帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第百三十一話 人生とは山あり谷ありの壮大なゲーム

「では前線への再度の派兵は行わないと仰るのですか?」

 

 オフィスデスクの前で日焼けした浅黒い肌に肩幅の広い屈強な黒人提督は身を乗り出して尋ねる。それは確認のための質問と言うよりかはどこか非難がましい印象を聞く者に与えた。

 

「国防委員会の決定だ。我々がそれに異を唱える訳にも行くまい。その程度の事は君にも分かると思うのだがね?」

 

 デスクに座りそう語るのは対照的に色白で痩せ型体形の元帥であった。ほんの二週間前に統合作戦本部長に就任したデイヴィッド・ヴォード元帥は同じく先日の戦功にて宇宙艦隊副司令長官に就任したシドニー・シトレ大将を嗜める。

 

 ハイネセンポリス郊外、スパルタ市中央区に聳え立つ地上五五階地下八〇階に及ぶ統合作戦本部ビルの地上五〇階、機能美を追求したモダンな(そして風情の欠片もない)統合作戦本部長執務室の内部では剣呑な空気が流れる。

 

「ですが先日の勝利により味方の士気は高まり、対して帝国軍は未だ前線の混乱と損失から立ち直ってはおりません。二個艦隊……いえ、増強した一個艦隊で良いのです。それだけの戦力があれば一気に戦線を押し進める事が出来ます。さすれば国境有人諸惑星を帝国軍の脅威から解放する事も可能な筈です。その千載一遇の機会を見逃すのですか……!!?」

 

 シトレ大将は腕に抱えた各種資料を見せて直訴する。しかしヴォード元帥は瞼を伏せて首を横に振る。

 

「態態ここに来て提案したからには宇宙艦隊司令本部にでも直訴したのだろう?違うかね?」

「っ……!!そ、その通りです……」

 

 僅かに狼狽えるシトレ大将。その姿を見て腕を組み、深く溜め息を吐くヴォード元帥。

 

「軍制度的には違法ではないが、もう少し場の空気を読んで欲しいものだね?来年には退役するとは言え、この面会を知られたら私が宇宙艦隊司令長官に睨まれかねないのだがな?」

 

 宇宙艦隊副司令長官は当然同盟軍の最高幹部の一員だ。故に同盟宇宙軍将官会議と同盟軍最高戦略会議への出席権を有し、当然統合作戦本部長への出征案提出も『意見具申』という形で行う事も出来る。

 

 とは言え、だ。制度上は可能としても、実際の所好まれる行いではない。統合作戦本部長に匹敵、あるいは次ぐ役職と言えば宇宙艦隊司令長官、宇宙艦隊総参謀長、後方勤務本部長、国防委員会補佐官、国防事務総局局長、地上軍総監、地上軍総参謀長の七役職である。それらに比べて宇宙艦隊副司令長官の役職は残念ながら一歩劣ると言わざるを得ない。

 

「私も君も、新たな役職に就任したばかりだ。そんな時に君が宇宙艦隊司令長官を飛び越えて私に直訴なぞ好ましい事でないと分からんかね?我々を引き摺り降ろしたい奴らからすれば不必要な憶測を流す基になる事位思い至っても良さそうなのだがな?」

 

 不機嫌気味にヴォード元帥は目の前の黒人提督を詰る。部下が自分の上を越えて上に直訴する事がどれだけ不快な行いか長らく軍人を勤めていれば分かりそうなものだが……。

 

「ですが……!」

 

 シトレ大将は尚も食い下がる。文民統制の原則はシトレ大将も理解していた。退役軍人は兎も角、現役軍人が必要以上に政治に関わるべきではない。だが、それはあくまでも政府の最終的決定に対しては例え意に沿わぬ決定であろうとも従う事を意味する。だからこそ軍部が派兵計画を実施しないとしても最終的に従うしかない事も理解出来る。

 

 だが専門化している軍事について文民だけで最適な方針決定が可能であるかと言えば必ずしろそれはイエスではない。アドバイザーとして軍人が政治家に『助言』する必要性はシトレ大将もまた理解している。そして宇宙艦隊副司令長官よりも統合作戦本部長や国防事務総局局長、あるいは国防委員会補佐官の立場の方がより国防委員会の助言役に相応しい事もまた同様である。

 

「国防事務総局のキングストン局長にも意見した事は聞いているぞ?にべもなく部屋から追い出された事もな。余り勝手な事はしない事だ、君を推薦した私の顔も立てて欲しいのだがね?」

 

 鋭い視線を向ける統合作戦本部長。その剣呑な眼光に一〇センチ近く背の高く屈強な出で立ちの筈のシトレ大将も思わず怯む。だが、そこは前線で多くの軍功を挙げて来た英雄である。すぐに険しい表情で睨み返す。

 

「……御言葉ですが閣下。私は貴方の派閥の所属ではありませんし、貴方に現在の役職の推薦を貰えるように嘆願した覚えもありません。そのように恩着せがましい御言葉を口になさらないで欲しいものです」

 

 売り言葉に買い言葉ではあるがシトレ大将はヴォード元帥が自身を今の役職から降ろす事も、まして軍部から追放する事が出来ない事もそのつもりが無い事も理解していた。

 

「私を推薦為されたのは候補者の中で最も『マシ』であるためでしょう?その程度の事は理解しております。故に貴方は私を解任する事は出来ない、違いますか?」

「……ふん、小賢しい奴め。こういう時に限って頭が回るとはな、厄介な奴だ」

 

 鼻を鳴らすヴォード元帥。確かにシトレ大将の言は正しい。この黒人提督の昇進は先日の『レコンキスタ』における戦功もあるがそれだけが原因ではない。

 

 先日まで宇宙艦隊司令長官であったヴォード元帥が統合作戦本部長に就任すると、年功序列とばかりに第一艦隊司令官と宇宙艦隊副司令長官を兼任していたカーン大将が元帥に昇進しその後釜に座る事になった。とは言え対帝国戦の経験が少なく専ら航路警備や対テロ・宇宙海賊掃討任務で頭角を表した老提督は来年にも退役する事が決まっておりその『次』を見繕う必要があった。

 

 宇宙艦隊副司令長官は決して明文化されている訳ではないが多くの場合その役職に就いた者が宇宙艦隊司令長官に昇格する事が多かった。即ち、カーン元帥の後釜が次の宇宙艦隊司令長官に就任する事となる。

 

 第一方面軍司令官グッゲンハイム中将、統合作戦本部作戦部長ワイドボーン中将、第五艦隊司令官イェンシャン中将、第一〇艦隊司令官プラサード中将等がシトレ以外の宇宙艦隊副司令長官、そして未来の司令長官候補者に挙がっていた。

 

 ヴォード元帥からすればグッゲンハイムの就任は論外である。統合作戦本部作戦部は花形部署であり自派閥でここを押さえる事は必須であるためワイドボーン中将の選択もない。イェンシャン中将は派閥的に中立であるが、下士官からの叩き上げでありあくまでも現場の人間だ。ヴァラーハ出身のプラサードは明確に旧銀河連邦植民地出の将官であり出来れば引き抜くのは避けたい。

 

 ハイネセン・ファミリーの家系に生まれ、士官学校の戦略研究科出のエリート、実戦経験も豊富であり派閥的にも少なくとも敵ではない、何よりも『レコンキスタ』における圧倒的軍功……ヴォード元帥にとって擁立された候補者の中で最もマシな選択である事は明白であった。

 

「おかげ様で私も派閥抗争の巻き添えです。私が貴方に繋がっていると勘ぐって訳の分からない輩が近づいてくるし、友人と会うのも難しい状況です。この程度の協力はして頂いても良いのではないでしょうか?」

「シトレ大将、君は統合作戦本部長を脅迫するつもりかね?」

「私にはそのような自覚はありません。そう思うのでしたら自身に心当たりがあるのではないのでしょうか?」

 

 シトレはそう言ってヴォード元帥の圧力を躱す。腐っても大将、この程度の処世術程度ならば身に着けている。

 

「……悪いがね、それでも君の要望に応える事は出来んよ」

 

 暫く睨み合いをしていた二人の中でヴォード元帥は先に降伏した。そしてその上で要望を却下する。

 

「君の気持ちは理解する。統合作戦本部作戦部や宇宙艦隊司令本部の参謀連中の中にも貴官と同じような内容で意見した者もいる」

 

 そもそも腐っても同盟軍制服組の最高司令官の立場に立つ身である。その程度の純軍事的道理が理解出来ない筈もない。

 

「既に折衷を重ねた末の結果だ。今更どうしようもあるまい」

 

 国境から流れた難民の収容と『レコンキスタ』の遠征費、荒廃した国境加盟国の経済復興に跋扈する宇宙海賊による被害、如何に同盟政府もこれらの負担を背負った上で更なる遠征を行うなぞ不可能だ。ヴォード元帥がエル・ファシルの戦いにおいてリスクを背負ってまで地上部隊を揚陸させ短期決戦に臨んだのも遠征予算の不足が一因だ。

 

「反戦派……いや、『分権推進運動』に対して与党も借りがあるからな。『反戦市民連合』と合流させる訳にもいくまいて」

 

 各星系政府の警備隊を部分的であれ『レコンキスタ』に動員出来たのは辺境に基盤を持つ『分権推進運動』の助力を得られたからこそだ。代わりに、辺境を始めとした星間航路の警備は手薄になってしまった。敗走した帝国軍には占領地の装備を引き揚げてから撤収するだけの時間がなく、部隊の装備を丸ごと放棄。手薄となった警備の隙を突き、宇宙海賊やマフィア、テロ組織がそれらを接収してしまった。今や帝国製の最新鋭兵器で武装したゴロツキ共が同盟領の彼方此方で火遊びをしてる。

 

「航路の維持は星間国家、そして星間経済にとって死活問題だ。我々は『分権推進運動』に借りた借りを返さねばならん。『反戦市民連合』と合流されたら目も当てられん」

 

 同じ反戦派でも『分権推進運動』と『反戦市民連合』は必ずしも連携が取れている訳ではない。寧ろ幾つかの公約では正反対の主張を唱える程だ。

 

 だが逆に言えば両者が連携してしまえば同盟軍にとっても与党にとっても十分脅威となりえる。両党が妥協点を見出し連携する前に『自主的』に同盟軍は辺境の掃除を行う必要がある。無論、国境への遠征と辺境の治安改善、双方に軍を送れる程今の同盟軍に余裕がない。だとすれば選べるのは一つだけであり……。

 

「国防委員会が長らく財政委員会と人的資源委員会に借りを作っている事もある。国防委員会も国防事務総局も両者から突き上げを食らえばノーとは言えんよ」

 

 『780年代軍備増強計画』では当時のジャムナ国防委員会議長が財政委員会・人的資源委員会を長い交渉の末にどうにか説得して軍の拡充と近代化を成功させた。何かと中途半端と言われる事の多い同軍拡計画であるが、当初の計画は更に悲惨だった。ジャムナ議員が老いた身体で関係各所と折衝を重ねなければ780年代における帝国軍の攻勢に同盟軍は耐えきれなかったであろう。

 

「……統合作戦本部長の立場は理解しました。確かに今すぐの派兵は困難でしょう。ですが……本当にそれだけであると?」

「どういう意味かね?」

 

 正論を並べるヴォード元帥に対して、しかし尚も怪訝な表情を浮かべるシトレ大将。ヴォード元帥はしらを切るように含んだ笑みを浮かべ尋ねる。

 

「アルレスハイム」

 

 シトレ大将の言葉にヴォード元帥は何も反応せず、何も答えずに宇宙艦隊副司令長官を見据える。

 

「派閥抗争に興味はありませんが、市民の犠牲は容認致しかねます。あそこが同盟加盟国の中でも殊更に『異常』な政府である事は理解していますが、だからと言って無辜の市民を見殺しにするのは承服出来ません。現状、距離的に同盟加盟国の中において最も帝国軍の侵攻を受ける可能性が高いあの星系の処遇をどうするつもりでしょうか?派兵をしなければ一年、遅くとも二年以内にはあの星系は戦場になるでしょう」

 

 正確に言えばアルレスハイム星系政府はアルレスハイム星系及びその周辺星系を統治している。当然それらの星系には鉱山やドーム型都市、人工天体等もある。即ち星系政府外縁部にも少なからずの市民が居住しているのだ。彼らの存在を含めればタイムリミットはより短くなるだろう。

 

 長征派の首魁たるヴォード元帥はあの帝国人の巣窟を見殺しにするつもりなのではないか?そんな疑念をもってシトレ大将は問いただす。

 

「……ふむ、そこまで信用が無いとは嘆かわしい限りだな」

 

 肩を竦ませて言葉とは裏腹に大して傷ついてなさそうに統合作戦本部長は語った。

 

「安心したまえ、私は極右や極左の馬鹿共のような感情で動く人間とは違い、文明的な紳士だ」

 

 小馬鹿にするように鼻を鳴らし冷笑するヴォード元帥。

 

「確かに本音の所を言えば彼奴らの存在そのものが吐き気を催す程度に嫌いではあるがね。それでもその組織票と金と人は魅力的だ。我々主戦派が政権を取り続ける上で彼奴らの存在は欠かす事が出来ん」

 

 我々、と自身もまた主戦派扱いされた事にシトレは若干不快気な表情を作る。ヴォード元帥はそれに意地悪い笑みを浮かべ、続ける。

 

「……それに侵略帝コルネリアスの時代ならば兎も角、今やアルレスハイム星系の経済は同盟と強く結びついている。ヴォルムスが焦土になってみろ、すぐにハイネセンの証券取引所は大パニックだよ。あそこは今や国境宙域有数の経済規模を持つ惑星、見殺しにするには此方の損も多すぎる」

 

 統合作戦本部長は同盟政府と同盟軍が亡命貴族の悍ましき巣窟をそれでも見捨てない理由を論理的に説明する。

 

「何、現状は辺境航路の平定に力を入れる事になるが来年の中半頃には纏まった戦力を派遣するつもりだ。安心したまえ」

 

 にやり、と粘り気のある笑みを持ってヴォード元帥は黒人提督に杞憂である事を伝える。とは言え、シトレ大将の懸念はそれだけでは消えない。

 

「ですが予算は如何様に調達する御積もりですか?閣下の仰りようでは遠征予算の確保は簡単にはいかないと思われますが……」

「その点も杞憂だ。余り当てにする訳にはいかんが我々には金の湧き出す魔法の壺がある」

「フェザーン、ですか」

 

複雑な口調でシトレはその名を口にする。

 

「奴らは我々と帝国双方から甘い汁を啜る寄生虫です、余り当てにするのは宜しくないかと」

「その程度の事は承知している。奴らは拝金主義者だ。だからこそ動きは読みやすい。自治領主府は帝国の圧力に抵抗するために我らの劣勢は看過出来ん。元老院の影の支配者共も半数は戦力均衡論者だ。イゼルローン要塞建設以来帝国に傾くパワーバランスの調整のためにはやはり我らへの援助が必要だ。それにフェザーン経済と同盟経済は一蓮托生だ。奴らもアルレスハイム星系で焦土戦などされたくなかろう。いずれにせよ奴らは我らを援助せざるを得ない」

 

 無論念のために関係各所での工作も進めている、ヴォード元帥は自信に満ちた表情を作り上げる。成程、筋は通っている。通っているが……。

 

(それでも、楽観的な考えではないだろうか……?)

 

 戦略家というよりも軍政家として一流であるヴォード元帥の計画を聞いても尚、シトレ大将は言いようのない不安に襲われる。それには根拠も理屈もない。唯の考えすぎであるかも知れない。だが……だがそれでも尚、シトレ大将は理性では辛うじて納得出来ても感情面から上官の計画に賛同出来なかった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだねぇ、頑張っても九月頃になりそうだね、君の席を用意出来そうなのは」

 

 私有地の一角にある湖、その釣り場で椅子に座り漫然と竿を吊るし続けるヤングブラッド大佐は世間話をするように私の処遇について語る。あ、因みに護衛の皆さんは魚が逃げるっていって距離の離れた場所で警備してもらっているよ?

 

「二か月半、といった所か……夏に入るかどうかの季節だな。そんなに待たないといけないのか?」

 

 ヤングブラッド大佐のすぐ隣で同じように竿を構える私は非難がましい口調で尋ねる。

 

「仕方ないだろう?君の要望通りほとぼりが冷めるまで遠くに勤務したいと言っても大佐級を含む複数名の人事異動なんて簡単に椅子が空く訳じゃない。まして六月に定例人事異動があったばかりだ。それくらい待って欲しいものだね」

 

 困り顔でヤングブラッド大佐は答える。しかも前線は予断を許さない状況だ。そんな中で前線とは関係ない門閥貴族のボンボンの要望に関わるとなると無駄に手間がかかるのは確かだ。

 

「そうは言うがな……いや、無理を言っている事は分かっている。気にしないでくれ」

 

 母の横槍が入りにくい席を用意して欲しいと言えば唯でさえ少ない大佐級のポストから選べるものは更に減ろう。この際ポストを空ける努力をしてくれるだけでもありがたいと思うべきだろう。ポスト一つ空けるにしても派閥の力学が働くし御払い箱にするべき前任者のフォローも必要なのだ。

 

「そういってくれて助かるよ。此方としても可能な限り根回しを……おっ!これは食いついたかなっ!?」

 

 ヤングブラッド大佐の餌に獲物が食いつき竿を強く引き始めた。学年首席殿は慌てて身構える。

 

「ほれほれ、落ち着け。ルアーを巻かんか。ここの魚は結構どれも大物だからな、油断していると一気に食い逃げされるぞ?」

 

 横合いから釣り装束のケーフェンヒラー男爵が愉快そうにヤングブラッド大佐を見て指摘する。

 

「そうは言いましても……!私は釣りなんて殆どっ……!?」

 

 困惑しながらも獲物を釣り上げようと竿を引っ張り急いでルアーを回し始めるヤングブラッド大佐。ハイネセン生まれのハイネセン育ちは都会っ子であるために自然とも動植物とも触れ合う機会が滅多にない。まして帝国上流階級の趣味であるフライ・フィッシングなんて目にしたことも無かろう。

 

 そもそも同盟人は釣った魚を食べるという考えに中々辿り着かない。水産資源の豊富な一部惑星を除けば海産物は工場で完全自動養殖である。確か何年か前の調査で一部の子供達が魚は切り身状態で泳いでいると考えているとかいう結果が出てニュースで騒ぎになってたな………。

 

「うわっ!?お、落ちるっ!!?ちょっ!皆助けてくれないかなっ……!?」

 

 身体のバランスを崩してそのまま湖に落ちそうになるので私と男爵は肩を竦めて仕方無しに大佐の助けに入る。

 

「やれやれ、学年首席様がこんな事で助けを呼ぶとはな……」

 

 帝国人ならば子供でもこれ程困惑する者は少ない。それこそ貴族や皇族の坊っちゃんでもだ。アレクセイとは七歳位の時から良く釣りをしていたしその頃ですらこれ程動揺しなかった。

 

「そうは言っても……うわっ!?これはかなり……!?」

「お、水面から浮かび上がってきたな。随分と大物だぞ!」

 

 湖の水面に現れる黒い影を見つけどこか弾んだ口調でケーフェンヒラー男爵が指摘する。確かに湖を見れば結構な大物だと分かる影が映る。

 

「よしよし、慎重に引っ張っていけ……お前さん、網用意しろ」

「分かりましたよ、男爵」

 

 男爵の言に従い私は竿から手を離して足元のたも網を持ってくる。

 

「これは中々……よし、竿を頼むぞ。儂がたも網にかけよう」

「大丈夫ですか男爵?ぎっくり腰にでもなられたらホストとしては困るのですが……」

 

 七〇越えの老人にあの獲物を持ち上げるのは厳しいのではないか、と私は意見する。

 

「そんな間抜けな事はせんよ。最近は健康を考えて運動もしとる。いらぬ心配なぞするな」

 

 少し口を尖らせて心外とばかりに答える男爵。ここで意地を張っても仕方ないので私はたも網を男爵に差し出して竿の方を支える。

 

「よし、良いぞ良いぞ……ほれっ!うおっと!!?」

 

 岸に誘導してたも網で獲物を掬った男爵。しかし次の瞬間には獲物は網の中で暴れ出し周囲に水飛沫を巻き散らす。

 

「随分と激しく暴れるなっ!」

「そりゃあ向こうからすれば命懸けですからねぇ」

 

 我々からすれば道楽でも魚からすれば生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ、必死の形相で抵抗もしよう。……まぁ、逃がさんけど。

 

「私達も支えましょうかね?」

 

 私はヤングブラッド大佐と共に男爵の持つたも網を支えて岸へと運ぶ。そしてそのまま獲物を釣り場の床に叩きつけてやる。もう逃げられんぞ!

 

「あー痛たた……油断したなぁ。結構重いな」

 

腰を撫でながら男爵は呟き、ぴちぴちと釣り場で跳ねる哀れな獲物を見やる。

 

「岩魚か。見た所八〇センチはあるかな?良く肥えとるわ」

 

 岩魚……褐色の体色に背中から側面にかけての白い斑点、サケ目サケ科イワナ属に属する川魚である。とは言え、オリジナルは西暦二一世紀前半の人口増加による乱獲と地球温暖化等の環境破壊で個体数を急速に減少させ、一三日戦争でほぼ絶滅している。この個体のルーツは核戦争以前に保存されていた地球時代の動植物遺伝子を基に地球統一政府による自然環境回復計画で再生されたものである。これは一三日戦争以前から現存する地球由来の原生生物の大半に該当する。

 

「想像以上に激しく動くものだね、えーとこれも止めを刺すのかい?」

 

 前日の狩猟の事を思い出してヤングブラッド大佐が尋ねる。

 

「いや、これは生簀行きかな?締めるのは料理長に任せよう。そう言う訳で……おーい、早く来てくれないか?」

 

 その声に答えるように数名の奉公人が生簀を持ってやってきた。中には既に水が入っている。奉公人達が数名がかりで暴れる岩魚を殺さないように取り押さえながら生簀に運ぶ。

 

「そろそろ昼過ぎか……それなりに獲物も取れたのでもうこれくらいで良いでしょう。どうです?屋敷に戻って昼食でも摂りますか?」

 

 私は義手で懐より金時計を取り出しその時刻を確認して提案する。釣り中は部下を遠ざけて密談する機会でもあるが、既に今回で必要な会話は殆ど終えてしまった。ケーフェンヒラー男爵も腰に少々負担がかかったようでこれ以上釣りに興じる必要もないように思えた。幸運にも今回釣れた大物で今夜のメインは決まったようなものだ。後は屋敷でインドアを決め込むのも悪くないように思えた。

 

「うーむ、まぁ良かろうて。儂もそろそろ空腹を感じていた所だしの。お前さんはどうかね?」

「付き添いの私に意見を求めるのですか?まぁ、私としても元よりインドア派ですからね。御屋敷に戻るのは賛成ですよ」

 

 髭を撫でたケーフェンヒラー男爵が尋ねれば補助在りとは言え大物と格闘し続けて息切れした学年首席殿が賛同の意を示す。

 

「そういう訳だ。悪いが馬車の仕度は出来るかな?」

 

 釣り竿を片付けながら私は奉公人達に尋ねる。奉公人の一人が急いで返事をして馬車を引く御者の下に駆ける。一々家臣に仕事をさせるなぞ怠惰な貴族だと第三者には思われるかも知れないが、帝国貴族社会では門閥貴族が気軽に家臣のすべき仕事をやる方が軽蔑されるので仕方ない。

 

 御者が引く馬車に乗りゆっくり釣り場から屋敷に帰宅するとすぐにその人影が視界に映り込んだ。

 

「ん……?」

 

 獲物を屋敷の裏口から厨房に送るように使用人に命じた後、屋敷の大きな正面玄関口を開ける。視界に入るのはダンスホールにもなる広い客間、その一角にある薪がくべられず火の気のない暖炉のすぐ側には机と安楽椅子、その椅子に座りこむビスクドールのような小さな少女の姿。その傍らには流行のドレスで着飾った複数人の侍女の姿も見え一瞬彼女らが年甲斐もなく人形遊びでもしていたのか、等と勘繰ってしまう。

 

「あっ……おにい…さま……?」

 

 侍女達と何やら楽しげに本を読んでいた(正確には読んでもらっていたと言うべきかもしれないが)フリル一杯のドレスを着た少女はしかし、顔を上げて私を視界に入れた瞬間その笑みを曇らせてゆく。分かってはいるがこうも嫌われると来るものがあるな。

 

「若様、御帰りなさいませ。お早い御帰りで御座いますね?」

 

 そそくさと侍女の一人が笑顔を浮かべ、ドレスのスカートを摘まみ上げ挨拶する。とは言えその立ち振る舞いは妹を自然に背中に隠す体勢である。これに倣い他の数名程の侍女も同じく私や客人に挨拶を行う。

 

「ああ、客人達が随分と大きい獲物を釣ってね。そろそろ昼食でもあるし後は屋敷内で親睦を深めようかとね。今日のメインは岩魚になりそうだよ」

 

 その言葉に侍女達の背後に隠れていた妹がドレスの端からこっそりと(本人は思っているが丸見えである)頭を出して此方を覗き込む。うん、その反応欲しかったの。

 

 昨日の内に侍女から妹の好みは粗方聞いている。彼女の好みと旬を考えれば岩魚が釣れたのは幸運だ。岩魚は春から夏口にかけて産卵に備え特に肥え太って食べ頃だ。玉葱や卵と共に赤葡萄酒で煮込めば良い仕上がりになるだろう。

 

「はぅ……」

 

 じゅるりと涎が垂れる小さな音が響いたような気がする。少なくともドレスに隠れた妹は先程までと比べて少しそわそわして楽し気だ。流石に母から厳しく躾けられているとしても年齢が年齢だ。淑女である以前に食欲旺盛な子供なのだ。

 

 妹は子供らしく口元を綻ばせるが、私の視線に気付くと再びその笑みを打ち消す。その大きく宝石のように輝く瞳は小刻みに震え、明らかにその奥には怯えの感情が窺えた。うーん、私の第一印象ってそんなに悪いのかね?

 

「……妹さんだったかな?改めて御挨拶させて貰おうかな?ケーフェンヒラー、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー男爵。どうぞ、お見知りおき頂けたら幸いですの、フロイライン?」

 

 そこににこにこと他所の貴族令嬢に挨拶するというよりは末の孫娘に語りかけるように自己紹介する男爵。一応、男爵が屋敷に来た初日に挨拶はしているものの二日前も昨日も然程二人は会話をしていない。母は幼く人見知りでまだまだ礼儀作法が完璧ではない妹を世間に晒すのは余り好きではないらしい。疎んでいる訳ではないと思うが……。

 

「ご、ごあいさつおそれいります。ティルピッツ家のちょうじょ、アナスターシアですわ。えっと……ごきげんよう?」

 

 男爵の挨拶に拙い口調で若干どもり、最後には殆ど疑問系になりながら妹は答える。母が聞けば叱責の一言が飛んで来るかも知れない。実際侍女達は緊張した表情を作り出し、妹もまた自身のミスを理解し表情を強張らせる。

 

「ふむ……」

 

 だがある意味では妹は幸運であった。男爵はしかしその非礼を咎める事なく、ちらりと私に一度視線を移し、それを戻せば次の瞬間にこやかに一つの提案を行ったのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

[それは会戦の中盤の事であった。要塞内の戦況モニターで賊軍と私兵軍が戦う中、突如として伯爵は後ろからブラスターライフルの銃口を向けられる!]

 

『和平交渉の艦隊には御父上が乗っておられた、その上で賊軍と共に要塞砲で……何故です?』

 

[伯爵の妹はブラスターライフルを構えながら兄でもある伯爵に父殺しの真相を問い詰める!その瞳には明らかな殺意の炎が燃えている!]

 

『ふっ、やむをえんだろう。タイミング外れの和平交渉が何になろうか?』

 

[伯爵は向けられた銃口を気にもせず、冷笑しながら犯行を自供する。そこには罪の意識も呵責も一欠けらも存在しなかった!正に冷酷無情!]

 

『……殺す必要まではありませんでしたね、伯爵?』

 

[妹でもある副司令長官が醒めた瞳で兄を見つめ、失望に満ちた声でブラスターライフルの引き金に指をかける!]

 

『ふっ、冗談はよせ』

『意外と、お兄様も甘いようで』

 

 

 

 

「ぱーん!次のしゅんかん、ぶらすたーのあおじろいせんこうが伯爵の額w「おい待て、そのシーン色々可笑しくね!?」

 

 私は妹が朗読するマス目に書かれた内容を聞きながら突っ込みを入れる。具体的には凄いどこかで見た事ある下りなんだけど!?

 

 ケーフェンヒラー男爵の提案で我々は妹と共に軽い昼食を頂いた後、その妹と客間で親睦を深める、という建前で人生ゲームに興じていた。というか今私(の駒)死んだんだけど?

 

 より正確に言えば漸く爵位が伯爵位まで上がったのに戦争マスに留まり挙句に『御家騒動イベント』に巻き込まれ無事死亡した。

 

 フェザーンの某ゲーム会社の販売する帝国宮廷風人生ゲーム(定価一万二〇〇〇ディナール)は子供向けの癖に無駄にシビアだ。帝国騎士からスタートして最終的な爵位と領地で優劣を競うこの人生ゲームは途中で恋愛や決闘等のイベントは勿論、中には暗殺や陰謀イベントまである。駒は全て象牙製に宝石がはめ込まれ、賽子は孔雀石と小道具まで高価である。

 

「ほれほれ、ルーレットを回さんか。まだまだ希望はあるぞ?」

 

 急かすように男爵が指摘する。御家騒動イベントから暗殺イベントに発展したとしてもまだ希望はある。ルーレットの出目次第では影武者イベント、息子がいれば後継者継承イベント、最悪辺境落ち延びイベントだって……。

 

「あ、かげむしゃるーとしっぱい、いちぞくろうとうしゅくせーだって」

「ガッデム!」

 

 私はルーレットに向けて中指を突き立てる。ルーレットの出目は最悪であった。いや知ってたよ?多分最悪のルートになるだろうなぁって予感はしてたよ?けどこれ内容洒落にならないんだけど!?

 

「まずは一人脱落だな。おっ、儂は漸く子爵様だな」

 

 ルーレットを回したケーフェンヒラー男爵が象牙に紅玉の瞳の男爵駒を蒼玉の瞳が嵌め込まれた子爵のそれに交換する。

 

「次は私ですね。あ、荘園が増えましたね。別荘を建てられます」

 

 そう言って盤上に配置された精巧なミニチュアハウスに旗を立てるヤングブラッド大佐。ははっ、もう総資産で全員に抜かれてやんの。ワロスワロス。

 

「つぎはわたしね!えいっ!」

 

 可愛らしい掛け声と共にルーレットを回転させるアナスターシア。くるくると軽快な音と共に回るルーレットは次第にその動きを緩やかにしていき……。

 

「やった、いさんそーぞくだって!」

 

 にっこり笑みを浮かべて妹は私の手元に残っていた数少ない財産である美術品(のミニチュア)をごっそりと持っていく。はっは、これで魔術師様と同じ一文無しだぜ!

 

「そうしょぼくれるな。奇跡的確率で御落胤発見ルートがあるやもだぞ?ほれ賽子を振れ」

「平然と振るけどそれも相当値が張るんだよね……」

 

 天然の孔雀石を削り出して作られた賽子がプラスチック製のそれと同様のノリで振られるのを見て呆れ気味に語るヤングブラッド大佐。これしかないからね、仕方ないね。

 

「そして当然駄目か」

 

 ちらりと妹の方を見やる。楽し気に盤上を見ていた妹は私の視線に気付くと次の瞬間不安げな瞳を向ける。

 

「な、なに……です…か……?」

 

 おっと、楽しい雰囲気に水を差してしまったな。うーん……そろそろ私も学習せんとな……。

 

「いや、ナーシャが楽しそうで良かったと思っていてな」

 

 私は可能な限り優しい表情を作るように努力して(あくまでも努力である)、圧がかからないように気を付けながら声をかける。

 

「う……?」

 

 私の発言にその意味を図りかねたように小さく首を傾げる妹。うん、可愛い。

 

「私も忙しくてな、こうして遊んでやる事もなかっただろう?だから正直笑顔で楽しんでくれると安心してな」

「えっと……こんなにあそんでばっかで……おこらない?」

 

 尚も意味を図りかねるようだ、恐る恐るといった表情で此方の様子を慎重に伺いながら妹は尋ねる。

 

「当然だろう?妹が遊ぶのを咎めるものか。それに私もお前と同じ位の頃はよく遊んだものさ。いや、周囲に迷惑かけていただけ私の方が質が悪いな」

 

 そう言って小さく笑うと少し、ほんの少しだけ目の前の血を分けた妹の警戒心が薄まった気がした。あるいは私の思い過ごしの可能性もあるが……。

 

「それにしてもナーシャは強いな。私も昔はそこそこやっていたんだが……いやぁ、良く負けたものだな。アレクセイにベアトに……ああ、士官学校入学のためにハイネセンに行くまでは従姉妹……ヴァイマールの所の小娘とかに罰ゲームで馬扱いされてなぁ」

 

 私は腕を組んで神妙な表情で記憶を掘り返す。あの野郎、人が下手に出てやったら調子こきやがって。ムカつくので鬼ごっこでガチで追いかけて強制尻叩きをしてやったっけ?(因みに泣かれた、おいそこ!大人げないとか言わない!!)

 

「えっと……シルヴィアおねえさまとディアナおねえさまのこと?それだったらあそんでもらったことあるよ?」

「それは結構。随分と大人気なかっただろう?特にシルヴィアの方は?」

「うーん……うん」

 

 悩まし気に首を傾げ、しかしすぐに思い出したように肯定する妹。この分だとやはり性分は変わっていないな。出目が悪かったらこっそりとルーレットを回し直そうとしたり盤をひっくり返してゲームリセットを図ろうとした事もあるしな。

 

「その点ナーシャは大人しくて良いな。もう立派な淑女様だな」

 

 と私は自分の番が来たので賽子を振る。やったぜ、遂に御落胤発見だ。暗殺されないように成り上がらないとな。

 

「……ほんとう?おかあさまにはこどもっぽいってたくさんいわれるよ?」

「母上に比べればそりゃあなぁ……けど少なくともシルヴィアや私よりかはずっと大人らしいと思うぞ?」

「……けどおかあさまは…………」

 

 少しどもり、そして上目遣いで此方を見据える妹。

 

「……おかあさま、おにいさまとばっかりいるんだよ?かまってくれないの。わたしのこと、あんまりすきじゃないんだよ」

「………」

 

 私にそう言った妹は気まずそうに視線を下に向ける。む、場の空気が重くなったな。こういう時はどうするべきか……。

 

 私は助言を求めるように客間の端に控える侍女連中に視線をやる。彼女達の無言のジェスチャーを見て苦い顔をした後、同じくゲームに興じていた男爵と学年首席殿に助けを求める。無言で彼らが侍女達と同じジェスチャーをしてくるので私は僅かに迷い、仕方なく彼らの助言に従う。

 

「……世話をかけるな」

 

 私は一瞬躊躇するが、そのままそっと妹の長い銀髪に左手を乗せる。その感触でビクッと身体を震わせた妹はゆっくりと私を上目遣いで再度見つめる。

 

「母上のアレは逆でな。ナーシャと違って出来の悪い私を放っておけないんだよ。何せいい歳こいてトラブルばかり起こす問題児だからな」

 

 自虐的に私は笑う。これは嘘ではない。母の心労の何割かは私の責任だ。

 

「その分ナーシャには迷惑をかけてしまっている。悪い兄でごめんな?」

 

 私はそのままさらさらとした感触のする妹の頭を撫でる。妹だから許されているが無断で女性の髪を撫でるのは余り宜しくはないんだよなぁ。

 

「ナーシャは偉いな、母上から手をかけなくても良いって思われる程お利口なんだぞ?私も見習わないとな」

 

 私は可能な限り優しい瞳で妹を見下ろし、頭を撫で続ける。

 

「わたし……えらい?おにいさまよりも?」

「勿論だとも」

 

 恐る恐るの質問に私は澱みなく答える。少なくとも同い年の私よりは余程良い子だろう。

 

「え、えっと……」

 

 一方、妹の方は私の発言に毒気を抜かれたような表情を浮かべ、次いで何を口にするべきか悩んでいるように思えた。そこにいつの間にか傍に来ていたダンネマン一等帝国騎士令嬢が恭しく妹の耳元で何事かを囁く。

 

 ナーシャはそれに困惑し、迷うような表情を浮かべ、最後は少しだけ恥ずかしそうにしながら口を開く。

 

「えっとね……もっとなでてくれたらすこしだけゆるしてあげるよ?」

 

 舌足らずの口調での命令、そこには恥ずかしさと緊張と怯えと僅かな期待が複雑に混ざり合っていた。周囲を見やり、私は助言を求める。無論、彼らの答えは出ていた。なので私は答える。

 

「勿論ですよ、ナーシャ(マイン・シュヴェスター)、いえお嬢様(ダス・フロイライン)?」

 

 そう礼をすれば今度は子供らしく小気味良さそうな表情を浮かべる妹。

 

「へへっ……しかたないなぁ。けどわたしはおりこうさんだからゆるしてあげるよ」

 

 そして、思い出したような表情をする。

 

「そうだ、あとね!きのうのゆーしょくね。ありがとうね。だからね、すこしだけゆるしてあげたんだよ?」

 

 お茶目な悪戯っ子のような屈託のない笑みを浮かべる子供。だが、私がその表情で彼女に見られたのは初めての事であった。

 

「……ああ。寛大な御慈悲、心から感謝するよ」

 

 子供の感情は移り気だ、恐らくは彼女の心変わりに大した意味はないのだろう。明日になると今日のこの会話も忘れてまた以前のような態度を取られる可能性も高い。そうでなくとも子供の機嫌はすぐに移り変わっていくものだ。

 

 だが、それでも……それでも私にとっては身内のその言葉と心からの笑顔で少しだけ救われた気がしたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あんさつイベントだって。おにいさまのごらくいんはしぼーだって!」

「ファッ!?」


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