絶望とのファーストコンタクト
どこかの一室。特別飾り気もない、質素な造りの部屋…それ故に、部屋の壁一面に貼られた写真が一層異常さを臭わせるその部屋に、一人の少女が机の上に置かれたパソコンのモニターを前に座っていた。
「…ふ~ん。で、例の『衛星』の破壊はうまくいったんだね?」
『…(コクコク)』
モニターの向こうに移る、モノクマのマスクを被った子供の肯定の頷きを確認し、少女はにっこりと無邪気な笑みを浮かべる。
「やったやったー!これでまず邪魔者が来ることは阻止できたね~!…それじゃあ、そろそろ『計画』を始めちゃおうか。『モノクマちゃん』の準備はできてるんだよね?」
『…(コクコク)』
「よ~し!それじゃあ決行は明日!『希望の戦士』の皆には私から伝えておくから、皆は先に『街』で待っててね~!」
『…(シュビ!)』
敬礼を取る子供の姿を最後にモニターが消え、少女はふと壁に貼られた写真を見上げて微笑む。
「…ふふふ、もうすぐ、もうすぐだよ。『ジュンコ』お姉ちゃん。もうすぐ私が、お姉ちゃんの『仇』を取ってあげるからね。そして…『新しい』お姉ちゃんを、産んであげるからね…」
少女の呟きはどこまでも不気味に、誰もいない部屋に溶けていった。
ピピピピピピ!!
所変わって、ここは某所にある高級マンションの一室。寝室にけたたましく鳴り響くアラーム音が、朝の訪れを告げる。
「んにゅう…もう朝ぁ?」
その音に反応したのは、寝室で布団をかぶって寝ていた一人の少女。けだるそうに目覚ましを止めてのっそりと起き上がり、大量に常備されているパジャマからこれまた大量に常備されている自分が通っていた学校の制服へと着替える。
「…ハァ~、毎度毎度起きるたびにやんなっちゃうなぁ」
着替えを済ませ、リビングにやって来るなり肩を落とす彼女の視線の先には
窓の外に牢獄の如く張られた、鉄格子が存在していた。
彼女の名前は『苗木こまる』。希望ヶ峰学園第78期生『超高校級の幸運』苗木誠…の、妹である。何故彼女がこの鉄格子で閉ざされたマンションの一室に一人でいるかというと、…それは彼女自身にも分かっていなかった。ただ一つ分かっているのは、あの『人類史上最大最悪の絶望的事件』が起こった時、突如家に押しかけてきた怪しげな連中に両親と引き離されてここに閉じ込められてから、既に『1年半』の時が過ぎているということだけである。
「…さーて、今日もやりますか!」
そんな彼女がここに監禁されてからの間、毎日欠かさずにやっていることが…
「おーりゃあああああああッ!!」
ガンガンッ!!
「開けてーッ!開けてよーッ!ちょっとー、聞いてるんでしょーッ!?ここから出してよーッ!!」
…鍵がかけられ閉ざされた玄関の扉を乱暴に叩きながら、年相応の癇癪を起こしての抗議。未だかつて一度たりとも反応が返って来ていないが、これが彼女にできる精一杯の抵抗であった。
「は・や・く開けてーッ!!………はぁ、今日もダメか」
それ故か彼女の諦めも当初の頃より遥かに早くなり、以前は一日ぶっ通しで泣きべそかきながらやっていたこの抗議も今では毎朝の5分程度で終わってしまう。
「あーあ、お腹すいちゃった。…まだかな朝ごはん」
しかし外に出れないとはいえ、この監禁生活に順応するのはそう難しいことではなかった。
ピンポーン
「…あ、遅―い!もうお腹ぺこぺこだよー!」
ファッション雑誌を読みふけっていたこまるがいつものインターホンの音を聞きつけて再び玄関へと向かう。ちょうどその時、玄関横にある郵便受けのような箇所が開き、外から食事の乗ったおぼんが中へと送られる。
「またトーストかぁ。嫌いじゃないけど朝は和食の方が良いんだけどなぁ。…あーあ、お母さんのお味噌汁とお兄ちゃんの卵焼きが食べたいなぁ…」
食事の内容に愚痴りながらも、キッチンの冷蔵庫から大量にストックされた水のペットボトルを一本取り出し食事と共に卓へと並べる。
「いただきまーす」
そう、これがこまるの日常。毎日決まった時間に3度与えられる食事のデリバリー。ジュースはないが減ってもいつの間にか供給される飲料水。番組は映らないが最新のゲーム機が楽しめる娯楽環境。外にこそ出られないが2LDKという少女一人には広すぎる住居。まさに理想の『ニート生活』と言っても過言ではないこの暮らしに、思春期真っ只中のこまるが順応できない訳が無かった。
「…いつもの事だけど、一人じゃ味気ないナァ」
こまるは今の状況を良しとした訳ではない。外に出たいという気持ちはある。だが、自力での脱出が不可能な以上、外からの助けを待つ以外にこまるにできることはなかった。そうしていく内に、徐々に自分のこころがすり減っていき、大事なものが無くなっていく感覚が有ったが、こまるは構わなかった。『希望』を抱いてからの『絶望』がどれほど恐ろしいかをこの一年半の間に知ったこまるは、もう不確かな『希望』を抱かないようになって来ていた。
「ハァ…、今日は何して暇潰そ…?」
そんな怠惰な気持ちでこまるが呟いた、その時
…ガチャガチャ…
「ッ!?」
ふと聞こえた音にこまるは椅子から跳び上がり、音の方向…玄関へと視線を向ける。
「な、何…?」
ガチャガチャ…!」
「だ、誰!?」
再び聞こえてきた、ドアノブが捻られる音。それは外から『何者か』がこの部屋に入ろうとしていることの証明であった。
「も、もしかして…誰かが助けに来たの!?」
微かな期待を胸に、こまるは玄関へと駆け出し先ほど以上に必死にドアを叩く。
「あの!誰かいるんですか!?助けてください!ここに閉じ込められてて……もう、ヤダよぉ…。こんな、こんなの…もう耐えきれない…!」
こまるの口から漏れ出す弱音。慣れたつもりでいても、それは彼女が今の現状に鬱屈し外への『希望』を抱いている事への証明であった。
「お母さん、お父さん…お兄ちゃん、会いたいよ…!お願いだから、早く…ここを開けてぇーッ!!」
…だが、それ故にこまるはこの時忘れてしまった。『希望』を持っていても、それが叶うとは限らないことを。『希望』を抱いた時に味わう絶望が、どれほど恐ろしい物なのかということを。
ドシュッ!!
「……え?」
こまるの叫びに応えたのは、扉が開く感覚ではなく、…扉を『突き破って』現れた3本の鋭利な金属の刃。
「な、なに…これ?」
自分の目すれすれのところで止まったそれに腰を抜かし、後ろへ倒れこんだこまるの前で、その刃は金属の扉をバターでも引き裂くかのように切り裂き、そのまま扉を引っぺがしてしまう。
「あ……あ…?」
開放された扉の先に、赤く光る光源が見える。それが揺れ動きながらこちらに近づいてくると、やがて先ほどの刃の正体と共にその全貌が明らかとなる。
赤い光は顔の左半分についた目。3本の刃はぬいぐるみのような腕から生えた爪。一見ファンシーな見た目であっても、その妖しく光る眼と鋭利な爪がその危険性を物語る。
「…あ、い…ッ!!」
扉の先でこまるを待っていたのは、自分を助けに来た救世主などではなく…
「嫌ァァァァァッ!!!!?」
無機質な動きで殺意を運んできた『モノクマ(絶望)』であった。
「な、なにこいつ…白黒の、クマ!?」
腰を抜かしながら前方の存在をどうにか理解しようとするこまる。と、その顔を見ていたこまるはふと思い出した。
「あれ…?このクマの顔って…お兄ちゃんの髪留めのと同じ…?」
が、そんなこまるにはお構いなしに、モノクマは爪を振り上げるとこまるへと襲い掛かった。
「ひいっ!?」
間一髪で転がってそれを躱す。しかし、空振ったモノクマの爪がフローリングに3条の爪痕を残したのを見て、こまるの頭は恐怖で一杯になる。このクマがなんなのかは分からない、だがこれだけはハッキリしている。こいつは、自分を狙っている、殺そうとしているのだとッ!
「い、嫌ァッ!!」
モノクマの注意がこちらに向く前に、こまるはその脇を潜って部屋の外へと躍り出る。しかし、1年半ぶりに部屋から出たこまるを待っていたのは、むせ返るような熱気であった。
「あっつ…!な、なにコレ!?火事…!?なんで燃えてるの!?」
飛び出した先の廊下には既に火の手が回っており、あちこちに炎の壁が立ち上がって進行を阻んでいた。
「と、とにかく逃げないと…!」
まだ歩けそうな道を発見し、一目散に逃げ出すこまる。しかし、その後ろから先ほどのモノクマが笑いながら追いかけてくる。
『グヘヘヘヘヘ!』
「ちょ、ちょっと…!こっち来ないでよぉッ!!」
不気味に嗤うモノクマを振り切ろうと全力で走るこまる。やがてこまるが辿りついたのは、幸運にもエレベーターホールであった。
「エレベーター…!これなら逃げられるかも!」
微かな希望を胸に走った勢いそのままにエレベーターのスイッチを叩き押す。…が、壊れてはいなかったもののすんなり扉が開くことはなく、エレベーターの階層表示が『3F』を指し示しただけであった。嫌な予感を感じてホールのこの階層表示を見ると、そこにあったのは『10F』の文字。
「ここ、10階…?そ、そんな…!」
焦るあまり何度もスイッチを連打するが、そんなことをしても加速するはずもなくエレベーターは規則正しく上ってくる。
「早くして…ッ、早くしてってばッ!!」
悲痛にも聞こえるこまるの願いを嘲笑うかのように
『うぷぷぷ~!』
「ひいっ!?」
とうとう追いついてきたモノクマがこまるめがけてまっしぐらに向かってくる。
チーン!
「ッ!!」
ちょうどその時、エレベーターがこの階層へと辿りついた。
ガガガ…
「は、早くッ…!?」
しかし、開いた扉の先にこまるが逃げ込むことは出来なかった。
なぜなら、扉の先…エレベーターの中には黒いスーツを着た男たちが既に数人乗り込んでおり
その中の一人、眼鏡をかけた青年がつんのめるこまるの背後のモノクマを視界に捉えると徐にこう呟く。
「『ザ・グレイトフル・デッド』!」
その瞬間、モノクマの頭部がまるでUFOキャッチャーのアームに掴まれたかのように陥没し、モノクマ自身もポルターガイストの様に浮き上がる。
「試し撃ちだ…。光栄に思うがいい…」
じたばたともがくモノクマに青年は腰に着けたメガホンのような物を向け、その引き金を引く。
ギュウウウウ…ドギャンッ!!」
メガホンの先端に『壊』の文字が浮かんだ青い光が収束し、やがて解き放たれたそれはこまるの顔の側を掠めてモノクマへと命中し
『さようなら~…』
ドガァァァンッ!!
モノクマは断末魔と爆発した。
「…え、…え?」
目の前で起きた一連の事態にこまるはへたり込んだまま動けなかった。そんなこまるの側を青年の周りにいた黒服の男たちが次々と通り過ぎて行き、青年はそれを見送ると足元のこまるに目を落とす。
「…苗木こまる、だな?」
「え…?はい…」
「憶えてるかどうか分からんから改めて名乗ってやる。…未来機関第14支部『支部長』十神白夜だ」
今回ここまで。導入編ということで短めで勘弁…