とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

30 / 55
episode26:一方通行(アクセラレータ)③

 

 

 街灯に群がる羽虫が白く映えるほどに、暗がりが空を覆い尽くしていた。時刻は午後10時をわずかに過ぎた頃合だ。

 

 景朗は明かりの消えたビルの屋上に身を潜ませていた。そのビルは見晴らしが良い場所に立地しており、昼間のうちに目をつけておいた物件だ。そこからは労せずして、その日の夜半の"実験"区域を一望できたのだ。

 

 

 ほどなく前に、"実験開始"の報が届いていた。景朗は相も変わらず不審な影を探るように、注意深く"工芸の街"を見下ろしている。

 

 街は静かだった。

 

 一部のエリアは不気味さを感じるほどに、完璧に人気を失っている。それは当然に、いくら学園都市であろうとも不自然な光景だった。

 

 どれほど高度に発達した都市機能を持ち合わせていようと、所詮は"学園都市"。「学生の街」には違いない。寮や下宿先の門限を守らない自由な生徒たちの姿は、どの学区であろうと一定数は見かけられるものなのだ。

 

 にも関わらず今この時は、景朗の望するそのエリアには、見事なほどに人っ子一人見当たらずにいる。街に住まう人間が目にすれば、さぞや誰もが、その異様さに眉をひそめることだろう。

 

 

 景朗はどうしても、そこから更に深く考えさせられるのだ。

 

 そう。目の前に存在する、この不自然な"停滞"こそが。"実験"が街の意思そのものであることを証明しているのではないか。そう思えてならないのだ。

 

 

 "絶対能力進化計画"。それがしばしば幻生に命令され、護衛する"実験"の通称らしきものだ。正式名がどんなものかは聞かされていない。勿論、効率よく警備する必要上、実験の要点だけは説明を受けている。

 

 実験には、堅守すべきいくつかの条件らしきものがあるらしい。その1, マカロニウエスタンなカウボーイ同士の決闘のように、"第一位"は"ミサカクローンズ"を一対一で殺傷しなければならない。その2, その"決闘"には余計な茶々をいれさせてはならない。その3, なるべく人目から隠さねばならない。

 

 面倒な条件が出されたものだと、うな垂れそうになった景朗を救ったのは意外な人物だった。

 

 "一方通行(アクセラレータ)"。それは、実験のキーパーソンご本人様だった。

 

 "第一位"はその名に恥じぬ器用さで"実験"を軽やかに終了させていった。外野が横槍を入れて世話を焼く必要すら無かった。"彼女達"は数分も粘りきれずに消費されていく。今のところ、彼らの戦いが人目に付く危険性すら感じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 とは言え、"三頭猟犬"が呼び出される以上は、"能力者"との戦闘が予想されるということだ。"能力"はその使われ方や工夫次第で、思いもよらない被害をもたらし得る。

 

 ビル風に強く晒されつつ、景朗は暗鬱そうに唇を噛んだ。彼の表情はどこか忌々しそうに歪んでいた。緊張に満ちた姿勢でしきりに辺り一面を警戒しつつ、たびたび忌々しそうに空に目を交わしている。

 

 

 彼の頭上、遥か上空を、沢山の小さな影が浮遊していた。その中のいくつかが、景朗にとっては極上に耳障りな超音波をやたらめったに発していたのだ。

 

 

 空飛ぶ小さな影たちの正体。それは、監視用小型無人飛行機(ドローン)の編隊だった。未だ世界に類を見ない、有機的な形状の飛行機の群れ。どれもが学園都市の最新モデルであり、複数の機影は規律正しくマルチリンクされた軌道を描いている。恐らくそれは、世界広しといえども唯一、この街の上空でしかお目にかかれない光景だろう。

 

 無数の機械の瞳はエリア全域をカバーするように監視に目を光らせている。まっとうな手段であれば、あの監視網をくぐり抜けるのは至難の業となるはずだ。

 

 

 今一度深く視線を下ろせば、一見して無人にしか見えない通りがあった。だがそこにも、闇に溶け込んだ同僚たちが潜伏している手はずである。これほど距離が離れてしまえば、誰が何処にいるのかまるで掴み取れない。彼らも皆、腐っても暗部の戦闘員だったということだ。

 

 闖入者への対策は十分だろうか。景朗は"実験"に疑問を抱いている。さりとて、横槍を入れられて"妹達"が犠牲になるのも、そうして"実験"そのものの価値すら失われることも、釈然とはしないのだ。

 

 

 

 

 突風が吹きすさび、夜風が景朗の躰を強く押さえつけた。

 

 それにしても――。

 

 暗部の人員による全力の警戒網。そこでは一般人の往来すらも完璧に途絶されている。故に、街は静かなものだった。

 

  ――"第一位"の醜悪な嘲笑と、必死に延命を図る"ミサカクローン"の残響を除けば、の話となるが。

 

 景朗の鼓膜が、ついに甲高い少女の悲鳴を捉えた。どうやらあちらもひと区切りついたらしい。あと5度あの断末魔を聞けば、とりあえずは家に帰れる。

 

 悲鳴だけじゃ、何号が死んだかなんてわからないな。

 

 何度も浮かびすぎて、とうに錆び付いてしまった感想。それがぽつり、と景朗の麻痺した脳裏に到来した。

 

 ミサカ9632号とも短い付き合いだったな、とそれだけ悼むと。彼の冷めた脳みそはあっさりと、降って沸いた別の問題に意識を向けていった。

 

 

 景朗は最初から、妙に引っかかっていた。"人道派"、もとい"反実験派"の先日の"襲撃"からまだ二日と間が空いていない。やけに早すぎる。今までの襲撃はどれも一週間以上時間を置いて、散発的に行われてきた。

 

 本当に今日も襲撃があるのか。ここでむざむざ悩まずとも、これから直ぐに結果はわかるのだけれども。景朗は徒労感を感じつつも、思考を止めずに推理を尖らせつづけていた。

 

 

 

 景朗は今までに4度、"実験"の警備に駆り出されている。全ての"実験"に呼び出されているわけではない。自分がいつ召集を受けるのか、おそらくそれは、襲撃犯のメンツに原因がある。

 

 実際に襲撃があったのはそのうちの3度である。その全てにおいて、襲撃犯たちの編成に"能力者"たちが組み込まれていた。深く推察せずとも、"三頭猟犬"が現場に駆り出される要因は明白だ。対能力者戦への保険なのだ。

 

 だとすれば。否応なしに記憶に掘り返される、二日前に知った"幻想御手"という存在。能力者の性能を飛躍的に上昇させ得る代物が、今、この街には存在する。

 

 これからは、能力者の襲撃が増え易くなるだろう。必然的に、己の出番も――。

 

 ちくり、と小さく心が痛む。3度の襲撃は全て未然に防がれている。横槍を入れた者共の末路は悲惨なものだった。気になった景朗が調査したところ、彼らの身に何が起こったのか、意図的に漏らされたのだと思える程簡単に情報は流れてきた。全員が拷問され、実験材料にされ……まるで"見せしめ"であるかのような最後を迎えている。

 

 "推進派"は"三頭猟犬"を示威的に使い、"反対派"を押さえつけようとしている。

 

 元をたどればどちらも同じ"統括理事会"へとたどり着くのであろうに。まるでマッチポンプのような今回の件で、景朗はほとほと理解した。

 

 この街の闇にはまるでヒュドラのように、沢山の頭(指令系統)が存在するのだと。明らかに一枚岩ではない。

 

 実験の情報がどこからともなく漏れ出し、"反対派"が闖入者を呼び込む。今度は"推進派"がその襲撃を予知し、対抗策を練る。

 

 お互いが互いの足元を突き止めようと、"実験"の裏では上層部による苛烈な探り合いが同時進行していることだろう。使いやすい人材は捨て駒にできる者たちであり、そしてそれは……何も知らない素人や、経験の浅い新人たちとなる。

 

(全員、"俺たち"の餌食だろうなぁ)

 

 

 

 静かな夜を引き裂くように、彼方から銃撃音がばら蒔かれ始めた。次の実験が始まった。

 

 自分たちの役目もここからが本番だぞ、と景朗は頭から余計な考えを抜き去ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月1日、月曜日。闇夜の第九学区、その中でも、専門学校の密集する区域。そこは"三頭猟犬"を筆頭に、空も地も、その窖、地下さえも、無数の罠で埋め尽くされていた。

 

 悪魔の名を冠した殺戮者が朱い眼を光らせる、只中だった。

 

 

 ところがだ。件の雨月景朗でさえも、未だ気づけていなかった。誰も気づいていなかった。既に、侵入者が存在していたこと。そして彼らが、その牙を晒す寸前であったということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで張り巡らされた不可視の網を潜るように。光から秘匿された一対の影が、その人気の失われた空の真っ只中を、堂々と音もなく飛翔していたのである。

 

 

 一対の影。正しく言えば、それは影と表現してよいものかも戸惑われた。何せ、全くもって目に映らない。透明なのだ。完全なる不可視。言うなれば、二つの人型の空白。

 

 

 

 その正体は、奇怪な繊維で覆われた分厚い駆動鎧(パワードスーツ)であった。当然のごとく、内部には操縦者が詰まっている。

 

 彼ら二人が身に纏う駆動鎧は全く同じモデルであったが、正式な名称は存在していない。駆動鎧開発の傍流に生まれた名も無き試作機であった。敢えて無理矢理にナンバリングを行えば、最新の正式採用機種たるHsPSMCD-01、その後身の機種とみなし、その機体は"HsPSMCD-02"と名付けることもできるかもしれない。

 

 読んで字のごとく、その駆動鎧はクローキングデバイス(Cloaking Device)をマウント(Mounted)されたタイプである。一般的に言われるところのステルス機能を搭載された駆動鎧であり、電子戦を想定されて開発されたものだった。

 

 学園都市が米国における市街戦を主眼に置いて開発した先行機、HsPSMCD-01は十分すぎる性能を叩き出した。しかし、兵器開発に連なる発想を行うものたちは得てして際限なく、要求を膨らませていくものだ。

 

 米軍を想定下に安定した性能を発揮したHsPSMCD-01だが、開発を要求した者たちはいざ成果を得るとなると、今度はこぞってその"対象"を学園都市のセキュリティシステムに向けるようになった。ところがさすがに、相手が学園都市ともなればHsPSMCD-01は非常に心もとない代物になりさがってしまう。それが、HsPSMCD-02以降の機体が計画された背景となる。

 

 そうした経緯の元で開発されることとなったHsPSMCD-02は、設計過程で強固な光・電波技術を持つ学園都市のセキュリティがネックとなり、いくつかの性能に目をつぶられることになる。

 

 代償とされたのは重量と稼働時間であった。機体は通常の駆動鎧と比して大型となった上に、稼働時間は大幅に短くなった。その代わりに、現行の学園都市の索敵機器やドローン、セキュリティカメラをほぼ無効化できるステルス能力を獲得するに至っている。

 

 最終的な計画の進退は、とうとう実践テストに委ねられた。そして結局は、開発は失敗に終わったということになる。

 

 駆動鎧としては看過できぬ機動性の低下、さらに新たに浮上した静音性の問題が致命打になった。HsPSMCD-02は欠陥機とみなされ、後継機は未だ開発途中にある。

 

 

 

 

 

 

 侵入者の影二つは、迷いなく上空を突き進む。

 

 確たるステルス機能をもたらす駆動鎧だったが、飛行機能など有りはしなかった。その飛翔は、純粋に彼らの"能力"によって実現されていた。

 

 景朗の予想は現実となった。侵入者の両名はともに"能力"を有し、同時に"幻想御手"の影響をその身に宿していたのだ。

 

 

 空を裂く二つの影。そのシルエット二つは、親が子を背負うように二人折り重なり一体と化している。グライダーを背負うかのように躯を水平に倒した姿勢で、そのまま滑空してみせている。

 

 

 ひとりは、その能力を"念膜帆凧(ベラムカイト)"といった。念動力で生み出した仮想の膜を凧のように広げ、その膜が受けた力、風力などを別の方向へ受け流す能力だ。念力の薄膜は大空を滑空する力と、大気を音もなく切り裂く静音性を両立させている。

 

 その"ベラムカイト"に吊り下がるように、背を寄せて連結されているもう1人、彼の能力名は"目方不足(ドロップウェイト)"。名の通り、物体の重量を軽減させられる力。まっすぐ上方へと、重力の作用する反対の方向へと物体を引き上げる力を発生させる"念動能力(テレキネシス)"の一種であった。

 

 

 "ドロップウェイト"が駆動鎧の重量を軽減し、"ベラムカイト"が飛翔を担当する。同時に、宙を浮くドローンと地べたに潜む歩哨の眼は、駆動鎧が欺く。

 

 二つの能力と兵装の交錯が、暗部の監視網を食い破らせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "念膜帆凧(ベラムカイト)"の眼下には、奇抜なビルディングの群れが延々と広がっている。夜空高くから見下ろしたその景色の形容は、『独特』の一言に尽きた。

 

 ひとつひとつの建築物がユニークなデザインと色調の元に打ち建てられ、見事に個性を獲得している。それらは新進気鋭のデザイナーたちが競うように努力した結晶でもあった。建築に関する規制がゆるい土地柄と、芸術家を多く育む人柄を併せ持つ"第九学区"の気風が、その有様を生み出しているのだろう。

 

 いざ空から眺めてみると、形状もまばらで色とりどりの校舎がひしめくその様は、まるでパズルゲームの画面を覗いているようだ。

 

 自分たちには呆ける余裕すら無いはずなのに、"ベラムカイト"はどこか気の抜けた感想を頭の隅に思い浮かべている。

 

 運命を共にするたった一人の相棒たる"目方不足(ウェイトドロップ)"は何を考えているのだろう。

 

 吊り下げられた彼はなすがままに宙を揺れ、高所を無音で突き進む。そこには飛翔感と呼べるものは皆無なはずだ。自分よりも恐怖を感じているだろうか。

 

 

 彼の目に、目印となる高層ビルが映り込む。実は、彼らの飛行は全て目視によって行われていた。計器類は一切稼働しておらず、最低限の電力だけが供給されている状態だった。全ては、敵の監視網をすり抜けるため。そのための有視界飛行だった。

 

 だからこそ、この任務は第九学区の空で決行されたのだ。実験区域の大まかな位置は、ヘンテコなビル群が形作る景観から察知できる。特徴的な建築物のシルエットは、このうえない目印として機能しているのだ。

 

 

 

 ゴクリ、と"ベラムカイト"の喉が鳴った。ターゲットである女子中学生の姿を探すために、いよいよ高度を下げていく。

 

 どれほど心臓がいびつに脈動しようとも、これほど目標エリアに接近しようとも。未だ、自分たちの襲撃が露見した気配は無い。

 

 このまま敵にバレずに"ドロップウェイト"を投下できれば、"ベラムカイト"の任務は達成される。能力を駆使しなければ戦闘すら危ういと思えたこの重たい駆動鎧へも、どうやら評価を改めねばならないようだ。

 

 こんなものが惜しげもなく投入されるとは、今回の依頼の雇用主はよほどの大物なのか。それとも、ターゲットがそれに準ずるほどに強大な相手なのか。

 

 あまりに不穏な空気を漂わせていた依頼だった。不安からか、事前にいくつかの噂話を耳に入れていた。中でも、とりわけ落ち着かない気分にさせられたのは"とある殺戮者"の話であった。

 

 なんでも、この業界でも一等危険な狩猟者、"三頭猟犬"なるものが関わっている可能性がある、という噂話だった。

 

 

『ふ』

 

 悔しさからか、無意識のうちに唇が真横に引きつっていた。あと一日。ああ、あと一日あれば。あと一日練習できれば、もっと上手く能力を使えていたはずなのに。

 

 

 

 慎重に、更に高度を下げていく"ベラムカイト"であったが、彼の表情には徐々に焦りが滲み出る。

 

 "ベラムカイト"、"ドロップウェイト"たちの任務達成条件は、"戦闘中のターゲット"を襲撃することだ。機を失えば、次の"戦闘"が始まるまでこの危険な空を滑空しつづけなければならない。

 

 

 

 

 苛立つ"ベラムカイト"。彼はほんの少し、冷静さを欠き始めていたのだろう。

 

 

 前触れもなく一匹の羽虫が、念膜の壁に接触した。虫は他愛もなく翻弄されて、闇に消え行く。

 

 夏場であるし、高度もだいぶ下がっている。彼のカンに触わりはしたが、虫けらの一匹や二匹、気に捉えるほどのことはない。当然に、そう思考した。

 

 

 代わりに、少女たちの発見に全力を注ぐばかりだった。"ドロップウェイト"も目視による捜索を行ってくれているはずだが、有線通信による連絡は来ない。

 

 通常ならば頼みの綱となるはずの電子索敵機器が、一切使えない。それを行ってしまえば、敵にも自分たちの位置を補足されてしまう。重々承知していたことであっても、もどかしいことには変わりなかった。

 

 

 最初の羽虫を目にして、わずかな間があいた後だった。

 

 

 二匹。三匹。全精力を懸けて目標の影を探る"ベラムカイト"は、羽虫の姿を再度、狭まった視界に収めて始めていた。

 

 夏場だ。鬱陶しい虫けらどもがわいているだけじゃないか。

 その時の彼にとって、それまで見たこともない形状をしているはずの"その羽虫"は、取るに足らない、純粋に煩わしい対象としかなりえなかった。

 

 その判断が、もしかしたらその先のわずかな明暗を分けたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 焦れる"ベラムカイト"の鼓膜を突如、一つの雑音が引き裂いた。

 

 響きの良い金属音だった。思わず混乱するほどに異様だったのは、それと同時に"重力の急激な増加"が体中を襲ったことだろう。

 

 事態を把握する間もなく。間髪を入れず、彼の発動している"念膜"に巨大な物体の存在が知覚されていく。

 

 直感で悟る。何かが、自分のすぐ傍を落下していった……?

 

 

 

 

 

 

 刹那の放心は、一瞬で驚愕に移り変わった。"ベラムカイト"は致命的なほど遅れて理解した。

躯が重い。その理由は……。

 

 

 

 祈るように、非常事態のサインを有線通信で"相棒"へと送る。だが、虚しくも反応は帰ってこない。

 

 

 

 腹部で繋がっていたはずの"ドロップウェイト"が、切り離されていた。

 

 

 たった今落下していったのは彼だ――!

 

 "ベラムカイト"は動揺せざるをえなかった。穏やかな離脱であったから、おそらくは彼が自ら切り離したのだ。一体何故、何の連絡も無しに、と。

 

 

 咄嗟に思いつけたのは、"ドロップウェイト"の身の安全は考慮しなくてもよい、ということ。たったそれだけだった。彼の能力ならば、この高度から落下しても問題はない。当初の予定からそうであったから、それは気にかけなくてよい。

 

 

 いいや、大問題だった。"念膜帆凧"の能力圏外から外れたら、敵の高周波ソナーで発見されてしまう!

 

 何故。何故、彼は脈絡もなく突然分離した。何故?

 

 その理由をなんとか手繰り寄せたかった。だが、再び押し寄せた新たな事態を前に、"ベラムカイト"は意識を無理矢理にそらされる。

 

 

 

 

 いつの間にか、目を覆うほど大量の羽虫が"念膜"の周囲に群がり始めていたのだ。

 疑いもない異常事態。

 

 

 

『う、あ? う……』

 

 

 敵に察知されたのか。生じた疑問は、恐怖と同義だった。喉奥から悲鳴が漏れそうになる。

 

 

 重要な二択が"ベラムカイト"につきつけられてた。

 

 ステルス機能を解いて、一刻も早く"ドロップウェイト"と連絡を取るか。

 

 ただしそれは暗室に明かりを持ち込むがごとき行為だ。敵には一瞬で察知されることだろう。そんな危険は犯したくない。まだ死にたくはなかった。

 

 それではこのまま任務を放棄して空を飛び、逃走するか?

 

 だがそれも等しく、死の破滅へとたどり着く選択肢には違いない。任務を放棄しておめおめと逃げ帰れば、どんな処遇が待っていることか。

 

 

 

 

 

 

 

 "ベラムカイト"は能力による仮想の膜で、全身を前後に挟み込むように覆わせていた。彼は徐にその"念膜"を、己が成し得る最大半径まで広げてみせた。

 羽虫をそれ以上、躯の近くへ寄せ付けないためだ。

 並行して、すぐさま全速力で上空へ向けて飛翔する。

 

 切迫する最中、意識を能力へ傾ける間にも、レーダーと通信機を稼働させた。まもなく、敵にも位置がバレることになる。それでも、戦闘に巻き込まれようとも、任務だけは遂行せねばならなかった。

 

 彼の胸の内に、ようやく闘志が沸き立った瞬間だった。

 

 

 

 

 

 その直後だ。

 

 予想もできなかった事態に、滾る気迫はあっというまに冷えて凍りついた。

 

 

 恐ろしげで圧倒的な低音が、まるで人間の"男"の怒声のように、突如スピーカーを震わせたのだ。

 

 

「――コンタクトッ、標的ガ一名降下シタッ、標的ハ"パッケージ"ヘ接敵中!」

 

 計器類は、その声が通信の類ではないことを如実に証明していた。

 

「"ソナー"ダ、"ソナービジョン"ヲ使エッ!」

 

 つまりは、肉声なのだ。自分のすぐ真後ろで、何者かが――。

 

 

『ひ』

 

 今度こそ、"ベラムカイト"の表情は怖れで引きつった。

 

 駆動鎧のアイレンズが、目を疑うような巨影を捉えていた。

 

 肉眼では見えない。だが、たしかに、そこにいる。ナイトビジョン(暗視装置)が映し出している。

 

 たった十数メートル離れた背後。そこに、到底この世のものとは思えない、とてつもなく大きな大きな、巨大な飛行生物のシルエットが浮かんでいたのだ。

 

 

 その影の"長大さ"が、神経を圧迫する。まるで自分のすぐ背後に、巨大な怪鳥が迫っているような、そんな幻影を脳が勝手に描きだす。

 

 

 距離はあるはずなのに、遠いはずなのに、近い。いいや、とてつもなく近い!今にも、今にも奴は――――

 

 

 

 

 戦うか、逃げるか。

 時として、"恐怖"は人間の脳の原始的な部位へと、そのどちらかの選択を直接的に叩きつける。

 

 

 

 

 

 その瞬間。生と死の闘いを受け入れて"任務"に望んだはずの"ベラムカイト"が思考したのは、たったひとつ。

 

 離れたい。今すぐ離れたい。この得体の知れぬ怪物から離れたい。早ければ早いほど、遠ければ遠いほど良い。距離を取りたい。逃げたい、と。

 

 

 

 

 

 ひりついた意識はかろうじて、"念膜帆凧"を維持する集中力を維持させた。広がった"念膜"はより多くの風を掴み、勢いよく機械の巨体は空を走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――それは、逃走者が下したその判断と、ほとんど同時に引き起こされていた。

 

 

 怪鳥は機敏に対応していた。恐るべき反応速度だった。凶悪な顎門が空気を飲み込むように、上下に割かれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 暗い空へ駆け出したはずの"ベラムカイト"。息つく間も無く、彼が見る世界は一面鮮やかに赤い炎に染まる。

 

 

『"ドロップウェイト"ぉぉ攻撃を受けているっっ、どごだッ、どこにいるうっ』

 

 濁流に翻弄される一枚の葉切れのように、熱風の渦が彼の躯を掻き回す。虚しい通信が雑音に紛れていった。

 

 群れていた羽虫も語るまでもなく、とうに焼き尽されてしまっている。

 

 ところが猛火に包まれていながら未だ、"ベラムカイト"は息を失ってはいなかった。

 

 彼の自慢の能力が空気を遮断し、奇跡的に炎の壁を和らげていたのだ。業火が直接、駆動鎧を炙ることはなかった。しかし。

 

『あああああ助けてくれぇぇっ、助けぇぇグ――gfrtyhbv』

 

 されど、奇跡は二度も訪れなかったようだ。

 

 抗う能力者をあざ笑うように、吹き荒れる炎の中心を一筋の紫電が駆け抜けた。怪鳥が放った終の一撃だった。

 

 懸命に空へ伸ばされた機械の腕が衝撃に震え、駆動鎧は火花を上げて大地へと落ちていく。

 

 猛禽が獲物を攫うように、巨影は機械の塊を抱えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一見して人影の消えたように見える街の通りは、その見た目とは裏腹に激しい銃撃音で埋め尽くされていた。

 

 学園都市製の暗視装置を手にしていないものがその様子を伺えば、暗闇から何もない道端へ向けて、闇雲に銃撃が行われているようにしか受け取れなかっただろう。

 

 

 跳弾の生み出す火花の奇跡。勿論その中心では不可視の鎧を身にまとった"ドロップウェイト"が、大地を剛速で駆け抜けていた。

 

 アスファルトが削れる怪音とともに、道路の上を、足跡の形状の"破壊"が恐るべきスピードで生みだされていく。

 

 "ドロップウェイト"の能力により荷重を大幅に軽量化させたHsPSMCD-02は、人間離れした機敏性とトップスピードを両立させている。

 

 それによってもたらされるデタラメな跳躍が、彼を付け狙う数多の銃口を翻弄しつづけている。

 

 常識はずれの運動機能。だが依然として、軽快な挙動に衰えは見えない。"能力"による負荷の軽減は、電力消費を抑えるのにも役立っていた。その駆動鎧の稼働時間は、実用に耐えうる値を獲得していることだろう。

 

 

 四方八方から、銃弾が雨あられと"ドロップウェイト"へ降り注ぐ。飛来した弾丸のいくつかは、軽快に大地を蹴る駆動鎧へと今にも吸い込まれていきそうだった。

 

 だが、それらは全て、直撃する寸前で超常的な軌道を見せ始めるのだ。

 機械の巨体の体表へと届く直前に、突如として弾丸はどれもがみな、遥か上方へと飛散していってしまった。まるで突然、圧倒的な揚力でもかけられたかのような、そんな現象だった。

 

 未だ銃撃の雨は一発として、駆動鎧に触れてはいない。疾駆する巨体は激しい抵抗にさらされながらも、それでも豪快に実験現場へ距離を縮めつつある。

 

 

 

 

 

 待ち伏せていた暗部の護衛たちにも、じりじりと緊張が伝染していった。謎の襲撃者への迎撃が、過激さを増していく。

 

 

 暴走する闖入者を止めるべく、しびれを切らした暗部の戦闘員たちが暗闇から顔を出し始めた。

その中には対PS兵器を担いだものも多い。しかして、その砲火が今にも"ドロップウェイト"に命中するかと思えたが。

 

 

 携行型のランチャーから、騒乱の先端へと無誘導のEMP弾頭が打ち出された。しかしそれはあっけなく、途中で不自然にも真上の方向に勢いがついて、宛が外れていった。

 電磁パルスの小規模な爆発は街灯を巻き込み、あらぬ場所で盛大に爆ぜただけだった。

 

 

 暗部の刺客たちは、未だたったひとりの闖入者を仕留めきれずにいる。攻撃をうまく当てられなかったのだ。

 

 理由は単純だ。必死に狙いをつける彼らの演算銃器(スマートウェポン)の自動照準機構がまともに働かずにいたからだ。

 

 それもそのはずだ。馬鹿げたステルス性を持った駆動鎧は、電波や赤外線を欺く偽装の塊でもあったのだから。

 

 それにもうひとつ理由を加えるならば、ただただ、標的は純粋に速かった。"ドロップウェイト"の動きは明らかに、現行のどの機種よりも高い機動性を実現させている。

 

 

 

 

 

 

 銃弾を避け、驚異的な速度で街を駆け抜ける異端の駆動鎧。真っ直ぐに実験現場へと向かっている。そう、暗部の人員にとってなにより問題だったのは、この圧倒的に数に差がある状態でなお、相手から"撤退する意思"を感じられずにいることだった。

 

 

 

 

 

 

 "ドロップウェイト"の正面に、歩道橋が現れた。その先を潜り抜けて角を曲がれば、上空から偶然にも発見できた、ターゲット達の戦う小さな運動場へと到達できるはずだった。

 

 

 加速度的に駆動していく鎧。一息に駆け抜けるつもりだった。

 

 その橋を目の前にした"ドロップウェイト"は、おぼろげに直感していた。彼は自分の感覚に従うように、あてずっぽうで歩道橋の真上に強力な"念動力"を行使した。

 

 

 途端に二つの影が、悲鳴とともに上空へとたたき出されていく。やはり伏兵がいた。しかし、役割を果たされる前に空へと消えていった。到底助からない高度まで打ち上げられた奴らは、そのまま落下して絶命する運命にある。

 

 

 

 時速60kmを優に超えるスピードで、駆動鎧は曲がり角から力強く踏み出した。視界が右に開けていく――。

 

 その時。

 

 踏みしめられた機械の足裏が、地面との摩擦で猛然と熱をあげる。

 突如、"ドロップウェイト"は急制動した。

 動揺したように動きに隙を見せている。

 

 止まった彼へすかさず、三方向からアサルトライフルの弾がばらまかれた。

 

 それは堂々と待ち伏せていた、常盤台中学の制服を身にまとった女学生からの攻撃だった。任務前のブリーフィングで確認した、ターゲットの少女と姿が酷似している。

 

 少女たちは皆ゴーグルを装着しており、誰ひとりとして顔立ちを覗けない。

 一体どういうことだ。

 

 

 

 "ドロップウェイト"の反応は鈍く、たまらず地に擦るように体を伏せて滑らせた。迫る弾丸は寸前のところで角度を変え、彼の真上の空気を焦がす。

 

 ここでようやく初めて、駆動鎧は反撃する素振りを見せた。

 

 少女たちを狙うように、無骨な左腕が振るわれ、そこから強化セラミック性のニードルが勢いよく射出されていく。直後、彼は能力を使用して一息に跳躍した。

 

 

 狙われた少女たちのひとりが、警備員が使用するタイプの大型のライオットシールドを手に、庇うように前に飛び出した。

 

 離れた位置に孤立していた少女は機敏に反応し、近くの街灯を蹴り上げている。驚くことに、彼女は一息でそのまま数メートル上空へと跳躍していた。

 

 ゴガン、とニードルが盾と激突し、少女の口から小さな呻きが漏れる。

 

 

 "ドロップウェイト"はその攻撃の隙を突き、少女たちの真上を跳ぶように突き抜けている。

 視界の正面に、目的の運動場を見て取れた。遥か遠く、一瞬、戦闘を行っているターゲットのマズルフラッシュの灯りが目に映る。

 

 ついに、ターゲットを視認した。闘志を燃やす彼の横目に、動くものがあった。

 

 左手には、立体駐車場が建っていた。その屋上に人影が見える。肩に銃器を担いでいる。

 

 既にサーモバリック弾頭が、落下地点間近へと打ち込まれていくところだった。

 

 

 

『オオオオオオオオッ!』

 

 無常にも、爆炎は人間の反応速度をはるかに超えた速さで空間を広がるものだ。"ドロップウェイト"は懸命に避け退ったが致命的に遅く、火炎に包まれる。

 

 その一瞬で、ステルス機能を持続させていた特殊装甲は溶けて使い物にならなっていた。

 

 

 それでも必死に、未だ馴染みきってはいない"幻想御手"で強化された己の能力を、彼は全開に振り切った。

 

「く、これは……っ!」

 

 少女の驚愕の声。

 

 "ドロップウェイト"に追撃を仕掛ける前に、その場の人間は皆、ミサクローンズたちもろともまとめて、遥か高く空へと放り上げられていた。

 

 屋上で携行式ランチャーを撃った男も、その反動と加えられた揚力であらぬ方向へ吹き飛んでいく。

 

 

 

 これで、襲撃者の邪魔をするものはいなくなった。

 

 

 

 転げるように巨体が炎から飛び出すと、一直線に通りを駆け出した。

 最早、駆動鎧の姿は衆目に晒されている。しかし、あと少しで目的を果たせる、と強固な意志の元、彼は諦めることなく走り続けた。剛速で大地を蹴る。失われたのは光学迷彩機能だけだ。駆動鎧としての機動性までは失われてはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランチャーを放った男。今では襲撃者の"能力"で空を舞う彼は、死を覚悟した。

 ぐるぐると走馬灯のように、周囲の風景がスローに見えている。

 

 30mか、50mか、それよりもっと高いのか低いのか、感覚だけではまるで把握のしようがない。だが、落ちれば即死だ。それだけは本能が理解していた。

 

 

 共に打ち上げられた少女たちが自前の"能力"でビルの側面にへばりつき、難を逃れている様子が目に映る。助けを乞うように手を伸ばすが、彼女たちにそんな余裕はなさそうだった。

 

 

 

 彼女たちとの距離もすぐに離れていった。

 

 長くもなく、短くもない時間の感覚。次の瞬間には、浮遊感がピークを超えたと感じられた。

 

 途端に重力が身体を支配し、息が詰まりそうになる。地獄への蓋が開いているのだと分かったものの、頭は麻痺したように何も考えられなかった。

 

 長いようで短い落下時間だった。

 

 衝撃が体中に走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開くと、そこは何故か見知った世界だった。ただし、その世界は真横に傾いていたのだが。

 キョロキョロと辺りを見渡すと、ビルの壁が目の前にあった。

 

 次に、男は気づく。まるでガチガチに拘束されたように、身動きが取れなくなっている。

 

 数秒経って、彼はようやく自分の置かれた状況を正確に理解できた。

 

 

 

 男は、ビルの壁に打ち付けられていた。驚異的に粘つく真っ黒な樹脂のようなものが体中を覆っていて、ビルの側面に縫いとめてくれている。

 

 男は安堵した。よくわからないが、自分は助かったのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くに映る運動場では、子供同士の殺し合いが行われているはずだ。

 鎧は火をたなびかせていたが、心はそれ以上に闘志に燃えている。"ドロップウェイト"は真っ直ぐに走った。直に、命をかけた戦いの報いが与えられる。そのはずだと信じながら。

 

 

 

 

 目的の成就まで、あと僅かだと思えていた、その時だ。

 

 月夜に雲が掛かったように、背後から迫る広大な陰。彼には、淡い希望が断ち切られるような、この上ないタイミングに感じられただろう。

 

 "ドロップウェイト"は息を呑み込んだ。

 

 遠く離れた運動場に、"任務の終わり"が見えていたのだ。だからこそ狂おしいほど、ヘルメットのHUDに映る情報を見逃すまいと勤めていた。ゆえに、彼は寸前のところで気がついた。

 

『ッぅ、ぃ!』

 

 不細工な体勢にも形振り構わず全力で振り向き、無意識のうちに右腕の高周波チェーンソーを唸らせると、威嚇するように眼前につきつける。

 

 

 搭載されていた高周波対人ソナーが、まるで悪夢のように描き出していた。

 

 それは馬鹿げた大きさを持つ、四足動物の巨大なシルエットだった。

 

 

 

 三対の眼光が、頭上で爛々と輝いている。

 三つ又の首。三つの頭。三つの顎門。闇に溶け込む黒艶の毛並は視界を覆うほどに広がり、怪物の巨大さを物語っている。

 

 "三頭猟犬(ケルベロス)"。噂話は比喩ではなかったのか。"ドロップウェイト"とっても、それは永遠に知りたくない事実だったことだろう。

 

 

 彼が初めて目にした空想上の魔犬は、実在する肉食獣ととても良く似た動きをみせくれていた。喉笛に食らいつかんと、鋭い爪と牙を伸ばし、獲物に飛びかかる――――これでは駆動鎧の巨体も、まるで小人のようではないか。

 

 

『畜生ォォォォォォぉぉぉッ』

 

 

 生存本能が"能力"に直結したのだろうか。直前、"ドロップウェイト"の潜在能力の弁は全開に開かれる。かつてない規模の念動力を、発揮する感覚。

 

 その時たしかに、意志の力は機械の鎧に破滅的な瞬発力を与えていた。

 

 

 怪物は"ドロップウェイト"に食らいつく寸前だった。

 間一髪。

 機械の鎧が物理法則を超えた動きで動く。

 ガツリ、と身震いするような、牙と牙がぶつかる衝撃音が耳元で鳴り響いた。

 

 しかし、今度はバラバラに裂けた魔犬の尻尾が追いすがっている。

 分裂した沢山の触手。それらはいとも簡単に"ドロップウェイト"を絡め取るかに思えた。

 

 だが、またしても彼に幸運が訪れた。いや、それを素直に幸運と呼べるかは疑問かもしれない。

 振り下ろされていた怪物の前足へと、闇雲に飛び上がった鎧の胴体がぶつかっていく。

 

 直後、圧倒的な剛力が発生した。

 

 

 

 

 

『がッ、はっ、あっが、が、ぁっ、がっ、ぁぁっ!』

 

 駆動鎧はひらべったく潰れた放物線を描きながら、20メートル以上も吹き飛ばされていた。

 

 それでも、よほど打ちどころが良かったのだろう。"ドロップウェイト"は地獄の苦しみを味わいつつも、未だに意識を保てていた。

 

 

 

 

『ふぅ、ぐぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ、動け、動け、うごげ、うごげぇっうごげぇっ……』

 

 "ドロップウェイト"は半ばパニックに陥りながらも、必死に身体を起こし、すぐさま全速力で逃走を試みた。

 

 祈りが通じたのか、問題なく駆動鎧は走行を開始した。脚部にダメージが生じていたら、もはや一環の終わりだったことだろう。

 

 

 脳みそはすぐに追撃が来るはずだと繰り返し、ひたすらに恐怖を煽っている。

 遅れて、体中に痛みが回り始めた。唇からは血が溢れている。

 

 小さな警報が鳴り響いている。それは駆動鎧のメディカルチェックシステムだった。

 肉体は満身創痍、あばら骨や腕の骨が折れていると注意を促している。

 腰部や大腿部といった体の各所で、システムが反応し、着用していたスーツがぴったりと肌に張り付き、適度に身体を圧迫し始めた。

 次に、駆動鎧は自動的に、操縦者に痛み止めの麻酔を注入するように判断した。

 

 その瞬間は鈍痛により全くわからなかったものの、投薬の影響はすぐに身体に現れ出した。

 ほんのかすかに、意識は健全な状態を取り戻していく。

 依然と痛みは残っていた。それでも、生への執着は痛みに比例するように、度を越して膨れ上がっていく。

 

 

 

 

 何を考えるまでもなく、"ドロップウェイト"の身体は自然に動いていた。人気のある方へ、人目のある方へと、とにかく逃げろと。

 

 

 

 

 任務エリアは死ぬほど頭に叩き込んである。とにもかくにも雑踏を目指していた"ドロップウェイト"はわずか数秒ほど走ったところで、単純な"不自然さ"に気がついた。

 

 どう考えてもあっという間に追いつかれるはずだったのだ。背後を振り向く。

 怪物の姿は消失していた。

 

 疑問を感じつつも、足だけは止めずに動かしつづけていた。

 ちょうどその時、目の前の幹線道路へ飛び出しかけたところで、鼻先を救急医療車両が掠めていった。

 

 サイレンの音にも気づかないほど動揺していたようだ。あの怪物は、この音を聽いて――――。

 

 

 そこで"ドロップウェイト"は感づく。あの"ケルベロス"はもしかしたら、衆目に姿を晒すことが許されていないのかもしれないと。

 

 

 

 逃げ切れる。生きて帰る。

 

 任務は失敗した。どのみち、ろくな結末は待ってはいない。しかしそれでも、今この時、彼は死にたくなかった。ただひたすら生き延びたかった。殺されたくなかった。それだけが荒々しく血潮のめぐる躰を動かす指針だった。

 

 

 迅速に身体は舵を切る。横切っていった救急医療車両を正面に捉え、"ドロップウェイト"はひたすらにその車両を追走しはじめた。

 

 

 

 

 そして、幾ばくかの後。

 数秒、数十秒、数分経とうとも、やはり魔犬は現れない。

 

 

『ひ、は、ひ、ひひ、はは、はははは』

 

 

 乾いた喜びの嗚咽が、喉から溢れ出していた。傷にまみれていた精神に、ほどなく調和がもたらされていく。

 

 徐々に心を落ち着かせ始めた"ドロップウェイト"は、魔犬との接触の折りに機能が停止していた対人高周波ソナーに目が向いた。

 

 稼働させようとスイッチのオンオフを繰り返すも、やはり具合はよくない。あれほどの衝撃だったのだ。破損していてもなんらおかしくはない。

 

 数度試すと、運良くソナーは機動した。

 

 HUDに映し出されていく、周囲の風景。壁や車など、ある程度の物体は透けて映像化されていく。

 

 

『なん、だ……っ、う、ああ……』

 

 

 

 そこには、自らの数メートル後方。下水の中を蠢く、得体の知れない生命体の姿が映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第九学区の人気の無い路地裏に、何か柔らかいものが地面と擦れるような音が、静かに生み出されていた。

 

 耳をすませば、穏やかなようでいてどこか決定的にリズムの悪い、人間の呼吸音も聞こえるはずだ。

 

 そこには、二人の人間がいた。引きずっている男と、引きずられている男だ。

 

 引きずっている男の身なりは綺麗なもので、身体には怪我一つない。それは引きずられている男と比べた時に、ずいぶんと対照的で、印象的だった。背丈は190cm前後に迫り、片手で男一人を軽々と自由に動かしている。

 

 

「……くたば、れ…………おまえら、……自分らが何してんのか、わかってんだろうなぁ……」

 

 

 間を空け散発的に言葉を発しているのは、引きずられている男のほうだ。ところどころ出血の跡が見られるほどに、全身が怪我にまみれている。

 

 

「地獄に落ちろぁ……ぁぁ」

 

 痛みか、もしくは麻酔のせいなのか。男は熱にうなされたように目に焦点が定まっておらず、うわ言のように呪いの言葉を吐き出し続けている。

 

「……下衆、ども、が……今に、くたばる、ぜぇ?……おまえらも、おれとおなじだ……くは、ははは……おんなじ、なんだよ……」

 

 わずかに苦しそうに呼吸を挟みつつも、男は決して喋るのを止めなかった。

 

「地獄に落ちろ……地獄に落ちろ……へへ……せいぜい……地獄に落ちろ……」

 

 景朗には手に取るようにわかっていた。

 男の雄々しいセリフは全て、強がりだった。

 景朗の耳には届く。男の心臓は激しく高鳴り、声は硬くなり、呼吸の時には余分に身体を震わせている。

 

 きっと彼は、自らを待ち受ける運命を知っているのだ。

 

 その男の身体は、全身全霊で景朗に訴えかけていた。

 

 殺さないで。死ぬのは怖い。痛いのは怖い。辛いのは嫌だ、と。

 

 男は決してそれを口には出さない。逆に、勇敢にも、自らの主張を曲げることなく、殺戮者相手に啖呵を切ってみせる。

 

 それこそが土壇場で彼が見せる勇気であり、偽りなく彼の本質なのだ、と。

 鬱陶しいまでに、景朗は理解させられてしまっている。

 

「……殺せ、よ……ほら、殺して、みろよ……」

 

「あんたはなんで、こんなことしなくちゃならなかったんだ?どうしてこんなことをしなくてはならなくなったんだっ?何故そうせざるを得なかったんだ?」

 

「あ……あぁ……?」

 

「知りたいんだ。教えてくれよ」

 

「くたばれ、や……クズどもがぁ……上層部の、捨て駒、クン……よぉ……はっはっはっ……」

 

 

 

 あの日。産形茄幹が死んだ日。あの日の朝も、景朗はこうして、"実験"の護衛をやっていた。

 

 捕まえられた襲撃者たちは全員が皆、哀れにも命乞いに涙した。

 必死に、必死に、必死に、延命を祈っていた。

 

 暗部やこの街の上層部に弱みを握られ、何も知らされず、ただ目の前の任務に命を懸けるしかなかった捨て駒たち。彼らは皆、地を涙で濡らす。それでも結局、誰ひとり例外なく、願いもむなしく、ゴミのような終わりを迎えていった。

 

 だが、中には"そうでないもの"も確かに紛れていた。この男のように無様に嘆願をすることをよしとせず、毅然と死に向き合う人間も、中にはいたのだ。

 

 彼らの心の中には、確固たる想いがあるのだろう。あったのだろう。

 彼らを突き動かしていたものの正体は景朗にも、いや、景朗だからこそ、手を取るように理解できた。

 

 彼らは、彼女たちは、一体、誰を恨んでいたのだろう。命を捨ててまで果たすべき復讐があったのだろうか。何を奪われれば、人はそんな風になるんだろうか。

 景朗の胸中に、大事な人たちの顔が浮かんでくる。

 

 

(おい。誰か居ねえのかよ)

 

 全くもって図々しいことを考えている。景朗にももちろん、その自覚はあった。

 

(誰か強え奴居ねえのかよ。良いのに。ここで俺たちを派手にぶっ倒して、仲間を助けて、実験を邪魔して颯爽と帰っていけよ。俺はそれでかまわないぜ。ヒーローみてえな奴いないもんかね。こいつらなんていらねえし。みてらんねえし、誰か取りに帰って来てくれないのかな。いいんだぜ、俺は恨まないぜ)

 

「はは……」

 

 血だるまの男を引きずって、こんな事を現実に作り出した張本人の自分が、こんな時に何をバカなことを。それみたことか、と口からは自分自身に対する呆れがこぼれていた。

 

(マジでアホか、俺は……。あんな弱っちい癖に、なんでカミやんのこと思い出すんだよ……)

 

 痛みは感じないように自前の麻酔薬は注入してあるはずだった。にも関わらず、引きずっている男はまたうめき声を上げた。彼へと、無性に視線が吸い付く。景朗はどうしてもそれをやめられなかった。

 

「なあ頼むよ、教えてくれよ。教えてくれたら……」

 

 途中まで口にするも、その表情には深い迷いが現れていた。

 しかし。平然と、あっけらかんとそれを振り切ると、景朗は囁いた。

 

「楽にしてやるよ」

 

 男はからかわれたのかと思ったのか、決して答えを返さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第九学区の合流地点には、今回の襲撃の実行犯の中で生存した者たちが集められていた。戦闘中に死亡したものは、既に別の場所へ送られている。

 

 生存者たちは全員が拘束されて無様に地に投げ出され、目前に迫った死に涙を流していた。

 

 その数、5名。

 

 いや、"今現在"生きている数を言えば、既に4名になっていた。

 頭部を銃で撃たれた亡骸が一人、捕虜たちのそばに転がっている。

 

 

 そして今まさに、またひとり。

 

 両腕両足を縛られ、口を塞がれた虜囚のひとりが、こめかみに拳銃を押し付けられている。

 捕虜たちの周りに立つ幾人もの男たちが、その様子を興味深げに覗いていた。

 

「あう!あう!ああう!ううッ!うううーっ!ううーッ!ううーっ!ううううううッ――」

 

 小さな銃撃音と、奇妙な破裂音。その二種類の音がまたしても、その場の人間の背筋を刺激する。

 

 

 ドサリ、と力なく仲間の亡骸が倒れると、捕虜たちは再び猿轡を外された。

 されど、彼らにできたのは先程から繰り返していた台詞を一字一句同様に、力の限り叫びつづける事だけだった。

 

「何も知りまぜん!もうこれ以上は何も知らないんですッ!しっでいることはすべてお話しましだッ……お願いしまずッ!お願いしまずッお願いしまずッ殺さないで――ギッ!ガッァ――!」

 

 悲鳴が、男たちの口元を酷薄に歪めていく。

 

 殴られた青年はモゴモゴと苦しそうに藻掻き、息苦しそうに口から血を吐きだした。地べたには赤黒い血液がこびりつき、折れた歯の欠片が転がっていく。

 

 手加減無く殴られ続けた"ベラムカイト"の顔はパンパンに膨らんでいる。心はとうにへし折れたのか。ぎこちなく開く彼の口からは、狂ったように『殺さないで』と懇願が繰り返されていた。

 

 

 その横では、"ドロップウェイト"が仲間の死にこらえきれず涙を流している。ただしその表情はその状況においてもどこか平然としていて、周囲の"尋問官"たちへ小馬鹿にするような視線を送り続けている。

 

 

 残された捕虜の最後の一人は傭兵だった。能力者ではないのだ。それがそばに転がる仲間2人の死因でもあった。この場においては、わずかながらにも生き残る可能性があるのは能力者だけなのだ。本人もそのことは重々承知しているのだろう。絶望に打ちひしがれ、ただただ震えながら目の前の出来事に呆然とするがままだ。助けを乞い願う言葉は、彼の口からは枯れ尽くされていた。

 

 

 

 

「おい――何をやってる?」

 

 拷問を楽しんでいたであろう男たちの背後に、ひとりの青年が豪快に音を立てて着地した。

 その日の晩に予定されていた"実験"の全てが終わるやいなや、一目散に駆けつけてきた雨月景朗だった。

 

 彼の眼前には、血を流し力なく横たわる捕虜たちがいる。ミサカクローンズの死を見守る間中、懇願と苦痛の悲鳴が景朗の鼓膜をずっと、ずっと突き穿っていた。

 

 皆裸にされ、指は殆どが欠けている。股間から血を流しているものもいる。パチパチと燃える口の開いた小さな空き缶からは、肉の焦げる匂いが漂ってくる。

 

 

 彼らに施された肉体的苦痛と投薬の大義名分は、確かに最もらしかった。

 

 "反対派"による別口の攻撃が、他にも予定されていたかもしれない。だからこそ、捕まえた敵から一刻も早く"別の敵"の情報を聞き出さねばならなかった。

 

 

 だが、もはや制限時間は尽きているのだ。"実験"は終わっている。これから先の"事情聴取"は、もっと上層部の息のかかった奴らがやればいい。

 

「実験は終了した。もう"これ"で終わりだ。とっとと失せろ」

 

 途端に、わざとらしい舌打ちが打ち鳴らされる。

 

 "尋問官"気取りの男たちは皆マスクを被り、表情は伺えない。それでもその態度からは、景朗の言う事を聞く気がないのだと、ありありと察せられた。

 

「無神経なことを言わないでもらいたい」

 

「こいつらは仲間を2人殺ってんだ」

 

 彼らの部隊は、景朗の知りえもしないどこか別の上層部と繋がっている。だから彼らとはその日初めて会い、共に任務に望んだことになる。

 

 確かに、まだ明るいうちに彼らの姿をちらりと垣間見た時に、景朗は感じ取ってはいた。彼らにもお互いの背中を庇うだけの友好関係があるようだ、と。

 

 すこしだけ間が開いた。ややして、毅然とした命令が繰り返された。

 

「俺の獲物だって言っておいただろう。あとは俺にやらせてもらう」

 

「……冗談じゃない」

 

 依然として、相手は微塵も納得する気のない様子である。

 今度は苛立ちもあらわに、景朗は猛然と吠えた。

 

「能力者2人を捕まえたのは俺だぞ!役立たずどもが糞だけタレて帰りてえってか?」

 

 薄く光る朱い瞳。白艶に輝く犬歯。発せられる殺気。

 "三頭猟犬"の威圧を前にしては、為すすべがなかったようだ。男たちは恨めしそうな印象を残して消えていく。

 

 

 4名となったその場で、景朗は3人と向かい合う。彼らは突然現れた青年を畏れるように、まるで地獄の沙汰を取り仕切る裁定者へと臨むように、観察しつづけている。

 

 

「殺さないでくだざいッ!お願いじまず……!」

 

 景朗が捕まえた時には意識が朦朧としていた"ベラムカイト"。彼だけが、尽きることなく嘆願に精を出しつづけている。

 

(残念だけど、助からない。まず間違いなく、こいつらは殺される。今回の"実験"は、そういう種類のヤマなんだ。生き残るとしても……クソみたいな能力実験の、生きた実験材料として……)

 

 

 3人は皆一様に無言になった。それでも、浴びせられる視線には驚くべきほどの情報量が詰まっていて。それが景朗の躰をガチガチに凍らせるのだ。

 

 やがて、景朗はゆっくりと彼らの目前に身をかがめ、静かに口を開く。

 

「あんたらを捕まえたのは俺だよ。俺は"三頭猟犬(ケルベロス)"って呼ばれてるけど、正体はな、"超能力(レベル5)"の能力者なんだ」

 

 その名を耳にした3名の顔から、希望の色が消えていく。

 

「俺は"超能力者(レベル5)"だ。あんたらに勝目なんて無かったんだよ」

 

 

「……こっ、殺さないでくだざい!お願いです!なんでもしますっ、どうか殺さないでくだざい!」

 

 

「あんたたちはこれから、俺すら理解のできないところへ送られてく。"こんなもの"よりよっぽどひどい拷問が待ってるよ。まず間違いなく死ぬ。もう助からない」

 

 

「いぃぃ嫌だっ!いやだあああああああああ死にたぐない!死にだぐないんです!お願いしますっお願いじまずぅぅっ!なんでもずるがら!助けでぐだざい!」

 

 "飛行能力者"はどんな顔をしてるんだろうか。彼の顔を正面から目に取ることができない景朗。目を合わせられなかった。

 

「でもその前に、俺はいっこだけ、あんたらにしてやれることがあるかもしれない……」

 

「ひ…は…?」

 

「っ?!」

 

 景朗から戸惑いつつ発せられる言葉に、彼らは息を呑んだ。

 

「望むんなら、この場で楽に……してみせよう……」

 

 

 一瞬のうちにその場は静まり返っていた。生存者たちは理解が追いつかず、景朗は景朗で、頭の中に後悔と苦悩を巡らせていたのだ。

 

 命を終わらせ、彼らを待ち受けるであろう残酷な運命から開放させられる。常軌を逸した傲慢な発言のその意味を、景朗は激しく自問自答し、自罰的に自らに打ち付ける。

 

 

 嘴子千緩(くちばしちひろ)。彼女の事が、彼女の死に顔がどうしても頭から離れない。父親を殺した日のことは鮮明に覚えている。ただそれまでは、その殺人が一体何を意味していたのか、知り得なかっただけだ。

 

 3月に、アレイスターに命じられて"猟犬部隊"とともにテロリストを襲った。いや、その時の標的だった彼らは、正確に言えば"テロリスト予備軍"だった。

 

 在りし日の景朗は"放置しておけば街に引き起こされたはずの凄惨な事件"を、未然に防いたはずだったのだ。

 

 

(嘴子千緩。あんたのおかげで親身に実感したよ。誰かを殺せば、必ず別の誰かに恨まれるってさ)

 

 嘴子千緩は知らなかったのだろうか。父親がテロに加担していたことを。彼女の父親は実行計画に綿密に絡んでいた。娘がいながら、そこまでのことを行わねばならない理由が、彼女の父親にはあったのか?彼女の母親が早くになくなっていることと関係があったのか?知らない。景朗は知らない。調べてもわからなかった。でも。でも

 

 

(復讐?俺をぶっ殺して?おいおいおい、確かに殺したのは俺だよ。苦しまないように、眠りながらに死ぬように、牙に毒を仕込んで殺したよ。でも……俺は、留めを刺しただけだ!

 

 違う!違う!お前の父親の殺害を意図したのは俺じゃあない!俺じゃなかったんだ!

 

 俺に報復だって?それで復讐になるのか?それが本当の復讐なのか?俺は実行しただけだ。十分にムカつくだろうさ!でもお前の父親をぶっ殺すと、そう決めた連中は断じて俺じゃない!

 

 俺は命令されてやっただけだ!恨みじゃない、憎くてやったわけじゃない!

 

 ははは……でもそんなこと、関係ないか。あの娘には関係なかったのか。あの娘にとっては、それが真実だったのか。

 

 

 ……そうさ、それは、俺にだって言える。俺だって確信はもてない。彼女の父親が本当に、本当に本当に、テロを画策していたのかという事は。

 

 だって、十分に疑うべきだ。暗部上層部の連中の言う事を、全て鵜呑みにしていいわけがない)

 

 

 

 

 "ベラムカイト"は息を吹き返し、とうとう狂気を炸裂させた。

 

「うあ!うあああああ!殺さないで!こぉぉ、殺さないでください!嫌だ!生きていだいっ!やめてくれっ!やめてくれえええっ!」

 

 

 "パワードスーツ野郎"が、景朗を正面に睨み、もごもごと口を動かしている。何か言いたいことがあるようだった。そんなことをしなくても聞こえるとわかっていたが、景朗は耳元を彼の口元へ近づけてやった。

 

 

 ぶしっ、と血飛沫が舞う。

 

 

 "ドロップウェイト"が口に含んでいた唾と痰を、景朗の顔めがけて吐き出していた。血と砕けた歯が顔にべっとり張り付き、その異物感は抗議者の意思を代弁しているように思えた。

 

(良かった。どうせ恨まれるだけさ。少なくとも俺はトドメを刺してない。殺しちゃいない。"そいつ"が重要なんだろ、"その事実"がさ。いいじゃないか、ほら、"今日"は俺じゃない。………"今日"は俺じゃないんだ……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は結局、3人に何もしなかった。彼らが暗部の深層へと送られていくのをただ黙って眺め続けた。やったことといえば、それだけだ。

 

 

 任務はそれで終わりだった。

 とにもかくにも、ようやく帰路に就くことができる。

 

 幻生から労りの連絡を受けた後、部隊を離れようとしていた景朗へ背後から近づく影があった。

 

「よう、あんたが助けてくれたんだってな。……なあ、どうだい?飯でもおごってくぜ?」

 

 

 景朗が戦闘中に助けた男だった。宙を浮かんでいたところを、粘着力抜群の粘液で壁に張り付けてやっただけである。

 

 どうにも彼は、景朗が"三頭猟犬"であることを知らないらしい。それにしても、しかし。飯に誘う状況だろうか。暗部にはこういった、常識はずれで癖のある連中がごまんといた。

 

「冗談だろ?失せろ」

 

 景朗はそれだけ言うと、一人闇に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 時刻は午後11時をまわっていた。ふらりと立ち寄った公園で、警備員に見つからないように自販機からお気に入りの缶コーヒーを探す。

 

 ベンチに腰掛け、一息にそれを呷った。

 

「十一時過ぎてんな。流石にあいつらのお好みパーティも終わってるか……」

 

 いかにもふざけた口ぶりで、景朗は呟いた。

 

「俺も食いたかったなぁ」

 




な、何も言えません。言い訳できませんね。

ヒロインの件は申し訳ないとしか……
思ったより長くなってしまいました。
しかしどうしても、うげっちゃんの暗部もういやよシーンを入れる必要があったのですorz
次の話は7割以上かけてます。
がんばります!急ぎます!疑って待っていてください……orz

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。