鎌月鈴乃さんに変な属性をつけた話。(はたらく魔王様)   作:ほりぃー

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属性4 敗北者

漆原は台の上に箱を置いた。その中から、折りたたまれた黒の縁をしたボードを取り出す。そのボードの表面が緑に光る。まだ一度も人に触られたことがない、そうボードが言っているようだった。

 漆原はボードを開くと、中には黒白の「石」が入った別の箱が二つ入っている。漆原が箱から「石」を一枚出す。それは「石」と言うのには柔らかな感触と見た目。これがオセロ特有の磁石入りの駒。

漆原はその箱を取り出して、片方を目の前にいる鈴乃に渡した。鈴乃も漆原のように一枚取り出して「石」を見る。おそらく漆原には負けまいが、油断は大敵。鈴乃は「石」を手で弄びながら思った。

「……じゃあ、僕が黒を使うからね……あと、どっちからやる?」

「どっち? ああ、ならば私が先攻をもらおう」

「…………」

 漆原はそれを聞いて、軽く頷くだけ。無言で四つの「石」を台に置かれた盤上に並べた。四つの「石」の2つは黒、2つは白。漆原は四つを対格的に置いた。

 鈴乃はいきなり無言になった漆原に少なからず訝しさを覚えたが今からやるのは変哲もないボードゲーム。何を企もうが程度は知れている。そう彼女が思ったがそれは間違いだった。今、漆原が考えているのはそんなに生易しいものではない。

「ルシフェル? 初めてもいいか……? 私が勝てば、しゃべってもらうからな……」

「ああ、分かったよ……」

 漆原は俯いたまま答える。鈴乃は箱から一枚取り出して、盤上に置いた。

 

 数手、交える。口を開かない漆原に引きずられるように鈴乃も何も言わない。ぱちぱちと「石」を置く音だけが、部屋に響いた。

 盤上に石が置かれていく。緑が隠れ、黒と白が交差していく。

 鈴乃が白の「石」を置くと挟まれた黒がパタパタと裏返っていく。今の盤上では白が圧倒していた。つまり鈴乃が優勢だった。だが漆原はなんのリアクションも起こさない。

(ふむ……)

 鈴乃は盤上を見つめる。間違いなく、白の方が多い。黒は固まっておくことすらできず、盤上に虫食いの様に置かれている。ここからの逆転の方法を鈴乃は思いつかない。

 鈴乃は。思いつかない。

 漆原の手番。彼は手に「石」を持ったまま、じっと黒の少ない盤上を見ていた。鈴乃はそろそろ降参してくれないかと思う。早く聞きだしたい気持ちがはやり、鈴乃の視野を狭くしているらしい。

 ぱちり。と漆原が黒を置く。

「あっ!」

 鈴乃が声を出したのは必然ともいえる。今の漆原の一手で、白の一列が黒に代わっていく。そこは鈴乃には盲点の場所だった。彼女は悔しげに唇を噛みつつ、漆原に言った。

「くっ、やるなルシフェル」

 反撃にと鈴乃も一手打つ。だが先ほど取られたほどは奪い返すことはできなかった。

 漆原の目が動く。鈴乃を見た。そして口を開く。

「……ベル」

「?……なんだ」

「君はもう、負けている」

 何かの漫画のようなことを言う漆原。鈴乃はなにと驚愕の表情をする。

「な、なにを言っているんだ? まだ勝負はわからない……あっ」

 鈴乃がしゃべるうちに漆原がまた「石」を置いた。それだけで二列、黒が増える。先ほど漆原がとった「石」が橋頭堡になって鈴乃と漆原の形勢を逆転させる。

 そもそも鈴乃は確かに優勢ではあったが、有利であるというわけではない。オセロとは「最後に多くの石を取った」ものが勝つのであって、途中にどれだけ「石」を取ろうと関係ない。それを鈴乃は理解しておらず、漆原は理解していた。

鈴乃はばんと台に手をついた。

「な、こ、こんなことが」

 汗を流し、目を見開き。目の前の盤上を食い入るように見つめた。信じられない、自分が漆原に負けそうな現実が。だが、それは事実だった。鈴乃はできる限り多くの「石」をとれるように反撃する。

 手番を交代して漆原がまた「石」を置く。それだけで鈴乃の陣地が黒く浸食される。鈴乃は悔しげに唸るが、明らかにこの勝負で逆転する方法がない。

「…………」

 漆原は不気味に何も言わない。彼は今、死と生の狭間にあった。この勝負に負ければゲームも漫画もパソコンも禁止されてしまう。それはニートとしての死を意味するのだ。それだけは絶対に避けなければならない。

 だから容赦しない。漆原はすでに勝負のついた盤上に、黒を置く。それでか細く生き残っていた白が消えていく。さらに漆原に頭脳的なゲームで負けるとは思っていなかった鈴乃のプライドにひびが入っていく。

「あ、……そこは……」

 なにか哀願するような声で鈴乃は呟く。それでも漆原は手を抜かなかった。鈴乃は震える手で白を置くが、置いた途端にとられるのだからむなしいこと限りない。

 二人の勝敗を分けたのは執念の違いだった。

 

「…………」

 ギュッと手を膝元で握り、鈴乃は黒く染まった盤上を見つめていた。完璧な敗北である。だが勝利した漆原はニコリともせずに鈴乃を見ていた。

 漆原の頭はかつてないほどに澄んでいた。確かにこの勝負は自分が勝った。だがそれでも鈴乃の方が状況的に有利なことにはかわりない。なんといっても彼女は漆原の弱みを握っている。芦屋に告げ口をされてしまえば、死ぬ。

 堕天使として、漆原は考えた。この目の前にいる、女の子を完全完璧に黙らせる策を頭で練る。この瞬間、この場面だけで言えば漆原の知略はアルシエルこと芦屋に匹敵するかもしれない。それだけ怠惰への欲求は計り知れない。

 にやりと漆原は笑った。

「ベル……もう一回勝負しよう……。ぼくに勝てば話してあげるよ……」

「なっ、情けのつもりか!」

「違うよ……」

 充血した目を鈴乃に向ける漆原。そう情けなどかけてあげるつもりは一切ない。それどころか彼の精神はエンテ・イスラで戦っていたころほど冷酷になっていた。こんなしょうもないことにしか本気になれないのは問題だが、今の彼はまさに悪魔大元帥である。

「ベルがあまりに弱すぎたからね、僕としてもかわいそうになったから……」

「き、貴様。そこまでの侮辱をしてただで済むと思っているのか!」

 ただで済ますと思っていないのはこっちだ。漆原は思う。ニートからモニターを奪えば座禅でもするしかないではないか。働くなんて高尚な思想を彼は持ち合わせていない。

「い、いいだろう! こんどこそ、私が勝って聞き出してやる」

 鈴乃が言った時、薄く漆原は笑った。

 

 二戦目。今度も漆原が黒、鈴乃は白だ。

 初手、漆原を睨みつけて鈴乃は石を置いた。黒が一枚ひっくり返る。彼女は真剣そのものだった。漆原も石を置いて、白をひっくり返す。

(なにを考えている……ルシフェル)

 鈴乃は漆原の真意を測りかねた。実際にはこの勝負、漆原にはなんのうまみもない。先ほどの勝負は彼の勝利だったのだからそのままであれば鈴乃はあきらめて、次の策を考えなければならなかったところだ。

 その「次の策」を漆原が恐れているのはさすがの鈴乃にも気がつけなかった。もしもさらに漆原の秘密を盾にされてしまえば万事は窮す。この勝負はそんな考えも起こらないほど、鈴乃を恐怖のどん底に追いやるためのものだった。

 鈴乃が石を置いた。黒が白に代わる。

 間髪入れずに漆原が石を置く。彼はその冷たく光る眼で鈴乃をジトリと見る。鈴乃はその目になにか不気味なものを感じる。しかし、彼女の頭の中には変わらず「単なるボードゲーム」という固定概念があった。

「……」

 鈴乃は無言で石を置く。

 

 勝負は続く。盤上は一進一退。まさに互角のように見えた。

 鈴乃は汗で手のひらがじんわりと濡れる。ごくりと息をのむ。ここで負ければ二連敗。それだけは絶対に嫌だ。そんな感情が表に出たように鬼気迫る表情だった。

 反対に漆原の表情は変わらない。最初の敵意に似た眼光は影を潜め、氷のような無表情を保っている。そんな彼が次にいう言葉を鈴乃は驚愕とともに聞いた。

「パス」

「……は?」

「パスだよ、ベル」

 そういって漆原は自分の石を鈴乃に渡した。オセロの場合、パスをするときは自らの石を相手に渡して、代わりに打ってもらう。勿論相手には相手の手番があるから、二回連続で打つことになる。

「……本気かルシフェル?」

 鈴乃は石を受け取りつつ聞く。漆原は何も言わずに無言を保つ。

「容赦しないぞ」

 鈴乃は漆原の石を置いて白の陣地を増やす。それだけでなく、自分の手番でさらに白をおいて黒を消していく。一回の行動分鈴乃は有利になった。そして目で漆原に促す。次はお前の番だと。

「パス」

「なっ?!」

 漆原はそういって鈴乃の目の前に石を置く。鈴乃はそれを反射的に受け取りつつも、怒気を含んだ声で言った。

「ルシフェル。ふざけているのか」

「…………」

 漆原は鈴乃に何も言い返さない。その態度に怒りを覚えつつも、鈴乃は石を置いた。

 

 それから数手。漆原は時折パスを交えつつ、勝負は続いた。明らかに手を抜かれているような気がして鈴乃は肩を震わせたが、先ほど負けたことと不気味な漆原の沈黙が抗議や不満の声を抑えた。

「……」

 ふと、漆原の手が止まった。じっと盤上を見つめる堕天使。そこから漆原は笑った。

 邪悪な笑みだ。目を見開き、口を開けて。声なく鈴乃を哂う。鈴乃は背筋に冷たいものを感じた。何かが、来る。オセロで。

 一瞬の静寂のあと。漆原が石を置いた。

 パチンというマグネットの接合音が、鈴乃の耳に響く。どくんと彼女の心臓が動いた。先ほどの漆原の笑みからなにかとんでもないことをされると思ったのだ。

 しかし、漆原の一手は平凡だった。数枚の白をひっくり返しただけで、特に形成を決定づけるというほどのものでもない。それに、盤上をみれば鈴乃が白を置けば大量に黒をひっくり返すことができる場所は多い。鈴乃はほっと息を吐いて、自分の石を取る。

 真ん中一列。それが鈴乃の狙いだ。そこを全て白にすればかなり有利になる。それに真ん中の列は二個分の空きしかない。ここでとれば――

「あ、あれ」

 鈴乃は石を置こうとして止まった。さっきの漆原のようだが彼とは違い鈴乃は困惑しているだけだ。

 今、置こうとした場所には黒の点があった。固まっておかれているわけはではない。唯、一点。黒が離れて置いてある。それが絶妙な位置にあった。

 確かに今真ん中の列を白にすることはできる。だが次の漆原の一手で、取った駒ごと黒にされるのは明らかだった。鈴乃はなるほどと感心した。先ほどの笑みはこの策略のためかと。

「……やるな、ルシフェル」

 賞賛の言葉を言いつつ、鈴乃は目標を変えた。直線がダメなら、斜めにとる。そう思いつつ石を置こうとした。ここも取れれば大量に白にすることができる。

「あ、あれ」

 同じ言葉を出す鈴乃。今おこうとした場所にも、巧妙に黒が置かれている。ここも白がとればすぐに黒へ変換されるだろう。だから鈴乃はまた目標を変更する。

 

 そこでも、同じだった。

 

「なっな?!」

 変な声をだして立ち上がる鈴乃。上から見れば、よくわかった。どこに置いても鈴乃の石は黒へ飲み込まれる完璧な布陣。それが見えた。これを作る為にパスを交えつつ、漆原は一手を重ねたのだ。

 漆原の最後の一手は平凡だった。だがそれはゲームが始まってからの線をつなぐ最後の一手でもあった。あの笑みは完成の合図だった。

 確かに漆原はアホだ。それは間違いない。しかし鈴乃は忘れていた、一日中パソコンの前に座ることしか能のないこの漆原には無限に等しい暇があるということをだ。オセロのゲームなどネットにはごまんと転がっている。そして全国を通じたネットワークが構築されているのだ。日本中の暇な強敵たちを相手にしてきた漆原にとって鈴乃など元から相手にならない。

 百戦錬磨。それがこの漆原の正体。暇を持てあましつつ、ブラウザゲームからハンゲームにまで手を出している彼はニート。その前では鈴乃もアリジゴクの前のアリに過ぎない。ただし、ゲーム限定の。

 

 驚愕を顔に表す鈴乃。肩が震える。汗がとめどなく流れていく。彼女はその震える視線を動かして、漆原を見た。

 漆原も見ていた。鈴乃をその顔は冷徹そのもの。ゆっくりと開く唇が、舐めるような声を出す。

「わかっているよね、ベル」

「あっ、あ」

 口を開けたは閉める鈴乃。彼女はしばらくそうしてから、悔しげにこう言った。

「……ぱ、パスだ……」

 石を受け取った漆原は容赦なく石を二つ置く。盤上の二列が黒へ変わった。おまけに隅が一角取られる。だが布陣は崩れてはいない。この陣形を崩さない限り、鈴乃には反撃のチャンスすらなかった。

 しかし、現実は甘くない。

「パスだ……」

 どこに置いても取り返されるこの状況ではそれしか鈴乃には手がない。反撃どころか、石すら置けないこの絶望的場面。それが彼女のプライドを崩していった。実際には漆原の超人的強さには超人的怠惰が潜んでおり、誇れることでは全くないのだがそこまでは鈴乃も知らない。

 

黒に染まっていく、白が消えて行く。

鈴乃は自らの築きあげた全てが目の前で犯されていくのをただ呆然と見ているしかなかった。たまにパスではなく、石を置いてみたりもするが次の漆原のターンでとった石以上のものが奪われるのだからどうしようもない。

「…………ひ、ひどい……」

 そうして、全てが黒くなった。盤上には一点の白もない。

 漆原の完全なる勝利だった。

 

「ベル。僕の勝ちだ」

「見れば、わかる」

 がっくりと肩を落として鈴乃は悔しがった。ここまで完膚なきまでに負けるとは思わなかったのだ。だがまだ漆原の悪魔的謀略は終わらない。そもそもこのオセロの勝負に勝とうが負けようが主導権は鈴乃にあるのだ。それは彼女が漆原の秘密を握っている限り、絶対に変わらない。それを打ち崩さねば明日はない。

 漆原は最後の仕上げにでた。それは鈴乃にとって残酷な結末を意味する。

「……ベル、話変わるんだけど」

「なんだ、ルシフェル」

 鈴乃が反応すると漆原は後ろを向いて、パソコンのスイッチを押した。スリープモードの画面が光り、鈴乃にはよくわからない壁紙の張ってあるデスクトップが映し出された。そこには大量のアイコンが張ってある。

 漆原はマウスを動かす。彼はパソコンを向いているから鈴乃には後ろ姿しか見えない。

「最近サー、いろんなジャンルを調べてるんだよね。僕さ」

「……? それがどうした」

「でさー、ここは某巨大掲示板なんだけど」

 漆原がマウスをクリックすると、「お気に入り」アイコンからその「某巨大掲示板」にとんだ。画面にはなにか文字の羅列が浮かび上がる。少なくとも鈴乃にはそう見える。

「ルシフェル。私はぱそこんについてはよくわからないぞ。だからなにを聞かれても……」

「うん……だろうね。じゃあさ、このスレだけ見てほしいんだけど」

 スレと言うのは簡単に言えば、人数制限のないチャットのようなものだ。それには題名がそれぞれついている。先ほど鈴乃が文字の羅列と思ったのは正しくはスレの羅列だ。それをクリックすれば誰でも覧できる。

 漆原はその中から一つを開いて鈴乃に見せる。

 

――かわいいメイドさんの写真を晒すスレ

 

「みゃ!」

 飛び上って奇声を上げる鈴乃。それからがたがたと震え始めた。漆原は気にせずスレッドをスクロールしていく。だが彼は、コメントなどは気にせず画像ファイルを一つ開いた。

 ピンク色の髪をした、猫耳のメイドさんが映った画像だった。

(り、りぃだぁ!)

 心の中で絶叫する鈴乃。

「あっこれじゃないや」

 漆原は後ろを振り向くことなく、画像を消す。

「メイドさんってさ、なんだか憧れるよね。ねえ、ベル」

「そそそそうだな。るふぇいす」

「ルシフェル、だよね。ベル」

 明らかに動揺する鈴乃を漆原は振り返らない。そして彼はある一点でスクロールを止める。それからカチリと画像ファイルをワンクリックする。ダブルクリックしないから、ゆっくりと画像が表示されていく。

 鈴乃は滝のように汗をかき始めた、青ざめた顔で震える彼女。焦点が合わず、視界が揺れる。心臓の音がどくどくと耳に響く。

 そんな鈴乃をちいさく、ちいさく動きながら漆原は振り返った。ディスプレイの光が彼の顔を照らし、陰翳がその不気味さを増す。

画面にはゆっくりと、猫耳で、猫のように腕をまげて、可愛く笑顔で舌をだしている、メイドさんの姿が現れてくる。それは黒い髪が鮮やかなメイドさんだった。

鈴乃は声にならない悲鳴を上げた。そのメイドさんはこの世の中で最も知っている人物なのだから驚くのも無理はないだろう。

漆原は画像を指さしながら、言う。その目はぎらりと光る。

「このメイドさん。ベルに似て――」

「ひ、人違いだ!」

「そうかな、ねえ。ベル。いや」

 そこで漆原は一呼吸置いた。そうやって口角を釣り上げる。紅い舌が、動いて。いつものように斜に構えた彼の姿勢が、さらに鈴乃を圧迫する。

 漆原は言う。どこで手に入れたのか「あの名」を口に出す。

「ねえ? す、ず、にゃん?」

「……ぅあああああああああああ!」

 鈴乃は逃げ出した。背を見せて、この悪魔の少年から。だが慌て過ぎたのか足をもつれさせてしまった。彼女は倒れつつも玄関のドアノブに手をかけて、がちゃがちゃと動かす。

 その後ろからパソコンのモニターを抱えた、漆原が迫る。彼は画像を拡大して、画面いっぱいにメイドさんを表示させていた。

「ねーえ、これどういうことなの? すずにゃん」

「す、すずにゃんっていうなああ」

「秋葉原で働いているんだよね? 意外だなあ、僕はすずにゃんはこんなことに興味はないと思っていたんだけどなあ……」

「あけえ、あけえ!」

 慌てふためいて、開き戸を引く鈴乃。漆原とモニターはゆっくりと近づいてくる。鈴乃はそれを涙目で振り返り、唇をかむ。

 振り返った鈴乃の見たのは悪魔の姿だった。邪悪な笑みを浮かべながらモニターを持って近寄ってくる少年、漆原。鈴乃はこの世界にきてこれ以上ないほどの恐怖を味わわされている。こんなことが最大の恐怖でいいのかは別の話だ。

「ぁ……!」

 鈴乃が悲鳴を開けた瞬間ドアが開いた。一瞬漆原に気を取られてしまったことで、無意識にドアを押したのだ。鈴乃は地面に手を突きながら、なにか言いつつ部屋から飛び出ていく。漆原はそれを追わなかった。

 開け放たれたドアから勝利の風が吹き込んできた。漆原はモニターを台におろすと、両手を上げて勝利のポーズをとった。

「正義は勝つ」

 けだるげに言う、漆原。これで全てが終わったのだ。迂闊には鈴乃も漆原の秘密をばらすことはできないだろう。できればもっと効果的に使いたかったのだが、大切なものを守るためにはしかたなかったのだ。

「なにをやっている、漆原」

 開いたドアから長身の青年、芦屋が顔をのぞかせた。彼は買い物が終わったあと寄り道せずに帰ってきたのだろう。早い帰りだった。その手に持った膨らんだエコバッグはそれを物語っていた。

勝利のポーズのまま固まってしまう漆原。まだ、オセロもその他の入ったダンボールも片づけてはいない。これで全てが終わった。漆原の。

 

 

 

 

鈴乃は敷いた布団にもぐりこんだ。

 悔しくて、どうしようもない。鈴乃は布団をかぶったまま、ぎりと歯を鳴らす。こうなった原因はなんなのか、彼女の熱した頭が考える。

 

あの酒宴、あの日のことをなぜあそこまで漆原は頑なにしゃべろうとしないのか、鈴乃の中で思考が回る。だが答えがでない。本当に何をしたのか思い出せない。

「真奥ぉ…」

 隣の部屋の家主の名を口にする鈴乃。

「今夜、帰ってきたら……」

――直接、聞きだしてやる。

 鈴乃の中で悔しさが執念へと変わる。今夜、必ず奴から聞き出す。それが漆原から受けた屈辱を晴らすことになるだろう、そう彼女は考えた。

 

 そんなことを考えたせいで、明日彼女は人生初のデートをする羽目になる。




お疲れ様でした。次はからぬるぬると行きます。

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