戦姫絶唱シンフォギアG ーAn Utopia is in a Breastー 作:風花
「はぁ……はぁ――……っ!」
荒野の中を歩く人影。誰であろう、ウェルだ。
あの晩の戦いから逃げ出していたのだろうが、彼は短い間にずいぶんと老けていた。疲労困憊なのか、ソロモンの杖を杖代わりにして跡地をズル、ズル――と引き摺るように歩いている。
それでもなお、足を止める事はしない――出来ない。
ネフィリムは全ての作戦の要だった。それをいとも簡単に消滅させた。
脳裏に蘇る獣と化した立花響――
「ひぃあっ――ああままままままッ!!」
トラウマになっているのか、思い出した途端に全身を恐怖が駆け巡る。
その際、足場が崩れ、崖から転げ落ちる。
何度も視界が昼夜逆転し、約一日何も入れてない胃袋から胃液が逆流してくる。
それでも吐き出さずにいられたのは――彼自身の夢への執着の強さだろうか。
ほとんど力の入らない四肢を動かし、どうにか立ち上がろうとする。
しかし、ウェルは研究者であり、体力など元よりあるはずがない。丸一日以上歩き疲労困憊の今、立ち上がる力も残されていないだろう。
「……う、ううう、うう、うううう、うぇうううぇ――!」
それでも、ウェルはもがく事をやめない。
子供の頃から夢見てきた英雄と呼ばれる瞬間。それが今、ただの妄想などではなく手が届く高みまで近付いているのだ。
こんな所でもがいている場合ではない。是が非でも可能性を見つけるんだ。
可能性――それはネフィリムの心臓。
あの晩、立花響は成長したネフィリムを一瞬の内に消し飛ばした。しかし、消し飛ばす前に彼女はネフィリムの駆動路でもある心臓を引っこ抜き、どこかへ投げ捨てた。もし心臓が、投げ捨てられた心臓が、衝撃に吹き飛んだだけで死んでいなければ――
その可能性だけを信じて、ウェルは力を振り絞って四つん這いの姿勢になった。
「はぁっ、はぁっ――なるんだ……僕は、英雄に――!」
夢を叫ぶウェル。恐ろしいまでの執着。
そんな彼に――神はきまぐれを起こし、祝福を与えたのだろうか。
岩陰にキラリ、と陽の光を反射する何かが眼鏡を通して、ウェルの瞳に届いた。
眼を細め何かと凝視し――あらん限りに眼を見開いた。
四つん這いだけで精一杯だった四肢に力が入る。無様だろうと、関係ない。ウェルは赤ん坊のように四つん這いで這い寄り、反射していた何かを手に取った。
異形の形、垂れ下がる千切れたコードのような血管だった物、奥で赤く脈動している。
「あひゃっ、あはは……!」
それは見間違える事なく――ネフィリムの心臓。
鼓動もはっきりと耳朶を打ってくれる。
ウェルの表情が驚愕から歓喜へと変わっていく。
「こんなところにあったのかぁ……これさえあれば英雄だぁ……!」
まるで思い出の品でも見つけたかのように囁くウェル。
疲労の色は褪せ、眼鏡の奥の瞳には生気が爛々と輝いている。
一頻り笑い、ウェルは一体どこに残っていたのか、勢いよく立ち上がると近くを転がっていたボロ布でネフィリムの心臓を包み、歩き出した。
どこへ行くのか――それは神でも分からなかった。
~♪~♪~♪~♪~♪~
『聞こえる切歌ちゃん。調ちゃん』
ナスターシャを治療するため飛び出した切歌と調の通信機に掛けてきたのは、日向だった。
「身体の方はもう大丈夫なんデスか? 日向」
『うん。心配掛けたかな?』
「少し。でも日向なら大丈夫って分かってた」
『それはどうも。今、君達はどこにいる?』
訊かれて、辺りを見回す。
未だ復興の進んでない街。レンガで出来た道路もあちこち盛り上がっている。
開店してる店もあるが、この街の事を知らないので、店の名前を言っても日向には分からないだろう。
「跡地の近くにある街デス。詳しくは説明しにくいんデスが……」
『そこか……。うん、分かった。あ、それと、マムも眼を覚ましたよ。後で連絡してあげてね』
「マム、元気だった?」
『うん。でも、応急処置で一時的に抑えただけだから……僕もウェルを探すから』
「分かったデス」
「また後でね。日向」
『了解。――あ、最後に一つ。ご飯は食べなよ』
そう言って通信を切る日向。
切歌と調はそのまま、ヘリに通信を入れる。
出たのはナスターシャだった。
口調は相変わらずだったが、どこか昔みたいな優しい感じがした。
何より、「ありがとう」と言ってくれた。
その言葉が二人にとって何より嬉しかった。
『では、ドクターと合流次第、連絡を。ランデブーポイントを通達します』
「了解デぇス!」
通信を切って、胸を撫で下ろす。
その時、くぅ、と可愛らしい音が切歌から聞こえた。
「あはは、安心した途端にこれデスよ」
「仕方ないよ。ずっとドクターを探してて、朝から何も食べてないから」
キョロキョロと辺りをもう一度見回す。
「どうするデスか? ここらでご飯食べていくデスか?」
「うーん……」
考える調。今すぐ食べてもいいが、早くウェルを見つけて帰って、オッシアの料理を食べるのも悪くない。
すると、通信機がまた鳴った。
出ると、また日向だった。
「日向? どうしたデスか?」
『あ、うん。言い忘れてたんだけど、オッシアさんも出掛けているみたいなんだ』
「なん、デスと……」
『あ、だからって誤解しないでね。オッシアさん、作り置きしておいてくれたみたいで、数日分あるんだ。帰ったら、皆で食べよ』
今度こそ「それじゃあね」と言って通信を切る。
調と切歌は顔を見合わせ、
「早く見つけて帰ろう、切ちゃん」
「デス! オッシアのご飯があたし達を待ってるデス!」
空腹を思わず忘れてしまいながら、手を繋ぎ、切歌と調は駆け出す。
また皆でご飯を食べるのを楽しみにしながら。
~♪~♪~♪~♪~♪~
一方、その頃。
響は未来や弓美達三人娘と共に旧リディアン近くの街を偶然にも訪れていた。
「しっかし、うら若きJKが食べ過ぎなんじゃないのぉ?」
弓美が愚痴りながらお腹を手でさする。とか言いつつ、その顔は満足そうに笑っていたが。
しかし、響は暗い表情のまま歩き続ける。
「ねぇったら!」
「へぅ……?」
弓美に声を掛けられ、我に返る響。
慌てて笑みを浮かべる。
「あ、ああ。美味さ断然トップだからねぇ、おばちゃんのお好み焼きは。食べ過ぎても仕方ないよ」
「お誘いした甲斐がありました」
「トミー先生もくればよかったのにねぇ」
「仕方ないよ。いくらアニメみたいに仲がよくたって、先生は忙しいんだから」
この場に鏡華の姿はない。
だが、それでよかったかもしれない、と響は思った。
鏡華から告げられた真実。翼が昔のように冷たくなってしまった理由。
それを聞かされた後で一緒には、少し気まずかった。
「でもビッキー。これで少しは元気出たんじゃないの?」
創世の言葉に、え? と返す。
弓美は「ハーレム漫画の主人公並みに鈍感ねぇ」とぼやく。
「どっかの誰かさんがね、『最近響が元気ないー』って心配しまくってたから、こうしてお好み焼きパーティを催したわけですよ」
「未来が……」
振り返り、未来を見る。
少しだけ恥ずかしそうに肩を縮こませていたが、響に笑みを浮かべる未来。
感謝の言葉を口にしようとして、ふと視線に入った人物に、発せられる言葉は変わっていた。
「……ひゅー君?」
響の言葉に全員が響の視線の先を見る。
見れば、塀に手をつきながら歩いている少年の姿が。
日向も響達の存在に気付くと、バツの悪そうな、だけど少しだけ悲しそうな笑みを浮かべて手を挙げた。
「や、響ちゃん。未来ちゃんもお久し振り」
「ど、どうしたの!? すっごく辛そうだけど……」
慌てて日向に駆け寄り、肩を貸す響。
弓美達は事情を知っていそうな未来に顔を寄せる。
「誰さん?」
「えと、響の幼馴染で、私の友達だけど……」
「へぇ、ねね、もしかしてさ、彼って……」
「どうなんだろう。最近再会したし、響があれだから……」
ああ、と同意するように頷く。
さっきの「ハーレムアニメの主人公並みに鈍感」とは決して喩えではなかった。実際、響は色々と鈍いのだ。
きっと――彼に対してもそうなのだろう。
肩を借して、響は未来達の所に戻ってくる。
「大丈夫? 日向」
「大丈夫、大丈夫。えっと……そっちは二人の友達?」
対象に向けられたので弓美達は順に自己紹介する。
「僕は音無日向。よろしくです」
「ひゅー君。どうしてこの街に?」
「ちょっと探し物を、ね」
「探し物……?」
鸚鵡返しに呟く。
日向はそれとなく響の左腕を見ながら訊いた。
「それを言うなら響ちゃん達も。こんな所で何をしてるの?」
「私達は近くの美味しいお好み焼き屋さんに行ってたんだけど……」
「へぇ、お好み焼きかぁ。懐かしいな」
「懐かしい?」
もう一度鸚鵡返しに呟く。
日向も「あ、やべ」みたいな表情を浮かべる。
どう云う事か訊こうとした時、道路をものすごいスピードで走る車輌が響達の横を通り過ぎていった。
過ぎたのは一瞬だったが、それでも車輌に乗っていた人は見えた。
あれは――二課の……。
考えた瞬間、道の奥から壮絶な爆発音が聞こえた。
「ッ――!」
誰もが息を呑む中、日向は胸に手を当てる。
不確かだが、それでも何となく感じられる気配。
(移動してるのは分かってたけど……いくら何でもタイミングが悪すぎる……)
もしこの状況で会ってしまえば、間違いなく“奴”は関係のない響の友達を殺そうとしてくる。
どうするか、考えが躊躇していると、
「未来、皆! ひゅー君をお願いっ!」
響が日向を未来に預けて駆け出したのだ。
未来も日向の手を掴んで追い掛ける。
追い着くと――響とウェルが対峙していた。
周りには大破し黒煙を上げる車輌、そして風に舞う炭。
「ウェル……博士――!」
珍しく響が敵意を剥き出しにしている。
帰る場所であったリディアンを全壊させたフィーネにもここまでの敵意は見せなかった。
それは――剥き出しにした響自身も驚いていた。
――あれ? 私、こんな風に怒れるんだ。
「なッ!? 何でお前がここにっ!? ひ、ひえぇええええっ!!」
響の存在にようやく気付くウェル。
よほどトラウマなのか、と日向は思った。
あの晩、ウェルは奏者六人を前にしても堂々と、そして不敵に、大胆に対峙していた。
今ではその姿は見る影もない。そして、日向にも気付いていない。
ソロモンの杖を構え、ノイズを召喚する。狙いは――非戦闘員である未来達。
――の前に、響が迷いなく躍り出た。
――もう一度失う悲しみを与えないでくれ――
脳裏に鏡華の言葉がリフレインする。
だけど、ここで纏わないと弓美が、詩織が、創世が、日向が、未来が。
私の大切な人達がいなくなってしまう。それは嫌だった。
――ちょっとだけ。ノイズをちゃちゃっと倒して、ウェル博士をすぐに拘束すればいいんだ。
そう自己完結させ、響は聖詠を唱う。唱いながら――
―撃ッ!
「響ッ!」「響ちゃん!?」
「ッ――!」
「ヒトの身で――ノイズに触れて……?」
素手で、シンフォギアを纏わずに響はノイズを殴った。
未来と日向の叫ぶような声。
弓美達の息を呑む音。
絶句するようなウェルの呟き。
「うおおおおお――ッ!!」
―煌ッ!
―撃ッ!
―風ッ!
ワンテンポ遅れて防護服が響の身体に装着される。
叩き込んだ拳をさらに《発勁》で減り込ませ、吹き飛ばす。
「この拳も! 命もっ! シンフォギアだッ!!」
拳を構えて、自分が今思っている事を叫ぶ響。
知ってなお叫ぶその言葉。それが無慈悲な真実である事を、響は気付かなかった。
~♪~♪~♪~♪~♪~
「この拳も! 命もっ! シンフォギアだッ!!」
そう響が叫んだ時、日向は言葉を失っていた。
何故か、自分でも分からない。
でも――今の言葉が、響によく当てはまる事。響に言ってほしくなかった事だけは、はっきりと理解出来た。
聖遺物との融合を果たした立花響。その融合は少しずつだが深くなっていると、以前にフィーネの記録を見たナスターシャが言っていた。
と云う事は、立花響にとってシンフォギアとはその身を守る道具ではなく――彼女自身がシンフォギアそのものになってしまう可能性がある。
だけど、響はシンフォギア、奏者、適合者、融合症例などの枠組みの前に――独りの女の子だ。人間なのだ。
そして――日向の初恋の女の子。
普通の人間なら、ノイズと対峙した時、背を向けて一目散に逃げ出す。
響は逆だ。逃げるどころか――目の前に躍り出る。
おかしいと云うしかない。云うしかないのに、
(響ちゃん。君は何で――守るために戦う時、そんな風に輝けるんだ……!)
ウェルが叫びながら召喚し続けるノイズを問答無用で倒していく響。
その行動に迷いはない。だけど――
「日向……?」
ふと、未来が呼ぶ声に振り向いた。
心配そうな未来の顔。
「どうして泣いてるの?」
「え……?」
指摘された初めて気付いた。
ごしごしと眼を拭う。
未来の言う通り、日向の瞳からは涙が溢れていた。
「あ、あれ……? おかしいな。どうして……」
「もしかして、響が戦ってるから……」
「違う、違うんだ……あはは、おかしいな」
涙なんてずいぶんと久し振りに流した。
何度拭っても、後から後から流れて止まらない。
――ああ、そうか。
拭うのを諦めた頃、ようやく分かった気がする。
これは涙であって涙ではないんだ。
これは――無意識に流したこれは、
「思い出との決別なんだ、これは」
「日向……」
未来が心配そうに声を掛けるが、日向は気にも留めない。
このままいけば、響はノイズを殲滅してウェルを拘束できるだろう。
正直、日向はあの晩の事もあってウェルが嫌いになった。
ウェルだけが拘束されるなら別に構わない。
しかし――それでは僕達の作戦に支障をきたす事になる。
それだけは駄目だ。必要悪となり、世界を敵に回してでも世界を守ろうとするマリアの想いを踏み躙るような事だけは絶対に出来ない。
優しいマリアがこれ以上汚れないよう――彼女の分まで自分が汚れると決めたのだ。
なら――ウェルをこのまま拘束されては駄目だ。
近くに切歌と調の気配はない。
ならば――僕が動くしかないんだ。
「――――」
未来を見つめ返す。
自分がいなくなった後、きっと未来が響を支え続けてきたのだろう。
だったら、もう僕がいなくても大丈夫だ。
「日向――」
「響ちゃんをこれからもよろしくね。未来ちゃん」
「え――」
もう迷わない。
日向は口を小さく動かす。唯一聞こえた弓美が驚いたように日向を見た。
振り返り、視線を響に戻す。
壁となるノイズは全て消え去っている。
響は腕部を変形させて構えている。あれを喰らえば、ウェルはひとたまりもないだろう。
――させないよ、響ちゃん。
「ッ、うぉおおおおっ!!」
―撃ッ!
足元の地面に拳を叩き付ける。
それだけではただ地面を抉るだけだ。
《浸透寸勁》と《畳返し》の要領で地面を通して――
「わっ、ととっ、と……っ!?」
いざ飛び出そうとしていた響の足元の地面を崩した。
突然足場を崩され、バランスも崩す響。尻餅をつくように後ろへ倒れてしまう。
その時、見えた。
真横を俯いて通り過ぎる――日向の姿が。
尻餅をついてから、響は呟く。
「……ひゅー君?」
我ながら情けない声だ、と思った。
日向は一瞬足を止めたが、振り切るように響達に振り返った。
その顔は――滂沱の涙でぐしゃぐしゃだった。
「ばいばい――響ちゃん」
何故、そんな事を言うのだろう。響は理解出来なかった。
やるせないように微笑み――日向は瞼を閉じて、口を開いた。
「Balwisyall fine Nephilim zizzl――」
滔々と静謐な声で紡がれた声。
それが聖詠だと気付くのに時間は掛からなかった。
服の胸元から輝きながら飛び出るペンダント。
光が日向を包み込むのを、響は立ち上がりながら見つめている。
「そんな……なんで、どうして……?」
思考が目の前の現実を否定しようとしている。
だが、真実は現実として瞳に映し出される。
光から開放された日向の姿――何度か見た全身を鎧で覆い隠した奏者。
「どうして、ひゅー君がっ」
「決まってるよ」
ガシャ、と全身鎧を鳴らし、日向は構える。
「僕がフィーネの仲間だからさ……!」
「ひゅー君ッ!!」
「さあ、戦おう響ちゃん。僕達は――敵同士なんだからッ!!」