帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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A.今はただ門閥貴族殺すべし、慈悲はない!


第百九十話 Q.ノイエ赤毛の声優はゴブスレと同じ+ゴブスレとニンスレの親和性=?

 数百メートルに及ぶ流体金属層と四重装甲で構成された外壁、それらを除いても本体だけで直径六〇キロを超えるイゼルローン要塞の中枢部にあるのが要塞の消費する全電力を賄う動力炉である。

 

 より正確に言えば要塞各所に万一の事態に備えた予備動力炉が複数あるし、大容量バッテリー等の予備電源が多数あるが、それでもそれら全てを動員しても要塞の全電力消費は賄い切れないものであった。直径だけで一キロを優に超える巨大な核融合炉とその制御装置、そのエネルギー消費量から動力炉より直に電力を送電されている要塞管理AI、そして動力炉から伸び要塞各所に電力を送りこむ大量の送電ケーブル……それはある意味で要塞防衛司令部以上の重要区画であると言えた。文字通りここを制圧すれば要塞の生殺与奪は思いのままと言えよう。

 

 無論、それは帝国軍もまた理解している。理解しているが故にその警備体制は厳重である。マニュアル上では、だが。

 

「まさかここまで簡単に辿りつけるとは、正直驚きました」

「実際問題、難攻不落の要塞だからな。本来ならばここまで侵入された時点で要塞は陥落したも同然だ。ともなれば規則上は兎も角、実際に警備する人間からしてみれば手抜きをするのもある意味当然なのかも知れないが……」

 

 無駄に駄々っ広く、しかも壁には豪華な金の壁紙が貼られ、天井には天空画が描かれ、名匠が刻んだ彫刻が柱を兼ねる。そんな豪勢で華美な中枢部の動力炉に続く廊下……そこを進む四名の兵士の内、ライナー・ブルームハルトとカスパー・リンツが小さく呟く。前者は呆気に取られたように、周囲を警戒するように周囲を見渡す。

 

「余り物珍しそうに見ないで下さい。怪しまれますよ?」

 

 小さくハウプトマン大尉が指摘する。実際、初めて見る者であればその豪華絢爛さに呆気にとられるであろう廊下を、しかしそこを行き交う兵士や士官達は最早見慣れた様子であった。

 

「とは言え、多少メイクや変装をしたとは言え、碌にIDカードの顔すら見比べなかったのは仰天ではあるな。まぁ、こんな奥まで来た反乱軍なぞこれまでいなかったろうからな」

 

 シェーンコップ中佐は指摘する。中枢区画に入る入口でIDカードの確認やその他のチェックがあったのだが……これが拍子抜けする程簡単な応対であった。要塞内外で熾烈な戦闘が繰り広げられているにもかかわらず、この中枢部ではそんな事がないかのようであった。

 

 責任者たる大尉に至っては詰所から出て来ずに部下に全部任せてワイングラス片手にフライングボールの試合をテレビで見ていたし、部下達の対応も余りに適当過ぎた。恐らく責任者はコネで安全部署に配属された貴族であろう、部下の兵士達も恐らく似たようなものだ。あるいは精鋭であってもぬるま湯に浸かって堕落したのかも知れない。最悪強行突破も想定していたのである意味幸いではあるが……。

 

「とは言え、後二つのセキュリティチェックを同じように突破出来るとは限りません。そうなれば今度こそ……」

 

 ハウプトマン大尉は緊張した面持ちを浮かべる。流石に残り二つのセキュリティが同じようにザルであると思うのは希望的観測であろう。

 

「抜け道組も上手くいくか分からんしな。動力炉内の警備の規模は確か二個小隊程だったか?」

「状況が状況ですから、幾らか追加されている可能性もあります。それに整備員やオペレーターもいますし、当然無人防衛システムも稼働している事でしょう。流石に動力炉内で派手な攻撃は出来ないでしょうが……」

「成る程……それは素晴らしい情報だ」 

 

 シェーンコップ中佐はハウプトマン大尉の言葉に皮肉げに返答しつつ、シニカルな笑みを浮かべる。目の前には第二のゲートがあった。そして、警備する兵士達の出で立ちを一目見て、今回は簡単には行かなそうだと直感で彼は理解した。

 

「さてさて、上手く誤魔化せたら幸いですが、それが駄目ならば……」

 

 そこまで宣ってから肩に下げたブラスターライフルの位置を微妙に変えるシェーンコップ中佐。それは咄嗟に直ぐにブラスターライフルを構えられるようにした工夫であった。同行する部下二人もそれに応えるように気を引き締め、周囲にそれと分からぬように戦闘態勢を執る。

 

(さてさて鬼が出るか蛇が出るか、ですかな?我らの雇用主は毎度毎度人使いが荒い事ですな)

 

 内心でそうぼやき、しかし同時に彼はこれまでの経験則から半ば確信していた。こういう緊迫した時には、大概雇用主も同じ位の、あるいはそれ以上の面倒事に巻き込まれているだろうという事に……。

 

 

 

 

「はぁはぁ……まさか奇襲を察知されるとはな……!!」

 

 左手で山刀を構え、一方で切断された右耳の傷を義手で押さえながら私は小さく呟いた。畜生が、毎度毎度私の耳は耐久性が低すぎるだろうが……!!

 

 ベアト達に正面の牽制を任せて裏手に回ったのはよかった。途中数名程敵兵と遭遇したが所詮は憲兵や臨検の二線級の陸戦隊員である。気取られずに仕止めるのは難しくはなかった。しかし……本命を仕止める寸前に察知されるとはたまげたなぁ!

 

(背後から一撃で射殺……は無理でもせめて負傷位させたかったがな。まさか正面からタイマンする事になるなんて聞いてねぇぞ?)

 

 私はひきつった笑みを浮かべながら内心でぼやく。多分ひきつり過ぎて酷い笑顔だっただろう。ははは、というか何で遠征軍総司令部の参謀がこんな所で白兵戦しているんだろうな?糞がっ!!

 

「………」

「………」

 

 喧騒と銃声が鳴り響く中、私は目の前の赤毛の少年と睨み合いを続ける。互いに微動だにせず牽制し合い、隙を探る。

 

 その相対はほんの数秒の事であったかも知れないし、何分も続いていたかも知れない。唯一つ言える事はそれは永遠に続くものではなかった事だ。

 

 先に動いたのは小細工の準備を整えた私であった。室内の何処ぞで爆発の音が響いたと同時に、リーチの長い山刀を左手に持って私は駆け出していた。

 

 本来ならばハンドブラスターを装備する相手に対して刃物での近接格闘戦は自殺行為ではある。だが、相手がハンドブラスターを持つ右手が負傷して照準を定めにくい事、距離が離れているといっても五メートルも離れていない至近距離である事、何よりも……!

 

「これでも食らえ……!」

 

 相手がハンドブラスターを構えた瞬間私は出血していた右耳を押さえていた右手を払った。瞬時に赤毛の孺子に向けて飛び散るのは真っ赤な液体であった。

 

 傷口を押さえながら、しかし同時に右手の掌に血液を溜めていた私はそれを目潰しに活用した。溜めた血液は赤毛の孺子の顔面目掛けて飛び散り、その視界を塞ぐ。より正確には血液から眼球を守るために相手は反射的に瞼を閉じざるを得ない。

 

「っ……!?」

 

 左手で目を守り、次いで半目を開いたまま赤毛の孺子は右手の切り傷から走る痛みに耐えて発砲していた。しかし、そんな状態での発砲が当たる訳……痛てぇ!?

 

「ぐうっ……マジかよ!?」

 

 右肩に感じる鈍い痛み……貫通、はしてないな。レーザーが肩の肉を何ミリか削っただけか……!!恐らくは頭部を狙って逸れたか。というかさっきの耳といいこいつ毎回一撃で殺す積もりでいるとか容赦ねぇな……!?

 

「ちぃ……!舐めるなよっ!!?」

 

 然程激しい訳でもなかったので私は痛みに耐えて更に前進する。その判断に赤毛の坊やは僅かに動揺して動きが鈍る。そりゃあ私だって撃たれても怯まず突っ込んで来る奴なんて気持ち悪くてビビるからな、気持ちは分かるよ!!

 

 肉薄すると同時に狙うは今度こそ負傷して動きの鈍い右腕である。文字通り目の前まで迫り山刀を振り下ろす。空を切り裂く鋭い音と共に刃が右腕に迫り……!!

 

「やらせん……!!」

 

 赤毛の孺子は冷静に、かつ一瞬で最適な判断と行動をして見せた。跳び跳ねるように一歩下がる。山刀は空しく何もない空間を通り過ぎるだけであった。そして同時に赤毛様は発砲する。首元狙いの一発……しかしマフラーを貫通したが首には当たらなかった。

 

 一因としては赤毛様の発砲と前後して私が右腕をもごうとして振り下ろした山刀がハンドブラスターに当たり、その銃身を切断すると共に射線を逸らしたからだ。あるいはマフラー自体のお陰で首元の輪郭を把握しきれなかったか。布地の焼け焦げる臭いを一瞬鼻腔に感じたが、それに何時までも気にしている時間は私も赤毛にもなかった。

 

「ちぃ……!!」

 

 瞬間、仕止められなかったのを理解した赤毛の孺子は距離を取るために後方にバク転しながら、序でとばかりに腰元から手斧を投擲してきた。やっべ、心臓狙ってやがる。

 

「毎度毎度致命傷になる所ばかり狙うなよ……!?」

 

 咄嗟に私は右腕を盾にしてその投擲された手斧を受け止めた。ざっくりと良い音を響かせて右腕に突き刺さる手斧。一瞬よろけたが直ぐに私は目の前の敵に意識を集中させる。

 

 一方、赤毛の英雄様は剣呑かつ、鋭い視線で此方を射抜く。そこには明確な警戒心が宿っていた。……不味いな。今のでせめて右腕は奪いたかったのだがな……!!

 

「その右腕、生身のものではありませんね?最初、振り向いた私の銃撃の際にも銃だけでなく右腕も盾代わりにしていました。そして今は深々と手斧が刺さっていても顔色一つ変えない。生身ならあり得ない事です」

「………」

 

 私は英雄の雛鳥様の質問に無言で返す。いちいち教えてやる必要は感じなかったし、何よりもこの会話自体此方の気を逸らすフェイクの可能性もあった。こちとら白兵戦の技量で格下なのは理解しているんだよ、集中力切れたらどうなるか分からんのにお喋りに付き合えるか……!!

 

「それに油断した積もりはありませんが、傲慢な評価だったようです。公正に動きを観察する限り、私よりも白兵戦の技量は落ちると思ったのですが……どうやら格上の技量の敵を相手にした戦闘に随分と慣れている御様子ですね」

 

 そりゃあ、実家の装甲擲弾兵は基本として、チュンやリューネブルク伯爵、不良士官殿、何なら薔薇の騎士にもフルボッコにされれば格上相手の生存術位は多少は身に付くだろうさ(勝てるとはいっていない)。

 

(とは言え、これは随分と酷いな。ほぼ一方的にダメージ受けてるじゃねぇか)

 

 というか、右手が義手でなければ普通に死んでいた。不味いな。あわよくば身体の一部位は持っていこうなんて欲かいたが……これでは当初の目標の逃げる隙すら作れそうにない。甘く見ていた訳じゃないんだがな……!!

 

「………」

 

 一瞬、周囲を気付かれないように観察する。周囲では未だに混乱が続いていた。完全に乱戦状態に入っているな。この混乱の収拾だけで相当時間がかかるだろう。送電ケーブルの確保は諦めるとしても逃げ切れるかと言えば………。

 

(此方は駄目だな。まぁ、残る二組が其々の目標を達成してくれる事を祈るしかない、か)

 

 再度、私は無言で正面の赤毛様を見つめる。赤毛の少年は腰から同じく長い山刀を引き抜いていた。

 

「無言ですか。非礼……と責める訳にはいきませんね。常識的な判断です」

 

 私の対応をそう評し、そして構えの姿勢を取る。

 

「カメラ越しに御名前は御聞きしました。本来ならば此方も名乗りを上げるべきでしょうが……そちらが面前で名乗られないのでしたら此方もそれに甘えましょう。私としても余り目立ちたくはありません」

 

 そりゃあ、亡命したとは言え門閥貴族……それも大貴族を殺したとなれば、しかもそれがたかが平民ともなれば宮廷がどんなアクションを取るか分からないものな?もう少し昇進してからなら兎も角、今の赤毛の孺子からすれば下手に波風を立てたくは無かろう。もしかしたら私の首もご主人の功績にする積もりなのかも知れない。

 

「……そんなに目立ちたくないなら、見逃してくれても良いんだぞ?」

 

 私は殆ど期待せずにそう宣う。それは別に一縷の望みに期待を込めた訳ではない。バリケードの瓦礫から匍匐前進しながら赤毛の孺子の背中を狙うベアトの姿があったからだ。無駄口を利いて集中力を途切れさせるのは危険であるが、陽動としてならば幾らでも口を利いてやる積もりだ。

 

「いえ、残念ながらそれは御断り致します。どうやらあの方は貴方の存在を実験として使いたいようですから。それに………」

 

 そこでいきなり赤毛の少年は後方に何かを投げた。それは安全ピンを抜いた手榴弾であった。その方向はベアトが匍匐前進している方向で………。

 

「ベアトっ……!!?」

 

 悲鳴に似た叫び声を上げていた。同時に殆ど反射的に私は山刀を投擲した。爆発の直前投擲した山刀で軌道が逸れた手榴弾はベアトの真上ではなくそこから少し離れた場所で爆発した。無論、手榴弾の破片の被害範囲は最低でも一〇メートルはあろう。伏せているから殆ど被害はない筈だが……!!

 

「って人の事気にする余裕はないかっ……!!」

 

 次の瞬間には、私はトップアスリートの全速疾走を思わせる素早さで私に肉薄する長身の少年を文字通り目の前に視認していた。

 

「私の第六感が告げています。貴方はあの方にとって障害になるかも知れない。その前に貴方には消えてもらいます」

「五月蝿い、頭禿げろ……!!」

 

 私は山刀の突きを身体を捻ると共に相手の突きだした腕を受け流してその一撃から身を守る。刹那、視界に見える影。それが赤毛の孺子が足を振り上げて顔面を蹴りあげようとしている事実に気付く。反射的に両腕で顔面を守る。ぐおっ……!?義手の方を前に出したのにこの衝撃と痛みとは……!!?

 

「うおっ……!?」

 

 両腕で顔面を守ったために視界が狭くなった所に斜め様に山刀の刃が迫る。それに気付けたのは刃が空を切る音のお蔭だった。

 

「ちぃ……!!」

 

 私は咄嗟に義手の手で刃を掴んで受け止めた。

 

(義手なので簡単には壊れないとは思っているがこれは……!!)

 

 炭素クリスタルの刃の一撃を受け止めたと同時に私の義手からは数本の指が零れ落ちていた。刃を受け止めた時に関節部分が削れて切断されたのだろう。痛みを感じないのは幸いであったが指が切断される感覚は不愉快だった。

 

「だがな………!!」

 

 私は義手のリミッターを解除する。同時に炭素クリスタル製の山刀からはミシッ、と、ひしゃげるような音が響く。このままスクラップにしてやんよ……!!

 

「なっ……、させん……!!」

 

 次の瞬間、山刀を引っ張るように全力で引き抜く赤毛。っておい!!?

 

「てめぇ、無理矢理引き抜くから中指切れ落ちただろうが……!!」

 

 義手のだけど。

 

「はあぁぁ!!」

 

 私の罵倒なぞ気にする事はなく、刃零れした山刀を下から掬い上げるように振るう赤毛。その一撃を首を上げる事で回避するが。

 

(あ、少し削れた!)

 

 防寒と首元の保護のために巻いていた贈り物のマフラー、その端が少し切り落とされた。ちぃ!想定はしていたが後々に面倒な言い訳が必要になったな、糞が!!

 

(それはそうと、武器はないのか……!?)

 

 残念ながら手持ちの武器を使い尽くした私は赤毛の斬撃を寸前で回避しながら武器を探す。くっ……!?斬撃を避けるのもギリギリなのにその上武器探しはキツい……!!

 

「はぁぁ!!」

「ぐおっ!?」

 

 山刀を手裏剣のように投げつける赤毛。武器探しにも意識を向けていたがために咄嗟の行為に私の反応は一瞬遅れ……痛だぁぁぁぁ!!?

 

「ぐっ……てめぇ、よくも左耳を……!!?」

 

 左耳からの大出血に顔を歪ませ、左手で傷口を押さえる私であった。糞ったれが!!

 

「今のを避けますか…!?」

 

 一方、赤毛様の方が致命傷をギリギリ避けた私の行為に驚愕する。

 

(けどな、驚愕するならせめて一瞬でも身体の動き止めようぜ!?驚き顔で次の攻撃を……うごごごっ!!?)

 

 同じように武器が尽きたのだろう、しかし赤毛様は次の瞬間私のマフラーの端を掴んで見せる。そしてそのままマフラーを引っ張り、私を引き摺り出す。そして……。

 

「ぐ、ぐび…し…めか……!?」

 

 片手を私の首に回しこみ、また一方の手を持ってマフラーを締め付けるように伸ばす。やべ、苦しい苦し……いぃぃぃ……!!??

 

「おげっ……おっ……げほっ……ぉ……!!??」

 

 じたばたと暴れ、首元に手を伸ばして気道を確保し、必死に呼吸しようとするが、噎せるように咳をするしか出来なかった。まるで陸にありながら水の中にいるような窒息状態に陥る私。あるいは地上に上がった魚だろうか?

 

「余り苦しめて殺すのは好みではありませんが……貴方が思いの外手強いので仕方ありません」

 

 残虐性はないが冷たく底冷えする声が耳元で響いた。しかし、その意味も次第に私には殆ど理解出来なくなっていた。ただただ私の脳は酸素を求めていた。目元から涙が流れ、口からは涎が流れ、おまけのように両耳からも血がだらだら流れてマフラーを汚していた。そしてゆっくりと、しかし確実に私の意識は混濁し、暗転していき………。

 

「若様……!!」

 

 次の瞬間、衝撃と共に私は喉の締め付けから解放された。咄嗟に振り向く私。

 

「げほっ…けほっ……テ、テレ…ジア……か!!?」

 

 涙目になり、咳き込みながらも私は彼女の名前を叫ぶ。

 

 恐らく足の痛みに耐えて背後から突撃したのだろう。殆ど馬乗りになりながらテレジアは必死の形相で赤毛と取っ組み合いを演じる。とは言え、相手が悪過ぎる。直ぐに二人の取っ組み合いの戦況は、テレジアの劣勢に転じていく。

 

「い、今助けるぞ……!」

 

 私は瞬時に周囲を見渡し、そこで漸く私は気が付いた。そうだ、良く考えたら義手に手斧が捩じ込んでいる事に。

 

「こりゃあ、間抜けだな……!!」

 

 自虐しつつ私は義手に突き刺さった手斧を引き抜いた。そしてそれを持って従士の助太刀に向かう。

 

「くっ……やらせん!」

 

 赤毛様は私の動きに気付いてテレジアの相手は無意味と判断したらしい。馬乗りになる彼女の腹に肘の一撃を叩きつける。突如急所を狙った一撃に咳き込み仰け反るテレジア。そこに更に背後のバリケードに突っ込むように蹴り飛ばす。

 

「うっ……けほ…けほ……わ、わか…様…に、にげて…くだ…さ……い……!」

 

 小さく、噎せながら紡がれるか細い声。彼女が白い何かを吐き出すのが見えた。恐らくは胃液だった。元より足を怪我している彼女である。ここから再度参戦しようにも動きは鈍く、直ぐに対処されるだろう。実質もう戦力外と言えた。

 

 赤毛様は此方に気付くと同じように誰かが落としたのだろう、床に放置されていた銃剣付きの小銃を拾う。但し、銃身の機構はイカれているらしく銃弾の装填も発砲も出来ないようだった。ザマァ見ろ……!!

 

「って言える状況でもないな……!!」

 

 手斧と銃剣付き小銃のリーチの差は圧倒的だ。懐に入れたら良いが、相手が相手となるとな……!!

 

(そうは言っても逃げられないしなぁ……)

 

 私はひきつった笑みを浮かべる。痛みや緊張、恐怖で手斧を持つ手が震えていた。一方、赤毛様はと言えば……はは、凄い集中力に精神力だ。碌に震えてもいねぇ。完全に身体をコントロールしてやがる。

 

「ちぃ、来やがった……!!」

 

 私がこの場をどう切り抜けようかと考えていると、直後そんな時間を与えぬとばかりに赤毛の孺子は動いた。

 

 銃剣の付いた小銃を槍のように構えての突貫。銃弾は撃てなくても、銃剣は使える。手斧しか武器らしき武器のない私はそれを待ち受けるしか選択肢はなかった。

 

(どう来る?突きか!?振り払いか!?糞っ!糞っ!どちらにしろ初撃を切り抜けて懐に入るしかねぇ……!!)

 

 着剣された銃剣はリーチは長いがそれを活かすとなれば当然懐が疎かにならざるを得ない。手斧で対抗するには一撃を避け切って懐に潜り込むか、あるいはそのまま投擲するかしかなかった。そして、投擲程度で目の前の男をどうにか出来るかと言えば……。

 

「ぐっ……!?」

 

 赤毛様の銃剣に集中していたのが仇となった。次の瞬間、私は頭部に激しい痛みを感じて仰け反った。視界の半分……正確には言えば義眼の方の視界が乱れた。これは……!!?

 

(瓦礫か……!?)

 

 直ぐに私は何をされたのかを理解した。足元の瓦礫だ。赤毛の孺子め、駆け出すと共にバリケードの破片等の瓦礫を全力で蹴りあげたのだ。鍛え抜かれた肉体に長い足、疾走による勢い、それらによって凄まじい速さで弾き飛ばされた瓦礫片は私の視界を潰すように衝突したのだ。痛っ……恐らく眉間が切れて頭蓋骨に少し罅が入った。生の眼球ではなく義眼の方が潰れたのはこの場合幸いか不幸か分からない。

 

 生の眼球の方を潰されていれば痛みはこの比にはならなかっただろうが、赤毛様の事である。機械仕掛けの義眼の存在に気付いてそちらの方が厄介と考えて敢えて狙った可能性すらあった。どちらにしろ、視界の半分を潰されて、痛みと脳震盪に仰け反る私に回避の余裕はなかった。

 

 私が姿勢を崩した所を狙い済ましたように鋭く、そして素早く突き出される銃剣。それは私の胸元を狙っていた。ちぃ、避けにくい所を狙ってきたな、容赦がない……!!

 

 最早避けるのや受け流すのは無理だった。私は、身構えて刺突を受け止める体勢を取ろうとする。せめて義手で受け止めれば簡単には引き抜けない……筈だ。

 

(その間に義手をパージして手斧を手に接近を……あ、駄目だこれ。作戦読まれてる)

 

 此方が身構えたのを待っていたかのように突如突き刺しではなく、切り捨てるように銃剣の刃の軌道は変わる。良く考えれば義手で受け止めるのは既に一度やったからね、対策されていても仕方ないね!

 

「まず……」

 

 恐らく脇腹から内臓を切り裂き、動脈も切断しようとしていると思われた銃剣の軌道……それに対処する時間なぞなくて……。

 

「させません……!!」

 

 直後、聞き覚えのある声と共に発砲音が響いた。同時に赤毛様の手にした小銃から火花が散ってへし折れた。視線を移せば火薬式拳銃を手にしたベアトの姿。手榴弾の破片がめり込んだせいであろう、肩や腕から痛々しい血が流れていた。

 

 しかし、私には彼女の無事を喜ぶ事も、その怪我を心配する事も、ましてや謝意を伝える事も出来なかった。彼女の背後から見えた黄金色の髪を前にすれば……。

 

「っ……!!?ベアト!後ろだっ!!」

「っ……!?きゃっ!?」

 

 私の警告に痛みに耐えながら振り向き拳銃を乱射したベアトは、しかし直後の発砲音によって彼女の拳銃が弾けて、右腕と左肩をレーザーの青白い光が貫いた事で床に倒れこむ事になった。幸いなのは彼女の命まで奪われなかった事であるが、それはベアトの実力のお蔭でなければ幸運でもなく、ただ氷青色に輝く鋭い瞳の影が彼女なぞよりも正に親友と相対している私の排除に全神経を集中させているがために過ぎなかった。そして、私もまた他人の心配が出来る余裕なぞ一ミリもなかった。

 

「ちぃぃぃ……!!?」

 

 刹那にベアトに起きた事と迫り来る脅威を確認した私は視線を戻した。外す時間なぞないのだろう、へし折られた小銃の筒先を掴みロングダガーのように銃剣を持った赤毛の孺子が私に向けてその刃を刺突させようとしていた。狙うは心臓か!!ちぃ、死ぬ気はないが、これでは帳尻が合わないからな……!!

 

「せめてそいつは貰うぞ……!!」

 

 身体を捻り、私は心臓を守る。直後左胸に鋭い痛みが走った。ごえっ!?これは心臓と大動脈は逸れたが恐らく……!!?

 

「な、舐めるな餓鬼があぁぁぁぁ!!」

 

 一秒後、喉奥から込み上げた血液を吐き出しながら、私は罵倒の声と共に手斧を振り下ろす。手斧は赤毛の孺子の右腕に食い込み、肉を押し潰し、そして骨に達して……!!

 

「キルヒアイスっ……!!」

「はっ……!?がっ!!?」

 

 乾坤一擲の反撃が成功した事に血を吐きながらも口元を吊り上げて歓喜する私は、次の瞬間妖精のように美しく、しかし同時に驚愕と敵意に満ちた叫び声に現実に引き戻される。そして、視界の端に見えた光景と、鈍い閃光と銃声に既にボロボロとなって殆ど使い物にならない義手を急所の手前に構えた。

 

 次の瞬間には押し倒されるような衝撃と、弾けるような音が響き、視界全体に砕け散り四散する機械の部品と鉄片を確認した。

 

 そして、その一秒後には私は床に叩きつけられ、その視界はゆっくりと暗転しつつあった……。

 

  

 それは油断と驕りの結果であったとラインハルト・フォン・ミューゼルは思い返す。窮鼠猫を噛むというが、あるいは自分は戦士、あるいは軍人ではなく狩人の気分になっていたのかも知れない。どのような敵であれ、作戦を考える脳はあるし、ましてや無抵抗でいてくれる訳でもないのだから。

 

 作戦は全体で見れば完全に成功していた。敵を引き付け、突出させ、そこをゼッフル粒子による爆発と業火の壁で分断する。分断して、動揺させた所を主力が前面で反撃に出て、後方からは奇襲部隊が敵の中枢部を狙う。その目論見は九割方成功していた。

 

 彼が赤毛の親友に最も危険な任務を受け持たせたのは合理的理由と信頼の双方の面からだった。明らかに白兵戦能力は部隊内でも最高峰に近く、彼に対するラインハルトの信頼もまた比類する者はいなかった。彼自身が主力を統率し指揮する必要があった以上、最も危険かつ作戦の正否を決める奇襲部隊の指揮官に親友を任命するのは余りに順当な選択であったのだ。

 

 しかし、ラインハルトはそれを今完全に後悔していた。目の前で正に苦戦し、命懸けの戦いを演じる友の姿を見れば……。

 

「キルヒアイス……!!待っていろ!今向かう!!」

 

 正面の敵部隊は壊走しつつあった。後は部下達に任せたとしても、少なくとも敗北はしないだろう。故にラインハルトは臨時陸戦隊の指揮を委譲したと同時に一人駆けた。

 

 未だ銃声が鳴り響く最前線を抜け、同盟軍兵士達を無視すると軍服を盾に炎の壁を飛び越えて苦戦する友の元へと一直線に突き進んだ。途中数名の敵兵が行く手を塞ぐのを即座に撃破して、彼は我武者羅に、息を切らしながら全速力で疾走する。  

 

 貴族としても、軍人としても、いや唯人であってすら余りに無謀過ぎる所業……それを理解していない訳ではない。それでもラインハルト・フォン・ミューゼルがそれを実行したのは赤毛の友が文字通り彼の半身であったためだ。母は幼くして失い、父は精神的に廃人となり、姉は奪い去られた彼にとって赤毛の少年まで失うのは到底許容出来るものではなかった。だからこそ彼は友を全力で救い出そうとする。

 

 ……しかし、人生において努力が結果に結びつくのはある種の幸福であった。そして、幸運の女神に溺愛される彼であっても、その笑顔と恩恵が常に得られる訳ではなかった。

 

 友は後一歩のところで目標を仕留めるのに失敗した。砕かれる小銃。刹那、少年は友の輝かしい軍功を邪魔した不届き者を無力化した。止めを刺さなかったのは慈悲ではない。第一に邪魔者に興味がなかった事、第二にそんな事に意識を割く暇はなかったからだ。

 

 目標の亡命貴族と友が刺し違えた瞬間を彼は見た。目標のその胸元に銃剣が突き刺さる。同時にカウンターのように降り下げられる手斧が友の右腕を切り捨てた。目を大きく見開き、ラインハルトは高い声で絶叫した。

 

「キルヒアイスっ………!!!??」

 

 刹那に驚愕と絶望、次いで怒りの感情が彼の精神を満たした。殆ど反射的に構えられた小銃。乾いた発砲音……それは友の右腕を奪った男を確実に殺すために急所を確実に狙ったものであった。だが……。

 

「何だとっ!?」

 

 ラインハルトは僅かに目を見開いた。急所を狙った銃撃は咄嗟にそれを守るようにして出された右腕に命中し、それを粉砕した。同時にここに来て、初めてラインハルトは下手人の右腕が機械である事を知った。

 

 相手の貴族が押し倒されたように倒れる。同様に赤毛の少年もまた右腕を押さえながら瓦礫が散乱する床へと伏した。ラインハルトはこの時点で既に下手人の事なぞ殆ど思考の外へ押しやっていた。唯々倒れ伏す友の元へと駆け寄る。

 

「キルヒアイス!!」

「ラ、ラインハルト様……?な、何故ここに……?」

 

 床に倒れ、息を切らし、額に汗を大量に流して苦悶の表情を浮かべながら友は尋ねる。

 

「お前が危ない事になっているからに決まっているだろうっ!ふっ、全く仕方無い奴だな。大丈夫だ、今応急処置を……っ!?」

 

 若干気丈を装い、緊迫した状況を和らげるためかおどけるようにしてラインハルトはそう嘯く。そして急いで携帯する応急処置セットを取り出し、友の傷口を止血しようとして……彼は息を呑んだ。

 

 それは切り傷と表現するには余りに重傷過ぎた。当然であろう。その腕は手斧の刃が良く無かったせいであろう、前腕の半ばで乱暴に切断されていた。だらだらと流れる赤い血が切断口から零れて小さな溜まりを作り上げていた。思わず手元の小銃を床に落とし、茫然とした表情で硬直する金髪の美少年……しかし彼は直ぐに己が為すべき事を理解していた。

 

「……!!待っていろ!今止血を行う!」

 

 激情に心を震わせて、しかしそれらを全て噛み殺し、押し殺してラインハルトは迅速に応急処置を始めた。麻酔と鎮痛剤を打ってから腕を締め上げ、冷却スプレーで一時的に血を止めれば消毒と培養フィルムで傷口を覆い、その上にガーゼと包帯を巻く。それだけの事に集中する彼は周囲の事に気付かない。そう、直ぐ近くを銃弾が通り過ぎても、傍らで倒れる下手人がゆっくりと引き摺られるように離れていっても……。

 

「ライン…ハルト……様、危険です……頭を伏せて下さい……!」

「興奮するな、キルヒアイス。安静にしろ。そうすれば処置もすぐに終わる」

 

 自身が重傷を負っても尚、キルヒアイスは息絶え絶えに主君を慮り、ラインハルトはそんな友に優しく語りかける。そして僅か五分の内にそれらの作業を全うすると、無線機越しに部下達に担架と手術の準備を命じる。その言い様は何処か高圧的で、しかし同時に悲痛な感情も滲み出ていた。

 

 無線を切ると、彼は切断された友の右腕を拾う。そして保存用のビニール袋にそれを詰め込み、友の顔を見やる。友は荒い息に汗を垂れ流し、耐えるように目を閉じていた。表情は相当量の血の気を失い青ざめていた。しかし、幸いにもラインハルトの必死な、そして的確な処置の甲斐もあり一命をとりとめる事は出来そうだった。

 

 こうして友のために為すべき事を全て為した少年は天を見上げ小さく溜息をつき………。

 

「……貴様ら。まさか、このまま見逃すとでも思ったか?」

 

 底冷えするような殺気を纏った氷青色の瞳を細めて、ラインハルトはこの場から逃げ出そうとする鼠を冷え冷えとした、同時に煮え滾るような怒りを滲ませた声で尋ねた。

 

「ひっ!?うぐっ……!!?」

 

 足を撃ち抜かれていたがために這いながらでしか動けなかったノルドグレーン大尉は主君の軍服を引き摺ってゆっくりと、静かに、気付かれる事なくこの場から撤収を模索していたがその狙いは儚くも砕け散った。四つん這いの姿勢で主君を逃がしていた彼女は腰から勢いよく蹴り上げられて、僅かに宙を浮いたと思えば床に叩き付けられて咳込みながら呻き声をあげる。その姿は実に惨めで哀れだった。

 

 しかし、ラインハルトにとってはそんな事はどうでも良い事だった。咳込む女を興味も関心もなく、ただただ無感動に一瞥すると、次いでは床に倒れたままの、胸元に生えるように銃剣が突き刺さった隻眼に片腕の貴族の男を見下ろす。

 

「……貴様だけに全ての責任がある訳では無い事は承知しているさ。戦争だから殺し殺されはお互い様だ。俺の驕りと判断ミスも原因だろうし、貴様とて俺達のために死んでやる義理も無かろうさ。それは理解している」

 

 ぼやけた片目で、複雑な感情を含んだ視線を向けて自身を見上げる亡命貴族に対してラインハルトはそう答える。……同時に、その突き刺さる銃剣を全力で踏み抜いた。

 

「がっ!?あが、ばっ……!?」

 

 部屋に木霊するように小さく上がる悲鳴。左肺に突き刺さっていた銃剣は、そのまま金髪の少年によって肺を貫通して人体を貫いていた。倒れる貴族の男は口から赤黒い血を嘔吐して、それは自身の顔や衣服、マフラーを赤く染め上げた。痛みかそれとも恐怖か、ぼとぼとと涙を垂れ流し何とも言えぬ視線をラインハルトに向ける。そんな亡命貴族に対してラインハルトは先の言葉を紡いだ。

 

「だが同時に、ここで貴様を見逃してやる義理はない。ましてや敵である以上、この煮えたぎる怒りのぶつける相手とした所で何も糾弾される謂れはない。違うか?」

 

 それは別に返答を望んでいる訳ではなかっただろう。唯の自己弁護であった。唯の八つ当たり……それはラインハルト自身も良く良く理解していた。しかし、同時に未だ一五歳にも満たない少年にとってその筆舌し難い怒りを我慢しろというのも酷過ぎる話であった。寧ろ今正に腰元からハンドブラスターを引き抜き、相手の頭を狙おうとしているさまは相手を必要以上にいたぶる積もりはない事を意味していた。それだけでも多くの嗜虐的で傲慢で、残虐な門閥貴族の青年達よりも遥かに健全であったと言えよう。

 

 無論、いくら取り繕うとも殺される側からすれば団栗の背比べに過ぎないのかも知れないが……。

 

「まぁ、そういう事だ。悪いが俺は貴様を許す事は出来ん。大人しく……何の積もりだ?」

 

 ラインハルトが不愉快そうな視線でそう尋ねたのは半死半生の男の盾になるように先程蹴り飛ばした女性が横合いから覆いかぶさったからだった。荒い息に肩を上下に揺らして、自身の牽制するように殺意のこもった視線で少年を見つめる。いや、睨み付ける。

 

 その健気で忠義深い姿に、しかしラインハルトは称賛よりも先に鼻白んだ。同時に同情に近い感情が含まれた言葉が発せられる。

 

「……覚悟と忠誠心は認めてやるが、だからと言って見逃しなぞせんぞ?直接の仇でもない、そこを退けば捕虜として扱ってやる。尤も、退かないならば双方共容赦は出来ないが?」

 

 そう警告するが、帰って来た返事は無かった。唯憎々し気な、敵意に満ちた女の視線が帰って来たのみだ。それも、唯人であれば思わず縮こまるかも知れないが多くの修羅場をくぐり抜けた金髪の少年からすれば微風のようなものに過ぎなかった。

 

 女性を直接殺害するのは然程気が進まないが相手も軍人であれば覚悟もしているし、容赦も出来ない。故に淡々とラインハルトはそのハンドブラスターの引き金に触れる。

 

「出来れば給金の支払いがまだなのでお止め下さらないでしょうかね?お坊ちゃん?」

 

 背後から響く声。ゆっくりとラインハルトは振り向いた。そこにいたのは飄々な表情で此方を見つめる男の姿。その出で立ちは恐らく傭兵だった。ハンドブラスターの銃口を向けてにこやかな笑みを見せる。良く見れば周囲には同じく傭兵であろう兵士達が小銃やブラスターライフルを向けながら険しい顔で彼を睨みつけていた。少し離れた場所ではラインハルトが無力化した女軍人が傭兵達に肩を貸されてその場から退避させられていた。

 

「……残念だがそこに倒れている貴族は兎も角、私は坊っちゃんと呼ばれる程の家柄ではない。人質には使えんぞ?」

 

 ラインハルトは不敵な笑みをフェルナー中佐達に返した。この時点ですでにラインハルトはフェルナー中佐の名を知らずともその思惑は読み切っていた。

 

「……証拠があるんですかね?それだけの整ったお顔立ちとなると何処ぞのお坊ちゃんとみられても不思議ではないと思いますが?」

「残念ながら事実だ。所詮三代の歴史しかない二等級の帝国騎士なぞ人質にした所で笑われるのがオチだぞ?」

 

 フェルナー中佐の探りを即座に否定するラインハルト。尤も、それは半分本当であるが半分は嘘である。確かに身分としては二等帝国騎士の孺子なぞ人質の価値なぞない。だが……それが時の皇帝の寵愛を受ける寵姫、グリューネワルト伯爵夫人の弟としてであればどうか?

 

 それはラインハルトの名誉、そして姉の名誉のためにも絶対にあってはならない事であった。故にラインハルトは考える。自身の秘密を知らせず、この場を手負いの友を守りながらどう切り抜けるのかを。同時にフェルナー中佐もまた床に倒れ伏す財布代わりの貴族をどう救出してこの場を逃げるかを全力で考える。しかし……どうやらタイムリミットはオーバーしてしまったらしかった。

 

「っ……!!?これはこれは、少し困りましたねぇ?」

 

 苦々しさを誤魔化すようにフェルナー中佐は小さく呟いた。どうやら彼らにとって招かれざる客が到着してしまったらしい。

 

 侵入してきたのは多数の帝国兵であった。その装備と動きから見るに臨時陸戦隊とは違う。明らかな陸戦の専門部隊である。要塞防衛司令部の送り込んで来た三個師団の増援、その先遣部隊であるのは明白だった。そして先遣部隊だけでもその戦力はこの場の同盟軍残存部隊を遥かに優越していた。銃口を構えてフェルナー中佐達傭兵に、生き残りの同盟軍兵士を威嚇する。所謂降伏勧告であった。

 

「諦めるが良い。お前達の負けだ。こんな所で無駄死にしたいのか?」

 

 ラインハルトは淡々と事実を口にするようにフェルナー中佐に伝える。それはラインハルトなりの慈悲でもあった。

 

「いえいえいえ、ゲームの終了とはなりませんよ?チェックメイトどころかチェックですら有りません。このゲームの勝敗、まだまだ分かりませんよ?」

「ふん、負け惜しみだな。ならばここで雇用主ごと朽ち果てるが良い」

 

 傭兵の戯言を冷淡にそう斬捨てて、ラインハルトは視線を戻す。相変わらず死にかけの大貴族の男を守るように抱きしめる女性軍人。その姿を内心で僅かに称賛しつつも、その怒りを忘れる事ないラインハルトはその引き金を引いていき………次の瞬間、大音量でその放送が要塞の全ての場所で通達された。

 

『イゼルローン要塞防衛司令部臨時司令官シュトックハウゼン中将より要塞内部の銀河帝国軍、及び自由惑星同盟軍を自称する武装集団の全将兵に対して通達する!フェザーン戦時条約、及び両軍現地司令部間で妥結された協約に基づき、この放送が行われた五月七日0550時より、全ての戦闘行為をただちに停止せよ!繰り返す!ただちに全ての戦闘行為を停止せよ………!!』

 

「……なに?」

 

 突如もたらされた要塞の最高司令部からの余りに意外過ぎる通達に、ラインハルト・フォン・ミューゼル少佐はこの日一番の驚愕と衝撃を受けていた。

 

 

 

 

 宇宙暦791年五月七日0550時、銀河帝国軍と自由惑星同盟軍双方の現地司令官はその指揮下の全部隊に対して即座の戦闘行為の停止命令を勧告した。通算五度目となり、多くの血が流れ、過去のそれとも比較しても凄惨さを極めた要塞攻防戦は、誰もが予想だにしない最終局面を迎えつつあった………。




今章は後二話位で終了予定

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