とある暗部の暗闘日誌 作:暮易
まだ少しばかり、爆発したばかりの壁の砂塵が漂うが、耳と鼻は正確に侵入者の数を把握できていた。人間1人と、パワードスーツ1体、そして宙をホバリングする小型の
先頭に立つ、不敵な笑みを浮かべた男。まだ年若い、青年。高校生か、大学生か。彼の後ろから、大型のパワードスーツが、破片を飛び散らし、豪快に室内を突き進まんとしていた。その機影の上方には、2台の空飛ぶ機銃。1台は、真球状。もう1台は四つの輪っかが均等につながった、蝶のような機体だった。両機、パワードスーツと比して、駆動音は無音に近い。
「万鈴、そこのガキは俺が片付ける。ちゃっちゃとハックしちまえや。」
眼前の男はそうつぶやくと、ボサボサの茶髪を左右に振り回し、肩をコキリと鳴らした。どことなく放胆な空気を纏わせている。その男の、落ち着き、場慣れした態度が、ほのかに俺に警戒心を抱かせる。
「郷間、もうカメラで見ているだろうが、侵入者だ。男1人。パワードスーツ1機。無人機2台。」
『ああ。確認済みだ。その男には見覚えがある。コードレッド。中枢部へ繋がる隔壁を下ろすぞ。覚悟はいいな。』
「構わない。とっととやってくれ。」
油断なく、目の前の男と対峙する。鋭敏な耳には、どこか遠くで、隔壁の閉まる響きが届く。侵入者は、何とも場違いなほどニヤケたまま、大げさに両手を宙に広げ、慣れ慣れしく話しかけてきた。
「おやあ、ボウズ。このオレ相手に一騎打ちたぁ、大した度胸だ。ヒィャハハ。その心意気に免じて、先手は譲ってやるよ。大サービスだ。ヒャハ。」
薄暗い工場の中で、ケラケラと笑うヤツの周囲に、きらりと光るものを目にした。金属片、か?よく見れば、無数にあった。ヤツの体の外周、ほんの十数センチのところを、不規則に、高速で飛来していた。何かの能力なのは、間違いないが。クソッ。
先手必勝。俺は所持していたサブマシンガンでヤツの下半身を狙らいつつ、同時に発砲。弾丸は、ヤツの足へ。馬鹿か?コイツ。そう思ったのも、束の間。予想は覆された。
ブチ、ブチ、ブチ、と火花が散る。俺が撃った弾の数だけ、火花が飛び散った。常人ならば、何が起こったのか理解できなかっただろう。だが、視神経が強化された俺は、はっきりと何が起きたのか目にしていた。
ヤツ目掛けて、十数発は発砲した。その全てが、ヤツの体に触れる前に撃ち落とされていた。弾丸が届く前に、突如ヤツの周囲を飛来していた金属片が軌道を変え、俺の撃った弾へと吸い付くように、次々に衝突し、両者、弾け飛んだ。結果、ヤツの体には傷一つついてはいない。
念動能力(テレキネシス)か?だとしたら、相当強力だ、コレは。銃から放たれた弾丸すべてに命中させるとは。マズい。こいつどう考えても
「残念ェん。時間切れ。あばよ、ボウズ。」
だらけた態度は変えず、目の前の男は素早く、小さな球体、グレネードのようなものを取り出し、こちらへと放り投げた。
手にしたサブマシンガンの弾がきれるまで、男に向かって打ち続ける。同時に、飛来するグレネードを蹴り飛ばそうと身構えた。テレキネシスなら、避けても奴に誘導され、あの玉は俺に向かってくるはずだ。だったら弾き飛ばす。
対峙する相手も、俺の発砲と同時に、徐に取り出した小銃のトリガーを引いた。断続する互の発砲音の数と同じだけ、金属と金属がぶつかり、はじけ飛ぶ音が響く。俺の目には、奴が真上に向けた小銃から飛び出す弾丸が、銃口から出てくるやいなや軌道を変え、ヤツを守るように俺の弾丸へと向かっていく姿が映っていた。
俺が放った弾は、全弾防がれた。マガジンには50発近く入っていたのに。大した奴だ、ちらりと顔色を伺えば、余裕の表情を見せている。
「…らぁッ!」
目前に迫ったグレネードを蹴り飛ばす、つもりだった。だが、しかし。
圧倒的な、力、運動量の気配。脳内ではあらぬ方向へ弾き飛ぶはずだった金属球は、俺の渾身の蹴りに、なんということだろう、ピクリとも動きを見せない。動かない。軌道を変えていない。冷や汗が出るほど、ビクともしなかった。何の影響も受けず、未だまっすぐに俺へと向かってくる。
驚愕。先程も言った様に、ピクリとも軌道を変えない。どう、して。強大な筋力の代償として、代わりにスネの骨に違和感を感じた。ヒビでも入ったか。僅かに金属球は側面を凹ませた。見かけなんてあてにならない。想像以上に、この小さな玉は頑丈にできていた。
こんなに、こんなに小さな玉なのに。まるで、圧倒的質量を持った、巨大な隕石のように、蹴ろうとも、殴ろうとも。結局、俺は1mmたりとも、その軌道を変えられなかった。
ついには、俺の胸部に衝突。金属球に押し出され、体が宙に浮かぶ。間も無く、眼前で発光。白熱。
「マ、ズイ」
金属球は、著しく白熱する。激しく燃え上がり、俺の体を焦がしていく。脳みそ、を。脳だけ、は、守、れ。ご丁寧に、白熱球は倒れ伏す俺の体の上にピタリと張り付き、燃え尽きるまでダメージを与え続けた。
「ヒィッヒャァ!ヒィィヒャハハハハハハ!どうだいィ、万鈴お手製の
男は端末を開き、しばし、覗き見る。
「……万鈴、そろそろ終わったか?はは。当然か。そんじゃ、オレはとっとと爆弾仕掛けに行くぜ。」
「雨月め。油断したな。」
監視カメラを注視しつつ、郷間はポツリと呟いた。彼の背後では、魚成が手早く装備を整えている。画面に映った、雨月の敗北に呆然としている丹生は、表情から活力が失われ、立ち尽くしていた。
郷間は、背後の2人。残された"ハッシュ"メンバーへと向き直った。
「聞け。俺は幸いにして、そこの侵入者が何者か知っている。"パーティ"という、名代の傭兵どもだ。金次第でどんな依頼でも二つ返事に受け入れる狂人どもでな。とりわけ、今、雨月を殺った男、
説明を続けつつも、郷間は慣れ親しんだ手つきで無骨なガスマスクを装着する。
「詳細を語れば、ヤツは
郷間の説明がきつけとなったのか、1人遅れていた丹生も、迎撃準備に取り掛かっていた。水筒から水銀を取り出し、手元に槍を形作った。
「ヤツと行動を共にする、このパワードスーツは、恐らく"電子憑依(リモートマニピュレート)"、
郷間の話が、終わるやいなや。突如スピーカーから、年若い少女の甲高い声が漏れ出でた。
『キャハハッ。ご明察。実はー、たった今、ワタシの制御下に落ちました。ゴメンネッ。』
機敏に反応した郷間は、舌打ちとともに小銃を取り、2人に向かって矢継ぎ早に警告した。
「機銃だ!」
彼の発声と期を等しく、守衛室の隅に取り付けられていた機銃が火を噴いた。
銃火に晒される直前に、郷間の姿は影も形も残らず断ち消える。彼の能力、"隔離移動(ユートピア)"の発動によるものだった。しかし、彼の背後に位置していた魚成は、無情にも機銃の餌食となった。
魚成が蜂の巣となった後、瞬間間も無く、今度は丹生へと銃弾の雨が降り注いだ。間一髪、彼女は咄嗟に銀の傘を広げ、その雨から身を守る。
機銃とは別の、発砲音。郷間が機銃を撃ち壊した。
今一度静けさを取り戻した室内に、郷間が小銃をリロードする動作音だけが谺する。彼は未だに銀の傘を広げたままの丹生へと視線を向けた。
「魚成が殺られたか。丹生、お前は"電子憑依(リモートマニピュレート)"を叩け。オレは先ほど言った通り"百発百中(ブルズアイ)"を殺る。」
彼女は、不安に押しつぶされそうな、青ざめた顔付きでゆっくりと頷いた。
「しっかりしろ。殺らねばこちらが殺られるぞ。」
丹生に発破をかけつつ、郷間は"上"へと救援の要請を試みるも。
「……チッ。やはりジャミングか。気を引き締めろ。直ぐには救援は来ない。これ以上、敵の増援が無いことを祈るべきだな。」
生き残った2人が退出した部屋に、刈羽のおどけた声が響いた。
『ゴメンネー、牛尾。ついバラしちゃってー。せっかく、3人同時に殺れたところを、1人しか殺れなかったー。え?それでいいの?うん、わかったー。そっちに強そうなのまわすね。』
「ああ?何でココのロックだけかかってんだ?……オイ、万鈴。一ヶ所しくじってんぞ。」
いかにも重くて仕方がない、という風に、ショルダーバッグを地面に擦りつけながら、"百発百中(ブルズアイ)"こと
"ハッシュ"が警備していた施設のセキュリティシステムを乗っ取った彼の同僚、"電子憑依(リモートマニピュレート)"、
その扉の向こうが、まさに彼の目的地であるようだった。多少苛立った様子で、牛尾は刈羽へと通信を行う。
「さっさと開けてくれや。テメェの作った発破が重くて仕方がねぇ。」
すぐさま彼の耳に、声色高い少女の怒鳴り声が響いた。
『ソコ、システムからは独立してる。きっとー、所員とかが自前の鍵で開閉するトコだよ。ってかさぁ!アンタには隔壁の1枚や2枚ドッテことナイでしょ?いちいちワタシを使うなよなぁ!』
気だるそうな顔を驚きに染めた彼は、彼女の言葉に何かピンと来たようだった。
「……あー。そうだな。悪ぃ悪ぃ、もういいぜ。ハイ通信終了ォ。」
ヘッドセットからは漏れ出る声は、怒りの収まらない様子であったが、彼は強引にそれを打ち切った。そして、胸元をゴソゴソと探り、卵大の大きさをした金属球をいくつか取り出した。
「タングステン・ベリリウム鋼だっけかァ?ッたく、この玉だけでいくらかかったか。あー。失くさねぇようにしねぇとなァ。」
無造作に、金属球を目の前の扉へと放った。宙に放られた金属球は、投げられた初速を維持して、扉へとぶつかる。次第に、扉からギチギチと金属同士が圧縮される、鈍い物音が響く。
軋みが限界を越えた。扉は破壊され、接合部がこじ開けられたかのようにへし曲げられた。強大な力が抑圧から解放された、その重低音が辺りを包んだ。
扉の向こうの空間には、今なお稼働し続ける、この工場の心臓部たる用途不明の設備機械がずらりと並び立っていた。
「ったく、何だこりゃ?ハイテクな棺桶か何かか?相変わらず、"
彼には、その機械が何に使われるのか、わずかも見当はついていなかった。それを気にすることなく、片手に持つ端末が示す通りの箇所に、バッグから取り出した爆薬を設置していった。
「これ、1台いくらぐらいすんのかねぇ。金になるんなら何台か失敬してぇな。……っと。やっと来たか。遅ぇぞ。」
愚痴をこぼしつつも、手馴れた手付きで設置作業を行う彼だったが、ふいに、その動きを止めた。
出入り口のすぐ側に、郷間の姿があった。マスク越しに発せられる声は、彼自身の抑揚の無さとも相まって、なんの特徴もない、極めて画一的な色を見せていた。。
「やはり、奇襲はできないか。お前の仲間に監視されているからな。」
牛尾は爆弾の設置を中断し、ゆらゆらと立ち上がり、ぶらりと背後に向き直る。それまでの、つまらなそうにしていた態度はガラリと変わり、期待に溢れた笑みを正面の敵に送った。
「ヒィャハ、まァな。どっちでも良かったんだけどな。優秀な手下が仕事をし過ぎると、それはそれでつまらなくなっちまうからよぉ。……ってか、カッケェマスク付けてんねェ。ころっと死んでくれるなよ、見かけ倒しは困るぜぇ。」
「……心配するな。期待には答えてやろう。」
そう言い返し、郷間は間髪入れずに手にしていたハンドガンを発砲した。3度の破裂音。牛尾の目と鼻の先で、放たれた弾丸は三たび火花を散らして弾け飛んだ。
「……なんだァ、がっかりだぜ。」
牛尾も、懐から拳銃を取り出した。しかしそれは、郷間が用いたような、通常のハンドガンとは趣が違っていた。もっと巨大で、角張っている。見かけからも、それが規格外に大きな口径を持ち、破格の威力を発揮すると察せられた。
「ビビってくれたかな?熊撃ち用のマグナム銃さ。オレのお気に入りだ。2m越えの大男だってロクに扱えねぇシロモンだが……オレが使えば、この通りだ。」
セリフと重なるように、牛尾は明後日の方向に向けたままの鉄塊のトリガーを引いた。打ち上げ花火かと間違えるほどの怪音が轟き、彼の腕は反動で大きく上下に振れた。
規格外の弾頭は、見事に郷間の心臓目掛けて伸びていった。しかし、彼に着弾することはなく、彼のいた位置を通り越して、あっという間に対面の壁へと吸い込まれた。
「……はぁ?」
「くくく。」
間の抜けた牛尾の台詞を前に、笑みを漏らした郷間は、その場から一歩も動いてはいなかった。ただひとつ。弾丸が通過する瞬間に、姿がふわり、とかき消えてはいたが。
「やはりな。ターゲットが消失しては、お前の能力でもさすがにお手上げ、ということだ。」
郷間の悠然たる対応に、牛尾は苛立ちを隠しもせず、嫌悪感を顕にした。
「テメェ、"
牛尾の言葉に反応せず、郷間は手に持っていたアタッシュケースを前に突き出し、眼前の牛尾へ見せつける。
「貴様とこれ以上下らない会話を続けるつもりは無い。此方もそこまで暇ではないのでね。早々に御退場願おう。この中には、貴様を殺すための武器が入っているぞ。」
郷間が言い終わる前に、牛尾は煩わしそうに、アタッシュケースへと弾丸を叩き込んだ。発砲と同時に郷間は能力を使ってその身を消失させており、穴が空いたアタッシュケースは支えを失ってゴトリと地に落ちた。
そして瞬く間に、穿たれた穴から白色のガスが勢いよく吹き出した。
「人の話は最後まで聞くべきだったな。この空間一帯を覆う窒息ガスが吹き出すぞ。扉の向こうにもとっくにガスは巻いてある。逃げ場はない。」
「チィッ。ぁあー?"
牛尾にとっては、危機的状況となったはずであった。だが、今もなおダラけた姿勢を崩さず、覇気の抜けた態度を変えない彼の様子に、郷間は違和感を覚えたようである。
ガスは今もなお、空間を広がっていく。愚鈍としか言い様のない牛尾の反応に、郷間の声色にもさすがに嘲りの色が混じりつつあった。
「興冷め、か。それは此方の台詞だ。所詮は3次元に囚われる粗雑な能力。全く。貴様には無駄な手間を取らさ
そう、郷間が言い終わらぬうちに、俄かに、牛尾は遮って話を始めた。
「"
言い放ち、牛尾は太腿に差していた大振りなナイフを抜き、手にとった。
「今更ナイフ1本でどう足掻く?」
ガスが広がりつつある空間、そのど真ん中で。なおも泰然とした態度を崩さずに、牛尾は不敵な笑みを浮かべてみせた。
「特注の、半端なく頑丈にできたナイフだ。オレの相棒。オレァコイツを1番信頼してるぜ。」
牛尾は振りかぶってナイフを投擲した。郷間は心底呆れた声色で呟く。
「さよならだ。間抜け。」
そして、彼の姿は一瞬で断ち切えた。
ドサリ、と人間が倒れる物音。
左胸にナイフをはやした郷間が、表情を驚愕に染めて、地に這いつくばっていた。
「な、ぜ……。何故、だ……、在り、得る、は、ずが、こん、な……」
「ヒャハ!ヒィャッハア!ヒィャハハハハハハハッハァッハハハハハハハ!!」
掠れるような郷間の弱々しい声は、牛尾のけたたましい笑い声でかき消された。
地を這いずり、苦しそうに蠢きつつも、必死に牛尾から逃れようとする。それに対し牛尾は、未だに気の抜けるほど、とぼとぼと歩き、倒れた郷間へと近寄っていった。
そばに落ちている、ガスの吹き出るアタッシュケースを蹴り飛ばし、牛尾は倒れ伏す郷間からガスマスクを奪い取った。それを難なく取り付けると、大げさに腕を振り回す。郷間を嘲るように、深々と深呼吸をした。
「"
牛尾は、懸命に這いずり続ける郷間を蹴り起こす。腹に足を乗せ、地面に縫い付けた。ゴボッ、
と郷間は喀血し、口元を朱に染めた。
「"投擲したものを、命中させる"。人類が古来より、その進化の過程で幾度も争った末に、会得した"技能"。脳みその中にある、遺伝子上のその"本能"・"概念"を体現したものなのさ、オレの能力はなァ。……下らねェ。もう終わりか。こんなことなら、さっき丸焦げにした坊主のほうが、よっぽど良い反応してたぜ。ありゃ面白かったなァ。」
身を襲う激しい痛みに苦しむ中、弱々しく牛尾の足首を掴むと、郷間は必死に彼に命乞いをする。左胸に刺さったナイフに手を駆け、頼む、頼むとうわ言のように繰り返した。
「……た、たす、け。て。たす、けて。……くれ。」
牛尾はにこやかに返事を返す。しゃがみ込み、彼に顔を近づけた。
「心配すんな。さっきナイフ1本で十分って言ったからな。もうこれ以上はなんもしねぇよ。この傷だと、すぐに病院に行けば助かるかもな。……ん?おお。ナイフ、返してくれんのか?サンキュー、忘れるところだったぜ。特注っつったろ?これ、高けぇんだよなァ。」
そう言って、郷間の左胸に刺さったままのナイフに手をかけた。郷間は力なく、その手を押し止めようとするも。
数分後。残っていた爆弾を設置し終えた牛尾は、その場を退出する際に、動かなくなった郷間の亡骸に目をやった。大量の血痕を残しつつ、出口へと必死に這いずった跡があった。
「プッ。プヒャハ。ヒィャハハハハハ!オレのナイフで死んだのか?それともテメェの毒ガスで死んだのかァ?前言撤回!テメェ、中々面白ぇじゃねぇか!ヒャハ、ヒィャハハハハハッ!」
鼻がひん曲がりそうな、強烈な悪臭。それが意識の覚醒の原因だったのか、そうでないのかはわからない。目が覚めると同時に、鼻につく動物の肉の焦げる臭いに、思わず顔をしかめた。
目に映る両腕は、全面が火傷の痕で覆われていた。爪でひっかくと、その下からは新鮮な細胞、ピンク色の肌が姿を現した。どうして俺はこんな黒焦げに?
一生懸命に記憶の隅をつついても、答えは出てきそうになかった。ヘッドセットや携帯を探す。見つけはしたものの、両者とも焼けて変形していた。これは、どう見てもブッ壊れてるな。またか。どうしてこういつも連絡手段をお釈迦にしちまうんだよ、俺は。
状況から、俺は誰かに襲われたらしい。誰かに燃やされた?焔なんて、最近じゃ火澄の蒼い焔くらいしか記憶に……いや、違う。フラッシュバック。白熱。白い焔だ。金属球。にやけた男。
全てを思い出す。あまりの怒りに、つい咆哮を漏らしそうになる。懸命にそれを抑えつつ、地に座ったまま、"人狼化"した。四肢を縮め、両手両足の爪を鋭く伸ばす。溜め込んだ力を一斉に開放して、そのまま天井へと跳躍した。爪を壁に食い込ませ、知らぬ人間と嗅ぎなれぬ油の臭いへ向かって、天地を逆さに疾駆する。
道行く廊下の奥に、無防備に浮遊する、見覚えのあるシルエット。侵入者とともに施設に入り込んだ、
機銃を盛大に乱射しつつ、無人機はあっけなく墜落した。馬乗りになった俺は、猛然と拳を握り、殴り続けた。人間に出せる力を遥かに超えた野獣の腕力に、しだいに機体を構成するフレームに変形が生じてくる。広がった隙間へ爪を食い込ませ、力任せに分解し、解体し、破壊した。
そして、バラバラに飛び散った部品の中心で、俺は自身の耳へと全神経を集中させる。今の無人機への攻撃で、俺の復活はバレてしまったと考える。馬鹿みたいによく聞こえるこの耳で。侵入者どもの動きを掴んでやる。
周辺は静謐であり、常人には一切の物音が聞こえないはずだ。しかし、俺の聴覚は、聞き覚えのある少女の、狼狽した悲鳴を捕捉することに成功した。
『ちょっとッ、郷間ッ!応答して!郷間ぁッ。殺られちゃったの?そんな、もうアタシ1人なの?!』
『キャハハハハッ。その通りぃ!アンタ1人だけ。ホント諦めてさぁ、さっさと死んでくんない?アンタにチョッカイかけられてっと、ウザくて能力に集中できないんだよねー。ほらぁッ、死ねッ、死ねッ、死ねッ、死ねッ』
音の聞こえる方から、間断なく発砲音が聞こえてきた。良かった!丹生の奴、まだ生きてる!早く助けに行かないと危険だ!
慌てて彼女たちの戦闘現場へと駆け出す。しかし、今の丹生の発言だと、郷間の奴、殺られたのか?俺が殺られかけたクソ野郎の仕業だろうか。だとしたら、野郎はまだ生きている。警戒しなくては。
駆ける。駆ける。全身全霊、自身が出し得る、最高速で。通路を突き進む。唯一つ、俺を燃やしたクソ野郎の存在に、注意を払いつつ。
丹生が相対しているであろう侵入者の、銃声と罵声がだんだんと近くに迫っている。気を失う前に、隔壁が閉じる音を確かに聞いたはずだ。だが、今までの移動で降下した隔壁はひとつも見ていない。敵がセキュリティシステムを掌握していると考えよう。"ユニット"で受けたレクチャーでも、それがセオリーだと教わったからな。
覚束無ぬ記憶の片隅に存在する、この施設の見取り図が確かならば、このまま進めば、非常時の副電源装置の管理区域へと到達する。何らかのツールか、それとも能力か。敵は電気系統から施設のセキュリティシステムに手をかけたに違いない。
ようやく辿りついた。丹生の口からこぼれ出す、小さな呻きを聞き取った。廊下を飛び出す。視界が開けると、パワードスーツと球形の無人機に、挟み撃ちにされ攻撃を受けている、丹生の姿が目に飛び込んできた。丹生は銀塊を半円のドーム状にして、なんとか銃撃を防いではいるものの、銀膜は銃弾でたわみにたわみ、今にも決壊しそうだった。
「何が、死にそうなったら頼りにしろ、だよ…ッ。先に死なれたら、どうしようもないよ、雨月…ッ!」
そう、丹生が漏らした弱音に重なって、俺が叫んだ合図がその場に響いた。
「丹生!俺ガパワードスーツヲ抑エル!!ドロイドニ集中シロ!」
ガアンッ!という破砕音とともに、丹生へと銃撃していた無人機に、金属塊が衝突した。バランスを崩した無人機の射撃は、丹生から大きく逸れ、クルクルと回転する機体の動きとともに、辺り一帯に無差別に飛び散った。衝突した金属塊とは、俺が力の限りに投擲した、破壊した無人機のパーツであった。
たわんでいた銀膜のドームに、力が戻った。既にパワードスーツへと疾駆していた俺は、丹生への攻撃を止めるために、全力の体当たりを食らわせんと試みた。敵からの応射を完全には躱しきれずに、何粒か反撃の散弾を喰らったものの、ほとんど勢いを減ぜすに、パワードスーツへと突撃した。
『――ックショアッ!ナニやってんだ牛尾!さっきの怪物がコッチに来ちまってんぞォ!』
組み付き、壁に押し付けているパワードスーツから苛立ちの音声が滲む。
「良かった、良かったぁ!雨月!生きててッ!う、……お願い!雨月!もう少しだけ、パワードスーツを抑えて!」
「マカセロ!」
威勢良く答えたものの、密着状態のパワードスーツの胸部から、イキナリ馬鹿デカイ断ち鋏のギミックが、バギャン、と飛び出た。出現したそれを見て、大いに動揺する。お掃除ロボットくらいなら、簡単に分断出来そうなほど、ガッシリとした造りの巨大なニッパー。対
鋏の稼働に合わせて、距離を取る。敵はすぐさま、散弾をお見舞いしてきた。お次は転がって回避する。パワードスーツ同士で撃ち合うような、馬鹿デカイ散弾をまともに喰らうのは避けたい。運悪く、四肢が千切れ飛んだら、行動に制限が掛かる。それでも、死ぬ気がしないのは……どう考えても異常だよな。
しかしながら。このパワードスーツに搭乗している奴、かなりの腕だ。実際に戦闘行動をとっているパワードスーツを何体も拝見して来たが、目の前のこいつほど軽快に動く奴は見たことがない。それこそ、生身の人間を相手にしているんじゃないかって、勘違いしてしまいそうなほど反応が良い。
まるで、パワードスーツに魂が乗り移っているかのようで。
背後から、鉄塊が落下する轟音が。振り向かずともわかった。丹生が1機残った無人機を破壊したのだ。
「雨月!ひとまずこっちに来て!」
ちらりと目をやれば、銀色の大盾を用意した丹生が俺を呼んでいた。次々と発射される散弾を避けつつ、彼女の元へと後退した。
大盾の裏側では、目を潤ませた丹生が俺の到着を待ちわびていた。
「雨月、ほ、ほんとに生きて……」
泣きそうな丹生の表情に、場を弁えずに、ちょこっと萌えそうになったが、ぐっとこらえる。
「状況説明ヲ頼ム!野郎ニ燃ヤサレタ後ハドウナッタカワカラン!」
少し鼻声っぽくなった丹生から簡単に説明を聴く。郷間は多分殺られた。まさかあいつが、こうも簡単に殺られるとは……。糞ッ。手をこまねいている暇はない。とにかく早くパワードスーツ女を片付けないと、野郎がこの場に加勢に来てしまう!
「今ノ、ドウヤッテ無人機ヲ壊シタ?」
俺の質問に、丹生は間を開けずに答えてくれた。
「隙間に水銀を流して、一気に体積を増やした。機械なら全部この手が通じると思う!」
「最高ダ、丹生!モウ1回ソイツヲヤロウ。俺ガ敵ノ攻撃ヲ捌ク!オ前ハ敵ニ隙ガデキタラサッキノヲカマシテクレ!」
俺の要請に、一瞬、丹生は口ごもった。顔色が悪い。蒼白だった。怯えているのだ。誰だって、死ぬのは怖い。怪我をするのは怖い。今もなお能力で精神を誤魔化す俺が、彼女を責める資格は無いよな。
「……俺、何度モオ前ヲ守ッテヤルッテ言ッテタナ。ワカッタ。ヤラナクテモイイ。オ前ハトニカク、攻撃ヲ喰ラワナイヨウニシロヨ。」
銀の盾から抜け出す。少々離れた場所に位置するパワードスーツが、背中に積んでいたコンテナを分離しているのを目撃する。コンテナからは、犬型のドロイドが飛び出した。
『Type:GD起動ぉ!犬同士潰し合え!』
散弾を放ちつつ、パワードスーツは俺から距離を取ろうとする。それに反して、犬型のドロイドは一直線に向かってくる。
散弾は、正面からまともに喰らいそうなのだけ避ける。パワードスーツへの
犬型ドロイドが噛み付つかんと、飛びかかってきた。渾身の蹴りを放つ。銀色の犬はボディを豪快にヘコませ、スクラップになる。
『牛尾!牛尾!牛尾ォォ!ナニチンタラやってんのよ!早く来いよ!オマエェェェ!アンタが助けに来るまで、起爆スイッチは絶対押さねェかんな!』
目の前の敵から発する声色は、際立って狼狽しているように感じ取れた。しかし、あいも変わらず、そのパワードスーツ搭乗スキルは色褪せずにいる。
あのように軽快に動くパワードスーツの外装を、ちまちまと剥がしていく作業は無理筋だろう。だったら、お前を抱え上げ、大地に打ち付けてやる。いや、よく考えれば、パワードスーツの対衝撃性能は高い。無駄足だ。それなら……壁面にぶん投げて、埋めこんでやる。身動き取れなくしてやるよ。
再び、敵に組み付いた。抱えあげ、投げつけようとするも、ギチギチと動く胸部の巨大な鋏が良い具合に邪魔をする。チッ、糞。時間が無ぇってのに。その時。
「雨月!行くよ!」
後ろから、丹生の強張った掛け声。頼ム、と返事をして、精一杯、パワードスーツを持ち上げる。
銀の触手がパワードスーツに入り込む。しかし、その時、暴れていたパワードスーツの上体がズレる。冷や汗がでた。この位置だと、刃と刃の間に、俺の首がある。早く、丹生……
ジャキン、と刃が閉じた。咄嗟に姿勢をずらしたのが間に合った。なんとか首は無事だった。だが、その代わりに。
流血。血飛沫が舞う。丹生の悲鳴。ゴトリ、と俺の左腕が、体から離れて地面に落ちた。左肩から先が切断されてしまった。
筋肉が盛り上がり、すぐに出血が治まる。能力を使って、パニックに陥らないようにした。大丈夫だ、俺の体なら、あとでくっつけられるはず。……いやいや、そうやってのけるしかないぞ、俺。一生片手なんて御免だ。
パワードスーツは、バラバラに分解されていた。すぐそばに、心底怯えた表情で腰を抜かす、金髪の少女が。
悪く思わないでくれ。俺は手加減は軽くに止め、少女を残った右手で掴み、近くの壁に投げつけた。ドガァッという、嫌な音とともに、女は泡を吹いて崩れ落ちた。完全に気を失っている。多分、生きているだろう。死んでいても、もうそれは仕方がない。
パワードスーツは片付けた。一息つく。あとは俺を燃やしたあのクソ野郎だけだ。……チィッ。次から次に。嗅覚が、濃密な、俺を燃やしたクソ野郎の匂いを捕える。すぐそこだ。
「丹生!女ヲ連レテトットト逃ゲロ!今スグダ!」
丹生にそう言い放ったのと、ほぼ同時に。廊下の奥から、3つ。ギザギザと、トゲがたくさん付いた金属のつぶてが、高速で飛来する。
反射的に、右手で防御した。しかし、それは飛来するつぶてをいかほども妨げず、右手の甲や二の腕を貫通して、俺の腹部にズブズブと入り込んだ。幸い、丹生には放たれなかった。厄介だ……、"百発百中(ブルズアイ)"。
ドクン、と体が脈動する。この感覚は、味わったことがある。毒だ。畜生、つぶてのトゲに毒が仕込んであったのか!……耐えろ!後ろには丹生が居るんだぞ!ここで倒れる訳にはいかない!
俺の体は、幸運なことに、強固な意志に従ってくれた。毒で体に異変を感じたのは、僅かな時間だった。廊下の奥から、牛尾が姿を現した。大型のパチンコみたいな道具を持っている。あれは……スリングショット。そうか、あのつぶての速度。それを使ったのか。
「ヒャハ。面白ェ!狼男なんて初めて見たぜ!しかも。お前ェ、なんで毒喰らって倒れねえんだ?効かないの?スッゲェなァ、オイ!」
迂闊。どうして牛尾の接近にもっと気を配らなかったんだ!そうだ。後ろにはまだ丹生がいる。彼女に聞いた、牛尾の能力だと、この場からどうやって安全に彼女を退避させればいい!?糞、糞ッ。どうする?!どうすれば?!
てくてく、と歩み寄る牛尾は、地面に伏した刈羽の姿に気づいた。
「あれまァ。殺られちまったのか、万鈴。悪ぃな、間に合わなかったぜ。……はぁ。メンドくせぇ。自分で爆弾起爆しなきゃなんねぇのかァ。」
……こいつ、挑発に乗ってくれるか?……糞が、他には何も思いつかねぇ、畜生。やるしか無い。
「サッキハ良クモ、俺ヲ焦ガシテクレタナ、クソ野郎。」
「……ぁあ?テメェ、もしかして……俺が燃やした坊主かぁ?プヒャハ!マジかよ!なんだそりゃ、
目の前で同僚か、もしくは手下か。仲間が倒されているというのに、牛尾の表情には一辺の怒りも見受けられなかった。ただ純粋に、場にそぐわない愉楽の感情だけが受け取れる。
「トコトンムカツク奴ダナ、テメェハ。……
「あーあーあー。そう言う感じ?オーライ。ヒィャハ。了解だぜぇ、狼男。テメェは
牛尾の気を惹かないように、精一杯演技して、丹生へと語りかけた。
「ソノ女ハホウッテオイテイイ。テメェハ邪魔ダカラ、トットト失セナ。」
俺の意図を理解してくれた丹生は、すぐに背を向けて走り出した。だが、彼女が無事逃げきれる、と安心したのも、束の間だった。
「あァ、邪魔なのか?じゃァオレが手伝ってやんよ?」
チャラけた態度を見せたものの、やはり仲間をやった敵を見逃すつもりはなかったのだ。一瞬の早業。スリングショットを引き寄せ、金属球を高速で打ち出した。フラググレネード。破片手榴弾だった。ターゲットは丹生だ!あああ、畜生、畜生、畜生が!
「走レ!丹生!」
牛尾が真上に打ち上げたグレネードは、大きく山なりの軌跡を描き、逃走する丹生へと迫った。身体が弾け飛ぶかと思うほど、心拍数を上昇させ、思考を全開に加速させていたおかげで、完璧なタイミングで飛び上がり、残る片手で手榴弾を掴んだ。
やはり、ピクリとも動かない。俺の体をぶら下げたまま、グレネードは進んでいく。獲物がグレネードで助かった。とりあえずは、このまま丹生との間に体を挟んで、爆発から彼女を守ろう。
そう。俺は、手榴弾を掴み、彼女を庇おうとしたのだ。だが、右の掌の中で、グレネードは不自然な動きをする。俺の手をすり抜けようとしている。どうしてだ?この大きさの手榴弾なら、そのまま掴んで……。
それは、穴だった。俺の体に、穿たれた穴。先程、毒を受けた時に、つぶてが貫通した穴だった。手や脚のケガなど、いつも後回しにしていた。どうして、ああ、どうしてなんだ!?どうして、治癒しておかなかった!?
必死に、手の甲の穴を塞ごうとした。しかし、無情にも、服に穿たれた穴をすり抜ける鈕のように、グレネードは表面を血に染めて、ぬるりと俺の右手から抜け出した。
自由落下する俺の目には、まっすぐに彼女へと向かう真紅の金属球が映る。全てがスローに映る。
"ガ、ー、ド、シ、ロ"と叫ぶ自分の声すら、ゆっくりと。
丹生は緩やかに振り向いて、見事に銀の盾を広げてみせた。あれは、"
血に染まったグレネードは、銀の盾を、なんの抵抗もなく、くぐり抜けた。
でも。はは、まだ爆発しない。
不良品だったのか。どんなに科学が発展しようと、人の手が介入する以上、こういうことはありえる訳で。
小さな頃、聖マリア園の皆でやった、打ち上げ花火みたいな音がした。ほぼ、ゼロ距離。あの距離で、手榴弾が爆発すれば、まず間違いなく、人は死ぬ。
「GWOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHH!!!!」
ジュワジュワと全身から蒸気が吹き出している。心底楽しそうに嗤う、目の前の男を、どうやって苦しめようか。どんな死に方が此奴には相応しいだろう?
「ヒィャハハハッ!ヒャハハハハハハッハハハハハッ!さあ、"サシ"で殺ろうぜ?狼男!」
殺してやりたい。そう思うものの、目の前の男は、懐から取り出したドデカい拳銃や、
スリングショットから放つ毒のつぶてを手当たり次第に使い、決して俺を接近させなかった。
「ヒャハハ!最高だぜ!どちらが死ぬか。テメェが近づけるか、オレがその前に殺しきるか。オールオアナッシング!戦いってのァ、こうでなくちゃつまらねぇ!」
馬鹿デカイ拳銃は、喰らえば体の何処に当たろうと、その衝撃で大きく後ろへ吹っ飛ぶ。つぶては、俺の体内へと深く埋まれていく。奴へと近づく勢いは減ぜられ、いつかは行動が阻害されることになるだろう。
それでも、怒りに染まった思考が、愚直に奴への特攻を選択し続ける。吹き出し続ける蒸気が、治癒の速度を物語っている。未だ、一進一退の攻防の最中だった。
「そろそろ手持ちが切れちまうなァ。狼男!楽しかったけど、もうそろそろ終いといこうや。」
牛尾は、新たに懐から、暗く、鈍く光沢する金属球をいくつも取り出した。手にとったそれを、今度は自らの手で投擲した。
俺の胴体の各所に着弾したそれらの金属は、俺の体を宙に浮かし上げ、磔けた。牛尾は取り出した大振りなナイフを見せつけると、最後に一言。
「あばよ、狼男。」
投げられたナイフは、まっすぐに俺の脳天へと突き刺さり、頭蓋を付き破った。
目の前に、ニヤケ面を止めた牛尾がつっ立っている。俺はまだ、生きている。当然だ。こいつを殺すまで、死んでやるものか。
金属球が邪魔だ。身動きが取れない。右手の爪を、鋭く、長く尖らせる。そして、肉を押し上げる金属球との接触部に、自ら、ズブズブと爪を差し込む。ゆっくりと、金属球は俺の体内に沈んでいった。同時に、体を押し上げる力は消失し、今一度両足で、地面に降り立った。
「……はぁ?そりゃ、ねえだろ。一体、どうやったらテメェは死ぬんだよ。」
ゆらり、ゆらりと後ずさる牛尾は、最後の抵抗と言わんばかりに、拳銃のトリガーを引く。カチカチ、と音が鳴る。弾切れだった。
「……負けだ。オレの負け。わかった。ここから出ていく。そこに転がってる女は好きにしていいぞ。テメェにくれてや
牛尾が最後まで言い切る前に、猛然と飛びかかり、首筋に噛み付く。一噛みで、脊椎は潰れ、千切り喰った首を失った頭部は、ゴトン、と床に落ち、ゴロゴロと転がった。
喉から、ごぼごぼと空気が漏れ出る音。それに、ぶしぶしと血が飛び散る音。脊髄が潰れる音。筋肉が千切れる音。人間が死ぬときは、こんな風に、色んな音が一緒に生まれるんだな、と。そんな感想だけが、浮かんでいた。
左肩を、軽く噛み千切り、落ちていた左腕を、断面にくっつける。ジュワジュワ、と泡立ち、左腕は完璧に元通りになった。
丹生の元へと歩き出す。守れなかった。守れもしないくせに、俺は何度、助けてやるって口にした?丹生がどんな姿になっていようと、責任をもって、彼女の、両親に。そのことを思うと、否応なく、怒りが治まり、冷静な思考回路を取り戻す。いや、肉親がいるならば、暗部に身を窶してなんか、いるものか。
そこで、初めて気づいた。丹生の、血の匂いが漂ってこないことに。駆け出す。
床は、黒く焦げ、破裂した金属片で辺一帯穴ボコだらけになっていた。だが。だけど。
「……んぅ。」
すぅ、すぅ、と静かに呼吸をする、丹生。爆発など、何事もなかったかのように。周囲の状態とは裏腹に、彼女の姿だけ綺麗なままだった。
どうして無事だったんだ?……いや、いい。生きている。どうみても、丹生は生きている。丹生を持ち上げようとして、ヒヤリとした感触に驚く。
彼女の背面。全面に、膜上になった水銀が。銀膜は、綺麗に彼女の表面を覆い、その身の動きに応じて整然と形を変える。
水銀の防御膜。そうか。それなら、あの結末は……。あの時、俺の手の甲をすり抜けたグレネード。あれが、彼女の命を救ったのか。ナイフや毒のつぶてだったら、おそらく彼女は死んでいた。あのグレネードをなんとか受け止めていても、牛尾の追撃の銃弾一つで、彼女は死んでいたかもしれない。途中で破裂し、消滅するグレネードだったからこそ、今際の極で、銀膜で防御することができていたんだ。
しかし。ひとつだけ、脳内に引っかかる。無意識のうちに、水銀で防御膜を……?"自動"で"防御膜"を"展開"する……。そんな話を、どこかで聞いた気がする。
丹生を背負い、歩く最中。どこでその話を聞いたのか、思い出した。
窒素の装甲を自動で展開させ、鉄壁の防御を誇る、と。丹生も、気を失ってなお、硬質の銀膜を展開している。
丹生は、今では暗部の界隈で、"暗闇の五月計画"と呼ばれている、俺が発端となった計画に。ほぼ間違いなく、関係している。
"ハッシュ"の増援部隊が、遅れに遅れ、ようやく到着したのは、丹生を介抱し始めてから十五分以上経ってからだった。郷間、魚成という犠牲は出したものの、施設の重要な設備は守りきった。任務を無事完遂できた俺は、一安心する。
医療班員に丹生を診せたが、何処にも怪我はない、と診断された。静かな部屋で1人、丹生の側に付き添い、彼女の目覚めを待つ。
「んにゃ…………ぅんぅぅ」
明け方、ようやく彼女の目が覚めた。両手を広げて、伸びをして、大きなあくびを一つ、かましてくれた。目の前に俺がいると気づいて、すぐに動きを止めたが。
「なんで、雨月……が……。」
気を失う前の事を思い出したらしく、無事にくっついている俺の左腕を確認し、ほっ、と安堵した。しかし、その後は彼女らしからぬ、陰鬱とした表情のまま塞ぎ込み、室内に気まずい空気が流れた。
ひとまず俺は、事後報告という形で、郷間と牛尾の最後について、できるだけオブラートに包んで彼女に語った。
「郷間、さん。死んじゃったんだ……」
「ああ。死ぬとこ、あんま想像できない人だったけどな。」
俺の返答に、丹生はより一層身を縮こませて、ベッドの上で座ったまま、顔を伏せた。
「雨月、手が無事にくっついて良かったね。」
鼻声で、丹生が泣きそうになっていることがわかった。当然のことだ、と言って、場を和ませようとした。成功はしなかったが。
「いいなぁ、雨月は。体が頑丈で。能力も、強くて。きっと暗部での仕事も、怖くないんだろうなぁ。」
丹生のつぶやきに、俺はなんと答えようか迷ったものの。
「……ああ。そうだな。丹生の言う通り、俺はこの世界で闘い続けることには、微塵も恐怖を感じちゃいないよ。」
ポタリ、ポトリ、と、シーツに丹生の涙が滴った。
「アタシは怖い。怖くてたまらない。死にたくない。死にたくないよぅ……今まで死なずにこれたのは、運が良かっただけなんだっ……。今日みたいに、いつも死ぬ寸前だったッ!ぅぅ。」
暫くの間、丹生はさめざめと泣きはらした。少し落ち着いてきたところで。俺は、自分がどうして暗部で金を稼ごうとしているのか。丹生に打ち明けた。聖マリア園に大金を届けるためだ、と。
「じゃあ、雨月は、自分から暗部に入ったんだね。……やっぱり、アタシとは違うなぁ。」
丹生の言葉から、彼女が自分の意志で暗部に入った訳ではないことがわかった。自分の意志で入ったのではないのなら。そのワケを聞きたい。
「丹生と俺が違うって、どういう意味でだ?……丹生は、どういう理由で暗部に来る羽目になったんだ?確か、暗部に入ったのは今年の六月からだったよな?」
俺が自身の理由を語っていたためだろうか。彼女は、ポツポツと涙声で、俺に語りだした。彼女が暗部と関わる事態に陥った、その経緯を。
「お父さんとお母さんは、2人とも
俺は、その言葉に動揺した。五月に、死んだ。研究者。もしか、して。
「どうしてお父さんとお母さんが死んだのか、不思議だった。アタシも、ちょうどその時、お父さんとお母さんが仕事してた研究とか実験に、参加してたから。色々と知ってたの。研究員が事故死するような、研究じゃなかったんだ。」
口を挟まずには居られなかった。
「なぁ、丹生。その、お前が参加してた研究って、なんていうやつ?」
丹生は、俺がどうしてそんなことを聞きたがるのか、不思議そうな顔をしていたが、きちんと答えてくれた。
「名前はいくつかあって、どれが正式なものかわからないけど、今では、"暗闇の五月計画"って呼ばれてる。」
丹生が打ち明ける身の上話を、俺は、俺がその計画に関わっていたことを一切知らせずに、聞き通した。
両親が"暗闇の五月計画"の研究者だった丹生は、その伝手で、彼女自身の能力のレベルアップも見込んで、計画に参加していた。
だが、俺がよく知る通り。あの日の夜。黒夜海鳥が、その日、先進教育局内にいた研究員や被験者を、無差別にすべて殺し尽くした。
その中に、丹生の両親が含まれていた。両親を失い、呆然とする丹生の前に、冷たい雰囲気の、よく知らない人たちが押し寄せ、こう伝えたのだそうだ。
彼女の両親が、暗部で働いていたこと。その関係から、彼女に多額の借金があり、同時に、両親が結んでいた契約から、彼女が暗部の部隊に配属される、と。一方的に。
暗部で仕事をしなければ、日々の生活すらままならない。それ以前に、明確に"暗部の任務に就く"ように、義務付けられているらしい。借金を全額返済するまでは。
「でも、そんなの、突然やれって言われたって、無理に決まってるよ!アタシ、普通の中学生だったのに!怖くて怖くて。……あははははッ。武器の名前だって、一生懸命、強そうなの考えて、色んなのを用意して、すぐに使えるように、頑張って練習したけど。……そんなの、
俺は、知っている。丹生の両親がどうやって死んだのか。誰が殺したのか。それどころか、なぜ死なねばならなかったのか、その理由すら知っている。関節的に、丹生の両親が死ぬ原因を作った責任が、俺に存在することも。
いつも、いつも、常日頃。能力を無意識に使って、存在を忘れさせている、胸にぽっかり空いた黒い穴が、大きく、大きく広がっていく。
全ては、あの日。俺が、幻生の口車にのせられなかったら。丹生は暗部になんか入っちゃいなかった。普通の女子中学生でいられた。いいや、そもそも彼女の両親はきっと死なずに済んだだろう。
同時に、脳裏をよぎる。俺のせいで、暗部に入らざるを得なかった人間が、丹生1人だけだとどうして言い切れるだろう?きっと、他にもいる。そして、俺は、知らず知らずのうちに、コレから暗部で戦い続け、俺のせいで暗部の中で苦しむ羽目になった人々を、やがては手にかけ、殺すのか。
今から抜け出す?命を投げ捨てて?もはや、賽は投げられた。今更俺が死のうと、誰も助からない。俺が助けた人間しか、助からない。はははははっ。そもそも助けられるのか?どうやったら、助けるんだよ。どうやって……。
今投げ出せば、聖マリア園のメンバーが。俺の家族が、暗部の闇に飲み込まれてしまうかもしれない。投げ出さずとも。丹生のように、更なる犠牲を生んでいく。
どんなに綺麗事を言おうと、お前はもうとっくに人殺しだぞ、と、俺の中の獣が囁く。
「なあ、丹生。お前、暗部に入ってから、さ。もう、誰か、殺しちまったのか?」
丹生は鼻水をすすり、首を降って、まだだ、と返した。
丹生の奴、クソみてぇに泣きまくりやがって。涙も、鼻水もだらだらじゃねぇか。でも、どうしてだろう。どうあがいても、結局、無意味のような。抵抗すべき方法が、全くもってわからない、この闇の中でも。
丹生を、まっとうな光の世界に、もう一度返してやれたらな、と思えて仕方がなかった。コイツは、まだ、誰も殺してない。だったら、なんとか、元の世界へ、帰れないかな?
能力を解除すると、体中の傷の痛みが、俺の意識をガタガタに揺さぶった。痛みは、人間を簡単に、楽な道へと誘導する。でも、それでもやっぱり、俺は。
聖マリア園のみんなが、学園都市の闇に染まるのが、我慢ならないように。それと同じくらい、丹生が、このまま暗部で絶望に暮れ、命を落とすことが、耐えられそうになかった。どうしてもだ。
俺は、丹生の涙と鼻水を、服の袖で無理やり拭った。なされるがまま、彼女は受け入れた。何時もの丹生ならば、コンマ2秒で、「なにすんだよ!」と肩をいからせていただろう。
覚悟を決めた。それから俺は、自分が知っていること、すべて。それこそ、計画の要となった、俺自身の能力から、丹生の両親を殺した、黒夜海鳥のこと。俺の今までの責任と、幻生への抵抗のすべてを、彼女に語ったのだ。
憎悪に染まった、丹生の瞳が、らんらんと輝く。俺の首には、銀色の槍が今にも突き刺さらんとしていた。
「別にいいぜ、丹生。お前がぶっ殺したいんなら、そうすればいい。お前に殺されるのは、だいぶマシな終わり方だと思えるところが、本当に、どうしようもないんだよなぁ。」
丹生は、結局、水銀を元の水筒に戻した。正直俺も、彼女が俺を殺せるとは思ってなかったけど。
その後に。丹生は、許して欲しければ、泣いて謝れ、と要求してきた。
思わずポカン、と呆ける俺に、膝のあいだに顔を伏せたまま、「アタシだけ泣いたままじゃカッコつかないから、雨月も泣いて謝りなよ。」と続けて抜かしやがる。
そんなことで、本当に許すんだな?と試しに尋ねる。彼女は、大真面目な顔をして、許すよ、と返した。
……いいだろう。能力の一切を解除して、お前に懺悔してやろう。俺の泣きっぷりは、半端じゃないぜ、覚悟しておけよ。
俺は、なんだかんだで、暗部に片足を突っ込んで以来。誰にも、己の罪を懺悔したことは無かった。予想通り、丹生はドン引きしていた。泣きじゃくり、自分が、何を口ばしったのかすら、碌に覚えていない。彼女に、「お願いです、助けさせてください。」と泣いて懇願したりな。
能力を発動させ、それまでの泣き言をすっぱりと断ち切った俺の態度に、丹生は再び呆れた。しかし、ほのかに頬を染め。
「景朗。信じるよ。どうかアタシを、助けてください。」
そう言って、俺をギュッと抱きしめたのだった。あれ?本当になにを口走ってしまったんだろう?俺は?
水曜日にキャラクター設定とか能力設定とか上げるかもしれません。需要ないけど、読んで欲しいんだァ!せっかく考えたので。生き恥をあえて晒していこうと思います。