帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百五十六話 何事も勝手な判断はせずに確認作業する事が大事

 時は僅かに遡る。 

 

 宇宙暦790年九月二三日、この時点でフェザーン全土は自治領首府の発令した治安維持法を根拠として第一級警戒態勢に入り、動員された警備隊・治安警察軍・傭兵部隊により戒厳令下に置かれていた。

 

 軌道エレベーターは勿論、主要宇宙港・海上港・空港・ハイウェイ・星道の臨検は数倍厳しくなり、主要な国内倉庫は抜き打ち検査を受けている。その余波を受けて多数の密輸品や違法取引商品が政府当局により押収され、また物流も停滞する事となり、既に一部においては商品物価の値上げ、またその促進を目論んだ一部の豪商の買い溜めや企業の売り渋りという経済的打撃が生じつつあった。

 

 都市内においてもインフラ設備、主要企業、政府関連施設、繁華街等で治安警察軍や傭兵による警備や巡回が始まっていた。多くの一般市民が行き交うスクランブル交差点の中央に装甲車が停車し、銃を持った傭兵が身構える。あるいは主婦や学生で賑わうショッピングモールを隊列を並べた治安警察軍の要員が練り歩き巡回する。そんな光景が日常になっていた。

 

「いやねぇ、こんな場所まで巡回だなんて」

「テロの警戒ですって。困った事よねぇ景観が台無しよ」

「御店の商品ももう値上げですって。早く終わらないかしら?」

 

 いつ直ぐ傍で銃撃戦や爆弾の爆発が起きるかも知れないにも関わらず、『表街』のカフェ『フルレット』のテーブルの一つでは中流階級に属する婦人達がブランド物のバッグや衣服に身を包み夫の給金で一杯六、七フェザーン・マルクはする珈琲と、それとほぼ同額のケーキを楽しみながら宣う。その口調には国家とか政治といった意味での危機意識は一ミリも存在しなかった。

 

「交通規制とかダルくない?いちいち持ち物検査させられるとかウザ過ぎよね?」

「ホントホント、臨検とか言って電車停めるとか酷いわよ。お陰でこの前学校遅刻しちゃったし」

「夜遊び禁止も酷いよねー、コンビニが一〇時閉店とかマジ最悪」

 

 またあるテーブルではハイスクールの帰りなのだろう、学生服を着た女学生達が口々に文句を垂れる。彼女らもまた自分達が犯罪に巻き込まれる事なぞ想像もしておらず、故にスイーツに舌鼓を打ちながら自治領首府の発令した戒厳令に対して呑気に、そしてねちねちと毒づく。

 

「ええ、そうです。警備隊の臨検が厳しくなりまして……はい、今輸送船はシュパーラ星系で足止めされてまして到着が遅れそうなんですよ。保険?ええ、一応問い合わせはしているのですが全く繋がらないんです。恐らく他の業者からも電話が鳴っているんでしょうね」

「すげぇな、見ろよこの相場。先物買いの全銘柄が上がってやがるぜ。財閥や豪商共め、欲張りやがって!」

「保険会社の株は乱高下しているな。問題はこの戒厳令がいつまで続くかだよな。……最悪交易関連株は全部売らんとならんな。戦況は同盟が若干押され気味、この分だと帝国国債が安全マージンかねぇ?」

 

 ビジネスマン達は安い珈琲を注文するとそれを冷え切るに任せて口にせず、ひたすらに携帯端末とタブレット端末、ノートパソコン等で電話をしつつ国際情勢や政治動向、株式市場についての分析と相談に明け暮れている。彼らはこの混乱から可能な限りの利益を吸い取り、同じく可能な限り損失が生まれるのを食い止めようと企てていたのだ。それは今まさに目の前で生じている事実すら帝国と同盟が遥か遠くで繰り広げている戦争と同じく他人事として捉えているようにも思われた。

 

(愚かしい。実に呑気で、平和ボケで、愚かしいものですね……!)

 

 そんなフェザーン市民の雑談を聞き入りながら彼女は、テレジア・フォン・ノルドグレーン同盟宇宙軍中尉は小さく舌打ちした。

 

 カフェのテーブルの一角で足を組む彼女は当然軍服姿ではない。フェザーンの街中を歩いていても可笑しくない紺色のワンピースにクリーム色のカーディガンを羽織り、控えめな彩を添えたネックレスをかけている。白いキャスケットを被り、バッグを膝に置きシロン産の高価な茶葉から注がれた紅茶を飲む姿は良く似合っており、その美貌と滲み出る育ちの良さや品性も伏せてお忍び中の若手女優と言っても通用するかも知れない。実際今日だけで二回程見知らぬ男性にナンパに誘われた程だ。尤も、鋭い眼光で睨まれてすぐに退散してしまったのだが。

 

「どうしてこうもフェザーン人というのは危機意識がないのか、理解に苦しみますね」

 

 そう呟いてテーブルの上に置かれた携帯端末を操作する従士。電子ニュースの一覧を見れば、同盟・帝国双方のフェザーン租界にて駐留軍が動員され、フェザーン警備隊と睨み合いを開始したと報じる記事、国境宙域にて警備隊の巡視船が同盟・帝国の治安機関のそれと睨み合いになっていると知らせる記事、同盟・帝国両政府が相次いで自国の首都に置かれたフェザーンの高等弁務官事務所に抗議の連絡を入れた事を伝える記事がすぐに見つかる。

 

 自治領首府の対同盟借款を巡る三国間の綱引きに、先日のコーベルグ街における騒動によって同盟側使節団の一員と帝国の名門一族の一人が行方不明になった事、三日前に発令された戒厳令による国際貿易の停滞……それらがフェザーン回廊における軍事的緊張を急速に高めていた。

 

 無論、最初の借款についてはフェザーン人の大半は使節団の存在を知らないだろう、コーベルグ街での一件も誰が行方不明になったかまでは自治領首府の工作で未だ大半のメディアは報道していない。だが、それを差し引いても少しでも考えればこのフェザーンで何かが起きている事位は分かろうものだ。にも拘らず………。

 

「まるで他人事ですか。まさに愚民、選挙権がないのも当然でしょうね」

 

 セントラル・シティの巨大な街頭モニターではこんな時期にも関わらずバラエティー番組が放映され、漫才グループやアイドルがグルメの旅をしていた。SNSや個人ブログ、ネット掲示板ですら碌に話題にすらなっていない様子だった。幾分かは世論操作されているにしろ、それを加味しても余りに話題にならな過ぎる。そして恐らくそれがフェザーン人の大半の思考を代弁しているように思われる。

 

 過去幾度かフェザーンの自治権が脅かされてきた事は誰もが知る事実だ。その度に自治領首府とフェザーン元老院は老獪かつ狡猾な外交によってそれを阻止してきた。だが大半のフェザーン人にとっては自治領首府も元老院も尊敬の対象ではなく、不満の捌け口でしかない。

 

 フェザーン市民にとって自治権も、権利も、平和も、権益も、豊かな生活も、全ては与えられて当然のものであるらしい。それは独立独歩を主義とする独立商人すら例外ではない。彼らに与えれらた交易上の各種権利や安全は自治領首府と元老院が同盟と帝国からもぎ取ったものだ。にも関わらず、フェザーン人の多くはもっと利益を寄越せと厚顔無恥に主張する。フェザーンが増長すればそれは二大超大国によって侵略される原因となりかねず、それ故にフェザーンは勢力均衡に苦心し綱渡りでその独立を維持してきたというのに。

 

 ノルドグレーン中尉からしてみればその無責任さ、他者への関心の無さ、利己主義性は忌まわしき銀河連邦末期の市民のそれに重なる。成程、選挙権がなくて当然だ。そんな事をする位なら一部のエリートだけで政府運営する今の体制の方が遥かに賢い。少なくとも彼女にはそう思えた。

 

「調査、と言っても何ら見るべきものがありませんね。これならばやはり『裏街』に足を運んだ方が良いでしょうに」

 

 ティーカップに優雅に口をつけた後、不満気に従士は呟く。本来ならばもっと優先するべき事があるように彼女には思えた。

 

 コーベルグ街のスタジアムでの騒動の後、事情聴取と報告を終えた彼女に暫定的に命じられたのは市井における世論調査とも言うべきものだった。流石にこの騒ぎでは借款交渉は停滞するし、情報局のエージェントは騒動の火消しや彼女の主君の捜索、帝国側のエージェント対策で人手不足となっているようだった。そこで手の空いている彼女に命じられたのがフェザーンの『表街』の市民の世論、特に対同盟世論の調査という安全な雑務だ。

 

『裏街』での捜索任務随行への志願を断られた彼女からすれば不満のある命令であったが、命令は命令、従うほかない。ないのだが……。

 

「やはり焦燥感がありますね」

 

 チョコレート・トルテの最後の一切れを食べ終えて彼女はぼやく。一個九フェザーンマルク六〇ペニヒするそれなりに高い品であるものの、彼女からすれば努力は認めるがそれでも帝国のそれを猿真似した『それなり』の味でしかなかった。やはり甘味はノイエ・ユーハイムの職人のものが一番であると再認識する。フェザーンのデザートは味もデザインもどこか俗物的で成金趣味に思えた。これならば全く別ベクトルで勝負しようとする同盟の甘味の方がまだ好感が持てる程だ。

 

 いや、それはフェザーンそのものか。ハイネセンポリスの武骨なビル街も嫌いであるが、それでもまだ独自性を貫く姿勢は賞賛しよう。フェザーンの街並みは同盟より退廃的で空虚で、その癖帝国の景観主義も意識しているちぐはぐで下品な猿真似だ。少なくとも彼女の主観ではそう思えた。

 

「はぁ、ゴトフリート少佐もどうして……」

 

 紅茶を最後の一口飲み終えてぼんやりと呟く。自身の上官であり同僚である従士の行動が中尉には不可解だった。本来ならば立場上自身よりもより一層主君捜索への同行を進言するべき立場であるのに。

 

「最近違和感も感じますし……」

 

 元々、幼少の頃から仕えている付き人である。それ故に距離が近く贔屓される事自体は可笑しい事ではないし、特段指摘するべきでもない。行き過ぎは問題だが良識の範囲内であれば寧ろその手の信頼出来る忠臣は多い事に越した事はない。

 

 だが、それはそうとして今回の任務を拝命するのと前後して妙に主君と少佐の間に純粋に主従関係だけではない妙な違和感を感じる事があるのも確かだ。どこか立ち入りにくい、排外的な空気を……。

 

「いえ、今はそんな事を考えるべきではないですね」

 

 エル・ファシルで主君から我儘を聞いて貰った身である。その上でまだ文句を言うなぞ臣下として論外だ。唯今は下された命令を黙々と遂行するの………。

 

「あれは……」

 

 ふとカフェに面した街道を行き交う人波の中でその人物が目に入った。

 

 杖をつくその老紳士の頭は見事な白髪に覆われており、同じく雪のように白い髭も上品に整えられていた。高級なスーツを着こなしたその歩き方は背筋がきりっと伸びており気品に溢れている。

 

 ……だが問題はそこではない。重要なのは寧ろ別の所にある。

 

「あれはカストロプ家の……」

 

 スタジアムの貴賓席にいたカストロプ公爵家の嫡男、その傍らに控えていた執事と老人の顔が重なる。

 

「っ……!カード、置いときます!後で戻るので支払いしておいて下さいっ……!!」

 

 クレジットカードをテーブルの上に置いて彼女は立ち上がる。帽子を深く被り街道に出て人波に紛れて後を追う。

 

(カストロプ家と言えばブラウンシュヴァイク家同様謀略に長けた家……いや、もっと質が悪いですね)

 

 カストロプ公爵家は元をたどればラパート星系に本社を置いていた銀河連邦十大財閥の一つカストロプ・グループの創業一族がその源流であり、国家革新同盟をその最初期から支援したスポンサーでもある。それ故帝政成立後は地方一六爵家の筆頭であり、またかなり独立性が高い大諸侯でもある。帝国と帝室に対する帰属意識と忠誠心は薄く、代々の当主はかなり独自の方針を取り、それが時として帝国の権益を犯した事も珍しくない。一族と自領の利益のためならば何でもするのがカストロプ公爵家と言えるだろう。

 

 この時期のあの場にカストロプ公爵家一門がいた事、そしてここ数日の騒動が無関係と思うなぞ彼らが歴史的に行ってきた所業の数々を思えば到底信じられるものではない。ともなれば……。

 

「多少尾行する程度なら問題はない筈……」

 

 流石に危険を冒す積もりはない。だがこの焦燥感ばかり感じる中、折角回って来た機会だ。物の序でに多少遠目に調べる位なら問題あるまい……どうしてもやる気になれない雑務をこなす最中、その誘惑に彼女は抗えなかった。

 

 尾行対象の老紳士と適切な距離を取りながら従士は歩き続ける。相手が振り向いたり鏡等での反射を利用して背後の視界を確認する事も想定した上でだ。それ位の考慮はティルピッツ伯爵家のハウンドを管理してきたノルドグレーン従士家の一員として教育されてきた彼女でも出来る。老紳士がバスに乗れば彼女も目立たぬように乗り込み、バスから降りれば彼女も他の客に紛れて降りる。

 

(どこに行く積もりでしょうか?この先は……旧市街ですか?)

 

 セントラル・シティ郊外にある旧市街はフェザーンの自治領化前、ないし自治領成立初期に開発された都市である。今では政治・経済的な中心が移動したため空洞化が進んでいる街であるが、それでも『裏街』のようにスラム化し治安が悪化している訳ではない。レトロな懐かしさのある下町、といったものだ。

 

(よりによってカストロプ家の従士が何のために?)

 

 元が財閥であり、各方面との合法非合法のビジネスに精励するカストロプ家がフェザーンに会社や法人を構える事自体は全く可笑しくないし、そこに足を運ぶ事も違和感はない。だが旧市街なぞに一体何の用が……?

 

 市街の裏通りに曲がったのを確認して従士は足を早めて後を追い曲がる。そして……。

 

「えっ……?」

 

 横道を過ぎた先には誰もいなかった。

 

「嘘、確かこの道を曲がって……」

 

 そう呟いて横道に入ったのと同時である。頭部に衝撃が走ったのは。

 

「ぐっ……!?」

「おや、意外ですな。今ので意識を刈り取り切れませんでしたか」

 

 淡々とした物言いに頭部を押さえてノルドグレーン中尉は背後を振り向く。そこには頭部を殴りつけたのだろう杖を持った尾行対象の老紳士がいた。

 

 何故?と驚愕する中尉。実の所、尾行に気付いていた老紳士は建物の横窓の手摺を使い建物の二階に登り、中尉が通り過ぎた所で数メートルの高さから飛び降りつつ杖で殴りつけたのだがその事までは彼女はまだ気付けない。

 

「っ……!」

 

 懐からハンドブラスターを抜いて発砲しようとする従士。しかし老紳士は杖術で彼女の足を刈り取り仰臥位に彼女を押し倒す。結果として発砲した光線は天に向かって空しく放たれるだけだった。

 

「そろそろ終わらせましょうか」

 

 倒れたままハンドブラスターを向けようとするのを杖で腕を殴りつける事で阻止する老紳士。恐らく指の爪が割れ、骨に罅が入っただろう、余りの激痛の前にノルドグレーン中尉は思わずハンドブラスターを落してしまう。

 

 最悪の手段であるが悲鳴を上げて周囲の人々を呼び寄せようと画策する中尉だが、それは叶わなかった。次の瞬間、背後から飛び掛かって来た人影が彼女の口をハンカチで塞いだからだ。同時に首筋にスタンガンを差し込まれ電流による衝撃で彼女の意識は瞬時に奪われた。

 

 ぐたり、と倒れる従士。数名の人影が集まり彼女の口元に猿轡をかけ、手足を縛り、目隠しをしていく。発信機の類がないか調べ、見つけた場合は捨てる。

 

「どうにか上手く行きましたな、ラーデン様」

 

 人影の一人が老紳士の方を向いて尋ねる。

 

「うむ、中々手古摺ったものだな。本当ならば最初の一撃で意識を奪う積もりだったのだが……いやはや、曲りなりにも軍属だな。意外と良い動きだったものだ」

 

 老紳士……ラーデン従士は偽造のために装飾が為された炭素セラミック製の戦杖を見ながら呟く。決して油断した訳でも、甘く見た訳でもない。それでもあの短い戦闘の間限りなく最善の行動をしようとしたノルドグレーン中尉に対して同じ従士階級として賛辞を口にしていた。

 

「本来ならばもう片方の方が良かったのでしょうが……仕方ありませんね。此方だけでも確保しましょう」

 

 本来ならばもう一人の従士の方が良かったのだが……我慢嫌いの彼らの主君は痺れを切らして「もう片方の方を使うのも一興」と妥協したのはある意味幸いであった。そうでなければ確保するのに高等弁務官事務所を襲撃しなければならなかった。流石にそれはリスクが高すぎる。もう一方が低いリスクで確保出来るならその方が賢明な判断だろう。

 

「長居は無用だ。撤収するとしよう」

 

 周囲の一般市民の視界を隠すように横道を塞ぐように黒塗りの地上車が止まる。老紳士は部下と共に気絶させて確保した同盟軍人と共に迅速に地上車に乗り込む。そして、扉を閉じると共に地上車は急いで発車した。

 

 残念ながら人通りの少なさとその迅速さから、犯行に気付けた者は皆無であった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「近頃はどうかね?何か物入りならば取り寄せるが?こんな掃き溜めのような街では足りない物は幾らでもあるだろう?」

「お生憎様ね。確かに物質的に満ち足りているとは言えないけれど、少なくともあんたのような男に物乞いしないといけない程困窮はしていないわ」

 

 真っ暗なスラムの夜道で私の背後から尋ねる声にしかし、目の前の少女は憎々し気にそう斬捨てるように答える。

 

「おいおい、随分と酷い言いようじゃないか?これでも小さい頃は近所の優しいお兄さんとして遊んであげた記憶もあるんだがね?」

「戯言をほざかないでくれるかしら……!あんたのような人間の屑と遊んでたなんて虫唾が走るわ……!!」

 

 振り向いてルビンスキー氏を睨む家主の表情は憎悪に歪んでいた。軽蔑と敵意に満ち満ちていた。その形相は唯人ならばこれ以上言葉をかけるのを躊躇わせ、怯ませる程のものであったが、それを向けられる本人はと言えば実に飄々としたものであった。あるいは面の皮が厚いとでも言うべきか。

 

「ふっ、中々辛辣な言葉な事だ。余り汚い言葉を使うと亡きお母様が嘆き悲しむ事になろうに」

「あんたに私の母を同情される謂れはないわ。そんな余裕があるならルシア姉さんのお墓で土下座でもしていれけば!?可哀そうに……あんたのような屑の帰りをずっと待っていたのよっ!?」

 

 心底残念そうにそう語るルビンスキー氏に対して家主は腹立だしげに詰った。

 

「ふっ、死人に詫びた所で何らの益も無かろう?そんなものは時間と労力の無駄というものだ。そんな暇があるなら恩義のある相手の娘を取り成してやった方が余程有意義だと思わんかね?」

「私に肯定の返事なんて求めないでくれない?吐き気がするわ!……出世して随分と口も回るようになったようね。本当、典型的な『守銭奴のフェザーン人』よ。おめでとう!!」

 

 侮蔑するようにそう言い切り、私の上着を引っ張りさっさと帰宅するように促す。私はゴーグル越しに自治領主補佐官を一瞥し、次いで彼女に従いこの場を去ろうとする。原作で暗躍しまくっているこの黒狐の事である。今回の騒動に対してノータッチなんて事有り得るかと言えば望み薄な訳で、となると私としては信用出来ない彼に身元が知られるのは愉快な事にはならなそうだ。幸い私は素顔を隠しており、しかも声も一言も発していない。どうにかこの場を去れば誤魔化しきれる……かも知れない。

 

「待て、アイリス。最近どこぞの余所者を家に住まわせているそうだな?」

 

 強い声で自治領主補佐官は尋ねる。あ、はい。私らです。

 

「……えぇ、そうよ。だからどうしたの?」

「今すぐに家から放り出す事だ。お前だって無関係のいさかいに巻き込まれて無駄死にしたくはなかろう?」

 

 そう言って私を睨みつける禿げである。止めろよ、私を見るなよ……。

 

「はぁ?あんたに命令される必要があるの?」

「命令というには語弊があるな。これでも珍しく善行を積もうとしているつもりなのだがな。お前さんがお母様に似て面倒見の良い女なのは認めよう。此方としても心掛かりの世話をしてくれていた事は感謝している。だが悪い所も似過ぎたな。今だけはその信条を捨てろ。そうしなければ俺も責任は持てん」

「何?どこかの三下が組織の金盗んでこの辺りでも逃げ込んだの?」

「そんな細事なぞではない。もっと大きな、もっと面倒な輩に追われている輩がいてな。この時期に得体の知れない居候なぞ養うな」

 

 先程より一層強い、そして険しい表情で私と家主を見据える黒狐。その表情を見つめるアイリス嬢は不機嫌そうに顔を顰める。

 

「……あんたなりに義理を通すための忠告なのは理解したわ。けど、こっちはもう約束したし対価も受け取っているのよ。私だって面子があるわ、今更そんな無碍な事出来ないわ」

 

 堂々と家主は言い切る。その表情はスラムで気丈に、逞しく生きる者としての誇りが確かにあった。

 

「……やれやれ、不器用な生き方な事だな。御両親の悪い部分ばかり似てしまったようだな」

 

 そう語るルビンスキー氏の表情は渋い、困り果てているようにも見えた。

 

「それは私なんかよりも言うべき相手がいるわね。あいつもあんたに良く似ていたわ。悪い意味でね」

 

 アイリス嬢は皮肉気に言い返す。

 

「全くその通りだ。どうやらアレは俺に悪い意味で似過ぎたらしい。御嬢さんのような美人を放って俺のような色気もないむさい男に夢中のようだからな。中々趣味が悪い事だと思わんか?」

 

 自嘲気味に笑うルビンスキー氏。そして禿頭の男は家主の、そして私達が宿泊しているバラック小屋の方向に歩みを進め先行する。

 

「……夜道を余り甘く見ない事だ。付き合おう。それに……どうやら少し其方の御仁と御話をしないといけないらしい。承諾してくれるかな?ハロルド君?」

 

 黒狐は私を見据え、意味深げな笑みを浮かべながらそう尋ねたのだった。その声質には有無を言わさぬ圧力があった。

 

 まぁ、うん。つまりあれだな…………はっは、バレてーら。

 

 

 

 

「ほいほーい、遅い御帰りだなぁ?夕食がなくて俺もマイレディも今にも餓死しそうだったんだよ。帰ってきていきなりだが飯の用意をって……おいおい、まさかと思うが、俺売られたのか?」

 

 バラック小屋の玄関を開いたブラウンシュヴァイク男爵は褐色の禿げ頭を視界に収めると私と家主に対して口を尖らして尋ねた。

 

「これはこれはブラウンシュヴァイク男爵、このような場所で御会い出来て光栄ですな。失礼ながらお邪魔しても宜しいですかな?」

 

 二コリと笑みを浮かべ、慇懃に尋ねる自治領主補佐官。

 

「え、嫌」

「あんたの家じゃないでしょ?不快だけれど仕方ないわ。上がりなさい。ハロルド……じゃなくて大佐だって?あんたもその装備外していいわよ。御苦労様」

「あー、出来れば付けたままが良いんだが……」

「つべこべ言わずに外しなさい。その出で立ちで上がられたら家が汚れるの」

「アッハイ」

 

 淡々と家主様から命令をされたために私は取り敢えずそう返事してスカーフ・マスク・ゴーグルの三点セットと塵拾いの過程でボロボロに汚れた上着を脱ぎ、バラック小屋の玄関の隅に置いておく。うん、禿げ頭そんな愉快そうな表情で此方見ないでくれない?

 

(……バグダッシュ少佐はまだ帰っていない、か)

 

 ちらりと三点セットと上着を玄関近くに置く際に室内を確認する。どうやら少佐殿はまだ外のようだった。となると面倒だな。私だけでこの場を持たせ切れるか……?

 

「お茶に菓子……を出して貰える程余裕は無かろうが、せめて水位は出してくれるだろう、アイリス?」

「随分と偉そうな客ね」

 

 嫌悪感丸出しで、義務的に汲み上げた井戸水を貯めたペットボトルのキャップを外し古いコップに注ぎこむ。そして少々乱雑にテーブルに叩きつける。

 

「やれやれ、客人にはもう少し礼節を持つべきだと思うのだがね?」

「だったらもう少し客人らしく態度に気を付けなさい。少なくともその点だけでそこの居候はあんたよりは百倍マシよ」

 

 そう言ってクイッと首を動かし私を指し示す。話題に上がった私は愛想笑いを浮かべその場を誤魔化す。

 

「どうやらそのようだな、大佐は俺と違って実に勤勉な人物のようだからな。だが……偽名にハロルドは流石に趣味が悪いぞ?未練がましい」

 

 その嘲るような声に鋭い眼光を飛ばす家主。禿げ男は「怖い怖い」と大して怖く無さそうに肩を竦め此方に視線を向ける。

 

「此方に来てから数日といった所ですかな?良くもまぁ、この短期間でこの街に馴染まれたものだ。塵拾いなぞ名誉ある門閥貴族らしからぬ行いでしょうに」

「社会見学って奴ですよ。尤も、やるにしても出来ればもう少し安全な見学先で体験したい所ですが」

 

 私は肩を竦めてテーブルに備え付けられた椅子に座る。

 

「精々二、三日で音をあげるかと思いましたが……いやはや逞しい事だ。貴方の器量を過小評価し過ぎていたようですな。謝罪しましょう」

 

 皮肉げに笑みを浮かべ禿げ頭もまた椅子に座る。それを見て家主様はルビンスキーと正面から対峙する形で私の隣の席に座り腕を組む。

 

「それで?あんたら面識があるようだけどどういう事なのかしら?説明位はしてくれるわよね?」

 

 私とルビンスキー氏の双方を見やり、尋ねる家主。私は意味深な笑みを浮かべるルビンスキー氏を、次いで部屋の隅の壁で愛人を膝の上に乗せて我々を興味深げに見物中の男爵を一瞥し、両者からその視線で承諾の返事を受けて口を開いた。

 

「……さてさて、どこから説明したものかな?」

 

 取り敢えず私は可能な限り機密に触れないようにここに至るまでの状況と関係について説明する。それはアイリス自身に対してであると共に、ルビンスキー氏に対してのものでもあった。尤も、このタイミングで彼が私達の目の前に姿を現した事を考えれば既に独自に我々がどういう経緯でこの『裏街』の家主の小屋で世話になっているか把握していそうではある……というよりかここまでの全てをお膳立てしている可能性すらあるが。

 

「まぁ、まずは私の立場から伝えるべきだろうな。以前フロイラインの推理した答えは半分正解で半分不正解と言った所だ。確かに私は貴族だが帝国人でもなければ帝国軍人でもない」

 

 ざっくりと省略しつつ、それでも聞く者にとって大筋は分かるように私が短い説明を始める。

 

「そちらの某男爵様、悪いが御本人のためにも仮名にさせて貰うが……そちらと一緒なのは事故のようなものでしてね」

 

 私が亡命政府や同盟政府から雇われて『仕事』をするためにフェザーンに赴任した事、その過程で男爵やルビンスキー氏と面識を得た事、何だかんだあって所属不明の方々に襲われ逃亡の最中にこの『裏街』に迷いこんだ事を伝える。

 

 大雑把な説明を終えてふと傍らに視線を向ければ、そちらでは家主様が私の説明に疲れた表情を浮かべて頭を抱えていた。

 

「成る程、あんたは帝国のお貴族様であり、同時に同盟軍人って訳ね。随分とややこしい立場な事。……で、そこの男爵様御一行共々誰かさんに命を狙われていると?」

 

 呆れ気味にアイリス嬢は確認するように尋ねる。その表情は完全に、こいつ何やってんだ?って顔だった。そりゃあお国の代表として仕事しようって奴が熱心に塵拾いの仕事していればそうもなろう。

 

 因みに彼女に私が亡命政府出身の貴族であり軍人であるとは伝えているが、流石に家名や爵位までは伝えていない。此方から態態そこまで伝える義理はないし、重要な事でもない。聞かれたら答えざるを得ないがそれまでは此方からは口にしなくても良かろう。そもそもここでルビンスキー氏が現れた時点で私も彼女に対する警戒心が更新されている。どこまで話が共有されているか知らないが不必要な情報を自分から口にする必要は感じられなかった。

 

「此方としては寧ろフロイラインと……そこの自治領主補佐官殿の御関係について興味があるのですが?差し障りのない範囲で御説明願い出来ますかね?」

 

 私の質問に愉快げな表情を浮かべるルビンスキー氏と不機嫌そうな家主が沈黙の内に数秒睨み合う。

 

「……私から説明しても構わないわよね?」

「勿論だとも、君としても変な勘違いをされたくないだろうからな。それとも、私から君の魅力を御伝えしてあげようか?」

「ほざくな、屑が」

 

 そう忌々しげな視線を向けて吐き捨てて、私の方向に顔を向けて家主は口にするのも嫌そうに言葉を紡いだ。

 

「こいつは……私の小さい頃隣に住んでいた男よ」

 

 

 

 

『裏街』に住まう者の九九パーセントの者達はそのどん底の生活から抜け出す事はほぼ不可能と言って良い。そのどうしようもない環境から抜け出すには文字通り血の滲む努力と鋭い才能、そして幸運が必要不可欠だ。それにしたって殆どの者はあくまでも『裏街』に寄生する犯罪組織の棟梁や幹部と言ったもので、到底堂々と表の世界で生きていけるものではない。

 

 その意味で言えばアドリアン・ルビンスキーと言う男は異端と言えただろう。破産した商家の息子として生まれた彼は直ぐに家族と共に『裏街』に逃亡、その後父親は借金の取り立ての中で殺害され、母親は情夫と共に失踪した。残された義務教育も碌に積んでいない少年は本来ならばそのまま野垂れ死ぬなり、あるいは犯罪組織の下っぱとして何処かで撃ち殺される筈だっただろう。

 

 その意味において少年は野心家であり、努力家でもあった。朝から夜まであらゆる仕事をして日銭を稼ぎ、古本屋や廃棄処理される筈の書籍を元に独学で勉学に励んだ彼は遂には義務教育も受けずに自治領主府の高等官吏試験に合格して見せた。その点では学歴すら問わず只ひたすらに実力主義のフェザーンらしい話である。フェザーン・ドリームの生きた代表例と言えよう。

 

「とはいっても何事も上手くいく訳ないわ。何処だって嫉妬や妬みや派閥ってものはあるらしいの。『裏街』育ちの卑しい身分の癖に首席合格したから同僚や御上に睨まれたようね」

 

 高等官吏試験を首席合格したルビンスキー氏の研修後の最初の仕事は『裏街』でのものだった。未開発区画の各種調査……というのは建前で、完全に出世コースから離して左遷させてやろうと言うエリート様達の嫌がらせである事は明らかであった。当然上司に抗議はするが、後ろ盾の一つもない『裏街』の小僧に一体何が出来ようか?屈辱感と無力感を感じつつも若い官吏は『裏街』に住まい、その名目ばかりの調査に明け暮れる事になる。

 

「で、その時にこいつが住んでいた街がここって訳」

 

 家主は補足説明する。少年時代住んでいた街に送り返されるのは間違いなく上司達の嫌がらせであった事だろう。

 

「とは言え、今にして思えばそう悲観したものではありませんでした。この街で得た情報とコネクションは私が出世する上で中々役に立ちましたからな」

 

 皮肉気に笑いコップの水を口にするルビンスキー氏。「相変わらず黴臭い味だな」と飲み水の味を評する。この辺りで利用されている井戸は二〇〇年近く前に掘られたものであり、汲み出し機材は相当劣化している。

 

「……一〇年前、私の両親が帝国で馬鹿やってね。まぁ色々あってフェザーンの糞商人に騙されて亡命に失敗したの。文字通り無一文にされてそのまま人買いに売られる前にどうにか『裏街』に逃げ込んだそうよ。それでその時に住んでいたこの家のお向かいさんがそこの禿げよ」

「余り冷たい物言いは止めて欲しいのだがね。確かに当時の私は自治領首府の下っ端で大した助けは出来なかったが個人として出来得る限りの助けはしてやったと思うのだが?」

「恩着せがましく言わないでくれない?あんたが態々得にもならない人助けを率先してする性格でない事位知っているわ。どうせルシア姉さんが最初に言ったんでしょ?」

 

 話によれば亡命時のトラブルで財産を失った家主の両親は偶然当時『裏街』に寓居し、生活していたルビンスキー氏と面識を持ったそうだ。家主自身もまたこの時に黒狐と知己を得たらしい。

 

「御安心下さい大佐。私も欲望には素直な性格ですが流石に当時一〇歳にもなっていない子供に手を出す程自制のない人間ではありませんからな」

 

 家主とルビンスキー氏を相互に見ていた私の視線に気付いた黒狐は意地の悪い表情を浮かべそう茶化す。彼から私がどういう人間に見えているのかは知らんが……私もそんな会って数日の少女に劣情を抱く程手が早くはないのだがね。

 

「ねぇ?さっきから不快な言葉を挟むの止めてくれないかしら。吐き気がするわ」

「やれやれ、小さい頃はもっと素直な子だったと記憶しているのだが。時間の流れとは残酷なものですな、大佐?」

「ほざけ」

 

 殺気と敵意を剥き出しにする家主に対して、黒狐は明らかに愉快気に彼女との会話を楽しんでいるようであった。その姿は私が原作から知っている打算的で冷血な陰謀家とは遠い存在に思えた。これが演技であるとすれば彼には陰謀家としてだけでなく俳優としての才覚もあると断言して良いだろう。

 

「……フロイラインの後ろ盾をしているそうですね。何か理由があるので?」

 

 ここまで話を聞けば家主様をマフィアのボスの魔の手から保護している自治領首府高官が誰かなぞ子供でも分かる。問題はその理由であるが……。

 

「唯の義理人情……というのは建前で、当然理由はありますよ。御覧の通りこの美貌ですからな。知っておられますか?彼女の母はそれなりに有名な女優でしてな。こんな『裏街』において置くのは勿体ない。個人的に愛人にしてみたいというのもありますし、本人が嫌がるならそれはそれで女優なりなんなりにスカウトしてスポンサーになっても良い。金のなる木を放置するなぞフェザーン人の名折れですからな」

 

 そう言って家主の方に視線を向けるルビンスキー氏。家主の方は黒狐に意識を向けられるだけで顔を顰める。彼女の目の前の男に対する印象が最悪なのがそれだけで良く分かった。

 

「まぁ、私もワレンコフ自治領主に引き抜かれてからはこの街とは随分と疎遠になっておりますが、こうして時たまかつての故郷に戻り、次いでに彼女にラブコールを送っている訳ですよ。とは言え、このように毎回すげなく断られてしまう訳ですが」

「あんたに媚びて頼るのだけは死んでも御断りよ。その位ならこの街で餓死して鼠の餌になる方が千倍マシだわ」

 

 冗談めかした黒狐の言に少女は冷たく即答する。

 

「私なんかよりもあんたはもっと気にかけてやらないといけないのがいるでしょうに………」

 

 そして顔を背けてぽつりと小さく呟いた。

 

「………さて、私や彼女の詰まらぬ過去話はこれ位にしておきましょう。そろそろ本題に入りましょうか?」

 

 家主の言葉に僅かに沈黙した後、しかし此方を見つめて意味深げな視線を向けて話題を変更する黒狐である。私もその言葉に乗って疑問をぶつける。

 

「同感ですね。……それで?態々補佐官殿が我々の前に現れて接触を図る理由は何でしょうか?このような手の込んだ段取りで顔見せするとなると何か事情があるのでしょう?」

 

 普通に考えて見れば分かる事だ。広大な『裏街』で偶然に黒狐の知己と会い、偶然に今日この日に御本人が顔を見せるなぞ出来すぎている。

 

 となれば此度の騒動について間違いなく裏で動いているだろうルビンスキー氏の事である。ここまでの我々の行動全てを把握していたとしても可笑しくない。下手したらスタジアムでの襲撃に一枚噛んでいる可能性まであり得る。実際どこまでこの男の掌の上なのかは分からないが、少なくともここで接触を図って来たという事は何らかの交渉か取引、あるいは脅迫をしに来たと考えるべきだろう。

 

 更に言えば本当に単独で来たかすら怪しい。私ならば数個小隊程の兵士を潜ませていざという時に備える。実際、外を見れば僅かながらも殺気と気配を感じる。最低でも二桁は控えているだろう。

 

(流石に家主様もグルだとしたら辛いが……)

 

 先程の発言がどこまで事実なのか、これまでの会話内容のどこまでが真実なのかは分からない。だが少なくともスタジアムから逃げた後この『裏街』で出くわした住民が偶然黒狐の知り合い、なんて出来過ぎた話を信じる奴なぞいまい。ある程度会話の節々にあった嫌悪感から事実も混じっているだろうが、我々が家主様に会って匿われるまで計算の内か、あるいは依頼していたのか……。

 

(いやはや、参ったなこれは……)

 

 私なりに家主様には敬意を持っていたのだが一杯食わされたとなると少しだけショックを受け、それ以上にその演技を称賛したくなる。一応警戒していたが全く気づけなかったぞ?

 

「ちょっと、何か変な勘違いしていないかしら?私、別にあんた達を売った覚えはないし、こんな屑と手を組んだ覚えなんか無いわよ?」

 

 私の表情から察したのか心底不機嫌そうに家主様は答える。同時に黒狐もまた私の態度に首を捻り訝しげに口を開く。

 

「大佐、一体何の話をしておられるのですかな?今一つ話が見えませんが………」

「余り惚けられても話が進まなくなるので困るんですがね?もう察しはついていますよ。そろそろネタバラシをお願いしたいのですが?」

 

 勿体ぶる補佐官に私は尋ねる。直球で聞くのは芸がないが、相手の考えが読めない以上は仕方なかった。

 

「それは此方の言葉ですよ。流石に飄々とした態度で人の知り合いと一緒にいられるとなるとゾッとしませんな。一体どんな情報網を持っているのか気になって仕方ありませんよ」

「はい?」

「ん?」

 

 私は黒狐の困ったような声に思わず意味が分からず首を傾げる。彼もまた此方の反応に意図を掴みかねているように顔をしかめていた。互いに疑念の視線を相手に向ける。

 

 何か嫌な予感がする。………もしかしたら、私は今回の顔合わせについてとんでもない思い違いをしているのかも知れない。

 

「……失礼、一応お尋ねしますが、貴方は私達に会うために今日この場に現れたのですよね?」

「これまた妙な質問ですな。大佐殿こそ、よりによって私用でこの街に来ている時にこのような不意打ちで私に接触してきたのはどのような意味があっての事かお尋ねしたいのですが?まさか栄えある貴族様が平民相手に人質でも取るのですかな?」

「ち、ちょっと待って下さい。先日の騒動、アレは補佐官殿が関わっておいでではないのですか?少なくともここに匿ったのはある程度計算してますよね?」

 

 私は恐る恐る尋ねる。おい、止めてくれよ……前提条件を崩してくれるなよ………?

 

 だが、現実は非情である。次の瞬間、心外そうにルビンスキー氏は答える。

 

「馬鹿な、そんな事ある筈がないでしょう?あのような稚拙な襲撃を私が計画するとでも?まして彼女をこのような面倒事に巻き込むなぞ……大佐こそ情報局からの連絡で既に相手に察しはついているのでしょう?だから比較的安全な私に接触を図った、違いますかな?」

「いや、全然」

「は?」

 

 ルビンスキー氏は此方に驚愕の視線を向けて驚いていた。明らかに混乱していた。

 

「いや、しかし現に男爵と接触しておりましたし……エル・ファシルでの任務もその成果ではなかったではないですか?」

「済まないが何の話をしているのか私には全く分からないのです……」

「あー、御話の途中で悪いんだが……今気づいたんだがアレなんだ?」

 

 私は混乱気味の黒狐に反論しようとして、男爵の言葉に口を止める。そして少し顔を引き攣り気味の男爵の指差す方向を全員が向く。

 

 薄暗いバラック小屋の隅っこでその透明がかった銀色のフォルムが揺れていた。

 

 其処にいたのは虫だった。いや、違う。その造形は虫に近かったが明らかにその材質は虫のそれではなかった。私はそれと良く似たものを一度見た事があった。ハイネセンの、サンタントワーヌ捕虜収容所で恐らくは同じ用途のそれをである。

 

 透明感のある蜘蛛か、あるいはアメンボのような造形のそれは、個人携帯用昆虫型偵察ドローンはいつからか我々を監視していて、今もその胴体部分に備えつられた暗視機能付き光学カメラで監視し続けていた。逃げる素振りは無かった。同時にバラック小屋の外の複数の気配を思い出す。そして目の前の黒狐の言葉、それらを総合した上で導き出される答えは………!!

 

「不味いっ……!!?伏せろっ!!」

 

 私は叫ぶ。そして、その悲鳴からほんの数刻遅れで金切り音のような爆音と共に衝撃と爆風が我々に襲いかかってきたのだった……。


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