IS - the end destination -   作:ジベた

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03 IS学園

 IS学園。

 

 設立は6年前。なんと、ISが世界に知られてから一年と経たずに創られたIS操縦者育成のための唯一の学校である。

 

 アラスカ条約に基づいて設置されたこの学園は、俺の知る日本の中にあるにもかかわらず、なんと日本の国土ではない。そして生徒から教員に至るまで全ての関係者に対して、あらゆる国家、組織の干渉が禁止されている。どこの国の土地でもなく様々な国のISが集うこの場所は、他国のISとの比較や自国の新技術を実践する場として有用であり、将来の操縦者同士が操縦技術を競い合う場でもある。

 ってさっき箒が教えてくれた。

 

「えーと……これが、学校? 本気で言ってる?」

 

 打鉄を外してトラックの中に置いて出た俺は割と本気で困っていた。校舎がデカいってのはいいとしよう。しかしこの土地の広さは何だ? 東京ドームがいくつ入るんだ、これ? っていうより、校舎以外に4つくらいドームっぽいのがあるんだが……

 

「別に異世界に迷い込んだわけではありませんよ? 日本国内の法律が適用されない土地ですけど」

 

 スピーカーの声の主が声をかけてくれた。声のイメージ通りの子供だった。背丈は箒と同じか、少し低いくらいだろうか。少しゆったりとした服を着た……訂正、だぼっとした大きめの服を着ている妙な服装だ。ちゃんとサイズの合った服があったろうに。ショートカットの女性は、やはりサイズが大きめの黒縁メガネをかけていた。やはりメガネもズレてしまっていて、きっちりとしない性格が透けて見える。それとも、身につけているあらゆるモノのサイズが大きい理由でもあるのだろうか?

 

「それでは篠ノ之さん、織斑くん。ついてきてもらえますか?」

 

 勝手知ったるという風に箒が歩き出し、俺も後に続くことにする。

 

 ――そうか、箒はずっとIS学園にいたんだな。

 箒たちが引っ越した時期とIS学園が完成したのは割と近い時期だ。しかし通常は高校生から入学するIS学園に小学3年から箒はいたのか。流石はIS開発者の妹。英才教育をされてきたんだなぁ。

 

 山田さん、箒、俺という順番で校舎へと入っていく。中は普通に学校だった。……ごめん、金持ちの通うようなって修飾する必要がある。

 

 ……しかし、何故か山田さんは辺りをキョロキョロしながら挙動不審に歩いていく。箒も不思議がってるからいつもの山田さんではないのだろうな。

 

「あの、どうしたんです?」

 

 我慢できずに訊いた。その瞬間、山田さんは普段の口調とは正反対の俊敏さで俺の口を押さえる。

 

「織斑くん。ここは特殊な場所ですので、私がいいと言うまでしゃべらないでもらえますか?」

 

 ひきつった笑顔の懇願だった。俺は口を閉じたまま、やや大げさに首を縦に振る。

 誰とも会わないまま1階の廊下を歩いていき、壁の前で山田さんは止まる。そして壁のあちこちをポンポンとタッチし始めた。

 

「はあ?」

「一夏、黙れと言われただろう?」

 

 箒が冷静に言う。箒にとっては山田さんの行動は意味あるものなのだろう。それはいいが、黙れとまで強く言われていただろうか? ……言われていたな。

 

 というわけで黙って眺めていると、突然壁が開いた。音もなく一瞬で。ISと比べれば別に不思議でも何でもない。しかし隠され方が異常であるから、学園の生徒にも秘密の場所なのだろう。

 

「さあ、入ってください」

 

 入り口の脇に立った山田さんが俺たち2人を先に入れる。中は3畳くらいの狭い空間だった。しかも暗い。全員が入ったところで壁が閉じられ、床がガクンと下がり始める。

 

「エレベータ!?」

 

 驚きでつい声を出してしまった俺は慌てて口を塞ぐ。その姿をみて山田さんがクスクスと笑い出した。

 

「もう結構ですよ、織斑くん。ここからはあなたの声が生徒たちに聞こえませんから」

 

 山田さんがそう言うと、隣で箒が納得といったふうにポンと手を叩いていた。俺には訳がわからないが、そんなことは訊かなくていいか。他に訊きたいことは山ほどあるし。

 

 暗いエレベータは結構長い距離を下っていた。なるほど秘密基地みたいなものか。ISは女性しか使えないってのに、妙に男心をくすぐってくる施設だな。

 

 1分弱経過後、エレベータは停止した。入ったときのように壁が消えるような扉が開き、山田さんに促されて外へと出る。そこに広がっていた空間は――

 

 正しく秘密基地だった。

 

 なんていうか、アニメで見るような戦艦のブリッジが近いだろうか。中央に司令官が立つような場所があって、そこを中心に円形に広がる部屋の縁には数多くのディスプレイと入力用デバイスが並んでいる。今は使用されていないのか全ての席が空席となっていた。

 

 しかし誰もいないわけではなかった。中央の高台からゆっくりと一人の壮年の男性が降りてくる。壮年と言ってももうすぐ定年退職しそうな年齢に見えた。っていうかぶっちゃけると老紳士といった人物だった。白髪混じりの髪の毛が若くないことをはっきりと示しているが、肌の皺は少なく、何よりも姿勢がいい。俺から見てカッコイイと憧れるレベルだ。将来はこんな感じの雰囲気を醸し出したいものだ。

 

「よく来てくれたね、織斑一夏くん」

 

 柔らかい物腰の老紳士が手を広げながら階段を下りてきて、俺を歓迎してくれる。っていうより、さっきから山田さんにもこの人にも俺が誰だかバレバレである。箒との会話を聞かれてたかな?

 

「まずは自己紹介をしておこうか。私の名前は轡木(くつわぎ)十蔵(じゅうぞう)。表向きはこのIS学園で用務員をしているが、このIS学園を仕切っている者だ」

 

 威厳のあるこの人と、用務員という役職はミスマッチではないだろうか? 表向きはと言ってるけども、勘のいい人なら裏の顔があるってすぐ気づくだろ。

 要するに、この人はIS学園の実質的な学園長だということか。

 

「知ってるみたいですけど、一応俺も。俺は織斑一夏です。今日の午前中までは中学生でした」

 

 俺と轡木さんは握手を交わす。年月を経た彼の手は未だに力強さを感じさせていた。

 

「それじゃ、一夏くん。君への話は後にさせてもらえるかね? 先に真耶(まや)くんと箒くんの報告を聞きたい」

 

 俺が「はい」と素直に頷いて離れようとすると、轡木さんが止める。

 

「君も一緒に聞くといい。おそらくだが、いくつかの疑問はそれで晴れると思うのだ」

 

 要するに2人の報告から、この人たちがどんなことをしているのかを聞きとれってことだ。

 そういえばここまで気にしなかったが、あの巫女のISの人は来ないのだろうか。もしかするとあの人は戦闘専門の人で報告は山田さんが全て請け負っているのかもしれない。

 

 おっと、早速始まるようなので耳を傾けておかねば。

 

「それで……篠ノ之神社に現れたのは敵だったのかね?」

「はい。キャバリエが10機とルー・ガルーが5機という編成でした。この数ということは敵も戦闘を予測していたのだと思われます」

「すると、奴らの狙いは?」

「十中八九、篠ノ之神社に安置されていたISです」

 

 ここで轡木さんが額に右手を当てて困ったという顔をする。

 

(たばね)くんももっと早く教えてくれれば良かったのだがね」

「姉さんは未来を見据えて現在を突っ走る人ですから。過去に置いたもののことを今思い出しただけでも私は驚くべきことだと思います」

 

 今話題に出た人は篠ノ之束。箒の姉さんであり、始まりの人。ただ一人でISを造り上げた天才。そして世界で唯一ISのコアを造れる人。

 俺もよく知ってる人であり千冬姉とは同い年。千冬姉が見た目厳しくて中身優しいのに対し、束さんは見た目優しそうで中身えげつない。一度だけ箒が「千冬さんがお姉さんだなんて一夏がうらやましい」とか言ってたなぁ。しかし色々と違っている姉同士、妙に仲が良かったのは今でも覚えてる。

 千冬姉が行方不明になる前に、束さんが行方不明になっていた。千冬姉と違い、家出レベルの期間だけだったが……。その後、IS発表などで公の場に顔を出していたけれど、5年ほど前にコアの製造を取り止めてから再び姿を眩ませた。今でも見つかったという話は聞いていないが、表向きはどこにいるかわからないということにしておきたいということだろう。世界でただ一人、ISの数を増やせる人だし。

 とりあえず、束さんは連絡がつく状態なんだな。

 

「そのISはどうした?」

「現在は倉持技研に移送中です。護衛にはISを装備した教員2名を配置しています」

 

 多分、というか確実に俺が使っていた打鉄のことだ。倉持技研って聞いたことないけど、遠いんだろうな。正直、ISは嫌いだが、あの打鉄には愛着を持ってしまったのかもしれない。何とも言えない寂しさが胸を埋めている。

 

「ふむ。ISの件は後にする。次は箒くんに訊こう」

「は……はい」

 

 轡木さんが話の矛先を箒に向けると、箒は何故か身を堅くしていた。よく見ないとわからないが震えているようにも見える。緊張からくる反応には見えない。

 

「君は敵のトロポス一機に倒されたそうだね?」

 

 瞬間、箒の目が強くつぶられ、体がビクッと震える。轡木さんの変わらない笑顔が今は逆に不気味だった。

 

「専用機持ちとして、それでいいと思っているのかね?」

 

 まさかこの場で糾弾する気なのか?

 俺は見ていた。逃げまどう俺を助けてくれた箒の姿を。人を殺せる武器を持った敵に立ち向かう後ろ姿をだ。箒は何も間違っていない!

 

「箒のせいじゃありません! 俺がいたから、箒はいつもどおり戦えなかっただけです!」

「い、一夏……」

 

 つい割って入ってしまった。

 すると、轡木さんは「ハッハッハッハ!」と大げさに笑う。

 

「早い反応。流石は千冬くんの弟だ。安心しなさい。別に私は箒くんを責めるつもりはない」

「え? だって今……」

 

 俺は他の2人を見る。山田さんはニヤニヤしていて、箒は両手で顔を押さえてしゃがみ込んでいる。どういうこと?

 

「君の人となりをこの目で見たかったのだ。君がISを託すにふさわしい人間かどうかというね。私はこれから心ない糾弾を演じる予定だったのだが、暗記したセリフが無駄になってしまったよ。とにかく試して悪かった」

 

 試されていたのか。……ISを託すだって!?

 俺が目を見開くと同時に轡木さんは俺の方へと向く。

 

「では、一夏くん。君のこれからの話をしよう」

 

 轡木さんは人の良さそうな笑顔を引き締め、威厳あるキリッとした顔つきになる。俺も自然と真面目な顔になった。

 

「まず、君の進路を聞こうかな?」

「えと……藍越学園へ進学の予定です」

「そうか。では真耶くん、藍越学園に話を通しておいてもらえるかね」

 

 轡木さんが指示をすると山田さんが部屋の隅にある電話機へと向かう。

 

「何の話ですか?」

「ああ、君の入学を取り消してもらおうと思ってね」

「へっ!? んな無茶な!」

 

 俺が声を張り上げていると、山田さんが戻ってくる。

 

「先方の了解を得ました。後日正式に決定となります」

「ありがとう、真耶くん」

 

 1分かからない内に俺の入学が取り消された。

 ……俺の1年間の猛勉強は何だったんだろ?

 涙目になっていると、轡木さんがやや慌てた様子で俺に話しかける。

 

「本当に申し訳ない。ただ、君を普通の民間人として扱うわけにはいかなくなったのだ」

 

 轡木さんが頭を下げる。それは俺自身もわかっていたことだから逆に申し訳なくなった。

 

「大丈夫です。俺もそれはわかっていました」

「一夏……」

 

 ISに関わってしまった時点で避けられないことだった。俺の諦観混じりの声を聞き、隣で箒が自分のことのように顔を俯かせている。もしかすると箒は、俺をISに関わらせたくなかったから自分から離れていったのかもしれない。

 過ぎたことは仕方ない。ポジティブシンキングだ。

 

「それで、俺はこれからどういう立場になるんです?」

「そうだね。君にはIS学園に入学してもらおうと考えている」

『はい?』

 

 轡木さんの提案に俺と箒の声が重なる。

 俺はてっきり研究機関にでも送られて実験体にでもされると思っていたからだったが、箒が驚いたのはそこではなかった。

 

「IS学園は女子校ではないのですか!?」

 

 そういえばそうだった。ISの研究開発は各国の専門機関から送られる人たちによって行われているから、ここは操縦者となるための学園である。ISは女性しか使うことができないから自然と女子校になるのだろう。

 

「箒くん。君は勘違いしているようだが、IS学園は女子校ではない。ただ、操縦者になれるのが女子だけだったというだけだよ」

「ですが……」

「それとも君は一夏くんに高校生活を送らせたくはないと思っているのかね?」

「うっ」

 

 食い下がっていた箒だったが、轡木さんの言葉で縮こまる。俺一人だけ女子の中に混ざるわけだから、きっと俺を思って反論してくれていたんだろう。

 

「大丈夫だよ、箒。俺は周りが女子だけでもやっていけるさ」

「別にそんなことは心配していないっ!」

 

 急に箒がツーンと顔を背けてしまった。何か俺は間違えたらしい。

 轡木さんが咳払いをする。おっと、今は真面目に話をする時間だった。

 

「俺は4月からIS学園に通うわけですね」

「その通りだ。ISの適性試験は受けてもらうが、例えC判定でも入学してもらうよ」

「ISを使える唯一の男だからですか?」

「ああ。だから特別扱いすることになるだろうが、許してほしい」

 

 特別扱い。それは良いこと尽くめではない。悪く言えば実験体だ。IS学園の生徒となってもそこは譲れない。

 そして、IS学園にいることによって、俺を警護しやすい。467機に入らないISの存在よりも、男の操縦者の方が貴重であるらしい。

 以上の2点が轡木さんから説明された。確かに今日会ったあの巫女のISの人が一人いるだけで安全が保証されているようなものだな。

 

 俺が入学する理由は、俺自身に操縦者になってほしいからという理由もあるらしいけど。

 

「実は報告されなくても、箒くんの戦闘に関してはこちらでモニターしていたのだ。そして箒くんは狼人間を模したトロポス、ルー・ガルーただ一機に敗れた。そうだね?」

「はい。私の力不足です」

 

 箒の声が弱々しい。他人に責められなくとも、自分で責めている。俺の知ってる箒はそういう人間だ。

 しかし失態と思うほどのことだろうか。打鉄から伝えられたデータほど、敵は弱いわけではなかった。それは実際に戦った俺も痛感している。トロポスという単語が出てきたことだし、訊いてみるか。

 

「そういえばトロポスってなんですか? ISみたいですけど、無人機が多いみたいですし」

「忘れていた。一夏くんには説明せねばわからないだろうね。世間には伏せてあるが、とある組織がISコアを使用しないISを造ろうとしているようでね。真耶くん、トロポスについての説明を頼むよ」

 

 「はい、わかりました」と言って山田さんが出てくる。

 

「織斑くんも知っての通り、ISは本来女性にしか使えません。その点に加えて、世界でただ一人ISのコアを造れる篠ノ之博士はコアの製造を今後一切しないと明言しているため、数を増やすことができない状況にあります。ISには“使用者を選ぶ”ことと“数が揃えられない”という兵器としての欠陥を抱えているわけです」

 

 まあ、そうだろうな。世界を揺るがした、あの事件でISの驚異の性能を見せられなければ、各国の軍がISに手を出す理由は全くない。一機で千軍に匹敵し、戦闘機や戦艦は赤子のようなものだった。数が用意できないとわかっていても、手を出さざるを得ないという代物。それがISなのだ。

 

「勿論その現状に納得する人間ばかりのはずがありません。むしろ納得いかない研究者で溢れかえっています。世界各国の数多くの研究機関で、ISのコアの解析が続けられています。男性が使用できるように。新たなコアを製造できるように、と。おそらくどこかの組織がある程度の形にはしたのでしょう。製造した組織も運用している組織も不明ですが」

「それがトロポス?」

「はい。織斑くんが遭遇したのは実験機なのでしょう。基本性能はISと比べて大きく劣っています。ISを構成している基本であるPICとシールドバリアは確認しましたが、ハイパーセンサーやコアネットワーク、自己進化機能などはありません。それでも私たちの技術力ではコア無しでのPICの使用を実現できず、鹵獲したトロポスを解析しても、転用は難しいものでした。自立駆動、もしくは遠隔操作という点では現行のISの機能を凌駕していますしね」

 

 打鉄の情報通り、劣化ISということだった。山田さんの言うとおり、ISよりも前に発表されていたロボットよりは明らかに高度な代物だけど。

 

「トロポスとは束くんが呼び始めた名前でね。彼女曰く、“高くは飛べない駄作”だそうだ。キャバリエなどの個別の機体名は、ご丁寧に機体に記載されていたモノを呼んでいるがね」

 

 轡木さんがトロポスの名の由来を教えてくれる。そうか束さんが名付けたのか。

 名の由来などというトリ○アっぽい知識はさておき、俺は山田さんの説明の一部が気にかかった。

 

「ハイパーセンサーが無い……ですか?」

 

 今日初めてISに触れた俺だったが、ハイパーセンサーに関する基本知識は打鉄から伝わってきている。

 戦闘中に感じていた清涼感。時間の流れが遅くなったとも感じられる視界の時間分解能の細かさ。意識を向けるだけでその方向を見ることができる、俺にとってISが特別である証であり、ISの強さの象徴だ。それが、あれに存在していない……? ならば、あの敵は――

 

 ハイパーセンサー無しでISと渡り合っていたというのか? それも格闘戦で!

 

「一夏くん。それは現段階で我々が把握しているトロポスの仕様だ。今後どうなるかはわかっていないし、君と箒くんが遭遇した有人トロポスには搭載されていたのかもしれない」

 

 轡木さんは俺の懸念を理解しているらしく、ハイパーセンサー無しであの戦闘能力であることを否定した。それは同時にトロポスがISに近づいていることを示していた。

 

「話を君の入学についてに戻そう。君は箒くんでも倒せなかった例のトロポスと互角以上の戦いを見せてくれたが、それによって敵にも君がISを使える唯一の男であるとバレてしまったわけだ。実はマスコミにも君のことが伝わってしまっていることが先ほどわかってね。おそらく敵が打った手なのだろう。だから君を狙う人間は敵だけでなくなる。いや、各国の研究機関が敵となると言ってもいいのかもしれない。我々は君を全力で護る所存だが、もしもの時のために君には自分で自分の身を護れる力を身につけてほしいとも思っている」

「俺に選択肢は……無いんですね」

 

 IS学園に最初に着いたときの箒の説明を思い出す。俺がIS学園の生徒となれば、『生徒から教員に至るまで全ての関係者に対して、あらゆる国家、組織の干渉が禁止されている』というアラスカ条約の項目によって護られることになるわけだ。

 

 流石の俺でも世界が相手では護られることに対して負い目を感じない。

 

 実際はどこまで保障されているのかは知らないが、襲ってくるのは“敵”のみだと思って良くなる。そしてIS学園が俺を護ってくれるんだ。

 なおも申し訳なさそうにする老紳士に対して、俺は深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。多分俺だけじゃ何もできませんでした」

 

 俺の物言いに安堵を浮かべる轡木さん。この人は少年の未来を奪ったと罪悪感を感じていたのかもしれないが、俺にとっては逆だった。俺が誰かを護れる未来をもらった……そんな気がした。

 

 まさか俺の人生の転換点(ターニングポイント)が中学の卒業式の日に神社に行くことなんてな。おまけに帰還不能地点(ポイント・オブ・ノーリターン)と来たもんだ。いや、帰還不能(ノーリターン)でも、利益(リターン)はある。俺にはISという“力”が使えることがわかったんだから。

 

 

***

 

 

 明日からの3週間の予定が、ほぼ全てIS関連で埋まった。

 

 許可が出るまでIS学園から出ることができない。

 知人と連絡を取っても良いが居場所を言わない。

 今後も地下で会った人間以外とは地下の存在とトロポスを使う敵について話さない。

 などのルールが言い渡され、俺と箒は地上へと帰ってきた。空が黄昏色に染まって、遠くでカラスが鳴いている。

 

 今日からは教員寮の空き部屋に泊まることになるらしい。箒に案内されて俺はIS学園の敷地内を歩いている。

 箒が先導し、さっきから会話はない。やはり俺から話しかけなければいけないか。

 

「箒」

「んなっ!? 何だ!?」

 

 名前を呼んだだけでビクッと跳びずさりながら「何だ?」と訊かれても、俺はその言葉をそのまま返してやりたい。一体何なんだよ……。

 

「ずっと戦ってきたのか? 引っ越してからの7年間ずっと……」

 

 挙動不審だった箒はすぐにその動きを止めた。車の中では聞けなかったこと。箒の今までのことだ。轡木さんたちから話を聞いた今なら箒も教えてくれるに違いない。

 それは決して箒が話したいことじゃないだろうけれど、俺はどうしても聞いておきたかった。

 少し長い沈黙。歩みも止めて向かい合っていると、俯いていた箒が顔を上げて口を開いた。

 

「7年前のあの日。一夏の前から居なくなった日だ。行方不明だった姉さんが突然帰ってきたんだ。……ボロボロの格好でな。それだけじゃなくてな、あの変わり者の姉さんが……泣いていたんだよ。『ちーちゃんが。ちーちゃんが』って幼稚園児みたいに喚きながらな」

「え……」

 

 今度は俺の動きが固まった。束さんは轡木さんたちとの話からもわかるとおり連絡がつく状態だったから見つかっていたことは予想がついている。しかし、俺はまさか箒の話で千冬姉が出てくるとは思っていなかった。“ちーちゃん”とは束さんから千冬姉への呼称であるのだ。

 箒は俺の動揺を悟って顔をしかめつつも話を続けてくれる。

 

「結局千冬さんがどうしたのかは姉さんは言わなかった。ただ一言『逃げよう』と家族の皆を急かしていた。母さんも私も姉さんが狂ってしまったんだと思い、病院へ連れて行こうとしたが、父さんだけは姉さんの言葉に従うことに決めた。その場ですぐに、用意していた夕食すら置いて私たちは逃げ出したのだ。父の知り合いである轡木さんの元に。私たちの家にどこぞの国の兵隊がなだれ込んできたことを後で聞いた。姉さんの言うとおりにしなかったら私はどうなっていたのだろうな」

「じゃあ、柳韻先生もおばさんも……」

「今は轡木さんの家に世話になっている。ちなみに姉さんは一人でどこかに行ってしまっているがな」

 

 箒は暗くなっていく空を見つめている。オレンジ色の空が徐々に紺に染められ始めていた。

 

「私は私でできることをしたかった。姉さんと違って私には父から教わった剣しかない。だからISの操縦者になる道を選んだ。私たちにこんな生活を強いる奴らを打ち倒すために。平穏な生活に帰るために……」

 

 箒の目に大粒の涙が浮かぶ。両手で胸を押さえている姿は見ているこっちが苦しかった。自然と俺の手に力が込められる。

 

 7年前に平穏を奪われたのは俺だけじゃなかった。そして奪ったのはISではなく、人間だったんだ。

 

「……一夏?」

 

 俺は箒の両手をまとめて取って両手で包み込む。

 

「俺にも手伝わせてくれ! 俺もできることなんて限られてる。でも、俺は世界で唯一ISを動かせる男だ! 箒、お前の隣で戦わせてくれ! 俺にはそれができる!」

「うぅ……」

 

 しばらく手を取りあった体勢のまま見つめあっていた。すると、箒が顔を真っ赤にして俯く。真摯な訴えをしていたから気づかなかったが、俺はかなり大胆に箒に迫ってしまっていた。気恥ずかしさに手をパッと離し、話を逸らすため別の話題を振る。

 

「あ、そういえば箒。さっきは見事に騙されたぞ」

「な、何がだ?」

「轡木さんのお芝居だよ。皆グルだったんだろ? 箒の演技がうまいなんて意外だった。全く、友人を騙すなんてひどいぜ」

 

 お茶を濁すための話題だったが、言い方が悪かったらしい。箒の睨みという日本刀が鞘から抜き放たれた。

 

「私も知らなかったんだっ!!」

 

 スパーンッと小気味いい音を立てて俺の首は強制的に左を向けさせられる。その平手打ちは、まるで抜刀術……。軽く脳が揺れている間に箒はどこかに走り去ってしまっていた。

 

 ……箒も知らなかったんだ。そこまでひどいことを言ったつもりはなかったけど、俺が悪いんだろうな。

 それはともかく、さっき箒が言っていたことは聞き逃すわけにはいかなかった。

 左頬に宿った熱に触れながら、俺は箒が言っていた7年前のことについて考えていた。

 

 あの束さんが泣いて千冬姉の名前を呼んでいた。そして、それは千冬姉が失踪した時期と一致する。束さんの失踪の背後には“敵”がいた。だから――

 

 千冬姉の失踪にも敵が絡んでいるはずだ。

 

 そういえば轡木さんも「千冬くん」と何気なく名前を出していた。

 

 俺が進むこの道の先には、誰かを護れる力と、失ってしまった家族が待っている。そう確信し、腕を高く振り上げた。

 

 

 そして、思った。

 

 ……今夜、俺はどこに泊まればいいんだ?


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