戦姫絶唱シンフォギアG ーAn Utopia is in a Breastー   作:風花

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Fine3 泡沫で儚い、故に貴き場所Ⅱ

 壁の向こうから激しい物音が聞こえてくる。恐らく、切歌辺りがウェルを殴ったり怒鳴ったりしているのだろう。まあ、唯一のアジトがなくなったのだ。身を潜める場所がなくてはおちおちと寝てもいられない。

 ――オレには関係のない事か。

 オッシアは他人事のように呟くと、格納庫の片隅で蹲っている奴に声を掛けた。

 

「一先ず、その全身鎧を解除しろ」

「あ、はい」

 

 オッシアの言う通りに鎧を解除し元の服装に戻る。全身鎧が解けたその姿は――

 紛れもないその姿は――音無日向だった。

 全身鎧の解除と同時に格納庫にマリアが入ってきた。

 

「さっきからドタバタしてたが、切歌辺りがウェルを殴ってたのか?」

「色々問題が重なって少し苛立ってるの。じきに収まるわ」

「ご、ごめんなさい。アジトを守れなくて……」

「あなたが謝る事じゃないわ」

 

 マリアは笑みを浮かべて日向を抱き締める。

 

「あの状況下で二人も足止めしてソロモンの杖も取り返したんだもの。むしろお礼を言いたいわ。ありがとう日向」

「そんな……僕は、その……」

 

 マリアに抱き締められても表情が晴れる事はなく、明後日の方を見て呟いていた。

 

「それに……それぐらいしないと、僕の罪は赦されないし……」

「ッ……何度も言ったはずよ。あなたに罪はない。セレナだって日向を困らせるために助けたんじゃないのよ」

「ッ、ごめん、なさい……」

「日向……」

 

 何を言っても日向は「ごめんなさい」を繰り返すばかり。

 やるせない思いのマリアは一層強く抱き締める。

 

「ふぅ……マリア。そいつを部屋に連れて行け。幸い、料理はこん中でやってたから食材と料理器具は残っている。それまでそいつを落ち着かせておけ」

「分かったわ。行きましょ、日向」

 

 顔を俯かせたまま日向は頷くとマリアに付き添わされ格納庫を出て行く。

 オッシアは「面倒だ」と云う意味を籠めて溜め息を吐き、格納庫を出て使われてない方のブリーフィングルームへ向かう。

 その途中、頬を赤く張らしたウェルと会った。

 

「おや、オッシア」

「ずいぶんと盛大に殴られてたな。まあ、お前の面がどうなろうとオレには関係ないが」

「相変わらず辛辣な言葉ですね。そこまで僕の事は嫌いですか?」

「ああ、嫌いだね」

 

 間を置く事すらせず、断言するオッシア。

 

「お前に対して警戒は怠るなって本能が囁いているんだ。こいつは色々な意味でマズいってな」

「あはは。僕はまだソロモンの杖がなければ何も出来ない人間ですよ」

「……まだ、ときたか」

 

 こう云う所が警戒を解けないのだ。

 まるでソロモンの杖――聖遺物があれば何でも出来るような云いようが特に。

 

「まあいい。倒れられても困るし、一応、食事を用意してやるから二、三時間後にブリーフィングルームに来い」

「ありがとうございます。それでは」

 

 笑みを浮かべて一礼するとその場を後にする。

 その後ろ姿を見て、

 

「しかし……何故、あいつは“わざと情報を流しバレやすくしたんだ”……?」

 

 疑問を呟くのだった。

 

 

  ~♪~♪~♪~♪~♪~

 

 

 オッシアは別に料理が得意な訳ではない。ただ、フィーネの中で料理が出来るのがオッシアとナスターシャだけだからだ。そのナスターシャも現在は病気も一因し料理を作ろうとしない。結果的にオッシアが作るしかない。

 カセットコンロに乗せた鍋に水と適当に具材を入れて豚汁もどきを作るオッシア。豚肉など冷凍保存が必要な食材は買い出しに行ってない今は入ってないが。

 一応、オッシアが考えている今日の献立は豚汁もどきとフロンティア視察の際に釣ってきた魚の丸焼き、後はパン。

 後ろで扉が開いた音がして、オッシアは振り向かずに声を掛けた。

 

「あいつの様子は?」

「部屋で休んでいるわ」

 

 マリアはそのままオッシアの背後に立つと、肩から覗き込んだ。

 

「相変わらず、オッシアは調理が上手いわね」

「こんな事、大した事ない。順位的に云えば二位くらいだ」

「それ、何の順位よ」

 

 苦笑を浮かべるマリア。

 そのまま立ち去ると思ったが、マリアはオッシアの背中に額を当てて動きを止めた。

 

「……ねぇオッシア」

「何だ」

「私は、あの子に何をしてあげればいいのかしら」

 

 あの子――とは、云うまでもなく日向の事だろう。

 オッシアが見る限り、マリアは彼を“元の彼”に戻そうと必死で、日向はそんなマリアから一歩引いた感じで接しているようだった。

 

「さてな。お前達の間で起きた過去の事を知らないオレには何も言えん」

「ふ、ふ……そうね。あなたに言っても仕方ないわよね」

「だが、あいつが好きならどんな手でも使ってみる事だな」

「好、き……? 私が日向を? ……どんな眼で見ればそんな風に見えるのよ」

「好きな奴がいる存在として見たんだが?」

「――――」

 

 オッシアに好きな人がいると云う事に少なからず驚いたマリア。

 まったく顔を見せない彼が好きな人の前ではどうなるんだろうか。すごく知りたかった。

 それにオッシアは誰かに秘密をペラペラと話す人間ではないだろう。仕方なく、マリアは本音を漏らした。

 

「……そうね。きっと、私は日向が好きなのかもしれない。でも、それは恋じゃないわ。日向にはもう……セレナがいたんだもの」

「どうだか――ああ、以前から聞いていたが、そのセレナって奴はお前の関係者か?」

「妹よ。六年ぐらい前に……」

「なるほどな。色々と分かったよ」

 

 ――だからもういい。

 カセットコンロの火を切りながらオッシアはそう告げる。

 

「日向には変わらぬ態度を取ってやれ。無理に世話を焼こうとするな。それと、そんなに心配ならお前があいつを守ってやれ。いたって云うセレナの分までな」

「……ありがとう、オッシア」

「礼を言うんだったら――頭をどけてくれ。他の作業が出来ない」

「あっ……ご、ごめんなさい!」

 

 慌てて頭を離し距離を取るマリア。

 奏者の中では最年長のはずなのに、所々でポカをするマリアにオッシアは思わず苦笑を浮かべる。

 取り作るように咳払いをして、マリアは表情を改める。

 

「好きと云えば――少し相談していいかしら?」

「オレに答えられる事ならな」

「あなたは一人の男が複数の女を彼女とするのをどう思う?」

 

 ピタリ、と。

 包丁を持とうとするオッシアの動きが止まった。

 それに気付かずマリアはライブ準備中に奏と話した会話をオッシアに話した。

 

「それはただのごっこ遊びだ」

 

 マリアの言葉を聞き終わって、オッシアは吐き捨てるように言った。

 

「マリアは間違ってない、奴らの恋人関係はただの遊びで破綻している」

「……オッシア?」

「三人に好意? そんな事が人間に出来るわけないだろう。本気で愛する事が出来るのはその中でたった一人だけだ。あいつは溺れているだけだ。自分に好意を持ってくれる相手の感情に。自分が本当に好きなのは誰なのか気付かないまま仮初めの幸せに浸っているに過ぎない。許せないのはそれを真剣と言っている所だ。三人も好きな時点で真剣も何もあるわけねぇだろうが――!」

「オッシアッ!!」

 

 一人でぶつぶつと呟くオッシアを心配したマリアはオッシアの名前を叫ぶ。

 名を呼ばれ、オッシアはハッと我に返る。

 

「一体どうしたの? 突然呟きだして……」

「あ、ああ……いや、すまない。取り乱した。つまり、オレが言いたいのは三人と付き合うってのは間違っていると云う事だ。これでいいか?」

「え、ええ……」

「なら、悪いが一人にしてくれないか。用意出来れば呼びに行く。日向の所でも行って待っててくれ」

 

 有無を言わせない言葉にマリアは従うしかなかった。

 ブリーフィングルームを出て行く音を背中に聞き、オッシアは包丁を握る手を強める。

 

「ああ、そうだ。奴は間違ってる、間違ってるんだ。そうだろ――」

 

 自分に言い聞かせるように囁くオッシア。

 それでも、それはまるで誰かに言うかのようであった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 翌日――と云うか本日だったが、流石にそのまま授業に出るわけにいかず、クリスとヴァンを除く奏者組みは午前中を二課で治療及び睡眠に費やし、午後からリディアンに登校していた。

 

「はわ――あ。まだ(ねみ)ぃ……」

「仕方あるまい。私達防人に昼夜など気にしてられないのだからな」

「まあねぇ……」

 

 残り二日は授業は午前中で終わり、周りでは既に秋桜祭の準備を始めている。登校してきた鏡華と翼に気付いた生徒が次々に挨拶をしてくるので軽く手を挙げて挨拶を返した。

 

「翼んとこは準備は終わったの?」

「ああ。飾り物は昨日雪音やクラスメイトに手伝ってもらって片付いた。後は屋台の準備だけだ。鏡華が持っている立花達のクラスは?」

「あー、なんか一昨日から出入り禁止・閲覧禁止を喰らって見てない」

「……何それ」

「知らねぇよ。ライブ数日前に聞いた時はコスプレ喫茶するとか言ってたけど……」

「こ、こすぷれ?」

 

 思わずと云った様子で鸚鵡返しに聞き返す翼。

 一応、翼もバニーガールのコスプレをした事があったのだが、それがコスプレだとは知らないようだ。

 分かりやすく説明しようとして、視界の端に制服ではない赤髪の女子生徒を見つけた。よく見ればメイド服を着ていた。

 ちょうどいいや、と指差す。

 

「ほら、あそこにメイド服着ている女子生徒がいるだろ? あんな風に服を着てその仕事になりきるのがコスプレ」

「へぇ――ねぇ鏡華」

「ん? ――おう!?」

 

 翼の声に鏡華は「あ、人を指差すのはマズったか」と思って自分の指を見ようとしたその先――メイド服を着た女子生徒。

 女子生徒と思っていたのだが――よく見れば、あの羽みたいな赤髪には見覚えがあった。と云うか奏だ。

 

「鏡華。奏の年齢を教えてくれ」

「現在十九。今年で二十歳になる俺と同い年だよ」

「ならば通っているのは大学のはずだ。違うか?」

「留年さえしなければ大学生だな。それ以前に高校すら通ってなくて現在は歌姫だけど」

「そうか。ではあれは眼の錯覚だろう。五時間眠って寝ぼけているとは私も修行が足らないな」

「まったくだ。俺もちょっと寝付きがよくなかったな。夢見が悪かったのに覚えてないんだよ」

「覚えてないなら大した事のない夢ってことだよ。じゃあ私は自分のクラスに行くから。雪音と夜宙の欠席届は任せたぞ」

「了解。……さてと」

 

 こっちに気付いていない奏の事は思考の隅に追いやり、鏡華はそのまま学院内に入る。

 と云うか気にしたらフォローに回るのが眼に見えてたので、今回だけはスルーさせてもらう。

 職員室で“こちら側”の人間でもある教頭に隠語を交えて会話をしておく。ちなみに、元々リディアンは人道的に褒められない研究をしていたり二課本部が地下にあったので、教職員の半数には政府関係の人間がなっていた。

 まったく関係ないただの教師なのは元・響達の担任であり、校舎移転の最中にお見合いが成功し寿退社した女性教師やクリスやヴァンの担任、後は数人。

 ちょうどクリスとヴァンの担任が職員室に戻ってきたので、鏡華は二人が欠席する事を説明しておいた。

 一応、差し支えない理由を伝えたが、実際は二人共肋骨をやられており、特にヴァンは骨折寸前までヒビが入っていたので無理矢理休ませたのだ。

 

「分かりました。二人にはお大事に、と伝えておいてくれますか?」

「了解しました」

 

 とは言ったものの。

 その二人は今現在、安静にしていなければいけないのに、まったく療養せずにどこか行っているのだが。

 鏡華はやれやれ、と最近よく感じる頭の鈍痛に悩まされながら見回りに出るのだった。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 肋骨骨折。安静にしていれば完治五日と二日。

 それがヴァンとクリスに言い渡された診断結果だった。ただし、あくまで診断名であり実際はヒビが入っているのだが。

 にも関わらず、ヴァンとクリスはバイクで我が家に戻っていた。ちなみに免許はヴァンが一ヶ月前に取得している。

 二課から寮に戻り、少し休んでから本来は禁止されているバイクに二人乗りで自然に囲まれた場所に来ていた。暫く昇ると頂上辺りに誰にも知られずにひっそりと屋敷が建てられている。

 知る人はその屋敷をフィーネの屋敷と呼ぶが、既に家主はいない。買い取ったヴァンとクリスも学業のために寮に入っているので今は誰もいなかった。しかし、週一回は必ず屋敷に帰っては掃除をしたり泊まっていた。

 屋敷に着くと、寄り添いながら中に入る。一階は修繕された大広間、フィーネの残した研究道具の内、政府が回収しなかった研究道具がある部屋がある。いつかは片付けなければいけないが、少なくとも今はやる気が起きなかった。

 二階へ上がり、寝室へ向かう。部屋に入るとヴァンはクリスから離れ、棚の一番下の引き出しを漁り始めた。その間にクリスはベッドに腰を下ろす。

 

「――ん、あったぞ」

 

 目的の物を見つけたヴァンは立ち上がり、クリスにそれを手渡した。

 ヴァンが手渡したのは数枚の封筒。

 

「それがあいつら……フィーネの連中と文通していた手紙だ」

 

 ――大した事は書いてないがな。

 そう言ってクリスの隣に腰を下ろす。

 ヴァンは軽く言うが、クリスにとっては内容なんて関係なかった。

 日付を見る限り、その頃の自分はイチイバルの制御に苦心していたのは鮮明に覚えている。だけど、

 

「気に入らねぇな」

「朝も言ったが、隠していた事は謝る」

「違ぇよ。いや、それもあるけどさ」

 

 気に入らないのは――自分の嫉妬深さについてだ。

 当時はイチイバルを覚醒させる事は出来ても制御するのには苦労し、失敗すればフィーネからお仕置きと云う折檻を受けて、それはもう荒れていた。ヴァンとも口を利かない日だってあったくらいだ。

 もちろんそれらは自分のせい――と云うかフィーネのせい――なのだから、ヴァンもジャンやエドに頼まれた文通をこっそりとしていたのだろう。

 そのこっそりしていた大した事のない出来事が、今のクリスには嫉妬してしまう対象になってしまうのだ。

 ――あたしってこんな独占欲強かったか?

 自分でも驚いている。こんな自分もいるんだ、と。

 

「ったく……ああ、そうだな。クリスの嫉妬は少しばかり強いな」

「るっせ。ヴァンだってあんな台詞を吐いたんだから、もっとあたしの事大事にしろよな」

「何を言ってる。俺はクリスの事は世界で一番大事に想っている。そんなのは当たり前の事だ」

 

 ッ――と息を呑む。

 相変わらず、心臓や体温に悪い台詞を恥ずかし気もなく言うものだ。

 

「ばっ、なに恥ずかしい事言ってんだよ! だ、だいたい、大事に思ってるなら行動で示せよ!」

「……お前それ、どこから仕入れてきた」

「――――」

 

 クリスは恥ずかしがっていたが、やがてか細い声で「あいつらの部屋」と答えた。「あいつら」だけの名称は響と未来の二人だろう。

 なるほど、あの二人の部屋にならそう云う漫画もあってもおかしくない。

 

「悪いが、俺は器用な性格をしてないのはクリスも知っているだろう。学校でやらない事を部屋の中で切りかえてやるなんて無理な話だ。それに――」

「それに? なんだよ」

「……一度行動に移したら、我慢(ペイショント)出来なくなる」

 

 明後日の方を向いて、呟くように答えるヴァン。

 わずかに照れている口調だったのはクリスだから気付けた。

 

「我慢、すんなよ。あたしはヴァンになら何されても……うん、いいから」

「――――」

「おい、何とか言えよ」

「……じゃあ、我慢しないぞ?」

「…………うん」

 

 そう言うとクリスの肩を抱き寄せ、自分の許へ寄せる。抵抗しないクリスはぽふんとヴァンの胸に身体を預ける。見上げれば、目の前にはすごく優しい表情を浮かべたヴァンの顔。

 ――やばい、それ反則だ。

 ヴァンの瞳に映るクリス。ちょっとばかり泣きそうで恥ずかしがっている――なのに、一度も見た事のない蕩けそうな笑みを浮かべているのには、クリスは心の中で待ったを掛けた。

 だけど身体は止まる事なく近付いていく。

 

「クリス――」

「ヴァン――」

 

 甘ったるい声に心の中のクリスは悲鳴を上げそうになる。まるで媚びるような声に、自分はこんな女だったか自問自答したくなってくる。

 でも――大好きな彼の瞳に映る女の子は、とても幸せそうで。

 近付く瞳。

 触れる吐息。

 唇に感じるヴァンの愛。

 何度もついばむように、深く強く重ね、永遠にも等しい時間が過ぎ、どちらともなく離れ――ヴァンはベッドに倒れた。

 

「ぇ……あ、れ……ヴァン?」

 

 見なくても分かるぐらい自分が潤んでいるのを感じているクリスは何もしてこずに倒れるヴァンを見て、思わず声を出していた。

 顔を布団にうずめて、ヴァンは一言。

 

「恥ずい。死ぬ」

「……おい」

 

 ちょっと待て。恥ずかしがるとか普通は女の子(クリス)がするはずだ。

 それを何でヴァンが演じているんだ。

 思わず素に戻ってしまうクリス。

 

「何でヴァンが倒れるんだよ。ここはヴァンがあたしを押し倒すシーンだろ!?」

「いや……俺達肋骨にヒビ入ってるから過度な運動は出来な――」

 

 自分で言っておきながら、「って、過度な運動とか何を想像してんだぁっ!」と叫びながらゴロゴロ転がり回る。

 その動きで悪化しないのか、とクリスは思うが口には出さない。むしろ頭の芯がスゥーッと冷えてきた。喩えるなら《RED HOT BLAZE》の訓練時の完全集中時や完全にキレた時の感じ。

 

「ああぁっ! やっさいもっさいっ!」

「なぁ――ヴァン」

「――はっ」

 

 バッと我に返るヴァン。だが時既に遅し。

 ほったらかしにしていたクリスは――それはそれは良い笑顔でした。

 

「く、クリス――?」

「ヴァンてさぁ……案外、ヘタレだよな」

「うっ」

 

 ある単語を強調して言うクリス。痛い所を穿たれ呻くヴァン。

 もちろん、これだけで許したりなどしない。

 

「しかもヘタレのくせにキスしてる間、けっこーあたしの胸を揉んでいたよなぁ」

「無意識にそんな大胆な事をしていたのか俺は!?」

「無意識に、ねぇ。あんなに捏ねくり回していたのに無意識かぁ。ヘタレで変態かぁ」

「ぐはっ」

 

 次々と突き刺さる言葉の矢。

 普段とは真逆の関係。もしこれを鏡華達の誰かが見ていたらと思うと、恥ずかしさで悶死してしまう。

 数分ぐらいの間だったが、ヴァンには数時間のように感じられ限界だった。

 

「……頼む、クリス。もうそろそろ、俺の精神的な体力が尽きそうなんだが……」

「ん〜? ま、もういっかな。そんじゃ……最後にヴァンの気持ちを聞かせてくれよ」

「お、俺の気持ち……?」

「そっ。あたしに対する気持ちとか、その、どうしてキスしたかった……とか」

「――は? そ、それは……恥ずかしいんだが……」

「何でだよ。いつもは素面で言ってるじゃねーか」

「それはそうなんだが……いざ、面と向かって言うとなると――な」

 

 そう云えば、とクリスは思い返す。

 ヴァンの告白を聞いたのはあの戦いの最中。指輪を貰って本当の告白をしてくれたのは昨晩言い合ってしまった翌日。

 日常では大事にされているが、言葉で聞いた事がなかった。

 つまり目の前の恋人は、真面目な時にしか言ってくれないのである。

 

「だ、だいたいだな、クリス。確かに恥ずかしがっているのは俺だが、クリスだって言葉にした事なんて一度ぐらいだろ?」

「……うん?」

「一応、周りには俺とクリスは恋仲だと思われているんだろうが、俺は胸を張ってクリスの彼氏だと言い辛いんだよ」

「た、確かに……」

「俺の気持ちは分かっているだろ? 俺はクリスの気持ちを分かっているつもりだ。あ、いや、さっきの数には入れない(ノーカン)なんだが……。だけど、それでも俺達は相手の気持ちを知りたがっている。お互い好きだからと云って恋人関係になるわけじゃない。覚えてないと思うけど俺の父のNGO団体にもいた。好きだけでは関係は進展しない。それ以外の何かがきっかけ(トリガー)になる。それが何かは気付かない。そう――だからだなんだ。だから相手にそう云う気持ちをはっきり言ってほしいんだ」

 

 いつになく長い説明にクリスは思わず聞き入っていた。

 いつの間にか、ヴァンの羞恥していた顔が元の無表情に戻っていた。でも、長い付き合いだからクリスには、笑みが浮かんでいる事が分かっていた。

 

「まあよく、言葉にしなくても伝わる気持ちと云うのもあるだろう。だけど、立花がクリスに言ったように、俺達は自分で伝える事が出来るんだ。言葉にして自分の気持ちを相手に伝えて、相手が受け取ってくれて、それを喜んでくれたら自分も嬉しくなると思う」

 

 ――うん。そうだな。

 そう呟くヴァン。まるで自分の言葉に自分で納得している感じで状態を起こす。

 ベッドの上で胡坐を掻いてクリスに向き直る。

 

「真面目な時だけ言っても駄目だな、うん。クリスの言う通り俺、ちゃんとクリスに想いを伝える。そうしたらさ、クリスも応えてくれないか? クリスが応えてくれたら、俺はきっと凄く嬉しいと思う」

 

 今日のヴァンは少しどうかしている。いや、クリス自身もどうかしていたのだが。

 だけど、クリスに断る理由などなかった。ヴァンと同じようにベッドの上で胡坐――を掻こうと思ったが、流石に思考がそれを止めて正座になる。

 

「クリス」

「うん」

「夜宙ヴァンは――雪音クリスを愛しています」

「うん」

「これからもずっと傍にいて愛していたい」

「うん」

「それを――許してほしい」

「当たり前だ」

 

 そっとヴァンの頬に手を添える。

 ヴァンが隠す事なく言ってくれた気持ちがクリスには凄く嬉しかった。

 答えを返せば、ヴァンも嬉しくなってくれるのだろうか。そうなら、いくらでも言えた。

 

「雪音クリスも――夜宙ヴァンを愛しているんだから」

 

 ――だから、嬉しさを幸せに変えてもいいよな。

 さっきのように熱に浮かされたように、本能に任せてではなく――全身を包み込む幸せを感じながら理性を保ったまま唇を重ねる。

 遥か彼方の未来の事なんて、今の二人には分からない。泡沫で儚いこの場所がいつ崩れ去ってしまうか分からない。

 それでも、これだけははっきりと確定している。

 未来永劫、この貴き場所に二人でいれば幸せ――だと。


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