とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

26 / 55
追記分の箇所に目印を追加致しました。


>2014/06/06 大量に追記しました。すみませんorz
episode24内に収めておきたい話だったのです
下の約束もういつもどおりにやぶってしまってますが……
次の話、もうかけてます。あとちょっとだけ書き足して、すぐに更新します
お待たせしましたぁorz



2014/05/13 更新完了です。

 次の話は……目標、三日、四日、くらいで。とりあえずいつもみたいに(仮)とかつけて更新します!


episode24:幻想殺し(イマジンブレイカー)

 

 

 

「……やってくれるかい?」

 

 産形は苦しそうに、一言呻いた。このまま準備を終えた後、ワクチンの散布を決行してくれるのか、と尋ねたかったのだろう。視線を床に散らばったパーツへ向けられたまま、少年の口からは荒い息が零れていた。

 

「大、丈夫だ。数分で用意してみせる。10リットル、なんとか、やってみせる」

 

 膝を立て、両手を地面に付け、四つん這いに近い体勢で作業をする産形。その合間合間に、ポツポツと思いついたように情報を捻り出していく。

 

「シュマリに渡したウィルスは、2リットル分だ。あともちろん、ウィルスを噴出させる装置も、培養液ごと霧状にして拡散させるタイプのヤツを、4台渡してあるんだ。だから覚えておいてくれ。もし現場付近で4台全部見つけたら。ほぼ間違いなく、第七学区の方は暴露されてないよ。ウィルスに」

 

(知ってるよ。土御門から聞いている。4台だからなんだよ。お前は仲間だったんだから知ってて当然だろ。問題はお前の言ってることが、真実かどうかなんだよ!)

 

 対して景朗は沈黙を維持したままだった。彼はその時、考えに考え抜いていたのだ。産形からもたらされる情報。その一つ一つの信憑性を。

 

 

 

 

 自分の感覚を信じるなら。つまり、この少年を信じるのならば、発射準備が整い次第ワクチンの散布を行わなくてはならない。産形の告白は真実だ。そう証明するパルスが悩む景朗へ尚も脈々と送られてくる。

 

 けれども。どんなに考え抜いて結論を出そうとも、躊躇わずにはいられないのかもしれない。景朗の嘘を見抜く能力に、真偽を完全に推し量るほどの性能はない。だから、他に何か、産形の発現を裏付ける確証のようなものを欲していた。

 

 治療薬散布の実行。それは彼にとって大き過ぎて持て余すほど、過大なプレッシャーがかかってくる判断だった。あまりに大それていて、尻込みせずにはいられない行為だった。テロリストの用意した器具を使い、テロリストの用意したワクチンを揃え、そしてそれらをこの街の無垢な市民へ浴びせかけることになるのだから。それも、提案してきたのは実行犯の仲間からだったという有様。テロリストの発言を引き継ぐような形での治療薬の散布になる。テロリストの言いなりとなって行動することに対して、心に湧いてくる忌避感だって消えてくれそうにない。

 

 

 産形を信用できるか、できないのか。景朗は延々と悩み続ける。まんまと騙されてしまっているのならば、ワクチンの散布は逆に事態を悪化させる行動になるのだろう。

 

 もし、産形茄幹に自身の心を完璧に偽る技術があれば。もし、彼が精神系の能力者に操られ、嘘を真実と思い込まされていれば。

 

 それぞれ十分に有り得る事態である。土御門が言うように、これほどの事態を引き起こすに至ったこの事件の全貌は、未だ明るみになっていないのだから。裏で計り知れぬ陰謀が蠢いていたとしても、不自然ではない。

 

 

「不思議、なんだ。糸が切れたように皆、テロの決行を直前で思いとどまったんだ。たぶん、シュマリ以外の皆が。……後で教えてもらえるか、わからないから、今聴いてもいいかな?キミは知ってるかい?実は今日の朝も、僕たちは窃盗事件を起こしてるんだ。病院でね。その時1人、仲間がいなくなっちゃっ……たんだ。洞淵駿って名前。電話のお相手さん、は洞淵君のこと、知ってたみたいだけど。洞淵君がどうなったかキミは知ってる?」

 

「そいつなら死んでる」

 

「……さっき死んだって言ったのは嘴子さんなんだろ?」

 

「ジャージの方なら生きてる」

 

 そのすっぱりとした切り返しに、しばし、相手は口を閉ざす。景朗は俯き静かに震える少年の、その振動を感受した。

 

 景朗は決して少年を慰めたりはしなかった。口を閉ざしたままでも時間を無駄にしないために、一目見て判断できる範囲内で散布機の組立を推し進める。彼は敢えて無視していた。なぜなら、伝わっていたからだ。

 

 景朗が差し込んだ針から察せられるのは、何も相手が嘘をつく時に晒す動揺だけではなかった。産形の朧げな感情も流れ込み。仲間の死に衝撃を受ける彼の悲哀すらも、景朗へと伝播していた。

 

 僅かばかりの静寂が過ぎ、産形が再び口を開いた。

 

「シュマリが死のうとしていたことに気付けなかった。僕たちは……。計画になかったんだよ。シュマリが自殺するなんて。ずっと考えてて、少しずつわかってきた。きっと、最初からそのつもりだったんだ。シュマリは死ぬつもりだったんだ。今大路の動きを注射で封じたのは、邪魔されたくなかったからなんだ……。でも、シュマリだけのせいには出来ないな……。今となってはわからない。どこまで自分、たちの……。お願いだ、助けてくれ。散布してくれよ。せめて、僕たちがしでかしたことのけじめをつけないと……ぁぁ……僕たちは……」

 

 自分でも言ったじゃないか。ここまでやっといて、随分な言い草だ。最後の最後に会心して大量殺人だけは防ぎたいだと?誰も同情しない。できない。それに、誰も庇わない。

 

 一方的に話しかけてくる産形であったが、だんだんとセリフが途切れ途切れになってきていた。能力の過剰使用で思考が朦朧としている証だ。罪悪感からなのか、延々としゃべり続ける産形に景朗は準備に集中するよう言いつけた。

 

「そろそろ最後の血の供給だろ。余計なことは話さず能力の使用に集中しろよ」

 

「ああ、わかった。……それで、憑き物がとれたみたいに、恨みが無くなったんだ。それまで、楽しそうにしてる周りの奴らにムカついてムカついて仕方なかった、のに。皆死んだらせいせいするだろうなって楽しんですらいたんだ。バチが当たったのかな。怖い、怖いよ……今は怖くて仕方がないよ」

 

 警告を耳にしても産形は狂ったように口を動かし続けた。今一度声を荒らげ注意しようとした景朗を、ケータイの着信が押し止めた。景朗は過剰に反応し、驚異的な速さでケータイを取り出した。すわ、待ちかねた土御門からの連絡か。

 

 ケータイのディスプレイに表示された相手は予想していた人物とは別の人間だったが、どのみち景朗には大いに意味のある報告となった。

 

 放置していた花華からの連絡だった。彼女との会話は、この場では淡々とできそうもない。景朗はすみやかに着信を拒否した。ただし、直後にすぐさまメールの受信を確認する。予想通り、10分ほど前に彼女からメールが送られていた。

 

 メールの内容を読んだ景朗は、思考が停止しかけていた。花華とその友人数名は20分ほど前に第二十二学区を後にして、只今、景朗が産形と幾度も情報を交わしていた、件の第七学区の駅周辺に移動していたらしいのだ。

 

 産形は何度も教えてくれていた。"学舎の園"以外の場所でウィルスの暴露が行われた可能性を。"シュマリ"という少女が、第七学区の駅から"学舎の園"への道すがらにも、ウィルスを仕掛けているかもしれないと。そもそも彼はそれを見越して、ワクチンの散布エリアを外へ広げると言いだしたのだ。

 

 万が一、ウィルスが第七学区にも暴露されていたら。花華たちも巻き込まれているかもしれない。

 

 彼女からの着信を切って返したばかりだったが、いてもたってもいられず景朗は花華へ通話を試みた。もどかしい。直接話して花華の状況を知りたい!

 

「おい!もしもし?今どこにいるって!?」

 

 幸いにも、花華は直ぐに電話に対応した。

 

『景兄やっときたー。まだ駅の近くだよー。なんかねえ、どこもかしこも交通規制でちっとも先に進めなくなってるんだよぉ!』

 

「あとすこし待っててくれッ。会いにいくから!ただホントに今だけちょっと手が離せなくてさ、花華たちがいる場所を後でもっかい詳しくメールしてくれ!」

 

『景兄もしかして急いでる?だったら焦んなくていいよう。慌てずに来てー。アタシたち歩きだからねぇ、この様子だとすっごい時間かかりそうなんだ。クルマだけじゃなくてほこーしゃまで止められちゃってるんだよ?何かあったのかわかんないけどー……。ふへぇー、暑いー』

 

「俺も近くにいるんだ。走っていくからその辺にいてくれ、いいか?!」

 

『あ、景兄もうすぐ来るの?そっか。じゃあわかったーはいはーい。……ねぇねぇ、どうする?お店も締ま――』

 

 花華の話から察するに、"学園都市"は"学舎の園"周辺から人の流入の激しい駅までの区間を遮断しているようである。土御門からの情報によれば、ウィルス散布が発覚しているのは"学舎の園"だけであるらしい。であるから、交通規制は恐らく、"学舎の園"からのウィルスの流出を防ぐために為された処置なのだろう。

 

 第七学区の交通規制の報を花華から聞いた瞬間、景朗は心臓を鷲掴みにされた。花華たちがいるかもしれない区域。駅から"学舎の園"の東側ゲートまでの間の区域にも、ウィルスの魔の手が広がっていたのか、と肝が冷えた。しかし、即座に考えを持ち直した。土御門から連絡が来ていない。その区域にもウィルスの散布がなされたのならば、直ぐに彼が報告してくれているはずだ。

 

 もっとも、何らかのアクシデントが発生してきちんとウィルス暴露が防疫セキュリティに反応していない、といった疑惑は残る。結局、そこのところは産形の言うとおりなのだ。ワクチンを、ウィルスの分布が考えられるエリア全域にバラ撒けば手っ取り早し安全だ。

 

 ただし、そのワクチンが完璧に安全な代物だと信じられれば。ワクチンの出処がテロリストたちからでなければ、の話だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでワクチンの用意は終わった」

 

 ミサイルの給水管となるのであろう容器に、ワクチン入の培養液と産形の血液が充填された。見た目よりも遥かに重さがあり、取り扱いは慎重になった。頑なに景朗に仲間のことを語り続けていた産形もその瞬間には押し黙り、静かに景朗に頷き返していた。

 

「それじゃさっさとこいつを完成させよう」

 

 無事にワクチンの準備を終えた2人は、間髪入れず散布機に意識を向けていた。産形はゆっくりと散布機のパーツに手を添えていく。その緩慢な動作は彼の疲労具合を如実に表していたが、刻限は近い。迅速に終わらせるに越したことはない。少々の無理を押してでもやってもらう。本人もわかっているのか、絶え間なく念仏のように垂れ流されていた呟きもすっかりと鳴りを潜めていた。

 

 

 身体中にワクチンを蔓延させた産形は、そのままでは危険な状態だった。彼に死なれれば、事件解決の手がかりがひとつ失われることになる。景朗は彼の全血液を、ウィルスの無い新鮮な血液に交換しておいた。

 

 彼から抜き取ったワクチンを、自らの肉体で感受する。これだけは間違いない。ビンに入っていたウィルスは、このワクチンで死ぬ。問題はその後だ。そのワクチンが人体に本当に安全ならば。摂取後も恒久的に安全なのであれば、迷いなく散布できる。だが、その確証がない。

 

 

 思案するべきことが山のようにあった。そこにまたひとつ、景朗を疑心暗鬼にさせる事実が生まれた。想像以上の、"幻想御手(レベルアッパー)"の性能についてだ。

 

 治療薬が詰め込まれたタンク。その外見からは予想できないずっしりとした重さも、動かぬ証拠。このたった数分で、産形は恐るべき量のウィルスを増殖させてみせた。それこそ、まともに生物兵器として都市部に利用されたら一区画まるまる壊滅させられるほどの質量へと。

 

 疑いがない。今の産形は低能力者(レベル1)程度ではない。断じて違う。少なくとも、強能力者(レベル3)以上の能力を有している。そこまで彼の能力を引き上げてみせた"幻想御手(レベルアッパー)"。

 

 景朗は悟りつつあった。"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"だろうとどの部隊であろうと。暗部が手こずるはずだ、と。

 

 

 

 強能力(レベル3)以上は効果的に運用されれば、極めて有効な犯罪の道具となる。扱い方によって便利にも危険にもなる、人々の考えの裏を突く手段に。

 

 故に、"書庫(バンク)"に登録されている"強能力者"以上の学生は、その能力の犯罪への悪用を注意深く考慮されている。一部の能力者たちは、秘密裏に"警備員"たちにマークすらされていた。

 

 警備員たちの総数は、この危険度の高い能力者に対応できる程度には揃えられている。しかしこの均衡は、今は破られている。"幻想御手"によって。

 

 学園都市の学生のうち、無能力者は約6割。つまり、残りの4割、全人口の3割強、約75万もの学生が、"幻想御手"によって潜在的に反目されると厄介な"強能力者"となり得えることになる。

 

 懸念していた事態より遥かに深刻だ。同僚たちから有用な情報がもたらされることは、最後の最後まで、ありえないかも知れない。解決への、針の穴ほどの光明すらも見いだせなかった。

 

 

 

 ならば。とりあえず散布して様子を見るのはどうか。この場を凌げば、後日学園都市の優秀な研究員が対処してくれる。

 

 景朗は歯を食いしばり、頭を降った。"とりあえず"散布するだと?テロリストの用意した、この見かけ上は確かに治療薬の働きをする生きたウィルスを、"とりあえず"散布する?

 

 

 間に合わせでばら撒いて。その後、取り返しのつかない事態が引き起こされれば、景朗の責任も重大なものになる。ここで手を引けば。少なくとも、景朗は誰からも非難されることはない。

 

 このまま対処せず放置すれば、ウィルスで"学舎の園"の少女たちは死亡してしまうだろう。第十学区の研究室に太細朱茉莉とやらは潜り込んでいたそうだし、こうまで産形たちとタイミングを等しく犯行に及んだのだ。両者が結託していた確率は大きい。となれば、この殺傷性の高いウィルスを彼女が入手していた可能性も高くなる。それが使用されたのなら。感染した少女たちは助からない。

 

 それでも。たとえ対策を打たずに少女たちが死に絶えようとも。景朗にその責任が向けられることはない。

 

(だって判断できないんだ!産形が嘘を付いてないなんて、確証が持てるはずがない。精神操作系の能力者なんてうじゃうじゃいるんだ。ましてや"幻想御手"なんてモノのせいで、能力強度[レベル]が上昇してこいつの意識に細工できるような、それでいてノーマークな奴らがごまんといるんだぞ!)

 

 とはいえ無視を決め込むといえども。花華たちがウィルスに巻き込まれていた場合、目も当てられない。そこまで思考した景朗に、とある考えが閃いた。

 

(そうだ。それなら、この場から逃げ出して、まっすぐ花華たちのところに向かえばいい。今から確認してあの子たちが無事ならそれでいい。もし感染していたならこのワクチンを摂取させて、何とか健康状態を維持させて、あとから学園都市が用意してくれる信頼できる治療薬を使えばいい。

 

 他の奴らはたぶん巻き込まれていない。丹生から聞いている。あいつは今頃火澄や手纏ちゃんたちと3人で自宅で勉強してるはずだ。花華を除けばこの騒ぎに俺の知り合いが関わってる確率なんて天文学的に低い数値なはずさ……)

 

 

 わからない。わからないから仕方がない。……見捨てる?

 

 でも、何人?何十人?百人単位?どれくらいの人が……。

 

(だからって!だからって助けようとして逆に殺してしまったらどうしようもないじゃないか!)

 

 逃げ出すか?決められないなら。花華たちだけ助けに行くか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 よどみなく進む散布機の組立作業。手順を把握できた部分は景朗も積極的に手をかしていく。しかし、どうしても気になるのか、手が空き次第いくども時間を確認してしまう。あと10分も残されていない。たちどころに、散布是非の問答に決着をつけなくてはならなくなる。

 

 部品も残りわずか。もうすぐ準備は完了するだろう。産形の所作には一切の無駄がなく、どれほど今日この日のために、パーツを組み込む手順を練習してきたのかありありと察せられた。

 

 たっぷりと時間をかけて考察したい。しかしそれは無理な相談だった。刻限が迫っている。

 

 無情に時が過ぎていく。景朗は何かしらの連絡が来るのを待ちわびていた。土御門から状況を一変するような報告が来たりしないものか!どんな小さな情報でもいい。とにかく欲しい。手にしていたケータイを足掻くようにイジリまわしていた景朗は、無意識のうちに電話をかけていた。

 

「"第五位"、そっちは今どんな状況なんだ?」

 

『……今度は何のご用事でえ?』

 

「防疫セキュリティが働いているんだろ。屋外に締め出された子達はどんな容態なんだ?」

 

『ピンピンしている様子だけど。とてもそんな危険なウィルスに罹患してるようには見えないわねえ』

 

 ウィルスの発症が目に見えて表れる事態には落ちいていないようだった。それなら、被害の現場でパニックは起きていなさそうだ。

 

『そもそも、彼女たちは今何が起こっているのかよく理解していないのよ。屋内に入れなくなっただけ。パニックを防ぐためかしらね?学校側からその場に待機するようにって連絡があって、それからは音沙汰無し。まあ、こういう騒ぎは皆慣れっこだもの。状況が理解できるまであまり軽挙な行動を取る子はいないわよお』

 

 "学舎の園"は各種あらゆるセキュリティが並外れている。ウィルスの散布とほとんど同時に防疫機構が可動していたと考えていい。ウィルスの散布は学校の周辺だと土御門が教えてくれていた。その日は休日であり、それほど学校周辺に人数はいなかった。何らかの理由で感染者が建物内に入っていたら、彼女たちは散布30分は経過してる。

 

「あれから目立った異変はないってことか?」

 

「んー。それが、学校周辺を盛大に闊歩してる警備員たちのお話を盗み聞きしたカンジだと、ようやく進展があるみたいねえ。学校側も決断に踏み切ったのかしら。感染の可能性のある子たちを病院へこっそり収容するみたいよお。ゲートに沢山移送用の車両が来てる。これほどの不祥事がバレたら、あの中学校はオシマイだものね」

 

 

 学校側は、今回ばら蒔かれたウィルスが、第十学区の研究所で使われた天然痘ウィルスと同じものだと判断したのだろうか。学園都市が発明していた特攻薬が使用できると。だから隠蔽も可能だと。いや、そうでなくとも、事件が発生してからもう30分が過ぎている。だらだらと、いつまでも動きを見せないわけがないのだ。

 

(ああ。どうする!どうする畜生!)

 

 違う。効かない。少なくとも、学園都市が数年前に開発した薬は効かない。午後、第十学区の研究所でばらまかれたものは産形たちが改造する前のものだった。故に、その襲撃の被害者たちには学園都市製の特効薬が作用したのだ。

 

「それは直ぐなのか?今にも収容されそうなのか?」

 

『そうだけど?』

 

 憂慮すべき状況だ。車両に運び込まれたら、散布を決行しても感染者に治療薬が行き渡らなくなる。"第五位"に懸念を説明する前に、景朗は一も二もなく口に出していた。

 

「それ、その収容、止められるか?」

 

『はあい?』

 

「収容するのを妨害できるかって言ってんだ!感染者はひとり残らず外に待機させといてくれないかって言ってるんだよ!」

 

『はい?!へぇ?どうしてえ?!』

 

「これからバラ撒かれたウィルスの治療薬を散布!……するかもしれないんだ」

 

『かもしれない?治療薬の散布?アナタ何を言ってるの?』

 

「とにかく!感染した子たちが屋外に居てくれないと助けられなくなるんだよ!」

 

「終わった!これでこいつを発射できる。ただ待ってくれ。ひとつ問題があるんだ。話を聞いて」

 

 "第五位"とのやり取りに混ざり、追い詰められた表情の産形が新たに警告を告げてくる。かまわず教えろ。アイコンタクトだけで産形に対応せざるを得ない。

 

『ずいぶん切羽詰まっている様子ねえ。うーん。まあ、できるかできないかと言われれば、超ヨユーでできますけどお?というか、このワタシに掛かれば片手間で済むレベル?』

 

「助かる!じゃあ頼む。早く頼むぞマジで」

 

「ミサイルの飛翔ルートなんだけど、これ、見て」

 

 

 産形の言葉に集中してしまう景朗は、思わず"第五位"への返答が杜撰なものなっていた。産形が取り出したスマートフォン。画面には、物理計算アプリらしきものが立ち上げられていた。"学舎の園"近辺の地図。そこに、一目見てわかるように3Dモデリングされた散布機の航行ルートらしき線画が動く。

 

『なあにその態度!この1件はアナタの貸しにするからねえ!』

 

「貸しでもなんでも、もうどうでもいいから早くッ!」

 

「散布機は高度をほとんど変えず水平にシュマリの中学上空まで飛ぶ。そして鉛直方向に急降下して高度を落とし、散布を開始する」

 

 百聞は一見に如かずというが、なるほど。産形がスマートフォンを見せてくれて助かった。動きを視覚的に把握できれば、情報の伝達に齟齬はほとんど生じない。散布機の航行ルート確認は、ものすごく容易だった。

 

『ちょぉっと!もおお、覚えてなさいよお!』

 

「づああ、勘弁しろよ!お願いしますお願いしますお願いします」

 

「僕は頂上(ここ)にきて、まず最初にこのルートに手を加えたんだ。シュマリの中学周辺に散布を終えたら、そのまま東に飛んでいくようにしてある」

 

 一生懸命に説明する産形に、景朗はわかっているぞ、と何度も頷きを返し続けた。

 

 一方の"第五位"は。お怒りの様子だが、きちんとやってくれるだろうか。よもや、言いつけ通りに収容を阻止するどころか、反対に生徒たちをその場から退散させて治療薬散布を妨害するような真似をしてくれるなよ。

 

 未だ完全に信用のおけない"第五位"。彼女には景朗の弱点を知られている。敵対することになれば、また一つ悪夢が増えてしまう。脳裏によぎる最悪な展開を思い浮かべ、景朗は意識的に考えるのをやめた。

 

 

『やってあげればいいんでしょお?もお、このヘタレ!』

 

「何とでも言ってくれてかまわない」

 

「でも、第七学区へ向かう途中のここ、学舎の園の外壁の上空を通り過ぎるところ、ここが問題なんだ。外壁には不審な飛行物体を撃ち落とすセキュリティターレットがある。キミ、アンブの人間なんだろ?このセキュリティをどうにか停止させられないか?」

 

 今一度、産形のスマートフォンを注視した。彼の発言通り、このソフトで計算された散布機の経路は、外壁上空を通過する時、セキュリティに捉えられる高度まで低下している。

 

『……』

 

「大丈夫だ。これは俺でも何とかできそうだ」

 

「ああ、うあああ!なら問題ない、やろう!早く、タイムリミットも迫ってる!」

 

 疲労が襲う中、産形は希望に満ちた笑顔を景朗へ照射した。とうとう、治療薬の散布を妨げるものはなくなった。さあ、この場で今すぐにでも行動に移そう。彼の態度はそう物語っていた。

 

「どうしたんだ……なんでやらないんだよ?はやくやってよ!やってくれよ!」

 

 冷ややかに、騒ぐ産形を視線で射抜く。景朗は先ほどの、彼のうわごとのような独り言にきちんと耳を傾けていた。

 

(産形。お前言ってたよな。突然、憑き物が取れたかのように憎しみが消えたって。まるで洗脳が解けたみたいな言い方をしたよな。だけどそれは。言い換えれば、急激に、一瞬で感情が変化したってことだよな。つまり。洗脳が解けたんじゃなくて、新たに洗脳されたって風にも聞こえるんだよ、俺には!)

 

 いるかもわからない能力者を探しに、蝨つぶしに塔内を巡る時間は端から存在していなかった。

 

 

「あとは治療薬を撒くだけだじゃないかっ!助けられるんだよ!」

 

 景朗が自らの要望に応える気がないのだと理解したのだろう。見覚えのあるような、ないような。救いだと思っていたものが、そうではなかった時の、あの浮遊感。単純に形容すれば、希望が絶望に反転する瞬間、か。

 

 笑みを浮かべていた少年の顔が、刻々と歪んでいく。その風景を目にして、景朗の心に形のない既視感のようなものが滲み湧いてくる。

 

 どうしてそんな顔するんだ。だって、わからないんだ!仕方ないだろうが!幻生が俺にやってきたことと、俺がお前にやっていることは、違うはずだろう?なのにどうして、そんな見覚えのあるような表情を俺に向けてくる?!

 

 

 

 

 

 狂気を振りかざし、いよいよ産形は我を忘れ詰め寄ってくる。景朗は逡巡せず、絡めていた触手に力を込め再び彼の自由を奪い取った。

 

「助けてくれ!僕だぢを助けでぐれよ!やればわかる!撒いてくれれば皆わかってぐれるはずなんだああ!」

 

 

 

 

 これほどの事態を引き起こしておいて、そんな事を言っても誰も信じるものか!

 

 ウィルスの大まかな性質に気づけた俺でさえ、治療薬の散布には踏み切れない。まかり間違えば、俺が。愚かにもテロリストに丸め込まれ、大量殺人生物兵器を撒き散らした卑劣漢になってしまうのだから!

 

 客観的に考えて、お前を信用する奴なんて、どこにも居やしない。

 

 確かに、細菌兵器を運用する犯罪者どもが、自爆を恐れて治療手段を用意しておくのは筋道の通った行動だとも。でも、その押収した治療薬を、万全の安全確認すらせずに多数の市民に摂取させるのは軽率に過ぎる!

 

 しかし。無視を決め込めば。そして最初にビンに入っていたあのウィルスが暴露されていたならば。感染した人たちは疑いなく、危機に陥るだろう。それもまた確定事項なのだ。

 

 

 

 いよいよ、産形の悲鳴に逼迫した色が溢れ出る。治療薬の散布が間に合う限界ギリギリの時刻が到来しているのだろう。

 

 

(お前がしでかした事実は変わらない。完全に操り人形にされていたなら、哀れに思うよ。でも、そうでなければ。お前がどんな気持ちだったろうと、お前がどんなメに遭遇して来ていようとも、それで許されると思っている……の……か……)

 

 降って沸いた思考に、凍りつく景朗。その考えは、そっくりそのまま、自分にも当てはまるのではないか。何を偉そうに、この少年に……。自分は一体、何様だ……?

 

 

 

 

「"第五位"。さっきから反応がないけど、やってくれてるのか?」

 

『言っておくけど、アナタは相当無茶苦茶なことを言って来たんだからねえ?』

 

「ッ。やっぱり、無理だったのか?」

 

『誰にモノを言ってるのかしらあ。既に言付かったご命令は完遂していますけど?それだけじゃないわよ。室内に待機してた女の子たちの記憶をちょこーっと覗いて、ウィルスの散布時刻に野外を出歩いていた子たちはみぃーんな、表にたたき出しといて上げたわよ?覚悟なさい、この貸しの重みは相当なものですからねえ?』

 

 

 彼女の言が正真正銘真実本当ならば。これで散布の可不可に関する問題は完璧に排除されている。

 

「うあああああああああああああッ!オマエのせいだ!オマエのせいだああ!」

 

 

 ケータイの時刻が目に入る。ああ。タイムリミットがやってきた。

 

 花華のところにいくか?こんなところで、ゆっくりしてはいられない。

 

 

 

 なかなか、景朗の脚は動かなかった。決断をずるずると引き伸ばし、貴重な時間を食いつぶす。一番愚かな選択だった。いずれにせよ、何か行動にでなければならないのだ。この期に及んで見捨てるのならば、もはやそれでもいい。ならばすかさず、花華の元へ向かって見せろ。

 

 

 

 

 

 

 

 景朗が自らの選択に絶望しかけていた、その時。彼は異変を感じ取った。初めはそれが意味するところに、敏感に気付けなかった。

 

 数瞬、動きも思考も硬直してしまう。のちに、ようやく思い至る。思いもかけない突破口であると、脳裏に閃光が走っていく。奇跡が間一髪間に合った。運命の境目に滑り込んできた。

 

 躰が動き出す。景朗は、こんなこともあるのか、と運命を垣間見た気がした。

 

 

 

 

 ワクチンが本物かどうか確かめようと実験した、景朗の触手の先端部。神経手の束。その中には、まだ天然痘ウィルスを食い尽くしたワクチンが残留していた。景朗の凶悪な免疫機構がそのウィルスを殺さぬように、その細胞の中は環境を整えてあった。通常の人体よりもウィルスに対する抵抗が数段弱い環境へと。

 

 景朗がためらっていた理由。それは、その残留したワクチンが、どの様な変化を見せるか。これに尽きた。もし、時間とともに、人体に有害な反応を示すようになれば。ワクチン散布の意義は失われる。

 

 ところが。悩み苦しむ景朗に、まるで神様が助け舟を送ってくれたのか。景朗は知覚した。死んでいく。死んで行くのだ。

 

 天然痘ウィルスを駆逐したワクチンが、死滅していた。自己崩壊。彼の細胞の奥底。役目を終えたワクチンが、時間経過で自壊していくのだ。急速に、数を減らし始めている。

 

 ワクチンは人体に投与されたあと、一定時間が過ぎれば自動的に自死して消滅する。死滅したウィルスに、それ以上の悪事が働けるはずもない。

 

 これなら、問題ない。この治療薬なら、散布しても問題ない。産形は嘘をついていない?

 

 

 

 少女たちより後にウィルスを摂取した景朗に、ウィルスの危険性は判断できなかった。だが、少女たちより先にワクチンを摂取していたおかげで、景朗はその安全性を知覚できたのだ。

 

 

 ウィルスを操れる能力者なんてそうそういない。産形以外はマークされている!土御門からの情報だ。この情報だけは本物だ!故に、誰かが散布後のワクチンに干渉する可能性はない!だから、だからこの治療薬は散布しても安全だ!

 

 

 

「……やれ!産形やれッ!」

 

 いつの間にか産形の拘束は解かれていた。背後で散布機からガタガタと音がする。景朗はとっくに走り出していた。塔の縁まで一気に駆け抜けると、青海へ飛び込むように勢いよく身を投げだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地は地表。この高い電波塔の頂きから急降下するだけでいい。それなら。

 

 澄み渡った青空に突如、ポツリと浮き出た人型の黒点。それは現れるやいなや、一切の音を生み出さずに爆ぜた。偶然にもその塔を見上げ、空中へ飛び出す人影を発見できた通行人たちがいた。しかし、彼らにも目撃できたのはそこまでだった。

 

 

 白雲の保護色に身を染めて、大空へ溶け込んだ巨大な影。大型のグライダーよりもさらに一回りほど長大な翼が広がり、細く鋭い流線型の頭部には長剣のような嘴が突き出している。

 

 遥か大古の暑い空を支配していたであろう、超巨大翼竜、"風神翼竜(ケツァルコアトルス)"。

 

 史実通りであれば、空の彼方を舞う翼竜は空気を押しのけるのに十分な筋肉と強度を有していなかったと推察されている。しかし、現代の"超能力者"が体現したその怪物は、強風を切り裂く軽量にして強靭な薄膜と骨格、そして物理性の限界に迫る反則じみた怪力を誇っていた。

 

 妨げるものは何ひとつとして存在しない。翼竜は飛翔という概念を完璧に掌握できていた。

 

 物理法則を無視したように軽やかに、遥か彼方下方の地表に背を向ける。躰を反転させ、火を炊き上げる散布機の機影を鷹の目よりも鋭い視覚で掴み取る。

 

 耳に届く燃焼の響きは、それできちんと可動しているのかと心配になるほど存在感が小さかった。まるで行楽用の手持ち花火が爆ぜる程度の、静音性。

 

 それにしても、景朗が空へ飛び出してからミサイルの発射音までほとんど間隔は空いていなかった。産形はとにかく迅速に散布機を射出させたらしい。これならば彼が余計な真似を加える時間はなかっただろう。

 

 

(急げ!急げ!あのミサイルよりも疾く、学舎の園にたどり着かないと!)

 

 

 ミサイルの到着より前に現場に乗り込み、暴露されたウィルスを調査しておかねばならない。学舎の園で使われたウィルスが、産形たちの生じしていたものと全く同じものであってほしい。もしそうではなく問題があれば、そのまま上昇して散布が始まる前にミサイルを呑み込んでしまえばいい!

 

 

 能力を際限なく開放し、全力で予定地点へと降下する。そのためか、翼の動くその度にひとつひとつ轟音がどよめく。自分の存在がバレやしないか気がかりであったが、もっと優先して気にかけるべきことがある、と無視を決め込むしかなかった。

 

 

 そのように一直線に滑空していた途中。千里眼とまではいかぬものの、常識を有に飛び越えた破格の視力が、ミサイルの予定飛行ルート上に浮遊するシルエットを捉えていた。

 

 

 1メートル近い大きさの、四つのフィンがくっ付いた外観の監視用ドローン。"お空の散歩"時によく見かける、"警備員"の使用する一般的な装備だった。

 

 自分ひとりなら。通常時ならば、ドローンの赤外線カメラに引っかからぬように体温を極限まで低下させる小ワザ等を使って煙に巻くところだが。今の彼の背後には、後続してくるミサイルがある。いくら学園都市製のミサイルといえども、自分と同じような芸当を期待するわけにはいかない。

 

 とはいえ、無配慮に破壊すれば、落下する残骸によって被害がでるだろう。しかし、景朗はちょうどいい位置にいるな、といわんばかりに笑みをこぼしまっすぐドローンへと近づいていった。ぶつかる寸前に、突撃槍のような形状の嘴がパクリと裂ける。

 

 

 

 次の瞬間。トンボを模したドローンは怪音に警戒を顕にしていたが。なすすべなく、翼竜に捕食された。翼竜が空を支配していたのは、一億五千年ほど前だったかな。古代の空でも、今みたいにコイツラはトンボを食ってたのかもしれない。まるで本物の"ケツァルコアトルス"にでもなった気分に、一瞬させられた景朗だった。

 

 

 

 目的の中学校はいよいよ間近。着陸地点を脇にあるだだっ広いグラウンドに定め、着陸準備に入る。躰を急速に、まるごと網上に変形させ、地面に衝突させた。衝撃を和らげるため、内側からどんどん外側へ広がる波紋のように、薄く伸ばした体組織を引き伸ばしていく。

 

 丸まった絨毯が着地とともに広がるように、衝撃を吸収した景朗。すかさず、ウィルステロの被害状況を確認する。

 

 それほど物々しい重装備でないのは、感染者を刺激しないためだったのだろう。薄い防護スーツにヘルメットをひとつ、ウィルス用の滅菌機材を抱えた警備員たちがあたりを彷徨いていた。

 

 彼らは皆、作業を放棄して世間話に興じている。それどころか、たった今降り立った景朗の存在にすら気づいた様子はない。不可思議な光景だった。

 

 景朗はひといきに大量の空気を吸い込み、ウィルスの存在を検知した。そして発見する。間違いない。これから散布するワクチンが有効な、あのビンの中に混入していた改造ウィルスだ。

 

 除菌作業が滞りなく行われていたら、面倒なことになっていたかもしれない。よくぞここまでやってくれた、"第五位"。景朗の心に一瞬、彼女への感謝の気持ちが沸いた。

 

 

 

 

 澄み渡る燃焼の響きが、景朗へと接近してくる。この場所へと、治療薬が迫っている。突風、強風は無し。風は凪いでいた。これなら、アクシデントはなさそうだ。

 

 景朗は今一度、強く大地を蹴って空へ舞い上がる。今度は小型の、それでも数メートルほどの体長をもつ怪鳥へと変身しつつ。

 

 

 

 勢いよく治療薬を散布するミサイルを先導するように、飛翔し、産形が問題に挙げた外壁のセキュリティターレットへと目を向けた。外周に沿うように、かなりの数のレーザー兵器が配置されている。

 

(数が多すぎる!どんだけ金をつぎ込んでるんだ……ッ!)

 

 景朗の想定以上の数。向けられる大量の砲台。射程もわからない。それでも、短時間で全部壊せなければ失敗してしまう。出来ないこともない。しかし、破壊したつもりで撃ち漏らしては台無しとなる。

 

 後ろで治療薬を霧吹く機影を覗き見て、景朗は予定を変更させる。ミサイルから離れては駄目だ。

 

 

 急遽、砲台の破壊を取りやめ、散布機の防衛へと移行する。ミサイルさえ無事ならばそれでいいのだ。今は護衛の時。撃ち込まれる攻撃を防いでしまえばいい。

 

 景朗はもう一度、巨大な翼竜の姿へと舞い戻る。幸いにも、砲撃は下方からのみ。

 

 まずは、レーザーを無効化させよう!

 

 景朗は勢いよく、口から黒色の煙幕を吐き出していく。散布機や自身の巨影すら覆い隠すほどの、広範囲に及ぶ煙雲。これで、レーザーの威力は弱まるはずだ。

 

 待ち構えているのはレーザーがほとんどだろう。とはいうものの、あれほどの数だ。セキュリティターレットの中には実弾兵器も配備されているかもしれない。

 

(クソ、それなら。盾になるしかない)

 

 煙を吐きつつ、景朗は散布機の下に位置取った。小さな機影を覆うように躰を広げ、飛来する攻撃を全て待ち構える。

 

 

 

 

 いよいよ外壁の上空に差し掛かる。セキュリティターレットが反応し、レーザーの一斉照射が始まった。無数に届く攻撃。その中には実弾も含まれるかもしれないと予想した景朗だったが、その心配は必要なかったようだ。

 

 実弾を使えば、園内に使用した弾丸が落下することになる。その点が配慮されたのか、最初からレーザー兵器しかターレットには備えられていなかったのだ。景朗の身に降りかかったのは高出力レーザーの火砲だけであった。

 

 もくもくと炊き上がる煙幕のおかげで、景朗は少々熱いおもいをしたものの、その場を無事に乗り切った。

 

 

 山場は通り過ぎた。セキュリティの圏外へ到達した散布機の影を見つめ、姿を隠し、景朗は後方からゆっくりと飛翔を続けていく。

 

 

 

 

 

 

 やがて。燃料切れを見計らい、翼竜は役目を終えた散布機を咥えてどこへともなく飛び去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うひゃああ、はわわわわわあっーなにごとぉー!?」

 

 背後から忍び寄り、少女の脇を掴んで持ち上げた。彼女は悲鳴とともに手足をバタつかせている。

 

「もーっ。こんなことするのどーせ景兄でしょ離して離して離して離して!」

 

 子猫のように掲げられる花華。暴れる姿は、その小柄さも合いまってか非常に微笑ましいものだった。そばを通り過ぎる子供たちには指を指され、大人たちは笑みをこぼす。後ろから見える花華は、耳を赤くして恥ずかしがっている。

 

 

 

 

 治療薬の散布を完遂させた景朗は事後処理を投げ打ち、兎角急いで花華たちの元へ直行した。

楽しそうに会話する少女たちのグループを発見すると、景朗は急速に安心を取り戻していった。

 

 

 交通規制が始まった当初。花華とその友人御一行はその煽りを喰らい、人の流れに沿ってダラダラと歩道を歩いていた。

 

 しかし。中々思うように進めない苛立ち。そのうち彼女たちは、いっそ規制が解消されるまでの間、道端でおしゃべりにでも興じていよう、という考えに思い至ったようだ。

 

 

 いずれにせよ。元気な様子を見ただけでは安全しきれない。そこで景朗は背後から花華に詰め寄った。いたずらにかこつけて接触し、無痛の針を打ち込んで健康状態を確認しようと図ったのだ。

 

 獲物へ近づく狼のごとく、そろりそろりと忍び寄る最中。花華の正面で話し込んでいた黒髪ロングストレートの少女に見つかっていた。彼女は景朗の顔を花華に写真で見せてもらっていたらしい。景朗の苦し紛れのアイコンタクト。少女は彼を疑わず、逆に快く含み笑いを返してくれた。

 

「離して離して離して離して離して」

 

「おいっすわかったわかった、下ろすから暴れんなよー!」

 

 服を透して針を差し込み、血液を調査する。結果は、白。花華は無事だった。彼女には何事もなかった。そもそも、"学舎の園"以外のエリアはウィルスの散布は報告されていなかった。とんでもないトラブルでも生じていない限り、ウィルス散布は生じていなかったはずなのだ。この様子では実際その通りに、平和そのものだったのだろう。

 

 

「うわー。写真で見ただけじゃわからなかった。お兄さん、すっごいおっきかったんですねー」

 

 先ほど目配せし合った少女が、ようやく地面に降ろされむくれている花華を見て笑っている。

 

「どーもー。雨月サンー」

 

「こんにちはー」

 

「かーげーにぃーい……」

 

 威嚇する花華をよそに、花華の友達はにこやかに挨拶を交わしてくれる。彼女たちに勉強を教えるはずだった約束の時間は、とうに過ぎている。それでも、何事もなかったかのように、清々しい態度だった。

 

 いいや。何事もなかった、というのは別の意味で不正解だったのだ。景朗は思い至った。

 

 これほど大規模で長時間の交通規制は学園都市でも珍しい。今回の交通規制、第七学区南エリアの駅周辺を巻き込んだ、各方面各所への通行止め。八割が子供、という途轍もない年代比率の学生都市故に敢行できた代物だった。

 

 記憶にも怪しく久しい規模だった此度の交通規制を鑑みて、少女たちは景朗の遅刻に目をつむってくれているのだろう。

 

「ああ、そっか。確かに写真だけじゃ相手の大きさってわかりにくいよね。ふふん。でかいのは躰だけじゃないぜ。ほら、この通り。手もやたらと馬鹿でっかいのです」

 

 少女たちの前に、大きめに膨らませた両手を広げて、披露する。実を言うと、彼女たちに興味を持ってもらえるように若干手の大きさを能力を使って"盛って"いた。正直、誰だって驚き、目が天になるくらいのデカさになっている。やりすぎ感がなければいいな……

 

「うわっ、マジ、ええ?!ホントだ!手だけ異様におっきい!?」

 

 ここまで身長と比してアンバランスなほどに巨大な手を見るのは初めてだったのだろう。花華の友人一行は景朗の手を覗き込む。

 

「HEY, 握手握手」

 

 どさくさにまぎれ、少女たちに握手を求めた。

 

「おかしい。景兄、いつも握手なんてしないジャン!」

 

 不信感むき出しの花華。お前にはそりゃバレるよな。でも、相手は花華。無視して問題ない。

 

「そんなことないよ」

 

「あるよ」

 

「ないよ」

 

 仕込みはあっという間に終わった。握手ひとつする間に終わらせた。花華の友人たちも皆、健康そのものだった。ウィルスの影はなし。

 

 

「あー、はは。そういえばどうも、遅れてしまってごめんね。それでさ。来たばっかりで非常に言いにくいんだけど、俺、実はこのあとすぐ、どうしても行かなくちゃいけない用事ができてしまって……」

 

「へ?」

 

 花華の、まさか!とでもいいたげな目つき。それで正解だよ、花華。

 

「申し訳ない。散々待たせておいてアレなんだけど、今日はちょっと、勉強教えれなくなってしまいまし――」

 

「あたっく!」

 

 そばに立っていた花華が言い終わる前に正拳突きを放っていた。まるで石畳に布切れ一枚を被せただけのところに、思い切り拳を打ち込んでやった、とでもいう乾いた音。直後、彼女は右手をおさえてしゃがむ羽目になる。

 

「ひだああああ?!」

 

(なんと無謀な。俺の鋼の肉体に。いやマジで鋼より頑丈だからね下手したら)

 

 拳を痛めたら可哀想だった。そのため、虚脱して肉を柔らかくしておく配慮を試みた景朗だったが。思いのほか本気で殴りに来ていた花華に考えが変わり、そのまま放置しておいた。花華ごときの筋力ではさすがに拳は壊れまい。

 

 

「この通り。花華の面目も立たないぞ、という事で直接謝りに来たんです。本当に申し訳ない」

 

 両手を這わせ、深く頭を下げた景朗。俯いたままの花華から、怨嗟の声が湧いている。

 

「ううう。だと思った。最後の電話で景兄の声聞いた時から、こーなるんじゃないかってちょっとよそーしてたんだ……ごめんね皆」

 

「別に気にしてないよ、花華ちゃん」

 

「しゃーないっすね。こうやって謝ってくれたし、気にしないでください、オニイサン」

 

「そんなに謝る必要ないですよ!てか、アタシらんトコだってわざわざ会いに来てくれなくても良かったんですよ?」

 

 花華の友人たちは、皆バツが悪そうな表情を浮かべている。

 

(まあ、それはそうだけど。君たちの安全も心配だったからね)

 

「いや、まあ近くには居たんだよ。ホント、"学舎の園"らへんにね。バイトで」

 

「"学舎の園"の方から来たんですか?!それならもしかしてご存知ないです?この騒ぎ。なんだかあっちの方で事故か事件か、とにかく何か起きたんですよね?こんな有様久しぶりだし」

 

 

 黒髪ロングストレートの少女が尋ねてくる。少女たちは交通規制の情報が一切公開されなかったことに疑問を感じているようだ。

 

 花華に悪いことしてしまったし、もう少しもっともらしい言い訳をしなければダメだろうか。……いや、言い訳とは言いつつも、ほとんど真実に近い理由なんだけどね。

 

「いや、残念ながら、俺もあまり詳しくは知らないんだ。ただ、やっぱり"学舎の園"辺りでテロ騒ぎか何かが起きてたらしいね。何を隠そう、俺、"警備員"関連のバイトやっててさ。今日、急にシフト入っちゃって。もちろん昼ごろまでには帰らせてもらうつもりだったんだよ。約束に間に合わなくなるからね。でも、そう思ってた矢先に。この騒ぎが起きてねぇ」

 

 手のひらを見せつけるように広げ、やれやれ、とため息をふかす。

 

「あぁー。そうだったんですね」

 

「やっぱまだまだ非常事態っぽくてさ。これからまた手伝いに行くんだよ」

 

「アンチスキルのバイト?!知らないよー??」

 

 またぞろ立ち上がった花華が気炎を上げる。これは相当、機嫌を悪くしている様子だ。

 

「いや一週間くらい前にはじめたばっかだもんよ。教えてなくて当然……う、とりあえずスマン、花華、皆さん!」

 

 そろそろ場を辞退させてもらおうと考えていた景朗のケータイが、タイミング良く震えだした。恐らく仲間からの連絡だ。花華たちと長々と会話しすぎた。

 

 気を抜くのはまだ早い、と景朗は緊張感を取り戻す。まだ事件は終わっていないのだ。戻らなければならない。

 

 

 

 手を振りつつ、その場を後にした。距離が離れたその時。感度の良い景朗の耳が、遠間から少女たちの声を拾った。

 

「うわーぁぁ!どうしよ!どうしよ!今日一日でめいいっぱい鍛える予定だったのに!盛大に遊んじゃったよー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポケットの振動を忘れてはいない。近くのビル、人気のない屋上へ足を付け、景朗は電話をかけ直す。

 

『うふふ。うふふふふふふ』

 

 のっけからの、勝ち誇った少女の高笑い。てっきり、陰惨な事件の続きが待っている、と。それが自らを待ち受けているものの正体であるとばかり、思っていた。しかしどうやらこれは。覚悟していたものとは別種の報告に違いない。

 

『ねえ、最っ高だとは思わない?他ならぬ、自分の能力が効きもしない憎い相手が居たとして。そんな相手に能力を使いもせず、飼い犬のように自由に命令を訊かせられるのよお!』

 

 よくもまあ、それほど上からの立場で物を言い出せるな、と景朗は憤慨した。この陰険な"第五位"とやらへの協力の報酬をどうするか。アレイスター、領収書切ってくるからあんたが処理してくれないか?

 

『ワタシの能力にも、一つ欠点があるのよね。ここまで自分の思うがままに他人が言う事を聞くとなると。片手で数えるほどしか、面白みを感じられる娯楽が存在しないのよ。アナタにワンちゃんのように命令して、地面に這い蹲らせてあげる。同じ超能力者のアナタを。う、うふふ、最高の気分だわあ!』

 

「まあ、仕方ないけどさ。でもちゃんと、領収切ってくれよな?」

 

『何を言ってるの、アナタは……そういうキャラクターなのお?……。まあ、最低限、アナタの家族ちゃんには手を出さないでいてあげる。アナタみたいなおつむが弱いパワータイプの脳筋さんは、そこまでしちゃうとトチ狂ってワタシのお城に直接討ち入りしてきちゃいそうだもの』

 

「そんなことないよ」

 

「あるでしょお?」

 

「ねえよ」

 

 手前の"城"だと称すなら、学園の生徒たちを救った景朗と貸しはひとつずつ。貸し借りは折半すべきでは?

 

 そう考えたものの、景朗は黙っていることにした。彼女にはまだ協力して貰わなければならない。なにせ、事件に決着がついているのかどうか、まだ誰も知らないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方が近い。日は落ちかけていた。街は見渡す限り茜色に染まっている。ウィルス騒ぎが嘘のように、街は日常を取り戻しつつあった。"学舎の園"の内部は、未だに滅菌作業やら何やらで忙しいのかもしれなかったが、その他の場所からは、テロの影響があとを引いている光景は見受けられずにいる。

 

 景朗の治療薬散布の判断は、英断として受け入れられるだろう。何せ、散布したワクチンとしてのウィルスは、人体に入れば無害なまま死滅していく。結果として、誰も死んではいない。この時間帯に到達しても、ウィルスによる死亡の報告は皆無、一件も報告されていないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は花華たちと別れた後、土御門元春と木原数多に報告を行い、それから直ぐに新たなテロへの警戒に入っていた。

 

 続く捜索活動の際にも、"第五位"は上機嫌で景朗のサポートに徹してくれていた。そこはかとなく意外な行動であった。もっとも、サポートしてくれた、とは言うものの、産形たちとの一件以来、目立った事件は発生していなかった。

 

 

 件の産形は、ワクチン散布直後、"猟犬部隊"に意識不明の状態で確保されている。夜霧流子もその時に同じく捕まった。もうひとり、第七学区で今大路万博という少年も"警備員"に逮捕されており、彼も産形たちの仲間であった、と木原数多から連絡があっている。

 

 

 

 

 

 捜索の合間に、景朗はその日の出来事を何度も思い出し振り返っていた。電波塔で戦った少女と、会話した少年について。

 

 

 あの少年たちは、直前で踏みとどまった。大量殺人を。勿論、細かいことを言うならば、第十学区で襲った研究所でもウィルスをばら撒いてはいる。だが、恐らくその行為にはそれほど殺意は含まれていなかったとも景朗は思うのだ。

 

 遺伝子操作せずに撒かれた天然痘には、この街特製の特攻薬が100%作用する。それでも当然のごとく、冗談で済ませられる行為ではない、悪質な犯罪そのものではあるが。

 

 そして、あの少女。至近距離で爆弾を使ってまで。自爆してまで、景朗を止めようとした少女。彼女は理解していたのだろう。力づくで止めなければ、自分たちに味方するものが誰ひとりとして居ないことを。

 

  "ケルベロスは能力者だった!やっぱり人だった!本当に現れた!……殺してやる!"

 

 嘴子千緩が"三頭猟犬"として初めて能力を晒した景朗へ、放った台詞だ。彼女は暗部で用いられる単語としての"ケルベロス"を知っていた。尋常ではない殺意。初めは景朗の存在を危ぶみ、手を抜ける相手ではないと恐れての発言だと思っていた。

 

 事実は異なっていた。彼女は、仲間と自らが置かれた立場を正確に察していたのだ。奇跡でも起きない限り。産形が敵の手中に落ちれば、大勢の罪なき人間が死ぬと理解していた。だからこそ、死すら厭わず、景朗に抵抗してみせたのだ。

 

 実際、ウィルスの性質を詳細に掴み取れる能力を持つ、景朗があの場に訪れていなければ。人々に記憶される、"今日"という日の結末は容易に反転していたはずだ。

 

 

 所詮は犯罪者。背負いきれぬ十字架の重みに、直前で気づいた愚か者だったのかもしれない。それでも。変わらない事実もある。景朗は思い出していた。爆弾を起動させる今際の際の、彼女の決意を。

 

 知っているのは俺だけだ。彼女が示してみせた覚悟。この世界で、俺だけが知っている。俺が黙っていれば、誰も知ることはない。

 

 自分に何かできるだろうか?景朗は思い悩む。

 

 やはり、相手が悪い。この街の頭に真っ向から喧嘩を売ったのだ。それに、自分自身が完全に信用しきっていない彼らの善性を、証拠もなしにどう証明する?してどうする?

 

 ……けれども。まだ誰もウィルスで死んでいない。結果として、誰も死んでいない。人的被害はない。未だに。ただただこの街の、景朗の預かり知らぬところで、誰かのメンツが踏みにじられただけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 もし、罪を犯した人間が、命を賭して贖罪を行おうとして。それでも、許されることがないのならば。その仮定は、景朗にもそっくりそのまま還ってくる。

 

 罪は永久に許されないとしたら。脳裏に刻まれる、彼女の死。だとしたら。景朗にはあれよりよほど苛烈で、惨たらしい結末が待ち構えているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第五位"は痺れを切らしつつある。いつまでとも知れぬテロリストたちの捜索。そのことを暗に含んでいるのだろう。トゲトゲしい"第五位"の絡みは腐敗するように辛辣になり、いよいよ毒を生み出し始めていた。彼女の言葉攻めに本格的に面倒臭くなっていた景朗だったが、そんな彼を突然の呼び出しが救いだした。

 

 木原数多から召集の号令。どうやら別の案件が"猟犬部隊"を待ち構えているらしく、それは同時にテロリスト捜索が別部隊へ引き継がれることを意味していた。喜ばしいニュースではあったのだが。

 

 別件。つまり、また新しいトラブルが勃発したのだ。この街は仕事の機会に溢れている。景朗は皮肉げに呟くと、"第五位"に別れの挨拶を告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは第七学区中部エリア。指定された集合ポイントへ駆けつけた景朗が目にしたのは、わずか1台ばかりのトレーラーだった。"猟犬部隊"のリーダー、木原数多がただひとり。孤独にも彼の到着を待ち構えていた。

 

 この場に集っていたであろう隊員たちは、既に出発を済ませてしまったようだ。閑散としたその雰囲気から、出遅れたのか、と景朗は小さく息をついた。

 

 しかし、それにしては。木原数多は随分とゆったりとした雰囲気を醸し出している。

 

 案外、景朗の勘違いだったのかもしれない。音頭を取った木原数多の口ぶりからして、てっきり別口の任務の招集だったと思い込んでいた。

 

 ビルから飛び上がり、木原数多の背後へ荒々しく着地した。背を向けたまま、木原数多は景朗へ呼びかけた。

 

「遅えぞ?」

 

「……こっちは何も目新しい発見はなかったよ」

 

 相手は返事に振り向かず、背を向けたまま端末を弄りまわしている。しばらく、静けさがあたりを包む。

 

 ほうっておけば、延々と黙したままなのでは。景朗が沈黙に痺れを切らす、その前に。出鼻をくじくように、唐突に木原数多が口を開いた。

 

 

「犯人どもはちゃくちゃくと犯行計画を吐き出してるみたいだぜ。オマエが捕まえた奴も素直に白状してんな。おかげで、おおよそ奴らの目論見は看破できてきてるようだ。これ以上は俺たちを動かすほどのシロモンじゃねえとよ」

 

 産形たちの起こした事件は終結しつつある。"猟犬部隊"をわざわざ実働させる必要もないほどに、事件の背後関係が暴かれているようだった。

 

「なあ、あいつらの調査はちゃんと行われんのか?」

 

 

 薄々、産形たちに待ち受ける転末を予知していながらも、景朗は聞かずにはいられなかった。見守ってきた事件の推移から察する。この分であれば、今回の件は人的被害はゼロで終わるだろう。

 

 となれば、"学舎の園"で無様に生じさせてしまったバイオテロ事件は。恐らく統括理事会にもみ消されることになるだろう。完璧な隠蔽が難しいのであれば、『あくまで未遂だった』形で処理がなされ、メンツの保全に見合った役職、役員の首が飛ぶのだろうか。

 

 今日の事件は少なからず影響を与えるだろう。学園都市を構成する統括理事会や行政機関、警察機関への信頼に。お偉さん方を取り巻く事情がどう移り変わるのか、景朗には詳しくは予測できなかったが。

 

 しかし、直接犯行に及んだ実行犯の学生たちに、どの様な未来が待ち受けているのか。それだけは、非常に容易に想像できる。

 

 

「あァ?」

 

 そのような景朗の内心を察しているのか、いないのか。木原数多は景朗の意図するところが把握できない風に、疑問を呈した。

 

「何馬鹿なこと言ってやがる」

 

 木原数多は気だるそうに肩を捻らせた。顔中に軽蔑の色を貼り付け、しかしどこか愉快そうに、景朗をゆらりと振り向く。

 

「またいつもの病気か小僧?暇だなァ、テメエも」

 

「質問に答えてくれよ」

 

 景朗の問いかけを聞くやいなや、木原数多は早口にぺらぺらと喋りだす。

 

「だいたいよお。中途半端に生かして持って帰ってくっからんなめんどくさいこと考える羽目になんだよ。家猫だって鼠は殺して持って来るだろうが。生かしてたって処理が面倒になるだけだ。俺らの仕事はんなこと気にしてたら大変だぞ。毎回寒みい正義ヅラすんなって言ってんだろクソガキ」

 

「あいつらがもし別途の能力者に洗脳を受けていたら?その場合どうなる?"幻想御手"なんてもんが出てきてる現状、上だってそんな短慮にはならねえだろ?あいつらへの免責は」

 

 言い終わる前に、木原数多が煩わしそうに切り捨てた。

 

「ムリだ。手っ取り早く奴らは生贄になる。どーせな」

 

「今回の件は状況が複雑――」

 

 再び台詞を遮られる。下らない質問はよせ。二度目はないぞ。景朗を睨みつける木原の眼はそう語っていた。

 

「それがどうした?んなわけねえだろうが、ガキどもは地獄に落ちるってえの。そもそも俺に言いがかったってどうする気なんだ愚図。奴等は動機がどうであれ、反乱を企てて一矢報いた。報いかけた。成功寸前だったじゃねえか?ここで上が甘い処分を下したら"外"に示しがつかねえだろうが。奴等は地獄に落とされる。何せ、テメエが言ったように人的被害は出てねえんだ。事ここに至っちまえば、重要なのは見せしめの"質"じゃねえ。"量"だ。それに、そのほうが上にとっちゃあどう考えても楽チンだ」

 

 すんなりと木原の言葉を受け入れるのは癪だった。さりとて、木原本人に文句を浴びせても意味がないのは尤もだ。黙した景朗に気分をよくした相手は、再び端末へ目線を戻し指を動かしていく。

 

「ひゃはは。ご自慢の正義感が疼くってえんなら、無様に理事会に体当たりしてこいや。ああ、けどな。今からは駄目だ。まだ仕事が終わってねえ」

 

 

「仕事?」

 

 事後処理らしき作業に勤しむ木原数多の態度から、景朗は一段落ついているものかと勝手に判断を下していた。

 

「"カプセル"って組織の粛清だ。オマエは知ってるよなァ?奴らには責任と制裁を受け取ってもらう、くく」

 

 

 

「何故"カプセル"?何の責任だ?]

 

 "カプセル"。景朗が暗部で最初に任務を受けた時の、依頼元だった暗部組織だ。学園都市中に違法ドラッグを販売、流通させている。元々はスキルアウトが興した不良グループだった。"警備員"に壊滅させられる寸前、暗部に関わる企業に目をつけられ、暗部組織へと化けた。

 

 景朗が知っているのはそこまでだ。今回の事件とどのように結びつくのだろう。

 

「テロリストどもは"カプセル"から支援を受けてたようだ。組織として動いていたのか、独断専行した馬鹿がやったのか知らねえが、まぁどちらにせよちっと前に裏が取れた。幹部がガキどもから改造ウィルスを受け取ってんだよ。報酬か何かだったんだろう」

 

 その話を聴いて、得心がいく部分もあった。産形たちの一連の犯行。そこには一介の学生では簡単に入手できないツールが多用されていた。

 

「武器が欲しくなったんだろうなぁ。"上役"に対してのよぉ。ハハ、しかも奴らがしでかしたのはそれだけじゃなかったときた。"幻想御手(レベルアッパー)"だ。奴ら、"幻想御手(レベルアッパー)"まで流通させていやがったらしい!今回の事件の間接的な黒幕だ。細かいとこまで知らねえが、"そういうこと"になっちまったらしい。気の毒なこった」

 

 またしても思い当たる。"幻想御手(レベルアッパー)"が、何故暗部にも伝わることなく、ひっそりと学生たちに浸透していったのか。その理由。"カプセル"の存在は、確かに答えとしてふさわしい。"幻想御手"は低能力を強能力へ引き上げるほどの、凶悪な一品だった。街を猛然と揺るがしかねない性能だったのだ。

 

 にも関わらず、人知れず増殖する癌のように、この街に染み込むように広がる、その不自然さ。そう、それこそ、まるで違法ドラッグが法規機関の目をすり抜けて蔓延していくが如き……。なるほど、尤もらしい。奴らは火種が燃え上がらぬよう、この街に静かに、満遍なく燻したのだ。レベルアッパーという毒煙を。"カプセル"ならば、それは確かに不可能な芸当ではなかったかもしれない。

 

「構成員は皆殺し。幹部もその家族も関係者は拉致って地獄行きだとよ」

 

「それじゃ、ここにいない奴らは……」

 

「とっくに向かってるぞ。テメエも下らねえ事やるくらいなら手伝いに行ってこい」

 

「お前、何て命令した?!"家族"って言ったよな今!」

 

「フハハハハハッ。もとより俺たちは殺し専門だ。なァに、何時もの通りだ。面倒なら殺しとけ、って言うっつの。」

 

(ざけんな!産形たちとは違う!)

 

 確かに、木原数多の言う通りなのだろう。"猟犬部隊"は暗殺部隊だ。書類上でどう表現しようと、命令した側は生存者ゼロの結果報告を聴いても構わないと思っているのだ。

 

 その依頼に、ターゲットの家族まで標的の範囲に含められている。景朗の記憶が確かならば、"カプセル"は通常の暗部組織とは組織の構造が異なっていた。スキルアウト上がりの構成員が多いのだ。暴力団間隔で出入りする不良学生たちが居たはずだ。無論、彼らは下っ端の下っ端、使いっぱしりであるが。

 

 幹部や構成員の、家族や関係者。事件に関与していた人間と近しい間柄だったというだけで、殺されてしまうのは、それは……。

 

 "猟犬部隊"の隊員をただ放っておけば、"カプセル"の連中は皆殺しにされる。

 

「何処だッ!」

 

「近くの"蜂の巣"だとか言うとこだ。そこの雑居ビルまるまるひとつネグラに使ってたらしいぞ、ハハハハ」

 

「地図を貸せよ!」

 

(こいつ、わざと俺に遅らせて伝えやがったな!)

 

「クハハ。なんだ、急にやる気出しやがってよお?そんじゃ後はテメエに一任するわ。余計な茶々入れてヘマしたらペナルティだぞ。覚えとけ。どうだ?断るか?」

 

 景朗は木原数多から端末を奪い取り、襲撃施設を確認する。

 

「クソッ!行くさ!」

 

 考えるまでもなく、奴らの招く惨劇が目に浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃声と怒声。上階から?下から?玄関から?屋上から?ベランダから?どこからかまるで把握できない。その全てからと言われても、納得できそうだった。"カプセル"本部、とある"蜂の巣"内の雑居ビルは今この時、最も恐れてきた事態に見舞われている。

 

 ビルの何処へ逃げようと、ありとあらゆる場所から身体の危機を匂わせる闘争の足音が。

 

 "カプセル"の構成員の青年は、状況をほとんど理解していないであろう、自らの弟を抱えて走った。何故、自分たちが襲われているのか。青年にすら、思い当たるところがなかった。

 

「兄ちゃん?」

 

 今にも泣き出しそうな弟の声色には、はっきりと怯えが含まれている。ただならぬ事態であることだけは掴み取っているのだろう。

 

 仲間の悲鳴がだんだんと大きく聞こえてくる。彼を突き動かす、2種の恐怖。自分は殺されるのだろうか。そして、何も知らぬ弟まで巻き込まれるのだろうか。

 

 彼はひとつの可能性に賭けた。階段を駆け上り、目的の部屋へ飛び込む。室内には。慌ただしく銃を手に取る同僚。狂乱し、必死に何処かと連絡を試みる上司。邪魔な男たちをかき分け進み、青年は部屋にたった一つの、小窓を押し開けた。

 

 小窓と言えども、ガッシリとした作りの防弾使用。故に完全には開かず、換気をするだけで精一杯の隙間が生まれるのみ。大人1人が通れるほどの大きさはない。しかし、彼の抱える、去年の春にようやく小学校に入学した弟ならば、くぐり抜けられる。

 

 窓の向こうは隣接するビルとビルで作り出す目立ぬ路地裏。青年は予感する。襲撃者は手練のはずだ。見つからずに逃げおおせられる可能性は低い。それでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "蜂の巣"へと転がり込んだ景朗には、直ぐに目的のビルがどの建物なのか判断できた。火薬の匂い、発砲音。その見えない道しるべが、景朗にとってはこの上なく分かり易かった。

 

 第七学区にひっそりと存在する、通称"蜂の巣"と呼ばれる雑居ビルの無法地帯。住人たちは慣れたもので、対岸の火事に見舞われぬよう息を潜めているらしい。

 

 

 微かに聞こえる。闘争と殺戮を詰め込んだビルのすぐそばで、"猟犬部隊"の女性隊員の姿を捉えた。ビル脇の路地の交差点に身を潜めた彼女へ、景朗は掴みかかる。

 

 

「無線を貸せッ!」

 

「ケルベロス?!」

 

 霞のごとく出現した景朗に対応する間もなく、女性隊員は通信機を奪い取られた。マスクに隠された顔は窺い知れぬが、その歯がゆそうな態度から彼女の心境は表に現れている。

 

「Dogs, こちらスライス。ブレイク、ターゲットは殺すな。抵抗してない標的は確保する!オーバー!」

 

 相手は"カプセル"。彼らが傭兵でも雇っていなければ、それほど"猟犬部隊"が手こずるはずはない。

 

「Dogs, こちらスライス!繰り返す、抵抗していないターゲットは殺すな!ブレイクオーバー」

 

一息の間、隊員たちからの返事を待つものの、静寂だけが通り過ぎていく。気が滅入ることに。基本的に"猟犬部隊"の実働員は頭のイカれた奴が多い。陳腐な表現となるが、血に飢えた連中だ。

 

『ホテル1。スライス、ネガティブだ。抵抗が激しい。アウト』

 

 ようやく一つ、抑揚の無い返答が届く。ネガティブ、という返信。命令がきけない、と相手は答えた。

 

 その隊員の返事を、景朗は今ひとつ信用しきれなかった。何故なら、ビルの内側から響く、戦いの騒音が物語っていた。

 

 軽快に生じていく、聞き覚えのある銃器の砲声。その後には、聞き覚えのない人々の絶叫。これでは"猟犬部隊"が圧倒しているとしか思えない。

 

 命令に従うのが煩わしいから、適当に嘘をついているに決まってる。景朗は唇を噛みしめた。

 

 冗談にもならない話だ。実は、"猟犬部隊"の中で景朗の名目上の扱われ方は、"兵器"だった。人間の階級にすら位置していない。アレイスターに"猟犬部隊"に加われ、とだけ命令された結末が、それだった。それ故、毎回のように木原数多とは歪なやり取りを演じている。

 

「Dogs, これはボスからの命令だ。ターゲットは殺すな!ドゥーユーコピー!?」

 

 返事はない。通信機を持ち主の女性隊員の手元へ叩きつける。通信機を片手に、彼女は肉に匣に景朗へ言い放った。

 

「ああ、そうなの、スライス。私はボスがそんなこと言い出すとは思わないけどね」

 

「チッ。クッソッ!」

 

 "猟犬部隊"に属する隊員たちは、"殺し"の特技を無くせばそれこそ良い所は何も残りそうもない、クソッタレどもの集まりだった。学園都市謹製のスマートウェポンを使いこなし、テクノロジーレベルが外界とはふた回りも進んでいる"この街"独自の"市街戦"に精通している者たちである。

 

 もたもたしていれば、あっという間に終わってしまう。景朗はポッカリと空いた、仲間が突入に使ったと思しき壁の穴へ飛び込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "カプセル"のアジトへ踏み入り、最初に目撃したのは。一方的に殺戮された"カプセル"構成員の遺体だった。奇襲を受け、抵抗する間も無かったのだろう。その部屋はあちこちに流血が降りかかり、内壁は朱色に波打っていた。

 

 "猟犬部隊"の動き出しは早かった。"カプセル"とバイオテロ事件との関連性が疑われるやいなやの、"カプセル"本部への奇襲攻撃。ビルの側面数箇所から壁を破壊して突入した彼らは、瞬く間に内部を制圧していったはずだ。

 

 景朗は僅かに遅れてこの場に到着していた。その数分の遅れのうちに、ビルに在していた半数の人間が既に事切れ、床上に無残を晒している。

 

 間に合わなかった。転がっている人たちに視線を巡らせる。男性も、女性も、青年も、少女も選別されることなく一様に銃撃の痕が見て取れた。

 

 

「つあッ!」

 

 気合を入れるように、景朗は声を上げた。

 

 まだ、全てが終わってはいない。聴こえてくる。上階では戦いが続いている。生存者はまだ存在するのだ。

 

 景朗は階段を駆け上がった。破壊の痕跡が仲間の辿った道を教えていた。全ての感覚を奮い立たせ、未だ抗争の続く場所を探す。"カプセル"側とて、腐っても暗部組織。いくつかの箇所で、粘り強く抵抗を続けているようである。

 

 

 駆け上がったフロアは、ひときわ騒音が激しかった。景朗はその中心へと迫る。そして廊下の角を曲がったところで、銃撃戦に出くわす。

 

 通路の反対側に目をやれば、狭い廊下に防弾素材のテーブルがいくつも転がされ、積み上げられている。更には隙間を補填するように、最新の硬化樹脂までが塗り固められていた。唯一、微かに空間が設けられたところからは銃口が覗き、盛大に火を吹いている。

 

 景朗はその光景に見覚えがあった。記憶を探り、瞬時に思い出す。そうだ。戦争映画で、あんな風な銃座を見たことがある。もっとガッシリした造りだったけど。

 

 ……たしか、トーチカといったはず。敵の攻撃を防ぐ防壁に、攻撃を加える銃座が付随した防衛陣地。

 

 

 即席のトーチカもどきを作った"カプセル"側は激しい弾幕を張り巡らせている。不利な状況へ追いやられた"猟犬部隊"隊員は接近を阻害されていた。

 

 

 からくも制圧した部屋のドアから銃口だけ指し伸ばし、応戦する隊員たち。彼らへ忍び寄った景朗は、そのうちの1人からヘッドセットを奪い取った。

 

「あぁ?!スライス!よくも――」

 

 突然の蛮行に怒りを燃やすも、ヘッドセットを奪われた男は振り向き覗いた景朗の姿に口を噤んだ。

 

 

 

 取り上げたヘッドセット片手に、景朗は叫ぶ。

 

「Dogs!俺ガ無力化サセル!倒レタ奴ラハ拉致ル!殺スンジャネエゾ!」

 

(こいつらに殺される前に意識を奪わないと)

 

 男が黙り込んだ理由。それは幾度目にしようとも一向に慣れない醜い獣が、背後に立っていたからだった。蛇のように鋭く尖った両眼が、彼の顔面へと注ぎ込まれていたためだった。

 

 男の真後ろで。景朗が姿形を変えていた。ただの人間から、空想上の異形へと。

 

 

 

 水分子が凍り突き、美しい六角の紋様を形作っていくように。ピシリ、と景朗の皮膚は硬質化し、薄らと光沢が肌に波打っていく。色彩こそ変化は無いものの、よく見れば皮膚全体に網目のように、細かい鱗が生え揃っていた。

 

 堅牢な建築物の内部。こういった狭い空間が戦場となる場合、景朗は人型を維持したまま、躰の組成だけをその都度変化させて戦闘に臨む事があった。人型を維持し、身体の適材適所を変身させた姿。獣人を模したその形態を、彼は便宜的に"獣人症候(セリアンスロウピィ)"と呼んでいた。

 

(丹生の事笑えない。変身のバリエーションが増える度に、名前つけとかないと咄嗟に思い出せない時があるな、案外。一度戦闘で使えば躰が覚えてくれるんだけど。特に頭ん中で考えてただけのアイデアは思い出しにくいかもしれないな)

 

 

 

 

 

 "リザードマン"は愚直に弾丸の嵐を突き進んだ。大口径の銃弾。薬莢に封じられていた火薬、その恐るべき化学エネルギーから生み出される衝撃が、まるで小雨のように受け止められていく。

 

 景朗は一切たじろぐことなく、トーチカを突き抜け、"カプセル"の射手たちの懐へ迫る。すれ違いざまに毒爪を掠らせた。

 

 

 

 バタバタと倒れゆく人影を跨ぎ、景朗はそのままくるりと躰を流すと、両腕から毒針を放った。サボテンの刺座(とげ)を彷彿とさせる無数の針。それが肌から顔をのぞかせるやいなや、弾け飛んでいた。

 

 トーチカの裏側、射手たち2人をサポートするように待機していた、数名の構成員。彼・彼女たちはまだ子供に見えた。針は、その呆然と立ち尽くす少年少女たちへ降り注がれる。全てが命中した後、フロアは静まり返っていた。

 

 

(近くにこいつらがいたらガス攻撃が使えない)

 

 

 

 道を切り開いた"リザードマン"へ、背後の仲間たちは忌々しそうな視線を向けている。彼らは景朗の催眠ガスに対処できる装備を所持していないように見受けられた。隊員たちを一瞥し、彼らとの共闘が逆に自らの行動を阻害するだけだと察した景朗は、彼らを置き捨て先を急いだ。単独で、このビルに残る全ての生存者を無力化させる腹積もりだった。

 

 

 

 

 

 とある部屋から人気を感じた景朗は、虚を突くようにドアをぶち破り、突入した。

 

「撃つぞ!」

 

 発せられた声は、景朗へ向けられたものではなかった。

 

 拳銃を構えた青年が2人。1人はドアのすぐそばで不意をつくように息を潜め、もうひとりは窓の正面にたち、景朗をまっすぐ睨んでいる。合図を出したのは、部屋の奥に陣取っていた青年だった。

 

 銃弾が発射された。ミシリ、と銃弾が景朗の肩に辺り、鈍い衝撃を生み出す。しかし、気の毒なことに、景朗に対しては、それほど意味のある抵抗にはならなかった。そして銃声は、たったの一度きりで終わっていた。

 

 片手で入口横の男を払うと、景朗は正面の青年を見つめ、口を軽く開いた。次の瞬間、開かれた景朗の口から、快音が生じていた。

 

 

「ぶ!ぐ、あ!」

 

 くぐもった青年の吐息。原因は、獣人から数メートル程も伸ばされた、力強い、カメレオンを思い出させる長い舌だった。

 

 目にも止まらぬ早さで眼前の青年の両腕を絡め取るように巻き付いた舌は、そのまま伸長し、青年の首元まで巻き付いた。直接触れた肌から極小の針が無数に生え、青年は睡眠薬を流し込まれて気絶した。

 

 

 

 

 1秒すら経たずに部屋を制圧した景朗は、すぐさま次の生存者を探しにドアへ向き直った。が、そこで彼の足がピタリと止まった。獣人が、何かに気づいた。

 

 

 

 鼻腔をくすぐる、新鮮な空気。直前まで窓が開けられていたのか、と景朗は勘ぐる。そしてさらに。窓の近くにいた青年。彼はなんとなくだが、そのひとつしかない窓を気にかけるように、身体を動かしていたような気がしたのだ。

 

 獣人は素早く部屋の奥へ入り込み、窓を強引にぶち開けた。視界いっぱいに隣接するビルの壁が映る。景朗は更に、窓の下を覗き込んだ。

 

 

 

 

 

「ひ」

 

 真下から、声にならない悲鳴を飲み込んだような音。小学校低学年くらい少年の姿が隠れていた。窓の直下、壁に張り付くように息を殺す、幼い少年の姿があった。逃げ出そうとしていたところを、景朗に発見されたのだ。

 

 何らかの能力を発動しているのだろう。窓の外、屋外、十メートル近い側壁の下。幼い少年がまるでイモリのように両腕両脚を平たく、凹凸のないツルツルの壁に押し付け、安定して静止している。

 

 少年と視線が交わった。景朗の瞳に、はっきりと映りこんでくる。この男の子は、目撃したのだろうか?目の前で肉親が殺される衝撃。命を脅かされる恐慌。悲しみに押しつぶされ、心まで痙攣しているように見えるほど、その男の子は小さく小さく、震えていた。

 

 今この時、どれほどの激情が彼の中で産まれているのだろうか。まるで、地に足を付いていた大地が剥がれ落ちるような。世界が破壊され、心にヒビが入っていくような、そんな"悲劇"を、景朗は幼い少年から我が事のように感じ取っていた。

 

 かつて、自身が経験して来た悪夢よりも、もっと救いようのない衝動を。彼は今、その心身に刻み込んでいるに違いない。そのはず、だ。その、顔は。

 

 少年の暗く絶望に満ちた眼が闇に反射した。景朗は息が詰まった。

 

 

 

 

 

 少年が硬直したのは邂逅の瞬間。まばたきほど、ほんの短い時間であった。凝りは一瞬で氷解し、彼はすかさず、絶壁をするすると下へ進みだす。両手両足が張り付き、手足を引っ掛ける場所が無いはずのビルの側面をぺたぺたと這いながら降下していく。ところが、やはり景朗に目撃されたせいか、少年は平静を失っていたらしい。

 

 ドサリ、という地面に柔らかい肉の塊が激突する音。

 

「ぐう!」

 

 能力を安定して使用できなくなった彼は音もなく落下した。滞空時間は一瞬。残り数メートルの距離を自由落下した形となった彼は、激しく地面に体を打ち付け短く呻く。だが、怪我をするほどの高さでは無く、景朗がにらんだとおり少年はすぐさま起き上がろうと藻掻き出した。

 

 

 景朗は脳内で対策を張り巡らせる。落下した少年の保護策を。"猟犬部隊"が襲撃したこの施設。中に居た人間は、もう全員余すことなく捕えただろうか。であれば、あの少年を憂いなく追いかけられる。……いいや、まだそれはできない。上階にあと数フロア残っている。

 

 だがしかし、いずれにせよ残っている人たちは少なそうだ、と景朗は予想した。まだ数階、上に景朗が制圧していないフロアが残っているにも関わらず。

 

 理由は単純だった。どうやら屋上からも部隊は侵入していたようだったのだ。景朗は、ビルを制圧しながら駆け上る間、より上階から争う物音を耳にしていた。その騒音も、もう、すぐ上の階にまで差し迫っている。残されているのはおそらく、景朗が今いるこの階のターゲットたちだけ。建物にいた人たちは皆、殺害されたか、意識を失い捕縛されているか、そのどちらかだろう。

 

 急いでこのフロアを片付け、その後あの少年を追いかける。屋上から来た連中は俺の制止を無視して、残っている人たちを殺すかもしれない。それを防ぐためにも、まずこのフロアの人たちの意識を奪っておかなければならない。

 

 目線の先では落下した少年が立ち上がり、路地を駆け抜け逃走を図っていく。景朗は少年の逃げる行先を掴み、にわかに安堵した。その路地の先には見張りの隊員が1人待機していたはずなのだ。この建物に入る前に、見張りの顔まではっきりと記憶している。

 

「ルル、そっちにガキが逃げ出した!いいかッ殺すなよ!絶対に殺すな!そいつは捕まえなきゃならねえ奴だ!」

 

 叫び声は十分に届く距離。景朗は近くに居るはずの隊員へと叫んだ。見張りに残った"猟犬部隊"の隊員はルルだったはず。しかし、声をかけた相手から期待した返事はない。絶対に見張りはいるはずなのに、と景朗は盛大に毒づいたが、踵を返して残りの部屋へと向かう。

 

 景朗は一刻も早くそのフロアを制圧して、あの少年を追いかけたかった。言付けた隊員だってどう対処するかわかったものではない。少年が能力を使ってしぶとく逃走を図れば、面倒臭がって殺してしまうかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕方。上条当麻はタイムセールのチラシを目ざとく見つけ、未だ見果てぬ第七学区中央エリア、遠方のスーパーマーケットへ遠征に繰り出していた。

 

 遠出した甲斐もあり、目当ての商品、特に1パック50円の激安タマゴを数点、獲得できていた。上機嫌で暮れなずむ第七学区の道端を帰路に着く、上条当麻。これで、ここしばらくの蛋白源枯渇問題に終止符を打てるはずだった。

 

 だが、そんな彼を、突然の不幸が襲う。

 

 

 

 

「たっ、たすけて……ください……」

 

 気弱そうな、男の子の、蚊の鳴くような叫び。偶然耳にした上条が、ちらりと真横を振り向けば。視線の先、路地裏の奥まった暗所。自販機の陰。

 

 中学生の少年が、彼の背丈を軒並み超える3人の不良学生に壁に押さえつけられ、詰め寄られていた。上条当麻の、最も大嫌いなもののひとつ。第七学区名物、新鮮な"カツアゲ"が今にも香ばしく、おいしく揚げられようとしていたのだ。

 

 

 上条はパンパンに膨らんだ両手のビニール袋に、別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜぇ、はぁ、はぁ、ぜぁ、は、走ったぁーっ……」

 

 あの少年は無事に逃げ出しているだろうか。いつもの口癖、"不幸"をその身に刻みつつ、"不幸"を打ち砕かんと自ら路地裏の闇に臨んだ上条。

 

 笑顔の造り方を遺伝レベルで忘れてしまったのでは?と疑ってしまうくらい、無表情を見せつけてくる不良生徒3人に対して。最初から原始的なコミュニケーション方法に頼る必要もないと、言葉による交渉を推し進めた上条だったが。

 

 両手に戦利品を抱えた上条が、不良どもには体のいいサンドバッグにしか見えなかったらしい。直ぐに拳が飛んできて。タマゴを守るために、彼は闘争よりも逃走を選択せざるを得なかった。

 

 その時のどさくさに紛れ、哀れな被害者が表通りへ逃げ出したのを尻目に、気づけば上条は反対の路地裏へ駆け出していた。

 

 

「あー、くっそ。卵やっぱ割れちまってる。ちっくしょー。せっかく特売間に合ったと思ったのに。こんなとこまでやってきて、走り損になっちまったじゃねーかっ!」

 

 不良生徒3人を煙に撒く間に、あちこちにビニール袋をぶつけてしまった。案の定、戦利品には深刻なダメージが発生してしまっていた。

 

「あーもう。こうなりゃ今更だ!」

 

 上条は荒々しく両手の荷物を地面に置き、壁に背を付け、息を整える。たしか、戦利品の中にスポーツドリンクが入っていたはず。ゴソゴソと袋を漁る上条へ、息つく暇もなく、本日二度目の不幸が迫り来る。

 

 

 

 

 

「たずげて!たずけてください!」

 

「はぁー。やれやれ、またですか。たった今スキルアウトさんたちと今日もお別れの挨拶をやったばっかだってーのに。はいはい、一体なんでせうかガキんちょ。いったいどーしたん――――ッ!」

 

 気だるげに顔を上げた上条の表情が、一気に凍りついた。

 

 突如、人気のない路地裏で、すがりよってきた少年。その幼い男の子の、極限まで緊迫し、歪められた相貌。

 

 余りにも、平和な日常生活とはミスマッチする違和感。ヒリヒリと、上条の首筋をくすぐった。

 

 

 

 

 伊達や酔狂で、人間はこんな怯え方をするものではない。

 

 

 

 

 

 

「どうした?!何があった!?」

 

 身体中擦り傷だらけ。その少年のただならぬ様子に、思わず上条の声色も上ずっていた。

 

「たずけてください!兄ちゃんたちが……にいちゃんだちがっ……」

 

 ぽろぽろと涙をこぼし、嗚咽が邪魔をして、少年の言葉が聞き取れない。

 

「大丈夫だ。心配すんな。何があったんだ?落ち着いて、ゆっくりと話を――」

 

 

 少年の肩と腕を掴み、落ち着かせるように微笑む上条。冷たくなった少年の身体からは、度を越した震えが次から次に滲み沸く。手に触れた冷たい感触に、上条は思わず手に力が入っていた。

 

 自分程度の手のぬくもりじゃ、この子を温めてあげることはできそうもない。上条は無力さを微かに感じ始めた、その時。

 

 

 

「そこにいたのか!」

 

 突如、張り上げられた大声。

 

 

「っ!?」

 

「兄ちゃんっ!」

 

 

 上条と少年の背後から、青年が一人、足早に駆け寄ってくる。上条と目が合うと、その青年はすまなそうに会釈を返した。

 

「すみません。弟がご迷惑をおかけしました。おい、何の遊びか知らないけど他の人に迷惑かけちゃ駄目だろ!早くこっち来い!」

 

 少年の兄を名乗ったその青年は、憮然とした表情で少年へと、手を伸ばした。

 

 

 

 

 

「兄ちゃんっ!!」

 

 駆け出そうとした、少年の手首を咄嗟に抑える。少年は少し困惑したように上条を見上げていた。

 

 

 

 

「あー、オニイサン、なんですか。すみません。ちょっとこの子の名前だけ、呼んでもらってもいいですか?おにいさん、なんですよね?」

 

 突然、何を言い出すんだ、君は。不思議そうな面持ちの、少年の兄。上条は笑顔のまま、青年へと言葉を濁す。

 

「すみません、なんだか疑ってるみたいで。この子、さっきやたら怯えちゃってたものですから」

 

 何故、少年の兄は微笑んでいるのだろう?うすら笑いを浮かべたまま、上条の言葉を無視した青年は手をつなぐように、差し出した腕を幼い少年へと揺らめかせた。

 

 少年の手首を掴む上条の手に、力がこもっていく。

 

「あのー、弟さんの名前、ですよ?」

 

 

 

 

 

 

 上条は反射的に、右手を前に差し出していた。

 

 

 上条が口を動かした、その直後には、既に。小さな火山が噴火したように、目の前の青年の口から白色のガスが吹き出ていた。白雲が上条へ届くギリギリのところで、突き出された右手がその濃霧に触れる。

 

 きっと、この世で彼だけが知っている感覚。"能力"が打ち消される感覚が、右手を通して上条へと伝わってきた。

 

 瞬き一つ。まるで、目の前に突如現れた霧が幻だったかのように、一瞬で立ち消えていた。

 

 

 

「そうか。お前、不思議な奴だな。範囲が広い攻撃の方が避けやすいとは」

 

 少年の兄を名乗ったその男は、顔からあらゆる色が失われていた。

 淡々と上条を見つめ、男は口を開く。

 

 

「あんたは関わるな。今すぐこの場を失せたほうがいい。今すぐに、とっととその手を離せ。……でなきゃ力づくだ」

 

 そして、上条は。その男の両眼が、闇に怪しく輝いた、気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~如何、06/06追記分です~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして捕まえなかった、テメエ!?」

 

 肩を怒らせた獣人に詰め寄られ、"ルル"と呼ばれた"猟犬部隊"の女性隊員は後ずさっていた。彼女を射抜く、獣の緋い眼光。殺到する敵意に足は痺れ、恐怖に沈みそうになる。

 

 巨大な人影。この"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"の象徴たる"兵器"。暗部の深淵を体現させたかのような醜い異形を前に。怯みそうになる心を隠して、彼女は睨みつけた。

 

 "ケルベロス"。生意気な若造。"才能"に飽かせて仕事を蹂躙し、自分の都合のままに隊員たちの行動に口を出し、茶々を加えてくる。

 

 だから、命令を無視した。子供をわざと逃がした。ルルは気に食わなかったのだ。景朗の偽善的な行動全般が。それはルルだけに限らず、他のほぼ全ての隊員に共通する感情だった。

 

 "猟犬部隊"に、目の前の少年に対して確執を持たぬ者は極一部。例外は、不覚にもこの若造に命を救われたマヌケどもが数人いるかいないか。

 

「はっ!オマエ、途中から散々フカしてたじゃないか。『手ヲダスナ』『倒レタ奴ダケ運ンドケ』ッて、吹いてた威勢の良さはどこだい?アタシらはぶっ殺すのが任務なんだ。ワザワザ捕まえてえってんなら、テメエが自分でやりな!」

 

 地響きと聴き間違えそうなほど、低く猛っていた唸り声が止んでいく。静まり返った獣人は切り替えも早く、体躯をミシリとしならせた。

 

「ボスに訊き直したよ。今回の件、しくじったらアンタがペナ喰らうんだってね?」

 

 逃げた子供を追いかけるのだろう。横切って駆け出していくその背中へ、彼女は気分良く言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心配は露と消えた。匂いを頼りに追跡すると、すぐに標的の現在位置を特定できた。少年はもう移動してはおらず、一箇所に留まっている。あの子はまだ幼かった。延々と逃げ続けられる体力はなかったのだろう。疲れに足が止まったのか、と安堵しかけたその端に。少年の隣にもうひとり、嗅ぎなれた人物の気配を察知してしまう。

 

 

 

 息を殺し、夕闇に溶け込む通路の奥を目視した景朗は、その場で舌打ちを噛み殺した。この日に限っては、そうすんなりとは物事は運ばれてくれないらしい。ここにきて、またしても余計な障害の登場。見覚えのありすぎるツンツン頭が、ターゲットの少年と一緒にくっついていた。

 

 

 今この時この場所で、何としても御相手をご遠慮被り願いたい人種。そんな奴らを無理矢理に例に挙げるならば、"幻想殺し"は"第二位"や"第一位"に並んで上位に列挙される。特別に厄介で扱いに困るキワモノだった。

 

 暗部で様々な任務をこね繰り返す景朗が、最も繊細に慎重に取り扱う必要のある、ここ一番の重要人物。悲しいかな、本人を含め、ありとあらゆる人物の都合の悪い修羅場に空気を読まず首を突っ込んでくる。それが上条当麻という男だった。ある意味、景朗の知る通りの出没を披露してくれた訳だ。

 

 

 

 

 

 子供一人だけならば、どれほど楽な作業だったことだろう。手っ取り早く取り逃がしたその子を抱え去るはずが、"幻想殺し"の出現でそうもいかなくなった。

 

 よりにもよって、この野郎とエンカウントするとは。ぎこちなく働く思考が、答えをひねり出した。彼を前にしては、景朗は穏便にことを済ませる必要がある。

 

 下手に危害を加えては、後でアレイスターにどのような仕打ちを喰らうか知れたものではない。上条との直接的な対立はできれば避ける。荒事無しでこの場をやり過ごす。

 

 となると、何か一計を案じなければ。真っ先に頭に浮かぶ。警備員に変装して子供を横取りでもしようか。

 

 採用しかけた閃きが、陰る。景朗の心に不安がよぎった。あのツンツン頭は、あれでいて抜け目ない。子供を引き渡してもいい、安全で然るべき機関や組織のところまでベッタリと付き添ってくる。いいや。寧ろ、その光景がありありと目に浮かぶ。

 

 

 だが、どちらにせよ上手く変身能力を活用できれば、上条と争わずに済みそうだ。

 

 施設で見かけたメンツの中で、少年と顔見知りの可能性が高い人物を記憶に探す。そうして景朗は、少年を見つけた部屋で昏倒させた青年へと変装することにした。

 

 当てずっぽうの勘は冴え、偽装した人物は都合よくその子供の兄だったらしい。すわ、企みはそのまま成功するかに思えたが。

 

 何故、こうもあっさりと変装がバレたのか。それもまた憎らしい。とかく、せっかくの計らいは虚しくもまた、上条当麻に台無しにされてしまった。

 

 

 

 

 

 ダメ押しの、意を決して放った催眠ガスも自慢の右手で斬り払う始末。"カミやん"は、とことん意図に沿わぬ対応を取るつもりらしい。

 

 

 当然の成り行きだろうが、今では完全に不信感を持たれてしまっている。当の本人、上条当麻は左手は守るようにがっちりと少年の手首を抑え、手放す様子は欠片もない。唯一の武器である右の拳を軽く突き出し、臨戦態勢。どう好意的に解釈しようとも景朗に立ちふさがる気概だ。

 

 義憤に躰を滾らせる上条の態度は、分かり易す過ぎた。険しい顔つきのその意味が、手に取るように理解できる。

 

(ああ。想像以上だ。想像以上にお前のそのツラにはうんざりさせられるよ。どうせお前はまたひとつ、『"不幸"を見つけた』とでも思っているんだろ)

 

 

 

 毎日のように学校で顔を合わせているのだ。よく理解している。上条自身に訪れる不運な出来事だけでなく、たとえ赤の他人であろうとも、身近にいる人間に降りかかる不条理が有るのなら。それらもまた、彼の言うところの"不幸"の範疇に含まれるのだ。

 

 こうなってしまえば最早、目の前の男は簡単には引き下がらない。

 

 

 

 人の気も知らず。その子供にまとわりつく因縁も存ぜず。このウニ頭は果たして、助ける気でいるのだろうか。助けられると思っているのだろうか、その右腕一本で。

 

 一目瞭然だ。助ける気満々なのだ、この青年は。

 

(頼むからさ。邪魔してくれんなよ。お前じゃ無理だってのに……ッ!)

 

 "幻想殺し"たったひとつで、その子の闇に覆われた運命は覆せやしない。上条は余計な抵抗を披露してくれる腹積もりらしいが。

 

 

 

 

 

 ただただ、鬱陶しい。

 

 

 

 

 

 

 景朗は平静を保とうと、心境をこねくり回した。尚も偽装している青年の、その仮面の上から、さらに能面のように無表情を張り付ける。沸き立つドス黒い心を押さえつけるために、強引に顔から抑揚を抜き取ったのだ。それでも衝動は抑えきれず。景朗は痛いほど、その感情を自覚しつつあった。

 

 

 

 上条当麻が煩わしい。苛立つ。むかっ腹が立つ!揺るぎない決意に溢れた彼の、その勇気に。景朗は傲慢にも、唾を吐きつけてやりたくなっていた。興奮を無理矢理に能力で押さえたが、胸の内に沸き立つ悪意までは消えてくれない。

 

 

 それが、暗く底意地の悪い感情だと端から理解していても、止められなかった。上条当麻に対する嫌悪感。その発露を、はっきりとこの時、意識した。

 

 

 心を狂わす、軽蔑にも似た上条への敵意。発端がどのようなものだったか覚えていない。彼と接するうちにだんだんと芽生え育まれたのか、それとも、一目会った時から既に存在した確執だったのか。両方だな、と景朗は明瞭に、その瞬間に結論づけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青髪ピアスという渾名を拝命して、長らく上条当麻の護衛監視任務についていた。四月の入学式の時に出会ってから、ちょうど三ヶ月が経過している。

 

 その期間を、同じ学校、同じクラスで、四六時中、土御門を含めた3人でツルんでいれば、そこそこの付き合いだと形容してもおかしくはないだろう。

 

 暇なくバカ話に興じたり、昼飯のおかずを賭けてこれまた下らない勝負が勃発したり、たまの放課後にはともに街をぶらついたり。

 

 朱に交われば赤くなる。軽快なコントのように下らない話を繰り出す2人のノリに当てられ、景朗も彼らと競うように、笑いを誘うネタ話を躊躇なく繰り出すようになっていた。そうしている内に気が付くと。上条たちと繋がるように、更に友人の輪が広がっていた。

 

 

 予想できるはずもない。素顔を偽り"任務"へと臨んだその学校で、望んでやまなかったありふれた学校生活が待っているだろうとは。数多くの人間と、旧来の友のようにやりとりを交わす日常。正直に言ってその点は、長点上機学園に通っていては成し得なかった特典だとすら思えていた。

 

 

 

 

 "任務生活"がそれほど有意義となったのには、景朗自身の変化も影響していたのかもしれない。

 

 切っ掛けはなんと。潜入前に土御門が景朗へみっちり叩き込んだ謎のヲタ知識だった。それが見事に花開いた。

 

 端的に言えば、身も蓋もない。脳みそから思考回路を経由せず、直接舌から湧いて吹き出すレベルの下ネタやセクハラまがいの発言を、景朗は物怖じせずに口にするようになっていた。

 

 より柔らかい説明をすると。一度"青髪ピアス"としての仮面をかぶると、景朗は人が変わったように明るい性格へと変貌を遂げるようになった。そういうことだ。

 

 

 その事実はなにより、変装した当の景朗本人が最も驚いたことだった。しかし、そのことは意外ではないのかもしれない、と景朗はよくよく思い直した。

 

 

 何故なら、どんなに頭の悪い発言を繰り返そうとも、評判が悪くなるのは仮想の人物、"青髪ピアス"君なのであり、"雨月景朗"当人ではない。

 

 ならば、何も遠慮することはない。口にしたいことを好きなだけ言い繕わずに、告白してしまえばいい。その様な思考が、意識せずとも存在していたのだろう。

 

 土御門からの助言通り、なるべく本来の自分とはかけ離れた性格の、別の人間を演じようと試みた。その結果、他人に悪し様に叩かれるのを顧みず、底抜けに裏表なく本心を吐露する"青髪ピアス"というキャラクターが生まれたのだ。そんな"青髪"の奇行は思った以上にクラスメイトに受け入れられ、少し嬉しさを感じていたりもする。

 

 

 とは言うものの。流石に調子に乗って馬鹿をやりすぎたらしい。夏休みも迫ったこの時期ともなると、誰かが言い出した"デルタフォース(三馬鹿)"という呼称がすっかり定着し、周辺のクラスの生徒たちにもその呼び名で通用する塩梅となっていた。

 

 けれども、そのような噂もどこ吹く風。景朗は全く気にしていなかった。況や、むしろその状況を楽しんですらいた。不思議な話だ。心の奥底でほのかに憧れていた、友人たちとの気のおけない語らい。手が届かぬと諦めていたそれが今になって、任務の一貫として思わぬところから転がり込んできたのだから。

 

 想像もしていなかった。これほど面白おかしくも楽しい潜入任務となるのだとは。笑いに満ち満ちていた三ヶ月だったという印象が残っている。

 

 

 

 

 

 

 その過程で。いつの間にか景朗は上条に対し、重々しくも複雑な感情を抱くようになっていた。

 

 初めは、上条を友人だと受け入れていく気持ち。その次には、自らと同じくアレイスターに見初められ、裏で操られている彼への同情が。そして最後の最後に。両者の立場の違いから生じる、嫌悪を含む醜い嫉妬。色とりどりの想いの蕾が、景朗の心根の先に膨らんでいた。

 

 任務の垣根を越えて友情めいたもの、親愛めいたもの、そして最後に、小さな小さな悪意のようなものが、気づけば心の隅に巣食っていたのだ。

 

 もう一度言う。景朗は、上条当麻が嫌いではない。逆に、友人として大いに好意を抱いていた。それこそ仕事の都合上、騙し続けていることに罪悪感を持つようになるくらいには。

 

 仕事を忘れ、素のままの高校一年生として、三馬鹿たちとともにエロい話や馬鹿げた行動をカマす。景朗の人生でも、上位にランクインするほど最大級に愉快で気分が良い瞬間だ。

 

 本音を晒せば。本当の友達のように、任務を意識の彼方へ追いやり自主的に上条と連れ立って3人で、街へ乗り込み遊びほうけた。そんな日すら、幾度か存在した。

 本心を頑なに隠す土御門でさえもその時ばかりは本心を晒していたのではないか。笑顔の下に偽らざる素顔を見せてくれていた。そう感じられていた。

 

 

 

 たった一言で、今までの任務の全てを表現できる。なんだかんだで、上条らとつるむのは楽しかったのだ。

 

 今年の四月早々に、火澄たちと思わぬ形で疎遠となってしまった。いや、それはむしろ景朗が自ら距離を置くように行動していた、と表現するのが正しかったが。どちらにせよ、以前のように彼女たちと交友を持たなくなった彼にとっては、用意には認めたくない事実となろう。

 

 "青髪ピアス"として自分を偽り、気ままに振舞うこと。それはいつの間にか、心身ともにリラックスできる時間に変質してもいた。上条の"右手"との不用意な接触だけは不安の種だったけれど。

 

 

 

 

 

 

 しかしそれでも。人と人との関係、感情の縺れは一筋縄ではいかない。いかなくて当然だ。

 どんなに交友を深めようとも。景朗には上条に対し、一方的にわだかまりを感じずにはいられない時間が存在した。

 

 それは決まって、上条が"トラブル"に見舞われる場面に起きる。その時彼は必ず、"ある言葉"を放つ。

 

  "不幸"の二文字を。

 

 景朗は、彼の時々発するその台詞に、どうしても。冷ややかな目線を送らずにはいられなかったのだ。

 

 

 

 




 色々お待たせしてしまってすみません。
 予想以上に長引いてしまいました。ダラダラと長く続けてしまい、お話を書いている私本人が、「あれ?これつまらなくねえ?」と思ってました。自分でも気づいていましたともorz

 ですから、次の話からは今までの話の遅れを取り戻すように、展開を目まぐるしく動かしていこうと思ってます。ヒロインズ3人の出番もありますよ……

 ちょっと今回のバイオテロの話は失敗しました。内容的なこと、話を引っ張らせすぎたこと。その両方です。

 次のエピソード以降は、もっと楽しくなるように、テンポがもっと疾くなるように、気をつけようと思ってます。

 新ヒロインも登場予定、です。これ、言っちゃうと面白くなくなっちゃいますよね。もっと慎重に発言していきますorz

感想も返信が遅れに遅れており、申し訳ないです。今日明日中に、感想返します!感想をくださった皆さん、今一度、感謝致します。ありがとうございました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。