それなりに楽しい脇役としての人生   作:yuki01

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三十六話 無能王という男

「それで、何か聞きたいことがあるということだったかしら?」

 

「はい。大したことではないのですが……」

 

「ふふっ」

 

 そうして俺が質問をしようとした時、何かを思い出すようにしてオルレアン夫人は軽く笑った。

 俺の口調や態度に何かおかしなところでもあったのだろうか? 人並みには教養や礼儀を身に着けているつもりだが、それはあくまでもトリステインの貴族相手のものだ。礼儀作法などのマナーは、国や相手の地位などによってとるべきものが大きく変わる。オルレアン夫人は外国の生まれであり、そのうえ王族に身を連ねていた方だ。今まで学んできたマナーなどが一般的ではなかった可能性は十分にある。

 俺は何か失礼を働いてしまったのかと、不安に思いながら彼女に問いかける。

 

「あの……何か?」

 

「ああ、いえ、ごめんなさいね」

 

 そう言うと、オルレアン夫人は柔らかな笑顔を浮かべた。

 

「あの子、シャルロットのことを思い出してしまって、つい。最後にはあったのは随分と前のことだったから。本当に大きくなって……、なんだか少し寂しいくらいだわ」

 

「そうですか……」

 

 オルレアン夫人の表情が柔らかな笑顔から、悲しみのようなものが混じった儚げなものへと変わった。親としては子供の成長を見ることができなかったというのは、やはりなかなかつらいものがあるのだろう。

 ただこの話で聞きたいことの一つはわかった。薬にやられていた時の記憶の有無についてだ。それが幸運なことのか不幸なことのかはわからないが、彼女の話からするにどうやら記憶は残っていないようだ。いや、実の娘につらく当たっていたのだから、記憶が残っていないのは幸運なことか。

 ただ記憶がなくなっているかもしれないというのは考えていたが、最後にタバサと会った記憶が随分と前というのは少し予想外だな。

 俺はタバサが浚われる原因となった薬の出来に、今更ながら情けなくなった。なにせあれで元に戻った一日の記憶もないようなのだ。こうしてみるとあれは本当に不完全なものだったんだな。

 

「ああ、何度も止めてしまってごめんなさいね。それで聞きたいことって何かしら?」

 

「はい。大したことではないのですが、とりあえず二つほど。できるだけ簡潔にするつもりですが、疲れを感じられたりした時はすぐにおっしゃってください」

 

「ええ、お気遣いありがとう」

 

「いえ。それで聞きたいことなのですが、体調についてです。どこか違和感を感じたり、といったことは無いでしょうか?」

 

「体調……疲れやすくなった気がする、とかは考えなくていいのかしら?」

 

「ええ、おそらくそれは長い間、運動をあまりしていなかったのが原因だと思いますから。頭痛やめまい、後は気分が悪かったりなどですかね、そういったことはないですか?」

 

 俺の言葉にオルレアン夫人は顎に手を当て、軽く考えると何故か申し訳なさそうに返事をした。

 

「ごめんなさい、特に思いつかないわ」

 

「い、いえいえ、何もないのが一番ですから」

 

 俺は両手を振って、慌ててそれを否定する。

 しかし特に問題が無くてよかった。本人が気付いていないだけ、という可能性ももちろんあるが、これでほっとした。

 これで聞きたいことはあと一つだけなのだが……、それがなぁ。ぶっちゃけジョゼフのことなんだが、今聞いていいものなんだろうか? なにせこの人にとって、ジョゼフは因縁浅からぬ義兄だ。あまり気分のいい話題でもないだろう。

 ただ多少とはいえ、俺にも火の粉が降りかかる可能性がある以上、失礼だとしても聞いておいた方がいいか。

 

「それで? もう一つの聞きたいことというのは何かしら?」

 

「その、ジョゼフ王……あなたの義兄上についてなのですが、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 

 その言葉にオルレアン夫人の表情がわずかに曇る。

 

「義兄上、いえ……陛下と呼ぶべきなのでしょうか。彼の事を聞きたいということは、おそらく今回のことで何か……」

 

 そこまで話したところで、口を閉じる。察するに自分のせいで俺がジョゼフに目でもつけられたのでは、などと思っているのだろう。やはり聞くべきではなかったか。

 

「すいません、今聞くべきことではありませんでした。お気持ちも考えずに、申し訳ありません」

 

 そう言って俺は頭を下げる。

 自分では気づいていなかったが、毛の先ほどの可能性とはいえ、大国の王に目を付けられたかもしれない、ということで焦っていたのだろう。今考えれば、病み上がりの人にこうも矢継ぎ早に質問するのはどう考えても非常識だ。 

 しかしオルレアン夫人はすぐに凛々しさを感じる表情に戻ると、再び口を開いた。

 

「いえ、それが必要だというのならば話すことにいささかの躊躇もありません。……わかりました。私が知っていることならば、全てお伝えしましょう」

 

「……ありがとうございます」

 

 そうは言っているが、やはりジョゼフに対して何か思うところがあるのだろう。先ほどまでと比べてどこか雰囲気が硬い物へと変わったように思う。口調もわずかながら変わったように感じるのは、気のせいだろうか。

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

 何やら言いよどんだ彼女に声をかける。

 

「陛下に関して私が話せることは、彼が何をし、どのような言葉を発し、また周りからどのように思われていたか、という純然たる事実だけです。彼がどういった人物なのか、何を考えていたのか、それについては何も話すことはできません」

 

「それはなぜ……」

 

 強張ったようにさえ見える表情の彼女へと俺はそう問いかけた。

 

「私には彼の事はわかりません。いえ、わかる人などいるのかどうか。魔法は使えず、王として、王族としての振る舞いも立派なものとはいえませんでした。それだけ見れば宮中でさえ使われていた蔑称通り、ただそれだけの人なのかもしれません」

 

 そこまで言うと、彼女はただ……と言葉を区切った。

 

「ただ……私にはそうは思えないのです。その裏に何か……私にはわからない何かがあるような……。みすぼらしい湖面と大したことの無い深さに見えて、その裏は果てしない底なし沼のような。そんな人なのではないかと思ったことさえありました」

 

 うわあ……。あくまでオルレアン夫人の個人的な感想に過ぎないとはいえ、この通りの人なら俺じゃあどうしようもない人にしか思えないな。

 ただオルレアン夫人の話には一つ、聞き逃せない部分があった。

 

「なるほど。……もう一度お聞きしますが、ジョゼフは魔法が使えなかったのですね? 魔法の威力が弱い、コントロールが下手だというのではなく、使えなかったと」

 

「? ええ。そう聞いていますが」

 

 不思議そうな表情でオルレアン夫人はそう答えた。その二つに大した違いがあるのか、と言いたげな表情だ。

 

「もしかしてですが、使えなかったと言うよりも、どの魔法を使おうとしても同じ結果になってしまったのでは? 例えば……どんな魔法でも爆発が起きてしまったり」  

 

「そうですが……よくある話なのですか? 少なくとも私や彼の周りの人は、そんなことは聞いたこともなかったのですが」

 

 その言葉に俺は笑って、なんとなくそう思っただけである、とごまかした。まさかそんな人は、おそらく世界に四人もいない、と言う訳にもいかないだろう。

 はぐらかされたことに気付いたのか、オルレアン夫人は少し不思議そうな表情をしたが、本題に入るためか、元の表情に戻ると背を正した。

 

「では、大したことはありませんが、私の知っているジョゼフについて話そうと思います。いいでしょうか?」

 

「あっ、すいません。その前に、先ほどおっしゃっていたことの焼き直しのようになってしまいますが質問を一つ。正しいのかどうかなどどうでもいい、オルレアン夫人、あなたの意見を聞かせてください」

 

 俺は息を一つ吸うとその、タバサからジョゼフについて聞いた時から自分の中に澱のように沈んでいた疑問を問いかける。

 

「ガリア内外で使われている彼の呼称、『無能王』」

 

 

 

 

「彼はその名に相応しい人物ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の晩。俺はあてがわれた客室で、休んでいた。空には当たり前のように双月が浮かんでいる。

 あの後話していただいたオルレアン夫人の話は、正直有意義だったとは言いづらい。そして聞いていて気分のいいものではなかったことも間違いない。

 オルレアン夫人は非常によくできた人物だ。夫を殺され、薬を盛られ、それだけのことをされてきたのにも関わらず、ジョゼフについてのエピソードは全てが客観的なもので、どれだけ贔屓目に考えても個人的な感情が挟まれる部分は存在しなかった。だからこそ、ジョゼフのひどさがよくわかった。

 ハルケギニアで間違いなく最大の国力を持つ大国ガリア。その長男として生まれたのにも関わらず、彼は魔法が使えなかった。そして政治、経済、その他様々な学問に対しても才能を持たなかった。性格は気まぐれで遊んでばかり。そのせいで臣下からの人望も非常に薄く、馬鹿にされさえもしていたようだ。

 ……それだけならば、よくある話でバカな王様のお話で終わったのかもしれない。だが不幸なことなのか、彼には弟が一人いた。それもガリアの歴史を紐解いても、何人もいないような、天才とでも呼ぶべき優秀な弟が。

 オルレアン公シャルル。若干12歳でスクウェアメイジとなり、数々の学問においても優秀な成績を収めていた。そのうえ性格は王族らしく高潔でありながらも、臣下の物に対して思いやりを持ち、多くの者に慕われてた。

 ……これで比べるなというのが無理な話だ。出来の悪すぎる兄に出来の良すぎる弟。宮中の者どころか、城下の人たちでさえ馬鹿にし、こう言っただろう。

『次の王はシャルル公だろう』と。そしてそれに気づかないほど、聞こえないほど、人間と言うのは馬鹿ではない。ジョゼフも気付いていたはずだ。国中の人間が弟が王になることを望んでいることと、自分を必要としていないことを。

 ……どれほどのものだろうか。何年もの間、そんな状況で過ごすというのは。何一つとしてできない自分への失望、自分を馬鹿にする臣下や国民に対しての怒り、全てを持っている弟に対しての妬み。そしてそんな弟と自分を比べるたびに、比べられるたびに感じる劣等感はいかほどのものだろうか。俺ごときでは想像することさえ出来はしない。

 しかもオルレアン夫人の話によれば、オルレアン公はことあるごとにそんな兄を、慰めていたのだというのだから、救われない。なぜならばジョゼフにとってその行為が意味するのは、能力だけでなく、人格や精神面でさえ自分は弟に劣っているということだからだ。弟を妬む、その感情を持つことにさえ劣等感を感じていたジョゼフの心中はいかほどのものだったのだろうか。

 

「…………」

 

 俺はテーブルの上のグラスを取ると、その中に入ったワインを一口含む。

 ジョゼフに関して、これ以上考えても仕方がない。。念のためということで、いろいろと調べてはみたが、落ち着いて考えれば自意識過剰もいいところだ。エルフの前で名前を呼ばれたぐらいで、それが誰だかわかるとも思えないし、仮にわかったとしても俺なんかを気にするとは思えない。ジョゼフにとって俺は、いいとこ羽虫だ。別にどうこうしようとも思わないだろう。

 俺は軽く首を振り、頭の中身を切り替える。

 それよりも今は身近な危険だ。

 ……ここしばらく薬の精製などで部屋に籠っていたせいで知らなかったが、どうも最近レコンキスタの動きが活発になってきているらしい。使用人の人たちがそんな話をしているのを聞いた。

 そのせいでゲルマニアでは学生が軍隊に志願し始めているようだ。さすがに女性で志願した人はほとんどいないようだが、男性は結構な率が志願をしという話だ。他の国に比べて忠誠心というか『お国のために』、といった意識が希薄なゲルマニアでさえこうなのだ。トリステインでの志願率はさらに凄まじい物であることは間違いないだろう。どれほどの物なのかは一度学院に帰って調べてみないとだが、おそらく俺も志願することになるだろう。

 それはつまり、戦争に参加する、ということだ。

 そこまで切羽詰っているわけではないので、貴族の子息をいきなり最前線に送ったりはしないとは思うが、あまり愉快ではない経験になることは間違いない。なにせ戦争をしにいくのは戦場であり、言いすぎになるのかもしれないが戦場とは、とどのつまり人を殺すための場所だからだ。直接人に手をかけることにはならないにしても、間接的にはそのために動くことになるだろう。

 俺は意味も無く、自分の手のひらにじっと目をやる。

 不遜な言い方になるかもしれないが、今回俺はオルレアン夫人を救うことができた。同じ手で今度は直にではないにしろ人を殺しに行くわけだ。

 無意識のうちに胸に手をやってしまう。考えただけで息がつまりそうだ。

 

「…………」

 

 グラスに残っていたワインを一気に煽ると、ベッドに横になる。

 そのまましばらく。いつまで経っても眠気はやってこない。

 俺は起き上がると、もう一度グラスにワインをなみなみと注ぐ。そしてそれを喉へと流し込んだ。


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