を修飾する言葉を削ぎ落せば、単に聖マリア園で二人きりの同学年だった、という話になるのかもしれない。そこに、一等古株の付き合いでもある、と付け加えてもいい。

 

 しかし、今更他人行儀にされたりしたら、自分はまず間違いなく最大級に落ち込む。立ち直れなくなりそうだ。

 

 そんな恐怖と無縁でいられたのは、孤児院を出たあとも彼女との付き合いが続いていたからだ。お互いに少しは憎からず想いあっていた実感があった。だって、思春期を越えた男女が尚あれだけ触れ合いを保てていたのだし。……だが、その事実も過去形になりつつある。

 

 今、危うい状態にあることは分かっていた。しかし、景朗には余計に考えなければならないことと、やらなければならないことが山のように有りすぎて、まごついているうちにあっというまに時間が過ぎて行ってしまうのだ。

 

(畜生。なんだかんだでこんなメールだろうと、連絡が来ると嬉しいんだよ……)

 

 そのメールの要件は最近の彼女にしては珍しく、当たり障りのない内容ではなさそうだった。のこのこ顔を出せばピンチを呼び込む案件なのかもしれないが、景朗には同時にチャンスだとも思えていた。

 

 ふと、手纏深咲の言葉を思い出す。火澄は見たこともないくらい落ち込んでいた、と。

 

 ネガティブに考え過ぎずに、たまにはポジティブに考えよう。

 

 景朗はボタンを押して、電話を耳にかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 電話越しに出迎えたのは居た堪れぬ空気。『電話ありがと』と相手から聞こえるやいなや、感傷的になった景朗の口から飛び出た「いや、いいよ。……あー、久しぶり、元気にしてた?」という柔らかな物言いが。

 

『クレア先生が新しくバイトを雇うかもしれないんだって。その事について話をしましょう』

 

 その台詞で刃物で切断されるかのように断ち切られた。

 

『心配しなくてももう根掘り葉掘り訊かないから。もうそういうつもりは一切無いから安心して』

 

「……おー。……わかった。え?ウチに新しいバイト?」

 

『そーよ。前からそういう案が出てはいたんだけどね。児童の数が膨れ上がりすぎてクレア先生ひとりじゃ厳しすぎるって』

 

「急、だね……」

 

『言ってなかったけど一週間前にも突然小さい子達を四人も押し付けられちゃってたの。クレア先生、結局その子達を引き取ることにしたみたいだから。もう見てられなくって。最近すこーしハクジョーになったとは言え、景朗も流石に今回は助けてくれるかなって思ってね。土日どちらか会って話しましょう。クレア先生がお手伝いさんを雇うまでは私たちがフォローできるでしょ』

 

「……うん。いや、そうだね」

 

『電話じゃ拉致があかないから、土日どっちか空いてないの?

 

 予想していた事態にはならずにホッとしたのも束の間。内心、彼女との関係を進展させる機会にならなくて残念だったりもした。

 

 そんなことを考えていた景朗をハンマーで打ち揺るがすように、新展開が彼を揺さぶった。どう考えても、見捨てて逃げるわけにはいかない要件だった。

 

(全部俺のせいなんだよね……)

 

 つい一週間前にガキんちょを急に四人も押し付けた責任はいつ取る気なんだい、雨月景朗クン?

 心の中の声が、そう言っている。

 

『土日が厳しかったら今日でもいい……けど。アンタさえ良かったらね。どうなの?』

 

「あいやいやいや!今から?!今からかー!えーっと、えーと……」

 

(バイトを雇う?聖マリア園に?それなら身元のちゃんとした人を選ばないと!万が一、幻生やアレイスターの手の人間を引き入れでもしたら、大変なことになる……)

 

『……ちゃんと聞いてる?……ふぅ~ん、まさかとは思うけど、全部私に押し付けようって気?そこまで薄情になっ』「あうや、そんなつもりはないって!」

 

『じゃあ逃がさないからね?ほらもう、いい加減放火されたくなかったらどちらか選びなさい。今日なの?明日なの?明後日なの?』

 

「……じゃぁ、明日で」

 

『約束だからね』

 

 やや憮然とした声色が、通話をぶつ切りにした。

 

「あぁまって火澄……さ……ん……」

 

 通話終了。

 

 ケータイを片手に、景朗は羞恥の念でいっぱいだった。桃色な雰囲気にしてやろうと考えていた自分が、あまりに情けない。

 

 電話を懐にしまい、しばし無言で通学路を歩いていった。人ごみの中で、盛大に孤独を感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほどなく、野良犬の糞を踏んで落ち込んでいる上条の姿を遠くに見つけてしまった。彼めがけて、猛烈と走り出す。

 

「カミやあぁぁぁあああああああああああああああああああああああああん!!!」

 

 声で気づいていたであろうに、上条は鬱陶しそうに前を向いたまま青髪ピアスが近寄るまで一切の反応を返さなかった。

 

「……あんだよもー、うるせーな」

 

「メシっ食いっ行こうっでー!」

 

「あぁ?だから金欠だって言ってんだろ。あ、そうだお前結局いつ金貸してくれんだよ」

 

「せやから今日はボクの奢りや!」

 

「マジか!?それを先に言えよ!」

 

 今の今まで視線を合わせてくれなかった上条当麻君が、ようやく目を合わせてくれた瞬間だった。

 

「カミやん、この間は殴ったり壁に叩き……押し付けたりしてごめんなー」

 

「いつのことだよそれ?いいよいいよ俺だって散々殴ってるし!気にすんな気にすんな!んなことより今日は遠慮なくゴチになりますよー!」

 

 今日はカミやんに好きな物をめいいっぱい食してもらおう。青髪ピアスは目を細めて真夏の太陽を見上げ、ごっそりと冷たくなった背筋を温めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。昼前くらいに仄暗火澄と待ち合わせている景朗は、昨日とは打って変わって上機嫌で第七学区の街中を歩いている。

 

 待ち合わせ場所は第七学区の喫茶店に決まっていた。直接クレア先生たちのいる第十四学区へ行かないのか、と疑問を持ったものの、相手にはひとまず2人で話し合いたいことがあったらしい。お互いに第七学区に住んでいるのだ、それならば近場で合流しようというものだ。

 

 

 だがあいにくと、約束の時間にはまだ少し早かった。そこで景朗は久しぶりに素顔を晒しての、繁華街の散策を楽しんでいるというわけだ。気ままに歩を進めるだけで、左右に列居する昼時の飯屋の香りが鼻に入ってくる。悪くないひと時だった。

 

 

 

 

 ふと、足が止まった。通りの脇で、景朗はポケットの中のケータイを握り締めた。丹生に送ったメールの返信がかえって来たのだ。

 

 それは、とてつもなくセコい策略だった。景朗は、火澄との話し合いがもつれにもつれた場合を想定した。その時に『丹生と約束があったから』と申し出てすみやかに退出できるように、言い訳を作っておこうと彼は考えたのだ。

 

 メールを開く。OKだという返答。急な頼みにも関わらず、丹生は景朗の願いに即答してくれていた。

 

 これで、火澄との約束とはやや遅れた時間帯に丹生と会う約束を取り付けたことになる。要するに、もしも話し合いの場が戦場に変わってしまった時に、スムーズに離脱できるよう退路を作っておく作戦だったのだ。

 

(逃走経路は必ず用意しておく。これ、暗部の極意……この機会に丹生にあの事を説明しなきゃならないしね!)

 

[今日はヒマだったから大丈夫だよ!楽しみ!]

 

 しかしどうにも、丹生の嬉しそうなメッセージを目に留める景朗は、自分は相当にゲスな行いをしているのでは、と後から後から冷や汗が湧いてくるばかりだった。

 

 

 

 

 

 当ても無くふらついていた足先が、いよいよ一つの目的地へと向かい出していく。

 そろそろ約束の喫茶店を目指しても良い時間帯になっていた。

 

 いつにもまして景朗の頬は緩み始めていく。火澄には冷たい態度をとられるかもしれない。それでも、いざとなると景朗はそれを楽しむような心境となっていた。

 つかの間だったが、彼は素顔で歩けて嬉しかった。というよりは、素の自分を待っている人間がいて嬉しい、と言ったほうが近いかもしれない。

 

 どうしてそれだけで喜べるのか。その原因はきっとストレスだ。ここ最近、ずっと別人を演じることを強いられてきた彼の反動なのだ。。

 

 新年度が始まってからは、景朗は絶えず他人の仮面をかぶって生活してきた。まず間違いなく、"雨月景朗"として行動できた時間の方が短かかったはずだ。青髪ピアスというキャラクターの誕生と同時に、"雨月景朗"としての活動の機会も大幅に失われていたのだ。

 

 "悪魔憑き(キマイラ)"、"先祖返り(ダイナソー)"、"不老不死(フェニックス)"、"三頭猟犬(ケルベロス)"。景朗には彼自身が把握していないほどに、いろいろな"顔"と"名前"がある。

 

 それぞれの名前を名乗る時に共通しているのは、決して自分本来の顔を晒してはいけないという事だった。素顔が暗部業界で公になれば、多大なるデメリットが生じてしまう。

 

 雨月景朗たる"人狼症候(ライカンスロウピィ)"は暗部から足を洗った事になっている。今では誰も行方を知らないはずだ。それを知るのは、幻生やアレイスターといった暗部でも上層に位置する役職のものだけだ。

 

 決して気を抜いてはいけなかった。いつだって景朗は他人の仮面をかぶる必要があった。"人狼症候"は"先祖返り"や"不老不死"などではなく、ましてや嫌われ者の"三頭猟犬"とは微塵も関わりはない。そういう事にしておかなければならない。

 

 今では"悪魔憑き"たる雨月景朗は、学園都市でもそうそうたるレア度を誇るキャラクターなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仄暗火澄との待ち合わせ場所まで、まだ幾ばくかの道のりがあった。時間は押してはおらず、景朗はゆっくりと周囲を観察する。

 聴覚も嗅覚も視覚も一級品の彼にとっては、それだけでも味わい深い暇つぶしになっていた。

 目を付けていたカフェの新作ブレンドコーヒーの香り。店員同士の小さな会話は漏れ聞こえ、耳寄りな情報が自動的に耳に飛び込んでくる。他の人間には気が付けない小さなことも、景朗は感じ取れるがゆえに。

 

 そう、そして新たな発見の機会は勿論、良い事も悪い事も関係なく平等にもたらされるものだ。

 

 なんの変哲もない日の、なんの変哲もないその場所で。ただならぬ出会いが、景朗を待ち受けていた。そのことを思い知ったのは、もっと後になってからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 通りの向こう側、正面から現れたその一団は、一際目立っていた。

 

 5人の男女が入り混じった学生の集団だった。なぜ、彼らが注目を集めているのか。その理由は恐らく、彼らの容姿と、その少々突拍子もない行動にある。

 景朗からは少し距離が離れていたものの、彼らを中心に人通りが裂けている。話し声も、彼らの姿も、その全ての様子が筒抜けだった。

 

 

 集団の前列を歩く2人は、男子高校生、だろうか。彼らは2人して仲もよさげに道の中央ではしゃいでいる。

 

「HEY!眞壁さん!」

 

 変声期を思わせる少し高めの掛け声とともに、片方の高校生が小さな何かを軽く宙に放り投げた。一体あれは何なのだろう。景朗には黄緑色の小さな玉にしか見えなかった。

 

 眞壁(まかべ)と呼ばれたもう一人はがっしりとした体格で、背がやや高め。男らしい顔つきで、短く刈った髪型もそれを後押ししている印象だった。歳も景朗より上だろう。

 

 兎角、よく人目についていたのは、その眞壁ではなく、爽やかそうに相手の名前を呼んだ少年の方だった。

 

 簡単に一言で言おう。とんでもないイケメンだった。なかなかお目にかかれないレベルの美男子だったといってもいい。周囲の女の子たちの目線をガッチリ掴んで離さないくらいには。

 

 ピカリ、と景朗の目に小さな火球の灯りがちらついた。それは先程からその2人の男子高校生の間を行ったり来たりしていたものだ。景朗にも、ようやくその正体がわかった。

 

 それは火のついたマシュマロだった。彼らはお互いにマシュマロを投げ合って、空中で燃やして遊んでいる。彼らのどちらかは発火能力者(パイロキネシスト)に違いない。

 

 投げ上げられたマシュマロを上手に口に入れた眞壁なる男は、それを飲み込むとわずかに悔しそうに感想を述べた。

 

「んむ。やっぱお前がやったのが美味いなぁ。ほとんど焦げてねえし……」

 

「眞壁さんは火力強くしすぎなんですよ。じゃあ僕の勝ちって事で。こいつは頂きます」

 

 上等そうな紙の袋を揺らし、イケメン君はさらにイケメン顔を増長させて勝ち誇る。それに当てられたかのように、眞壁の表情は淡々としたものだった。

 

「あー畜生。にしても結構美味かったな、その菓子」

 

「ですね。鷹啄さんありがとう。やっぱり美味しいよこのマシュマロ」

 

 イケメン君が振り向きざまに礼を口にした相手は、後ろを歩く女の子の1人、年頃から中高生に違いない。鷹啄(たかはし)というらしい黒髪ロングの清楚系……いや、あれは清楚ビッチ臭がするな、とその一団に近づきつつある景朗は関係のない邪推を膨らませていた。

 

「そっかー、良かった!この間第六学区に行った時に買ったんだ。あ、陽比谷君それね、たしかマシュマロじゃなくって……ギム……あ、あれ?なんだったかな?」

 

 陽比谷という名前の少年へ、鷹啄は不自然なほどの完璧なスマイルを照射するも、台詞とともに轟沈した、その時。

 

「でしたらそれはギモーヴというフランスのマシュマロみたいなものですよ。フルーツピューレを下地に使ってあるように見えますし。ギモーヴとマシュマロの境界は曖昧なので断言は致しませんけど」

 

 突如、補足が加えられた。躍り出たのはクリーム色のロングヘアーを前髪から編み込み、サイドで太くひとまとめにした女の娘だ。その娘は髪の色、高い身長、丁寧すぎる口調、そしてそのどことなく高圧的で高貴なオーラを醸し出しているところといい、特徴が満載の女子高生であったのだけれど。

 なにより特徴的なのは、美人系の顔つきもそそられるのだがやはり一番は、そのジャージの胸部をこんもりと盛り上げる豊かな膨らみである、と断言できよう。景朗はすこしの間、視線を吸い寄せられてしまった。

 

 岩倉さんなる娘さんは長袖のジャージを着ているが、真夏なのに暑くないのだろうか。そういえばなぜか男子2人もぴったりと張り付くジャージを着用しているが、その割には残りの鷹啄という女の娘と最後に残った中学生くらいの女の子はばっちりと化粧も決めた私服姿であって……。

 

(ありゃ?野郎どものジャージは長点上機のじゃないか。うわぁ誰ひとりとして知らねえ……というか、あの娘、あれ火澄並みの大きさかもしれん………………………………はぁー……)

 

「へえ、岩倉さんよく見てたね。無理もないか、見るからに美味しそうだもんねこれ。それじゃお一つどう?」

 

 イケメソ野郎がギモーヴとやらを片手に微笑むと、きょにy……サイド三つ編みの娘はそっぽを向いた。そうか、あの娘は岩倉さんって言うのか。景朗は悲しき本能に従い、その名前だけは忘れぬように記憶に刻み込む。

 

「……遠慮します。それよりも陽比谷君、先ほどから行儀が悪いですよ。もうお辞めなさい」

 

 セリフの割に、彼女の表情はどこか残念そうにも見えた。陽比谷というクソ野郎のギモーヴが名残惜しかったのか、それとも彼との触れ合いがもったいなかったのか。前者だと景朗は信じたかったが。

 

「ひ、陽比谷君、それじゃ私が」「陽比谷さんください!はいはい!ワタシ欲しいです!」

 

 合間を縫うように顔を出した鷹啄の、その更なる隙を突き、彼らの中で一番年若い少女が身を乗り出していた。元気いっぱいの子供らしい反応。ほかのメンバーからの扱いから察して、彼女はひとりだけ年齢差があるようだ。もしかしたら小学生という線もありそうだった。

 

「やーやーやー、印山(いやま)ちゃんは特別さ。いつだって食べ放題だよほら!いくよー、焼き加減はいかが致しましょう?」

 

「陽比谷さんにお任せしますー!」

 

 ふわり、と火のついたピンク色のマシュマロが放られる。印山という少女の口に入る直前、その灯りは立ち消えた。

 

 背景には、歪な無表情でそれを眺める、残された少女2人。

 眞壁という男はなんかもうスマホをいじっている。景朗も彼を気の毒に思った。

 

 

(そろそろ突っ込んでいいですか?なんなのこいつら人前で堂々と)

 

 突っ込みどころは満載だったが、最も重要なことは、ただひとつ。

 

 それは、たったこれだけの観察でただひとつ理解できたことでもあった。

 

 一言で言おう。

 

(陽比谷って奴が見るからにムカつき野郎なんですけどもうどうしたらいいんでしょう?……いや、別に何もしないけどさ)

 

 次点で、岩倉さんのおぱ……ああもうダメだ。彼女は陽比谷に目が釘付けだ。はぁ?あいつ何?

 

 デルタフォースがその場に集結していれば、絡むか絡まないか真剣に議論していたほどであろう。

 上条はモテやがるのでそれほどでもないのだが、とにかく土御門クンと青髪クンは"ああいう奴"が絶対に許せないのである。隙あらば女子の前で赤っ恥をかかせたい派なのである。

 そしてそういう時こそ、上条クンの出番なのである。強引に2人のチンピラの仲間に引き込まれた上条クンが、結局最後は全ての尻拭いを引き受けてくれるのである。

 

 誤解しないでもらいたいが、あくまで僻み屋なのは青髪クンなのであって、雨月クンではないのである。

 

 その証拠に景朗の顔つきはそよ風に撫でられるがまま、柔和な笑みが浮かんでいる。

 

 ギャ○ゲーに出てきそうなほどテンプレートでムカつくイケメン少年を目撃してしまい、にわかに動揺した景朗だったが、彼はすぐに冷静になった。結論、ほっとけ、と。

 

 

 なにやら今度は男子そっちのけで女子が騒ぎ出したその"一団"を、景朗は素知らぬ顔で横切っていく。

 通り過ぎるその時、一番小さな女の子が自分を散々にガンつけてきていたのだが、それもいつもの事だ、とあえて見逃してやった。

 小さな子供にとっては突然コンクリートジャングルに現れたローランドゴリラが物珍しくてしょうがないのだ、きっと。

 

 

 

 ふと、とりとめもなく何かが気になったのか、景朗は振り返ると彼らの後ろ姿を改めて眺めていた。

 

 そういえば、なんとなくではあるが彼らは高位能力者っぽい雰囲気を醸し出していた。自分が知らないだけで、恐らく彼らの属する学校はどれも有名校だったりするのに違いない。

 陽比谷というイケメソ野郎がなかなか見ないイケメソなのは納得できないこともなかったが、しかしそれにしては注目を集めすぎているような感じも受けたのだ。

 遠巻きにチラチラと一団を(主に陽比谷を)覗く道端の女の子たちの反応もやや大げさなのだ。まるで芸能人に偶然遭遇したかのような盛り上がり方。そう例えても不自然ではない具合だった。

 

 

 何故こんなにも気にかけているのか自分でもわからない。景朗は不思議そうにそう思い付くと、しばし考え、やがて諦めたように背を向けた。

 いつまであんな奴らを気にしているつもりだ、と自分に言い聞かせ、火澄の元へ歩き出そうと踏み出した。

 

 

 まさに、その一歩と同時に。不穏な会話が湧き出ていた。

 

 

「あのオッサンです!」

「あのデカブツか?」

「はいっ!」

「いや確かに"ああ"だけど『オッサン』じゃあ流石にわかりにくいぞ」

「へー、本当にあの巨人くんがかい、印山ちゃん。鷹啄さん、どうかな?」

「……あ、ホントだ。すごいね印山ちゃん。彼、信じられない質量。ざっと300kgは超えてるよ。400kg超えかも!陽比谷くん、アレ当たりじゃない?」

「……皆さん、件の殿方がこちらを見ていますけど?」

 

 

 

 なぜだろう。さっぱり理解ができない。けれど、確かに耳にした『質量』『300kg超え』『400kg超え』という単語が嫌というほど気分を悪くさせてくれる。

 そしてなぜ、奴らは揃いも揃って雁首並べて、この俺を直視しているのだろうか、と。

 

 景朗は直感の赴くまま、真横にひらける路地裏へと走りだした。

 

「鷹啄さんお願い!」

 

 景朗の動きに釣られたのか、あからさまにドバドバと走りだす足音が煩わしい。

 

 角を曲がり、路地裏へと躰を躍動させた。

 

 直後、視界のど真ん中に、ついさっきまで彼らの中心にいたはずの"鷹啄"なる女の子の全身が飛び込んでくる。

 

 この短時間で。景朗に察知させずに。ありえない速度で。

 間違いない、空間移動(テレポート)系だ。

 

 

「待ってくれ!"先祖返り(ダイナソー)"!」

 

 振り向くと、イケメン君がさっきまでとは見違えるようなキラキラ顔で、こちらを覗き込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆ここから新規更新分です!☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

(暗部の連中か?違うな、そんな感じはしないッ。ああクソ、でも顔、顔を見られちまった!マジかよ、ちょっと気を抜けばこれかよ――――クッソ体重だぁ?俺を狙い撃ちしてやがったとしか思えない!)

 

 咄嗟に腕で顔を覆い、景朗は正面の少女へにじり寄る。

 

「いえ!あの!そのッ、これは……っ!」

 

 意外な反応が現れた。自ら通せんぼをするように目の前に飛び出ておきながら、鷹啄という少女はちょこちょこと小刻みに後ずさり、怯えるように両手を突き出してうろたえている。

 

「なあ君!君は"先祖返り(ダイナソー)"なんだろう?」

 

 陽比谷(ひびや)少年はつかつかと、大胆にも大股で近づいて来る。その口ぶりからして、景朗の正体を"超能力者(レベル5)"だと見抜いているはずだ。しかし彼の態度には一切の怯みは無く、言い換えれば強気の自信が見て取れた。

 

「ああちょちょちょ、近寄らないで!……くださぃ」

 

 その怯え様からして、目の前の少女は苦もなく鎮圧できそうだった。

 

(どうする?逃げようか?こいつを眠らせて煙に巻いて、それでややこしくならずに済むか……?)

 

 既に、"雨月景朗"の出番は短かくも終わりを告げていた。危機を悟ったその瞬間。本来の自分の素顔と酷似した、しかしよく見れば別人の人相へと、徐々に顔を変形させていたのだ。当然、相手に悟らせないようにゆっくりと時間をかけながらだ。

 

「不躾な真似をしてすまない!でもどうしても君に用があったんだ。なあ、そっちに行ってもいいかい?」

 

(落ち着け。ここで逃げたって何もかもがわからないままだ)

 

 記憶を必死に辿るも、奴らに写真か何かを撮られた様子はなかったはずだ、それならば……と考え直す。

 

「ああ、あとね、その娘は僕の頼みを聞いてくれているだけなんだ。変わって僕が非礼を詫びるよ。だから乱暴な事は抑えてほしい!」

 

(あいつは"先祖返り"って口にしてるんだ。"その辺"はバレちまってるってことだ。問題はどの辺までバレてるか……。俺が"肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)"だって知ってるんなら、"今さっき見せた俺のツラ"なんて奴らは宛にしない?……そんなわけない。ああもういい!賭けだ)

 

 "五人組"が無性に気になっていたのは、なんてことはない。持ち前の第六感が『ややこしいことになるぞ』とざわついていただけだったのだ。

 

 どうしてその時にそう理解できなかったのか。今になってようやくその違和感に気づいていた。それは景朗が"賭け"に打って出る理由でもあった。

 

 今尚、こうして路地裏で挟み撃ちにされている。それでも。

 "こちらへ害を成そうという敵意"のようなものは、微塵も感じられていない。

 

 その気になれば簡単に行方を眩ませられる自信はある。しかし、更なる災厄を防がんとするならば、時として危うい手法に打って出なければならない状況も存在し得る。

 

(仕方ない。ここまでして一体何の狙いがあるのか。……聞くだけ聞かせてもらおうじゃないか。どうして探してた?こいつらなんで俺を探してたんだよ……っ)

 

 動きを止めた景朗を合図としたのか、少年は一人、迷いもなく接触を図ってくる。路地裏の入口付近では興味深そうに、ほかの学生たちがこちらの様子を観察してくれている。

 

 間も無く、背後で少女の息遣いが前触れ無く消失した。続いて、ふわり、とした着地音。鷹啄は陽比谷少年の真後ろへと出現した。やはり、鷹啄は空間移動系能力者(テレポーター)だ。

 

「やぁ、突然すまないね、あー、"先祖返り(ダイナソー)"さん、で間違いないよね?……否定はしないか。ふふ、会えて嬉しいよ」

 

 陽比谷が目配せすると、鷹啄はもう一度テレポートをしてみせた。路地裏入口の仲間の元へと転移して、合流している。

 

 それを見届けつつ、陽比谷はとうとう景朗の傍に寄り立った。自信溢れる彼も、多少は緊張を感じているらしい。その真剣な面差しの中で、口元だけが隠しきれない笑みをこぼしている。いわゆる、目は笑っていないというやつだ。

 

「僕は陽比谷天鼓(ひびやてんく)ってものです。長点上機の一年だ。ずっとお会いしたかった」

 

 不気味なアルカイックスマイルとともに、彼は右手を差し出した。

 

 陽比谷天鼓。甘いマスクに、きっちり鍛えられたモデル体型。ハリウッド映画で似たような俳優を見かけたような、そんな気にさせる雰囲気で……サッカー選手みたいなソフモヒにキラリと光るピアスがマッチしすぎで……完全なるムカつき野郎で……。

 

 勿論、そんな下らない事が理由ではなかったけれど。そのチャンスを景朗は見逃さなかった。

 

 

 

「――痛ッ!?」

 

 無言のまま握手を返した景朗は、彼のむき出しの手のひらに"針"を突き刺した。それは陽比谷少年の血液と皮膚組織をわずかに剥ぎ取り、彼の誤魔化しようのない個人情報を景朗へともたらした。

 

 痛みを感じた相手は驚いて右手を振り払い、たまらず数歩退けぞった。彼の血相が変わる。

 同様に、状況も一変してしまっていた。

 

 数メートル後ろで力強い足音。路地裏の反対側、景朗を挟撃するような位置に眞壁がテレポートで転送されていた。彼は左腕を真っ直ぐに伸ばす。その手首には、小型の"クロスボウ"のようなものが装着されている。

 一方、路地裏の入口では岩倉が弓のようなもの――"洋弓(アーチェリー)"を構え、引き絞る。

 どちらの凶器も、その狙いは寸分狂わず景朗へと向けられている。

 

「なんだいこれは?」

 

 不機嫌さと軽口が混ぜ合わさった、相手に緊迫感を与えるような声色で景朗は問いかけた。

 

 

「やめろ!僕は大丈夫だ!」

 

 陽比谷は決して目の前の男から目を逸らさずに、そう叫んだ。

 

「陽比谷はやく離れろ!」「陽比谷君こちらへ!」

 

「無礼に無礼な挨拶で返したまでさ。で、なんの真似かなこれは?結局俺をリンチするのかな?」

 

「勿論違うさ"先祖返り(ダイナソー)"。いいから下ろせ!大丈夫だって言ってるだろ!」

 

「見てて危なっかしいんだよ!第一本当にそいつなのか?」

 

 ちゃりん、という小さな金属音が、眞壁の背中から聴こえてきた。彼の右腕は後ろに回されている。まだ凶器を隠し持っているようだ。

 

 試しにつついただけで、これほど穏やかならぬ空間が出来上がってしまうとは。暴力で決着を付ける羽目になるかも知れない。景朗は薄々、そう思い始めていたのだが。

 

「たぶん正解だ!わかったら今すぐしまえ!彼を刺激するな!ほらはやく!」

 

 陽比谷の説得に渋々といった様子で、岩倉と眞壁は武器を下げた。後には、鷹啄と印山の敵意のこもった視線だけが残されている。

 

「はぁ……。ごめんごめん、そこの陽比谷クンとやらには何もしてないよ。ちょっとした冗談さ。でもま、おかげで君たちの血の気の多さがよおくわかったよ」

 

「すまないね、勘違いしないでくれ」

 

 焦りの次は疲れた表情を顔に滲ませた様子の陽比谷。依然として彼には敵意が無い。

 

「そこの貴方!陽比谷君に何をしたんです?!」

 

「大丈夫!心配ないよ岩倉さん!僕は大丈夫さ。なんともな……なぁ"先祖返り(ダイナソー)"、本当に何もしてないんだよな?マジで何もないんだね?これ」

 

「言っとくけど、俺は今怒ってる。先に仕掛けたのは君たちの方だって忘れるなよ?誰だってあんなやり方で無理やりほじくり出されちゃ機嫌のひとつやふたつ悪くなるさ!」

 

「あのダイナソー、これ何したのかな?ちょっと確認いいかい?ねえ?」

 

「イタズラで針を刺しただけだ心配するな。そんな事より――――」

 

 

 景朗を除いては、誰も察知できていなかった。口を動かすその間、景朗は使い慣れた催眠針を神速の吹き矢の如く、鷹啄の首筋へと射出していた。

 

 針の中身は極微量の、"悪魔憑き"特製の"体晶エキス"だ。"耐性の無い能力者"なら、それを喰らえばまともに能力を使えなくなるだろう。

 

 何も気づいていない仲間の後ろで鷹啄は貧血のようにふらつき、必死に両足で大地を踏みしめている。

 

「――俺に何の目的があって探してた?どこで俺のことを知った?はっきり言っとくぜ、全部吐き出すまで誰ひとりここから逃がさない。さあ、お望み通りちょっとお話でもしようか?」

 

 その瞬間。景朗は頭一つ低い背丈の陽比谷の首に腕を回し、がしり、と引き寄せた。彼の仲間に動揺が走る。

 

 

 しかし。

 

 

「なんだ、君もその気か」

 

 組み付かれた本人は、欠片も動じてはいなかった。不可思議にも逆の反応を見せていた。

 事ここに至り。そこで初めて、陽比谷は心から嬉しそうに。

 獰猛な笑みを浴びせてきたのだ。

 

「……いいねぇ。じゃあ僕もひとつ言っておこう。僕らは"リンチ"しに来た訳じゃない。"喧嘩"はしない。似ているようで確実に違うからね。だからやるのは"決闘"さ」

 

「けっとう?」

 

「どうやら君は僕らのことを何一つ知らないらしいね。いやぁ!そこもまた嬉しいよ!」

 

 景朗は徐に違和感を感じ取った。周囲の空気が異様に発熱している。温度が群を抜いて上昇をみせている。それは圧倒的だった。今にもそこらじゅうから火が付きそうなほどに!

 

「まあ知っていてくれたら話は早かったんだけどね。僕らは"能力主義(メリトクラート)"だ!この言い方なら君にもわかるかな?

"学生決闘(メンズーア)"さ!まだるっこしい事は何もないぜ"先祖返り(ダイナソー)"!君を探してた理由なら、僕に勝てば教えよう!」

 

 密着していた景朗と陽比谷の間で、突如爆発が生じた。

 景朗の目の前は炎で輝き、耳は爆音で塞がり、鼻腔は炙られる。

 

 陽比谷の着用していたジャージが、奇妙にも一瞬で燃え尽きていた。

 その刹那、強腕と服との摩擦も等しく消え失せる。器用にも、その瞬間を狙った者がいたようだ。

 

 爆発は一度ではなかった。炸裂は合間なく幾度も続く。

 生み出される圧空。そのすべてが、陽比谷の動きを都合よく追従していった。

 翻弄されるかに思えた彼の肉体は風に乗り、高速の機動を描き出す。

 

 景朗の腕が宙を掻く。

 陽比谷がその豪腕をするりとくぐり抜けたのだ。

 跳ね退る彼の履いていたスパイクが、ギャリギャリとコンクリートに火花を散らす。

 

 まんまと逃げおおせた相手は、したり顔で景朗へと臨む。

 

 燃え尽きた服の下からは、如何にも機能的なスーツが露出している。

 ひと目で学園都市製の元だとわかる一品だった。

 それは、ところどころに衝撃を吸収するような繊維が織り込まれた、特注の耐熱スーツだった。

 

 しかして、そのスーツにも防げなかった部位があったようだ。

 人間の躰の部位で、最も燃えやすいパーツは髪の毛である。摂氏233℃で発火する。

 

 陽比谷は特殊な整髪料を塗りこんでいたようだが、僅かにチラチラと彼の毛髪は焦げ付いてしまっている。

 

 滞る熱気の中心から、やや困惑した景朗の声が響いた。手を出してしまうか否か決めかねているのか、彼はじっとりと陽比谷少年を睨む。

 

「何を言ってるのか全然わからん!?ちょ、おい待てやる気か!?いいのかッ、お前たった今荒事を回避しようとしてたんじゃないのか?」

 

 一般人ならば間違いなく意識を手放している。爆発はそれほどの衝撃だった。だが、何事もなかったかのように景朗は平然と待ち受けている。

 

 その様子に、陽比谷少年は期待に胸を大きく躍らせた。ゴキゲンなままで、楽しそうに自らの素性を語り始めるほどに。

 

「いいかい"先祖返り(ダイナソー)"、僕の能力は"熔断能力(プラズマジェット)"って呼ばれてる。見ての通り発火能力(パイロキネシス)の大能力者(レベル4)だ。よし、これでお互いに"武器"は知ったな!」

 

 路地裏の湿気った空気がまるごと乾燥を通り越して、ひりついた痛みを肌に伝え始めた。

 陽比谷が颯爽と髪をすくいあげると、途端に燃える頭髪は勢いを無くしていく。

 好戦的な目つきとともに、彼は一方的に宣言した。

 

「さぁ始めよう!一丁稽古をつけてくれよッ"超能力者(レベル5)"!」

 

「何をだ!?お前いい加減に……っ!」

 

「だから決闘だよ!これ以上知りたければ僕に勝て!それでいいだろ?」

 

 どこからともなく取り出した手袋を手にはめると、そのまま陽比谷は路地裏の側壁に伝わっていた細い金属製の配管に手をかけ、握りしめた。直後。

 

 配管は長さ1mほどに両端を切り落とされ、ぽろりと転がり落ちた。断面は赤熱し、蒸気を吹き上げている。熱で焼き切られたような、綺麗な切断面だった。

 

 出来上がった鉄パイプを肩に担ぎ、いよいよ相手は臨戦態勢に入っている。

 

 

 状況が飲み込めない景朗は彼の仲間の様子を窺うも、そこには。

 

「無茶はするな!今お前がいなくなったら俺らヤバんだからな、そこんとこ忘れるな。っしゃあじゃあ行け、陽比谷!」

 

「鷹啄さんがふらついてます」「どうせ陽比谷君とあの殿方との絡みを拝見したせいでしょう。ほっときなさい。それよりもほら、始まりますよ」「うへへ……ひびやくん……いまのよかったよぅ……ぃひひ……」

 

 陽比谷少年の健闘を観覧しようと、呑気に壁に寄りかかる少年少女たち。

 ジャージ組の2人、眞壁と岩倉は完全には警戒を解いてはいなかった。だがやはり、しっとりとした目線を景朗へ送っているように見えて、結局はまざまざと顔面に『好奇心』と書いてある。

 

 毒気が抜かれていく光景だった。問答無用で自分から襲ってしまおうかと決断しかけていた気勢が、猛烈に削がれていく。

 まさかこちらがたじろぐ状況に陥ろうとは。さっぱりと次の手を決めあぐねていた。

 すわ襲撃か。巧妙な手口の敵対行為かと思いきや、"能力主義(メリトクラート)"と名乗った一団はあまりに隙だらけだった。

 すっかり暗部に染まっている景朗は『全員を一瞬にして無力化し、拉致監禁、尋問を行おう』かと画策しかけていた。

 それが馬鹿馬鹿しくなるほどに、彼らは微温(ぬる)くて素人臭い。

 

 どこに暗部の芽が潜んでいるかはわからないものだ。用事に用心を重ねる必要がある。安易に気を許してはいけない。

 それでも、ここまで無用心な彼らを前にしては……。まるで無垢な赤子の首を、容赦なく絞め落とすような罪悪感を感じずにはいられない。

 

 

「ああもうッ。お前最初からッ、一から説明しろッ。この状況は一体何なんだ?」

 

「まだなにかあるのかい!?」

 

 景朗がそもそも何を理解していないのか、まずそこから理解ができていない。相対する発火能力者の表情はそう物語っている。

 

「全部だバカ野郎!」

 

 陽比谷が口にした単語をひとつひとつ紐解いていく。必死に記憶をたどると、そこでひとつの知識に景朗は思い至った。

 

「あぁ……待て!そうかめんずーあ、メンズーアって……"学生決闘"か?お前ら"決闘厨"ってヤツか?!」

 

 景朗が言い放った"決闘厨"という単語。それは学園都市に住まう学生ならば、一度は耳にする言葉だった。

 

 

 学園都市の能力者、"無能力者(レベル0)"を含めたほとんど全ての少年少女たちの願望は時代にとらわれず、いつだってひとつの願いに集約している。

 

 『能力強度の上昇(レベルアップ)』

 

 それは、その街で生きるものにとって、彼らの生活、況や"彼らの世界"そのものを変革しうる可能性を秘めている。

 多感なティーンエイジャーたちは夢にまで見て、ひたすらに祈り続けるのだ。

 "レベル"が上がれば、他人からの見る目が変わる。扱いが変わる。交友関係が変わる。

 

 "レベル"は学生社会を支配する『身分制度』そのものだから。

 『高位能力への覚醒』はいつだってもっとも確実で、もっともスマートで、もっとも手っ取り早い『ステータス獲得』への一番の近道なのだ。

 

 

 

 

「如何にも。……あれ?君ってそこから知らないのか?」

 

「知らん!」

 

 

 

 然るに。学生たちは常に、己の精神(パーソナルリアリティ)を磨く訓練を模索し続けてきた。

 その歴史の中で当然のように、彼らは一つの手法に目を付け、やがては単純なロジックのもとに"そこ"にたどり着いた。

 

 "能力"は脳に由来する。どんな子供でも知っている事実だ。では人間の脳とはどのような状況において、最上の活性化を果たすのか。

 

 アスリートたちが集中力を極限まで研ぎ澄ませる瞬間か。チェスプレイヤーが数十手先の盤上を脳裏に刻む瞬間か。生と死の狭間、人と人が殺し合う戦争の最中か。

 

 彼らが共通して重要視したのは、そこに『競争がある』『優劣を競う状況が存在する』という点だった。つまり、"闘争"だ。

 

 体力、知力、精神。心、技、体。それらを全て研磨する方法とは。

 学園都市の技術的サポートを受けられない平時に、学生たち同士で自己を鍛え合う手法とは。

 

 近代におけるドイツやオーストリアなどの一部のヨーロッパ地域では、名誉や自己鍛錬の名のもとに、"本物の刀剣や銃器"を用いた"決闘"が盛んに行われていた。当然の如く死傷者は続出したが、その行為は賛美され色褪せることなく今でも名残は残っている。

 

 21世紀の現代。極東の果ての島国で。一部の"能力者"たちは、科学と現代倫理の名のもとに生み出した。

 

 すなはち、"能力"を用いた"決闘行為"だ。

 

 そしてその中には、とりわけ"頂点"を目指し、流血すら厭わず自ら"決闘"に望む高位能力者たちがいた。彼らは古きドイツの気風に習い(そして幾ばくかの厨二を患い)、"決闘行為"をそのままこう呼んでいる。

 

 "学生決闘(メンズーア)"、と。

 

 

 

「陽比谷君。やはりその方は私たちの流儀をご存知ないのでは。愛しの"第六位"様に出会えたことは祝福致しますけど、すこしはしゃぎ過ぎです。先に説明して差し上げなさいな」

 

「……そうだね、そうしようか」

 

 

 

 "決闘"に臨む者たちは互いに集い、街には決闘集団が乱立した。中にはカルト的人気を博す者たちも生まれはしたが、ほとんどは単なる迷惑集団として扱われていった。

 無理もないことだった。路地裏でいきなりガチバトルを始める危なっかしい連中なのだから。

 "常盤台の電撃姫"がしょっちゅうお戯れになる顔ぶれも、十中八九彼らである。

 

 ゆえに、平和を愛する生徒たちからは"決闘厨"と野次られている。

 

 

 

「僕たちは君が言ったとおりの"決闘厨"で間違いないよ!けどね――約束するよ。僕ら"能力主義(メリトクラート)"は一味違う。

 

僕たちは全員が真剣に――"八番目(エースブランド)"を目指す――学園都市"唯一最強"の"大能力者軍団"なのさ!

 

改めて自己紹介することにしよう。君に本気を出してもらうためにね!

 

僕は陽比谷天鼓(ひびやてんく)。僭越ながらRIPPAC, 粒演研, 総宇験, 新技研高エネ物理部門の『専属被検生』であり――」

 

(こいつ1人にお抱え研究機関が4つ?……なるほど、しょうもない"能力"って訳じゃないらしい)

 

 

 陽比谷は口上の途中で黒光りするサングラスを取り出した。手馴れた手つきで片手でそれを掛けると、続いてくるくると鉄パイプを回しだす。

 途端に金属管の両端が激しい発熱で白く輝き、光の円輪が揺れ動く。

 

 

「――その理由たる僕の力、"乖離能力(ダイバージェンス)"は――これでも一応、"学園都市最高の発火能力"の看板を掲げさせてもらっているよ!

次期"八番目(エースブランド)"の最有力候補だとも言わせてもらおう!

あとは……そうだね、自慢じゃないがモデル業を少々やらせて貰っているよ。ファッション雑誌ParaForceの表紙7回, 同誌企画:春季男前高校生ランキング堂々1位、ブランドShockの現キャンペーンモデル、僕の顔はご存知ないかい?!

いやあ、はは、恥ずかしい!でも……

さぁどうだい"第六位"クン!次期"八人目"たる僕に、興味は沸いたかな?」

 

 

 




次話も6割は書けています。
この連休中に投稿する予定です。
ちょっとだけ期待して待って頂いても構わないかも……しれないです。

作者としてはこれからの話を書くのが楽しくて楽しくて!
熱が蘇ってきてます!



実際に書いてみて愕然としたんですけど……orz
陽比谷くん思ったより寒いです……大丈夫かなぁ……
この話以降、女の子の新キャラが一杯増えていきます。新ヒロインはキャラを出し切った上でお答えさせて頂く、というのでもOKでしょうか。
誰がヒロインになるのか当ててみてください

と、こういうことを言い出しているわけで。頑張ってマを開けないように更新しなければなりませんね。次の話は特急で出さないと皆さん白けてしまいますよね。新ヒロインを名言できるまではフルスロットルでいきます。どうかお待ちくださいOTL




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