とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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暗闘日誌のクライマックスなので、なるべく間を開けず更新したいです。一応、三章も考えていますので、もし心配してくれる方がいらっしゃいましたら、どうか心配なさらずにいてください。
直ぐに設定集に新キャラを追記します。そのほうが本編読んでて面白くならないかな、と思わないでもないので。邪道ですねorz

2014/01/19二度目の内容追加。明日、もしくはあさってにも、次の話を投稿します!よろしくおなしゃす!


episode15:共鳴破壊(オーバーレゾナンス)

 

 

 

頼みの綱だった窒息ガス攻撃は、眼前であっけなく失敗に終わってしまった。雨月景朗は内心の動揺を表に出さぬように、懸命に取り繕った。彼はとりわけて、自身の命運を賭けるほどに件の毒ガス攻撃に意気込んでいた訳ではない。だが、ああも簡単に足らわれては、多少なりとも気分が滅入るのは無理からぬことだった。

 

それに加えて。事前の毒ガストラップを有効に活用するため、全ての出入り口に隔壁が降下されたその空間は。今では逆に半狼半人の怪獣を閉じ込める、巨大な檻として機能している有様だった。不幸なことに、檻の中には4人の狩人、敵対者"ジャンク"まで混入している始末である。

 

それでも景朗は、余裕の笑みを浮かべる目の前の襲撃者たちから目を逸らさず、しっかりと見つめ返した。そうして。持ち前の能力を活用し、ゆっくりと消沈しつつある精神を昂揚させていく。決して理性を損なわぬように、加減を加えながら。景朗は今までの経験則から、戦闘に適した精神バランスをほぼ完璧に掌握しつつあった。

 

 

得てして。失態を露したばかりだというのに、景朗は迅速に冷静さを取り戻した。どれほど畜生の装いであろうとも、何時いかなる時に窮地に陥ろうとも、決して狼狽せず、永遠に冷静さを失わずに済む。その能力は疑い無く、彼の強みのひとつに数えられるはずだ。

 

 

 

 

落ち着いた景朗は、改めて周囲の様子を確認した。防衛施設随一の広さを誇るこの予備電源管理室の、その照明はまるごと破壊され、辺り一帯暗闇に包まれている。夜目の利く"人狼化"した景朗には勿論全く問題はない。ただ、肝心の敵対者たちも皆全員暗視装置のついたヘッドギアを装備している。暗闇は何のアドバンテージにもなりそうになかった。彼らは容易く、暗室を徘徊する"人狼"のシルエットを捉えるだろう。

 

 

設置場所から未だに噴出し続ける窒息ガスは、悠々と"ボマー"の右手先へと集っていく。白色に染色されていたために、そのガスの行方は肉眼で確認できた。

 

数の上で圧倒的に優勢なはずの"ジャンク"チームは、毒ガスの処理が未完であるためか、直ぐには景朗へと攻勢に出てこない。襲撃者たちに会話が無いのは大事をとって呼吸を止めているからであろう。ガスの設置を行なった景朗にだけは予測できた。ガスの噴出が終わるまで、あと残り数秒足らずだと。

 

 

丹生たちが無事に逃げ果せるまで、どれくらい時間を稼げばいいだろうか。そこまで思考した景朗は、瞬時にその考えを棄てた。そして直ぐに、弱気になるまいと能力を使用し、一層己の精神を鼓舞させ、決死の覚悟を決めた。1対4だろうと関係ない。この場で"ジャンク"叩けば。そうすれば、丹生たちの安全は確保されたも同然ではないか、と。

 

 

闇の中、景朗は視界をチラつく無数の白色ガスの帯に意識を合わせた。その視線の先を、集結点である"ボマー"の右手へと向ける。彼は疑問に思った。室内のガスを全て集めて、その後一体そいつをどう処理するのだろうかと?

 

 

 

景朗は全身に力を漲らせ、一息に跳躍した。狙いは"ボマー"。彼は確信を抱く。今、この時こそが、逆転の契機である。景朗はまだ毒ガスの攻撃を諦めてはいない。"ボマー"が収集した毒ガスを処理する前に妨害すれば。そのあとはどうなるだろうか。"ボマー"が集中を切らしてガスを分散させてしまえば、"ジャンク"4名は慌てずにはいられまい。

 

 

「集中しろよ、ボマー!」

 

"ホーナー"は景朗の予想通りに顔を硬直させ、"ボマー"に注意を促した。並行して、床を踏みしめ"ボマー"目掛けて駆け出す景朗の正面へと滑り込んでくる。

 

 

「舐めないでくれよ。このくらい朝飯前だっての」

 

涼しい声音で応対した"ボマー"だが、しかし"ホーナー"の陰に隠れるように後退していった。それにより、景朗は再び"ホーナー"と対面する形となる。景朗は、今度は鋭く伸ばしていた爪をするすると短くしまった。代わりに右拳を握り込み、"ホーナー"へと全力でパンチを振りかぶる。

 

卓越した動体視力の賜物で、景朗には"ホーナー"が遅れて左拳を繰り出してくるのをしっかりと捉えることができていた。だがここで、景朗の悪癖が露呈した。タフな肉体を持つが故に、彼にはすっかりと、要所要所で短慮な攻撃に出る癖がついてしまっていた。

 

今だ負け知らずの己の腕力と、どんな攻撃をも受け止められるタフネス。そして相手の動きを見てから対応できる動体視力。身体的スペックに奢る景朗は、"ホーナー"の一見して普通のパンチに見えたそれを過小評価した。彼は"ホーナー"の背後に陣取る残りの3人の攻撃も気にかけねばならず、何より"ボマー"への攻撃に最も多くの集中力を割いていた。

 

 

「ゴアッ?!」

 

次の瞬間、景朗は意図せず呻きを上げることになった。景朗の顔面に、"ホーナー"の左拳が突き刺さっていたからだ。正しく鉄拳だった。"ホーナー"の左拳は鋼のように、いや、景朗には鋼など比べ物にならぬほど、強剛に感じられたかもしれなかった。初めて体感する、ずしりと体の芯へと届く衝撃に、景朗はたたらを踏みそうになるも。そこは"人狼"としての意地だったのか、景朗は能力を全開にしてこらえ切った。

 

 

"ホーナー"が成したのは、クロスカウンターと呼ばれる"技術"だった。景朗はその存在を知らなかったが、彼の悪癖が出ていなければ恐らく対処は可能だったろう。

 

見えていたのに、油断した、と景朗はあまりの歯がゆさに頭が沸騰しそうなる。されど今度は、景朗の強みが彼を救う番となった。一瞬で落ち着きを取り戻した景朗は、すぐさま追撃せしめんと両手を振り下ろし反撃に出たのだ。しかしながらまたしても。彼と"ホーナー"との僅かな隙間に、爆発にも似た強風が発生した。

 

 

景朗の体が浮かび、数メートル後方へと流れていく。けれども流石に二度目の爆風である。景朗は無様には転がらず、体勢を崩さず着地できた。一方の"ホーナー"だが、彼には都合の良いことに、風圧の影響はほとんど無かったようである。元いた場所に左拳を掲げ直立していた。"ホーナー"は喜びに口を開く。

 

「くぁぁ。左手が痺れるぜぇ。まるで熊みてえだな、オマエ。でもよ。……最高に気分がいい。なあ"ライカン"、驚いたか?オマエが相手でよかった。オマエ相手なら、俺の"軍隊格闘(マーシャルアーツ)"も活きるってなもんだ。くぅー!あんな上手くキマったのは久しぶりだ」

 

 

 

 

 

この期に及んで、まだそんな軽口を叩けるとは。奴の、"ホーナー"の物言いは、俺をこの上なく苛立たせた。調子に乗るなよッ。お前、よくはわからないが、兎に角。インパクトの瞬間に、何か"能力"を使っていただろうがッ。奴と俺とでは、どう考えても質量に抗えぬ差があったハズなのだ。……最近測った時は200㌔超過してたし……。まっとうな人間の筋力では、さっきのパンチも奴の方が俺の重圧に吹っ飛んでいないと可笑しかった。衝突の瞬間"ホーナー"の体は、再び不自然なほどに硬質し、鉄の塊のように重心がブレなかった。

 

何とか怒りを抑えた景朗は、瞳孔の開ききった眼差しを"ホーナー"へと差し向けた。良いだろう、"ホーナー"。直ぐに、さっきのがマグレだったと証明してやる!

 

「なんだかなあ、勿体ねえぜ、"ライカン"。オメェ、そんなナリしてんのに。マトモな格闘術のイロハすら知らねぇみてえだな。ハッハッ、オレが冥土の土産に教えてやるよ……と、言いたいところだが。あちゃぁ。その目つき、存外に冷静なのなッ!もういいッ!オマエ等頼むッ!フォローしてくれッ!」

 

先程よりも慎重に、より強かに、景朗は四肢にタメを造る。様子に気づいた"ホーナー"は、静観していた背後の"ジャンク"メンバーへと慌てて援護の呼び声を上げていたが。俺はそうはさせまいと、咄嗟にバネの弾けるように奴へと飛び掛かかる。

 

 

舌打ちした。視界の隅で女が動きを見せていた。覚悟しろ!攻撃がくる!

 

 

数歩で間合いを詰められる距離だった。拳を思い切り握り締めたのと同時に、パァン、と突然、"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"が思い切り量の手のひらを張り合わせた。

 

その直後、俺の肺はいきなり爆発を起こした。そう思った。肺に急に痛みが襲い、息ができなくなったものだから俺にはそういう風に感じられたのだ。けどな。そのぐらいで俺が止まるかよ。

 

 

 

あと一歩。笑みの消えた"ホーナー"の表情を見つめながら、俺が腕を振りぬこうとした刹那。またしても邪魔が入った。

 

敵の次の手は深刻だった。踏み出した足の関節が、あちこち前触れなく、ぐちゃぐちゃにねじり曲がった。景朗はバランスを崩しそうになる。犯人は"螺旋破壊(スクリューバイト)"……!

 

 

 

俺を舐めるなよ。関節が出鱈目になった足に、強引に力を入れて踏み締める。ブチブチと繊維が断裂するが、気にせずに力を入れた。だが。悔しいことに、関節のねじれは、足一本では済まなかった。ねじれが、右足、右腕、左腕の関節まで一気に広がって。さすがの俺にもどうすることはできず。

 

 

無様に揉んどりうって、"ホーナー"の目の前に転び倒れた。

 

 

「あーあ。やっぱお2人さんが加勢すりゃこうなるわな」

 

"ホーナー"はつまらなそうに呟いた。彼に合わせるように、"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"も淡々と言葉を漏らす。

 

「でも、わりと勇敢なワンちゃんだった。苦しまないように殺してあげて?」

 

「はいよ」

 

応答した"ホーナー"は、彼の"能力"を使用した。唐突に、彼のスーツ右腕部に音も無く、黒い刃が出現する。よくみればそれは。側面に付属していた、数多の"さがり"が硬質化し、刀身を形作ったものであった。"ホーナー"の能力は物質の硬度を操作する類のものだったのか、と景朗は悔しげに歯を噛み締めていた。傷ついた肺から出血があったのか、ごぽり、と彼の口から血が溢れた。

 

 

景朗は力を振り絞り、側に立つ"ホーナー"の首元へと噛み付こうともがいたが。

 

「だからキミは寝てなって」

 

跳ね上がった彼の顎門を、"ボマー"の爆風が地に押し戻した。

 

 

 

 

横たわる景朗の瞳には、"ライカン"の首を刎ねようと身をかがめる"ホーナー"の姿が映っている。じたばたと藻掻くも、依然として、景朗の四肢の関節はあらぬ方向を向いたままであった。

 

見た目以上に、景朗は窮していた。裂傷、打撲、火傷。それらに対する彼の肉体の再生力は言うまでも無く折り紙付だったが。景朗はこの瞬間に知った。どうやら馬鹿みたいに修復が速かったのは、細胞単位でのスケールでの話だったようだ。"螺旋破壊(スクリューバイト)"が放った攻撃は、それほど体組織の破壊が大きくはなく。初めて受ける種類の攻撃に、景朗は思うように体の回復をできずにいた。

 

 

 

糞ッ。クソッ。くそがッ。体が思うように動かせない。"ホーナー"の刃が迫っている。何か手を……。幸いにも、胴体の筋肉は無事だ。背筋や腹筋だけで、行けるか?いや、やるしかない!

 

"ホーナー"が景朗に手を掛けた、その瞬間。彼は思いっきり飛び上がり、今一度"ホーナー"の首筋目掛けて牙を光らせる。

 

「ハハ!」

 

景朗の歯が、ガチリと空を切った。彼の噛み付きに、"ホーナー"は嘲笑を上げつつ見事に対応していた。飛び跳ねた"ライカン"を上手くうつ伏せ、そのまま背中からのし掛かり、マウントポジションを取った。

 

質量、筋力ともに隔絶した差があるというのに、暴れる人狼を"ホーナー"は巧妙に抑え続けた。景朗には理解不能だった。四肢が思うように動かぬとは言え、"ライカン"が何故、このような普通の体格の人間に遅れをとってしまうのかと。路上で組み合うその"技術(レスリング)"、彼には知る由もなかった。一般的な学園都市内部で生活する人間は、軽視しがちであったのだ。人類の編み出した、格闘技術全般を。しかして、やはり。暗部の世界はそうではなかった。"ホーナー"は"能力"だけに頼らず、生存のために貪欲に、戦う"技術"を身に着けた者であったのだ。

 

"ホーナー"は素早く右腕の刃を人狼の首に当て、力任せに切りつける。首を刈り取るように。鮮血が勢いよく吹き出る。

 

「硬てえ!おい、ライカン。オマエの骨、結構硬てえな!こりゃ無理かもしれねえ」

 

ぴゅうぴゅうと散る血の飛沫を顔面に掠らせつつ、彼はその行為に興じていた。抵抗して暴れ続ける人狼を煩わしく思ったのか、俄かに声を荒立てた"ホーナー"は、さりとて嘲笑を貼り付けたまま。追い撃つように、能力を展開した。

 

「切りにくいだろうが。大人しくしよう……ぜッ!」

 

彼が言い放つと同時に。彼の戦闘衣にじゃらついていた無数の"さがり"が全て、一斉に、鋭利なアイスピックの如く硬化した。そして。"ホーナー"は景朗の背に密着していた。それ故に。景朗の全身に、その無数の針が突き刺さった。

 

「ガァァッ!?」

 

体中あちこちに異物が挿入された悪寒を感じて、景朗の喉奥からは小さな悲鳴が漏れた。その違和感が生じた途端に、同時に彼の動きも止まっている。鋼針と化した"ホーナー"のスーツは景朗の全身を貫通し、それは床面にまで到達していた。地面に磔にされていたのだ。

 

 

それでも。景朗は諦めずに逃れようと試み、暴れ続けた。

 

「GWOOOH!!!」

 

「やれやれ、このワンちゃん相当タフだわ。確かに肺をズタズタにしたはずなのに、こんなに叫び声を上げるなんて。鍛冶屋敷(かじやしき)、そのまま動きを止めておいて」

 

「おいおい、オレを巻き込むなよ?鳴瀧。コイツ半端ねえ力だ。完全に抑えんのは無理だからな」

 

"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"こと、鳴瀧伴璃(なるたきともり)の頼みに、"ホーナー"こと鍛冶屋敷鏈(かじやしきれん)は困ったように言い返した。しかし、彼女の命令に逆らう気は無いようで、依然と人狼の拘束には力を入れている。

 

 

すぐさま景朗の体に異変が生じ始めた。鳴瀧の言葉の後に耳鳴りが生じ、尚且つ、彼の視界が激しく波打ちだしたのだ。膨大な衝撃が彼の頭部を襲う。間もなく振動は振り切れ、結果、彼の眼球は弾け飛んだ。鼓膜にも傷がついている。景朗は視力と聴覚を失っていた。

 

「ガ?!ウヴヴウウゥゥッ」

 

「アハハハハハハッ!眼球破裂。鼓膜裂傷。ゆるして?ワンちゃん」

 

驚きからか、景朗から再び呻きが漏れる。鳴瀧と呼ばれた少女の冷笑も、もはや彼の耳には届いていなかった。暗く染まった視界に焦り、景朗は聴覚と視覚の回復を最優先に臨んでいく。

 

 

 

 

 

何も見えない。音も、相当に聞こえにくくなっている。視覚の修復に急ぎ意識を向ける景朗は、無意識のうちに身じろぎするのをやめていた。だからだろう。ふと、ピタリと肩に置かれた謎の手の感触に、ぞっと怖気を催した。

 

最後の1人、"螺旋破壊(スクリューバイト)"がいつの間にか近づき、彼の真横にしゃがみ、その片腕を人狼の肩へと伸ばしていたのだ。

 

「これで詰みだ。"ライカン"」

 

青年がそう囁くと、みしり、と景朗の体の芯に、得体の知れぬ感覚が這いずり回った。その瞬間。

 

「――ァ――ッ?!」

 

彼は瞬時に、軽いパニックに陥った。何故なら有り得ないことに。景朗の体から、全ての触覚が消え去っていたからだ。

 

背後から組み伏せる"ホーナー"の重圧も。体中を刺す歪な針の違和感も。煩わしかった、床に流れ溢れる彼自身の血の水たまりの湿り気も。突然肩に置かれた感触すらも。景朗は最早、何も感じ取れなくなっていた。

 

手を動かそうとしても。足を動かそうとしても。動いているのかすら分からない。景朗を串し刺す針を伝わり、密着していた鍛冶屋敷の声の、その微かな震えだけ、景朗に伝わった。

 

「うへぇあ、えげつねえ。やっぱアンタにだけは逆らえねえな、バイター。想像したくもねえ。脊椎と内蔵をぐちゃぐちゃに掻き乱される"痛み"なんてよ」

 

 

 

景朗にはそれを感知することができなかったが。鍛冶屋敷は能力を解除して、ピクリとも動かなくなった人狼からずぬりと針を抜き取った。緩やかに立ち上がった彼の体は、人狼の血に塗れ一面を赤黒く染めていた。元通り柔らかくなった全身の"さがり"を伝い、まるで樹雨のようにポタポタと紅い水滴が滴っている。

 

元来、水気に弱い革製品などによく使用される"さがり"とは、雨などによって付着した水分を素早く流し落とすために備えられた、ネイティブアメリカンの知恵の結晶である。奇しくも。鋼針として用いられた"さがり"は、今では本来求められた性能を如何なく発揮していた。もともと撥水性の素材が使われていたのか、あっという間に、血に濡れた鍛冶屋敷のスーツは乾いていく。

 

 

 

 

 

 

 

「これからどうするの?煉瓦」

 

鳴瀧伴璃は"ジャンク"率いる"螺旋破壊(スクリューバイト)"こと、煎重煉瓦(いりえれんが)に行動方針を促した。彼女が煎重へ発した声のトーンには親しみが篭っており、それは鍛冶屋敷や"ボマー"へと向けるものとは若干異なっていた。

 

「伴璃。ホーナーの言う通り、まだ決着はついてないんだ。気を抜くな。まあ、障害だった"ライカン"は排除できたか。油断は禁物だが、残りの"スキーム"の連中には、此奴ほど苦労はしないだろう」

 

"螺旋破壊(スクリューバイト)"、煎重もいくぶんか穏やかな声色で鳴瀧へ視線を返した。その後、彼は徐に腕を、閉ざされた隔壁のひとつへと手向けた。その腕の先では、金属の塊が物々しく折れ曲がるような壊音とともに、鋼壁の歪曲が始まっていた。最後に一層、豪快に鳴り響かせ、遂に頑丈な扉の中央に、まるで見えない巨人に力任せに捲られたかのような、巨大な穴が穿たれた。

 

 

「さて、それじゃ手早く、逃げた奴等を排除しに行くとしよう」

 

煎重の新たな指令に、鍛冶屋敷は両手を広げながら一度、肩をすくめた。次に、ヘッドセットに手を伸ばし、"ジャンク"指令部へと報告を入れる。

 

「HQ。"ライカン"を始末したぜ。ああ、問題ない」

 

 

 

「よっと」

 

室内の毒ガスを全部指先に収集した"ボマー"は、その白色の球状となったガスを、彼らが突入時に開けた天井の大穴を通して遥か上空へと打ち上げた。

 

 

「さあ、行くぞ」

 

煎重が穴の空いた隔壁へと一歩踏み出したその時。

 

「待って」

 

怪訝そうな顔付きの鳴瀧がメンバー全員の足を止めさせた。

 

「信じられない。"ライカン"の心臓の鼓動が復活した」

 

 

 

 

「マジかよ?……あれだけやったってのに。クソ、有り得ねえぜ。どんだけタフなんだよ」

 

血だまりの中央で俄かに体中を痙攣させ始めた人狼の姿に、鍛冶屋敷は表情を凍らせて戦慄した。

 

横たわる"ライカン"は、じゃり、と伸ばした片手で床を引っ掻いた。途端に、鈍い爆音が生じ、小刻みに震えていた人狼の体は地面に押し付けられた。埃が放射状に吹き飛んでいく。

 

「やっぱり、情報部が警告してくるだけあったみたいだ。まったく、大能力者(レベル4)はどこでも厄介だね」

 

能力を使用した"ボマー"はうんざりとした形相を造り、"ライカン"に目を向けている。

 

 

「あれでくたばらないとはな。……チィ。どうやら此奴の面倒は、俺が見とかなきゃならんようだ。伴璃、ホーナーとボマーを連れて、残りの奴等を排除して来てくれ。俺は此処に残ろう」

 

苛立たしげに漏らした煎重のその命令に、鳴瀧はすぐさま反論した。

 

「ダメよ、煉瓦。1人じゃ危険。鍛冶屋敷と残って。逃げたヤツらは私と筥墳で十分に事足りる」

 

煎重は筥墳と呼ばれた男、"ボマー"へと顎を差しつつ彼女に続けた。

 

「いいや、それならお前が"尖鋭硬化(ハードホーン)"を連れて行け。こちらは"空気爆弾(コールドボム)"で良い」

 

大能力者2人の応酬に、ぴゅうう、と"尖鋭硬化(ハードホーン)"、鍛冶屋敷は口笛を吹いた。彼のその行動はメンバー全員に無視されたが。

 

煎重と鳴瀧はお互いに譲らぬといった雰囲気を醸し出していた。やや間を空け、"ボマー"、"空気爆弾(コールドボム)"こと筥墳颯(はこつかはやて)は不満そうに口を開いた。

 

「で、結局、ボクはどっちに付いていけばいいんですかね?」

 

「そう拗ねるな、"空気爆弾(コールドボム)"。"ライカン"の突撃(チャージ)は速かった。お前の能力の方が、奴と上手く距離を取って戦えるだろう?」

 

 

煎重の台詞を耳にした鳴瀧は、きり、と口元を堅く結んだ。続けざまに、くるりと振り向き、破壊された隔壁の穴へと進みだした。

 

「行くわよ、ホーナー。迅速に済ませましょう」

 

「了解だ、レゾネーター」

 

鍛冶屋敷は軽く相槌を返し、彼もまた鳴滝の後へと続いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に再生したのは、聴覚だった。血溜りで藻掻く景朗の耳に、人間2人の、床を駆けていく足音が届く。景朗の意識自体は極めてハッキリとしていたのだ。直ぐに、丹生たちに危険が迫っている、という考えが頭に浮かぶ。予定外だった。"ジャンク"が相手だろうと、もう少し粘れると思っていた。でも、まだまだ全然足りない。クソ。もっと、もっと、丹生たちが逃げきれる時間を稼がなければ。

 

「マ、デ……マダ、ダ。マダ俺ハ、生デ、イル、ゾ……。アイ、テ、ヲシロ、ヨ……」

 

景朗は段々と、体のコントロールを取り戻しつつあった。まだまだ拙かったが、ガリガリと床に爪を立て、体を引きずる。関節を捻る攻撃、その再生に、だいぶコツを掴んできていた。一度受けた攻撃には、直ぐに対応できる。次からは、もうちょっと早く対応できる自信を景朗は持ちつつあった。だが。

 

 

「さて、ライカン。脊髄を三つ編みにされた状態で、どう足掻いてくれるんだ?」

 

"螺旋破壊"の声が聞こえたのと同時に、景朗の四肢が再びあらぬ方向へ曲げられていく。関節に響く、みしみしという筋肉や腱の捻れ蠢くノイズを聞いても。それでも。景朗は諦めずに、懸命に体を再生させ、抗った。

 

またぞろ、爆風が景朗の体を吹き飛ばした。コイツ等、賢いじゃねえか。近づいてきたら、死ぬまで噛み付いてやろうってのに。でも。コイツ等の能力じゃ、そうそう俺にトドメを刺せないみたいだな。チャンスはある。

 

景朗は血に塗れ、無様に倒れふしていても。頭の中で、必死に勝利への道を模索し続ける。僅かずつだが、敵から受ける捻切り攻撃の回復速度が早くなってきている。

 

もう少し。あともう少し。一気に再生できれば。短時間で再生できれば。攻撃に転ずることができるのに。奴らに飛びかかってやれるのに!

 

 

何度も体を折られ、何度も吹き飛ばされ、地に激しく打ち付けられて。

 

 

 

その内に。景朗の脳裏に、とある、突拍子もない考えが閃く。

 

 

穂筒の薬。俺は、あれに対する耐性を獲得できている。それは。もしかしたら。

 

 

 

 

そうだ。あの薬。体内で中和できるというのなら。逆のことも、できるんじゃないのか?俺の能力で、造り出せないか?俺の体内で、あの薬を、あの成分を、精製する!やるしかない!

 

 

景朗の体が、沸騰する。血が湧き踊り、かつて無い熱量が出現する。その行為は、彼のうちに眠っていた力。その力を閉ざす金庫を、開く鍵となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『隔壁ヲ降ロセ!』

 

耳朶を震わせた景朗の叫びに、丹生多気美は弾んだ息を整えぬままバックアップへと指示を飛ばした。

 

「南西棟、電源管理室にガスのトラップを!早く!」

 

『しかし、スキーム1が――』

 

「構わないから早くっ!」

 

怒声を張り上げ、丹生はスタッフの返信に続行の命を上乗せた。

 

『了解しました、ガスの噴出を開始します!……ッ!スキーム1の信号が消滅しました!』

 

疾走する丹生は、その連絡を受けて耐え切れずに顔を後ろへ翻した。遠間に映る、閉ざされた隔壁に悔しそうに歯を軋らせる。躊躇は僅かな間だった。前を向き、より一層と力強く駆け出した。

 

「なるほど、雨月の指示はそういう事か!それで奴等がくたばってくれれば良いが……ッ!やはり来てしまったか、ジャンクどもめッ。急ぎ態勢を整えなければ……ッ!」

 

そう吐き捨てた亀封川は、走りながらも身につけていた装備を器用に取り外し、迷いなくその場に投げ放った。彼が捨てた、地に落ちたハーネスから手榴弾が外れ、渇いた音を立てて転がった。

 

「忌々しい!"共鳴破壊"が相手では容易に爆発物は使えん!先程は奴に感づかれず行幸だった。スキーム1が時間を稼いでいる間に用意していたレーザー兵器を取りに行かねば!」

 

亀封川は、早期から報告にあった"共鳴破壊"の能力を警戒していた。もし、彼女に身につけていた爆発物を感知されていたら。その場で彼女の能力は造作もなく、爆弾に刺激を加え、爆破させていただろう。さりとて、武器を失い焦燥を隠せぬ亀封川であった。その様相に、彼らを追走する穂筒は不安そうに問いかけた。

 

「オイ!アイツ1人でアイツ等に勝てんのかよッ?!」

 

「景朗なら大丈夫に決まってる!黙っててよ!」

 

穂筒の言葉を、丹生は直ちに切って捨てる。しかし、そう言い返す彼女自身の面差にもありありと、景朗の身を危惧する恐れが滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

一心不乱に通路を走り抜けた3人は、怒涛の勢いで階段を降りていく。段差を一度に数段ずつ飛び降りながら、亀封川はヘッドセットに手を這わせた。

 

「管理室の様子はどうなっている?」

 

『スキーム1からの連絡は依然として有りません。室内の状況は判断できません!』

 

彼らは目指していた階段の踊り場に到着した。丹生は慌ただしく、その踊り場の壁面に備え付けられたチェストを力任せに開く。その中には武器に弾薬、予備の装備や医療キットがたっぷりと封入されていた。

 

「ガス攻撃の合否だけでいい。噴出が終わり次第、対化兵装の人員を送って偵察させろ!確認だけで構わない!」

 

『既に派遣しています。追って続報を』

 

尚も通信を続ける亀封川へと、丹生はチェストから取り出した、黒光りする無骨なライフルを手渡した。続けざまに次々と、穂筒にも一丁その銃を渡し、次いで暗視ゴーグルも押し付けた。

 

「穂筒さん。このレーザー銃の有効射程は15mも無いし、目や首とか、急所になるところを狙って撃たないと一発では相手を無力化できないから気をつけて」

 

「ちょ、待っ、わぁったって!」

 

暗視ゴーグルの装着に難儀している穂筒を尻目に、丹生は手早くゴーグルを装備し、手馴れた様子で素早くライフルを点検、安全装置を解除する。景朗がどこからともなく引っ張ってきたその学園都市製のレーザー兵器を眺めて、彼が別れ際に発した台詞を思い返した。

 

景朗は逃げろと言っていた。この困難な任務を命ぜられた当初から、彼は彼女に何度も説得を繰り返していた。丹生はきちんと覚えている。絶望的な強さを持つ敵が襲ってきたら、景朗が囮を買って出る、そうしたら構わず逃げてくれ、と。だが、この世界では。敵前逃亡者には須らく、考えたくもないペナルティが待ち受けている。

 

だが、そんなことは景朗だって重々承知のはずだろう。それでも彼は逃げろと言ったのだ。丹生は黙し、考えを張り巡らせた。

 

考えに耽っていた丹生の意識を、穂筒の大声が今一度戦場へと蘇らせた。

 

「なァ!ニウちゃん聞けよ?!それ、閃光手榴弾(フラッシュバン)だろ?何個かくれッて。オレの能力なら、そいつの効果をスゲェ高められんだよ!」

 

はッとした丹生は考える前に、その言葉通りに穂筒へと閃光手榴弾を手渡した。通信を終えた亀封川が、早々に準備を終えた丹生と視線を合わせた。

 

「スキーム2、こいつを敵に効果的に使うには、どこかで不意を付かなければならない。この先に確かテーザー(高圧電流)のトラップを仕掛けていたな?そこに――」

 

亀封川の話を塞ぐように、先程の光景よろしく、階段を照らしていた照明が一斉にぱきゃりと破裂した。

 

「畜生め。雨月は失敗したようだな。照明が破壊されたということは、奴等が目と鼻の先まで迫っているということだ。時間が無い。この先のトラップ手前で待ち伏せしよう。走れ!」

 

 

 

 

 

 

それほど時間は経たずに。真っ暗な廊下の奥に、"ジャンク"の2人組、鳴瀧と鍛冶屋敷が丹生たちの前に姿を表した。丹生達は彼らが前もって通路に設置していた、高圧電流の流れるワイヤーが飛び出すトラップの、その少し奥に身を隠していた。ドアやロッカーの陰で、息を殺して敵の不意をつこうと虎視眈々と機会を待っていた。奴等がトラップに気を取られた、その時に。レーザーをお見舞いする気であった。

 

 

トラップが発動する地点、ほんのわずか手前で。丹生たちの身を隠す場所から十メートル近く離れたところで、"ジャンク"の2人組は足を止めた。

 

「ふふ、可愛い。3人とも、心臓の音がばくばくしてる。心の声が聴こえてくるみたい」

 

鳴瀧はそう呟くと、パチリと指を鳴らした。その刹那。待ち伏せしていた丹生ら3人の持つライフルが、猛然と振動し、怪音を生み出し始めた。鍛冶屋敷は目の前のトラップ上を気にも留めずに駆け出した。しかし、トラップは発動しなかった。予めその存在に気づいていた鳴滝が、トラップの発動ギミックを破壊したのだ。

 

 

 

「ちッ!バレていたか!撤退するぞ!」

 

「クソッ!クソッ!クソッタレ!」

 

亀封川の合図に応えて、穂筒はライフルを放り出し、閃光手榴弾を見舞った。通常、炸裂した閃光手榴弾は轟音と発光で相手の聴覚と視覚を麻痺させるのだが。穂筒が放ったそれは、期待した爆音を響かせることはなかった。鳴瀧が振動を操り、音を無効化させたのだろう。しかし、さすがの彼女にも、光はどうすることもできなかったらしい。

 

刹那の間でその通路に満ち満ちた烈光は、穂筒の能力の加護を得て、その明るさを決して減衰することなく、その空間を眩しく照らしだしていた。

 

目が眩んだ鍛冶屋敷は機敏に体を伏せて、そのままロッカーの陰へと滑り込んだ。亀封川は予備のサブマシンガンを手に取り、目を閉じて通路にポツリと立ち尽くす鳴瀧を狙い猛然と銃撃を開始する。遅れて穂筒も、サブマシンガンを斉射した。

 

背後の2人が応戦している間に光に満ちたその通路を駆けぬけ、隔壁を潜ろうと試みて、丹生は愕然とする。隔壁は丹生の接近に反応せず、開かない。鳴瀧が開閉装置を破壊していたのだ。丹生はパニックになりかけた。彼女たちは今、袋の鼠となっていた。

 

 

「亀封川さん!ドアが壊れてて開かない!くぅ……アタシの能力で何とかやってみる!」

 

丹生の叫びに、亀封川は大きく舌打ちを返した。

 

「頼む!それまで何とか持ちこたえよう……くそ、オペレーター!そちらから隔壁を操作できないのか?」

 

『こちらの入力を受け付けません!恐らく破損しています!原因は不明です……ッ!』

 

 

丹生は身に纏わせていた、てらてらと輝く水銀の形状を変化させ、隔壁の隙間に流し込んだ。とろけた水銀を無理矢理に硬化させると、ミシミシと隔壁は音を立て、緩やかに少しずつ隙間を広げていく。丹生は能力を全開に振り絞り、出来うる限り迅速に隔壁を上昇させねばと、懸命に打ち掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

止めどなく飛来する銃弾を、鳴瀧は苦もなく、眼前で爆散させて対処していた。しかし、止むことなく執拗に狙われ続け、それ以上の攻勢に転じることはできていない。落ち着いた、涼やかな相貌だったが。それも長くは続かずに、僅かに眉間を寄せ、口からは刺々しい文句が現れる。

 

「ホーナー、何時まで寝てるつもり?」

 

「すまねえ。もうそろそろだ」

 

ロッカーの裏側で、鍛冶屋敷は邪魔だった暗視ゴーグルを乱暴に外した。暴力的な笑顔を浮かべ、彼は壁を蹴って亀封川の目の前へと飛び込んだ。

 

「やってくれるじゃねぇか!」

 

彼は能力を展開した。スーツを硬化させて胴体に飛来する弾丸を弾きつつ、鍛冶屋敷は走り込んだ。亀封川の眼前約50cmの距離で、彼の体は不可視の壁にぶつかりその動きを止める。

 

「あん?これ以上近づけねえ。オメェの能力か?これ」

 

間髪入れぬ、タタタタ、というサブマシンガンの発砲音が鍛冶屋敷への答えだった。顔面に弾丸を浴びた鍛冶屋敷を見て、亀封川はごくりと息を飲んだ。そして。仕留めたか、と湧き出た期待をすぐさま切って捨てた。

 

「ってぇなぁ!?オマエ、ぜってぇぶっ殺す。生身の肌を硬くすっと、後で大変なんだぜ、コラ」

 

 

銃撃は効いていなかった。怒りの形相で八重歯を露出させた鍛冶屋敷に、慌てて彼へと銃口を向ける穂筒。亀封川は怒鳴った。

 

「構わん!俺のことはいい!お前は"共鳴破壊"を狙い続けろ!あの位置に磔け続けろ!」

 

 

「ハハ!良い判断だ!けどな……これで、どうだ?」

 

そう言い放つと同時に、鍛冶屋敷はスーツ前面についた"さがり"を、ゆっくり、ゆっくりと伸ばし始めた。

 

「ぬう……ッ」

 

亀封川から、焦りの色が見て取れた。目線の先には、極めて遅遅と緩やかに、彼へと屹立する無数の鋭い針があった。

 

「銃弾を止めるのは得意でも、こうやって、とんでもなく緩慢な動きを制御するのはどうなんだ?え?だいぶ前に、オメエみたいな能力者とヤり合ったことがあんだよ……こっちはなぁッ!」

 

亀封川は動転する。遅々として進まぬその針は、だが確実に、彼の体へと近づいてきていた。その動きは確かに緩やかだった。だが、梶屋屋敷の能力によるその針には、どんなに遅く見えようとも、前進しようとする圧倒的な力が加わっていたのだ。亀封川には、死へのカウントダウンを始めたその針を、どうすることもできなかった。

 

 

「スキーム2!!!まだか!まだなのか!」

 

「あと少し!あと少しなのに!」

 

裂けるような悲鳴。丹生は滝の汗を流し、隔壁を開こうと苦心していた。ぽたぽたと体のあちこちから、汗の雫が滴っていた。

 

 

 

 

 

 

突如、穂筒のサブマシンガンが爆裂した。射撃の途絶えた、銃のリロード期間を狙われたのだろう。鳴瀧は時を等しく、手を張り合わせる。破裂音が生じたその瞬間に。

 

 

「ごぅッ……ふ」

 

穂筒が胸を抑えて、その場に崩れ落ちた。鳴瀧は続けざまにもう一つ、パチリと手を鳴らす。

 

 

「がッ……!」

 

次は、亀封川が口から血を噴く番となった。ポンポンと無造作に、ただ2度、手を打ち鳴らしただけだった。鳴瀧はその間も冷徹な相貌を変化させることはなく、淡々とことにあたっていた。

 

 

肺に生じた衝撃に、亀封川は一瞬、能力の集中を切らしてしまっていた。鍛冶屋敷が、そのスキを見逃すハズは無く。

 

 

 

 

 

隔壁が、ひとひとり分を申し訳なく通過できるほどの隙間を取り戻した。

 

「開いた!はや…く…ッ!?」

 

背後を振り向いた、顔中に汗の雫を散りばめた丹生が目撃したのは。背中から、心臓の位置から黒い針を生やし、立ち往生する亀封川の後ろ姿だった。丹生の瞳に映る。ずぷ、と針が引き抜かれ、"ホーナー"は邪魔くさそうに亀封川の腹部を蹴り離した。

 

 

 

 

「う……わぁぁぁぁぁぁッ!」

 

丹生は目にも止まらぬ速さで銀の槍を創り出し、鍛冶屋敷へと突き出した。金属と陶器が弾き合う音が生まれ、槍先が鍛冶屋敷の脇腹を掠めていく。

 

「ハハッ!嬢ちゃん、筋がいいじゃねえか!」

 

「くっ!はああッ!」

 

丹生は巧みに銀塊の形状を変え、剣の一閃、槍の一突き、鎌の一薙ぎを鍛冶屋敷に繰り出していく。返す鍛冶屋敷は、両の腕、踵、膝頭、身体のありとあらゆる部位に、"さがり"から生じる、黒色の刃を形成し、丹生へと斬撃を加えていった。

 

 

途端に、金属音で辺りは埋め尽くされた。硬い材質同士を打ち鳴らしたような、響きの良い音色が途切れる事無く生み出されていく。

 

鍛冶屋敷が腕に生えた刀で丹生の頚動脈をはらう。銀色の被膜が彼女の首を瞬時に覆い、その刃から身を守った。丹生が押し込んだ三又に分かれた槍は、鍛冶屋敷の硬化したスーツを突き破れず、するりと表面を撫でて横へ滑りずれた。

 

鍛冶屋敷と丹生の白兵戦は、しかし鍛冶屋敷が優勢であった。お互いに致命傷を与えることこそなかったが、次第に鍛冶屋敷が丹生の攻撃を見切り、捌き、合間合間に、刃ではなく、拳や蹴りといった打撃を打ち込みだしたのだ。衝撃を受けるたびに、丹生は小さな悲鳴を漏す。しかし、その闘志は、彼女の目の輝きは尽きることはなかった。

 

 

 

平然とその光景を眺め、どこか上の空だった鳴瀧が、突然いきなり、表情を驚愕に染めた。

 

「早く決めて鍛冶屋敷!」

 

唐突に、鳴瀧が指を打ち鳴らした。それは、鍛冶屋敷によって腹部に繰り出された斬撃を、丹生が銀膜で防御していたタイミングと重なっていた。そのために。彼女の腹部を覆っていた銀膜が、突如、激しく波打ち、液体が飛び散るように波紋状に爆ぜた。

 

「かはっ!」

 

丹生はひとつ、大きく咳き込んだ。血液が数滴、彼女の口内から飛び散った。がら空きとなった彼女の腹部目掛けて、鍛冶屋敷は鉤爪のように鋭く取らがらせた拳を打ち込もうと振りかぶる。

 

「殺さないで!鍛冶屋敷!」

 

鳴瀧の命令は、ギリギリのところで間に合った。鍛冶屋敷の鉤爪は丹生の体に到達する前に丸みを帯び、代わりに鉄拳が彼女の腹部を襲う。

 

「ごえッ!ぐううッ」

 

地に膝をつき、丹生はお腹を押さえて、ドロドロと胃の内容物を吐き出した。こひゅ、かひゅう、と苦しそうに息をつき、虚ろな瞳を地面へと向けている。

 

「あ?なんでだよ、鳴瀧。どうした?」

 

不服そうな鍛冶屋敷が、鳴瀧へ苛立たしげに悪態をつく。丹生が床にぶちまけた吐瀉物の臭いが鼻についたのか、彼はうっすらと眉間にシワを寄せた。

 

「ライカンが逃げ出したわ。筥墳も倒れた。……その娘を人質に取って、急いで合流しましょう」

 

鍛冶屋敷は顔中を驚きで染めあげた。

 

「ああ?なんだそりゃ!?バイターは何やってんだ!?」

 

鳴瀧は鍛冶屋敷を睨みつけた。彼女の反応に、鍛冶屋敷は失言だった、と愛想笑いを返す。

 

「その娘、ライカンととりわけ仲が良さそうだったのよ。人質にとったら、奴が取り返しにくるかもしれない」

 

「そうなることを祈るぜ。ったく、やってらんねえ。今回の任務はずっとケチがついてて嫌になる。だいたい、"人狼症候"を仕留めねえとギャラが半額になっちまうって、面倒臭すぎるにもほどがある。上層部はよっぽど、あのオオカミに個人的な恨みでもあったのか?面倒臭え」

 

 

"人狼症候"を仕留めなければ、"ジャンク"の報酬は半分となる。その台詞を聞いた丹生はピクリと顔を上げた。鍛冶屋敷は、倒れて震えていた穂筒をつかみあげ、刃を伸ばし、彼の首筋へピトリと貼り付けた。

 

 

「オラ、銀ピカ娘。その銀ピカをとっととどっかへ捨てろ。さもなきゃ、コイツを殺す」

 

 

「う。ふぐ。ううう」

 

恐怖にかたかたと震える穂筒の、その股間からは湿り気が広がっていった。丹生は歯ぎしりをして、身に纏わせていた水銀をばしゃりと通路の隅に放逐した。

 

「ご苦労さん」

 

鍛冶屋敷はそう言って、穂筒の首を掻き切った。元よりそうするつもりだったと言わんばかりに。勢いよく、しぶしぶと流血が吹き出し、穂筒の喉からピィィーと甲高い音色が発生する。丹生は目をぎゅうっと瞑り、その光景から顔を背けた。

 

穂筒の遺体を通路に投げ棄て、鍛冶屋敷は丹生の髪を引っつかみ、立たせて歩きだす。

 

「妙なマネしてみろ。その場で殺す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度吹き飛ばそうとも執拗にじたばたと暴れだす人狼を相手にして、"空気爆弾(コールドボム)"こと筥墳は耐え切れず、痺れを切らしつつあった。

 

「いい加減くたばりなよ、このワンちゃん。ねぇ、ヘッド。トドメを刺そうよ。さっきからこのワンちゃんずっと寝たきりじゃないか。確かにピクピクしてるけどさ。もううんざりだ。ボクが直接口の中で爆発させてやるよ。頭ごとふっとばしちゃおうぜ?」

 

不満を大いに表す筥墳に、煎重は説得するように淡々と語り掛けた。

 

「そう急くな。いずれ伴璃たちが駆けつける。それからでも遅くはない」

 

しかし、筥墳はその命令を無視して、未だに荒々しく藻掻く人狼へと近づいていった。

 

「心配しすぎだよ、ヘッド。フォロー頼むよ。どのみちライカンは仕留めなきゃダメだったろう?」

 

煎重が顔を顰めて見つめる中、筥墳は不用意に、人狼へと近づいていった。天井に空いた大穴からは、儚い月明かりが零れて。動きを止め横たわる人狼の姿を、優しく照らし映していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体中に、"あの成分"が湧き出た、成功した、と思った。咄嗟に思いついたその考えを、その場で試み、瞬時に成し得た景朗は、"その成分"の効果と相まって、全能感に酔った。

 

肌で感じる。能力の出力がとてつもなく向上しているのを。僅かな間で、じゅうじゅうと体から湯気を出しつつ、景朗は体の機能を問題なく動かせるほどには回復させることに成功した。

 

 

耳と鼻に、不用意に自分に近づく者の気配を察した彼は。獲物を待ち伏せる狼のように。その身にしなを造り、ひたすらに敵を引き寄せた。

 

 

風が、景朗の口内に集まっている。鼻腔をくぐり抜ける空気が心地よい。さあ、飛びかかれ。景朗は近くに歩み寄った、筥墳へと矢庭に襲いかかる。

 

人狼が、正しく野獣のように。音もなく筋肉を爆発させた。

 

「ッ!」

 

筥墳は飛び跳ねた人狼に驚愕し、声無き声を漏らす。瞼を大きく開かせた煎重は見事に、反射的に能力を行使して、筥墳を守ろうとしたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が飛び上がった瞬間から、わずかに遅れて、四肢に捻り攻撃が襲来する。しかし、遅い。俺は筋肉の繊維が断裂するほど、力を無理矢理に引き出していた。繊維が千切れた後に捻れがやってくる。でも、それから一瞬で、俺の細胞は修復し、元来の機能を取り戻す。

 

 

近づいてきた男の首に噛み付き、一度の攻撃で命を奪うつもりだった。だが、ここは"螺旋破壊"を褒めるべきだろう。俺は体勢を崩してしまい、狙いを変えざるを得なくなった。野性に従い、巧妙に体重移動を行って、顎門を、男の右手へと。渾身の力を込めて、噛み締める。クッキーをさくさくと噛み砕くように"ボマー"の右手はべちゃりと潰れた。粉々に。痛みに我を忘れ、"ボマー"は叫び声をあげた。

 

 

「ぉあああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

本当に、大した性能のスーツだった。噛み千切ろうとしたが、その繊維は容易には噛み切れそうになかった。口を開けた景朗は、既に視覚を取り戻していた景朗は、追撃せんと、鋭く伸ばした爪を振りかざす。だが、ビキリと腕は回転し、デタラメな方向へ動き出す。

 

"ボマー"も、流石は暗部の精鋭部隊に所属するだけはあった。怒りに顔を歪め、雄叫びをあげながらも能力を発動させる。

 

人狼と筥墳の中間に、爆発と形容すべき突風が吹き荒れた。人狼は身軽にも、すぐ側へと四つん這いになって着地した。

 

 

 

 

「ボマー!能力で奴を近づけるな!」

 

景朗が期待していたほど、煎重は心を乱していなかった。"螺旋破壊"の能力に対抗するため、四足で大地を駆けて移動するようになった景朗を前にして、それでも尚、冷静に状況を判断し、能力を適切に用いた。

 

部屋には僅かな月明かりが射すのみ。薄暗さに危機感を覚えたのだろう。煎重は素早く発炎筒を炊き出し、数本を部屋のあちこちへとばら撒いた。室内は発炎筒のライトグリーンの烈光で、くるりと見渡せるほどには光量を取り戻した。

 

 

 

四本足で地を踏めば、二足歩行時とは雲泥の差で、関節破壊攻撃に対処できる。人狼は果敢に"ジャンク"へと攻撃を仕掛けていった。

 

「よくもボクの手を!クソが!糞が!クソが!クソがァッ!今に見ていろ!ライカァァァン!」

 

鬼の形相。筥墳は烈火の如く憤怒し、煎重の攻撃と被せるように爆風攻撃を放ってくる。景朗は2人のどちらかに接近したかったが、それは難しかった。

 

しかし、攻撃を受けて無様に転がることはなくなっていた。手足がへし折れようと、すぐさま治癒させ、四足で機敏に空間を駆け回り、敵の油断を誘っていた。

 

 

 

この場にいない、"共鳴破壊"と"ホーナー"の2人が気にかかる。景朗は焦りを無理矢理に能力で押さえ込み、今か今かと反撃の機会を待った。しかし。

 

 

ふと、景朗が飛び退ったその場で。背後からいきなり、根元がねじ切れた電源設備が彼へと雪崩れかかってくる。このような巨大な機械の塊まで、苦もなくネジ切り倒すとは。"螺旋破壊"の出力はやはり侮れない。

 

景朗は反射的に真横に跳んだ。なんの前触れもなく、轟音が鳴り響く。そして着地と同時に、彼は頭部から衝撃を受けた。巨大な質量を持つ物体が、人狼の真上から落下し、彼を押しつぶしていた。

 

期を見計らって、煎重が天井の壁材をくり抜き、景朗の真上から落としていたのだ。景朗は何が起きたのか、咄嗟に掴めなかったが、数瞬、間を空けてようやく把握した。彼は壁材に挟まれて考えを改め始めた。

 

やはり。目の前の奴等を始末するのは、一筋縄にはいかなそうだと。丹生たちの安否が気になっていた景朗は、天井の残骸の下で、心に決める。

 

 

撤退しよう。歯がゆさで涙が出そうだったが、ジャンク共を倒すのは難しい。丹生を連れてって、逃げて、それで。…………幻生に頭を下げて。匿って。貰おう。

 

丹生は無事だろうか。丹生。待っててくれ。

 

 

 

 

 

 

 

くり抜き落とされた天井の下敷きとなった"ライカン"は、しばし動きを止めていた。その様子に警戒を解くことなく、煎重は慎重に"ボマー"へと近づいていった。筥墳の呼吸はみるからに荒くなっており、容態が変化しつつあるようだったからだ。

 

 

ぎしぎしと、人狼を押しつぶしたコンクリート壁が動き出す。煎重がそれに反応した、その時。"ジャンク"2人から最も遠く離れた隔壁がするすると開放された。

 

扉からは、対化学テロ装備に身を包んだ戦闘員が2名、フラッシュライトを片手に入り込んできた。コンクリート塊を背負い上げ、立ち上がっていた人狼が咆哮する。

 

 

「来ルンジャネエ!逃ゲロ!」

 

煎重は戦闘員が装備した厳ついガスマスクを目に映し、ほんの微かに、口元を釣り上げた。戦闘員の2人の首が、ごきりと、人間の稼働限界を越えて回転した。"螺旋破壊"はコンマ2秒で、他愛なく、人間2人の命を奪っていた。しかし、その笑みも束の間だった。

 

 

振り向いた煎重の背後には、人狼の姿が無かった。人狼が位置していた部屋の側壁、上方に、ひしゃげた排気ダクトの蓋がかろうじてぶら下がっている。まさか。逃げられた。ダクトから。

 

 

足元の筥墳は、気が付けば意識を失っていた。見たところ、出血量はそれほどでもない。奴の牙には毒があったのか?その日初めて、煎重の表情に苛立ちが生じた。拳を力の限り握り締める。

 

「ライカン……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダクト内を疾走し、景朗は丹生たちを探していた。生きてるよな?丹生。どうなってる?アイツ等はどうなってる?無事か?急げ、急げ、急げッ!

 

 

丹生と一緒に逃げよう。幻生のクソジジイに、命乞いをして。でも、それで。とりあえず、逃げ延びて、生き延びて。生きなきゃ!生き延びなければ!アイツを、丹生を連れて戦い抜くのは厳し過ぎる。俺1人だけなら、延々と時間をかけて。獲物が体力を失い、衰弱するのを待つように、仕留めることができたかもしれない。いや、それも"ジャンク"4名を前にしては、容易には達成しえないだろう。

 

プラチナバーグは、この施設を破壊されて窮地に陥るだろうな。援軍をこちらへよこすほど、奴には余裕はないと聞く。俺達が奴等に、"ジャンク"に当てられたのは、一種の賭けだったのさ。守りきれれば上々だったんだろ?

 

すまないな、プラチナバーグ。俺と丹生は、ここで退散するよ。脳裏に、ミサカ2525号の言葉が蘇る。それを、景朗は悩みつつも振り切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

とある通路の真上に差し掛かり、そこで、血の匂いを嗅ぎとった景朗は。一気に青ざめた。穂筒と、これは、亀封川の、血の、匂い。うそだ、ウソだ嘘だ!

 

がこり、と蓋を蹴り落とし、景朗は目的の場所へと、鼻を頼りに近づいていく。そして。目にした光景に、憤怒した。思考が、停止した。

 

穂筒と亀封川の死体。そのすぐ側にブチ撒けられた吐瀉物は、丹生のものだった。奴らに連れて行かれた!どこだ!どこだ!どこだ!

 

「GOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAH!!!!」

 

人狼は怒り狂い、半開きとなっていた隔壁へ闇雲に殴りかかった。衝撃が発生するたびに、扉はべこりと凹んでいく。

 

 


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