IS - the end destination -   作:ジベた

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34 無慈悲なる深層

 弾に仮眠を指示されてから5時間が経過していた。辺りは闇に染まり、青で埋め尽くされていた景色は夜空を映すよりも濃い黒に染まっている。予定されていた時間に起こされることなく目覚めた俺は右腕をグルグル回しながら弾が待つ操縦室に顔を出す。

 

「お、一夏か。今、起こしに行こうかと思ったところだったんだが」

「なんか目が覚めちまった。やっぱり、まだ終わってないって意識してるからなんだろうな」

 

 そう、まだ終わっていない。未だIS学園に戻らずにこうして作戦行動を続けている理由は、ラウラたちが持ち帰った情報にある。

 

 ――深海に亡国機業の研究所が存在する。

 

 思えばISが軍事の頂点に立ってからというもの、戦場の中心は空であった。海中に目を向ける時間が無かったのかもしれない。ストラトスという名前による先入観かもしれない。あるいは、あからさまに海中用の開発をすることは軍事用と見られてしまうためなのか。ISの開発を進める上で、海中を意識したものは存在していない。少なくとも表には出てきていない。

 だからこそ敵は深海などという場所に研究所などを造り上げたのだろう。海中ならば、ISが攻め込んでこない。陸地でリュジスモンを開発していたことを考えるに、ただトロポスの開発を行っている場所とは思えない。何かしらの重大な施設のはずだ。ドイツの工場や、洋上基地とは比べものにならないくらいに……

 

「なんだー。一夏ってばもう起きてきてるじゃん」

 

 俺の次に入ってきたのは鈴だった。俺は軽く笑いかけてから弾に向き直る。

 

「それで、準備はできたのか?」

「かろうじて、と言った方がいいのかもしれないがな。基本的にISは海中で“活動”はできる。ただし、戦闘となると話は別だ。俺が言う意味はわかるよな?」

「ああ」

 

 シールドバリアとPICその他諸々の機能により、操縦者は水圧の影響を受けず、呼吸等の生命活動にも支障はない。しかし、大気中で使用している推進機が使用できないのだ。推進機がなくてもPICのみで移動は可能だが、大気中と同じ速度を出すことは不可能である。それこそ、従来の潜水艦の方が速いのではないだろうか。

 ISの武器である機動性が殺されているだけではない。水中の戦闘では、周りの水全てが敵となって襲ってくる。大気中で受けるミサイルと、水中で受ける魚雷では後者の方がISに与えられるダメージが大きい。

 以上2点より、海中において通常のISが軍事の頂点には立てないと言える。

 

「それで、弾。あたしの甲龍は水中用に調整してくれたんでしょうね?」

「もちろんだ。むしろ今回はお前に活躍してもらわないといけないからな」

 

 俺たちの5時間の仮眠時間は、弾によるISの調整時間だった。そこまでして、無理に攻撃を開始するわけは一つだけ。おそらく、今を逃せば海底の研究所とやらは中身が空になる。

 そうこうしているうちに、全員が集合していた。早速、今回の作戦の確認に入ることにする。

 

「じゃ、弾。作戦の説明を頼むよ」

「OK。現在、俺たちがいるのは深度100mの海中だ。そして、現在の座標と同じ位置に、目的地が存在する」

「つまり、我々は敵の研究所とやらの真上にいるわけだ」

 

 ラウラの言葉に弾が頷く。

 

「この船に戦闘能力は皆無だ。だから接近はここまでが限度だろう。よって、ここより900m下にある研究所まで、ISのみで潜ってもらうことになる。ボーデヴィッヒ、デュノア。2人は海中用の換装を持っているんだったよな?」

「ああ。私もシャルロットも既に準備は完了している」

「よし。これで5人が出撃できるな」

 

 5人と聞いて、俺は聞かずには居られなかった。

 

「まさか俺が出ないなんてこと言うんじゃ――」

「そんなはずないだろ。雪片は水中でも問題なく使用できるって」

「そうですわ。一夏さん。申し訳ありませんが、今回わたくしはご一緒できませんの」

 

 留守番となるのはセシリアだった。言われて納得する。BTビットは海中では使用できないのだろう。ビット自体が動かせたのだとしても、おそらくビーム兵器が大気中と同様には使えない。

 

「オルコットにはここに残ってもらって索敵に専念してもらう。おそらくオルコットならば、ここからでも敵の位置が掴めるはずだからな」

「弾。やっぱり敵の反撃はあるよな」

「間違いない。ボーデヴィッヒが持ち帰った情報の中には海中用のトロポスの情報が2機ほど確認できた。そんなトロポスを配備する場所がここ以外にあるわけがない。データは全員のISに送っておく」

 

 全員がISを展開する。シャルとラウラの機体は推進機部分がスクリューのようなものに変わっている。おそらくは急拵えだろう。弾の言う“かろうじて”に該当する部分だ。一方、鈴と箒は見た目は全く変わっていない。

 

「いいか。今回はいつもと違う。エネルギー残量には常に注意しろ。エネルギー切れの瞬間に水圧で押しつぶされるからな」

「わかってる。一度でも絶対防御が発動すれば、帰還が困難だってことだな」

 

 弾が注意事項を挙げたことで、全員の顔に緊張が表れる。だが、俺はこの緊張を解くべきでないと思っていた。それだけ、今回の戦闘は未知のモノだから。

 

 俺を先頭に船の外にでる。水の感触が伝わってくる。見た目も明らかに海水が体に触れているが、何故か呼吸ができる。不思議な感覚だった。

 推進器を使わずにゆっくりと下降していく。できることなら水中で戦闘することなく、辿り着きたい。気づかないでくれと願いながら真っ暗闇の水底へと、ただ降りていく。そうした静かな潜行の中、不意に耳鳴りのような音がした気がした。

 

『一夏。気づかれたようだ。戦闘の準備を』

 

 ラウラが武装を展開する。ビームが使えない以上、彼女はワイヤーブレードと魚雷で戦うつもりのようだ。シャルも似たような装備を呼び出す。

 ラウラにも見えているとは思えなかったが、ここは一番慣れているであろうラウラの指示に従っておく。すると、下から黒い球体のようなトロポスがわらわらと浮かび上がってきた。

 

「一夏。アンタは下がってなさい」

「ザコならば私たちの方が戦える。それに、アレは白式の天敵だ」

 

 鈴と箒が俺の前に進み出る。俺としては不本意だが、今は俺が一番戦力外なのは確かだ。おそらく、俺はあのトロポスと3体も戦えば戦闘不能になる。

 鈴が水中であるにもかかわらず、著しい加速を以て急速下降する。まるでそのような海流が存在していて、その流れに身を任せているかのようだった。いや、“まるで”というのはおかしいか。文字通り、鈴はそのような海流を生み出しているのだから。

 

 鈴の衝撃砲は空間圧兵器である。本来は大気を圧縮した際に生じる衝撃を撃ち出すものである。弾はそれを推進機関に仕立て上げていた。周囲の海水に圧力をかけ、海水の流れを作りだし、それに乗る。弾の言うことはわかっていたのだが、これが出来ている鈴のIS操作の技量の高さに俺は驚いていた。いつも機体をぶっ壊しながら粗雑に戦っているようにしか見えないから余計に違和感がある。

 

 鈴が一番近くにいた球体トロポスに向けて拳を当てる。殴りつけるのではなく、当てる。中国4千年の歴史を思わせる達人の奥義のようだ。派手さの無い挙動で攻撃する鈴だが、その後の結果はド派手なものとなった。

 爆発である。鈴が攻撃したトロポスが自分から爆発したように見えた。その衝撃は周囲の別のトロポスにも伝わり、誘爆を引き起こしていく。これが俺が手出しできない理由。この球状に見えているトロポスは上から見たからであって、本来はクラゲ型である。名前は“メデューズ”。内部に爆薬を仕込んだ機雷型トロポスであり、相打ち上等の接近戦を仕掛けてくる機体だ。セオリーは遠距離からの破壊。しかし、鈴はそんな相手に自ら飛び込んでいった。

 何も心配することはない。水中の爆発の恐ろしさは水中衝撃波にある。水中とはいっても、衝撃波である。であるならば、水中用に調整された甲龍に防げないはずはない。何より、先ほどトロポスを吹き飛ばした攻撃は水中衝撃波を直接撃ち出したのだから、相殺できてもおかしくはない。それを証明するかのように、爆発の後も鈴は健在であった。

 

 鈴の攻撃が開戦の合図となった。メデューズは浮上の速度を上げてくるが、ラウラとシャルの魚雷、箒の雨月によって接近を許すことなく自爆していく。俺は上の方で見ていることしかできないが、皆に任せた方がいい状況なのは間違いなかった。

 

『セシリア、メデューズ以外に敵影は?』

『下方からメデューズの3倍の速度で接近する群れがありますわ。これは……“ルカン”ですわね』

 

 索敵に集中しているセシリアから情報を得る。今のは全員にそのまま伝えられた。

 ルカン。水中の高機動型トロポスとデータは受け取っている。主武装は魚雷だ。本当に俺は水中戦に向いていないな。俺は今回、基本的に戦闘に参加できないと割り切るしかない。

 俺がここにいるのは、零落白夜が必要になる状況を危惧してだ。少なくとも俺はそう思っている。

 

 ようやく俺もルカンの姿を見ることが出来た。何というか……サメ人間という外見だった。半身がサメというわけでなく、サメに人の体が生えてるとでも言えばいいのだろうか。幸いなことに色が黒で統一されている機械的な外見のため、嫌悪感は感じないが。

 ルカンの両腕にはそれぞれ2つずつ、サメの部分と同じ大きさの魚雷が取り付けられている。この魚雷は武器であると同時に、推進機関であるようだ。もはや魚雷トロポスと言った方が早い。メデューズと同じく、使い捨て前提の特攻兵器である。

 

 メデューズと比べ速いルカンが鈴と箒の前線を突破した。狙いは彼女たちではない。奴らはまっすぐに“俺”を狙ってきていた。

 ――さて、どうする。明らかに俺の弱点を理解した攻撃だ。当然、本体だけを斬りつけたところで両手に括り付けられた魚雷が連動して爆発するのだろう。やっぱり、盾が欲しい。いや、飛び道具が欲しい。しかし、無い物ねだりしたところで意味はない。ここは腹を括って斬り倒す。

 

「一夏ーっ!」

 

 雪片を呼び出し、戦闘態勢に入ったところで俺の前に鈴が現れる。なんて速さだ。抜かれた後で、再び追い越すとは……

 ルカンから鈴に向けて魚雷が放たれる。合計4発の一斉発射だった。対する鈴は遠慮なく殴りつける。当然、4発の魚雷が一斉に爆発し、離れている俺のところにまで水の衝撃波が襲ってくる。両腕で頭を隠して耐えた後で、鈴の状況を確認する。鈴は既に爆発地点にはいなかった。今の彼女にとって、爆発の衝撃は推進力にしかならない。

 

「あたしは、前世は人魚なのよーっ!」

 

 既に魚雷を放ったルカンの傍にまで接近して、右拳を軽く当てる。それだけで敵はメキメキと嫌な音を立ててヒシャゲていく。お、恐ろしい。こんな人魚姫に出会ったら王子様は海を見ることもできなくなるだろうな。ところで、鈴。前世が人魚って誰に言われたんだ?

 

 ルカンの部隊も全く苦にせず鈴を中心に迎撃が進む。ほぼ鈴の独壇場だった。箒の方は束さんの解析が追いついたのか、水中での推進方法を即席で造り上げたようで機動力がルカンに勝っている。束さん曰く、紅椿はその場で必要な装備を造り上げることができるらしい。万能ってレベルじゃねえ。

 

 もう敵の抵抗が止む。そう思っていたところに、またあの耳鳴りのような音が聞こえてきた。さっきこの音が聞こえてきたときに、一番早く敵の接近に感づいたのはラウラだったから訊いてみる。

 

『ラウラ、この音は何だ?』

『おそらく、アクティブ・ソナーだ。常人の耳では聞こえない波長が発されるが、ISならば聞こえる。わざわざ自分から音を発したということは、存在がバレてもいい代わりに、こちらの位置を探っているということになるな』

 

 つまり、敵の真打ちの可能性が高い。ここまでのトロポスは執拗に俺を狙ってきていたことを考えるに、第3世代型IS相当と見ていい。

 

『皆さん! 新たな機影が接近中ですわ! データにはありません。かなり高速です』

『新型のトロポスか?』

『いいえ、これは……ISです』

 

 セシリアの伝えてくれた情報は良いモノとは思えなかった。亡国機業がこのような場所に配置したISである。現在の世界情勢から考えられるISの装備で構成されているとは思えない。あと、もう一つ付け加えるなら、このISは……おそらくヴァイスだ。

 

「鈴、箒。2人は俺と一緒に敵ISとの戦闘準備だ。ラウラとシャルは残っているトロポスの掃討を頼む」

「了解した」

「了解。気を、つけてね」

 

 俺の指示に肯定が返ってくる中、シャルが心配そうに言ってくれた言葉が耳に残った。軽く「ああ」とだけ返してさらに深く潜っていく。

 そうしてようやく敵の姿が確認できた。ISとしてはかなりの異形である。なぜならば、

 

「ザリガニ?」

 

 鈴が言うように、ザリガニとか海老と言った方がいい形状のアーマーを頭から被っていたからだ。ルカンにはさみ型の独立可動腕が追加されたとも言える。紺で統一された機体の色は、昼夜問わずに海に溶け込むための色であった。つまり、海中で運用することを想定したISだということになる。

 

「気をつけろ、2人とも。おそらく、こいつは福音以上の強敵だ」

 

 少なくとも、海中というフィールドでは間違いなく不利だ。敵は無闇に接近をしてくるわけではないが、周囲を移動する速度は、水中において最速と思われる。耳を傾けるが、敵の移動時に聞こえてくる音はほとんどない。おそらくは鈴と同じ空間圧兵器を利用した海流制御だろう。それでいて鈴よりも速い。鈴は追いかけることは無理と判断しているのか、俺の傍から動こうとはしていない。

 周囲を回っていた敵ISから音もなく魚雷が放たれていた。発射の音もスクリュー音も聞こえない。それらはまっすぐに俺に向かってくる。

 

「魚雷如きでっ!」

 

 鈴が俺の前で魚雷を殴りつけることで敵の攻撃を防ぐ。この瞬間に、鈴は敵の速度を越えることが出来る。ワンオフアビリティ、火輪咆哮。彼女は大気中と変わらない速度で敵ISに接近し、そのまま必殺の一撃を加えんと右拳を構える。対する敵は、本体の腹部をさらけ出していた。備え付けられている装甲の形状を見る限り、鈴の衝撃砲と同系統……鈴の拳は見えない何かと衝突する。その瞬間にかなりの量の海水が俺に叩きつけられた。俺は衝撃に逆らえず流される。

 体勢を立て直せない俺は少し敵から注意を逸らしてしまっていた。次に確認できたときは、俺を向いている敵の姿があった。鈴は先ほどの衝突で距離が離れてしまっている。

 

「一夏っ!」

 

 箒が俺の前にカバーに入る。彼女の周囲には6つの非固定浮遊部位が配置され、それらが線で結ばれる。直後、彼女は赤い正八面体の盾に包まれた。敵の攻撃が来たのか、赤い正八面体が大きく揺れる。

 

『ダメ、箒ちゃん! 耐えきれない!』

 

 束さんのオープンチャネルの声が聞こえてくる。その予言は正確なもので、箒を守る赤い盾は落としたグラスのように粉々に砕けていた。

 

「きゃああああ!」

「箒っ!」

 

 盾を貫通した敵の攻撃も受け、箒が力なく漂う。俺はすぐに箒の元へと向かう。敵ISは今は箒に狙いを絞っていた。大型のはさみで箒を捕らえんと彼女に迫る。そのスピードは俺よりも速い。いや、俺が遅い。

 

 ――悪い、弾。水中だけど、使わせてもらう。

 

 シールドバリアの範囲を拡大。俺の周囲に空気の膜を作り上げる。目に見えてシールドエネルギーの消費が増えたがそんなことには構っていられない。

 ウィングスラスタにエネルギーをチャージ。おそらくこの一発でウィングスラスタはオシャカになるだろう。だが、ここで駆けつけなければ、この翼はただの飾りでしかない。

 

「イグニッション、ブーストおお!」

 

 俺は白式本来の速度の世界に突入する。空気の膜で覆えなかったウィングスラスタが水との摩擦で悲鳴を上げている。一度スピードに乗ってしまえば壊れてもいい。俺は敵の接近よりも早く、箒の元に辿り着くことができた。ギリギリだった俺は自分の体ではさみを受ける。俺の腹部を敵のはさみが捕らえた格好だ。すぐにはさみによる締め付けが始まる。ただでさえ消費しているシールドエネルギーがさらに削れていく。

 ……それでも、この距離で戦えることに意味がある。

 雪片を取り出し、エネルギーブレードを展開。零落白夜を発動。そのはさみが俺のシールドエネルギーを削りきるよりも、俺が一撃を加える方が圧倒的に早い。捕らえたのはお前じゃない。俺の方だ!

 雪片を振り上げる。先ほど箒を吹き飛ばした攻撃が鈴と同じ衝撃砲だというのなら、この間合いでは発射までに俺の攻撃は十分間に合う。この戦い、もらった。俺の攻撃より先にエネルギーを削りたければ、シャルのシールドピアースでも持ってくることだな。

 

 ここで一つ、ある可能性に思い至る。出撃前、弾は口を酸っぱくして“エネルギー残量に注意しろ”と言っていた。エネルギー切れが死に直結する深海の戦闘だから当然だ。では、敵ISを倒すには何が一番有効か。シールドエネルギーを効率よく削れる兵器が望ましい。そして、第2世代兵器にその用件を満たす武装があったんじゃないか。このはさみは攻撃用ではなく“捕獲用”だった。

 

「ぐああああ!」

 

 腹部を鋭利な衝撃が襲う。炸裂音と共にシールドエネルギーがごっそり持って行かれた。敵の切り札は衝撃砲なんかじゃなかった。シャルと同じ、シールドピアースこそが敵の切り札。

 

「一夏ぁ! この! 離しなさい!」

 

 鈴ががむしゃらに敵ISに殴りかかる。しかし、敵ISがもう片方の独立可動腕を一振りするだけで、逆に鈴が吹き飛ばされる。いや、流されている。敵は鈴よりも広範囲の海流をコントロールできるようだった。

 ――この状況から脱出しないと。

 俺を捕らえている腕に狙いを定める。このままシールドエネルギーを減らされ続ければ、俺は帰還できない。雪片を全力で振り下ろす。

 

 そのとき、奴の腕に何かが装填された音が聞こえてきた。

 

 続く、もう一撃の炸裂音。

 

「が、はっ――」

 

 再び腹部を襲う衝撃と共に頭がクラクラしてきた。俺は雪片を振り切れたのだろうか。わからない。ただ、白式がひたすら警告を鳴らしてきていることと、俺からはさみが離れていったことしかわからない。ここってこんなに暗かったっけ? いつもより視界が悪くなっているような気がする。

 

『一夏っ! すぐに戻れ!』

『一夏さん! 今、助けに行きます!』

 

 弾とセシリアの声が聞こえる。

 おいおい、セシリア。お前が来ても俺より戦えないんだから、大人しく待ってろって。それと、弾。悪い、力が入らねえんだ。すぐには戻れそうにない。なんか、沈んでいってるしさ、俺。

 

「一夏っ! 返事をしなさい! 一夏ぁ!」

 

 どうしたんだ、鈴。そんな泣きそうな顔してても、俺は何もしてやれないぞ。そういや俺って、鈴からは笑顔をもらってばかりで、鈴には泣き顔しか与えたことがないのかもな。

 このまま、俺が死んだら、きっと皆がこの顔をするんだろう。それは、嫌だ! だけど、絶対防御を発動した白式に残されたエネルギーはごくわずか。気合いや根性ではどうにもならない。

 

「鈴っ! どいて!」

 

 俺から鈴が引き離される。代わりにシャルが来てくれていた。必死な形相だった。ショッピングモールの時から、なんとなく目を合わせてなかったけど、今、彼女は俺を見てくれている。

 

「絶対に死なせないから! 絶対にわたしが一夏を助けるから!」

 

 俺を、助ける? シャルは力強くそう断言した。まるで女であることを皆にバラした日の朝のような、決意を秘めた強い目だ。彼女はリヴァイブからケーブルを引き出し、先端を俺に向ける。

 

「……コア・バイパス、開放。エネルギー流出、許可。流出上限を現段階の80%に設定」

 

 俺は背中を向けさせられる。そこにシャルの右手が突き立てられた。何かが俺に流れてくる。これがISコアのエネルギーか。自分では実感しないけど、なかなか温かいものなんだな。右手が握れるくらいになった。背中を中心に全身に力が沸き上がってくる。これなら、まだ俺は戦える。

 

 ――しかし、異質な何かも一緒に流れてきていた。

 

 くっ! 頭が割れそうだ。これはエネルギーじゃなくて、思念? 認めて欲しいという願望。殺してやりたいという憎悪。希望が持てないという諦観。これは一体、何なんだ!? それにこれは……記憶?

 空から振ってくるミサイルが見える。それが地上に着弾して……すぐに無かったことになった。爆心地に一人の女性が立っている。白い騎士の女性だ。彼女がこちらに向けて、愉快そうに笑っていた。

 

「うわああああ!」

「一夏っ! シャルロット、アンタ何やったのよ!」

「わ、わたしもわからないよ!」

 

 なぜだ。なぜ俺は今の光景に恐怖した。白い女性騎士は以前にも夢で見ただろう! なぜ、あの女性騎士を殺してやりたいなどと思ったんだ!?

 

 ……情報の奔流はそれまでだった。体は動かないが、今は逆に頭がすっきりしている。不気味なくらいに現在の状況が分析できる。箒は今、意識を取り戻したところだ。シャルと鈴が俺の傍にいて、シャルは戦闘するにはエネルギー残量が心許ない。敵は機械腕を一つ失ってもなお戦闘可能な状態で、現在はラウラが一人で戦闘中。セシリアは船からすぐにでもこちらに飛び出してきそうだが、弾が抑えている。

 ――俺でない何かの知識が今の状況の打開策をくれる。

 敵IS……いや、敵VAIS“クルーエル・デプス”は水中戦闘に特化したヴァルキリークラスのISだ。主な装備は背部のポッドに装填されている魚雷、大型の独立可動腕に装備されたはさみとシールドピアース、そして腹部の指向性水中衝撃波砲だ。幸い、俺の先ほどの攻撃ではさみを一つもぎ取っている。さらに、ラウラがいるのなら、状況は好転した。

 

『セシリア、聞こえるか?』

『一夏さんっ! ご無事なんですね!?』

『それはお前次第だ。いいか? お前は5分後にBT魚雷をこちらに送り込んでくれ。当然、狙いは敵ISだ』

『待ってください! そんな便利なものがあればとっくに――』

『弾にBTミサイルを渡してくれ。あとは弾次第だが、アイツなら間に合わせる。セシリアが奴に攻撃を当てることが出来なければ奴には勝てない。俺はお前を信じてる』

『は、はいっ! このセシリア・オルコットが必ず、やり遂げてみせます』

 

 セシリアへの指示はこれだけだ。次は、

 

『弾。セシリアからBTミサイルは受け取ったな?』

『ああ。コイツを水中用に改造しろってんだろ? ……5分で仕上げる。だからそれまで死ぬんじゃねえぞ』

『4分だ』

『わかったよ!』

 

 弾なら間に合わせてくれる。長期戦はこちらの不利にしかならない。早ければ早いほど、こちらが楽になる。

 

『鈴』

『な、何よ! 返事できるならさっさとしなさいよ! 一夏が……し、死んじゃうかも、って……本気で、心配したんだからね』

『悪いが、まだ死なないと断言できない。鈴、お前の力が必要だ』

『わかってる。あたしがアイツをぶっ飛ばせばいいんでしょ』

『そうできるなら、そうしてるだろ。とりあえず、お前はラウラと協力して敵の攻撃を耐えてくれ。目安は5分だ。そしたら、敵に魚雷が命中する。その瞬間に鈴の全力の攻撃を奴にぶち込め』

『……わかったわ。5分は従う』

 

 不本意そうだったな。でも時間が惜しい。なぜかオープンチャネルを使えないことがもどかしい。

 

『ラウラ。戦闘を継続しながら聞いてくれ』

『無事だったか!? それで、何か策でもあるのか?』

『そんなところだ。敵の最高火力である水中衝撃波砲だが、これは鈴の衝撃砲と同じでAICの前では無力となる。既にわかってるとは思うけどな。だが、敵は無数の魚雷や機雷を呼び出すだけの技量もある。AICがあろうと無闇に攻撃に転ずることは出来ない』

『しばらくは防戦一方で耐えろというわけだな。それで、攻撃のプランは?』

『一発の魚雷が奴に命中すると同時に、鈴が正面から龍咆を放ちにいく。ラウラは反対側から奴に直接AICをかけてくれ』

『それだと動きを止めるだけだぞ? 私も近いから魚雷などは使用できない』

『仕上げは別にある。ラウラに頼みたいのは、奴をAICで捕らえたら、何があっても離さないでくれ』

 

 これだけ言えばラウラなら臨機応変にやってくれる。くっ! 頭が……割れるようだ。はっきりした意識も薄れてきている。あと少しだけ、保ってくれ!

 

『箒。意識は戻ったか?』

『い、ちか』

『今は鈴とラウラが奴と戦闘中だ。混乱しているかもしれないが、すぐに戦線に復帰して欲しい。常にラウラの後ろにいることを心がけてくれ』

『どういうことだ? それで私は何を――』

『ラウラが敵ISに直接AICをかける。それまでは何もするな。そしてラウラがAICを成功させたら、“ラウラ”を海の上まで全速力で引っ張り上げろ』

 

 ダメだ。もう通信をするだけの気力も無い。意識が……刈り取られる。

 

『一夏。わたしは――』

 

 ごめん。何を言っているのか聞こえてこないんだ、シャル。俺たちは皆の勝利を信じて待っていればいい。だから、余計な無茶はしないでくれよ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 通信だけで一夏の様子がおかしいとは思っていた。今は一夏の意識が無いのか、プライベートチャネルでも応答がない。現場にいないことがもどかしい。セシリアは弾の作業が終わるまで何も出来ないのだ。

 

「五反田さん! まだですか!」

「急かすな! できるもんもできなくなる」

 

 セシリアから見ても人間離れした動きでBTミサイルが別物に変わっていく。おそらく、本国の技術者では水中用に変えろと言ったところで3日欲しいと返してくるのだろう。そう思うと、文句ばっかり言うのはおかしい気がした。

 

「信じて待ってますわ。“弾さん”」

「ああ。俺もお前を信じるさ、セシリア。一夏を、頼むぜ。……よし、完成だ」

 

 弾の傍にあるBTミサイルを手に取る。触れることによって、武器の特性は把握した。あとは使うだけ。セシリアはBT魚雷を海に投下する。後はセシリアの意志通りに動かしていくだけ。セシリアは目を閉じ、BT魚雷の周囲の情報のみに集中する。

 

(わたくしが決めなければ、何もかもが終わりなのですよね)

 

 この一発で決めなければならない。つまり、敵の迎撃で撃墜されれば全ての作戦が台無しになる。作戦の全体像がセシリアには見えているからこそ、この奇襲を成功させる必要があった。

 進む先から無数の気泡が立ち上ってくる。魚雷などの内部の空気が一斉に上ってきているのだろう。つまり、戦闘が起きている場所に近づきつつある。見えた。最初に見たシルエットと同じ敵ISだ。いや、片腕が壊れているところが違うのだが、そんなことは些細な問題だ。あれが目標だとわかっていればいい。

 ここで超音波をキャッチする。この戦場で定期的に鳴っている音だ。おそらく、これでBT魚雷の存在が敵にバレた。気づかれてもなお、接近する技術がセシリアにはない。

 

(どうしましょう? わたくしには攻め方がわかりませんわ)

 

 これがただの魚雷ならば良かった。だが、今の状況は普段の一夏とそう変わらない。被弾せずに接近して必殺の一撃をぶつけるしかない。一夏は見てから避けるのだが、セシリアにはそのような目は無い。弾が言うように視野が異常に広いことだけだ。あとはコア・ネットワークを通して視覚や聴覚を共有するしかできない。

 

(その手がありましたわ!)

 

 一度、BT魚雷の操作に集中することを止め、意識をコア・ネットワークにつなぐ。敵がトロポスでなくISならば、必ずつながっているはずだ。

 まずは、ステルスモードの敵を見つける必要がある。今までそのようなことはできたことなどない。だが、したことがないことを理由にやらないなどとバカなことを言うつもりはない。自分がしたいことだからやる。いつも、そう言ってきていた。

 

(一夏さんの期待に応えたい。ですから、わたくしはっ!)

 

 セシリアの体が蒼い光に包まれる。そして、周囲から無数の情報が頭に流れ込んでくる。近くにいるISの位置情報がわかる。各ISが見ている光景、聞いている音などが自分の物であるかのように伝わってくる。

 近くにいるISの位置情報を取得。プロテクトのかかっているISを発見。

 

(この程度、ちょろいですわ!)

 

 データ取得。ISネーム“クルーエル・デプス”。以降、このISを“深層”と呼称する。水中用全距離万能型。そして、深層の視覚情報を盗んだ。

 BT魚雷の進行ルートと敵の迎撃箇所を結びつける。なんてことはない。ちゃんと道はあった。今、セシリアには敵の攻撃が“見えている”。敵の魚雷が迫る。しかし、BTミサイルは何も無いかのように、その隙間を縫っていく。過ぎ去った後で爆発が起きようとこちらに支障はない。

 深層が腹部の衝撃波砲を向けてくる。鈴と同じで不可視の弾丸だ。しかしながら、それもセシリアには見えている。最小限の移動で、海の乱流を回避し――後はぶつけるだけ。迫る紺の機体。その頭部に頭突きをかます。

 

(一夏さん。わたくし、やりましたわ)

 

 セシリアは達成感と共に気を失った。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

(まさか、本当に魚雷を命中させるとはな)

 

 敵ISの水中衝撃波砲をAICで打ち消していた間に、戦況が変える一撃が加えられていた。セシリアのBTミサイル……いや、BT魚雷だった。一夏の立てた作戦の攻勢に出る狼煙が上がったのだ。すぐさま、ラウラは敵ISを挟んで鈴とは反対の位置へと移動を開始する。箒もその後ろにピッタリと追従している。

 

「吹っ飛べっ!」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンより遙かに速いスピードで鈴が接近する。先ほどまではその鈴ですら追いつけていなかったのだが、今は敵ISがその動きを止めていた。その理由が、先ほどのセシリアの一撃の意味である。至近距離の水中衝撃波を無力化するために、推進に使用していた領域の空間圧兵器まで動員しているのだ。推進と防御を一元化した敵ISだからこその突破口。そこに鈴の龍咆がぶつけられれば――

 

 守りが追いつかずに貫通する。

 

 と言っても、倒しきるには不十分だ。鈴の攻撃には単一仕様能力の威力が乗っていない上に、大幅に軽減されていたことだろう。つまり、鈴の攻撃も次への布石でしかない。ここでラウラの出番がくる。ラウラは右手で直接敵ISの背中に触れた。

 

「停止結界!」

 

 AICを起動する。今まではAICで敵の衝撃波を防いでいたのだが、それは敵にとっても同じだった。AICを海流操作で回避していたのだ。だが、鈴の攻撃を受けたこの瞬間のみ、奴を守っていた空間の障壁は消え去っている。奴自身を捕縛できた。あとはラウラが集中を乱さず、離さなければいい。AICの効果範囲の外にある独立可動腕のはさみがラウラに向かってくる。どうでもいい。

 

「行くぞ、箒!」

「わかっている!」

 

 ラウラの体を箒が抱える。バチバチと紅椿が放電をした後、ラウラの体は急速に引き上げられ始めた。水圧をものともせず、はさみがラウラに迫ってくる。それでも、この手を離すわけにはいかない。ただ、捕らえることに集中し続ける。はさみがラウラの胴体に届く。たとえ、シールドピアースを当てられようと離すわけにはいかない。はさみが絞められる。シールドエネルギーの残量が少しずつ減り始める。だからどうした。周囲が徐々に明るくなってくる。これは月明かりだ。もう、勝負はついた。

 

 水の壁を突き破る。雲一つ無い夜の大海原の上空に3機のISが舞う。箒が海面からの離脱の勢いのまま100m以上は空に飛び上がったため、十分に海からの距離はとれた。即座にAICを解除。両手のプラズマブレードを展開し、自分を掴んでいる独立可動腕に叩きつける。予想通り、金属装甲の固まりであった腕は、シールドバリアの概念がないかのようにあっさりと砕け散った。主武装である両腕を失った敵ISはラウラから離れ、そのまま海へと戻ろうと落下していく。推進器を持たない敵は自由落下することしかできない。

 

「箒っ!」

 

 今のラウラの装備にはレールカノンがない。だから一夏の用意した“仕上げ”は箒をおいて他にはいなかった。彼女はラウラから離れた後、背中の非固定浮遊部位と両腕を連結させて巨大なクロスボウガンを形成し、落ちていく敵ISに照準している。そして――

 

 とどめの赤い閃光が紺色の海老を貫いた。

 

 そのまま海に着弾した“赤”は、夜闇を映す海をも赤く染め、同心円状に特大の波紋を発生させていく。当然敵ISが無事であるはずが無く、海老の形をした外部装甲は全て吹き飛び、残っていた体の装甲もはがれ落ちていった。おそらくはISコアをも破壊したのだろう。落ちていく敵ISが戦闘不能であることは明白だった。あとは全員に勝利の報告をするだけ。しかし、ラウラの目に入った、敵ISの操縦者の顔がその行動を許さなかった。

 

「ミーネ……なのか……?」

 

 ラウラは直ちに敵操縦者を追う。海面に叩きつけられた彼女の体をラウラは必死に追いかけ、海に飛び込む。沈んでいく彼女の姿を見つけた。意識は無い。そして、状況的に生きているはずもない。わかっていても、この目で確認したかった。彼女の体を掴み、海面まで引き上げ、すぐに顔を確認する。

 

「ミーネ! 返事をしろ!」

 

 もうわかっていることだ。シュヴァルツェア・レーゲンが生体反応なしと通告してきている。それでも、呼びかけずにはいられなかった。

 

「上官命令だ! 返事をしろ! こっちを見るんだ!」

 

 ミーネの背中を抱えているが、彼女は首をだらりと下げ、ラウラから目を背けているようだった。実際に向き合っていないのはラウラであると自分でもわかっているが、簡単に納得したくなかった。

 

「返事を、してくれ……」

 

 もうダメだ。呼びかければ呼びかけるほど、その事実を突きつけられていた。また一人、隊員が死んだのだ。月明かりが照らす静かな海にラウラの慟哭が響く。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 海底の研究所内部に潜入する。中は薄暗いため、懐中電灯を手に歩くしかない。弾は地面のロン毛を弄くりつつ、後ろについてきている2人に声をかける。

 

「いいのか? 一夏の傍についてなくて。それに2人とも、さっきの戦闘で疲れただろう?」

 

 シャルロットが連れて帰った一夏は意識不明であった。幸いなことに命に別状は無いのだが、逆に目覚めない原因が不明であり、不安を加速させている。シャルロットと鈴と箒は今もなお、船室で一夏に張り付いているはずだ。

 弾に同行している2人はセシリアとラウラである。セシリアはこの研究所につく直前まで一夏と同じように気を失っていた。ラウラは敵の操縦者の遺体を連れて帰ってきたことと、ドイツの件から考えて、敵の操縦者が身内であろうことは容易に想像できた。そんな2人がわざわざ同行を申し出てきたことが弾には意外であったのだ。

 

「わたくしも傍についていたいのは確かです。しかし、一夏さんの動けない間にやれることをしてあげたいとも思っています。わたくしは彼を支えると決めたのですから」

「五反田。まだ作戦は終わっていない。ここで奴らのことを知らねば、死んでいったヘルガとミーネに顔向けできない。それにISも無い貴様が襲われてみろ。それで殺されたら、一夏が今度こそ再起不能になる」

「確かに、キャバリエの1機でもいたら俺はお陀仏だったな。ま、いるはずないけどよ」

 

 彼女らなりに理由があるのだとわかって弾は納得する。ちなみに、敵に抵抗する力が無いのは間違いないと思っている。キャバリエをこの深海に連れてくるメリットが無いのだ。防衛ならば、“深層”だけで事足りている。少なくとも、深層が適わなかった相手をザコトロポスでどうにかできると敵が考えているとは思えなかった。

 

 2人並ぶのがやっとくらいの狭い通路の先に扉があった。他にも道はあったのだが、弾はセシリアに道を調べさせ、最も深い位置にある部屋を特定させていたのだ。調べるなら奥から順番に、と直感しただけだ。弾が扉を開け、中に懐中電灯の明かりを入れる。

 

「五反田!」

 

 ラウラの声と銃声が同時に聞こえてきた。弾の目の前に一発の銃弾が静止している。ラウラのAICにより、止められたのだと理解する。

 

「た、助かった」

「下がっていろ。制圧する」

 

 ラウラが部屋へと滑り込むように入っていく。数発の銃声と男の悲鳴。10秒もかからず、ラウラから「入ってこい」と指示があった。おそらく敵は生身だ。ISの前では手も足もでないのは当然だろう。

 中に入ると、硝煙と血の臭いがした。明かりを向けると、白衣を着た男が頭から血を流して死んでいる。吐き気がしてきた。

 

「ここの研究者だろう。3人とも、私の姿を確認してすぐに自分から死を選んでいた。……また逃げられた。あまり、見るものじゃない。奥へ行くぞ」

 

 ラウラなりの配慮なのか、弾とセシリアは無理矢理引っ張られる。そうして次の扉をくぐると、緑色の液体で満たされたカプセルの立ち並ぶ区画に入った。緑色の液体が何かは弾にもわからない。IS関連の施設にしては不気味であった。工学的ではなく、どちらかといえば生物学的な研究施設という印象を受ける。

 

「だ、弾さん! こちらに来てください! あ、あれを……」

 

 セシリアの呼ぶ声を聞き、弾とラウラはすぐに駆けつける。セシリアの指さすカプセルの中には、緑色の液体だけでなく、黒いブヨブヨした球体が浮いていた。

 

「セシリア。コイツが“ウィスクム”なのか?」

「間違いありませんわ……」

 

 セシリアが額を右手で抑えてフラフラする。「大丈夫か」とラウラが支えたので、弾はすぐに手近な端末を操作し始める。幸いなことに独自規格ではないため、問題なくデータを確認できそうだった。しかし当然のように、パスワードという障壁が立ちはだかる。

 

「くそっ! やっぱさっきの奴らを無傷で捕まえたかった」

 

 別にラウラを責めているわけではない。自分だけなら殺されて終わりだったのだから。しかし、ここまで来て何も情報を得られないのでは割に合わない。

 弾が頭を抱えていると「もう大丈夫ですわ」とセシリアがラウラから離れて傍にやってきた。

 

「少しお待ちを」

 

 セシリアがブルー・ティアーズを展開し、端末に触れる。目を閉じた彼女を蒼い光が包みこんだ。弾はしばらくの間、神秘的な輝きに見とれてしまっていた。

 

「終わりましたわ。パスワードを全て外しておきました。あとは弾さんにお願いいたします。……どうかなさいましたか?」

「い、いや。なんでもねえよ。すぐにとりかかる」

 

 ISは何でもありだなと思わせられた。幻想のようなセシリアの姿と、その間に成し遂げられた事柄の大きさに弾は呆気にとられていた。

 セシリアに言われてからようやく弾は動き出す。先ほど止められた場所に障害は何も残っていない。後は調べるだけだ。まずは、ウィスクムについてだろう。すぐにその情報を発見する。

 

 ウィスクム。ISコアの製造の研究の過程で偶発的に産まれた“なりそこない”。ISコアに取り付き、成り代わろうとする性質があり、コアの主導権を奪った後は操縦者をも支配下に置くため、対IS用ウイルスとして利用されている。ウィスクムの取り付いたISはヴァルキリーに匹敵する戦闘能力を得るが、操縦者の意志は奪われる。現在、培養中のウィスクムは全て端末であり、本体の命令には従う。

 

 セシリアの聞いた情報と一致する。新しく知ることが出来たのは、全てのウィスクムに命令を下せる存在があるということだった。つまりはヴァイスも命令できるということになる。すぐにヴァイスについても検索する。アルファベット4文字でVAISという項目を発見した。

 

 VAIS。正式名称は“viral adsorbed infinite stratos”。意訳すると“ウイルスに取り付かれたIS”。実戦に投入された最初のVAISが、かの有名な“白騎士”であり、その名も踏まえて名付けられた。VAISとなったISからウィスクムのみを除去する手段はなく、操縦者もVAISから分離はできない。

 

「くそがっ!」

 

 弾は読むのに耐えきれなくなり、机に拳を叩きつける。ここがウィスクムの研究施設かもしれないということはある程度予測していた。だからこそ、ここにある情報になら突破口があると信じていた。それなのに、

 

「除去が不可能? 操縦者を助けられない? ふざけんな! こんなものがあっていいわけがないだろうが!」

 

 待っていたのは絶望だけだった。これでは……このままでは、自分たちは、戦い続けられないかもしれない。

 

「五反田。私はこの施設の破壊準備を進めておく。敵の拠点の情報など、ありったけ集めておけ」

「……わかってるよ」

 

 力ない返事しかできなかったが、やることはやる。もう走り出しているのだ。自分だけ止まるわけにはいかなかった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 海での作戦が終わり一行はIS学園へと帰還した。帰還と同時に一夏は医務室へと運ばれていった。すぐに検査を受けていたが、身体に異常はなく、束が診てもわからないとのこと。船に居たときからずっと鈴と2人で一夏の看病をしてきていたシャルロットだったが、セシリアに休めと言われて不本意ながらも自室へと戻っている最中である。

 

(やっぱり、ボクたちだけで戦うのには無理があったんだよ……)

 

 ずっと危惧していたことだった。必ず誰かは危険に晒される。それは一夏が危機に晒されることに等しい。一夏は自らのためだと言いながら、無意識にでも体を張ってしまう男だとわかっていた。

 スパイであったはずの自分を受け入れてくれた。そこに彼の優しさがないことはない。だがシャルロットにはわかってしまった。一夏も自分と同じで、傍にいる人こそが自分の居場所なんだと。だから彼は強く、そして弱い。今の場所を壊させないように必死になっているのだ。

 

(ボクが護りたい場所と一夏が護りたい場所は同じじゃないんだよ)

 

 今回の戦闘でシャルロットはエネルギーバイパスの瞬時構築という離れ業をやってのけた。シャルロットとしてはできて当たり前という感覚しかなかったのだが、問題はシャルロットにその行動をさせた動機である。

 シャルロットは戦闘の続行を放棄していた。結果的にそれで全員が帰還できたのであるが、一人でも多く生還することなど頭になく、一夏さえ無事ならばいいという自己満足のような行動だった。戦闘後、誰もシャルロットを責めなかった。戦闘中こそ文句を言っていた鈴も、礼を言ってきていた。罪悪感で押しつぶされそうだ。自分は一夏以外の皆を見捨てる行動をしたというのに、感謝しかされなかったのだから。今も一夏が目覚めないのは、まるで神様が代わりにシャルロットを責めているように感じられた。

 

 2日ぶりの自室まで辿りつくと、部屋の前に宅配便の包みが置いてあった。自分には心当たりがない。消去法でラウラのものということになる。とりあえず部屋の中に運ぼうと扉を開けてから抱え上げる。すると箱の伝票が目に入り自分宛であることに気づいた。

 

(誰だろう? デュノア社から来るわけないし……)

 

 箱が軽かったので片手で持ち、部屋の中に入ってから後ろ手に扉を閉める。入り口から移動せず、その場で箱を下ろし、送り主の名前を確認。あまり耳にしない名前だが、どこかで聞いたことがある。人名でなく店の名前……

 自分宛なのだからと開封することにする。罠かもしれないという予感も過ぎったが、開けたいという衝動が根拠無く否定し、彼女を突き動かした。包みを破り、箱の中身を覗き込む。そして――中にあるものを認識した瞬間、シャルロットは言葉を失った。

 

(どうして……どうして、これがここに送られて来るの?)

 

 シャルロットは中身を一つずつ丁寧に取り出す。どれも見覚えのある……服だ。自分で選んだ服だ。あの日、自分の考えの無さを悲観して諦めた“女の子”の服だった。箱の中に領収書が入っていることに気づき、すぐに内容を確認する。購入した人物の名前は『織斑一夏』であった。

 

「一夏は気づいてたんだね。わたしが服を買ってないこと」

 

 全部勝手な思いこみだった。一夏が亡国機業にしか目がいってないなんてことは無かった。なのに一人で空回りして、一夏を避けて、陰ながら戦っていこうとした。一夏はシャルロットのことを見ていてくれたのに、拒絶してしまったのだ。

 

「ごめ……んね、一夏。ごめんね……」

 

 服を抱きしめてシャルロットは咽び泣く。その際に抱え上げた服の中からポロッと銀色のリング状のものが床に転げ落ちた。涙を拭いながら落ちた物を確認すると、それはブレスレットだった。唯一自分が選んでいない物だ。つまり、これは……一夏が選んでくれたものに他ならない。

 

(わたしって……幸せ者なのかな。お母さん)

 

 父のことになると話をはぐらかしてばかりだった。その理由は今ならわかる。もしかしたら、母にとって自分は望まれた存在でなかったかもしれないとも思っていた。しかし、記憶にある母は優しい人で……ここに居ていいんだよと思わせてくれる人だった。一夏に会ってから、シャルロットは彼を通して母の優しさを思い出していた。

 

 シャルロットはすぐに着替えを始めた。今は休んでいる場合じゃない。たとえ一夏が目を覚まさなくても、すぐに一夏に着飾った自分を見て欲しかった。そう約束していたんだ。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 この空間を、いつもは夢だと思っていた。見渡す限りの“白”の空間だ。そして決まって現れる女性騎士も夢だと思っていた。だが、今の俺にはここが現実の一端であることが認識できている。

 すぐに移動を開始する。この空間は現実であるが実体はない。無重力なのは当たり前だ。今の自分には質量もない。ISと同じ操作法で適当に移動を始める。すると、目的の人物が仁王立ちしているのを発見した。白い女性騎士だ。俺は彼女のすぐ傍に降り立つ。

 

「アンタが“白騎士”なんだな?」

 

 俺の問いに対する返答はない。ただ、白騎士は俺とは反対方向を向き続けている。俺はこれを無言の肯定として話を先に進める。

 

「アンタは核の脅威から日本を救った英雄だ。俺はその一部を垣間見た。誰の記憶かはわからないけどな。でも、俺にはわからない。アンタは俺が最初にISに触れたときから道を示してくれている。なのに、どうしてラウラや轡木さんが目の敵にしているんだ?」

 

 今だからわかる。初めに打鉄に触れたときに聞こえた声も白騎士のものだったのだ。俺がISという力を得たとき、零落白夜という力を得たとき、共に白騎士の声を聞いている。これが偶然とは思えない。だから白騎士をただの悪とは思うことができなかった。

 

『言ったはずだ。お前の行く道は過酷なものであると。様々なものが敵となるだろうと。私を含めてな』

 

 ようやく返ってきた言葉は、俺と敵対することを宣言していた。俺は即座に問い返す。

 

「どうしてアンタと戦わなきゃならないんだ!?」

『理由は単純なものだ。お前は今ある場所を望んでいて、そして私はその場所を壊す存在だ。相容れない。だからこそ人は争うのだ。己のために』

 

 自分のために、自分の見える世界を護ると決めた。確かにその場所を壊す者は俺の敵である。だが、聞きたいのはそんなことじゃない。

 

「アンタが自ら望んで、俺の場所を壊しに来るのか?」

『……そうだ、織斑一夏』

 

 嘘だ。今の俺には白騎士が言った言葉の真偽がある程度わかる。相容れないと言っていたのは事実だが、望んで俺の敵になるわけではない。何より、今、名前を呼ばれて……俺にはわかってしまった。もしかしたらと思っていたことが確信になってしまった。

 

「そんなはずがないだろ! 千冬姉っ!」

 

 ずっと俺を見守ってくれていたんだ。そんなことをしてくれる人は世界にただ一人しかいない。わかってた。昔はともかくとして、ISで戦うようになってからは、千冬姉が白騎士事件に関わってることには薄々感づいていたんだ。

 俺が千冬姉の名前を呼ぶことで、白騎士はこちらへと振り返りつつ、その大剣の切っ先を俺にピタリと合わせる。言葉は発しない。俺は白騎士の威嚇に屈せず、さらに言葉を重ねる。

 

「千冬姉が亡国機業に何かされたのはわかってる! それが原因で奴らに逆らえないんだろ? だから俺が千冬姉を――」

『いいや。お前はまだわかっていない』

 

 白騎士が俺の言葉を遮る。周囲からは地響きのような音が聞こえてきていた。これはおそらくこの空間の崩壊の予兆だ。

 

『そろそろ限界だな。いいか? 何度も言うが、お前の望みと私の存在は相容れない。お前がすべきことは――』

 

 白い背景にヒビが入っていく。徐々に白騎士から引き離されていくのに抗うことができない。右手を必死に伸ばす俺に白騎士は最後の言葉を告げた。

 

『私を殺すことだ。一夏』

「千冬姉ーっ!」

 

 最後に見えた白騎士の口元は、優しく笑っていた。

 

 

 白い世界が崩壊し、一転した黒い世界に俺は取り残された。真っ暗闇で何も見えない。今、自分が目を開いているのか閉じているのかすらわからない。体が動く感覚も無く、意識があることだけが不思議であった。このままの状態が続けば、俺は廃人にでもなってしまう。そんな気を起こさせる状況だった。……何も刺激がない。

 

「まったく。アンタは何回あたしに迷惑かければ気が済むのかしらね」

 

 声が聞こえてきた。鈴の声だ。今の俺にはこれが現実のものなのか、幻聴の類なのかは区別が付いてない。けれど、ありがたいものだった。

 

「でもね。厄介なことにあたしは、それでこそ一夏なんだって思ってるところもあるのよ。そんな一夏じゃなきゃ、あたしは中国に帰ったときからアンタのことなんて綺麗さっぱり忘れて、今頃はISと何の関わりもない生活をしていたでしょうね」

 

 そうか。はっきりとは言ってなかったけど、鈴は俺に会うためだけにISに乗ることに決めたんだな。国家代表候補生になってIS学園に留学すれば日本に来れる。ただそれだけのために。

 

「今だから言うけどね。つらかったの。空港で一夏と別れてからずっと、苦しかったの。お母さんに八つ当たりもしちゃった。どうして日本から出て行かなきゃいけないの、ってね。お母さんも平気だったわけじゃないのに、そんなことにも頭が回らなかった。それからの生活も決して楽じゃなかったから、あたしは日本に行くだけの時間もお金もなかった。だからあたしは一縷の望みをかけて、ISの適性試験を受けた。一夏の嫌いだったISだけど、状況をひっくり返すには“力”が必要だったの。そして、ISはあたしの思いに応えてくれた」

 

 鈴の独白は続く。たぶん、俺が聞いてないとでも思って話してるのだろうなと思うと、若干悪い気がしてきた。でも今の俺には耳をふさぐ権利が与えられていない。

 

「実はISの適性が認められてからの方が地獄だった。あたしは遅かったから、知識も技能も追いついてなかった。周りには競争相手ばかりいた。当然、適性だけのあたしが受け入れられることなんてなかった。一人だけの練習場だった。励ましてくれる人は近くにいない。血反吐を吐くような思いを何度も味わった。何回も文字通りに吐いた。頭痛の無い日は無くて、寝る時間も安定してなかった。でも、あたし頑張ったんだよ? 傍にいなくても、空港で別れたアンタが……いずれ会えるアンタが待ってるだけであたしは励まされてきたの」

 

 たったこれだけの弱音すら鈴は表に出さなかった。おそらく、口で言うよりも何十倍も苦しかったのだと思う。そんな彼女にとって、俺の存在が支えになっていた。何も知らずに、言いたいことだけを言った俺に、鈴は何を見出したのだろうか。

 

「あたしがさ、いつまでも待ってるって言ったの……実は嘘なんだ。あたしは一夏に早く応えて欲しいと思ってる。ひどい女よね。一夏を焚きつけるために、セシリアとか箒に告白を促してきたんだから。箒が言ってたようにあたしはアンタを追いつめてた。急かしてた。脅してた。それで空回りしちゃって一夏が死んじゃうことを考えてなかった。あたしは本当にバカなのよ」

 

 そんなことはないぞ。本当にバカで愚か者なのは俺一人だ。皆が真っ直ぐに自分の想いをぶつけてくれるのに先延ばしにしてる俺一人が悪い。

 

「ごめんね。愚痴ばっかり言っちゃって。偉そうに強くなれなんて言っときながら、弱い……よね?」

 

 何を言っているんだ。愚痴を言わないのは強さだと思う。愚痴を言えないことが弱いんだ。今までの鈴は愚痴を言えなかったわけじゃない。だから、鈴は十分強いさ。

 

「じゃ、そろそろ交代するわ。もし聞こえてても、今のは夢のことだからね!」

 

 再び沈黙の世界に戻る。今、聞こえていたのは、鈴の本音なのだろうか。それはわからないが、彼女が夢にしろと言ったのだ。俺は聞かなかったことにしよう。

 

「一夏。ふむ、まだ目覚めないか」

 

 次に聞こえてきたのは箒の声だった。

 

「こうして目が覚めないお前の隣に座っていると、昔を思い出すな。あの頃のお前はもう少しやんちゃな奴だった。私が誰かにからかわれる度に一人で大立ち回りをして、千冬さんに叱られていたのだったな。相手の親御さんができた人で、『うちの子を泣かせるなんてすごい』なんて逆に褒められていたときは笑ってしまったよ。今思えば、そこに弾が混ざるようになってからは、いつの間にか学校にも私の居場所ができていた」

 

 そういや、箒がクラスで浮いていたのも小学校2年の途中までくらいだったか。周りに認められるとまではいかなくても、喧嘩沙汰は無かったな。

 

「IS学園でも最初は同じだった。セシリアとすぐに問題を起こして、私の立つ瀬はなかった。そこにお前は再び入ってきた。昔と同じように、私と周りとの緩衝材になってくれた。そのおかげで今の私がある」

 

 違うな、箒。俺が喧嘩に出しゃばったのは事実だが、今の箒があるのに俺は関係ない。お前がセシリアたちと深い友情を結べたのは他ならぬお前の人徳だよ。それが無いと俺はお前を見向きもしていないだろうぜ。

 

「感謝することしか浮かばない。姉さんが戻ってきてくれたのは一夏のおかげだ。あのショッピングモールの火災での救助作業が姉さんの心に届いたんだ」

 

 そうだったのか。だとしたら、俺だけじゃない。あのとき、俺が動かずともシャル以外の全員が自発的に向かったと俺は信じてる。

 

「面と向かって言うと否定されそうなのでな。こういう形で私の自己満足をさせてもらった。ではな。まだ姉さんと紅椿の練習をしておきたいので失礼する」

 

 自己満足にしては最後にボロが出たな。俺に対して失礼するなどと、実は緊張していたのが見え見えだぜ。

 

「一夏さん? まだ目が覚めませんのね」

 

 今度はセシリアだ。さっきから目が覚めないと言われ続けているところを考えると、やっぱり俺は気を失っているらしい。なぜか意識ははっきりしてるけどな。

 

「実は忙しいのにこっそりと抜けてきてしまいましたの。……こうして見ると、元気そうですわね。頬をつねって起きないでしょうか?」

 

 む。頬が痛い。でも声にも出ないし、体も動かせない。これがもし箒のアイアンクローだったらと思うと……やめよう。考えるだけ恐ろしくなる。

 

「起きませんわね。ということは、狸寝入りではないということですよね。では、早速言わせていただきましょう」

 

 いや、あの、セシリアさん? 狸寝入りの使い方は合ってても、どこか日本語に論理的矛盾がないか?

 

「わたくしはあなたを支えると決めていました。ですが、今回のような状態になってしまわれるようなら、これ以降の協力はできません」

 

 え? 待ってくれ! 今、セシリアがいなくなってしまったら、俺はどうやって敵と戦えばいいのかがわからなくなる。……あれ? 今は束さんも居てくれるのにどうしてセシリアでなくてはいけないんだ? 自分で言っといて自分で答えが出ない。

 

「冗談ですわ。ただ、以前のトーナメントの時の鈴さんやシャルロットさんの言うことに一理あると思い直したことは事実です。このまま一夏さんを戦いの場に出す手伝いをすることがわたくしのするべきことなのか。そう考えると疑問しか感じません」

 

 確かにそう思われても仕方がない。俺がこうして動けなくなっているのは事実だからな。でも、俺は何度も言っているように戦わないといけないんだ。セシリアもわかっていると思っていたのだが違うのか?

 

「ですから、考え方を変えることにしました。一夏さんを戦いから遠ざけるために最短の道は何かということです。最低限の戦闘で目的を達成する。つまりは敵の本拠地を探すことこそが、今のわたくしの成すべきことです。以上が決意表明ですわ。今からまたコア・ネットワークを調べに戻ります」

 

 本当にセシリアには頭が上がらない。俺が彼女の想いに応えられる保証は無いというのに、こうして俺に足りないところを補ってくれている。彼女がいなければ俺はここまで立ち直れなかったとも思っている。

 

「来たぞ、一夏。貴様に報告しておくことができた。本来ならば起きてから話すことなのだが、私が言いたいだけだ。許せ」

 

 ラウラが報告とやらにやってきた。内容が全く想像つかない。

 

「ミーネが見つかった。と言っても一夏にはわからないかもしれないな。一夏が同行したドイツの作戦で救出するはずだったもう一人の隊員のことだ」

 

 言われなくても覚えてる。俺が殺してしまったヘルガという人と共に敵に捕まっていた人の名前だから、俺は魂レベルで刻み込んだつもりだ。その彼女がこのタイミングで見つかった。その知らせは決して良いものではない。おそらくはあのVAISの操縦者にされていたのだろう。

 

「先ほど、クラリッサに遺体を引き渡した。本当ならば私も本国まで同行したかったのだが、2人に叱られてしまう気がしてな。『隊長は隊長のすべきことをしてください』という2人の声が聞こえてくるんだ。隊から離れて単独行動している私は既に隊長らしくないのに」

 

 部隊の隊長としてはそうかもしれないけど、多分お前の部下はラウラのするべきことをやれと言うと思うぞ。ラウラは一番年下なのに慕われているようだからな。きっと、軍規に関係なくお前についてきているのだと思うから、何も自分を卑下することはないんだよ。

 

「報告は以上だ。もう、仲間の戦死を報告することはしたくはないと、そう願っている」

 

 俺も同じ思いだ。だから、早いとこ俺が起きないとな。

 ラウラは先ほどの言葉を最後にいなくなっていたようだ。言葉は何も聞こえてこなく、再び暗闇の世界に取り残される。本当にこれはどういう状況なのだろうか。どうすればいいのかがわからない。

 

「一夏……」

 

 徐々に溜まってきていたイライラが一瞬で吹き飛んだ。か細い声で俺を呼ぶのは間違いなくシャルだ。あの買い物の日以来、すれ違っていた彼女が訪ねてきてくれたことが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。

 

「ごめんね、一夏」

 

 なぜシャルが謝る? 悪いのは多分俺だろう? 俺って何してても誰かを泣かせてばかりだからな。

 

「わたしはさ。どう言い繕っていても、一夏が戦うことだけには反対だった。一夏の護りたいものもどうでもよくて、わたしはわたしの居場所さえあれば良かったんだ」

 

 それも何も悪くない。俺が護りたいものは俺の意志であって、シャルがそれに合わせる必要はない。

 

「でもあの日……ショッピングモールに行った日に一夏とセシリアが亡国機業について話しているのを聞いたときに思っちゃったんだ。わたしの居場所はもう無いんじゃないかって。一夏は亡国機業と戦ってくれる人を傍に置いていると思ったら、わたしは意識の低い役立たずでしかないんだって勘違いしてたの。それでずっと真面目なフリをしてた。自分を押し出したら一夏に見捨てられる気もしてた。一夏と距離を置くしか自分を落ち着ける方法がなかったんだ」

 

 セシリアとの会話を聞かれていたのか。確かに遊びに行ったときくらい、遊びに集中するべきだったのかもしれないな。結局、俺が蒔いた種だった。俺がシャルを不安にさせて、彼女は楽しみにしていたことを全て投げ出していた。彼女の勘違いも原因だ。でも俺も悪かった。

 

「わたしね。思いこみだって気づいたのがついさっきなんだ。あの日、一夏が一人残った理由、それがわたしのところに届いたプレゼントなんだよね?」

 

 そうか。あの日、結局商品が売り物にならない状態だと言われ、後日に宅配という形をとることになったのだが、今になって届いたのか。十分にきっかけになってくれたようだ。俺の行動は無駄じゃなかった。

 

「一夏はわたしを見ててくれた。わたしが一夏を見てなかった。わたしは今まで一夏でなくて、自分の居場所しか見てなかった。でも、今は一夏と向き合いたい。それで……折角だから、着替えてきたんだ。一夏に見て欲しかったから」

 

 シャルが着替えてきている。つまりこれは、あの日に果たされるべきだった約束だ。しかし、今の俺は聴覚しかないみたいな状態だ。俺がこの目で見るまでその約束は果たせない。

 頼む。何が俺の邪魔をしているのかは知らないが、今だけはこの目を開けさせてくれ。この手を動かさせてくれ。俺の言葉を、彼女に伝えさせてくれ!

 

 チクリと一瞬だけ目に刺激が入る。真っ暗闇だった世界に一点の光が入っていた。光は水平な線となった後、一気に拡散する。

 

「シャ……ル」

 

 いつもの医務室とは違う場所だった。俺の右手を握っているシャルが俺を見て目を丸くしている。もう少しいい顔だったら良かったのにな、と思いつつ言うことだけは言っておこうと口を動かす。

 

「かわ……い、いよ」

 

 うまく口が動かない。それでも最低限で伝えたいことは言った。もう十分だ。そう思った途端に視界は再び闇に閉ざされる。

 

「一夏っ! 起きたの? ねえ!」

 

 ごめん。さっきのが限界みたいなんだ、シャル。たったあれだけのことでひどく疲れた。今はゆっくり休ませてくれ。その思いが通じたのか、俺の意識は次第に薄れていった。

 

 

◆◇◆―――◆◇◆

 

 

 一夏のために特別に用意された医務室。シャルロットが中で一夏に話しかけていると一夏から反応があった。そのやりとりを入り口で聞いている姿が一人……

 

「シャルロットのときだけ、起きたんだ……」

 

 ドアの傍で壁にもたれ掛かり、鈴は深くため息をついた。


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