帝国貴族はイージーな転生先と思ったか?   作:鉄鋼怪人

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第九十八話 この人は多分ぎりぎり原作登場人物の範疇だと思うんだ

 ケッテラー伯爵家は当然の如く銀河帝国開闢以来の歴史を持つ由緒ある家系である。ティルピッツ伯爵家、バルトバッフェル侯爵家同様に武門十八将家の一つであり、ルドルフ大帝時代に伯爵位以上の爵位を授与された権門四八家の一つである。

 

 開祖たるベルンハルト一世はほかの武門の家々同様にルドルフの銀河連邦軍人時代にその才覚を見出だされ、銀河連邦末期から帝政初期にかけて辺境の制圧にその生涯を捧げた。第四代当主レオンハルトは「歴史上最年長の皇太子」ことフランツ・オットー大公の下において軍務尚書としてその役目を十全に果たしたし、流血帝アウグスト二世の時代には当主オスカーは次々と名家の当主が処刑される中堂々とラードの塊に諫言し無事ギロチンにかけられ、引き換えにその息子マティアスは止血帝エーリッヒ二世の治世に帝室から娘を妻に貰う等厚遇された。

 

 そして多くの亡命政府の中核を担う名家同様にダゴン星域会戦後の暗殺と陰謀によって宮廷が彩られた「暗赤色の六年」の時期にケッテラー伯爵家は同盟に亡命する事になる。帝国宮廷内における権力抗争を空気を読まず痛烈に批判した結果ヘルベルト大公派、リヒャルト大公派双方から疎まれた結果だ。この時期に亡命した多くの貴族達同様宮廷の混乱に紛れ多くの資産や領民を伴って、である。

 

 アルレスハイム星系に多くの貴族と難民化した帝国人が集い、そこに宮廷の暗殺劇から逃れたユリウス・フォン・ゴールデンバウムが現れた時、大多数の例に漏れず、時のケッテラー伯爵もまたユリウスに忠誠を誓う事になる。以降星都の置かれたヴォルムス東大陸の一角を事実上の領地として開発する事になった。

 

 傾斜の切っ掛けは亡命軍の英雄にして名将、勤皇家としても名高いブルクハルト・フォン・ケッテラー元帥の存在である。コルネリアス帝の親征におけるアルレスハイム星系攻防戦の地上戦を指揮し、亡命政府の存続に大きな貢献を果たした彼は、しかしその代償もまた比類なきものであった。

 

 ヴォルムスの地上戦においてその熾烈な抵抗と引き換えにケッテラー伯爵家は代々仕える相当数の分家や従士家、食客、奉公人一族を失ったばかりか、亡命してから開発してきた領地は主戦場の一つとなり、元の領地から連れてきた領民も多くが徴兵と戦火により死に絶えた。

 

 その上残る資産の多くも帝室の宮殿の再建や臣下の遺族の扶養に費やされた。結果として戦力や資産を温存して自家の領地の復興を優先したほかの大貴族達に比べ、ケッテラー伯爵家の経済的な基盤は脆弱となった。

 

 無論、帝室はこれを座視していた訳ではない。その献身に報いるべくケッテラー伯爵家に援助を行い、帝室の一族より妻が降嫁した。これによりケッテラー伯爵家は、政治的にはすぐさま凋落する事は免れた。 

 

 しかし多くの臣下を失い、領地も幾らか再建したとはいえ、星都が荒廃した東大陸から北大陸のアルフォードに遷都する等の理由もありかつて程の繁栄もなく、その後の対帝国戦争による消耗も重なってケッテラー伯爵家が少しずつ衰退しつつあった事もまた事実であった。

 

 そして宇宙暦776年の第二次イゼルローン要塞攻防戦はある意味でケッテラー伯爵家にとって止めと言えた。第二次イゼルローン要塞遠征作戦は情報不足の中で決行された第一次遠征もあり亡命政府や諜報機関から情報を収集した上で万全の準備の中で実施された。

 

 情報自体は正確であったが現場の司令官にとっては信用し切れなかったらしい。何せ前回の第一次遠征では計四回に渡り「雷神の槌」を食らい一一〇万人もの犠牲を出したのだ。情報を完全に信用するのは難しいし、そうでなくても要塞への接近そのものが彼らにとっては許容出来ない程に恐ろしい事であった。

 

 割を食ったのは同行していた亡命軍だ。ケッテラー上級大将率いる亡命軍艦隊は同盟軍の動きが予定に比べ鈍く、しかも遠距離無線通信は要塞からの妨害電波により無力化されてしまったために気付かぬうちに敵中に孤立してしまった。

 

 動員された一二〇〇隻のうち七〇〇隻と伯爵家当主でもある司令官ケッテラー上級大将が戦死、従軍していた一族の分家や家臣達も大半がヴァルハラに旅立つ事になった。

 

 遠征後、そこに追い討ちがかかる。戦死した当主には娘と息子が一人ずつおり、妻はヴィレンシュタイン子爵家の出であったが、伯爵家の長老衆と子爵家の間で次代当主や今後の方針で激しい対立が起きる事になる。自家の血を引く者を当主につけたい子爵家側と、妾腹の血を引く者ではなく分家筋から新当主を迎えようとした長老衆の両者の対立が伯爵家の衰退に拍車をかけたのだ。

 

 最終的に宮廷からの支持を取り付けた当主夫人が家の主導権を握り、混乱を収拾した頃にはケッテラー伯爵家はしかしその権勢を相当削られていた。

 

 当主代理となった伯爵夫人の手腕は本物でこの一〇年で相当持ち直したものの、元より基盤が脆弱な事もあり、このままでは一世紀半に渡り維持してきた軍部三家の座から落ちぶれるのは時間の問題であった。

 

 結果、宮廷側のてこ入れもあり権勢を維持する他家の援助を受ける事になり、その対象となった家の一つがティルピッツ伯爵家であった。付け加えるならばこの手の援助の常としてその援助に「担保」として婚姻がセットになる事は貴族社会の常識であった。そして……。

 

「あれが『担保』、という訳か」

 

 私は煌びやかな部屋の隅で小さく呟いた。

 

 ハイネセン最大の帝国人街たるシェーネベルク街、そのクレーフェ侯爵の豪邸における同胞達の遠征からの帰還と昇進を祝う祝賀会の席、私は同盟軍士官礼装にワイングラスを手にしながら、傍に護衛の従士を控えさせ許嫁として挨拶回りを行うケッテラー伯爵家の長女を見やる。

 

「?何か御不満が御有りで御座いますか?」

 

 私の傍に控える中尉が尋ねる。どうやら私の言い様から不満があるように思われたらしい。

 

「いや、そういう訳ではないが……」

 

私は慌てて否定して、改めて婚約者の方を見つめる。

 

 豪華で気品のある緑のドレスを着こなし、金剛石のネックレスに真珠のピアスで飾り立て、型通りの微笑に完璧にマナーに沿った挨拶で会場を回る少女は昨年一人で(正確には使用人等は同伴しているが)ハイネセンポリスの帝国人街に移り住んでおり、その理由は恐らくは私が第三艦隊司令部勤務であり任務が終わればハイネセンに戻ってくる身であるためだ。

 

 グラティア・フォン・ケッテラー伯爵令嬢、彼女と初めて顔を合わせたのは第四次イゼルローン要塞攻防戦の後の事でその時点で殆ど婚約は確定していた。それ自体はそれこそ酷い例では式の前日に初めて顔合わせ、なんて事もあり得る貴族社会などで言えば比較的有情な方ではあるのだが……流石に顔合わせした時に一三歳なのは内心驚いた。しかも無愛想という訳ではないが何度顔合わせをしても言葉も所作も型通り、どう接した所でその態度は緩まずそのままと来ていた。

 

 ……いや、寧ろ内心の好感度は地面にめり込んでいる可能性が高いであろうが。

 

「これはこれは、御昇進おめでとう御座います我が主……とでも挨拶しておいた方が宜しいでしょうか、伯爵殿?」

「……心にも無い祝辞有難う大尉、まさか挨拶に来てくれるとは思わなかったぞ?」

 

 ふと、挨拶回りをしているグラティア嬢を見つめながら物思いに耽っていると良く見知った声が私に呼び掛け、私はその声の方向に振り向くと苦笑しながら言い返した。そこには同盟軍士官礼装に身を包んだ食客の姿があった。

 

「シェーンコップ帝国騎士、先日のファラーファラでの軍功、御苦労だった」

「お褒めに預かり光栄です、まぁこれも給料のうちですがね?」

 

 敬礼して先日の功績について触れるが当のワルター・フォン・シェーンコップ同盟宇宙軍大尉は肩を竦めて苦笑する。彼は此度の祝宴に、同盟外縁領域における対宇宙海賊戦における功績から出席していた。

 

 亡命した帝国貴族子弟を中核として再結成された「薔薇騎士連隊」は、しかし再編と訓練を漸く終えたばかりであり、上層部もすぐに対帝国戦に投入するつもりなぞ無かった。ここ一年程の間漸く実戦配備となった騎士達はまずは脅威度の低い同盟外縁領域における宇宙海賊や同盟非加盟の内乱惑星等において友軍の支援を受けつつ任務に従事していた。

 

 支援の面でも装備の面でも、無論練度の面でも圧倒的優位に立つ騎士達はある意味当然ではあるが与えられた任務を全て全うして先日ハイネセンに帰還し、シェーンコップ帝国騎士も派遣中に功績を挙げ、中尉から大尉に昇進していた。

 

「リリエンフェルト大佐やリューネブルク中佐も参加してますが……もう御挨拶には?」

 

 私の後方に控えた付き人二人に優雅に頭を下げ挨拶した後、大尉は私にそう尋ねる。

 

「いや、残念ながらまだだ。後で顔を出そう。「薔薇の騎士連隊」はこのまま暫くはハイネセンに残るのか?」

「ええ、訓練を終了した新兵と装備を編入するために。これで次の出征は対帝国戦ですね。御上は来年の反攻作戦を正式デビュー戦にしたいようです。せめて対帝国戦前に一回くらいは実家に帰りたいのですが……」

「娘は……二歳か?」

 

 私はシェーンコップ大尉の気にかけているであろう事を尋ねる。

 

「ええ、一番可愛い盛りなのですがねぇ……。一応軍の超光速通信で家族とのテレビ通信は出来るのですが……やはり子供の成長は直に目に焼き付けたいものでして」

 

 シェーンコップ帝国騎士の妻ローザライン・エリザベート・フォン・シェーンコップ中尉は同盟軍のアルレスハイム星域軍の補給科に勤務しており、娘カーテローゼ・フォン・シェーンコップは妻の実家で養育されていた。約一年間に及ぶ遠征任務、この時期の子供の成長は著しい。それを直に目に出来ない事をこの不遜な帝国騎士は残念そうにしていた。うん、並行世界のこいつに今の食客の姿を見せたらどんな反応するのか少し見てみたい。

 

「流石にそこまでは私がどうこう出来る事じゃないから諦めてくれ、お前さんの存在は連隊でも相当重視されているんだろう?お前さんを動かすとなると連隊の任務も調整しなきゃならん。悪いがまだ私にそこまでの権限はないのでね」

 

 唯の一般兵なら兎も角、訓練や実戦で相応の成績と実績を叩き出した以上今の彼は連隊内でも重要な人材だ。たかが一少佐が好きに動かせるものではない。ボーナス欲しさに頑張り過ぎた自分を恨む事だ。

 

「分かっていますよ。宮仕えですからな、我慢しましょう。それに……お互い随分と苦労しているようですからな」

 

 私の耳元に口を寄せて少し困った口調でそう尋ねる帝国騎士。

 

「………巡り合わせが悪かったと思うしかないな。別に卿は気にするな。無論卿の妻もだ」

「だといいのですがね」

 

苦笑する帝国騎士に私も苦笑いするしかない。

 

 伝え聞いた話であるがこの帝国騎士……正確には彼の妻と私の許嫁の実家にはちょっとした因縁があるようだった。

 

 そもそもシェーンコップ夫人が軍人の道に歩む事になったのは女子ギムナジウムでの軍事教練において訓練相手のチームを偶然撃破した事が切っ掛けである。そのチームは所謂武門貴族の子女だけが通う女子校なのだが……そのチームがケッテラー伯爵家縁の者達、仕える従士家の子女達で構成されていたりする。というか相手チームの隊長が私の許嫁の付き人だったりする。

 

 当然ながらそんな付き人をいつまでもおける訳がない。私がシェーンコップ大尉を食客にしたと知れた途端にその付き人は許嫁の傍から外されたらしい。向こうにも面子がある、同じ武門の出に接戦で負けたなら兎も角クロイツェルのような新参者に泥仕合の果てに偶然負けたのだ、婿の食客の妻がその相手となれば帝国貴族の感性では外されるのは当然であった。

 

 いや、それだけならばまだ良い。問題はそれ以外にも私が相手の気分を害していそうな事を思いのほか積み上げ続けている事だ。

 

 どうやら士官学校のシミュレーションの席で私がケッテラー伯爵家を軽くディスった事も伝わっているらしいし、ノルドグレーン中尉が反乱兵士に拉致られた時にはケッテラー伯爵家の領地たるフローデン州の州軍に事実上の圧力をかけた。第四次イゼルローン要塞攻防戦の時には全てをうやむやにするために分家出のケッテラー大将に横柄な態度を取った。

 

 ………ご免流石に笑えて来たわ、役満じゃねぇか。これで嫌われない方が可笑しいですわ。というかノルドグレーン中尉の件とか内心すんなりいけて可笑しいとは少し思っていたよ、流石にこういう理由とは思ってなかったわ。

 

 私に婚約相手の家がどこか話が伝わったのは第四次イゼルローン要塞遠征に参加する少し前である。しかしこの手の話は大概本人に伝えられる数年前位から交渉や根回しが始まるものだ。つーかカプチェランカから実家帰った後の祝宴で向こうの夫人いたのってそういう意味かよ、あれこの人親戚にうちの親族いたっけ?とか思ったりもしてたけど親族どころか義母だよ、娘の相手観察しに来ていたよ、観察されたんじゃん私!絶対内心「援助いるからって足元見て無茶ぶりとか嫌がらせしてきやがって糞餓鬼め」とか思ってたパターンだよあれ!

 

「新手のコントですかな?」

「いっそ、本当にコントならいいんだけどな」

 

 現実は非情で全て事実であり、今更悪足掻きに婚約破棄も難しい。ここまで知れ渡った後に破棄すると相手の面子を潰す事請け合いだ(え?もう潰しきっている?やめろ)。

 

「さて、では私はそろそろ退散するとしましょうか」

「うん?……ああすまんな、手間をかける」

 

 シェーンコップ大尉のいきなりの言葉に一瞬怪訝に思うが、すぐにその意味を理解して軽く謝罪する。  

 

「いえ、このくらいは。では……」

 

 不敵な笑みを浮かべ大尉はこちらに近づく人影に気付きそそくさと料理の並べられているテーブルの方へと逃亡する。暫く軍の大雑把な味ばかり口にしていたため今日は舌を楽しませる事を優先するようだ。

 

 私は主人をおいて退散した食客を一瞥した後振り向いてこちらに向かう一同に顔を向ける。

 

「ぶひっ……やぁ、少佐楽しんでくれているかね?」

 

 油臭さを香水で隠しているのか妙に花の香りが漂う豚野ろ……クレーフェ侯爵がまず口を開く。

 

「ええ、侯爵の御厚意には頭が下がる思いで御座います」

 

私は恭しく頭を下げ謝意を示す。同じくベアトとノルドグレーン中尉も頭を下げ主人同様に謝意を示す。

 

「あらあら、いいのよぅ?この人が好きで行っているのですから。ヴォルターさんもそう硬くせずに気楽にしてくださいな」

 

 そう語るのは糞ぶ……クレーフェ侯爵の半分位の背丈の女性だ。艶やかなブルネットの長髪に赤いドレスを着こなした女性は顔立ちの幼さもあってギリギリ十代半ばの子供に見えない事もない。母の学友でもあるクレーフェ侯爵夫人は、夫と並ぶと犯罪の香りがするのが正直な所だ。実際ハイネセンポリスの街中を歩いて通報された経験がある。

 

「そうそう、そう言えば先程までグラティアさんもお話ししていたのだけれど、すぐハイネセンポリスを離れるのかしら?」

 

 ほわほわとした口調で夫人は後ろに控えるグラティア嬢に目をやる。先程まで挨拶回りでクレーフェ侯爵夫妻の下にいたのは知っているがそのままこちらに来たらしい。グラティア嬢は私と目を合わせると恭しく礼をする。

 

「ええ、といっても同じハイネセンですよ。南大陸のヌーベル・パレの近くです。飛行機で半日程ですから然程遠くではありません」

 

 実際星から星に渡る時代、同じ惑星内の移動なぞすぐ近く同然だ。まして首都星となれば安全は確約されたも同然だ。……多分。

 

「よく私に御手紙を下さいますよ?軍功を求めるのは武門の家柄として立派な姿勢ですが、御母様はヴォルターさんの事を良く心配しておりますからくれぐれも御無理はしないで下さいね?」

 

 夫人は心底心配そうに尋ねる。母からの手紙で相当私の事が書かれているのだろう。

 

「善処致します」

「その言葉は何度も御聞きしたと御母様から聞いております。グラティアさん、貴方からも一つ仰って下さいな」

 

 私の返事に今一つ信用出来ないのか侯爵夫人は私の婚約相手に話を振る。

 

「………浅学な私から注意なぞ出来よう筈もありません。ですが貴方様に軍務の中で御怪我が無く、武功を挙げられるように日夜戦神と運命神に祈りを捧げております。ですのでどうか次もまた息災で顔を御見せくださいませ」

 

 グラティア嬢は一瞬控える護衛を見、すぐさま私に目を合わせると淡々と、静かにそう私の無事を願う言葉を紡ぎ出す。尤も硬い表情か、釣り目がちの目のためかどこかその言葉も義務的なものに見えてしまう所があったが。

 

「ほら、グラティアさんもこう言っているわ。御母様も、グラティアさんも心配するのだから本当に無理をしてはいけませんよ?」

「……ええ、分かりました」

 

 許嫁の態度に見える棘に気付いていないのか、侯爵夫人はそう私に語り、私が苦笑しながら改めて返事すれば満足げに頷き、夫を連れてほかの出席者の下に挨拶に向かう。

 

「………どうかなさいましたか?グラティア嬢?」

 

 侯爵夫妻が立ち去る中、一人残る少女に私はにこやか(に出来ていると思いたいが)に尋ねる。

 

「……いえ、貴方様……ヴォルター様の次の勤務先はハイネセンの南大陸で宜しいのですね?」

 

 一瞬目を反らして何か考える素振りをした後、確認するように問いかける少女。

 

「ええ、ヌーベル・パレの郊外ですのでここにならば半日あれば来れる位の場所ですね。これまでは遠征等で遠方にいる事が多かったですが……南大陸でしたら二、三日で手紙が届きますので当面はすぐに返信出来ると思いますよ?」

 

補足するように私は説明する。

 

 帝国貴族の婚約では直接何度も会うのは簡単ではなく、しかもテレビ通信などは風情が無いとされるために高級紙に万年筆や羽ペンで手紙を書いて文通するのが常識だ。手紙や茶会等で数年かけて仲を深めて互いを理解する、なんて事もある。尤も多くの場合は互いの親族が事前に調査して相性が良いかを調べるので性格や価値観が合わない、というのは通常なら珍しい事だ。

 

まぁ、今回のように相性より政治を優先すると合わない事も多いがね。

 

「そうですか、では早速ですが帰宅した後手紙をお出しさせて頂きます。それはそうと………本来ならばこの場合夫となられる方の側を離れるべきではないのでしょうが、まだ出席する皆様への御挨拶が終わっておりませんので一旦この場は離れても宜しいでしょうか?」

 

 謝意を示した後、しかし少し言いにくそうに婚約者である私にそう伺いを立てるグラティア嬢。そこにはどこか緊張と疲労が見える面持ちがあった。

 

「構いませんよ、今回の宴会は少し出席者も多いですから。まだ社交界に出て日の浅い身では疲れるでしょう?ついでにどこかで休息をとっても良いと思われます。世話役に従士を一人お付けしましょうか?」

 

 実際数年前に社交界に出たばかりで慣れない身であり、親は同伴していない。しかも元より従士不足気味のケッテラー伯爵家で、私のせいで信頼する付き人が一人外されこういう場で頼れる者が少ないであろう彼女に私は提案する。同じ女性という事もあり比較的気兼ねなく使える筈であった。

 

「いえ、御厚意は有難いものですが問題ありません。会場の外にこちらの奉公人がおりますのでお気持ちだけ受け取らせて頂きます。では失礼致します……」

 

 ドレスの裾を持ち上げ。歳に似合わず優美にそう礼をすると身を翻して退出する。メインの会場を出ると恐らく奉公人であろう、人影が数名駆け寄るのが見え、伯爵令嬢は彼らに何やら口にして指示しているようであった。

 

「本当に従士が不足しているようでございますね」

「そのようだな」

 

 祝宴の席に奉公人を連れていくのは可笑しくないが、招待された者でなければ奉公人は会場に入る事は出来ない。会場内に入れる部外者は使用人や護衛としての従士や帝国騎士くらいだ。つまり下級とはいえ貴族でなければならない。クロプシュトック事件で赤毛ののっぽさんが会場に入れなかったのと同じ理由だ。単純に代々仕えているために信頼出来るという事以外にこうした公的行事に列席させたり、あるいは遣いや代理として手足のように使える従士は重要である事が良く分かろう。

 

「担保、ね……」

 

 何やら指示を終わらせて再び一人になった令嬢が一人大理石の廊下に佇む姿は私と相対していた頃の隙の無い態度とはうって代わりどこか儚げで、頼りなげで、辛そうで、寂しげに見えた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 11月4日1030時、私はハイネセン南大陸ソヴュール航空軍基地に到着した。同盟地上軍が制式採用するアウグスタ大気圏内戦略輸送機による一一時間のフライトの末の事である。

 

 ハイネセン南大陸は平地が多く、気候は比較的温暖、そのために惑星ハイネセンにおける穀倉地帯を形成している。主要な都市は大陸北端にあるハイネセン最古の都市ノア・ポリスのほかトロサ、ルグドゥヌム、クラムホルム等が挙げられる。

 

 西ガリア州の州都たるヌーベル・パレはハイネセン南大陸最大の都市だ。人口一四〇〇万人、サジタリウス腕における芸術の都と称されるだけあって芸術系の大学が多く置かれるほか美術館、博物館、劇場、図書館が市の中心部に軒を連ね、歴史ある出版社や劇団等が本拠地を置く。この街で毎年開催されるサジタリウス腕映画祭は銀河三大映画祭の一つだ。

 

 ヌーベル・パレ市の星道24号線を航空基地で用意された出迎えのジープに乗って私は進む。

 

「若様と私は共に参事官補、ノルドグレーン中尉は事務スタッフ収容所司令部付ですね、実質的にはほぼ同じ場所の勤務と見て良さそうです」

 

 ジープの後部座席で弾除けとして従士二人に左右を固められた状態の私は右側のベアトの報告を聞き頷く。

 

「まぁ、そんな所だろうな。御上からしても下手に離してトラブルは避けたいか……」

 

 そもそも参事官という役職がかなり形式的な職だ。

 

 一応行政組織は軍部における参事官は所謂一部局における事務スタッフの総括、という扱いだ。より正確には所属部局における重要事項の企画・提案を行い上司の職務を補佐する……というのが建前だ。

 

 だが実際の所それが機能している所は中央の花形部局だけで大半の、例えば今回向かう捕虜収容所のような同じ事務を延々とローテーションするような場所では正直やる事はそう多くない。捕虜収容所で何を企画提案しろってんだよ。  

 

 まして参事官補となると所長を補佐する参事官を補佐する役割、ノルドグレーン中尉の司令部付も具体的任務はなく普段は事務の補助する程度だ。レベロ議員が参事官職及びその関連職の一部を不要として廃止を主張するのは然程可笑しくはない。少なくともこ今回の捕虜収容所に関して言えば……。

 

「ですが今回の任務は別にあるので御座いますね?」

 

ノルドグレーン中尉が指摘する。

 

「ああ、捕虜収容所の者達をリクルートしろとの事らしい」

「成る程、我らが亡命政府の協力者をリクルートする訳ですね?」

「まぁ、そんな所だな」

 

 ベアトの解釈を私は大方肯定する。尤もそれもまたベアト達に対する形式上の説明だ。

 

 無論間違っていないが、より正確に言えば今後の同盟軍と同盟政府にとって極めて政治的利用価値の高い人物の協力をどこの派閥の介入もなく得る事が此度の首都星の捕虜収容所勤務の役目であった。任務の性質と従士の優秀さからどこまで隠せるか怪しいものではあるが……最悪口止めを命令するしかあるまい。

 

「……見えて来たか」

 

 無人ドローンが遺伝子改良に改良を重ねた小麦畑を収穫する中を貫いた星道の先、薄っすらと灰色の塔が見えてくる。ヌーベル・パレ郊外より約三〇キロ、クラムホルムとの間に設けられた自由惑星同盟軍サンタントワーヌ捕虜収容所であった。

 

 

 

 

 

 自由惑星同盟軍における捕虜収容所の歴史は対帝国戦争以前に遡る。

 

 グエン・キム・ホアを初めとした建国者世代による建国期より世代交代した時期、ハイネセン及びその他の長征組分離集団からなる自由惑星同盟は一つ目にはサジタリウス腕に乱立する諸勢力からの自衛のため、二つ目にはその連合体制の維持のための敵を欲して、三つ目には帝国に対抗するための急速な国力増進を求めて、四つ目にはその市場の拡大を目指して軍事的・経済的・政治的に拡張政策を開始した。所謂拡大期と言われる時期である。

 

 当時サジタリウス腕に存在する諸勢力の技術力は決して高いものではなかった。寧ろ連邦末期に比べ衰退し、最も文明を維持していた勢力でさえその技術水準は西暦末期から銀河連邦建国期に達するかどうかと言うものであった。誤解される事もあるが銀河帝国は表面上は銀河連邦時代に比べ技術が衰退しているように見られるが実際は宇宙船の三大技術である超光速航行・重力制御・慣性制御技術は当然として高度な製鋼・化学産業技術に惑星改造技術、有角犬の例に見られるような遺伝子改良技術、オリオン腕全体に広がる超光速通信インフラ「ライヒツネッツ」等最盛期の銀河連邦の技術水準の維持に成功している。

 

 そしてアルタイル星系から脱出した者達は帝国の技術を半世紀に渡る長征の中で維持しており、技術的にはサジタリウス腕諸勢力を圧倒し、それは自由惑星同盟の拡大において極めて有効に作用した。

 

 その中で現地勢力との統合は可能な限り平和的に行う事が方針とされながらも軍事的威圧、更には軍事衝突、それによる半強制的な統合があったのも事実だ。最初期の捕虜収容所はこれらの勢力からの捕虜を一時的に収容する目的で設けられていた。同盟への統合が目的の拡張であるが故に捕虜に対しては劣悪な環境に置く事は許されず、また同盟体制への印象を好意的にするための啓発活動が盛んに行われていたと記録される。

 

 ダゴン星域会戦による対帝国戦争、その初期において捕虜収容所はその本来の目的よりもより野蛮な監獄として機能した。ダゴン星域会戦では帝国軍は宇宙艦隊のみで人員四四〇万八〇〇〇名、後方で待機していた地上軍を含めた場合八〇〇万近い戦力が動員され、そのうち宇宙艦隊だけで九割以上、地上部隊も三割近い損害を生んだがその殆んどが降伏せずに文字通り戦死によるものであった。

 

 ダゴン星域会戦が別名「ダゴン殲滅戦」と謂われる所以は帝国軍が投入戦力の殆んどを失ったからであることも理由であるが、絶望的状況において尚、帝国軍が執拗な抵抗を続けたためだ。同盟側の降伏勧告を受け入れずある艦は戦闘の末撃沈し、ある艦は皇太子たるヘルベルト大公を逃すための肉壁となり爆散し、ある艦は鹵獲され反乱軍に再利用される事を恐れて自沈した。同盟軍に捕虜となったのは三万名程度でしかない。それとて多くが偶然捕虜となった者が大半で自ら投降した者は全体の一割もいなかった。多くの捕虜は反抗や自殺し、同盟側は情報収集のための当初懐柔、後に尋問、最終的には事実上の拷問と拘束が行われた。

 

 帝国が同盟を主権国家と認めず、帝国軍が将兵に対して改めて降伏を認めない布告を出すと同盟も国力的な余裕が無い事と実際の捕虜の拘束の困難さから事実上の全滅戦争を行う事が多くなり、両軍の戦闘における捕虜は極一部を除いて発生しない、あるいはその場での殺害が行われるようになる。尤もこの時期は両軍共に距離の暴虐がある故に惨劇は国境地帯に限定されてはいた。

 

 コルネリアス帝の親征は一つの転換点となった。正規軍のみで二六〇〇万に及ぶ大軍の侵攻により各地で両軍の数千、数万規模の捕虜虐殺が頻発した。特に帝国軍の起こした「ダゴン四〇万人虐殺」、宮廷クーデターによる帝国軍の撤収で取り残された帝国軍三〇万名を同盟軍が移送中に殺害した「バーミリオン虐殺事件」は有名だ。

 

 最終的に三年に及ぶ親征により同盟側は軍民合わせて一億四〇〇〇万、帝国側も前線での戦闘に占領地でのゲリラ戦やテロ、暗殺等により高級軍人及び行政官として同行していた門閥貴族だけでも三桁、全体では軍官民合わせて一一〇〇万人もの犠牲者を生む事となり、両国は戦時法無き全滅戦争の危険性を今更のように理解する事となる。

 

 フェザーン自治領の成立と共に間接的にであれ両国が外交チャンネルを得ると捕虜の扱いを含んだ戦時法が結ばれる事になる。帝国もこれ以降軍令が段階的に緩和されるようになり次第に兵士の投降事例は増加する事になる。同盟も捕虜の増加や反抗事例の減少により捕虜の待遇改善が行われ、更には帝国に対する文化攻勢としても利用する事になる。

 

 捕虜収容所で捕虜となった帝国兵に民主主義についての講義を行う等による啓発活動、更に捕虜交換により帝国社会への民主主義思想の伝播を同盟政府は計画した。原作でも語られるように「民主主義の良さを知らしめるために捕虜を厚遇してきた」と言う訳だ。尤も帝国側はそうして帰還した兵士達を民主主義思想に汚染されたとして矯正施設での「再教育」を行っているわけであるが。

 

 宇宙暦715年に開設したサンタントワーヌ捕虜収容所は彼の猛将バルドゥング提督が収監されていた事で有名な捕虜収容所であり、宇宙暦787年12月の時点で将官・佐官・尉官を中心に六五〇〇名を収容、数ある同盟の捕虜収容所の中でも最重要施設の一つとして認定されていた。

 

「その理由は理解しているかね?」

 

 所長執務室で着任した私達にサンタントワーヌ捕虜収容所所長リーランド・クライヴ准将が尋ねる。

 

「本収容所の捕虜の多くが帝国社会における上層階級に属する者であるため、と理解しております」

 

直立不動の体勢で私は答える。

 

「うむ、その通りだ。どうやら予習はしているようだな」

 

 クライヴ准将は満足そうに頷く。本捕虜収容所に着任する前に捕虜収容所に対するガイドラインや関連資料・書籍については一応読破している。

 

「この捕虜収容所はエコニアやジャムシードのような場所とは毛色が違う。ここに着任する者はこの捕虜収容所の文化や自治組織に驚く者も多いが………貴官ならばすぐに順応出来よう。各部署に挨拶した後は自治委員会に顔出しすると良い。手土産は持参しているね?」

 

所長が確認するように尋ねる。

 

「はい、こちらに。帝国暦430年物の赤を用意してきました」

 

 私が口でそう答えると後ろに控えていたノルドグレーン中尉が手に抱える木箱を見せた。所長が頷く。

 

「うむ、それならば良い。私よりも貴官のほうが良く理解していると思うが……くれぐれも彼らへの態度には注意をしてくれるかね?彼らは貴重な道具であり、情報源だが、極めて気難しい。慎重に接してくれたまえ」

「承知致しました、お任せ下さい」

 

 私は所長の注意に敬礼でそう悠然と答えた。それは自信ではなく事実から来る態度であった。

 

 所長との顔合わせの後、指示に従い司令部に詰める副所長、警備主任、参事官等に挨拶を行い、その後収容所の捕虜収容区画に向かい自治委員会に訪問する。

 

「が、まさかここまでとはな」

 

 自治委員会の本部がある部屋に入室するが、そこは到底捕虜収容所と言えるものではない。絹の絨毯が敷かれ、天井に水晶のシャンデリア、高級家具が置かれ、壁にはルドルフ大帝の肖像画、部屋一杯に漂う淡いアルコールの香りにスーツ姿の従卒、ワイングラスを手にソファーの上で議論し、チェスをし、ピアノとバイオリンを弾く豪奢な衣装の捕虜達、それらを見て捕虜収容所なぞと想像出来る者はおるまい。

 

 サンタントワーヌ捕虜収容所自治委員会本部はさながら貴族のサロンであった。いや、実際ここにいる者の大半が門閥貴族とそれに準ずる身分の者達である事は明らかであったから事実サロンと呼んで良かろう。これがこの捕虜収容所が特殊と言われる一因であった。確かに生粋の同盟人ならば困惑するであろうが、私にはこの程度のものは見慣れてしまっていた。

 

「失礼、本日付けでここの参事官補として着任したフォン・ティルピッツ少佐だ。本自治委員会委員長ボーデン伯爵は何処におられるか?」

 

 私はこちらに駆け寄る従兵に対して門閥貴族らしく尊大に尋ねる。私に警戒の表情を持って近づいていた従兵は次の瞬間には驚愕と動揺の表情が見て取れた。先程までの警戒を解き恭しく礼をすると従兵はサロンの一角に駆け寄り優雅にワインを嗜む老紳士の一人の下に向かい、耳打ちをした。

 

『諸君、静粛に!』

 

 老紳士が流暢な宮廷帝国語で叫ぶ。同時にその場は静まり返った。討論をしていた紳士達も、演奏をしていた士官達も手と口を止め、静かにこちらを見つめていた。

 

『……来たまえ、青年よ』

 

 老紳士……サンタントワーヌ捕虜収容所自治委員会委員長ボーデン大将は私に向け手招きをする。従士を従えて私は大将の下に歩み寄り、その目の前に立つ。何十という視線が私を見つめる中、私はベレー帽を脱ぐと宮廷帝国語で恭しく挨拶をした。

 

『武勇と智謀で名高きボーデン伯爵、お初に御目にかかります。ティルピッツ伯爵家が本家、アドルフの息子ヴォルターです。此度はこちらの参事官補として着任致しましたのでその御挨拶に訪問をさせて頂きました、こちら御挨拶についての持参品で御座います』

 

 その言葉と共に控えていたノルドグレーン中尉が一歩前に出て帝国産430年物の赤ワインのボトルの入った木箱を差し出す。

 

 しかし一般庶民にはまず手の届かないボトルを前にしても齢八〇越えの大将は関心も示さずに値踏みするようにこちらを見やる。

 

『……ティルピッツか。初代の名は?』

『コレリアが軍人家系のオスヴァルトです。家紋は赤の盾に百合、帝室を支える鷲獅子です』

 

私はすらすらと当然のように答える。

 

『………驚いたの、あのティルピッツか?分家筋ではなかろうな?』

 

 感嘆するように、しかし半分疑うように尋ねるボーデン大将。

 

『無論本家筋です。母はバルトバッフェル本家とアルレスハイムの出です。証拠は必要で御座いますか?』

『………いや、その物腰と口調は数年訓練した程度では習得出来まい、それに胸元の勲章。……成程、どうやら本人のようだの』

 

伯爵は納得したように答える。

 

『この収容所でも多少は世間の噂は入ってくるものじゃ。卿の話も少しばかり耳にしておる。非礼を謝罪しようティルピッツ少佐、アルフレッド・フォン・ボーデン伯爵だ。同胞にして高貴な血筋の客人を我々は歓迎しよう』

 

 そう言って手を差し出すボーデン伯爵、そこには先程まで見られた不審と疑いの目はなく、文字通り「同胞」を見る瞳であった。

 

『ご厚意、感謝致します伯爵』

 

 私は恭しくその手を握り返し握手をする。それと同時にほかの者達が順番に挨拶を始め、私は宮廷儀礼に沿ってそれに応じる。彼らとの挨拶が終わると次いでワイングラスを差し出され持参品を全員で賞味し、世間話と演奏の鑑賞を行う事になる。これらは彼らが客人を歓待する際のやり方であり、それはつまり私が一先ず彼らに「対等の存在」として認められた事を意味し、同時にそれは私の表向きの任務の第一段階が達成された事を意味していた。

 

 ……ここまでは予想通りであり、大した問題は無かった。私の血筋は本物であり、その礼儀作法もまた生まれついてから教え込まれたために息を吸うように、とはいかなくとも十分に余裕をもってこなす事が出来た。だから、問題はこの後の事である。これから相対する人物が問題であった。

 

「さて、では向かうか」

 

 数時間に渡る自治委員会からの接待を終え夕刻頃、私達は収容所の廊下を進み漸く本来の目的の人物の元に訪問する。サンタントワーヌ捕虜収容所の西第八棟二号室、そこに私は従士二人を控えさせて佇む。

 

「本人は偽名を口にしているが、まずここの主が名のある一族の出であるのは間違いない。二人共、よくよく礼を持って応対してくれ」

 

 扉をノックする前に私は二人に釘を刺す。本人はフォンの付かない名を名乗っているがその実その血が帝国社会においても特に高貴な者である事は調査でほぼ確認していた。下手に礼を失(しっ)した態度で相手の気分を害したくはなかった。

 

「了解しました」

「はい、承知致しております」

 

 ベアトとノルドグレーン中尉がそれぞれその注意に答える。私は二人の返答を確認すると首元のスカーフとベレー帽を整え、静かに二回扉をノックして宣言した。

 

『本日付けで本収容所の参事官補として着任したヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍少佐です。大佐への御挨拶を申し上げたく訪問させて頂きました。どうかお目通り願いたいのですが入室をお許し頂けないでしょうか?』

 

 私は宮廷帝国語で完璧な形式でそう願い出る。これは相手への礼であると共に訪問を断られないためのものだ。宮廷では噂は一日で広がると言われるがそれはこの捕虜収容所も同じで既にここにも私の存在とその出自は届いているだろう。

 

 そしてその私がここまで下手に出て願い出た訪問を拒否する事はあり得ないし、したとしたら悪評としてこれまた一日で捕虜収容所全体に広がる筈だ。この部屋の主人としても、そのような事をしても住みにくくなるだけで得となる事は一つもない。故に断られる事はあり得ない。

 

『………宜しい、入りたまえ』

 

 呼びかけに暫し沈黙した後、優美な宮廷帝国語の返答が戻ってくる。私は従士達に目配せした後、ゆっくりとドアノブを掴み扉を開いた。

 

 少し狭く、決して上等とはいえない部屋にあるのは机と椅子のセットが一つにテーブルとソファーとそれを挟むようにソファーが二つ、食器や小物を入れた硝子棚が一つ、そして何より目を引くのは書籍の山であった。計三つの本棚には書籍と何かしらの資料を挟んだファイルで埋まり、それでは少し足りないようで机やテーブルにも幾らか積み上げられていた。壁紙なぞない殺風景で少し汚い部屋……しかし、よく見れば限られた空間を最大限有効活用した家具の配置である事が分かる。

 

『……噂はもう伝え聞いているよ。確かどこぞの伯爵家の長子のようだね。このような小汚い部屋に上げるのは恐縮だが許して欲しい。委員会の御偉いさん達と違い着飾る余裕なんてないものでね』

 

 そう口を開くのは机の上で何やら執筆している捕虜であった。自治委員会上層部のそれと違い支給された一般の味気ない捕虜服姿、しかしその後ろ姿は背筋がきりっと伸び、一目で気品に溢れたものであると分かる。

 

『いえ、構いませんよ。貴方がシュミット大佐でしょうか?』

『ええ、その通りです。ああ、すみません。今手を止めます。飲み物はいかがですか?珈琲と紅茶……と言いましても市販のインスタントしかありませんが』

 

大佐は木彫りの机に羽ペンを置くと立ち上がり、硝子棚に向かいカップと給湯器を取り出し始める。

 

『では、紅茶を御願いしても宜しいですか?』

『分かりました、少々お待ち下さい』

 

ここでようやく大佐は振り向いて、私達に顔を見せる。

 

 豊かな黒髪に白い肌、知的で線の細く端正な顔立ちは学者風、優雅な物腰はその育ちの良さを証明するが、どこか厭世的で達観したような印象を受ける。

 

『ああ、自己紹介が遅れて申し訳御座いません、ティルピッツ少佐。もう御存知でしょうが私がこの部屋に住まう自治委員会書記のハンス・シュミットです。余り誇れる身ではありませんがどうぞお見知りおき下さい』

 

 自称をハンス・シュミット大佐、そして恐らくは実名をヨハン・フォン・クロプシュトック……権門四七家にして宮中十三家が一つ、そして今では凋落しつつある名家クロプシュトック侯爵家の末裔の男性は、微笑みながら我々を紳士らしく迎え入れた。

 


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