帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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三周年記念の癖に話は余り進まないかも……取り敢えず主人公の四肢麻酔無しで揉いで読者に土下座させよう!!


第百七十話 どうせ門閥貴族なんて録な奴らじゃねぇんだ!見つけ次第殺るぞ!!(訳: 二周年だ、やったぜ!!)

「母上、やはり自分には納得出来ませんっ!!あの視線をご覧になったでしょう!?姉上を、我々を見るあの不躾な視線を!!またあんな奴らと顔を合わせるというのですか……!!?」

 

 ハイネセンのホテルカプリコーン・ハイネセンポリスの地上六〇階の廊下を進みながら少年は、ケッテラー伯爵家直系唯一の男子であり、跡取りであるヘルフリート・フォン・ケッテラーは噛みつくように母に向けて叫ぶ。一方、母であるドロテアはいつも通りに開いた扇子で口元を隠し、そのまだ若々しさと美しさを保つ顔を若干しかめて、言葉を紡ぐ。

 

「ヘルフリート、伯爵家の長男がそう声を荒げるものではありませんよ?何があろうとも余裕を持って泰然としなくては。短慮な賎民共でもないでしょうに」

 

 その美貌通りの美声で幼子を躾け、窘めるようにドロテアは答える。しかし、その内容は息子にとっては却って苛立たしさを悪化させるだけであった。

 

「話を逸らさないで下さいっ!!あのような奴らの風下に立つ事を母上は受け入れるのですかっ!?ましてあのような男の下に姉上を……!!」

 

 ヘルフリートは肩を震わせて叫ぶ。あの家の……姉の嫁ぎ先の家人達の視線を彼は覚えている。特に長老勢を始めとした一族の大人達はあからさまにケッテラー伯爵家を観察し、蔑み、侮蔑し、軽んじていた。それは此度の婚姻に反対する伯爵夫人の一派だけでなく、推進する老貴婦人すら例外ではない。反対はしなくても、一見は温かく迎え入れているようでも、間違いなくあの目は姉を格下として見下しており、取引の商品としてしか見てなかった。

 

「今夜の祝宴会も、結婚も、もう決まった事ですのよ。ここまで漕ぎ着けるのにどれだけ会談と根回しがあったと思って?今更全て無かった事にするなんて論外なのは貴方でも分かると思うのだけれど?」

 

 ドロテアは、自身の息子に教師が出来の悪い生徒に言い聞かせるように答える。実際、ケッテラー伯爵家がここまで漕ぎ着けるまでに凄まじい苦労があったのだ。

 

「ですが……!私はあんな家、到底信用出来ません!ましてや親族扱いなんて……!!」

「して貰うしかありませんね。寧ろ、本来ならば貴方だって土下座してでもそれを頼まなければならない立場なのですよ?」

 

 息子の叫びに若干険の籠った口調で子爵夫人は指摘する。

 

「奴隷のように卑屈におもねろと?そのために姉上をあんな何をされるかも分からない家に嫁がせろと言うのですか……!?」

「……私達には責任があるのですよ。一族と家臣と領民に対してね」

 

 鋭い眼光で非難する息子に、その視線を反らし不愉快そうに母は答えた。扇子で顔の半分を隠している事もあって、その内心は窺いしれない。

 

「お止めなさいヘルフリート。御母様を困らせるものではありませんよ?」

 

 そこに背後から響く小鳥の囀ずりのような透明感のある声音。背後を苦々しげに振り向く少年は直ぐに年の割に何処か幼げに見える姉の姿を見つけた。

 

 青いドレスの下はきつくコルセットをしている事であろう、腰元は細く曲線を描くように締め付けられていた。鼈甲の櫛を髪に刺し、首には絹地のレースチョーカーを巻いた姿は半ば没落しているケッテラー伯爵家の娘とは思えない。少なくとも外面は社交界に出ても可笑しくない立派な貴族の令嬢であった。

 

「姉上、しかし……」

「御母様やお爺様を困らせるものではありませんよ。ね?」

 

 姉は弟の元まで来ると食い下がる弟に対して優しげに、そして何処か儚げにそう諭すように語りかける。

 

 二十歳前の、自身よりも五歳年上の姉はしかし、元より小柄な事もあってその目線は弟のそれとほぼ等位置であった。あどけなく、そして幼げな顔立ちもあって弱々しい印象を与える。しかし、確かに目の前の人物が自分の姉である故に弟は本能的に気後れし、彼女に強く出られずにいた。そのためにヘルフリートの態度は母に向けるそれから急にしおらしくなる。

 

「………」

「これは貴方のためでもあるわ。私がお務めを果たせばこの家と貴方の助けにもなるのよ?だから、ね?」

 

 黙ったまま、しかし納得出来ないと言った表情の弟に姉は更に優しく、言い聞かせるように語りかける。

 

 元よりケッテラー伯爵家はバルトバッフェル侯爵家やティルピッツ伯爵家に比べ決して豊かではないし、政治的にも主流派ではない。武門三家の中では残る二つに比べかなり格差があった。一世紀以上昔にコルネリアス帝の親征に対して矢面に立った影響を未だに引き摺っていた。

 

 まして先代当主が多くの一族郎党と共に死んで、御家騒動で残った余力も使い果たした。残る伯爵家の直系は混じり物であり、後塵を拝していた他の武門貴族は宮廷における伯爵家を引き摺り降ろしその立場に成り代わろうと何度も策謀を巡らしていた。

 

 宮廷が諸侯の序列と秩序が乱れるのを嫌った事、先代との関わりと打算がありティルピッツ伯爵家が援助を申し出た事はケッテラー伯爵家にとっては僥倖であった。娘一人を差し出し、頭を下げるだけでその見返りは絶大だ。

 

「貴方だって可愛い許嫁を紹介して貰ったでしょう?これで貴方の立場も安泰、宮廷でも苦労せずに済むの。私も安心だわ」

 

 そう言ってグラティア嬢が思い出すのはゴールドシュタイン公爵家傍流の幼い少女だ。恐らく一〇歳にもなっていないだろう少女は、しかし大人になれば間違いなく美女に成長するだろう片鱗を覗かせていた。しかも血筋も素晴らしい。混じり物として中々結婚相手の見つからなかった弟に望みうる限り最高の許嫁が出来たのは一族の存続のみならず、宮廷における扱いにも大きな影響を与えるだろう。ティルピッツ伯爵家次期当主の義弟であり、ゴールドシュタイン公爵の義理の孫という立場になるとなればさもありなんである。

 

 グラティア嬢もまた、この決定に喜んでいた。同じ血を分けた大切な弟が宮廷で苦労するのを彼女は望んでいなかった。

 

「てすが!私は……俺は自分のために姉上を犠牲にするなんて出来ません……!!」

 

 悔しげに声を荒げる弟。彼にとって目の前の気弱で、優しく、幼げな姉が嫁ぎ先で上手く暮らせるとは到底思えなかった。いや、これが普通の嫁ぎ先であれば兎も角、あんな獣の巣では余りにも荷が重過ぎる。どれだけ嫁ぎ先の家族を立てようとも、見る者のレンズが歪んでいればあらゆる行いが悪意を以て解釈されよう。ましてや、妻を守るべき夫があの態度では……!!

 

 そう、ヘルフリートにとって姉が政略結婚の道具にされるのも不愉快ではあった。それでも嫁ぎ先で幸せになれるなら我慢もしよう。だが、嫁ぎ先の一族があからさまに姉を虐げ、貶め、嘲るならば話は別だ。姉の夫となり、自身の義兄となる人物に至っては余りにも論外であった。

 

 少年時代に相当の問題児だったのは矯正されたと聞いていたが、ヘルフリートには到底そうとは思えなかった。功名に逸り、無謀な行いをしては傷を負い、その癖反省の色は見えないように少年には思えた。話では愛人を二人召し抱えていて、しかも周囲の顰蹙を買う位に耽溺しているとも聞いた。私的になら兎も角、同盟軍内部ですら公然と連れ回しているとなればかなり重症だろう。

 

 何よりも姉に対する余りに身勝手で無慈悲な所業の数々が一番少年には許せなかった。それは到底婚約者に向ける態度ではなかった。寧ろ、婢に対する扱いに等しい。姉を好き勝手出来る玩具か何かとでも思っているのだろうか?あの男の行い一つ一つが姉の立場を貶め、嘲笑の対象とし、その名誉を傷つけ続けたというのに……!!特に昨年、あの男が見舞いに来た姉を傷物にしたと聞いた時なぞヘルフリートは思わず失神しそうになった。式を挙げていない姉に対して、それは最早許嫁に対する所業ではない。

 

「ヘルフリート……」

 

 悲しげに姉が自身を見据える姿に、少年は心を抉られる。同時に少年は姉の髪の色を思い、一層悔しさに苛まれた。そのくすんだ金髪は本来少年のそれと同じ色であった筈なのに……!!

 

 半ば無理矢理姉の亜麻色の髪が染色させられたのは強欲な祖父の命令だった。婚約者が金髪好きだという噂を聞き付けてそれにおもねるように染めさせた。婚約して式さえ挙げてしまえば後戻り出来ないとばかりの所業だ。当時は他にも候補者がいた事もあって手段を選んでいられなかったそうだ。姉の本来の髪の色を知っているヘルフリートには、それが姉が欲望に汚されたようにも思えて不愉快だったし、それ以上に染色なぞしていると知れた日には姉の立場は……!!

 

「大丈夫。大丈夫だから、ね?心配しないでヘルフリート」

 

 強く握る拳にそっと触れる姉。か細い、少し力を入れたらへし折れてしまいそうな白い腕……ヘルフリートの拳を両手で優しく包み込みながら姉は少年に慈愛の視線を向けて宥める。

 

 だが、姉の言葉を聞いても……いや、だからこそヘルフリートは少しも安堵出来なかった。いつだって、どれ程苦しい時だって姉はそうやって自分を安心させるように偽りの言葉を吐き、無理した笑みを浮かべていたのだから………。

 

 沈黙が廊下と、そこに佇む親子の間を支配する。それを破ったのは不躾な大声であった。

 

「おおっ!そんな所におったかっ!!お前達、何をしておるっ!!早く車に乗らんかっ!!折角お呼び頂いた祝宴に遅れてしまうではないかっ!!」

 

 全く、とあからさまに不愉快そうな表情を浮かべるのは紳士然としたスーツを着こんだ祖父の姿だった。皺が深く刻まれた気難しそうな老貴族が早足に廊下を進み娘と孫達に向けて叫ぶ。

 

「……分かっておりますわ、御父様。遅刻する積もりはありません。先に降りていて下さいな」

 

 扇子で顔の下半分を隠したドロテアは心底うんざりとして、そして不愉快そうに実父にそう言い捨てる。その視線には明らかに嫌悪の感情が込められていた。

 

「ふんっ、此度の祝宴は極めて重要なものだ。挨拶回りのためにも早めに出席しなければならんのだ。急いで下に来る事だな、遅刻程度で諸侯の不興を買うなぞ笑えんからな!」

 

 諸侯の血を引きつつも、半分は下級貴族の血を引くが故に混じり物扱いされ軽んじられてきた元子爵は、娘の生意気な態度に鼻を鳴らし先にホテルの地上階に向かうためのエレベーターに向かう。ドロテアは剣呑な表情でそんな父の背中を射抜き、次いで小さく溜め息をついてから傍らの子供達に視線を向ける。

 

「……グラティア、ヘルフリート。話は聞きましたね?行きますよ。あの人の言葉を肯定するのは癪ではありますが、だからといって他の方々の不興を敢えて買う必要なぞありません」

「どの道、酒の肴として物笑いの種にされるでしょう?」

「卑しめられるよりかはマシというものです」

 

 息子の嫌味を淡々と切り捨て、ドロテアは廊下を歩み始める。グラティアはそんな母に恭しく付き従うように歩き始め……そんな母と姉を見たヘルフリートは心底悔しげな表情を浮かべ、小さく舌打ちすると渋々とその後を続いた。

 

 彼もまた分かっていたのだ。母も姉も自分が何をしようとも招待された祝宴に参加するであろう事を。そしてその場に自身が我が儘を言って参加しなければそれが家族を嘲笑う噂の種にされるであろう事を……。

 

 

 

 

 

 宇宙歴792年三月一二日のハイネセンポリスの夜、ゴールドシュタイン公とクレーフェ侯を主催者とした祝宴会は盛況だった。ハイネセンにおける亡命帝国人コミュニティはアルレスハイム星系を除けば最大規模を誇るためでもあるが、それだけが理由ではない。

 

 ダゴン星域会戦から今日に至るまで、様々な理由で同盟に亡命した帝国諸侯は二〇〇家近い。断絶した家を除いても亡命政府に加入する諸侯家は一五〇家は超えるだろう。一族単位ではなく個人単位で亡命した者を含めれば更に増える。

 

 亡命者のうち、かのジークマイスター上等帝国騎士のように熱烈な共和主義者を除く大半の帝国貴族は亡命政府に合流した。同時に大半の諸侯は宮廷の存在や文化的・政治的理由からアルレスハイム星系に在住する事を望んだ。そのためにこれまでハイネセンで主催される祝宴会に参加する諸侯の絶対数は決して多くはなかった。

 

 ところが過日、アルレスハイム星系に帝国軍が迫り、それに備えて多くの諸侯が疎開した。武門貴族の当主は兎も角、その妻子や文官貴族等は居残っても仕方無い。数百、ないし千に迫る数の門閥貴族がハイネセンを始めとした同盟各地の帝国人街に避難し、ヘリヤ星系での勝利により帝国軍の脅威が失われた現在も幾らかの理由により大半の貴族は未だに領地に戻る事はなかった。

 

 それ故、これまで宮廷で頻繁に行われていた宴会への出席者は激減し、その代わりにこのハイネセンにて開かれるそれにはかつてない数の貴族達が参列していたのだ。

 

 シェーネベルク街の一角に建てられた王宮の如きホテルは贅を極めていた。それはこのホテルが元来ハイネセンに行幸する皇帝や皇族一家を持て成すためのものだからだ。そして、ホテルの宴会ホールもまた、元来は皇帝とハイネセン在住の貴族達の親睦を深めるために用意された。そのために多くの諸侯が参列する宴会の会場とされても決して格式が不足する事はなかった。

 

 絢爛な装飾に数十万ディナールはするシャンデリア……数千人を収容する事も可能なホール会場に参列した諸侯ないしその家族は約一〇〇家、そこに準男爵位を得た下級貴族や同盟社会で独自に財を成した富裕な平民、更には亡命貴族と婚戚関係のある王政同盟加盟国の要人も若干交ざっていた。

 

 誰もが平民の年収並みか、あるいはそれを超える豪奢な装束に身を包み、特に貴婦人や令嬢達は貴金属や宝石を品格を損ねない程度に散りばねた髪飾りに首飾り、ネックレスに指輪で武装する。それは彼女達自身の美しさに磨きをかけるだけでなく、その家の財力をも見せつけるためだった。

 

 会場の彼方此方で給仕する大量の使用人達、裏手で数ダースにも及ぶ一流の料理人達が高級食材をその技術の粋を集めて調理したご馳走の山は絹のテーブルクロスがかけられた幾つものマホガニー材のテーブルの上で高価な食器に芸術的に盛られていた。会場に流れるクラシックなBGMはプロの楽団による生演奏だ。

 

 今回ゴールドシュタイン公とクレーフェ侯が主催したこの祝宴のためだけに投じられた資金は、恐らく数千万ディナールに及ぶ。未だにアルレスハイム星系の情勢が予断を許さない状況でありながら、多くの領民を置いていった貴族達がこのような贅沢をしている事を知れば、同盟市民の大多数は怒り狂う事だろう。

 

 尤も、主催した二人の諸侯からすれば寧ろ参列者の数に比べてかなり経費を抑えた、と述べるであろうが。亡命政府軍の損失や亡命政府の財政や経済を考えて節約したのが今の状態であった。同盟市民から見れば一ミリも努力の痕跡が見えないが、彼らは自らの節約具合を恥ずかしげもなく自画自賛した事であろう。我々はオーディンの腐敗した者共とは違う、民主共和政を奉じるルドルフ大帝の正統なる理念を受け継いだ真の貴族であると。

 

「……本当、失笑物だよ」

 

 主催者を始め、幾人かの力ある諸侯に挨拶回りをした後、祖父や母姉と別れたヘルフリートは、小さくそう嘲笑した。酷い喜劇(バーレスク)だと思った。そして皮肉気に会場に掲げられた巨大な三つの肖像画を見上げた。

 

 開祖ルドルフ大帝、国父アーレ・ハイネセン、そして現皇帝グスタフ三世の厳粛な肖像画は、しかし帝国でも同盟でもこの三者を同時に並べるなぞ想像も出来ない事であった。節操がないとすら言えるだろう。その意味で亡命政府は同盟でも帝国でもない異物である事がありありと分かる。

 

(まぁ、異物なのは俺達も何だろうけれど……)

 

 挨拶回りを一旦休憩し会場の端の壁に持たれるように佇むヘルフリートは、ジロジロと不躾にかつ横目に自身を覗く視線に内心で不快感を感じていた。

 

「あれかしら?ケッテラー伯爵家の次期当主というのは」

「直系唯一の男子だとか。いやはや、折角の男子が混じり物とはケッテラー家も不幸な事ですな」

「ゴールドシュタイン公の御孫さんが婚約者だったかしら?こういってはなんですけれど、少し血筋が釣り合わないのではなくて?」

「逆ですよ。だからこそです。陛下も名家たるケッテラー家の没落なぞ望んでおりませんから。仕方無く、血を継ぎ足して面目を保たせてやろうという事でしょうな」

「母親といい、姉といい、媚びを売るのが御上手なのでしょうね。本当卑しい事ですわ」

「いえいえ、祖父と曾祖母もですわ。流石は淫売の血筋というべきでしょうね」

「全く、仰る通りですわ」

 

 クスクス、と宮廷雀達が囀ずる。血統を至上とし、特権意識に凝り固まる彼ら彼女らからすればヘルフリートも、その母も娘も軽蔑の対象以外の何者でもなかった。

 

「っ……!!」

 

 気付かれないように奥歯を食い縛り、ヘルフリートは怒りを抑えつける。自身を罵るのはどうでも良かった。祖父が嘲られても気にしないだろう。しかし母や姉が貶められる事は耐えられなかった。

 

(大枚使ってやるのが自慢話に悪口大会か、本当にふざけた集まりだっ……!!)

 

 ましてや、そんな祝宴会に必死に準備して参加して、笑われる自分達は何をやっているのか等と考えると滑稽ですらある。唯一の幸運と言えば、今回はあの忌々しい男が軍務で出席していない事位だろうか?

 

「………」

 

 苛立つ意識を逸らすように視線を移動させる。そして偶然目をやった会場の一角を見れば、そこには軍服に身を包んだ高級軍人の群れがあった。ハーゼングレーバー同盟地上軍予備役大将にグッゲンハイム同盟宇宙軍大将、バルトバッフェル同盟地上軍中将に亡命政府軍地上軍第一五軍団司令官カールシュタール准将、あの問題児として知られるローデンドルフ伯爵夫人(亡命政府軍地上軍少将)までいた。同盟軍に所属している者達は白生地の礼服であるが、亡命政府軍に所属する者は独自に仕立てた華美な軍礼服を身に纏う。ローデンドルフ伯爵夫人が何やら大声で笑いながら語り、若干困り顔の周囲はそれに付き合っているようだった。所謂接待状態である。

 

 大笑いながらワイングラスの中身を呷る伯爵夫人は、ほろ酔いがちで機嫌良さそうな表情で周囲を見渡す。そして……何となしにヘルフリートと視線が交わる。

 

「えっ……?」

 

 がつがつと、外套をはためかせながらやって来る伯爵夫人にヘルフリートは困惑と、混乱から立ち竦む。彼には彼女が何故自分の元にやって来るのか全く理解出来なかった。しかし、それを待ってくれる筈もない。気付けば既に皇姫将軍はヘルフリートの目の前に立っていた。

 

「っ……!!」

 

 身長の差も在るだろう。顔の傷が威圧感を増すせいもあるだろう。しかしそれ以上に、最前線で繰り返した殺し合いの経験が生み出す圧にヘルフリートは気負されていた。思わず息を呑み、自身を見下ろすローデンドルフ伯爵夫人を見つめる少年。

 

「……確かお前さんがケッテラー伯爵家の嫡男だったか?」

「……は、はい。伯爵夫人。ケッテラー伯爵家長男のヘルフリートで御座います」

 

 鋭い視線で尋ねる皇女に、気後れしつつも敬礼で答えるヘルフリート。そんな彼を暫しの間将軍は見つめ……次の瞬間ニヤリ、と子供っぽい笑みを浮かべる。

 

「えっ……?うわっ……!?」

 

 その表情の豹変に驚いたヘルフリートは、しかし次の瞬間には身体を引き寄せられ、視界が奪われていた。顔に何か柔らかい感触がした。

 

「そうかそうか!お前がヴォル坊の義弟だなっ!じゃあ私はお前の義理の叔従母って訳だな!!はっはっはっ!!私が義叔従母かっ!よいよい!これからは遠慮せずに義叔従母と呼ぶが良い、可愛い奴め!!」

 

 豪快に笑いながらヘルフリートを抱き寄せて、わしゃわしゃと可愛がるように髪を撫でるアウグスタ。そこにあるのは純然たる好意だけであった。

 

「よしよし!今丁度バルトバッフェルの従兄達と話していた所でな!お前さんにも紹介してやろう!!同じ軍人の先達だ、顔を知っていて悪い事なぞあるまい?」

 

 独善的にそう言って、心底ご機嫌そうにヘルフリートの腕を掴み引き摺り始めるローデンドルフ少将。その力は到底か弱い姫君のそれでは無かった。

 

 半ば力尽くでヘルフリートは諸将達の下に連れられ、そしてローデンドルフ少将はヘルフリートの背中をバンッ!と叩きながら勝手に彼らに向けて紹介を始めた。

 

「おお!!こいつだこいつ!ヴォル坊の嫁の弟のヘルフリートだ!私の義理の従甥でなっ!お前達も可愛がってくれ!!」

 

 同盟人からすれば殆ど他人のような間柄のヘルフリートを堂々と身内として紹介して見せるローデンドルフ少将である。元より帝国貴族は一族の身内意識が強く、しかもこの皇女殿下は一際その拘りが激しい。それ故に彼女は何ら躊躇もなくそう宣言する事が出来た。

 

「あ、その……へ、ヘルフリート……ヘルフリート・フォン・ケッテラーで御座います。亡命政府軍幼年学校四年生であります……!!」

 

 此方に集まる将官達の(幾人かは敵意も混じった)視線に気後れしつつも、しかし姉のためにもここで恥を晒す事は許されない。ヘルフリートは直立不動の姿勢を取って教本通りの敬礼を行う。

 

「……ふむ。ヘルフリート君、暫くぶりだね。そう言えば貴家も招待されていたのだったかな?同僚達との話で夢中で、つい挨拶をするのを忘れていたよ。済まないね」

 

 義理の伯父に当たるバルトバッフェル中将はそのカイゼル髭を擦りながら、優雅にかつ自然体で非礼を詫びる。しかし、ヘルフリートは口にせずとも分かっていた。彼は挨拶を忘れたのではない、敢えて無視していた事を。

 

「これはヴィレンシュタイン家の子息殿ですな。随分と大きく、逞しくなられましたな、大変喜ばしい事です」

 

 グッゲンハイム伯爵の笑みは相手を嘲るようなものであった。武門三家最弱のケッテラー伯爵家の立ち位置を虎視眈々と狙っていた彼にとって、ヘルフリートは到底好意的に接する事が出来る人物ではなかった。

 

 ハーゼングレーバー予備役大将とカールシュタール准将は比較的平凡な挨拶をヘルフリートに行った。前者の家もグッゲンハイム伯爵家同様ケッテラー伯爵家の立場を狙っているとは言え、宮廷の意向を了解しているし、今更敵意を向けても何の生産性もない事も熟知していた。後者の家はそもそも関知する積もりもなく、ティルピッツ伯爵家の婚姻問題に距離を取っていた。何よりも両家共に何よりも目の前の皇女の面子も立てる必要もあった。

 

「そういえば、幼年学校を卒業した後は市民軍の方の士官学校に行く予定だったか?となると気軽に会えんようになるなぁ、寂しい限りだ。……軍種は宇宙軍と地上軍どちらを目指す積もりだ?」

 

 思い出したかのようにはぁ、と心底残念そうに溜め息をついてから、ローデンドルフ少将は好奇心の赴くままに尋ねる。内心で舌打ちしつつ、しかし相手が相手である。答えない訳にもいかない。ヘルフリートは渋々と、そして恭しく質問に応じる。

 

「……宇宙軍の方を目指す予定です。出来れば前線勤務を志望する積もりです。そちらの方が手柄を立てやすいですから」

「宇宙軍の前線勤務か。その分では将来的には正規艦隊の提督が狙いかな?」

 

 カールシュタール准将が少年の狙いを見抜く。常設艦隊であり、主力艦隊でもある同盟宇宙軍正規艦隊は同盟軍に冠たる精鋭であり、その提督職は数千人いる将官達にとっても花形部署だ。

 

「そうかそうか!となればヴォル坊と一緒になるかも知れんな!そうだ、私からも坊にお前さんを重宝するように口利きしてやろうか?」

 

 完全な善意でローデンドルフ少将は提案するが、それはヘルフリートにとって論外な提案だった。

 

「い、いえ……御気持ちは嬉しい限りですが態々ローデンドルフ少将のお手を煩わせたくはありませんので……」

 

 着任して早々にあんな男の下で働くなぞ吐き気すら催す。それどころか下手すれば自分が姉に対する人質にされかねない。自分を危険に晒さないために姉があの憎らしい男に跪き、涙を浮かべて懇願する様が脳裏に過ったヘルフリートは丁重に提案を断る。

 

「むぅ?別に遠慮する事はな……む、どうやら主役の登場らしいな」

 

 若干むくれっ面でヘルフリートの言葉に愚痴を言おうとするローデンドルフ少将は、しかしそのざわめき声に振り向いて呟く。

 

 ……二ダースの侍従と侍従武官に守られながら現れたのは白髪に同じく雪のような顎髭を揃えた老人であった。

 

 漆黒を基調にして金糸で作られた正肩章に袖章、飾緒が輝く。釦は全て双頭の鷲が刻印された銀製であり、胸元で輝くのは銀河帝国亡命政府軍大元帥を表す巨大な金剛石の嵌め込まれた星章を筆頭に亡命政府、あるいは同盟政府や同盟加盟国から受勲された勲章である。その背に纏う外套は紫の生地に金糸で鮮やかな刺繍が為されていた。恐らくはそれだけで何十人という熟練の職人が十年以上の月日を必要とするだろう細密さである。

 

 銀河帝国亡命政府皇帝にしてアルレスハイム星系政府首相でもあるグスタフ・フォン・ゴールデンバウム三世は齢八〇を超えても尚、その体躯は頑健であり、その顔立ちは実年齢よりも十は若々しく、覇気と活力に溢れていた。仮にオーディンに住まうもう一人の皇帝を見てから彼を見た者は何方が老齢であるかを確実に間違えるだろう。

 

 それ程までに不健康で困憊し新無憂宮の奥に閉じ籠る皇帝よりも皇帝らしく、大帝国をその背に背負うとしても十分な器があるように思えた。ルドルフ大帝には及ばないにしても、銀河帝国歴代皇帝の過半に勝る指導力を有する事は、即位から三〇年余りに渡り帝国と同盟の狭間で亡命政府を存続させてきた事実が証明していた。

 

「おお……」

「流石皇帝陛下、この御年になられても何と頑健な」

「何と雄々しく、覇気に溢れたお姿か」

「正に銀河皇帝に相応しき威風、オーディンの偽帝とは訳が違いますな」

 

 ユリウス一世長寿帝のように在位が長いだけでただただ不健康に後宮で美女を貪るだけの老皇帝であれば軽視され、うんざりされるであろう。しかしグスタフ三世は皇帝と星系政府首相を兼任し、老境に至っても尚多忙を極める身である。その実績もあり、この会場に集まる諸侯達がこの老皇帝に敬意を持つ事はあってもその逆は有り得なかった。

 

 諸侯が次々に皇帝に頭を下げ、礼を執る中でとある人影が近付く。彼らの出で立ちはこの場に集まる諸侯の中では僅かに異彩を放っていた。彼らの出で立ちは貴族的ではあったが帝国的なデザインとは僅かに外れていた。

 

 護衛と付き添いの侍従を侍らせた一団の主役たる少女は、老皇帝の下に来ると予め用意させた内容に基づいて口上を述べる。

 

「ゴールデンバウム家当主グスタフ三世陛下、御壮健で何よりです。我らがパルメレント王家から代表して今宵の祝宴会の招待に対する感謝の御言葉を贈らせて頂きますわ」

 

 そう言って優美にカーテシーを行う銀髪の美少女。帝衣を纏うグスタフ三世はその挨拶に慈愛の笑みを浮かべる。

 

「同じく、パルメレント王政府からもアルレスハイム星系政府からの招待に対して感謝の言葉を申し上げます」

 

 同盟議会におけるパルメレント星系政府選出議員もスーツ姿で同じく頭を下げてアルレスハイム星系政府首相でもあるグスタフ三世に挨拶を行う。

 

「うむ、パルメレント王家、及び王政府からの言葉、確かに頂戴した。共に価値観を共有する同志として貴国と貴国の王家の繁栄を心から御祈りさせて頂こう。……マリアンヌ、今宵は良く出席してくれた。細やかな祝宴であるが心行くまで楽しんでくれたまえ」

「はい、御爺様!」

 

 私的に声をかけられ、グスタフ三世に向けて花が咲いたような笑顔を向け、親しげに返事を向ける姫君。実際、彼女にとって目の前の皇帝は他国の君主であり、同時に自身の親族でもあった。

 

 存命するグスタフ三世の子供は二男三女。内、第二皇女たるオクタヴィアは亡命政府との交流が深いパルメレント『王国』の国王に嫁ぎ、一男二女を授かっている。今回の祝宴に参列しているのは次女のマリアンヌのようであった。齢にしてまだ一二歳の溌剌とした王女である。

 

 銀河連邦末期の混乱と戦乱の中で放棄、ないし分離独立したサジタリウス腕の植民地はその大半が戦争や資源や食料不足、技術力の衰退で崩壊し、コミュニティそのものが全滅した。どうにか生き残った勢力もまたその大多数は銀河連邦時代に比べてかなりの文明後退を強いられる事になる。恒星間航行技術を喪失した勢力も少なくない。

 

 危険に満ち満ちたイゼルローン回廊を通り抜けたアルタイル星系の強制労働者達は、サジタリウス腕でその支配圏を拡張する中で様々な政体を取りこの混沌を生き抜いた諸勢力と遭遇する事になる。

 

 それらの中には同盟政府同様に民主政を取る勢力もあったが、無論それだけではない。社会主義に似た国民監視体制を以て混乱を纏め上げた独裁国家、神権政治を以て人民を管理した宗教国家、一部の有力者による議会政治を行う寡頭体制、他勢力を屈服させる事で資源不足に対処した軍国主義体制、領土すら持たずに略奪と交易で生計を立てる放浪船団、そしてカリスマ的な指導力と血統により人民を統治する王政国家……自由惑星同盟が宇宙暦527年に成立した時点で、主要な勢力だけでも一〇〇を超えるコミュニティが、かつて銀河連邦において『ニュー・フロンティア』と呼ばれた宙域を舞台に抗争と講和、統合と分離、いつ終わるとも知れぬ離合集散を繰り返していた。

 

 自由惑星同盟の拡大、特に圧倒的な軍事力と科学技術を背景とした旧銀河連邦植民地の併呑は一面では一方的な侵略ではあったが、同時に曲りなりであれサジタリウス腕において慢性的に続いていた『戦国時代』に終止符を打ち、抑圧的で独善的ではあるものの平和と秩序を齎したのは紛れもなき事実である。だが、いつ滅亡するかも知れぬ弱小勢力は兎も角、列強とも称されたサジタリウス腕の大国群からしてみれば、寧ろ自由惑星同盟の存在は自国の進めていた覇権を台無しにした憎き外敵であったのもまた事実であった。

 

 宇宙暦335年から342年頃に成立したと思われるパルメレント王国もそんな列強国の一つである。恐らくは現地で自立した旧銀河連邦軍高官が軍事独裁制から更に推し進めて王政国家として成立したと思われるこの国は、一方で主星パルメレントが膨大な人口を養うだけの資源と食料生産能力を有し、もう一方で旧銀河連邦軍の系譜を受け継ぐ近代的な軍事力を持って『戦国時代』のサジタリウス腕における大国の地位を得ていた。

 

 宇宙暦578年までに軍事的敗北によりパルメレント王国は自由惑星同盟に屈服、間接統治を行う同盟の政治工作による国内世論対立と王政府に対する弾圧を耐え忍び、『607年の妥協』以降は立憲君主制をとって自由惑星同盟に加盟する諸国の内、尚も王政ないしそれに準ずる政体を取る加盟国と共同して同盟議会内に一定の勢力を維持し続けた。

 

 歴史的推移と政体故に同盟加盟国の中では比較的対帝国融和派加盟国の一つに数えられ、また亡命政府との交流も政府レベルから民間レベルでも密接である事も知られている。二十年以上前に行われたアルレスハイム=ゴールデンバウム家からのパルメレント王家への降嫁もその一環であった。帝政党を始め保守派からの反発もあったが、結果的にはこの同盟加盟の他王政国群との交流は亡命政府にとって政治的にも経済的にも多大な利益をもたらしたのは疑いない事実であった。

 

「おお、陛下!!相変わらず堂々たるお姿で御座いますな。ぶひっ!このクレーフェ侯、その御尊顔を拝せましたこと感激の至りで御座います。ぶひっ!」

 

 パルメレント王国からの客人に続いたのは、豚のように鼻を鳴らし、臭い汗を流しながらずしずしとグスタフ三世に歩み寄り礼をするクレーフェ侯爵である。形式は間違っていないのだが、この侯爵の場合礼儀作法以前にその体型のせいで何処か不敬な存在に見えてしまうように思われる。その背後からやって来る老境の貴族は亡命政府に属する諸侯の中でも一、二を争う名家ゴールドシュタイン公爵家の当主であろう。

 

 祝宴を主催する二人の大貴族からの挨拶にグスタフ三世は応揚に答える。そして、それ以降は各諸侯がひっきりなしに皇帝の下に足を運び挨拶をしていく。

 

「我々も御挨拶に向かわねばなりませんな、遅れれば不敬に当たります」

「とは言え、出来るだけ早く終わらせたいものだな。父上もお年だし、暫く御忙しくしていたからな。今回のような祝宴に参加為されたのも久し振りだ、負担はかけられぬよ」

 

 バルトバッフェル中将の言に、腕を組んでローデンドルフ少将が答える。ヘリヤ星系での勝利以前、そして勝利以降も皇帝が援軍の要請や疎開、借款等の交渉のために同盟中に足を運び奔走していた事は娘である彼女も承知していた。

 

「どうだね?ヘルフリート、お前も私達と一緒に行くか?」

「……いえ、私は皆様とは少し格が劣りますので。母や姉と共に御挨拶させてもらいます」

 

 ローデンドルフ少将が善意から提案した内容を恭しくヘルフリートは断る。ローデンドルフ少将達は皆現役の軍人かつ文句のない名家の生まれである。そんな中に混ざり物の餓鬼である自分が入り込んでいたら悪い意味で目立ってしてしまう。それで姉に要らぬ迷惑をかけたくはない。

 

「ふむ、そうか?」

「ローデンドルフ少将、行きましょう。皇帝陛下を御待たせする訳にはいきますまい」

 

 残念そうにする皇女に、バルトバッフェル中将が催促する。若干名残惜しげにヘルフリートを見た後、少将は踵を返して他の将官達と共に皇帝の下へと向かった。

 

「利口な判断だな。今後とも、そういう風に姉同様自身と家の立場を弁える事だ。そうすればそれなりに引き立ててやろう。……可愛い妹や甥の体面もあるからな、感謝する事だ」

 

 去り際に、バルトバッフェル中将が小さく、ヘルフリートにだけ聞こえるようにそう言い捨てた。その言葉にはあからさまに蔑みと嘲笑の感情が籠っていた。

 

「っ………!!?」

「ふっ」

 

 屈辱に震える少年を冷笑するように一瞥し、バルトバッフェル中将はローデンドルフ少将達の後ろに続き皇帝への挨拶に向かう。一瞬見えた侯世子のその目は乞食を見下すように冷酷だった。

 

 そして、ヘルフリートはそんな無礼しかないバルトバッフェル中将に対して怒り狂いつつも、しかしその立場の差から何も言う事が出来なかった。そして、その無力感から少年は絞り出すような声で小さく呟く。

 

「くっ……!糞がっ……これだから貴族共はっ……!!」

 

 それは彼が同い年の他の子供よりも冷静でかつ、自制心を有している証左であったかも知れない。

 

 だが、だからこそ少年は自らの懐に抱くその感情を屈折させ、その憎悪を肥大化させていた事もまた、事実であった。

 

「あっ、ヘルフリート!其処にいたのね!」

 

 いつまでその場に立ち尽くしていたのだろうか?その声に僅かに苛立ちながら少年は振り向く。気付けば周囲で談笑や食事に興じていた参列者の殆どはいなかった。皆、皇帝の下に馳せ参じてしまったらしく、だだっ広い会場の一角に人だかりが出来ていた。そしてそんな中で彼に若干慌てた風に駆け寄る実の姉。その姿に直ぐに少年は怒りを霧散させる。

 

「姉上……」

「ヘルフリート、もうすぐ皇帝陛下への御挨拶の順番になります。早く御母様達の元に行きましょう?」

「順番、ですか……」

 

 ちらり、と視線を移せば人だかりの中心でティルピッツ伯爵夫人ツェツィーリアが義理の祖母であるゲルトルートと共に皇帝に挨拶をしている所であった。その背後では次の挨拶に備え、母が祖父と共に控える。その順列に幾人かの貴族は興味深そうに、また他の幾人かは不快そうな視線を向けている。

 

 一昔前ならばケッテラー伯爵家の夫人がティルピッツ伯爵家の次に皇帝に挨拶の口上を述べるのは間違ってはいなかっただろう。一昔前ならば。

 

 前当主が戦死し、御家騒動のゴタゴタで弱体化して以来、グッゲンハイム家やヤノーシュ家、ホーヘンベルク家、ハーゼングレーバー家等が本来ケッテラー伯爵家の並ぶ順列に捩じ込んで来るようになった。帝室からすればケッテラー伯爵家が弱体化し当主が失われている以上、軍内の高位ポストを押さえている他の諸侯を優先せざるを得ない。実権なき家を理由もなく厚遇する余裕なぞ亡命政府にはないのだ。

 

 逆に言えば、その順列が戻ったという事実は皇帝がケッテラー伯爵家をどう遇する積もりなのかを公然と示していた。即ち帝室の遠縁たるティルピッツ伯爵家の婚家として厚遇し、その当主に将来的にそれに似合う地位を与える事を意味していた。

 

(まぁ、善意ではないんだろうけどね)

 

 母の元に行き、ちらりとゲルトルートに品定めされるヘルフリートは内心で呟く。全ては所詮宮廷の勢力バランスと秩序を維持するためだけだ。ケッテラー伯爵家とその家人を心配してでは断じてないのは周知の事実である。

 

「皇帝陛下、今宵は御会い出来た事誠に光栄で御座います。ケッテラー伯爵家を代表して感謝申し上げますわ」

 

 ティルピッツ伯爵家の夫人達が退くと、まずドロテアがカーテシーをして伯爵家全体の代表者として皇帝に挨拶の口上を述べた。それに続くようにヴィレンシュタイン子爵家を代表して祖父が頭を下げる。

 

「うむ、ケッテラー伯爵家も壮健で何よりな事だ。帝国の建国以来帝室を支える貴家の貢献は良く良く理解している。これからもより一層の忠誠と奉仕に励まれたい」

「無論で御座います。我らがケッテラー伯爵家一族とヴィレンシュタイン子爵家一族、共に皇帝陛下が恩ために今後とも役務に精励させて頂きますわ」

 

 皇帝と子爵夫人が型式通りの言葉を交わす。しかし、その微妙な言い回しにこの場の諸侯達の大半が皇帝の意志を理解する。

 

「……そちらの二人がお子さんかな?」

「ケッテラー伯爵家長女グラティアで御座います、陛下」

「同じく、長男ヘルフリートで御座います」

 

 優しげにドロテアの背後に控えたグラティアとヘルフリートにグスタフ三世が触れれば二人は礼儀作法通りに名を名乗り、皇帝に礼を執る。

 

「うむ、前当主も大変帝室を敬い、公明正大な御仁であった。諸君も御父上と一族の名誉と歴史に相応しい人物となる事、楽しみにさせて貰おうかの」

 

 そういって、特に次期当主たるヘルフリートに優しく、若者の成長を期待するように微笑む皇帝。内心は兎も角、完全に取り繕った外面はそうと理解しているヘルフリートですら思わず警戒心を緩め忠誠心を刺激される程のものであった。

 

「……陛下よりの激励の御言葉を頂戴し、感激の至りで御座います」

 

 ヘルフリートは小さく頭を下げ、そう無難に答える。

 

「宜しい。……そしてそちらのグラティア嬢は、確か婚約中であったな?随分と淑やかなフロイラインな事だ、式の際には私からも祝辞を贈らせて貰おう」

 

 ヘルフリートの返答に一応の合格点を付けた後、老皇帝は長女の方に視線を向けて『梃子入れ』をした。それは周囲の諸侯や夫人令嬢の決して友好的でない視線に対する牽制もあった。皇帝が公に祝い、祝辞も贈ると言えば、流石にあからさまに敵対的な態度は取れないからだ。

 

「は、はい!陛下の御厚意、感謝致します……!!」

 

 一方、グラティア嬢の方は皇帝の言葉に感動に打ち震える。彼女とて無能ではない。皇帝の言葉が何を意図するかはある程度考えが思い至ってはいた。それでも尚、門閥貴族として教育された事による思考回路が彼女に計算や打算を越えた感動を与えていた。特に現皇帝がどこぞの無気力な偽帝と違い敬服に値する人物である事と、彼女にとって皇帝からここまで厚遇する言葉を受けた事が初めてであった事が彼女の受けた衝撃に拍車をかけていた。

 

「……後ろが控えているようですし、それでは私達は一旦失礼致しますわ」

 

 ドロテアがそう言ってグラティアとヘルフリートを連れて退出を申し出る。祖父ルーカスは娘の言葉に一瞬反対しようとするが、ドロテアが首を振り背後を指し示すと素直に従った。背後に控える他の諸侯の視線に気付いたからだ。皇帝に接近出来る大きな機会ではあるが、だからといって諸侯から敵視される危険を犯せない。この辺りが引き際であろう。

 

 最後に一礼をして、ヘルフリート達は退出する。そして、人だかりから少し離れてから、グラティアは緊張の糸が切れたようにほぉ、と小さく息を吐いた。

 

「姉上、大丈夫ですか……?」

「大丈夫よ、ヘルフリート。流石に陛下とあそこまで近付いて御話しした事が無かったから、少し緊張してしまっただけ」

 

 心配そうにする弟に、グラティアは優しく答える。

 

「ふん、この程度の事で一々上がるでない。ヴォルター殿は陛下や他の皇族と御会いする事も少なくないと聞く。お前も嫁いだ後には同じように顔を会わせる事になろう。早く慣れる事だな」

 

 通りがかった使用人からワイングラスを受け取った祖父ルーカスは、グラティアにそう言い捨ててから葡萄酒を呷る。母親が準皇族である事もあり、孫娘の婚約相手が皇帝や他の皇族の覚えが良い事を老貴族は知っていた。彼からしてみれば貢ぎ物の孫娘が一々皇族相手に緊張して粗相をされては堪らなかった。

 

 祖父の態度に不快そうにヘルフリートは横目に睨み付け、次いで心配げに姉を見やる。一方、姉の方はと言えば祖父の言葉を悲しげに、しかし素直に甘受して、受け入れていた。いや、元より彼女に他者に逆らう等という発想があるのか怪しかった。そう、相手に喜ばれる都合が良く、扱い易い贈与品として躾られた彼女には……。

 

「………彼方はお客人も多く、御忙しい事ですわね」

 

 ドロテアは、娘の様子を見た後に呟く。彼女の視線の先には皇帝への挨拶を終えたティルピッツ伯爵夫人と御隠居の前当主夫人、そしてそれを取り巻く貴婦人や諸侯の姿があった。ティルピッツ家本家に仕える分家の令嬢や夫人も少なくない。

 

 ツェツィーリアはその美貌と権力とセンスから社交界の華であり、ブローネ侯爵夫人と並び夫人令嬢の流行の先駆者である。隠居した身である前当主夫人ゲルトルートも人脈が豊富であり、今回の祝宴の主催者ゴールドシュタイン公は実の兄である。ティルピッツ伯爵家自体の権勢もあって篝火に誘われる羽虫の如く人々が集まっていた。そしてそれは、そのまま今のティルピッツ伯爵家とケッテラー伯爵家の格差でもある。

 

「……前もってお聞きしておりましたが、やはり今日も旦那様は御出席なされておりませんね」

 

 ツェツィーリア達の周囲を見てから、その事実を改めて確認し、グラティアは小さく溜め息を吐く。現伯爵家当主アドルフは亡命政府軍宇宙艦隊司令長官であるためにアルレスハイム星系から離れる事は有り得ないとして、グラティアの……彼女の婚約者もまた軍務のために何ヵ月もこのような祝宴会を欠席していた。

 

 恐らくそう遠くない内に大規模な軍事作戦が実施されるのだろう。事実、本来ならばこの祝宴に参加していても可笑しくないロボス中将やムーア少将、クーデンホーフ少将、リリエンフェルト准将、リューネブルク大佐等大なり小なり亡命政府との繋がりのある名のある第一線級の実戦部隊指揮官達の姿も同じように何ヵ月も姿が見えなかった。

 

「そうですか……いえ、お役目であれば仕方ありませんね。ただ、お怪我等をなされていなければ良いのですが………」

 

 ヘルフリートがそう伝えると、何やら思い悩むように、憂いを秘めた表情を浮かべる姉。その切なそうで、儚い表情は血の繋がるヘルフリートですら、あるいはだからこそ思わず息を飲んでしまうものだった。

 

 同時に少年の心中に苛立ちの感情も沸き起こる。姉が何を考えているのかは分からない。しかし、その感情を向ける相手は分かっていた。それ故に姉にこのような顔をさせるこの場にいない男に対してある種の嫉妬と憧憬にも似た感情すら生まれていた事に、しかしヘルフリートはそこまで自覚は出来なかった。

 

「……姉う「ヘルフリートさま!!」えっ……?」

 

 姉に対して掛けようとした言葉は元気の良さそうな少女の言葉に掻き消されてしまった。ヘルフリートはその事実に腹を立て、しかしその声の主が誰かと思い至るとその感情を表情に出す事をギリギリで止める事に成功した。そして、振り向くと共に取り繕った表情を浮かべて少年は優しげに答える。

 

「そのお声は……レルヒェルート様ですね?」

 

 付き人でもある女中二人に追われながら走り寄って来たのは豊かな蜂蜜色の髪に碧玉のように輝く瞳の少女だった。パルメレント王家から来たマリアンヌ王姫も幼かったが、少女はそれ以上だった。間違いなく一〇歳にもなっていないだろう。デビュタントも済ませていない礼儀作法も習得仕切っていない子供である。しかし、同時に少年にとって、そして諸侯達にとっても軽視出来ない子供でもあった。

 

 ヘルフリートの婚約者として定められたレルフェルート・フォン・ゴールドシュタインは故人であるゴールドシュタイン公の妾腹の三男、その娘である。妾腹とは言え、祖母も母も末席ながら門閥貴族の娘であり、下級貴族や平民の女とは訳が違う。両親共に故人でもあり、その分自由に使いやすいゴールドシュタイン公の大切な『駒』の一つである。

 

「御挨拶をしておらず申し訳御座いません。まさかレルフェルート様まで参列しているとは思っておりませんでした」

 

 それは心からの驚きであった。正式な社交界デビューであるデビュタントの年齢は早熟でどれだけ早くても一二歳、遅くて一六、七歳であるとされている。無論、非公式に子供として参加する事も不可能ではないが、積極的に奨励されている訳でもない。マリアンヌ王姫が参加したのはどちらかと言えば外交的理由が強く、ティルピッツ伯爵家本家の長女アナスターシアは今夜の祝宴に参列してない。

 

「へへっ、ヘルフリートさまが参加なさるとお聞きしました。ですのでお祖父様に少しだけ顔見せできるようにおねがいしてしまいました」

 

 照れながらも、はにかんだような笑顔を浮かべるレルヒェルート嬢。そこにあるのは年相応の純情で、屈託のない好意だけであった。

 

「あ、ドロテアさまにルーカスさま、グラティアさまもこんばんはでございます!今宵はお祖父様のひらいた祝宴会にご出席いただき光栄です!」

 

 婚約者の傍で、ヘルフリートの家族にそう幼いながらも一生懸命に覚えた挨拶を述べる少女。年を考えればその礼儀作法は最低限満足出来るものであった。妾腹の孫娘とは言え、公爵が彼女の教育をぞんざいにしていない証拠であろう。

 

「これはこれはレルヒェルート様、今宵も実にお美しい限りで御座います」

 

 真っ先に半世紀近い年の差のある少女に媚びを売ったのはルーカスであった。ヴィレンシュタイン子爵家、いや公爵家の復活と繁栄のためには、このゴールドシュタイン公爵家の小娘に最大限取り入らなければならない事を老貴族はこれまでの経験から理解していた。

 

 少し遅れて子爵夫人、そしてグラティアも恭しく少女に礼を執る。レルヒェルート嬢もカーテシーをして返事をすると待ちわびたように再度ヘルフリートに視線を向けて、甘えるように抱き着く。

 

「お嬢様、流石にはしたなく御座います」

「他の貴人方の目も御座います、どうぞご自重下さいませ」

「うぅ……けど………」

 

 付き人の女中がはしゃぐ主人にそう申し出るが、当の少女は名残惜しそうにヘルフリートを見上げる。何処か寂しそうなその表情にヘルフリートは罪悪感を感じ取っていた。

 

「……ヘルフリート、レルヒェルート様と暫し会場を回って来なさい。ちゃんと指導したのでエスコート位出来るでしょう?」

 

 僅かに考える素振りを浮かべ、ドロテアが提案する。直ぐルーカスがその提案に食い付く。

 

「それは良い。ヘルフリート、レルヒェルート様を良く御守りし、先導して差し上げろ」

「えっ!?そんな……いきなり!?」

 

 ヘルフリートは困惑して姉に助けを求めようと一瞬思い付くが、直ぐにその言葉を飲み込む。祖父と母の提案に姉が逆らえる筈もない。寧ろ姉を困らせるだけだった。

 

「うっ……」

「ヘルフリートさま!」

 

 苦い表情で傍らで自分の礼服の裾を掴む少女を見下ろす。当の少女は期待半分、不安半分といった表情でヘルフリートの態度を見守っていた。その姿は心ある者にとって到底断り難いものであった。

 

「……承知しました。では、エスコートさせて頂いても宜しいでしょうか?」 

「はぁ……はい!」 

 

 結局、ヘルフリートには最初から選択肢なぞ皆無であった訳だ。教科書通りに恭しく膝をつき、手袋をした手を差出すヘルフリート。婚約相手の少女はそんなヘルフリートに顔を赤らめ、同時に心底嬉しそうに答える。

 

 内心で何とも言えない表情を浮かべながらヘルフリートは婚約者を連れて会場を回る事にした。家族に一礼をして、その場を後にしようとするヘルフリートは……その時に姉の表情の変化に気付いた。

 

「姉上……?」

「?何かしら、ヘルフリート?」

「い、いえ……何も………」

 

 若干動揺しつつも、そそくさにヘルフリートはその場を離れる。彼は気づいていた。姉が自分と婚約者の姿を見て、その会話を見て、その触れ合いを見て、何処か羨ましそうにしていた事を。そして恐らくはその意味は……。

 

「ヘルフリートさま?なにかございましたか?」

「……何もありませんよ、フロイライン」

 

 ヘルフリートは婚約者を安心させるように優しく笑みを浮かべる。そうすれば目の前の年下の婚約者は恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに笑みを浮かべる。端から見れば仲の良さそうな婚約者に見えるらしい。恐らくは母や祖父はその仲の良さを諸侯に見せ付けるために付き添いを命じたのだろう。

 

(尤も、形だけだけどね……)

 

 少女は兎も角、ヘルフリートには未だ目の前の婚約者を幼すぎる事もあってか妹のように可愛いがるなら良いとしても到底婚約相手として見る事が出来なかった。彼の少女に対する応対はレルヒェルート嬢の受ける好意にもかかわらず、所詮は全て躾られた通りのものに過ぎなかった。

 

 それでも尚、目の前の少女は偽りの善意と優しさを疑う事なく、笑みを浮かべていた。

 

「っ……!!?」

 

 思わず、ヘルフリートは顔を歪めていた。それが、自分がやっている事がどれだけ残酷なのかを自覚していたからだ。これではまるで、自分は姉を虐げるあの男と同類ではないか……!!

 

 無論、ヘルフリートには何の選択肢もない。家族のために、姉の顔を立てるために、家臣や領地、領民のためにも自分も姉も我が儘を言えない事位分かっている。そう、分かっている。そんな事は分かっているのだ。

 

 そしてだからこそ……いや、だからこそヘルフリートはこの道徳も、良識もない打算的で封鎖的な自分が生きるこの世界について思うのだ。

 

「貴族なんて、最低だ……!!」

 

 誰にも聞こえない小さな小さなその呟きは、彼の心の底からの独白だった……。

 




尚、婚約者が主人公の事心配している時、当の本人は多分従士に膝枕され甲斐甲斐しく世話されている模様、やっぱり門閥貴族なんか録な奴らじゃねぇな

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