歴史上、兵士が上官や軍部に対して反乱や暴動、あるいは抗命する事例は枚挙に暇がない。その原因は大抵政治的理由、あるいは待遇や環境、軍規の問題である。
古く西暦の時代に遡れば、1858年、大英帝国のインド大反乱はその一因がシパーヒーの給金の安さと昇進速度の遅さにあったし、1905年のロシア=ロマノフ帝国のポチョムキン号の反乱の直接の切っ掛けは劣悪な食事と体罰であった。1917年にはフランス第三共和国軍で将軍達の稚拙な指揮に激怒して百万の兵士が反抗したと言われる。
悪名高い地球統一政府軍においては航空宇宙軍解体の原因たる西暦2290年の外惑星動乱において外惑星方面艦隊が外惑星連合に与した。理由は地球から余りに離れ過ぎた劣悪な環境に不満を抱いた事が切っ掛けと言われる。2532年の711事件は非地球系軍人達の政治的クーデターであるが、結果としては地球議会の主要な汎人類派政治家が死亡した事により軍国主義と地球主義の道を開いたと言われる。
あるいは宇宙暦に入った後も、宇宙暦281年のリゲル方面軍兵士の集団ストライキは半年に渡る給与未払いから発生したものであり、宇宙暦605年3月に統合作戦ビルを十万人もの兵士が包囲したローカルアーミー決起はハイネセンファミリーと旧銀河連邦系の兵士の待遇格差から生じたもので同年10月のマクマオン最高評議会議長暗殺事件と並んで「607年の妥協」に大きな影響を与えた。
銀河帝国においては帝国暦408年、テレマン提督指揮下の兵士反乱事件が特に有名であろう。今でこそ同盟軍情報部の関与が定説になっているが、それでも日常的な兵士への私刑や劣悪な生活環境が大きな要因を占めるのは疑うべくもない。あるいは730年マフィアが一人、マーチ・ジャスパーのジンクスは両軍の将兵に多大な影響を与えた事で有名だ。同盟軍では負けの順になると毎回のように逃亡や暴動が起きたが、同じように帝国軍においても下級兵士が彼の勝ちの順になると時として数千、最後には万単位の兵士が抗命するようになったと言われる。
宇宙暦780年代半ばに入る今でも個人や少人数の抗命や逃亡は度々あり、運良く追跡から逃げきれた者は宇宙海賊に身をやつしたり、統治が完全に行き届かない同盟・帝国の勢力圏の外縁部やその外に隠れ潜む。だが流石に部隊単位の反乱となると今では早々ない。
此度の案件においては、逃亡者達の所属が第36武装親衛師団であった事もあり、部隊を良く知る者は寧ろやはりやったか、と素直に感じていた。それだけ信用が無かった、と言えるだろう。
それでも、流石に彼らも相手が人質を、まして特殊過ぎる人質を取るとは思っていなかったに違いない。まさか「貴族出身の同盟軍に出向している亡命軍軍人」が人質になろうとは……。
「はい?それマジ?」
私は第一報が流れた瞬間思わず情けない口調でそう聞き返した。
3月14日1815時、ヴォルムス交通局にアウトバーンの事故やガス欠等に備え2キロ事に設置される緊急用電話からその連絡は入った。亡命軍地上軍第36武装親衛師団第36武装後方支援隊所属の兵士6名が逃亡・反乱を企てた。トラックの故障を理由に車列を離れた彼らは私有・隠匿していた銃器(時代遅れの回転式火薬拳銃だとされる)を以て護衛の同盟軍地上軍兵士3名、憲兵隊2名に重傷を負わせ、また車両の無線機を破壊、負傷した兵士達を武装解除し、縛った上で装甲車の中に押し込み、人質を取った上でトラックで逃亡した。
ヴォルムス星域軍憲兵隊所属のベリオ・イズン上等兵は比較的軽傷であり、隠し持っていた軍用ナイフで縄を切り、約700メートル先の電話に駆け込む事で事件が発覚した。
後の負傷者からの聞き取りと現場の調査から人質の直前の発砲により犯行人一名の死亡、及び数名が負傷していると思われる事が発覚した。依然五名は人質を取って逃亡中。
1835時頃、現地同盟軍・亡命軍・地元警察の電話会議によりヴォルムス東大陸フローデン州一部地域に戒厳令が発令、同盟軍及び亡命軍現地憲兵隊、警察機動隊が即応展開を開始する。
1850時、第36武装親衛師団の全人員の武装解除及び勾留が実施、師団長以下主要幹部は別途監禁と取り調べを受ける事になる。1900時には同盟地上軍第2247歩兵連隊及び郷土臣民兵団たる亡命地上軍第1068歩兵連隊がこれに加わった。
私は急いでジークブルク市庁に入りジークブルク市市長、ジークブルク市警察に現状の情報報告と同盟軍の立場の理解を求め、辛うじて話を通して会議室を後にした。その直後地方調整連絡室フローデン分室のフー伍長から人質に取られたと推定される人物の名前を聞き、私は暫し唖然とし、次に困惑し、最後に深刻に考え込む。
「これは不味いな……非常に不味い」
私は頭を抱え、これからの事を全力で想像する。
無論、私の部下であり、従士である少尉の身の安全は十分に心配である。だが、同時に同盟軍と亡命軍にとってこの事態は相当ややこしい事になっている。
犯行は亡命軍兵士であり、事件が起きたのはこのアルレスハイム星系だ。人質は亡命軍の予備役であり、当然それだけ見れば亡命軍が対処すべき案件だ。
だが、アルレスハイム星系は同時に自由惑星同盟の一構成国であるし、銃撃を受け複数の同盟軍兵士が負傷した。そして人質は現在書類上は(出向により)同盟軍の管轄下にある人物だ。
それだけならまだ良かろう。協力しろよ、という話だ。ギリギリ折り合いをつける事は出来るだろう。問題は協力して発見した後の対処だ。
同盟軍ならば人質の安全優先だ。人質を救い出し、可能であらば下手人共は逮捕して軍法会議だ。人命優先の同盟軍なら、な。
亡命軍ならば人質ごと射殺位平然とするだろう。大帝陛下の遺訓により人質戦術に妥協してはならない、社会正義と安寧のために人質射殺なぞ平然としよう。人質が貴族と言っても現地亡命軍からすれば自分達の問題は自分達で処理しなければ面子が立たない。それに所詮従士であるし、捕囚の辱めを受けさせるより「名誉の戦死」させた方が相手のため、とでも考えかねない。いや、そうでなくてもミスした罰に「処理」する圧力がある可能性も否定出来ない。
下手人は同盟軍兵士を害した亡命軍兵士、人質は亡命軍から出向した同盟軍兵士、そこに対処方法の違いが重なれば上はいがみ合い必須だよなぁ?ははは、お前ら笑えよ?おら笑えや!
「はぁぁぁ………よし、現実逃避はここまでだ。やるべき事をやろう」
色々気になる事や不安になる事があるが最優先に私がやるべき事は少尉が逃亡兵と共に射殺されないようにする事だ。そもそも現在も生きているのか不明であるがそこまでは今の私には何も出来ない。必要なのは生きていたとしても諸共蜂の巣にされる危険性があるのでそれを回避する事だ。
そのためには……。
私は市庁舎の防弾硝子製の扉を急いで出る。市庁舎警備のため常駐する警官や事件により即応展開している一個小隊の亡命軍地上軍兵士と装甲車を通り過ぎながら行きに使ったジープが市庁舎敷地内に停車しているのを確認する。
「済まん、少し機密の通信がいる。一人にしてくれ、誰もいれるな」
車内の運転手兼護衛の憲兵に降車と警備を命じた後、私は後部座席に入りロックをかける。そして軍用携帯端末のアドレスリストを開き、その中から根回しに必要なアドレスを選び取る。液晶画面から受付嬢……ではなく受付事務の兵士が現れると私は口を開く。
『はい、こちら銀河帝国亡命政府軍フローデン州軍総合受付です……』
「アポイントを取りたい。最優先でだ。こちら自由惑星同盟軍宇宙軍地方調整連絡官……と言っても駄目だよなぁ。ティルピッツ伯爵家本家の嫡男ヴォルターだ。分かったら非礼は理解するが少将殿に回線を繋いでくれ」
受付が言い終わる前に私はそこまで一方的に言い切る。
『は、はい……!』
慌てるように受付は答える。そりゃあ下っ端からすれば勲章を胸に煌びやかにひっさげた大貴族様がいきなり連絡してくれば慌てるだろう。
……少々強引だがこの事態だ。元よりいきなりアポイントを取るのも簡単ではないのに恐らく方々から連絡が来ている時にたかだか同盟軍の地方調整連絡室の中尉が即会いたいと言っても適当にあしらわれるだけであろう。
だからここは身分と権威を盾に押し切る。悲しいかな、正規ルートで同盟軍中尉が通信を申し出るより非正規ルートでごり押しで言った方が遥かに効果があるらしい。
『お待たせ致しました。伯爵家の倅殿がこのような非正規ルートから私なぞのような身分の者に如何な用ですかな?』
五分とかからずに液晶画面に現れたのは薄いオリーブ色の生地に高級感漂う金色の釦と飾緒、緋色の襟章のジャケット風の野戦服を着たカイゼル髭の男性だ。ザッテルフォルムの軍帽を被り、胸にはこれ見よがしに勲章を付けていた。同盟軍のそれとはかなり違うが亡命軍の場合将官級になると馬鹿みたいな金額を費やしてオーダーメイドで軍服を作る者も多いのでそこは問題無い。
「このような時に御時間を頂戴する、ホルヴェーク従士。要件は大体お察ししてくれると思うが?」
圧倒的に格上の相手に、しかし私は偉そうな態度を取る。なんせ今は軍人としてではなく、互いに貴族として会話をしているからだ。
アルムガルト・フォン・ホルヴェーク少将はケッテラー伯爵家の従士家の出であり、主家の地元であるフローデン州の州軍を管轄している立場だ。州軍は第一線で戦う正規地上部隊ではなく大半が予備役・後備役兵士で構成され、装備も旧式や鹵獲品が大半を占める。あくまで有事の正規軍の援護と平時の治安維持が主目的であった。
『それは異なことを。私がごとき賤しき身分で高貴なる大貴族のお考えが理解出来る筈も御座いません。僭越ながら直に御言葉で御伝え願いたいと存じます』
要求位きちんと話せや、という事か。絶対録音しているな。下手な事は口に出来そうにない。
「先日からの同盟軍との演習において、亡命軍の一部兵士が不貞にも人質を取って逃亡した事は耳に入っているか?」
『……えぇ、どうやらそのようですな。実に不敬な事です。賤しき賤民の分際で栄えある我ら亡命政府軍の御旗の下、皇帝陛下に奉仕出来る権利を得たと言うのにこのような不祥事、その罪万死に値致します。見つけ次第その場で罪に相応しき罰を与える所存で御座います』
少将は私の想像の範囲内の言葉を返す(この余りに酷い内容が想定内な私も相当毒されている気がする)。
「因みに人質がいるがそちらへの対処について如何なる対応を考えているのか、お聞きして宜しいか?」
その言葉に、恐らく相手も私の言いたい事を理解した事だろう。恭しく、礼節を持って彼は答える。
『我らが亡命軍の士官、それも下級貴族の出と聞いております。卑しくも亡命軍の一員でありながら下賤な者共の捕囚となるとは恥ずべき事。この上は彼の者の一族の名誉のためにも相応の対応をするのが妥当と考える次第で御座います』
ですよねー。
ようは、人質取っても人質ごと挽き肉にしてやんよ、という事だ。名誉ある皇軍は捕虜なぞおらぬ!的な?下手に大昔からの伝統を維持しているのが厄介だよなぁ。
同盟軍は、今でこそ降伏する事例も珍しくないが玉砕するまで戦い、最後は万歳突撃してくる帝国軍の在り方を洗脳されている、と蔑み、恐怖している。だが、帝国軍も文字通り殆どの部隊が玉砕上等で徹底抗戦する亡命軍にはドン引きである。瀕死の状態で手榴弾片手に抱きついて来るとかホラーだよね?
捕囚に、しかも帝国軍の貴族に降伏するなら百歩譲って許せても、蛮族相手にだなんて無いわー、と言う訳だ。当然犯行者は殺処分するが、人質は寧ろ諸共にヴァルハラに送った方が本人のため、という訳だ。あれだ、俺ごと撃て!的なあれだ。
「……それに関してだが、犯人と人質の射殺は控えて欲しい」
そろそろ私は今回の本題に入る。
『それはまた、如何なる理由でしょうか?私にはその必要性を感じませんが?』
そして、目を細めて勘ぐるような表情を向ける。
『まさかとは思いますが、自身の臣下の不始末の尻拭いを我らにさせるお見積りでは御座らんでしょうな?』
まぁ、そう返答するわな。というかやはり人質の身元知っていたか。
「身元を知っていたなら話が早い。こちらとしては出来れば両方死体とされたら少々面倒でな」
『失礼ながらそのような要求は受け入れられませぬ……!』
だろうね、知ってた。
亡命軍は貴族様の個人的な我が儘を無条件で聞いてくれるほど甘い組織ではない。多少の人事程度なら配慮するであろうが、当然余りに分別を弁えない、特に軍部や皇帝陛下の名誉に関わる問題であれば大貴族も口出し出来ない。悠長な事をして同盟軍に無様な醜態を見せる訳にはいかないのだ。
そうでなくともこの辺りはケッテラー伯爵家の影響が大きく、少将自身その出身だ。主家の名誉のため事態を早々に処理して民心を落ち着かせたいであろうし、そこに別の貴族の横槍を許しては主家の面子を潰しかねない。
『大変失礼ながら、中尉の個人的な判断でそのような処置をしては、軍部と皇帝陛下の威信、ひいては中尉御自身の見識が疑われかねませんぞ?』
礼節を持って、しかしその内容は明らかな警告であった。
尤も、その位は私も貴族を演じてきたので理解している。だからこそ、直接腹を割って事実は言わない。
「そこよ。この時期に同盟軍と面倒な事態を起こしたくないのだ。イゼルローン遠征に支障が出かねない」
なんせ出向とは言え同盟軍人を犯人諸共に射殺すれば同盟軍の間で不信感が広がる。自分達も似たような状況で帝国軍諸共現世から離れる事になりかねない。
寧ろ、同盟軍兵士からしてみれば同胞ですら切り捨てるのだ。まして自分達が敵陣で孤立したり捕虜になっても纏めて爆撃や砲撃されかねないと思う事だろう。それは不味い。
「それに今回の事件ではそれ以外の同盟軍人も負傷している。こちらで独断で処理するのは相手の面子を潰しかねん。こちらとあちらで裁判した上で処分した方が互いに後腐れがない。そうだな、奴らの原隊への見せしめの意味合いもある。その場で射殺よりも師団の面前でやる方がずっと効果的と思わんか?」
同時に裁判になれば具体的証言者として少尉の存命は必須である。その場合、彼女がこの事件の具体的推移を説明する必要があるからだ。
……無論、全部建前だがね。
『それは確かに理解致すが、それでは領民への示しがつきませぬ……!我らが主家に犠牲になれと仰いますか……?』
少々緊張気味に少将が答える。その質問は聞きようによっては軍部や政府のためにケッテラー伯爵家及びその家臣達が負担を抱える事を厭うようにも聞こえるためであろう。公益のために滅私し、奉公する事を美徳とする帝国的価値観で言えば余り好ましいものではない。ないが、少将からすればそう言うほか無いだろう。
「いやいや、我らは同じ大帝陛下に選ばれし優良種の血脈だ。そのような一方的な犠牲を強いるなぞ酷い真似をするわけあるまい」
私は高慢に足を組んでから、そう否定する。
普通に考えてぶちギレ案件だもんね!面子潰すにも程があるもんね!決闘案件だよね!
余り相手の地雷を踏んで決闘なんて仕掛けられたくない(こっちでは帝国と違い女子供老人病人でなければ代理人立てられないの)。それくらい逃げ道は考えているに決まっている。
「そうだな、市民の前で処断するのも効果的だ。目の前で犯人が処理されれば彼らも安心する筈だ。百聞は一見に如かず、だ。処刑前に市中引き回しでもすれば良かろう?」
正直、多少法律を学んだ立場からすれば今回の逃亡は一発アウトである。
同盟軍の軍規に照らしても出征直前の逃亡は敵前逃亡と同意、まして隠し持った銃器で友軍を負傷させ、人質と軍の武器を奪えば残念ながらかなりの確率で極刑だ。よくもまぁ、こんな短時間に罪状マシマシにしたものだ。恐れ入る。
「私としても同盟の市民軍に無用の警戒を与えたくないのだ。軍務尚書殿や宇宙艦隊司令長官殿には下々の細事にではなく、来るべき戦いに専念して頂きたい。そのために避けられる面倒事は回避しようと言う事だよ」
取り敢えず身内を出してマウントを取ってみる。傍から見れば明らかに親族の役職を傘に無理を通そうとする糞貴族様である。
だが、同時に私の説明に渋い表情を浮かべる少将。まぁ、当然だろう。
『……少々御時間を頂きたい』
恐らくは「然るべき所」に相談するつもりであろう。
「……少将、無理を言っている自覚はありますが、こちらも不出来とは言え代々仕える従士を独断で他人に処理されるのは我慢出来ない事なのですよ。質は兎も角も我々の資産だ。……そして従士の誠の価値は能力より忠誠心でしてね。無能でも忠義深いのならば万金の価値があるのです」
私は穏やかな口調で、少将の主人の口にした事をそのまま自分の意見として伝える。
「後ほど、私より御恩は家族に口添えさせていただきます」
そう口にして私は「御願い」する。近年は安定しているとは言え、まだまだ家内の問題が山積みな少将の主家にとってはそれなりに魅力的な提案の筈だ。
……尤も、私が事後承諾の説得を出来なければ空手形になるが。……うん、頑張ろう。
正直、少尉の身の安全のためにここまで大盤振る舞いするべき義務は無いのだが……同行を命じたのは私だし、優秀な従士である事は確かだ。何より私の下にいたのだ、やはり何度も顔を合わせ、監視とはいえ世話してくれた者を見殺しにするのは目覚めが悪過ぎる。
再び少将が端末の映像に姿を表し、私に対して「亡命軍フローデン州軍」として「同盟軍」への配慮を含めた此度の事件対応の方針を通達したのはこの十分後の事であった。
戒厳令の布告と共に主要な交通機関への検問設置、そして同盟軍・亡命軍が地元警察と共に捜索を開始したが、状況は芳しくない。捜索部隊は放棄されたトラックの位置から主に山林地帯等を重点的に捜索していたが現状それ以上の成果は出ていない。
一方で都市部での捜索も開始されている。こちらは重要施設周辺を軍が警備し、警察が巡回を行う。軍が都市部での巡回を行わないのは市民感情と共に、特に同盟軍兵士が都市部での戦闘に不慣れなためだ。
当然ながら現在の対帝国戦において民間人の住む都市部での戦闘は殆ど想定されていない。対テロ戦闘や辺境外縁域、あるいはその外での戦闘にも一応同盟軍は従事しているが、全体的には極一部の専用部隊以外は最低限の訓練しか積んでいない。土地勘と装備の問題もあり、都市部では基本警察が捜索、見つけ次第軍が展開する方式を取っていた。
人口が密集する都市部、あるいは都市部から離れた深林や山岳地帯では現状逃亡犯グループの発見も、その目撃情報もない。
となればどこに潜伏しているのか?それは即ち郊外であった。
「ゼンイン、テアゲル、ニゲルウツ、ワカル?」
日焼けした非ゲルマン系の亡命軍地上軍野戦服を着た男が広間に集まった家族……と言っても老夫婦と孫姉弟の四人……に片言の帝国公用語で警告する。その内元軍人の老人は腕に銃撃を受けたようで痛々しく利き手より出血し、十歳程度の孫娘は震えながら弟を抱きしめ守っていた。
ジークブルク市郊外は多くの都市の例に漏れず、安い地価から花や生鮮野菜等の近郊農業が発達していた。比較的近所との距離があり、都市部程重要ではなく、山岳部や森林地帯程に捜索が困難でもないために巡回と捜索が比較的後回しにされている地域であった。それを読んで逃亡犯達は逆方向にトラックを停めた後、足跡等を隠滅しつつこの郊外にある小さな屋敷に乗り込んだ。
無論、屋敷の家族に老人と子供しかいないのは偶然ではない。外から屋敷の様子を見てその経験と勘から上手く制圧出来そうな屋敷を選んだのだ。どうやら息子夫婦は首都に住んでいるようだった。老人は元軍人らしくブラスターを持っていたが(というよりも帝国人は階級と種類によるが武器を家においてある比率が高い)、流石に現役には敵わないようで制圧された。
『へへ、やっと一息つけるな・・・…』
『おいムタリカ、暫くここに隠れるんだから冷蔵庫のものを勝手に食うな。アンネンコフ、上の階に行け。ほかに隠れている奴がいないか探すんだ。ザルバエフは一階の窓から外を監視しろ』
この逃亡グループの実質的な指導者であるフェデリコ軍曹は次々と仲間に命令する。このメンバーの中で最上位の階級であり、亡命軍に応募する前のマーロヴィア暫定政府軍の下部組織にいた頃から彼らの分隊長をしてきた男である。
所謂コーカソイド系だが、マーロヴィアの激しい日差しにより日焼けした肌、ぎらつく瞳、荒々しく、粗野な口調の男はしかし少年時代に徴用された頃から数えて二十数年、長年の戦場経験からその兵士としての感性と知識は十分に有能と言える水準にまで引き上げられていた。
「あー、あー、こんなものか。おい、これで意味は通じていやがるな?」
咳払いした後フェデリコは少し訛りの強い帝国公用語で横柄に確認を取る。孫達の盾になる体勢を取る老婦人が震えながら小さく頭を振ってそれに答える。
「よし、じゃあよく耳をかっぽじって聞きやがれ。てめぇらは人質だ。これからこの家に人が来たら……そうだ、ババア、お前が応対しろ、絶対家にいれるな。そして俺達の事を絶対に教えるな。すればその可愛い餓鬼共がフリカッセになるから覚悟しろよ?」
自動小銃の安全装置を外しての警告。無言で、しかし必死に老婆はその言葉を承諾した。怯える子供達に軍曹は一瞥すると、にやり、獰猛な笑みを浮かべる事で怖がらせる。子供と言うものは怖がらせればその分従順になるものだ。にしても……。
『腑抜け面だな』
軍曹はつい、故郷の母語で呟いた。故郷にいた餓鬼共とはこの星の子供はえらい違いだ。いや、子供だけでなく全体的に雰囲気が生温い。故郷の餓鬼ならば家に常備されているアサルトライフルで歯向かって来ても良いのだが……。
マーロヴィアでは少年兵は珍しくもない。街では目の前のそれより幼い子供が既に一丁前に働いていたものだ。銃声やテロの爆発が無い日はなく、常に誰もが死を意識してし日々を過ごしていた。税金を払うのは馬鹿者だ。御上の横領や横流しは当然であり、自分達にそれが還元される事は皆無だ。兵役を終えた後も兵士を続けたのは搾取される、食われる側であり続けるのが嫌であったためだ
それがどうだこの星の奴らは?どいつもこいつも気を抜きすぎだ。路上で地雷が仕掛けられているとも、強盗に遭うとも想像していない。御上の命令を疑う事なく信じる姿は首輪をかけられた犬のようだ。余りに無防備に、安全を約束されたように生活しているのを見ると呆れるほかなかった。少なくとも故郷では家には盗賊からの自衛のため家族全員分の銃は用意されているのが基本だ。
恐らくはハイネセンに軍曹が来れば彼は呆れるを通り越して唖然と立ち竦んでいた事だろう。亡命帝国人社会すら安穏としているように見えるであろうマーロヴィア人には一般的同盟人の感性は恐らくは宇宙人に等しい筈だ。
『フェデリコ、漸く隠れ家が出来たんだ。そろそろヤってもいいか?』
一際大柄で髭を生やした機銃手のアムル上等兵が下卑た笑みを浮かべながら尋ねた。普段重機関銃を乗せる肩には全く別のものが乗っている。
『おいおい、アムル、その糞が詰まった頭は五分前の事すら覚えられないおつむなのか?確かに美味そうだが、人質を傷物にするな。銃殺なら兎も角お前と人体を八つ裂きにされるのはご免だぞ?』
この星の奴らにとって「貴族」への非礼が総統様や党への非難と同じくらい危険である事は良く知っている。まして手を出せばどうなるか言うまでもない。
そうでなくても人質としての価値が一気に下がるのだ。尻の感触を味わうだけで我慢しろ、との分隊長の言葉に若干不満そうにしつつも渋々肩に乗せた人質を床に乱暴に投げ落とす。
「ぐっ……!?」
四肢を縄で縛られ、口と視界ををガムテープで封じられたノルドグレーン少尉は受け身の体勢も取れずに床に叩きつけられる鈍い痛みを受ける事になる。
(……恐らくはどこか室内……この床の感覚と人の気配…民間の屋敷ですか……?)
嗅覚と聴覚と触覚を総動員して僅かな情報から彼女は正確に答えを導きだした。
気絶から気を取り戻した時、彼女は既に行動の自由を完全に奪われていた。臀部を何度か撫でられて相手を蹴り上げようとも思ったが物理的に難しく、それ以上に状況把握が優先である事は理解していたため、可能な限り情報を収集に専念していた。
トラックの中で交わされる会話に注意深く聞き耳を立てた(尤も同盟語でも帝国語でもない会話が多く大まかな内容しか分からなかったが)ほか、走行中の外の音や臭いから見て恐らくは都市郊外、あるいは耕作地であろうとは理解していた。また反乱者の人数と協力者の有無(どうやら裏で糸を引く者はいないようだった)、その目的等にも耳を傾けて調べた。流石に衝動的なものだと分かった時は呆れ果てたが。
(まさかこんな蛮人共に捕囚にされるとは………)
名誉ある亡命軍人として、高貴なる貴族階級としても恥晒しも良い所だ。
(これは……折檻は当然として外されるでしょうね)
ぎり、と奥歯を噛みしめる。このような屈辱、先祖に申し開きのしようもない。何よりも自身の失態により再び姉が周囲に白眼視される未来に思い至り、体が僅かに震え、その美貌が歪む。思わずこの場で舌を噛み切って自決してしまいたいと衝動的に思い、そしてすぐに頭を冷やして、これから行うべき事に思いを巡らす。
(……落ち着きなさい。ここで自決しても無意味です)
どうせ人質にされてもそのまま射殺されるだろう。ならばここで自決する必要性は薄い。今行うべき事は第一に情報収集の継続と記録。これは腕時計に偽装した録音機兼記録機で出来る。第二に機を見て拘束を脱して反撃する事である。捜索部隊が突入する前に全員を始末出来れば一族の面目も保たれよう(それでも後で自決しないといけないが)。
使えそうな装備はブラスターは奪われているので軍靴の仕込みナイフと胸元のボールペン型の使い捨て仕込み拳銃のみ、後は縄を解いて体術で制圧出来るか、少なくとも脱走して報告出来るかであろう。
(全員……は無理としても幾人かが寝静まり、暗闇で視界が悪くなる夜に反撃するべきでしょうね)
そこまで考えを巡らした所でふと、体に誰かが触れる感触。一瞬身構えるが、すぐにその手が小さなものである事に気付く。
「お…おねえさん……だいじょうぶです…か……」
心配そうにかけられる声は十歳程の少女のそれであった。小さな、しかし相手を慮る震えた声。
(……これは使えますかね)
冷徹に、打算的、効率的に彼女は脳内で計画の再構築に乗り出した……。