とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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次の話は、一週間以内に更新したいです。もはやほら吹き扱いとなっているでしょうけれどorz。そういう気持であるとは表明したくて。


episode14:螺旋破壊(スクリューバイト)

忌々しい"人材派遣"への報復を考える間もなく、景朗は"収束光線(プラズマエッジ)"こと穂筒光輝(ほづつこうき)の取り扱いについて、すぐさま指令部と交渉を行なった。景朗としては、それが無理難題であると自ら認識しつつも、穂筒の即日解放の許可を指令部に望んでいたのだ。彼にはこれからの戦いにおいて、穂筒が彼らの力になるよりも、むしろ足を引っ張っていく可能性を考えずにはいられなかったのである。しかし、彼の予想通りに、司令部はすげなく景朗の要求、"収束光線(プラズマエッジ)"の迅速な放免を却下した。その理由は、穂筒が僅かながらも防衛施設の内部の様相を目にしていたためだった。彼を野放しにすれば、容易く敵は彼らの陣営の内情を入手できるだろう。

 

指令部の判断自体にはすんなりと納得した景朗だったが、それでも彼は、穂筒をこの防衛施設にそのまま留めて置く気は無いようだった。煩わしい手間を増やす羽目になろうとも、景朗は他の外部の組織を使って、状況が落ち着くまで穂筒を軟禁させる方法を指令部へと提案していた。もちろんその費用は景朗が支払うことになっている。苦労して指令部にその案を承諾させた彼が、その旨を当の穂筒本人に確認したところ。景朗の予想に反して穂筒は粛々と、命令に従うとの答えを返したのだ。やはり、穂筒にとっても避け得る戦闘は避けたいものだったのだろう。

 

「……糞ッ。とんでもなく面倒臭ぇことになったなぁ。"人材派遣"め……次あったらホントどうしてくれようか……」

 

事態を一通り取り成した後、ぽろりと景朗の口から"人材派遣(マネジメント)"への悪態が溢れ出した。彼は"人材派遣"への報復をひとしきり誓うと、速やかに中断していたブービートラップの設置作業へと取り掛かっていった。

 

 

 

 

 

 

この調子で切り抜けられるのか、と景朗は残されたトラップの設置に忙しなく手を動かしつつ、襲撃者達への対処について悩み続けていた。脳内で改めて、後詰の支援スタッフから説明された情報を整理すればするほどに。自分たちが今、極めて危うい状況に追いやられているという、その事実が浮き彫りになる。

 

 

 

どうやら景朗が暗部の世界に足を踏み入れた頃には、学園都市統括理事会の内輪揉めは既に勃発していたらしい。景朗にはこの学園都市の政治について確たる知識がなかったため、自らが置かれている環境の全体像や個々の事件の詳細な前後関係などは説明されてもわからなかった。ちなみにその事実は、今後は『分からない』の一言で済ませていい話じゃないな、と彼に情報収集に関する行動方針の確立への覚悟をもたらしていたりする。

 

ともせず、景朗に理解できたのは。彼が昨日、思いもしなかったことに。ホテルで会談を行っていたプラチナバーグへの護衛を支援したその夜に、事態が大きく動いていたという事実だった。

 

親船最中。統括理事会のメンバーの1人である彼女は、2つに対立して行われていた内輪揉めの当初から一貫して中立を維持し、確たる行動を起こすことはなかった。だが、昨日。景朗が"暗黒光源(ブラックライト)"と戦った夜に。彼女はついに、プラチナバーグの属する陣営ではなく、反対の敵対する勢力に加担する、という形でアクションを起こしていた。

 

敵対勢力はわざと暗殺者の情報を流し、プラチナバーグの戦力を会談の会場へと集結させた。これにより、プラチナバーグは他の主要防衛施設に少数精鋭の配置をせざるを得なくなった。続いて敵対陣営は、本丸であった会談会場に、情報以上の大規模な戦力をぶつけ、プラチナバーグの戦闘部隊の中枢を混乱させる。そして終には、恐らく彼らの計画通り、プラチナバーグの増援部隊をおびき出すことに成功したのだ。

 

このタイミングで、中立派である親船一派が動き出した。情報が錯綜する中、埒外の勢力から攻撃を受けたプラチナバーグ側の対応は鈍く、その結果。親船最中の懐刀、精鋭部隊"ジャンク"は、同じくプラチナバーグの主力部隊"レジーム"を奇襲し、壊滅させたのだ。

 

プラチナバーグは、統括理事会の中で最も若かった。しかし、政界での彼の評価は『過去に一度の失敗もせず、またこの先もしないだろう』と言われるほど高く、それ相応の実力も持ち合わせていたのも事実だった。だが、流石に30代後半の身空では、学園都市の深淵、その随所に跋扈する海千山千の傑物達との争いは一筋縄にはいかなかったのだろう。

 

恐らく。トマス=プラチナバーグは選ばれたのだ。この内輪揉めの清算を可能にする、情勢を変化させ得る鍵となる、その要因(ファクター)の1ピースとして。彼は今、敵対勢力から一身にその矛先を向けられている。

 

そして、俺たちは。どうやら若きプラチナバーグの切り札(ジョーカー)として期待されている、とある計画か、もしくは手段か。具体像はわからないが、俺達が防衛しているこの施設、この設備がきっとその逆転のために重要なのだろう。彼は今、彼自身を守るために残った主力を身辺警護に侍らせつつ。切り札専守のために、俺達"スキーム"をこの施設防衛の任に当たらせている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「丹生。今俺がいるエリアの設置作業は終わったよ。これでこのフロアは全部カバー済みだよな?」

 

『ちょっと待って。念のためもう一度確認する。……うん。だいじょぶだよ、景朗」

 

「次はワンフロア下か?……いや、地下になるのか?」

 

『んー、ん。地下だよ。……なるべく急いで」

 

「わかってる。いつ襲撃があってもすぐ戻れるように細心の注意を払ってるよ。お前んとこへ直急するさ」

 

『……ありがと。今んとこ亀封川さんも順調にやってくれてるから心配ないよ』

 

「オーケー。こっちも順次連絡する。それじゃ―――」

 

『あ、待って!地下から施設の人達が退去するって連絡を受けてたんだった。だから気をつけて』

 

「おお。そっか、わかったよ。ってか、こんな警戒体勢の中、まだ残ってたのか。よくやるよなぁ……いや……もしかして、敵さんは研究機器だけじゃなくて、実験や研究そのものの妨害を狙ってたりもするのか?……あぁ、すまん。とりあえず、これで通信終了だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

襲撃者への対応を苦慮しつつも、順調にブービートラップの設置をこなしていた景朗は、作業場を徐々に地下の方へと移していった。ついに、それまで足を踏み入れることが無かった領域、薄暗く、四方を壁材で塗り固められた無機質な廊下へとやってくる。そして。その飛び出た廊下で、彼は奇妙な人物と遭遇することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

景朗は踏み入れた通路の奥に、一人の少年の姿を発見した。真白な毛髪と透き通った肌に、景朗が生まれて初めて目にする真紅の光彩が印象深い少年だった。音もなく、匂いもなく、淡々と廊下を歩き近づいてくるその不気味な少年を前にして。景朗は、初めのうちは、廊下が一直線でなければ気がつきにくかっただろうな、という感想を思い浮かべるだけだったのだが。

 

廊下で対面し、互いに直線上に位置する景朗を欠片も気にする素振りもなく、白と紅の少年はまっすぐ景朗へと向かって来る。いつの間にか、景朗はピタリと足を止め、全神経を集中させてその少年を注視するようになっていた。白と紅の少年が一歩一歩、景朗へと近づくたびに、無意識のうちに彼の体は強張っていく。

 

 

 

 

 

近くで目にすればするほどに、不気味な奴だ、と抱いていた感想が変化していった。匂いの無い男。どうしてか俺はこいつのことが気になって気になって仕方がなくなっている……。……いや、男と形容してしまったが、実際、男か女かよく分からない。華奢すぎる体つきだ。脳裏に浮かぶ、アルビノという単語。しかし、どこかその言葉に違和感を覚えてもいて。……そう、違和感だ。こんなに弱々しい外見なのに。認めたくないが、俺は今、無意識のうちに能力を使って、何故か身の内側から湧き上がる緊張を必死に薄めている。

 

 

「……悪いが、タグを見せてくれないか?」

 

匂いの無い男は、俺のすぐ目の前まで接近し、歩みを止めた。極限なる無関心。その白い少年の表情に色はなく、彼の目には俺という人間の存在は微塵も映されていないのでは、と感じていた。俺の言葉に反応し、彼は無言のまま胸元からセキュリティカードを取り出した。

 

「確認した。悪かったな。速やかに退出してくれ」

 

受け取ったセキュリティカードを白髪の少年に返し、俺は横に体をズラして彼へと道を譲った。それまでのやり取りの間、その少年は終始、視線を向けることすら無く、一貫してすぐ側に立つ俺への興味関心を示さなかった。

 

張り詰めたピアノ線のように、硬く、冷たい空気が流れていた。俺は段々と増していく体の強張りを煩わしく思いながら、ふと浮かんできた疑問を耐え切れずに口に出していた。

 

「……なぁ、アンタ。ここで何か実験でもしてたのか?」

 

俺の存在を物ともせずにスタスタと歩き出していた、匂いの無い少年はその質問にピタリと動きを止めた。彼は振り向かぬままに、静止した状態のまま静かに答えを放つ。

 

「テメェこそ、ここで何やってやがる?」

 

彼が口を開いた瞬間。それまでその少年が、微塵も俺へと意識を向けていなかったのだと思い知らされた。彼に話しかけられると同時に、ゾクゾクと背筋に怖気が這い巡る。能力を使い、寒気に震えそうになる体に喝を入れ、俺は精一杯虚勢を身に纏わせた。

 

「たぶん、アンタ達の護衛だよ」

 

「ハハァン……そりゃァ、無駄な事をご苦労さん。知りたきゃァ、後ろのアイツにでも聞きなァ」

 

理由も分からぬままに湧き上がってくる緊張と畏怖。頭の片隅でその原因を探りながらも、俺は彼が返した言葉の意味を考え、しかし捉えきれなかった。そして、背後からコツコツと聞こえてくる足音に、その瞬間に初めて気づく。後方遠方からやってくる、その足音の小さくも軽快な響きは、目の前の野郎とは全くの別物だった。音の質、リズムを耳にして、今までに培った経験からそれほど質量の大きくない人間、恐らく女性ではないかと思い浮かべる。白い少年は再び歩き出すが、俺はもう何も言わず、その場につっ立っていた。

 

そうして、俺は匂いの無い少年の姿が視界から消え失せるまで、彼の背中を監視し続けた。その間、後ろから近づいてくる人間へと意識を合わせる事無しに。白髪の少年を見送る途中、背後からやって来た足音の主は俺のすぐ後ろでピタリと足を止めていたというのにだ。奇妙な話だ。だが、それほどまでに。頭の隅で、この匂いの無い男に対する警戒を絶やしてはならぬ、と第六感が警鐘を鳴らしていたんだ。

 

 

不気味な男が消えた後。俺は改めて背後へ顔を向けた。目視こそしていなかったが、実はだいぶ前から、その人物の体臭により正体を突き止めてはいたのだ。

 

「護衛任務お疲れ様です、"人狼症候(ライカンスロウピィ)"、とミサカは感謝の意を表します」

 

その匂いは御坂さん、いや正しくはミサカクローンズの誰かのもの、ということになるのかな。俺はほっと一息つきつつ、彼女へとゆっくりと向き直った。

 

「そうか。俺たちの任務って、君たちの護衛任務だったのか。知らなかったよ、まったく」

 

「……はぁ。それは、どういう意味でしょうか?」

 

俺の返答に疑問符を浮かべ、無表情のまま首をかしげる、どこからどう見ても御坂さんそのものの少女の存在は。何故だか、その時の俺にはものすごく有難かった。以前彼女を初めて目撃した時には、あれだけ不気味な印象を受けたのに。全く、どうかしちまってるな、今の俺は。一気に凍てついた緊張はほぐれ、いつの間にか弛緩した空気が俺達を優しく包み込んでいた。

 

「いや、すまん。こっちの話さ。……なあ、さっき通っていった奴、誰なのか知ってるかな?」

 

「どうしてご存知ないのですか?……ああ、そういうことですね。彼とは初めて対面なされたと。先程、貴方がタグを確認された人物は、私たちの"計画(プラン)"の基軸要素である"一方通行(アクセラレータ)"ですよ、とミサカは回答します」

 

その答えを聞いて思考が一時、停止する。"暗闇の五月計画"の時。幾度も、幾度も幻生から聞かされ、耳にした。学園都市最高の"超能力者(レベル5)"、第一位、"一方通行(アクセラレータ)"の名を。俺は、アイツが"一方通行"だと言うミサカクローンの言葉から嘘は感じていなかった。なるほど、と納得できる気持ちが、心の中に確かに存在していたからだ。

 

あの匂いの無い男にやたらと圧迫感を感じたのは、俺の強化された生存本能の賜物だったのだと考えようか?それとも、幻生のジジイの手によって、散々頭にブチ込まれた奴のパーソナルリアリティやら演算特性やらが異常に反応したとか?色々考えさせられるな、畜生。

 

 

「あのさ――」

 

矢継ぎ早に、一体アイツと何をしていたんだ?と更に質問を加えようとしたのだが、目の前でこちらを見つめるミサカクローンの、その思いのほか綺麗に済んだ瞳に当てられたのか、俺は発言途中で言い淀み口を閉ざしていた。俺たちは暗部に身を置く人間だぞ。期を等しく、放っただけの質問全てに、そうそう答えられる訳がないだろ、という考えが脳内を駆け巡る。

 

たった1人のミサカクローンは、表情をピタリと固定させたままだったのだが、その姿からはほんの僅かに、こちらを興味深そうに覗いている印象を感じさせられた。常盤台の制服に身を包み、腕を後ろに組んだまま、ピトッ、と俺の目の前に張り付くミサカクローンからは、在りし日の御坂さんの面影が確かに受け取れるような気がしていた。

 

そもそも。この娘のベースは御坂さんであるからして。彼女のような少女に、邪気もなく見つめられれば。こちらの敵愾心も僅かながらも霧散していくってなもんさ。俺が"一方通行"に気を取られている間も、きちんと側で佇んでくれていた分けだしさ。ややあって、ミサカクローンは俺の途切った言葉に反応し、静かに口を開いた。

 

「はい。……どうされたのですか?」

 

相変わらずの、きょとん、とした彼女の顔付きに、激しく波打っていた俺の心は急速に落ち着いていく。ああでも、さすがに、まるで虫眼鏡で覗くかのように、瞬きもせずにジトリと注視されるのだけはやっぱり落ち着かないかもしれない。

 

「あ、いや。……こほん。それはそうと、律儀に挨拶してくれるなんてな。君たちからの好感度が以外と高くて驚いたよ。この間ミサカ2201号と名乗った娘と出会った時は、随分と強引に根掘り葉掘り聞いてしまってたってのに。そうそう。あの時はホント悪かったな。……その、俺に色々話したせいで、彼女、ミサカ"実妹(2201号)"ちゃんは何かペナルティを受けてたりしてないよな?」

 

「問題有りません。ミサカ2201号は無事に実験を終了しました。どうか私たちのことはお気になさらずに」

 

「そっか、それは良かった」

 

「ただ今好感度とおっしゃいましたが、それは私たち"姉妹達(シスターズ)"が貴方に向ける好意的な感情に関与する言葉でしょうか?とミサカは疑問を呈します」

 

「いや、まあ、まちがってないかな、その解釈で……って、え?好意的な感情!?俺に?」

 

俺の曖昧な返事と突然張り上げた疑問に、ミサカクローンは全くと言っていいほど動じず、言葉を繋いでいく。

 

「やはりそうですか。でしたら、"姉妹達(シスターズ)"が貴方に好意的な感情を持つのは当然の帰結です、とミサカは"姉妹達(シスターズ)"の総意を代弁します。貴方の意思に関わらずとも、貴方は今まで私たちが問題なく"実験"に従事できるように、様々な支援を行ってくださいました。ですから、"姉妹達(シスターズ)"は皆、貴方の献身に感謝しているのです。現在も尚、"計画(プラン)"へのノイズの発生を防ぐために、こうして警備をされているのでしょう?」

 

「どういう、ことだ?」

 

「もし、"計画(プラン)"にノイズが生じていた場合、私たち"姉妹達(シスターズ)"の存在理由は崩壊していたでしょう。"計画(プラン)"が計画され、進展し、実行段階へと推移するまでの、貴方の尽力、功績を鑑みれば、"姉妹達(シスターズ)"が貴方に嫌悪感を抱くはずがない、ということがご理解いただけますね、とミサカは再度説明します」

 

「……そこだ、解らないのは。俺が一体、そこまで君たちに何を貢献してきたって言うんだ?教えてほしい。具体的に何を……ええと、君は……なんて呼べば?」

 

「ミサカ2525号です、とミサカは自身のシリアルナンバーを告知し」

 

名乗りを上げたミサカ2525号が皆まで言う前に、俺は再び彼女へと糾問していた。

 

「それじゃミサカ2525号さん。教えてくれ、もっと具体的に。君が言う、俺が行なったどのような行動が、どんな風に君たちの助けになったと言うんだ?」

 

焦って問い詰めたが、それまで淀みなくしゃべり続けていたミサカ2525号は急に口を噤み、俺の質問に答えを返さなくなってしまった。黙したまま心なしか眉根を顰めて、俺の顔をじとーっと見つめている。やはり、彼女達の機密に触れる質問だったのか。いや、だが。俺が彼女達を助けたという発言自体はえらく事もなさげにペラペラと喋っていたし。不自然じゃないか。

 

「……ミサカ2525号には、ニックネームの授与は行ってくださらないのですね、とミサカは不満を大いに露わします」

 

やや間を置いて、再び口を開いたミサカ2525号の第一声は、俺が想像していた物から斜め上の方向へと逸れて、遥か高く飛んでいった。

 

「んあ?」

 

彼女の予想外の返答に、思わず上ずった空気が俺の喉から漏れ出ていく。

 

「以前、"実妹"との呼称を拝命したミサカ2201号には、同時期に稼働中だった多くの"姉妹達(シスターズ)"から羨望の眼差しが向けられました。私こと2525号もその例に漏れてはいないのですよ、とミサカ2525号は期待に胸をふくらませます」

 

「…………」

 

今度は俺が無言となる番だった。

 

「そんなくだらないことで……。だいたい、2201号ちゃんを"実妹"呼ばわりしたのは俺じゃなくて丹生。もう1人いた女の子だっただろ」

 

つい、返し文句が口から飛び出す。耐え切れずに呆れを存分に含ませてしまった言い様だったのだが、ミサカ2525号は全くもって気分を害した風にはならなかった。

 

「……そうですか。下らない事だったのですね、とミサカは……」

 

ああもう。表情がピクリとも変化しないからわからないんだよ。ミサカ2525号がボソボソとつぶやく仕草からは、何だかんだで意気消沈した感じを受けた。

 

「あーわかったわーったから。ミサカニセンゴヒャクニジュウゴ号だろ?二千五百二十五。2525。ニコニコ……ミサカニコニコ……うーん。ニコニコ……スマイル。スマイリー。うーむ」

 

「ニコニコ、ですか。スマイル、笑顔のことですね。……こう、でしょうか?ニコー」

 

ミサカ2525号は口元だけを真横に広げ、無表情のまま『ニコー』と発言した。可哀想だったが、それを目にした俺はビクッと大きく仰け反ってしまった。率直に言って怖かった。おい、それのどこが"笑顔"だと言うんだ……本人は一生懸命な風に見えるのが余計にタチが悪い。申し訳ないが、ミサカ2525号のその行動からは埒外の恐怖が湧き上がってくる。

 

「……うん。まあ。ワルクナイネ。その"ニコニコ(スマイル)"。これからはそれ、周りの皆にやってあげなヨ。はい。それでは今日から君はミサカ"ニコニコ"こと、ミサカ"スマイリー(2525)"、となりました。……ヨロシイカナ。それじゃ、今度こそ俺の質問に――」

 

ようやくミサカ"スマイリー"に話を聞き出せると思った矢先に、突如、都合悪く俺のヘッドセットに通信が入ってくる。

 

『景朗、アタシ。ねえ、もうそっちは終わった?亀封川さんの方は終わったみたいで、次は全員で、戦闘時の連携についてミーティングしたいって。そろそろ帰って来れないの?』

 

眼前で口を開きかけたミサカ2525号へ手のひらを向け静止のジェスチャーを繰り出し、俺はヘッドセット越しに丹生との会話を続けていく。

 

「悪い。あとちょっとかかる。なるべく急いでいくから」

 

『了解。早くね』

 

「オーケー」

 

俺はため息をつきながら、マイクのスイッチをオフにした。ミサカ2525号に話を聞きたいのは山々だが、今はとにかく、襲撃者の対応に全霊を注がなければならない。

 

「こっちから聞いといてなんだけど、そろそろ任務に戻らないといけないみたいだ。もし、今度会うことがあったら、次こそ色々教えてもらいたい。もちろんタダでとは言わないぜ。コーヒーの一杯でもおごらせてもらうからさ。それじゃ、長いあいだ引き止めて悪かったな。そんじゃまたな」

 

「了承しました。それでは」

 

一方的な別れの宣言だったが、やはりミサカ2525号は嫌な顔一つせず受け入れてくれた。まあ、彼女の場合は物理的に嫌な顔を形作ることができないのかもしれないけどね。

 

「ああ、そうだ。一応、2201号、"実妹"ちゃんにも、前回の無礼を許してくれって伝えておいてくれよ。そうだ、なんだったら"実妹"ちゃんにも、コーヒーを奢りますよって言っといてくれ」

 

俺はてっきり、次に口を開くであろうミサカ2525号は、快く『了解しました』と切り返してくれると信じきっていたのだが、彼女の口から返ってきた返答は、その予想を覆すものだった。

 

「いえ、それは不可能です、とミサカはお答えします」

 

「あー、そう、か。それじゃ、悪かった、とだけ伝えておいてくれないかな」

 

「ですから、それは不可能なのです。とミサカは再度否定します」

 

ミサカ2525号の貼り固まった顔付きからは、感情の機微が読み取れない。俺は今イチ、彼女の発言の意味を把握しきれずにいた。

 

「うん?なん、で?」

 

「先程、お伝えしたでしょう。ミサカ2201号は"無事に実験を終了しました"と」

 

どうしてだろう。ミサカ2525号は、どうしてそんなことも気づけないのでしょうか?とでも言いたげな口ぶりだった。

 

「そうなんだろ?"無事に"実験を終えたんだろ?ああ、もしかして、もう学園都市には居ないってことか」

 

「表現としては完全に間違っているとは言えませんが、そうではありません。端的に言えば、ミサカ2201号は実験を完了し死亡していますので、貴方の要望を叶えることができないのです、とミサカは解説します。……やはり、貴方は我々の"計画(プラン)"に対する基礎的な知識が不足しているのですね、何故でしょうか?とミサカは疑問を感じ得ません」

 

まただ。このクローン娘さんは、ほっとけばすぐに訳のわからないことを言い出すんだから。困ったもんだ。

 

「おいおい。君の言い方だと、その"実験"で君たちが死んじゃうのが、まるで当然のことであるかのように聞こえてくるぞ?」

 

「はい。お言葉の通りです。しかし、何故貴方はその事実にそれほど拘泥されるのでしょうか?どうやらミサカは、貴方の発言の意図を上手く把握することができていないようですね」

 

ああ糞。ホントに何を言い出すんだこの娘さんは。早く丹生の所に帰らなきゃならんってのに。帰るに帰れない。

 

「冗談だろ?あの時のミサカクローンの死体は、あれは不慮の事故で運悪く死亡してしまっただけだと思ってた。違うってのか?マジで言ってんのか!?それじゃ、今まで君たちがやってきたその"実験"とやらで、毎回毎回君たちは死んでるって言うんだな?」

 

「肯定です。何故、それほどまでに興奮されるのか理解不能です」

 

「信じられない!だって、もし本当だって言うんなら、殺される羽目になる君は、えらく淡々と―――。なあ、君たちのナンバリングってどうなっているんだ?仮に君の言うことが真実だとして。殺されている2201号(実妹)ちゃんのナンバーは2201。それまでにまるまる2200人死んでるって言い出すんじゃないだろうな?」

 

あまりにも突拍子の無いミサカ2525号の発言に、俺は大いに声を荒げ、唾を飛ばして彼女に食いかかってしまっていた。それでも、ミサカ"スマイリー"はいつもの調子で、冷ややかな相貌を維持している。

 

「おっしゃる通りです。ちなみに、先程第2524回の"実験"が終了したところです。……ですから、貴方の言う"今度"が何時の日時を指すのかわかりませんが。ミサカとしては申し訳ないのですが、私、ミサカ"ニコニコ"が貴方にお会いできる可能性はそれほど残されてはいないと思われます、とミサカは少々名残を惜しんでいるのでしょうか?」

 

「……」

 

俺は絶句し、黙したままその場に立ち尽くした。ミサカ"スマイリー"の欠片も笑顔のない表情を見つめたまま。

 

「"実験"は現状では第20000回まで予定されています。つきましては、それまでどうか貴方のご支援を、これから生まれてくる"姉妹達(シスターズ)"へと授けて頂ければ、とミサカは要望致します。それでは、これにて」

 

 

 

 

 

俺は立ち止まったまま、迷いなく俺の前から退去し、出口へと進んでいくミサカ2525号の背を眺め、無意識のうちにポツリと悪態をこぼしていた。

 

「2万?わけがわからん……冗談じゃねぇッ……さっぱりだ……」

 

ミサカ2525号に聞こえる由もなかった。彼女の姿が出口に消えるまで、俺は何度も何度も彼女の言い放ったフレーズを頭の中で整理していた。

 

学園都市第三位の超能力者の、クローン計画。唯でさえ人道的に問題のあるクローン体を馬鹿みたいに作って作って、2万人。そして、そいつらを片っ端からぶっ殺すって?クレイジーだ。イカれてるってもんじゃない。嘘に決まってる。いくら暗部だからって、そんなことありえるわけが……。だって、もしそんなご大層な計画が実際に実行されたとして。そのことを外部の反学園都市勢力へとリークされてみろ。学園都市の立場、面子が一晩で崩壊しかねないぞ。統括理事会のメンバー全員がこんな危険なギャンブルにチップを賭けるわけが……と。そう頭の中でぐるぐると考えていくうちに。

 

謎だった、学園都市統括理事会の内輪揉めの原因。馬鹿馬鹿しい被害を生み出している、この暗部の闘争劇の原因に。もし、この2万人のクローン殺害の計画が正真正銘真実ならば。これほど相応しい理由もないのではないか。そう思い至った。

 

あのクローン少女の怪しい話を鵜呑みにしていいのか?暗部の世界では、一体どの話を信用すればいいのかわかったもんじゃない。何を信じて、何を疑えばいいのか、わからない。俺はこれからどうすればいい?この殺伐とした世界から抜け出せさえすれば。誰もがそう考えているのかな。本当に、俺に可能だろうか。生き残りさえすれば。何とか時間を稼げれば。いずれ解決できる気がしていたけれど……。あのクローン少女の身に降りかかる惨劇を前にすれば。この暗部の世界から足を洗うのは、とてつもなく困難な道なのではないか、と。そう思えてならなかった。どれだけ馬鹿げたことだろうとも。この学園都市の地下深くでは、起こり得ると考えなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミサカ2525号と別れた景朗は、大急ぎで地下通路にトラップを設置し終えると、すぐさま残りの"スキーム"メンバーが待つ場所へと駆け付けた。やや遅れて登場した景朗が彼らと落ち合った所は、その防衛施設の中でもとりわけ広い空間を持つ、予備電源施設の鎮座する管理室であった。やたら広いその空間は、その辺の学校の体育館の、半分ほどの面積すらあるかもしれなかった。実際に体を動かし、戦闘時の隊列や連携をシミュレートできるほどには余裕があったため、その点を考慮した亀封川がここを選んだのだろう。

 

 

おまけに吹き抜けの高い天井を有しており、電源設備の火災に対応するため、防煙機能が極めて高かった。その特性故に。実は、その空間には毒ガスのトラップが仕掛けてあった。景朗が任務にあたった初日、今は亡き"隔離移動(ユートピア)"こと郷間陣丞仕込みの窒息ガストラップを仕掛けようと施設内の視察を行っていた彼の手によって早々に設置が施されている。

 

"スキーム"には、この任務において、施設防衛戦であるが為に、基本的に爆弾等の使用が許可されなかった。そこで、毒ガスが施設防衛戦にて有用な手段であると考え付いた景朗は、施設のあちらこちらに毒ガスの罠を仕掛けようと試みた。だが、設置場所に適した部屋の選集を司令部に仰いだ結果。なんと、施設内にはこの長大な空間一部屋しか適する場所がないと判明したのだった。落ち込んだ景朗は投げ槍になり、持参した膨大な数の毒ガスをすべて、その空間に注ぎ込んでいたりする。

 

 

 

 

 

「ああ、そうだ。最後にひとつ、大切なことを言い忘れてた。よおく留意しておいてくれ。この部屋には、窒息ガスがたんまりと仕掛けてあるって言ったが、実は俺にはその毒ガスの耐性があるんだ。つまり、俺は生身の状態で毒ガスの中に放置されても全く問題ない。だから、使用する際には俺を囮に使ってくれて構わない。その方が敵も油断するだろうしな」

 

景朗の言葉に耳を傾ける、"スキーム"メンバー3人と傍にはべらせている助っ人、穂筒を含んだ合計4人は、各種想定される交戦時の状況についての議論をひと仕切り終えたばかりであった。

 

 

 

「それが本当ならば、大したものだな」

 

背筋を伸ばし、物々しい耐火服を着用して直立する亀封川は、景朗の最後の言葉に賛辞を表した。残念ながら、頭部を丸々覆う耐火マスクに隠れ、彼の表情までは読み取ることはできなかっが。

 

亀封川の言葉の後に。パチ、パチ、パチという、力なくやる気のない拍手の、まばらな音が響いた。"スキーム"メンバー3人とは少し離れた位置。重苦しいモーターの音を響かせる、発電機の側面に寄り掛かった穂筒が、視線を明後日のほうへ向けたまま、ぱちぱちと手を打ち鳴らした。

 

 

「はぁー……。忘れないでいてくれよ、穂筒。俺らの傍から離れられたら、あんたを守れそうにないってことを。今日明日はもうどうしようもないけど、すぐにあんたを別ん所へ移送するからさ。それまでは」

 

「はいはい。覚えてますって。どーもあざーッス。ニウちゃんの横にくっ付いてっから心配ないッスよ」

 

先ほど行った議論の最中も、景朗は幾度も穂筒を交えて話をしようと彼に参加を強要していたのだが、穂筒は最後まで、積極的に彼らの話し合いに加わることはなった。一応、会話を聞き漏らすまいと、そばでしっかりと聞き耳を立てていたようではあったが。

 

「え。いやいや、オレ、穂筒、……さんの護衛なんてムリだから。オレじゃ自分の身を守るだけで精一杯。景朗の側にいなきゃダメだからね!」

 

冗談じゃない!という顔を浮かべつつ、丹生は穂筒のほうへ呼びかけた。

 

「ライカン。……さんの側に?それだけはマジ勘弁願いてぇんだがなァー……」

 

そう言い放つ間も、穂筒は決してこちらへ視線を向けることなかった。それどころか、徐に白い粉末の詰まった小瓶を取出し、内容物を手のひらに少量のせ、鼻からズズリと吸引し始めた。

 

亀封川も、丹生も。そして景朗も。またしても"スキーム"メンバーは全員、呆然と立ち尽くし、穂筒のヤク吸引の現場を見守っていた。

 

 

「穂筒。マジで、死にたくなきゃ、俺の側に居ろよ……」

 

景朗はようやっと、掠れた声でただそれだけ、喉の奥から絞り出した。だがしかし。穂筒は彼の進言を無視。ヤクの吸引を終え、クゥー!、と一声漏らすと、プルプルと心地よさそうに震えている。

 

亀封川が景朗へと向ける視線に気づいた景朗本人は、非常に居心地悪そうに、亀封川から顔をぷい、と逸らした。穂筒は手をパンパンと合わせ、手に付着した粉末を払い落としている。

 

穂筒の動きが引き金になったのだろう。景朗の鼻に、宙を漂い舞い上がった白い粉末がふわりと届いた。その匂いに覚えがあった景朗は、ピクリと反応し、一気に形相を真剣なものへと切り替えた。

 

「なあ!穂筒。悪いが、ちょっとその粉、見せてくれないか?」

 

景朗の言葉に、それまでのらりくらりと彼の呼びかけを交わしていた穂筒はがらりと挙動を変え、俄かに焦りをまき散らした。

 

「な、なんなんだよ一体!?べ、別にコレァ、一服するためにヤッた訳じゃねえから!薬っスよ、クスリ!常用してるだけだッつゥ!」

 

じゃあその慌てようはどう説明するのやら、と思いつつ、景朗は一直線に穂筒目がけて進んでいった。景朗の感想通りに穂筒は大慌てで粉末の入った小瓶を隠し、景朗が近づくと寄り掛かるのをやめ、勢いよく構えて警戒を露わにした。

 

「マジ、やめてくださいよ。そういうの」

 

景朗は、既に穂筒との関係を改善するのを半ば諦めていたものの、さすがにこのやり取りには僅かばかりの後悔を感じ得なかった。

 

「頼む。穂筒。ただ単に、匂いを嗅がせてもらいたいんだ。誓って、絶対にそれ以上はしない。どっかで見たような気がするんだ。……なあ、それ、"カプセル"って組織と関係してたりしないよな……?」

 

景朗の問い掛けを耳にした穂筒は、意外にも、すぐに落ち着きを取り戻した。

 

「あァ?もしかして、アンタこれ知ってたんかよ?だったら、とんでもなく高けぇってわかってるよな?匂いを嗅ぐだけだ。こぼしたりしたらぶっ殺すぞ」

 

穂筒の言葉に、離れた位置で佇みつつも彼らを注視していた亀封川がハッとした表情を形作り、興味を示し始める。

 

恐る恐る穂筒が差し出した小瓶を手に取り、景朗は慎重に蓋を開けてその香りを吟味した。今一度、強くその匂いを吸引した景朗は、その正体をすぐさま思い出す。彼には一度、その粉末を吸引した過去があったのだ。

 

景朗の脳裏に蘇る。暗部での初任務。"粉塵操作(パウダーダスト)"、粉浜薫を殺した時のことが。粉浜を殺してしまうほど、景朗を狼狽させた薬品。あの時の任務の最重要目標であった、あの試薬と同じものだ、穂筒の持っていたこの薬は。

 

だいぶ混ざりものが混入していたが、景朗の鼻には、それが粉浜が奥の手に使った試薬だとはっきりと理解できた。これを使えば、能力が思うように使えなくなるはずなのに。穂筒は何ともないのだろうか?そこに思い至った後、景朗は続けて思い出す。今年の五月に彼が身に受けた、あの運命の夜の戦いを。黒夜海鳥。彼女と戦う前に、あの日。景朗は。黒夜と戦う前に、この薬の効果と、よく似た状態に陥っていたことを。

 

 

 

 

 

 

 

俺が能力強度(レベル)を上昇させた、あの夜の状態と、粉浜に薬品を喰らったあの時の状況は……驚くほど、似ている。なぜだろう。俺の直観でしかないけど、"似ている"んじゃない。全く同質のものである、という変な確信めいたものを感じる。……糞。

 

 

「あー、その。すまん穂筒。ほんの少しでいい。金も払う。だから、ちょっとだけ味見を……」

 

穂筒はこれまた意外にも、俺の頼みにそれほど嫌な顔をしなかった。

 

「ひゃはっ。アンタも手に入れられなかったクチかよ。いいぜ。マジで少量ならな。ただし、小指の先十分の一で、5万払ってもらう」

 

「ああ。構わない。それよか少なくてもいい。純粋に味が知りたいだけなんだ。言い値の五万円、払うよ」

 

俺の快諾に気をよくしたらしい穂筒は、雰囲気を変えてニヤつきだし、饒舌に喋り出した。

 

「そいつを手に入れんのにはマジで苦労したんだぜ?だが、大金を支払った甲斐はあった。そりゃあいいことヅクメだったぜェ?気に入らねぇヘッド、"レベル4"のリーダーを、ソレと、それからコイツを使ってぶっ殺せたしなァ」

 

そう言い放ち、穂筒は気分良さげに腰のベルトに吊るされた、彼の武器、筒状の特性レーザー出力装置をぽんぽんと頼もしげに叩いていた。

 

今更な感想だし、何となくだが。もし中百舌鳥が生きていたら。どうしてか、コイツのこの武器を絶賛しそうな気がしてならない。

 

「まぁ、そのせいでココにこうやって稼ぎに来る羽目になったんだけどよォ」

 

俺は穂筒の語りに適当に相槌を打ちながら、人差し指にうっすらと付着させた白粉を舐めとった。ようやく近づいてきた丹生も、遠間から眺める亀封川も、俺の反応をしっかりと確かめている。

 

「……間違いない。これ、だったのか……」

 

かなりの少量だったので、それほど体に効能は現れなかったが、それでも。俺は確信した。この粉末は、俺が粉浜に嗅がされたものであり、そして同時に、黒夜と戦った日に俺の身に現れた効果を引き起こす要因となったものであると。しかし、それならどうして、穂筒はこの粉末を吸引して平気な顔をしているのだろう。量は違ったが、"ユニット3"こと中百舌鳥はこの薬品を吸わされて一発入院コースだったというのに。

 

「ちィッ。アンタも適正あんのかよ。胸糞ワリィ。オラ、とっとと返せよ」

 

穂筒は俺の手から素早く、粉末の入った小瓶を奪い返した。宝物を扱うように、大事そうに懐にしまう。遠間から、亀封川が驚きの声を上げた。

 

 

「小耳に挟んではいたが、まさか実在していたとは。能力を増幅させる秘薬……」

 

亀封川の台詞に繋げるように、穂筒は胸を張り、得意満面に口元を歪めた。

 

「ああ。その通りだ。けどな、この薬は個人差がとんでもなくデケェシロモンなんだよ。ムカつくことに、ライカン……さんは耐性があるみたいだったが、そうそうこの薬を使えるヤツはいねぇんだぜ。フツーはひと嗅ぎでブッ倒れるはずなのによォ……」

 

穂筒は忌々しそうに俺を睨んでくる。そこで再び、亀封川が口を挟んだ。

 

「噂が本当なら、その薬は相当な額だったんだろう?いくらしたんだ?とても個人に用意立てできるような金額ではなかったと記憶しているが」

 

亀封川の発言を、穂筒は綺麗にスルーした。コイツ、そのことあんま考えたくないんだな、と景朗は直感する。

 

「だからよォー。ライカン……さんはよォ、オレのこと、あんまナメないほうがいいぜ。コイツと、コイツを使って、オレァ、レベル4をぶっ殺してんだからよォ。いざ殺し合うってなったら、オレ、結構強えぜ?」

 

 

ダメだ。コイツ。やっぱり自分の置かれている環境を理解してない。俺はそう口に出そうとしたが、ふと、そのフレーズをどこかで自分も耳にしていたな、と記憶を手繰り寄せた。

 

ああ。そうか。"ユニット"リーダーの台詞だ。今にして思えば、なんと"暗部組織"らしい組織だったことだろう。"ユニット"は。

 

穂筒のガンを飛ばす面を正面に受けながら、俺は改めて"人材派遣"に送りなおさせた、コイツの新しい資料、経歴に思いを馳せる。

 

学園都市の不良は、何も武装無能力者集団(スキルアウト)だけではない。数こそ少ないが、逆に、高位の能力に優越感を抱き、簡単に見下せる低位の能力者たちをやり玉に挙げる、モラルの著しくお粗末な輩も勿論存在するのだ。穂筒光輝。コイツはかつて、"無能力者狩り"から始まり、ついには暴力団とやることが何一つ変わらなくなった、能力者による不良グループ、その内のひとつに所属していた男だ。

 

本人が言っていた通りに、所属していた組織の金を使い込み、さっきの能力増幅薬を購入した穂筒は、その薬を使って、組織の上役にあたる、大能力者(レベル4)を殺している。"人材派遣(マネジメント)"の資料にもそのことは書かれていたから本当なのだろう。不意打ちではあったみたいだが。けれども。この暗部の業界は、今まで穂筒がいたような世界とはあらゆる意味で隔絶している。

 

"人材派遣"に良いように丸め込まれてノコノコと送られてきたコイツには、一朝一夕で今の状況を理解させるのは難しいかもしれないな。

 

「わかったよ、穂筒。覚えとくさ」

 

「……チッ」

 

俺の何一つ動ぜぬ対応に、穂筒は盛大に舌打ちすると、元いた場所へしなだれかかった。間を開けずに、今度は亀封川が俺へとにじり寄ってくる。

 

「スキーム1、話がある」

 

耐火マスク越しに聞こえる、少しくぐもった亀封川の声はどこか不満げなものだった。その声色に、俺はギクりと背筋を引き延ばす。また、さっきの話だろうな、と。

 

トラップの設置作業に出る前に、俺は亀封川に呼び出され、一対一で対話する場を設けていた。その時の話題は、ずばり穂筒の扱いをどうするか、だったのだが。

 

亀封川は、何も知らぬ穂筒を囮、もしくは盾にして自分たち"スキーム"の作戦に使用すべきだ、という暗部の人間が抱くであろう至極当然の主張を展開してきた。しかし俺は、ここで穂筒が死んでしまった場合、そのほとんどの責任は俺にあるのでは?という考えにいたり、積極的に穂筒を犠牲にする作戦をとることにどうしても頷く気分になれなかった。甘いことだよな。……いや、というよりも、ただのヘタレか。もしくは中途半端か。だが、なんと言われようとも、あんな奴でも、いざ自分のせいで死なれるとなると……。

 

俺は必死にとりなし、下手くそにもほどがある弁解で、何とか穂筒を生かして返そう、という方向に持って行ったものの。

 

先ほどの穂筒の上司殺し自慢を聞いて、そのことにうっすらと後悔が募る。亀封川も同じ思いを感じたんじゃないか、と簡単に予想できた。

 

 

「ど、どうした?スキーム3」

 

俺はあえて、彼を"スキーム3"と呼んだ。亀封川の目をゴーグルを通して覗いたが、見事に笑っていなかった。彼の冷たい声が、俺の耳に帰ってくる。

 

「やはり、あの男を作戦に使用すべきだ。それに、それ以前の問題として。私にあの男の支援を行え、という君の命令には、やはり釈然としないものを感じる。いや、はっきりと言っておこう。私は自らを危険に晒してまで、あの男の面倒を見るつもりはないぞ。君はすでにひとつ、失策を弄している。そのことを肝に銘じておいたほうがいい。スキーム2とは確かに並々ならぬ信頼関係を構築できているようだが……。これ以上、私を失望させないでくれ」

 

 

 

「重々理解しているさ、スキーム3。だけど、やはりあんたの能力はあまりに―――」

 

再度、亀封川を説得しようと試みた直後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

施設中のスピーカーから、突然のアラートが鳴り響く。敵襲だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『上層エリアの監視カメラが、ほぼ全て破壊されました。稼働率、ほぼゼロ!』

 

パニックルームのスタッフから、悲鳴の通信が入る。

 

「襲撃者の位置は?!その数は?!」

 

『依然として不明です!……報告。上層エリア、南西棟、非常用タラップ付近の歩哨から連絡がありません!』

 

意外と近い。それに、監視カメラを一度にほとんど破壊された、という報告に、背筋が凍った。マズい。嫌な予感がするッ。

 

 

 

「クソッ。とにかく、敵の奇襲に備えろ!丹生!戦闘準備。おい!穂筒!とっとと武器を構えろ!」

 

亀封川は言うまでもなく、とっくに臨戦態勢だった。丹生も速やかに、肩にかけた水筒から液状の銀塊を取り出し、槍上に形を整え、警戒態勢に移っている。やや遅れて、穂筒も俺たちのほうへと小走りにやってきて、腰に吊るしてあるレーザーポインターもどきを手にした。

 

突然、その空間に存在した照明がすべて、一度に、一気に破裂した。あっという間に、周囲は暗闇に包まれる。慌てて穂筒は"プラズマエッジ"を展開した。そのおかげで、部屋は一応の明かりを取り戻す。

 

俺はその場で全身の感覚を研ぎ澄ませる。パニックルームからの、後続の通信を必死に待っていたその時。ふと、少し離れた前方で、パラパラと埃が上方から散り落ちてくるのを目撃した。薄暗いためか、皆は気づいていない。

 

天井を見上げれば。遥か高く上方の、天井の壁材の一部に、歪な円形の亀裂がどんどん広がっていた。この距離だと小さくみえるが、あれ実際には直径2,3メートルになるんじゃないか……不思議なことに、一切物音は立っていなかった。静寂そのものであった。奇妙な現象だ。ああクソッ!能力者に決まってるだろ!!!

 

 

「天井だ!上から敵襲!クソッ!銃を用意しろ!!」

 

「景朗!どこなの!?暗くて見えない!」

 

俺の注意に、丹生が打てば響くように切り替す。

 

「光を強くしろ!穂筒!」

 

俺がそう叫んだ瞬間だった。無音のまま、歪な円形のヒビがぐるりと一周完成した、直後。尚も音も無く、ふわり、と円柱状の壊れた天井の巨大な一部が、落下する。そして、天井に出来上がった巨大な穴から、四本のがっしりとした黒いロープが垂れ下がるのが俺の目に映った。その瞬間、俺は再び怒声を上げた。

 

「撃ちまくれ!ラペリング降下してくるぞ!」

 

皆、一斉にロープ直上へと射撃を行った。発砲音と同時に、穴から続々と、軍用の黒い戦闘スーツに身を包んだ奴らが降下してくる。合計4名。どこかで見たような暗視ゴーグルも装備済み。随分と性能の良さそうなお召し物を着用で。今に風穴開けてやるよ!

 

少々薄暗くとも、俺の目にははっきりと映るんだぜ。俺はひとりひとり狙いを定めて、何とか奴らが着地する前に決着をつけようと勉めたが。やはり、奴らは能力者だった。俺たちの銃弾は、一発たりとも、奴らに掠傷一つ負わせられずにいた。

 

俺の視界の内では、襲撃者めがけて飛んでいく俺たちの銃弾が、奴らの目前であちこちに弾けじけ飛んでいく。

 

よくよく注意してみれば。銃弾は様々な軌道を描いているようだった。いや、それだけじゃない。これは……。クソッ。ヤバい!間違いなく、大能力者(レベル4)が複数いる!チックショオがッ!

 

奴らの手前で。ある銃弾は、弾頭の形を歪ませていき、突如、形を残さずにバラバラに弾け飛び。ある銃弾は、まっすぐ飛んでいたのが、急に出鱈目に回転するようになり、明後日の方向へ飛び散って。ある銃弾は、途中で螺旋状にねじ切れ、やはり明後日の方向へ飛んでいく。

 

数発。運よく、奴らの能力の干渉を免れた弾丸や、飛散した破片が奴らの体へと到達したが。奴らのスーツに傷一つ付けられず、勢いよく音を立てて弾き返されていった。少々、その光景は不自然だった。スーツに当たったのに、どうしてあんな風に、装甲に弾き返されたように弾が弾けるんだ……

 

いや、そんなこと考えるまでもない。俺は馬鹿か。あの照明の弾け方に、力任せにくり貫かれた天井の壁!報告にあった能力、"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"、そして"螺旋破壊(スクリューバイト)"に違いないじゃないか!

 

 

最後の一人が、降下途中で小銃を抜きだし、俺たち目がけて反撃するのを視認した。

 

「敵の銃撃が来るぞ!丹生、亀封川、防御!」

 

俺がそう言い終える前に、とっくに敵は射撃を開始していた。亀封川は既に、静止力場を展開していたらしい。丹生も水銀の盾を片手に、懸命に敵へと発砲していた。真横を銃弾が掠めた穂筒は慌てて亀封川の真後ろへと走りこんでいる。

 

体に何発か敵の銃弾が命中したが、もちろん俺には気に掛ける必要もない。

 

お互いに、マガジンを空になるまで撃ち尽くすのはあっという間だった。その間に、両者ともに銃弾での決着は付きそうにないと理解し始めていた。

 

 

 

 

 

降下を完了した襲撃者4人は、ロープを手慣れた様子で解除している。一方、俺たちは空になったマガジンのリロードを行っていた。互いに対峙し、互いに相手の様子を観察して。互いに動きを止める。

 

襲撃者、4名。1人は、女性だった。ぴたりと張り付く黒いスーツの、胸の膨らみから判断しただけだが。残りの3人は、恐らく男だ。男3人の内、1人だけ特徴的な外観をした奴がいた。そいつの戦闘スーツだけ、手足や腹部、はては頭部にまで、無数の"さがり(フリンジ)"がくっ付いていたから、一目で判断できる。カウボーイの衣装についている、ジャラジャラとした紐のようなものだ。残りの2人は、似たようなスーツを纏っているせいで判別しにくい。両者の身長には差があるが。

 

 

 

 

戦場での、不可思議な、間、であった。その静けさも、俺の発言であっけなく幕引きがなされたが。

 

 

 

 

 

「気をつけろ!こいつ等"ジャンク"に違いない!」

 

 

俺の一声が引き金になってしまった。俺が言い放つ途中で、"ジャンク"の紅一点がパチン、と指を鳴らした、その時。

 

「くッ!」

 

丹生の呻きとともに、彼女の銀色に輝く盾が、水面に大岩を投げ落としたかのように、激しく波立ち、爆ぜた。

 

「ぐぁぅッ!」

 

入れ違いに、今度は穂筒の手にしていたレーザーポインターが爆散し、持ち主は悲鳴を上げて手を抑えている。時を等しく、周囲を再び暗黒が包み込んだ。

 

ほぼ同時に、俺が手にしていたサブマシンガンにも物凄い振動が生じていた。持ち続けるのに苦難した、コンマ数秒のうちに。手の中の金属製の銃はバキリと破裂し、俺の手のひらを傷つけた。

 

俺の銃だけではなかった。丹生の銃も、亀封川の銃も、穂筒の銃も。すべてが破壊されていた。

 

「"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"……」

 

亀封川が思わずこぼした苦悶の声に、その現象を引き起こした張本人は凄絶に唇を釣り上げる。

 

一瞬で。たった一瞬で。武装解除されてしまった。早く。早く、次の手を打たなければ。能力を開放し、人類の限界をはるかに超えた心拍数を漲らせた俺は、加速された思考速度で、次の一手を必死に手繰り寄せた。

 

 

ヘッドセットのマイクはスイッチを入れたままにしてある。こいつが壊される前に……。

 

「Code:G017(ゴルフまるひとなな)!"ジャンク"が施設内に侵入した!総員、持ち場を放棄し、速やかに撤退せよ!」

 

大きく息を吸い込み、俺は思いっきり叫び声を張り上げた。

 

「俺が囮になる!何をしている!スキーム各員、直ちに離脱しろ!」

 

敵は突然の撤退宣言に、多少なりとも面くらってくれたようだ。それとも、俺たちなんぞ、いつでも斃せると高を括っているのか。どちらにせよ、ありがたい。

 

「……何を馬鹿なことを!お前を各個撃破されてたまるか!」

 

亀封川はすぐさま怒りを露わにした。怒る亀封川を無視して、暗闇の中、丹生へと再度呼びかける。

 

「俺が囮になる!お前達は撤退してくれ!こいつ等は強すぎる!勝ち目なんかねえよ!繰り返す!Code:G017!」

 

「何を、景朗!?…………ッ!わかった!」

 

どうやら丹生は、俺の意図を理解してくれたようだった。出口までの道は、薄暗く発行する、床の蛍光塗料で何とかわかるだろう。彼女が我先にと後ろを向いて走り出したのを確認し、俺は急ぎ、再び彼女へと呼びかけた。

 

「丹生!俺のことはいい!大丈夫だ!だから本当に逃げてくれ!お前はお前が生き残ることだけ考えろ!いいな!逃げるんだ!」

 

俺の言葉に、丹生は一瞬、戸惑った。それでも、即座に迷いを振り切り、出口へと一直線へと駆けていく。丹生の逃走を境に、穂筒も颯爽と駆け出していた。

 

俺はそのタイミングで躊躇無く"人狼化"を行った。敵対者たちが動きを見せようとしたのを見計らったのだ。明らかに、敵対者は警戒を強くした。

 

「何シテル!行ケ!スキーム3!」

 

さすがに今回は亀封川も迷わなかった。彼も素早く走り出す。

 

 

 

 

一番背の低い華奢な男が、逃げる"スキーム"メンバーを目にして動きを見せたが、先頭に立つ別の男は片手を伏せ、静止のサインを出す。

 

「ヤツら逃げていくぜ?いいのかい、ヘッド?」

 

華奢な男は、合図を出した男をヘッドと呼んだ。コイツがリーダー格でいいのだろうか。スクリューバイトか?リーダー格の男の後ろに立つ、最も長身の男、特徴的なスーツを着用している奴が横やりを入れる。この場の空気に似合わぬ軽快な口調だった。

 

「願ったりかなったりじゃねえか。恐らくこのバケモノが"ライカン"だ。お望みの通り、精々4対1で足掻いて貰おうぜ。有難い申し出だろ」

 

ヘッドと呼ばれた男は、その男に同調した。

 

「ホーナーの言う通りだ、ボマー。最大の障害は"ライカン"だった。ここで一気に叩く。全員、集中しろ」

 

長身で、体中に"さがり"の付いたジャラジャラ男は"ホーナー"で、背の低めな奴が"ボマー"か。だとすれば、リーダー格が"螺旋破壊(スクリューバイト)"、女はひとりしかいないから自動的に"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"でいいのか?

 

俺は出口へと走る丹生たちの背中をカバーするように、"ジャンク"どもの目の前に仁王立ちし、威嚇するように、一声張り上げる。

 

 

「GOOOAAAAAAAAAAAAHHH!!!」

 

 

あまりの声量に、ビリビリと襲撃者たちの体に衝撃が走っただろうな。俺は今にも奴等へ飛びかからんとする素振りを見せるために、身を縮めて前のめりの姿勢を保つ。都合よく、"ジャンク"どもは俺の動きを危惧し、再びにらみ合いになる。

 

 

何とか、最後の亀封川が出口を潜った。その足音を耳にした俺は、瞬時にヘッドセット越しにパニックルームのスタッフへと命令を下す。

 

「隔壁ヲ降ロセ!」

 

俺の言葉とともに、予備電源管理室内の、すべての扉に頑丈な隔壁が降りて行った。

 

「ちッ。調子に乗るな!黙ってろ!イヌ!」

 

俺の叫びを聴き、それまで静観していた女は声を荒げ、再び指をパチリと鳴らした。今度は、俺のヘッドセット、そしてポケットの中のケータイがバキリと音を立てた。今ので壊れたろうな。通信手段が無くなった。まあ、それは想定内だからいいけど、やっぱり悔しい。全く、次から次にケータイが壊れていく。はは。こんなこと考えてる場合じゃないな。

 

 

ピューっと、場違いな口笛の音が響いた。鳴らしたのは、やはり"ホーナー"と呼ばれた軽い空気を纏った男だった。"ホーナー"は逡巡無く、残りのメンバーの正面に立ち、俺へと顔を向けた。

 

「オマエが"ライカン"なんだろ?まさかそのナリで違うとは言わねえよな?」

 

"ホーナー"へと、俺は狼面のままでも、嘲りが最大限に伝わるように苦心しつつ、彼へと悪態をつく。

 

「オマエノ情報ネエカラ、一応尋ネトク。オマエ、レベル4以上ノ能力者ダッタリスル?違ウンナラ、俺ト戦ウノハヤメトケヨ。コノ姿ニナルト、手加減デキネエカラ殺シチマウ」

 

俺の挑発に、"ホーナー"は心底楽しそうに、からからと笑いだした。やはり簡単には引っかかってくれないか。クソ、まだか。まだなのか、丹生。

 

「バイター。やっぱコイツ面白そうだ。最初はオレにやらせてくれよ」

 

"ホーナー"はリーダー格の男を"バイター"と呼んだ。"バイター"、"スクリューバイト"って訳か。"螺旋破壊(スクリューバイト)"は感情を声色に表すことなく、"ホーナー"へ言づける。

 

「構わないが、下手を打てば容赦なく見捨てるぞ」

 

「百も承知だッてッ!――」

 

 

 

敵が会話している、今、ひと当てしてみるか。俺は"ホーナー"が言い終えぬタイミングで、奴へと全身の筋肉をしならせ、飛びかかった。幸いなことに、"ホーナー"はこの俺の攻撃に反応できなかった。鋭く伸ばした爪を、奴の腹部へざっくりと突き立てた、はずだった。

 

カキィン、という、今までに聞いたことがない類の、乾いた音が響く。奴のスーツに触れた俺の爪は、仮にも"服"を薙いだというのに、衝撃で震えていた。

 

「ガアッ!?」

 

予想だにしていなかった、その手ごたえに。俺が違和感を感じたその時。突如、俺と狼狽した"ホーナー"の僅かな隙間で。空気が爆発した。いや、正確には、何故だかいきなり、空気が突然膨張した、といえばいいのだろうか。しかも、俺が爆発と勘違してしまったくらいに、極めて衝撃の強大なものだった。おかげで、俺は"ホーナー"から離れ、吹き飛ばされる。

 

「油断しすぎだろう、ホーナー」

 

発言したのは、いつの間にやら片手を"ホーナー"へと向けていた"ボマー"だった。

 

「悪い!今のはナシで頼む!さすがに恰好つかねえ」

 

 

 

やっぱり。情報のない、コイツ等2人も能力者だったか。"ボマー"と呼ばれた男は分かり易かった。恐らく、"風力使い"か"空力使い"系統だろう。だが……もう片方の、"ホーナー"と呼ばれた男の方は、一体……。姿勢を崩していた"ホーナー"は、今では勢い新たに、何かの格闘技っぽい構えを身に着けている。

 

さっき、俺の爪で薙ぎ払った時。アイツの服は金属鎧か何かと勘違いするくらい、硬かったのだが。そんなに硬ければ、今、ああいう風にスムーズには体を動かせないはずだ。バリアみたいなものを操る"念動使い"か何かか?……判断できない。

 

 

もうひと当て。奴等にかましてやろうかと考えていた。だが、行動に移すその前に、俺の聴覚が、やっと、待ち望んでいた音を拾い出した。

 

それは、この空間じゅうのあちこちで。俺が設置しておいた毒ガスが、わんさかと勢いよく吹き出す"悲鳴"だった。

 

良くやってくれた、丹生。俺が繰り返し叫んでいた『Code:G017』とは、以前の"百発百中(ブルズアイ)"の任務の時に、郷間が用意していた毒ガス作戦の名前だったのさ。"ジャンク"の奴等、まんまと俺たちの罠に嵌ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり、最初に気づいたのは気体の変化に敏感な"ボマー"だった。いや、彼とほぼ同時に、紅一点、"共鳴破壊(オーバーレゾナンス)"も気が付いていたのかな。

 

「気づいたかい?毒ガスだ。今すぐ呼吸を止めることをお勧めするよ」

 

しかし。"ボマー"は愉快そうに、毒ガスの噴出をメンバーへと知らせたのだ。窮地に陥っているはずの彼らは、まるで余裕を失わずにいる。"螺旋破壊(スクリューバイト)"が、機嫌を悪くしつつ、"ボマー"と視線を交わす。

 

「頼む。ボマー」

 

 

俺の体から冷や汗がどっと噴き出た。

 

 

 

「わかってるさ」

 

"ボマー"がそう答えた瞬間から。毒ガスの白煙が、彼が掲げた右手の先へ、みるみると集まっていった。……これでは、毒ガスは。意味がない……。

 

 

 

「どうした?かかってこいよ、"ライカン"」

 

楽しそうに笑う"ホーナー"の言い様に、俺は何も言い返せなかった。

 

 

 


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