とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

24 / 55
有言実行という言葉は、私の辞書には載ってなかったorz
いろいろと宣言して、どうしてこうその通りにできないのかぁぁぁぁ

さすがに反省しています。今大急ぎで書いてます。
感想も、必ず返信いたしますので、もうしばらくお待ちください。
兎に角続き書きます。
設定集も準備します!



episode22:病菌操作(ヴァイラルシミュレーション)

 

 

 

「駄目だった。産形ってのはグレーだったぞ。家ん中には警報器まで仕掛けられてた。とにかく、注意を払っておく必要がありそうだ」

 

 景朗は即刻、土御門元春へと連絡を入れた。標的の不在を確かめた後、彼はすぐにしばし離れたビルの、その屋上へと身を移した。その後、僅かな時間も惜しいとばかりに、すぐさま携帯を取り出していた。

 

『そうか。予想が当たってしまったな。まったく、面倒なことになった。野郎が今朝の件とは無関係であることを祈るしかないな』

 

 電話越しに返って来た同僚の返事は固かった。あからさまに普段よりも緊迫した声色だった。同僚のそうした心持ちは、景朗にも伝わっていた。

 

『万が一、産形に"幻想御手(レベルアッパー)"を使われたら。野郎の能力は低能力(レベル1)だったからな。一体全体、その後、何をしでかせるようになるのか想像がしづらい。"幻想御手"とやらで、能力強度(レベル)に換算してどれほどチカラが上昇するのかもまだわかってないしな』

 

 もしも、産形が犯人と関わりがあったとして。レベルアッパーを使用した彼に、新たに何ができるようになるのか、という予測は難しそうであった。景朗はそれも仕方がない、と嘆息した。彼自身の経験を思い起こせば、容易に納得できる。

 

 低能力(レベル1)の時は、テーブルの角に指をぶつけてしまった時くらいにしか役に立たなかった、彼の能力、"痛覚操作(ペインキラー)"。ところがそれは、いざ強能力(レベル3)へと上昇するやいなや。景朗に頑丈な肉体と、超人的な運動能力をもたらした。

 

 景朗のように学園都市の能力開発(カリキュラム)を受け続けて来た人間には、得心できる話だった。"幻想御手(レベルアッパー)"とやらが、産形にどのような力を授けるのか。そんなこと、誰にも予想できない。できなくて当然だ。もし、そうでなければ。努力も虚しく能力強度(レベル)が上がらず、それ故に道を踏み外したこの街の大半の学生の姿と、矛盾してしまう。

 

『とりあえず、ウィルスや細菌を活発化させられる、とは記録に残っている。それでそのまま、もし、ウィルスを短時間で大量に培養させたりできるんなら』

 

 土御門のセリフの先は簡単に予想できた。ゴクリと唾を飲み、景朗は無意識のうちに顔を歪めていた。

 

『ちょいとばかし、まずい事態になるぞ。ウィルスの感染爆発、典型的なバイオテロを仕掛けることもできそうだ。能力が能力だからな。ウィルスに細工されてて、ワクチンが効かなくなっていた、なんてことも十分に考えられる。ちっ。他にも色々と懸念しなきゃならんケースは山のようにありそうだ。まあ、どれも全部、全ては"病菌操作(ヴァイラルシミュレーション)"の性能次第で変わってくる。したがって、だ。なんとしても、未然に悪用されるのを防ぐしかない。後手に回ると厄介だぞ』

 

 漠然とした不安に突き動かされたのかもしれない。会話の最中、景朗は脈絡もなく、自身の躰を巨大な鳥に変化させた。続けて透明化を容易く行うと、学園都市の空へ舞い上がっていく。器用にも、意識は同僚の話に向けたまま。

 

「"警備員"なんかじゃなくて、マジもんの暗部の追跡部隊が捜査してんだろ?捕まるのは時間の問題だって思いたいけど、色々と備えてはおくべきか!」

 

『ああ。気乗りしないが、そうも言ってられない状況になるかもしれん。強奪犯どもだって理解しているだろうよ。猶予は無い。可能性は薄いが、警備員や暗部から姿をくらまし続ける自信が奴らにあるんなら、しばらくは潜伏してくる、なんてことも考えられるけどな。だがまあオレは、連中は追っ手に補足される前に事を起す、ってほうに賭けるよ』

 

 景朗もその意見に賛成だった。時間が経てば経つほど学園都市に捕捉され易くなる。犯人どもに確たる逃走技術や潜伏技術が無ければ、ほどなく学園都市の追手に捕まるはずだ。

 

 想像の埒外から迫る、卓越した科学捜査技術。この街の暗部の追跡術には、それが余すところなく駆使されていた。彼らから完璧に逃れる得うる術など、そもそも景朗には思いつきもしなかった。

 

 邪魔される前に、迅速に行動に移すはず。もし、犯人たちに、確固たる目的があるのなら。景朗も犯人の動向をそのように見ていた。

 

「やばいな。起きたのは今日の朝なんだろ?相手が直ぐに行動に出たら。もしかしたら今日、今すぐにでも何かやらかしてくるかも知れないのか。盗ったウィルスの使い道には色々あるだろうけど、もしお前が言ったようにそいつらが無差別なテロを起こすつもりだとして。来るとしたら、どこらへんになるんだろう。情報が少なすぎて、犯行グループの目的なんて推理しようがないってのはわかってるけどさ」

 

 悠々と上空を滑空する景朗は、宛もなく飛翔していた訳ではなかった。彼の眼下には通常の区域とは隔離された敷地が広がっている。彼の目指す場所、"学舎の園"は目立っていた。上空から見下ろせば、より一層分かり易かった。なにせ、建築様式が余所と大きく異なっているのだ。白亜の塔が立ち並ぶその様に、景朗は言い知れぬ既視感を覚えていた。テレビに映る、イタリアやギリシャだろうか、そのような地中海地域の光景に、どうにもそっくりだった。

 

『"猟犬部隊"がまだ補足できていないってところを考えれば、奴らは大人しく地下にいるんだろうよ。表立って学区を跨げば目に付きやすい。地下に潜ったままか、慎重にバレないように移動しているのか。だとすればどちらにせよ、それほど遠くには移動していないはずだ』

 

 土御門は景朗の質問に、ほとんど間を開けず迅速に答えを返した。彼もまた、景朗の放った疑問に対し推測を巡らせていたようである。

 

「事件が起きた十三学区は暗部の連中が目を光らせているし、すぐ隣の第二学区には警備員(アンチスキル)がうようよしてる。もし移動するんなら、北か東か。はたまた、西側、外部へ逃走か?」

 

 第十三学区は学園都市の西の端に位置し、北部に第二十一学区、東部に第十五学区、南部では第二学区に隣接している。

 

『まあな。それが概ね正しい考え方だろう。いっそ外部へ逃げてくれるんなら、オレたちは手を煩わせる必要は無くなりそうだな。是非そうしてもらいたいところだ』

 

「オーケー。内部でのテロに警戒するんだったな」

 

「……北の二十一学区か、東の十五学区か。可能性が高いのは第十五学区、だろうな。人数が多いぶん、監視の目が緩くなる。そのまま素通りして逃げても、第七学区へ辿り着くしな。ウィルスをぶちまけるぶんには、第七学区も申し分ないんだ。ほとんどが中高生、つまりは免疫力の低い子供ばかりで、人の数もトップクラス、ときてる。自由に動ける、という面で考えれば、第十学区も移動先の候補に挙がるか。なんせ、警備員の目が届きにくい、この街でも最も好き勝手し易い学区だからな。だがまあ、言っちゃあなんだが、第十学区が選ばれる確率は低いだろう。スキルアウトばかりの掃き溜めだ。連中が大勢死んでも、理事会はどうにか揉み消せる。そう、揉み消せるんだ――』

 

「そうだ。なあ、土御門、それじゃ、第二十二学区はどうだろう?狭いしウィルスを使ったテロにはもってこいなロケーションじゃあ……う。いや、違うか。狭いから逆に、空調が完璧に管理されているか。ある意味隙は無いよな」

 

 景朗の自問自答。土御門はそれを耳にすると、軽く息をついた。

 

『まあ、候補はそれこそ、無数に挙げられる。ただ単に、実行が容易な場所は何処か、って観点から考えていけばな。けれどな、相手は薬味のところからウィルス収奪を強行したような奴らだ。少々強引な手を使ってでも、何らかの目的を果たしたいからこそ、行動に打って出たってことだろう?だからな、実行の容易さという観点からあれこれ考えても無意味かも知れんぞ』

 

 大空を舞っていた景朗を、唐突な強風が襲った。ちょうど景朗が、土御門の発言に間髪入れず疑問を呈そうとしていたタイミングであった。景朗は体制を立て直すのに気を取られ、言い淀む形となった。電話相手の反応が無いと知ると、土御門はすぐさま話をかぶせてきた。

 

『だがまあ、そうは言いつつも、現状、オレたちには犯人どもの目的を推し量る術はない。それなら仕方ない。オレたちは、さっきも言ったように最悪の展開を考慮して動くしかない』

 

「バイオテロ?」

 

『それ以外はすぐには思いつかないな。個人を狙った暗殺の手段としちゃあ、ウィルスはまだるっこしすぎる。奴らが盗んだ伝染病の利点ってのは、少ない手間と資金で大勢の、不特定多数の人間に被害を与えられるってとこだからな。まさに、無差別テロにうってつけだ。だいたい、ウィルスは一度ばら蒔けば、基本的には相手を選ばず、無差別に感染する。ターゲットを絞るのは難しい。無差別テロの他に、どう活用する?』

 

 景朗はすぐには答えを返せなかった。口を噤んでいると、土御門は追うように、つらつらと語りだした。

 

『更に本音を言えば。オレたちとしては、そう言った無差別な、広範囲に被害の出る面倒事以外なら、連中が何をしでかそうが構わないじゃないか。どうぞ、好きにやってくれって話だろ?勿論、連中の狙いがオレたちだってんなら、そうもいかないが』

 

「嫌な言い方するなよ。仕方ないさ。情報が少なすぎるんだ。対応しようが無いさ」

 

『まったく。"病菌操作(ヴァイラルシミュレート)"が盗人どもと結託していたなんてのは、本当に勘弁願いたい話だぞ。――ターゲットを絞るのは難しいといったが。もし、ウィルスに何らかの、遺伝的な仕掛けを施せば、狙いを絞れる可能性も……』

 

「それ、もしかしたらレベルの上がった件の産形になら、どうにかできちゃったりするかもな」

 

『フゥー……。考えてもキリはない。万が一の事を考え、杞憂で済ますようなことにも備えておくぞ。……仮に、"学園都市"を相手にテロを起こそうなどと連中が考えたとしよう。もしそうであれば。この街にテロを企てるような奴らは大抵、"学園都市"の崩壊を望んでる連中だっただろう?オマエの方が詳しく知ってるんじゃないか?』

 

「そう、だな。まんまと"学園都市"の内部に伝染病をバラ撒かれました、なんて事態になったら。"学園都市"のメンツは丸つぶれだ。とんでもなく大きな問題になる。ていうか、バイオテロ、それ自体が大事なんだよな。暗部にいたら感覚がマヒしてしまうけど」

 

『奴らがこのまま監視の目をかいくぐってテロを敢行できるところ。その中でもっとも効果的なのは。おそらく、候補は二つだ。大企業、財閥の子女が集う、"学舎の園"。もしくは、学園都市中から人が集まる十五学区の繁華街だ。この二つが外れるんなら、次点でオレらの住む第七学区、もしくは子供の多い第十三学区だろうな。今ざっと挙げた中でも特に致命的なのは、"学舎の園"だ。もしあそこで多数の被害者が出たら。危機的状況に陥る。あそこにかようお嬢様方の父兄は、この街に強い影響力を持っているからな。アレイスターもそれだけは涼しい顔をして見過ごせまい。学舎の園のセキュリティは強力だが、それを余りあって、事をなしたあとの効果は大きい。狙われる可能性は低くない』

 

 景朗は飛翔を終え、適当に目に付いたビルへと脚をつけた。彼が降り立ったのは、第十五学区と"学舎の園"との境界、学舎の園の西ゲート付近の建物だった。

 

「やっぱ、お前もそういう考えに落ち着いたんだな。俺はもう第十五学区の東境に居るよ。とにかく、学舎の園の近くで待機する。追って連絡をくれ、土御門」

 

『オマエにしちゃあ冴えてるじゃないか』

 

 土御門の軽口を無視し、景朗は疑問を繋いだ。

 

「まあ、実際、学舎の園のセキュリティは学園都市随一だし。俺としては第七学区の方を心配したいんだけどさ」

 

 第七学区には景朗に縁の有る人たちが大勢いる。火澄、手纏ちゃん、丹生。そして今は、花華と彼女の友人たちも。景朗は考えを巡らせる。花華たちとの約束は破らざるを得ないだろう。そのことで、彼女たちに断りの連絡を入れるかどうか、彼は悩んだ。

 

 今日はテスト対策を教えられなくなった、と花華たちに伝えぬまま、どこか安全な場所で待ちぼうけを食らって貰っていた方が、心配しなくていいかもしれない。ただ、そうすると、後で悲惨な目にあいそうである。

 

 ……何を馬鹿な。彼女たちの安全がかかってるんだ。天秤に賭けるまでもない。景朗は、嘘をつくことにした。花華たちには、そのままひと塊になったままで、直ぐに安全を確認できる場所で延々と待機していて貰おう。

 

 そういえば、土御門にも大事にしている人間がいたことを思い出した。電話相手の声が、景朗にとある人物を思い出させていた。土御門舞夏。なんでも、土御門の義妹であるらしい。上条当麻に対する潜入任務の都合上、仕方なくであろうが、景朗もその義妹さんを紹介してもらっていた。真偽は定かではなく確証も無かった。けれども土御門は他の物事とは一線を超えて、彼女のことをとりわけ大切にしているようだと、景朗の目には映っていた。

 

「オマエは逆だもんな。たしか、舞夏ちゃん、常盤台の――」

 

『黙れ声がでかいぞクソ野郎。いい加減話は終わりだ。また連絡する』

 

 土御門は一方的に通話を切断した。彼のその態度には、仄かに苛立ちが見受けられた。小さな反撃に気分を良くした景朗は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビルの屋上は陽射しが強かったが、その代わりに強く吹く風が涼しくもあった。景朗は徐にその場に腰を下ろし、僅かに迷った後。手にしていた携帯をもう一度覗き込んだ。

 

「もしもし、花華?すまんすまん。今どこにいる?まだ第七学区?」

 

 花華へと電話を入れた景朗の耳にまず最初に飛び込んできたのは、多種多様のデジタルなエフェクト音の数々だった。これほどはっきりと聞こえる大音量、向こう側は相当五月蝿いはずだ。更に、景朗にはその喧騒に聞き覚えがあった。むしろありすぎるほどだった。脱力する。花華たちは、ゲームセンターで遊んでいるに違いない。

 

『ううんー。二十二学区だよー』

 

「ほーう」

 

『え?なあに?ゲーセンでーす!!』

 

 楽しそうに吠える花華の受け答えを聞いて、景朗は胸の内から罪悪感がすうっと消えていくのを実感した。学期末のテストが大変だ、と半ば無理やり景朗を巻き込んでおいて。この期に及んで、ゲーセンに遊びに行くとは。まあ、こっちだって都合がいい。思うぞんぶん、彼女たちには遊んでいて貰おうか。電話向かいの花華相手に、景朗は邪悪な笑みを顕にした。

 

「一応聞くけどさー?勉強してなくていいのかぁー?」

 

 花華は周囲の喧騒が邪魔をして、景朗の返答が聞きづらいようであった。必然と、両者の語り口も声量も単調なものとなっていた。

 

『えー?ベンキョー?だからぁー景兄が教えてくれるって言ったじゃーん!』

 

 第二十二学区の何処かに花華たちはいる。先程、土御門と話した。第二十二学区がテロの候補地に挙がる可能性についてを。可能性は低いはず。景朗は自分に言い聞かせるように、幾度も頭を働かせた。

 

 第二十二学区は学園都市で最も面積の小さい学区だ。だが、区画の面積が狭いからと言って、第二十二学区も生活スペースが狭くなる訳ではない。第二十二学区は横に小さい代わりに、縦に長く、大きいのだ。第二十二学区の地下には、広大な敷地が広がっている。地盤を突き抜け、地下へ数百メートルほど開発の手が伸ばされていて、中にはみっしり、アミューズメント施設が目白押しである。

 

 地下に立地する上に、人の出入りが非常に激しいとくれば。まず間違いなく、空調設備やそのセキュリティ、健康管理にかけては学園都市随一の対策が施されているはずである。ウィルスを用いたテロの、格好の餌食となりうる箇所ではある。だがしかし、それ故に、そのような事態に対する対処や懸念は幾重にも成されているだろう。仮に事が生じた場合には、いの一番に進展が明るみに出る場所であるのも確かだった。

 

(……どうだろう。危険と言えば危険だけど。でも、それはどこも同じかもしれない。それならいっそ第二十二学区にいてくれていたほうが安全かもしれないな)

 

「……そーかー。わかったー。じゃあもうちょい待っといてくれるかー?もうちょっと、いやもうしばらくしたら、俺がそっちに合流するからー!」

 

『あれー?景兄がこっち来るってコトー?』

 

「そうそうー、また連絡するからー!せっかくだから今のうちに遊んどけよー!」

 

『わー!はいはーい!わかったよぉー!』

 

「もしどっか別のとこ行くんなら、そん時は絶対教えてくれー!いいなー?」

 

『ふーい、じゃあねー』

 

 

 

 花華の楽しそうに騒いでいた声が耳に残っている。景朗はため息をつきながら、上を見上げた。そうして、青空をぼんやりと眺めていく。それほど長い時間は掛けなかった。ややして景朗は機敏に姿勢を正すと、再び携帯に目をやった。

 

 "第五位"との約束だ。ウィルス関連の事で報告しておくべき事は多少なりとも伝えておこう。何せ、"学舎の園"は狙われる可能性が十分にあるのだから。また、あの食えない少女と話をせねばならない。景朗は困り顔を隠せず、2度目のため息を宙に放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第十学区の北西部に位置する、ゲノム情報医科学研究センターはその日、人口密度が著しく上昇していた。理由は簡単だった。ライブ・ラボラトリー(Live Laboratory)のお題目の元、研究所へ学園都市から集まった生徒たちが企業見学に来ていたからだ。

 

 それほど大きな施設ではなかったため、職員が面倒を見られる定員数には限りがあった。ライブ・ラボラトリーの企画担当者は希望者が殺到することを恐れたが、応募した学生は定員の八割ほどで済んでいた。当日、実際に参じた生徒たちは、応募者のうちの更に八割といったところだった。それでも職員たちからしてみれば、その日の所内は学生たちでごった返しているように感じられただろう。

 

 

 ライブ・ラボラトリーに参加する学生たちは、複数の様々な学校の生徒が入り混じり構成されていた。中高生が目立つが、中には小学生も混じっている。いくつかの学校は此度の企業研究に際し、彼・彼女たちにレポートを課していたらしい。職員の説明に絶え間なくメモを取る高校生、寝不足なのか胡乱げな目付きでただただ列の最後尾に付き従う中学生、興味津々にためらいなく設備のあちこちを触れようとする小学生など、群れた子供たちの取り留めのない姿がそこにはあった。なんとも平和で、学園都市としては極ありふれた日常的な光景だった。

 

 

 

 ライブ・ラボラトリーに際して、忙しいのはなにも生徒の相手をする研究員ばかりではなかった。研究所内を監視する警備員(アンチスキル)の面々も同じく、入れ替わりの激しい学生のグループに目を留めておく必要があったのだ。研究所内、全域を見学のために解放できるはずもない。立ち入りを禁じた区画も当然のごとく存在していた。彼らとしては、学生がふらりとそこへ立ち入れば、注意せざるを得ない立場にあった。むざむざ学生たちとの面倒事に積極的に絡みたがる人員などいない。セキュリティスタッフ一同、つつがなくその日一日が過ぎるように、皆が望んでいた。ところが。

 

 

 

「またあの坊ちゃん嬢ちゃんかよ。これで何度目だ。ったく……おい、お前、そろそろアイツ等に注意しに行けよ」

 

 小さな研究所のセキュリティはほぼ全てが、研究所内の管理室で一挙に統括されていた。その管理室の中、唐突に愚痴を零したのは、所内の監視作業に従事していた警備員二人組、その片割れだった。

 

 彼の眺めるモニターには、人気のない立ち入り禁止区域にふらりと立ち入る男女二人の中学生が映っていた。その二人組は、先程からちょろちょろと研究員の目を盗み、立ち入り禁止区域に入り込んでいた。一体何をするのかと思えば、ただ単に、進み行ったその先で人目を避けつつ、互いに抱き合ってベタベタとくっつくだけ。ただそれだけだった。珍しくもなんともない、典型的な学園都市の中高生カップルだと言えた。ついでに加えれば、周りが見えなくなっている、困り者の二人組である。

 

「お前の担当モニターに映ってんだから、お前が行けよ。ざけんな……」

 

 その時刻に監視業務に当たっていたのは、三十路手前の独身男性警備員、2名だった。両名歳も近く、少なくとも仕事中でも問題なくタメ口を叩き合える仲であった。そして彼らは互いに仲良く、盛大に燃え上がる中学生カップルと事を起こすのを嫌がっていた。

 

 そのカップルは立ち入り禁止区域に忍び込むものの、目立った悪さを引き起こす様子はなかった。物陰に隠れてひたすら密着し、口元を寄せ合うだけであり、それ故に監視員の2名はすぐには忠告に行かなかったのだ。カップルが1度や2度で飽きてくれるなら、わざわざ労力を費やす必要はない。

 

 しかし、彼らの不良行為も、もはやこれで何度目だろうか。間違いなく、片手の指では数え切れない回数に到達している。そろそろ行動にでなければならなかった。独身警備員たちは両者、忠告役を押し付け合い、やがて折れた1人が立ち上がり、力なく管理室を退出した。

 

 

 

 

 

 

 

今大路万博と太細朱茉莉の2名は今、第十学区のとある研究施設へとやって来ていた。ゲノム情報医科学センター。その施設はその日、学園都市の学生たちの企業見学を受け持っていた。

 

 

 

 本来なら、この研究所にはあと一人、洞淵駿(うろぶちしゅん)も待機する予定だった。けれども、今朝のウィルス奪取の件から、彼とは連絡がつかない。夜霧流子(やぎりりゅうこ)が最後に耳にした謎の破壊音から察すれば、"ブッチー"は捕えられたか、それとも。

 

 

 

 今大路は歯を思い切り噛み締めた。余計なことを考えている場合ではない。割り当てられた任務に。任せられた情報収集に。自分の為すべき事に、集中しよう。今大路万博は今一度、能力の使用に、自身の脳のリソースを限界まで割り振った。

 

 能力の発露する彼の脳髄には、鈍い痛みが同居していた。今大路は懸命に痺れを無視し、両眼に力を込め続けた。恋人のフリをして抱き合う太細朱茉莉(ださいしゅまり)の存在を忘れる程に。

 

 今大路の目の前には、閉ざされた金属扉があった。研究所の立ち入り禁止区画の内の、一室である。透視能力(クレアボイアンス)であれば、内部の様子を覗けるだろう。しかし。透視能力では、今現在の様相を眺めることしかできない。

 

(でも、俺の能力なら――今この時だけは俺の方が、情報量で上を行く!)

 

 

 "過去視覚(ポストコグニション)"。それこそ、今大路の能力だった。過去、その場所で行われた人間の活動を遡って知覚できる力。透視能力(クレアボイアンス)のように遮蔽物を素通りして物体を見ることはできない。それでも。

 

 今大路の目には、はっきりと映っていた。過去の光景。それが何日前の光景かはわからない。だが、彼には。目の前で閉ざされているはずの扉は開き、そこから通して室内の景色を見渡せていた。その部屋の中央には大きな機械が置かれていた。存在感のある機械だった。まるでその部屋は、そのマシンを使用するために誂えられているようにすら見える。今大路は念入りに確認作業に移っていく。

 

 

 

 無事発見した。安堵した今大路は、気づけば唾を飲み込んでいた。それは、彼ら"リコール"がこの研究所に目をつけた理由そのものだった。多目的複合シーケンサー。学園都市のトップ企業が生み出した、最新モデル。ゲノム解析、培養、遺伝子組換え等と言った作業を、自動で行ってくれるマシンだ。操作方法も、極限まで簡素化されている。備え付きのタッチパネルからだけでなく、3Dホログラムディスプレイに直接触れて動かし入力・操作することも可能のようだった。

 

 侵入禁止区画の全ての部屋はロックされていた。だが、今大路の力にかかれば、どの部屋がどの様に使われているのか、何が運び込まれているのか。普段どの様に研究所が運営されているのかすらも、丸裸同然だった。

 

 "過去視覚(ポストコグニション)"は他にも多くの情報を明らかにしていた。ドアやチェストのロックの解除方法。だが、これは必要ないものだった。彼らには、どんな物質も溶かす反則能力を持つ味方がいたからだ。更には、警備員の巡回ルートや、普段使われていない部屋の位置なども判明している。

 

 つい先程も、今大路は口元を歪めていた。どうやら、つい二日ほど前に、監視カメラやマイクの点検が行われていたらしいのだ。彼には、慎重にひとつひとつ、それらを点検をする作業員が見えていた。懇切丁寧にカメラの場所をレクチャーしてくれてありがとう。その行為は墓穴だったな、と今大路は哂った。

 

 

 

 

 

 

「順調?」

 

 甘い匂いに、今大路万博(いまおおじばんぱく)は心臓が高鳴った。朱茉莉の吐息がこそばゆく、顔を赤らませてはいないかと気が気ではなかった。

 

「良いね。今まさに見てる」

 

「良かった。それじゃそろそろ?」

 

 胸元から飛び出た朱茉莉の最後の質問に、彼は口を開かず小さく頷き返した。今大路の返答を受け取ると、今大路に抱きついていた朱茉莉は素早く、彼の学ランの胸元から端末を取り出した。恋人同士のじゃれあいを装い、地下で待機している残りのメンバーへと情報を送る。

 

 二人は寄り添い、みっしりと密着していた。傍から見れば隠れて端末を操作している風には見えなかっただろう。接近されて確かめられでもしなければ。一応、何をしているかは監視カメラでも捉えることはできないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

「おい!君たち!」

 

 今大路の背後で掛け声が轟いた。動揺するまいと覚悟して来ていた今大路だったが、彼はあえなく動揺した。

 

 朱茉莉の顔が近くにあった。それは近すぎるなんてものではなく。そして唇に温かい感触。警備員の突然の登場に、鋭敏に反応した朱茉莉が機転を利かせたのだ。彼女は今大路と唇を合わせたまま、彼の胸板をまさぐった。警備員には、そのように見えただろう。

 

「いい加減にしないか!ずっと監視カメラに映っているんだぞ!」

 

 キスを続け今大路の胸元に端末を隠した後、朱茉莉は目配せした。それに気づいた今大路は彼女との抱擁を解く。今大路も振り向いた。その時横目に、確かに朱茉莉の微笑みを盗み見た。

 

 一歩横に踏み出した朱茉莉は胡乱げに、警備員へ視線を向けた。やや大げさに、不機嫌さを表に出している。これから、彼女は"能力"を使う気である。だがそうだと知っていても。朱茉莉の横柄な態度。彼女のキャラクターをだいぶ知っている今大路にも、それが演技なのか、彼女の素の性格から来ているものなのか判別はつかなかった。

 

「すみません。すぐに戻ります。以後気をつけます」

 

 今大路は朱茉莉の前に体を置き、警備員へとバツの悪そうな表情を見せ話しかけた。ちょうど、朱茉莉と警備員の間に挟まるように。警備員の意識を朱茉莉から逸らしたかったのだ。彼の行動には理由があった。"やや大げさ"という表現は正しくなかったようだ。彼の真後ろの朱茉莉は不遜な態度も全開に、侮蔑、軽蔑、嫌悪、負の感情を概ね全て含んでいそうなとびきりドギツい目線を警備員へと照射していたのだ。

 

「そうしてくれないと困る。何度目だい?これで。最初からこっちは見ていたぞ」

 

「うわ、マジすか。あ、でも見てたならわかりますよね?まあその、ちょっと立ち入っちゃいけない場所に入ってはいましたけど、何もしてないし、怒られないし、まぁいいかなって思ってたんですよ。すみませんすみません。すぐ戻ります」

 

 苦々しい顔つきの警備員を見つめていると、相手は小さく嘆息した。

 

「はぁー……。返事だけは調子がいいね……それじゃ、さあほら、今すぐ戻ってくれ」

 

 彼の台詞と被せる様に今大路は緩やかに歩き出した。

 

「そっちの君はさっきから何か言いたいことがあるのかな?その目付きは……」

 

 朱茉莉は未だ立ち尽くし、警備員を眺めていた。誰の目にも明らかだった。彼女の視線にはありありと警備員に対する挑発が含まれていた。

 

 今大路は機を計らう。彼は知っていた。今この時、彼女は"能力"を使っている。目の前のあの男へと。

 

 短い間だったが、緊迫した空気が流れていた。朱茉莉の態度は、警備員へとケンカを売っているようにしか見えない。今大路は小刻みに震え身じろぎする警備員の後ろ姿を見守った。

 

「何でもないです。お仕事ご苦労さまでした」

 

 あっさりと、朱茉莉は張り詰めた緊張を断ち切った。そしてそのまま今大路のそばまで足早に歩み寄ると、彼の手を強く握りしめた。それは合図だった。彼女が"能力"を仕掛けるのに成功したのだと、今大路は理解した。

 

「……いいな、これが最後の忠告だからね。次、故意に一歩でも立ち入り禁止のフロアに入ったら大事にするぞ!」

 

 警備員は2人の背後から警告を投げかけた。今大路は思わず嗤いそうになったが、なんとか押し止めた。だが、横の彼女には難しかったようだ。

 

「ぷッ……くふ、ふふ」

 

 朱茉莉はこらえきれずに吹き出した。離れた後方で、男の足音が止まった気がした。

 

「もう大丈夫だから、行こう」

 

 今度は今大路が朱茉莉の手を握り、引っ張った。忌々しそうな警備員の悪態を後に、2人はその場を離れていく。

 

「……チッ!ったく……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 今大路と朱茉莉は廊下を進んでいた。しばらくすると、朱茉莉が耐え切れなさそうに表情を歪めた。

 

「くふ、ふ。"おおごと"だってよ?オージ」

 

「俺も笑いそうだったよ。それより、あいつ、うまくかかったのか?"能力"」

 

「当然じゃない。"正しい使い方"をする分には、アタシの能力は失敗しないんだよ」

 

 その後更に。朱茉莉は間を空けて、ポツリとこぼした。

 

「今頃、お部屋の空気は最悪だろうなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 管理室へ戻る最中、不良学生2人に注意を促した警備員は苛立ちを募らせていた。先程の女学生から受けた八つ当たりに近い蔑視。その怒りを抑えるのに苦労していた。頭の中は苛立たしさに満ちていたが、微かに、何故これほどまで自分が興奮しているのか、という疑問も湧いていた。理由が彼にも良く分からなかった。仕事柄、あのような学生の犯行的な態度など日常茶飯事であったのに。今日は虫の居所が悪いのだろうか、と彼は僅かに不思議がる。

 

 しかし、その疑問も、身の奥底から湧き上がる鬱憤に掻き消えていった。再び管理室に帰ったその男は強引にドアを開閉し、荒々しくずかずかと立ち入った。力を込めて閉じられたドアは轟音を響かせていた。

 

「どうした?うるさいぞ」

 

 デスクに座り、仕事に集中していた管理室の主任は煩わしそうに眉根を寄せた。戻ってきた男は彼の言葉を無視して、奥へと歩いていく。主任は一時、困惑するも、すぐに仕事を再開した。

 

「お疲れさん。大変だったなー」

 

 モニタールームに帰ってきた男は、同僚の放った台詞に無性に苛立った。彼は歯止めがきかなくなっているのを自覚していた。それでも、怒気を炊き上げるのを止められなかった。

 

 同僚は片手にコーヒーの紙コップを掲げていた。それは男に差し出されたものだった。

 

「おら、コーヒーどうだ?アイスでいいよな――――っておあッ!?」

 

 差し出されたコーヒーを無視し、強引にその横を通って自らの席へ座ろうとした。男の腰に勢いよくぶつかった同僚の手は跳ね飛ばされ、コーヒーは同僚のデスクの上、彼の仕事上の書類へと盛大に降りかかっていた。

 

「零れっ――!」

 

「チッ」

 

 返ってきたのは舌打ちがひとつだけ。同僚はいきり立ち、声を張り上げた。

 

「おいおいおい!お前どうにかしろよこれ今日帰れねえじゃねえかよ!……シカトしてんなよお前、なんでそんなキレてんだよ。てか行くなよ!仕事どうすんだ?」

 

 同僚の要請すら微塵も気にかけることなく、男はタバコを手に取り部屋を出て行った。当然のごとく、残された同僚は大いに憤慨した。

 

「あぁ?!なんだアイツ!?」

 

 

 怒りに身を任せる男はモニタールームを退出すると、そのまま管理室内を素通りして、休憩室へと向かっていった。

 

「な?何処へ行く?まだ君の担当だろうが?おい君!」

 

 管理室の主任も、目ざとく彼の怠慢を見咎めた。しかし、彼の静止すらも振り切り、男は態度も悪く素通りしていった。しばらくして男は再び仕事に戻ったが、その後のセキュリティスタッフ同士の感情は一触即発、極めて悪化することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究所の見学参加者は、いくつかの班に振り分けられ、流れるように研究所内を巡回し、説明を受けていた。この時、今大路と朱茉莉の組み分けられたグループは休憩時間に入っていた。2人してベンチに座り、ただひたすら待ち続けていた。残された仲間の準備が整うのを。

 

「シュマリ。準備できたらしい」

 

 今大路は仲間から連絡を受けると、すぐに隣に座る朱茉莉へ首を向けた。彼の緊張に引き攣った顔を見て、朱茉莉はうっすらと彼の頬を撫で始めた。今大路の息を呑む音は大きく、朱茉莉ははっきりと聞き取れた。

 

 

「やっと仕返しできるね。ここまで上手くいったけど、これからが大変。後は祈りましょ?アタシはいつでもいいよ」

 

 朱茉莉に触れられて、硬直していた今大路の体は、一瞬、さらに硬度を上げていた。それはだんだんと解かれていき、代わりに彼の表情は憎しみに彩られていく。

 

「……ふぅー。成功させたいな。何としても。……あと少しで、あいつらを……あぁ…失敗したくないな。くそ。早く見たいよ、俺も。……ふー。おし、それじゃ、行こう」

 

 今までに受けた屈辱や苦しみを噛み締めていたのだろうか。今大路は視線をあさっての方向に向け、虚空を睨みつけた。瞬きひとつの間に彼は気持ちを振り切ると、朱茉莉に拳を向けた。

 

「大丈夫。アタシは失敗しない。オージも頑張って」

 

 拳と拳が軽く合わされ、2人は別々の方向へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 一歩一歩、恐る恐る、管理室に近づいていく。朱茉莉が壁に顔を摺り寄せ耳をすませると、壁を伝い部屋の内から微かに振動と怒声が届いてきた。

 

「ふふ、もっと怒りなよ。取っ組み合いのケンカなんて、オジさんたちは久しぶりでしょ?たっぷりと懐かしんでくださいな。……それに、気持ちいいといえば気持ちいいでしょ。自分の思うがままに、他人に悪意をブツけるのは」

 

 蕾が花開くように、朱茉莉は満開の笑みを浮かべている。彼女は愉しそうに鼻歌を奏でながらも、彼女の"能力"の使用強度を際限なく上昇させていった。

 

 彼女が背負う壁の奥底からは、大人同士の、憎しみ歪み合う闘争の物音が絶え間なく響く。それはどんどん物々しく、物騒な破壊音を伴い始めていた。

 

 "憎悪肥大(ヘイトコントロール)"。朱茉莉は自分の能力が鬱陶しかった。ずっと、ずっと、ずうっと。だが、この時、ほんのひと雫ほどといっても良いほどだったが、自分の能力を容赦なく開放する、その快感に彼女は弛緩した。

 

「あは、あはは。お仕事してなくていいのかな?ケンカなんてしてていいのかな?アタシら不良学生は目を離すとすぐに悪さしちゃうんだよお?くふ、ふふふ、あはははは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そういえば、まだ貴方の感想を聞いていなかったわねえ?』

 

「悪趣味だな。あの時の話を蒸し返してくると思ったら。そんなことを聞きたかったのかい。……あの時はそうとうな衝撃を受けてただろ。俺の顔見て愉しそうにしてたじゃないか。まだ満足できてなかったのかよ」

 

『ええー。聞きたい聞きたい聞きたいわあ!あの日の前日は私だって楽しみで楽しみで、つい夜更かししちゃったくらい、とっても期待してたんだからあ。肝心の、ターゲットだった貴方本人から感想が聞けずにいてずーっと消化不良だったのよお。聞かせてくれたら何かいいことがあるかもしれないゾ☆』

 

「……」

 

 食蜂操祈という少女は、案外砕けた、馴れ馴れしい絡み方をする人間だった。火澄たちからうっすらと耳にした彼女の"女王"という別名からだと想像もできない。景朗はなんと言い返せば良いのかしばし考え、表情を石像のように固くしつつ彼女へと告げた。

 

「手纏ちゃんが実は天使のままだった、ああよかった、というひと安心する思いもあるものの……なんかこう……ギャップ的なものからくる、こう、"あの手纏ちゃんがあんな刺激的な台詞ををを!?"的な、それはそれでそそられるのモノがあるよね感も、一気に陳腐化したというか…………まあ、なんつーか。お疲れ様でした。いい仕事しましたね」

 

『あらあ。やっぱりレベル5は変態揃いなのねえ』

 

 あんたご自身も、自覚があるようですね。景朗は真面目に相手をするのを放棄しつつあった。散発的に聞かれたことにチラチラ答えていると、飽きが来たのか、彼女は自分勝手に一方的に電話を切って会話を終わらせた。

 

 

 電話番号を交換したばかりの、景朗が電話をかけたあの少女のケータイに対応したのは、食蜂操祈だった。まだあの少女は操られているのだろうかと、景朗は少々気の毒に思ったものの、自分が気にかけていてもやれることは何もない。そのことについては忘れることにして、割り切って相手と会話を行っていた。

 

 

 何はともあれ、着信を受けた彼女へウィルスによるテロの危機をそれとなく伝え終えた景朗。そこで彼は、一息つく間もなく、また別の人物から呼び出しを受けることになった。

 

『おう。テメェ、今どこにいやがる?火急の仕事だぞォ』

 

 開口一番、木原数多は景朗の所在を尋ねてきた。

 

「!……第十五学区の一番東側。端っこに居る』

 

『遠くはねえな。テメエならすぐに駆けつけられるか……おい、あんまうろちょろすんなよ。その辺に居ろ』

 

「何が起きたんだ?早く言ってくれ」

 

『いつものクソ仕事だ。あぁーそうだ、ゲノム情報医科学センターとやらがどっかの馬鹿に占拠されちまったんだとよ。ついさっきな』

 

 電話越しに聞く木原数多の声色には苛立ちが少量含まれていた。

 

「どこなんだそこは?学区は?」

 

『第十学区の北部だ。第二十二学区にかなり近いぞ』

 

「状況は?」

 

『それもこれから説明すんだよ、とりあえず黙ってろ小僧。研究所が複数の占拠犯に乗っ取られた。"猟犬部隊"に連絡が来たのも今さっきだ。まだそれほど時間は経ってねえ。犯人どもの動き出しは十分ほど前かもうちょい前だな。だから内部の情報はまだよくわかってねえ。中には職員と、他にたまたま見学に来てたらしいガキどもがいたようだ。恐らくそいつらは人質に取られている。相手からの要求もまだ無しだ。テメェはどーせ間に合わねえから、そこでいい。動かずに待機してろや』

 

「何を言って?」

 

『あと7分後に突入すんだよ。警備員に紛してな。もうちっと早く準備できたはずなんだが、手間取っちまってよ、今イライラしてんだわ。後で情報部のスタッフは処罰だなァ。研究所内にゃ今、バイオハザードのアラートが出てるらしくてよ。やべえウィルスが蔓延してるらしい。確かなことは言えねえが、人質どもも罹患しちまってるだろうな。畜生が、情報が遅れてきやがってよ。おかげでこっちも対化装備に換え直す二度手間が増えちまってなァ、クソが』

 

「なな、ふんか。……いいのかな?俺がここで待機で」

 

『舐めんなよクソガキ。テメェはせいぜい楽ができたとでも喜んどけ。万が一、犯人どもを取り逃がしたらテメェも駆り出すぞォ』

 

「それも仕方ない、今の状況じゃ。遠慮なく呼んでくれ。にしても、そのゲノム情報なんたらって研究所、名前が気になる。今朝のウィルス騒ぎと関係がありそうか?」

 

『ハハ、お前さんも情報を掴んでたのか?仕事熱心だなオイ』

 

「頼む、突入後の情報を俺にも送って欲しい」

 

『気が向いたらな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は木原数多からの連絡を待ち続けた。その間に、土御門に第十学区の研究所で占拠事件が起きていることを伝えていた。予想はしていたものの、土御門も既にその情報を入手しており、さらに景朗に追加の情報まで与えてくれた。事件発生の事実は、未だ"警備員"に発覚していないらしい。彼らの知るところになるのも時間の問題ではあろうけれど。

 

 暗部の危機察知能力が如何に優れているのか、それを見せつけられたようだった。警備員たちが駆けつける前にまたしても、"猟犬部隊"が仕事を終わらせているだろうよ、と話を聞いた景朗はそう土御門に返した。

 

 土御門との会話を終えた景朗は腕を組み、再び物憂げに思案に暮れた。同僚との会話の中、心に残る点がひとつ見受けられたのだ。"猟犬部隊"の仕事の結果を待つあいだ、景朗もその点について、悩み続けた。

 

 土御門は不思議がっていたのだ。何故、犯人はその"ゲノム情報医科学センター"とやらを襲ったのか。研究所が行っていた研究のデータが狙われたのだろうか。しかし、その理由は考えにくいものだった。勿論、その研究のデータを欲しがる企業は、探せば存在するに違いない。だが、強盗までして盗み出す、そのリスクに見合う代物ではないだろう。現に、その研究所の運営もそのことは重々承知しており、学園都市の研究機関の中ではそれほど警備が厳重な施設ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日は高く登っている。いつからだろうか。どれほど燦々と輝く太陽を見つめても、眩しさに目がくらむことはない。景朗は下を向いた。高層ビルの屋上から見下ろす第十五学区の街並み。外部から訪れた人々は口を揃えて、近未来型都市の理想形と口にするらしい。その光景を見て、何の感慨も浮かばぬ景朗だったが。耳を立てれば、大都市の生活音に紛れ、一般市民のお喋りが聞こえてくる。学園都市の面目躍如、耳に入るのは、年若い子供たちの声ばかり。景朗の知り合いもいるかもしれない。数はとても少ないけれど。あの子たちが、犠牲になるかもしれないとは。取り越し苦労に終わる気もする。

 

 

 

 

 

 

 ついに、待ちわびた木原数多からの連絡が届いた。ところが。景朗が予想した結果は、何一つもたらされなかった。

 

 

「犯人がいなかった?!」

 

『何度も言わせるな。突入したがよォ、犯人はもう逃げた後だった。もぬけの殻だったんだよ』

 

「要求も無かった……それじゃ犯人はまさか、研究所の研究データを盗んでっただけか?」

 

『そいつは調査してみねえとわからねえ。俺たちは5分近くで現場から撤退した。くまなく調べたぞ。ひとつ、奴等が地下から出入りした形跡を見つけている。だからよ、ウチの追跡班が地下の調査に移った』

 

「逃げた……。えらく短い。短すぎる。犯人は一時間も立てこもってないじゃないか」

 

 木原数多も多少の混乱を隠せていなかった。

 

『状況から推測して、犯人の施設襲撃から撤退まで約25分ってとこだな。早業だ。まあ、犯人が施設のセキュリティに気づかれずに、まんまと施設に侵攻できたってのもデカいと思うぜぇ』

 

 セキュリティに気づかれずにやってのけた。今朝、薬味のところから盗み出した奴等であったなら、同じく造作もないことだったろう。簡単に調べてみたが、ゲノム情報医科学研究センターとやらは規模も小さく、加えて資金調達に難があったらしい。素人故に完璧に正しい判断を下せるわけではないが、研究されていた内容もそれほど世間の目を引いているようではなかった。厳重な警備体制が敷かれていたとは口にできない施設だった。

 

『踏み込んだ連中が妙なことを言っててなぁ。警備員が派遣され5人体制で管理に当たってたみたいなんだが。奴等が犯人に抵抗したような形跡は皆無だったとよ。むしろ、襲撃の最中、仲間内で争っていたとしか思えねえ有様だったそうだ。犯人どもをほっぽりだしてだ。警備員の中に犯人の一味が潜り込んでいたと考えるのが自然だが……』

 

「5人全員その部屋にいたと?」

 

『そうだ。全員意識を失って転がっていた。なんかありゃ後で調べがつくだろう』

 

「そう、か。そうだ、人質とか被害は?」

 

『職員も、見学に来てたその他の人間も欠員なしだ。記録上の数と現場の人数は一致していた。前々から犯人の一味が潜り込んでた可能性もあるけどよォ、そいつは他の奴等に任せてある。なんせ、今ようやく判明したところなんだが、施設内に撒き散らされたのは天然痘ウィルスだったらしくてな。あの場に居た奴等は皆、咳き込んでいやがった。全員、感染しちまっていたぞありゃあ。今は全員、遅れて突入してきたアンチスキルどもに搬送されてる頃だ。犯人が紛れてたとしても逃げ出せねえ。ま、そういうこった。なんにせよ、実行犯は地下から逃げたみたいだからな。今、センサー持たせて追跡中だ』

 

「天然痘……」

 

『今朝盗まれたモンと同じ種類の天然痘ウィルスだったらしいがなァ、あくまで種類の上での話だぞ?ウィルスが全く同じ個体なのかどうかは遺伝子検査して見ねえとわからねえ。別の経路で運ばれてきたものかもしれねえ。まァ、疑うのは当然だがな』

 

「同一犯の可能性は?」

 

 犯人は襲撃の際に、今朝盗んだばかりの天然痘ウィルスを使った。短時間でウィルスが培養してきた、能力者の仕業と考えるか。それとも、外部の、別ルートからの品だという考えも捨てるべきではないのか。しかし、同一犯だったとしたら。犯人が今朝の窃盗団だったとして、ウィルスの使用は手がかりになってしまう可能性を考えないのだろうか。それでも構わずに使ったのだとしたら……まさか、バレても良かったからなのか?詳しく調査される前に、目的を遂行できるから、気にかける必要がなかったのだろうか?

 

 

『決めつけはよくねえぞォ?まぁ、無理に止めやしねえ。おら、テメェもそろそろ動けや。……そうだな。だがま、俺たちと仲良く一緒に動いてちゃオメエの長所も死んじまうか。おーし、テメェはテメェで頑張れや。必要な情報は送ってある。部隊の"切り札"らしく、な。チェーンは外してやる。"三頭猟犬"、テメェは好きに動け。面倒だからよ、犯人どもは皆殺しでも構わねえぞ?』

 

「待ってくれ。他に目立った情報はないのか?さっきの、警備してたセキュリティの不自然さとかそういったことでもなんでもいい。犯人どもが何をしたかったのかまるで分からない」

 

 

『これ以上はねえよ。目立った報告なんてよ……あ?これは……。ひとつ、あるぞ。奴等が研究所で一番高額だった機器、ウィルスのゲノム解析機を使った形跡があった、てな報告もあるにはあるな。だがこいつぁ実のところ、真偽は定かじゃねえ。その解析機、メチャクチャぶっ壊されててよ。だからもしかしたら連中が使用したかもしれねえ、って感じの報告になったんだな。このマシン、データ入力だけでサンプルの遺伝子解析から組み換えまで自動でやってくれるこの街の特注品だったんだが……あーあ、完全にぶっ壊されちまってるよ。無残だぜぇ。こいつ一台でいくらすると思ってんだぁ?クソども。テメエ等全員のクソ命をまとめてかき集めたブンよりよっぽど上等だってのによ――!!」

 

 話す途中から木原数多はぶつぶつと怒りに震え、最後は放送禁止用語を連発しだす有様だった。景朗は端末に送られた情報を検索し、破壊された複合シーケンサーの情報を調べていく。

 

「少なくとも、連中がこの機械に目を留めたのは事実か」

 

『ああ。だが、こんな短時間でとなると、データを盗み取る以外には、何もできそうにねえな。このこの機械自体は、ちょろっといじくっただけじゃなんも悪用できねえぞ。心配すんなクソガキ。ブッ壊されてたからこんな風な報告が来たんだろうよ』

 

 それは、そうだろう。景朗は押し黙り、考え込む。ウィルスの培養には、それなりに時間がかかるはずだ。魔法や超能力でも使わなければ。

 

『何を考えてんのか知らねえが、この街に、んな魔法みてぇに好き勝手微生物を操れる奴はひとりも居やしねえよ。ウィルスの遺伝情報レベルの規模をあっさり処理できる能力強度なんざ想像もできねえ。俺ァオマエよかそこんとこは詳しいんだよ、長年、テメェらモルモットどもの研究やってきてんだからなぁ』

 

 コイツは。木原数多は、"幻想御手(レベルアッパー)"とやらの存在を知らないのだろうか。いや。彼だからこそ、長年能力の研究をしてきたという研究者だからこそ、簡単には信じられないのだろうか。それも当然かもしれない、と景朗は察した。そう易々とレベルが上がるものか。とても信じられない。

 

 でも。もし。レベルアッパーを使用した産形に、ウィルスの短時間での培養が可能になるのなら。その前提は覆る。

 

 しかし、木原数多ほどの科学者が、どれほど演算能力が要求されるか分からない、といった代物なのだ。低能力者である産形茄幹は、一体どれほど能力強度(レベル)の上昇を要求されるだろう。大能力級か、強能力級以上のものが要求されそうだ。しかし。景朗自身が身を持って知っている。

 

 強能力とは、それほど容易く到達できる領域ではない。丹生は"第一位"の"超能力者"の特性を利用しなければ強能力を獲得できなかった。強能力より上の力を求めるならば。そこには、持って生まれた才能というものが、確かに必要とされるものなのだ。第一、その"幻想御手"とやらたったひとつで。いや、それが単品だとは現物を知らないから、断定はできないが。まあいい。その"幻想御手"とやらひとつだけで、"自分だけの現実(パーソナルリアリティ)"が拡張されるだと。そんなこと信じられない。

 

 ……違う。そんな考えではダメだ。土御門は実在すると言っていた。

 

 今一度、景朗は脳裏に、犯人が使用したものが天然痘ウィルスであったという報告を思い出した。よくよく考えれば。天然痘ウィルスをあの場で使ってしまったら。確実に効果のある種類のワクチンやら治療薬やらを前もって準備されてしまうから、テロには使いにくくなる。治療薬の量が追いつかないほど、大規模に仕掛けるつもりなのか?だが、それほどの準備を暗部に補足される前に遂行するのは難しいはず。

 

 どちらにせよ、問題が生じるはずであるのに、犯人は研究所でウィルスをばら撒いた。もうウィルスに執着する必要がなくなったからできたのだとしたら。極めて都合が良い想像になってしまうけれど。景朗は思い付く。

 

 その複合シーケンサーで、ウィルスの遺伝子を組み替えて、ワクチンや治療薬が効かなくできれば。逆に、対策をしていた医療機関は混乱するかもしれない。それくらいなら、学園都市ならば直ぐに対応できるだろうか。しかし、更にそれ以上に、ウィルスに何か余計な操作を加えられる余地があった場合。トラブルは大いに起こり得る気がする。

 

 全ては、ウィルスを操れる能力者と"幻想御手"の存在があって成り立つ話だ。景朗は産形の部屋に置いてあった、検知器の存在を頭の中で反芻した。あれは、それなりに高度に作られていた。安くでは手に入らない代物に思える。嫌な予感は消えていない。消えそうもない。

 

「木原さん。なあ、その機械、実際に使われていたかどうか、別の所から調べられないだろうか?」

 

『無理だ。何せ、あの小さな研究所にとっちゃ研究データが飯のタネの全てだからな。生命線だ。ネットワーク、情報処理網は神経質なほどクローズドな環境に設定されていやがった。シーケンサーの記憶領域が壊れちまってりゃ、もう一度言うが無理だろう』

 

 

 直ぐに手をつけなければならない事案があるらしく、木原数多はそこで景朗との通話を断ち切った。景朗を、得体の知れない焦燥が覆っている。はっきりと姿を捉えられぬ不安。その影に不快感を覚え、景朗は迅速に土御門へと連絡を入れた。

 

 土御門は木原数多から入手した情報を熱心に聞き入り、念入りに吟味しているようだった。景朗が口を動かす間、口数少なく、大人しい反応を見せていた。

 

「土御門、本当に産形以外にめぼしい能力者はいないんだな?」

 

『考え得る限りではな。リストに挙がった数もほんの僅かだ。全員の動向を掴ませてある。産形以外は』

 

「わかった。何か進展があったら教えてくれ」

 

『情報助かるぜい』

 

「いいさ。今はとやかく言う前に協力しよう」

 

『じゃあな』

 

 

 

 

 

 

 そろそろその場を離れ、行動に移ろうかと思い至った景朗は、発つ前に、ケータイを最後にもう一度確認した。確認して正解だった。追加の情報が届いている。"猟犬部隊"で使われる通信だった。そこには、地下へと逃亡したであろう占拠犯どもの足取りが掴めなくなったと記してある。

 

 

 嗅覚センサーを撒くとは。景朗は顎に指を添え、表情を曇らせた。今朝の窃盗といい、研究所の襲撃といい、この街の暗部を相手に、未だここまで姿を露出させていない。相手はやはり、この街のセキュリティシステムや犯罪捜査に詳しい。その上、念入りに計画を練って実行に移している。突発的に行っているのであれば、追っ手は暗部なのだ、いくらなんでも、もうすこし尻尾を掴んでいておかしくない。

 

 さりとて、相手が今どこにいて、何をしようとしているのか。さっぱり分からなかった。雲を掴むような話だ。土御門と話したように最悪の場合を想定して、網を張るしかないかもしれない。

 

 景朗は幸いにも、産形の自宅で彼の体臭を把握できている。暗部の調査班が現場に紛れているようなので、直に新たな情報も追加されていくだろう。時間が経てば経つほどこちらが有利なのは間違いない。差し迫って危機に陥るとすれば。勝負は、峠は近日中だろうな、と気を引き締めた。

 

 とりあえずは、産形の匂いを辿る。第十五学区の街中をこの"超能力者"、"悪魔憑き"の能力で。全霊を尽くして捜索してやろう。景朗は躰中に力を張り巡らせた。

 

「久々に、能力を最大まで振り切ってやる……ッ!」

 

 景朗は全身の神経を白熱させようとしたが、その前に、ひとつ気にかかることがあった。能力の発動を取りやめ、しまったばかりのケータイをポケットからまた取り出した。

 

 今日は電話で誰かと話してばかりだな、と苦笑する。今度は躊躇はなかった。食蜂操祈は仕切りに、協力してもいい、と助力を匂わせていたのだ。何を要求されるか分からない。それでも、打てる手は何でも選り好みせずに打っておこうと思ったのだ。

 

 万が一、事態が学舎の園に及んでしまった場合。その時に、速やかに彼女の協力を得られるに越したことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 危機に瀕しているその状況を、もうすこしだけ詳細に食蜂へと語った景朗は、続けざま彼女に協力を仰いだ。暗部の情報をありありと流す訳には行かず、相当な量の事実をボカして通達した景朗。そんな彼の意識は、そのほとんどを諦めが占めていた。相手は人の心を巧みに見抜いて生きてきたであろう、"精神操作(テレパス)"の頂点に立つ人間だ。景朗の説明は拙過ぎた。彼はそう思っていた。しかし。

 

『へえ。大変じゃない?しょうがないわねえ。約束通り、私が手伝ってあげる』

 

「え、マジ?」

 

 予想だにしていなかった返事に、景朗は素直に驚きを打ち返していた。

 

『マジもマジ、大マジよお☆』

 

「あ、ありがたい。でもなんで……?」

 

 咄嗟に、景朗の口から疑問が飛び出していた。

 

『何故、って。単純に自衛のために決まっているでしょう?貴方こそ本当に知らないの?それでも暗部の人間なのかしら?』

 

「いや、その」

 

 言い淀む景朗を置いてけぼりにして、食蜂は尚も語り続けた。

 

『学舎の園を狙ったテロ事件、物凄く多いのよ。別に言い隠すこともないし、教えてあげるけど、私たち学舎の園に住む女の子はみんな、もうテロ騒ぎには慣れっこなのよ。いい加減、毎回悩まされるのに怒りを覚えるくらい。私だってうんざりよお。出来ることなら犯人さんたちに、自分のこの手で引導を渡してあげたいくらいなの』

 

「そうなのか。ああ。言われてみれば学舎の園を狙った事件、テロに限らずやたら報道されてるもんな。学舎の園は狙われる確率が大、だと」

 

『貴方たちの会話を聴いて、私は真っ先にそれを思い浮かべたの。もしかしたら、またココが面倒事の標的にされるんじゃないでしょうねえ、って』

 

「だったらこれから数日だけでいい。協力してほしい。どこかでひっそりと進行している事件を発見したら、いの一番に教えて欲しい。俺は今からでも手がかりの捜索に入るつもりだ。まずは第十五学区を――」

 

『ちょっと待ちなさいよお。私が協力してあげるって言ってるでしょお?』

 

「っ、わかった」

 

 景朗の返答の後に、食蜂は随分と気分良さげな声を上げていく。

 

『私の能力を使って、街中を手広く探ってあげる。で、貴方の役割は、そうやって私が見つけた怪しい箇所の最終的な確認作業ってのでどうかしら?』

 

「あ、ああ。それができるんなら、躰がひとつしかない俺にとっちゃ大助かりさ」

 

『とはいっても、貴方が教えてくれたテロの予想学区、さすがに広範囲すぎるわねぇ。もう少し、箇所を絞れない?』

 

「それじゃあ。ええと。そうだな。学舎の園は勿論、第十五学区、第七学区の人口密集地区、とかかな」

 

『悪くない選択肢。それじゃあ、貴方はいつでも動けるようにそこで待っててちょーだい?』

 

「あ。……了解、だ」

 

『あらぁん?歯切れが悪いわねえ?何事?』

 

「いや、なんでもない。頼むよ」

 

 

 景朗は小さな小さなため息を吹かす。ずっと待機していたビルの屋上の、その淵をいそいそと歩き回り、そして小声で呟いた。

 

「俺だっていい加減、このビルから移動したいんだけどなぁ……」

 

 言い終えると、景朗は俯き、頭を抱えだした。

 

「あああ、クソッ、"第五位"、このタイミングで俺に接触して、協力したいだと?!怪しすぎるんだよ!」

 

 景朗には気にかけるべき大きな三つの要素があった。一つ目は今朝の薬味の病院からのウィルスの窃盗。二つ目は研究所の占拠事件。そして最後の三つ目。"第五位"食蜂操祈の唐突な接近。

 

 だいたい、あの重要な所を穴抜きしまくった景朗の説明であっさり納得して、協力まで願いでてくる食蜂という女。怪しすぎる。今回の事件、裏で糸を引いてるの、あの女じゃねえだろうな、と景朗はくぐもった唸り声をあげた。

 

「畜生。あんな怪しい女に火澄たちの事バレちまってるし。正直、ウィルス盗難の事があの女に漏れたのも、俺のミスだしな……その件もバレたら大変だぞ、これは……ああーっ!」

 

 色々と悩ましい案件であったが、それでも、食蜂と名乗る少女と接触を断つ訳にはいなかった。もし彼女に裏があった場合を考えれば。彼女と接点を作っておいた方が、尻尾を探り易い。それはどう考えても明らかだった。結局、景朗は大した提案を返すこともなく、言われるがままに食蜂の要請を受け入れていた。

 

 

 

 

 

 

『ちょっといいかしら?』

 

 食蜂と連絡を断ってからまだ幾ばくも時間は経っていない。絶え間なく届く関係者からの連絡に、景朗の顔に疲れが現れ始めていた。

 

「どうした?」

 

 

『んー……。この件と関係あるか分からないのだけど。ちょっとした騒ぎが起きているみたいなの。学舎の園で』

 

「なに?!」

 

『自殺よ。飛び降り自殺。うちとは違う中学校の娘が、飛び降り自殺しちゃったみたい』

 

「それは――」

 

 タイムリーではある。あまり気分の良い報告ではなかった。だが、自殺自体は学園都市では珍しくはない。学生がこれだけいればそれすなわち、いじめを受けている人間の数も多くなるというものだ。

 

「今日はなんて日だ。呪われてるな」

 

 唐突に、電話の向こう側で食蜂が息を飲む音がした。

 

『少し黙っててちょうだい』

 

 急激に真剣さを取り戻した彼女の声色に、景朗は口を噤んだ。

 

 

 

 

『これは、ひょっとして……貴方が言った第十五学区ね。東部にある電波塔が、占拠されているみたい。たった今よお、これ』

 

「東部の電波塔!?第十五学区で一番高い建造物……こっからでも見える」

 

 景朗の脳裏に言い知れぬ引っかかりが発生した。食蜂も言葉を濁し、考えを巡らせている様子が窺える。

 

『……なるほど、第十五学区随一の高さを誇るあの電波塔から、ウィルスでも打ち出すつもりなのかしら』

 

 食蜂の言葉を聴いた景朗は直ちに、その電波塔へ急行する用意を始めた。土御門との会話を思い出す。最悪の仮定が仮定でなかったら。確認に行く。何もなければそれでいい。どのみち、今自分にやれることは限られている。

 

 ウィルスをどのような手段でばらまくのか知らないが。低所と高所からばら撒くのなら、より高いところから行った方が、いずれにせよ遠くまで届きそうだ。相手は用意周到な奴等だった。学区を跨ぐのが面倒なら、近場の高い建物からテロ行為を行うのも有効だと考えてくるかもしれない。

 

 景朗は宙へ飛び出した。

 

『あらん?ちょっと、風の音で貴方の声が聞こえにくいのだけれど……ああ、そうなの。はぁ、単純ねえ。それじゃ、頑張ってちょうだぁい。……ッ。何事――』

 

 食蜂との通話はそこで途切れた。彼女の言いかけた内容に気を取られそうになる気持ちを景朗はぐっと抑えた。今はそれでも。一刻も早く、何者かに襲撃されているという電波塔へと急行しなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頂上よりも高い高度から、電波塔を見下ろす。屋外から見た限りでは、視界に映る電波塔には何の異常も見受けられなかった。

 

 学園都市、第十五学区にそびえ立つ電波塔は中央に一本、ガラス張りの塔が突き通り、そこから外周へと広がるように細い足場が用意されている。

 

 外から内部を覗く。塔の頂上近く、高層には誰の人影も無い。塔にぶつかる風が強風となり、着地しようと近づく景朗を強く煽った。

 

 

 

 

 

 突入してみるしかない。景朗は滞空しつつ、目に入る建物内を見渡し、念入りに確認を済ませた。突き破れそうなガラス張りの階に目星をつける。目標の部屋は誰もいない。狙いを付けた部屋のガラス目掛けて、勢いよく飛び込んだ。

 

 予想外の音だった。バキリ、と重たい、鈍い破壊音。あの、取り返しのつかないことをしてしまったような気分にさせられる、鋭く澄んだ響きは発生しなかった。

 

 破片の上を転げ回る。いくら鋭利であろうとも、ガラスの欠片如きでは硬化させた景朗の皮膚は傷すらつかなかった。散らばった粒の上で立ち上がった景朗は、空いた大穴を振り返り考える素振りを見せた。

 

「馬鹿か俺は。もっと目立たないように入れたじゃねえか」

 

 そう零す景朗の耳が、鋭く伸びていく。あっという間に、彼の頭部に歪な獣の両耳が垂れ下がった。この塔へ侵入する前にざっと見通した限りでは、たった今降り立ったフロアより上方には人影が無かった。加えて、感覚の増した聴覚は、下の階層から微弱な振動を察知した。脈動する昇降機の上昇する駆動音が伝わってくる。

 

 景朗は物陰に身を隠し、下の階へと降りていく。慣れたもので、人間離れしたしなやかな動きは物音一つ催さず。世に言う、軍隊や警察に属する特殊部隊が洗練してきた、合理性が徹底され磨かれてきた産物とは少し毛色が異なっている。その動きは、むしろ、密林に潜む肉食獣の如く、狩猟生物の本能を凝縮したような。卓越した感覚器官と運動能力に支えられて繰り出される種類のものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 静かだった。彼が捉えるエレベーターの上昇する音。それ以外は風の呻き声だけ。景朗が移動してきた上層エリアは、一般客は立ち入り禁止のフロアらしかった。比較的大型の、サーバーのような機械から、電波の送受信装置、記録装置、どこかの大学の研究室が設置したのか、レーダーのようなものまで、様々な電子機器が混在していた。

 

 一般客向けのエレベーターが停止する、最上階。景朗がそこへ足を踏み入れた時には、既にエレベーターの扉が開き、数人が飛び出した後だった。バカ正直に姿を見せてなるか、と景朗は見つからないように隠れている。

 

 エレベーターから姿を現したのは、3人。どうやら全員、学生だ。音だけで判断したが、わかりやすかった。皆、息を切らせ、緊張している風である。景朗が隠れたのは、エレベーターの入口がからだいぶ離れた場所であった。それ故、判明したのは彼らの数と、その息遣いからまだ彼ら3人が年若い子供であることと、少女2人、少年1人の組み合わせだったということだけ。直接、目視はしていない。簡単な確認だけなら、彼らの匂いで済ませられる。少年の方だけは、できれば顔を確認したかったが。

 

 もっと下の階でトラブルがあって、彼・彼女たち3人は慌てて逃げてきただけかもしれない。有無を言わさず襲撃して、安全確認だけでもしてやろうか。しばし、景朗は逡巡していた。

 

「待って、だれかいる」

 

 上階へと走り出していた3人のうち、少年が立ち止まり、険しい声色を上げた。少女2人は息を呑み、3人してその場に立ち尽くす。

 

(本気で存在感を消してたってのに、マジかよ、バレた……普通のやつに見つけられる訳がない!ああ、能力者がいたのか!クソ、それかまさか特殊なセンサーでも持ってきてたのか。なんか怪しいぞこいつら。……おかしい。こいつら、体臭が無い!)

 

 これほど接近して、尚、匂いが捉えられない。無臭。それ故に、景朗の発見も遅れたのだ。異臭がするのであるのなら、数百メートル先からでも判別できたものを。景朗は決断した。ひと目、相手の姿を確認して。怪しければ、即座に無力化してやる。

 

 

 少し間が空いた後、慎重な足づかいの、軽い足音。床には髪の長い女性のシルエット。少女が一人、景朗の隠れるスペースへと近づいてくる。

 

 そのような状況に置かれてもなお、景朗は落ち着いていた。口調だけは、他人に所在を気づかれ焦り怯える、小心者を真似て。彼は悠々と口を開いた。

 

「だれですかっ?」

 

「私たちも逃げてきたんですッ。警告音聞きましたよね?」

 

 凛とした、少女の返答。背中までかかる長い髪。両サイドの一部を、三つ編みに結っている。

 

「ほ、ほんとですか?犯人さんじゃないですよね?」

 

 相手は目と鼻の先。それでもまだ、匂いがしないなんて。ただ単に電波塔に居合わせただけの学生が、たまたま体に消臭処理をしてやってくるだと。そんなわけあるか!

 

「違います!アナタも急いで逃げましょう、逃げるなら早く!」

 

 怯えた様子の景朗の返事に、しかしなかなか、相手の少女もスキを見せなかった。

 

「ッ!2人ともこいつおかしいッ!感染しない!」

 

「チィッ!どうするウッドペッカー!」

 

 唐突に、姿の見えない少年が何やら叫びだし、もうひとりの少女も苛立ちの声を上げた。何にせよ、余計なことを!やむを得ない。強引に決めてやる。

 

「くッ!」

 

 少女の驚き。景朗はロッカーの裏側から、瞬き一つする間に飛び上がった。ロッカーを跳び箱のように乗り越え、隠れていた状態から一気に姿を曝し、勢いよく躍り出た。目もくらむような移動速度。近づいてきた少女の横を一瞬で通り過ぎて。そして、目の前には三つ編みの少女の後方に控えていた残り2人の、女の子と男の子。少女は動きやすそうなジャージ姿であり。もう一方の少年はパーカーのフードを深くかぶり、顔が伺えなかった。

 

「なんッ!?オマエッ」

 

 ジャージ姿の女の子は警戒も顕に吠えた。隙をついた景朗は手を伸ばし、少年のフード掴んで手繰り寄せよとしたが。全くの謎だった。体が、両足が突然、着地のタイミングでガクンと沈み、バランスを崩しそうになる。

 

 景朗は足元を見て動揺した。こんなこと、予想できるかよ。両足を支えるはずの床が、まるで水面のように、ドロドロに溶けていた。ろくに動けない。深い。底が無い。まるで底なし沼のようだった。どれほどの深さか検討もつかない。景朗は咄嗟に解決策を思いつけなかった。特異な光景だった。水面に波紋が広がるように、硬いはずの床が波打っているのだ。

 

 何とかバランスを保ちつつ、手を伸ばす。しかし、軌道がずれ、狙った少年のフードを跳ね上げさせただけに留まった。追いかけ爪を伸ばすも、フードの襟は脆く、破れてしまう。

 

 少年の素顔が顕になった。そのせいで景朗の胸の中に嵐が巻き起こる。運命のイタズラに地団駄を踏みそうになる。その顔には、見覚えがあった。今日、一体何度その名を呼んだだろうか。

 

「動くな!」

 

 景朗は少年へと牙を剥く。産形茄幹が、そこにいた。目と目が会う。産形は驚愕に顔を染め、硬直していた。まるで、誰かの筋書き通りに動かされているみたいだ、と。その出会いの奇妙さに、景朗は沸き立つ悪寒を押さえ込んだ。

 

 突如、景朗は刹那の間に上体を翻えし、背後へ裏拳を放った。ビシャリ、と小さな朱色の水塊か彼の拳に弾かれ、散った。背後から何かが景朗へと放たれていたが、彼は直感と射出音だけで反応してみせた。

 

 超人的な反射速度を見せつけた景朗は、改めて手に付着した朱色の液体をチラリと目に留め、判別した。拳にこびり着いたそれは、ペイント弾に見えた。それにただのペイント弾ではなかった。液体からは血の匂いが香っている。血弾が放たれた方向へ視線を向けた。三つ編みの少女の手元には、黒光りする水鉄砲のようなものが握られている。

 

 ペイント弾を弾いたその間にも、空いている右腕はそのままするすると伸びていた。産形の首を捕まんと直進させていたのだ。だが、しかし。

 

 硬直しているはずの産形の体が、まるで見えない力によって力任せに引き上げられるように。景朗の手から逃れるように後方にズレていく。産形の足は動いていない。見えない力に引きずられ、彼の靴は床と擦れ合い、摩擦音を挽きたてた。

 

 何なんだこの状況は。足元はまるで豆腐のようにぬかるむ。着地の衝撃で膝頭近くまで沈んで……。

 

 景朗は空気を胸に吸い込んだ。催眠ガスで一度に全員を無力化するつもりだ。もし、ウィルステロを起こすつもりであったら。犯人たちは、その治療薬、ワクチン等を同時に用意している可能性が高い。下手に危害をくわえて、彼らが所持しているかもしれないそれらを台無しにするのは避けたい。捕まえてしまいたい、という景朗の判断。だがからくも、ガスの噴射という、僅かにタメの必要だった攻撃が明暗を分けた。

 

 

(!?何だ!この力!体が引っ張られる――ッ!?)

 

 何の前触れもなかった。しかし、唐突に、景朗の全身に、謎の力が働き出す。それは、例えれば重力だろうか。景朗の体はぬかるみに沈む車両のように、ズブズブと沈む。

 

 ぬかるみは加速しつづけ、強力な加速度が景朗の体を襲っていた。瞬く間に彼の胸元まで、液状化した床にぬめり込む。それでも。たとえ床に埋め込まれていようとも、景朗は落ち着いていた。冷徹に、催眠ガスを噴き出そうとしたが。その間際。

 

「落とす」

 

 叫んだのは三つ編みの少女。制服を着ていたため、屈んだ彼女のスカートははだけていた。景朗の視線の先。そこには、膝上まで伸びるスパッツが露出していて。挙句、それが最後に見た光景だった。

 

(なにやってんだ俺はマジであぁぁぁああああああ)

 

 全身が沈んだ。暗闇に包まれる。体が床に吸い込まれ、引き込まれていく。水の流れに逆らえない。景朗の肉体に働く謎の力はとてつもなく強力だった。それでも、全力で抗えば逃れられると思った。ところが、つかもうとする床や壁は全て、水のように形を失ってしまう。これでは、これでは、これでは!

 

 目に再び光が射す。吹き荒れる轟音。次の瞬間には、景朗は外にいた。

 

 途中で真横にも移動していたのだ。電波塔の側面から打ち出された形となった景朗。遥か彼方、遠い地表が眼下に映る。彼は数百メートル下の地面へと、強烈に引っ張られていた。重力の力と、謎の引っ張られる力。二つの力が合わさり、景朗の肉体は驚異的なスピードで落下していた。

 

「落ちてたまるかチクショゥォオオオオオオオオアッッ!」

 

 一声叫ぶ。次の瞬間には、景朗は躰を怪鳥へと、最も飛翔能力を有した姿へと変化させていた。全力で抗い、羽ばたく。躰は緩やかに、上昇する。重力には抗えている。だが、謎の引力は未だ消えず、景朗を強烈に引っ張った。

 

「ク、ソ、邪魔スギル!何ダコノ能力!アノ女カ?!ガアァ、グゾッ!」

 

 いよいよ、景朗は焦っていた。奴等は何かを企んでいる。一刻も早く追いつかなくては!羽ばたく力では埒があかない。景朗は躰のあちこちから触手を伸ばし、塔の外壁へ突き刺した。

 

 彼の躰が緩やかに形状を変えていく。四足の鉤爪を持つ巨大な獣となった景朗は、そのまま壁を駆け上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミスティの"底無し沼(シンクホール)"と、ウッドペッカーの"接触衝突(コライダーキス)"の合わせ技。怪しい男は為す術なく、この高所から地表へと突き落とされていった。

 

「今の、死んじゃっただろ!?」

 

 ミスティと呼ばれた夜霧流子は、恐怖に震え、嘴子千緩(くちばしちひろ)の瞳を覗き込んだ。

 

「ごめん。でも、でも、咄嗟だったから、ああするしか……。あの能力者手ごわそうだったから!」

 

 ウッドペッカー、嘴子千緩の能力、"接触衝突(コライダーキス)"。彼女の身体に触れた二つの物体を、重力、引力を発生させ無理やり衝突させる力だった。物体同士を引き合わせる力は強力だが、その代わりに、能力を使う物体には、直接触る必要がある。その制限を、嘴子は自らの血液を混ぜたペイント弾を用いることで緩和させた。おかげで、射程はより長大となっている。

 

 "接触衝突(コライダーキス)"は、"レベルアッパー"を使う前までは異能力(レベル2)相当だったらしい。ところが今では、大能力(レベル4)に届いているんじゃないかと思うくらい、強力なモノとなっている。"リコール"メンバーの中で、恐らく最も能力の向上が見られた能力だった。 嘴子さんは、演算が簡単な部類の能力だったからではないか、と考察していた。

 

「寒気がする!何だったんださっきの能力者!腕が伸びたり、爪が伸びたり。とんでもない動きしやがって……!チクショオ、怖えよ!あんな奴がこのタイミングで出てくるなんて!」

 

 取り乱したように、延々と口を動かし続けるミスティ。きっと、怖いのだ。仲間に思いの丈をぶちまけていないと。茄幹にはその気持ちがよくわかった。彼も畏れていた。先ほどの男。目があった。あの不気味な男は茄幹だけをしかと目視して、はっきりと言ったのだ。動くな、と。あの言葉は。

 

 奴の態度。これから彼ら"リコール"メンバーが行おうとしている事に対して、茄幹が要となるその事実を。そこはかとなく、知っていたような印象を受けるのだ。

 

「あいつ、どうして真っ先に僕を狙った?……まさか、僕を知っていた?僕の能力を……まずい、まずい!急ごう、これ以上邪魔が入る前に!」

 

 茄幹の蒼白な表情。

 

「どういうこと?茄幹君。あの男、貴方を知っている様子だったの?」

 

 嘴子千緩の顔つきも凍りついていた。悪夢が現実と化してしまったと言わんばかりの、緊張に凝り固まった、色のない相貌。

 

「カンだけど、きっとそうだよ!僕は明らかに、奴に目をつけられていた……」

 

 夜霧が無言のまま、床に放置してあたダッフルバッグを持ち上げた。茄幹も彼女に続く。

 

「もしかして……ッ!ひとりだったからそうは思わなかったけど、あの男、暗部の奴だったのかもしれない!気をつけてミスティ!ヴィラルを抑えられたら、もう私たちにはどうしようもない!」

 

「そうか!暗部の……ッ!」

 

 立ち尽くす茄幹も、ハッとしたように嘴子と目を見合わせた。唇をキツく結んだ夜霧は叫ぶ。

 

「だったら早く、登れ!」

 

 夜霧は茄幹の襟首を掴み、階段へと走り出す。嘴子も表情を引き締め、駆け出した。

 

 

 

 3人は焦燥も顕に、ひたすら頂上へ向かっていく。電波塔の上層フロアから頂上まではエレベーターは通じていない。そのため、塔の外周部位にぐるぐると螺旋を描くように作られた階段を駆け上がっていくしかなかった。

 

「警戒しなくちゃ駄目だった!まだ暗部の奴等に嗅ぎつけられていないって思う方がどうかしてた!いい?茄幹君。もし次また誰かが邪魔しに来たら、私たちが足止めする!貴方は自分の事だけ考えて!私たちのことは無視して先に行って!」

 

「わかってる!」

 

 嘴子の言葉に、茄幹は幾度も頷き、了解の返答を繰り返した。次に疑問を発したのは、オレンジのジャージ姿、夜霧流子だった。

 

「ヴィラル、1人で本当にできるのか?」

 

「やってみせる!」

 

 茄幹の頼もしい返事に、夜霧が軽口を返そうとした、その時だった。彼らのすぐ目の前の壁が、吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

「GVWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHH!!」

 

 

 

 

 

 鼓膜を切り裂くような咆哮。茄幹の全身がビリビリと痺れていく。またしても反応できなかった茄幹だったが、再び、体が真後ろへと引っ張られていく。嘴子の能力だろう。茄幹は心の中で感謝した。

 

 巨体から次々と触手のような、太い筋繊維の束みたいな管が無数に飛び出し、その階層の随所に突き刺さる。

 

 夜霧と嘴子は必死に能力を展開させた。怪物の四肢はぬかるむ床や壁にはまり込み、ずるずると滑っている。しかし、部屋中に伸ばされた触手が脈動するたびに、巨体は室内に運ばれていった。

 

 ついに、怪物が空いた大穴から全身を乗り入れた。そして地響きの如く。重低音が、怪物の口から紡がれた。

 

「答エロ!オ前等ガ!第十学区ノ研究所ヲ襲撃シタンダロォ!」

 

 

 

 

 現れたのは、三つの犬頭に、三対の赤眼。神話の魔獣、"三頭猟犬(ケルベロス)"。茄幹が嘴子から聞いていた、暗部の殺戮者。

 

 

 

 

「うそ、だろ」

 

「うわぁッ、うわああああ!」

 

「ッ、ケルベロス……ケルベロス!!」

 

 三者三様の反応を見せた。眼前の光景が信じられないのだろう。夜霧は悲痛な呟きを零した。茄幹は無様にも狼狽え、怯え、腰を抜かしそうになる。そして、以前からこの"三頭猟犬"の存在を掴んでいたであろう、嘴子は。その瞳に殺意を宿し、憎しみと憤怒をありありと炸裂させ、感情も顕に怪物を睨みつけていた。

 

「この怪物、能力が効く!まだ残ってる!もしかしてさっきの男?……ッ!ケルベロスは能力者だった!やっぱり人だった!本当に現れた!……殺してやる!」

 

 

 

 

 

 

 

「ミスティ、天井空けて!」

 

 茄幹の真上の天井、その部分の壁材が波打ち、人が1人十分に通過できる大きさの穴が生じた。嘴子は間髪入れずペイント弾をその穴越しに上の階へと打ち込むと、すぐさま茄幹を能力で引っ張り上げ、上階に送り出した。

 

「ウッドペッカー!」

 

 茄幹が嘴子に呼びすがった。嘴子はそんな茄幹の瞳を見つめ、迷いを断ち切るように"三頭猟犬"へ向き直る。

 

「ヴィラル行って!私たちに任せて!」

 

「走れヴィラル!いいから行けっての!」

 

 夜霧が続くように気勢を揚げると、空いていた穴が溶けるように塞がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(溶かす能力と、引っ張る能力、どっちもウザ過ぎだ。先に片付けてしまえ!)

 

 易々と産形茄幹を取り逃がした景朗であったが。その彼の心の内には、先に面倒なこの二人組を片付けてからでないと、面倒で仕方がない、という思いがあった。この慢性的に景朗を引っ張る謎の引力は三つ編み女の能力。手当たり次第に物体を液化させる、邪魔で仕方がない悪質な能力は、どうやらもうひとりのジャージ女のものである。

 

 二種の能力が組み合わさり、強制的に景朗の躰を屋外へはじき出そうとしている。能力の応酬に抗う景朗であったが、室内に留まるだけで精一杯の状況だ、というわけでもなかった。彼とて、"超能力者"の端くれ。出会い頭に催眠ガスを吹き付ける予定であった。が。

 

 彼らが位置しているのは、極めて高所だった。故に、室内と室外では大きな気圧差が存在する。室内の空気は風となって、景朗が自ら空けた壁の穴の外へと流れてしまっていた。だから景朗は急遽催眠ガスを繰り出すのを取りやめていたのだ。

 

(この状況じゃガスは上手く使えない。ようやく準備できた。悪いが、虫刺され程度で済んで良かったと思ってくれ。ぶっとい針だけどな!)

 

 代わりに、景朗は大急ぎで用意した。垣根と戦った時にはイマイチだった、あの毒蟲を。

 

 

 

「もっかい落そう、ウッドペッカー!」

 

 ジャージの少女が堂々と口にした、その台詞に景朗は青筋を浮かべそうになった。

 

「GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHH!!」

 

 一方的にやられ続け、景朗の忍耐も限界を迎えていた。いい加減にしろ!そう吠える勢いで、景朗は雀蜂にも似た凶悪な形状の翅蟲を、三つの口から吐き出してみせた。

 

 

「ッ。ダメだあれ生物だ!ウッドペッカー!」

 

 "底無し沼"は個体であれば、そのほとんどを溶解させられた。だが、勿論、世の中の物質全てを対象に含めることはできない。例外。たとえばそれは、景朗が放った毒蟲のような、生命体であった。

 

 夜霧の悲鳴に反応した嘴子は素早く近くの壁に向かってペイント弾を打ち付けた。そのまま、夜霧を能力で引き寄せつつ、自身の肉体をも壁へと引き付ける。

 

 毒蟲の大群が少女2人へと迫るが。惜しかった。景朗は唸った。壁が波打ち、少女2人を飲み込む。彼女たちを追跡した翅蟲の群れも壁にどんどん吸い込まれていった。

 

 

 

 景朗はしっかりと、四足で床を踏みしめた。2人が壁に消えると同時に、彼にかかっていた能力も解除されていた。

 

(やったか?)

 

 景朗は器用に頭を動かし、部屋中をくまなく見渡した。三つの頭の利点。それは、周囲360°、死角無く一帯全てを目に捉えられることである。

 

 天井の壁が広範囲にわたって波打った。どうやら、あの2人はまだ生きている。こうなれば直接、相手が対応できない数の触手を伸ばし、直接毒針を打ち込んでやる。

 

 相手にしているのは、どう見ても自分より年下に見える女の子たちだった。今まで相手にしてきた中で一番やりにくさを感じていた景朗であったが、最早予断を許さない状況だと感じ始めていた。

 

 しかし。どうにも、奴等がワクチンを持っている可能性を考慮せざるを得ない。保険は誰だって持つに決まってる。取り返しのつかない事態に陥らないように、確実に手に入れておきたい。

 

 

 見上げていた天井がユラユラと揺れ始めた。液化した鉄骨が溶けるように滴り、無数の金属の氷柱が出来上がっていく。

 

 まさか。

 

 数多の氷柱が根元からちぎれ、景朗へ降り注いだ。

 

 

(そんなもん効くかよ!俺の頑丈さを思い知れ)

 

 

 景朗は触手で無数の鉄の氷柱を払い除けた。触手の網を通り抜けた幾本かが、景朗の体に到達する。だが、鉄の氷柱ごときでは、景朗の硬い皮膚を貫くことはなかった。それによるダメージは皆無であった。誤算だったのは、氷柱は弾いたものの、景朗の躰へまとわりつくのは防げなかったことだった。磁石にくっつく砂鉄のように、鉄の塊がびっしりと景朗にこびりついてしまった。

 

(ち、これはこれで面倒だ!……だぁ、またか畜生!)

 

 

 足元がぬかるみ、グラつき、躰が大きく動いていく。巨体に吸い付く、折れた無数の金属槍の残骸で景朗の重量は一段と増加してしまっている。煩わしさも頂点に達していた。少女2人の能力が延々と、景朗をこの高層タワーから引きずり落とそうと妨害しつづける。

 

 景朗は見境なく、おびただしい数の触手をアンカーのように、建物の壁中に放った。これほどの数を放てば、

 

 少女2人が、天井から飛び降りた。息を止めていたのだろうが、耐え切れなくなったらしい。2人とも荒い息をついている。

 

(行けるか?ガスをお見舞いしてやる!)

 

 景朗は急遽再び、催眠ガスを吹きかけよう息を飲み込んだ。

 

「ぐ、はぁ、はぁ、うう、ふざけッ……有り得ねえよ!ダメだ、どうしよう、全く効いてない!ヤバいウッドペッカー!どうしよう、どうするッ?!」

 

「く、ふぅ、は、はぁぅ。やる、しかないでしょミスティ!ヴィラルのところにはっ、行かせないッ、絶対に!」

 

「チクショオオ!分かってんだよンなことはぁぁぁ!」

 

「"あれ"をやる!あわせて!」

 

 

 何をしでかすつもりなのか知らないが、やらせはしない。三つの顎門が大きく開く。次の瞬間。少女2人を目掛けて、白煙の気弾が解き放たれる。

 

 打ち出された3つのブレスは、豪速を誇り、少女たちに直撃するかに見えた。間一髪、"ウッドペッカー"と呼ばれたサイド三つ編みの少女だけは宙に浮き、機敏に壁に張り付き難を逃れた。だが、"ミスティ"と呼ばれたジャージの少女は避けきれず、直撃した。"ウッドペッカー"にも、相棒を庇って動く余裕が無くなってきているらしい。

 

 

 2人の少女は賢明だった。息を止め、強風の吹き荒れるこの空間からガスが消え去るまで耐え忍ぶ心持ちである。あっという間に、白煙は部屋から消え去っていった。

 

 だが、景朗は見抜いていた。ジャージの少女はガスの直撃の瞬間、壁に吹き飛ばされ、したたかに体を打ち付けていた。その時、微かにガスを吸い込んでいる。直にあの少女は眠りにつく。抗えない眠りに。その事実を後押しするような証拠に、揺らいでいた足場が元通りに硬化している。

 

「吸っちまった。ウッドペッカー……」

 

「そんな」

 

 

 "ウッドペッカー"は息も絶え絶えに、繰り出された景朗の触手を足にかすらせ、かろうじて飛び退る。その後も続々と宙を舞う、筋繊維の束。彼女は天井に逆さに足を付け、跳ね回り、襲来する無数の触手から逃げ回るしかなかった。

 

 それでも。嘴子の能力を使った動きは見ものだった。なかなか強力な能力だ。立体的な軌道を描き、"ウッドペッカー"は想像以上の高速で景朗の触手を躱そうと躍起になっている。ぐいぐいと景朗をあらぬ方向へ引っ張る力も、並外れて大きい。抵抗するため、景朗は壁に触手を突き刺して躰を固定せねばばならなかった。ところが、突き刺した箇所が片っ端からふやけていく。彼は次々と触手を打ち出し、抜き差しを繰り返さねばならなかった。

 

 とはいえ。景朗が無数に伸ばす、捕獲の追撃は苛烈だった。間もなく、為すすべもなく彼女は捕まる。残り数秒。景朗は"ミスティ"を嘲笑うように、彼女へはなんの手出しもせずにいた。

 

 

 

 

「ケルベロスゥゥゥゥ!」

 

 怒りに燃える"ウッドペッカー"は、壁の一部へ続けざまにペイント弾を放つ。彼女のその行動に、景朗は疑問を持つ。今更何をしているのだ、と。景朗の瞳に、今にも囚われんとする、三つ編みの少女の影が映っていた。終わりだ。終わる。

 

 2人を捕まえた。あとは産形。3人から情報を聞き出して……。

 

 ふらつくジャージの少女へと。必死に逃げ回る三つ編みの少女は、喉の奥底から、最後の望みとともに叫び声を張り上げた。

 

「お願いミスティ、あわせてぇぇぇぇ!」

 

「ウワアアアアァァァァァ!!!」

 

 

  眠気を気合で吹き飛ばしたかったのか、"ミスティ"は声を振り絞った。躰がグラつく。景朗が接地する、全箇所がぬかるむ。悪あがきを。疾く意識を飛ばせばいいものを。

 

 少女たちが吠えたこの時、同時に、ペイント弾が打たれた箇所の壁が揺らいでいた。先程打たれたペイント弾は単純に、場所をマーキングしていただけだったようだ。

 

 三つの頭部。三対の視覚。景朗は当然気づいたが、その時にはすでに遅かった。液化した壁をいとも簡単にすり抜けて、巨大な物体が現れた。果たしてそれは。とてつもない速度で迫る、一台の乗用車。光沢をもつボディ。景朗は度肝を抜かれた。なんで、こんな場所に、自動車、が。突如飛来した赤いセダンは、恐るべき速度で彼に迫りくる。

 

 "ミスティ"に余力は残っていないと踏んでいた。だがそれでも念の為に、景朗は躰を固定させていた。それは完全に裏目になった。触手でガチガチ固められていた巨体は、それでも機敏に動いたが。しかし。引かれあう2つの磁石のように、2つの巨影は衝突した。

 

「GOAAH!」

 

 映画でよく耳にする衝撃音だった。車がクラッシュし、潰れ、砕け、金属がひしゃげる音が産みだされる。猛スピードで迫る自動車が丸々1台、景朗に直撃していた。その衝撃に思わず吹き飛び、慣性の残るまま、彼は躰ごと車と一緒に飛ぶ。

 

(最後の最後まで……!)

 

 "ミスティ"が、最後の力を振り絞った。運ばれた景朗の躰が、塔の壁に激突する瞬間、彼女は能力を使用した。車ごと景朗は壁を突き抜け、もう一度、外へ投げ出されたのだ。

 

(車が溶けて……まず、い!)

 

 溶解したのは、壁だけではなかった。景朗に接していた乗用車まで溶け出していて、景朗の体にまとわりついたのだ。そしてそれは景朗の予想通りの結果をもたらした。とうとう気を失った"ミスティ"。彼女の能力の効果も失われた。

 

 液化していた鋼鉄が本来の硬度を取り戻す。まんまと景朗は鉄の拘束具に絡め取られていた。

 

 

「GYOWAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHH!」

 

 怒りが脳内で溢れている。景朗は情けを捨てた。何が"迅速に無力化する"だと?いいようにしてやられている。産形を上に行かせてしまっているんだぞ。まだ確証はない!とはいえ、こいつらは怪しいんだ!殺しては情報は聞き出せない。それに、もし、別件だったら。産形がいたとは言え、完全に黒だとは、確証はなかった。それでも!チンタラやってる暇がどこにあった!

 

 躰を一時的に軟体動物の如く軟化させ、景朗は車の拘束から逃れた。"ウッドペッカー"とやらの能力で、車は今尚景朗の躰にくっついてくる。しかし、景朗は最早それを気にかけなかった。背中に乗用車1台を貼り付けたまま、"三頭猟犬(ケルベロス)"は塔の壁をよじ登り、再び三つ編みの少女へと迫り行く。

 

 最も煩わしかったのは、ジャージ女の足場を崩す妨害だった。それがなくなった今、一気に決められる。時間はかけられない。

 

 

 

 

 元のフロアにたどり着いた景朗は、"ミスティ"に寄り添おうとしていた"ウッドペッカー"を見つけた。景朗は今まで手加減を加えていた。できるだけ傷つけずに無力化してしまおうと。それは情けだった。年下の少女たちへの。

 

 奢っていた。自分は想像していたというのに。産形茄幹は今この時、何をしでかそうとしているのか、わかっていないというのに!

 

 今一度、白煙のブレスを打ち出し、三つ編みの少女を牽制する。景朗の攻撃を大いに警戒し、少女は高く飛び上がった。

 

 

 

 景朗はそこでようやく気がついた。ジャージの少女は、大きめのダッフルバッグのそばで、意識を失い倒れている。あのバッグ。今の今まで目にしなかった。今までどこかの壁の内側に隠していたのだろう。そういえば、一番最初に会敵した時は、こいつら、このバッグを抱えていた……。

 

 

 "三頭猟犬"がそのバッグに近づこうと動きを見せた、その刹那。"ウッドペッカー"が焦ったように、バッグに能力を使い、景朗から遠ざけようとした。

 

 素早く触手を伸ばし、"三頭猟犬"は横からバッグを掠め取った。景朗は、頭部2つを少女へと向けると、残った頭一つ、その注意と視線をバッグの中身へと向ける。

 

「殺す!殺してやる!ケルベロス!!」

 

 あの三つ編み少女の身の安全は二の次だ。景朗は容赦なく、催涙ガスを圧縮した気弾を発射し続けた。少女は回避行動に精一杯であり、表情を憎しみに染め、制止の言葉を景朗へ浴びせ続けている。

 

 

 開いた中には、液体に満たされた透明な瓶が何本も詰められていた。素早い判断の元、景朗は俊敏に蓋を開け、中身を調べる。

 

 ウィルスだ。景朗は直感した。瓶の中には、想像を超える密度のウィルスが詰まっていた。どんなウィルスか、詳細まではわかりえない。だが、ただひとつ、景朗にも理解できた。このウィルスは、人を殺すウィルスだ。それだけは認識できる。細胞を通して、そのウィルスの特性が景朗に警鐘を鳴らしてくるのだ。

 

 

 こんなものをバラまくつもりなのか?景朗は自分の認識の甘さにほとほと自重する思いだった。時間がない。直ぐに、兎に角直ぐに、産形のところへ。

 

 

「ゴガアアアァ!オ前等ァ!一体何スルツモリダァ!」

 

 能力を酷使し、体力をすり減らし。それでも尚、"ウッドペッカー"は狂気を捨てずにいた。景朗を親の仇の如く見下ろし、命を賭して、妨害せしめんと食らいついてくる。

 

「邪魔するな!化物!死ね、死ねぇ!死んでしまえ!」

 

 

 




2014/04/28 微修正。episode22に変更は無しです。

 すこしだけ書き加えました。ほとんど変わってません。主に、問題となった電波塔の戦いのシーンです。戦闘能力という意味でも、思考能力という意味でも、主人公を弱体化させすぎてしまったようでした。

 色々変えてしまおうかとも思ったんですが、自分への戒めとして、敢えてこのままにしますorz ほんのわずか、あとからフォローするような事を書き加えている?のですが、大して変わってない、のではないかと思います。

 今回頂いたご指摘は、ものすごく、自分の糧となりました。敢えて言及してくださった皆さん、本当に感謝します!キチンと考察された意見ばかりでした。ああいった感想や意見をもらえると、めちゃくちゃ勉強になります。これからも、今回のような感想をどしどしコメントして下されば最高です!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。