鎌月鈴乃さんに変な属性をつけた話。(はたらく魔王様)   作:ほりぃー

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おかしい、3話で終わる筈が終わりそうにない。


属性7 勘違い

 窓の外は景色が流れていく。

 鈴乃は電車のドアについた窓へ手をつき、情景を眺めていた。しかし、窓に映った彼女の顔は険しい。何かに怒っているようにも見えるがそうではなかった。

 窓に映った彼女の姿はいつもの和服ではない。おろした黒髪が白のブラウスにかかり、真ん中についたリボンが可愛らしさを引き立てている。窓には映ってはいないが、彼女は普段穿かない黒のスカートが恥ずかしいのか、さっきからもじもじと足を動かす。

 平日の中途半端な時間で電車の中には乗客は少ない。とはいっても東京の中心へ向かう電車にしては、少ないだけだ。それは鈴乃ともう一人が座れることができなかっただけでわかるだろう。

 鈴乃は少し顔を伏せた。がたがたと電車の揺れ動く音が耳に響く。

 

「似合っていたと思うぞ……本当だ」

 

 急に鈴乃は顔に手をやった。彼女の手に持っていた赤い布へ頬を擦り付けて、何か言いそうになる自分を押さえつける。彼女はさっきから、心臓がばくばくと鳴り続けていることが分かった。なんでそんなに緊張しているかわからなければ問題だろう、だが彼女はこの異常の原因は分かっていた。

「おい、鈴乃」

 鈴乃の後ろから「原因」がしゃべりかけてくる。鈴乃は振り向くことなく、できる限り平静を装って口を開く。それでも力んだせいだろうか、口調が強くなった。

「なんだ、真奥」

「な、なんだ? まだ怒ってんのか」

 つり革を掴んだ真奥は困惑したように言った。彼は何も荷物を持っていない、鈴乃の「和服」が入った紙袋は駅のロッカーに預けてきた。

真奥の様子を見ると、どうやら鈴乃の「装い」は成功したらしい。なんといっても彼に自分が怒っていると印象づけることができたのだから。だが鈴乃はそれが不満だった。どうすればいいのか鈴乃すらわからなくなっている。

「怒ってなどいない!」

 怒ったように本当のことを言う鈴乃。彼女は怒ってはいない。逆の感情を、隠したくて隠したくてたまらないから声が大きくなってしまう。そのせいで真奥には彼女の心が届かない。

「……怒ってんじゃん……」

「っ……」

 意思疎通とはこの世で最も難しいことなのかもしれない。鈴乃は、はあとため息をついた。いったん心を落ちつけてから、後ろを向く。真奥の姿が見えた。

 黒髪の青年。真奥貞夫がそこにいる。

 落ち着いたはずの鈴乃の鼓動が速くなる。彼女の顔が紅潮する。それを隠すためにまた、鈴乃は不満げに横を向いてしまった。

 真奥は焦る。なんで鈴乃が怒っているのかわからない。さっきのことならばもう謝った筈なのだ。ここまで根を持たれるとは思わなかった。と思っている彼は完全なる検討外れである。鈴乃に張った「根」は真奥の思っている物とは種類が違う。

「……と、とりあえず次の駅で降りて、飯にしようぜ! えっと。鈴乃は腹減ってるか?」

「……いや、そこまでは」

「そうか、あー。そういえば俺もあんまりへってねえな……どうしようか……おっと」

 電車が減速したらしい。真奥は体をよろけさせた。だがすぐに体勢を立て直す。

 そこにおなじようによろけた鈴乃が倒れこんできた。

「ま、まお」

「あっと。アブねえ」

 真奥は鈴乃の体を支えてあげる。鈴乃の背丈は小さいから真奥の胸のあたりに倒れこんできた。鈴乃は真奥と一瞬目が合って、ドキリとした。不可抗力とはいえ真奥に抱きかかえられる今の状況が鈴乃を紅く染める。

「……は、はなせ」

 あわてて鈴乃は真奥から離れる。突き放された真奥は「なんだよ?」とやはりわけがわからないと困惑するしかない。最初から微妙にすれ違っているのが、いいのか悪いのか。それは彼らにもわからない。

 真奥は「怒っている鈴乃」にやんわりと提案した。

「まあ、今朝から不良(エミリア) に絡まれたりしたからな……。座れるところに行ってなんか軽く食べねえか? あと少し喉乾いたしな」

 真奥の言った勇者に対する冗談を鈴乃は聞き流したが、どこかで休みたいのは鈴乃も同感だった。このまま、真奥とただ一緒にいるとおかしくなってしまいそうだ。彼女は横を向いたまま、言う。

「しょ、承知した」

 口調が固い。声は震えている。

 

 

 降りたのは新宿駅だった。鈴乃が電車から降りると、少しだけスカートが揺れた。すぐに彼女は手で押さえる。スカート自体、中が見えるような捲れ方をしないように作られているので必要はない行動なのだが、初めてミニスカートを着た鈴乃にはわからない。

 電車の入り口から少し離れてから恥ずかしげに鈴乃は振り返り、真奥を睨みつける。真奥はなぜ自分が睨まれたのかわからずに一歩下がった。

「な、なんだよ」

 スカートの中を見られたのじゃなかろうか。鈴乃はそんな疑問を持っているのだが、そんなこと真奥に聞けるはずがない。だから真奥を睨むしか方法がない。真奥からみれば本当に意味がわからないだろう。濡れ衣といってもよい。

「い、いや。わからないなら……いい」

「そ、そうか」

 鈴乃はふんと前を向いて歩きだす。真奥はそのあとを追う。彼は鈴乃の横へいくと並んで歩く。そのまま二人は新宿駅の階段を下りていく。

 

 

 改札を出て真奥は悩んだ。

(どこで食べようか……) 

 駅の構内には多くの店がある。あまり高望みしなければ大抵の物は食べることはできる。しかし鈴乃はそこまでお腹は減っていないと言っていた。それは真奥自身も同じだ。

 そうは言っても今日一日歩き回るわけだから何も食べない、とはいかないだろう。それは後々に後悔するのが目に見えている。真奥は難しい顔をしながら、歩いた。

(お、怒っているのだろうか……)

 鈴乃は何か勘違いしつつ、真奥を見る。さっきから大人げのない態度をとりすぎたと今更ながらに申し訳なく思う。彼女の手には汗がじんわりと浮かぶ。まるで先ほどとは立場が逆転したようだった。

 鈴乃は肩を並べて歩きつつ、恐る恐る聞いた。

「ま、真奥?」

「あ?」

 薄目を開けて真奥は鈴乃を見る。それが不機嫌そうに見えて鈴乃はぐっと息をのんだ。彼女はやはり怒っているのだろうと勝手に結論付ける。真奥は単に「カレーかカッツドゥーンかそれとも…」と悩んでいただけなのだが鈴乃はしゅんと肩を落とした。

「……そ、そのだな」

 片手に掴んだ赤い布が皺を作る、鈴乃の手には力が入っている。彼女はなにを真奥へ言っていいのかわからない。謝ればいいのかそれとも、機嫌を取ればいいのか。唇を噛んで彼女は悩む。

(うどんか……やっぱり)

 真奥は別のことを考えている。鈴乃の好物を食べようかと考えているあたり、彼女のことを考えているも同然なのだがどうにも伝わらない。口に出していないからと考えれば当たり前かもしれないけれど。

 ふと、鈴乃の目にいつか見た看板が見えた。それは丸い緑の縁の中に黒塗りの男が書かれたロゴ。

(あそこは……たしか恵美殿と行った、カフェ?)

 ムーンバックス。都内だけでなく、日本各地でチェーン展開しているカフェである。二年後には山陰地方にも開店し話題になるのだが、真奥達はまだ知らない。

 以前、エミリアこと遊佐恵美と鈴乃はここへ来たことがあった。だから鈴乃はここを見つけて救われたような気持ちになった。それは多分に「真奥と話す材料」ができたことへの喜びからくるのだが、そこまでは自覚していない。

「おい、鈴乃軽くうどん……」

「真奥! あそこへ入ろう」

 鈴乃が指をさすのが一瞬速かった。まだ真奥は「うどん」しか言っておらず「食べよう」までは言えなかった。

真奥は鈴乃の指した方向を見た。ああ、と彼は頷く。普段ならばコーヒー一杯に四百円前後かかる店には入らないだろうが、今日は懐に大金を抱えていることで気持ちが大きくなっている。それにあの店でも食べ物を多少扱っていたなと彼は思考する。

逆に鈴乃は「うどん」の単語でお腹が空いた。聡い彼女は真奥が「うどんをたべよう」と言ってくれようとしたことが分かる。それだけでさっきまでの苦悩を忘れて食べたくなるのだから現金と言えばそうだろう。

「じゃあ、あそこで軽くたべるか」

「あ、ああ」

 誘った方の元気がない。鈴乃は小さく鳴ったお腹をさすりながら店に向かう。真奥は特に考えることもなくなったのでにこにこし始めた。そんな真奥の様子をみて鈴乃は思わず聞く。

「真奥? 怒ってないのか……?」

「はあ?」

 真奥は先ほどの鈴乃のように否定するではなく、いきなりなんだと表情で表した。彼にとっては慮外のことだったのだろう。それで鈴乃は悟った。真奥は怒っていないというよりもそんなことを考えてもいなかった。

「は、はは」

 乾いた笑いを浮かべる鈴乃だが、内心ほっとしている。

「そうか」

 安心したような声を出す鈴乃。真奥は何かわからないが、彼女の声が柔らかくなったことに安堵する。やっと機嫌を直してくれたかと思ったのだが、そもそも鈴乃は最初からご機嫌である。ご機嫌だから怒って見えたわけだが、そこまでは真奥にも分からない

 真奥は店に入る前に、ある疑問というより不安を口にした。

「あッ、そういえば俺あんま入ったことないんだよなあ……ここ。普段自分のコーヒーなんて自販機かスーパーの安物で作るからな……」

 鈴乃は真奥の言葉にぴくりと肩を動かした。

 端的に言おう。鈴乃は喜んだ。彼女は得意げに真奥に言った。

「そ、そうか。では私が頼んできてやろう。真奥は席を確保してくれ」

「ん? まじで? ここに鈴乃は良く来るのか」 

「ま、まあな」 

 鈴乃も一度か二度しか来たことがない。それでも見栄を張っているのはどういう心理なのだろう。単に自分が役にたつのが嬉しいのか、はたまた「真奥」が喜びそうだと思ったから言ったのか。

 鈴乃にもわからない心の機微は真奥にはわからない。だが彼は鈴乃に顔を向けてニカッと笑った。その笑顔を悪魔の王がするものだとはだれが信じるのか、しかし少なくとも――

「頼んだぜ鈴乃。これ財布な、あとなんかてきとうに食べられるものを買ってきてくれ」

「あ、ああ。……まかせろ!」

 魔王の笑顔はここにいる女の子の顔を綻ばせる、それは間違いない。

 

 

 

真奥が店の入り口に立つと自動ドアが開いた。彼が入ると、鈴乃も続く。中から店員の「いらっしゃいませ」のコール。

鈴乃が店内を見ると前に来た時と相違なく、いくつかの丸机が窓際に並んで置かれている。そこには会社員だろうかスーツを着た男がコーヒーを片手にノートパソコンを開き、何かを打ち込んでいる者やまたはラフな格好をした若者が分厚い参考書を開いていたりしている。

鈴乃が前に来た時も、ムーンバックスでそんな人達を見た気がした。もしかして同じ人間かとも思ったが、彼女の来た店舗は別の場所だ。つまるところ客層が固定化されているのだろう。

店内には多くの人がいたが、真奥は素早く空いていた席を確保に奥へ移動した。そこは接客業をしているからか、席をとることの重要性を知っているのだろう。その動きには無駄がなかった。

 

 

 真奥と別れた鈴乃は注文をしに行った。だがレジの前には数人の列。しばらくかかりそうだなと鈴乃は思いつつも、最後尾にならぶ。手に持ったチェックの赤い布を真奥に預ければよかったと彼女は思う。

 店員の一人がそんな鈴乃を見て、近寄ってきた。その店員は、グリーンの前掛けをつけて、耳にインカムをつけた女の子だ。彼女は鈴乃に笑顔で言う。

「あっこれメニューです、よかったらどうぞー」 

「ん? ああ。ありがとう」

 店員から一枚のメニューを受けとった鈴乃は、それに目を通す。先にメニューを渡されれば、客には待っている間に注文を決められる。その上回転率をあげたい店側にとってもメリットがあるのだろう。鈴乃は良く考えているなと感心した。

 

「えっと、真奥が好きそうなものは……」

 真奥はてきとうに買ってきてくれとしか言っていないのに「好きそうなもの」を探す、鈴乃。しかし、メニューには「なんとかモッツァレラ」とか「なんとかサラダ」などとよくわからない横文字が羅列されている。

(……あれは、たぶん餅の一種か。わ、私と真奥は同じもので……いいだろう)

 違う。「モッツァレラ」である。良く調べもせずに選ぶからこういうことになる。

(あとは飲み物だな)

 鈴乃はチーズの一種を餅と勘違いしたまま、飲み物を選別した。だがこれもただ「コーヒー」などと書いてくれればよいのにラテだのフラペチーノだのと小難しい単語が並んでいる。鈴乃はだんだん順番が近付いてくることも相まって、急いで選んだ。先ほどは一緒の物に決めたが、今度はなんとなく気恥ずかしく鈴乃は別々に選んだ。

(真奥は……あの「ばにらふらぺちーの」とかいうのにしよう)

 お昼ごはんと一緒にバニラの浮いた甘ったるいものに決められた真奥。

(私は……あっ。コーヒーがあるな、たしか恵美殿と来た時もあれにしたはずだ……)

 鈴乃は前に来た時と一緒の物にした。とりあえずは注文するものを決めて。内心ほっとする。だが鈴乃はその気持ちに疑問を覚えた、たしかさらに困難が待っていた気がするのだが思い出せない。以前は恵美の同伴でそこまで悩んでいないから、その「困難」に対して記憶が薄い。

「いらっしゃいませー。お客様、こちらにどうぞ」

 鈴乃の前の客が注文を終えて、横にずれる。そこでカウンターにいた髪の短い精悍な顔をした男性店員が鈴乃を誘導した。彼は光るような笑顔を鈴乃に向ける。

「あ、ああ」

 鈴乃はそれに気圧されながらも、ごほんと一息。そのあとに注文を伝える。

「あのもっつぁれらさんどを2つと……あとは、ばにらふらぺちーのとアイスコーヒーを一つずつ頼む」

 自分の注文だけは流暢に言いつつ、鈴乃は青年に伝えた。青年はにっこり笑ったまま、「かしこまりました」と言う。そして、カウンターに置かれたメニュー表を指さしながら言った。

「お飲み物のサイズはどうなさいますか?」

「む?」

 鈴乃がメニューを見て唸った。

 

Short

Tall

Grande

Venti

 

 なんだこれと鈴乃は目を疑った。全く読めない。というかどれが大きくて、どれが小さいのかすらも鈴乃にはわからない。

(あ、アメリカ語か。ど、どうすれば)

 焦ったあまり変な勘違いをする鈴乃。そもそもこのサイズ表の主要な単語はイタリア語であり、「英語」ではない。

 鈴乃は思い出した。

「あっあの時」

 恵美と一緒に来た時、彼女は注文の最後の方で「ぐらびで」とか「書道」だとか法術用語のようなことを店員に言っていた。あれはこれのことだったのだ。と鈴乃はすさまじくあいまいな記憶を思い出した。当時は勇者と対面したのが初めてで些末なことはほとんど覚えていない。

「あっ、ま、おう」

 鈴乃は遠くにいる真奥を見た。彼は奥の席を確保して、座っている。こっちに気が付いたようで鈴乃を見ているので助けを借りられないことはない。だがさっき任せろと言った手前鈴乃は助けを求める声を出すことができなかった。

 となれば、自ら解決するしか方法がない。

「あの、えっと」

 もごもごと鈴乃はなにかを言う。青年は「?」と疑問符を浮かべた顔で彼女を見る。その空気を察したのか鈴乃も汗をかく。彼女の後ろには大勢のお客が並んでいるから、あまり自分ばかりが手間取るわけにはいかない。

 鈴乃は意を決した。このメニュー表を見れば「Grande」が真ん中にあるから、それが牛丼やらでいう「並」だろうと勘違いしたまま決定する。鈴乃はとりあえず、サイズだけは決定した。あとは青年に伝えるだけだ。

ここにおいて真奥のバニラが増量されるのだが、それは別話。

 鈴乃は口を開いた。単語の読み方がわからないが、アルファベッドならわかる。

「こ、このじーあーるえー、な、なんとかを、ふ、二つ。あっあとミルクとシロップをつけてくれ」

 後ろの客が口に手をあてて、肩を震わせはじめる。

「あっ、……かしこまりましたー」

 優しい青年は満点の笑顔でかしこまる。「グランデ」などと野暮なことは一言も言わなかった。青年はさらに会計を進めて鈴乃との金銭のやり取りを終える。

「では横にずれてお待ちください」

青年にそう言われた鈴乃はやりきった顔でレジの横に行く。あとでメニューを指さして注文すればよかったと後悔するが、それも別の話。

 

 

 

「なあ、鈴乃? これが俺の昼めしか?」

 大きな容器に入ったバニラフラペチーノを片手に真奥は鈴乃に聞いた。サイズが大きいので、これだけでお腹に溜まりそうだった。

「あ、ああ。悪魔も、あ、甘くなったほうがいいと思ってな」

 鈴乃はアイスコーヒーを持って、愚にもつかぬ言い訳をする。それにこれ以上真奥に甘くされれば本当に彼を魔王として見ることができなくなるだろう。

鈴乃が目を泳いでいるのが、彼女の困惑を表している。

(ばにらってバニラアイスのことなのか。す、すまない真奥)

「……真奥。食べないのか」

 罪悪感を覚えつつも鈴乃は真奥に謝れず、かといってほかに言うこともないので食事を勧めた。それはそれで鈴乃も素直に謝れないことにさらなる罪悪感を募らせる結果になるので悪循環としか言いようがない。

「お、おう」

 真奥は鈴乃の買ってきた「餅が入っているらしい」という包みを開けた。暖かいパンズにキノコに「餅っぽいの」がかかっていているサンドでなかなかにおいしそうだ。

(も、ち?)

 とろけたチーズを見つつ真奥は疑問に思ったが、とりあえずフラペチーノの容器を机に置いて食べてみた。包みを両手で持って、かぶりついた彼を鈴乃は心配そうに見る。

――おいしくなかったら、どうしよう

不安とともに鈴乃は真奥を見る。真奥はパンを具ともに口ちぎり、口の中で咀嚼する。それから飲み込んで鈴乃に言った。

「こ、これおいしいな」

 鈴乃はどきりとする。自分で選んだものを真奥に「おいしい」と言われた瞬間、心の底から何かが湧き上がってきて口元がほころぶ。だがそれを真奥には見られたくないという気持ちもあり、俯いてしまう。ただ、その肩は震えていた。

「あちっ」

 真奥は食べながら、チーズの熱さを感じた。彼は横に置いていた「飲み物」を取り容器に刺さったストローを咥えて飲むのではなくすする。バニラの甘さと冷たさが口の中に広がる。白い甘さに、先ほどのチーズの味や温かさは全てが飲み込まれていく。

(……口の中で味が喧嘩してる……)

 真奥は甘い物を飲みつつ、渋い顔をする。俯いている鈴乃にはそれが見えなかった。

「鈴乃は食べないのか?」

「あ、ああ。食べる」

 鈴乃は真奥に促され、自分のサンドの包みを開けた。彼女は真奥と同じように両手で包みをもち、食べる。真奥のように口にこそ出さないが、少しだけ目を見開いた。つまりおいしかったのだろう。

「あつい」

 ここは真奥と同じように感じたらしい。鈴乃もアイスコーヒーの容器をとって、ストローから飲む。コーヒー独特の苦みが鈴乃にはおいしく感じられた。

それを真奥は恨めし気に見ている。ぷはとストローから口を離した鈴乃は真奥のような苦悩を抱えていないことが表情からわかる。飲み物を飲む、いや「すする」たびに味のリセットが行われる真奥からみれば、なるほど不公平だろう。

「すこしくれよ、鈴乃」

「は? 貴様、自分の分があるだろうが……。あまり食い意地をはるな」

 真奥の言っているのはアイスコーヒーのことだったが、鈴乃はサンドのことだと思った。ここでも微妙に勘違いしているが真奥としては拒絶されたことですこし、むっとした。

(じ、自分だけコーヒー飲みやがって……俺のはデザートじゃねえか!)

 鈴乃はコーヒーの容器を台に置いた。真奥の目がきらりと光る。

 一瞬のことだ。真奥は鈴乃前からアイスコーヒーの容器を取った。

「あっ。真奥、なにをする!」

「だから、すこしくれって言っただろうが。けちけちすんなよ」

「それのことだったのか……まあいい、いや、ん? 待て、真奥!」

 やっと勘違いに気が付いた鈴乃だが、彼女は「あること」に気が付いて真奥から容器を奪い返そうとする。しかし真奥も、手を動かして回避する。

「鈴乃、今、いいって言っただろ。フェイントかよ汚ねえぞ」

「ち、違う、ともかくそれを返せ!」

「……すこしだけだって。口の中が甘いんだよ! さっきから」

「そういうことではな……あっ」

 鈴乃がなにかを言い終わる前に、真奥は容器のストローからコーヒーを飲んだ。鈴乃はそれを呆然と見つつ、震えはじめる。真奥が音をたてて飲むのを見て、鈴乃はなにかうめき声のような声を上げる。

 

さっきあのストローで自分も飲んだのだから、そうなるのは当たり前だろう。

 

「あっあ、ままお」

「……な、なんだよ。そんなに飲ませたくなかったのか?」

 鈴乃の顔が赤くなっていく。その様子を見て、真奥はさすがに申し訳なく感じた。彼はストローから口を離して鈴乃に返す。

実際のところ返されても鈴乃は困ってしまう。今、目の前で真奥が飲んでいたものだ。口をつけるのは、いろいろと勇気がいる。鈴乃は容器を凝視しつつ、無言になった。

「…………」

(鈴乃……そんなにコーヒーが好きなのか。まあ、ここのは高いからめったに飲めねえしな)

 鈴乃がいきなり黙ったので真奥は「無言の抗議」とそれを受け取った。その上で自分はあまり飲まないから鈴乃も飲まないだろうと勝手な推測を付け加える。事実はそこまで単純ではない。

 真奥はサンドの入った包みを取って、食べ始める。鈴乃が何も言わなくなったのでなんとなく気まずくなったと彼は思ったが、鈴乃はそれどころではない。

(こ、これ。どどどどうしようか。わ、わたしのだから飲まなければいけない、だろうな)

 鈴乃はコーヒーの入った容器を見つめながら考える。さっきから心の中で真奥への非難とやら真奥への好意やらが――

「ち、ちがうちがう」

 いきなり何かを否定する鈴乃。彼女は頭を振って、邪念を払う。真奥は「なにやってんだ」とは思ったが、口の中でものを咀嚼しているためしゃべれない。

 鈴乃は容器を手に取った。両手で包み込むように持ったから、冷たさが皮膚にしみる。容器が震えるのは鈴乃のそれが伝わっているからだろう。

(の、飲んだのは……ま、真奥がかってにやったことだからな……そ、それに私は)

「私は喉が渇いているんだ!」

「えっ? ああ、そうなのか……?」

 急に自己主張する鈴乃に真奥は驚いた。だからコーヒーを頑なに渡そうとしなかったのかとも思う。だが鈴乃は喉の渇きなどどうでもよい。今は心臓がうるさくてしかたがない。

(このコーヒーは私のだからな、全て飲まなければ……その作ってくれた者にも悪い、だ、だから)

「これは仕方ないことだからな! 真奥!!」

「な、なにが?」

 いちいち言い訳をする鈴乃に真奥は返答する。だが鈴乃が何を言っているのか真奥もわからなくなってきた。だから思考する。さっきから鈴乃はなにをいっているのだと考えた。完全に藪蛇である。

 そんな真奥の心境はつゆ知らず、鈴乃は震える両手で容器を口に近づけた。心の中では「仕方ない、仕方ない!」となにかにたいして言い訳をしている。

 鈴乃はほんのりと赤らめた顔を容器に寄せる。桃色の唇が開き、ストローを咥えようとする。鈴乃は最後に目をつぶった。

 ストローを噛む、鈴乃。目をつぶったまま中のコーヒーを吸う。だがその味はわからない。別のものを味わっているのだから、それもそうだろう。

「あっ、新しいストローもあるぞ鈴乃。ほらっ、いらねえのか?」

 やっとそのことに思い至った真奥がなにかを言うが、鈴乃の耳はそんなことは届かない。彼女は味のしないコーヒーを飲む。そして数分後の鈴乃はこう、真奥に言うのだ。

「は、早く言え!!」

 

 

 

「そういや鈴乃」

「ん? なんだ、真奥」

 すでに真奥と鈴乃はサンドを食べ終わっていた。

鈴乃はあたらしいストローをさしたコーヒー容器のふたを開けて、小さな入れ物に入ったコーヒーミルクを取る。最初からミルクをいれるべきだっだのだがさっきはそれどころでなかった。鈴乃が開けた拍子にミルクが少しだけ飛び、机に白い点を作った。

だがなぜか鈴乃は気にする様子もなく、真奥の問いかけに顔を向けた。

「おい、ちょっと飛んだぞ。いや、今日のことなんだけどよ。どっか行きたいところはあるか?……お前は、あんまり。遊びはできそうにはないからな。無理して、言わなくてもいいけどな」

「……真奥、私をばかにしていないか?」

 じとりと真奥を睨む鈴乃。彼女はその容姿から感じるよりもすこし年齢が高い。そんな女性に本当のこととはいえ、「遊びができない」といえば失礼にあたるだろう。鈴乃も多分に漏れず、そんな意地がある。

「ふん、たしかにで、デートなど。来たことはないがな……真奥!」

「あ、ああ」

 真奥を威嚇するように鈴乃は言う。だが「デート」も噛まずに言えない彼女の男性関係など推して知るべしである。それでも鈴乃は腕を組んで真奥に語り始めた。真奥も実は鈴乃はいろいろと知っているのではと思う。彼も経験が浅い。

「……聞いたことがある」

(あっ、だめだこいつ)

神妙な顔をしている鈴乃を見て真奥はそう思った。どこに行きたいのかと言ったはずなのだが、まるでなにかの伝承を話すような口ぶりの鈴乃から彼は全てを悟った。はかない鈴乃への期待だったが、それでも彼は口をはさんだりはしない。

 鈴乃はなにかを思い出すように、たどたどしく言い始めた。

「でーというのはだな、その、集まってからご飯を食べ、そのご『からおけ』やら『げーせん』やらに行き遊ぶのだ」

 おおっと真奥は驚いた。案外に現実的な話を鈴乃はしている。だが発音が怪しいから本当に又聞きかテレビの受け入りだろうなとも彼は思った。しかし鈴乃の話はまだ終わってはいない。

「……そして最後はホテルに行ってから終わりだと聞いている」

 真奥はこめかみに皺を作って、渋い表情を浮かべた。今、鈴乃はなんといったのか。行く気だろうか、最後の場所へ。おそらく勘違いしているのだろうが、本気で言っている可能性もある、真奥はどう返そうか、本気で悩んだ。

 真奥が苦悩しつつ、無言になったことで鈴乃は不安になった。なにか間違ったことを言ったのだろうか、彼女は真奥へおそるおそる聞いた。

「そ、そのだな真奥。私としてはホテルというのは……性に合わない。できれば『旅館』に泊まってみたいと前々から思っていたのだが、どうだろう?」 

 どうだろうと言われた真奥は一層苦悩の度合いを深めた。だが一つだけわかったことがある。鈴乃は「ホテル」を単なる宿泊施設にしか考えていない。だから「旅館」などといったのだろう。

 伝えるべきか、伝えざるべきか。真奥は歯を食いしばって考える。ここ数日でもっとも悩んだ。

彼は言う。ゆっくりと。

「鈴乃……お前。俺が最初のデートでよかったな」

「なななにをいきなり! そ、それは私と来て、その…真奥は…嬉し……とい……こと」

 最後の方はよく聞き取れなかったが、真奥は顔を赤く染めて唇をかむ鈴乃のことを本気で想った。このまま放置していたら、大変なことになりかねない。彼は居住まいを正して鈴乃に向き直る。その顔は真剣そのものだった。

「鈴乃」

「っ……」

 鈴乃は名前を呼ばれて体中が熱くなった。彼の赤い眼光を、真っ直ぐ見れない。

「鈴乃」

 真奥はもう一度、彼女の名前を呼んだ。鈴乃はなんとか搾りだすような声を出す。

「な、んだ」

「大切な……話がある。聞いてくれ」

「た、大切な、話……?」

 鈴乃の心臓が鳴る。この状況で言う、大切な話とはなんなのだろうか鈴乃は考えた。まさか、まさか――。

「わ、わかった。聞こう……」

 鈴乃は期待と焦燥とが入り混じった心境で返事をする。それでも「聞く」と言ったのは、つまり前者の気持ちの方が強いのだろう。真奥もうんと頷いて、鈴乃に顔を近づけた。

「耳を、貸してくれ」

「あ、ああ」

 唯々諾々と従う鈴乃。彼女は真奥の顔に耳を寄せる。口を閉じ、目をつむる。今から真奥の言う言葉を、早く聞きたかった。真奥は一度あたりを見回して、聞こえる範囲にだれもいないことを確認した。言うことが言うことだから彼は周りのお客さんに配慮したのだ。そのせいで鈴乃は焦らされた。

 やっと真奥が口を開く。

「実はな……ホテルっていうのはだな……」

 鈴乃の耳に真奥の声が届く。近くにいる分、彼の声は鈴乃には良く聞こえた。

 鈴乃の目がゆっくりと開かれて、首筋から赤みがさらに増していく。口が開いて「あああ」と良くわからないうめき声を出し始めた。

「その、だからなあまりそういうことは言わない方がな、いいと思うぜ?」

 真奥の言葉は続く。まるで拷問の様である。

 鈴乃がいきなり真奥の胸倉をつかんだ。そのまま引き上げる。

「ま、真奥おおおおお!」

「は、はい!」

 店中の視線が彼らに集まる。真奥の配慮は水の泡になった。多くの人が「痴話げんかか?」と奇異な目で彼らをみた。そんな話ではない。

 鈴乃は真奥だけを見つめて言う。

「ささ、さっきの言葉は、わすれろぉお!」

 鈴乃は泣きそうな声だった。 

 

 

 

 

 店をでてから鈴乃は真奥と目を合わせようとはしなかった。それどころか彼の前をずんずんと歩いていく。片手には赤い布。

 真奥はそこでふと思った。

「おい、鈴乃?」

「なんだっ!」

 勢いよく振り向いた鈴乃の目には敵意に似たものが燃えている。真奥はその目に気圧されつつも疑問を口にする。

「いや、それずっと手に持ってるだろ? なんだ、それ」

「あ、ああ。これか」

 鈴乃は赤い布を広げた。広げてみると、意外に大きくなる。鈴乃はそれをひるがえして、肩から羽織った。チャックの布が彼女を包み。真奥に向き直った。

「こうやって着るそうだ。ぽんちょとか言っていた」

「ぽんちょ? ああ、ポンチョか。着てる人多いよな」

 なるほどと得心したように真奥は頷く。鈴乃はポンチョの前に付いたボタンを閉めた。ポンチョ自体にはあまり飾り気はないが、少し胸元が開いておりブラウスのリボンが見える。あの店員が計算したのだろう。

「ど、どうだ。ま、まあ貴様のことだから、変なことを言いかねんが」

 鈴乃は少しだけ、腰を回す。赤いポンチョが揺れた。

 真奥はそれを見て言う。

「あ? なんだ、その評価。似合ってるだろ」

「…………貴様というやつは」

「な、なんだよ!? 変なことは言ってねえだろ」

 変なことを言わないから問題なのだ。鈴乃はポンチョの裾を手でめくり、顔に当てた。

 




お疲れ様でした。カフェでご飯食べただけなのに、長くなった気がします。

書いてて楽しかったのでイイですけど!

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