「おはよう…ん?」
露伴の来訪より数日後、教室へと入った苗木はある人物の不在に気づく。
「あれ…山田君は?」
「む、おはよう苗木君!…山田君ならまだ来ていないぞ」
「また徹夜でもしてたんじゃね?オタクだし(笑)」
「まったく、私に断りもなく休むとはいい度胸ですわね」
「…言ってることはツンデレっぽいけど真実を知ってると山田っちが不憫でしょうがねえべ…」
「つかセレスがそんなんだからいよいよ愛想尽かしたんじゃあねーの?」
「まあ…増々気にくわないですわねあの豚ァ…!」
「そ、そんなことないですって!…多分」
「山田とて体調を崩すこともあろう…。そこまで深読みする必要はなかろう」
「…とりあえず、後で様子見てこようか」
「うん、そうだね」
結局、その日山田が教室に姿を見せることはなく、放課後になって苗木、不二咲、朝日奈、石丸の4人が様子を見に行くこととなった。
「山田君、大丈夫かなあ…?」
「不二咲ちゃんは心配し過ぎだって。一日ぐらい休むことなんて誰だってあるじゃん!…私は無いけど」
「まあ即売会も近いし山田君も体調管理はしっかりしてる筈……ん?」
「どうした苗木君?」
「いや、山田君の部屋のドアに何かかかってるような…?」
山田の部屋の前にやって来ると、そのドアにはすさまじく力強い殴り書きしたような字が書かれたプレートが掛けられており、そこにはこう書かれていた。
『ただいま拙者、ラグナロック作戦遂行中!覚悟無き者の入室を禁ずる!!』
「…なにコレ?」
「さ、さあ…ラグナロック作戦ってなんだろう?」
「…ラグナロック、北欧神話にある神々による『最終戦争』の呼び名よ」
「へえ~……え?うわっ!?腐川ちゃん!?」
「ふ、腐川くん何時の間にッ!?」
「う、煩いわね…。トイレから出てきたら、山田の部屋の前でアンタ達が騒いでたから気になって来てみただけよ。…それにしても、あのキモデブ漫画オタク、なに厨二臭いこと書いてんのよ、鳥肌が立つわ…」
「し、しかし…その意味を踏まえても、どういう意味なのだ?」
「…要するに、今部屋の中では山田君にとっての『ラグナロック』が始まっているということだね。…多分即売会に出す同人誌の執筆中って意味なんじゃあないかな?」
「おお!そういうことか!」
「フン、くだらないわね…」
「でも、丸一日出てきてないっていうのは心配だなぁ…」
「まあ確かにね……ちょっと聞いてみるか」
苗木はドアの前に立つとゆっくりとドアをノックする。
コン、コン
「…看板が読めなかったでありますかな?僕は今忙しいのです…」
「山田君、僕だけど…今日部屋から出てきてないみたいだけど、大丈夫?」
「…苗木誠殿でありますか、邪魔しないのであればどうぞ」
「じゃあ…失礼します」
おずおずとドアを開け、中へと入った苗木の第一声は
「…うわっ!?ど、どうしたのコレ!?」
部屋中にうず高く積み上げられた漫画本、同人誌の山の中で一人黙々と机に向かう山田に対するそんな言葉であった。
「うわ…凄い、いっぱい…!」
「や、山田君、これは一体…?」
「ム、皆さんもご一緒でありましたか…。これは拙者の『家』にある分を含めた漫画コレクションの『全て』です。これを持ち込む為にわざわざフィギアやおもちゃの類は一切合財家に送りましたよ…」
「こんなにたくさん、どうすんのさ?」
「無論、コミケに出す同人誌の為の『参考資料』ですよ。もう今までの様に『好きな事だけ』を描いているだけではいけませんので…」
返事をしながらも机に向かったままただひたすらにペンを走らせる山田。苗木はその後ろ姿にどこか危なげなものを感じ取った。
「山田君、もしかして…露伴先生に言われたことを…?」
「……」
「…あんまり口を出すことじゃないけど、少し根を詰め過ぎじゃあないかな?焦る気持ちは分からないでもないけど、肝心の君が無理をして体を壊したら元も子もないよ…」
「…お気持ちはありがたいのですが苗木誠殿、これは僕にとって『存在意義』を賭けた問題なのです。僕の『同人作家』としての『誇り』と『漫画家』への『夢』とを天秤にかけた時、どちらが僕にとって『正しい選択』なのかを見極めなければならないのです。例え今無理をしてでも、僕の『将来』の為にこれは必要な事なのです」
「山田君…」
「…ハッ、何を隠れてやってるのかと思ったら…。アンタ、とんだ『思い違い』をしてるわよ」
「…なんですと?」
鬼気迫る勢いの山田の『覚悟』を腐川はまるで可哀想なものを見るかのように『嘲笑』する。
「…腐川冬子殿、聞き捨てなりませんな。拙者が一体何を『思い違い』してるとでも?」
「今のアンタそのものに決まってるじゃない。さっきから聞いていれば…『誇り』だの『夢』だの『選択』だの…、モノを描くのにそんな『下らない考え』ばっかりしてるからロクなものが書けないのよ…!」
「なっ!?なんですとぉッ!!」
「ちょ…腐川ちゃん!」
「腐川君、流石に言い過ぎではないのかね!?」
「言い過ぎなもんですか…。アタシは『作家』、コイツは『同人作家』…、確かに分野は別だけど、アタシもコイツも『芸術』を表現するという意味では同じ穴の貉よ。だからこそ言わせてもらうわ。『作品』っていうのは、『誇り』だとか『夢』だとか、ましてや『見る側』の気持ちを考えて作る物なんかじゃあないわ!!アタシらの『作品』は自分の見たいもの、表現したいものの投影…所詮『自己満足』でしかないのよ。どこの誰に唆されたのかは知らないけど、自分のやりたいことを押し込めてまで作る作品なんて『平凡以下』よ!そんなもの成功するはずが無いわッ!」
「い…言わせておけばぁッ!!」
「山田君、落ち着いて…腐川さん、ちょっとこっち…!」
「ちょ…離しなさいよ苗木ッ!」
「わ、我々もとりあえずお暇しようか…?」
「そ、そだね…」
「じゃ、じゃあ山田君…体には気をつけて…」
「その萌えないゴミを部屋に近づけさせないでくださいッ!塩撒いとこ塩ッ!!」
言い足りない様子の腐川を引っ張って、苗木達は一旦山田の部屋から出て行った。
「まったく…『字』しか書かない作家の癖に言いたい放題言ってくれますなぁ!……そんなの分かっているんですよ。でも、『仕方ない』じゃあないですか。そうしなければ、『受け入れられない』のですから…」
山田の部屋から飛び出した苗木達はそのまま寄宿舎の休憩室まで引き返していた。
「腐川さん…言い方が直接的すぎるよ。あれじゃ喧嘩売ってるようなものじゃあないか」
「フン、知ったこっちゃないわ。あーいう温室育ちのオタクにはハッキリ言ってやんないと気が済まないのよ…」
「ううむ…」
「…でもさ、腐川ちゃんが言ったことって『変』じゃない?」
「な、なにがよ…?」
「だってさ、腐川ちゃんが書いた本とかも、『誰か』に読んでもらわなきゃ意味ないじゃん。だったら、腐川ちゃんも最初からその『誰か』の為に書いてるんじゃないの?」
「あ…そうだねえ」
「…フン、そんなこと?言っとくけど、アタシは端っから『誰か』に読んでもらおうと思って書いてるんじゃあないわよ」
「え?」
「アタシは自分が『書きたい』から書いてるのよ。いろんな本を読んで、自分の中に生まれた『妄想』…もとい『イメージ』をただ『文』に起こしているだけよ。書籍化してるのは周りが煩いからよ…。アタシにとって『小説』は『自己表現』の一つでしかないの。わざわざ人前に出なくても良いからね…」
「そういうものなのかなあ…?」
「……」
「…てなことがありまして…」
『成程…どうやら余計なプレッシャーをかけてしまったようだね』
その日の夜、苗木は迷惑を承知で露伴に今回の事を伝えたが、電話の向こうの露伴は意外にも好意的に苗木の相談に乗ってくれた。
『それと…その腐川とかいう作家だが、彼女の言っていることはあながち間違ってはいない。というより…彼女はある意味での『真理』に到達していると言ってもいいだろうね』
「…どういうことです?」
『僕たち物書きには、『2種類』の人間がいる。作品を『仕事』として割り切っている奴と、作品そのものを『人生』にしている奴だ。彼女の場合は、『後者』における極論といってもいいだろうね。ちなみに、僕も後者の人間だ』
「はあ…それで、山田君は?」
『彼も後者の人間なのだが…どうにも『希望ヶ峰学園』という『環境』が彼を良くない方向に向かわせているようだね』
「というと…」
『今まで彼は、仲間内同士で楽しむため、自分の趣味を自慢するためだけに同人誌を描いてきたのだろう。それが爆発的な人気を得て、注目され『超高校級の同人作家』と呼ばれるようになった。『そこまで』なら良かったんだ。…だが、希望ヶ峰学園は『そこ』がゴールじゃあない。学園でより才能を高めて、世の中でそれを発揮できるようにするというのが目的なのだろう?そうなると、『同人作家』という肩書では限界がある…』
「だから、『漫画家』として活動を見直そうとした…」
『彼からすれば『アマチュア』から『プロ』になる為に努力しているつもりなんだろうけど、僕が言いたかったのはそういうことじゃあないんだよな』
「…で、何を伝えたかったんですか?」
『僕はね…』
翌日、いよいよ締切まであと1週間となっていたが、部屋でカンヅメになっていた山田のペンは止まっていた。
「…描け、ない…」
憔悴し元の面構えの見る影もないほどゲッソリした山田の前にあるのは『白紙の原稿』。その周りには、それまでの彼の執念を示すかのように辺りのマンガ本を埋め尽くさんばかりに積み上げられた『没原稿』の山が存在していた。
しかし、今の山田にはもはやペンを1㎜動かす気力すらも無かった。それでもペンを放さないのは流石と言うべきだが、もう彼にはそれで描くべき『ビジョン』が視えていなかった。
「このままじゃ、駄目だ…。僕は、変わらなきゃ…。露伴先生に、認められるような…作品を…」
震える手でペンを原稿につけようとした、その時。
ピンポーン
久方ぶりになったインターホンの音に、山田は思わず手を止める。
「…どなた、ですかな?」
「…山田君、僕だけど今良いかな?」
「!苗木誠殿…」
本来なら誰とも会いたくなかったのだが、自分に良くしてくれた苗木を邪険に扱うのも気が引けたので、山田はのそのそと立ち上がるとドアを開ける。
「…あ、元気…そうには見えないね」
「お見苦しい姿で申し訳ない…で、どのような用でしょうか?」
「ああ。山田君、今日も部屋から出てないんでしょ?お腹すいてるかと思って…おにぎり作って来たんだけど」
苗木が差し出したのは、お皿の上にちょこんと載った3つばかりのおにぎりと漬物。普段ジャンクフードばかり食べている山田にとっては地味な代物であったが、今は何故かそれが無性に愛おしく感じられた。
「お、おお…!かたじけない…」
「口に合うかどうか分からないけど、良かったら食べて。…それと、ちょっと話したい事が有るんだけど、部屋に入ってもいいかな?」
「へ?あ…ど、どうぞ…前より汚いですが」
「じゃ、お邪魔します…」
「…はむっ!ハフハフッ!!…ぷはぁ!久しぶりにまともなものを食べました。誠にゴチです、苗木誠殿」
「どういたしまして」
「ところで…拙者に話したいことがあると仰りましたが、なんでございましょ?」
「うん。…山田君、露伴先生に言われたことを憶えてる?」
「ッ!…ええ、しかと憶えておりますぞ。『君には漫画家として決定的に欠けている物がある』…露伴先生はそう仰いました。故に、僕はなんとしても僕の『漫画家』としての作品を作らなくては…」
「あの、それなんだけど…露伴先生は、山田君が思っているような意図でそう言った訳じゃあないんだよ」
「…へ?」
苗木の思わぬ言葉に、山田は間の抜けた声を発する。
「ど、どういうことでしょ…?」
「…露伴先生はさ、あんな言い方だったけど、山田君の『実力』も『心意気』も認めてたんだよ。君が『超高校級の同人作家』と呼ばれる故になった文化祭での同人誌『一万部』を売り上げたことも、君が純粋に好きで同人誌を描いているということにも、露伴先生は何一つケチをつけるつもりは無かった」
「で、では一体…露伴先生は何を仰いたかったのでしょうか?」
「…山田君、君は自分が書いた作品が『万人にウケる』と自信を持って言えるかい?」
「う…い、いえ。正直そうは思いませぬ。だからこそ、僕は誰もが読んでくれるような作品を作らねば…」
「『そこ』なんだよ」
「はい?」
「君が言ったとおり、『同人誌』っていうのは万人に理解される代物じゃあない。…けどそれは、『漫画』だって同じモノだと露伴先生は言っていたよ」
「え…!?い、いや確かに…どんな作品であれど『アンチ』というものは存在しますが…」
「露伴先生はこう言ってたよ…」
『…僕はね、山田君に『自分の意志を一貫する』気持ちを持ってほしかったんだよ』
「意志を一貫する…ですか?」
『僕は漫画家になってかれこれ『4年』ピンクダークの少年を連載…漫画を描き始めた時から数えればもっとだけど、それだけ漫画に人生を費やしてきた。けれど、今になっても僕の元にはファンレターに混ざって『苦情』や『嫌がらせ』の手紙が途切れたことは無い』
「そうなんですか…!?」
『むしろ、連載当初はそっちのほうが多いぐらいだったね。…だが、そんなものは僕が漫画を描くという行為において全く影響はない』
「あら?」
『僕はただちやほやされたり漫画で喰っていく為に漫画を描いているんじゃあない。僕はただ『読んでもらうため』だけに描いているんだ。そこにそれ以上の意味など無いし、求めるつもりもない。…とはいえ、人気取りの為にいかにもな『テコ入れ』をするのも御免だ。僕は『僕が描きたいもの』を描いてそれを『見てもらう』ことだけの為に漫画を描いている。正直それを編集部が認めないようなら、とっとと他の出版社に移ることも厭わないし、山田君のように同人作家として活動していくのも悪くは無いね』
「…それを『プライド』と言うか『意地』と言うか…」
『どうでもいいさ。…僕が山田君の作品を最初に見た時、彼の作品からどこか『遠慮』のようなものを感じたんだ。おそらく彼も、彼の作品を理解しない人たちからなにかしらの『非難』を受けてたんじゃあないかな?彼は気にしていないつもりでも、作品にはそれが現れていたんだ』
「…つまり、山田君は『漫画家になる』ということを『誰もに認められる作品を描く』ということと捉えてしまっているということですか?」
『ま、詰まる所そういうことだろうね。『同人誌』は基本的に『そういう趣味』がある人しか見ない。だが『漫画』は『誰にでも見られる』可能性がある物だ。その上で大事なのは『誰もがおもしろいと思うモノを描く』という考えじゃあない、『誰に何と言われようとそれを描き続ける信念』の方が大事なんだよ。…できれば君から伝えてあげてくれないか?他人の眼なんか気にすることなく、君は君が描きたいものを極めればいい、と。僕としても、彼のような才能の持ち主がこんなところで潰れるというのは、少々残念だからね…』
「…そうでしたか、露伴先生は気づいておいででしたか」
「気づいてって…ってことは、山田君自覚していたの?」
「はい。…あれは僕が文化祭で同人誌一万部を売り上げた時の事でした。親しい友人や家族はそのことを喜んでくれましたが、反面、僕の作品を理解できない人たちからは『文化祭を汚された』という苦情を受けることになりました。僕は自分の作品に『誇り』を持っていましたし、事実僕の同人誌目当てにその年の文化祭には平年の『3倍』の来場者が有ったという結果が有りましたので、そのクレームが大事になることはありませんでした」
「……」
「ですが、その時僕はこう思ったんです。『いつか彼らも僕の作品でぐうの音も無いほどに納得させてみせる』…と。露伴先生に『欠けている物がある』という指摘を受けた時、僕はこれまでにないショックを受けました。『神』と呼ぶにふさわしい露伴先生が仰る以上、まだ足りないのかと撃ち伏せられた気がしました。…でも、そういうことじゃあないんですね」
「露伴先生も、最初の頃は編集さんとかから色々言われたみたいなんだ。『これじゃ売れない』とか、『駄目だコイツ』とか。でも、露伴先生はそれでも自分の作風を曲げなかった。露伴先生の性格もあったかもしれないけど、露伴先生曰く、『自分にはこういう作品を描きたいという明確な『地図』があった。誰に何を言われようと、それを変えるつもりは無かった。あとはただ、その『地図』の『魅せ方』を変えただけだ』…ってね」
「『魅せ方』…ですか」
「…山田君、僕には漫画の事はよく分からない。でも、これだけは言える。君が本当に描きたいと思って描いた作品が、間違っているなんてことはないんだよ」
そこまで言うと、苗木は立ち上がる。
「僕が言えるのはここまでだ。これ以上は素人の僕が踏み込んでいい領域じゃあない。…でも山田君、キミならきっと正しい『答え』を見つけられると、僕も露伴先生も信じているよ」
「…苗木誠殿ッ!露伴先生にも伝えて下され、…次の僕の『新刊』を、楽しみにしていてください。と!」
「…期待してるね」
ガチャン
「…ふう」
「…随分おせっかいを焼いたみたいじゃない」
「放って置けなくてね。…そういう腐川さんはどうしてここに?」
「な、なんでもいいじゃない…」
部屋を出た苗木に声をかけたのは、部屋の前で聞き耳を立てていた腐川であった。
「やっぱり、腐川さんも心配だったとか?」
「そ、そんな訳ないでしょッ!!」
「ご、ごめん…?」
「…ただ、見てらんなかったのよ。他人に振り回されて自滅していく奴を見てるのがね…。私は誰にも『束縛』されることはしないわ。私は私よ、腐川冬子よ。…『あんな奴』なんかと一緒になんてされてたまるもんですか…!私は私としての自分を『表現』するために小説を書いているのよ。それが、『文学少女』としての私にできる『抵抗』なんですから…」
「…腐川さん…?」
途中からどこか自分に言い聞かせるような言い方になる腐川に、苗木は違和感を感じる。
「腐川さん、それはどういう…?」
そしてそのことを聞こうとする、が…
「…ハッ!!」
「ど、どうしたの?」
「こ、この『香り』は……ああっ!間違いないわ、十神白夜さまッ!やっと出会えた、私の王子様…!嗚呼、何処においでですか、白夜様~!」
十神の気配を感じたらしい腐川は一目散にどこかに走り去っていってしまった。
「…さっき言ってたことは何処へ行ったのさ。さっそく十神君に『束縛』されてるような…やれやれ」
消えてしまった腐川への疑問をとりあえず飲み込んで、苗木は作業に戻っているであろう山田の部屋に視線を向ける。
「頑張れ、山田君…!」
…数日後、即売会が終わったその翌日、とあるインターネットの書き込みサイトにはこのような記事が掲載されていた。
『超高校級の同人作家』山田一二三、即売会にて売上『二万部』達成!
無論山田にとって、完売程度であれば不思議なことではないだろう。だが今回違ったのは、山田の本を読んだ人たちからの『感想』であった。
『今回の山田氏の新刊、今までとは一線を画す出来でありました!』
『今度の新刊、突き抜けてたなあ…。例えるなら、『中辛』だったカレーが『激辛』になったみたいだった』
『新規の読者はこれは割れるだろうなあ。…あ、自分は大好物っす!』
否定的な批評もあったが、多くの人が山田の作品を評価していた。それは、『超高校級の同人作家』である山田が、『プロ』への入り口へと確かな一歩を踏み入れた瞬間であった。
「…で、これが山田君の新作か」
そして希望ヶ峰学園78期生の教室でも、山田の新刊がお披露目されていた。
「私も読んでみたんだけど…。やっぱりちょっと分からなかったけど、でもなんだか伝わる物があったよ!」
「我もこういうものには疎いのだが、この本からは山田の『信念』が感じられたぞ」
「ただの萌えマンガったやつかと思ったんだが…意外と好きかもしれねえ俺」
「山田の趣味は確かに出てんだけど、なんつーか…『俺を見ろ』って感じが出てるみてーな?」
クラス内でも好き好みは別れていたが、やはり『超一流』の世界に足を踏み入れている人間として、この作品に懸ける山田の『覚悟』を見てとっていた。
「しっかし…山田っち、これじゃだいぶ好き嫌い別れるべ?ホントにこれでジャ○プに載るんだべか?」
「…確かに、こういった作風を嫌い人はいるでしょうな。しかし、それでも僕の作品を『面白い』と言ってくれる人が居る以上、僕は今のスタイルを崩したりなどはしません。これこそが、山田一二三にとっての『王道』なのですよ」
「…なんだか、山田君カッコいいなあ。『自分の生き方』をハッキリ言える人って、僕憧れるよ…」
「え?あ…そ、それはどうも不二咲千尋殿…ドゥヘヘ」
「山田君、気色悪い顔なんかしてないで早くお茶を淹れなさい。…あ、元からでしたわね。気色悪い顔は」
「ブヒィッ!?た、ただいまッ!」
「あー…あれは平常運転なのな」
「別にいいんじゃない?あれで結構お似合いだし」
「アハハ…」
「…あ、苗木誠殿。後でお時間よろしいでしょうか?」
「?」
放課後、山田に呼び出された苗木は屋上へと赴いていた。
「どうしたの山田君?」
「…苗木誠殿、僕の新作を見て、どう思われました?」
「僕?…そうだね。まあ、僕にはちょっと分からない部分もあったけど、面白かったよ。『山田君らしさ』ってのが出てたと思うよ」
「そ、そうですか。…それで、あの…」
「…昨日、露伴先生から感想を預かってるよ」
「え!?」
「『僕にとっては少々異次元の領域になりかけているけど、こうなりたい、という君の『覚悟』は受け取ったよ。…『プロ』の舞台で待ってるから、焦らず追いかけてくると良い』…だってさ」
「…そう、ですか。そうでしたか…!」
その言葉を聞き、山田は感極まったかのように震えだす。
「良かった…。僕の、僕の出した『答え』は…間違っていなかった…!」
「…山田君、昔露伴先生が駆け出しだったころに編集の人からこう言われたんだって」(半ば聞き流してたらしいけど)
「え…?」
「『漫画っていうのは、読者に読んでもらって初めて漫画として成立する。読者に受け入れられなければ、それは漫画じゃあない』ってね。…僕にはよく分からなかったけど、キミになら分かるんじゃあないかな?」
「読者に、受け入れられる…ですか。そうですな…、今僕を支持してくれているのは、僕の『同人誌』を読んでくれていた人たちです。ならばこれから僕がやるべきことは、僕のこのスタイルを『これから読んでくれる人たち』に理解してもらうことでしょうな。…思えば、岸部露伴先生も、各部ごとにタッチを変えているのはそういうことなのかもしれませんな」
「…露伴先生も、最初の頃は漫画を描き続けることに『不安』があったらしいよ。いつ自分が描いている物が飽きられるか分からない、もしかしたら明日には連載が打ち切られるかもしれない。…一時はそんな不安に駆られて『強引な手段』に走ったこともあったらしいけど、杜王町の人たちと触れ合う中で気づいたんだって。『大切なのは、求められるものを描こうとすることじゃなく、自分が描いている物を求められるようになる』ことだとね」
「…成程。ならば今こそが僕による『変革』の第一歩というわけですな?」
「よ、良く分からないけどそうなんじゃあないかな…?」
だんだんといつもの調子に戻って来た山田に、苗木は若干苦笑いで応える。
「…しかし、今回は露伴先生に大変お世話になってしまいましたな。今度お礼を言いに行かねばなりませぬな」
「露伴先生の事だから、そんなことするぐらいなら漫画を描けっていいそうだけどね。…それに、腐川さんにも言っておいた方がいいよ。あれで結構、気にしてたみたいだからね」
「…うぇッ!?ま、まさか……いや、そうですな。結局のところ、腐川冬子殿の言葉も間違ってはいなかったのですしね。言うべきでしょうな、腐川冬子殿にも、そして…苗木誠殿にも」
「え?僕?」
「…実の所苗木誠殿、僕は露伴先生にもですがあなたにも『感謝』しているのですぞ」
「いやいや、僕は今回露伴先生のメッセンジャーボーイを務めただけだよ?そんな感謝されるようなことはしていないって」
「いえ…。もし、僕が露伴先生と出会うことなくこの学園を卒業し、漫画家としてデビューしても、おそらく僕は碌に連載も続かぬまま終わっていたかもしれません。それは、僕が『自分が本当に描きたいもの』を見失っていたからです。『進むべき道』を見失った漫画家に先など有りません。…そんな僕に露伴先生を引き合わせてくれたのは苗木誠殿です。例えそれが『偶然の産物』であっても、僕は苗木誠殿に、そして苗木誠殿と引き合わせてくれた『運命』に感謝したいのですよ」
「運命、ね…」
「かの乙女座の人の言葉を借りるならば…この気持ち、まさしく『愛』だッ!」
「……」
「…いや、あくまで『親愛』の愛ですよ?拙者にそう言う趣味はないですから…ね?」
「…だよね」
「ゴホンッ!…と、ともかく僕としては苗木誠殿には『感謝』と共に『敬愛』の気持ちがあるのです。本来なら今回の事に何か報いたいのですが…今の僕にできること程度では『超高校級のギャング』である苗木誠殿に十分なお礼などできないでしょう…」
(そんな大げさに考えなくてもいいんだけどなぁ…)
「ですので、厚かましいのですがお礼も兼ねて一つ『約束』させてもらえないでしょうか?」
「約束?」
「はい。…いつか、僕が日本を代表する漫画家として胸を張れるようになった時、その時に…『苗木誠殿が主役のマンガ』を描かせて貰えないでしょうか?」
「…エッ!?主役?僕が!?」
「はい!以前苗木誠殿から聞いたイタリアでの出来事を聞いた時から、僕はそれを漫画にしたくてしょうがなかったのですッ!あ、もちろん苗木誠殿の仲間の方のことは配慮しますので。…それに、前々から思っていたのです。苗木誠殿は『物語の主役』としてこの上ない『逸材』であると!バトル漫画の主人公のように強く、学園漫画の主人公のように優しく、日常系の主人公のように確固とした意志を持ち、それでいて悪役のような冷徹さも兼ね備えている!それだけならどこぞの『俺tueeeee!系主人公』と変わりないですが、苗木誠殿にはそれらとは一線を画す『覚悟の強さ』があるッ!」
「そ、そんなことないって…僕みたいな奴なんかいくらでもいるよ」
「…いやいや、それは無いですぞ。いやマジで」
「そうかなあ…?」
「…ともかく、実際に目の前にそんな人物がいる以上、僕としては放ってはいけないと思っていたのです。そして今回のことで決意しました!いつの日か必ず、君の事を主役にした大作を描いてみせる!…と。…とはいえ、苗木誠殿が嫌というのなら仕方ありませんが…どうでしょうか?」
「……」
山田の申し出に苗木はしばし考え込むように彼を見つめ、やがてフッと笑むと口を開く。
「…一つだけ、『条件』をつけさせてもらってもいいかな?」
「じょ、条件ですか?」
「うん…」
「…君のその作品が完成した時、まず一番最初に、『僕』にそれを見せて欲しい。それが僕からの『条件』だよ」
「……え?それだけ…ですかな?」
「そうだけど…駄目かな?」
「いえいえいえッ!それは勿論良いのですが…その、本当にいいのですかな?正直、お礼にすらなってないかなとも思っていたのですが…」
「まさか!山田君に…僕の大切な『友達』が、僕のことを漫画にしてくれるんだ。僕にとっては、とても光栄なことだよ」
「と、友達…!本当に、よろしいんですか…!?」
「…山田君、君はさっき僕に会えた『運命』に感謝してると言ったけど、僕もそれは同じなんだよ。本来なら、僕が皆とこうして同じ時間を過ごすことなんてあり得ないことだった。でも、なんの偶然かこうして僕は皆と出会い、キミとも友達になれた。僕が『超高校級の幸運』を持っているのだとすれば、それこそが僕にとってのこの上ない『幸運』なんだよ。…ずっと待ってるから、焦らずに頑張ってね」
「…う、おおおおおおッ!!無論ですぞ苗木誠殿ッ!僕は宣言するッ!いつの日か必ず、君を題材にした漫画を描いてみせるッ!その時に、僕はこう書くんだ、…これは僕の大切な友人の青春を綴ったものだとねッ!」
「期待してるよ、山田君…!」
こうして、『同人作家』…もとい、将来の『漫画家』と『ギャング』という、生きる世界の枠組みを超えた『約束』が結ばれ、後に『黄金の風』というタイトルである週刊誌を一時期賑わせることとなるマンガが始まった瞬間でもあった。
今回の話の漫画に関する考察は、バクマンと荒木先生の著書より引用させていただきました。
漫画家目指してなくても面白いので皆さんも買いましょう(販促感)