帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第一二章 将官になったなら死亡フラグは立たないと思ったか?
第百六十五話 統計学的に考えて御祖母ちゃんは大体孫が好きって話


 まず一言弁明させてもらうとすれば、それは一時の気の迷いであり、酒精と雰囲気と勢いに呑まれてしまったせいであって私の常日頃からの欲望ではなかったという事だ。

 

 夕食後に食客達と賭け事に興じ(そして金を搾られ)ながら酒を飲んでいたのはいつもの事だし、普段から負けっぱなしなのもまたいつも通りの筈だった。

 

 このような事態に陥った原因を強いて言うならば二点あるだろう。

 

 一点はどこぞの不良士官殿が娘の習い事のために普段以上に容赦なく私からむしり取っていった事だろう。私から搾り取れるだけ搾り取るために挑発し、そして単純な私はそれに乗っかって更にむしられるという負のスパイラルに陥った。その憂さ晴らしだ。

 

 もう一点は私の生存計画に大きな齟齬が生じた事だ。宇宙暦791年、この年は私の安寧な人生に対する最大の障害が世に放たれる年だった。

 

『白銀の谷』……だったか。あの金髪と赤毛の孺子共が存在しているのは近年皇帝フリードリヒ四世の側に金髪の憂いを秘めた美女が控えるようになった事からほぼ確実だろう。その寵妃の名前がアンネローゼである事、今年一月にグリューネワルト伯爵家の爵位を受け取りグリューネワルト伯爵夫人の呼称で呼ばれるようになった事も、彼女があの金髪の孺子の姉御である事実を補強する。

 

 私も愚かではないし、身の程知らずでもない。あの大神と戦神と原作者様の加護を浴びる程受け取っているぶっ壊れチートと正々堂々と戦って勝てるとは思わない。経験値と権限のないしたっぱの内に殺るしかないのは間違いなかった。

 

 彼らがカプチェランカに赴任するのはうろ覚えであるが今年の七月か八月といった所だった筈だ。即ち、その間にカプチェランカに向かう輸送船を沈めまくり、運悪く揚陸されたとしても薔薇の騎士達を総動員して全力で狩りを行えば奴らの息を止められる……等と考えていた時期が私にもありました。おう。カプチェランカ、完全に同盟軍の勢力圏やんけ。

 

 正確には今年の六月末の時点でカプチェランカ地上部の主要な帝国軍の拠点が全て陥落した。どこでバタフライエフェクトしたのか正確には分からない。問題はお陰様で奴らがどこに赴任するのか、それどころか今後の赴任先まで完全に予想がつかなくなった事だ。

 

 あるいは私のせいなのかも知れないが、だからといって私も軍功を挙げなければ影響力を高めて同盟軍を私的な理由で動かす事など出来なかったという、どっち道詰みという状況な訳だった。

 

 その事実に気づいたのは本当に最近の事だ。必死にカプチェランカの司令官に赴任するべく工作していた時にそのニュースが舞い込んで来た。ニュースを聞いた時の私の脱力感と絶望感は皆さんにお分かり頂けるであろう。

 

 お陰様でその焦燥感と絶望感を和らげる意味もあって……つまりは現実逃避だ……ここ数日はっちゃけて部下達を呼んで酒を飲みゲームに興じ、そしてズタボロに負けて更に飲酒量が増えていた。既に記憶が曖昧だが夜のゲームが御開きになった頃には私はかなり酩酊していた筈だ。 

 

 ベッドで寝かせるため、寝室まで付き人達に運ばれたのは記憶している。朧気ながら、肩を支えられて暗い廊下を千鳥足で自室まで歩いてきた覚えがある。

 

 恐らくは運が悪かったのだろう。私も普段ならばそのような気持ちになったとしても流石に家族のいる屋敷でこんな事に及ぶなぞ考えない筈だ。『酒は飲んでも呑まれるな』、この言葉は至言であると思う。何世紀経とうとも酒は人類の悪友であるし、人の理性を溶かして誘惑してくる魔女と言っても良い。

 

 だから私も、本当ならば全ての罪を酒精に押しつけて知らぬ存ぜぬを貫きたいと思う。だが、現実は無情であり、いくら言い訳をした所でそれを素直に聴いてくれる訳でもない。

 

 つまり、何が言いたいかと言えば………。

 

「……非常に不味い」

 

 取り敢えず衣服を着ずにベッドで布団にくるまった私は髪が乱れ気味の頭を左手で抱えて呻くように呟いた。序でに言えば同じベッドの布団の中に後二人分の盛り上がりがあるし、片目分しかない視界で眼球を動かして見れば布団の端から美しい金色の長髪がはみ出て、しなだれているのが見えた。室内には酒精と香水と汗と雄の混じりあったような嫌な臭いが立ち込める。

 

 えっ?まだギリギリ直前に寝ちゃった可能性があるだろう?諦めたらそこで試合終了?済まんな、断片的だけど記憶あるんだわ。

 

 言い訳を追加させて貰えば流石に同時にしたのはこれが初めてだ。そもそも二人と同時に関係持っている時点でダウトだし、それ以前に婚約者いるのにお前何してるのとか言ってはいけない。

 

 色々手遅れ感は感じていたがそれでも最低限の良識は保持していた積もりだし、そんな肉体的な関係ばかり追求していた訳でもない。普段は寧ろプラトニックな関わりを結んでいる事の方が多いし、夜の営みだって関係を結ぶようになってから精々月に二、三回である。しかもあくまでも一対一である。

 

「不味い。これは流石にあかんだろ……」

 

 文字通り悪酔いしていたとしか言い様がない。ベッドまで連れて来て貰った所で泥酔していた私は軽い気持ちで二人をそのまま布団の中に連れ込んだのだ。そこから先は……うん、良く二人共言う事聞いてくれたよね。

 

 正直、正気に戻った今の私の顔は真っ青だ。今のこの屋敷でしかも二人同時には地雷要素しかない。もう今すぐそこら辺に転がってる酒瓶をラッパ飲みして永遠に現実から逃げ去りたかった。いや、マジ起きた二人とどんな顔で何話せば良いの?ララァ、教えてくれ。一体どうしたら良い……?(錯乱)

 

「んっ……若……様?」

「えっ……?あっ………」

 

 私が背後からの声に気付いて振り向く前に背中に温かな、そして柔らかな感触を感じた。耳元に感じるどこか蠱惑的な吐息。私は身体を緊張で強ばらせてそのまま動かない。動けない。

 

 背中から抱き着いて来た存在が誰であるか、私は既に気付いていた。そしてその姿も。私は緊張気味に尋ねる。

 

「ベアト、起きたのか?」

「はい。申し訳御座いません。私の方が先に起床して身支度しておくべきでしたが……少し疲れておりまして……」

 

 うん、凄く分かる。

 

「……いや、構わんよ。それよりも身体に問題はないか?」

「いえ、問題は御座いませんが……?」

 

 その口調は何故そのような事を尋ねて来るのか分からない、という感じであった。まぁ、同衾してから朝に起きてそんな質問されても困惑するだろう。

 

「だったら良いんだ。その……昨日は色々と雑な所があったから……」

 

 酒の勢いなので行為も力づくで、余り相手に配慮してなかったように思う。断片的な記憶のせいで曖昧であるが多分乱暴気味だったとも思う。男女の筋力や体格差、ましてや私も軍人なので比較的そこらの男性よりかは鍛えていると思うので怪我でもさせていないか心配だった。……ご機嫌取りが目的じゃあないよ?嘘じゃないよ?

 

「………」

「ベアト………?」

 

 付き人が私の背中に体重を預け(それでも驚く位軽かった)、私の首に折れてしまいそうな華奢で白い両腕を伸ばす。そして私の頭上に自身の頭を乗せて胸元に引き寄せて優しく抱きしめてくる。鼻先に長く、鮮やかでしかし少し乱れた金髪が触れて爽やかな香水の匂いが鼻腔に漂ってきた。

 

「お気になさらないで下さいませ。これでも身体は丈夫だと自任しております」

「丈夫、ね」

 

 首元に巻き付いて来る細い腕を見てもそれには賛同出来なかった。確かに軍人として鍛えてはいるだろうから見かけよりかは丈夫であろう。だが、あくまでも見かけよりかである。私が力を込めたら骨が折れてしまいそうにも感じた。……まぁ、体術の技術的な面では負けてるけど。正直この体勢で首を締め付けられたら多分碌な抵抗も出来ずに死ぬ自信がある。

 

「それに、もしそのような事が御望みでしたら私には反対する権利は御座いません。どうぞ気の向くままに、何なりと御自由になさって下さい」

 

 私に背後から抱き着いたまま、恭しく、献身的に申し出る従士。しかしその声は少しだけ事務的で、か細いものに思えた。

 

「……止めてくれ。この関係にそういうのは望んでいないんだよ。いやまぁ、どの口でほざいていやがるって話ではあるんだがな……?」

 

 今の捻じれて歪んだ関係のままで何言ってやがる、と言われそうではあるが私個人としてはこういう関係を無理強いしたい訳でもない。建前論とでも言われそうだし、不純過ぎるとも思われそうだが、あくまでも私はこの関係を主従ではなく対等の男女のそれを基礎としたものにしたいと考えていた。少なくとも完全に命令による関係にしたくはなかった。

 

「確かに形式として尽くし尽くされの形ではあるが……お前が望んでいないならこういう関係は……」

 

 そこまで言った瞬間だった。首を無理矢理振り向かされてそのまま強引に口づけされたのは。

 

「んっ……」

「んんっ……!」

 

 口内に無理矢理に舌を捻じ込まれ、蹂躙される。舌を絡ませて、貪るような口づけは数十秒程続き……私の息が苦しくなって来た所で漸く口が離された。

 

 私は、二人の口から伸びる銀の糸をなまめかしい舌でなめとり、次いで唇に這わせる彼女の姿を見た。

 

 一見普段と変わらない幼さを残しつつも落ち着いた顔立ちをした幼馴染みの瞳の奥はしかし妖艶で、蠱惑的で、首を小さく傾げて心底恍惚気味に、そして愛おしげに尋ねる。

 

「これでも今の関係を望んでいないとお考えで御座いますか?」

「……いや、疑って悪かったよ」

 

 その朝っぱらから人の情欲を掻き立てる彼女の証明方法に、私は降参するように申し出る。先程の情熱的な証明が演技であるとは思いたくなかった。演技であったなら私は女性不信に陥っていただろう。

 

「それは大尉の方も恐らく同意見でしょう」

「大尉?……あぁ、テレジア。起きていたか?」

 

 布団から顔を覗かせるベアトとよく似た少女が若干眠たげな顔で起き上がり恭しく礼をする。尤も、私はすぐに彼女に向けていた視線を泳がせた。

 

 布団以外は何も身に着けていない彼女の身体は扇情的過ぎ、不躾に見たくなかったからだ。その布団から見える太股に脚、胸元は隠されていたがその豊かな谷間の深さは良く良く分かっていた。真っ白な両肩と背中は文字通り一糸も纏わぬ剥き出しの姿で、昨日のせいで疲労がうっすらと見える上目遣いの表情は比護欲と加虐心を共に煽る程に魅力的過ぎた。

 

 正直このまま押し倒したくもなるが……起きて早々猿のように発情する必要もないだろう。何よりも彼女をそんな自身の欲望のためだけに使う道具としたくなかった。……今更手遅れとか言わないで。

 

「あー、二人共、取り敢えず朝の仕度をしよう。色々と昨日は反省が必要だが今の姿でする必要もないだろう?取り敢えず……」

「取り敢えず湯浴びをするのがよろしいかと」

「そうそう、取り敢えずは湯浴びを……んんん?」

 

 ベアトでもテレジアからでもない年配の女性の声に私は気付き、次いで若干絶望しつつゆっくりと視線を声の方向へと向ける。そこには複数の人影がいた。いつの間にか部屋の扉は開いていた。ははは、全く気配しなかったぜ。

 

 ベッドのすぐ目の前で控えるのは母が伯爵家に嫁いで以来常に仕える家政婦長である。その背後には一ダース程の女中達が臣下のように控える。

 

 ……あー、まぁ色々言いたい事はあるよ?ただまぁ、一言言わせて頂くとすればねぇ………はは、これ詰んだわ。

 

 

 

 

「御二方は此方に、湯浴びと着替えの準備をしております」

 

 老境の家政婦長は一ミリの動揺もなく、そしてその心情も見せず義務的にベアト達に申し出た。申し出た、と言っても実質は強制である。中年のベテランの女中達が手慣れた手つきで二人に毛布を被せて連れていく。その様子を私は何も言えずに黙って見ている事しか出来なかった。

 

「えっと……その若さ」

「目につきますし、風邪を引きます。お早く御願い致します」

 

 ベアトが此方を見て何か言おうとするのを家政婦長が遮る。こうなるとベアトもそれ以上逆らう事は出来なかった。テレジアの方はと言えば一礼してから素直に女中達の案内に従い先に部屋を出る。その背後に私が部屋に散乱させていた酒瓶を抱えて撤収する女中が続く。

 

 二人が出ていって、室内には全裸の私と家政婦長、それに従う数名の女中達だけとなる。

 

「若様、本家用の浴場でも湯が沸いております。どうぞ御入浴を御願いします」

 

 毛布を差し出してから恭しく礼をする家政婦長。背後の女中達も同じく黙々と頭を下げる。尤も、この場においては単なる羞恥プレイに過ぎないのだが。

 

「あー、いやけど……」

「妹君が久し振りに朝の散歩をお望みでございます。お話によれば昨夜御約束したとか」

 

 うん、思い出した。可愛い妹に御願いされて夕食の後に約束したね。

 

「えっと……流石に今の気分的にそれは……やっぱ取り消しは……」

「ここ数日家臣方とのお付き合いばかりで寂しがっておられました」

「いやだから……」

「時間も迫っております。どうぞ御入浴を御願い致します」

「アッハイ」

 

 淡々とした、しかし何処と無く圧力のある口上に私は命令に従うように答える。あれ?私もしかして今軽蔑されてる?……いやまぁ、自業自得ですけどね?

 

 浴場での入浴に女中が数名当然のようについて来たがそれには丁重にお帰り頂き、三〇分程かけて汗と臭いとその他諸々を洗い落とした私はそのまま脱衣場で待ち構えていた使用人達に当然のように身支度をしてもらった。(された、とも言う)

 

 流石に義眼は怖いから自分で捩じ込むが、義手はそのまま使用人に装着してもらう。そして下着にシャツ、自由惑星同盟軍の略服を着せられる私は何を考えているかも分からない使用人や家政婦長の視線から逃げるように顔を背け、そしてそのまま偶然目に入った立て鏡を見て、思い出したように苦笑いを浮かべた。

 

「……はは、まさか私がねぇ」

 

 立て鏡に映る軍服姿の私、その襟元の階級章を見やり私は自嘲気味に呟いた。階級章は、その持ち主が自由惑星同盟軍宇宙軍准将の地位にある事を示していた。

 

 

 

 私ことヴォルター・フォン・ティルピッツは、宇宙暦791年六月を以てヘリヤ星域会戦の戦功及びそれ以前の功績の再評価によって宇宙軍大佐から宇宙軍准将に昇進した。

 

 二八歳二ヶ月の准将は宇宙暦791年九月現在において自由惑星同盟軍に所属する現役将官級将校全四四二九名中六番目の若さであり、士官学校784年度卒業生の中においては四番目の昇進速度となる。私の士官学校の卒業席次の低さも含めて異常な昇進スピードと言えるだろう。

 

 一般的に自由惑星同盟軍における将官は軍組織において最上級のエリート中のエリート達であると言われている。

 

 最下級の准将ですら宇宙軍においては戦隊司令官、地上軍においては軍団長、後方の事務方においては一部署における部長等に就任する資格を持つ。特に実戦部隊においては万単位の部下を指揮し、その生命に責任を持つ事になる。

 

 同盟中のエリートの集まりである士官学校卒業生においても、退役直前のお情けまで含めて全体の一割半程度しか昇進する事の出来ない難関だ。大抵は五十代後半から六十代の退役直前に大佐から昇進し、そのまますぐに予備役送りなんて事も珍しくない。卒業席次の上位に入って漸く三十代後半から四十代で准将にありつける。

 

 尤も、前述を良く読めば分かるが、私の昇進速度も大概だが上には上がいる。現在において同盟軍に所属する将官の内、二〇代の将官は計一八名も在籍している。そしてその内三名は同期であるし、二人は一つ下の卒業生だ。また、歳こそ私より上であるが、下士官から二十代で将官となっている者すら二人もいると来ていた。当然ながら同盟軍は無能を将官等に昇進させない。やべぇーな、こいつら化け物かよ。

 

 まぁ、士官学校卒業生の内二十代で将官になる者は一学年で平均三、四人はいるとされているが……まさか自分がそうなるとは思ってなかった。私の准将昇進を知ったコープは「同盟軍の人材は枯渇したのっ!?」等と絶望の悲鳴を上げていた。うん、凄く分かる。

 

「そもそもまともな昇進じゃあないしなぁ」

 

 先程言った通り、私の昇進理由は『ヘリヤ星域会戦の戦功及びそれ以前の功績の再評価』である。しかし実態は結構様相が異なる。

 

 本来ならばヘリヤ星系の戦いにおける戦功が無くても昇進予定だった。紆余曲折あった昨年のフェザーンにおける騒動と、その結果であるカストロプ公からの借款取り付け、同時にフェザーン内部の親同盟派の保護、同盟国内の国際的密輸組織の勢力弱体化……それらの関係者として、また左目が抉られた事に対する亡命政府への補償として元々昇進は決まっていた。

 

 無論、流石に将官ともなると尉官や佐官の昇進とは訳が違う。表向きの理由が必要であるし、公式記録に残り後々の軍人達の将官昇進のための基準ともなる。適当な理由をつける訳にはいかなかった。派閥調整やポストの問題もある。かといって事実を公開記録に残す訳にもいかない訳で……。

 

 結局、各所の兼ね合いもあり、私が二九歳になってから主に功績の再評価を理由として昇進させる事で手打ちとなったのだが……ここでもう一つの昇進理由が加わる事になる。

 

 今年……即ち宇宙暦791年三月から四月に生じたヘリヤ星域会戦、それが当初決められた同盟軍の昇進スケジュールを狂わせた。

 

 アルレスハイム星系に至るまでの最終防衛線たるヘリヤ星系に遂に帝国軍遠征軍が進出、既に借款によって大規模な増援部隊が動員されていたが、それでも動員の完了と移動に相応の時間が必要と考えられた。そのため、同盟軍及び亡命政府軍は増援部隊到着までの遅滞戦闘を敢行すると決定。亡命政府軍と同盟軍は当時動かせた戦力の殆んどをヘリヤ星系防衛のために投入した。

 

 当時大佐であった私もまた、特に亡命政府軍将兵の士気高揚のために、司令官が戦死して空席となっていた同盟宇宙艦隊の戦艦群の群司令官として急遽着任する事となった。

 

 元より戦力が少なく、数年に渡りじりじりと消耗させられて来た同盟・亡命政府軍は、なおも各指揮官の奮闘もあって何とか持ちこたえていたが、最終的には帝国軍司令官カイザーリング中将の巧妙な偽装によって察知されずに迂回してきた別動隊による側面攻撃で打撃を受けた。全軍の二割近い損害を出した同盟・亡命政府軍は後退、小部隊によるゲリラ戦に切り替える必要に迫られた。

 

 ……尚、私の乗艦は友軍と逸れたが。

 

 自己弁護させてもらうならば、混乱の中では戦域を離脱するので精一杯だったのだ。どうにか帝国軍を撒くと、取り敢えず周辺に散った他の友軍艦艇と通信して少しずつ集まり、友軍主力と合流を図りつつ帝国軍に対してゲリラ戦を実施する事になる。

 

 通信妨害に加え、監視基地や哨戒部隊を潰し合っているせいであろう、敵味方双方の主力部隊の位置は全く分からず仕舞いだった。さらに、逃げ散った艦の寄り合い所帯のため、同盟・亡命政府軍の多種多様な艦種の寄せ集めとなっている。内部対立や連携不足で足並みは中々揃わず、戦闘どころか航海だけでも一苦労と来ていた。対立の仲裁でストレスマッハである、地獄だったよ。

 

 幸運は増援としてハイネセンより派遣されていた第七艦隊の通信を傍受した事だ。現在までの戦況データを提供し補給を受けるため、そして何よりもこのストレスから解放されるために、私は寄せ集め艦隊を第七艦隊と合流させる事にした。帝国軍に捕捉されないように小惑星帯や惑星の影を利用して密かに移動を開始する。

 

 暫定旗艦にして私の乗艦である戦艦『オバノン』の艦長ニルソン中佐は、元々乗り組む宇宙艦艇が軒並み超常的な悪運に恵まれる癖に戦死者は一人も出さない事で有名だったが、同時に単独撃沈経験一一隻に共同撃沈経験三六隻のエース艦長であり、どんな危険な暗礁宙域でも艦に傷一つつけずに渡り切る優秀な航海士でもあった。それ故に今回も即席艦隊を先導して警戒網の隙間を縫って増援部隊と合流する航行ルートを作成し、『ほぼ完全に』渡り切る事に成功した。

 

 ん?どうして『ほぼ完全に』かって?そりゃあ小惑星帯を進んでいると帝国軍の主力艦隊と鉢合わせしたからに決まってるだろ?……うん、広い宇宙で互いの存在も把握してないのにどうして鉢合わせするんだろうね?多分艦長のせいだ!(断定)というか上層部、どうして私と艦長をセットにした?ヤバい物は一纏めにした方が安全?さいですか。

 

 取り敢えず思わぬ所で敵と鉢合わせした混成艦隊は混乱した。そしてそのまま戦闘に突入した。

 

 数千隻の敵艦隊に対して数十隻の我々である。正面切って戦うのは自殺行為に過ぎた。と言っても、このまま後退するのも混乱する中ではリスクが高すぎる。

 

 結果として、私が命じた命令はこうである。「狙いをつけるな!撃ちまくりながら突っ切れ!!」

 

 当時の事を思い返すと、恐らく私も半分発狂していたのだろう。全速力で小惑星と敵艦隊の隙間を突っ走りながら艦長にビームと電磁砲とミサイルをばら蒔くように叫んだ。艦長の腕が無ければ多分途中で小惑星か敵艦艇に衝突して戦死していただろう、その意味では感謝しなければなるまい。

 

 ……まぁ、途中で艦長のジンクスが発動して慣性制御装置に被弾し、トリプルアクセル所か何回転しているか分からない程乗艦が振り回される事になったけど。え?私の方じゃないかって?知らんね。

 

 艦橋は大惨事だった。固定されていない物はそこら中に吹き飛ばされた。艦橋要員は椅子やら柱に掴まり壁に叩きつけられないように踏ん張る。私もゲロを撒き散らしながら必死に柱にしがみついたよ。

 

 因みにこの時、同盟軍宇宙艦艇の七不思議の一つ、謎の殺人ワイヤーが途中で引き千切れて私の方向に跳んで来てたりもしている。まぁ、幸いにも片耳をかすめて切断されただけの軽傷だけど。綺麗に切れたので再生治療も要らずに後で縫い合わせるだけで済んで良かったよ。……軽傷って何なんだろうな。

 

 まぁ、そんなこんなで艦内が大惨事になる中、艦長が必死に回転する艦を操縦して敵味方との衝突を回避していた次の瞬間である。一瞬の事で私も気付かなかったが、どうやら敵艦隊の旗艦とニアミスしたらしい。同時に同じく半狂乱になっていた砲手達が狙いもつけずに撃ちまくった結果、砲弾の何発かが不運な旗艦に命中、その指揮機能を停止させたと言う。

 

 後は混乱する敵艦隊を増援艦隊が正面から叩き潰してヘリヤ星域における会戦は同盟・亡命政府軍の勝利で終結した。そしてこの際の後方からの(結果的に)奇襲(となった鉢合わせ)が会戦の勝利を決定づけたと評価される事になる。

 

『第二次ティアマト会戦の再現!!帝国軍中枢部を後方から奇襲!!』

 

 会戦の結果に対してとある右翼系主要新聞はこう見出しをつけた。少数の味方、不利になる戦局、後方からの一撃による逆転とその後のワンサイドゲームから執筆者は連想したのだろう。実際は細かく状況を比較すれば第二次ティアマト会戦と此度のヘリヤ星域会戦は全く性質の違う戦いであるし、計算づくの作戦が成功した訳でもない。寧ろ事故に近い。無論、広報部も司令部の者達もそんな事口にしないが。

 

 そういう訳で私はめでたく予定を四か月前倒しで宇宙軍准将に昇進、また二枚目の同盟軍名誉勲章や宇宙軍一等銀星勲章、柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章等の勲章を口止め及び宣伝目的で同盟軍と亡命政府軍より授けられた。そして直後には一言一句まで用意された原稿通りにテレビや雑誌インタビューに答えた。仕事だからね、仕方ないね。

 

 そして昇進予定を四か月も前倒ししてくれやがったコネ出世准将閣下を今すぐ捻じ込めるポストなぞ皆無、ついでに同盟軍及び亡命政府軍志願者増加のために広報活動してこいや!という言外の命令を受けて約一か月に渡りテレビ・ラジオ・雑誌・ネット動画に出演し続け、その後は静かに休暇を過ごす事となったのであった。

 

「まぁ、その方が気楽なんだけどさぁ」

「んー?どうしたの?」

 

 母譲りの銀髪を揺らした少女……妹のアナスターシア、ナーシャは私を見上げて不思議そうに首を傾げる。ほんの一年前に命からがらで脱獄した別荘、その庭先で今平然と妹と朝の散歩している事に感慨深く、同時に妙な違和感も感じていた。

 

「いや、毎日ナーシャと一緒に散歩出来て嬉しいなって話だよ」

 

 内心を誤魔化す目的もあってまだまだ幼い妹の頭を生身の左手で撫でようとして……ふと、私は一瞬強張る。それは昨夜の情事を思っての事だった。屋敷の防音は完璧なので音は響いていないのだろうが……酷く自分が強欲で醜く思え、この汚れ切った手で純粋で純情な妹の頭を撫でるのは彼女を汚す行為に思えたからだ。

 

(とは言え、右手も大概だがな……)

 

 機械の手で妹を撫でるのも忌避感があった。尤も、それを言えば軍人である以上当然とは言え、これまで当然のように何人も人を殺めて来た私は全身汚れ切っているので今更感もあるが。

 

 そして……既に汚れ切っている癖に色欲に溺れて部下を穢し続ける愚行を何度も演じている訳だ。泥沼だね。

 

「……行こうか?」

「?、うんっ!」

 

 私が手を引っ込めてそう尋ねれば銀髪の少女は若干疑問を抱いたような表情を浮かべる……が、すぐににっこりと太陽のような、そして澄み切った笑顔で応じてくれた。

 

 ……そして当然のように小さな手で私の左手を握って来た。

 

「ねぇねぇ、はやくいこー?」

 

 私が僅かに驚いた表情を浮かべるのを知ってか知らずか、陰のない笑みで散歩を再開する事を催促するナーシャ。

 

「………あぁ、そうだな。行こうか?」

 

 可愛らしく、精一杯握った手を引っ張る妹に対して、私はその小さな手を握り返して穏やかにそう答えた。

 

 ……その後一〇分程庭先をお喋りしながら散歩し、屋敷の方へと戻れば玄関前で老境の執事が私の事を待っていた。

 

「何用かな?」

「大奥様がテラスで御呼びで御座います」

「……そうか」

 

 その連絡に一瞬だけ苦い表情を浮かべ、しかしすぐに態度を整え承諾の返事をする。

 

「おばあさまにあさのごあいさつにいくの?」

「ああ。ナーシャは先に母上に御挨拶してきてくれるかい?今日の散歩をナーシャと出来なくて寂しがっているだろうから」

「うん!」

 

 私が先に母の下に朝の挨拶をしに行くようにお願いすれば妹は笑顔で頷き、女中達に案内されながら母の下へと向かう。祖母がこの屋敷の最高権力者になってからというもの、これまで女帝のように君臨していた母は逆にびくびくとその顔を窺う有様である。

 

「見られていたかな……?」

 

 今日、母がナーシャとの散歩に参加しなかった理由を私は推測する。この分だと庭先の庭園を一望出来るテラスのある部屋に祖母がいる事を察知したのだろう。恐らく私と妹の散歩は祖母に終始見られていたと思われる。

 

 執事に先導されて屋敷を進んでいく。途中で出くわす使用人の礼に答えながら祖母が待つ一室に向かう。

 

「大奥様、ヴォルター様をお連れ致しました」

「そう、入れて頂戴」

 

 オーク材の重厚な扉をノックして執事が連絡すれば祖母からの返答が淀みなくくる。執事が丁重に扉を開いて私を導くと、私もまた当然のようにその居間に足を踏み入れる。

 

 開かれたベランダにテラス、そこから朝の少し冷たく陽気な風が私に吹きかかった。視線を移す。壁に置かれた本棚に暖炉、置時計、幾人かの御先祖様が描かれた絵画……強いて言えばヴィクトリア様式に近い絢爛豪華で、しかし何処か空虚な所のあるインテリア群。

 

「ナーシャと一緒にツェツィーリアに挨拶しに行く予定だったのでしょう?時間を取らせて悪いわね」

 

 ソファーに座りティーセットで一人お茶を楽しんでいた品の良い喪服姿の老女が賑やかに微笑む。齢七〇は越えているだろう、半世紀程若い頃は絶世の美女と分かる面影を強く残していた。何も知らなければ二〇は若く見える筈だ。

 

 ゲルトルート・フォン・ゴールドシュタイン公爵令嬢……ティルピッツ家に嫁いでからはゲルトルート・フォン・ティルピッツ伯爵夫人と呼ばれるようになった目の前の老婆は、隠居しても尚、アルレスハイム宮廷各方面に隠然たる影響力を持つ御仁として恐れられている存在であった。それこそ皇族の縁者たる我が母よりも、である。

 

 開祖ルドルフ大帝とその皇后エリザベートの間に生まれた四人の皇姫は後に全員がルドルフ大帝が自ら見出だした優秀な若手軍人や官僚と結婚した。そして成立したのが準皇族、皇統の予備とも言える皇統四家である。

 

 第二代皇帝ジギスムント一世公正帝の出身としてルドルフ大帝の長女カタリナとその婿ヨアヒムが立てたノイエ・シュタウフェン家、次女ヴィルヘルミーナの立てたユグドミレニア家、三女アーデルハイトを始祖とするゴールドシュタイン家、四女シャルロッテから始まるブローネ家がそれに当たる。

 

 実際はこの四家以外にも皇族の係累の一族はいるのだが、それでもこの四家は別格扱いされ、万一の際に帝室を継ぐ高貴な一族として権門四七家や皇帝一家と何度も婚姻を結んで来た。

 

 そして実際前述のノイエ・シュタウフェン家出身のジギスムント一世公正帝、カスパー一世短命帝失踪後に帝位に継いだユリウス一世はゴールドシュタイン家の婿養子であったし、ブローネ家からはジギスムント二世恥愚帝が、アウグスト二世流血帝による殺戮によって皇族が激減したために第一五代皇帝は傍流のリンダーホーフ家が、第一九代皇帝レオンハルト一世苦悩帝は血筋ではなく才覚から選んだためにこれまた傍流から選ばれたものの、彼が五等分された後に引き継いだ第一八代皇帝フリードリヒ二世はユグドミレニア家の直系でこそないものの、それに連なる生まれだ。

 

 四家に大きな変化が訪れたのはダゴン星域会戦とそれと前後して始まった『暗赤色の六年』とそれによる宮廷の大混乱だ。

 

 宮廷闘争の結果少なくない皇族が暗殺され、一族が族滅した。保守的かつ頑迷なゴールドシュタイン家とブローネ家は宮廷闘争に敗北し同盟への亡命を強いられた。

 

 マクシミリアン・ヨーゼフ二世晴眼帝は皇統四家と縁もゆかりもない下級貴族を母に持つ人物であった。彼の即位に反対したユグドミレニア家は多くの諸侯同様この卑しい血を引く皇帝僭称者に反乱を起こし、壊滅する。

 

 実質的に四家の内三つが短期間の内に失われた結果、帝国の皇統の存続が危ぶまれる自体に陥った。晴眼帝は皇室存続のために残る皇族一族から三家を『御三家』として新たに任じ、この事態に対応した。第二四代皇帝コルネリアス一世元帥量産帝は御三家の一つ、ローゼンフェルト家の出である。尤も、これは寧ろ逆で、優秀なコルネリアスを問題なく皇帝にするために晴眼帝は御三家をでっち上げたのだとも言われる。

 

 一方、同盟に亡命したゴールドシュタイン家とブローネ家は『最後の正統なるオーディン=ゴールデンバウム家出身の皇帝』エルウィン・ヨーゼフ一世の、そしてフリードリヒ三世敗軍帝とも兄弟であるユリウス・フォン・ゴールデンバウムとその血筋を正統皇帝と戴くアルレスハイム星系を根城とした銀河帝国亡命政府と合流する事となる。

 

 現在は帝室を支え、『古き善き帝国の秩序』を守る亡命政府内の最右翼を形成、政治的には皇帝の独裁体制の認可、劣悪遺伝子排除法の復活、法的な階級制度及び特権の復活、奴隷制度の復活等々、一般的同盟市民が聞いたら一発アウトな公約を掲げる『帝政党』の中核を担っている。そしてその片方の現当主の妹が目の前の祖母であった。

 

「いえ、お婆様の申し出で御座いましたら断るなぞ有り得ません。どうぞ御遠慮なさらぬよう御願い致します」

 

 内心断られるなんて思っていないでしょうに、と呟きながらも恭しく伯爵家の長老に私は答える。母は無論、下手すれば大叔父殿や父すら凌ぎ兼ねないこの祖母に真っ向から敵対しようなぞ論外だ。少なくとも形式的であれ下手に、礼節と敬意を持って接しなければなるまい。

 

「まぁ、貴方の立場ではそう言うしかないでしょうね。……さぁ、お座りなさい、砂糖は少な目で良いですね?」

「はい、御願い致します」

 

 私が答えれば手慣れた手つきで紅茶を注いでいく祖母。執事が一礼して室内から去ると、私は祖母と対面する形でソファーに腰を下ろす。

 

「先程のナーシャとの散歩を見てると懐かしくなりましてね、つい呼んでしまいました。アドルフもアムレートと一緒にサンドラの面倒を見ながら良く朝の散歩をしていたものです」

 

 紅茶の注がれたティーカップを受け皿共々差し出しながら祖母は口を開く。アムレートは三十年前に戦死した父の兄、サンドラは妹でありヴァイマール伯爵家に嫁いだアレクサンドラの愛称の事であろう。当然ながら腹違い等ではなく祖母が腹を痛めて産んだ子供である。

 

 

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「そ、そうですか……」

 

 私はそう歯切れ悪く答えるとよそよそしくティーカップに口をつける。若干温めの紅色のそれは喉を通り抜けて寒い朝の散歩で冷えた身体を温める。

 

「えぇ。やはり家族と言う事が良く分かります。庭先での貴方はアドルフやアムレートに良く似ていましたよ」

「確かに髪や瞳は父似ですが……伯父上と似ている所なぞありましたか?」

 

 基本的に髪や瞳は父から、全体の造形は母から受け継いだと言われる事が多いが、帝国軍によってヴァルハラ送りにされた会った事もない伯父と似ていると言われたのは初めての経験である。

 

「以前肖像画や写真を見た事はありますが……似てますかね?」

 

 一見する限りでは父は祖父似、伯父は祖母似なのは何となく分かるが、私が伯父と似ているかと言えば……。

 

「顔立ちは無論違いますよ。……ですが雰囲気はアドルフよりかはどちらかと言えばアムレートに近いように思えるわねぇ」

 

 ほほほ、と口元に手を当てて品の良い笑い声を上げる祖母。

 

「成る程……」

 

 だから何なんだ?と言うのが私の本音であった。態態私をここに呼びつけた意図が掴めない。別に偏見がある訳でもないし、目の前の老夫人が冷淡という訳でもないが、同時に中身のない話だけのために私を一人呼び寄せるなぞ有り得ないように思えた。

 

 私は精神的な疲労と内心の困惑を誤魔化すために再度ティーカップに口をつける。その直後の事であった。祖母が私に爆弾発言を投下してきたのは。

 

「あらあら、御疲れかしら?まぁ、若いとは言え昨夜は二人も相手をしていたから仕方ないのかしらねぇ?」

「ふごっ!?げほっ……ごほっ!ごほっ……!!?」

 

 紅茶が気管に入り私は激しく咽る。正確に言えばそこに動揺が含まれ若干呼吸困難に陥る。

 

(ど、どこでそんな話知って……いや、当然なのか……!?)

 

 この屋敷は祖母の天下である。使用人も警備もほぼ全員祖母の管理下にあると言っても良い。当然屋敷の誰がどこにいるのかも、どの部屋が使われているかも筒抜けと考えても良い。当然使用人達が部屋に来た時点で遅かれ早かれ祖母の耳に入るのは確実だろう。尤も、こんな朝っぱらにもう伝えなくても良いだろうに……!!

 

「げほっ……あ、えっと……あのっ……お婆様、それについては………」

「あら、照れなくても良いのですよ?それ自体について私から何か口にするべき事は有りませんから」

 

 私が慌てて弁明しようとする前に、祖母は淡々と結論を口にする。

 

「えーと、それは………」

「寧ろ都合が良い事です。お陰様でゴトフリート家とノルドグレーン家に睨みが利かせられますからね」

 

 私は何事もないように紅茶を飲みながらそう口にする祖母に息を飲む。まるで今日の天気について語るかの如く、平然と祖母は続ける。

 

「いいですか?分かっているとは思いますが貴方は我らが一族を受け継ぐ身、即ち貴方が当主となれば貴方の意向が一族郎党の全てを決定するのです」

 

 その上で、と祖母は此方を見つめる。その瞳は冷たく、鋭い。

 

「その上で彼女達を生かしてある事、手元に置いている事は両家も意識せざるを得ません。今の当主達は『意外と』娘達に情がありますからね。両家の一部からは小娘達を『処理』しようと言う意見もあったそうですが……その程度の事で失態を帳消しにされては堪りません」

 

 寧ろ生かしている方が両家共、名誉挽回のために一層伯爵家のために忠誠を誓い、働いてくれるでしょう、と続ける。正確に言えばそうしなければ彼らの一族郎党の立場が無くなる。

 

「小娘共も一族郎党の運命が賭かっていますから馬鹿な事なぞ考えず自身の役目を果たしてくれるでしょう。何事も生かさず殺さずが一番ですね」

 

 優しげな、それでいて冷酷な微笑みを浮かべる祖母。恐らく祖母はベアト達が私をたぶらかして一族の便宜を図ろうとする事に警戒しているのだろう。下手に彼女達に自裁されて罪状を帳消しされるよりも敢えて生かして一族と彼女達に主家に必死に奉仕させる方が良い、という訳らしい。

 

「え、えっとお婆様……その懸念は理解しておりますがベアト達は別にそのような事はこれまで一度も……」

「ヴォルター、良いですか?女というものは生まれながらの女優、一見健気で純情に装っても一皮剥けば強かで小狡く、性悪なのですよ?上辺に騙されずにちゃんと手綱は引かなければなりません。遊ぶのは構いませんが入れ込まず、良く良く飼い慣らす事を忘れてはいけませんよ?」

 

 にこり、と孫に年長者の知恵を授ける祖母であった。額面だけなら微笑ましいかも知れないが内容が酷い。というか女は女優って……言い様が同じ女が言う内容じゃねぇ。

 

「同じ女だから言うのですよ。貴族の娘が妻なり妾なりに贈り込まれるとなれば、当然贈る家は娘を通じて一族に便宜を図らせようとするものです。少なくとも娘に自覚が無くても贈る側はそれを期待するものです」

「さいですか」

 

 顔を若干引きつらせながら私は答える。うん、内容自体は理解出来るよ?理解出来るが余り堂々と言われるとねぇ……?

 

 そんな私の態度を見やり、小さく溜め息をつく祖母。

 

「……はぁ、やはり貴方はアムレートに良く似ているわ」

「はい?」

「……ただの独り言です。気にする事はありませんよ」

 

 小さく頭を振り、祖母は自身のティーカップに紅茶を再度注ぎ込む。

 

「兎も角、貴方がいくらあれらで遊ぼうとも私は一向に構いません。強いて上げるとすれば蒔いた種が芽吹いても過剰に構ってはいけませんよ」

「えっと……それは………」

「小娘共が孕んでも、次の当主の椅子を約束なぞしてはいけないという事です」

「っ……!」

 

 僅かに怒気を含んだ声に私は若干身体を強張らせた。一見すればその表情に大きな違いはない。だが身に纏う雰囲気が祖母が心底不機嫌になっている事を証明していた。

 

「返事は?」

「えっ!?は、はい……理解しております。それはもう……はい……」

 

 情けなく私は頭を下げる事しか思いつかなかった。無論、私もそれくらいの事は理解している。前世や同盟社会における道徳的には醜悪で、吐き気すら催す内容であるが、だからと言って私が何を騒いでも仕方無い事であるし、祖母には恩義もある。

 

 そもそも下手に子供に伯爵家を継がせようともこの後の歴史を思えば寧ろ危険に晒す行為であるし、それ以前に道徳的には私は人の事を言えない。故にその点に関しては素直に返答出来た。

 

 無論、その有り方自体に疑問がない訳ではないが。

 

「……紅茶、御代わりは要るかしら?」

「……頂きましょう」

 

 私の返答に一応の満足したらしく、威圧感をさっと消し去った祖母は優しく尋ねる。私は承諾してティーカップを差し出すと祖母は名人染みた所作で紅茶を淹れていく。

 

「別に止めろとは言っていませんよ?分別さえ守ってくれれば私も叱りはしません。寧ろ奨励しましょう、アドルフは頑固で仕事人間ですし、ツェツィーリアの立場や彼方の実家に対する配慮もありましたからね。お陰様で本家筋が随分と痩せてしまいました」

 

 私は御代わりのティーカップを祖母から受け取る。

 

「貴方については最初は拘りが強いだけだと思っていましたが、何年か前にツェツィーリアから何もしていないようだと聞いた時は本当に困りました。軍功こそ良く良く立ててくれましたが、貴方は直系の唯一の男子です。女気が全くないのは問題ですし、最悪庶子であれ子供がいれば万一の事があっても事の深刻性は全く違います」

 

 最悪私が結婚せず、あるいは正妻との間に子供がなく死んだとしても、庶子がいればその本人は当主になれなくても爵位持ちの何処かの家に養子に出して、本家に近く血筋の良い分家の男なり女なりと婚姻させる事が出来る。そしてその子供に家柄の良い妻をあてがい次の当主に据えればギリギリ『高貴な血筋の本家』と言い張る事も出来ようものだ。少なくとも本家の血筋が絶えて分家筋や親戚関係の他所の家が仁義なき爵位継承戦を始めるよりも遥かにマシだ。

 

「無論、貴方が直系の血を引く男子を作ってくれればそれが一番ですが。ナーシャの子に期待するのも手ではありますがそちらはリスクが高過ぎます。これからの事を知らせる前にまず自覚して欲しかったのでお話ししました」

 

 そう言って、ティーカップをテーブルに置いた祖母は私に本題について連絡する。  

 

「二つ、大事なお知らせがあります。一つは貴方に市民軍から次の任務が与えられました」

「思ったよりも早いですね。もう一月位は休みがあると思いましたが……」

 

 私が四ヶ月前倒しで准将に昇進して三ヶ月も経っていない。

 

「市民軍の方で大きな動きがあるそうです。大規模な軍事行動を計画していて、その作戦司令部の設立のために参謀達を集めているとか」

「大規模な軍事行動……」

 

 私の脳裏に過ったのはあの存在であった。

 

「イゼルローン要塞……!」

「……軍事に関しては私は然程明るい訳ではありませんので深くは知りません。そちらの方は今日にも説明のために人が来るのでそちらと良く良くお話しして下さい。……さて、私としてはもう一つの連絡の方が重要です。先方との話し合いで漸く式のめどがつきました」

 

 その言葉に私は視線を泳がせる。また私の失態が掘り返される事が分かっていたからだ。

 

「婚約者と顔合わせして六年……婚約期間は長ければ長い程良いとはいいますが流石に長すぎますからね。無論、ここ数年賊軍との戦いが苛烈で予算と時間の都合がなかったのも理由ですが……漸くめどがつきました。来年の六月に式を挙げる事で調整しました」

「来年の六月……九ヶ月後ですか」

「貴方は本当に妙な所で運が良いですね。出征が丁度終わる頃になります。最初の予定でしたら重なって面倒な事になってました」

「ははは……」

 

 私は誤魔化すために笑うしかなかった。

 

 ……フェザーンからの任務で帰った後のケッテラー家の反応は大変だった。何せ後ろ楯をするために連れて帰った小娘の家柄がアレであるし、それだけなら兎も角私に嫌がらせのために平気で爆弾発言を投げてくれやがった。あの野郎、騒ぎになった後地上車の中で笑い転げてやがった。笑い過ぎて過呼吸になって死にかけていた。そのまま死ねばよかったのに。……マジで殺意が湧いて来たな。

 

「承知しましたが……まぁ、先に私から言いましょう。式までに私が注意するべき事は御座いますか?」

「これ以上トラブルを起こさないで下さい。前回の事はナウガルト家のご令嬢にも責任がありますし、保護自体は我が家にも利点はありました。ですがそれを除いたとしても貴方は問題を起こし過ぎです」

「は、はい……」

 

 心底疲れた口調で祖母は答え、私は気まずげな顔で俯く。今度こそ私が言い訳出来ない内容だった。

 

「……確かに政略結婚ではありますし、彼方の血筋に不満があるかも知れません。だからと言って相手を軽視し過ぎては行けません。何十年も付き添い、世継ぎを産んでもらうのですから。世間体もありますし、子供の教育的にも夫婦仲が良い事に不都合はありませんよ?」

「分かってはいるのですが……」

 

 別に嫌ってる訳ではないんですよ……いや、自爆しているのは私なんだけどね?

 

「……お祖父様とお祖母様の仲はどうだったのですか?残念ながら私は生前のお祖父様と顔合わせした事がないので伝聞ばかりしか知りません。今後の参考のため、一つ御話しを聞いても宜しいでしょうか?」

 

 半分自身への叱責の矛先を反らすために私は祖母に尋ねる。

 

 一方、祖母の方は私の質問に目を見開いて驚いた表情を作る。そして僅かに困惑してから、少し恥ずかしげに答えていく。

 

「そうですね。周囲からどのように見られていたかは分かりませんが、私個人としては決して悪い関係ではなかったと思いますよ?」

「……お祖母様にしては曖昧な返答ですね?」

 

 若干失礼にも思えたが私は敢えてそのように口にした。一方、祖母はほろ苦い笑みを浮かべる。

 

「あの人は気難しくて、厳格で、いつも不機嫌そうな顔をしてましたから。アドルフは知っているでしょうけど躾も厳しい人でした」

 

 祖母は亡き夫であり、私の祖父に当たる人物について思い出すように答える。

 

「兎も角出世欲と競争心が強くて、それに抑圧的な人で知られてました。優秀ではありましたがお陰様で中々妻の成り手がいないようでしてね。やはり、厳し過ぎて切れ過ぎる男についていける娘も、そんな男を義理とは言え息子に出来る度量のある当主もそう多くはなかったようです」

「お祖母様のお父上にはあったと?」

「……どうなんでしょうね?婚約を伝えられる前から何度か宮廷の宴会でお会いはしましたが、礼節は完璧ですが無愛想な方でした。父も然程親しくはなかったでしょうし婚約する事を伝えられた時には私も驚きました」

 

 そう言い切って肩を竦める祖母。

 

「正直、嫁ぐ時には心配でしたよ。宮廷の社交界では気が強くて気性が荒い、可愛いげのない女として知られてましたから。そんな女が厳しくて怖い事で知られている伯爵の妻になるんですよ?多分喧嘩ばかりして冷えきった関係になるんだろうな、と式の最中ずっと考えてました。だってあの人、文通の手紙は形式通りで、デートも予定をこなすように淡々とするんですもの」

 

 そしてそこで、ころころと笑い始める祖母。その屈託のない笑いに私は僅かに驚く。私の中での祖母のイメージと目の前の子供のように笑う老女が別物であったからだ。

 

「それであの人、誓いの口付けの時に不満顔の私からヴェール取った時どんな顔していたと思う?顔真っ赤にしていてね、思わず爆笑してしまって父上に叱られてしまったわ。厳粛な式が台無しよ……まぁ、お陰様で結構蟠りは消えたのだけれどね。あの人、誤解されやすいですけど、結構甘いし、決して冷たいだけの人じゃなかったわ。それこそアムレートの事だって……」

「お祖母様?」

 

 寂しげに呟く祖母に私が声をかけると、ふと我に還ったように祖母は此方を見、誤魔化すように笑みを浮かべる。

 

「老人ののろけ話なんて聞いていても愉快ではないでしょう?ここまでにしましょうか。ヴォルター、叱られるのが嫌だからと言って話を逸らそうとしては行けませんよ?特に妻と言い争いになったら。女というものはそういう昔の話を忘れません」

「は、はい……」

 

 祖母からの追及の再開に私は身体を縮こませる。うん、私の作戦バレてーら。

 

 私が数分程小言を食らっていると、部屋の扉がノックされた。祖母が開けるように命じればまず現れるのは私を案内した老執事である。

 

「大奥様、予定通りお客様が参りました」

「そう、通して頂戴。ヴォルター、ここから先は貴方に任せるわね?」

  

 執事と祖母の言葉から、客人が先程祖母が言っていた同盟軍の大規模軍事作戦の関係者である事を理解する。

 

「了解致しました」

 

 私はソファーから立ち上がり部屋を退出しようとする祖母に向けて礼をする。敬礼であった。

 

 そんな私の敬礼を見て、祖母は何処か懐かしそうに、そして寂しげな表情を浮かべ、左手で私の肩に触れ、囁いた。

 

「……もう一つ、注意するべき事を言い忘れていました。我が家は武門の家柄であり、貴方は軍人です。だから何時でも覚悟はしております。最悪貴方が死のうとも、植物人間になろうとも、子供がいるなり、下半身が無事ならば構いません」

「アッハイ」

 

 祖母の酷い宣告に私は思わず表情を固まらせてそう機械的に答える事しか出来なかった。

 

「ですが……貴方が怪我したり、死んだりしても良い訳ではありません。貴方がどう思っているかは兎も角、私個人としては貴方が傷つけば悲しみます」

 

 そして右手を伸ばして私の頭を撫でる祖母。

 

「ですから、危険は出来るだけ避けて下さいね。お婆ちゃんとの約束ですよ?」

 

 穏やかに、優しげにそう言われて、私は一瞬沈黙してしまった。

 

「……はい」

 

 そしてこれまでの会話と同じように、私は歯切れの悪い返答をするしかなかった。

 

 祖母はそんな私の態度に小さく笑い、しかし次の瞬間にはいつも通りの気品と圧力のある凛々しい老女の姿に戻り踵を返していた。扉の方向に向かい、恐らく待っているのだろう客人と小さな挨拶を交えてに行く。

 

「………」

 

 扉の方で挨拶を交える祖母、それに対して私の方はと言えば、特に理由もなくソファーで座り込んでいただけだった。そして、撫でられた頭に生身の左手で触れる。まだそこには温かい感触が残っていたがそれも刻一刻と消えていく事もまた実感していた。

 

「約束、か」

 

 別に祖母が嫌いな訳ではない。恩義もある。だが……これからの事を思えばそれは簡単には出来ない事も分かっていた。だからこそ、素直にそれに応じる事は出来なかったし、これから与えるであろう気苦労を思い、私は暫しの間陰鬱な気分となっていた。

 

 尤も、それも少しの間の事であったが。扉から同盟軍の軍服を着こなした人影が現れる。私はそちらを見て、その階級章が同盟宇宙軍中将である事を確認して慌てて立ち上がり敬礼する。

 

 肩幅の広く、背は低めだが筋肉質の逞しい体つき、口髭を蓄えた美形といえる顔立ちを神経質そうに強張らせた中将殿は………私の顔を見るとニカッ、と気持ち良い笑顔を浮かべた。

 

「おおっ!ヴォル坊!久し振りだな!准将昇進おめでとう!!」

 

 心底嬉しそうに、そして親しそうに私の昇進を祝う中将殿。私はそんな中将殿に答えるように笑みを浮かべ、次いで深呼吸した後、口を開く。

 

「………いや、あんた誰っ!!!??」

 

 自由惑星同盟軍宇宙軍中将、第六艦隊司令官にして極秘裏に第五次イゼルローン要塞遠征軍副司令官に任命された、そしていつの間にか別人のようなダイエットに成功していたラザール・ロボス中将に対して、殆んど悲鳴のような声で私は叫んだのだった。




どれだけ酷い目にあっても次章になると再生して元通りになるので
主人公の耳=某宇宙戦艦の不死身の第三艦橋説を押したいこの頃


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