東方天狗物語   作:藤村藤村

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第壱話です。


第壱話 曰く、世界は不条理だ

「………………? あれ?」

 

 少年は目を覚まし、ふと呟いた。

 鬱蒼とした緑一色に染められたそこは森というより樹海、と表現するのが一番正しいだろう。

太く、力強く根を張った樹木が乱立し、地面は波打つようにでこぼこしている。枯れ果て、力尽きたように横たわる古木や苔をまとった樹木も生えている。太い樹木が纏う葉のおかげで太陽の恩恵は四割といったところか。

 そんな樹海の中で一人の少年が仰向けになっていた。両手を広げて大の字になっていた。

 

「僕は何で寝ているんだ?」

 

 そう言いながら目をパチクリさせる。

 そして、しばらくその体勢でいると「起きます」と言って上半身を起こした。その際に背中からポキポキと小気味よい音が聞こえた。

 

「ぐおっ……」

 

 軽く悶絶する少年。

 恐らく、長時間でこぼこした地面で寝ていたのが原因だろう。

 

「いってぇ」

 

 痛い。しかしその痛みが意識の覚醒を手伝う。

 目が冴え、脳が活動を再開する。

 

「………………………………………………ここ何処?」

 

 樹海である。まごうことなく樹海である。

 そんな事、少年にも分かっている訳で――疑問は次の段階へシフトする。

 

「何でこんな所にいるんだ?」

 

 分からない。

 そんな事、少年には分からない。

 

「京都――じゃあないよなぁ」

 

 ――じゃあ大阪か奈良か、あえての滋賀か?

 正解を言うと違う。少年がいる場所は、日本ではあるものの四十七都道府県のどれにも該当しない場所だ。

 故に京都でもなければ大阪でも奈良でもましてや滋賀でもない。

 

「まぁ、何でもいいやどうでもいいや」

 

 少年は疑問の解消を諦め、頭を切り替える。

 

「どれ、そろそろ立つかな」

 

 ゆったりとした動作で少年は立ち上がる。

 それにより、少年の容姿がよく確認できるようになった。

 いわゆる長身痩躯というやつだろう。背がかなり高い。百八十センチ以上ありそうだ。

 全体的に線が細いが、弱々しいという訳ではない。全身が引き締まっているという感じだ。整った顔立ちをしており、男前といって差し支えない。

 服装は、上半身に生地の厚い稽古着、下半身に黒い袴と居合の演武でも始めそうなスタイルだ。

 普通とは言い難い服装をしているが、それを超える点が少年にはあった。

 それは足元。

 少年は下駄を履いていた。それも普通の下駄ではなくいわゆる一本下駄というやつ。

 普通の下駄には歯が二本付いているが、一本下駄はその名の通り、歯が一本しかない。バランスが取りにくく、主に修験者や天狗が履いている事が多い。

 少年の背が高く見えたのはこの下駄のせいだろう(しかし、下駄抜きでもかなり背が高い)。

 

「ふむ…………五体満足、と」

 

 少年は肘や膝を曲げ、手足の有無を確認する。その動きもとても緩慢であった。

 のんびり屋なのだろう、この少年は。

 

「…………ん?」

 

 少年はある違和感を感じた。違和感というか喪失感。

 

「面と木刀が無いぞ」

 

 少年の表情が一気に焦りの色へと変わる。

 少年は先程の緩慢な動きと打って変わって素早いものとなり、そして素早いまま辺りを見回す。

 

「木刀はともかく面を無くしたら不味い」

 

 ――あれは一応形見だ。

 少年は辺り一帯を捜索する。そしてしばらくすると、

 

「お? みっけ!」

 

 地面に転がっている面と木刀を見つけた。

 少年は面、木刀の順で拾い上げる。

 面は、天狗の顔を模した物だった。木製の赤い漆で覆われた面だ。伝統工芸品というやつだろう。

 木刀は、黒光りする黒檀製の物だった。長年使われた物なのだろう、でこぼこしていて所々傷が付いている。

 少年は面の方を念入りに検分する。

 

「傷は…………無いな」

 

 少年は安心してため息を吐く。

 

「あ~良かった。傷でも付けたらじいちゃんに祟られてたな、剣呑剣呑」

 

 そう言いながら面についている紐を頭に通し、面を側頭部につける(顔に付けないのは視界が狭くなるからだろう)。

 しかしこの少年、一本下駄といい天狗の面といい、天狗に何らかの因縁を持っているのだろうか。

 今は関係の無い話だが。

 

「しかし…………何だ……」

 

 少年は、見覚えの無い樹海を見回しながら言った。

 

「ふと目が覚めたら、こんな訳の分からない樹海にいて、しかも理由が不明ときた」

 

 呆れたようなため息を吐き、言葉を続ける。

 

「相も変わらず――世界ってのは不条理だ」

 

 その、皮肉とも取れる言葉は誰に聞かれるでもなく青々とした深い樹海に呑みこまれていった。いや、聞いている人物はいるのかもしれない、世界という大きな人物が。

 

「――まぁ、そんな事は置いといて、この訳の分からない状況をどうにかして打開しなとな」

 

 木刀を肩に担ぎ、少年はそんな事を呟いた。

 

「とりあえず――樹海を抜けよう。そんで、人がいるところを探すかな」

 

 そう言いながら、少年は歩き出そうとする。

 しかし、少年は忘れていた。先程、自分で言ったのにもかかわらず。

 そう――世界は不条理なのだ。

 めきめきめきめき。

 と、何かが軋む音が、少年の鼓膜を震わせた。

 ほぼ反射だった。少年は脳が命令を出す前に音のした方向へ目をやった。

 そこにいたのは――化け物だった。

 その大きな体で、木を圧し折り姿を現した。

瓢箪のような胴体から蟲の足が生えている。まるで蜘蛛の様だ。その蜘蛛のような胴体から鬼の様な牛の様な――とにかく人の物ではない頭が生えていた。

 

「なっ…………」

 

 驚愕と困惑。そして混乱。少年の頭は正常に働いてはいなかった。

 目の前に現れた人外を見て、思考がふっ飛んでいた。

 ぐるぅ、と蜘蛛とも鬼とも牛とも知れぬ生き物が唸る。

 そして口を大きく開き――咆える。

 咆哮。

 咆哮。

 咆哮。

 とんでもない量の声が樹海の中に響き渡る。

 その声により、少年は我に返る。

 

「な……なはは。いや笑えねぇ、笑えねぇっすよ」

 

 表情を引きつらせながら少年は言う。

 少年は感じていた。あの化け物から発せられる威圧感を。

 それは粘度の高い液体のように少年に纏わりつく。呼吸をするたび肺が重くなるようだ。

 

「洒落にならねぇ、ならねぇっスよ」

 

 おどける様な口調で喋り続けるが、焦りの表情は隠せない。額に大粒の汗が浮き出ている。

 少年は静かに後ずさる。昔、熊に遭遇した時の対処法を祖父に教えてもらった覚えがある。たしか音を立てずに後ずさり、ある程度距離を取ったら走って逃げだすとか何とか。

 そんなことを思い出しながら少しずつ、少しずつ後ずさる。幸い、あの化け物はまだ、少年に気付いておらず、上手くいけば存在を悟られずに逃げられるかもしれない。

 

「…………」

 

 十メートルほど距離が取れた。もう少し距離を取ってから走り出せば上手く逃げおおせるだろう。

 だが、そう上手くはいかなかった。

 ぱきっ。

 と、トーンの高い音が少年の足元から鳴った。

 一気に、冷や汗をかく。

 恐る恐る足元を見ると、下駄に踏まれたことにより、折れたであろう小枝があった。というか現在進行形で踏まれていた。

 視線を化け物の方へ戻す。

目が合った。

 

「なは……なはは……」

 

少年、ピンチである。

 

「ベタ過ぎるぞ僕ぅ!!」

 

 叫びながら、化け物に背を向け走りだす。

 まさに、一目散。

 化け物の方も、叫びながら逃走する少年に何らかの興味を持ったらしく、八本の足を使って少年を追走する。

 

「畜生! 不条理すぎるだろ! 世界!!」

 

 少年は走る。

 走って走って走って走って。

 逃げる。

 逃げて逃げて逃げて逃げて。

 みっともなく、格好悪く、だらしなく、逃げる。

 命を防衛するために逃げる。

 少年は走りながら、一瞬だけ後ろを振り返る。

 

「ありゃ?」

 

 化け物が小さくなっていた。ではなく、化け物が小さく見えるほど距離が離れていた。

 化け物はかなりの鈍足だった。

 ――このまま逃げ切れる。

 少年はそう確信する。

 ――だが。

 そうは問屋が卸さない。

 めきめきめきめき。と再び何かが軋む音が少年の耳に入る。しかも複数の方向から。

 そして、たいして間をおかずそれは現れた。先程と同型の化け物だ。

 しかも、よりによって――

 

「なあっ!?」

 

 文字通りの意味で、少年の目の前に現れた。大口を開けて少年のことを待ち構えていた。

 

「う……おおおおっ!?」

 

方向転換。

それしかなかった。このまま走ればあの化け物に突っ込む事になる。そして、多分喰われるだろう。

――右か? 左か? んなもんどっちでもいい! ……やっぱ右。

歩幅を合わせて左足に力を込める。地面が抉れ、一本下駄が壊れるのではないかと思ってしまうぐらいの力で踏ん張り、身体を九十度回転させる。

アキレス腱がねじ切れるのではないかと思ってしまうほどの激痛が足に走るが、そんなものは無視だ。死ぬよかマシである。

その結果、化け物のギリギリ手前で方向転換に成功する。

しかしその瞬間、少年は後悔する。

左に行けばよかったな――と。

方向転換した先には崖があった。高さは四メートル程と、そこまで高低差のある物ではないが――

 

「畜生、ついてないなぁ」

 

 少年は落下した。

 崖の手前で踏み止まろうとしたがそれは無理だった。直前の、無理な方向転換により足を痛めてしまったので踏ん張る事など無理だと、少年はそう判断した。

 故に、少年は止まりはしないものの、足に負担の掛からないようにスピードを落とし、崖から落ちた。

 大した高さでもないので、少年は無重力感を一瞬だけ味わい、そして背中から着地する。

 絶息、とでも表現すればよいのか。過剰な比喩とかそういうのではなく、肺の中の空気が全て吐き出され、本当に死にそうになった。

 

「けほっけほっ。あ~、目がチカチカする」

 

 よろけながら、木刀を杖代わりにして立ち上がる。

 点滅する景色も次第に大人しくなっていく。

 景色が完全に点滅しなくなり、状況をよく確認できるようなった。

 

「確認できるけどさぁ……」

 

 少年は化け物に囲まれていた。

 

「最悪っスよ……」

 

 先程の蜘蛛の様な化け物が四体。全身毛むくじゃらの人間みたいな化け物が五体。その他の有象無象が八体ほど。合計十七体。

 

「…………」

 

 少年、再びピンチである。

 

「――なんだかなぁ」

 

 少年は静かに呟いた。

 

「こういう状況に出くわしたことないから分かんないけどさ、こういう時ってどうすりゃいいんだろうな。神様にお祈りでもしてみるか? それかあれだ、辞世の句でも読んでみるか。『おもしろき、ことも無き世を、おもしろく』って感じで。いっそ念仏でも唱えるか」

 

 少年は呟き続ける。

 その少年のことをどう思ったかは分からないが、人型の化け物が一体、叫びながら少年に飛びかかった。

 

「けど、まぁ」

 

 黒い線が――人型の化け物の口に飛び込んだ。

 

「そういう案は全部却下っスね」

 

 黒い線――否、黒い線に見えたのは少年が右手で握っている黒檀製の木刀だった。少年は人型の化け物が飛びかかった刹那、何の躊躇もなく人型の化け物の口内に木刀を突き入れたのだ。

 人型の化け物は白目をむきしばらく痙攣した後、地面に崩れ落ちた。

 木刀の先が唾液と血液に濡れて、ぬらりと光る。

 

「自慢じゃないっスけどね――」

 

 少年は右手で握っている木刀を持ち直し、両手で握る。そして足を前後に開く。

 少年は青眼の構えをとる。

 

「僕は諦めたことなんて、生まれてこの方一度もないんだ。だから今回も諦めない。例外なんてない。妥協なんてない。仕方無いなんてことはない!!」

 

 生気が込もった声で少年は言う。

 強く、言う。

 

「赤を銅で挟んで、(あかがね)赤銅(しゃくどう)はこれより、諦めを忘れてお前等と戦ってやる!!」

 

 少年は高らかに宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ霊夢。本当に助けに入らなくていいのか?」

 

「いいのよ、私たちが戦う手間が省けるし。それにあそこに割って入るなんて空気読めなさすぎでしょ」

 

「そうだけどさぁ、あいつ外来人だろ。ただの人間が妖怪に戦いを挑むなんて危険すぎるぜ」

 

「分からないわよ。案外、いい勝負をするかもしれないわ。それに本当に危なくなったら助けに入ればいいだけでしょ。だから今は見物してましょ」

 

「それって職務怠慢だぜ」

 

「言ってなさい」

 

 それは樹海の上空で交わされた――紅白と白黒の会話だった。

 

 




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