帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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ノイエ再放送三話の一番の見所は多分冒頭の歴史部分、原作考察し甲斐のあるシーンが盛り沢山です


第百七十六話 職場の上下関係は面倒臭い

 過去幾度も生じた要塞攻防戦、それ以前から続く両軍の小競り合いの結果、イゼルローン回廊には無数の宇宙艦艇の残骸の他、放棄されたジャマーや宇宙機雷が大量に漂流しており、主に帝国軍が定期的な掃海作業を行っているが、完全にはカバー出来るものではなかった。ましてや回廊自体も暗礁宙域からの恒星風や宇宙嵐の影響を受けており、帝国本土や同盟本土に比べて宇宙艦艇の索敵能力はどうしても限定的なものにならざるを得なかった。

 

 それ故に、高度なステルス性能を有する特殊艦艇は複数なら兎も角、単独行動であれば一般市民が思うのに比べて意外な程容易にイゼルローン要塞に接近する事が可能であった。

 

 モスグリーンの船体に巨大な索敵・通信アンテナを備え、特徴的なブロック状の艦首を有する自由惑星同盟宇宙軍特務通報艦『グランディエール』は、雑多な宇宙艦艇の残骸や隕石その他のデブリに紛れる形でイゼルローン要塞から五・一光秒という至近の位置にまで肉薄する事に成功していた。

 

「要塞の暗号通信を傍受……本国に向けた定時連絡と推定」

「要塞の警戒レベルに変更なし。第三級警戒態勢のままです」

「要塞から放出される排熱量にも変化ありません。要塞内部に活発な活動の気配なし」

「要塞周辺の哨戒部隊の数量及び警戒航路も変化はありません。……現状収集可能な情報を統合する限り、帝国軍は未だ我が軍の進出を認識していないと考えられます」

 

 各種の観測機器から算出されるデータが帝国軍が未だに同盟軍の接近を把握していない事実を伝えていた。『グランディエール』の艦長はオペレーター達の報告に頷き、モニターの一角を見据える。そこには友軍主力部隊の展開する推定座標が映し出されていた。順調であれば、同盟軍は既に要塞より八三光時の位置まで距離を詰めている事であろう。

 

「要塞表面異変……艦艇の浮上を確認。数九隻、全艦駆逐艦と推定。哨戒部隊と思われます」

「この時間にか?………一応総司令部に航海ルートを通達しろ」

 

 オペレーターの連絡に情報科出身の艦長は訝しげな表情で命令する。哨戒部隊の出港するおおよその時間は決まっているし、同盟軍はその諜報・情報収集によりおおまかなイゼルローン駐留艦隊の哨戒日程も把握していた。この時間帯に一個駆逐隊規模の哨戒部隊が出港するのはその兆候も含めてこれまで収集した情報にはない。それ故に杞憂であるとは思っていても念のために総司令部への報告を行う。

 

「まさかとは思うが……警戒されたか?」

 

 遠征軍の浸透は細心の注意を以て行ってはいるが……六万隻という大軍ともなればその行軍をいつまで誤魔化し切れるか分からない。艦長も乗員達も、互いに緊張した面持ちで顔を見合わせるしかなかった。

 

 ……だが実の所、それは前述の通り杞憂であった。計画外の哨戒任務は特にこれといった確固たる目的があった訳でも、帝国側が何等かの兆候を察知した訳でもなかった。それはある意味では帝国特有の、そして滑稽な理由であった。

 

「ふん、哨戒任務か。いや、奴らに言わせれば雑用というべきかな?」

 

 哨戒部隊の旗艦『エルムラントⅡ』の決して広くない艦橋で、ラインハルト・フォン・ミューゼル銀河帝国宇宙軍少佐は艦長椅子に腰掛け、足を組んだ悠然とした風体で嘯く。そこには明確な嘲りの色が見えた。

 

「キルヒアイス、どうやら戦隊司令部の上官方は哨戒任務を嫌がらせの対象と認識しているらしい。全く、軍事的に必要不可欠かつ基本的な任務に対してそんな認識とは、軍人として恥ずべき怠慢としか言えないな」

「ラインハルト様も、お人が悪いですよ」

「おいおい、酷い裏切りだな?お前はあいつらの肩を持つのか?」

 

 ラインハルトは冗談半分に副官に食ってかかる。戦隊司令部から命じられた臨時哨戒任務が、新人イビリのためだけに計画されたのは明らかな事であった。哨戒任務とて適当に艦隊を出せば良いと言う訳でもない。警戒網の隙が出来ぬように綿密に計算されて航海計画が立てられているのだ。余程の事がなければ哨戒部隊を追加で動員なぞすまい。幾ら哨戒とは言え平時の待機状態に比べて物資は消費するのだから。

 

 にもかかわらずこの急な哨戒任務の発令である。戦隊司令部がこの時期に必然性のない雑用任務を押し付ける目的が唯の嫌がらせである事は確定的であろう。あるいは可能性は低いが迷いこんだ同盟軍の哨戒部隊とでも遭遇して慌てて逃げ帰って来たら良いとでも思っているのかも知れない。

 

「いえ、肩を持つ積もりはありませんが、意味の薄い哨戒任務ともなれば我々は兎も角、兵士達の士気は上がりませんよ」

 

 苦笑いを浮かべて弁明を述べる副長。明確な目的のある任務であれば、あるいは臨時の報酬でも約束されているのなら兵士達のやる気も上がろうが、今回のような目的に意味のない性質の任務ともなれば兵士達の士気向上は期待出来まい。

 

「可能性は高くありませんが、仮に反乱軍の小部隊と遭遇すれば突発的な事もあって兵士達の動揺はかなり大きいでしょう。果たしてまともな指揮が執れるのか……」

 

 キルヒアイス中尉は若干不安げに答える。最悪、この『エルムラントⅡ』だけでも、いや目の前の黄金色の親友であり主君でもある青年だけでも脱出させねばなるまい。

 

「ふっ、寧ろ俺からすれば望む所さ。漸く一国一城……とは言えまいが、駆逐隊とは言え艦隊を率いる立場になったのだ。艦隊を手足のように動かせるようになった以上、これまでよりも明確に戦局に影響を与え、武功も立てやすくなるだろうからな。……いっそこのままイゼルローンに侵入してくる同盟軍哨戒部隊を俺達だけで全滅させてしまおうか?」

「御冗談を、流石に最小編成の一個駆逐隊では荷が重すぎますよ」

 

 無論、目の前の親友も本気ではなかろうが、それでも苦笑を浮かべてその提案を却下する。

 

「おいおい、直ぐに却下は酷いだろう?アクタヴでいっそ二人で敵の基地を乗っ取ってしまおうと言い放ったのは何処のどいつだ?」

「それは……ごほん!それにしても、たった一年足らずの内に少佐と大尉ですか。長いようで短い時間ですね。私もまさかこれ程早くラインハルト様が少佐に為られるとは予測出来ませんでした」

 

 主君の指摘にキルヒアイスは一瞬言葉を詰まらせ、次いで誤魔化すように咳をしてから話題を変える。

 

 帝国軍幼年学校を卒業したのが昨年の六月の事である。そしてそれから今日で一一カ月……本来ならば准尉からの所を少尉から始めた事を加味しても、例え背後に(不愉快な事であるが)皇帝の威光があると言えども、キルヒアイスにとって主君の昇進速度は余りに規格外なものに思えてならなかった。大貴族出身の士官学校首席卒業生でも果たして可能かどうか……。

 

「当然だ。俺達の目的のためには力がいるんだ。その力を一日でも、いや一分一秒でも早く手に入れなければならないんだ。俺に言わせればこれでも遅過ぎる位さ」

 

 苦々しげに若すぎる駆逐隊司令官は呟く。そう、彼らには目的がある。彼らの大切な家族を忌々しい老人から取り戻すという小さな、しかし余りに大きな目的が。そのためには力がいる。誰にも命令されないで済む力が。その前には軍の少佐の地位なぞ皮切りに過ぎない。

 

「いっそ、同盟軍とやらを称する反乱軍が要塞に攻勢でもかけてくれればなぁ……。前線ではそれなりに大きな戦闘が始まっているらしいが、幾らか俺達の方にも来てくれてもいいんじゃないか?出来れば俺達が軍功を稼げる位に手頃な規模が良いな」

 

 小さく溜め息をついてから、何処か拗ねるような態度でラインハルトは嘯く。その姿に子供時代と変わらない親友の姿を見てキルヒアイスは何とも言えない笑いを漏らしていた。

 

「反乱軍の兵士達が聞けば顔を真っ赤にして怒り出しますよ?」

「怒らせておけば良いさ。寧ろ怒り狂ってくれた方が好都合だ。貴族の道楽息子共もそうだが、頭を使わずに感情に任せて突っ込んで来る奴らは御しやすい。精々上手く料理してやろう」

「同盟軍は猪ですか?」

「そうさ、猪肉だ。ふむ……じっくり煮込んでフリカッセにしたら旨いかな?姉さんが兎肉で作ってくれた事はあったんだが……」

「……猪肉は臭みがあるそうなので好みが分かれそうですね」

 

 ふと顎に手を当てて大真面目に考え込む主君を見て、今度こそキルヒアイスは苦笑を漏らした。何とも緊張感のなく、しかもふざけているような会話が今まさに命の危険すらある哨戒任務の最中に行われている事実に何とも言えない奇妙さと滑稽さを感じたためであった。

 

「猪肉が臭うですって?それは血抜きする奴がド下手なだけですよ。葡萄酒や麦酒に浸すのも臭い消しの上では有りですがね。とは言え市井に並ぶのは質が悪いのが多いですからねぇ、本物の猪肉が食いたければ御貴族様の狩猟園で団栗を食ってたっぷりと太ったのを手際よく処理する事ですよ」

 

 狭い艦橋故に会話も聴こえる。柄の悪い砲雷長が聞き耳を立てていたように若い艦長と副長に進言する。彼の実家は帝都オーディンの肉屋であるらしく、猪肉に対して適切な処理と上等品の見抜き方を知っていた。

 

「猪肉ねぇ、俺は一度でいいから霜降り高級牛の赤葡萄酒煮って奴を食ってみたいもんだ。お高い葡萄酒で肉が蕩けるまで煮込んでいるんだろう?」

「バーカ、それって門閥貴族のお歴々が開くパーティーで出るもんだろうが。味の区別もつかないようなてめぇの貧しい舌には勿体ねぇよ。大人しく成形肉の豚ヴルストでも食っているんだな」

「そう言えば今日のヴルストも不味かったな。せめて豚は豚でもヴルストより厚切りのベーコンが欲しいものだぜ、半熟卵が御付きだったら言う事無しだな」

「駆逐隊司令官殿、申し訳ありませんが戦隊司令部に飯の質の向上を上申して頂けませんかね?流石に毎日安物のヴルストがメインなのは堪えるんですよ!」

 

 やいのやいの、艦橋要員の士官下士官達が口々に話題に参戦する。参戦した上で皆が好き勝手に言って内容は当初のそれから大きく逸脱し、遂には慇懃に意見具申までして見せた。着任前は若すぎる上官二人に対して不平不満を感じていた熟練の兵士達であるが、着任直後に二人の行った部隊の引き締めと隊内の風紀粛清に不正摘発、更に言えば要塞の廊下にて門閥貴族達が焚きつけて差し向けた不良兵士の一個小隊をたった二人で鎮圧して見せる等という武勇伝を作り上げられれば彼らも二人の実力と度量を認めざるを得なかったようである。

 

 元々要塞駐留艦隊に所属する以上、その品行は兎も角彼ら兵士達の練度は本物だ。そんな彼らを少々フレンドリー過ぎるとは言えこの短期間の内に心服させ、信頼を獲得して見せた事実は、この金髪の駆逐隊司令官と赤毛の副長の器の広さと統率力の高さを証明している言えた。

 

 無論、当の本人達からすれば別の感想もあるのも確かだが……。

 

「……キルヒアイス、これは俺達が舐められていると受け取っていいのか?」

 

 若干顰めっ面の主君の言葉にキルヒアイスは困り顔で分かりません、と言った態度を示していた。ラインハルトは頬杖をついて口を僅かに膨らませる。そしてこの哨戒任務が終われば部隊の兵士達を徹底的に訓練で扱いてやろうと心に決めたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 その語源に遡れば『駆逐艦』とは元々『水雷艇駆逐艦』と呼称されていたと言う。

 

 西暦一九世紀末、宇宙軍なぞ影も形もなく、艦艇と言えば海軍の水上艦艇を指し、また急激な科学技術の進歩とそれによる火砲技術、造船技術の発達によって大艦巨砲主義の萌芽が見られつつあった頃……この時代に生まれた魚形水雷、即ち魚雷は、小型の舟艇にも列強が有する巨大軍艦を倒し得る火力を与える兵器であり、弱小国の海軍は安価な戦力として高機動性を強みに大型艦に肉薄雷撃を仕掛ける水雷艇の配備に着手した。

 

 同時にそれは長大な海岸線を守るためにも有用であり、大型艦を外洋での活動に出したい大陸の大国が水雷艇を大量に配備すると、対抗する海洋国家はそれらを駆逐し、同時に自らも魚雷を運用する艦艇を……水雷艇駆逐艦を建造するようになった。

 

 そしてその手頃な船体規模からか、時代を経るにつれ、駆逐艦は当初の役割を越えた多種多様な任務に駆り出される文字通りの雑務艦としての色を濃くしてゆき、同時に艦隊の数的主力ともなった。それは宇宙時代になっても変わらない。

 

 宇宙暦八世紀において、正規宇宙艦隊の編成比率は空母や輸送艦、工作艦等の例外を除けば概ね戦艦:巡航艦:駆逐艦で一:三:六の割合を求める事が出来、その戦闘能力の対比もまた同様に求める事が出来る。戦艦一隻のカタログ上・数学上の戦闘能力は正面からかつ対等な条件であれば駆逐艦六隻に匹敵した。

 

 そして前述の比率からも分かる通り、正規一個艦隊定数の半数以上を駆逐艦が占める訳であり、それ故に帝国軍と同盟軍の軍事ドクトリンの差異が最も明確に表れる艦種でもあった。

 

 宇宙暦760年代半ばから建造・運用が開始されたローレライ級宇宙駆逐艦は全長一七〇メートルの全幅三八メートル、全高四七メートル、直方体の艦首にエンジンが後方から生えだしたような独特にして異形のフォルムを有していた。

 

 主砲は五二門に及ぶ電磁投射砲である。前級のノルトランド級が四門の低出力レーザー砲を主砲としていたのに対してかなり思いきった設計であった。ウラン二三八を砲弾としたそれは、射程の短さの代わりにエネルギー中和磁場では止められず、特に乱戦や閉所空間における接近戦においては破格の火力を備えており、前級がその出力の低さから中途半端な戦闘能力となったのと比べれば寧ろその運用方法が分かりやすい。同時に備える二四門のミサイル発射管の存在、小柄な船体から来る機動力、船体構造から生じた偏った重心が生み出す旋回能力、小回りの良さも合わせれば帝国宇宙軍の駆逐艦が完全に近距離戦闘を前提としている事は明らかであった。

 

 また帝国軍のその他の艦艇同様にローレライ級駆逐艦もまた大気圏単独突入・離脱能力を有し、また半解放式であり二機しか収用出来ないとは言え単座式戦闘艇ワルキューレを運用する設備も備える。ここまで説明すれば、帝国軍が駆逐艦に求める役割も見えて来る。

 

 射程が短く継戦能力の低い実弾武装を主体として単座式戦闘艇の運用能力が付与されているのは、同格の軍事勢力に対する艦隊戦よりも寧ろ航路の哨戒や高性能な中・長距離光学兵器を有する可能性の低い宇宙海賊等との戦闘を前提としている事を証明していた。大気圏突入能力は地上の反乱鎮圧のためのものであろう。大気圏離着陸能力を艦艇に付与するコストも馬鹿にならない。消耗品である駆逐艦にまでそれを与えているのは、表向きの建前としては帝国軍が宇宙艦艇が多数沈められる状況を想定していない事を示している。

 

 当然ながらその性能と武装から帝国軍駆逐艦は通常宙域における艦隊戦には不向きと言わざるを得ない。同盟軍駆逐艦が少なからず無理をしながらでも中距離射程を有する光子レーザー砲を主砲としている以上、艦隊戦の序盤において艦隊の大多数を占める帝国軍駆逐艦は戦力外であり、双方の火力に大きな差異が生まれるのだから。

 

 ……逆に言えば、近距離戦において帝国軍は一気に火力面で同盟軍を圧倒する可能性を秘めていた。そしてイゼルローン回廊のような空間が狭く近距離戦が発生しやすい宙域は、小回りが利き、実弾兵器が充実した帝国軍駆逐艦にとって適した地形であった。本級がイゼルローン要塞建設と前後して採用されたのは偶然ではない。

 

 また前級のノルトランド級に比べて船体がコンパクトに収まり、乗員定数が削減されている点は現在の帝国軍の実情ともマッチしている。第二次ティアマト会戦以来続く人材不足に対して、艦の小型化や高度な技術を必要とする光学兵器の廃止は船員不足の解消だけでなく整備員の絶対数不足の解決にも寄与していた。

 

 同盟軍の標準型駆逐艦が防空と正面からの大規模中距離砲撃戦を志向して多数の光子レーザー砲を備え、その引き換えに艦の大型化と航続距離の不足に悩まされている事を考えれば正にその設計思想は完全に真逆であると言えるだろう。同盟軍駆逐艦を西暦時代のモニター艦に例えるならば、帝国軍のそれは哨戒任務にも使われる魚雷艇と言えるかも知れない。

 

「言うなれば雀蜂みたいなものだな。小柄で脆弱だが素早くて、肉薄されてその針の一撃を食らえば御陀仏という訳だ。……となればイゼルローン要塞はさしずめ蜂の巣というべきかな?」

 

 自由惑星同盟軍イゼルローン遠征艦隊、その最前衛を担う第四艦隊の更に最前衛にある第二分艦隊第六八戦隊の前方展開部隊に所属する第六八戦艦群遊撃担当艦、戦艦『ヴィットリオ・ヴェネット』の艦長ニルソン中佐は、会敵した駆逐隊を見て不敵に呟いた。

 

 ……尚、艦橋にいたオペレーター達は知らんがな、とばかりに艦長をジト目で見ていた。格好をつけているが、この艦長は腕は立つにしろそれ以上にその超常的ジンクスから乗員達にそれなりに嫌がられていたからだ。昨年この艦長の乗っていた戦艦が敵陣のド真ん中でローリングした事も、二年前には敵味方の砲火が交差する最前線で電源が吹き飛び乗艦が漂流していた事も、四年前に着任した巡航艦は避難訓練で乗員全員が退避した瞬間に謎の爆沈を経験した事も彼らは風の噂……というよりも広報雑誌で知っていた。八年前艦長を勤めた駆逐艦に至っては艦橋に未発のレーザー水爆ミサイルが突っ込んで来た事が四度もあったという。全てのケースにおいて乗員達は全員生還はしたが大概酷い目に合っていた。彼らが艦長に不満気な表情を浮かべるのは至極当然の事であった。

 

 宇宙暦792年五月四日1500時、その姿を隠匿して少しずつイゼルローン要塞に接近していた六万隻に及ぶ同盟艦隊は、この瞬間、遂に帝国軍にその存在を捕捉された。帝国軍駆逐艦の索敵レーダーは凄まじい数の妨害電波とその膨大な艦艇数の前に完全にノイズと敵艦反応で埋め尽くされている事だろう。

 

 実際、この時彼ら帝国軍はこの偶発的遭遇の時点で同盟軍の戦力が最低一万隻以上という事以外の情報を把握出来なかった。駆逐艦の索敵能力は完全に飽和状態に達していた。

 

「帝国軍哨戒艦隊、急速に反転後退します!」

 

 オペレーターが叫ぶ。それは余りに当然の行動のように思われた。六万隻の大艦隊に対して僅か九隻の駆逐艦に何が出来ようか?駆逐艦の乗員達は今頃大パニックになって要塞に対して敵艦隊発見の電文を打っている所であろう。だが、それは許さない。

 

 専用の電子工作戦艦を含んだ六万隻の大軍による通信妨害の前に、哨戒艦隊の通信能力が勝てる道理もない。哨戒部隊が要塞に向けて乱発する伝令文は全てが強力な妨害電波の飽和攻撃の前に掻き消される。

 

「遠征軍総司令部より連絡!『奴らを逃がすな』です!」

「だろうな」

 

 ニルソン中佐は肩を竦めてオペレーターの言に同意する。イゼルローン要塞まで七七光時、これは同盟軍が帝国軍に気付かれずにイゼルローン要塞に肉薄した最高記録である。普通の善良な人間であれば欲張るのは良くないとこの辺りで満足するが、今回に限っては何百万という将兵の生命が関わる以上そうは行かない。見逃す訳には行かなかった。ジャミングの範囲圏内に哨戒部隊がいる今ならばまだ速やかに全艦を沈めてしまえば間に合う。いずれ定時連絡が途切れれば怪しまれるだろうが、それでも後六、七光時は時間を稼げる筈だ。今の同盟軍にとって時間は金剛石より遥かに貴重であった。

 

「戦隊司令部より本艦含む遊撃担当艦に迫撃命令が出されました!」

 

 流石に六万隻が猛ダッシュで追いかける、となれば帝国軍の哨戒網に引っ掛かりかねなかった。故に全軍でゆっくりと、慎重に前進する。それだけでも蜘蛛の子を散らすように必死に逃げる哨戒部隊にとっては大きな心理的圧力がかかっている事であろう。

 

「その上で追い立てて仕留める猟犬は我々遊撃担当艦という訳だな」

 

 ニルソン中佐は顎を擦り、尊大な口調で嘯いた。そこには明確な自信が見てとれた。

 

 地上部隊における諸兵科連合部隊……師団や旅団、連隊戦闘団……に当たる宇宙軍の最小統合部隊の単位が戦隊である。平均して一個戦艦群に三個巡航艦群、六個駆逐艦群を基幹に数隻の航空母艦に工作艦に輸送艦、病院船に宇宙軍陸戦隊付の揚陸艦等から編成される二〇〇隻~六〇〇隻の艦艇群を指す。

 

 そして地上軍の単一兵科のみで編成される連隊に当たるのが宇宙軍の群である。各群は艦種にもよるが艦艇二〇~五〇隻前後で編成され、多くの場合駆逐艦群は中佐が、巡航艦群は大佐が、戦艦群の場合は戦隊副司令官ないし最先任の大佐が着任するのが慣習となっている。

 

 各群は更に八隻から一二隻前後で構成される隊を数個、そして予備戦力の意味を兼ねる一、二隻の遊撃担当艦から編成される。『ヴィットリオ・ヴェネット』はこの遊撃担当艦に所属していた。

 

 他艦との連携をせず単独での戦闘をも想定し、緊急時には戦線の穴を埋める役割も担う遊撃担当艦は、多くの場合熟練艦長や単独撃沈艦五隻以上の記録を有するエース艦長の座乗する艦が指名される。ニルソン中佐はそんなエース艦長の一人であり、同時に哨戒部隊の追い立てを命じられた戦艦二隻と巡航艦六隻、駆逐艦一四隻もまた第六八戦隊内各群で遊撃担当艦として割り当てられた精鋭艦であった。遊撃担当艦は急速に速力を上げて戦隊から、そして遠征軍から突出する。

 

「よし!主砲斉射!当たらなくても良い!奴らの動きを封じろ……!!」

 

 ニルソン中佐の叫び声と共に『ヴィットリオ・ヴェネット』が、それ以外の追撃する戦艦と巡航艦も一斉に主砲たる中性子ビームを艦首の内蔵式砲門から放つ。青白いエネルギーの光条は若干距離がある事と哨戒部隊が乱数回避をしてくる事で命中する事はなかったが、そんな事は想定内である。ニルソン中佐も、他の艦長達も初撃から命中させられる等と考えてはいない。

 

 寧ろそれは哨戒部隊が散り散りに逃げ去る事を防止するためであった。全ての敵艦が別々の方向に逃げ去ってしまえばそれら全てを追討するのに手間がかかるし、確実性が低い。彼らの逃亡方向を誘導し、拘束するのが砲撃の目的であった。

 

「止めは奴らに任せるとしようか」

 

 ニルソン中佐がそう口にする中、『ヴィットリオ・ヴェネット』の真横を高速で艦影が駆け抜ける。帝国軍のそれよりも大柄な同盟軍駆逐艦が、足の遅さのために砲撃に専念する戦艦や巡航艦を横目に帝国軍哨戒部隊に迫る。

 

「奴ら、相当慌てているな!物資や艦載機を放棄してやがる……!」

 

 オペレーターの一人が嘲るように口を開いた。光学カメラが帝国軍駆逐艦が格納している単座式戦闘艇ワルキューレや電磁砲の弾薬等を放棄している映像を捉えていた。どうやら逃げの一手を選んだようで、船体を軽くするために捨てられるものは何でも捨てているようだった。その必死さはある種の憐れみすら感じさせる。無論、だからといって手加減してやる理由はないが。

 

「撃て!ジャミングされている宙域から奴らを逃がすな!」

 

 駆逐艦から次々と砲撃が撃ち込まれる。更に下部に設けられたミサイルランチャーからは中距離対艦ミサイルが斉射される。

 

 帝国軍駆逐艦は慌ただしく迎撃ミサイルを発射した。光学兵器よりも遥かに遅い誘導ミサイルは、実際の所発射から命中まで数分から十数分のタイムラグが出てしまうので迎撃は難しくはない。大規模艦隊戦のように一斉に十数万から数十万発のミサイルを発射された場合ですらその九九パーセントは撃墜出来る。通常、艦隊戦においてミサイルは相手の足止めや牽制のための存在であった。

 

 追撃する同盟軍駆逐艦もまたそのセオリーに忠実に従っていた。ミサイル攻撃に帝国軍駆逐艦の意識が割かれる間に一気に距離を詰める。帝国軍駆逐艦は後方への武装が少ないトップヘビーな事もそれを容易にさせた。迎撃される可能性が低ければその分無駄な回避運動をせずに済む。

 

 追撃部隊の駆逐艦の攻撃は、距離を詰められて当然のように刻一刻とその命中率が向上していく。帝国軍駆逐艦に次々と砲撃が命中し、その度にエネルギー中和磁場で弾かれる。反撃するかのように対艦ミサイルを撃ち出すがそこは防空能力に優れた同盟軍駆逐艦である。容易にそれらを撃破し、あるいは機動力を以て避けきって見せる。

 

 最後尾の帝国軍駆逐艦が被弾する。エネルギー中和磁場がレーザーを受け止めきれなかったのだ。距離と磁場によって減衰していたがために、そして弾薬等を放棄した事、当たり所が良かったために小破だけの被害に済んだが、次被弾すれば恐らくは撃沈は避けられまい。

 

『これより我々は敵艦隊に突貫する!!各戦艦と巡航艦は援護されたし!!』

 

 先行する友軍駆逐艦からの通信。同時に更に友軍駆逐艦は速力を速めて帝国軍の損傷艦に向けて襲いかかろうとする。帝国軍の損傷駆逐艦はそのまま逃げの一手を取るが最早逃げきれない。十秒もせぬ内にそれは恐らくは原子に還元される運命にあるように思われた。

 

「艦長、敵艦艇に照準固定しました!!」

 

 そして全軍の最前線をひた走る単独撃沈艦艇数一八隻の記録を保持するケイリー・ロバーツ少佐が艦長を務める駆逐艦『エルム四号』は火器管制レーダーを作動させて手負いの帝国駆逐艦に主砲の照準を合わせた。

 

「撃てぇ……!!」

 

 そして、ロバーツ艦長の号令と共に『エルム四号』の艦首レーザー砲門が鈍く光始め……丁度その瞬間であった。最後衛の帝国軍駆逐艦を正に撃沈しようとしていた『エルム四号』が爆発したのは。

 

「何っ!?」

 

 更にすぐ隣を進んでいたもう一隻の……同盟軍駆逐艦『アクティオン』……そのどてっ腹で続くように青白い爆発が発生した。

 

 爆発の光は直ぐに消えるが、だからといって艦が無事であると言う保証は何処にもない。寧ろ爆発の後に残ったものは十分に酷い惨状であった。二隻共撃沈はしていないが大破していると言って良い被害を受けていた。その外見を見るだけでまずこれ以上の航海や戦闘は不可能と言える程の損傷具合であった。乗員も少なからず犠牲者を出しており、特に『アクティオン』の方は単独撃沈艦艇九隻の記録を保持する若きエース艦長アンドレア・グリンビィ大尉が戦死するという有様であった。

 

「何だっ!?」

「伏兵か……!!?」

 

『ヴィットリオ・ヴェネット』の艦橋に詰めていたオペレーター達が叫ぶ。何処から来たかも分からない攻撃に彼らは動揺し、混乱していた。

 

「っ……!!違う、機雷だっ!!面舵を切れ!!艦の航行コースを読まれている……!!」

 

 艦長のニルソン中佐が『ヴィットリオ・ヴェネット』の乗員達の中で、いや追撃部隊の中で最も早く事態に気付き叫んだ。熟練の航海長がその声に殆んど反射的に反応して指示に従う。

 

 かなり無茶な軌道で『ヴィットリオ・ヴェネット』は面舵を切り船体を傾けた。中の乗員の多くが慣性制御装置では殺しきれなかった遠心力によってよろけて、一部は艦内の床に転がった。無理な動きによって船体は極僅かに軋んだ。しかし、その数秒後には艦長の判断の正しさが証明された。

 

「四時方向より小型自動機雷……!!」

「対空迎撃!!」

 

『ヴィットリオ・ヴェネット』の対空レーザー砲が火を噴いた。帝国軍駆逐艦の内蔵するステルス塗装の為された小型自動機雷は漂流していた所を機雷内部のセンサーが熱源を感知して、スラスターを吹かして一気に『ヴィットリオ・ヴェネット』に向けて突っ込んで来た。もし舵を切ってなければ至近過ぎて迎撃する暇もなかった筈だ。

 

 艦の中央部に突入してきた機雷は、しかし着弾するコンマ数秒の差でそれを阻止された。レーザーに焼かれて爆散する機雷。しかし幸か不幸か、その爆発は余りに近過ぎた。そして同時に駆逐艦に詰める小型機雷であるために爆発は小さ過ぎた。

 

 結果として『ヴィットリオ・ヴェネット』は機雷の爆風によってその船体を大きく揺らし、その装甲の一部が吹き飛び、罅が入った。船内にいた乗員の多くが衝撃で倒れ、あるいは運が悪い者は壁や床に体を強く叩きつけられて打撲を負ったり、骨折等の怪我を受けた。それでも、船員に死者はおらず、そして艦自体も小破したものの致命的な損傷を受ける事はなかった。

 

 先行していた駆逐艦二隻、そして『ヴィットリオ・ヴェネット』の受けた損失に残る追撃部隊は何が起こったのかを理解し、慌ててその足を止めた。そして慎重に索敵をすれば………。

 

「機雷です。機雷が航行コースに沿って漂流して来ています」

「敵駆逐艦、急速に宙域を離脱していきます。機雷群を迂回して追撃しては恐らくはもう………」

「機雷の破壊も出来ますが慎重にやらなければ熱探知で突入して来ますので撃沈される危険性もあります」

「何故機雷が……?どうして気付けなかった!?」

 

 イゼルローン要塞遠征軍総旗艦『ヘクトル』の艦橋でオペレーター達が動揺を隠しきれない表情で報告する。

 

「あの時か……!?」

 

 参謀の一人が機雷の存在に気付けなかった理由に気付いた。

 

 そう、機雷を散布したタイミングは帝国軍駆逐隊が弾薬やワルキューレを投棄した時であろう。投棄した物資の中に機雷を紛れ込ませたと考えられた。

 

「しかし広い宇宙空間でたかだか一〇〇基に満たぬ機雷が当たるなぞ……!?」

「いや、迫撃部隊の航路を読むのは難しくはない。此方も奴らが散開しないように砲撃を加えていたからな。となれば此方がどのルートから追跡するかも分からん事はない」

 

 同盟軍駆逐艦と帝国軍駆逐艦のカタログ上の速力に然程違いはない。ともなれば双方速力全開で航行すれば下手に迂回なぞしたら追いつけなくなる。帝国軍側は物資を投棄していたから船体が軽くなっているので尚更だろう。と、なれば追撃部隊の駆逐艦は素直に帝国軍駆逐隊の後方をなぞるように追うしかなく、そうなれば帝国軍からしてみれば自分達に追いついて来るための最短ルートを逆算して機雷をばら撒けば、少数でも短時間の足止め程度ならば十分な機雷原を作れるという訳だ。

 

 無論、あの短時間にそのような作戦を思いつき、あまつさえ気付かれないように巧妙に機雷原を展開するのは容易な事ではない。緊急時に、六万隻の大軍を確認して尚も冷静な思考回路を維持出来る者がどれだけいるか?ましてや錯乱してても可笑しくない兵士達を統制して作戦を実施させるだけの統率力もまた誰でも持っている訳でもないのだから。

 

 ……答えを導き出した全員が、そう『ヘクトル』の艦橋に詰めていた全ての兵士達がその結論に気付くと共に沈黙して、唖然としていた。目の前の事実を信じきれず、混乱していた。

 

 油断していたとは言え、六万隻の艦隊が目の前の十隻に満たぬ哨戒部隊に出し抜かれ、あまつさえ強かな反撃を食らい逃亡を許したのだ。その事実がどれだけ非現実的な内容であるかは、軍人教育を受けずとも理解出来よう。ましてや職業軍人達にとってはその衝撃は計り知れない……。

 

 同時に衝撃を受けた者の多くが、殆ど偏見で哨戒部隊の指揮官を実戦経験豊富な老練の現場の叩き上げ士官であろうと想像していた。甘やかされた門閥貴族の子弟が、ましてや幼年学校を卒業したばかりの一五歳の若造の指揮であろう等と考える者はいる筈もなかった。……ただ一人を除いて。

 

「追撃だ!一個戦隊、いや一個分艦隊を差し向けてでも奴らを沈めろ!一隻たりとも絶対に逃がすな……!!」

 

 艦橋の沈黙を真っ先に破ったのは半狂乱気味に響いた若い男の叫び声であった。シトレ大将が横に顔を向ければ一〇メートルも離れていない艦橋の一角でモニターに映る帝国軍駆逐艦を指差す同盟宇宙軍准将の姿が視界に入る。その顔は真っ青になっていて、目は飛び出さんばかりに見開かれ、そのモニターを指差す手は震えていた。元々宇宙酔いしやすく超光速航行の後は毎回死にそうな顔をしていたが、今回の表情はそれに勝るとも劣らない位に悲惨だった。まるでサイオキシン麻薬の禁断症状でも発症したかのような状態である。

 

 彼が誰なのかをシトレ大将はその背後関係を含めて良く知っていた。悪い意味で有名な若手将官であり、末席とは言え本遠征軍司令部の幹部でもあって、好敵手であり友人でもある男の親族であり、何よりも短い期間とは言え校長として士官学校から送り出した生徒でもあった。そして、同時に善良で優秀かは兎も角、決して愚かな人物では無い事も知っていた。それ故にその異様な姿に思わずシトレ大将は驚いていた。

 

「ふ、航海副部長……落ち着いて下さい!副部長殿は参謀です!緊急時でも無ければ実働部隊の指揮権はありませんよ……!?」

 

 無線オペレーターが暴れながら迫撃を命じる副航海部長を宥めて、命令に従えない理由を述べる。

 

「煩い!いいから回線を繋げっ!そうだ……!第六艦隊司令部に回線を!いや、第四機動戦闘団でも良い!早く!!」

 

 准将はオペレーターから端末の権限を無理矢理奪おうとして暴れる。そのままオペレーターと取っ組み合いになり、慌てて周囲のオペレーターや他の参謀スタッフが仲裁に入ろうとして騒ぎとなる。

 

「早く命令をっ……!!?おい、何をしている!?早くしないと逃げられるだろうがっ……!!?くっ……お願いだから追撃をっ……!!」

「わ、若様!?い、一体どうなされたのですか……!!?」

「どうぞ落ち着いて下さいませ!これ以上騒ぎを起こすのは……!!」

 

 部下の名目で配属されている家臣二人が主人の行動に困惑しながらも混乱しながらも口を開く。彼女達の事を「道楽貴族が禁欲生活が我慢出来ずに同行させた軍人コスプレの愛人」等と口悪く囁く者も少なくは無いが、実態は兎も角その職務は完璧にこなしているためにシトレ大将は然程不満は持ってはいなかった。それに会話内容を見る限りにおいても思考停止のイエスマンでなければ、必要とあらば諫言も出来るらしい。

 

 ……それはそうと、当の主君は失神一歩手前な形相で手足を縛られながらもじたばたと半分子供のように暴れていた。何が彼を駆り立てるのか、尋常ならざる表情だった。

 

「何の騒ぎだ!?遠征軍総司令部に詰める将官が何を新兵の如く喚いている……!?」

 

 数名の参謀と共に丁度艦橋に入って来たレ中将が騒ぎを聞き付けて怒鳴り声を上げる。流石にそれに驚いたのか必死に抵抗していた航海副部長は渋い表情を浮かべる。

 

「えっと……それは………」

「何だ?貴官も士官学校を出ているだろう!?報告ははっきりと、明瞭に話せ!!」

 

 青い顔で口を震わせる副航海部長に対してレ中将が不快そうに詰問する。彼からすれば艦橋に来ていきなり騒ぎを起こしたコネ出世のコネ人事参謀に対して好意的になり得る理由が無かった。

 

「それは……それは………」

 

 騒ぎを引き起こした准将はオペレーターや参謀スタッフ達に身体を拘束された状態で正面の参謀長とモニターに映る逃亡する駆逐艦を相互に見て身体を震わせる。その顔は元より青かったのに、更に青々しく染まり、その動悸は激しくなる。

 

「ティルピッツ准将?落ち着き給え、一体どうしてしまったのだね?」

 

 直属の上官たるクブルスリー少将が怪訝な表情で、しかし心配そうに尋ねる。クブルスリー少将からしても人並み以上の好印象こそないが、それでも嫌う程疎んではいない。それ故に部下の所業に不快感よりも先に心配と困惑の感情が浮かんでいた。

 

「そ、それは……それは………早くあれを……あれをどうにかしないと……早く………ここで逃がす訳にはいかないんだ……あれは……あれは……!」

 

 震える声で航海副部長は譫言を呟き続ける。これ以上悪くならないと思えた顔は更に青くなり、まるで死人のようであった。正常な精神状態で無い事は明らかであった。

 

「ティルピッツ!?っ……!全く、お前は何をしている……!?」

 

 そう叫んで駆け寄ったのは、同じ航海部副部長である長身の男であった。膝をついて取り押さえられている同期に声をかける。

 

「おい、ティルピッツ!まだ正気は残っているか!?」

 

 怒鳴るような声に、件の准将は肩を竦ませて驚き、視線を正面にいるもう一人の航海部副部長に向けた。

 

「ホーランド……か?そ、そうだ!お前も協力してくれ!!早くあれを、あれを追わなければ……!ここであれを逃がしていけないんだ………!!」

「協力するのは後だな。取り敢えずお前は少し寝ていろ」

「えっ……?あっ………」

 

 恐怖と絶望に染まりきった昔馴染みに対して、ホーランドは他の誰にも聞こえない声でそう囁き、そして一見労わるような手つきで、しかし瞬時にかつ誰にも気取られぬ見事な動きでその意識を刈り取った。

 

「じ、准将殿……?」

「若様!?」

「いや、どうやら気を失っただけのようだ」

 

 取り押さえていたオペレーターや参謀スタッフ、付き人の士官が悲鳴を上げる中で、昔馴染みの意識を刈り取った当のホーランドは悠然とそう伝えて安心するように言う。

 

「………」

 

 ホーランドは気を失った同僚を一瞥し、しかしすぐに立ち上がるとレ中将を始めとした上官達に敬礼をした。

 

「……ティルピッツ准将はどうしてしまったのかね?」

「いきなりあのように喚き出す等……」

「軍医を呼んだ方が良いのでは?」

 

 レ中将が不可思議そうな表情を浮かべ、他の参謀達も困惑と心配を混ぜ合わせた様子で話し合う。失神した准将は確かにコネ人事で来た様々な意味での問題児ではあるが、流石に今回の騒ぎは常軌を逸していた。心配にもなる。

 

「恐らくは緊張と体調不良で錯乱でもしたのでしょう。ティルピッツ准将とは面識がありますが元よりプレッシャーやストレスに弱い性格でしたから。ましてやここ何週間も宇宙酔いで身体的に疲労していた上、今回の遠征計画の航海計画で精神的に摩耗しておりました。帝国軍哨戒部隊に逃げられた以上、計画の大幅な変更は必要になりますのでそのストレスで……同僚の体調管理に気が回らなかった自分の落ち度でもあります。申し訳ありません」

 

 何か言いたげな付き人二人を視線で黙らせた上で、もう一人の副航海部長は報告する。

 

「……そうか。ならば後で他の参謀達の体調管理についても確認が必要だな。誰かティルピッツ准将を医務室に運べ。体調が回復するまで休養を取るようにとな。……彼には不本意かも知れんが未遂とは言え司令官の命令権を侵し、司令部の混乱を招いたのだ。意識が回復し、体調の整い次第始末書の提出をするようにとも伝えておけ」

 

 レ中将がそう命じれば、周囲の兵士達がそそくさにそれに従う。

 

「若様……」

 

 憲兵達に担架で運ばれる主君に寄り添うように付き人二人が心配そうに艦橋から退出する。その姿を艦橋に詰める幾人かは羨ましそうに、また幾人かは不快そうに顔を顰め、しかし大多数の者達は直ぐに意識を切り替えて眼前の課題に意識を集中させた。

 

「……工作艦に機雷の処理を命じるように。それと損傷艦の救助に数隻を残すように伝えてくれ。それ以外の艦艇は要塞に向けて行軍を続けよ」

 

 騒動が収まったのを確認してシトレ大将は指示を飛ばし、兵士達はその命令に従い端末を操作して、彼方此方に移動を開始する。

 

 その中に紛れるように不快そうな表情を浮かべる作戦参謀の一人に腕を掴まれて何処かに連れていかれるホーランド准将を一瞥し、しかしすぐに興味をなくしたレ中将はシトレ大将の元に来て尋ねる。

 

「逃げ出した敵部隊はどう致しましょうか?念のために追撃しましょうか?」

 

 その言に、司令官席に座りこみ、静かに腕を組んでいたシトレ大将は暫しの間逡巡して……決断した。

 

「……構わん、捨て置け。所詮哨戒部隊であるし、遅かれ早かれ最早これ以上の偽装は出来ん。深入りして無駄な消耗をする事もあるまい。我々の獲物はあんな小物ではないのだ。イゼルローン要塞攻略の大目的を忘れてはならん」

 

 下手に追撃して藪の蛇をつつく必要もない。たかが哨戒部隊一つにのめり込むよりもより広い視野で動くべき……シトレ大将の判断は決して間違ったロジックを基に形成された訳ではなかった。所詮は一個駆逐隊である。遠征軍がそんなものを全力で追撃するなぞ余りに馬鹿げていた。これは仮に先程の航海部副部長が騒ぎを起こさなくても、あるいは粘り強くシトレ大将と交渉しても同じ結果であっただろう。それ程までに当たり前の判断であった。

 

 そう、シトレ大将の判断は正しい。少なくとも一般論、そして常識論としては。極極少数の例外を、あるいは可能性を考えて貴重な戦力を危険に晒してまで追撃しようという愚かな判断をするような人物が同盟軍の大将には昇進出来る筈もない。

 

 シトレ大将の言は直ぐに全軍に通達され、尚も追撃を仕掛けようとしていた数隻の艦はその命令に従ってその足を緩め、後退し、隊列を整えていく。

 

 そして同時に、大艦隊は帝国軍哨戒部隊が悠々とジャミング影響下から離脱をしていくのを、唯々苦虫を噛んだような表情で、しかし仕方なさそうに見届けたのだった。

 

 ……宇宙暦792年五月四日1640時、第五次イゼルローン要塞攻防戦、その鏑矢となる小さな戦闘はこうして幕を閉じた。

 

 参加戦力は同盟軍が遠征軍主力凡そ六万隻に対して帝国軍が哨戒として展開していた第六四〇九駆逐隊に所属する駆逐艦九隻……戦力の差は明らかであったが帝国軍は大軍の長距離砲撃と駆逐艦の肉薄攻撃に対して巧妙な撤退戦を演じ、その結果戦闘は帝国側が駆逐艦一隻の小破及び十数名の負傷者を出したのと引き換えに、追撃に出た同盟軍駆逐艦二隻が宇宙機雷で大破、同じく戦艦一隻が小破し四〇名近い戦死者とその二倍の負傷者を出すという予想外の形で幕を閉じる事となる。

 

 無論、この戦闘自体において生じた損害自体は両軍の戦力から見れば全体の〇・一パーセントにも満たぬ取るに足らぬものであり、それ自体は戦略的にも戦術的にも何らの意味も影響も齎さない戦いに過ぎなかった。

 

 しかし、偶発的な遭遇戦に過ぎないこの戦いは双方に、特に同盟軍側に内心大きな衝撃を与えたのも確かであった。圧倒的な戦力差がありながらの実質的な敗退、それは損失の小ささに比べて少なくない動揺を兵士達に与えた。その幸先の悪さがまるで今後の要塞攻防戦の結果を予見するかのように思えたのだ。六万隻という大軍の存在に自信を抱き、何処か楽観的になり安穏としていた同盟軍将兵達はこの小さな敗北から過去四度に渡る大敗の記憶を無理矢理に思い出させられたと言える。

 

 一方、帝国軍はこの細やか過ぎる勝利を大いに宣伝した。戦いの規模としては無価値に等しくとも、勝利には違いない。そして圧倒的な戦力差に奇襲を受けたという事実から兵士達の注目を逸らすために駐留艦隊首脳部は必要以上とも言える程にこの戦いの結果を褒め称え、英雄化し、将兵の動揺を抑えようとした。そしてそれはある程度実を結ぶ事になる。

 

 結果として、両軍共に将兵達はこの余りに小さく無価値に近い筈の遭遇戦を実際の軍事的影響以上に意識する事になったのである。

 

 そして、その裏側でこの戦いの主役を演じた一人の少佐が敵味方双方の多くの将兵達から畏怖と尊敬を集めた事は、しかしこの段階では両国の首脳部共にその重要性を理解する事は無かったのだった……。

 


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