戦姫絶唱シンフォギアG ーAn Utopia is in a Breastー   作:風花

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Fine2 狭間の標Ⅲ

  ―ハグ

 

 最初にそんな擬音がしたと思えば、

 

  ―ハグハグハグハグ

 

 止まる事なく擬音は一心不乱と音を立て続ける。

 手に持つのは、箸の時もあればフォーク、スプーン、レンゲと多種多様。目の前に並んでいる和食、洋食、中華何でもござれの状態が次々と運ばれては得物によって運ばれ消えていく。

 その光景をヴァンは絶句する以外出来ずに見入っていた。響や奏の食べる所は何度か見たので大食いには耐性がついていたと思っていたが、隣に座る同年代の少年の食事は大食いに加え早さも凄かった。

 

「――ごちそうさまでした」

 

 その言葉が口から放たれたのはメニューの半分を食べ終わった時だった。

 入ったファミレスは破格とも云える値段設定だったので金の心配はしてないが、少年の胃袋の方が心配だった。

 そんな少年を向かいの席から凝視している響と未来。彼の胃袋にも驚いているが、二人が驚いているのは別の事だろう。

 

「奢ってくれてありがとうございます。“響ちゃんと未来ちゃん”もありがとう」

「そんな事どうでもいいから!」

 

 ありがとうの言葉を受け取らず、響が押し殺したように叫ぶ。その眼にはわずかに涙が浮かんでいる。

 

「今まで何してたの? ひゅー君!」

「……久し振りに呼ばれたよ。その呼び方」

 

 ひゅー君と呼ばれた少年はやるせない笑みを浮かべて呟いた。

 少年の名前は音無日向(ひゅうが)――と未来が教えてくれた。響の幼馴染みにして、もう一つの日向。未来にとっても友達。そして――さっき言っていた蒸発した友達。

 驚きを捨て、もう一度響と未来と話をしている日向の横顔を見た。

 蒸発した――行方不明になってから約十年。何もなかった訳がない。少なくとも目の前の少年には何かがあったはずだ。嗅覚では感じ取る事の出来ない匂いがヴァンには感じられた。

 

「ごめん。本当に覚えてないんだ。僕がどこで何をしていたか、どうしてここにいるのか。気が付いたらこの街にいたんだ」

「……そっか」

 

 何度も確かめるように問い詰める響と未来に、同じように答える日向。

 これ以上は何も分からない、と二人は問い詰めるのをやめた。

 

「ところで、母さんは元気?」

 

 日向の言葉に響と未来は思い出したようにビクッと身体を揺らす。

 

「げ――元気かは分からないなぁ。ほら、私と未来って今年からここら辺にある学校に進学して寮生活だから会ってないんだ。夏休みも帰ってないし……」

「そっか。あ、いや、別に責めるつもりはないよ。それに僕も連絡するわけにいかないし……」

「どう云う事?」

「えっと……ほら、僕が音無日向だって云う証拠がないし、行かなきゃいけない所があるような気がするんだ」

 

 だから、と言った瞬間、日向は席を立ち頭を下げた。

 

「響ちゃんと未来ちゃんに最後に会えて良かった。ありがとう――じゃあね」

 

 響達が頭を下げた事に驚いている間に日向は早口に言って逃げるように店内から出ていった。

 止める間もなく店内から消えた日向を追い掛ける事が出来ず、響と未来は小さく声をあげる事しか出来なかった。

 

「ひゅー君……」

 

 虚空に伸ばした手は何も掴めず、響は右手を下ろした。

 膝の上に置いた手に、未来の手が重ねられる。

 

「未来……」

「大丈夫だよ。きっと、響の手は日向に届くから」

「――ありがとう。未来」

「さっきも言ったが、相も変わらず仲の良い事だ」

 

 目の前で見せつけられる光景にヴァンは苦笑を浮かべて呟いた。

 

「だが、音無日向とやらに届くかどうか」

「……?」

「奴は部類(カテゴリー)は違えど、俺と同じだ。あいつは拉致された場所で何かに遭ってる。それが何かは知らない」

「そんな……いえ、ヴァンさんが言うならそうなんでしょうね、きっと」

 

 同じように囚われ日常を失ったヴァンだからこその台詞。

 響と未来には彼の言葉が嘘を言っているとは思えず信じられた。

 

「それでも奴に手を伸ばすか? 立花響」

「クリスちゃんやヴァンさんとも分かり合えたんだ。ひゅー君とだって繋ぎ繋がれるはずです! それが私の戦いですからっ」

「だろうな」

 

 ――予想通りの言葉だ。

 そう言って立ち上がったヴァンは机に自分の携帯端末を置いて歩き出した。

 

「あの、これ……」

「奢りだ。電子マネーが入っているはずだからそれで勘定しておけ。後で返しに来い」

「でも……」

「仲間の言葉だ、素直に受け取れ――立花」

「あ……」

 

 初めて自分の事をフルネームでなく名字だけで呼んでくれた。

 その事に驚いている間にヴァンも店内を出ていく。

 外に出れば夕暮れが眩しく眼を細める。

 ――そろそろ戻らないとクリスにどやされるな。

 そんな事を笑みをこぼして胸の内で考えたヴァンは独り、袋を手にリディアンへと戻った。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

 正直、ここまでくると吐き気を覚えずにはいられなかった。目の前の光景に鏡華は胃が捻れ切れるような幻痛を覚え顔を顰める。

 目の前にある一軒家。その門に、扉に、外壁に、至る所に貼られたお札のような紙と云う紙。その全て呪詛の如く批難の文字が大きく紙一杯に描かれていた。

 

「これが――これが、奇跡的に生きて帰って来られたあいつに掛ける言葉かよ……!」

 

 拳を握り過ぎて爪が皮を破り、血が出ている事に気付きながらも握り続ける。

 奏も何も言えず、ただ家を見上げる。

 この家の表札に記された名字は――立花。

 そう、響の実家なのだ。

 緒川に調べてもらった事――それは立花響の過去。

 秘密を暴くようで気が引けたが、鏡華はどうしても響があんな顔をする原因を知りたかったのだ。

 結果的にその原因が――自分達のせいでもあると知ってしまったのだが。

 事の発端は二年前。鏡花達の始まりとも呼べる、あのライブ襲撃からだった。奏の必死の言葉によって生きる事を諦めなかった響は奇跡的にあの地獄から生還出来た。

 その後、リハビリを終えて戻ってきた響に待っていたのは――地獄だった。

 あの日、ライブ会場にいたのは約十万人。死者、行方不明者は約一万三千。およそ九割の人間は助かり、残り一割は命を散らす事となった。しかしここで勘違いしてはいけないのは“ノイズが殺したのが一万三千”ではないと云う事。一万三千の内、半数以上の死因は逃走中にドミノ倒しとなった圧死、逃走通路で優先権を巡って起こった暴行――傷害致死にあったのだ。

 過半数が人による事、それに遺族、被災者への補償金も加え、生存者に対するバッシングは関係ない人間も巻き込んだ一大騒動になったらしい。

 アヴァロンの制御と奏の治療のため俗世間から逃げていた鏡華はまったく知らなかったが、ネット上でかなり話題に挙げられ、間違った正しさを振りかざし、ある事ない事書かれていたようだ。

 

 当然のように生還者である響にもその矛先は向けられた。

 経緯は不明だが響と同じくライブに行っていた同学校の生徒は命を落とし、その事で攻撃され――当時、響の父親が勤めていた会社関係でも似たような事が起こったらしい。それによって父親は会社で干され、家では飲酒が増え、家族に手を挙げ、挙げ句の果てに蒸発したそうだ。

 そして――それらは今現在でも続けられている事が目の前の光景で証明された。

 

「ちょっと――そこのあんた」

 

 情報を頭の中で思い返していると、声を掛けられた。

 フードは被っていたが、逆に怪しまれる原因となったか。

 感情を無理矢理押し込め、話し掛けてきた中年の主婦へ向いた。

 

「はい。何でしょう」

「悪い事は云わないよ。その家に関わるのはやめな」

 

 てっきり怪しむのかと思ったが、吐き出された言葉はまるっきり違った。

 

「どう云う事でしょうか。私達は先程この街に来たばかりで何が何やら……」

「その家は呪われてんだよ。二年前、この家の一人娘がノイズに遭っても生きて帰ってからね。ほら、あんたも知ってるだろ? 二年前のアイドルのライブにノイズが出たあれ」

「ええ……あれは知ってます」

「何千人も死んだって云うのに大した怪我もなく戻ってきてらしいじゃない。しかもその後に父親は会社をクビにされて蒸発したとか。ああ、恐ろしい。周囲の人達は口を揃えて被害者の怨念が生き残ったこの家に呪いを掛けてるって考えてるのよ。本当に、近所に住んでいる身として迷惑しちゃうわ。だからあんたもさっさと――」

「御託はそれだけですか?」

 

 遮るように早口で捲し立てる鏡華。わずかに怪訝そうな顔になる主婦。

 奏は後ろを向いてギリギリと拳を握っているのが見なくても分かった。鏡華だって同じ気持ちなのだ。

 

「あの惨劇を生き残ってくれた奴に向かって言う言葉ですか? 何人も亡くなって、生き残ってくれた一握りの人間に向ける感情ですか? 実際に見て口にした台詞ですか?」

「ちょ、ちょっと……!」

「呪い? ふざけるな。あなた達のその態度が、言葉がっ、視線が! 呪いにさせたんだろうがっ!」

「ひっ」

「呪われてるって言うなら貴様らは化物だ! 人の皮を被った化物だろうがっ!!」

「落ち着きなっ、馬鹿ッ!!」

 

 後ろから羽交い締めにされる。

 ようやく自分が拳を振り上げている事に気付く。

 奏がいなければ、今頃天に向けられた拳は主婦の身体のどこかへ減り込んでいた。

 主婦は腰を抜かしたのか、中腰で這うように逃げ出し、あっという間に消えていった。

 対象を失った拳はやり場をなくし、真横のブロック塀に叩き付けられた。わずかにブロック塀がヘコみ拳からブシュッと血が噴き出た。

 

「馬鹿。あんな奴を殴っても、鏡華が捕まるだけだぞ」

「ッ――くそっ! くそ、くそっ、くそっ!」

「やめろよ。鏡華が怪我しても意味ないだろ。肉を斬って骨を断ってるだけじゃねぇか」

 

 奏の制止の言葉も意味を成さず、立て続けにブロック塀を殴り続ける。殴るたびに血が噴き出ては治癒されるが繰り返される。

 奏に言われるまでもなく分かっていた。こんな事をしても無駄だと。むしろ自分だけでなく奏にも痛みを与えているのだ。だけど、止められなかった。

 ――何で、こんな事になってもお前は人と分かり合えると思ってたんだ。

 誰かのため――なのに、その誰かに踏み躙られた過去を持つ少女、立花響。

 以前、翼が教えてくれた。鏡華の覚悟を立花は重過ぎると言っていた――と。

 だが、そんな事を言う響こそ想いが重過ぎる。どうすればこんな絶望の状況を乗り越えられたんだ。

 ――教えてくれ、立花……!

 

「ちょっと! 何してるのよ!!」

 

 その叫び声は奏のものではなかった。

 同時に殴っていた腕を掴まれ、無理矢理殴るのを中断させられる。

 鏡華が頭を上げ、掴んだ女性を見れば、髪型こそ違うものの顔はまさしく――

 

「立花――」

「ええ、私は立花よ。でも、年上に向かって呼び捨ては感心しないわね」

「――響の、お姉さん……?」

「あら嬉しい。でも残念。私は――響の母よ」

 

 笑顔を――響と似た笑顔を向けて、響の母親はそう言った。

 

 

  〜♪〜♪〜♪〜♪〜♪〜

 

 

「――はい、手当はおしまい。これに懲りたら、もうあんな事はしないように」

「……すみません。家の前で変な事をしていた上に手当までしてもらって」

「いいわよ。響の友達なんだから」

「あたし達が本当は友達じゃないかもしれないのに? ただ、響、さんの過去を知って興味本位で来ただけのお調子者かもしれないじゃないですか」

「あら、これでも人を見る眼はあるわ。特に響の友達かどうかは」

 

 自信たっぷりの台詞に鏡華と奏は顔を見合わせ肩を竦める。

 流石は響の母親だ。響の親しい人に対する自信は彼女からの遺伝だろう。

 

「自己紹介が遅れました。私は遠見鏡華。響さんとは友達兼担任の関係です」

「天羽奏。響とは友達です」

「遠見さんと天羽さん……。もしかして、あの、ツヴァイウィングの?」

 

 頷くと、響の母親は多少なりとも驚いたようだ。

 

「あの子ったら、いつの間に有名人と友達になれるコネを持っていたのかしら」

「コネって……驚く所はそこですか」

「ふふ、冗談よ。でも、担任って云うのは……?」

「兼業でリディアン音楽院の教師を勤めていますので」

「あらそうなの? 今時の子はすごいわねぇ」

 

 実際は全然すごくないのだが。最悪、鏡華は響よりも頭が悪い。

 まあ、そんな事をいちいち補足したりしない。

 出されたお茶を飲んで一息をつくと、

 

「それで? どう云った用件で来たのかしら?」

 

 笑みを消し、真顔でそう訊ねてきた。

 

「娘が何か問題を起こしたのでしょうか?」

「とんでもない。響さんは優秀――とは言い難いですが、色々と頑張っています。友達にも恵まれて、私が見る限り楽しい学生生活を送っていると断言します」

「そうですか。ではどう云った理由で?」

「――――」

 

 目の前の母親に嘘は通用しない。そんな気がして、だけどどう誤摩化せばいいか。

 少し口を閉ざして考えをまとめる。

 

「響さんの趣味はご存知でしょうか?」

「……? いえ」

「響さんの趣味は――人助けです」

「…………」

「以前、問うた事があります。何故、自分に何の得もない事をしているのか、と」

 

 それは翼が入院していた時、聞いた質問。響が人助けする理由。鏡華は聞いた通りに喋っていく

 母親は黙って聞いていた。

 

「最近、彼女に向かって『偽善』と言った人がいました。その時の響さんの顔は忘れられませんでした」

「…………」

「正直に言ってしまえば私達がここに来たのは、天羽が先程言った通りただの興味です。知りたいと云う願望によって動いただけに過ぎません。それだけは謝罪します」

 

 ――申し訳ありませんでした。

 机に触れそうなぐらい頭を下げる鏡華。奏も鏡華に習って頭を下げる。

 母親は何も言わない。静寂が十数秒間支配し、

 

「知って、どうするつもりですか?」

 

 母親は口を開き疑問をぶつけた。

 

「あの子の秘密を知って、これからあの子との接し方を変えるつもりですか?」

「いえ――いや、もしかしたらそうしたかもしれません。もう少し付き合いが短ければ、私は同情していたかもしれません」

 

 ですが、と鏡華は続ける。

 頭を上げて。そんな事はない、と瞳で語りながら。

 

「あいつはそんな事を望んでいませんし、私も今の彼女が一番好きです。むしろ憧れました。あいつの、前向きな姿勢は――様々なものの見方を変えてくれますから」

「……ふふ」

 

 精一杯の言葉に、母親は思わずと云った様子で笑みをこぼしていた。

 

「ずいぶん、響の事を買ってくださってるみたいですね」

「それはまあ……紆余曲折ありましたので。それに、あいつには――」

 

 最後の方は自分にだけ聞こえるように囁く。

 しかし途中で、マナーモードの着信音が鳴った。鏡華は一言詫びて電話に出る。

 

『あ、遠見先生? 私ですよ私ー』

「……ワタシワタシ詐欺がお掛けになった電話番号は現在、使われておりません」

『タワシですよタワシー』

「タワシタワシ詐欺……だと?」

 

 ――なんて。

 目の前の母親の怪訝そうな表情を見て、コホンと咳払い。ついでにスピーカーモードにしてイジる事にした。

 先に母親に静かにするようにジェスチャーで伝え、携帯端末を机に置く。

 

『一体どこにいるんですか? 未来や翼さんも心配してますよ、もぐもぐ』

「食べながら心配する奴がどこにいる」

『私と小日向と立花だが? もぐもぐ……こら立花! それは私のいなり寿司だ!』

 

 どうやらおやつの時間のようでした。

 しかし、こんな時間から食べて、夕飯が食べられなくならないだろうか。

 

『で、一体どこにいるんですか? 近場だったらバイクで轢きに行くって翼さんが言ってるんですけど』

「怖い事をさらっと言うな。俺は今――」

 

 街の名前だけを伝える。

 瞬間、響はこれ以上ないくらい驚いた。

 

『それ私と未来の実家がある街なんですけど?』

「知ってる。今、立花の家に上がっているし」

『えっ……?』

 

 これには本気で驚いたようだ。

 後ろから「響? どうしたの?」と聞こえる辺り、固まっているのだろう。

 

『なっ、何で――や、そ、それよりも……!』

「見たぞ。お前の家の事なら」

『――――ッ!』

「だからそれを踏まえて言っといてやる。立花――お前、帰ったら抱き締めるから」

『――――は?』

 

 電話の向こうで響が呆けてしまった事が手に取るように分かった。母親も固まっている。

 隣で奏が笑っているが、鏡華は構わずに続ける。

 

「いやあ、お前が体験した事に比べたら俺の事なんて些細だなぁって思ってさ。無性に立花を褒めたくなっちまったんだよねぇ」

『言ってる意味、全然分かりません! って、翼さんどこから刀を出したんですか!? 未来は、め、めりけんさっく?』

「とにかく、だ。今云える事はただ一つだ。――生きるのを諦めないでくれて、ありがとな」

 

 そう言うと、相手の状況などお構いなしに通話を切る。

 携帯端末をしまい、響の母親に向き直ると、

 

「誰が何と言おうと、私は生きていてくれた事に感謝します」

 

 再び頭を下げた。

 

「すみませんが私達はこれで失礼します。――行くぞ、奏」

「あいよ」

 

 立ち上がってフードを被り、もう一度だけ会釈をして部屋を出ていく。

 玄関まで来た時、

 

「あのっ!」

 

 母親に呼び止められた。

 振り向けば、どこか心配そうな表情を浮かべていた。

 

「あの子は……響は、今笑っているのかしら?」

「はい。親友や友達と一緒に、毎日笑顔を浮かべてますよ」

「ッ……そう」

 

 目尻に溜まった涙を拭い、母親をぺこりと頭を下げた。

 

「娘の事――よろしくお願いします」

「お願いされました」

 

 そう言って外に出る。外は既に暗くなっていた。

 降り立った時同様、奏に《遥か彼方の理想郷・応用編》を使用してもらい、鏡華の体感的には一瞬で雲の上まで飛び上がる。

 

「あ、鏡華。はいこれ」

 

 奏が差し出してきたのは何十枚もの紙の束。

 受け取って裏返してみれば、それらが家に貼られた紙だと分かった。

 ナイスだ、と奏を褒めて頭を撫で、懐からライターを取り出して紙の束に火をつけた。

 半分以上が炭になると海へ投げ捨てる。

 

「さ、早く帰ろう。立花をもふもふしてやらねば」

「するのはいいけど、翼や未来が嫉妬しない程度にした方がいいんじゃね? なんかさっき物騒な言葉が聞こえたしさ」

「そう云えば……翼は刀を持ってたみたいだし、未来は、えーっと、めりけんさっく?」

「何だろ、米国の人間が持ちそうなそれって」

「さあ? まあ、未来が持ちそうなものなんだ、大したもんじゃねぇだろ」

「そうだな」

 

 そう言ってプライウェンを加速させ、帰路を急ぐ。

 ただ――少し気になった事があった。

 何か。主婦を怒鳴っている時、奏が自分を止めた事だ。

 常識的にはそれは正しい行為だろう。しかし、奏が自分を止めるとは思わなかったのだ。むしろ自分が止める側になると思っていた。

 響の家の状況は奏の逆鱗に触れるであろう代物。そこに主婦からあんな言葉を掛けられれば、確実に怒鳴っていたはずなのだ。なのに、怒鳴ったのは自分。止めたのは奏。

 まるで怒りと云う感情がなくなったかのように思う鏡華。

 でも、鏡華には怒らなかった理由が――分からなかった。

 そして、鏡華と奏は知らなかった。

 メリケンサックがかくも恐ろしい武器だと云う事を。そして、今加速させた方角は――リディアンとはまったくの正反対だと云う事を。

 これっぽっちも気付かなかった。


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