刻の涙   作:へんたいにーと

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第十話

 

「なぁライラ、さっきの事は忘れてくれないか」

 

アレキサンドリアの士官食堂にてジェリドは向かいに座るライラを見ずに、テーブルに置かれた食器を眺めながらボソリとつぶやいた。

懇願されたライラはそんなジェリドに取り合わず黙々と食を進めていた。よく煮込まれたチキンカレーを口に運び、チキンが合成肉ではない事に気付いた。さすが旗艦だ。ボスニアよりも美味い。ボスニアではチキンとうたっていても何だか良く分からない人工肉を合成して、チキンに近づけたものを入れている。

 

「なぁ。――カツあげるから」

 

ジェリドがチキンカレーにトッピングとして乗せたカツをライラの皿に乗せようとするも、ライラが手をかざしそれを拒んだ。

 

「ジェリド」

 

「お、おう」

 

もぐもぐと口を動かしていたジェリドだが、ライラの真剣な眼差しに思わず口の中身をのみ込んだ。あまり噛まずに飲み込んだ時特有の、胃へとダイレクトに食べ物が落ちる感覚を味わい顔が少し歪む。

 

「お前がいくら忘れて欲しがっても私は忘れないな」

 

ライラは精いっぱい真剣なフリをしている、とジェリドはすぐに気付いた。ライラの口元がニヤついていたからであった。

 

(とにかく噂が立たない事を祈るしかない)

 

ジェリドはニヤつくライラの口元を見ながら辟易した。

少し時をさかのぼろう。

つい数時間前、ジェリドがレイプまがいの事をライラの自室でやってのけた時、ちょっとしたトラブルがあったのだ。

ジェリドは「舐め犬」という二つ名にふさわしく、ライラの股ぐらに顔を突っ込むと、オトガイ舌筋の力を遺憾なく発揮していた。ライラの肉体は小刻みに震え、何度も腰を突きだすようにして浮かせてしまう。そういったタイミングに合わせて強弱をつけるジェリドの手腕は見事なものだった。

何度目かの絶頂を迎えようとした時、靄のかかった思考の中でライラはジェリドに仕返しをしてやろうと思った。絶頂する時生理的に内またを締め上げてしまうのだが、それを意識的に思い切り締め上げたのだ。

ジェリドがもしその時更なる追撃を行っていればあるいは助かったかもしれない。しかしジェリドも我慢の限界であった。そろそろ前戯も良いだろうと、顔をふっと浮かせたのだ。その瞬間にライラは運悪く達してしまい、ジェリドは思い切り頸動脈を内股で締め付けられる事となった。

あれ、と思った時にはもう遅い。完全に決まったそれは、手足に力が入らず、段々と思考がまとまらなくなり、眠くなるような結果を生みだした。ジェリドは全身のこりがほぐれたような心地よさの中、弛緩して気持ちよく落ちたのだった。

 

 ライラは荒い息の中ジェリドが落ちた事にしばらくして気づいた。心地よさそうに自分の股ぐらに顔を突っ込んだまま気絶している男を見て、ライラは急速に熱が冷めていくのを感じた。

ジェリドの前戯は中々のテクニックだ。ライラもそこは認めざるを得ない。これまで寝たどの男よりも熱心な愛撫は、レイプまがいの行いだったにしろライラの女を降りてこさせ、なし崩し的にライラはジェリドを許容してしまった。意外と押しに弱いのだ。

ただ、ライラはそういったオリエントの日本が好む様なねちっこいセックスはあまり好きではなかった。さらに言えば主導権を握られるのは嫌いな部類に入る。

ライラの好むセックスはスポーツの様な激しいものだ。お互いが激しく動き、汗で滑りながらもハードコアに絡み合っていく、そういったものだった。前戯にそんなに時間をかけられて、良いように自分ばかり逝かされるのは性に合わなかった。だからと言ってジェリドに逝かされたお相子に奉仕してやるのは違うとライラは思った。

 

 ライラはジェリドの頬を何度か叩いて意識を戻すと、気絶しながらもそそり立っていたジェリドのペニスを一瞥しただけでシャワーを浴びに行ってしまった。

ジェリドは何が何だか分からないと言った様子でぼうっとベッドに座っていたが、やがて思い出したのか青い顔をして浴室に向かう。

 

「ライラ!開けてくれ!」

 

浴室のドアを叩くもライラは開けようとはしなかった。

 

「大人しくしてな!」

 

出てけと言わないあたり、ライラの女が無意識にジェリドを求めていたと言える。こんな事をされたばかりだというのにライラは本能的に、「奴はいい男になる素質がある」とジェリドに感じており、まだ見捨ててはいなかった。

しかしジェリドにライラの気持ちなど分かるはずもなく、すごすごとベッドに引き返すと、先ほどの情事の元凶とも言うべき落ちたバスタオルを腰にまとい、神妙な顔つきで正座したのだった。

まさか憲兵にまでは突き出されまいとは思うものの、ライラさえその気ならジェリドを御縄にかけることも可能な事をジェリドはしでかしたのだ。今さらながら自分がやった事に気づき萎えていった。

 

結果から言うとシャワーから出たライラは、裸のままジェリドの前に現れると、この事は胸にしまっておくと言った。開かれた胸の前で言われてもな、とジェリドがライラの乳房を眺めてしまい、欲望がまたもや首をもたげてくるも先ほどの様な事はもうしない。

 

(だいたいライラはどうして裸で出てくるんだ)

 

欲望の次に疑問が首をもたげてくる。先に疑問がわかない辺り、ジェリドは真実男をやっていると言っていい。

 

(楽しんでいるんだ。俺の反応を)

 

そういったサディズムを持つ女だとジェリドは気づき始めていた。

ジェリドが何も言わず神妙な顔をして頷いたのを見て、ライラは思わず笑ってしまった。ライラは犬には詳しくないが、ジェリドが耳の垂れた毛のふさふさとした大型犬のようだと思った。体躯の割りに可愛げがあると感じたのだ。

笑いながら下着を身につけるとジェリドにシャワーを浴びさせ、夕飯を一緒にとろうとライラから食堂へ誘い、今に至る。

 

 食堂は飯時のピークを少し過ぎているのでそれほど人が多いわけでもないが、やはり何人かの士官が食事をしており、時折不思議そうにジェリド達のテーブルへ視線を這わせる者もいた。

当然ジェリドとライラが同じ卓で食事をしていた事はパイロット達に知れ渡り、舐め犬のジェリドとその飼い主として揶揄される事になる。ライラの目の前でそんな事を言えるものはいなかったが。

 

 

各員が真剣な様子で作戦を伝達するジャマイカンへ目をやっている中、ジェリドは一人、毎度のことながら焦っていた。

何度絞め落とされようともライラは命の恩人であり、人間として、女として、好ましく思っている。何とかして生き延びさせたい。そうは思っているのだが、事態は史実の通り進んでいるように思い、ジェリドは焦っていたのだ。

 

(どうしてこういう時だけ史実通りなのだ)

 

「ですから、艦隊を三つに分けて」

 

ジャマイカンが魔の宙域に入ったエゥーゴのアーガマが、サイド1かサイド2、もしくは月に行くのか現状では特定できない事を告げると、先ほどから苛立ち気に話を聞いていたライラが立ち上がり進言した。

 

「作戦参謀は私だよ!大尉」

 

その行動にジャマイカンが口をはさむなと怒りを露わにする。艦隊は三艦からなっているため、三つに分ける事は確かに可能だ。しかし、それではアーガマのブレックス准将の思うつぼなのだ。そのためにアーガマは危険を冒して魔の宙域に入り、行く先を特定されないようにしているのだから。

 

(敵は戦力の分散を我々に求めているのだ)

 

むざむざとそれを叶えてやるのはジャマイカンにとって我慢ならない事だった。しかしアーガマを捕捉する可能性を上げる手は、ライラに言われた通り戦力を分散する事であり、それはライラに言われる前から分かっていた。

しかし分散した戦力でアーガマと対峙するのは得策ではない。既に数度の戦闘を仕掛け、アーガマはそれをことごとく跳ね返してきているのだ。敵が予想以上の速さで宙域を離脱し、潜伏していれば各個撃破される可能性もあった。

開戦から後手後手の状況に、ブレックスめ!と思わず手に握っている指揮棒を思い切り床に投げつけたい衝動にかられるも、ジャマイカンはぐっと堪えると、口髭を撫でつけて平常心を保った。

冷静を装いながらもジャマイカンのその瞳にギラつくものを感じ、ライラは申し出る好機と捉えた。

 

「先の作戦で被弾したガルバルディ隊を修理してもらった分だけ、我々は働いて返さねばなりません。我々はティターンズではありませんので、ボスニアに戻り別ルートでアーガマを追います」

 

ライラの決定事項だと言わんばかりの態度に、ジャマイカンの額に青筋が浮かんだ。ジャマイカンはアーガマは必ず月に向かうと見ている。アナハイムの動きに奇妙なものがあると言う情報は前前から噂されていたし、月はその成り立ちの歴史的背景からもスペースノイドのメッカ的存在だ。ティターンズの目も最深部までは届かない。

大規模な補給を行うのにうってつけだと思えた。ただし万が一外れた場合の事を考えると、保険として巡洋艦ボスニアを別ルートに放つのも悪くはない。

しかしもしボスニアがアーガマと接敵すれば、それはライラの読みが当たっていた事につながるし、手柄もボスニア単艦の独り占めとなる恐れがあった。

ジャマイカンはうつむいて顎の贅肉をつまみ、考える。その視線の先には先ほどから激しく片足を貧乏ゆすりさせている落ち着きのないジェリドがいた。

 

(そうか。こいつを使うか)

 

勢いよく顔を上げると、やや芝居がかった口調でライラへ伝えた。

 

「良かろう。ただし戦い急ぐなよ。大尉は、戦争を好むタイプと聞いている」

 

「それは少佐の偏見です!」

 

思わず立ち上がり怒りをあらわにするライラに、ジャマイカンは意地悪く笑った。

 

「フン……接敵した場合の判断は大尉に任せるが、我々との合流が原則だぞ」

 

戦力の集中を待ってから攻撃を仕掛けるのだ、と釘をさす事も忘れない。

 

「はっ!行くぞ」

 

ライラがもうここには用は無いと言わんばかりにさっさと退室しそうになるのをジャマイカンは作り笑顔で止めた。

 

「そう急ぐな。ボスニアには贈り物がある。それまでは同調航路を取っているのだ」

 

ジャマイカンの猫なで声は、ライラに眉を上げさせ怪訝な表情を作らせた。

 

◆ジャマイカン・ダニンガン司令室

 

「わかるなジェリド。これはティターンズの輝かしい未来に貢献するチャンスだ。それに何もなければすぐにアレキサンドリアへと戻そうじゃないか」

 

ジャマイカンが自分のデスクの前にジェリドを立たせ、自身は革張りの椅子に腰かけたまま命令を出していた。

 

ジャマイカンは一般部隊だけに手柄を立てられる状況を嫌ったのだ。そこでティターンズも戦力を出し、直接支援した共同作戦であったと言えるようにしようとしたのだ。

その人選にはジェリドが充てられた。共同作戦であったと言えるくらいには階級が高く、しかしアレキサンドリアのお荷物とも言えるジェリドは、使い捨ての駒にするにはちょうど良かった。

 

「自分がボスニアに、一時的に配置換えするという事でしょうか」

 

ジェリドとしては願ったりかなったりだ。ライラが啖呵を切って退室し、このまま単独で30バンチに行くと思われた時は、ジェリドの顔は一層青ざめたものだった。

しかし、30バンチにライラと共に行けるという事は、ライラの死のリスクを減らす事が出来るかもしれないと、ジェリドは再び息を吹き返していた。

 

 

思いのほか好感触な事にジャマイカンはいぶかしんだ。ジャマイカンが知っているジェリドは、もっとプライドが高いタイプであったはずだ。この出向で、一時的とはいえ一般部隊の艦に一人で下る事に不満を持つだろうと思ったのだ。もちろん不満を持った所で命令を撤回する事はないのだが。

しかしこれはジャマイカンにとって好都合だ。そのまま畳みかける事にした。

 

「――そうだ。そこで中尉には先にも乗ったジムⅡでボスニアに向かってほしいのだ」

 

先ほどの貢献するチャンスと言っていた時とは違い、有無を言わせぬ空気をジェリドは感じ取った。ジャマイカンが階級と呼び名を使い分けてその空気を演出しているのだとジェリドは気付き、他人ごとのように感心した。

 

(いやまて。ジムⅡ一機だけで共同作戦とは、俺は捨て石か)

 

顔には出さないもののジェリドははっきりとジャマイカンの意思を感じ取り、嫌悪した。

 

「共同作戦とおっしゃるなら先の戦いで小破しております自分のジムⅡよりは」

 

ジェリドの冷静な指摘を受け、ジャマイカンは椅子を回転させ、ジェリドに背を向けることで会話を途切れさせた。

 

「……できないのかね?」

 

その見事な背もたれにより、ジェリドにはジャマイカンの後頭部しか見えていない状況だった。

 

「しかし……」

 

「君には、できないのかね?」

 

直も言い淀んだジェリドに、指揮官らしく感情の一切籠められていない冷徹な声でもう一度ジャマイカンは繰り返した。

これが出来ない者に興味はこれっぽっちも湧かないと言った様で、上官にそのような態度を取られては、部下であるジェリドには打つ手がなかった。

 

「――やらせて、頂きます」

 

「よかろう。それでこそティターンズだ」

 

くるりと椅子を回転させ、ジェリドに満面の笑みを向ける。

ジェリドはその笑みに生理的な嫌悪感を抱き、すぐさま敬礼し踝を返した。そのため、ジャマイカンの表情を消した能面の様な顔が、ジェリドの背に向けられていた事にはジェリドは終ぞ気づく事はなかった。

 

 

◆ボスニア

ジェリドが小破したジムⅡでボスニアのデッキに降り立つ。

ジムⅡの具合は表面の塗装がはがれ、装甲がむき出しになっている事と、大気圏に突入しかけた時に無理に使ったスラスターの出力低下を除いては、実戦にも耐えられるレベルだ。

先行していたライラから通信が入った。

 

「なんだってジェリド、あんたが来るんだ」

 

格納庫に入ったライラのガルバルディから来た通信に、案外せっかちな奴だと思いながらもジェリドは答えてやった。

 

「知るか」

 

「まあいい。ボスニアは連邦軍の艦だ。ここでは私の指示に従ってもらう」

 

端的に告げるジェリドにライラはいぶかしむ様に目を細めた。

ティターンズであるジェリドが派遣されたと言う事は、自身の事をジャマイカンが信用していないとライラは受け取った。ジェリドは監視の役目を授かったのだろうと推測すると、指揮系統を明らかにした。

 

「かまわない」

 

連邦軍の特殊部隊であるティターンズの軍人は、ライラの様な一般の軍人より一階級上の扱いだ。その事からジェリドは大尉待遇であり、ライラと同格扱いだ。ジャマイカンから何か密命を受けていたのならば、もう少し抵抗されると思ったのだが、すんなりと認めるジェリドにライラは困惑した。

 

そんなライラの機微に気づくジェリドではない。ジェリドは史実と成り行きが違っている事に適度の緊張感を持ちつつ、ライラの戦死するリスクが結果的に下がった事に少し安堵していた。

 

◆ボスニア、ブリッジ

 

「ジェリドメサ中尉、着任しました」

 

ボスニアのブリッジでジェリドが艦長のチャン・ヤー少佐に挨拶をする。

 

「艦長のチャン・ヤーだ。十分な支援を行うとジャマイカン司令から受けていたが、中尉一人とはな」

 

困惑した面持ちで話しながらも少し皮肉を入れたチャンに、ジェリドはティターンズとして複雑だった。

 

「司令には司令のお考えがあるのでしょう」

 

ジェリドは上司であるジャマイカンに悪態をつくわけにもいかなかった。

 

「いや、間違えないでくれ。司令に異議があるわけではない」

 

ティターンズともめ事を犯したくはないという意思を前面に出され、ジェリドは自分の立場を理解した。

 

(監査か何かと思っているのか)

 

「この艦はサイド1方面を担当する。中尉には士官室を用意しているから、接敵するまではくつろいでいてくれ」

 

 

チャン少佐の中年の作り笑顔を存分に見せつけられ、ティターンズとは何処に行っても煙たがられる存在だと言う事をジェリドは思い出した。

 

(ようはウロツクなってんだろ)

 

「御配慮有難く」

 

無表情で敬礼すると、ジェリドは下士官に士官室へと案内されブリッジを退室した。

 

「やれやれ、面倒事は御免だぞ」

 

チャンは出世よりも面倒を嫌った。特にジャマイカンに対して心証を良くするためにジェリドへとおべっかを使うつもりもない。

 

ジェリドの馬鹿でかい背中を見送りながら、チャンはため息をついた。

 

◆ボスニア居住区

 

ティターンズの制服でボスニアをうろつくとやはり目立つ。通路を歩いていると、格式ばった敬礼ばかりされ、ジェリドは息苦しさを感じた。

純粋な興味から酒保へ向かう。酒保とは兵士の日用品、飲食物、第二次大戦の野戦地などでは慰安施設までを賄った売店の様なものだ。旧世紀のアメリカ軍基地内の売店がPXと言われていた事は記憶に新しい。

ボスニアの酒保は日用品と飲食物、嗜好品を置いてある程度だ。宇宙世紀だけあって軍艦の酒保は、全て自動販売機の形態を取っており、無人だ。アレキサンドリアの方がやはり品ぞろえは良かった。

ジェリドが電子煙草を購入し、酒保の隣にある喫煙ボックスに入室する。電子煙草は煙を出さないため、入る必要はないのだが、喫煙行為に準ずるものである以上、喫煙ボックスで吸う事が奨励されている。たばこはとにかく嫌われるのだ。

ジェリドの身体はニコチンを体験したことがなく、カートリッジは一番弱いものを選んでいたが、少し頭がくらくらするのを感じ、ジェリドは吸うのをやめ、咥えているだけにした。

別に吸わなくてもいいのである。ジェリドの中の太郎は喫煙室で煙草をくわえながらボーっとするのが好きだった。

昨日は特に何もなく航行し、今日はサイド1にもうすぐ到着するとのことだった。そろそろめんどくさくなるな。と、ボーっとした頭でジェリドは考えていた。

全面ガラス張りの喫煙ボックスの中で、呆けたようにベンチに座り、煙草をふかしている様を見た連邦兵は、ティターンズの中でもこいつはエリートじゃないに違いないという印象を抱いた。用するに馬鹿に見えたのである。

 

 喫煙室を出る際にドアの前でたっぷりと掃除機の様なもので吸われ、付着物を取り払われると、ジェリドは外に出た。

案内してもらった士官室に入り、一通り見渡した後、軍服を脱いでごろりと横になると、ゴム製のベルトで体を固定する。低重力が敷いてあるとはいえ、油断はできない。

しかし、曲がりなりにも敵艦を追撃中の艦にいる兵には見えない行動を取り続けるジェリドだが、チャン艦長に「くつろいでいてくれ」等と言われた事を脳内で引き合いに出し、自分の行いを正当化していた。

 

「ジェリド!」

 

勢いよく自動扉が開いた。そういえばロックするのを忘れていたと思いだしながら、下着姿のまま起き上がった。軍人には寝まきなど必要ない。すぐに着替えて作戦行動できるようにそう訓練されていた。

 

「どうしたライラ大尉」

 

拘束ベルトを外しながらこちらを見ずに言うジェリドにライラは肩すかしをくらった。

 

「どうした急に」

 

大尉とつけて呼ばれた事に対する問いをライラが発した。

 

「ここではそう呼んだ方がいいかと思ったが」

 

昨日、指示に従えと言われた事を守っているとジェリドが答えると、ライラは少し機嫌を悪くして腕を組んだ。

 

「……二人の時はよせ」

 

(口調の割に可愛げがある)

 

ジェリドはにやりとしそうな口元を片手で覆うと、用件を尋ねた。

 

「了解だ。で? どうした慌てて」

 

「あぁ、そうだ。アーガマを捕捉した!30バンチだ。すぐ出るぞ」

 

ジェリドに言うなり部屋から飛び出していったライラを見送りながら、ジェリドも素早く仕度する。

 

(やっぱりおいでなすったか)

 

アーガマが史実通りに来ない事も可能性としては有り得ると考えていたジェリドだが、やはりこちらに来た事に安堵した。来ないなら身の危険が減るので確かに良いのだが、逆に史実から大きく外れている事になるため、今後の予想がしにくいと言う点でナンセンスだったのだ。

 

ジェリドは一人でパイロットスーツに着替えると、昨日のうちにアレキサンドリアで調達しておいたガンケースに入れたアサルトライフルと、手榴弾等の武装を入れたアタッシュケースを持ち、デッキに向かった。

ジェリドの塗装がはがれたジムⅡは目立つ。すぐに機体のもとへ行くと、跳び上がりコックピットに装備を投げ入れる。シートの背部に固定すると、各部のチェックを始めた。

整備兵の一人がやってくる。女性だ。

 

「ジェリド中尉、機体は特にいじってませんがほんとにこいつで出るんで?」

 

「そうだ」

 

「25%の出力ダウンが認められますけど」

 

「それは知っている」

 

シートが正常に稼働するか確かめながらジェリドは答えていたが、ふと顔を上げた。

 

「ライラ大尉の好きなものって何だ?」

 

急に自分が見当していた話題と違うものが振られ、整備兵は大いに焦った。

 

「いえ、わかりませんが、この間販売機でアレ買ってましたよ。バームクーヘン」

 

「そんなの売ってるのか」

 

「えぇ。一口サイズに切られてて一個一個梱包されてるんで、食べやすいんですよ」

 

「へぇ」

 

さすが女だけあって視点が男とは違う。ジェリドは、俺だったら丸い円型のほうが面白みがあって良いのになと思っていた。小分けされたバームクーヘンなど、それはもはやバームクーヘンではないではないか。

 

「頑張ってください!」

 

意味ありげな笑顔を向けられたジェリドは、それが出撃に対するものなのか、ライラに対するものなのか分からなかった。あるいは両方かもしれない。

曖昧な笑みを返すと、発進シークエンスをこなしていった。

 

 

 

◆30バンチ

 

30バンチに入港したアーガマに察知されぬよう、ボスニアは迂回して工業用ハッチ側に乗りつけ、ライラは自身を含めたガルバルディ三機とジェリドのジムⅡ一機を率いてコロニー内に侵入させた。

 

コロニーの中に入ると、歓迎するように一体のミイラが宙を舞った。風が吹き荒れており、砂塵が舞っていて視界の確保が難しかった。

思わず足につけたホルスターから銃を抜いたライラだったが、すぐに死体だと気付き、銃撃するまでには至らなかった。

 

「このコロニー、電気は生きているが死んだままだ」

 

「エゥーゴの秘密基地とやらにはうってつけってわけか」

 

「そうだな。しかしジェリド、随分な装備だが偵察するだけだぞ」

 

ジェリドはパイロットスーツの上にタクティカルベストを着用し、アサルトライフルと拳銃の予備弾装や、手榴弾を装備していた。

 

「遭遇したら戦わなくちゃならないだろ」

 

むしろライラ大尉らが軽装すぎなんだとジェリドがその迂闊さを話していると、ほか二人のパイロットが何処からかジープをひろってきた。

 

「これで港まで一っ走り出来そうです」

 

港町まで向かっている最中の景色はすばらしいものがあった。昔は観光用コロニーとして名を馳せた三十バンチは地球のグランドキャニオンを意識しており、至る所に立派な岩山がそびえ立つ。港近くの町は丁度その岩山らの谷にできていた。

 

(毒ガス作戦か……)

 

港町につき、至る所にミイラがいた。死体の数が多過ぎて埋葬されていないのだ。こんな所にいては気が狂ってしまうと、ジェリドは思わず身震いした。

 

毒ガス作戦とはティターンズの凶行の一つとして取り上げることができる虐殺の事で、コロニー内に住む実に千五百万人を殺害したことで関係者には有名だ。だが民間人には厳重な報道管制が敷かれており、「激発的な伝染病」によりコロニー内の人間が死滅した、としか知らされていない。

 

しかし今から二年前に起きたこの歴史的虐殺劇が、実はティターンズだけの行いではなかった事を知るものはこの場には誰もいない。

確かに実行したのはティターンズなれど、その作戦の命令を出したのは地球連邦政府である。

 

地球連邦政府は一年戦争以後、地球環境の再生に狂奔しており、宇宙を二の次と考えていた。戦後の重税、進まぬ復興、増していく差別意識にスペースノイドが反感を抱くのは当然だ。

反地球連邦政府運動がサイド1、サイド2を拠点として広まって行き、やがて Anti Earth Union Grou の頭文字をとったA.E.U.G.(エゥーゴ)が誕生した。

エゥーゴの扇動のもと、サイド1の30バンチで大規模な集会が開かれる事を知った地球連邦政府の高官達は、これを好機と見た。

使用が禁止されている致死性の極めて高いG3神経ガスを用いて、密閉したコロニーに使用したこの作戦は、中にいたスペースノイドを全滅させると言う完璧な結果を生みだした。

これにより、エゥーゴの硬化が一気に加速する事となる。地球連邦軍の軍人の中にもエゥーゴの同調者を増やし、エゥーゴは肥大していき、コロニーや月の各地で小競り合いが多発した。

しかしこの小競り合いこそが地球連邦政府の作戦だった。反地球連邦政府の活動をする膿を30バンチ事件で一気に出し、この運動を完全に殲滅すると言う物だ。

その膿を殲滅するためティターンズと言う組織を設営し、かつてのサイド7(今はティターンズの間ではグリーンノアと呼称されている)にティターンズの拠点を置いたのだ。

表向きは残存するジオンのゲリラ掃討部隊だが、裏では反地球連邦的な活動に対する弾圧を主とさせ設立させた。しかしティターンズ総帥であるジャミトフ・ハイマンの思想と、地球連邦政府の思惑には致命的なズレがあったのだが。

何にしろこの事件のおかげで、エゥーゴは奇しくも力を強めていく事となる。エゥーゴに資金援助しているアナハイム・エレクトロニクスの会長、メラニー・ヒュー・カーバインが30バンチ事件に一枚噛んでいる事は間違いなかった。

 

 

こんな複雑な事情をジェリドは知らない。ジェリドはただ、ティターンズがデモを弾圧するために大量虐殺をやったと認識していた。

 

(確か俺は毒ガス作戦をやらなくちゃならなくなる)

 

それが何処のコロニーなのかは分からないが、近い将来この悲惨な現状をもう一度起こさなくてはならない事をジェリドは思い出し、吐き気を催した。

 

「手分けして探そう私は西。お前たちは東だ」

 

ジープから降りると、ライラは隊をツーマンセルで行動させた。ジェリドはライラと組む事になる。

ライラが持ってきた携帯検知器でエアーにはまだ微量の毒性物質が検出されたが、短時間なら人体に害が出ないレベルであった。散策が長引き、パイロットスーツのエアーがなくなっても問題ないと言う事だったが、ジェリドにはバイザーを外してこのコロニーの空気を吸う事はためらわれた。

ヘルメット越しでも死の臭いが漂っているような気がするのだ。ジェリドが青い顔をしてライラの隣で棒立ちになっている事で、ライラはここが敵地である可能性を思い出し、身を引き締めた。

 

「私の後ろに。壁際から離れるな」

 

そう言いながら道沿いに立ち並ぶ建築物の壁際に立つと、ライラは銃口を下に向け、腕を伸ばした状態で注意深く前進していく。ジェリドもそれにならってライフルを胸の高さで構えながら姿勢を低く追従していった。

通りには数体のミイラが転がっている。時折ライラが除く通り沿いの建物の中にもミイラがいた。眼球が干からびる過程で腐り落ちており、存在しない。存在するはずの場所には暗い闇が広がっていた。

 

「こんな所、さっさとおさらばしたいぜ」

 

ジェリドがその光景に耐えかねて、思わず軽口をたたいたその時、銃声が響いた。

 

「何だ!」

 

ジェリドが咄嗟に姿勢を低くし、辺りを探るも敵の姿はない。しかし銃声は近かった。

 

「どうした!」

 

無線でライラが別行動をしているパイロットへ問いただすも返信はない。

 

「ちっ!ジェリドはジープを回せ!]

 

「あっおい!!」

 

ジェリドの制止を振り切ってライラは銃声の方角へ駆けだした。先の二人と別れてからそれほど時間はたっておらず、距離は近い。路地裏を辿りながら進んでいく。

ライラが猛然と駆けだしたのを見て、ジェリドも制止を諦めて元来た方角へ戻っていく。

 

「死ぬなよ!」

 

まだ無線が聞こえる範囲内にいるだろうと踏んで、ヘルメットに内蔵されているインカムに怒鳴るが、ライラからの応答はなかった。

 

 

 

 

通りをはさんで遮蔽物に隠れながら撃ちあっている人影が見え、ジェリドは道路に轍を作りながら乱暴にジープ型のエレカを停止させた。相変わらず砂埃がひどく、敵味方の識別がこの距離からでは難しかった。車から飛び降りると車体の陰に隠れながら様子を窺う。

 

「ライラ!来たぞ!」

ヘルメットに怒鳴るものの応答がない。最悪のパターンが頭をよぎる、しかし以前交戦中であるため両陣営とも生き残りがいるはずだった。

 

(停止する位置を間違えたか)

 

識別するには少し距離があり過ぎる。自らの致命的なミスにジェリドは舌打ちをすると、もう一度ジープに乗ってさらに近づこうと考えた。

そこへ猛烈な銃撃が襲う。

 

(右側か!)

 

ジェリドから見て右側にあるエレカのスクラップや、通り沿いの店内の軒先から半身を出して銃撃している集団が敵であると認識した。

 

 敵の数は3人。いずれもパイロットスーツだ。よく見れば敵には赤いパイロットスーツがいるようだ。ライラは赤色に近いと言っても、もっとパールのトーンが強かったのをジェリドは正確に見抜いていた。誤射はありえない。

 

敵の弾がジープの車体にあたり甲高い金属音が響く。ジェリドはすぐさま体を車体の陰に隠し縮こまると、コッキングレバーを引き、5.45×45mm高速ライフル弾を薬室に送りこんだ。

敵の一斉射が終わったと見るや、すぐさまジープ越しにリーン状態でアサルトライフルのレーザーサイトを覗いて標的を狙う。人間工学に基づいて設計された銃身はジェリドの身体に吸いつくようになじんだ。息を止め、己の鼓動を鼓膜に感じながら、ジェリドはトリガーを優しく引いた。

とたんに衝撃が上半身を襲うも、訓練で鍛え抜かれた体は無意識化にリコイル制御をおこない、正確無比な射撃が敵を襲う。

しかし、ジェリドが射撃を行う一瞬早く、敵はジェリドの射撃を予知していたかのように身を隠した。

 

この時代当たり前となっている前方排筴システムにより、銃身の右前方向から薬莢が排出された。重力がしっかりと働いているため、地面に音を立てて転がっていく。途中で狙いを訂正し、弾装が空になるまで敵の隠れた遮蔽物へ撃ち尽くすと、ジェリドはジープの車体にまたもや隠れた。

 

ジェリドが使用している銃は戦艦内での白兵戦も考慮され銃身が切り詰められており、所謂カービン型のライフルだ。P90やF2000のような形状をしているが、装弾機構は保守的な地球連邦らしくL字型マガジンを使用している。

 

「ライラ!」

 

ジェリドはL字の部分を持ってくるっと回すように空弾装を取り外すと、震える手で自らのヘルメットに予備弾装を打ちつけ、装弾不良のリスクを減らし、リロードを行いながらメット内でライラの名を叫んだ。

 

「くそっ!ライラ!応答しろ!」

 

「ジェリド!一人やられた!そちらへ合流したい」

 

ノイズ越しにライラの荒い息が伝わってくる。

 

「生きていたか!」

 

ジェリドの目に輝きが戻る。

 

「この場は不味い!カウントスリーでエレカへ行く!頼むぞ!」

 

地理的に不利な状況にあるらしく、ライラの声には余裕がなかった。

 

「了解だ!」

 

ジェリドの援護射撃中にジープまで走って向かってくると言う事だ。つまり、ジェリドの火線が止めば、敵の銃撃がライラ達を襲うだろう。今、3人の命を預かっているのはジェリド唯ひとりなのだ。その責任の重さに心拍数が上がるも、了承した。

 

「――大尉。自分の事は置いて行ってください。このままでは全滅です」

 

「馬鹿を言うなっ!」

 

負傷したパイロットがかすれた声でライラへ進言するも、ライラはそれを一考にも値しないと、振り払う。

 

 

「よし、行くぞ。3、2、1、GO!」

 

カウントと同時にジェリドが車体から頭を出し、先ほど撃ってこられたポイントへ猛烈な火線を放つのと、敵の黄色いパイロットスーツが放った拳銃弾がジェリドのメットに命中してしまったのは同時だった。甲高い金属音がメット内で轟音となって響き、鼓膜がきしむ。と同時に、頭が首からもげて後ろに吹っ飛んでいくような衝撃を感じ、視界にコロニーの空が広がった。雲の発生していない死んだコロニーでは。頭上にビルや山々が垂れ下がるように生えているのが見えた。

 

(なんだこれ?山が空から垂れている。つららみたいだ。ああそうか。コロニーの反対側が見えているんだ)

ぼんやりとした頭でジェリドの意識は今にも飛び去って行きそうだった。音が後ろに置いて行かれた様に聞こえない。

 

(空?なんで俺は上を見ているんだろう?)

 

「ジェリド!!」

 

メット内の内臓スピーカーから大音量で流れているはずのライラの悲鳴が、どこか遠くで聞こえる。握力が緩み、ライフルが手からこぼれおちそうだ。膝が衝撃をこらえ切れず、地について背中がゆっくりと地面へ吸い寄せられていく。背中が地面についても、ジェリドは衝撃を感じることができなかった。せいぜい視界がブレた事しかわからない。

 

(ライラ、の声?)

 

ぎゅるぎゅるとテープを巻き戻すように意識が徐々に覚醒していく。

 

 

「大尉、もう、充分です。ありがとう、ございました。達者で!」

 

負傷したパイロットが両脇を抱えてくれていたライラともう一人のパイロットを突き飛ばすと、振り返り、遮蔽物もない道の真ん中で、銃を抜き敵へ向けて発砲した。口と胸からは大量の血が流れており、膝は地面についていた。立ち上がることができないのだ。

撃たれた左胸が焼きごてを当てられているかのように熱く痛んだ。息苦しくなって新鮮な空気を求め、ヘルメットのバイザーを開きながらも拳銃弾を放つ。肉体は即座に射撃を止めて安静にするよう痛みを持って教えてくるが、歯を食いしばってそれを耐えた。リコイルの度に激痛が襲い、狙いがぶれる。しかし、それでも射撃を止める気はなかった。敬愛するライラがジープの方角で何か叫んでいる。恐らく自分を連れ戻そうとしているが、相棒に制止されてるんだろう。

 

(大尉を頼んだぜ、相棒)

 

それがパイロットの最期の思考だった。敵の隠れている遮蔽物に向かい散発的な射撃を加えている途中、血が足りなくなったのか手の震えが止まらなくなった。かちゃかちゃと銃身が揺れる音ももはや聞こえない。只片腕を上げ続けることで精いっぱいだった。

 

銃撃が止んだ事で、赤いパイロットスーツを着たクワトロ大尉が身を乗り出して放った銃弾は、無慈悲にもそのパイロットの眉間を貫き、メット内に脳髄をまき散らしながら、膝を地面につき座ったままの姿勢で息絶えた。

 

 長年ライラの僚機として組んでいた二人のパイロットは、言葉を交わさなくてもその意思の疎通ができていた。

 

「大尉!あいつの覚悟を無駄にする気ですかっ!」

 

「うわああ!あいつめ!殺してやる!」

 

片腕で暴れるライラを引きずるようにし、効き腕で銃を後方に乱射しながら、パイロットがジープへ向かっていく。

 

 

音が、戻ってきた。

 

「ンヴぁぁああッ!!!」

 

急激な息苦しさを知覚し、ジェリドはメットを脱ぎ捨てて、息を思い切り吸い込む。どうやら息を吸うのを忘れていたようだった。毛細血管が膨らんでいくような血流を感じた。ヘルメットは機密を保持するため脱ぎにくい構造になっているはずだったが、ぬるりと脱げた。と同時にぼたぼたとこめかみから顎を伝って血が渇いた地面に落ちていく。血が摩擦を軽減していたのだ。

 

ジェリドは手の平から取りこぼしそうだった銃を、酸素を取り込んだ事により戻った握力で握り直し、起き上りざまにジープのボンネットに体を投げ出した。

すぐさまひじを固定し、狙いもつけずにライフルを乱射した。ボンネットに薬莢があたって跳ねまわっている。

 

「ジェリド!生きてたのか!」

ライラの叫びが聞こえる。

「あたりまえだ!急げ!」

我武者羅に撃ち続けるジェリドの姿を見て、ライラは気を取り直した。

援護射撃が再開された事で、敵の銃撃が止む。頭部に猛烈な痛みを感じながらも、ジェリドは射撃を継続させた。

 ライラ達がエレカに乗り込んだのと弾が切れたのはほぼ同時だった。ライラが運転席に飛び込むと素早くアクセルを踏んで後退させていく。ジェリドもすぐにボンネットから後部座席へ飛び乗った。それを追いかけるように敵の黄色いパイロットスーツが遮蔽物を飛び出して、拳銃から弾丸を放ったのをジェリドは見た。そばには赤いパイロットスーツと白いパイロットスーツも見える。

咄嗟に弾が切れたアサルトライフルを車内に投げ捨て、サブウェポンを抜いて反撃しようとするも、ジェリドはこの距離で顔など見えるはずがないと言うのに、そのヘルメットのバイザーの奥にエマの顔が見えた気がした。身体が硬直する。

黄色いパイロットスーツの放った弾丸が、ジェリドの頬を裂いてかすめていった。

飛んでいる砂塵が血でジェリドの顔面に張り付いて行く。ジェリドは思わず、叫んていた。

 

「エマ・シーン!!!」

 

ジェリドの馬鹿でかい声が伝わったのか、黄色いパイロットスーツは確かに硬直した。が、返事はなかった。エレカはその隙にターンすると、そのまま後退していった。

「ジェリド、傷は?」

 

ライラの問いにジェリドは痛みを思い出したかのように顔をしかめるも、しっかりとした声で答えた。

 

「大丈夫だ。額を裂いただけのようだ」

 

「……先ほどのは知り合いか」

 

ライラの問いに、ジェリドは額についた血をぬぐいながら答えた。

 

「元ティターンズだ」

 

「あぁ……。中尉、すまなかった。仇は必ず討つ」

 

ライラはつい最近脱走した兵がいた事を思い出し、それ以上聞くのを止めると、助手席に座るガルバルディ隊のパイロットへと向かって先ほど取り乱した事を謝罪した。

 

「はい。必ず」

 

もう一人のガルバルディ隊のパイロットが静かに、しかし力強く頷いた。

 

ジェリドは今さらながら、このコロニー独特の強烈な匂いを感じた。

ジェリドは見えてきた工業用ハッチ側の内壁を見ながら、昔、死んだネズミの腐乱臭を嗅いだ時のように、この臭いは脳内にこびりつくだろうと漠然と思ったのだった。

 

 

 


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