鎌月鈴乃さんに変な属性をつけた話。(はたらく魔王様)   作:ほりぃー

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属性5 三つ指

 虫の声の聞こえる夜。テレビもない真奥の部屋で真奥本人と芦屋、漆原の三人の悪魔が机を囲んでいた。机の真ん中には小さな皿に漬物が数切れ乗っている。それ以外はなにもない。

 今朝に芦屋が特売へ買い出しに言った食料は「保存食料」にせざるをえないほどこの魔王城は窮迫していた。先月から食費のピンチが続きすぎて芦屋は腹部に痛みを覚える。

 三人はそれぞれお椀を持っていた。小盛りの白飯は皆同じだが、漆原は少しだけ少ない。そもそもここまで質素な食事をしている原因が彼にあることを考えれば、食事をさせてもらえるだけ寛大なことなのかもしない。

 三人は無言。部屋の中では漬物を噛む音と白飯を咀嚼する音とたまに食器の鳴らす高い音だけが支配している。

「…………」

 しかめ面の芦屋が目を真奥に向ける。真奥も気が付いたのか見返した。

「真奥様……。このような、粗末な食事しか用意できず、申し訳ありません」

「いや、お前のせいじゃねえだろ」

 真奥はそう言うとお椀を机に置いた。きんと音が鳴り、真奥は息を吐く。

「まあ、やっちまったもんはしかたないしな……今回はいろいろ開けちまっているから返品は難しいかもしねえけど。できるんなら、芦屋調べておいてくれ」

「はっ。お任せを」

 芦屋もお椀を置いて、真奥に礼をする。家計を預かる者としてこの危機は絶対にのりきらねばならない。ちなみに返品とは漆原が買ったオセロを始めとするガラクタ一式のことである。

 芦屋も真奥も漆原に対して何も言わないのは、いろいろと諦めているのか。それとも溜めに溜めた上で怒りを爆発させる為なのか。漆原は平静をよそっているが、背中は濡れていた。まるで針の蓆で正座させられている気持ちである。自分から乗ってきたのだから、同乗の余地もないが。

「……ところで、漆原」

 こめかみ青筋をたてて芦屋が振り向く。びくりと漆原の体が跳ねた。どうやら、溜めた怒りを爆発させる方だったらしい。

「な、なに?」

 震える声で漆原は聞いた、さりげなくお椀を置くのは逃げる準備。芦屋は立ち上がって上から彼を見下ろしつつ言う。

「貴様というやつは、何度も何度も……。今回はただで済むと思ってはいないだろうな?」

「で、でもさ。芦屋、ベルに秘密がばれずに済んだじゃん。あれのおかげだよ」

 漆原がばっと部屋の隅を指さす。そこには「返品予定」と紙の貼ってあるダンボールがあった。そこの中にはオセロも入っているから、秘密の保持に一役を買ったと言えばうそではない。

「なにが秘密がばれずに済んだだ! そもそも貴様が全ての元凶だろうが!!」

 元々漆原と鈴乃の喧嘩が情報の秘匿、その原因であり喧嘩自体も漆原が多分に悪い。元凶と言われても仕方なかった。それでも漆原は抗弁しようとした。このままでは芦屋は彼のもっとも恐れることを言いかねない。

「…ぁ、でも」

「もういい。漆原、貴様のパソ――」 

 

 コンコンとドアが鳴る。

 芦屋は言葉を言い終わる前にドアを見た。こんな時間に来るとは誰だろう。真奥に目で問いかけるが、真奥も首を振る。と言うことは彼の主人の用事でもないらしい。もちろん芦屋の目の前に転がっているいい年をした幼児にも関係はあるまい。

芦屋がドアに近寄り、誰ですかとドア越しに聞いた。

ちなみにこの時漆原は心臓がばくばく鳴って止まらない。あと二秒、外の客が来るのが遅ければ間違いなく「死刑宣告」が言い渡されていた。誰だかしらないが、彼は訪問者に感謝する。

「私だ」

 外から聞こえてきたのは鈴乃の声だった。ああ、と芦屋は言いながら鍵を開けてドアを開く。そこには間違いなく和服姿の鈴乃がいた。彼女の両手は少し大きめの鍋、その取っ手を持ち鍋を抱えている。

「夜分にすまない。……これを茹でたのだが、少し多く作りすぎてしまった。良ければ、食べてもらえないか?」

 鍋の中からはいい匂いと湯気が立ち上がっていた。蓋はしていて中は見えないが、大体はおすそ分けの内容を芦屋は把握する。白い麺類だろう。窮乏していた彼らにはまさに渡りに船だった。

「いつもすみません、鎌月さん。……今日は家のあれが迷惑をかけたようで」

「うっ…い、いや、なに気にすることはない。……事の顛末は、聞いたのか」

 動揺した様子で鈴乃は芦屋に探りを入れた。ちなみに彼女の聞いているのはオセロのことではない。そのあとのことだ。

「ええ、ボードゲームで。賭けを強要したとか……」

「えっ? それだけか」

「えっ? それ以上のことが?」

「い、いや! 気にしないでくれ。それ以上は何もなかった!」

 どうやら芦屋は「あのこと」を聞いていないらしい。実質的に考えて、真奥と漆原の知っている「あのこと」を芦屋が知っていようがいまいがあまり変わりはないだろうが、それでも鈴乃は気にしている。

「そうですか……?」

 鈴乃の様子を疑うように芦屋は言う。これ以上詮索されればまずい。鈴乃は軽く笑ってから「それよりも、冷めてしまう」と部屋の中に入って行った。

「おっ、鈴乃じゃねえか」

「真奥、夜分失礼する」

 鈴乃は黒髪の家主に会釈した。真奥は真奥で笑って彼女を迎える。本当に悪魔か、と鈴乃が聞きたくなるほど屈託のない笑顔だった。

 真奥鈴乃。

「……!」

 へんなことを思いだした鈴乃が鍋を持ったまま、赤くなる。急に止まった鈴乃に真奥が「どうした?」と聞くと、鈴乃は我に戻った。

「な、なんでもない。それより、これはおすそ分けだ。良ければ食べてくれ」

「ほ、本当か鈴乃! 今日は漬物しかなかったんだ」

「つけもの……」

 鈴乃が見ると台の上には漬物しかない。なにか憐れみのようなものを鈴乃は彼らに感じてしまう。

 真奥が漬物の数切れ残った皿を机から下げると鈴乃がかわりに鍋を置こうとした。

「あっ待ってください鎌月さん」

 鈴乃が鍋を置く前に芦屋が机にタオルを敷いた。礼を言って鈴乃はこんどこそ机に鍋を置く。全員が手慣れているのは、鈴乃の「おすそ分け」がこの悪魔達の生命線になっている証左ともいえよう。漆原が手伝わないのは誰も気にしない。

「中身は飾り気のない、素うどんですまないな」

「そんなことねえよ。ほんとに助かる」

「そ、そうか」

 この頃の真奥達の食事を見ればこれでも高級品のような感があった。少なくとも一日中のハンバーガーよりははるかにいいだろう。鈴乃は真奥が正直に喜んでくれるので、はにかむしかなかった。

「真奥様、おつぎいたしましょう」

 芦屋はそういって、4つ器を用意する。鈴乃の分が入っているのはいいが、これには漆原の分も入っているのだから、芦屋はあまかった。

 

 さて、どう切り出すか。

 鈴乃は手にもった器を見ながら思案する。中の汁が自らの顔を映す。

 鈴乃がうどんを茹でたのは偶然でもなければ、作り過ぎなどと言うようなことでもなかった。これは口実に過ぎない。真奥が帰ってくるころに合わせて茹でたのだった。

 目的は一つ。あの夜のことを聞きだすこと。少なくとも今は問題なく食事に紛れ込むことができた。問題はここからだ。

 それでも鈴乃は「作りすぎた」と言った手前、自分の分は自宅にあることを伝えたも同然である。今でも鈴乃が、よそってもらったうどんの入った器を持っているのはあまり自然ではないかもしれない。だから時間はなかった。

 余談だが、真奥の帰りを待ちながら食事を作る鈴乃。これは意味を変えれば面白いことになるのだが、彼女は気が付いていない。

「なあ、真奥」

「ん? なんだ」

 鈴乃の問いかけに真奥は反応した。手に持ったどんぶりの器にはなみなみとうどんがつがれている。逆に少なめになっている鈴乃の器を考えれば、芦屋は分量を考えているらしい。その芦屋は自分でよそったうどんをもぐもぐと食べている。その横では同じように漆原が座って食べている。

「鈴乃?」

 鈴乃は真奥の言葉にはっとした。あいまいに返事をしつつ、思ったことを口に出してしまう。彼女は単刀直入に聞いてしまう。あの酒宴でなにがあったのかと。

「あの酒――」

「あしやぁ! うどんふやしてくれ!」

「はっ! 真奥様!」

 さすがは魔王と言うべきか。一瞬で鈴乃の言葉を飲み込んだ真奥は即座にうどんの増量を要求した。それを受ける芦屋ことアルシエルの返事も絶妙だった。鈴乃にその先を言わせない速さが芦屋も鈴乃の意図を飲み込んだことを表している。

 その上鈴乃は「自然にもぐりこめた」と思っているが、昼にあの酒宴のことを聞きだそうとして漆原に負けたことを考えていなかった。すでに悪魔達は重々承知。真奥達はここに鈴乃が来た時点で大体の要件は察していた。

「真奥様。うどんはこのぐらいでよろしいですか!」

「あ、あの」

「お、おう、芦屋!それぐらいで」

「あの時私は……」

「やっぱりもっと入れてくれ! たりねえ!!」

 鈴乃の声をかき消すぐらいの大声でしゃべる二人。漆原は箸を口に咥えたまま耳を両手でふさいだ。真奥はうどんの詰め込まれた器をうけとり、食べ始めた。

「ご、ごほん」

 わざとらしく咳払いする鈴乃。真奥は聞いているが、反応しない。芦屋もしない。漆原はわれ関せずとうどんをすするのである意味反応してない。

「真奥、聞きたいことが」

「麦茶ぁー! 芦屋ぁ」

「ただいまぁ!」

 芦屋は素早く冷蔵庫に駆け寄ると扉を開けて麦茶の入った容器を取り出し、さらに食器入れに入ったコップを二つ取ると、それらにお茶を注ぐ。そして急いで真奥に渡した。真奥は感謝の言葉を口にしつつ、一気に呷った。鈴乃はその二人の態度に声を荒げた。

「真奥! 聞きたいことが!」

「鎌月さん。お茶です」

「あっ、すまない。いただく」

 無意識に芦屋の出したお茶を鈴乃はとり、お礼まで言う。芦屋はこのためにコップを二つ取り出したのだった。これによって鈴乃は完全にタイミングを失ってしまった。しかしさすがに真奥たちがなにかを隠していることには勘づいたらしい。

 真奥も芦屋もうどんを食べ始めた。わざとらしく口いっぱいに含んでいる姿から、しゃべる気はないという意思が伝わってきた。

 鈴乃は手にしたお茶を飲み、ふうと息を吐く。それで少しだけ頭が冷えた。

「なあ、ルシフェル」

「えっ? ぼ、僕?」

 矛先を変えた鈴乃に真奥と芦屋はうどんを口に含んだまま、驚く。漆原は漆原で完全に蚊帳の外だったのにいきなり言われて戸惑ってしまった。言葉を噛みながら彼は鈴乃に向き直った。うっかりとしゃべりそうな顔ではある。

だが、この状況はそう悪くはない。芦屋は思った。

(甘いな……今朝オセロに勝ったことを口実にすれば、漆原はなにも言う必要はない)

 そう今朝「勝ったら全てしゃべる」という条件の元、鈴乃と漆原はオセロで勝負して勝利したのだ。今、漆原が何かをいう義務などない。悪魔一の智将はうどんを口に含んだまま目で漆原に合図を送る。それは部屋の隅を示していた。合図は鈴乃の視界の外で行われるから彼女は気がつかない。

 漆原の目が動いた。完全に芦屋に気が付いている。その彼の目は下卑た光を放つ。

「っと、ベルは『あの酒宴』でのことを話してほしいんだよね」

「?!……そうだ」

 今からどうやって聞き出そうか考えていたところに漆原の方から言われて、鈴乃は少し驚いた。だがそれ以上に芦屋と真奥が驚く。二人はこれから漆原がなにを言うつもりかと冷や汗をかく。

「漆原!」

 芦屋は思わず言ってしまった。しかし、鈴乃が怪訝な顔で振り返ったので力なく目を背けた。公然の秘密と言おうか、一応には芦屋と真奥は「何も知らない」体をとっているのだからこれ以上突っ込むことはできない。全ては漆原次第だった。

 漆原がにやりと笑う。

「別に知っていることを全部話してもいいよベル」

「ほ、本当か?」

「うん、芦屋次第だけどね」

 ここにきて芦屋は漆原の意図に気が付いた。こいつ利益を引き出そうとしている。いわば外交である。しかもこの狡猾さと言ったらない。仮に芦屋が漆原の求める利益(おそらくパソコン、ゲームへの不干渉要求) を飲めば、鈴乃の矛先は間違いなく芦屋へと変わる。漆原はそこからまた、あとは知らないと逃げ出だすだろう。これ見よがしにパソコンの電源をつけるかもしれない。

 要するに漆原は楽をしてほしいものだけを手に入れようとしていた。

「く」

 歯ぎしりをする芦屋。まさかこのような場面で裏切るとは。伊達にニートをやっているわけではないらしい。恩も義も食べられるか否かしか漆原は見ていない。

「……?」

 良くわからない、と言った顔で鈴乃は首を傾げた。彼女は最初真奥に聞こうとして、叶わなかったから漆原に質問をしただけで、策謀というには幼稚な考え方しか持っていない。逆に言えば純粋と言ってもいいのかもしれない。

 だから漆原の黒光りする、欲望に気が付かなかった。

この狭い部屋に黒い渦ができそうなほど濁った要求を言外にしている堕天使。芦屋はニートの要求を飲まざるをえないのかと悔しがった。

 

「もう、いい」

 真奥が言った。

「真奥様!」

 いきなり暗闘を遮った真奥に芦屋は振り返った。真奥は自らの忠臣にうんと頷いてから、優しく笑う。それだけで芦屋は全てを飲み込んだらしい。いや、今からの真奥の言動を理解する準備をしたと言った方がいいだろうか。

 ある意味では部外者になっていた鈴乃も真奥に向き直った。漆原は下手に芦屋を脅したばかりに「もういい」とか言われ、全てをしゃべりそうな状況に怯える。完全に自業自得。

「もういい、とは。なんだ真奥」

 鈴乃はその鋭い眼光を彼に向けた。真奥は頭を掻きつつ、返す。

「これ以上は不毛な争いにしかないなりそうにねえからな。……全部話してやるよ。でも黙っていたのは鈴乃」

「な、なんだ」

「お前の為なんだぜ? それでも聞くのか」

「…私の……? い、いやそれでも聞く」

「そうか……芦屋。頼む」

 言った真奥が芦屋を見る。芦屋は頷いた。

「よろしいのですね?」

「ああ、全部喋ってもかまわないぞ」

「かしこまりました」

 受け賜わった芦屋が鈴乃に膝を向けた。そしてじっと彼女を見つめたまま、口を紡ぐ。

「……どうしたのだ。話をしてくれるんじゃ…ないのか?」

「……鎌月さん。先ほど真奥様が言われた通り、このお話はあなたの為に秘匿をしていたのです。本当に聞かれるのですか?」

「……聞く。おそらく、私の為というのはお前たちの言うことだから本当かもしれない。それでも、ここ数日のけじめはつけたい。頼む」

 そういって鈴乃は芦屋に頭を下げた。芦屋は難しい顔を作りつつ、「わかりました」と重々しく言う。それが肝心だった。

 さきほど真奥は行った「全てをしゃべっても構わない」とそう「しゃべっても『も』かまわない」のだ。ということはしゃべらなくてもいいことはしゃべらなくてもいいのだ。芦屋は真奥の真意を完璧に読み取った。

 

「ではお話しましょう」

「う、うむ」

 できる限り勿体付けなければ、情報の価値が下がってしまう。そこで鈴乃が「それだけ?」とでも思ってしまえば、さらに追及されるだろう。それをされては不確定要素が増えてしまう。だから最初の一言は衝撃的でなければならない。

「あの夜。お酒に酔った鎌月さんが……奇声をあげて、暴れまわったです」

「は?へ?」

 鈴乃は呆然とした顔で今の言葉を聞いた。だが言われたことが理解できなかった。それでも芦屋は淡々と続ける。

「あの日、うちの漆原が鎌月さんに迷惑をかけたことに我々も責を感じまして、夜にお食事へお誘いしようと真奥様が呼びに行きました」

「そ、それで?」

 鈴乃はそのあたりのことを全く覚えていない。

「ええ、その時にはすでに泥酔されていたようで……真奥様を我が家に力任せに放り込み、一升瓶を片手に我が家へ……」

「…………」

 鈴乃の瞳孔が開いていた。今芦屋が言っていることは夢か何かを聞いているような心地だが、実質その日はお酒を飲んだことを覚えている。それから次の日に目覚めるまでそんなことをしていたのか。羞恥と驚愕で、彼女は汗を流した。それでも聞く。

「そ、それから、どうなった?」

「はい、それから鎌月さんは我々に約二、三時間同じことを繰り返し説教をしつつ、お酒を飲み、肉を食べと…………ある一点で、アルコールの度が過ぎたのでしょう。暴れ始めました」

「……ぁ…ぃ……」

鈴乃は言葉にならないうめき声を出して、顔を赤くする。俯きながら手が震えていた。本当にそんなことを自分がしたのかと言う疑問と、申し訳ないという感情が心に渦を作っている。

 その様子を見て芦屋はうまくいったと胸をなでおろした。これでこれ以上追及はされまい。彼は真奥に目を向ける。

(よくやったぞ、芦屋……鈴乃にはわりいが、これ以上はだめだ)

(お褒めにあずかり光栄です魔王様。鎌月さんのことについては、いずれなにかの埋め合わせを……)

 アイコンタクトで会話する二人。この話のみそは嘘を一切言っていないということだ。ただし全部は言ってはいない。どこをつかれても答えることができる。芦屋はとりあえず、鈴乃を慰めて部屋に帰そうと声をかける、その前に漆原が口を開いた。

 

 

 

「そうそう、そこで真奥とベルがキスしてんだから、驚いたなあ、あの時」

ケラケラ笑いつつ暴露する漆原に部屋の中の視線が集まった。

「は? なん、だと?」

 鈴乃は反射的にだろう、聞いた。漆原は今まで我慢していた分だけ、流暢にしゃべりだす。

「ベルがさーお前は私の酒が飲めないのか―とか言って。真奥に押しかかってんの。そんな時は空気に飲まれちゃったけど、よく考えたら面白いよね! ねえ真奥、芦屋?」

(ダメだ)と真奥。

(こいつ)と芦屋。

 漆原はなんにも理解してなかった。言葉通り全部喋りだす。鈴乃は「は、はは」となにか良くわからないと言った様子で笑う。引きつった笑顔。という単語がこれ以上似合う表情もあるまい。

「そそうなのか?」

 鈴乃が問うと、漆原は笑顔で言う。

「ははは、真奥に「あーん」ってするよう要求してたじゃん、ベル! 真奥も真奥でお肉食べさせてたし、あっあとさー。ずっと真奥の横にいたよね、今思えばねこみた――」

 芦屋が飛んだ。漆原に。

「げふう」

 何か言いつつ、芦屋に抑え込まれる漆原。

「だっだって、言っていいって……」

「だ、だまれ!」

 芦屋は言うが、漆原が口を滑らせたわけではないから性質が悪い。彼は利害関係で言えばどうでもよかったのかもしれないが、実際のところしゃべりたかったのかもしれない。そのあたりの機微はどうあれ、今の言葉は全部鈴乃の頭の中に入っていった。

 鈴乃の肩が震えていた。頭の中では漆原の声が反芻している。なんだかなんども聞いているうちに嘲笑われている気さえする。

「ま、まぅおお」

 鈴乃はいきなり声を出した。真奥と言えずとも彼の元に手をついてにじり寄る。真奥は逃げることもできずに鈴乃に腕を掴まれた。

「す、ずずの」

「いいいまの話、嘘だろう? 嘘だろう?」

 縋るような目で真奥を問い詰める鈴乃。彼女の顔を汗が流れ落ち、真奥を見ているのだが目が泳いでいる。完全に混乱していることは傍目にもわかった。

「お、落ち着け鈴乃。俺は気にしてねえ」

「……ぁ」

 気にしてねえ。それは完全なる肯定の言葉に他ならない。気にするかどうかは、その事象がなければ成立しないからだ。真奥の言葉は鈴乃を気遣ったつもりだろうが真逆の効果を得てしまう。

「ほ、本当に私は真奥と、そ、そのき、き……す」

 一言しゃべるごとに顔がゆでだこのようになっていく鈴乃。それは頭の中には覚えていない記憶を妄想で固めていくのだから熱が上がっていく。

真奥はしまったと思ったが後の祭りだった。ここからフォローのしかたを思いつけない。そこでいらないことを言ってしまった。

「鈴乃、俺達はキスはしてねえ」

「へ? ほ、ほんとうか真奥ぉ」

 ぐいぐいと真奥の腕を引っ張りながら鈴乃は聞き返す。もうここまでくれば、真奥が言っていることは気休めとわかりそうなものだが、そんなことを気にできないほど鈴乃の頭は熱く。それが伝道したのか頬が赤い。

 真奥は鈴乃の目を見て口を開いた。

「口移しで酒を飲んだだけだっ」

 

 一瞬時が止まった。鈴乃の体の動きが今の刹那、本当に止まった。それから彼女の体はがたがたと震えはじめる。

「そっ、そっちのほうが卑猥じゃないか!」

 言われてみればそうである。真奥はさらなる失点に後悔した。もう、自分の力ではどうしようもない。彼は頼れる側近へ目を向けた。

 芦屋は真奥に見られて、小刻みに首を横に振った。つまり無理らしい。それならば今芦屋に抑えられている。漆原こと元凶であるが、彼に期待してはいけない気が真奥にはした。

 ここは無理だろうがなんだろうが、鈴乃をなだめなければならない。

 そんなことを真奥が考えていると、目の前の鈴乃は真奥の顔を見ながら泣き始めた。大粒の涙が朱に染まった頬を流れ落ちて行く。ひくひくと鼻を鳴らし、声を出さないように唇を噛んでいる姿は可憐というよりはけなげと言える。

 そこで真奥は気が付いた。もうどうしていいのかさっぱりわからない。それは鈴乃も同じだろうが、解決策がないことには変わりない。しかも真奥はいつも気の強い人間に泣かれて、心にボディーブローを入れられている気にすらなる。

「……と、とりあえず。落ち着こう鈴乃」

「ぞ、そうだ……な」

 鈴乃は顔を俯かせて真奥の言葉に従った。実質それ以外ない。ここで落ち着いて話を話し合いでもするしか――

 

「もうベルが責任をとるしかないんじゃないの?」

 漆原がもがきつつ言う。はっと芦屋は彼を押しつぶそうとするが、漆原は抵抗するからできない。苦しげにしつつも、漆原は口を動かす。

「だっ、だってさ。お酒で襲い掛かってきたのがベルだし……責任を取るのは……げぐ」

「もう寝ろ、漆原!」

 芦屋が漆原を羽交い絞めにして締める。青ざめていく漆原だが、すでに時遅し。鈴乃のような真面目一徹な人間にそのようなことを言ったからには、彼女の行動は一つしかなかった。

漆原の言葉は鈴乃の心に届いていた。

 真奥の前で鈴乃は俯いたまま、身を下げた。その肩はやはり震えているが、手を前に出して三つ指をつき、涙を含んだ湿りのある声で真奥に言う。

「ふ、ふつつかもので――」

「待て! 鈴乃ストップ! 今何を言おうとした!」

 真奥はあわてて鈴乃の行動を止めにはいる。だが鈴乃は真奥の手を振り払うことはなかった。だがやめる気はないらしい。

「で、でも私にはこれしか……」

「い、いや絶対あるだろ! 短絡的すぎるぞ」

「ま、真奥は私ではふ、不満なのか……?」

 だめだ。真奥は思う。話が変な方向にカーブして戻らない。これも全て、名前だけは有名な忍者と同じ漆原半蔵のせいである。かき回す才能は天下どころか天界、魔界、エンテ・イスラ、それに地球。4つの世界でも一級品だろう。本人に自覚がないので救いもない。

 

 

 

「私に考えがあります」

 ようやく漆原を締め落した芦屋が立ち上がった。この時ほど真奥はこの男に感謝した瞬間はない。芦屋は真奥と鈴乃の二人を見比べて、一度眉間にしわをよせる。考えがあるとは言ったがそれには苦渋の決断を伴うものなのかもしれない。

「……鎌月さんに責任を取ってもらうのです」

「なっ!」

 真奥は絶句する。それではいろいろと問題が起こるではないか。鈴乃は鈴乃で肩をビクリト動かしたきり何も言わない。覚悟はできていると言った風情なのだが、不安げに唇を噛む。

「あ、芦屋、それはだめだ。それにあの時の鈴乃は酔っていたし、実質的には責任は……」

「いえ、真奥様。大の大人が酒の席とはいえ不祥事を起こせば責任を取るのは至極当然のことです。それは鎌月さんも承知のはず」

「……ああ……」

 鈴乃は力なく頷く。芦屋は冷静な目で彼女見てから、言葉を紡いだ。

「ですから、鎌月さんには……明日一日だけ、真奥様の……なんといっていいかわかりませんが」

 言葉を濁してしまったのは芦屋にも何を言えばいいのかわからないからだ。

 それでも、ともかく芦屋は言う。

「一日だけ、デートしていただきましょう。それで今回の件は解決です」

「なっなにを言い出すんだ芦屋! どう考えたらそうなんだよっ?」

 いろいろと端折った言い方をする芦屋に真奥は詰め寄った。芦屋も恋人やら思い人やらいえばいいのかもしれないが、一応真奥は魔王。この場合「伴侶」や「妃」と言った方がいいのかもしれない。ゆえに「一日デート」と言う言葉に落ち着いた。

芦屋は真奥の目を真っ直ぐ見つめて、小声で話す。真奥が詰め寄ってきてくれた分話しやすかった。

「……真奥様。今、鎌月さんが求めているのは『けじめ』です。どんな形であれ、責任を取りたいのでしょう。……ですからこちらから条件を出してクリアしてもらえれば、万事は解決するはずです」

「だ、だが」

「真奥様はアルバイトの身で結婚なさるおつもりですか?」

「そ、そんなことはいってねえ」

「ですがさっきの鎌月さんの行動は……それですよ? 妥協点として、一日程度のデートです」

「……わかった」

 真奥はあきらめたらしい。芦屋にすべてを任せるしかないようだ。芦屋は納得してくれた主君から身を下げて、鈴乃に聞く。

「鎌月さんもそれでよろしいですね?」

 少し高圧的に聞いたのはこれで解決させるという芦屋の意思の表れだった。だがどっちにしろ鈴乃に否応はない。彼女は俯いたまま、声を出す。

「……承知した……」

 

 

 鈴乃が自分の部屋の帰ったことで静寂が戻ってきた。

 真奥と芦屋は白目を剝いて倒れている漆原をみて、ため息をつく。

「真奥様、こやつが寝ているうちにエミリアの部屋の前にでもおいてきましょうか?」

「やめとけ、電車賃がもったいないし意味わかんねえ。それにこいつも俺の部下だ……やったことについては俺のせいでもある」

「真奥様……」

 感激した芦屋は軽く頭を下げる。尊敬の念を表したのだろう。だが真奥は別のことを考えていた。それは深刻な悩みだ。

「なあ、芦屋。……鈴乃を連れていくにしても、金なんてねえぞ」

 それが問題である。まさかファーストフード店巡りなんぞするわけにもいかない。それに洒落たところは無論、銭がかかる。だが芦屋はそこまで考えていたらしい。慌ても驚きもせずゆっくりと立ち上がった。

「芦屋……?」

 真奥の横を芦屋が通る。彼は表情は暗いが何かを決意を秘めた顔でもある。

 芦屋は部屋の隅おかれた本棚をずらした、裏側をまさぐって一枚の封筒を取り出す。どう見てもへそくりである。

「お、おまえ。それ!」

「申し訳ありません、真奥様。本当の危機が訪れた時のたくわえに私の一存で隠しておいたものです。五万強入っております。お納めください」

「あのカツカツの状態でこんな、大金を。……いや謝るな、芦屋。お前の忠誠しかと受け取った。やはりお前がいなければならない」

「真奥様……」

 十万円にも満たない金額を大金と言う、魔王と悪魔大元帥。漆原が目を開けて入れば突っ込んでいたか「PS4を買おうよっ」と言うかどっちかだっただろう。だが今の彼は夢の中だ。

 芦屋は真奥に言う。

「戯れとはいえ、これも悪魔の沽券に係わることです。明日はびた一文たりとも鎌月さんには出させませんようお願いいたします」

「ああ、分かった。これで明日の軍資金は大丈夫だ、鈴乃に出してもらう必要はねえよ。……んじゃあ、今日は歯磨いてねるかっ」

 その二〇分後彼らの部屋から明かりが消えた。

 

 

 

 真逆だった。真奥達とは。

 部屋に戻った鈴乃はすぐさま布団を敷いて潜り込んだ。着替えもしていない、そんな精神的余裕もない。それでもいつまでたっても眠ることができない。

一人になるとさっきまでのことが冷静に思い出せてしまう。三つ指ついていたことやその他諸々のこと。多少錯乱していたとはいえ、完全に覚えていた。

「ぁぁぁ……」

 布団がしゃべる。知らぬ人が見れば、そうとしか思えないほどのうめき声が布団から出てくる。中で鈴乃がもがいているのか、布の擦れる音がする。今朝も同じことをやって気がするのは気のせいではない。

枕が布団に中に引っ張り込まれた。鈴乃はそれを顔に押し付ける。

(…………でぇと)

 鈴乃は思う。明日一日だけだと。

 だからだろうか、さっきからずっと黒髪の青年のことを思うたび、心臓の音が一段と大きくなる。

(まおう、さだお)

 名前を心に唱えるだけで、嬉しくなるのはなんなのだろうか?

 

 

 

 




次回から朝、昼、晩のデートです。
つまり残り3話。最後まで読んでいただければ嬉しいです。

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