とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

20 / 55
2014/02/09更新完了です。

episode19は早く書けると思います。五日ほどかかるかも。


episode18:原子崩し(メルトダウナー)

 鏡に映る、細目の青髪ピアスの高校生男子。それが今の雨月景朗の姿だった。銀鏡に映る青年は、自信の無い顔付きでうんうんと唸っている。

 

「あー。あーっっ。なんでやねん!ちゃうねん!ちゃうちゃうちゃうんちゃ…ん?ちゃうちゃうちゃうん?うんちゃ?うーん……大丈夫かなぁ……んんっ、だぁー、大丈夫やねんなぁこれで……。あれ?へんかな?へんやろか?これかな」

 

 青髪の青年は鏡に向かって、声色とイントネーションを確かめるように発声した。部屋中に世界三大テノールもびっくりの野太い重低音が広がっていく。声を低くし過ぎただろうか。景朗は今度は声質に調整を加えようかと思いついた。だが、それに手を付ける前に。突如玄関から来客を知らせるチャイムが鳴り響き、対応に追われることになった。

 

 景朗は疑問に思った。こんな朝早くから誰だろう。土御門の奴、ターゲットとのファーストコンタクトが命だとか言って、すっげぇ張り切ってたからな。時間には随分余裕を持たせて起床していた。チャイムが鳴る前に、確かに外からは階段を上がる数人のか細い足音が届いていた。まさか自分の客だとは思っていなかった。それ故、おざなりに聞き流してしまっていた。

 

 

 

「はいはい。今出ます」

 

 カチャリ、と玄関のドアを開けた。完全に開ききる前の、その刹那の出来事だった。

 

「ぴゃぁッ!」

 

 可愛い叫び声とともに、開いたドアから覗いていた瞳が素早くぴょこんと引っ込められた。景朗にはその声に聞き覚えがあった。手纏深咲だ。しかし、どうして朝から。ドアを広げた景朗の目に、驚きにたじろぐ仄暗火澄の姿が映る。互いに視線を交差し、しばしの間、沈黙が走った。火澄まで。2人して何用か…………

 

 景朗が口を開く前に、火澄は一瞬で気を取り留めて声を振り絞った。

 

「あの、どなたですか?」

 

 あ。しまった。景朗は焦った。青髪クンのままだった。今のままでは声も野太いダミ声のままだ。とりあえず、景朗は勢いよく開いたドアを閉めた。

 

「あ!あの!景朗のご友人で―――」

 

 ドアを一枚挟み、外からは疑問符だらけの火澄の呼び声。

 

「あ、あ、あ。ごほっ。ゴホゴホ。う、雨月クーン!お客さんがきとるでー!」

 

 早速この関西弁を使う羽目になるとは。いやでも、あのアホ(土御門)の言う通り結構有用かもしれない。口調と声色を変えれば、声だけでもうほとんど別人だ。外にいる火澄と手纏ちゃんに聞こえるように、わざとらしく雨月景朗の友人の存在を匂わて。その後すぐさま景朗は変装を解き、ピアスをはずした。息を整え、滲んだ焦りを吹き飛ばした。

 

 

「お。どうしたの?火澄。こんな朝早くから」

 

 玄関のドアを再び開き、たった今その場に顔をだした風に振舞う。しかし、景朗を見つめる火澄の表情には未だに疑問が色濃く残っていた。

 

「あ、悪い。さっきの奴はトモダチの」

 

 火澄は景朗が皆まで言う前に遮り、どこか心配そうに彼に尋ねた。

 

「景朗。どうして裸なの……?さっきの、青い髪の人も……裸だったけど……というか……なんで同じ下着……着てるのっていうか……」

 

 ああああああ。そ、そっちか!手纏ちゃんが恥ずかしそうに逃げ出したのは見知らぬ男の裸体を―――!や、やばいやばい。どうして同じ下着着てるかだって!?同一人物だから仕方ないんだよ!火澄の虚ろな視線に、景朗は激しく動揺した。

 

「あ、ああ、そ、それは、単に、偶然被っただけさ!いやね、さっきの奴、蒼上っていうんだけどさ、高校デビューすんだけどやりすぎてないか心配だから見てくれって突然押しかけてきて!それでちょっと着替えることになりまして。そこでパンツの柄かぶってたのに気づいてさ。さっきまで俺たちもそのことで笑ってたところなんです!」

 

「……へ。あ、そうだったんだ。ごめんね、今忙しかった?」

 

 なんとか火澄の表情に色が戻った。壁から赤くなった顔の手纏ちゃんの両目がじわじわと覗いてきたが、景朗の姿を確認すると再びぴょこりと引っ込んだ。

 

「ああ。大丈夫大丈夫。アイツなら、ベランダから放り投げたから」

 

「へえッ!?ちょっとここ3階でしょ!?」

 

 火澄は景朗との付き合いも長い。景朗の顔付きからは、彼が本当のことを言っているようにしか見えなかった。彼女はしかと驚いた。

 

「大丈夫大丈夫。アイツ頑丈だから。そういう能力だから大丈夫。そんなことどうでもいいって。それより、2人ともアイツには近づいちゃ駄目だよ!ロリコンとシスコンと挙句の果てにメイドフェチまで併発させた人間のクズなんだ、アイツ。とても2人に合わせられる奴じゃなくってさ、アハハハハ」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 表面上は取り繕えていたが。彼女とは長い付き合いの景朗にはわかった。景朗の言い訳に、火澄は青髪クンへの軽蔑を隠しきれずにいる。その時、景朗は誓った。火澄たちの前で、土御門の"資料"に関する物事はなんであろうと全て、封印するべきだと。不自然にニコニコと笑顔満開で対応する景朗の勢いに、火澄はそれ以上の追求を抑制された。

 

「と、ところで。今日は2人は一体何の――へぶッ!」

 

「とりあえず服!服を着てきてッ!」

 

 火澄がドアを押さえつけた。打ち付けられた顎の痛みもなんのその。大急ぎで長点上機学園の制服の包みを剥がし、手当たり次第に着替えた。当然潜入先のものではなく、長点上機のものだ。制服は封を切ってすらいなかったため、思った以上に時間がかかった。取り出した長点上機の制服を見て、景朗は驚いた。色合いとデザインが火澄の来ていた服と酷似していたからだ。もしかして――

 

 

 

「ごめん!お待たせ!なあなあ2人とももしかしてさぁ!」

 

 扉の向こうでは、2人して嬉しそうに微笑んでいた。彼女たちの制服は、景朗が着込んだ制服を女子生徒向けに適用させたデザインに見えた。何より。彼の制服に付いている校章と同じものを、彼女たちからも発見できた。

 

 仄暗火澄と手纏深咲は長点上機学園に入学していたのだ。彼女たちは景朗を騙していた。恐らく、今日の来訪はサプライズに違いない。

 

「やっぱり!それじゃ、2人とも――!」

 

 火澄は罰が悪そうに、両手を合わせてごめんね、と頭を下げていた。手纏ちゃんははらはらとした顔つきで、すみませんでしたぁー、と連呼している。景朗が怒りを顕にすれば、間違いなく泣き出してしまうだろう。そもそも怒るという考えは景朗には微塵もなかったけれど。

 

「はぅぅぅぅ。今まですみませんっ!景朗さん。許してくださいぃぃっ!今までの態度にはわけがあったんですぅぅーーっ!」

 

「いやいや、怒ってないよ手纏ちゃん。俺の方こそ完全に嫌われちったのかと思っててさ……むしろこっちが……すごい……泣きそうです……」

 

 手纏ちゃんの目尻に泪がうっすらと浮かんだ。景朗の言葉に、安心したようで徐々に落ち着いていった。火澄の方へ顔を向ければ、矢庭に彼女はたじろいだ。

 

「わ、悪かったと思ってます!この埋め合わせはちゃんとするから、今日のところは許してよ。……アンタだって今まで酷いことしてきたじゃない。まぁそれでも、今回はやっぱり残酷なことしちゃったかな、って反省してる方が大きいけど。アンタが予想以上に落ち込んでたから、こっちもそれなりに心配だったの!ホントよ!」

 

 火澄は罪悪感からか、景朗と正面から目を合わせきれずにいる。だが、彼女たちの不安をよそに彼は大喜びだった。

 

「だから怒ってないって!それよりさ!2人とも長点上機って本当だよな!これ!ドッキリじゃないよね!?どうして今まで黙ってたんだよ!焦らし過ぎだって正直完全に嫌われたのかと思ってたよぉ……でももういいやそんなことうっひゃーーーッ!」

 

 景朗の喜びようからは、予想していた怒りは欠片も感じられなかった。ひとまず安堵した彼女たちは、ただちにころりと顔色を変化させた。まるで未だに、何かを企てている様子である。火澄は喜色満面、景朗の注意を引き寄せた。

 

「嫌いになんてなってないから安心しなさい!それと、まだサプライズは終わってないからね!今、深咲が訳があったのって言ったでしょ?」

 

 火澄は喋りつつも、片手を伸ばし、何かを引き寄せた。思わず、景朗はぽかんと口を開けてしまった。玄関の見えない位置に、もうひとりいたのだ。

 

 

「……景朗。アタシも、長点上機受かったよ。……その、ごめんね、色々と内緒にしちゃって」

 

「に、丹生!マジで!?」

 

 頬を染めたまま、チラチラと景朗の顔を見つめては逸らす。長点上機学園の制服に身を包んだ丹生多気美が、そこに立っていた。

 

「ふッ、ふたりのことは怒らないであげて!アタシのタメにやってくれてたんだ!長点上機落ちてたら恥ずかしかったから……受かるまで景朗には内緒にしてって頼んでたの。勉強もふたりが付きっきりで教えてくれてたんだよ!」

 

 丹生は羞恥心ではち切れそうだった。忙しなく、胸の前で這わせた両指をもぞもぞと動かしている。丹生の説明に疑問が沸く。……合格発表はだいぶ前だったのでは、と?

 

「でも……合格発表って三月だったんだろ?その間……俺は……」

 

 そう。その間。3人に嫌われ、距離を置かれ始めたのだと勘違いした景朗は。やがては何時かは、彼女たちの安全のために縁を切らねばならなかったのさ、と涙した景朗は。最早、後には引けぬほど、道を踏み外してしまっていた。ロリコンという、奈落の底へ。今では。児ポ法違反グッズがたんまりと、彼の部屋の押入れに収納されている。悪夢から覚めようとも。それでも、景朗の胸の内には、あの出会いとトキメキが決して色褪せることなく残っていた。萌黄タンとコナミちゃんとの邂逅は、永遠のものだった。景朗はそう思った。そして、そんな自分に対して。失ったものは、もう永久に戻らないのだと思い知っていた。

 

 

 景朗の胸中を知りえぬ丹生は、あわあわと慌て、ぎゅうっと目をつぶった。勢いこそ強いものの、うまく口を動かせず、もどかしそうに声を上げる。

 

「ごめん景朗!そうなんだ!いざ、受かっちゃったら。絶対受かるとは思ってなかったんだけど、今でも自分でも信じられないくらいなんだけど。アタシ、ホントに受かってたんだよ!それで、いよいよ実際に合格しました、ってなったらね。……その……落ち着いてきたら……欲が出ちゃって……」

 

 ち、ちがいますっ!と手纏ちゃんがぶんぶんと両手を景朗の前で交差して、必死に何かを訴えようとしていた。火澄は真剣な面立ちで、丹生を庇う様に景朗へと口を挟む。

 

「そっから先はアタシの悪巧みなの、景朗。どうせなら、3人でいっぺんに、入学式の日に景朗を脅かしたかったの。アタシたちの頼みだったから、丹生さんも断りたくても断れなかったのよ!」

 

 丹生は、いいやアタシのせいなんだ!と言いたそうな、さりとて、友達に庇われて嬉しそうな。そのどちらもが混ざったなんとも言えない表情を見せていた。景朗は自ら宣言した通り、怒りなど微塵も感じていなかった。彼に湧き上がったのは、怒りではなく、驚愕だった。

 

「はぁ!?え?今日、入学式?!長点上機のッ?!」

 

 

 

「「「……?」」」

 

 3人の女子高生は、どうしてそこで驚くのか、と硬直した。

 

「あ、ああ。いや。いやあ、3人が来てくれて助かったよ。明日だと勘違いしてたんだ。良かったよかった。それじゃ、これから皆で行くってこと?」

 

 火澄は息をつき、体を弛緩させた。景朗の反応は、どうやら想定の範囲内だったようだ。

 

「当然でしょ?覚悟はしてきたから、待っててあげる。できるだけ早く準備して来てよ?」

 

「おっけぇ……。わかった……」

 

 ドアがパタンと音を立てた。歯切れの悪い景朗の返事に、3人は眉をひそめ悲しげに、やはり内心怒っていたのかな、と口を閉ざしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 雨月景朗は、喜びと怒りで気が狂わんばかりだった。彼は心の内で土御門へ、ザマアミロ!と叫んでいた。巨乳の幼馴染も深窓の令嬢もオレっ娘も俺のすぐそばにいるぞ!何が『オマエの妄想だ』だよ!ざまぁー!地団駄を踏んで悔しがるが良い。そう思った直後。それはないか、と考え直した。景朗は知っていた。土御門の性癖を。真性のロリペドメイドフェチだった。あの3人には食指が動かない可能性がある。あの3人を前にして!まったく野郎とは思えないイカれた奴だ。景朗は外で待つ3人を想う。そして、切なくなった。

 

 あああ。夢に見た皆との登校イベントが、今にも始まろうとしているのに。彼はそのイベントを諦めなければならない。今日は潜入先の高校の入学式でもあるのだ。同じ日にかぶっていた。これが運命か、と景朗は嘆いた。3人が待っているのに。あんなに表情をころころと変えて、俺に会いに来てくれているのに。景朗は耐え切れなくなり、ベランダへと走り出た。青空へと叫ぶ。

 

「ぅぅぅぅぅぅぅアレイスタァァァァァァァーーーーーーーーーッ!!!!!イツカゼッテェブッ殺スゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーー!!!!!」

 

 

 彼もそれなりに暗部に身を置いている。最低限に理解すべきことは理解しているつもりだった。物事には残念なことに、優先順位というものがあるのだ。景朗は後悔を振り絞ると、一息に覚悟を決めた。悲しげに玄関へと向かい、3人へと告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん、あと5分だけ待ってくれ!」

 

 景朗は土御門へと連絡を入れる。今日は極めて重要な日である。数秒と待たずに土御門が通話に応対した。

 

『どうしたッ?何か問題かッ?』

 

 緊迫した空気が、電話口から漏れ出ている。景朗はそのように錯覚した。ごくり、と唾を飲み込む。

 

「土御門、悪い。諸用があって小一時間ほど目的地には行けなくなった。出来うる限り力を尽くし、可能な限り早くそちらへ向かう。後はよろしく頼む」

 

『は?……おい?どういうことだ。気でも触れたか?!雨月!?』

 

 

「ぐああっっ!敵の襲撃がここまで来とるっ!ごめんな!キミならひとりでやれるで!ボクは信じとる!世話をかけるでっっ!土御門っっ!」

 

 景朗は棒読みのままその台詞を発言し、容赦なく携帯の電源を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サングラスと金髪が、同じ制服を身に纏った生徒たちの接近を跳ね除けている。目的の高校まで徒歩で移動する土御門は、ぎしりと歯を擦り合わせた。誰がどう見ても、彼は憤怒に身を委ねていた。高校への道のりも半ば。まだもう少し時間がかかる。

 

 歩きつつ、土御門は能力を使用していた。無能力(レベル0)判定ではあるが、使わぬよりマシだった。手当をする必要があった。つい今しがたの、景朗の土壇場での裏切りに、脳の毛細血管数十本をブチ切らせてしまっていたからだ。

 

 ようやく、土御門は探しものを発見した。ツンツンと跳ねた黒髪。彼の視界に、目標の後ろ姿が飛び込んできた。即座に憤怒に染まった思考を切り替る。彼はプロだ。今日一番の大仕事に、さっそく取り掛かっていく。目標と同じクラスになるのはわかっている。よくある遭遇イベント。登校途中で、軽く相手の印象に残っておく。それが目前に迫った、彼の目的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は至福の時を過ごしていた。第十八学区、長点上機学園までの道のり。可愛い女子高生3人と一緒に登校。これなんてエロ……。景朗はそこまでポツリとつぶやき、幸せすぎて最後まで言う必要が無いと思い至った。

 

「学舎の園に住んでないって、それならどこに住んでんの?」

 

 景朗の質問に、手纏ちゃんと火澄はアイコンタクトをひとつ、後にやんわりと微笑んだ。

 

「第七学区のマンションに住んでいるんですよ。火澄ちゃんと一緒に!ルームシェアリングというものをやっているんです」

 

 手纏ちゃんは頬を上気させ、自らの冒険譚を誇らしげに語るように、景朗へと一歩近づいた。彼女の様子だと、彼に秘密にしている間、その話を打ち明けたくて堪らなかったらしい。

 

「へぁぁ……。よく考えたね。確かに火澄と一緒なら色々と安全だし、親御さんの心配もだいぶ減るだろうなぁ。でも、それでも、よく手纏ちゃんのお父さんが許可を出してくれたね?」

 

 景朗から飛び出した質問に、今度は火澄が2人の間に割って入った。火澄も話したくてウズウズしていたのだろうか。機嫌良さげな彼女の態度から、彼はなんとはなしにそう思いついた。

 

「とてつもなく難航したのよ。最初は取り付く島もなかったし。それで深咲に頼んで、私が深咲のお父様に説得することにしたの。電話越しに何度も何度も議論して、最終的には深咲のお父様が直接学園都市に乗り込んでくる、って言うから、私たち2人で出迎えたのよ」

 

「……なんですと?」

 

 景朗の口から驚きが零れた。それもそのはず。手纏深咲の父親は、確か世界の五指に入る海運企業、手纏商船のCEOだと聞いていた。ものすごい度胸だと、景朗は火澄を眩しそうに見つめている。

 

「火澄ちゃん、私のために切実に、お父様を説得してくださったんです。火澄ちゃんとお父様、お顔を初めて合わせたその場から口論を初めてしまいドキドキしていました。ですが、不思議なことに。お父様のご様子が段々と楽しげなものに変わっていって……。とうとう最後に、拍子抜けなほどにあっさりと私に条件付きで許可をくれたんです」

 

 ふわり、と火澄が景朗へと身を寄せた。学園都市製の電車は対衝撃、振動性能に優れており、大きな揺れを生じさせることはない。電車はカーブに差し掛かっていた。火澄がバランスを崩したのは慣性によるものだったのだろう。彼女から漂う匂いと、ぷにっとした胸部の感触に、景朗は久しぶりにドキドキ胸が高鳴った。すぐそばの火澄は気づかず、わずかに胸を張り、喜びを現わに話を繋げていく。

 

「その条件が、私と深咲の同居だったってわけ。今はルームシェアって形にしてやっているけどね。結局、深咲のお父様の説得は上手くいかなかったんだけど。……それが、何だか知らないうちに深咲のお父様に気に入られちゃってて。一番最後に、私になら深咲を任せてもいいって笑って言ったの。何だかんだで、深咲のお父様だもの。面白い人だったなぁ」

 

 火澄は嬉しそうだった。どこか誇らしげでもあった。あらら、なんでしょう?このもやもやとした感情。景朗はその感情が嫉妬だと理解していたが、悔しいのでわからないフリをした。

 

「お父様、あれから火澄ちゃんの話ばかりするんです。火澄ちゃん、だいぶ気に入られているようですよ?この間も、うちの若いのとお見合いがどうの、とおっしゃってました――」

 

 あーあ聞いてらんねー。落ち込みそうだった。景朗は会話に入れずほんの少しだけ寂しそうだった正面の丹生へとウインクを送った。彼女は喜々として反応を返してくれた。俺には丹生がいる!

 

「アタシ、こないだ2人の部屋に遊びに行ったよ!まだ行ってないの、景朗だけだねっ!」

 

「あ。そうなんだ……」

 

 景朗から元気がなくなっていく。丹生はちょっぴり焦った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗たちはそれから会話を楽しみ、長点上機学園の入学式に無事出席した。それからは、景朗ひとりが特別開発クラスへと割り振られていたため、3人とは別行動となった。景朗は廊下で3人へ手を振って別れると。血相を変えて逆走し、猛スピードで長点上機学園から飛び出した。物陰で巨大な怪鳥へと躰を変化させ、カメレオンの様に周囲の保護色を纏い、大空へと飛翔する。既に目標の高校の到着予定時刻から一時間が経過していた。

 

 

 

 目的の高校についた。景朗を出迎えたのはゴリラだった。いや、よく見るとゴリラにものすごくよく似たゴリラ顔の人間だった。どちらかというと人間っぽいゴリラ、人間風のゴリラに見えた。何もかもが人間サイドではなくゴリラの側に針が振り切られていた。彼は自らをサイゴだとか名乗っていた。そして景朗に対しても、オマエがサイゴだと言ったのだ。それがゴリラの国の挨拶なのだろうかと勘違いした景朗は、思い切って「遅刻したんや。サイゴ」と言ってみた。関西弁の敬語がイマイチわからなかったのだ。ゴリラは景朗を職員室に連れて行くと返した。入学式はとっくに終わっているそうだ。それが、その後長い付き合いとなる災誤先生との出会いだった。どうでもよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 土御門は平静を装っていたが、額からは汗をしっとりと滲ませていた。教卓の上では彼好みのロリっ娘が一生懸命教師の真似事をやっていて、男子生徒のほとんどがその萌えにやられて焼け死んでいた。土御門もあえてその業火に身を焦がせたい思いだったが、そうもいかなかった。標的、上条当麻の姿が、教室にないのだ。そもそも、入学式で彼の姿を見ていない。

 

 土御門が登校途中に上条と別れたのは、高校までほんの、残り4,5分の距離であった。彼と二言三言だけ交わしてあっさりと別れたことを、土御門はこの期に及んでようやく後悔し始めていた。たったあれだけの距離の間で、一体どのようなトラブルに巻き込まれるというのだろう?土御門にはまるで想像出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 職員室で、景朗は運命の出会いを果たした。おっぱいが最高、ではなくて、語尾にやたら『じゃんじゃん』と付けたがる"じゃんじゃん警備員"と運命の再会を果たした。黄泉川という物騒な名前の先生らしかった。ジャージをこんもりと盛り上げるおっぱい最高に、景朗は潜入任務も悪くないな、と気分を改めていた。

 

 同類を見つけた。景朗はそう思った。隣に立たされている少年も同じく、神々しくじゃんじゃん警備員のおっぱい最高をチラ見している。彼は、入学式つまりは制服に初めて袖を通す日だというのに、何故か既に制服を泥まみれにして哀愁を漂わせていた。

 

「ったく、今年はさっそく活きのいいのがそろってるじゃん?校門で痴漢騒動起こすわ、髪の毛真っ青の高校デビュー君が遅れてやってくるわ、あと入学式にも金髪サングラスがいたじゃんよ。オマケに、示し合わせたかのように全員小萌センセのクラスときた。こりゃあ、今年も小萌センセーは大変じゃん?」

 

 景朗は暇だったので、じゃんじゃんという発声とともにぷるぷると震える爆乳をガン見していた。彼は青髪クンになりきっていた。彼のイメージした青髪クンは、自身の欲求に素直な人物だったからだ。おっぱい最高先生のおっぱい最高を見て、即座に決めた設定だったけれど。そんな彼を見て、真横に立つウニ頭の少年は深い深い溜息をついた。

 

「……不幸だ。入学そうそう痴漢扱いされて、職員室に召喚されて。挙句の果てには高校デビューを勘違いした青髪ピアスクンと同類扱いされるなんて。ふこーだぁーーーっ!」

 

 じゃんじゃん警備員が居なくなって、景朗はようやく、隣に立ち尽くす少年が件のターゲット、上条当麻だと気づいていた。驚きの声を上げそうになったが、無事に耐え切った。

 

「キミ、入学初日に痴漢か。やっぱり、ボクの思ってた通りのヒトやったみたいやね。あのおっぱいのおっきいセンセーの話によると、ボクら同じクラスらしいやんか。これからよろしくな!キミ、名前は?」

 

 能力を振り絞り、緊張を押さえ込む。景朗は不自然な態度とならぬように精一杯気を配っている。

 

「……オレは、上条当麻。にしても、青はねえだろ、青は。ピアスも開けちゃってまあ。しばらくは笑いの種だな、高校デビュー君」

 

 景朗の痴漢扱いに、上条当麻は青筋を浮かべ始めていた。覚えたての関西弁を違和感なく喋るのにただひたすら夢中だった景朗は、そのことに気付けなかった

 

「大丈夫。ボクには警戒せんでええで。キミ、好きなんやろ?ロリペドシスターメイド。匂いでわかるで?」

 

「ふはぁーーーーっっ。……上条さん、初対面の人間にここまで侮辱されたのは生まれて初めてなんでせうが。一体どうしてくれやがりましょうか?」

 

 あんだけドギツイ性癖晒しといて聖人君子を気取るか。景朗の嗜虐心に火が付いた。

 

「ど畜生のロリペド野郎!なに高尚ぶってんねん!とっとと馬脚をあらわしい!」

 

「喧嘩売られてる!?これ絶対喧嘩売られてるよね!?ちっとばかしデケェからって上条さんを舐めるなよ!いつもいつも巻き込まれ、喧嘩の真っ只中に突っ込まされてきた上条さんの格闘スキルを思い知るがよい!」

 

 上条当麻の右こぶしが唸った。彼は少々、気が立っていたらしい。高校入学早々、痴漢の冤罪で小一時間近く職員室で尋問されていたのだ。無理もなかった。そこにきて、景朗のあの挑発だったのだから。

 

「あっはっは!職員室で喧嘩おっぱじめやがった!小萌センセーが羨ましいじゃん!」

 

 景朗は肝が冷えた。髪の毛を右こぶしがかすりそうだった。あれだけは喰らってはいけない。土御門にぶっ殺される。そう考えた景朗には気の毒なことに。教室で待つ土御門は、今まさに、裏切りの代償を如何にして景朗へ果たそうかと練りに練っている最中であった。

 

「ひゃわわーっっ!入学式に遅刻してきた生徒さんたちが、職員室で喧嘩してますですーっ!!ぼ、暴力は行けないのですよーっ!!」

 

 がらり、と開いた職員室の戸から身を乗り出し、ロリっ娘が目をくるくると回していた。景朗の体に衝撃が走った。景朗は本能的に、その声の主の命令に従っていた。ぼぎゃ!と上条当麻の左拳が景朗の右頬に突き刺さった。そんなもん屁でもねえと言わんばかり。景朗の躰は微塵もぶれなかった。

 

 ロリっ娘が泣き出しそうになり、上条当麻と景朗はきまりが悪そうに拳を収めた。この幼女が居なくなるまでは喧嘩は御法度だぞ、という上条当麻のアイコンタクトに、寸分の狂い泣く景朗は了承の意を返した。

 

 尻餅をついていたロリっ娘は俄かに立ち上がり、2人の若者相手に諭すように口元をやわらげた。

 

「ふふ、良い子ちゃんなのです!ウニ頭ちゃんに青髪ちゃん。私が貴方たちの担任の、月詠小萌です。ちょっとばかし身長が低いですけど、これでも立派な先生なのですよー?」

 

 目の前に、天使がいた。ピンクの天使、だと。景朗の目には、ゲームから飛び出した"コナミちゃん"が、"萌黄タン"のコスプレをやっているようにしか見えなかった。

 

「へ?コナミちゃん?」

 

 ピシリと躰を強張らせた青髪の瞳孔は、限界まで広げられている。彼の呟きに、月詠小萌は不敵に視線を向けて、人差し指をくゆらせた。

 

「違いますよー?先生は小萌というんです。つ・く・よ・み・こ・も・え、です。青髪ちゃん、その髪の毛はお名前と被せてウケ狙いさんですか?」

 

 コナミちゃん+萌黄タン=小萌先生。景朗の脳内に瞬時に閃いた。外見はコナミちゃんで中身は萌黄タンそのものである。ピンクのロリっ娘先生はちっこいナリであったが、どことなく包容力のある雰囲気を醸し出している。景朗は彼の養母とも呼べる存在、シスター・ホルストンことクレア先生の姿を彼女に重ねていた。彼女のそばにいる時と同じように、景朗はえも言われぬ穏やかさを取り戻していく。外見は全く違うというのに、クレア先生と似ているな、と無性に思えてならなかった。

 

「もう名前知ってるんやね、センセー」

 

 小萌先生は、当然です、と頷いた。その可愛らしい仕草に、景朗は弾け飛びそうになる。彼女は真横で居心地悪そうに佇んでいた上条当麻に、今まで以上に優しい口調をつくり、微笑んだ。

 

「上条ちゃん。入学式直前の騒動について、きちんとお話を聞いてきました。心配しなくていいんですよ。他の生徒さんの証言で、ちゃんと上条ちゃんが無罪だったって結論にたどり着きましたから。入学初日から職員室に直行なんて、災難だったのです」

 

 痴漢が濡れ衣だったと周囲の理解を得た上条当麻は、途端に安堵したようである。先程まで苛立っていた彼の機嫌は、今では雲泥の差、すこぶる良好だった。

 

「キミ、痴漢したんやなかったんか。だから怒ってたんやね」

 

 頬を殴られたにもかかわらずの、青髪のあっけらかんとした仕草。上条は罰が悪そうにウニ頭をかく。

 

「まあ、その、こっちも悪かったよ。殴っちまって」

 

 ニヤける青髪に、上条も満更でもない様子であった。ニコニコと2人のやり取りを見守っていた小萌先生は、さてと、と手を叩いた。

 

「ひとまず、クラスの皆さんとお顔を合わせに行きましょう。はぁい、2人ともー、仲直りの握手です」

 

 上条は颯爽と左手を差し出した。内心ホッとしつつ左手を添えた景朗は、しっかりと彼と握手した。しかし耐え切れず、相手に不審さを気取られぬように注意を払いつつ、わざと、抱いた疑問を口に出した。

 

「普通、握手って右手ちゃうのん?」

 

 上条当麻は脈絡なく、大きなため息をついた。

 

「ああ。すまん。無意識のうちに左手を使う癖がついちまってんだ。オレの右手、少々曰くつきでさ。今までうっかりしちまって、いくつトラブルを呼び起こしたか覚えてないくらいなんだよ」

 

「"曰くつき"ってなんやの?」

 

「信じて貰えるかわかんねーけど。オレの右手、"幻想殺し(イマジンブレイカー)"っていう、超能力を打ち消す力が備わってんだ。そういえば青髪、もしかして肉体系の能力者だったりする?」

 

 自らの右手を煩わしそうに眺める上条の目の前で、青髪は不自然に背筋を正した。幸いにも、上条には気づかれていなかった。

 

「あ、ああ。ようわかったなぁ。"身体補強(フィジカルブースト)"っていうんや。レベルはぁー……」

 

 景朗は焦っていた。極力、身体能力を凡人の水準に抑えていたが、実際に身体検査(システムスキャン)を行ってみなければ、正確な判定結果は推測できない。

 

「えーっとな……レベル0、か1……」

 

 意外にも、言いよどむ景朗へ上条当麻ははにかんでいる。

 

「心配すんなよ。こっちだって無能力者(レベル0)だってーの。オマエのレベルなんかいちいち気にしねーよ。にしても、やっぱりそうだったか。オマエ、さっき思いっきりオレのパンチに仰け反ってたしな。カンのいいやつは無意識のうちに気づくっぽいな、オレの右手に。経験上、肉体系のヤツに多いみてえだけど。青髪、気をつけてくれ。たぶん、オレの右手に当たると不快感を感じると思うぜ。悪いな、これからは右手で無闇に触らねえように気を使うよ」

 

 後に、景朗は彼の言葉が真実だったのだと納得した。能力者に溢れる学園都市で長く暮らしてきた上条当麻である。本人曰く、呪われているくらい不幸な運命のいたずらで、右手を不注意に扱った結果、様々なトラブルに巻き込まれてきたらしい。現在では彼自身、ほとんど無意識のうちに、誰かに触れる時は極力右手を使わないようにする癖が付いているとのことだった。そしてそれは本当で、景朗は予期していたよりもずっと楽に、上条と共に過すことが出来たのだ。

 

 ちなみに。"第七位"相手に盛大に地雷を踏んでいたおかげだったのか。人生万事塞翁が馬。3人娘との登校を優先させ、土御門より一足先に上条当麻の友人としての第一歩を踏み出していた景朗は。上条とともに遅れてクラスに到着した。その日の帰り際。怪我の功名とばかりに、上条当麻に中学以来の友人だと土御門を紹介した。後の三バカ(デルタフォース)の結束が叶った瞬間であった。景朗はツイていた。上条の背後、鬼の形相で拳をわなわなと震わせていた土御門は、苦虫を噛み潰しつつもその手をしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少々遡る。確か、3月の後半だった。"第七位"にしこたま殴られて幾数日。気分が最高に沈んでいた時期でもあった。

 

『みんな逃げろぉぉっ!三頭猟犬(ケルベロス)が現れたっ!!アレイスターの番犬だぁぁぁぁぁッ!!』

 

 哀れな犠牲者の悲鳴が、景朗の脳裏にくっきりと蘇った。第十学区の廃工場。そこには、学園都市の転覆を目指す、とは名ばかりの、場末のテロ組織が潜伏していた。理事長(アレイスター)憎し。常軌を逸した手法であろうと何であろうと、手段を問わずに、必ず一矢報いてやる。そういう覚悟を決めた連中だった。

 

 記憶の中の景朗は。つい1時間ほど前の景朗のことだ。能力で巨大な犬に変身して、頭部を三つに分ち、視聴覚を大幅に向上させた景朗は。恐怖に怯え逃げ惑う、無力な集団を次々と噛み殺していった。

 

 幸いにも、女や幼い子供はいなかった。あの場には、皆自分の命に責任を持てる年齢の人間しかいなかったはず。景朗はそう祈っていた。同時に、もとよりそのような資格が自分にないと分かっていても、自分が殺した人間の死後の安寧を思い、それを祈らずにはいられなかった。クレア先生がいつもそうしていた風に。

 

 辛くも景朗の牙から逃れ、工場から落ち延びたテロ屋たちは、皆即座に、待ち伏せていた"猟犬部隊(ハウンドドッグ)"たちに刈り取られた。景朗の忌名を冠した部隊だ。創設したのは、アレイスター・クロウリー。リーダーは木原数多が勤めている。その男は景朗の知る限り。かなりの上位にランクインする冷徹な科学者だった。

 

 事後処理の合間に、木原数多が煩わしそうに何かのリストを眺めていた。

 

「何見て溜息ついてんのさ?木原さん」

 

 景朗の問いかけに、彼は姿勢を動かさず、声だけで反応を返した。

 

「おぉーう。おつかれさん、クソガキィ。最近理事会に楯突くやつ多いだろぉ?そいつらのリストだ」

 

 木原数多の答えに、景朗の頭にひとつ、閃くものがあった。

 

「木原さん。そのリスト俺にもくれよ?」

 

「はぁぁ?んなもんどーすんだ?まぁいいか。テメェには嗅覚センサーの件で貸しがあったからなァ。リストはくれてやる。だがなぁ、勝手に先走んじゃねぇぞ。ヒマしてる奴らに回してやるつもりなんだからよ」

 

 

 

 

 

 自宅に返ってきた景朗は、ゴミの散らばった部屋の惨状に溜息を飲み込んだ。美少女ゲームに首ったけで、掃除すら録にやっていなかった。

 

 ゴミを踏み付けぬようにかき分け、すっかり慣れた動きでデスクに座り、特注のワークステーションを立ち上げる。リストを眺め、景朗はとある計画を練り始めた。

 

「ちッ。小バエが湧いてやがる。うぜぇなぁ。毒ガスで一気に殲滅だぁー」

 

 景朗は首を後ろに回し、息を大きく吸い込んで、室内へと一息に吐き出した。口からは、白色の霧が吹き出す。やがて、景朗の卓越した聴覚が、部屋の中で蠢く虫ケラのざわめきがなくなったことを告げた。

 

「ふん。まてよ。蝿か……」

 

 ポケットから携帯を取り出し、景朗は通話を開始した。その相手は"スキーム"の一件で完全に景朗の舎弟と化した、"人材派遣(マネジメント)"であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四月の初週。世間が入学シーズンで賑わう時期である。その初々しい喧騒とは遠く離れた、第六学区のとある高級ホテルの一室。そこに、学園都市"第四位"の実力者、麦野沈利の姿があった。バスローブを着込み、難しそうな顔をしてルームサービスのメニューを睨んでいる。

 

「ちっ。シャケ弁がないじゃないの」

 

 学園都市でも一等格式高い、三ツ星ホテルにそのようなものが常備してあるはずもない。見当はずれな恨み言が、あと少しでホテルのスタッフへと爆発するところだった。彼女の携帯に突如とどいた着信が、一人のホテルマンの運命を変えた。通話に対応した麦野沈利は、苛立たしげに悪態をつく。

 

「またなの?最近依頼多すぎない?今シャワー浴びたばかりなんだけど。……そうなの。でも残念。やなこった。新学期早々、忙しいのは嫌よ。ったく、たった今、あんなカビ臭い施設に屯ってたゴミクズどもを始末してきたばかりでしょうが」

 

 麦野沈利は煩わしさを前面に押し出した。そして直ぐに、素早く携帯を耳元から離す。電話の相手が負けじと劣らず盛大に切り返していた。

 

「だいたい、理事会の足の引っ張り合いが終わってから何ヶ月たったと思ってんのよ?セキュリティの低下した隙だってもう回復してきてる。いずれ欲を掻いた馬鹿どもも自然消滅するわよ。わざわざ私たちが動かなくったってね」

 

 電話から漏れる叫び声もいよいよ大きくなっていた。麦野沈利は諦め、小さく息を落とした。とうとう、部屋中に電話相手の怒鳴り声が広がった。

 

『こいつときたらっ!わかっていやがるならさっさと仕事しろっつーの!だから今が最後のかき入れ時だっつってんのよーっ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日の落ちかけた第十六学区の商業区画を、一台のワンボックスカーが走っていた。とりわけて特徴のない地味な白いライトバンだった。しかし、その中に搭乗する人間たちは、極めて奇抜な格好をしていた。車内の男達3人の髪色はそれぞれ異なり、そのカラフルな色合いがそばを通り過ぎる通行人の目を引いた。全員、ゴテゴテしたパンク風のファッションで統一されている。黒光りするレザースーツは、細部の意匠まで刺刺しい。ヴィジュアル系バンドを彷彿とさせる派手なメイク。元の顔立ちは化粧で埋もれて判別できなくなっている。

 

「アイツだ、サンドフライ」

 

 助手席の男が、抑揚なく指摘した。憮然とした表情を長らく張り付かせていた運転手がハンドルを切った。"サンドフライ(Sandfly)"と呼ばれたその運転手はメイクで年齢の判別が難しくなっていたが、注意深く観察すれば、誰もがすぐに未成年であると気づいただろう。それも、どうあがいても運転免許を取れそうにない年頃であると。

 

 明るい大通りと薄暗い路地の狭間に、巨漢がひとりぽつんと立ち尽くしていた。色鮮やかな虹色のモヒカンに、ピエロと見間違わんばかりのトリコロールのメイク。ヨダレが出そうな、肉厚のフライドチキンをバーレルごと買い込み、路上でひたすらにむしゃぶり付いている。

 

 その男は貫禄のある肥満体型で、チキンレッグを手にした姿は妙に様になっていた。彼が着込んだモスグリーンのジャージの腹部は、大きく膨らみたるんでいる。行くあてもなくグルグルと彷徨っていたミニバンが、その巨漢へと近づいていく。

 

 巨漢のすぐそばに車が停止した。時を等しく、車内の空気が一変する。顔色にこそ表れていなかったが、男たちは皆拳銃片手に、即座に対応できる体勢を取っている。助手席の窓が開き、そこに座っていた男がやたらと流暢な英語で、巨漢へと一言問いかけた。メイクの上からでも、助手席の男に西洋の血が流れていると見て取れた。

 

「Black Fly」

 

 巨漢はフライドチキンの咀嚼をやめ、外見を裏切る、蚊の鳴くような小声で返事を返した。

 

「……シャッドフライ……」

 

「乗れ」

 

 助手席の男は端的に言い返した。後部座席にいた最後の1人が、油断なく、乗り込んできた巨漢から紙切れを受け取った。

 

「ギャッドフライ、サンドフライ、コイツは仲間だ。心配いらねえ」

 

 "ギャッドフライ(Gadfly)"と呼ばれた助手席の男は、それでも警戒を解かなかった。"サンドフライ"は拳銃を懐に戻し、運転を再開する。後部座席に元から座っていた男は、服の下に隠された筋肉質な躰を車の中で器用に動かし、トランクをガサゴソと探り出した。

 

「オマエ随分とデケぇな。こりゃあ、サイズあっか心配だな……。……うし。これでどうだ」

 

 男がトランクから、大きめのツナギを取り出した。隣に座る巨漢へとそれを手渡す。

 

「どうだ?ソイツでサイズ足りそうか?」

 

 片手で器用にツナギを広げ、しばし眺めて、巨漢はコクリと頷いた。

 

「ソイツぁ良かった。オレはグリーンフライ。シャッドフライ、オマエさん、新入りだろ?」

 

 黙したまま、"シャッドフライ(Shadfly)"と名乗った巨漢は再び頷く。そして、徐に、フライドチキンの咀嚼を開始した。

 

「ドイツもコイツも、あんま喋んねえな。自己紹介くらいする気にならないかねえ。まったくよう。うし、いいか、シャッドフライ。助手席の金髪がギャッドフライ、運転してるボウズがサンドフライだ。このボウズ、どこで腕を磨いたのか知らねえが、なかなかのハンドル捌きだろ?頼りになる」

 

 ドライビングテクニックを褒められ、機嫌が良くなったらしい"サンドフライ"が軽口を叩く。

 

「ボウズはよせよ、グリーンフライ」

 

 "グリーンフライ(Greenfly)"と名告った男はうすら笑い、身を寄せて"シャッドフライ"のチキンバーレルへと手を伸ばした。それまで巨体を緩慢にしか動かさなかった巨漢は、脊髄で反射させたがごとく機敏に身をよじり、にじり寄るの魔の手からフライドチキンを守った。

 

「ハハ」

 

 "グリーンフライ"は興に乗った声を上げた。座り直した彼は喋り続け、唐突に、親指を後部のトランクへと差し向けた。

 

「ケチケチすんなって。美味そうな匂いさせやがってよう。……そうだ、後ろに蜂蜜がたんまり積んであんだった。それちっとやっからオレにも一本くれよう?」

 

 躰を縮こませたモヒカン男はいやいやと首を振り、取り付く島すら与えない。"グリーンフライ"は気にした素振りも見せずに朗らかに、そりゃ残念だ、と口にした。

 

「にしてもよう、シャッドフライ。オマエさん、一体そのジャージはどうした?こっちはそのせいで警戒しちまったよう。まぁ確かに、"ベルゼブブ"の指定した"悪魔系デスメタルバンド風パンクファッションコスプレメイク"ってのぁ受け取り方に個人差があるだろうがよ……正直意味分かんねえっつうか……イマイチ"ヤツ"のキャラがわからんなぁ」

 

 会話を聞いていたのだろう。"サンドフライ"は端末を操作した。途端に、スピーカーから激しくアップテンポな、DnBが飛び出した。"シャッドフライ"はゴクンとチキンを飲み込んだ。やっと口を開いた彼は、唐突に質問した。それは"グリーンフライ"が尋ねたことには微塵も関係がなかったが。

 

「……ホ、ホントウ、なのか?……いつ、いかなる時も……逃げたくなったら……その場でトンズラしていい、のか……?」

 

 彼の疑問を耳にして、ようやく助手席の"ギャッドフライ"は神経を緩ませた。"グリーンフライ"も面白可笑しそうに目を輝かせた。

 

「だよな?信じらんねえよな?でも、マジだぜ。"ベルゼブブ"のイカれた指令はよう。幸いにも、今までずっと待機、待機、待機で、そんな事態になるこたなかったけどよ。命が惜しくなったらみんなでズラかっちまおうか?」

 

 それまで後部座席のやり取りを静観していた"ギャッドフライ"が、とうとう口を挟んできた。

 

「冗談じゃねえ、"グリーンフライ"。事に当たれば八千万だ。八千は惜しい。"ベルゼブブ"は仲間を殺すなとは言っていない。その時は、俺が殺す」

 

「ひゃひゃひゃひゃひゃ。欲しがるねえ、ギャッドフライ。オマエ、こんだけ大金ばら蒔いてる"ベルゼブブ"の"本番"が、そんな生易しいモンなわけねえだろ。きっと七面倒臭えコトにちげえねえよ。死にそうなメに遭っても今みてえに吠えられるかな…………ってオマエさん、うすうす感じてたけどよ。案外気が小せえのな……」

 

 "ギャッドフライ"の冷酷な声色に、"シャッドフライ"はぷるぷると震えていた。"グリーンフライ"は呆れた視線を向けている。脈絡無く、車が止まった。巨漢はまたビクッと怯えた。"サンドフライ"が注意を促した。

 

「オイテメェら。ファイアフライってアイツじゃねえの?」

 

 指し示された方向に目をやった"グリーンフライ"が吹き出した。

 

「ぎゃははははは!なんだぁアイツはよう!あのホウキみてえな赤髪。あのチビ、ガキの頃アネキが持ってたブッサイクな人形にソックリだぜ!」

 

 カラオケボックスから少し逸れた路地の入口で、小柄な少年がスキルアウトたちにからかわれていた。顔を真っ白に塗りたくり、髪を真っ赤に染め上げ、そしてそれをホウキのように逆立ててジェルで固めている。頑張ってクラブに行こうと背伸びした中学生。誰の目にもそう見える。

 

 車は彼らへと近づいていき、すぐそばに停まる。"ギャッドフライ"がハンドガンを外から見えない位置に構え、窓を開けた。

 

「乗れ」

 

「あ、ああ。ようやく来たか。遅えよッ」

 

 予想に反した、野太いどら声であった。赤髪の男は驚きつつも、いそいそとバンに乗り込んだ。車外へと窓越しに中指を立てている。彼に絡んでいたスキルアウトたちは、何だよマジでバンドメンだったのかよぉー、と興味を失い離れて行った。

 

 乗り込んだ赤髪は硬直した。運転席と、助手席と、巨漢を挟んだ向かい側の席。その3方向から拳銃を突きつけられていたからだ。巨漢は我関せずと、フライドチキンを噛みちぎる。"ギャッドフライ"が威かすように警告した。

 

「"符丁"だ。"Black Fly"」

 

「ファ、ファイアフライッ!ファイアフライだッ!」

 

「ガキ、Fireflyと言ったのか?カスみてえな発音だ。これじゃ不十分だな。念の為確認する。"ベルゼブブ"のイカれた特別ルールを言ってみろ」

 

 カチャリと着けられた銃口に怯え、"ファイアフライ(Firefly)"は声を震わせる。

 

「撃つなッ!言う!今すぐ言うから撃つなよッ!えええ、ええとッ。ッ!"実動員には何時如何なる時点においても、保身の為の逃走が許可されるッ"!……ッ、これじゃねえのッ?これだろッ!?」

 

 彼の言葉に、運転席と後部座席の男2人はピタリと銃を構えるのを止めた。"サンドフライ"が助手席の男を睨みつけた。助手席の男もしぶしぶと銃口を降ろした。

 

「ホラ!これが指令書だッ!」

 

 "ファイアフライ"が取り出したメモ用紙を、前から男が掠め取る。ひと目でそれを確認すると、舌打ち混じりに男は正面に向き直った。赤髪の少年は、緊張の解かれた車内の空気にふぁぁぁぁ、と躰を弛緩させた。むしゃむしゃと頬張る"シャッドフライ"が巨体を揺らし、隣に座る少年へと食べかけのチキンレッグを差し出した。

 

「……いらねーよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五人を乗せた白いワンボックスは、ただひたすら闇雲に、第十六学区、夜間のオフィス街を徘徊していた。

 

「今日の新入りはファイアフライとシャッドフライか。昨日抜けてったのは誰だったっけな?サンドフライ」

 

 "サンドフライ"が考える素振りを見せた。赤信号の合間に、ハンドルを握る人差し指でトントンと叩いている。

 

「DayflyとDragonflyだ」

 

 腕を組み、物思いに耽っていた"ギャッドフライ"が素早く答えた。気分良く思い出せた、と"グリーンフライ"が口元を歪めた。

 

「ああ、そうだったそうだった。その前は……ストーンフライ、メイフライ。ボットフライなんてのも居たっけな。オレの番が来たのは4日前だったからよう。その前から延々と続いてたみたいだけどこれ以上は知らねえな」

 

 赤髪が不貞腐れたように窓に頬杖をついていた。

 

「全部虫の名前じゃんかよ。しかも小さくてパッとしねえ小虫の名前ばっか。オレらを虫ケラ扱いしてるみてえでイラつくっしょ」

 

 運転席の男が音楽の音量を緩めた。直後に、巨体の反対側から相槌が返される。

 

「まあ、たしかにな。金をばらまいて、ガキの考えついたようなアホ臭せえ名前割り振ってよう。"ベルゼブブ"の旦那は一体何がしてえんだろうな。こんな訳のわかんねえことしてよう。誰も知らねえんだろ?言われるがまま指示に従ってるだけでよ」

 

 彼らは皆、ここ数日仲介人を通して、"ベルゼブブ"という謎の男から送られてくる指令を忠実に実行していた。その内容は、極めて安全で、極めて簡単で、そして極めて退屈なものだった。夕方、"ベルゼブブ"の指示通り、架空のバンドメンに変装して所定の位置に立ち、同類が迎えに来た車に乗る。お仲間を数人拾って、後は"ベルゼブブ"の追加の指示を延々と待ち続けるだけ。それだけだった。その間、第十六学区の街中をあてもなく彷徨い続けなければならない。

 

 前任者たちから聞いた話では、つまらぬ事に"ベルゼブブ"からの連絡は今ままで全く音沙汰無しだったそうだ。毎日毎日夕方から深夜まで、メイクの痒みに耐え、車で見知らぬ男達とぎこちない会話に興じる日々。だが、しかし。"ベルゼブブ"は頭がイカれているに違いない。意味もなく街を5日間徘徊するだけで、彼らは200万円を手にするのだ。前金だけでそれだ。もし、来るかどうかわからぬ"ベルゼブブ"の"本番"が到来するチャンスに出会えれば、追加で八千万円もの大金を獲得できた。車内は彼の噂話が何度もループした。

 

「"ベルゼブブ"のクソッタレなんかどうでもいいじゃねーか。もう前金は頂いてるんだしな。オレらはヤツのご高尚な趣味まで気にかける必要ねえって。……って、あんま陰口ぶっ叩くわけにもいかねえか。どうせ居るんだろ?このなかに。なあ、"ベルゼブブ"さんよ?」

 

 "サンドフライ"の発言に、その場が一瞬、凍りついた。張り詰めた緊張を壊すように、"グリーンフライ"が軽口を叩く。彼の横で、"シャッドフライ"が悲しそうに俯いていた。

 

「オマエさん、チキン喰い尽くしたからって落ち込むなよ……。ひとりでそんだけ喰ったなら十分じゃねえかよう。ハハッ。……うし。いいこと言うなぁ、サンドフライ。オレはそういうこと言ってるオマエさんこそ怪しいと思ってるぜ?」

 

「……あぁ?」

 

 運転席からの不服そうな返事。赤髪が隣の席へと話を促すように顎をしゃくった。

 

「ボウズ、オマエさんは"本番"じゃ、逃走用の足の役割なんだろ?突入班じゃねえ。"何時でも逃げていい"っていう旦那のルールの恩恵を一番に受けてるじゃねえかよう」

 

「オレはただそう命令されただけだ。テメェらがヘタクソだから指名されなかったんだろ。テメェこそ怪しいぜ?グリーンフライ。こんなかで一番長い。後ろに積んでるブツだってアンタが運び込んだって聞いたぞ?」

 

 男2人の言い合いの最中。それまで黙っていた"ギャッドフライ"が見せつけるように拳銃をスライドさせた。

 

「ゴチャゴチャと五月蝿いぞ。二日前抜けてったBotflyもStoneflyも、オマエら2人が新しい顔だと言っていた。昨日抜けてったDayflyもDragonflyも、そこのデブとチビとは別人だ。キリがねえ。チビッてんなら遠慮なく消えろ。どうせお前らも仲介人を通してここへ来てんだろ?"ベルゼブブ"は取り決めを守るしかない。逃げたきゃ逃げな。今なら撃たないでおいてやる」

 

 車内は静けさを取り戻した。音量が上げられ、喧しいサウンドが再び鳴り響く。しばらくして、"ファイアフライ"がポツリと呟いた。

 

「あんた、グリーンフライと言ったか。さっき言ってた、ストーンフライってのぁ、実はオレのダチなんだ。何もしなくてもポンッと、ウン百万手に入るウメエ仕事があるって聞いて来た。今までのこと色々教えてくんね?こっちもネタはあっから」

 

 この"指令"の背景に興味津々の"ファイアフライ"を前にして、"グリーンフライ"は喜びに顔を染めた。前席の野郎2人は何度も繰り返されたその話題にいい加減飽きているらしく、もはや興味を失っている。誰かと議論したくてウズウズしていた彼は、赤髪とつらつらと語りだした。

 

 

 深夜。ネオン街からやや外れた場所で、突然停止した。ボンネットの上に乗せられていた、誰もが存在を忘れていた携帯に、突如、着信があったのだ。その携帯は、その場の誰もがそこに置かれた由来を知らず、放置されていたものだった。

 

 "ギャッドフライ"が緊迫した面持ちで対応した。

 

『ブラックフライ!こちらバタフライ!奴らが来た!出番だぞ!今すぐ助けに来てくれッ!』

 

 携帯を片手に、男が唇をつり上げた。八千万の大金が、彼らを待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "ベルゼブブ"に"ブラックフライ"と便宜的に名付けられた4人のチームは、車に用意されていたツナギに着替え、第十六学区の地下街へと急行した。1人ミニバンに残った"サンドフライ"は脱出のために近くで待機している。

 

 地下街を進み、目的のビル地下間近のセキュリティゲートへと彼らはたどり着いた。"グリーンフライ"と"シャッドフライ"はそれぞれ、引っ張ってきた食料品と清掃用具が乗せられたカーゴをゲートへと運ぶ。皆が皆、気を引き締めた。

 

「なんだぁ?オマエら。そのカッコは?」

 

 ゲートで守衛を行っていたガードマンが、素っ頓狂な声色で訪ねていた。

 

「スンマセン。オレら、ライブ終わってから直行してきてんす。だいぶ遅れてませんかね?」

 

 赤髪は饒舌に、自然な態度で会話を交えた。第十六学区は学園都市の中でも一大商業区画であるが故に、バイト学生の宝庫でもあった。特筆して、今の時刻のような、深夜の稼ぎ時の時間帯は学生の数も相応のものとなる。

 

「いいやぁ、逆に早すぎだって。まぁでも、確かに食品搬入と清掃のシフトが入ってんな。だいぶあとだけど。お前ら、もうちょっと余裕あったぞ、こりゃあ。あー……でも、どのみちそのカッコじゃ時間足りてなさそうだわ。待ってろ、一応危険物の検査しなきゃならないからよぉー」

 

「いやぁ、マジスンマセン。迷惑かけます」

 

 ガードマンが計器に目を配り、ゲートを通過するように手を振った。

 

「蜂蜜、ジャム、シロップに……清掃用具。武器も爆発物も無し。お前ら通っていいぞー」

 

「どうもーっ。あざーっす」

 

 "ファイアフライ"の手招きに、残りのメンバーが続いていった。彼らの背へ、ガードマンが問いかけた。

 

「なあ、お前らなんてバンドやってんだー?」

 

 "シャッドフライ"がビクリと硬直した。"ファイアフライ"も言いよどんでいた。"グリーンフライ"が慌てて取り繕った。

 

「悪魔系デスメタルバンド、"ブラックフライ"だぜ」

 

「すぐそこのハコでやってたんだろ?オレ結構ハマってんだけど聞いたことねえなぁー……」

 

 赤髪が機転を利かせて演技した。憤慨した表情を取り作り、声を張り上げる。

 

「これから名を上げるんすよ!今にみててくれよな!オッサン!」

 

「期待しねーでまってるぜー」

 

 ガードマンは彼らを見ることなく手を払っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一行はとあるトイレへとたどり着いた。そこが指定されていたポイントだったからだ。トイレ近辺の廊下の随所に"清掃中"の看板を立て、人気を遮断する。トイレの中で、"ギャッドフライ"は手元の端末を眺めて驚愕した。

 

「おいおい、ここは……。樋口製薬、第十六学区支社の真下だぞ。"ベルゼブブ"は案外大物かもしれん……。しかし、悪くはない。確かに金の匂いがしてきた」

 

 彼の独り言を耳にした"ファイアフライ"が頭を抱えている。

 

「そいつは結構。だけどよ、こっからどうすんだ?オレら手ぶらだぞ?道具も爆薬も無しで、このトイレん中でどうしろってんだ?」

 

 

「おい、ぼさっとしてんなよう、お二人さん。こっちを手伝ってくれや」

 

 いそいそと、小さなバケツ程もある蜂蜜の大瓶を手当たり次第に剥がしている"グリーンフライ"。2人は困惑しつつも、彼へと近づいていった。

 

 彼らの脇で、"シャッドフライ"がゴトリ、と大きな清掃用のバケツを取り出して床に置いた。巨漢はそのバケツの前に四つん這いになり、気分悪そうに体を痙攣させ始めた。

 

「おいおいおいおいデブちゃん、これからって時に勘弁してくれよぉ!?」

 

 間もなく。室内に、EUGOEEEEEEEEEEEEEEEE......と嘔吐する声無き声が満ちていく。それを目にした"グリーンフライ"が最高潮にニヤついた。

 

「いいんだよアレで、ファイアフライ。アレがアイツの"特別指令"なんだろうぜ。で、"コレ"もオレの"特別指令"だ。蜂蜜開けたら乾燥剤のビーズと粉末をこっちのバケツに空けてくれよう!」

 

 "特別指令"のフレーズに、彼のそばに立つ2人は過敏に反応した。得心した風に頷くと、毅然と頼まれごとに取り掛かる。

 

 

 その空間は蜂蜜の甘い香りと、微かにフライドチキンの臭いが混ざる吐瀉物の匂いが充満していた。"シャッドフライ"がゲ○の入ったバケツを両手に、そろりそろりと残りの3人に歩み寄った。悪臭に鼻を曲げ、皆一斉にたじろぐ。指についた蜂蜜をペロリと咥え、"グリーンフライ"が恐る恐るバケツを覗き込んだ。

 

「シャッドフライ、コレ、何だ?」

 

「……ニトロ、グリセリン………」

 

 "グリーンフライ"がどよめき、"ギャッドフライ"は息を飲んでその吐瀉物を観察する。

 

「チキン臭くて匂いがわからない。ゲル化させてるみたいだが、シャッドフライ、扱いには注意を払え。……本物だとしたら。一体どういうことだ?」

 

 "シャッドフライ"はどこか自慢げに、胸を張ってボソボソと繰り出した。

 

「おれの能力……"爆薬生成(オーガニックボム)"……食ったもの…を……はらのなかで…ばくだんにする……ちから……レベル3……破壊力、ある……」

 

「ニトログリセリンってなんだよ?」

 

 トイレの床に座り込む赤髪の疑問に、"ギャッドフライ"が簡素に答えた。

 

「ダイナマイトだ」

 

「マジかい……あんただきゃぁ、無害なやつだと思ってたんだけどなぁ……一番ヤベェやつだったじゃんか……」

 

 "ファイフライ"が悲しそうに言い放った。

 

「……そういうことか。うし。そんじゃ、お次はオレの番のようだぜ」

 

 "グリーンフライ"がぱしり、と胸を叩き、壁の一部を指さした。そこには、様々なイタズラ書きが施されていた。漫画のキャラクターのようなものから、色とりどりのスラングまでずらりと並ぶ。そして、その中には。最も真新しい、大きな赤いバツ印。その横に、『BOMB!』と書かれていた。

 

「ギャッドフライ、壁にソイツを設置する。手伝ってくれよう」

 

 

 

 

 

 ニトログリセリンは極めて刺激に敏感だ。少しの手違いで暴発する。密閉された狭い空間、そう、そのトイレのような場所で間違いを犯せば、皆、即死亡していただろう。壁のバツ印にゲ○塗れの爆薬を丁寧に設置した一行は、その後の"グリーンフライ"の行動に一同首をかしげることになった。

 

 徐に、"グリーンフライ"は膨大な量のハチミツに乾燥剤のビーズと粉末を投入したのだ。あっという間に食料品として不適な物体と化したハチミツに、"シャッドフライ"がモゴモゴとくぐもった悲鳴を漏らした。

 

 ハチミツもどきを大量生産した当の本人は、ハチミツの入ったタライに手をツッコんだ。真剣そのものの表情で、くるくるとそのねとついた液体をかき混ぜる。やがて。彼は、うしっ!と呟くと、そこから抜き取った拳を握り締め、力強くハチミツの表面を殴った。バチ、という弾力のあるゴムを叩きつけたような音が生じ、拳はハチミツの表面で止まる。彼はそのまま力を抜いた。その直後、今度は拳がゆるゆると粘液に水没していった。

 

「もしや、ダイラタンシー流体か。……お前の能力か?」

 

 動じずに立ち尽くす金髪、"ギャッドフライ"が訊いた。ハチミツもどきをネトネトと握り締め、良い塩梅だ、と口から零し、"グリーンフライ"が立ち上がった。

 

「そうだぜ。能力名、"粘性操作(ハニートラップ)"。粘性を操作できる。コイツでシャッドフライの爆薬の爆風と衝撃、そんで爆音までできる限り抑えてみようじゃねえかよう」

 

 ハチミツの入った巨大なタライは相当な質量があった。巨漢を覗いた3人は歯を食いしばり、タライを爆破地点へと引っ張っていく。

 

「ベルゼブブめ。そういうことか。……おい、ファイアフライ。お前の能力はなんだ?どうせお前も能力者なんだろう?」

 

 両腕に血管を浮かび上がらせた金髪の問いに、同じく赤髪も苦しそうに答えを返した。

 

「しゃーねえな。教えてやるよ。"消火能力(シースファイア)"。大抵の炎は消せるし、弱められる。銃弾の雷管だって不発にできるぜ。まあ、レベルが低いから、狙撃とかに対応すんのは無理なんだけどな」

 

 からからと"グリーンフライ"が笑いだした。

 

「ハッハ!そんじゃさっきはビビってたフリをしてたのかよう?」

 

「いや、万が一ってこともあんだろ?3本も銃口向けられちゃあ生きた心地がしないっての……おい、オレは答えたぞ?ギャッドフライさんよ、アンタは白状しねえのか?」

 

「仕方ないな。俺の能力は"減音能力(サプレッサー)"という。周囲の音を小さくできる。もちろん、爆発音にも対処は可能だ。だが、強度が少々低くてな。対して役に立たんだろう。せいぜい保険程度。それでも一応、自分自身が立てる音ならばほぼ完璧に無音化できる。ヘマしたら後ろから刺すぞ」

 

 "グリーンフライ"が能力を展開し、爆薬を覆うように、ゲル化したハチミツをドーム状に形作っていく。"ファイアフライ"がとりとめもなく、大きな息をついた。

 

「意外な事実が判明だ。まさかの、おデブちゃんが。一番の高位能力者だったってわけですかい」

 

 誰も彼の言葉に打て合わずにいた。巨漢は清掃用具をガサゴソと探り、金髪は腕を組んで考えに耽っている。

 

「ベルゼブブ、正気なのか?確かに、トイレには監視用のカメラやマイクは設置されてはいない。だが、代わりに学園都市製の衝撃感知センサーや熱感知センサーに引っかかる。きっと高確率でな。ここまで来たことだし、ものは試しに挑戦してみるのも悪くはないが、直ぐに立ち去る準備をしておいたほうがいいぞ」

 

 金髪の言葉に、赤髪は感心したように頷いた。

 

「うし。こんなもんだろ。終わったぜ」

 

「………」

 

 "グリーンフライ"のあとに続くように、"シャッドフライ"が無言で、手にしていたホウキの柄を披露した。柄の部分の留め金は金属でできている。

 

「ああ。なるほどな。問題発生だ。誰が起爆すんのかって話。ここにゃ、ご大層な起爆ツールなんてねえからよう」

 

 

 

 

 

 寡黙なモヒカンが、ぽつんとトイレに取り残された。彼は頭の中で、仲間との会話を振り返る。『大丈夫だ、お前の死亡、いや脂肪が衝撃を吸収する。お前しか適役がいないだろう』『心配するな、オレの特性ジェルをオマエの躰に塗りたくってやる。死にやしねえよ』『終わったら約束するって。好きなだけチキンを奢ってやっから』

 

 ハチミツでべっとりの躰は動きづらかったが、"シャッドフライ"は覚悟を決めた。自らが生み出した爆薬めがけて、ホウキの金具を思いっきり叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 トイレからわずかに離れた位置で、残りの3人は周囲の人影に気を配っていた。待ちわびた爆発により、ビリビリと広がる振動と、それなりに大きな爆発音が生じた。しかし、それらは予想よりもずっと小さかった。これならば、行けるか。3人は声を殺し、警報器の作動音を聞き取ろうと集中した。しばし待てども、恐れていた事態はやってこない。

 

 皆が皆、有事の際には、哀れな犠牲者"シャッドフライ"を置き去りにするつもりであった。"ベルゼブブ"が明言している。仕事中、何時でも逃げて良いのだと。アラートが鳴り響けば、わずかな罪悪感すら感じずに逃げ出していただろう。

 

 しかし、なぜか成功した。各種感知センサーは沈黙を守ったままだった。口にするものはいなかった。だが、全員が。その任務への好奇心を、徐々に胸中に抱き始めていた。

 

 

「おい、おデブちゃん、生きてっか?シャッドフライ!起きろ!」

 

 

 トイレは酷い有様だった。巨漢は倒れ、反対側の壁まで吹き飛ばされていた。巨漢の様子を確認し、ジェルが生きている、と喜びつつ、"グリーンフライ"は彼の頬を叩く。朦朧としていたが、男はモヒカンを焦がしつつも、きちんと目を覚ました。拙い作戦は、無事に成功していたのだ。

 

 爆破地点の壁には、大穴が空いていた。壁の中から途中でちぎれたダストシュートの大きな配管が顔をのぞかせている。そのダストシュートは、上層まで繋がっていた。真上の、製薬会社のビル内へと。

 

 注意深く配管を観察していた"ギャッドフライ"は、心臓を一瞬止める羽目になった。ちょうど注目していた、彼の目の前で、ダストシュートからロープが垂れ下がったのだ。誰かが、ビルの中から彼らを手引きしている。内通者。恐らくは、助けを呼んでいた"バタフライ(Butterfly)"だろう。"ベルゼブブ"は用意周到だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "ブラックフライ"一同はダストシュートを登り詰め、外へと顔を出す。そこは、樋口製薬第十六学区支社の地下に設備された下水処理場だった。企業内で生じた産業排水は、直接下水に垂れ流すことが禁じられている。ましてや、そこは製薬会社だ。実験で生じたさまざまな種類の産業排水を、それぞれ適切な方法で処理し、下水に流せるものを分別して排水しなければならない。

 

 眼前一面に広がる規模の処理設備を目にして、"ギャッドフライ"は舌なめずりを我慢した。自前でこれだけの機材を用意できる会社だ。この任務のリターンが高くなる理由はこのためか、と内心でほくそ笑む。

 

「私だ!バタフライだっ!君達がブラックフライだな!?早く助けてくれ!」

 

 彼らを出迎えたのは、メガネをかけた中年の、冴えないビジネスマン風の男だった。

 

「まずは武器を渡せ。こちらは武装していない。獲物がなければ、そもそもアンタを守れないだろう?それと、例のモノを早く渡せ」

 

 金髪の言葉に、"バタフライ"は大いに狼狽えた。彼は物陰から大きなキャリーバッグを引きずると、乱雑に開いた。バッグの中には、黒光りする銃器がいっぱいに詰まっている。他の仲間たちは素早く、各々が銃を手にとった。"バタフライ"は鼻息も荒く、懐からいくつかの、小さなマイクロチップの入ったケースを取り出し、"ギャッドフライ"、"グリーンフライ"へと手渡した。

 

「私が持ってこれたのはそれだけだ。今、上階に上がるのは危険なんだよ。理事会どもの追っ手が迫っている。早くここから脱出させてくれ!」

 

 赤髪が何かを納得したように、声高に唸った。

 

「たぶん、"ベルゼブブ"の用意した奴らだ!そうか、ヤツは暗部の役職に就いてんだよ。仕事の合間に、自前で大金をかすめ取りたいって寸法なんじゃねえ?」

 

 カチャ、と"ギャッドフライ"が銃口を"バタフライ"へと向けた。

 

「駄目だ。これでは不十分だ。約束が違うだろう?バタフライ。お前はデータだけでなく、実物まで持ってくるべきだった。今から取りに行くぞ。研究室へ案内しろ。それとも、今ここで死にたいか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らが上階の研究施設まで行く道すがら、"バタフライ"は怯えたように何度も何度も、引き返そうと繰り返した。"グリーンフライ"が不安でいっぱいの表情の"バタフライ"に、何がそこまで危険なんだよ?とからかうように尋ねると、彼は恐怖を必死に押さえ込むように、進んで自らの置かれた状況を語りだした。

 

「うちの営業部が、学園都市外部の企業と秘密裏に取引をしていたのだ。私はセキュリティ部門、保安部の重役でね。彼らの行いに気づいていたが、直ぐに理事会の目に止まり粛清されるだろうと予想し、放置していた。

 

 だが、そうはならなかった。君達が知っているかどうかわからないが、数ヶ月前まで、統括理事会の監視の目は驚く程弱まっていたらしいのだ。うちの営業部はその隙をつき、外部に学園都市内部で御蔵入りするはずだった新薬のサンプルやデータを売りさばいて、目も眩むほどの大金を手にしたよ。営業部の奴らは社内で日に日に勢力を伸ばし、私もはした金を掴まされて、彼らの秘密を擁護せざるを得なくなった。

 

 ところがある日、"ベルゼブブ"とかいう不審な奴がいきなり連絡を取ってきた。理事会の非正規部隊が、営業部の連中だけでなく、私の命まで狙っているとね。……彼らのことは噂しか知らないが、それでも私は恐怖したよ。命あっての物種だ。

 

 "ベルゼブブ"は私に、決行の日、争いに紛れて逃げ出せるように手配してくれると言ってくれた。くれぐれも気をつけて欲しい。私は会社にも、暗部の非正規部隊にも、誰にも気取られずに、この場を離れなくてはならないのだよ」

 

 

 "ブラックフライ"の各員は交戦の可能性を感じ取り、俄かに小銃の装填をチェックした。

 

「おそらくだが、奴らは上層へと向かっている。そこに保安部が、守衛部隊が配備されているからな。研究室は中層だ。心配せずとも、敵が来る前に私がこのビルのセキュリティを無力化しておいた。うまく立ち回れば、バレずにひっそりとことを運べるだろう」

 

 

 

 

 

 "バタフライ"の目指す階層へと、あと少しのところだった。5人は廊下を警戒して進む中、不意に、会社に配備された守衛と遭遇してしまった。

 

「副島部長!?貴方、ここで何をしているんです?」

 

 突如、背後から声をかけられ、"ブラックフライ"のメンバー全員が物陰に飛び退った。反応できずに一人佇む、副島と呼ばれた"バタフライ"は両手を挙げ、狼狽した。

 

「や、やあ。彼らと必死に逃げてきたんだよ。銃を下ろしてくれないか?」

 

 

「誰なんです!?その連中は……まさか、アンタが奴らを手引きしたのか?!」

 

 そう叫ぶ守衛はフルフェイスのヘルメットをかぶり、表情は窺えなかった。それでも、その声色から憎しみに燃える心が透けて聞こえるようだった。

 

 カチカチ、と守衛のトリガーを引く音だけが、あたり一帯に響いた。

 

「ッ!ジャム(弾詰まり)ッ!?嘘だろッ!?」

 

 本来、学園都市製の銃器が弾詰まりを起こす確率は、宝くじで一等を取るよりももっと困難なものであった。"ファイアフライ"が能力を使用し、敵の弾を不発にさせたのだ。

 

「が、う、ぐぉ……ッ!……」

 

 音もなく"ギャッドフライ"の銃口から火が吹き出た。守衛は銃弾の雨にさらされ、くるくると回転しつつ、絶命した。

 

「その能力便利だな。暗殺向き過ぎて正直引くわ」

 

 "ファイアフライ"は楽しそうに揶揄した。

 

 

 

 5人は研究室へとたどり着いた。"バタフライ"の指示に従い手当たり次第に薬剤をかき集めていく。学園都市の最新技術で作られた新薬や、外部への輸出が差し押さえられるほどに、学園都市の機密を含んだ成分の結晶など。それぞれが、外の世界では金塊の山に化ける一品だった。

 

「うし。後は脱出するだけだぜ」

 

 少々重たくなったバッグを背負い、"グリーンフライ"が宣言した。

 

「約束のものは手に入っただろう?!さあ、早く私を連れ出してくれ!」

 

「そうだな」

 

 "シャッドフライ"は"グリーンフライ"と目を合わせた。両者が頷いた。

 

 先陣を切って進み出していた"バタフライ"の躰が、小刻みにがくがくと振動する。彼はすぐさま胸を押さえ、口から血の泡を吹き出した。薄暗い廊下が、連続する小さな発火の光に目まぐるしく照らし出されていた。

 

「…………え?ご、ふっ……」

 

 背後から無音の銃撃に晒され、パタリ、と"バタフライ"は息絶えた。

 

「どうせそういうこったろうと思ってたよ」

 

 口では軽々しい態度だったが、"ファイアフライ"は倒れた"バタフライ"へと黙祷した。"シャッドフライ"は俄かに亡骸へと近づくと、体に触れてその身なりを整え、開いていたまぶたを閉ざした。

 

「今のがアンタの"特別指令"だったんだろ?ギャッドフライよう?」

 

「ああ、そうだ。"ベルゼブブ"の命令だ。俺の"特別指令"はこれで終いだ。いい気分だ、なんせ、あとは来た道を辿って、8千万を貰うだけだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「麦野ー。こっちは終わったよ!」

 

 返り血に頬を染めたフレンダ=セイヴェルンが、盛大に扉を開き、守衛室へと飛び込んだ。機嫌の良さそうな鼻歌交じりのご登場だった。麦野沈利は端末を操作する合間に、疑るような視線を彼女へと注した。

 

「フレンダ。アンタまた爆発物使ったんじゃないでしょうねぇ?今回の依頼はターゲットの死亡をちゃあんと確認しなきゃならないんだから。きちんと顔の判別がし易いような方法で殺れてなかったらお仕置きしちゃうわよ?」

 

 勢いそのままに、くるくると腕を胸の前で回し、身体を回転させながら謎の錐揉みダンスを踊りだしていたフレンダだったが。麦野の言葉に、ポーズそのままにピタリと硬直した。

 

「むっはーっ!……そういうことはもうちょっと早く言って欲しかった訳よ……」

 

「はぁーっ。言ったわよ。仕事の前に忠告したじゃない」

 

 がしがしと後ろ髪をかく麦野の仕草から、フレンダは彼女の不機嫌さを感じ取っていた。

 

「む、麦野!ちょーっと忘れものしちゃったみたいだから……取りに行ってくるねっー」

 

「はいはい、いってらっしゃい」

 

 麦野は部屋から飛び出したフレンダの、置き土産と言わんばかりの叫び声にとうとうため息をついた。

 

「結局!皆殺しにしちゃえばそれで済む話な訳よーっ!」

 

 

 

 麦野は徐に守衛室の惨状を眺めた。標的たちは不意をつかれたなりに、健気にもバリケードを築いて保安部部署へと立てこもった。彼らは皆、つい先ほどまで抵抗を続けていたのだ。

 

 今ではその部屋は。穴だらけのチーズのように、部屋中、家具から壁面、窓ガラスに至るまで、何処も彼処もポッカリと無数の空洞がこさえられている。血痕があちこちに付着し、呻き声のひとつも存在していない。五体随所、欠損部位が目立つ死体の山の中で、麦野は冷え冷えとした笑みを浮かべていた。

 

「まったく。私も調子に乗ってたか。確認が面倒。無闇矢鱈と殺して回るのも問題だね。生きてるよかマシだと思ったんだけど」

 

 麦野がそう呟いた後の僅かな間に、彼女の同僚からの通信が入った。

 

『麦野。超面倒臭いことになりました。ここ(保安部)の部長、副島という超絶チキンなクソ野郎が、直前に自分だけ逃げ出してたみたいです。確か超そこそこ、優先順位の高い標的でしたよね?』

 

 

 

 たった1人生かされた血みどろの守衛が、痛みに体を暴れさせている。絹旗最愛が彼を踏みつけ、ギシギシと床面に押し付けていた。胴体からはみしみしと骨の軋む音が聞こえている。

 

「きぬはた。それじゃ、高いのか低いのかわからないかも……」

 

 守衛室のワンフロア下。デスクがわんさかと並んだフロアにも、ところどころに社員の遺体が転がっていた。あらぬ限りの力を振り絞り、拷問を受けている男が絹旗の足を振りほどこうと躍起になっている。滝壺理后はその様子をぽやぽやと眺めていた。

 

 

 

『麦野!麦野麦野麦野~!あと絹旗と滝壺ッ!ねぇねぇ噂の副島部長さんらしき人が、研究室で死んでるんだけど?』

 

 フレンダからの入電に、麦野は眉根を顰めた。

 

「……どういうこと?フレンダ。その言い方だと、アンタ殺ってないんでしょう?」

 

『うん。銃創からして、絹旗でもないっぽいけど?……あれ?』

 

『麦野』

 

「ふうん。おかしいわね…………ふふっ」

 

 麦野は僅かに逡巡を見せた。しかしすぐさま、笑みを浮かべ、"アイテム"メンバーへと通達した。

 

「もしかしたら、私たち意外にもこそこそと動いている奴らがいるかもしれないわ。だとしたら問題よ。アイテム(私たち)の動きが他所に漏れてるってことになる。情報部がヘマしたのかもね。ふふふ、情報が漏れたのは気に食わないけど、それでも。あの生意気な女に貸しを作れるってのは小気味いいわね」

 

『えぇ~?ギャラが出ないんなら、余計な仕事する必要ないじゃん~』

 

 麦野は端末をしまうと、死体の山を放置して、颯爽と歩き出す。

 

「ギャラならちゃんと出るわよ。あの女に後で連絡してみなさい」

 

『麦野。こちらは標的の確認が超終わってませんが』

 

 絹旗の連絡は上の空だった。研究室も、標的が立てこもっていた階も上層だった。"アイテム"の下部組織にも認識出来なかった場所。エリア外からの侵入。絹旗の報告。副島はひとりで逃げ出していた。

 

「そんなの後回しよ。どうせ全部死人。動きはしないわ。確認は後からできる。それより、絹旗。アンタは滝壺を連れて上層から虱つぶしに捜しなさい。フレンダ、アンタは私と一気に地下まで降りるわよ。勿論、犯人は生け捕りね。色々と聞きたいことがあるから」

 

 麦野沈利は、面白くなってきた、と言わんばかりに唇を舌で湿らせた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。