戦姫絶唱シンフォギアG ーAn Utopia is in a Breastー   作:風花

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 日付を間違えていました。
 二十日ではなく二十二日でした。申し訳ありません。


Fine4 愛及屋鳥Ⅱ

 運ばれてきた日向を見て、マリアは悲鳴をあげそうになった。

 既にギアは外れ私服に戻っていたが、その服は血で染まっていた。

 

「オッシア! 日向は!?」

「騒ぐな、命も肉体も別状はない。ただ、ネフィリムが成長しすぎたせいで繋がりが出来たんだろう。ネフィリムが受けた痛みを幻痛として受けたんだ。暫く安静にしていれば眼を覚ます」

「よかった……日向……」

 

 簡易ベッドに横たえた日向の手を握り締め額に当てるマリア。どれだけ彼を大切にしているか分かる。

 ふと視線を逸らせば、ナスターシャも横になっていた。

 

「おい、持病が悪化したのか?」

「ええ……今、切歌と調がドクターを探しに行ってくれてるわ」

「ちっ……だからあれほど注意したのに……とことん面倒な連中だよ、お前らは」

 

 盛大に舌打ちを打ちながら部屋を出て行こうとするオッシア。

 

「おい、マリア。暫く出掛けるから、出掛ける前に適当に飯を作っとく。一日で食ってくれるなよ?」

「出掛けるって……一体どこによ」

「詮索するな。お前はその二人に付いていろ」

 

 念を押して言うオッシア。そうして部屋を出て行く。

 部屋には眠り続ける日向とナスターシャ。そして二人の間に立つマリアだけが残された。

 ナスターシャの応急処置は済ませたし、日向の様子も落ち着いている。

 何もする事がないマリアは近くの壁に凭れた。

 ――私は、どうすればいいの……?

 耐えきれない現実を前に、マリアは弱音を吐く。

 ポケットから取り出すひび割れたギアのペンダント。生前、セレナが使っていたシンフォギアだ。破棄処分されるのをナスターシャが回収してマリアに渡してくれたのだ。

 

「セレナ……あなただったらこんな時、どうしてた? 私には分からないわ……」

 

 自分の正義を成すために悪を貫くと決めた。

 だけど、今では悪どころか正義すら貫けなくなっていた。

 日向は言った。マリアのしたい事をすればいいと。そのしたい事が分からないのだ。

 

「あなたの事だってそうなのよ? 日向」

 

 さっき、融合症例である立花響の腕が喰われた時、一番取り乱していたのは日向だ。

 優しい日向の事だ、そこまでする必要がなかったと怒っただけかもしれない。だけど、胸の奥で不安がずっと燻っているのだ。自分達のためでもあそこまで苛烈に怒った事などなかった。いや、マリアは日向が怒った所をこれまで見た事がなかった。

 

「融合症例第一号・立花響――日向にとって、あの子は一体何なの……」

 

 ポツリと呟いた一言。それは誰にも聞かれる事なく、虚空に溶けてなくなった。

 なのに自分の胸には鋭利な刃みたいに突き刺さってくる。自分の胸の、心の問題なのに、答えが見つからない。

 ――昔はもっと簡単だったのに。

 十年前、日向は突然F.I.S.の研究所に連れてこられた。

 最初は戸惑い、泣き続け、塞ぎ込むのが毎日だった。それを変えたのが妹であるセレナ。

 何をどうやったのかは分からないが、セレナは日向を部屋から連れ出す事に成功し、一緒に食事をしたのがきっかけだった。

 それから毎日、暇を見つけてはセレナは日向を説得して(時々強硬手段に出た事もあった)、一緒に何かをするようになった。

 数年経って、何となくセレナが日向を好きな事は分かった。自分も好きだと自覚したのも同じ時期だが、当時は異性としては見てなかった。むしろセレナを陰から応援していた。――暴走事故が起こるまでは。

 事故後、目覚めた日向は全ての記憶を喪っていた。

 後になって記憶は喪ったのではなく、セレナの絶唱によってリセット、封じられた事が分かったのだが。

 

『マリア姉さん……日向の事、お願い――』

 

 深紅の涙と共に託された約束。

 セレナと約束は出来なかったが、それでも約束を違えたくなかった。

 だから、マリアはこの六年間、セレナがやってきたように日向に関わってきた。

 関わって――日向を異性として意識するようになってしまった。

 

「この気持ち……どうすればいいのセレナ――」

 

 日向に向けたい気持ち。伝えてはいけないと云う罪悪感。フィーネとしての役割。背負いきれない覚悟。

 圧し潰されそうな自分の心。

 マリアはいつの間にか日向が眠るベッドの横に座り込み、眼を閉じていた。そこが安心出来るかのように。

 腕枕にした手は無意識か――日向の手と重なっていた。

 

 

 〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 夢を見ていた気がする。

 だけど、眼が覚めた今――覚えていない。

 自分の事じゃない、だけどとても大切な記憶。覚えておかないと、知っておかないといけない記録。

 

「――だけど、知りたくない自分がいる」

 

 知ってしまえば最後、自分が自分じゃなくなるかもしれない恐怖があった。

 訳が分からない、と言ってしまえばそれまでだ。それだけで済ませる事が出来たらどんなに楽か。

 それだけに出来ない理由があるのも事実である。故に自分はこうまで悩む。

 

「いや、もういいか。これ以上はただの呟きだ」

 

 勢いをつけて起き上がる。自分の部屋ではない。

 ここは二課の仮設本部――潜水艦内の一室。昨日の一件から帰らず、そのまま二課で一夜を過ごしたのだ。

 枕元に置いた携帯端末がメールが届いている事を知らせている。

 差出人は弦十郎。本文には奏が眼を覚ましたが響は未だ眼を覚まさない事が書かれていた。次いで、大事な話があるから部屋に来てほしい、と。

 起き上がり、軽く身体を伸ばしてから部屋を出る。

 奏と響の事で一番無力さを嘆いていたのは翼だった。

 ――私が不甲斐ないばかりに、立花ばかりか奏まで……。

 自分だけでなくクリスも励ましていたが効果は薄く、翼は部屋に戻るまで――きっと部屋に戻ってからも嘆き続けていた。

 ――不甲斐ないのは俺の方だ。

 前方から落ち着きを取り戻した翼が見えた。だけど髪が少し跳ねている。

 鏡華は苦笑しそうに表情を取り繕いながら、翼に声を掛けた。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 大人のしがらみと云うのはいつ見ても不愉快な光景だ。

 それを目の前で見せつけられてうんざりするヴァン。見ようと思ったのは自分の意志だったが。

 

「状況は一刻を争います。まずは月軌道の算出をする事が先決です!」

『独断は困ると言っているだろう!』

 

 弦十郎の必死の説明も虚しく、モニターの奥で偉そうに座っている高官は弦十郎を叱責し、また別のお偉い様は事態を重く捉えていない。

 周りでは友里や藤尭、スタッフ総員で情報を集めたり協力を仰いでいたりしている。

 ヴァンにする事――出来る事は何もなかった。

 

「風鳴弦十郎、ふんぞり返っているお偉い様と会話中すまないが、少しいいか?」

「すまんヴァン。後にしてくれないか」

「こんな奴らに話す意味など、俺には見当たらないんだが」

 

 弦十郎の言葉も聞かず、ヴァンは自分の思った事を素直に口にする。

 もちろん弦十郎に近付いて言ったので、ヴァンの姿はモニター越しに高官達に見えていた。

 

『子供を組織内部に連れ込むとはどう云う事かね? 風鳴司令』

「申し訳ありません。ヴァン、下がってくれ」

「断る。むしろ、二課とも関わりのある政府の高官なんだろう? シンフォギアの担い手ぐらい記憶しておけ」

 

 小馬鹿にしたような笑みを浮かべて言うヴァンに高官達の表情は見る見る険しくなっていく。

 相も変わらぬ物の言いように弦十郎は頭を抱えたくなる。

 普段、ヴァンは物事を冷静な判断で動くのだが、クリスと自分のしたい事となると好き勝手しまう欠点を持っている。過去が過去なだけに多めに見る事はあっても、流石に今回は引いてほしかった。

 

「……っと、馬鹿野郎、俺。――少し口が過ぎた……過ぎました。すま……すみません、でした」

「ヴァン……?」

 

 ヴァンの行動に弦十郎は内心、盛大に驚いていた。

 誰に対しても自分の態度は変えなかったヴァンが敬語を使い、頭を下げたのだ。

 

 それから数十分掛けて高官との話し合いは終わり(結局的、返事は保留となった)、オペレーター達は息つく暇もなく各機関に依頼を出したり情報収集を続けていた。

 弦十郎はヴァンとともに通路を歩いている。ヴァンは学校に戻るため、弦十郎は鏡華と翼に話があるそうだ。

 

「ところで……さっきはどうした? ヴァン」

「……やはり、大人と云う存在(モノ)はどんな立場であろうとああ云うしがらみに付き纏われるのか?」

「……ああ、そうかもしれないな。ま、普通の大人はもちっと楽だろうな、きっと」

 

 質問に質問を返してきたヴァンに、弦十郎はしっかりと質問に答えた。

 最近のヴァンは少し様子がおかしかった。体調が悪い、とかではなそうだが、考え込むとクリス以外の言葉が届かなくなるのだ。

 

「風鳴弦十郎、頼みがある」

「なんだ?」

「俺の父親みたいに、誰かを救うためにはどうすればいい」

 

 真っ直ぐな問い掛け。

 ヴァンの本音に弦十郎は一瞬言葉を失った。

 

「このままじゃいけない事は気付いていた。今はまだお前達の庇護下で生きてられる。学校に通う事だって、陽だまりにいる事だって叶っている。だが、いつまでも庇護に頼ってはいけないんだ。夢を叶えたいのなら――自分から動き出さなくてはいけないんだ」

「ああ、そうだな」

「俺は子供だ。警備員のジジイに言われた通り早く大人になろうと逸っている子供だ。だからこそ大人のお前に訊きたい。夢を叶えるためには、どうすればいいんだ」

 

 ――つまり、さっきの敬語はその意思表示と云う事か。

 不器用なヴァンに思わず笑みを漏らしてしまう。

 別に敬語はすぐに使えなくとも不便はせんと云うのに――

 ふと見れば、不貞腐れたようにそっぽを向いていた。

 

「笑うな。こっちは真剣なんだ」

「はは、悪い悪い」

 

 ぽんぽんと頭を撫でる。

 撫でてから、また拒絶されるかな、と思っていたが、ヴァンは珍しく抵抗せずに恥ずかしそうに顔を俯かせている。わずかに肩を震わせ、耐えているように見える。

 これまた――こいつなりの成長か。

 

「そうだな、今は――仲間を信頼してやるだけでいいと思うぞ」

「……は?」

「逸る必要はないと言ってたんだろ? なら焦るな。ゆっくりとその時その時、自分がしたいと思う事をしながら大人になっていけ。そうすりゃ、おのずと答えは出るさ」

「……それはつまり、自分で探せ、と暗に言っているのか?」

「ハッハッハ」

 

 笑って誤摩化された。

 頭に乗せていた掌も、いつの間にか腕が自分の首に回していた。

 もがき出ようとするが、思いの外弦十郎の腕は強く上手く抜け出せない。

 だけど、ヴァンは本気で抜け出そうとしなかった。こんな暖かな温もり。クリスが初めて、いてもいい場所と思うこの場所。

 ――存外、悪くないな。

 思わず笑みが漏れる。刹那――

 

「……ヴァンくんがデレとるわー」

「ッ――!?」

 

 ハッと顔を上げる。

 前方には翼と共に歩いていた鏡華がいた。

 覇気の籠ってない無気力な眼で。口調まで棒読みになっている。

 

「お、おおおっ!?」

 

 慌てて弦十郎の腕から抜け出し、《瞬動》もかくやと云う速度で鏡華に詰め寄る。

 

「お、おおおおま、おまおまおまお前っ、いいいつからっ」

「慌てるヴァンくん、カワユスー」

「かわゆすー」

「明らかに舐めてるだろっ!! あと、風鳴翼! 貴様も遠見に乗ってほざいてるんじゃねぇよ!」

「クリスもいたら言ってたな、カワユ――」

「いい加減にせんかぁっ!!」

 

  ―轟ッ!

  ―打ッ!

 

 マジでキレたヴァンの本気の背負い投げ。

 回避する事は考えていたのだが、受け身の事など考えていなかった鏡華はあっさりと担がれ――瞬間に床に叩き付けられていた。

 人間が出してはいけない音を盛大に上げ、床に倒れ臥す。

 ぎろりと翼を見る。既に翼は両手を挙げて降参の意を示していた。

 

「ちっ、相談するんじゃなかった。そもそも、何故俺はこんな時にこんな相談を持ち掛けたんだ……」

 

 未だ熱を帯びている頬を隠すようにずかずかと先を急いで去っていく。

 そんな後ろ姿を弦十郎と倒れたままの鏡華は、やれやれと云った様子で見ていた。

 

「あいつもほとほと面倒な正確だな」

「まったく、どっかの誰かさんにそっくりだ」

「二人共、時間が惜しい。鏡華はさっさと立って、司令はさっさと本題に入ってください」

 

 さっきまで鏡華に乗っていた翼さんはどこへやら。

 真面目な翼の指示に、男二人は「へ〜い」とダルめに返事を返し言われた通りにするのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「これは……?」

 

 弦十郎から翼に渡されたシャーレを見て呟いた。

 中には綿に包まれたあちこちから金色の突起が飛び出ている石のような物が保管されている。

 

「メディカルチェックの際に採取された響君の体組織の一部だ」

 

 は? と眼を丸くする。

 だが、当然だ。渡されたのは石のような結晶。人体で生成出来る物質ではない。

 それが分かっている弦十郎はリモコンを操作してモニターに誰かのレントゲンを映し出す。

 普通の身体――ではなかった。まるでレントゲンの上から黒のマジックペンで落書きされたように塗られている。胸元を黒く塗り潰し、そこから連なるように身体中に、まるで血管のように落書きされたそれは、

 

「身に纏うシンフォギアとしてエネルギー化と再構成を繰り返してきた結果、体内の浸食深度が進んだのだ」

「生体と聖遺物がひとつに溶け合って……この融合が立花の命に与える影響は……?」

「遠からず死に至るだろう」

「ッ――」

 

 誤摩化す事のない即答に翼は息を呑む。

 左腕の心配はしていたが、まさか「死」と云う単語が出てくるとは予想しておらず、翼も言葉を失う。

 

「立花が死ぬ、か……やっべぇな。んな事を正直に未来に言ったら殺されそうだ」

「ッ、戯言はやめろ鏡華!」

「分かってる。だけど、ちょっとふざけた事言ってないと冷静でいられないんだよ」

 

 怒鳴る翼だったが、鏡華の眼を見てすぐ「ごめん、取り乱した」と謝る。

 鏡華がこんな時に本気でふざけようと思って言ったのではないことぐらい、すぐに分かるはずなのに。

 ――ずいぶんと自分は熱くなっていたようだ。

 深呼吸を繰り返し、ゆっくりと自分を落ち着かせる翼。

 瞳を開き、天から睥睨する月を見上げる。

 

「立花をこれ以上戦わせるわけにはいきません。掛かる危難は全て防人の剣で払ってみせます」

「かあっ、面倒くさい性格だな、っんとに翼は。防人の剣で、じゃねぇ。皆でだ」

「鏡華……うん」

 

 自分だけで背負おうとする翼を苦笑混じりに言い直させる鏡華。

 弦十郎は独り頷くと、モニターを切り替えた。

 

「それと、鏡華。どうしても確かめておきたい事がある」

「なに? 旦那」

「翼がいる前でこんな事を訊くのはどうかと思うが――今、“お前の臓器は働いているのか”?」

 

 弦十郎の問い掛けに、再び息を呑む翼。

 今の発言――どう云う事だ。

 自分の肩に手を置いている鏡華に振り返る。

 鏡華は至って普通の顔で翼の肩から手を離し、その手を弦十郎に差し出した。掌を上に向けて。

 

「……?」

「脈、調べてみ」

「…………ッ、まさか……!」

 

 何かに気づいた様子の弦十郎は慌てて鏡華の手を取って手首に指を押し当て時間を計る。

 安静にしている時の男性の一分間の脈拍数は平均で六十から七十とされている。

 しかし――

 

「脈が……ない、だと……!」

 

 一分経過しても、二分経過しても脈を一回も数えられない。

 不整脈――それも六十を下回る場合は徐脈とされているが、鏡華の場合、それ以前の問題だった。

 弦十郎の絶句に、翼も手を取ろうとする。

 

「まあ、こっちの方が早いかな」

 

 鏡華はそんな翼をいきなり抱き締めた。

 何をするかと抗議しようとした翼だったが、ピタリと動きが止まる。

 ピタリとつけた鏡華の胸に耳を澄ませる。だけど、どれだけ澄ませようと――

 

「心臓の鼓動が……聞こえ、ない」

 

 脈どころか心臓の鼓動さえ聞こえなかった。

 

「……フィーネとの戦いの時、俺は心臓を抜き取られて潰された。その状態で“《辿り着きし永久の理想郷》を発動しちまった”のが原因みたいだ」

「……あ」

 

 確かにそうだ。鏡華の伸びた髪も《辿り着きし永久の理想郷》が原因だ。

 しかし、それだと疑問が残る。翼は抱き締められたまま見上げて訊いてみた。

 

「それだと鏡華。胸に空いた傷は……」

「いや、それはない。多分だけど、アヴァロンの再生ってトカゲの尻尾みたいなんだと思う」

「トカゲの尻尾?」

「なるほど、な」

 

 弦十郎が納得顔で頷く。

 

「トカゲの尻尾は外敵から身を守るために自切……つまり自分の意思で切断する。暫くすれば再生器官によって不完全ながらも再生される。だが、自分以外の何かに切断されると再生は出来ないようだ。鏡華の再生はそれの上位版なのだろう」

「詳しい事は目下、自分の身体で実験中なんだけど――アヴァロンはまず俺の肉体を記録して記憶する。怪我をしても記憶から再生してる。だけど、それは“同じモノ”が残っていて出来るんだと思う」

「心臓はフィーネによって“取り除かれて”、“破棄された”。回収もしてないから再生も無理。……そういう事なのね?」

「That's right。ま、実際は以前の記憶も混ざって再生されてはいるけど機能してないだけなんだけどな」

「そう。でも――」

 

 納得顔で頷いていた翼だったが、腕を伸ばし鏡華の襟を掴む。

 見上げた顔は――かなり険しかった。

 

「今、さらっととんでもない事を言ったよね。自分の身体で実験中?」

「あ、やべ」

「二度と実験しないと誓いなさい。今、この場で、私を好きだって言えるなら今すぐに」

「わ、分かった分かった。言う。言うから、無意識に揺らさないで!?」

 

 ガックンガックン揺らされ、鏡華は高速メリーゴーランドで馬に乗った気分を味わった。

 襟を離され、ふうと息をついた鏡華は翼を見下ろして、

 

「分かった、自分の身体で実験なんて二度としない。翼を好きって云う気持ちに誓う」

「……分かればいい」

「…………あー、ゴホン」

 

 甘ったるい空気が流れる中、弦十郎の咳払いで我に返る翼。

 ――お、叔父様の事、すっかり忘れていた。

 バッと鏡華から離れ、真っ赤になってる顔を俯かせる。

 

「ったく。時と場合を考えんか。今、泥水のように苦いコーヒーが欲しくなったぞ」

「で、ではっ、私が作ってきます! 指令は鏡華と一緒にごゆっくり!」

 

 冗談と気付いても、それを鵜呑みにして部屋を出て行く翼。

 あっという間の出来事で、声を掛ける事の出来なかった弦十郎は代わりに鏡華に話し掛けた。

 

「お前、分かって言っただろう」

「さて、何の事やら」

「まあいいけどな。……案外、上手く云ってるみたいだな」

 

 暗に三人と付き合ってる事を言われる。

 鏡華は静かに「うん」と頷く。

 

「最初は心配したが、上手くやってるようで何よりだ」

「ごめん、旦那には色々と迷惑を掛けてばっかだな」

「息子が遠慮するな。もっと義父親(ちちおや)を頼ってこい」

「相変わらずだなぁ。そんなに俺を息子にしたいのかよ」

「当たり前だ。しかもお前、後見人でもない了子君を義母さんと呼んだのに、俺の事は一向に義父さんと呼ばない。しつこくもなるさ」

「うわ、大人の嫉妬って見苦しいなぁ」

 

 呆れるが、その顔は笑顔になっている。

 暫くして、翼が本当にコーヒーを作って戻ってきた。それも二つ。

 俺のもあんのか、と呟きつつ鏡華も受け取って含んだ。

 

「にっが……」

 

 見れば、弦十郎も同じように顔を顰めている。

 翼はまだ火照った顔でふん、とそっぽを向いてしまう。コーヒーを淹れている間に、頭も冷え気付いたようだ。

 

「ま、眠気覚ましにはちょうど良い苦さだね。サンキュ、翼」

 

 それでも鏡華は嘘をついて笑みを見せた。

 だから――夢の事など、忘れてしまっていた。


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