帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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話が纏めきれずに二万字越えとる……取り敢えず主人公は責任取ってギロチン台に立って

不評だったら修正するかも


第七十八話 報連相は大事だと言う話

「……止みそうには無いな」

 

 粗末、という訳では無いが長く放置され余り保守点検されていなかったためであろう。埃とカビの目立つ窓の中から外の様子を見てそう呟いた。

 

 嵐は一層激しくなりつつあった。曇天の空、雷雨が降り注ぎ、薄暗い、小さな一つの洋燈のみが照らす小屋の中は冷えた空気が充満する。換気のためとはいえ、一度窓と扉を開いて空気を入れ替えたせいだ。

 

「わ、わかさま……ほんとうによろしいのでしょうか?」

「ん?気にするな。所詮は非常食だ、構わんさ。文句が出れば私が口聞きしてやる」

 

 小屋の奥で供えられていた非常用保存食を手にしながらおろおろとした表情をする幼い少女。

 

 この小屋、いや新美泉宮の敷地にあるものはオーディンの宮殿と同じように木々の一本、薔薇園の薔薇一本、川の魚一匹に至るまで全人類の統治者たる皇帝陛下の所有物だ。

 

 そのため彼女の手元にある乾パンやらコンビーフすら当然皇帝陛下の物であり、それを掠めとるのは大罪にほかならないのだ。

 

 ……ぶっちゃけこんな小屋にある忘れ去られた保存食程度で刑罰に処されるとは思えんがね。万が一糾弾されたとしても私が我儘坊ちゃん宜しくグスタフ三世陛下と母に泣きつけば確実に無かった事になる事請け合いだ。

 

 家族好きのグスタフの大叔父さんは若い頃から兄弟姉妹を良く可愛がっていたし、特に可愛がられていた末の妹が私の母方の祖母、姪に当たる母の事も良く世話していたし、母も小さい頃良く甘えて(我儘言って)いたそうだ。当然その子供の私の事だって同様だ。

 

 ……いや、寧ろそれ以上かも知れない。死産と流産した後にようやく生まれた(毒か遺伝子的なものか偶然かは知らん)のでかなり母に溺愛されているとは自覚しているし、陛下から出産祝いで調度品やら祝い金やら荘園(当然のように住民込み)が下賜されている。間違いなく私が擁護すればこの程度の細事ならばどうにかなる。

 

「まぁ、そういう訳だ。ギロチン台を上がる事はあるまいよ」

「いえ……いやそれもあるのですが……」

 

ちらちら、と不安そうにこちらを見やる少女。

 

「……なんだよ?」

 

 不機嫌な表情を浮かべ私は尋ねる。言いたい事があればさっさと言って欲しい。これ見よがしに不満そうな表情をされても腹が立つのだ。

 

「い、いえ……その……わかさまはおなかはすいていないのですか?あれだけではたりないとおもいまして……」

 

心底心配そうな表情を向ける少女。

 

「むっ……それは……」

 

 私がここに避難してから口にしたのは幾つかの乾パン程度だった。

 

 別に口に合わない、とかいう我儘な理由ではない。確かにこっちで育って七年程度は経っている。その間柔らかい、品質と味に拘った一流の料理ばかり口にしてきた。舌はそれが基準になっているし、胃袋もいきなり低品質で固い物を受け付けるのは難しいのは事実だ。だが、最大の理由は違う。

 

「お前の方が疲れているだろう?気にせず食え。ここで倒れられたらこっちが困る」

 

 雨の中一人走り回って随分と弱っているだろう。濡れた服は干して今はシャツに毛布姿だ。小屋は当然ながら寒い。同い年の、しかも女子となれば私より遥かに休養と食事がいる筈だった。

 

「ですが……わかさまになにかあればたいへんです!どうかおたべください」

 

 そう言って小さな子供が食べ盛りであろうに食べ物を差し出す。

 

「別に良いと言っているだろう。お前が……」 

 

そこまで言って、腹が鳴る。……凄く恥ずかしい。

 

「やはりあのていどではふそくです!どうぞわたしなぞおきになさらずおたべください!」

「……ああ」

 

 空腹の音について自分の中で無かった事にして、羞恥心を圧し殺して偉そうに答える。子供の体だからね、仕方ないね。

 

 尤も、少女を立たせて全て一人で貪るのは流石に酷い絵面になるので粗末なベッドの上に座るとずっと直立不動で立っていた従士を手招きで座らせる。

 

「いつまでも立っていても疲れるだろう?半分に分けるからそれくらいは食え」

「えっ……よ、よろしいの…ですか……?」

「……構わんよ」

「……!!は、はい!」

 

 感動した表情で少女は承諾する。主人の前での食事は通常であれば非礼、まして私生活で共食ともなると相手を信頼している場合のみ許される事だ。別に信頼している訳ではないが、こうでもしないと多分食べようとするまい。どうせ他に見ている者なぞいないし、子供のやる事、これくらい譲歩してやる。

 

 私は淡々と味気ない保存食を口にする。ゆっくりと、良く噛みながら食事を進める。そこに娯楽性はなく、作業に近い。尤も、家で食べる料理も余り楽しめないが。テーブルマナーはまだ良い。だが、高級料理が出る度に自身が貴族であることを自覚させられ、それが将来の破滅を意識させるのだ。食事一つですら憂鬱になる。

 

 一方、目の前の従士の方は全く対照的に、非常に感動した様子で、楽しそうに食事をしていた。

 

「わかさま、どうぞこちらもおたべくださいませ!」

 

 それでもちゃんと自重し、非常食の中で比較的柔らかく良い物は優先的に私に差し出す。悪口では無いがこの歳の子供なんて食い意地が張っているのが普通だ。これまでの候補と言い、良くもまぁここまで御利巧さんに躾けていると思う。正直、私のせいで厳しく、窮屈に躾けられているのだと思うと心苦しくなる。

 

 陰鬱な気持ちで碌に私は会話もせず、ぼそぼそと食事を摂っていき(時たま従士が甲斐甲斐しく口元を拭き取ろうとしてきたのであしらった)、それが終わると遂にやるべき事が無くなった。

 

「わかさま、このてんきですのできゅうじょがいつくるのかわかりません、どうぞいまはそれにそなえておやすみください!」

 

 子供らしさがまだ抜けないアクセントで、古びたベッドの埃を拭いて、あるだけの毛布を集めて皴を伸ばす。そうして寒さを凌ぎながら一応眠る事の出来る寝床を作り上げる。おう、どうしてお前そこにまた突っ立ってるの?

 

「わかさまがおねむりになられるのにおじゃまするわけにはいきません!」

「さいですか」

 

 本当に見上げた忠誠心だな。マジでどういう教育受けているんだ?こんな奴らばかり周囲にいれば原作貴族の腐敗ぶりも残当だな。

 

「……お前が……いや、何でもない」

 

 彼女にベッドを使わせて自分が床で寝ても良いのだが、絶対に了承しないだろう。とは言っても流石に自分がベッドで薄着で寒そうにしている女子をそのままというのもなぁ……。

 

「くちゅ……!」

 

 あ、小さいくしゃみをした。……これは放っておいたら風邪、というか割とガチ目に凍死の可能性もあるよな……。

 

「むぅ………」

 

 少し、というかかなり恥ずかしいのだが、私も付き人から外したいとは考えていても酷い目に合わせたい訳でも無い(もう私のせいでかなり迷惑かけているが)。私一人恥をかくなり、不快な目で見られる程度で済むのならよかろう。

 

「……おい、半分使え。風邪になって移されたくない。無論無理にとは言わんが」

 

問題は相手に嫌と言われる可能性が高い事だが……。

 

「わかりました!」

「即断!?」

 

 私の突っ込みを他所に粗末な毛布の中に珍しくはしゃぐように入り込む付き人候補。

 

「……提案した私が言うのも何だが、良く即決したな」

 

 我儘主人とベッドを共同使用なんて嫌がるか、百歩譲って忠誠心が勝っていても無礼だなんだ言って遠慮するかもと予想していたが……。

 

「おとーさまがいっていました!わかさまのごめいれいはきくように、とくにいっしょにねるようにいわれたらとってもめいよなことだからぜったいにきくようにって!ですからとってもめいよなことなのではんたいなんてしません!」

「アッハイ」

 

 取り敢えずきらきらした瞳で答える従士に目逸らしして答える。あ、そういう事なのね!?本人が良く理解してなさそうだけど多分そういう事なんだよね!?

 

 正直、純粋な娘で助かった。不用意に口を開いていたら下手すれば地雷を踏んでいた。普通に考えたら臣下の娘を地位に任せて無理矢理手籠めにしたらライトスタッフルールに殺される……なんて冗談は置いといても相手の一族と顔合わせるのも怖くて出来まい。晒し刑とか公開処刑なんてレベルじゃねぇ。

 

「……毛布はこれをやる。こっから半分がお前の寝床だからな」

 

 そう言って大まかな寝る場所を決めると付き人候補に背を向けて雷雨の音を子守歌代わりにとっとと目を瞑ってしまう。

 

 

 

 

 ………夢を見ていた。そこは多分軍艦の中だと思う。眼前に浮かぶのは灰色の艦隊。私は宇宙戦艦の艦橋で茫然と立ち竦む事しか出来ない。周囲ではモスグリーンの友軍艦艇が次々と火球と化し、原子に還元されていく。無線通信からは友軍の悲鳴が響き渡る。部下の艦艇が、あるいは上官の艦艇が次々と撃ち減らされる。メインスクリーンには白銀色に輝く流線型の幻想的な戦艦が投影される。それを見た私は悲鳴に近い声を上げる。

 

「に、逃げろ……!全速力でにげ……」

 

 そこまで口にしようとして、私は固まる。逃げる?そのような事が許されるのか?たかが三代の歴史しかない帝国騎士、まして寵姫のスカートの下に隠れる男から?帝国開闢以来の伯爵家の嫡男が?許される訳がない。帰れば周囲の白い目が突き刺さる事は間違いない。実家から勘当される、それだけならまだいい。きっと家族も、臣下も巻き添えを食らう事請け合いだ。

 

 そこまで理解して、私は震える。逃げる事なぞ出来ない。だが、立ち向かう?無理だ。そんな事出来る訳がない。私は良く知っているのだ。あれは勝てない。あれに勝てるのはぼんやりと艦橋で胡坐をかく戦場の魔術師だけだ。どれ程の大軍を集めようと、名将が技巧の粋を集めようと、あの獅子は魔術師以外では勝てない。ましてたかがぼんぼんの貴族様が敵う道理がない。

 

「ひぃ……」

 

 頭の中で絶望が支配する。同時にそれが徒になった。次の瞬間、艦艇が大きく揺れる。何事かと理解する前に爆炎が艦橋を包み込んだ。酸素が一気に燃焼し、肺が焼ける。同時に耐熱性と難燃性に優れる筈の軍服が発火した。肌に至っては焼けただれる。

 

 悲鳴を上げる事は出来ない。喉はやられていた。不運な事に艦のダメコンは優秀に作動して一気に爆沈する事はなく、数少ない無傷の生存者がシャトルに搭乗するまでの間私の苦しみは長く続く事になる。融けそうになる眼球が艦内のほかの乗員が焼かれながら暴れる姿、あるいは床でのたうち回る姿、炭素の塊となって永遠に沈黙する姿を映し出す。その瞳は私を見ている気がした。

 

 もっと早く命令していればこんな事にならなかったのに……!

 

 その無言の糾弾にしかし、言い訳をする意味も時間もない。私自身の足が崩れ、床に倒れこみ、私は炭素の塊になるその瞬間まで意識を持ったままゆっくりと苦しみながら朽ち果てた……。

 

「はっ…あっ……!?」

 

次に私は気付けば絞首台にいた。

 

 そうだ、今はラグナロック作戦中だった。フェザーン進駐により、イゼルローン駐留艦隊は要塞を放棄した。その上でバーラト星系に続く諸惑星は無防備宣言をする事を最高評議会は認可した。多くの惑星は帝国軍に降ったが、アルレスハイム星系は金髪の淫売の弟に降伏する事を良しとしなかった。結果凄惨な攻防戦が繰り広げられた。

 

 惑星全土で、民間人を平然と巻き込み戦う亡命軍。私はその一軍を指揮していた。次々と突破される防衛線。臣下が次々と死に、遂に追い詰められる。徹底抗戦を叫ぶ部下達に、しかし私は命惜しさに一人降伏した。

 

 尤も、民間人を犠牲にして戦った私を高潔なローエングラム元帥府の将兵が許すとも思えない。民間人を盾にし、安全な後方に引き籠り、圧政を敷いていた貴族の残党として吊るされる。領主を信じて戦っていた領民や私兵達は自分達を裏切り一人降伏した私に憎悪の視線を向ける。皮肉な事に処刑されるまで私を守る最も信頼出来る護衛は帝国軍という有様だ。

 

 多くの憎悪の視線に突き刺されながら絞首刑に処される。

 

「あがっ……!?」

 

 不運な事に縄の長さが足りなかったのか首の骨を折って即死出来ずにもがき苦しむ。贅を尽くした生活を送り、卑怯にも投降した私に領民の罵詈雑言が飛び交う。悪意と敵意に包まれながら私は泡を吹いて窒息死した。

 

 あるいはバーミリオン会戦に参加する。必死に金髪の小僧を抹殺しようとした所で横合いからやってきた援軍により私は原子に還元される。

 

 あるいは正統政府の一員としてハイネセンで帝国軍に包囲される。私は絶望しながら毒を呷って、しかし臆病にも量を少なくしたせいで無駄に苦しみながらのたうち回りながら死んだ。

 

 あるいは一民間人として街に逃げる。憂国騎士団や同盟の右翼に宮廷帝国語を話す事から貴族とばれて吊るし上げられた。同じ帝国人には逃げ出した臆病者と罵られて私刑にされる。義眼の参謀長によりラグプール刑務所に叩き込まれ、暴動に巻き込まれ死体となる。偽装パスポートが無いからとハイネセンの地下に隠れていたら火遊びに巻き込まれ焼死体の出来上がりだ。

 

 だが、遂に……遂にあらゆる危険から逃れて生き残る。恐ろしい獅子帝も病に倒れ、遂に原作を生き残る。

 

 私は安堵の笑みを浮かべ、新しい身分、新しい地位、新しい人生を歩みだす。

 

 ………道端で見知った顔を見た。両足がなく、目の見えない物乞い。どこかで見た気がする。そうだ、屋敷の警備の私兵に見た顔がある。下町で花を売り日々の生活を凌ぐ娘はどこの従士家の娘だったか?路地裏のサイオキシン中毒者に見覚えがあった。我が家で仕えていた奉公人だ。何代にも渡って同じ仕事をしていたのだから主家が無くなった後の世間の荒波を生きていけるかは分かり切っている。街道ソリビジョンにはローエングラム王朝転覆を目論み、テロを起こした反体制派の処刑が行われる。

 

「あっ………」

 

 地球教の残党、門閥貴族連合の残党、同盟の主戦派に、フェザーンの旧体制派、そして、その中に見知った顔を見る。

 

 銃殺刑のために棒に括られ、目隠しされるその人物は、拷問か、自白剤の影響か、随分と衰弱していた。それでも殺気立てながらソリビジョンの中で声を荒げる。

 

『何が獅子帝だっ!何がローエングラム王朝だ!下劣な簒奪者め!所詮卑しい血の分際で、姉の色香で成り上がっただけであろうが!野蛮な戦争狂め!傲慢な権力者と地位欲しさに大帝陛下のご恩を忘れた取り巻きめ!』

 

 その罵倒の内容はかなり偏見を含み、一方的な部分も多い。だが、その憎しみはソリビジョン越しにも鬼気迫るものだと分かった。

 

『覚えていろ!いつか…いつか必ず報いを受ける時が来る!旦那様がいつか……いつか必ず栄光ある帝国を、ゴールデンバウム王朝を復活なされる!貴様ら全員地獄の窯に焼かれるがいい!』

 

 その人物の声は明らかに狂気に浸っていた。同時にその言葉を心から信じているようであった。

 

『構え!』

 

 うんざりするように憲兵隊が卑怯で、危険なテロリストにブラスターライフルの筒先を向ける。

 

「や、やめ……」

 

 私は青ざめる。そうだ、自分一人逃げてそれでどうなる?残された者はどうするのだ?その事に思い至らなかった私は馬鹿か?

 

「やめてくれ……おねがいだ……やめ……」

 

 私は震える声で叫ぶ。が、当然、ソリビジョンの先の行動を制止する事は出来ない。

 

煤に汚れているが、元は鮮やかであったろう金髪の女性は笑みを浮かべ、叫ぶ。

 

『ゴールデンバウム王朝万歳!亡命政府万歳!ティルピッツ伯爵家に栄光あれ!』

『撃てっ!』

 

切り裂くようなブラスターの光線の銃声が響き渡り、そして……。

 

 

 

 

「うわああぁぁぁ!!??」

 

 私は思わず悲鳴を上げながら起き上がる。そこは薄暗い小屋の中で、外はまだ嵐だった。

 

「ゆ…ゆめ……だよ…な……?」

 

 私は震える声で呟く。息は荒く、体中から汗が流れ、その体は死体のように冷たかった。心臓が異常な程高鳴る。不安と恐怖が自身の精神を蝕んでいた。きっと、この嵐への不安が私にあのような夢を見せたのだろう。つまり、私は自分で思っている以上に不安に苛まれているらしかった。

 

 目元から涙が溢れてくる。夢?違う、あれはいつか来る未来だ。どうしようもない未来だ。避けようのない絶望だ。

 

「い、いや…だ……そんなの……そんなの………」

 

 この立場に生まれた以上、自分が生き残れるか怪しい。だが、それ以上に家族や家臣が生き残れるのかがもっと怪しかった。

 

 きっと、彼らは帝室や伯爵家への忠誠心で戦い続けるだろう。その先に破滅が待っていると理解しても、認める事はしないだろう。そんな事想像もしないに違いない。何十世代も、何百年もそうしてきたのだから当然だ。

 

 だから、私に出来るのは嫌われる位だ。同盟が滅びる頃なら、きっと私は当主か、そうでなくても相応の立場にいる筈だ(生き残っていれば、だが)。

 

 私の死はほぼ覆しようはない。だから……せめて嫌われる。臣下に嫌われて家への忠誠心なんて捨てさせる事が私に出来る事だ。可能な限り周囲を遠ざけ、疎まれ、呆れられ、嫌われる。

 

 そうすれば私のとばっちりを受けたり、無駄な忠誠心を発揮して無謀な抵抗を行う者は少しは減る筈だ。そうであって欲しい。だから嫌われよう。

 

だって……それしか私の選択肢なぞ無いじゃないか?

 

だから……それで良かった筈なのだ。だが……。

 

「わかさま……?」

「えっ……?」

 

その声に私は思わず恐怖しながら視線を向ける。

 

 そこには毛布を羽織った少女がいた。目元は寝ぼけ気味であるが、とても不安そうに、そして心配そうに視線を向ける。どうやら悲鳴で起こしてしまったらしい。

 

「……なんだ?別にお前を呼んでなぞいない」

 

 嫌みを込めて、私は答える。敢えて嫌われやすい言い方をしたのもあるが、それ以上に今の私は気丈に振る舞わないと、心が折れそうだったのだ。

 

 そんな私の感情を知ってか知らずか、少し失礼に思えるほどにじっと、半開きの瞳で従士の娘は私を見つめる。

 

「こわいゆめをみましたか?」

「………っ!どうしてそう思うんだ?」

「……だってわかさま、とてもかなしそうなおかおをしていますから」

 

 そう口にする従士の少女の方が、よっぽど悲しそうにしていた。

 

 そして、自然体でこちらに近づき……当然のようにぎゅっと抱き締められた。

 

「……っ!?な、何する気だっ!!無礼だぞ下郎!?」

 

 いきなりの事で私はヒステリックに叫びながら非難する、が動揺か不安か、少し抵抗するがそれ以上彼女を押しのけたり、暴れる事は出来なかった。

 

……いや、多分する事が怖かった。して少女が離れて行く事が怖かった。また独りになるのが恐ろしかった。

 

「おにいさまたちがいっていました。おかあさまはこわいゆめをみたり、ないていると、いっつもこうやってだきしめてくれたらしいです。だから、わたしもわかさまがこわくてかなしそうにしていますからぎゅっとだきしめます!」

 

 邪気の欠片もなく、完全なる善意から来る言葉でそう答える少女。

 

「こわかったのですよね?つらかったですよね?そういうときはいつでもおなぐさめいたします。いつでもおなきください。つきびととして、ひみつをまもり、つくし、おつかえします。どうぞごえんりょなく、ごめいれいくださいませ」

 

 にこり、と子供らしい、愛らしい笑みを浮かべながら、赤子をあやすように私の頭を撫で始める。

 

 正直こうして撫でられる私の姿は大層滑稽で、情けない事であろう。私だって、そう思う。

 

 だが実際、今の優し気な進言により、私はこの幼い少女につい甘えたくなり……寸前で我慢する。

 

「……止めろ。お前にそこまでする義理はないだろう?その分だと親に随分と仕込まれたらしいな……!」

 

 散々嫌みを言い、難題を言ってやったのだ。まして、私のせいで遭難して、獣に襲いかかられ、嵐でこんな場所に閉じ籠る羽目になった。私のせいで危険に合わせてばかりと言ってよい。

 

 どれだけ忠誠を誓うように教育されていても、私に尽くす道理なぞ、まして子供の身でそこまでする道理なぞない筈だ。

 

「わたしがいきているのははくしゃくけのおかげです」

 

付き人は語る。

 

 父から聞いたという。自分の先祖は親も分からない孤児で少年兵だったと。伯爵家の始祖が地方の平定をした際に捕虜になったらしい。その際に降伏勧告を受けながら抵抗し、遂には初代伯爵に怪我を負わせたと言う。処刑されても可笑しくはなかった。

 

 だが、伯爵は寧ろその腕を賞賛し、厚遇し、遂にはその実力を信頼して従卒として常に傍に控えさせたという。

 

「おとーさまがいっていました。はくしゃくけのごおんでいまのわがやのはんえいはつづいていると」

 

 貴族制度の始まりと共に従士に叙任されたのはその出自から見れば破格の名誉だ。まして、名前が無い故に家名まで与えられる事がどれ程の栄誉であるか。

 

「はくしゃくけのごおんがなければわがやはないといってました。いま、いちぞくがあるのははくしゃくけのおかげ、ならばいちぞくのいのちにかえてでもこのおんをかえすのがどうりです」

 

 きらきらとした瞳に慈愛の笑みを浮かべる少女。そこには私への絶対的な忠誠心があった。きっと命を捨ててでも、最後まで忠誠を誓ってくれるのだろう。それは封建的な主君への絶対忠誠だ。あるいはそれは洗脳に近いかも知れない。だが、だが……。

 

 多分、自身の精神が肉体に引っ張られている事もあるだろう、悍ましい夢を見た直後である事もあるだろう、遭難して不安と自責の念に苛まれている事もある筈だ。

 

だからきっと、私の心が弱くなっていたからだろう。

 

 だから私はこの信頼出来る哀れな洗脳された子供に弱音を吐いた。縋りついた。

 

「……怖いんだ」

「はい」

「きっと、どうにも出来ないと思うんだ。けど、逃げる訳にもいかなくて、全部捨てる勇気もなくて……」

 

 次第に涙声になりながら独白する。抽象的な言い方のため、きっと意味も分かるまい。それでも一人で溜め込んでいた事をぼそぼそと小さな少女を相手に吐き捨てる。

 

「分かっているんだよ。逃げちゃ駄目だって……けど、そこまで生き残れるかも分からないんだ。それにやっぱり覚悟を決められる程の勇気も無いんだ」

「はい」

 

 所詮私は貴族の振りをした小市民だ。何をするにも中途半端で実力もありやしない。

 

「けど、どうしようも無いだろ?怖くて、怖くて、現実から目を背けたくなるんだ。前に進む事が出来ないんだ」

 

 いっそ、何も知らないままなら良かったのに。そうすれば苦悩せずに済んだのに。死ぬ覚悟もなく、意思を突き通す覚悟もないんだ。どっちつかずで、逃げだす事も、立ち向かう事も出来ないんだ。

 

 あの金髪の皇帝に立ち向かうのが怖い。けど皆を捨てて一人で逃げるのも嫌で、だから一人だけ孤独に道化をするしか道が無くて……。

 

……だから、どうしようもないだろう?

 

「でしたらわたしがおまもりいたします」

「え……?」

 

 情けなく、泣きじゃくる私に、しかし嫌な顔一つせず、笑顔を向けて従士は語る。

 

「つきびとはしゅじんをおまもりするためにおります。わかさまのもくてきのためにこのベアトがふしょうながらおそばでおまもりいたします」

 

 小さな少女は平然と、しかし決して無責任ではない、使命を自覚した口調で続ける。

 

「ですからわかさまはどうぞ、しゅういのさいじはおきになさらず、もくてきにむけておすすみくださいませ。もんだいがあればかいけついたします。きけんがあればおまもりいたします。わかさまにたりないものがあればおぎないます。ですから……」

 

どうぞベアトにお任せ下さい、と語る。

 

「……もしかしたら実家や一族を敵に回すかも知れないがいいのか?」

「わかさまのつきびととしてやくめをはたします」

 

恭しく、従士は答える。

 

「……多分、辛い目や苦しい目に合う筈だ。それでもついて来れるのか?」

「つらいことも、くるしいことも、かわりにせおいます」

 

当然の事のように従士は答える。

 

「……それが自分が死ぬかも知れなくても?」

「わかさまをおまもりするためならば」

 

覚悟を決めた表情で少女は答えた。

 

 そして、私は泣きながら、情けない姿で小柄な少女にぎゅっと抱き着く。そして口を開き……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んんっ……寝ていたか」

 

 静かに覚醒した私は、自身が入院室の椅子の上で腕を組んで寝ていた事に気付く。

 

 涎を拭きながら(我ながら情けない)寝ぼけた頭を働かせて私は記憶を辿っていく。

 

 ……そうだ。同盟軍の救援部隊に救護された後、私は少尉が手術を受けた同盟軍フローデン州軍病院で傷の手当をした後、一応の入院をしながら各種の書類作成と報告をしていたのだった。

 

 特に事件の経緯報告と戦闘詳報、民間被害報告や事件の容疑者の処遇について上司のコクラン大尉のほか同盟軍憲兵隊、法務部、亡命軍州軍司令部、第9野戦軍団司令部、第36武装親衛師団司令部に通達・調整作業を実施した。コクラン大尉は心配して配慮してくれたが(尚民間被害報告の補償費用を見て白目になった。残業ガンバッテネ!)、それ以外との顔合わせは胃に穴が開きそうだった。 

 

 結局、殆どブロンズ准将やホルヴェーク少将に根回しして「天からの声」で解決して頂いた。

 

 第36武装親衛師団司令部の訪問は苦痛以外の何物でもなかった。流石に私が逃亡兵の大半を生け捕りにしたのは伝わっていたらしく……内容に尾びれがついていたが……兵士達に揶揄われる事は無かった(逆に少し引かれた)。師団長は彼自身の首も物理的に飛ぶ可能性もあったのに飄々とした態度で応対してきた。

 

 私としては面倒ながらも師団長殿に形式的にだけでも始末書を書かせる要求をした。色々揶揄われたが、最終的には承諾し、翌日には始末書が送られてきた。添削の必要の一切ない完璧な形式であった。

 

 兎も角も逃亡兵は全員短時間で生け捕り、負傷者はいるものの死亡者がいない事、第四次イゼルローン要塞攻略作戦が近い事もあり事件は迅速に処理が図られる事であろう。亡命軍の軍法会議で裁判、その後同盟軍の軍法会議に掛けられる事が決定している。どのような判決が出るかは不明だが、そこまで私が関知する事ではない。

 

 被害を受けた民間財産については同盟軍と亡命軍とで協議した上で補償される事になる手筈だ。その一方で事件について被害を受けた民間人家族については軍部の名誉のために緘口令が敷かれた。尤も、民間人とはいえ士族なので当然のように受け入れたが(後、屋敷の御当主と夫人に非礼を謝罪された。受け入れないと相手の外聞が悪くなるので横柄に受け入れた。怖いね、階級社会って)。

 

 余り公に出来ないが一応の勲章授与も受けた。同盟軍からは三つ目の戦傷章と二つ目の市民守護勲章を授与された。また亡命軍からは戦傷章(三枚目・銀章)が授与された。流石に事が事なので式典などなく、勲章入りの木箱を兵士が贈呈してくる形であったが。

 

 因みにノルドグレーン少尉に対しては同盟軍より名誉戦傷章、及び戦闘賞賛章(軽度の戦闘・その他の功労において授与される、今回の場合人質からの脱走・戦闘が授与理由だ)が授与された。尤も、亡命軍からは戦傷章すら無かったのが今回の事案に対する認識が良く分かる。

 

 こんな事をしている内に数日たって日付は気付けば3月17日になっていた。私は執務を終えると、手術の際の麻酔もあり、未だに目を覚まさないノルドグレーン少尉の入院室に見舞いに行き、そのまま居眠りをしていたらしかった。

 

「時間は……もう夜か」

 

 ぼやけた視界で壁の針時計を見ればもうすぐ1900時となっていた。1600時頃に入室し、1630時頃までは意識があったのは覚えている。最長で二時間半寝ていた計算だ。そこまで酷い怪我ではないとはいえ、やはり事務仕事による疲労も含め、思いのほか体に無理をさせていたのかも知れない。

 

「悪いな、少尉。寝てしまっていたらしい」

「いえ、構いません」

「そうか、ではそろそろ失礼しよ……ん?」

 

 半分独り言に近い形でそう口ずさみ、退席しようとした瞬間、私は固まる。理由は当然、独り言に対して良く響くソプラノ調の美声が返ってきたためだ。

 

 ベッドの上で横になっていた少尉に視線を向けた時、私をぼんやりと見つめる赤い瞳と目が合った。

 

「……起きていたのか」

「夜分遅くに御訪問、恐縮で御座います。……目覚めたのはほんの一時間程前の事で御座います」

 

 私の質問に近い挨拶に、ベッドの上で小さく頭を下げ、丁寧に返答する少尉。

 

「ナースコールはしたのか?目覚めたのなら検診があると思うが……」

 

 まさか検診中間抜けに一人室内で寝ていたとか嫌だぞ。恥ずかしい。

 

「いえ、まだ連絡はしておりません。御就寝する若様の安眠を阻害する事になりますので」

「別に構わんのだがな……いや、気遣い御苦労。……どうだ、体の調子は?」

 

 受けた銃弾三発の内二発は小口径の拳銃弾、一発は平均的な小銃弾であるが人体を貫通ではなく掠ったような物で致命的なものは無かった。手榴弾片は盾になる際に地面に伏せたため大半の破片を受ける事は無かった。受けた破片も動脈や臓器を損傷させたものは無かった。厳しいのは脇腹を裂いた傷だが初期対応で大量出血は防げた事、傷口が綺麗に切れていた事が幸いして出血死せず、接合も比較的迅速に上手くいったらしい。野戦応急処置の技能を習得していて良かったよ。

 

「目覚めたばかりなもので……やはり傷口の治癒が完全とは言えませんので痛みは残っております。ですが二週間程あれば傷跡も殆ど消え、問題無く活動可能になる程度には回復出来ると思われます」

 

 理論的に、かつ恭しく答えて見せる少尉。

 

「そうか、ならば良かった。後遺症でもあれば私の責任だからな」

「御心配して頂き恐縮です」

 

 そう口にする通り、少尉は心底恐縮したように答える。……尤も、その表情には僅かに憂いの影が見えた。

 

「……少尉、朗報だ。同盟軍の方からな、名誉戦傷章が授与されたんだ。見て欲しい」

 

 私は椅子から傍の机の上に置いてあった木箱を開き、持ってくる。

 

「わ、若様が態々御身を持って御見せになられなくても……」

「構わんさ。流石に怪我人に自分で取れとは、まして私の盾になって負傷した者にそんな無体な真似は出来んよ。まぁ、褒美とでも思っておけ」

 

 ぶっちゃけその程度で褒美扱いとは高慢もいい所だけどね!

 

「は、はぁ……恐縮です」

 

そう言って傍に持ってこられた木箱の中を見やる。

 

「これが……」

 

 どこか感動したような、感無量と言った口調で勲章を見やる。最近授与総数23億枚を突破したピエール・ルブラン上等兵の横顔が刻まれた銅製メダル。本音を言えば経済的には希少性の欠片もないせいぜい30ディナール程度の製造費用しかないが、名誉という点では決して軽い訳ではない。

 

 これを胸に付けていれば誰もがその者が軽傷か重傷かによるが祖国のために戦い、血を流した事を知るのだ。後方勤務要員には前線で文句を垂れる同僚を馬鹿にしつつもそんな彼らの付ける戦傷章に複雑な感情を持つ者も少なくないのだ。

 

 まぁ、もう三枚目(プラス亡命軍の物二枚)な私にはガチ目に要らないけど。というか増える程悲しくなる。なんで門閥貴族で士官なのにこんなに戦傷章あるんですかねぇ?

 

 それは兎も角、やはり技能章は兎も角戦歴による勲章が皆無な少尉にはやはり同じ戦傷章でもその価値は全く違うのは当然だ。

 

 ゆっくりと勲章を手に取り、その手触りを味わうように確認し、胸元に装着しようとして初めて自分が軍服ではなく患者服を着ていた事に気付く少尉。少々寂し気に勲章を戻す。

 

「ありがとうございます。もう大丈夫です」

 

その声に私は頷く。

 

「今は入院しているから仕方ない。退院したら装着するといいさ」

「そうですね。……ええ、そうです」

 

 優し気に微笑む姿は、しかしどこか儚げで、悲しそうなものだった。

 

「若様は、何か褒章は授与されましたか?」

「ん?ん……んん、まぁ、な」

「どのような物を?」

 

誤魔化そうとしたが、その前に機先を制される。

 

「……迷惑料だろうけどな、戦傷章と市民守護勲章をな」

 

 明らかに私の立場から来る大盤振る舞いであろう。しかも形だけの、だ。同盟軍のお偉いさんの適当な勲章でご機嫌とっておけば良いだろう、と言う考えが透けて見える(そして名誉を好む一般的な帝国人には効果覿面だ)

 

 ……まぁ、軍部の予算不足もあるからなぁ。戦傷章も市民守護勲章も付属する特権や報奨金もない。大盤振る舞いしても痛くも痒くもない訳だ。

 

 そのため実際、勲章の数ほどに実が伴っている訳ではない。

 

「……流石若様で御座います。遅ればせながら御祝い申し上げます」

「……ああ、その言葉、有り難く頂いておこう」

 

 礼節を持ってそう祝いの言葉を口にする少尉に、私は淡々と受けとる。亡命軍からの勲章については互いに触れない。少尉も理解しているだろう、敢えて触れる必要はない。

 

「……」

「……」

 

 互いに言葉に詰まり、静寂が室内を支配する。互いに思う所があるが口に出せないのだ。尤も、少尉は立場故にであるが、私の場合は単なる臆病さ故であるが……。

 

「……そろそろ医者に連絡した方が宜しいですね」

 

 暫しの沈黙の後にそう言ってナースコールに手を伸ばそうとする少尉。

 

 それが話を打ち切ろうとする合図であることはすぐに分かった。

 

「っ……!ま、待てっ!」

 

 咄嗟に、慌てて私はナースコールに伸びる手を掴み止めた。

 

 ビクッ、と少尉が体を震わせるのが分かった。そこで、私はかなり強い口調で静止させた事を自覚する。

 

 少尉の瞳に不安と恐怖を混ぜたものがある事に気付き、私は内心で強く反省しながら、可能な限り穏やかに話しかける。 

 

「済まん、我が儘になるが医者を呼ぶのは少し待って欲しい。……まだ少し話したい事があってな。出来るか?」

 

 尤も、質問に対して彼女が出来る返答は一つしかない事は知っていた。分かっていて敢えて尋ねる私は随分と酷い人間だと自覚するが……それでも命令よりも質問として尋ねたかった。

 

「……構いません」

 

恐る恐る、少し震える声で答える少尉。

 

 私は頷き、手を離す。そしてゆっくり椅子に座ると口を開いた。

 

……さて、自分の尻拭い位は自分でしないとな?

 

 

 

 

 

 

 まず、此度の事件について門閥貴族の在り方で謝罪した。人質事件に巻き込まれるような部署に配属した事の人事上の判断ミスに対する謝罪だ。

 

 正確にはそれは同盟人にとっては謝罪とは言い難いのであるが、この際は仕方無い。寧ろ下手に貴族らしくない謝罪をしても気味悪がられるだけだ。

 

「少尉は後方勤務に秀でている。その点で貴官にあのような危険性の高い部署に置くべきではなかった。まして碌に装備もつけるように命じなかったのは私の誤りだった。此度の事件に関して人質になった事で悔やむ事はない」

 

 まして、事件発生時点で対応すべき護衛部隊も碌に抵抗出来なかった点、私が突入した時点では脱走可能な状態であった事を考えれば落ち度と言える程の落ち度はない、と口にする。

 

「し、しかし……伯爵家の従士が不名誉な捕囚となるなぞ、許される事ではありません……!!」

「いや、捕囚のままなら兎も角、私が来た時点で脱出可能であったのだ。その点で問題にする事ではないよ」

 

 問題にすればヴェスターラントの砂漠でモヒカン達の改造地上車の先にくくりつけれドライブさせられた初代ブラウンシュヴァイク侯爵の立場は無い。彼も文官枠で指揮は兎も角、白兵戦はかなり不得意だった。少尉も後方勤務向けであることを思えばそこまで責められる筋合いはない。

 

「少なくとも私はそう書類上は処理した。少尉がどのような経緯を書類で報告するかは知らないが、まさか私と矛盾する内容は書くまいと信じているよ?」

 

 少し脅迫に見えるが、別にそこまで出鱈目な内容を作成した訳でもない。少尉が必要以上に自身の責任を背負う内容にしなければ矛盾しない事だろう。

 

「………どのような風の吹き回しで御座いましょうか?」

 

 暫しの沈黙の後、警戒するような、それでいて絞り出すようなか細い声が室内に響いた。

 

「………どのような風の吹き回し、か」

 

噛み締めるように私はその言葉を反芻する。

 

「……若様が私を疎んでいるのは自覚しております。私を外そうと為さっている事も承知です」

 

 そこまで口にして、肩を震わせる少尉。自身の口にする内容が普通であればどれ程無礼に過ぎる内容かを自覚しているからだろう。だが、同時にその内に籠る激情をこれ以上溜める事が出来ないというように震える、それでいてどこか怒りと悲しみの入り交じる声で言葉を紡ぐ。

 

「……それは構いません。若様のお気に召す事が出来なかった……私の落ち度です。前任者については知っております。私と違い長くお仕えし、士官学校を優秀な成績で卒業したことも、実戦経験済みである事もお聞きしております。私では御側にお仕えするのには不足である事も……」

 

 恭しく、完全に礼節に則って語る少尉。だがそれでも、元よりこのような事を口にする事自体が許されない事を思えば場合によっては慇懃無礼にも思われるかも知れない。そのように思われないのはやはりベッドの上で弱弱しい姿をしているシチュエーションとソプラノ調の美声のおかげであろう。

 

「ですからこそ、何故今になってこのような擁護なされるような御言葉を口になさるのでしょうか?唯の同情で御座いましたらそのような事を為される必要も、受ける権利も御座いません」

 

ベッドの上で疲れた、しかししっかりした口調でそう断言する少尉。

 

「………はぁ、まず少尉の矜持を傷つけたのは私が迂闊だった。善処しよう」

 

私は、小さく溜息をつくと、ベレー帽を脱ぎ、そう謝罪の言葉を吐く。

 

「貴官に対して疎みが無かった、と言えば嘘になる。無論、理由はある。だが貴官の矜持を傷つけるつもりは無かった。その点に思い至らなかったのは私の落ち度だな」

 

手元のベレー帽を少し弄びながら言葉を整理し、少尉の目を見つめながら言葉を続ける。

 

「疎む理由は大きく三点だ。一点は貴官が監視役を帯びている事、これについては今更口にする必要はないだろう?」

 

首を縦に振り少尉は肯定する。

 

「うむ、まぁ誰でも監視されるのは愉快ではないからな。まぁこの理由は三点中最も小さな理由だが……。二点目は貴官が事務役である点だな。確かに貴官の実力は本物だ。ゴトフリート中尉よりも柔軟だし、事務処理も早い。だが、私が一番求めるのは指揮官だよ。これについても言わずとも分かるな?」

 

 嫌が応にも将来的に出世してそれなりの軍勢を率いる必要がある身だ。故郷への面子と、金髪の小僧をどうにかする上で、な。そうなれば事務屋は兎も角、信頼出来る中堅指揮官が欲しいのが正直な所だ。ベアトはその意味では士官学校の成績からも、立場からも最も気軽に手に入れられる人材の一人だ。島流しなりどこぞで戦死されたら困る。

 

「三点目、これが一番重要な理由だが……一つ前置きしておけば別に貴官を侮辱する意図は何一つ無い、唯の私の極めて主観的で我儘な理由である事を分かって欲しい」

 

念のため、私は前もってそう指摘する。

 

「はい、分かりました。どのような理由であっても受け入れさせて頂きます」

 

身構えるように少尉は頷く。それでも恐らく私の理由を聞けば怒るであろうがそれは仕方ない。

 

「うむ、そうだな………私はな、ゴトフリート中尉を信頼しているんだよ。……彼女が私のために命をかけてでも守ってくれる事、恐らくは私のために何が有ろうとも最後までついてきてくれる事をな。……だから私は信頼出来る彼女を傍に置いておきたい」

 

「信頼……?」

 

 意味が分からない、そんな感情を乗せて少尉は口を開く。それは明らかに少尉にとって、従士にとっては侮辱にほかならない言葉だった。

 

「信頼するが故に傍に置くと……そう仰るのですね……!?」

 

声を震わせてそう口にする少尉。しかしその震えの意味が先程とベクトルが違う事をすぐに察する。

 

「なんですか、それ……私達従士の事を…500年も仕えて、血を流してきたノルドグレーン一族が信頼出来ないという事ですか……!私の姉の忠誠心が信頼出来ない!?貴方の怒りを買う事も顧みず諫言した姉の忠誠心もですか……!?」

 

そこには取り繕いが一切無かった。もしもほかの従士がいれば一斉に彼女を取り押さえた事だろう。

 

「貴官の姉については覚えているよ。マヌエラ……だったな。良く出来た従士だった。賢く、責任感があり、実直だった」

「そのような弁明は御無用です……姉に……姉に一切の瑕疵(かし)も、過失もありませんでした……!それを……それを……要らぬ諫言で伯爵家と自身の名誉を穢したと口にしたのは貴方の筈です……!」

 

 少尉は可能な限り冷静に、礼節を持って言葉を紡ごうとしていたが、それは不可能に近かった。その口から吐き出される言葉は明らかに従士の口にしてはいけないものであり、その口調は沸き立つ溶岩が噴火する直前の事だった。

 

 内心怖気づくがそれは噯にも出さない。一番怖気づいているのは恐らく少尉であり、その怒りは正当なものであり、私はそれを受け入れる義務がある。

 

 十七人目の付き人候補として来たマヌエラ・フォン・ノルドグレーンは私の二つ年上だった。黒いショートヘアに黒曜石のような光を帯びた瞳の少女だった。主従の間柄として線を踏み越えないように、それでいて弟に接する姉のように(私の我儘具合を理解するからこそこの形にしたのだろう)接してくれた。

 

 これまでの付き人候補と言えば幾ら何でも子供であり、無茶や我儘を言いまくれば泣いたり(怒る者が一人もいなかったのはある意味凄い)、失敗する事が多く、あるいは小さな怪我をする事も極稀にあり、それを理由に解任してきた(一人だけストーカーを理由に追放したが)。

 

 だが、彼女は優秀だったのだろう。私の命令にも良く聞いてくれた。子供ならば我慢出来ない事でも聞いてくれた。正直、解任する理由が無かった。

 

 だが、やはり私は当時荒れていた。原作の高慢な大貴族と同じようなものだ。私は庭先で恭しく世話を焼いた使用人の一人に、ふと不快感を持って(言っておくが彼女に落ち度はない、世話された事自体が貴族らしく嫌だったのだ)、つい命令したのだ。確か「お前気に入らない。あの池にいますぐ突っ込めよ」、だった筈だ。

 

……まぁ、注意を受けると思ったら即答で池に突っ込むとは思ってなかったけどね。

 

唖然としたよ。流石に本当にやるとは思わなかった。マヌエラはそれを見て私を叱った。いや、叱ったというよりは諫言に近い。礼節を持って、その内容も真っ当な内容だった。臣下に不必要に痛めつける御命令はなさいませんように、と言った風にだ。

 

 平民の奉公人出身の使用人はお気になさらずと口にしたが、彼女はそれを無視して私に諫言を続けた。それは明らかに正しい判断だ。下手すれば暴君誕生なので、芽が小さいうちにそれを抜き取ろうというのは当然、主人に諫言するのは忠臣の行動だ。

 

 まぁ、私が馬鹿なので逆ギレしたんですけどね?

 

私自身も動揺していたし、小さな子供にそんな事を言われてついむきになった。もしかしたら知らないうちに原作の門閥貴族様みたいな価値観も形成されていたのかも知れない。暴言を言って諫言を無視し、つい興奮して足を滑らしてそのまま池にダイブした。

 

 直後に池に突っ込んでいた使用人が悲鳴を上げ、それに釣られて母が来て……まぁ、そこから先は余り口にする必要もあるまい。

 

事情聴取自体は正当になされた。嘘を言った者は一人もいない。それでも母は逆上したが。

 

 目の前にいながら主人が池に突っ込むのを止められなかった従士、ましてそれが諫言から来たのなら責任はマヌエラにあるのは明白、と母は斜め上の結果を口にした。私自身は積極的にではないがこれで外せるならと考え婉曲的にその意見を支持し、結局彼女は返却されたのだった。

 

……おう、どう考えても私の責任ですね、本当にありがとう御座いました!

 

「正直に言います!貴方が我儘で、身勝手な御方ならば私だって我慢出来ました!どのような主人にも尽くすのが我が一族の役目です!ですが……!何故姉が仕えていた頃と違うんです!?前任者は姉と何が違うんです!?こんな理不尽ありませんよ!姉の後の付き人には何度も間違いを犯しても許して、姉は何で追い返されたのですか!?どうして……どうして………」

 

 怒りに震える口調は次第に涙声になっていく。正直その言葉を聞くのは辛いが逃げる事は出来ない。その資格はない。彼女の疑問と怒りは正当だ。

 

「……すまない、と言っても意味はないな。本来ならな、ゴトフリート家の娘だって追い出す筈だったんだ」

「………」

 

すすり泣きながら、少尉は黙っている。先を、という意味だ。

 

「私は……その、自暴自棄というか、人間不信というかな、まぁ不安定な時期だったんだ」

 

 そう言って語っていく。具体的な内容は言わない。流石に転生したぜウェーイ!なんていえばふざけているのかと逆鱗に触れるか、気が触れたかと思われるだけだ。

 

 貴族である事のストレス、将来が元から決まっている事、周囲が自身の事を伯爵家の者であるからどこまでも付き従う事への苦悩等を理由に説明する(間違ってはいない)。

 

「私自身でも今となっては愚かな事だと理解している。だが、当時は自分自身の事しか考えていなかったんだ」

 

 マヌエラの諫言は真っ当なものだ。だが自分自身の事しか考えていなかった私には深く考える事が出来なかった、と釈明する。

 

「私が昔、宮廷で遭難した事は聞いた事はあるか?」

「……はい」

 

 少尉にとっては前任者の最初の失態に見えた事だろう。きっとこれでベアトが飛ばされたならこれ程根に持つ事は無かっただろう。

 

「私の我儘で遭難してな。まぁ、鹿に追い回されたり、雷雨に襲われたり、風邪を引きかけたり色々あった」

 

本来ならば付き人失格の内容だろう。少なくとも客観的には。

 

「ベアトは私の馬鹿な命令に従って、誠心誠意私の身を守ろうとしてくれた。古い小屋の中で不安やら悩みやらのせいで嫌な夢を見てな。情けなくもそこで散々ぞんざいに扱っていた従士に慰められてしまってな」

 

 ベアトに意味不明の不安を吐き出して、それを子供の身で受け入れて、慰めてくれたのだ。自暴自棄になっていた私に、それでも最後までついてきてくれる、と言ってくれたのだ。

 

 その時、依存した、と言えばそれまでだろう。だが、子供の私にとっては口ではなく、目に見える形で自分のために命を賭けてくれる従士に初めて出会ったように思えたのだ。同時に、門閥貴族として、自身の進むべき道を歩むための覚悟をさせてくれた存在でもある。

 

 それからは視野が広くなった。自身の立場を認め、受け入れる事が出来た。自棄にならずに、冷静に、落ち着いて周囲の意見を聞き、癇癪を抑えられるようになった。

 

「別に少尉の姉に落ち度があった訳じゃない」

 

 タイミングの問題だ。マヌエラの諫言は正しい。だがその時の私にとってはそこまで視野が広く無かった。自身の事しか考える事が出来なかったのだ。まずは貴族としての意識を持てるようになる事が大事だったのだ。伯爵家と家に仕える臣下達のために義務を果たそう(破滅回避)と思えるための切っ掛けが。

 

「……あの遭難で、辛くも貴族としての覚悟を決めたんだ」

 

 私は少尉を見る。私の話にどのような解釈をしたか分からない。大方多くの家臣が周囲から消える事で貴族がどれだけ周囲に支えられているのか、忠臣達がいかに大事なのか理解した、という所だろう。それでいい。そう思ってくれていい。破滅が来る事を知っているのは私だけで十分だ。

 

「一応、私としても役目を自覚した後は迷惑かけた候補達に詫びの手紙を出したのだが……やはり随分と一族で叱責や罰を受けた者もいたみたいだな。私としてもどうにかしてやりたいが……」

「えっ……?」

 

私の発言に、想像もしていなかった、という口調で少尉が口を開く。

 

「て…手紙を…出されたので……?」

 

少尉の口元が震える。

 

「ん?そうだが……?あっ……まさかと思うが……」

 

嫌な予感がする。

 

「その、姉からはそのような事は聞いておりません……」

「……成程、ならば一層私を恨むのも当然だ」

 

 主人(つまり私)の詫び状は当然人に見せるべきものではない。筆跡や印鑑が偽造される可能性もあるし、手紙そのものが基本主人からの贈り物、まして詫びを入れるものはあけっぴろげに見せるべきものではない。

 

見せるとすれば家族向けだろう。私が問題無い、と言えばそれ以上の追求は許されない。

 

 間違いなくマヌエラにも手紙は送った。格別文面に気を使ったのを覚えている。返答の手紙も受け取った。偽造されたり、手紙が途中で奪われたりはしていない筈、ならば……。

 

「姉が…自発的に見せていないのだと思います……」

 

俯き加減で少尉が答える。

 

「姉は付き人を外された件について随分気に病んでいましたから……とても生真面目で……」

 

 暫くして明るさは取り戻していたが、多分生真面目なために失態を気に病み、敢えて家族に見せていなかったのだろう、自身を戒めるため……少尉は姉の性格からそう語る。

 

「……成程、ならば改めて私が会って話してみよう。彼女なりに思う所があるのだろうが、あの件は私の我儘のせいだからな。そこまで気を使わせる訳にもいくまい」

 

 彼女からすれば不可抗力とはいえ自身の責任であると考え敢えて家族に手紙を見せていない可能性がある。しまったな……相当思い詰めているのかも知れない。

 

「しかし……!若様にそのような御手間をかけさせるのは………」

「構わんよ。少尉の実家の方にも手紙を出して説明しよう。少尉からしても私が直々に筆を執った方が都合が良かろう?」

 

 元々始まりが殆ど八つ当たりだしな。散々散らかしたのだから後片づけくらいしなければなるまい。

 

「宜しいの……ですか……?」

 

恐る恐るという口調で尋ねる少尉。

 

「何、問題は一族内での事だろう?ならばノルドグレーン家内の秘密にしてくれたら良い。……500年伯爵家に仕えてくれているんだ。それくらいは信用するさ」

 

 一族の忠誠心を出汁にして補足する。この手の台詞は臣下に効果覿面である事を私は良く知っていた。

 

「……はい、若様。どうぞ姉の事を宜しくおね…………っ!」

 

 声を弾ませて、そこまで言おうとして少尉は言葉を詰まらせる。これまで自身が吐いた罵声を思い出したのだろう。日焼けのない白い顔が青ざめる。

 

「そ…その…わた……あ…なんて口を………ば、罰は如何様にも御受け致します……!で、ですので姉についてはどうか……どうか……!!」

 

 今にも泣き出しそうな表情で懇願しようとする少尉。まだ傷口が塞がり切っておらず痛みがあるだろうに体を起こそうとするのも慌てて私は止める。

 

「お、お願いします!私一人の命程度でしたら如何様にも……!ですから姉は……姉は!」

「いやいや、そこまで必死にならなくていいからな!?」

 

今更そこをほじくり返して全て覆すとか唯の畜生だからな!?

 

「ず、随分と弱っていたようだし、一時の気の迷いとでも思って忘れておく。安心しろ、その程度で一度言った事は覆さんよ」

 

そう断言して安心させる。いっそ、契約書でも書くかね?

 

 寧ろ、本当に手紙を出したのか、私が良い加減な事言っていないか疑った方が良いんじゃないですかねぇ?え?主人の言を信じるのは当然?さいですか。

 

「まぁ、そういう訳だ。私は……まぁ、そんな極めて個人的で我儘な理由でベアトに戻ってきて欲しいんだ」

「……はい」

 

 今度は随分としおらしく、遠慮がちに答える少尉。理由は理解出来た、私への不満もかなり和らいだ、だがここに来て新たな問題がある訳だ。

 

「……責任を取って自決する気か?」

「……普通に考えればそれ以外に責任の取り様が無いので」

 

 捕囚となり主人に迷惑をかけたのだ。しかも彼女が言うには母上の差し金(おいおい、初めて知ったぞ)らしい。責任を取らなければ一族と姉に迷惑をかける、と言う事だそうだ。

 

「それについてだが……少尉が良ければだが………私の下に残ってもらえないかね?」

「えっ……?」

 

心底意外そうな目付きで私を見る少尉。

 

「いや、この数か月仕事をして少尉の能力は理解した。ベアトより事務に秀でているからな、貴官が傍にいてくれると正直助かる」

 

かなり仕事で楽をさせてもらった。

 

「それに……命を賭けて私を守ってくれたしな。そういう咄嗟の事が出来る者が……いや、多分他の者も出来るのだろうが、私は疑り深くてね、実際にこの目で行動で示してくれた者の方がどうしても信用出来るんだよ。面倒な性格だとは思うが……」

 

だから付き人として残って欲しい、とお願いする。

 

「無論、これは自由だ。私は貴官の姉や家族に迷惑をかけて来た。貴官を疎んできた。今更こんな事を言うのは可笑しいだろう。もし断っても貴官の事と姉の事は私が対処する。……だから」

 

そう言って私は椅子から立ち上がり手を差し出す。

 

「仮に私が忠誠を尽くすべき主人に値するならば返答が欲しい、テレジア・フォン・ノルドグレーン従士」

 

 私はそう宣言する。内心我儘で身勝手な意見ばかり言う私が彼女にどう思われているのか怖いが私は自身の生存確率を上げる目的も含めそう提案する。

 

実際、こんな世の中では命が幾らあっても足りないのだ。信頼出来る部下は一人でも多く傍に置いておきたい。

 

 少尉はしばらく私を見つめ、俯きながら逡巡する。数秒か、十数秒か、数十秒か……今度顔を上げる時、彼女は朗らかな、これまでとは違う自然体の笑みを浮かべていた。柔らかい笑みだった。

 

「……そのように言われて断っては先祖に申し訳が立ちませんね」

 

そして片手で私の手を取り、もう片方の手を胸に添え、宣言する。

 

「ノルドグレーン従士家の末裔たるテレジアは主家たるティルピッツ伯爵家のヴォルター様に上奏致します。大恩ある主家、そしてヴォルター様への御恩に報い、我がテレジアはその命を持ってお仕え致します。如何なる苦難があろうとも、如何なる試練があろうとも、この身が朽ち果てるまで忠誠を誓いましょう」

 

 すらすらとソプラノ調で答えるテレジア。患者服にベッドに横になっているのにも関わらずその姿はとても優美に見えた。それは受けて来た教養と、背負う伝統の長さから来るものであった。

 

 さて、ではここまで忠誠を捧げてもらったのならばそれに報いるのも主人の務めだ。少し……いやかなり陰鬱ではあるが……自分の責任だし、どうにかするべきであろう。

 

こうして私は敬愛すべき母上に一つ口答えする事を決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「あの……何やっているんですか?」

 

 後ろからの嘘くさ気な声に私はびくっと肩が震える。そーと後ろを見れば看護師さんがこいつ何しているんだ?という目でこっちを見ていた。うん、標準的同盟人には完全に意味不明だろうね!

 

……御免、死ぬ程恥ずかしい。

 


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