せっかくバーサーカーに憑依したんだから雁夜おじさん助けちゃおうぜ!   作:主(ぬし)

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前回の投稿から約2年のあいだに、なんと一児のパパになりました。変な感じです。


2−17 美味すぎる飯を食べるとなんだかいつもより饒舌になるよね

‡切嗣サイド‡

 

 

 切嗣は、旅に出ていた。

 

 ざむ、ざむ、と黄金の砂粒が敷き詰められた砂漠を進む。どこまでも澄み渡る空はエメラルド色に輝き、遥か地平線では煌めくオアシスが手招きしている。降り注ぐ陽光はなんとも心地よく、頬を撫でる爽やかな風は適度に湿り気を帯びて涼しげだ。大気を満たす(かぐわ)しい香辛料の香りは食欲を刺激し、口腔内を唾液で埋め尽くす。

 「ここはどこだ?」と自問し、「天国に違いない」と瞬時に自答する。そうだ、ここはまさに天国だ。人間にとっての幸福の極地。みずみずしいヤシの木の揺れるオアシスの招きに応じ、切嗣は歩みという名の咀嚼(・・)を再開する。そして唐突に気が付いた。

 黄金の砂漠(エルドラド)と思っていたそこは、紛れもなく、サクサクほわほわコロッケの表面であったのだと───。

 

「うま……うま…………ハッ!?」

「えっ、キリツグ……大事な会合の最中にヨダレ垂らして美食に惚けるとは……なんというか……ちょっと“無い”というか……」

「こ、コイツ……!」

 

 どの口が言いやがる、とこめかみがピキリと脈打ちそうになるのを理性で抑える。食事を全てたいらげて満腹に近いセイバーはすっかり賢者(マーリン)モードと化してキリッと表情を引き締めて背筋を伸ばし、先ほどまでの醜態など知りませんと言わんばかりだ。

 

「ははは、満足してくれたようで何よりだ。名高きアインツベルンの豪華な食事を食べ慣れている君たちの舌に叶うか心配だったが、それは杞憂だったと知って安心している。そのかき揚げは、コロッケの添え物にしては絶品だ。私も味見をしたが、きっと君たちの眼鏡にかなうと思う。ぜひ食してほしい」

「はいもちろん!私の全て入る理想の胃(アヴァロン)は無限です!」

「お前はもっと警戒心とか遠慮とかさぁ!」

「いやいや、いい食べっぷりは見ていて気持ちがいいものだ」

 

 言うが早いか、切嗣の苦言を無視して小エビと根野菜のかき揚げにガブリつくセイバー。それを見て、片目を黒革のアイパッチで覆う隻眼の魔術師───第4次聖杯戦争の怪物(・・)、間桐雁夜が心から楽しげに笑った。

 

(思っていたよりも優男(やさおとこ)だな)

 

 それが切嗣が間桐雁夜に覚えた第一印象だった。顔立ちは整っている方だが、眉目秀麗とまではいかない。脚が長いために日本人の平均身長よりわずかに高い背格好は、引き締まってはいるが、鍛えているというわけでもない。これといった特徴といえば、意味ありげに片目を隠す革のアイパッチくらいだ。仕立てたばかりの誂えの高級スーツ───魔力の波動を感じることから魔道具として改造されているのだろう───を一分の隙もなく着こなしている様相は如何にも由緒正しい魔術の家系を感じさせるが、他者を見下すような圧迫感はまったく感じなかった。

 同じ魔術師であろうと目的を違えば即座に殺す。身勝手な“この世の真理”とやらに手を伸ばすために他人を出し抜くことしか頭にない。小手先の権謀術数で無辜の人々を平気で利用し、目的を達成するためなら凄惨な手段をとることもなんら厭わない。それが魔術師という人種(・・)だ。古今東西、変わることのない習性だ。

 しかし、目の前に悠然と座る間桐の麒麟児は、およそ魔術師らしからぬ裏表のない表情を切嗣たちに平然と曝け出していた。漲る自信と矜持が全身から発憤されているが、そこには驕りも無ければ蔑む気配も微塵も無い。相手を威圧するような雰囲気はなく、むしろ、あり得ないことだが───一般人(・・・)に通じる気さくさがあった。“魔術師殺し”の異名で知られる切嗣は、そのことに鉄面皮の裏側で静かに驚いていた。彼が今まで接したことのない種類の身近(・・)な魔術師だった。評するなら、まさに人間味(・・・)のある魔術師(・・・・・・)だ。それはつまり───切嗣が目指す世界平和のために同盟を結ぶ勢力としては、申し分のない相手ということだ。

 

「まあ……頂こうか」

 

 セイバーがバクバクと食べている様子を見るに、毒は入ってないらしい。切嗣のコロッケを盗み食いしてもセイバーに異変は無さそうだったことで、とりあえず毒入りではないと判断した。ここで及び腰な態度を見せることは、同盟を結ぶ上でプラスにはならないという予想もあった。それに……単純に、目の前のかき揚げがとにかく美味そうだったのだ。漆塗りの施された黒檀の箸でかき揚げを皿から掬い取ると、小分けにすることなくそのまま大口を開けて(かぶ)り付く。

 

「うっ……!?」

 

 瞬時に削岩機の一撃を食らったかのような衝撃が走る。毒によるものではない。その果てしない美味に、切嗣は思わず「美味い!」と叫んでしまいかけたのだ。

 

「うっま!!うっっっま!!!」

 

 セイバーは叫んだ。だが、そんなことにいちいちツッコむ意識すら湧かなかった。切嗣の脳は口のなかで起きている事象を理解することに全精力を注がなければならなかったからだ。

 食感を楽しむ(・・・・・・)ということを、切嗣はこの世に生まれて初めて経験していた。ぱりぱりっ。さくっ、さくっ。むしゃっ、むしゃっ。桜エビ、玉ねぎ、人参、蓮根を高温の菜種油にさっとくぐらせたかき揚げは、裏あごに突き刺さるほどカラリと揚げられている。スナック菓子のような軽い食感なのに、味わいはそれぞれの具材の良さを最大限に引き立てている。噛みしめるごとに衣の香ばしさが鼻を突き抜け、片栗粉のほのかな甘さと天つゆのコクが染み出して舌の上に広がっていく。この料理の目的は、肉体への滋養補給だけではない。心を楽しませ、精神に滋養を与えるためなのだ。

 気が付けば、切嗣は再びエルドラドに旅に出て、そして帰還を果たしていた。知らずに潤んでいた目尻を人差し指の関節で拭い、涙を誤魔化す。

 

「大の大人が泣くなんて恥ずかしいですね、切嗣」

「お前は鼻水を拭いたらどうだ」

「さ、先に言ってくださいっ!」

 

 ナプキンでグシグシと鼻の下を拭うセイバーに、間桐雁夜はやはり慈父のような笑みを向ける。

 

「私も多忙なときはファーストフードで食事を済ませていたものさ。畏まった料理は口に合わない。コロッケ、かき揚げ、魚の干物。そういった庶民的なものが一番さ」

 

 たしかに、間桐雁夜の食膳もキレイに片付いていた。細身、もっといえば痩躯とも言える体型だが、食事量は人並み以上のようだ。もっとも、これほどの美食なら無理をしてでも胃に封入したいと思うのも無理はないが。

 目の前の男が全身から発散する不自然なほどの威厳と昂揚感から、中枢神経刺激薬(アデレード)系の薬物を摂取しているのかと疑ったが、どうやら単純に、栄養満点の美味い飯を食べていることで元気が満ち満ちているのかもしれない。

 

(間桐家と言えば“始まりの御三家”。冬木市では名家として一目置かれているはずだが……ファストフードだって?食生活がやけに庶民的なのは何故だ?まさか、本当に前職がフリーライターだったからなどというんじゃ……いや、それは無いな)

 

 その道のプロを雇った調査で、間桐雁夜は、つい1年前までうだつの上がらないフリーライターをしていたとされている。実家との関係を嫌悪し、放逐されたも同然の絶縁状態であったとも。

 もっとも、現状ではその調査結果を切嗣はまったく信じていなかった。それらは全て、間桐雁夜の真の姿を隠すためのベールに過ぎない。他勢力の目を誤魔化すための巧妙な偽装工作に危うく騙されるところだった。今まで事前調査が失敗することなど皆無だっただけに、切嗣は情報戦においても間桐雁夜に一歩以上リードされていると素直に認め、脅威を覚えていた。

 その上で、間桐雁夜の食の嗜好が庶民感覚に根付いているのは、彼の心が魔術師よりも市井(しせい)の人々に近いことの表れなのだと、切嗣はあくまで好意的に理解することにした。これまでの彼の戦績からもそれを察することができる。バーサーカー陣営は民間人に犠牲が降りかかることを断固として許してはいない。それ即ち、間桐雁夜は()()()()()()()()ということに他なるまい。間桐雁夜の表情や仕草の端々を鍛えた観察眼で見つめていたが、この印象を覆すような疑念の種は見つからなかった。

 

「御二方、各々(おのおの)の胃にはデザートが入る余地はまだ残されているかな?うちのシェフが腕によりをかけてパイを用意しているのだが」

「………バーサーカーのマスター、失礼だが、そのパイは生地の表面から魚の頭が突き出していたり……?」

 

 途端、間桐雁夜の背後に控えるバーサーカーがぶんぶんと首を振るった。兜の下の顔が青ざめているのが透けて見えるような狼狽ぶりだった。

 イギリスのコーンウォールは2つの事柄で有名な土地である。一つは、世界に冠たる英雄、誇り高きアーサー王生誕の地であること。もう一つは、身の毛もよだつ魚の頭が突き出た(スターゲイジー)パイの生誕の地であることだ。なんと発祥はグレートブリテン島へのキリスト教伝来以前まで遡ると言われるこの呪いのパイは、食糧難の冬、荒れ海にくり出て魚を確保し、飢饉から村を救った勇気ある漁師を讃えて作られたものだそうだ。ちなみに、漁師が喜んだという記録は残されていない。

 お得意のジャガイモをぶち込んだパイに、どういう発想によるものなのかニシンやタラの頭部をいくつもトッピングする素敵なパイは、クリスマス直前の12月23日に蝋燭とともに食卓の中央を飾る。その様相はさながら悪魔崇拝の儀式だ。

 ちなみに、“この聖なるパイの効果によりコーンウォールに悪魔は近寄らない”という言い伝えがある。『世界で一番恐ろしい食べ物』の著者であるアメリカ人写真家ニール・セッチフィールド氏曰く、「俺だって二度と近寄らねーよ」とのことである。

 

「君の尊貴なる祖国(おくに)を侮辱する気はさらさらないが、スターゲイジー・パイのようなおぞましいものではないことは保証するよ。身内の者が気絶してしまう。用意しているのは普通のアップルパイだ」

「魚の頭はない?」

「誓って、魚の頭はない」

 

 「それなら遠慮なく頂きます」と早くも賢者(マーリン)モードを脱ぎ捨てて子どものように目を輝かせるセイバーを横目に見て、切嗣は呆れを覚えるよりも先に、自分もデザートを欲しいと密かに思ってしまった。それは心理的油断に他ならず、そのことに切嗣は震え上がるほどの驚愕を覚えた。

 切嗣が(ほだ)されてしまうのも仕方がない。切嗣にとって食事とはカロリーを摂取して腹を満たすためだけを目的としたものだった。冷えたファストフードだろうと簡易携帯食料だろうと、切嗣には同じだった。だからこそ、錆びついていた味覚を一気に取り戻させるほどの美味なる料理の衝撃は大きかった。その意味では、美食に心を動かされたのはむしろセイバーより切嗣の方であったと言える。

 

「さて、デザートへと移ったところで……まずは君たちに謝りたい」

 

 エナメルホワイトの皿を彩る洋酒(カルヴァドス)ソース添えのアップルパイがメイド服のバーサーカーによって食膳に音もなく饗されたところで、間桐雁夜がさりげなく切り出した。

 話の本筋に入ろうとしていることを悟り、切嗣はすかさずフォークを手にしたい衝動を理性で抑えて、テーブルを挟んで正面に座る眼帯の魔術師を見つめる。セイバーがなんの遠慮もなくアップルパイを頬張って「んほぉおおっ!?」と背筋をビクビクさせるが、それは華麗にスルーした。

 

「謝るとは、なにに対して?」

「急に会合場所を変更したこと、そして遅い夕食に同席させてしまったことだ。申し訳ない。不快に思われなければよいのだが」

 

「とんでもないとんでもないとんでもない!」と首をブルブル振り乱したのはセイバーだ。後頭部に結った金髪のおさげ髪が馬の尻尾のように激しく振られてビシバシと切嗣の頬を叩く。実に鬱陶しい。

 

「私は、美味い料理を囲うことで良好な関係を得ることができると思っている。アインツベルン陣営……特に、衛宮切嗣(・・・・)。私が会ってみたかった人物とは、ぜひ邪魔の入らない場所で友好的な話をしたかった」

 

 威厳たっぷりに、しかし嫌味のない親しみを感じさせる口調でそう言って、間桐雁夜がアップルパイを切り分けてそっと口にする。そうして、ちょうどいい粘性の舌触りを楽しみ、ずっしりとしているのに胸焼けとは無縁の食べごたえとリンゴの甘酸っぱさに満足して自然に頬を緩めてみせる。こちらの警戒心を薄れさせるための表情なのだと切嗣は穿って考えた。

 

会ってみたかった(・・・・・・・・)だと?完全無欠の魔術師が、僕のような魔術師の天敵に?)

 

 その言葉の意図を察しかね、切嗣は眉間の深い皺を悩ましげに緊張させる。

 

「切嗣、食べないのならそのアップルパイを私に」

「令呪を持って命じる、我慢しろ」

「まさか嘘でしょう!?」

 

 パチッと風船が割れるような呆気ない音を立てて切嗣の手の甲から令呪の一画が消えた。令呪に逆らうために魔術耐性スキルを総動員して目を血走らせながら「おのれおのれおのれ」とフォークを振り乱して他人のアップルパイを狙うセイバーをガン無視して、切嗣は「いくつか聞きたいことがある。いいか?」と間桐雁夜に向かって身を乗り出す。

 

「もちろん、どうぞ。君たちにはその資格がある」

(資格がある、か。一方的に会合を申し込んだのはこちらだというのに、懐の広い奴だ。いや、こちらが会合を望んで来ることは百も承知だったんだろう。そしておそらくは、こちらが同盟を望んでいることも)

 

 眼帯に覆われていない目が快諾の意思を宿して鷹揚に緩んだことで、切嗣は自らの予想が当たっていることを理解した。

 アップルパイを片腕でガッチリと守護しつつ、切嗣は眼前にそびえる巨人(まとう)に問いを突きつける。

 

「なぜ、“魔術師殺し”に会いたいと?」

「私が、魔術師のことが大嫌いだからさ」

 

 即答だった。一切の躊躇いもなかった。思ってもみなかった応えを返され、冷静さを維持できずに口を開けたまま二の句を継げない切嗣に、間桐雁夜は真に迫る口調で語る。

 

「私は魔術師が嫌いだ。大嫌いだ。関わりたくもなかったし、接したくもなかった。なりたくもなかった。魔術のことなど知ることもなく、関わることもなく、普通の家庭に生まれ、普通に暮らしたかった。私は魔術師に対して無性に腹が立っている。奴らは、人並みの幸せを“幸せ”と認識できない。どうでもいい“根源”とやらに熱中して、自身を必要としている本当に大事な人たちのことなど眼中にない。狂った価値観に振り回されていて、他者のことなど何も考えていない。そんな魔術師という生き物を、私は心の底から憎んでいる」

 

 そこで長口上が一度止まり、煮え滾る感情を滲ませていた片方の目が切嗣を見て、ふっとわずかに笑う。

 

「だからこそ、魔術師を専門的に殺す君のことを聞いたときは、胸が晴れ晴れとしたものだ。いいぞもっとやれ、とね。君に依頼してみたい(・・・・・・・)と思ったこともある」

 

 切嗣の殺害対象に自分が入ることも厭わないような我関せずとした言い草に、切嗣のシャツの内側を冷や汗が伝い落ちた。それは、「そうなったとしても問題ない、返り討ちにしてやる」という自信の現れなのか。

 少しばかり早口になって語られた間桐雁夜の応えは、本心か、もしくは限りなく本心に近い感情の吐露だったのだろう。間桐雁夜が、どうして魔術師が本来毛嫌いするはずの機械技術に精通しているのか。切嗣を自身の屋敷に快く招いたのか。その疑問にもこれで合点がいく。なんという皮肉なのか。最強の魔術師が、魔術師を憎み、平穏に憧れている。魔術師の頂点に立つ星の下に生まれた稀代の男が、力なき一般人(・・・・・・)になることを望んでいる。

 だが、ある台詞の裏に貼り付けられた一つの事実を察し、切嗣は震えを覚えながら、おずおずと問う。“依頼してみたかった”と、彼は過去形(・・・)で語ったのだ。それはつまり……。

 

「お前がそれほど魔術師を憎んでいるというのなら、まさにお前が嫌う魔術師像そのものであろう間桐の当主……間桐臓硯は……」

 

 間桐雁夜が最後のアップルパイをゴクリと嚥下し、ナプキンで丁寧に口元を拭う。血色のいい唇が意味深長な笑みを形作る。

 

ご隠居頂いた(・・・・・・)

 

 “この世から”という主語を敢えて省いた台詞に、切嗣はもはや驚かなかった。まさに運命の皮肉だ。間桐臓硯もあの世で悔しがっているだろう。間桐(おのれ)の血統において最高傑作の麒麟児に反旗を翻されたのだから。

 

「兄もいたが、どこに行ったのかわからない。私に当主の座を押し付けて飛び出して行ったよ」

 

 付け加えられた説明を切嗣は話半分で聞き流した。もちろん、事前の調査で、間桐雁夜は次男であり、長兄が健在であることは知っていた。その兄が当主の座を渡すまいと抵抗し、臓硯と同じ末路を辿ったのではないと、どうして言えるのか。

 

間桐雁夜(このおとこ)は、ただのお人好しじゃない)

 

 切嗣はそう断じた。間桐雁夜は、たまたま運良く戦果にありついただけの単なる理想家ではない。実力を伴った理想家(・・・・・・・・・)だ。彼は、理想のためには犠牲を払う必要があることをしっかりと認識し、その犠牲を()に払わさせるかを果断なく考え、その対象が肉親といえど情け容赦無く敢行する苛烈さをも持ち合わせている。

 たしかに、彼の行いは優しさに溢れていた。被害は最小限にして、民間人の犠牲を防いでいた。しかし、これは間桐雁夜が人情家であることの証明ではない。彼が聖母のような慈愛を有しているわけでもない。ただ、彼は鍛え上げた厳然とした道徳観念と傑出した才覚によって、自身の暴力性の手綱をようやく握っているに過ぎない。ひとたび障害と認識すれば、たとえ当主であろうと身内であろうとなんの呵責もなく捻り潰せる鋼の意思を秘めている。

 

(なんて、底の見えない奴だ)

 

 切嗣は、間桐雁夜と面を突き合わせるまで、その印象はなんの感情も見せることのない冷静沈着な男だと予想していた。しかし、実態は異なっていた。他者に(なま)の感情を曝け出すだけの余裕を持つと同時に、豊かな感情の機微を併せ持つ。それはつまり、激情家の片鱗をそこに見いだせるということだ。

 たしかな実力を有しながら、その力に溺れることなく鋼鉄の自制心で己を完全に統率できる激情家は、はっきり言って切嗣の天敵だ。怒りのエネルギーを完璧にコントロールできる人間には、暗殺者が付け込む隙がない。同盟相手としては実に頼り甲斐があるが、轡を並べ、背を預けるには、あまりに強大すぎる。

 

「なぜ、会合場所を変更した?」

「あそこは落ち着かない(・・・・・・)。違うかね?」

 

 探るような隻眼に質問を弾き返され、切嗣はまたもや喉を詰まらせる。この男は、言峰綺礼と遠坂時臣が裏で繋がっていることを知っているのか。いや、知っているからこそ、敢えて自陣に誘ったのだ。そうでなければ、敵魔術師を己の聖域に招いたりはしない。これまでの間桐雁夜の戦果は、完璧な情報戦の勝利に基づいていると考えなければ辻褄が合わないものだ。だからこそ、キャスターとそのマスターの暴走を早々に解決し、アイリスフィールをセイバーに助けさせることも出来た。当然、言峰綺礼の暗躍についてもすでに知っているに違いない。

 切嗣は密かに生唾を飲み込み、あらためて間桐の秘蔵っ子の底を見通せないかと眼力を強める。年齢は20代後半。自分よりも年下のはずなのに、両肘をテーブルにつき、胸の前で指を交差させて悠然と構える態度はいかにも余裕たっぷりだ。

 この余裕を崩してもっと深い部分を覗けないかと、切嗣はカマをかけてみることにした。

 

「間桐雁夜、たしかお前は───」

「ああ、つい先日まで、私はびっこ(・・・)を引いていたさ。私自身も自分の回復っぷりに驚いている」

 

 思わずドキリと胸を冷やす言葉選びをされて、切嗣が一瞬目を丸くする。事前調査では、間桐雁夜はつい最近までフリーライターとして働いていたことになっている。今となってはそれは自らの強大な実力を隠すための偽装工作に違いないと理解しているが、巧みな話術を考えるに、敢えてフリーライターを表看板に据えたことには理由があるのかもしれない。

 切嗣のかすかな動揺を見透かしていたかのようにふっと口元に笑みを刻み、間桐雁夜はシャンパンの香りを楽しみ、そして余裕たっぷりの仕草で口に含んだ。そこには、事前情報で聞いていたような深刻な身体障害の影は微塵もなかった。

 

「だが、美味い飯は全てを癒やすものだ。そうは思わないか?」

 

(とんだタヌキ(・・・)だな)

 

 我知らず頷いて同意しかけた自分を律して、切嗣は無反応を返した。ともすれば非礼なその反応に、間桐雁夜は怒りの片鱗すら垣間見せず、懐の広い微笑みを絶やさなかった。

 味なことを言う男だ、と切嗣は密かに感心した。美味い飯で回復した、などとわかりやすい嘘ではぐらかされたが、決してこちらを不快にするような無礼な回答ではないし、実際に美食を食べさせられた人間からしてみれば安易に否定もしづらい。「こんなに美味い飯を食っていれば元気になるのもわかる」と思うのも無理はない。

 

(同盟を結ぼうとするなら、これ以上ない相手には違いない)

 

 間桐雁夜の人を誘い込むような接しやすい雰囲気に(かどわ)かされそうになる自分がいることを切嗣はしっかりと自覚していた。大仰ではないが美味に違いない料理そのもののように抜け目のない男だが、しかし、腹を刺激するような嫌味はまったく感じない。遥かに格上の強者だというのに、相手と同じ目線で物を話そうとする歩み寄りの姿勢を態度の端々に感じる。この男の懐の大きさはまるで大海のようだ。

 だからこそ、底が見えないのが、怖い。

 彼のすぐ背後には、主人から片時も離れぬと言わんばかりの気迫を発奮する鎧騎士(バーサーカー)が仁王立ちしている。狂戦士を一流の執事のように従えさせる才覚。そこに至るにはいったいどれほど血の滲む努力を積み重ねればいいのか、魔術師としては半端者の切嗣には想像することさえ出来なかった。

 

「アップルパイぃい……!ぬうん!うなれ、私の対魔力A!!(ひょいぱく)」

「あっ!?嘘だろコイツ!?」

 

 こちとら最優のサーヴァント(くいしんぼうバカ)だって御しきれてないのに。コツを教えてほしい。我慢しろと命じたのに、まったく我慢できてないじゃないか。令呪の縛りをなんだと思ってるんだ。対魔力スキルを無駄遣いしやがって。

 

(ええい、クソッ!)

 

 楽しみにしていたアップルパイを一口で食べられたことで、ついに切嗣は最後の質問に飛びかかることにした。半ばやけになって傍らに置かれたグラスを摘み上げると、切嗣はそれを勢いよくグッと煽る。フルーティーなシャンパンが喉を心地よく()いて胃にまっすぐ伝い落ち、活性化された熱い血が心臓と脳を駆け巡る。

 

(もう十分だ。そろそろ核心(・・)に迫る時だ)

 

 衛宮切嗣は他人を簡単に信用しない。人間の心は弱く、移ろいやすく、脆い。ドミノのように少しの力を加えられただけでやすやすと折れてしまう。だからこそ、目の前の人外(・・)は強く信用できると思った。戦闘力も、情報力も、何もかもが人間離れしたこの男なら、並大抵のことで折れることはあるまい。一度手を結んだなら、まず反故にすることはないだろう。バーサーカー陣営は、口先ではなく行動でその強固な道徳観念を証明し続けてきた。

 もちろん、戦争中に一時的に手を結ぶだけの勢力としてなら、バーサーカー陣営でなくても問題ない。7騎においてもっとも強力なサーヴァントを擁するアーチャー陣営と一時休戦という不可侵条約を結ぶ手もある。しかし、対キャスター戦でバーサーカーと共闘したセイバーの第六感が告げるように、バーサーカー陣営とは、表面的ではなくより深い形での手の取り方が出来るのではないかと切嗣とアイリスフィールは考えていた。それは、かつて切嗣がシャーレイから授けられた『他者と協力して事にあたれ』という教えを思い出させるものだった。

 

「最後に一つ聞きたい」

「いいとも」

 

 そして、お飾りではない、真なる同盟を望むのなら───この質問は避けられない。意を決して、切嗣は威嚇するようにひときわ大きく身を乗り出す。

 

「間桐雁夜、お前が聖杯に願う望み(・・・・・・・)は、なんだ?」

 

 たとえ、どんなに行いが正しかろうと、聖杯に希求する願望が私利私欲にまみれているのであれば───『世界平和』を求める切嗣とは決定的に相容れない。背中を預けることは出来ない。

 

「願望、か」

 

 暗殺者の渾身の精神力を込めた視線を真っ向から受け止めた間桐雁夜は───

 

「……娘がいるんだ」

 

 少しはにかんだ父親の顔(・・・・)で、その問いにまっすぐに応えた。

 

(娘───?)

 

 その一言からまっさきに想起されたのは、「間桐雁夜には戸籍上の娘は存在しないはず」という疑念ではなく、切嗣自身の一人娘、イリヤスフィールの幼い笑顔だった。ニコリと笑いかけてくれるだけで、どんなに荒んだ心をもレモン畑のように明るくしてくれる愛娘。

 思わぬ答えと自らの心理的反応に呆然とする切嗣に、間桐雁夜は慈しみと憂いを混ぜた瞳で天井を見上げる。

 

「正確には、娘のように思っている少女だな。我が間桐の悪しき魔術によって激しく損なわれてしまった心身の健康を元に戻してやりたい。そしてもっと欲を言えば……本当の家族のもとに、返してやりたい。私のところなんかではなく、優しい母と姉と……父親のいる家庭に。聖杯を求めるのは、その娘のためなんだ」

 

 そう言って天井の一点を見つめる。きっとその方向に、間桐雁夜の保護する少女の部屋があるのだろう。見上げるその表情は、それまでの異様に高いテンションが嘘のような、ありのままの静けさを湛えていた。優しさと、それと同じくらいの寂しさで綯い交ぜになった目は、今にも涙を落とすのではないかと思うほど潤んでいた。

 

「間桐雁夜、お前は───」

 

 僕と同じ(・・・・)父親なのか(・・・・・)

 その瞬間、切嗣は間桐雁夜に対して、膨大な共感を心中に波立たせていた。目の前の男は、自分と同じ、一人の娘を持つ父親なのだ。愛する者のためなら全てを捧げられる、一人の率直な父親なのだ。

 気付けば、切嗣は間桐雁夜に対して突き立てていた警戒心の柵をすべて取り払っていた。自らと地続きの、等身大の人間として見ることが出来るようになっていた。むしろ好感すら覚え始めている己を自覚して、もうその甘さを咎めることはしなかった。

 カチャ、と上質な陶磁器のカップとソーサーが互いにかち合う音を立てる。音源の手元を見れば、白い湯気を踊らせるローストコーヒーが切嗣のために配膳されているところだった。芳ばしい豆の香りは如何にも自分の年代の男が好むようなシックかつ重厚なロースト具合で、切嗣はそこにもまたシンパシーを感じざるを得なかった。

 

「な、なんですか、この黒くて焦げ臭いのは」

 

 セイバーが切嗣の手元のコーヒーを見て訝しげに鼻を引くつかせる。その様子はさながら主人の靴下を恐る恐る嗅ぐ猫である。そういえば、コーヒーや紅茶が中世欧州に渡ったのは15世紀を過ぎてからだったな、となんとなく記憶の引き出しを探っていると、セイバーの前にはハーブティーがコトリと饗された。ツンと爽やかな香りがコーヒーの香りを打ち消し、途端にセイバーが顔を輝かせる。

 

「おお、カモミールティー!懐かしい!食後のお茶といえばコレですよコレ!バーサーカー、貴方はよくわかっている。ランスロット卿に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいです」

 

 アーサー王に馴染みのある飲み物まできちんと準備しているところにも、切嗣は素直に感心した。競争相手のマスターのみならず、その使い魔(サーヴァント)にすら細やかに気を使う間桐雁夜の繊細な心遣いには腹底から感じ入るばかりだった。完全無欠とはこの男のためにある言葉だ。こんな奴に礼を尽くさなくてもいいのに。

 

「いや〜、戦疲れでへばっていたところにモードレッドが変な気を利かせてハーブティーを淹れてくれたこともあったんですが、あんまりにも下手くそなんで、『向いてないんだからやらない方がいいぞ』って言ってやったことを思い出しますね。……ん?あれはアイツが反逆を起こす前の日だったような……?」

「モードレッドの反乱のきっかけがわかっちゃったよ」

 

 細い顎に手を添えて小首を傾げるセイバーにすかさずツッコむ。サーヴァントとこんな馬鹿げた掛け合いをするようになるとは夢にも思っていなかった。

 

「ぐるる〜」

「ん?ああ、そうだったな。この会合はその話をするために開いたんだった」

 

 背後に控えていたバーサーカーがトントンと指先で主人の肩を叩き、話を先へと促す。会話に一区切りがついたところで話の本筋を思い出させる配慮すら出来る狂戦士(バーサーカー)なんて聞いたこともないが、間桐雁夜の今までの実績を考えれば、その程度は驚くに値しない。驚くのは自分のサーヴァントのポンコツ具合だ。どうなってるんだアーサー王伝説は。

 

「君たちの要件はわかっているつもりだ。同盟の件だろう。君たちセイバー陣営と、我々バーサーカー陣営の」

 

 驚かなかった。そして次の台詞が受諾であることも予想していた。そのつもりだから、彼は切嗣たちを受け入れたに違いないのだから。

 期待を胸に秘め、切嗣は熱いローストコーヒーをひとくち、口に含む。

 

お断りする(・・・・・)

 

盛大にコーヒーを吹き出した。

 

「うわぁっちゃっちゃっちゃ───!!??」

 

セイバーに向かって。




相変わらずくだらない小説です。勢いだけで書いてます。読んでくれた人が一人でも笑ってもらえれば幸いです。

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