戦姫絶唱シンフォギアG ーAn Utopia is in a Breastー 作:風花
「お、おおッ、おおおおぉぉ……」
モニター越しの光景に慟哭の叫びを上げ膝を付くウェル。
ジェネレータールームまで逃走したウェルは、ネフィリムを心臓と融合したフロンティアから造り出し奏者を攻める武器とした。序盤は一切ダメージを受けない一方的な展開だったが、マリアが展開した聖詠によるバリアフィールド、資料にあったエクスドライブ化したシンフォギアの出現によって攻勢は一気に逆転。
八人の奏者の攻撃によって一撃で撃破されてしまった。
「何で……どうしてネフィリムが……」
ぶつぶつと絶望の中でも思考を止めないウェル。しかし、考えれば考える程泥沼に嵌っていく。
抜け出せない思考からウェルの意識を引き上げたのは、
「ウェル博士ッ! お前の手には世界は大きすぎたようだなッ!」
逃走したウェルを追いかけてきた弦十郎と緒川、そして日向だった。
ここまでのルートにウェルは幾重にも封鎖と罠を仕掛けてきた。にも関わらず三人に外傷は見当たらない。
「くそ……ッ!」
ここまできて、とウェルは足掻く。
ここまできたのだ、諦められるわけがない。端末に手を伸ばすが、
―弾ッ!
「あ……ぐっ!?」
それを許すほど誰もお人好しではない。
緒川が捻りながら撃った拳銃の弾丸。それは山なりの弾道を描き、ウェルの肉体ではなく影に撃ち込まれる。
瞬間、ウェルの身体が動かなくなる。
——影縫い——
かつて翼達に教え翼が会得した《影縫い》——それのオリジナルにして現代に合わせて改良を重ねた現代忍術。
「あなたの好きにはさせません!」
「ぎぃぃ……奇跡が一生懸命の報酬なら——」
動かない身体。
それでも力を籠める。力みすぎた腕、そして両目から血を流す。
それでも——諦めない。
「このッ、僕にこそ――ッ!!」
《影縫い》は奏者でさえ抜け出る事が至難の業。
にも関わらず、ウェルは力ずくで抜け出た。それほどの想いに弦十郎と緒川も一瞬動けなかった。
その一瞬でウェルのネフィリムと一体と化した腕が端末へ届く。ネフィリムの腕を通してウェルの命令がフロンティアへ伝わる。
―輝ッ!
妖しい輝きと同時に動力炉が一際強く輝き出す。
「何をしたッ!」
「ただ一言ッ!」
弦十郎の問いに、ウェルは血涙を流しながら叫ぶ。
「ネフィリムの心臓を切り離せと命じただけッ! こちらの制御から離れたネフィリムの心臓はフロンティアの船体を食らい、糧として暴走を開始するッ! そこから放たれるエネルギーは1000000000000℃だァッ!!」
両手を広げ高笑いを始めるウェル。
それを見て、近付こうとする弦十郎だったが、その歩みは日向の広げた手に止められた。
「……」
「ここは、僕に」
「……任せた」
こくりと頷き、日向はウェルへと歩く。
日向の歩みに気付かないウェルは高笑いをやめない。
「僕が英雄になれない世界なんて蒸発してしまえば——」
「なら、英雄にしてあげるよ」
高笑いをやめて振り返る。
日向が落ち着いた様子で近付いていた。
「賭けをしようウェル」
「……あぁん?」
「勝てば英雄として祭り上げてやる。負ければただの人間として裁きを受けろ」
わずかに腰を落として告げる。
「勝負は英雄らしく一撃の拳打。一歩でも引けば負けだ」
「……」
「もちろん、お前はネフィリムの腕でもLiNKERでも使えばいい。僕はギアはないし、ただ殴るだけ」
「はん、そんなもん——」
「ちなみに受けない選択肢はないぞ。受けなければ、待つのはただの人として死ぬか、ただの人間として裁きを受けるかの二択だけだ」
「……」
「逆境ぐらい撥ね除けてみせろよ英雄。さっきの一生懸命のように」
「……いいだろう。だが僕の勝利に条件追加だ。お前が主犯格として全ての罪を被れ」
「上等。構えろよ、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスッ!」
日向の叫びに応えるように、ウェルは懐から注射器を取り出し腕に注入する。ネフィリムを取り込んだ事により肥大化した腕が更に一回り膨れ上がる。
ミチミチと音が聞こえてきそうな腕をウェルは振りかぶる。
日向は端末に拳打を打ち込み、砕いた瓦礫から手頃なサイズの礫を拾い、放り投げた。
ウェルにもその礫が合図と云う事は読めた。握る手に更に力を籠める。
通常であれば敵うわけがない。ウェルは科学者であり武に関しては素人なのだ。それでも勝算はあると科学者としての計算が彼に告げていた。
——乾いた音。
「きぃええぇえええぇぇえええッ!!!」
「——ッ!!」
―打ッ!
奇怪な絶叫に続き打撃音がジェネレータールームに響く。
拮抗する拳。いや、わずかにウェルの拳の方が押していた。
計算通りの結果にウェルの口角は釣り上がっていた。
本来であればウェルが武で日向に勝てる確率などゼロだ。コンマを付け加えてもゼロしかない。ウェル自身がそう理解していた。
だが、今日この時だけは勝率をゼロから引き上げる事ができる。
数時間前の海上での一戦。もっと言えば街中で絶唱を使ってから。日向はまともな治療を受けていない。
それからほとんどを自己治癒で済ませて、海上での一戦、そして捕虜となり休憩なしでフロンティアに上陸したのだろう。どう考えても体力が落ちていないはずがない。
ほら、現に——
——拳が“拮抗する”なんて事になるんですよぉ……ッ!
普通であれば、そんな事はありえない。
だが、治癒しなかったツケがここで自身に返ってきているのだ。
自業自得だと、ウェルは胸中のみで嗤いをこぼしていた。
ジリ、ジリ、と日向の踏ん張る足が徐々に下がっていく。
——勝てる! 僕こそ世界に認められた英雄なんだッ!
「……お前の並々ならぬ英雄への渇望は認める」
「……あん?」
俯いた日向の口にしたセリフ。
ウェルは力を抜かないよう細心の注意を払いながら口を開く。
「ハン、負けた時の言い訳か? ガキだからと云って泣いてごめんなさいして許してもらえると思うなッ!」
「違う……いや、違うのが違う。これは確かに言い訳だ——
「何を……ッ、なに、を?」
俯いていた顔を上げる。
言い返そうとしたウェル。しかし、直後、語尾になったのは疑問の声音。
顔を上げた日向。その表情は——微笑んでいた。
それだけならば、疑問は浮かんでも声にも出さなかった。問題はその後だ。
日向の顔の隣に、まるで空気から生まれたかのように現れた少女の顔。そして抱きつくかのように日向の身体に回された手。
誰だ、と思案してすぐに記憶から引きずり出される。
馬鹿な、ありえない。何故、“死人”が——
「ウェル……
「せ、セレナ……カデンツァヴナ・イヴ……ッ!?」
「お前にいるか? そんなヒロインが」
僕にはいる、と日向は迷う事なく告げる。
日向の言葉に、セレナは微笑み頬擦りをして溶けるように消える。
セレナの消失に日向は何も言わず、しかし片目に一筋の煌めきを残し、高らかに“唱う”!
「Ur shen shou jing serenade tron——!!」
馬鹿な、と今度こそウェルは叫んだ。
その聖詠はなんだ。何故ギアを持たないのに唱うッ。聖詠に刻まれたその銘は——!
「かつて僕はフィーネに僕も知らない才を知られ、フィーネ自らの手によってF.I.S.に連れてこられた」
「ッ、う、腕がッ!? 僕の、ネフィリムの腕がぁッ!!?」
ギアを纏った日向の独白。
同時に膨張したウェルの腕がボロボロと崩れ始めた。
「数ヶ月前、ある試みをフィーネは極秘裏に僕に施した」
それはマリア達ですら、知っているのはナスターシャを含めごく少数。
融合症例のデータを元に、“擬似的に融合症例を生み出そうとした”なんて、非道な事を知っている者は。
結果は変化なしとされ無いモノと扱われ、フィーネはその後更にデータを集め、
しかし、確かにもう一人融合症例はいたのだ。
フィーネの指示を受けた科学者が“被験者の安全”を考慮した処置を施した故に。
被験者の名は音無日向。
科学者が選んだ聖遺物の銘は
結果は全てにおいて処方前と変化無し。
よってフィーネも、処方した科学者すら忘れてしまっていた。
その後はマリア達と共にF.I.S.を抜け、再びネフィリムの奏者となった。
だが、ナスターシャだけは忘れていなかった。
さて、この時に疑問が出てくる。
フィーネは何故自分の手で見つけた日向を手元に置かずにF.I.S.に送ったのか。
クリスの時のように自分の手駒として手元に置いて管理なり調教などして操ればいい。なのに何故か?
答えはナスターシャの手によって解明されていた。そして秘匿されていた。
かつて鏡華の身に宿った聖遺物を隠した弦十郎のように。
「この身に宿す
それは以前、響との一騎打ちの末に、融合した聖遺物によって危機に陥った響を救うために日向が使った能力。
融合による症状を一定の位置にまで戻した能力。
マリアが聖遺物のエネルギーを下げると称した能力。
オッシアが聖遺物の力を殺す人間と言われた日向の、日向だけの能力。
「あぁっ、ああッ! なぜ? なぜなぜ、なぜなぜなぜぜなぜぜぜぜ——ッ!!?」
「教えてやるよウェル」
ネフィリムの腕が元の細腕に。
ただの腕にギアが纏われる。
逆転した立場に、日向は躊躇いなく腕を振り切る。
元の細腕で敵うはずがなく、ウェルは吹き飛ぶ。尻餅をついたウェルに日向は見下ろしながら言った。
「僕の能力の名前は——バラルの呪詛」
「ば……バラルの呪詛だとぉ……ッ!?」
「相互理解を阻害する月の機能と同じく、僕の能力も相互理解を阻害する。だけど僕のは人と人を阻害するものじゃない。人と
「ぁ……ッ、ま、まさか……そんな事まで」
「まあそのせいで
ギアが強制的に解除され元の私服に戻る。それでも日向はウェルへと一歩踏み出す。
「僕の勝ちだ。裁きを受けろ、ウェル」
「……裁きだなんて面倒な事を。この場で僕を殺せば簡単なものを……」
「いいや、そんな事はさせない。例え二課の人や奏者、そしてマリア達がお前の死を望んでいたとしても、僕はお前を絶対に殺させない! お前は僕達と一緒に裁かれるんだウェル。一人の人間として、法によって裁かれるんだッ!!」
「……くそッ、くそ、くそくそッ、くそッ! ちくしょう! 殺せよ! 殺して僕を英雄にしてくれよぉッ!!」
一回りほど年下の少年の言葉に、ただの人間と思い知らされたウェルはただただ喚き立てる。
英雄を願望した男の末路は、どこにでもいる一人の人間として裁かれる。
それこそウェルと云う男に与える罰として最大のものだろう。
喚くウェルの意識を刈り取って、日向は肩に担ぐ。
弦十郎と緒川は何も言わずにただ頷く。
「さあ、急いで本部に戻るぞ緒川」
「はい。音無君も一緒に」
「分かりました」
ウェルとのやり取りの間に取り込まれていた心臓がついに暴走を始めるのか、発光がさらに強くなる。
日向は弦十郎と緒川と共に急ぎジェネレータールームを後にした。
部屋を出る直前、日向は立ち止まり振り返る。
部屋には吸収を始めているネフィリムの心臓以外誰も、何もない。
それでも日向はただ一言、口にした。
「ありがとう——セレナ」
そう言って今度こそ走り出す。
——だから気付かなかった。
「——」
呑み込まれそうな部屋で一瞬、手を振る少女の姿があった事を。