とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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episode16:悪魔憑き(キマイラ)

 

 

"人狼症候"が、先程ようやく命からがら逃走した場所へ、"螺旋破壊"との闘争の場へと、再び姿を現した。血走った瞳孔は縦長に大きく振り切れ、喉から小さく唸り声を上げながら、半狼半人は穿たれた隔壁の穴から静かに歩み寄る。

 

その空間の中央に、敵対者"ジャンク"の3名が陣取っていた。、"水銀武装"を人質に取った"先鋭硬化"、"共鳴破壊"、"螺旋破壊"が人狼を待ち構えている。

 

 

景朗のシルエットを目に捉えた丹生は、思わず身動ぎした。彼女の背後から、首に腕を回した鍛冶屋敷は拘束に力を込める。彼女は苦しそうに息を漏らし、ただちに抵抗を断念した。

 

 

「プッ、ク、ハハハ。まさか、まさか本当に来るとはな、ライカン。ハ、ハハハッ!いや、来て貰えて嬉しいんだぜ?けどよ……クハッ!ダメだ、我慢できねぇ!ヒャハハハハ!」

 

 

丹生を羽交い締めにしつつも、鍛冶屋敷は心底愉快そうに嘲笑を溢した。空間は薄暗くも、ライトグリーンの発炎筒に照らされ、最低限の視界は皆が確保できていた。煎重と鳴瀧はにじり寄る景朗を最大限に警戒し、神経を人狼へとひたすらに研ぎ澄ませていた。

 

「ッ!ぅ・・・ご…ふぇぁ……ッ!」

 

丹生が景朗へ、何かを伝えようと口を開いた。しかし、彼女の口から噴き出す声は血の濁りに汚され、意味を持つ言葉にならなかった。鳴瀧の攻撃に晒された彼女の肺が傷を負っていたからだ。銀膜が衝撃を吸収しており、致命傷ではなかったものの、正常な呼吸を妨げられ、丹生は地獄の苦しみを味わっている。

 

「そこで止まれ、ライカン」

 

煎重が、ある程度の距離を、彼らが対応できる距離を計らい、近づく景朗の歩みを静止めさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怪我を負った丹生の様子に、景朗は脳の血管がブチブチと断裂する思いだった。落ち着かねば。冷静になれなければ、彼女を失うぞ、と彼は持ち前の能力で、一息に頭に昇った血を冷却させる。彼を前にして、尚も鍛冶屋敷は楽しそうに語りかけ続けていた。

 

 

「なあ、何で来るんだ、人狼?どうしてノコノコ来たよ?何でだ?ハハハッ、オマエ等、ひょっとして愛し合ってんの?愛し合っちゃってんの?お、教えてくれよ?クッハハハハハ」

 

 

景朗には"ホーナー"など眼中に無かった。丹生と視線を合わせ、精一杯の意思疎通を測った。

 

「スキーム2、オ前ハ生キ残ルコトダケ考エロ。イイナ?」

 

景朗が放った言葉の後に、繋げるように"共鳴破壊"が要求した。

 

「そうよ、ライカン。コイツの命が惜しければ、アナタ、今すぐここで自決しなさい」

 

口にしつつ、彼女は腰のシースから大ぶりなナイフを取り出し、人狼の手前へと放り投げた。りぃぃん、と厳かに震えるナイフの振動音を、景朗の敏感な聴覚は捉えていた。

 

さく、とナイフは自由落下した衝撃のみで、コンクリート面にその刀身をうずめた。鳴瀧が、能力を用いてその刃を超高速で振動させていたのだ。超音波カッターと原理を等しく、そのナイフの切れ味は、元々有していたものを遥かに凌駕している。

 

 

 

 

 

 

駄目だ。その提案に素直に従っては。景朗は歯を噛み締めた。俺がまんまと死ねば、障害を排除した奴らは速やかに。丹生を、この施設を襲うだろう。

 

 

「ソイツニ手ヲ出シテミロッ……!任務ナンテ関係ネェ!クタバリ続ケルマデ、テメェ等全員地獄ノソコマデ、コノ街ジュウドコマデモ追イ詰メテ、必ズ殺ス!取引ダ!コノ施設ハクレテヤル!俺トソイツヲ逃ガセ!ソレトモ延々トコノ場デ、テメェ等相手ニ暴レテヤロウカッ?!」

 

返答は、丹生の太ももをめり裂き、裏側から突如突き破った黒い刃。そして丹生の悲痛な叫びだった。

 

「きゃぁぁッ!」

 

鍛冶屋敷は笑みを崩さず、ためらいなく丹生に手傷を加えた。

 

「勘違いするなよ、ライカン!命令するのはオレ達だけだ!いいんだぜ?コイツをとっとと殺して、またオメェと殺し合いを再開しても?」

 

 

必死に能力を使って、精神を宥めた。しかし、景朗の脳裏からは、丹生の胸を今にも突き破る、幻視の黒い刃が決して消え去ってくれなかった。

 

「丹生!ワカッタ!ワカッタッテ言ッテルダロ!今スグヤメロ!!」

 

ナイフを手にとった景朗は、しばし焦る。なにせ、死に方がわからない。俺はどうやったら死ぬんだ?

 

「イイカ、変身ヲ解ク。マズハソウシネェト話ニナラネェ。イイナ、警戒スルナヨ?」

 

景朗は声を殺して、変身を解く痛みを覚悟した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の姿に戻った景朗を見て。鍛冶屋敷の腕の中で、丹生は悔し涙を流していた。穂筒のように、ジャンク共は、鍛冶屋敷は取引を守るつもりなどない。それに景朗を殺さなければ。彼らの任務は終わらないのだ。それを丹生は知っていた。伝えたくとも、傷ついた喉は上手く発声してくれない。丹生は景朗に、口唇の形だけでも、と、無音のまま必死に語りかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オマエ、そんなツラしてたのか。デケエっちゃデケエが、まだガキだな。コイツァ大したマセガキだ。そんなにこの娘が大事か?あ?」

 

吠える鍛冶屋敷の隣で、煎重は僅かに驚きを感じていた。鍛冶屋敷の言う通り、まだ若い。ここでこの若者を殺しておかねば。彼が言い放ったとおり、人狼は任務や暗部の理を無視し、彼らへ、隣に侍る恋人、鳴瀧伴璃にまで手を掛けるかもしれぬ。煎重はこの機を逃すまい、と気を張り詰める。

 

「さあ、ライカン。どうした?早く自殺しろ。猶予はないぞ。ホーナーの言う通り、此方は戦闘を覚悟している」

 

煎重は静かに口を開く。鳴瀧は言葉すら発さず、全神経を人狼の動きに集中させている。

 

 

 

 

 

微かにわななく、震えるナイフを景朗は手にとった。最後に丹生と目が合った。丹生の目は、憎しみに染められている。どう、したんだ?丹生……。

 

 

彼女の唇が動いていた。なんだい?丹生。何を…………ッ!やめろ丹生!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太ももに空いた、流血を続けていた傷から。一瞬で、大量の血が吹き出た。それは驚くべき速さで脈動し、瞬時に音もなく、丹生の背後の3人の顔面を、襲った。

 

 

 

 

 

誰よりも早く、景朗は4人の元へと飛びかかった。景朗は全ての能力を開放した。景色が緩やかに、スローに映る。心臓は弾けて爆散するんじゃないかと、危惧するほどに早鐘を打つ。

 

 

手にしていたナイフを、"螺旋破壊"目掛けて投擲し、丹生へと手を伸ばす。

 

 

 

景朗に僅かに遅れ、"共鳴破壊"が反応した。彼女は顔面に飛来する血液を弾き飛ばした。だが。丹生の血液による不意打ちを防げたのは、彼女だけだった。

 

煎重は片目に血流を受けつつも、何とか景朗が放ったナイフをネジ切り破壊した。

 

鍛冶屋敷は両目に、丹生の血液の刃を受けた。そして彼は。視力を失いつつも、苦し紛れに。全身の"さがり"を刃に変えた。だから。

 

 

 

 

 

 

 

頭の中が、真っ白になる。目の前で、丹生の胸の、真ん中から。刃が突き出ている。鍛冶屋敷が苦し紛れに放った刃が他にも、彼女の体からいくつか飛び出ていて。

 

 

 

 

「おああああああああああああああああッ!あああああああああああああああ!!!」

 

 

叫び声を上げながら、景朗は右手の爪を、全身全霊で伸ばした。伸びた爪の、五本全てを、鳴瀧へと景朗は突き向けた。強度の低かった、小指と薬指の爪が粉々になったが。景朗は残った3本の爪を、鳴瀧の腹部、肝臓(リバー)の部位へと突き刺した。皮肉なことに。丹生が刺されていても、頭の隅の何処か、冷静さを失っていなかった景朗は、鳴瀧こそが、もっとも危険な相手だと認識できていたのだ。

 

「がぁッ、あ、ぐうッ!」

 

「ぐをおおおおお!クソがあああああ」

 

鳴瀧と鍛冶屋敷は呻いている。飛び跳ねた当初から"人狼化"を再開していた景朗は、丹生に飛びつく頃にはとっくに"人狼化"を終えていた。景朗は丹生の体を左手で抱き寄せ、鳴瀧から爪を引き抜き、距離を取らんと飛び跳ねた。

 

 

 

「グッ」

 

足を曲げられた。着地を煎重に邪魔され、景朗は丹生を巧みに体で包み込み、大地に転がり落ちた。

 

丹生の様子を確かめる。意識がない。心臓の勢いも弱まっていく。何も考えられない。

 

 

景朗は天井から飛来する瓦礫の山に気づいた。煎重の追撃。景朗は丹生の身の上に屈んで、瓦礫から彼女を守った。

 

 

 

瓦礫に押しつぶされながらも、景朗は動揺する。どうしよう!心臓が止まってしまう。早く病院に連れて行かないと。治療を受けさせないと。アイツ等を速やかに殺して!殺して!殺して……。そんな、奴等は強い。一分や二分じゃ無理だ……。いや、やるしかない……んだ……。

 

 

どうして、どうしてこんな目にあわなきゃならないんだ。丹生の心臓が止まった。気が狂いそうだ。いっそ狂ってしまえたら楽だろうな。

 

 

ジャンクの奴らは。すぐ側で。俺の息の根を止めようといきり勃っている。

 

 

 

 

 

全身に、能力を暴走させる、あの薬を、あの成分を充満させる。増幅された能力は、また新たに増幅成分を体中に生み出していく。そうして、能力がブーストされる。そして、また成分を創り出して。無限に続く、エネルギーのループ。景朗は、その行為に恐怖していた。そう都合の良いこと

ばかりではない。自分の体が暴走して崩壊、瓦解しそうになるのだ。

 

 

けどさ。もうそうなってもいいや、と景朗は諦めた。発狂してやろう、と彼は冷静さを棄てた。そうして。それまで、決して手を加えることを拒絶していた、自身の脳細胞を。めちゃくちゃに創り変えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瓦礫の山が爆発した。煎重と鳴瀧の瞳に反射したのは、人狼の姿ではなかった。

 

 

 

獅子の頭部。衝撃を守るために、硬質の鬣に守られている。

虎の四肢。鋭い爪からは、毒液が滴っていた。

蠍の尻尾。鋭利な棘が隙間なく生えたその尻尾の先には、身震いするほど巨大な針が鎌首を擡げている。

鰐の鱗。胴体にはまばらに、爬虫類の鱗のようなものが備わっている。

巨大な体。全長、数メートル。十尺ほどの体躯を誇る。

 

 

 

 

 

 

「化け、もの、か」

 

驚愕に、煎重は声を震えるわせる。

 

 

「見えねえ!畜生が!見えねえんだよ!何が起きている!煎重!!鳴瀧!!」

 

恐れに全身の針を逆立たせた鍛冶屋敷が、苛立ち紛れに顔を振り回す。

 

 

「なんで、どうして、どうしてよッ!あと少しで!この任務で自由になれるはずだったのに!」

 

「取り乱すな、伴璃!諦めるな!生きて帰るぞ!」

 

煎重は素早く鳴瀧の側へ寄り、彼女の身を抱え込んだ。

 

 

 

 

 

 

化け物が動きだす。煎重は鳴瀧とともにその場を離れた。化け物は鍛冶屋敷へと飛びかかり、巨大な顎門でくわえ込んだ。

 

 

「ぐああああッ!あああああッ!」

 

スーツ全身を懸命に硬化させていた鍛冶屋敷は、化け物の牙の間に挟まった。

 

「鍛冶屋敷!能力を維持しろ!援護する!」

 

「クッソが!頼むぜ煎重ぇぇ!」

 

鍛冶屋敷は勇敢にも吠えたが。化け物は突如、喉奥から得体の知れぬ液体を吐き出した。それを浴びた鍛冶屋敷は、苦しみにのたうち回る。

 

 

「がああああッがあああああ、熱ぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいい………」

 

彼のスーツ、皮膚、肉体が一瞬でドロドロと溶解していく。溶解液は難なく彼の骨まで溶かす。直ぐに叫び声は途切れ。鍛冶屋敷は息絶えた。

 

 

 

 

 

無造作に鍛冶屋敷だったものを吐き出した化け物は、すぐさま煎重と鳴瀧へ疾駆する。

 

 

「うおおおおお!」

 

煎重は全力で能力を振り絞り、化け物の四足をへし曲げた。その傷は一瞬で再生した。躓いた化け物が不思議そうに己の前足を見つめると。

 

 

化け物は新たに、動体から一対の足を生み出した。六足の異形となった化け物は、すぐさま走り出す。

 

「おおおおおお!」

 

冷や汗で体を濡らしつつ、煎重は再び能力を振り絞った。彼の限界に届いていたが、強靭な怪物の六本足をなんとか全て捻じ曲げる。

 

 

床へ身を滑らせた化け物は、煩わしそうに一声咆哮を上げた。空間中が、ビリビリと衝撃で震えている。鳴瀧の能力で防がなければ、彼らの鼓膜は破壊されていただろう。

 

 

唐突に。化け者が、背中から羽を生やした。蝙蝠の羽。漆黒に、艶やかに、その羽は黒光りしている。

 

 

化け物は飛翔し、煎重と鳴瀧へ口から溶解液を放った。鳴瀧の全霊を賭けた防御で、その液体は弾け飛び、寸前で彼女らの身を守った。飛び撥ねた1滴が鳴瀧のブーツに付着し、じゅわじゅわと焦げ臭い匂いが沸き立つ。

 

 

 

さらに一声、化け物は吠えた。間を開けずして。化け物の体色が目まぐるしく変化した。カメレオンのように保護色をまとった化け物は、途端に"ジャンク"2名の視界から消失する。

 

 

 

 

「左上!2時の方向よ!」

 

鳴瀧が悲鳴を打ち上げる。我武者羅に、その方向へ能力を使用した煎重は、確かな手応えを得る。

 

 

床に衝撃が走った。その位置から、片羽を折り曲げられた化け物が姿を現した。その羽も一瞬で元通りになる。

 

化物は、足をさらに1対追加した。合計八本足となった化け物相手に。煎重は為す術を失った。怒涛の勢いで迫り来る化け物を、彼は最早どうすることもできなかった。

 

 

 

 

「煉瓦ぁぁぁぁ!」

 

まっすぐに、化け物は近づいて来た。煎重の目の前で鳴瀧を咥えた化け物は、ひと噛みでぐしゃりと彼女を噛み潰し、大量の血痕があたり一面に飛び散った。

 

 

「おおおおおおおおおおおおおお!」

 

わずかな抵抗もできず、煎重は頭部を化け物に喰い千切られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怯えて死ね。恐怖に震えて死ね。苦しんで死ね。

 

奴等を殺すのは楽しかった。景朗の意識は何一つ変わらず、悪魔のように姿を変えて尚、はっきりと形を保っていた。今なら、意のままだ。体を自分の想像通りに創造できる。なんだってできる。

 

視界の端に、横たわる丹生の体を捉えて。冷静さを取り返す。景朗は姿を人間のものへ難なく変化させ、丹生の側に寄り添った。

 

 

 

馬鹿野郎!俺は何を遊んでいた!どうしちまったというんだ!遊んでいる暇なんてなかった。丹生を早く病院へ……。そう、か。心臓、止まって……。

 

 

後悔が、体の隅々まで、冷たい汐のように澄み渡っていく。あんなマネできるなら。最初からやれただろう。奴等を苦しめて殺す暇があったなら、その間に丹生を運べばよかっただろうが!

 

 

 

丹生の血溜りを見て。その出血の量を前にして、絶望が押し寄せる。心臓が止まってまだそんなに時間は経ってない。

 

 

 

景朗は両腕の爪を鋭く伸ばした。気が狂れたように突然叫び出し。爪を、自身の心臓へと付き入れた。

 

 

「ギィィィィィィ!!」

 

極限まで。脳みそを粉砕させんとばかりに、全身に能力を漲らせて。彼は再生能力に特化した、未知の細胞を心臓に創り出した。生み出した、そのドロドロに溶けた心臓を、丁寧に、丹生の胸に空いた傷へと流し込み。続け、左の手首を噛み切り、どくどくと流れ出る血流をその上に垂らし続けた。

 

 

 

ビクン、と丹生の肢体が痙攣した。心拍が再動する。俄かに、景朗の表情に喜びが生じたが。すぐに、泣きそうな顔になった。

 

丹生の四肢が、止めどなく痙攣し、暴れ、跳ね続けて。丹生は、彼女は苦しみにのたうちまわっていた。ばたばたと、手足が振動している。

 

「あ…が!……か、は。く……ぐぅ!」

 

「ああ糞!駄目か!?駄目なのかッ。丹生、丹生!どうしよう、どうすれば!畜生!どうすれば!丹生!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お困りのようだね、景朗クン』

 

「…………あ?」

 

 

突然、壊れていたと思っていたスピーカーから放たれた、聞き覚えのありすぎるその声に。景朗はあまりにも、間の抜けた返事を漏らしてしまう。

 

 

「幻…生……せん、せ……え……?」

 

『"水銀武装"の蘇生を手伝おうじゃないか?どうやら一刻を争う様だからね』

 

 

バタバタと、ヘリコプターの音が近づいてくる。穴だらけになった天井から迫る風が、俺の肌を冷たく吹き付けた。

 

 

『キミと私の仲じゃあないか、景朗クン。気にすることはない。いやはや、またしても興味深いものを見せて貰ったよ。……どうしたのかね?景朗クン。その容態では、それほど猶予はないようだが?』

 

 

 

俺は気づいた。全てが、幻生の手のひらの上だったのだと。しかし。痙攣する丹生の手を握り締める俺は。沸き上がる憎しみを、一心に抑え続けるほかなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やや遅れて知った。暗部組織、"スキーム"と"ジャンク"が衝突した、この日。第三次世界大戦が勃発する、その前年の冬。学園都市に、新たな超能力者(レベル5)が、暗闇の殺戮の中、その産声をあげていたのだと。ほかならぬ。雨月景朗。俺自身のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

景朗はガラス越しに、ベッドですやすやと眠りにつく丹生多気美を眺めていた。彼女の容態は安定している。丹生は一命を取り留めた。幻生の手によって。景朗は、数年ぶりに。鎚原病院へと足を踏み入れていた。

 

 

「結果的に判明したことだがね」

 

側に立つ幻生が、景朗へと語り出した。

 

「"水銀武装"は、キミの細胞で内蔵の損傷を食い止め、再生して命を取り戻したよ。だが。キミの細胞は、"体晶"によって励起された状態でなければ、正常に活動を行えないようでね。彼女の体は、血中の"体晶"が欠乏すると問題を引き起こすものとなってしまっているよ」

 

「その、"体晶"って何のことです?」

 

景朗が疑問を返すと。景朗には理解できぬことに、幻生は嬉しそうに笑みを浮かべて、彼へと答えを返しだしたのだった。

 

「キミが体内で創り出したという、能力を増幅させる成分のことだよ。正しくは、増幅ではなく暴走と呼ぶべきものだがね」

 

どうしてそこで嬉しそうにするのか。相も変わらず、わけのわからん爺さんだな、と景朗は幻生から目を背けた。

 

「で?それでつまり、丹生にどんな問題が生じると?貴方は先程そうおっしゃっていたでしょう?」

 

愛想悪く、続きを促す景朗に、幻生は笑を崩さない。

 

「本来、"体晶"は正常な人体には悪影響を及ぼすんだよ。今、"水銀武装"の肉体には、二種類の細胞が共生している。彼女自身の細胞と、キミの細胞だ。投与された"体晶"は、キミの細胞には何ら影響を与えない。問題は、彼女自身の細胞だ。ゆっくりと蓄積されていく"体晶"が、やがては彼女の体を破壊するだろうね。だが、副産物として。キミの細胞により、彼女は"体晶"への抵抗力を獲得した。服用すれば常に、彼女の能力は強化されるだろう。もしや、能力強度(レベル)が上昇するやもしれんよ」

 

 

「幻生先生。貴方になんとかできますか?」

 

景朗は矢継ぎ早に幻生に問いかける。視線の先を、丹生の寝顔へと向けたままに。

 

「努力しよう。他ならぬキミの頼みだからね。だが――」

 

景朗は幻生の答えを遮った。

 

「その先は言わなくていいです。今日から俺は、貴方の犬だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待望の瞬間が訪れる。丹生が目を覚ました。景朗は片時も彼女のそばを離れず。側で様子を見ていた。1人、考え事に耽りながら。

 

 

「あれ?景朗……ここは?」

 

「心配するな、丹生。任務は終わった。俺たちの勝ちだ。お前さんの怪我も心配ないぜ」

 

 

「んぅ。そっか」

 

丹生多気美は意外にも活力に溢れ、元気そうな様子であった。

 

「体動かして大丈夫か?」

 

「うん。なんでかよくわからないけど。最後の方、体中怪我してたと思うんだけど、今、ピンピンしてる。元気いっぱい。なんともないみたい」

 

そりゃ、俺の細胞が元気に活動してるからな。景朗は心の中でだけ、その言葉を呟いた。

 

「ホントに元気そうだな。よし。それじゃ、丹生、良いニュースと悪いニュース、ああ、あとどうでもいいニュースがもうひとつある。どれから聞きたい?」

 

「ええと、じゃあ良いニュース!」

 

丹生らしい。間髪入れずそう答えた丹生に、景朗は嬉しくなった。思わずニヤケてしまう。

 

「ああ、いや、ごめん。良いニュースから伝えたら、お前さんが上の空になっちまいそうだからさ。悪いニュースから話します」

 

「はいはい、じゃあ早く」

 

丹生は上体を起こしてベッドに腰掛けた。

 

「悪いニュースはな。お前さんの体に残った、後遺症のことなんだ。そのせいで、暗部から完全に足を洗えるのが、先延ばしになるかもしれなくてな……」

 

丹生には、その体に起こったことを正直に伝えた。ただし、幻生が丹生の体の治療法を研究してくれる理由を業とボカしたけれど。俺は同時に幻生を信用するなと何度も丹生に警告した。

 

「わかった……じゃあ、良いニュースは?」

 

気落ちした丹生の声。彼女の身に生じた懸念を伝えると、やはり、丹生は暗い顔付きになった。能力強度(レベル)が上がるかも、と言われても、そうなるのは当然だろう。

 

「良いニュースは……。さっきさ、悪いニュースで、完全に暗部から足を洗えるのが遠のいた、って言ったけど。それでもな。丹生。とりあえずだ。お前さん、暗部の殺し合いからは、完全に開放されるみたいだぞ。もう夜な夜な殺し合わなくていいんだ、丹生。お前は自由だ。実質、暗部から抜け出たようなものだぞ?これは。後はお前さんは、後遺症を治すために暗部と関係のあるこの病院に世話にならなきゃならんだけだ。それだけだ」

 

 

「それ、ホント?本当……に?ホントにホントッ?!」

 

丹生の問答に、俺はひたすら頷き返した。

 

「ホントにホントだって。もう戦わなくていいんだ。とりあえずは、普通の女子中学生。もうすぐ普通の女子高校生になれるんだよ、お前さんは」

 

「どうして?ねえ、どうしてなの?そんなに急に!?」

 

「プラチナバーグさ!奴が防衛しようとしてた施設を守りきったろ?今回の任務で。その報奨で、丹生、お前さんは借金を返済できたんだ!」

 

大嘘だった。真実は、違った。超能力者(レベル5)となった俺には、学園都市中から色々な依頼や研究の誘いが飛び込んでくる。莫大な奨学金と、研究費用。俺は一夜にして。大金を手にすることができていた。思いもよらなかったが。

 

そこから、引っ張った。丹生の借金と、それに加えて"安全"を。でも、丹生には俺のことは気にかけて欲しくない。そのことを気にして欲しくない。お前は自由になるべきなんだ、丹生。お前の両親を死なせた罪滅ぼしだ。

 

「そ、そっかぁ。よかった……ぁグズ。よかっだぁ、アハハ」

 

丹生はぐずり泣いた。俺は悔しそうに呟く。本当は俺だって嬉しかったんだけどな。

 

「おいおい、俺は暗部に残留なんだぜ」

 

「あ。ごめん……」

 

しゅんとしてしまった丹生を、軽い冗談さ、と取り成した。

 

「いや、意地悪なこと言っちまった。こっちこそごめん。喜んで当然さ。でも、あんまり油断するなよ。自由になった後も警戒だけはしてた方がいい。ま、そんなに怯えなくていいよ。心配すんな。現役の暗部の人間の、この俺が、ちまちまお前さんのセキュリティに気を配っといてやるよ。元暗部の丹生多気美さん」

 

そう口にして、俺は席をたった。

 

「え?ちょっと!?もう行っちゃうの?どこ行くの?!」

 

「お前さん、病み上がりなんだぞ?これ以上はやめとくよ。早く体を休めなきゃ駄目だよ」

 

丹生を騙した罪悪感が、心地悪かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、ひと月が経過した。十二月。今日は、クリスマスイブだ。降誕祭の日だった。

 

寒空高く、日が昇っている。外気の冷えとは無縁の室内で。食料倉庫だと火澄に笑われた自室で、雨月景朗は調理に勤しんでいた。グツグツと鍋を煮込み、彼の得意料理、ボルシチの製作に余念がない。『久しぶりに景兄のボルシチが食べたい』と花華にせがまれ、それがちょっとだけ嬉しかった景朗は鋭意、ボルシチ作りに励んでいた。うむ。無事に完成した。

 

 

タイミング良く。いやどのみち彼にとってはタイミング悪く、手元に置いていたケータイが鳴り響く。手にとったそれを確認して、景朗は長い長い溜息をついた。

 

幻生からの呼び出し。婉曲な表現が満載の文面。恐らく、ほぼ確実に面倒くさい、暗部の依頼だ。景朗にしかできないようなこと。それは大抵、厄介な代物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れ時。しんしんと粉雪が降り注ぐ。聖マリア園の礼拝堂に、仄暗火澄の姿があった。降誕祭のミサが、まもなく始まってしまう。妹分の花華が、悲しそうに俯いている。仄暗火澄は未だに姿を見せぬ、花籠花華(はなかごはなはな)の兄貴分、雨月景朗への苛立ちを募らせた。

 

「降誕祭なのに景兄はどこ行っちゃったのかな……。今年は、来ないのかなぁー……」

 

クリスマス。一年で一番、"家族"の側に寄り添いたい日だった。花華の溢したつぶやき。それを聞いた、隣に座る調川真泥(つきのかわみどろ)もどこか不満げであった。

 

「大丈夫、花華。あのバカ、今から連れてくるから」

 

外套を着込み、火澄は静かに歩き出した。

 

 

 

 

 

手纏深咲は、聖マリア園へと急ぎ歩いていた。もしかしたら。今年で、彼女の友人である仄暗火澄と雨月景朗とは早々に顔を合わせることができなくなってしまうのだ。クリスマスは、一緒に。彼女ら4人で。新たな関係を築きつつある、丹生多気美を加えた4人と。聖マリア園で共に夜を過ごそうと、約束を交わしていたからだ。

 

「あれ?火澄ちゃん?」

 

ちょうど駅から出たところで。彼女は親友たる仄暗火澄と遭遇した。目と目がピタリと合わさり、彼女たちは俄かに合流した。手纏深咲は、打とうとしていたメールを破棄した。もしかして、火澄はずっとここで自分を待っていたのか?と勘違いをする。

 

「深咲。ちょうど良かった。はぁ、行き違いになるところだった。今、景朗を迎えに行くところだったんだ。アイツ、まだ来てないのよ。通話にもメールにも反応無し。今日(降誕祭)ばっかりは、アイツを引っ張ってでも連れてかなきゃ」

 

手纏深咲には、聖マリア園への道がわからない。GPSを使えばそれも大した問題ではなかったのだが。

 

「ご、ご一緒します。火澄ちゃん」

 

「ごめんね。来たばっかりなのに。本当にいいの?」

 

「はい。一緒に行きましょう」

 

 

 

 

 

 

粉雪舞う中、丹生多気美は景朗の自宅へと向かっていた。彼と彼女の住処は目と鼻の先であったため、一緒に行こうと約束していたのだ。

 

しかし、何時まで経っても景朗からの連絡がやってこない。日も暮れ始め、訝しんだ丹生は痺れを切らし、景朗の家へと出発した。

 

 

丹生はその短い道中でばったりと、仄暗火澄と手纏深咲に遭遇した。

 

「あ、もしかして……」

 

丹生の上げた声に、火澄がニコやかに挨拶を返した。

 

「こんばんわ、丹生さん。アイツを迎えに来たところ。もしかして丹生さんの方にも連絡無かったの?」

 

隣を歩く手纏深咲もぺこりと一礼する。丹生も彼女たちへお辞儀を返した。

 

「そうだったんだ。こっちもまったく音沙汰無し」

 

 

 

3人は景朗の済むアパートに到着した。呼び鈴を鳴らしても、無反応だった。何とはなしに、丹生がドアノブに手をかけ、回すと。

 

「あ、開いちゃった」

 

3人娘は顔を見合わせ、ドアを開き、玄関から室内を覗く。ボルシチのグツグツと煮込まれる音と、美味しいと確信をもたらす、良い香りが彼女たちへと到達した。

 

「もしかして、材料を買い足しにコンビニに行ってるんじゃ……寒いから、中で待ってない?」

 

火澄の漏らした言葉に、全員が賛同した。食材のたっぷり詰まったダンボールをかき分け、3人はリビングに腰を下ろした。

 

「アイツ、やっぱり火にかけたままだし。直ぐに戻ってくるでしょ」

 

火澄はグツグツと煮立った鍋を目にして、そう結論づけた。匂いに釣られたのか、手纏が火澄の後ろから顔をのぞかせ、鍋へと視線を向けた。丹生はカウンターに座り、そこに並べられていたコーヒー豆のラベルを読んでいる。

 

「何というお料理かわかりますか?火澄ちゃん?」

 

手纏の質問に、火澄は考えるまもなく答えた。

 

「ボルシチね。花華が景朗に頼んでたって言ってたから。アイツ、スープ料理しかできないし。あ、でも、景朗のボルシチだけは神がかった美味しさだから期待していいかも。アイツが唯一、対等に私と渡り合えるレシピかもね。……何が入ってるのかわかんないのが玉に瑕だけど」

 

火澄は最後のセリフをぼそりと言い放った。

 

「確かに、お鍋ばっかりです……」

 

手纏の台詞に、丹生もうんうん、と頷いていた。

 

「景朗のヤツ、スープ料理、というか鍋料理以外、作れないし、作る気も無いのよ。大勢の人間につくろうと思ったらそれが手っ取り早いし。アイツ、昔っから料理当番の時は、豚汁とか、カレーとか、シチューとか。どんなに頼んでも、しれっとスープ料理ばっかり作ってたから。そのクセ、私には"オムライス"がいい、とか簡単に抜かして……」

 

火澄は勢いよくそこまで喋り、後悔した。いつの間にやら、手纏と丹生が興味津々の目で彼女を捉えていたからだ。これは長くなりそうだ、と仄暗火澄は覚悟した。

 

 

寒さに震えた景朗が家に戻ったのは、それから3時間が経過してからだった。可哀想なことに、景朗はまたひとつ、彼女達の信頼を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、鍵かけ忘れた。あああ、畜生……まあ、いいや。泥棒入ってたら、匂いで追跡してやろう」

 

鍵のかけ忘れどころか。コンロの火すら消し忘れた超能力者(レベル5)。名実ともに学園都市最強の肉体変化能力者(メタモルフォーゼ)となった、雨月景朗。彼は第五学区、鎚原病院へと到着していた。

 

ちゃちゃっと仕事を終わらせて帰ろう。あまり血なまぐさい依頼でなければいいな。最悪断ろうか。景朗は覚悟して、幻生の居城へと踏み出した。

 

 

 

 

 

 

地下に位置する、幻生の書斎。"プロデュース"の日々を、思い出す。

 

「ほら、受け取り給え。いつものだよ」

 

俺は幻生から、無言のままに丹生へと渡す薬を受け取った。俺の血液から抽出された、"体晶"入りのカプセル。彼女にはやはりその事は……いや、まあ、正直言いにくいし、黙ってたっていいじゃないか。それくらい。

 

 

「この間の、キミのパフォーマンスには笑わせてもらったよ。良い余興だった。『二重螺旋の支配者、最強の肉体変化能力、超能力(レベル5)、"先祖返り(ダイナソー)"』だったかな。だがね、景朗クン、ひとつ失敗していたよ。キミが変身したT-レックスの尻尾は、大地に接地していなかった。地面と平行に伸ばさなければならなかったよ?」

 

 

幻生のからかいを、景朗は無言でスルーした。幻生が話していたのは、景朗が少し前に、暗部に片足を突っ込んでいる数社の企業相手に行なった説明会(プレゼンテーション)のことだった。最強の肉体変化能力の看板を引っさげ、景朗は恐竜に変化し、超能力者(レベル5)の"先祖返り"を名乗っていた。大嘘だったが。

 

 

他にも、景朗は自身の正体を隠して、色々な暗部の研究所や企業に顔を出している。より深い、暗部の中枢に位置するような輩には、不老不死の肉体を手に入れた、超能力者(レベル5)、"不老不死(フェニックス)"の名を差し出している。最近出回っている噂によると。"不老不死(フェニックス)"の生き血を飲めば、能力強度(レベル)がアップするらしい。どうしてそこで、不老不死とか、永遠の若さとか、不死身の肉体を得る、という下りにならないんだ。学園都市らしいといえばらしいか。

 

 

だが、何にせよ。彼らから巻き上げた資金で、聖マリア園は立て直せた。その義理ぶんくらいは、協力してやるつもりだ。万々歳な状況なんだよ、ホント、この幻生の事以外はね。

 

 

本当のところは。俺の能力は、そのどちらの説明でも間違っている。俺は正真正銘、不老不死の肉体を手に入れた。そしてその肉体を、自身の思い描く通りに、自由に変化させられるのだ。それこそ、空想上の悪魔のように。

 

 

「実に愚かな連中だった。笑いが止まらなかったよ。キミの能力の本質を理解できていない」

 

幻生の言葉に、景朗はふん、と鼻を鳴らして尋ね返した。

 

「それなら、先生は俺の能力を何と名付けるんですか?」

 

彼の問いに、幻生はやはり、ニヤついた笑みを貼り付けて解答した。

 

「そうだね……進化能力(エボリューション)……ふむ。限界突破(ブレイクスルー)、いや、限界突破(リミットブレイク)、これも違うか。……おお、そうだ」

 

幻生は狂気に染まった目で、俺を覗いた。

 

「限界突破(レベルアッパー)はどうかね?景朗クン?」

 

 

 

「……はぁー……」

 

 

自分から聞いておいて何ですけど。そんな話に興味はない。景朗は大きくため息をついた。話が横道にそれてしまった。

 

「すみません、幻生先生。話の腰を折ってしまって。で?今日は一体どのようなご要件で、俺を呼び出されたんですか?」

 

腕を組み、明後日の方向を向いて話を続ける景朗に、幻生は彼にしては珍しく、笑みの消えた疲れた面持ちで話を始めた。

 

「最近、薬味クンからの催促が五月蝿くてね。かなわんよ。"不老不死(フェニックス)"の細胞を渡せ、もしくはこちらへ研究素材として貸出せ、とな。彼女もあれで統括理事会の一員だ。いずれ、キミには彼女のところへ出向して貰わねばならないだろう……やれやれ」

 

幻生の話に、景朗は表情を凍てつかせ、意味深に、彼へと返した。

 

「その薬味とかいう理事会のメンバーさんに、会いに(殺しに)行けばいいんですね?」

 

「いやいや、彼女とは昔からの仲だ。早まる必要はない」

 

幻生は景朗の答えに満足せず。続けて話し出す。

 

 

「本日、直通の、緊急の依頼が有ってね。どこからだったと思うかね?実は、珍しいことに。この学園都市を束ねる理事長。アレイスター・クロウリーから、直々に連絡があったのだよ。今日、これから、キミの顔が見たい、とね」

 

幻生は景朗へと歩み寄った。声色は相変わらずだった。だが、しかし。形相を醜悪に歪め、景朗へと初めて。憎しみに彩られた、その顔を近づけた。俺の手に、まるまったメモ用紙を押し付けて。

 

「彼は、少々、困った人物でね。私からキミを取り上げようと、昔からいくつか嫌がらせを受けてきたのだよ。今日、これからキミは彼と対面する……またとない好機だ。彼は滅多に、人前に姿を現すことはない。……私が、キミに何を期待するか、わかるね?景朗クン」

 

「相手は理事長。本当にいいんですね?幻生先生」

 

俺の確認に、幻生はまいったと言わんばかりの、弱りきった表情を。演技した。

 

「あくまで、キミが理事長の無礼に気を悪くした結果。その結果の話だよ」

 

幻生は俺から視線を外し、机に座った。もう話すことはない。

 

「わかりました。行ってきます。幻生先生」

 

「行ってらっしゃい。景朗クン」

 

メモ用紙を見る。第七学区、窓のないビル。とだけ、書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第七学区。窓のないビル。窓どころか、扉すらない。会えって言ったって、これ、どうすればいいんだよ。

 

景朗が、何故だか人気のやたら少ない、そのビルの周りで屯っていた、その時だった。

 

 

 

「貴方が新人さんね」

 

霧ケ丘女学院の制服に身を包んだ、茶髪の、ツインテール。えらく美人な女子高生が、俺へと接近してきた。

 

「お姉さん、先輩だったのか。嗅いだことのある匂いだ……この街は狭いな。こんな身近に、影も形もないと噂の、理事長さんのお知り合いがいたなんて」

 

 

お姉さんは、冷たい相貌をピクリとも変えずに、俺に返した。

 

「やってられないわね。超能力者(レベル5)ってのは、どうしてこう変態ばっかりなのかしら」

 

あ、いや。そういう意味で言ったんじゃないけど。でも、お姉さんがそういう変態的な意味で捉えなさるのでしたら、文句言えませんよね。すみません。俺は黙って、彼女の言うがまま、その指示を聞くことにした。

 

 

彼女は空間移動系能力者(テレポーター)だったようだ。それもとんでもなく高位の。人は見掛けによらないなぁ。もちろん、俺にも言えるだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは、窓のないビルの内部なのだろうか?本当に?今いち信じられないな。だって、目の前には。テレポート早々に、アロハシャツに、グラサン引っさげた金髪チンピラ野郎が、俺へと握手の手を伸ばしていた。

 

「お前が"悪魔憑き(キマイラ)"か。これからよろしくな。オレは土御門だ」

 

 

あれ?おっぱいが割と大きい、さっきまでいたお姉さんはどこいった?あのお姉さんのほうがいい。お前はいらない。さっきのお姉さんを出せ。

 

目の前のチンピラを見やる。アロハシャツ、グラサン、金髪。俺も暗部にいて結構立つ。だからわかる。

 

コイツは危ない奴だ。間違いない。危険人物だって匂いがぷんぷんしてる。

 

 

 

関わらないほうがいい。俺は目の前の金髪を無視して進んだ。

 

「お前の目的地はまっすぐそのままだ。"悪魔憑き(キマイラ)"」

 

俺の態度に。ひょうひょうと肩をすくめた、土御門と名乗った男は、最後そう言って、俺とは真逆に歩いて行った。

 

まあいいか。お姉さんをまき添いにしちゃ可哀想だったしな。これからひと暴れすることだし。

景朗はぺろりと舌で、口元を舐めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巨大な、人がすっぽりとまるごと入る、液体に満たされた水槽に。その中に、逆さに浮かぶ人間。その人間は、男にも、女にも、子供にも、老人にも見えた。ピリピリと背筋に怖気が走る。流石は、この街の理事長、か。

 

 

 

『会いたかったよ。"悪魔憑き(キマイラ)"』

 

 

 

チューブの中からではない。どこからか聞こえてくる、その声に。景朗は能力を全開に励起させた。

 

「その"悪魔憑き(キマイラ)"って、俺のことでしょうか?理事長さん」

 

 

『"不老不死(Phenex)"とも呼ばれているようだが。悪魔の躰を持ちて尚、悪魔に染まれぬ、悪魔に憑かれし少年よ。人が手ずから生み出した、その異形を"悪魔憑き(キマイラ)"と呼ばずして、何と呼ぶ?』

 

 

「へえ、そいつは確かに、俺に丁度いいかもしれませんね」

 

俺は言い放つと同時に、彼が言う悪魔へと、躰を爆発させた。恐怖を押さえ込み、アレイスターへと飛びかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血に塗れたその部屋に。しかして、辺り一面に撒き散らされたその血痕は全て、あの"悪魔憑き(キマイラ)"の少年が残していったものだった。

 

「上手く"悪魔憑き(キマイラ)"に首輪をつけたじゃあないか。アレイスター」

 

土御門は笑みを浮かべて、水槽に浮かぶ男へと口を開いた。

 

「アンタが直々に"面接"を行うなんてな。そんなにアイツは有望だったのか?他の"プラン"の奴等とだって、直接対面してないってのに」

 

土御門の言葉に、アレイスターは目を静かに瞑ったままだった。しかし、その声だけは、どこからともなく響いてくる。

 

『"プラン"に適さぬからこそだ』

 

『スペアのスペアにすら成り得るかわからぬ、不確定な存在だ。だが。あれの能力は、"第2位"や"第7位"よりは、最もらしく理解しやすい。故に、馬鹿な学園都市の統括理事会どもは、こぞって奴の不死性に目を向けている。眼暗ましにはうってつけの存在だ。少なくとも、凡百の能力者よりは使い道がある』

 

 

 

 

 

 

奇しくも。その日から時を等しく。学園都市の暗部に住まうものどもに、あるひとつの噂が轟くようになる。理事長の背信者は、"三頭猟犬(ケルベロス)(アレイスターの番犬)"に喰われて消えていく、という噂を。

 

俺はアレイスターの番犬となった。命乞いをした。奴の、未知の力に敗れた後で。それからは。もう。考えたくない。

 

 

とりあえず、俺の"暗闘"の日々は終わった。これからは、どっちかっていうと、"暗躍"かな?そう呼んだ方が正しい気がする。

 

 

 

 




第二章、とある暗部の暗闘日誌がようやく終わりました。
次から、第三章、とある悪魔の暗躍日誌が始まります。ネーミングセンス皆無ですねorz。もしよろしければ、ご覧になってください。

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