戦姫絶唱シンフォギアG ーAn Utopia is in a Breastー 作:風花
カチャカチャと食器を鳴らす音。
普段は気にならない音も、今の翼にとっては不愉快に聞こえた。
「なんか食えよ。奢るぞ?」
食器を鳴らす張本人、クリスがナポリタンを頬張りながらメニューを渡してくる。
夕食は食べる気にならず抜いていたので空腹は感じていたが、翼は受け取ったメニューを元の場所に戻した。
「夜九時以降は食事を控えているから遠慮させてもらおう」
それにしてもだ。
翼は目の前で頼んだ料理とそれを食べるクリスを、薄く開いた眼で観察する。
口には出さないがはっきりと思う。食べ方が非常に汚い。
うどんやそばならともかくパスタをすすり上げて音を立てるわ、口をソースで染めるわ、フォークの持ち方がなってないわ、と、これっぽっちも食事の作法がなっていない。あと、頬にマッシュルームがくっついている。
いくら治安の悪い国で子供二人で生活していたからと言っても、食事の作法ぐらい憶えているはずだろう。
ちらりとクリスの隣を見る。
クリスの隣に座るヴァンは黙々とステーキを食べている。持ち方も間違ってないし、ナイフが食器に当たる音も小さい。
一体、何がどうなってここまで違いが出てくるのだろうか。
翼は苛立ちを無意識にその疑問で抑えていた。
「そんなんだから、そんななんだよ」
「……用がないなら帰るぞ。あとその話題、今度口にしたら捌くからな、憶えておけ」
「そんなんだから、胸がそんななんだよ翼」
「確かに今の言葉は雪音に言ったものであって、奏に言ったわけじゃないけど。それでも奏、だからと言って奏が言っていい理由にはならないぞ?」
溜め息と共に吐き出した言葉を、隣でクリスのように色々食べている奏は軽く流して食事を続けている。
まともに話を聞いてくれそうなのがヴァンしかいなかった。そのヴァンも聞きに徹していて口を開こうとしない。
「まあ、呼び出したのは一度一緒に飯を食ってみたかっただけさ。腹を割っていろいろ話し合うのも悪くないと思ってな。だけど片翼、それ食った分は自分で払いやがれ」
ナポリタンを食べ終えたクリスはフォークを片手に、翼と奏に言った。
「えー、奢ってやるって言ったのはクリスだろ」
「食い過ぎなんだよ馬鹿。——なあ、あんたは感じないか?」
「……何がだ?」
クリスの問い掛けに質問で返す。
「少しずつ何かが壊れてきてるって事に、だよ。決定的に大事な居場所は無事だけど、それでも外側から着々と蝕んできやがる」
「……」
「蝕むのは誰だ?」
再度、問い掛けるように呟く。
しかし今度の問いにクリスはすぐに首を振った。
「なんてな。
あの頃はフィーネの言葉を鵜呑みに聞いていた。もちろん、その事を聞いた相手は大抵、仕方ないなどと言ってクリスに非はないと言うかもしれない。しかし、フィーネの言葉であろうと、ソロモンの杖を起動させたのは他ならぬクリス自身だ。
その事は、クリスの中に未だ後悔として残っている。歌による平和を夢と見ながらも、その歌で争いの火種を生んでしまったのだ。後悔するなと云う方が無理だろう。
「今回だってそうだ。あたしが起動させたノイズのせいで、あいつらは……」
「雪音……」
クリスの本音に、翼は思わずと云った様子で呟く。同時に先ほどまで胸の内の苛立ちが薄れていくのが感じられた。
自分の不甲斐なさに苛立っていたが、それと同じくらいクリスも悩んでいた。
気持ちを共有できる仲間がいたから、などでは断じてない。
今のクリスの告白に比べれば、自分の苛立ちなんて、天と地ほどの差がある。
「……」
翼は考える。
本来であれば、適当に話題を逸らして店を出るつもりだった。
しかし、翼は席を立っていない。
代わりに考えて、考えて——メニューを手に取った。
「……なんか食うのか?」
「確かに雪音がソロモンの杖を起動させたから、頻繁にノイズが現れるようになった。それは紛れもない事実だ。覆しようがない」
「ッ……」
「だが、私が言うのもおこがましいかもしれないが言わせてもらおう。——だからどうした?」
「——は?」
思いもよらない翼の台詞に、クリスは変な声を上げた。
ヴァンも手を止めて翼を見ているし、奏はひゅう、と小さく口笛を吹いた。
「どうした? 雪音。それが雪音が背負う罪か? 違うな、それはミスだ」
「み、ミスって……そんなんで片付けるモンじゃねぇだろ!」
「そうか? 私から見れば些細なミスにしか見えないな。奏と夜宙はどうだ?」
メニューから顔を上げ、翼は視線を向けた。
「聞けば、司令に怒られたみたいだな。私にはそっちの方が悪いと思うけどな、うん?」
「にししっ、確かになー。しこたま怒られちまった」
「別に。必要があるからやったまでだ。悪いとは微塵も思わないな」
「反省の色がまったく見えないな」
つまりはこう云う事だ、とクリスへ視線を向けつつ、呼び鈴を押して言葉を続けた。
「あまり背負い込みすぎるな雪音。二人のように……なってはほしくないが、もう少し私達を頼れ。仲間のミスぐらい、カバーしてやるさ」
「仲間……」
驚いたように眼を丸くするクリスの表情を見て、笑みを見せる翼。
やって来た店員に料理を頼みながら、翼は胸の内で何かがスッと溶けた感じがした。この言葉で上手く表現できない気持ちは、前にも感じた事がある。その時はするりと逃げてしまっていた。
しかし今は違う。まだ上手く言えないが、少しはこの気持ちに近づく事ができたはず。
「さしあたってはそうだな——いい加減、夜宙以外を名前で呼んでもらおうか?」
「……はあっ!? や、いや、それはおめー……」
「どうした? ああ、難度が高いと言うのなら鏡華や奏みたいにあだ名でも構わないぞ」
慌てふためくクリスの百面相。
そんな彼女を見て自分の笑みが悪いものだと自覚しながら、笑みを消そうとはしない。
隣で奏とヴァンもにやりとしている。
それを視界の端で気付きながら、さしあたっては、と心の中だけで呟いた。
——さしあたっては、食の作法かマッシュルーム、どちらを先に教えるべきかな。
〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜
誰にも気付かれないようにマリアは通路を歩いていた。
今日は色々な事がありすぎた。独りになってから、どっと疲れが身体に重くのしかかった。
だが、あんな事があった以上疲れた様子を見せるわけにもいかず、マリアは独りでも気丈に振る舞いながら進む。
そうなった理由はおよそ一時間ほど前。オッシアの話が終わってからの話になる。
スカイタワーでの一件の顛末。それをウェルが話したのだ。
何故あの場にいなかったウェルが知っているのかは疑問だが、ノイズが現れた以上ウェルもあの場のどこかにいたのだろう。
「ナスターシャは十年を待たずに訪れる、月の落下より一つでも多くの命を救いたいという私達の崇高な理念を米国政府に売ろうとしたのですよ。加えて、マリアを器にフィーネの魂が宿ったというのもとんだデタラメ。ナスターシャとマリアが仕組んだ狂言芝居だった」
ウェルに言われるのは腹立たしいが事実しかなく、マリアは何も知らない切歌と調に謝罪しかできなかった。
調子に乗っているのか、ナスターシャの言葉に一応正当な返事を返しながら、ウェルはナスターシャを批難し、作戦の修正を勝手に進める。
その案やウェルの行動に我慢の限界だったのか、切歌と調が敵意を見せる。
本来であればマリアもそちら側につくのが正しかったのかもしれない。
「偽りの気持ちでは世界を守れない。セレナの想いを継ぐ事なんてできやしない」
だが、マリアがついたのはウェルの側。ウェルを守るように二人の前に立ち塞がった。
視界の端では流石の日向も驚いている。
それでも決めたのだ。
「全ては力——力を以て貫かなければ正義を為すことなどできやしない。世界を変えていけるのはドクターのやり方だけ。ならば、私はドクターに賛同する!」
「マリア……」
「それ、本気で言ってるデスか……?」
ウェルの意見に、本音を言えばマリアだって賛成できるものではない。しかし、このままでは世界を救うどころか正義を為す事さえできないのだ。
ならば、自分は悪の道に堕ちようとも、世界を救う。そう、決めたのだ。
「……それがマリアが決めた、マリアの道なんだね」
そう、決めた。なのに——
「分かった。マリアが決めたのなら僕は何も言わない。僕はできる限り協力する」
「日向!?」
「だけど」
どうして、どうして
「僕も僕のすべき事をするよ。後悔しないためにも」
そんなに悲しい
そう言って日向は咳き込み始めたナスターシャを連れて部屋を出て行った。切歌と調も何度もこちらを振り返りながら二人に続いた。ウェルも忙しくなる、と部屋を出る。オッシアはいつの間にかいなくなっていた。
独りになるマリア。それはまるで本当の意味で孤独のような——
「——あの」
「……ッ!?」
声を掛けられて、我に返った。
通路を歩いていたはずが、いつの間にか倉庫の壁に凭れていた。
気付かぬ内にここまで来てしまっていたようだ。
「あの……大丈夫、ですか?」
「え、ええ。ちょっとボーッとしてただけ、大丈夫よ」
自分を心配そうに見る捕虜——と云うべきか、客人と云うべきか。
目の前に置かれたケージの中に入っているのは遠見鏡華とあの場で助けた少女。確か、「未来」と呼ばれていた。
そして、遠見鏡華は——いや、“今は”遠見鏡華ではなく、アーサー王らしい。
「大丈夫には見えないがな。人とは大丈夫と言う時ほど大丈夫ではない生き物だ」
以前から聞いた事のある声。しかし、圧倒的に違う何かを感じる。
同じ声音なのに、何故ここまで違いが出るのか、これが『王』と呼ばれる
「本当に大丈夫よ。それより寒くないかしら?」
「はい。暖かくはないけど、寒くはないです」
「そう。……一つ、訊いていいかしら?」
未来が頷くのを確認して、マリアは質問した。
「日向の言っていた友達って、あなた?」
「響……立花響と一緒に挙げた友達なら私ですね、間違いなく」
「……そう」
「……マリアさんって呼んでもいいですか?」
「ええ、好きに呼んで構わない」
「じゃあマリアさん。あなたは日向の何ですか?」
逆に質問されたマリアはわずかに答えを躊躇った。
迷いを見せるマリアを見て、
——この人、日向が好きなんだ。
乙女のカンで確信してしまう。
「……家族よ」
「そして日向の事が好きなんですね」
「ええ……ッ!? や、ち、違うわ! 日向の事は好きじゃ! ……なくないけど、その、えっと……」
「……」
「そ、そう! 家族として好きよ!
あせあせ、と漫画であれば効果音が周りに出ていただろう。
それぐらいマリアの慌てっぷりは見事だった。
と云うか、ドヤ顔で胸を張らないでほしい。たわわに実った脂肪の塊が強調されてイラッとしてしまう。檻の中に閉じ込められておらず、こんな状況でもなければ、未来は間違いなく恨みを込めて掴んでいたと思う。
閑話休題——まあ詰まる所だ。
(マリアさんもある意味で女子力が残念なんだ……)
そこは照れて俯きつつ頷いたり、顔を真っ赤にしながら「どうしてあなたに教えなきゃいけないのよ!」とか言ってほしかった。いや、少女漫画のような展開的に。
さて、胸を張ってドヤ顔しているマリアに対する一声はどうしようか。
響の恋愛相談に乗った時よりは短い思考時間の末に、
「巨乳なんてただの脂肪の塊なのに」
「は——?」
思いついた答えはかなり黒いものだった。
アーサーは眼を瞬いているし、マリアなんてそのままの姿勢で固まっている。
「あ、ごめんなさい。つい悪口……いえ、本音が」
「本音!? と云うか言い直す前に悪口って言ったわよね!?」
「ポロッと出ちゃいました。ほら、マリアさんだってありますよね?」
「え、ええまあ、あるかないかと言われればあるけど……」
「胸が大きすぎて服からポロッとするなんて、マリアさんってうっかり屋さんなんですね」
「ないわよ!? バスタオルからならまだしも服はないわよ!」
「つまりバスタオルではあったんですか。……マリアさんのえっち」
「そこでどうしてあなたが顔を赤らめるのよ!? 最初の大人しそうなあなたの印象が薄れていくわ!」
「慣れましたから」
「どうやったらこんな状況に慣れるの!?」
未来の暴走についていけないマリア。
アーサーも「こんな子であったか?」と内心で疑問を抱くもマリアのようにツッコミを入れる事はなかった。
ぜーはー、と肩で息をするマリア。反面、未来は普段の調子を取り戻しかけていた。
「とまあ、冗談はこれぐらいにして」
「……もう何も言わないわ」
「大変ですよ? 日向の隣を得るのは」
「……」
——そんな事。
そんな事、分かっている。
それでも日向の事が好きなのだ。以前のように自分の感情にフタをする事はできない。
「いいのかしら? そんな事を私に言って。あなたは融合症例第一号の味方でしょう?」
「少なくとも響の事をそんな風に言う人の味方ではありませんけど、私は恋愛に関してだけは誰の味方もしないって決めたんです」
そう決めたのは約三ヶ月前。
鏡華に告白して、無茶で無謀な真似をして無理を通したあの日から。
未来は自分の事を鏡華達の関係に割り込んだ部外者だと思う時がある。もちろん、そんな事を鏡華や奏、今ならば翼が知れば「何考えてる」などと言って怒るだろう。
しかし、客観的に見ればそう見えてしまうのだ。まあ、思う事はあってもそこに後悔はないが。
ただ、だからこそ未来は他人の恋模様に深く関わらないと決めたのだ。
クリスとヴァンのように一対一なら応援する。
三角関係のように複数だったら、相談くらいには乗るが応援も味方もしない。
それが友達や知り合い、親友の響であろうと変えない。
「
「そう……あなただったのね。天羽奏が付き合ってると言った最後の一人は」
「何で言っちゃってるんですか奏さん……」
恋仲の事はシンフォギアと同じくらいのトップシークレットなのに、どうして簡単に言っちゃうのだろうか。
この件が終わってから奏とその事についてじっくり話し合おう。そう心に決めた未来。
「奏さんがぶっちゃけてるのだったら隠す必要はありませんね。はい、私が鏡華さんと付き合ってる最後の一人です」
「彼女にも聞いたけど、本気なの? 私から見ればそんな関係は道徳的に破綻してるわ」
「破綻してますね。もしかしたら偽物って言うかもしれませんけど、私達はそれでいいんです。間違ったまま正解を探し続けるだけですから」
「呆れた……でも、強いのね。私とは大違い」
羨ましそうな声音に、未来は「後に退けないだけですよ」と苦笑を浮かべて返す。
「マリアさん。日向の事を好きな子は他にいますか? 例えばここにいた二人の内どちらかとか」
「切歌と調は違うわ。……昔だったらセレナがいたんだけど」
「セレナ……?」
胸に掛けたペンダントを見つめながら呟かれた名前に、未来は鸚鵡返しに呟いたが訊いてはいけない気がして追求はしなかった。
「……あなたと話せてよかったわ。こんな状況だけど、お礼を言うわ。えっと……」
「小日向未来です。捕虜の間は愚痴でも恋愛相談でもしに来てください。暇ですから」
「普通の少女がこんな状況で言う台詞じゃないわね。でも、それは遠慮しておく。私には為すべき事があるから」
「そうですか。昔の日向の事とか話そうと思ってたんだけど……」
「…………気が向いたら愚痴でも聞いてもらうわ」
——案外根は乙女なのかもしれない。残念だけど。女子力は残念だけど。大事な事だから二回言った。
そう思ってしまった未来は悪くない。だって未来も同じ立場であればそうするから。
(あれ? と云う事は私も残念な乙女になる?)
まあいいや、と遥か彼方に投げ飛ばす。投擲は割と得意だったりする。
そんな風にマリアと雑談していると、入り口が開き、
「あれ、マリア? どうして君が?」
日向が入ってきた。後ろにはオッシアもいる。
マリアは何故か眼に見えて狼狽えている。いや、気まずいと云うべきか。
何があったか、未来は知らない。
と云うか、さっきからまったくアーサーが口を開いておらず、空気よりも稀薄になっていると思うのは自分だけかと考えてしまう。
今も日向とオッシアが入ってきても、薄く眼を開いて確認した後はずっと黙ったままだ。
まあ、彼の事は放っておこう。今はまず日向に挨拶をしようと未来は考え、
「あ、残念女子を次々と落としてる日向だ」
空気が見事に固まった。
——あれ? 何でこんな事言ったんだろう?
自分の言葉に自分で首を傾げる。
どうやら自分でも気付かない内に、ストレスを溜め込んでいたらしい未来であった。