仮面の理   作:アルパカ度数38%

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第四章 斜陽編・前 戦闘機人事件 新暦67年 (空白期)
4章1話


 

 

 

 ぽつりと。

頭の上に、僅かな感触。

 

「雨……か?」

 

 見上げてみると、空は厚い雲に覆われており、言った通りに雨が降り始めてもおかしくない様子だった。

そのまま視線を下げると、朽ちたコンクリと鉄骨の塊が視界に入る。

所々にヒビの入った建物は、塗装が剥げ、灰色のコンクリを顕にしていた。

その表面には度重なる雨の痕なのだろう、暗い灰色が垂れたペンキのような柄を付け加えている。

大通りの真ん中の道は所々ヒビ割れや隆起した痕があり、歩きやすいとはとても言えない。

見慣れたミッドチルダ廃棄区画の光景であった。

人気がない所が良かったとは言え、散歩先にチョイスするには我ながら最悪のセンスだったに違いない。

リニスに押し切られたとは言え久しぶりの休養日なのだ、もう少し別の場所へ行けば良かったと今更ながらに思う。

勘に従って歩いてきたのだが、珍しく碌な場所にたどり着かなかった。

 

 憂鬱な光景に、思わず溜息。

ついでに天気予報になかった雨も憂鬱で、憂鬱さが二乗になり、溜息も長いものとなる。

傘を持ってきていないので、せっかく新調したばかりの黒いコートが早速濡れてしまうだろう。

という事で、早速バリアジャケットを展開、雨に濡れないよう体を保護する。

などとやっているうちに雨はすぐに勢いを増し、すぐに豪雨と化した。

さながら針のように体に打ち付けて来る雨に、更に憂鬱さが増し、再度溜息をつく。

 

 ドォォン、と言う轟音が響いたのは、その直後の事であった。

思わず目を見開きながら、視線を辺りにやる。

念のため右手を胸元のティルヴィングにやりながら索敵魔法を使うと、僕の索敵範囲に一人の魔導師が足を踏み入れた。

かなり速さだが、高度を見るに陸戦魔導師か。

だが違和感を覚えるのは、アスファルトと靴裏との反響音が聞こえる割に、水音が聞こえない事だ。

常にフィールドタイプのスフィア系防御魔法を使っているのなら頷ける現象だが、そんな不思議魔法を使う理由が思い当たらない。

が、賞金首の類かもしれないし、逆に犯罪者から逃げている魔導師かもしれない。

確認に行こうと思うと殆ど同時、魔導師が大通りに入り、こちらへと一直線に走ってくるのを知覚する。

念のため、僕はティルヴィングをセットアップ。

黄金の大剣を道路に突き立て、咄嗟に握れるようにしながら望遠魔法を使用し、魔導師が視界に入るのを待った。

 

 魔導師は、青を基調とした露出の多い衣装に白いコートを羽織った若い女性であった。

脳内で、賞金リストにあった違法魔導師のバリアジャケット姿と重ね合わせると、ほぼ一致する。

確か、アイオン・ヴァンガードと言う名のAAランク相当の陸戦魔導師で、水を操るレアスキルを持つ事が確認されていた。

そのレアスキルを生かして雨の日にのみ強盗を重ね、対魔導師戦で殺人を犯した犯罪者である。

僕はティルヴィングを道路から抜き、両手で構え、待機状態で直射弾を精製。

発射前の状態で、現在の僕の発動上限である30を配置する。

魔力の動きに感づいたのだろう、動きを鈍らせるアイオン。

だが広い道路の真ん中を走っていた事もあり、横道に向かうまでに射撃を受けるのを嫌ったのだろう。

結局直進し、僕を視界に入れると同時に声を上げる。

 

「そこを退きな、坊主……って。

黒衣に黄金の巨剣、まさか……!」

「賞金稼ぎ、ウォルター・カウンタックだ。

大人しく俺の臨時収入になるか、ボコボコにされてから俺の臨時収入になるか、選ぶといいさ」

「今日は厄日か……!」

 

 アイオンが逃げようとするよりも早く、直射弾が放たれた。

欲を言えばフェイトやリニスのようにスフィアから弾幕を打ち続ける事もできるようになりたいのだが、僕はスフィア保持の魔法が苦手なので、それはできない。

その為僕は次なる直射弾をマルチタスクで展開準備しつつ、反撃の様子を見逃さないよう観察する。

するとアイオンは、僕の直射弾をも飲み込む砲撃を放ってきた。

水色の魔力光がこちらに飛んでくるが、流石に魔力量が違う僕の防御を抜くには威力不足だ。

掌を差し出し防御魔法で防御すると、やや重い感触と共に砲撃に耐え切る事ができる。

が、直後妙な水音と共に、悪寒が僕の背筋を走った。

 

『縮地発動』

 

 咄嗟に高速移動魔法を発動し、空中に踊りだす。

見れば寸前まで僕の居た場所が、水でできた槍に貫かれていた。

直後槍は、バシャンと言う音と共に大量の水と化し、再び道路を覆う水幕の一員となる。

なるほど、これを見ればアイオンのアドバンテージというものがよく分かった。

雨の日であればバリアの内側の水を操る事により、防御を抜いた攻撃ができるのだ。

雨の日にバリアジャケットに耐水性を付与していない奴は居ない為、バリアジャケットをも抜いて一撃必殺とはならないが、かなりのダメージになるのは間違いない。

そして自然を操る魔法は、その原理上非殺傷設定ができない。

対魔導師戦闘で局からの追撃が激しくなる殺人ばかりなのが気になっていたが、その為なのだろう。

 

 状況は依然変わらず、僕が雨水をバリアジャケットに貼りつけたままなのは変わらない。

球形の防御魔法であるオーバルプロテクションは、僕自身が攻撃できなくなるので却下だ。

が、今ので水を操る魔法の前兆は捉えた。

高速移動魔法を使わずとも、二度と水を操る魔法による不意打ちは食らわないだろう。

 

 が、アイオンは観念する事なくこちらに射撃魔法を打ちながら走ってくる。

近接メインの魔導師と知られる僕に、後衛っぽいアイオンが向かってくるのは少し意外だった。

やはり追われているのだろうかと思い、それなら足止めに終始したほうが確実か、と僕は再び地面に足をつける。

陸戦魔導師の進行を止めるのに空戦魔導師が取る手段は弾幕かバインドか陸戦近接かだが、僕が最も得意とするのは近接戦闘である。

よってティルヴィングを構え、水を操る魔法に即時対応できるようにする僕。

 

「集まれ……!」

 

 静かな叫びと共に、アイオンの杖に水が集まった。

単純な、攻撃力を補うための水を操る魔法の使い方だろうか?

だとしても、手に持てる重さである時点でそれほどの威力ではないのは明らかだ。

安易な行為だと眉をひそめつつも、僕は違和感を感じた。

本来ならデバイスを弾き一撃入れて倒す所なのだが、高速移動魔法で後退する。

直後、轟音。

破砕されたアスファルトが宙を舞うのを見ながら、僕はカートリッジを使用する。

 

『断空一閃、発動』

 

 機械音と共に袈裟懸けに切り下ろす一撃が、大ぶりの一撃で硬直したアイオンを打ちのめした。

地面に投げ出されるアイオンと、カラカラと音を立て転がるデバイス。

油断せずにマルチタスクで直射弾を用意しながらバインドを発動し、気絶したアイオンを拘束する。

やれやれ、と溜息をつき、僕は小さく肩を竦めた。

 

 最初の一撃が弱かったのは、油断を誘うためか距離に威力が反比例するかなのだろう。

そうやって相手を油断させ、二撃目の近接戦闘ではデバイスに限界量の水を集めて攻撃。

恐らくはデバイスを構える為に、デバイスに飛行魔法を使ってまでの一撃だったのではないだろうか。

流石に背筋が寒くなりはするものの、判っていれば簡単に勝てる相手だった。

アイオンは極端な例だが、矢張り体系的な技術を学んでいない在野の魔導師は、こういう一芸に頼る傾向にある。

僕も手に入れたデバイスがティルヴィングではなく、もしくはそれを教師とする事に疑問を持っていれば、こうなっていたのかもしれない。

そう思うと、何ともいえない気分になるのを避けられない。

 

 苦みばしった顔で少し待つと、雨音に混じって複数の足音が響く。

やれやれ、と溜息をつきながら視線をやるよりも早く、聞き覚えのある声。

 

「管理局です、ご協力感謝します……って、あれ、ウォルター君?」

「……クイントさん?」

 

 こちらに走ってきた人は、青い髪にエメラルドの瞳の女性、クイントさんだった。

彼女と賞金稼ぎとして出会うのは、ムラマサ事件以来の事である。

予想外の相手に目を丸くしてしまうが、そういえばクイントさんはエリート地上部隊の副隊長だった。

ならばこうやって出会う事もあり得るのか。

そういえば勘に従って歩いた割に良い事が無かったが、彼女との出会いが良い事だったのだろうか。

そう思うとなんだか気恥ずかしい感じで、兎に角と僕は事情を話す為に口を開くのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「たぁぁっ! はぁぁっ!」

「よっ、ほっ……」

 

 朝日に照らされた、昨日の雨の跡が残る公共魔法練習場の一角。

冬の始まりを告げる寒空の下、肌を刺すような冷気の中に鋭い声が響きわたっている。

裂帛の気合で攻撃を打ち込むギンガと、軽い声と共にギンガの攻撃を避けるウォルターであった。

将来管理局員になりたいと言うギンガだけあって、既に彼女は基礎的な身体強化魔法を使いこなしている。

その技量は2年前とは違い、ウォルターも割と真剣に向き合わねば身体能力で押し切られかねない程の技量に達していた。

とは言え相手をするウォルターとて徒手は専門外である、母にはまだまだ及ばぬ物であるが。

 

 そんな光景を、クイントとスバルと並び、リニスはじっと眺めていた。

目を細め、膝の上においた手をぎゅ、と握り締める。

昨日、休養日だと言うのに戦闘を行ったウォルターに、合流したリニスは一頻り説教をした。

その後面倒な書類に記入し、戦闘記録を提出した後、クイントがウォルターとリニスを自宅に招待する事となる。

ウォルターは年に一度はクイントと顔を合わせており、数カ月前、秋が始まる頃にも顔を合わせていたが、それとは別の誘いであった。

嬉しい癖に表面上渋るウォルターを尻目に、リニスは笑顔で承諾。

恥ずかしがるウォルターを連れ、ナカジマ家に宿を借りる事にした。

 

 それもこれも、目的あっての事である。

ウズウズとしていたスバルがウォルターとギンガの元へ走り出すのを切欠に、リニスはクイントに話しかける。

 

「クイント。少し話があるのですが、よろしいでしょうか」

「いいけど、何かしら?」

 

 首を傾げるクイントに、リニスは2年前にウォルターが次々に編み出した、狂気の技を説明する。

狂戦士の鎧。

韋駄天の刃。

どちらもが人間の限界を超えた力を与えると同時に、体にとてつもない傷を残す最悪の技である。

リニスは当然、その魔法の使用には難色を示した。

ウォルターに、使わねば信念を守れぬ譲れない戦いの時以外は決して使わぬようにと言いつけ約束させたし、その約束も守らせた。

しかしウォルターの戦いに満ちた人生には、その譲れない戦いが頻繁に存在したのだ。

使えば最大で2か月近く戦闘ができなくなる韋駄天の剣の使用はウォルターとて好まなかったものの、この2年で一度だけだが使用せざるを得ない状況に追い込まれた事があった。

狂戦士の鎧に至っては、両手の指で数え切れない程の使用回数である。

筋肉の断裂や骨折を、ウォルターは幾度となく経験していた。

 

「……そして、これを不幸にも、と言っていいのかわかりませんが。

ウォルターはその傷の治りが、異常に早いのです」

 

 例えば闇の書事件での傷など、常人であれば一生物の怪我である。

いくら狂戦士の鎧によって治りやすい怪我にできたとはいえ、1月で立って歩けるようになるなど、異常もいい所だ。

それ故に。

 

「その所為でウォルターは、異常に早いサイクルで大怪我とその回復を繰り返しています。

けれど彼は、その信念のために足を止める事が無い。

私も何度か長期の休養を取るよう言っているのですが、中々聞いてくれない物で。

何とか休養日を増やしてみせたものの、それ以上は私の口から何度言っても……」

 

 溜息をつきつつ、リニスは今までの苦労を思い浮かべる。

ウォルターは、まるで何かに取り憑かれたかのように戦いに向かっていった。

いや、事実UD-182という名の亡霊に取り憑かれているのだろう。

彼が信念と呼ぶそれは、リニスの目から見て病的に過ぎた。

しかし、それを考慮したとしても、ウォルターの激戦の頻度は異常である。

ウォルターはこの2年でニアSランク十数人、オーバーSランク4人と戦っているのだ。

特にオーバーSとの戦いは次元断層の可能性のあった事件であり、その度にウォルターは数億人が死ぬ可能性のあった事件を解決した英雄として表彰された。

 

 そんなウォルターを、戦闘だけでなく心身状態や日常生活のサポートをするのもリニスの仕事であった。

幸い激戦の成果で金に困る事はさほど無かったものの、代わりにウォルターは戦い続ける事を止めようとはしなかった。

リニスも正面から何度も止め、時には涙やら情やらを使って止めようとしたが、それはウォルターの精神的負担を増すだけであった。

そこでリニスが思いついたのが、クイントの手を借りる事である。

元々、ウォルターが最も心を開いている相手はリニスとクイントの2人だ。

なのは達にも少なからず心を開いているが、ウォルターの信念を僅かでも曲げられる可能性があるのはこの2人しかいない。

そこでリニスは、クイントにウォルターの現状を話したのだが。

 

「…………」

 

 暫し考え込んだ様子だったクイントが立ち上がり、ウォルターの方へと向かう。

3人に首を傾げながら名前を呼ばれつつ、ギンガとスバルを避けてウォルターの前へ。

大分背が高くなり、クイントが僅かに見下ろす程度で視線が合うようになったウォルターへと、視線を落とす。

困惑したウォルターが口を開いた。

 

「あの、どうしたんだ、クイントさん?」

「えい」

「~~っ!?」

 

 ごづっ、と物凄い音を立て、クイントはウォルターの頭蓋を縦に殴る。

声にならない悲鳴をあげながら頭蓋を抑えるウォルターに、腕組みし足を開き、堂々とした態度で叫んだ。

 

「こらっ! あんまりリニスを困らせちゃ駄目でしょっ!」

「……いや、困らせているのは分かっているが、理由に心当たりがあり過ぎてだな……」

「言い訳しないっ!」

 

 と叫び、再び鉄拳がウォルターに突き刺さる。

再び声にならない悲鳴をあげるウォルターだが、当然彼が避けられなかった訳ではない。

恐らく、他ならぬクイントの拳だからこそ、自分から当たったのだろう。

だが、あれだけ自分が注意しても自分を曲げなかったウォルターが、クイントの言葉には簡単に頷くのに、リニスはちょっぴりイラッとした感情を抱いた。

ウォルターはやや涙目でリニスに向かい、頭を下げる。

 

「その、困らせちゃって、すまん……」

「いえ、いいんですよ」

 

 と答え、黙りこむリニス。

これってどういう事情なんだ、と視線で問いかけてくるウォルターであったが、リニスは知らん顔をしてニコニコと見守るだけである。

次いで秘匿念話で教えて欲しい旨を伝えられるが、リニスは笑顔で無視。

徐々に顔を不安気にするウォルターに、意地悪そうな顔でクイント。

 

「で、勿論何で謝っているのかは分かっているわよね?」

「あぁ、そりゃあ勿論」

「じゃあ、言ってみなさいよ」

 

 ウォルターからの秘匿念話は、次第に教えてくれよから教えて下さいになっていく。

ジワジワと冷や汗をかくウォルターの姿は、率直に言って情けなくて、それでいてちょっと可愛い。

その姿に溜飲を下げたリニスは、休養、特に長期休養が無い事をクイントに話した事を、同じく秘匿念話で伝える。

なんとも言えない表情をした後、ウォルターは口を開いた。

 

「大怪我以外での長期休養を取った事が無い事だろ?」

「うん、正解。って事で、半月ぐらいきちんと休んでみたら?」

 

 へ? と目を見開くウォルターを尻目に、クイントはリニスに話しかける。

 

「今の所、やってる仕事は全部キリがいい所で終わっているのよね?」

「えぇ、今直ぐ休養を取る事にしても問題ないかと」

「じゃあついでに、病院とかで改めて精密検査を受けたりとかしてみたほうがいいかしら?」

「なるほど、PT事件の時以来精密検査は受けていませんし、それもいいですね。近隣の病院を探してみます」

「あ、それだったら管理局で使ってる病院でオススメがあるんだけど……」

「ちょ、ちょっと待った!」

 

 勝手に進む話に、思わずウォルターが待ったをかける。

リニスとクイントは同時に首を傾げ、ウォルターへ視線を。

表情筋をひくつかせながら、ウォルター。

 

「俺の意見とか、そういうのは?」

「何、嫌なの?」

「嫌なんですか?」

 

 と、2人揃ってウォルターを見つめる。

視線が交錯。

ウォルターの目が冷徹さを帯びるのを、リニスは感じた。

黒曜石の瞳が、研ぎ澄まされた矛先のような鋭さでリニスとクイントを貫く。

しかしその鋭利さは僅かながら戸惑いを孕んでおり、内心では悩んでいる事が知れた。

恐らくは脳裏で、此処で一旦休養する事が信念を貫き続ける事の効率をあげられるかどうか考えているのだろう。

リニスが散々言っても首を縦に振らなかった頑固者だが、流石に信用する人間2人分の視線は堪えたらしい。

しばらく、緊迫した空気がその場に流れる。

それを察しているのだろう、ギンガもスバルも一言も喋らず、3人の事を見守っていた。

 

「……分かったよ、半月ばかし休養を取る事にする」

 

 暫らくして、ついに観念した様子でウォルターが告げる。

思わず胸をなで下ろすリニスに、ほっと溜息をつくクイント。

ギンガとスバルなど、緊張感に耐えられなかったのか、クイントに向かって抱きつきに行く。

と言っても、ギンガの方は大人ぶりたいのか母の手を握るだけに留めていたが。

 

「ったく、それならアパートを大掃除しなくちゃならねぇな」

「最近帰ってませんからねぇ……。最後に帰ったのは半年前でしたっけ」

 

 と、苦笑気味に愚痴を漏らす2人に、あら、と首を傾げ、クイントが告げる。

 

「何よ、家に泊まっていけばいいじゃない。ねー?」

「え、ウォルターさんが家に泊まるの!?」

「ウォル兄がっ!?」

 

 喜色を顕にする2人に、思わず顔を引き攣らせるウォルター。

いやいや、と掌を左右に振りつつ、口を開く。

 

「いくらなんでも、それはマズイだろ。そこまで迷惑かけらんねぇよ」

 

 と言うウォルターに同意しようとして、ふとリニスは思う。

矢張りウォルターにとって最も親しい人間は、リニスとクイントである。

実際、クイントと出会った時のウォルターは何時もよりも自然な笑顔を浮かべているように思えるのだ。

リニスは、何時かウォルターがその仮面を外しても生きていけるようになってもらいたい。

その為には、少しでも本音を漏らせる相手と仲良くなるのがいいのではないだろうか。

勿論、ナカジマ家に迷惑がかかってしまう事は確かだけれども。

 

「……クイント、ではお邪魔してもよろしいでしょうか」

「リニスっ!?」

「いいわよ、もっちろん! 家のギンガとスバルの相手もして欲しいから、こっちからお願いしたいぐらいよ」

 

 思わず叫ぶウォルターであったが、先にクイントが了承してしまう。

とすればその顔を潰すのもやり辛く、更に。

 

「ウォルターさんと、お泊り……」

「えへへ、一杯遊べるね!」

 

 キラキラと宝石のように輝く瞳を向けられ、うっ、と小さくウォルターは呻いた。

ウォルターは自分を汚れ系だと思っている節があり、その分こういった純粋な感情に弱い所がある。

それでも相手が無関係なら鋼の精神力で無視できるのだが、半ば身内だと思っているギンガとスバル相手ではそれもできない。

暫し悪あがきで視線を彷徨わせ、様々な事に思いを馳せていたようだったが、結局諦めたようで溜息をついた。

 

「分かったよ。クイントさん、長い間世話になるけど泊まらせてもらっていいか?」

「オッケー、もっちろん!」

 

 満面の笑みで告げるクイントに、ウォルターはガックリと肩を落とす。

ゲンヤの事を口に出せばもう少し悪あがきできたのだろうに、と思うリニスだったが、よく考えると彼がクイントに逆らえている所を見たことがない。

彼が妻に逆らえない事は、既に3人の共通認識になっているようだった。

哀れに思いつつも、早速リニスは通う病院のリストアップを始めるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ゲンヤさんは、僕らがナカジマ家に泊まるのに、僅かながら難色を示した。

そもそもギンガは9歳スバルは7歳、そろそろ男友達を泊めるのはどうか、というのが彼の大まかな言い分であった。

まぁ、男女七歳にして席を同じゅうせず、と地球でも言うらしいし、分からんでもない事だ。

これが親戚か何かなのなら兎も角、僕はただの友人である。

それもどちらかと言えば、ギンガとスバルの友達と言うより、クイントさんの知人としての色合いが強い。

それを泊めるというのにゲンヤさんが抵抗があるのは、仕方ないと言ってもいいだろう。

だが、そんなゲンヤさんもクイントさんのお願い攻撃に負けた。

両隣にギンガとスバルが、あのキラキラした目で並んでいるのだから、その威力は計り知れない物だったのだろう。

それを眺めながら、僕には一生縁の無さそうな事だが、妻の尻にしかれるというのは大変なんだなぁ、と思ったのであった。

 

 閑話休題。

病院についてだが、僕とリニスとクイントさんとで相談して病院を探す際に、そういえば、と僕は思い出した。

少し前になのはが大怪我をしたという連絡が入っていたのだ。

詳しい様態は作戦中だったので聞いていなかったが、その時聞いた病院は、確か管理局の医療施設だった筈である。

調べてみると、そこでは管理局に協力した魔導師の診察も受け付けていた。

クイントさんのオススメの病院というのもそこなので、丁度いい。

そんな事から、ついでに見舞いに行けるよう同じ施設を検討している。

 

 と言ってもすぐに予約が入れられる訳ではなく、数日は何もない日が続く事になった。

午前中は勘が鈍らない程度の軽いトレーニングの他は、最近の魔法研究についての雑誌を読みあさり。

午後、ギンガとスバルの学校が終わる頃になれば、彼女ら2人に付き合って遊びに行くのが現在の日課である。

 

 そんな訳で、クラナガンの都市部で待ち合わせであった。

そんな事しなくても学校まで迎えに行くのだが、そう言ったら2人がかりで分かっていないと散々怒られてしまった。

なんでも、女の子にとって待ち合わせは夢の詰まった浪漫らしい。

その辺の知識が良く分からない僕なので正確な所はよく分からないが、留守番をしているリニスも笑顔で頷いていたので、多分一般的に正しい事なのだろう。

ということで、待ち合わせのモニュメントの周りの柵に体重を預け、2人を待つ僕。

予定の時間の10分前ぐらいになると、何となく覚えのある感じの魔力を感知する。

そちらへ視線をやると、軽く手を振りながらこちらに歩いてくる姉妹の姿があった。

こちらも手を振り返し、笑顔で返す。

すると2人は小走りになって僕の元へと近づいてきた。

 

「待ちました? ウォルターさん」

「いいや、今来た所だよ」

 

 まぁ、正確には5分前に来た所なのだが、それぐらいなら今の範疇だろう。

そう思う僕を尻目に、なんだか感じ入るようにして目を閉じ両手を握りしめ、やや腰を落として震えるギンガ。

どうしたのだろう、とスバルに視線を向けると、よく分からないらしく、2人で首を傾げる次第となった。

そんな僕らの様子に気づいたのだろう、ギンガははっと僕らの顔を見回すと、僅かに赤面する。

 

 それに気づかない振りをしながら、少し迷ったが、僕は先に視線をスバルにやる。

スバルは、クリーム色のパーカーに赤いチェックのスカート、スニーカーと言う出で立ちだった。

インドア派の彼女にしては珍しく、スポーティーな格好である。

短い青の髪はきちんと整えられており、天使の輪のような輝きを形成している。

見つめられている事に気づいたのだろう、緊張に体を固くするスバルの頭に、ぽん、と軽く手を置いた。

女の子を撫でるのは、髪型が崩れるらしいのでやめておく。

折角おしゃれしてきたのに勿体無いだろうと考えてのことだ。

 

「よく似合ってるよ、スバル。何時もとイメージが違って、新鮮でいいな」

「うん、ありがとう、ウォル兄っ!」

 

 満面の笑みで告げるスバルにこちらも笑みを見せてから、視線をギンガへ。

こちらは黒いワンピースに白いジャケット、足元はパンプスで固めている。

長い髪の毛はいつも通りに、後ろで一旦リボンで纏めた後ストレートに流してあった。

僕の視線に反応し、ギンガはピタッと止まって軽くポーズを取り、少し挑発的な顔を作る。

 

「ギンガは大人っぽい感じで綺麗だな、似合ってるよ」

「やったっ!」

 

 と抱きついてくる彼女を抱き返し、こちらもぽん、と軽く頭に手を置いてやる。

すぐに自分の行動が大人っぽい物では無い事に気づいたのだろう、パッ、と離れ、彼女は顔を赤くして俯いてしまった。

それにしても、背伸びした彼女の行動は可愛らしい物で、それは彼女の求める評価ではないんだろうけども、とても魅力的であった。

そう思って微笑んでいるうちに、スバルが僕を見つめてくる。

今度は僕が褒められる番か、と、できる限り男らしい笑みを浮かべ、スバルを見つめ返す。

僕の今日の服装は、黒いジャケットに黒いシャツ、黒いジーンズに黒い靴。

いつも通りに黒尽くめながらも、新しく下ろした服もあるし、黒にティルヴィングの金はよく映えるので、少しは洒落て見えるだろう。

褒め言葉を想像して暫し待つと、スバル、続いてギンガ。

 

「ごめん、ウォル兄はぶっちゃけセンス無いね……」

「……何時も黒尽くめだしねぇ」

「……あれ?」

 

 とまぁ、そんな一幕を交えながら、僕らは買い物を楽しんだ。

流石に2人はお金が無いので最初はウィンドウショッピングだったのだが、途中から僕のあまりのセンスの無さに、僕の服を見立てる事になってしまったのだ。

予算を告げると、2人とも買う事買う事。

スバルも普段の大人しさをかなぐり捨てて、キビキビと僕に次々と指示を出し、試着だの何だのをさせる。

2人とも、これよさそうじゃない、と言った物を試着した僕を難しい顔で見つめ、次々にこれはナシ、だのこれは駄目、だのと駄目だししていく。

 

 そんなこんなで僕が疲労困憊となった頃、紙袋は2つがいっぱいになっていた。

スバルと疲労で死にそうな顔になっている僕は、現在噴水の近くのベンチに座って休んでいる所である。

ギンガはスバルの好きなアイスを買いに行っており、この場には居ない。

一応一緒に行くよとは言ったのだが、一人でできます、と言ってすっ飛んで行ってしまったので、サーチャーをつけるに留めた。

 

「つ、疲れたなぁ……」

「そうなの? ウォル兄意外と体力無いんだね」

「精神的な疲れだよ……」

 

 告げると、クスリと笑うスバル。

笑いが止まるのを待とうとするも、スバルは笑いを止める事なくそのまま両手で口を抑えつつ、くっくっくと笑い続ける。

仕方なしに、口を開く僕。

 

「そんなの笑わなくてもいいだろ……」

「ご、ごめん、くく、いやさ、だってウォル兄がこんなにぐでーってしてるの、初めて見たんだもん」

 

 言われて考えてみると、そういえばギンガやスバルの前で弱音を吐いたのは今日が初めてかもしれない。

ふと、何時だかリニスに話しかけられた時、ダラっとしていただけで恐慌に陥ってしまった事を思い出した。

それに比し、今はただちょっと首を傾げるだけで済むのは、きっとリニスと主従の関係になり、心に余裕ができたからなのかもしれない。

そう考えると、リニスへの感謝は尽きない物だ。

しかしそれにしても、僕の怠そうな姿はそんなに意外な物なのだろうか?

そんな疑問詞を乗せた視線をやると、なんとか治まってきた笑いを堪え、スバルが言う。

 

「ウォル兄はいっつも格好良いから、今日みたいに格好悪いのを見るのは初めてだなぁ」

「そうかぁ、格好悪いかぁ……」

 

 自分の半分ほどの年齢の子に言われると、正直凹む。

ガックリと肩を落とし溜息をつくと、僕はゆっくりと面を上げ、何時もとは違い男らしさを意識しない笑みを浮かべた。

それをどうしてか眩しそうに見つめるスバルは、満面の笑みで告げる。

 

「うん、ウォル兄、格好悪いっ!」

「そうかぁ……」

 

 そう告げるスバルは、本当に心からの澄んだ笑みを浮かべていて、余計に心に響いた。

なんだろう、この崖を登ってきて頂上に指をかけたと思ったら、その指を踏んづけられてグリグリされて蹴り落とされた感覚。

絶望に再び肩を落とし項垂れる僕に、クスリと笑みを浮かべながら、スバル。

 

「でもね、ウォル兄、いつもは格好良すぎて、お話の中の人みたいなんだけどさ。今はね、普通の人みたいだなっ」

「…………」

 

 ヒヤリとした感覚に、自然顔が険しくなるのを僕は感じた。

スバルに今の僕の表情が見えなくて、幸いだっただろう。

体の奥底が冷えて行き、血潮が凍てついてゆくのを感じる。

頭の中までもがまるで戦闘時のように冷めてゆき、体の軋む音が聞こえてくるようであった。

先ほど考えた心の余裕が吹っ飛んでいくのが、自分でも理解できた。

息を、ゆっくりと吐く。

自然な具合に、少しだけ男らしい笑みを意識して作り、面を上げた。

 

「そうか? 普通の人だなんて、あんま言われねぇけどなぁ」

「そうなの?」

 

 言いながら足をブラブラさせるスバルは、何でか嬉しそうな笑みを浮かべている。

確かに普通の人であるという事は、誰にも許された事なのだろう。

けれど、僕は、僕だけは、あのUD-182の意思を世に広めたい僕だけには、普通人である事は許されない。

僕は英雄的でなければならないのだ。

非現実的で、強い憧憬を覚え、人々の夢になりうる人間でなければならないのだ。

と言ってもまぁ、スバルに非がある訳でもなし。

僕はなるべく内心を顔に出さないようにしながら、口を開こうとした。

それに先んじて、スバルが言う。

 

「それに、ちょっと嬉しかったな」

「……嬉しかった?」

 

 珍妙な感想に、目を瞬く。

そんな僕がおかしかったのか、クスリと笑みを浮かべながら、スバル。

 

「私さ、ウォル兄に憧れてたんだ」

「…………」

 

 突然のスバルの告白に、僕はどんな顔をすればいいのかわからなかった。

僕の信念が通じていて嬉しがれば良かったのか。

それが過去形であった事に嘆けばいいのか。

胸の内側をぐちゃぐちゃな感情が過ぎり、けれど僕の表情筋はまるでその感情と神経が繋がっていないかのように、変化が無い。

ただただ、先ほどの驚きの表情のまま固まったままだった。

 

「私って、いつも弱虫で、トロくて、格好悪くて。

だから、ヒーローみたいなウォル兄に、ちょっと憧れてたんだ」

 

 ならば余計に、夢が崩れた事に憤りを持っていい物だと思うのだけれども。

そんな僕の内心が顔に出ていたのか、返事はそれに答えるような物であった。

 

「でもね、今、ウォル兄が格好悪くて、ちょっと嬉しかったんだ。

なんだかウォル兄が、手の届かない所から少しだけ近くに来てくれたような気がして」

「…………」

 

 僕は、目の前の少女にどう答えるべきか、暫時迷った。

それじゃあ今までよりも仲良しになれたな、とか言って、彼女との距離を埋めるべきなのか。

それとも、そうか? と疑問詞を吐き、今までどおり現実離れした仮面を演じるべきなのか。

咄嗟に後者を選ぶべきでは、と思ってしまうが、僕が仮面を被る理由の一つに、誰かがあんな風になれるかもしれないと希望を持てる存在となる事も含まれている。

スバルの言う事を考慮すれば、少しは距離を近づけて、親しみのある英雄を演じる事も必要なのかもしれない。

けれど僕自身には現実離れした相手だから憧れるだけで、自分もそうなれるかもしれないとは思わない、という感覚が今一わからなくて。

だから結局、保留という第三の選択をする事になる。

ぽん、とスバルの頭に手を置き、笑顔を作って言った。

 

「そっか。ま、それはそれとして……、俺はお前の事、弱虫だともトロいとも格好悪いとも思った事は無いんだけどな」

「……ふぇ?」

「あんまし自分を卑下……ってわかりにくいか、あーっと、悪く言うもんじゃあないぞ」

 

 軽く撫でてやると、スバルは頬を薄く染め、そっか、と呟き俯いてしまう。

もじもじと人差し指と人差し指とを合わせ、足を必要以上にブラブラとさせ始めた。

その可愛らしい姿に、違うんだ、と思わず叫びたくなってしまう。

違うんだ、僕は100%君の事を想って言ったんじゃあなくって、ただの保身、選択肢の保留の為、誤魔化しの為に言っているんだと。

勿論スバルを想う心が無い訳じゃないし、口にした言葉は全て真実だと誓える。

けれど、そんな事は問題じゃあないし、僕の汚さを禊ぐものじゃあない。

それでも、僕はせめてスバルに暗い顔を見せないよう、笑顔を作りながら彼女の頭を撫で続ける。

と、そこに一つ声がかかった。

 

「あー、スバルずるいっ!」

 

 ギンガの声に視線をやると、なんと4段ものアイスを3つ抱えて、駆け出す所であった。

危ないな、と思ったと同時、ギンガのつま先が煉瓦造りの道に引っかかる。

キャ、と言う悲鳴と共に、傾くアイス。

咄嗟にギンガを助けようと動くが、すぐさまバランスを取るのを目に、体の軌道を僅かに変更。

右手の人差し指を伸ばし、とととん、と傾くアイス3つに1回ずつ衝撃を与える。

ギンガの動きから予測した慣性と同等の衝撃を受けたアイスは、ぐらりと前後に揺れた後、元のタワーに形を戻した。

自力で立ち直ったギンガは、目をキラキラと輝かせながら僕に視線をやる。

スバルと共に、輪唱。

 

「す、すっごーいっ!」

「一個づつ、アイスに触っちまったけどな。ばっちいし、交換っこしようか?」

「大丈夫ですっ!」

「ううん、いい!」

 

 満面の笑みで頷きながら、アイスとスプーンとを僕に差し出すギンガ。

4段重ねの、指の跡がちょっとついたアイスを受け取り、全員に行き届くのを確認してから一口、口にする。

おいしーね、と談笑する2人を見ながら、僕もまたアイスを咀嚼。

種類はお任せにしたアイスは思ったよりも甘く、口内が冷えて、とても美味しかった。

 

「そうか、アイスってこんな味するんだな」

「え?」

 

 異口同音に発せられた声に視線をやると、目を見開いた2人の視線が僕に。

肩を竦めながら、素直に答える。

 

「いや、アイスを食うのって、生まれて初めてだからな」

 

 何度かナカジマ家でクイントさんに勧められた事もあったが、特に興味が無かったので、その分アイス好きなスバルにあげていた。

高町家に滞在している間におやつはもらっていたが、シュークリームやケーキばかりだったので、アイスを食べたのは今日が初めてである。

これはちょっと勿体無い事をしたかな、と思うも、まぁ過去は変えられないので、その分今アイスを味わう事に全力を傾けるべきだろう。

などと思っていると、何故か長い沈黙がその場を満たす。

もしかして、アイスってそんなにポピュラーな食べ物だったのだろうか?

ギンガとスバルはなんとも言えない表情で、自分のアイスと僕のアイスを見比べていた。

どうしたものか、と首を傾げていると、胸が張り裂けそうな表情で2人がアイスを差し出してくる。

 

「ウォル兄、アイス一個あげるっ」

「私もですっ」

 

 これがまた断腸の思いを込めたような言葉であったので、思わずクスリと笑みが漏れた。

プラスティック製のスプーンで自分のアイスの最上段を掬い、差し出す。

 

「じゃあ、ちょっとづつ交換して、みんなで食べっこしような。みんなで色んな味食べてみようぜ?」

 

 と言うと2人の表情が一転、満面の笑みへと変わった。

先ほどまでの絶望がなんだったのかと言わんばかりの表情で、皆で互いのアイスを食べあい、騒ぎ合う。

そんな中、ふと思った。

これが皆の言う、素晴らしき平凡な日常と言う物なのかもしれない。

だとすれば僕は、一体どれほどこの平凡な日常という物を味わった事があるのだろう。

“家”では何時処分されるかも分からず、UD-182が居て幸せではあったが、平凡とは言い難かった。

それからの賞金稼ぎ時代も、民間協力者時代と言うべき今も、死と隣り合わせで平凡とは程遠い生活である。

ならば僕は平凡と言う物を知らないに等しい。

そして世間の人々の殆どは平凡な人々である。

なのに僕は、人々に対しUD-182の理想という名の理想を、正しく届ける事ができているのだろうか。

 

 そんな思いを孕みながらの会話は、夕方近くまで続いた。

その後僕はアイスが意外と腹に溜まる事を知り、夕食を食いきれず、リニスとクイントさんに雷を落とされる事になるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 チチチ、と鳥の囀りが輪唱する。

窓の外、中庭に生えた木から伸びる枝には、数匹の黄色い小鳥が止まっていた。

何を考えているのかよく分からない自由奔放な動きで、小鳥達は枝の上を跳ねる。

 

 なのはは、病室のベッドの上から、虚ろな瞳でそれを眺めていた。

視線の先の小鳥達の動きは、恐らく空気の動きや匂いを感じ取って動いているのだろう、となのはは思う。

硝子窓で仕切られた病室の中からでは、かつては手に取るように分かったその動きもよく分からない。

窓を開け放てば分かるのだろうが、それでは驚いて小鳥達が逃げてしまうだろう。

だからなのはは、ただただそれを眺め続けるだけに留める。

 

 やがて小鳥達は、翼を広げ、枝から飛び立った。

小鳥達を追ってなのはは視線を空にやり、かつて自分が飛んでいた空を飛ぶ小鳥達に視線をやり続ける。

ふと、なのはは先ほどの枝に止まっていた小鳥達の数が、飛んでいる数と合わない事に気づいた。

視線を落とす。

一羽の小鳥が翼を広げたまま、先ほどより下の枝に引っかかっていた。

墜ちたのだ。

そうなのはが思うと同時、ズルリと黄色い小鳥が滑り落ちる。

思わず腰を上げてその末路を確かめようとするなのはだが、力が入らず、それは断念した。

どうせその末路は、墜死に決っているだろう。

よしんば生き残る事ができたとしても、二度と飛ぶ事はできまい。

 

 そんな風になのはが考えていると、コンコン、と扉を叩く音がした。

なのはは静かに目を閉じ、瞳から絶望の色を抜き去るよう努力する。

木目調のサイドテーブルから手に取る手鏡で、きちんと笑顔が作れているか再確認。

短い時間で二度三度と練習し、合格点になってから口を開く。

 

「は~い、どうぞ」

「失礼するぜ」

 

 扉を開き現れたのは、見舞い品にフルーツを持った、黒髪黒目に黒尽くめの少年。

その瞳には炎の意思を、その体躯には無限の魔力と戦闘力を秘め、何度も死の淵から這い上がってきた超常の魔導師。

ウォルター・カウンタックであった。

なのはは胸の中で暗い感情が沸き上がってくるのを、必死で抑える。

それを誤魔化すかのように無理に笑顔を浮かべ、明るい声を出した。

 

「ウォルター君!? 久しぶり~!」

「あぁ、闇の書事件以来だから、2年近くぶりになるのか?」

 

 ウォルターが告げる通り、この2年なのはがウォルターと会う機会は無かった。

ウォルターは次元世界を駆け巡り戦い続け、なのはもまた武装隊の一員として幾多の次元世界を回ってきた。

せめてどちらかがミッドに定住していれば出会う機会もあったのだろうが、どちらも次元世界中を飛び回っているのでは出会う機会も中々無い物である。

 

 なのはは、久しく見るウォルターを改めて見つめる。

背丈は高く、顔は中性的だったのが少し男らしくなったが、一目見てウォルターと分かる覇気に溢れた顔であった。

特に変わらず輝き続けるのは、矢張りその炎の意思を閉じ込めた黒曜石の瞳である。

対し自分は、一体今どんな状態だろうか。

思考が暗い方面に傾きそうになるのを必死で抑え、なのはは口を開く。

 

 それからは、互いの近況を伝え合う会話が始まった。

なのはは武装隊での毎日を、ウォルターは次元世界を旅し戦い続けた毎日を話す。

ミッド中でニュースになるような大事件に何度も関わり、解決に大きく尽力したウォルター。

その話はあまりにも輝かしく、勇気と希望に溢れていた。

聞いているだけで心の中が熱くなり、正義や信念の価値を信じたくなってくるような内容であった。

 

 けれどその話は、なのはの心を大きく抉っていた。

かつてであれば、なのはは自分もいずれは、と心を燃やした内容だっただろう。

けれど、翼を奪われた今それを聞いても、ただただ鬱陶しいだけだ。

なのはは表情筋に全力を尽くして、限界までウォルターの武勇伝を聞いた。

恐らく、ウォルターはなのはに元気を出して欲しくてこんな話をしているだけである。

全くもって逆効果なのだが、それを指摘する事は躊躇われた。

 

「そういえば聞き忘れていたけど、ウォルター君、今日はどうして見舞いにこれたの?」

 

 やがて我慢の限界が近づいてきた頃、話の合間にになのははそう口にする。

ピタリとウォルターは話を止め、僅かに顔に躊躇の色を見せた。

しかしなのはには、これ以上ウォルターの話を冷静に聞ける自信が無い。

 

「ねぇ、教えてくれる?」

 

 続けてなのはがそう口にすると、ウォルターは観念したように小さく溜息をついた。

ためらいがちに、口を開く。

 

「リニスの勧めで半月程休養を取る事になってな。

そのついでに、一度精密検査を受けてみたらどうかって話になって、ここに通う事になったからだ」

「…………そう」

 

 ぞ、となのはの奥深くで、黒く粘着質な何かが蠢いた。

身振り手振りと共に動かしていた両手はきつく握りしめられ、ピッタリと体に沿っている。

吐く息が粘着くのを、なのはは感じた。

自分は大怪我で一人では動くこともできないのに、ウォルターは念のために精密検査。

いいご身分だね、と内心で暗い妬みの声が上がる。

体の中の、どうしようもない何かが喉まで上がってきて、吐き出されてしまった。

 

「怪我の事には、触れないの?」

「……先に医者に聞いたよ」

 

 じゃあ、怪我の事を知っててそんな事言ったんだ。

そんな思いがなのはのなかでとぐろを巻く。

これから毎日病院に通うウォルターはなのはと遭遇する可能性があり、嘘をつけなかったのは仕方がない。

そう言い聞かせようとしても、なのはは黒い感情を抑える事ができなかった。

対しウォルターは、力強い笑みを作り、ぽん、となのはの肩に手を置く。

 

「これからリハビリ、キツいけど頑張らなくちゃな」

 

 思わずなのはは、ウォルターの手を払いのけた。

僅かに目を見開くウォルターに、吐き捨てるように言う。

 

「ウォルター君は、私なんかよりももっとずっと大きな怪我をしていたよね」

「……PT事件の時も、闇の書事件の時もそうだったな」

 

 慎重に言うウォルター。

ウォルターはとてつもない大怪我をしてきたし、その度にリハビリに苦しんでいたのは事実だ。

特に闇の書事件の後はなのはも何度かその光景を目にした事があるし、ウォルターが苦しんできた事を知っている。

だが、だからこそ、なのはは思ってしまうのだ。

ずるい、と。

卑怯だよ、と。

だって。

 

「なのになんで、ウォルター君は何の後遺症も無いの?」

「それは……」

 

 事実、ウォルターはどれだけの大怪我をしても後遺症の心配のある怪我はしていなかった。

対しなのははたった一度墜とされただけで、二度と魔法が使えなくなるかもしれない、それどころか二度と歩けないかもしれないと言われたのだ。

抑え切れない妬みが、なのはの内側でグツグツと煮立つ。

ウォルターは無言で俯くばかりで、何も答えようとはしない。

それが余計に事実を肯定しているようで、思わずカッとなって、なのはは叫んでしまった。

 

「ウォルター君はいいよね、どれだけ怪我しても治る体に生まれていてっ!」

 

 ヒュ、と息を呑む音が聞こえた。

ウォルターの顔から覇気が消え去り、まるで絵の具で上から塗ったかのように蒼白になる。

死人のような顔色に、なのははすぐに自分が何を言ってしまったのか気づいた。

体中から血の気が引く。

醜い感情をぶつけてしまった罪悪感が、すぐになのはの全身を支配した。

熱い体温が目頭に集まり、水滴を作り、やがて涙と化して零れ落ちる。

駄目だ、と思っても涙は止まらない。

今一番酷い事を言われて、一番泣きたいのはウォルターの筈だ。

なのになのはが泣くなんて、それこそずるくて卑怯な真似に違いない。

 

「ごめんなさい……、ごめんなさい……!」

 

 ウォルターに頭を下げ、なのはは何度も謝罪の言葉を口にした。

醜い嫉妬をぶつけてしまって。

なのにこっちが泣いて、まるでウォルターが悪者みたいな扱いにしてしまって。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

何度もそう謝るなのはの頭に、ぽん、と軽い音を立てて、暖かな体温が触れた。

優しい感触が左右に揺れ、なのはの頭を撫でる。

 

「大丈夫、気にしてないさ」

 

 はっと面を上げると、なのははウォルターと目があった。

少し寂しげにも見える笑みが、すぐに力強い笑みへと変わる。

まるで言外に、俺は強いから何を言われても大丈夫だと言っているようで。

同時に、そんな言葉を言わせているようで。

なのはは、また一段と涙の波が来るのを感じた。

静かに、嗚咽を漏らす。

そんななのはに、柔らかな声でウォルターは言った。

 

「ただ、ちょっと吃驚しちゃっただけなんだ」

 

 

 

 

 


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