鎌月鈴乃さんに変な属性をつけた話。(はたらく魔王様) 作:ほりぃー
「今は、2時半か……」
真奥は携帯で時間を確かめてから呟く。
あのカフェを出たあと真奥と鈴乃は新宿駅の周りを目的もなく歩いた。二人とも大した地理感覚もないためにどこに行くとも目標がない。昨日の夜に決まったデートであれば、計画も杜撰なのはあたりまえかもしれない。
しかし今日の真奥には「秘策」があった。それを考えるだけで真奥の顔がにやけてくる。彼が時間を気にしていたのはそのためだ。その秘策は昼には使うことはできないので時間を潰さなければならない。
「真奥?」
鈴乃は不気味に笑う真奥を覗き込んだ。真奥はあわてて、顔を背ける。
「い、いやなんでもねえよ」
「……なにがだ?」
訝しげに眼を細める鈴乃。真奥は取り繕うように言う。
「あ、ああー。あのさ鈴乃。カフェでお前言ってたよな。デートっていえば」
「忘れろと言ったはずだ!」
「それじゃねえよ! だれもホテルとか言ってないだろ!」
「言っているじゃないか!」
不毛な言い争いをする二人を道行く人が見ていく。真奥も鈴乃もその実年齢にそぐわないほど若い容姿をしているからか通り過ぎていく人は微笑ましげでもある。
「とにかくだ」
真奥はいったん話を区切った。このままでは平行線のままな気がしたのだ。鈴乃もそれを感じていたのか、真奥が言うと口をつぐんだ。それから真奥は一つ咳払いをしてから鈴乃に提案する。
「言ってたじゃねえか、デートっていえば『ゲーセン』だの『カラオケ』だの。そうだろ?」
「あ、ああ。それは確かに言った記憶はある……」
そうだろと念を押す真奥に鈴乃は頷いた。彼女の否定または忘却したい「失言」はそのあとに言った言葉だから、今真奥の言うことに反論する必要はない。彼女は又聞きの知識とはいえ、間違いなくデートは真奥の上げた場所に行くものだと言った。
「だからだ。行こうぜそこに」
「…………別にかまわないが、私はほとんど歌えないし、ゲームもしたことはないぞ」
鈴乃の歌えないというのは音痴なのではなく、現代の歌そのものをほとんど知らないのだろう。それは彼女が異世界人であるため、多分にしかたがなかった。とは言ってもその点では真奥もあまり変わらない。だから彼は言う。
「それは俺も一緒だ。カラオケは……いけねえことはねえけど無理だな。だから行くとしたらゲーセンだ。そっちもあんま行ったことはねえけど、大丈夫だろ」
「まあ、私には異存はない」
「よし、決まりだな。まずはゲーセンを探さねえとな」
実際には探すまでもなかった。真奥と鈴乃がいたのは新宿駅周辺なのだからゲームセンターなど徒歩数分の範囲にいくつかある。彼らは一度新宿駅に戻ってから、そこの駅員に道を聞こうとしていたが、駅に行くまでに見つけた。
「ここがげーむせんたーか」
「タイドーステーション」と大きな看板を下げたビルを鈴乃は見上げながら言う。そのビルは一面赤に塗られていて、なにか宇宙人を模したようなキャラクターが店名の上に描かれている。この建物一つ全てが「店」なのだ。
「この店たまに見かけるんだけど。入るのは初めてだな」
「そうなのか? 真奥」
「ああ。基本的には俺はバイトだし、芦屋は家計にうるさいし漆原は家でゲーム派だからな。そうそう行く機会はねえよ」
そういう真奥の顔がほんのりと嬉しげだ。鈴乃はその表情からあることを思った。
「……行ってみたかったのか?」
「ばっ、や。おお俺は魔王だぞ! そんなわけねえだろ」
何を恥ずかしがっているのか真奥はあわてて否定した。これだけで全てを白状したのと一緒である。
真奥貞夫は芦屋、漆原の二人を食わせている関係で娯楽施設にはあまり行かない。たまに家計を預かる芦屋の目を盗み映画館へは行くこともあるが、頻繁ではない。
だから興味はあったのだろうが、ゲームセンターには行けなかった。
そんな彼を鈴乃は小さく口元をほころばせる。
「す、鈴乃。何笑ってんだ」
「いや。貴様も体面など気にするのだな……少し意外だっただけだ」
「お、おまっ。それじゃあ、いつも俺が気にしてないみたいに……」
「アルバイトしている魔王にそんなものがあるものか」
鈴乃の言葉に「ぐぬぬ」と真奥は黙ってしまう。鈴乃は彼を見て笑顔になる。今日一日、何度この男に心を揺さぶられたかわからない。だから今反撃が成功したようで、少しだけ嬉しかった。
それに鈴乃も真奥が楽しみにしているなら、ゲームセンターに入ってみたい。
「真奥」
「……ん?」
「早く入ろう」
もう一度にっこりと笑って鈴乃は歩き出した。その笑顔は自然に出たものだろう、真奥は一瞬、そう一瞬だけその笑顔に心が鳴った。
「?」
真奥はなんだろうと自分の気持ちを思い、頭を掻く。それから鈴乃の後を追った。
「いろいろなものがあるのだな」
鈴乃が店内の案内板に目を通した。この建物は全6階建、それも地下も存在するので実際にはもっと大きなものだ。もちろんその一階一階には多くのゲームが置いてあるのだろうから初心者の鈴乃には目もくらんでしまう。
彼らがいるのは一階。やはり入り口だからか、レースゲームやクレーンゲーム等のいわば「客寄せ」の物が多く置かれている。ただし今日は平日だからか客はまばらだった。
「鈴乃」
「なんだ」
案内板を見ていた鈴乃を真奥が呼んだ。少しだけ真奥の顔がにやけている。その笑いはさっきの彼のようにわくわくしている顔ではない。それはなにかを企んでいるような顔だった。鈴乃は少しだけ身構える。
「真奥?」
「ただ、ゲームするんじゃ楽しくねえし、勝負しねえか?」
「勝負、だと?」
真奥は頷く。彼は店内をぐるりと見渡す。
「そうだ。ゲームで勝負だ。勿論負けた方は罰ゲームをする!」
握り拳を作り、ぐっと腕を突き出す真奥。いやに気合が入っているなと鈴乃は思ったが、ふとあることを思う。
「まさか真奥。さっきの『体面』の話のことを気にしているのか?」
「ぐっ」
真奥が一歩下がった。鈴乃の推理は当たっていたようだ。
(魔王としての体面をと言っていたはずだが……ゲームで取り返すつもりか)
そう考えるだけで鈴乃はおかしくなってしまう。そんなことで「魔王の体面」とやらは保たれるらしい。彼女はこらえきれないようにふきだした。
「……ふ、ふふ」
だが今度の鈴乃は真奥に正面から笑顔は見せなかった。彼女は横を向いて口元に手をあてて忍び笑う。それでも真奥の目の前で笑うのだからバレバレだった。真奥は言う。
「くっ。そうやって笑っていられるのも今の内だからな! 罰ゲームになってほえ面をかくなよ」
鈴乃は笑いを収めて真奥に向き直った。ふふんと鼻を鳴らし、腕を組んで挑発するように言う。さっき真奥もゲームセンターにあまり来ないと言っていたから勝負は五分だろうと彼女は思っている。
「わかった、その勝負受けてやろう。だがほえ面をかくのは私ではない」
「い、いってろい」
真奥は無駄に自信満々な鈴乃に怖気づく。彼は啖呵を切ったというほどでもないが、ここで負ければ格好が悪い。別に実害があるわけではないのだが、それでも「体面」がそれを許さない。ただしそれは鈴乃の言うとおり、あるかないかわからないようなものだが。
鈴乃はふうと息を吐いた。それから真奥に目をやる。
「で? 真奥が受けることになる罰ゲームとはなんなんだ?」
「か、かってに俺が受けることにするな! それはこいつだ」
「これ?」
真奥はポケットをまさぐり何かを取り出す。そして何かを握った手を鈴乃にみせる。
携帯電話。それが真奥の手に握られたものだった。鈴乃はきょとんとするほかない「罰ゲーム?」と頭の中に疑問を浮かべた。だが当の真奥は「どうだみたか」という感じで鼻を鳴らす。
「真奥? 携帯をかけて勝負するのか」
「ちち違う! たけえんだぞ携帯は」
真奥の持っている携帯電話は「アンテナが伸びる」タイプのものだからそう高くはない。だから彼の言う高いとは、買い換えた場合の話だろう。真奥は鈴乃から携帯を隠してから言った。
「漆原に電話して決めてもらう!」
「なっ?」
鈴乃の背筋が冷たくなった。あの自堕落ニートの考えることはまるで信用ができない、漆原に決めさせるなど自殺行為にも等しい。いったいどんなことを設定するか、文字通り想像できない。
「まっ。まて真奥」
慌てはじめた鈴乃を見て真奥はほくそ笑む、彼も重々この行動のリスクについては理解している。だがさっきからやられっぱなしだった気がするので、今の鈴乃のリアクションが心地いい。彼は携帯で通話ボタンを押した。ちなみに漆原は携帯電話を持ってはいないのでつながるのは漆原がパソコンにつなげた通信機器だ。
余談だが、漆原がその通信機器を使ったのはあろうことか真奥や芦屋を利用して、携帯用ゲームを取りに行かせた時と言ういわくつきのものだ。
「あっ」
鈴乃が手を伸ばす。真奥は避ける。
真奥の耳に呼び出しのコールが響く。鈴乃は焦って真奥にとびかかった。今すぐに携帯を奪い取らなければ何を吹き込まれるかわかったものではない。
「やめろ、真奥!」
鈴乃は真奥から携帯を奪おうとするが彼女よりも真奥の背が高い為にうまくいかない。鈴乃は真奥に体を押し付けるように手を伸ばす。真奥は体をそらして、漆原が出るのを待つ。客観的に見れば密着している形なのだが、それに気が付くほど鈴乃に余裕はなく真奥は気にしてない。
――出ねえ。
真奥は携帯を奪おうとする鈴乃を何とか躱しながら「早く出ろ、漆原」と念じる。まさか寝ているのではないだろうかとも思ってしまう。もしそうであるならば真奥の策は水泡に帰す。それも実害はないが自信ありげに鈴乃に言った手前、恥ずかしい。
「ま、まおう」
ぐぐぐと鈴乃が手を伸ばす。真奥もさらに体を斜めに反らして奪われまいとする。完全に抱き着くようになっている。身長が低い鈴乃は時折、つま先立ちになって携帯を奪おうとするからスカートが揺れる。しかし鈴乃の上半身は「ひっかかり」がないために色気はあまりない。
『はいはーい。なに』
「漆原か!」
『そうだよ。何?』
やっと出た漆原。真奥は早く出なかったことについてはなにも言わず、鈴乃を見た。意外に近くに顔があった。目があった。数秒二人は止まる。
「う、うわあああ」
先に離れたのは鈴乃だった。彼女は真っ赤になって真奥から離れる。携帯を奪おうとするあまり、真奥に抱き着いていたことに今更気が付いた。だが真奥は恥ずかしがるよりも「しめた」と思う。今の内だった。
「漆原! 今から鈴乃とゲームで勝負する。罰ゲームを考えろ」
『はあ? なんで僕が。やだよ、めんどくさい』
「…………」
まさかの拒絶である。ぎりと真奥は歯ぎしりをしてしまった。今目の前に漆原がいればぶん殴っていたかもしれない。だが彼は今ニートとしての正位置、つまり自宅にいる。手は届かない。
「漆原……。死ぬか、罰ゲームを考えるか選べ」
『な、なんで僕の命と罰ゲームなんかが天秤にかかってんの!? おかしいでしょ! ていうかそんなの負けた方が裸踊りでもでもすればいいじゃん』
「真面目に考えろ。夕食を抜くぞ」
『……』
電話口から「なんだよもう」などとぶつぶつと愚痴が聞こえてくるが真奥はそれを無視した。
「早くしろっ。おっと」
「くっ」
無音で鈴乃がとびかかってきたのを真奥は避ける。さすがは魔王と言うべきか、彼は警戒を怠ってはいなかった。鈴乃が体勢を崩している隙に真奥は少し離れた。
「おい、まだか漆原。携帯代がかかってんだぞ」
携帯代を気にする魔王。
鈴乃はきっと真奥を睨みつけた。彼の口ぶりからは考えればまだ漆原はなにも言ってはいないはずだ。早く奪い取らなければならない。そう思って彼女は間合いを詰める。
じりじりと真奥と鈴乃は近付く。ゲームセンターに入っていく客は彼らを奇異な目で見ながら歩いて行った。店員も二人の奇行には気が付いているが暴れているほどでもないので見守るほかはなかった。つまるところ衆人環視だ。
『ちょっとまってねー』
軽い漆原の声が真奥の耳に届く。彼は足を動かして鈴乃を牽制する。鈴乃も一歩進んで腕を動かしとびかかるそぶりを見せる。真奥は反応しない。
両者ともゲームセンターの入り口でフェイントを交えつつの心理戦を展開していた。この後ゲームで対決することを考えれば前哨戦と言ってもいいのかもしれないが、魔王と死神と呼ばれた女性のやることではない。単に携帯電話の取り合いなのだ。
――漆原。まだなのか。
真奥の携帯。その通話先からはキーボードを叩く音が聞こえてくるが肝心の漆原は何も言わない。真奥の額を汗が流れる。
鈴乃が突然横を向いた。真奥はなんだと鈴乃と同じ方向を見る。そこで彼は鈴乃の狙いに気が付いた。注意が、反れた。
「真奥! 隙ありっ」
「しまっ」
鈴乃が掛け声とともに踏み込んだ。一瞬で間合いを詰めて真奥から携帯を奪い取る。真奥は取り返そうと手を伸ばすが、鈴乃の離脱も早い。たっとステップを踏んで真奥から離れた。
鈴乃は高い戦闘技術を有している、いったん主導権を握れば話すことはないだろう。こんなところでそれを発揮するのはどうか、と問われれば彼女はなんと言うかはわからないが。
「す、鈴乃。返せ」
今度は真奥が鈴乃にとびかかった。だが鈴乃は軽く避ける。こと対人戦に置いては真奥よりも鈴乃の方が得意だ。そもそも魔王の目の前に人間がたてば灰になるだけなので、そんな技術は本質的に真奥には必要がないことも大きい。
しかし今は逆だ。
「こ、このお」
真奥は手を伸ばす。鈴乃は膝を柔らかく使って身を下げる。一瞬のことだ。鈴乃は真奥の後ろを取る。
「な、なんだと」
真奥は驚愕の声を出した。鈴乃が使ったのは武術で言う「めくり」である。それは相手の背後を取るという高等技術だ。だんだんと鈴乃が本気になっている証拠ともいえよう。繰り返すが彼らは戦っているわけではない、携帯を取り合っているだけだ。
「往生際が悪いぞ真奥!」
鈴乃は体勢を崩した真奥の隙をついて携帯に耳を当てた。今のうちに漆原に一声かけてから携帯の電源を切ってしまわなければならない。ついでに今日という日が終わるまでは携帯を預かっておこうとも考えた。
それが甘かった。仮に漆原を黙らせたいのなら、問答無用で携帯の通話を切ってしまうべきだった。一声かけてやろうと言う温情があだになったと言ってもよい。
鈴乃は漆原に言った。
「るしふぇ」
『おでこにキスでいいんじゃないの? 罰ゲーム。あれ、ベル?』
「なな何を言っているんだ!」
『まあいいや、別に誰でも。今さー、ネットでググったんだけど、無難なんじゃないの? おでこにキスくらいが。あっでもベルと真奥はもうキ――』
「だ、黙れ!」
漆原が何を言うのか悟った鈴乃は素早く通話を切った。機械には強くない彼女だがその程度の操作は問題ない。だが彼女の頬は赤く染まり、息が乱れている。
「お、おい鈴乃。漆原はなんて言ってたんだ?」
真奥が聞くのを鈴乃はきっと睨みつけた。真奥はぐっと一歩下がった。鈴乃の気迫に押されたと言ってもいいだろう。
「な、なんだよ」
「……る、ルシフェルは」
ここは正直には言えない。鈴乃は言いながら考えた。今、なんとか罰ゲームをでっちあげなければならない。別に鈴乃が罰ゲームをするとは決まっていないのだから、言おうと言うまいと不利益はない。というのは的が外れている。
「おでこにキス」などと言うこと自体が鈴乃は恥ずかしいのだ。
「や、奴はな」
鈴乃は頭を回転させる。抜けているところはあるが、彼女は聡明と言っていい程度に切れ者だ。ただ率直に言えば嘘はへたなのだが、鈴乃は考えた。
(そ、そうだ。ルシフェルは負けた方が新宿駅を一週する罰ゲームを言ったことにしよう)
鈴乃は発想が体育会系である。しかも真奥は「新宿駅」についてはなにも漆原に言っていないから稚拙な嘘と言っていい。頭がいいとは言っても、やはり彼女は人を騙したりすることが本質的に向いていないのだろう。
「鈴乃?」
真奥が近付く。鈴乃はそれに反応して顔を上げた。心の中でさっき考えた「嘘」を繰り返す。真奥に伝えるためだ。
鈴乃の目の前に真奥の顔。赤い目をした彼がじっと鈴乃を見ている。
まともに彼の顔を鈴乃は見てしまった。
「……っ」
鈴乃は体が熱くなっていくのを感じた。胸のあたりから暖かい何かが広がっていく。彼女は真っ赤になった顔で呻く、
「あ、あがが」
「あがが? 何だそりゃ?」
真奥が訝しげに近づく。
(ち、ちかよるな)
近付かれると嬉し――慌ててしまう。鈴乃は心臓の音が聞こえる、今日は何回目なのだろう。彼女にもわからない。それが不快だと不快でもないのに思ってしまうから、さらに彼女の心がねじれる。
「る、るしふぇるはな」
鈴乃の頭は真っ白になった。そんな状態で鈴乃は口を開く。
「や、奴はだな、その」
「お、おう」
嘘を、嘘をつかなければならない。鈴乃は心に強く念じた。真奥はそんな彼女を見て、どんなことを言われたんだと身構える。彼の息が鈴乃にかかった。それがとどめと言っていいかもしれない。
「おでこにキスをすればいいといって、た」
(あれ? 私は)
鈴乃は今の言葉に疑問を持った。なにかとんでもないことを言った気がする。
(嘘を、言ってない?)
鈴乃の手が震え始めた。なにを正直に言っているのだろう。などと自省の気持ちが彼女を震わせているのではない。目の前に真奥の顔がある。真奥のおでこが見える。目の前、目の前なのだ。
鈴乃の唇が、小さく動く。彼女の頭にある「映像」はすでに、鈴乃と真奥が。
(あああああああああああああああああああああああ)
急いで鈴乃は妄想を振り払う。声は出さず、心で絶叫する。それをやめれば間違いなく、頭の中で「映像」がつくられるだろう。
そんな鈴乃のことはつゆ知らず、真奥は顎に手を当てて考えた。
(漆原が考えたにしては無難だな……減るもんはねえ)
実際には漆原は考えてはいない。単にインターネットと言う大海から引き揚げた言葉を鈴乃へ伝えただけだ。しかしそんなことを真奥は聞いてはいない。それに聞いたとしても、どうでもいい。
「くくく、決まったな鈴乃」
まさに悪魔というように真奥は笑う。鈴乃はなんとか返事をする。
「な、なにがだ?」
「罰ゲームがだ!」
「撤回しろ!」
「速ええよ! それに別にいいだろうが、額にキスくらい」
――キス、くらいだと?
真奥の不用意な一言。それが鈴乃の心の熱さ、その意味を変える。
くらいなどと考えるならここまで苦悩したりはしない。鈴乃は真奥を睨みつけた、すでに彼女の心は真奥への怒りに燃えている。そこには少しぐらい気持ちを読み取ってくれてもいいではないかという怒りも入っているのだが鈴乃には自覚がない。
「……いいだろう、真奥。貴様のあるかないか程度の体面など……埋葬してやる」
「か、勝手に俺の体面が死んだことにすんな! そこは埋葬じゃなくて、壊すとか殺すとか言うべきだろ」
細かいことを気にする真奥に鈴乃は携帯を突き出した。先ほど彼から奪ったものだ、終日預かっておこうと彼女は考えていたが、漆原との連絡が終わった今では持っていても仕方がない。
「速く取れ、真奥」
真奥は鈴乃が持っている携帯を見た。今にも握りつぶされそうなほど鈴乃はしっかりと携帯を掴んでいる。握りつぶすとは比喩ではなく、鈴乃がその気にさえなれば聖法気の肉体強化で可能である。だから真奥は焦った。
「わ、わかった」
真奥は鈴乃の手の上から携帯を掴かもうとした。それは鈴乃の手を握る形になってしまう。
「……っ」
鈴乃は手を触られて反応する。急に力が抜けて、彼女の手から携帯が抜ける。重力に従って携帯が落下する。床に落ちた携帯はかつんと音をたてて、跳ねた。
「うっうおおおおおおおお! なんで離すんだよっ」
真奥は絶叫しつつ地面から携帯を取り上げる。幸い外傷は少ないようだが、大切なのは内側である。それは見ただけでは確認できない。彼は必死に動作確認をした。古い型の携帯だが壊れれば多額の出費が出る。今の魔王城には本当の意味で余裕がない。
鈴乃は真奥に触られた手を見る。それだけで胸が鳴る。そんなことに反応してしまう自分が憎らしい。鈴乃は情けない行動をしている真奥を睨んだ。
「ぜっ絶対負けないからな! 真奥」
「くっ、それは俺のセリフだ。携帯の恨みだ!」
ばちばちと火花を散らす二人。だが鈴乃は忘れていることがあった。自分が勝ったときはどうなるのかを、彼女は忘れている。
次は対決します。