鎌月鈴乃さんに変な属性をつけた話。(はたらく魔王様)   作:ほりぃー

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単発じゃなかった。でござる。

思いついて、一日で書いたものなので、遊び心はゆるしてください


属性2 猫耳メイド

 

 これは家族会議ではない。

 最低限の家具以外は何もないアパートの一室で4人の男女が無言で向き合っていた。一人はこの部屋の主である真奥貞夫。そしてその従者、およびヒモをしている男の子と主夫をしている長身の男、それぞれ漆原と芦屋。

 その3人の前に紺の和服を着た女性、鎌月鈴乃が座っていた。彼女の表情は固く時折目が泳いでいる。もぞもぞと足を動かしては布が擦れる音がした。

「……鈴乃。もう一度聞かせてくれ」

 真奥は鈴乃に発言を促す。特に追求や糾弾のつもりはない。それがわかるほど穏やかな声だった。だが漆原はなぜかびくりと体を動かして、鈴乃に目をやる。漆原の顔には玉の汗が浮かんでいた。

「ああ……」

 鈴乃がゆっくりと口を開いた。どこか遠慮がちに真奥を見つつ、一度唇をかむ。そうしてから真奥だけではない、芦屋と漆原を彼女は見た。漆原は変わらず真剣な表情で鈴乃を見ているが芦屋はなにか思案顔だった。

 鈴乃は意を決したように言う。

「財布を……落とした……」

 

 あの「酒宴」から幾日かが過ぎた。あれからすっかりと機嫌を直した鈴乃と悪魔3人組の関係は良好だと言ってもいい。もちろん「酒宴」の詳細については、真奥たちの間で緘口令が敷かれている。

鈴乃は4人でバカ騒ぎをしたという認識らしいが、実際にバカ騒ぎをしたのは鈴乃一人だった。真奥たちはこのことを外へ漏らせば間違いなく面倒なことになる。その認識の元での緘口令だった。

 ちなみにこの時にゲーム、パソコンを禁止された漆原は緘口令に従うかを材料に交渉を行い、禁止令の解除を叶えている。その折に芦屋は苦虫をかみつぶしたような顔で「おぼえておけよ……」と言っていたのが漆原には気がかりだったが無事ニートライフは戻ってきた。

しかし、ある問題がのこった。食費である。

 そもそも、あの酒宴自体が真奥たち3人の財産を食いつぶしたうえ、鈴乃のせいであまり食べられなかった。それでも、しばらくは真奥が働いているファーストフード店の処分品で過ごす3人の悪魔だったが、朝にハンバーガー、昼にハンバーガー、夜にハンバーガー。冷蔵庫にハンバーガー、机の上にハンバーガー、真奥の土産がハンバーガー、芦屋の家計簿の文字にハンバーガー、漆原の幻覚にハンバーガーといろいろと追いつめ始められていた。

 そんな状況を見かねた鈴乃は、真奥の給料日まで悪魔3人の食事を預かることを申し出た。酒宴の経費で真奥たちの財布事情が危機的状況だったことが彼女にも責任を感じさせてしまったのかもしれない。

 その日のご飯は簡単に作ったうどん。それを漆原は涙を流しながら食べていたのだから、彼の神経の衰弱ぶりがわかるだろう。鈴乃は困惑しながらも自分の作ったものを悦んで食べる悪魔達を微笑ましく思っていた。

 

 そこで鈴乃は財布を落とした。銀行のカードごとだ。それが冒頭。

 つまるところ、鈴乃には現在真奥たちを養う金がない、と言うよりも自らの食費すらも怪しかった。同じ穴のムジナ、またはミイラになったミイラ取りだ。銀行と警察には鈴乃は届けたが、数日間は生活費がない。

「……」

 無言で腕を組んで何も言わない真奥。鈴乃が財布を落として、現在無一文だということが彼らにとってどれだけ危険かは分かっていた。それは芦屋も同じだ。だが彼はやはりなにかを考えるように、顎に手を当てていた。

 ちなみに一番この状況を理解しているのは漆原である。彼の頭の中にハンバーガーの軍勢が攻めてくるイメージが膨れ上がっていた。あのケチャップの味、なんでいれるのかわからないピクルス。家で作るハンバーグとは味の全く違う肉。それが口の中に詰め込まれる幻想を見始めていた。

 だんと頭から倒れる、漆原。

「なっ?! どうしたルシフェル!」

 鈴乃があわてて駆け寄り、真奥と芦屋は憐れみの目を彼に送る。なんで倒れたのかは彼らにはわかっていた。

「は、ん、はん、はんばー」

 痙攣しながら何か言う漆原。

「しっ、しっかりしろ!」

 漆原の背中をさする鈴乃。だがかつてはエンテ・イスラを震撼させた悪魔大元帥であるルシフェルの心は崩壊寸前だった。

「真奥様。私に一計がございます」

「なに? 本当か芦屋」

「はっ。多少の危険は伴いますが、ここにいる4人が生き残ることができるでしょう……」

芦屋が真奥を見る。彼は彼の策に鈴乃を入れている。自然なのか、甘いのかそれとも毎日家事を手伝ってもらっている義理なのかわからないが「悪魔」というほど、芦屋は狡猾ではないらしい。

「これをごらんください」

 ごそごそと部屋の隅にあった袋をまさぐってから芦屋は何十枚というチラシを取り出して見せた。真奥と鈴乃は一枚ずつ手に取る。漆原は耳だけを傾けている。

「!……芦屋、これは」

「はい真奥様。これはこの近所で行われている無料で食べられる店のチラシでございます」

 真奥はチラシを何枚か掴んで目を通す。たしかにそこに踊るのは「無料」の文字、ただし、

「これは、なにかをしなければならないのではないか?」

 鈴乃の言うとおりこのチラシたちには「なになにができたら無料」と書いてある。簡単なものならば時間制限以内に大盛りご飯を食べる、などの条件が書いてあった。

 芦屋は「近所」と言ったが、これだけのチラシの枚数分、無料キャンペーンをしているわけがない。チラシの何枚かは遠くの住所が書いてあった。

「鈴乃殿の言うとおり、これは無料と書いていながらただではありません、真奥様。ですが我々にはこの手段しか残ってはいないと考えます。特に漆原は限界でしょう」

「だが芦屋。まだ俺はハンバーガーに負けてはいないぞ。それに漆原にはポテトを優先的に与えればいい」

 ハンバーガーがいやならポテトをたべればいい。真奥の言葉に芦屋は首を振った。

「それは漆原の幻覚にポテトを加えるだけでしょう……。それに私もこのごろジャンクフードにお腹が痛くなってきました」

「ジャンクフードっていうな! っ……しかし、このままでは魔王軍は全滅だな。しかたない、芦屋!」

 真奥はキラリと目を光らせて、立ち上がった。

「はっ」

「今すぐに計画を立てろ。俺のバイトのシフトは渡している通りだ! バイト先からも行ける距離を見繕え。あと鈴乃と漆原の食事もお前に一任する」

「おまかせください、真奥様」

 うやうやしく拝命の礼をする芦屋。その様子を鈴乃はあきれた顔で見ていたが、彼女は当事者、それになにかを言う気はなかった。

 

 部屋に戻った鈴乃はある雑誌に目を通した。

 日本語で「こんにちは! 仕事」と書いてある求人雑誌だ。さすがに同じく金のない真奥達に食事を頼るのは気が引けた。だから当面は自宅にある食料で食べ繋ぐからと、芦屋の計画から外してもらった。人数が少ない方が彼も計画を立てやすいだろう。

 ぱらぱらとページをめくる鈴乃。彼女が探しているのは日雇い、日給の仕事。来月の給料では餓死してしまう可能性もあった。

 だが出てくる仕事は工事現場や引っ越しのバイトばかり。もちろんそれらの求めているのは屈強な男。鈴乃はその体に見合わず強靭な肉体と聖法気による肉体強化の術を持っているが面接で撥ねられるだろう。

 もちろんその面接で怪力を見せつけてもいいのだが、鈴乃も女。それは絶対にやりたくなかった。その上、頭にタオルを巻いてヘルメットをしてツルハシを振っている自分など考えるだけで恥ずかしい。最近はツルハシなぞ使わないことを彼女は知らない。

「むっ?」

 雑誌のある場所で目が留まった。カフェと書いてある。しかも二週間程度の短期バイトで日給制。しかも時給は他よりも高い。

 その広告は黒いベストにブラウス、それに長い黒のスカートを穿いた女の子が「明るい職場だにゃ!」という奇妙なメッセージをかいた写真だった。なぜか写真の女の子が少し猫背なのが気にはなったが、料理ならば鈴乃は得意なうえに接客ならばなんとかなるかもしれない。

「カフェか……こちらで働くのは初めてだが……ここなら」

 彼女はそう思って携帯を手に取った。

 

 明日出てきてくれと、対応してくれた可愛い女の子が言った。

 メイドカフェ。と言う単語を鈴乃が知らないのは当たり前だろう。

 

 

 秋葉原。鈴乃はこの街に来るのは初めてだった。

 妙に複雑な駅をでて、そこらを歩くコスプレの人々に違う意味で目を奪われながら鈴乃は求人雑誌片手に街をあるいた。着物を着た彼女もこの街では溶け込んでいると言えよう。彼女もコスプレの一人に数えられていることを知らない。

「ここか」

 少しだけ歩いて、鈴乃は目的の場所を見つけた。求人雑誌と店の看板を見比べて間違いないと確認する彼女。それからうんと頷いて、店の中に入る。

「たのもう」

 変な掛け声とともに。

 

「おかえりニャさいませ! ご主人様」

「にゃ、にゃ? なに??」

 いきなり二人の少女に迎えられて鈴乃は面食らった。よくよく見れば、求人雑誌で写真にのっていた二人だ。一人はピンク髪にツインテール、一人は長い金髪でおっとりした目をしていた。

 二人は両手を胸の前にだして猫のようなポーズをとっている。その頭にも猫の耳をかたどったのだろう、カチューシャをつけていた。

「えっえっと私は」

 未知との遭遇に鈴乃はしどろもどろになる。だがツインテールの女の子が鈴乃に近づいてきてじーと「口で言いながら」彼女を観察した。

「もしかして、鈴にゃんさん、かにゃ? 昨日電話してくれた!」

「す、すずにゃん??」

「やっぱりそうにゃ! 来てくれてありがとうにゃ」

 そういうとピンクの髪の女の子は鈴乃に自己紹介した。だが彼女の言う明らかに本名ではない横文字に鈴乃はくらくらする。なんとかにゃんにゃんと言う源氏名を覚えきれず、とりあえずはリーダーと覚えた。またおっとりした女の子とも鈴乃はあいさつした。

 リーダーは金髪の女の子に何か指示をしてから、鈴乃を奥へ誘った。

 完全に空気に飲まれていた。

 

「これがすずにゃんの制服だにゃ」

 奥の更衣室ではいきなりリーダーに制服を渡された。写真で見た制服よりも、小物が多かった。

 無意識に受け取った鈴乃だったが、あわてて聞いた。

「きょ、今日は面接ではなかったのか?」

「えっ、面接かにゃ?……」

 リーダーはいきなり黙って鈴乃に近づいた。その目線に鈴乃はたじろいだが目を逸らさず向き合った。というかリーダーの目力が強すぎて引き込まれたと言った方がいいのかもしれない。

 見つめあう二人。鈴乃は持ってきた手さげに入った履歴書を完璧に忘れていた。

 急にリーダーが目線を外してふっと笑った。

「イイ目だにゃ」 

 リーダーはぱちりとウインクする。まるで星が出そうなほどかわいいウインクだった。だが口調は中二病の様だった。

「もうおしえることはないにゃ! 合格だにゃ!」

「えっえええ? いっ、今のまのが面接なのか!??」

「そうだにゃ、――の目に狂いはないにゃ」

 リーダーが自分の名前を言うが、鈴乃の頭に入らない。鈴乃は一度制服を見た。昨日今日で電話したはずなのに、もう制服が用意されているのは最初から雇う気だったのか、本当に今の数秒で見抜いたのかはわからない。

 それでも鈴乃には後がないことは変わらなかった。小銭をかき集めて、電車にのるほどに困窮している。

「わ、かった。働くからには一生懸命はたらこう」

「その意気だにゃ! で、制服の一部なんだけどー、これをつけてほしいにゃ」

 そういってリーダーは鈴乃にあの猫の耳がついたカチューシャを渡した。フリルもついてかわいらしい。

「これをつけるのか……私が?」

「そうだにゃ。それとすずにゃんはこの店の中ではすずにゃんだにゃ。あとあと、スマイル+ニャーでお願するのにゃ」

「ん?」

 今数秒。鈴乃の思考が固まった。これまで彼女はカフェで働く程度の認識しかなかったのだが、よくよく考えればこのバイトの先輩であるリーダーや金髪の女の子のやっていることは自分がしなければならないことだと今更ながらに気が付いた。

 

『お帰りにゃさいませ! ご主人様』

 ふりふりのスカートをひるがえして、ぱちんと想像上でウインクする鈴乃。

 

 ぶる。と体が震えた。

 鈴乃は未来の自分を無意識想像してしまったことで、背中に冷たいものが流れるのを感じた。彼女の唇が動く、「やっ、やっぱり」と辞退の言葉が出そうになった。

「でもすずにゃんがきてくれて本当に助かったにゃ」

「ぐう」

 リーダーの攻撃。鈴乃の急所にあたった。

「最近二号店、三号店の計画があって、人手がいっくらあっても足りないのにゃ。……ああ、そうそうこれ交通費だにゃ!」

 リーダーが何か封筒を鈴乃に渡した。中が透けて、野口英世が見える。鈴乃にはその心遣いと封筒が重かった。そんな彼女をリーダーが気遣った。

「どうしたのかにゃ? すずにゃん」

「い、いやなんでもない。なんでもないぞ」

「ダメだにゃ。そこは『何でもないにゃー』っで最後は――」

 ぱちんとウインクするリーダー。鈴乃は一瞬目の前が真っ暗になった。リーダーが可愛かっただけではない。それを自分がやるのが恐ろしかったのだ。

 それでもこんなバイトをする上では最初は慣れ。リーダーは目で鈴乃に促した。鈴乃はごくりと息をのんでから震えて言う。

「な、なんでもないにゃ……」

 

 鈴乃はスカートを足に通して、ボタンを留めた。脱いだ着物はきちんとたたんでロッカーに入れてある。リーダーのブラウスは胸を強調するような形だったが、鈴乃のそれは少し余裕があった。少しほっとする鈴乃だったがそれは鈴乃の胸がリーダーに比べてどうか、を表していることに後で気が付く。

 ベストを羽織る鈴乃。そして首元に赤のリボン。なぜか片手だけのフリルのついたリストバンド。

「これは、なんだ?」

 鈴乃はニーソックスを手に取った。だが鈴乃には「長いソックス」としか見えない。だがあるからにはきらねばならないだろう。

 部屋のある椅子に座って細い指からニーソックスを足に通す、鈴乃。わずかに足をあげなければ入れにくので、足をあげながら穿く。

「こんなものか」

 鈴乃はソックスを履いてから立ち上がり、ぱんぱんとスカートをはたく。あとは一つだけだった。カチューシャだ。

「…………」

 メイド服姿で固まる鈴乃。さすがにこれをすんなりと頭につけるのは難しい。鈴乃はぐぬぬと唸ってから、目をつぶった。顔が紅くなるのは止められなかった。

 カチューシャをつけるすずの。それについた、猫耳は柔らかい素材なのか先が少しだけおちた。鈴乃は冷や汗を流しながら控室にある姿見をみた。

 

 すこし振り返った格好をしたメイドさんが其処にいた。白と黒のコントラストが、可愛く映える制服に黒いニーソックス。それに支給品のリボンのついた黒いくつ。

 そして頭にある猫耳。

 違う意味で赤くなる鈴乃。以外に似合っているのが余計恥ずかしかった。

 鈴乃はちらちらと姿見を見ながらも頭につけた簪をぬいた。サイドテールがはらりと崩れて、長い黒髪が下がる。この服には、こちらの方が合っているようだった。

「さっそく、ポーズの練習かにゃ! すずにゃん」

「あびゃあ!」

 急に声をかけられて、鈴乃は奇声を発した。その後ろから控室に入ってきたリーダーがむふふと言った顔で近づいてきた。

「すずにゃんは可愛いにゃー」

「かかかっかかわいい???」

 よく考えらたら、そんなことを言われたことはない。鈴乃は赤面して、両手で両頬に手を当てて、リーダーから顔を背ける。頭から湯気が出そうだった。

 リーダーは腰を折って、下から鈴乃を見上げつつにっこりと笑う。人を引き込む笑い方だった。鈴乃もその笑顔にほっとする。

「じゃあ。初仕事に行くにゃ!」

「えっ?」

 

「えっ?」

 控室と同じことを言いながら、鈴乃は店の入り口付近に立っていた。その横には最初に会った金髪の女の子が立っている。鈴乃よりも年下のはずなのだが、胸の大きさが違う。

「すぐにゃんさん。がんばろうねー」

「す、すずにゃんじゃないかな」

 おっとりしながら間違える金髪の女の子にやんわり訂正するすずにゃん。もはや彼女の中でも「すずにゃん」らしい。

 すずにゃんである鈴乃は持っているトレイを握りしめた。これから入ってくるお客様の、いやご主人様に「お帰りにゃさいませ、ご主人様」と笑顔で言わなければならない。まさか昨日電話した時にこんなことになるとは思わなかった。

 まさに今日は激流のような日だった。

 鈴乃と金髪の女の子がしばらく立っていると、扉の向こう側に二人組の男が居た。店の前のメニュー表を見ながらなにかを相談しているようだが、すぐに入ってくるだろう。

「あっすずにゃん。ご主人様がきたよ。あー、あれは……」

 店の前に来た知り合いらしく、扉の向こう側にいるご主人様の名前を口にする金髪の子。だが鈴乃は心の中で「人人人人人人人人人人人人」と唱えるのに忙しい。

 からんと鈴が鳴って二人の男が入ってきた。

「おかえりにゃさいませ、ごしゅじん――」

「おおおおおかえるなう。がう」

 舌を噛む鈴乃。くっと腰を折りつつも涙目で振り返ると。

「おかえりにゃさい、ませ、ごひゅじんさま」

 何とか言った言葉は少し震えていた。というか少しだけ発音がおかしかった。

 金髪の子が「大丈夫、すずにゃん」と聞いてくるが。それよりも早く。

「い、いまのキタオ」

 男の一人は異常なほど太っている。それでも頭にキャップをつけているのが妙に似合っていた。その男が呆然と涙目になっている、鈴乃をみて言う。目を光らせて叫ぶ。

「きたーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「なにもきていない。それよりも俺は早く、冷たいものが飲みたいのだ」

「で、でも今のやばいっしょ」

「ただ噛んだだけではないか。それよりも俺の一秒の損失は世界の損失なのだ!」

 太り気味の男の横いるもう一人は、なぜか白衣を着ている。鈴乃はわけのわからない会話を聞きながら、変人ばかりだと思った。

 

 それから数日間、鈴乃はバイトを続けた。

 リーダーはいい人で同僚もにこやかな人が多い。いい職場だと思いつつ、何回もあの恥ずかしい挨拶をすると慣れてしまった。この頃は、金髪の女の子と並んで猫のようなポーズをするようになる始末。エンテ・イスラでの彼女を知っている者ならば笑うしかないだろう。

 そう、笑うしかないのだ。

 

 早朝。金髪の女の子とリーダーが控室で話していた。

「ということで、今日からオムライス無料のキャンペーンを開始するにゃ」

 リーダーがなにかを説明し終わったらしく、そう締めた。金髪の子は怪訝そうに言う。

「でもそれじゃあ、お店がつぶれちゃうよー」

「ふっふっふっ。そこは大丈夫なのにゃ! メイドさんにじゃんけんで勝ったら無料。でも負けたらオムライスの値段が二倍の真剣勝負なのにゃ。それにじゃんけんに勝てばふふふ。あっちなみに先着20名様までだから、ちょっとしたキャンペーンにゃ」

「ああーそれなら、たのしそうだよー」

 金髪の女の子は納得したように言った。リーダーはうんと頷いてから付け加える。

「すずにゃんが来たら伝えていてほしいにゃ」

「わかったよー」

 

「さすがにアキバはデュラハン号でも、きついな」

 真奥貞夫は「デュラハン号」などというけったいな名前の自転車を押しながら、手に持ったチラシと目の前の店を見比べた。

 なんでも、猫耳のメイドカフェらしいがそれについては真奥にはどうでもよかった。ここでオムライスが無料で食べることができるというのだ。

「くっくっく、このような遠くの情報まで網羅しているとは、さすがは我が忠臣よ」

 真奥はそうやって芦屋をほめた。悪魔大元帥として無料チラシを分析することに関し、彼の右にでるものはいないだろう。

「いくか」

狭いが専用の駐輪場に止めて真奥は店に向かった

 

 

 

 今、身震いがした。

「?」

 鈴乃は控室でわけがわからず、きょろきょろとあたりを見る。当たり前だが、なにもおかしい事はない。今日は少し早く来てくれと言われたので、早出の同僚はすでにホールにいて、控室には鈴乃しかいない。あの金髪の子は厨房担当にお使いに行かされたらしく「会っていない」。

 控室のドアノブに手を変える鈴乃。妙にドアノブが冷たい。朝だからだろうか。

 鈴乃はいぶかりながらホールにでた。今はまだお客さんがまばらで静かだった。一緒に働いている同僚が鈴乃を見て言った。

「あっすずにゃんさん。入り口お願いできますかにゃ」

「承知したにゃー」

 軽快に奇妙な対応をする鈴乃。だがもうそんなことは疑問に思わない。

 純粋にいい職場だと思う。リーダーは部下思いだし、やめたくなるような要素は鈴乃にはない。全く。と彼女は苦笑しながら思う。最初は嫌がっていたのに。

「ん」

 店の前にご主人様が立っている。何度もやるうちに、入ってきそうな人間は分かってしまった。鈴乃はふうと息をはく。

「そういえば最初は、ひどかったな」

 心で「人」の文字を何回かいたのかわからない。くすりとその記憶を笑う、鈴乃。

 ドアがゆっくりと開いていく。からんと鈴がなる。

 ぱあっと笑顔を作りながら、鈴乃は腰を折った。それから入ってくる男に言う。

「お帰りにゃさいませ! ごしゅじんさまぁあああぁあ???」

「……タ、タダイマ」

 真奥は笑うしかなかった。鈴乃は可愛いポーズのまま、固まった。顔が赤かった。

 

 

「お、オミズデス。ゴシュジンサマ」

「あ、アリガトウゴザイアマス。エット」

 席についた真奥はお冷を持ってきた鈴乃のネームプレートを見る。「すずにゃん」と書いてあるやつだ。

「スズニャンサン」

 真奥は鈴乃と目を合わせようとはしない。あまりに恥ずかしいからだ。自分がではない。いつも取り澄ました顔をしているメイドさんを見るのが。

「で、デハ」

 ロボットのような動きでテーブルから去っていく鈴乃。二人とも変な秘密を共有してしまった。

 真奥は急にお腹が痛くなってきた。多分ストレス性胃炎だと彼は思う。素人見だが、明確な自信はあった。

「は、はやく。オムライスを食べて、帰ろう……そしてわすれよう」

 真奥はそう言いながら。あることを閃いた。ぎらりと彼の灼眼が煌めく。

「鈴乃!」

 テーブルですずにゃんを呼ぶ真奥。返答はトレイが飛んできた。間一髪で白刃どりする真奥。冷や汗が出た。

「ナンデショウカゴシュジンサマ」

 怒りのマークを頭につけて、鈴乃が近寄ってきた。もうお前と関わり合いたくはないと纏う空気が言っていた。だが真奥には大切な用事があった。

 トレイを渡しつつ真奥は真剣な目を鈴乃に向けた。

「今日はオムライスを食べに来たんだ」

「はい、オムライスですね。すぐにお持ちいたします」

 食ったら帰れ。と言わんばかりに鈴乃は伝票をかいて背を向けた。真奥はあわてて止める。

「ち、違う。この無料のオムライスだ」

「無料? そんなのウチにあったか?」

 真奥は疑問を覚えながら、テーブルにいてあった紙を渡す。

 

「真剣勝負!? メイドさんとじゃんけんで勝ったらオムライスむりょうで食べさせてもらえるキャンペーン!」

 

 確かにかいてある、鈴乃は「聞いてないな」と思いつつも真奥を見た。

「これが、どうした?」

「よく見ろ、鈴乃。これは『メイドさん』とじゃんけんをするんだろ。お前はメイドさんだろ」

「! 八百長をやれというのか」

「しー、声が大きい。よく考えろ、鈴乃。ここで負ければ、俺は財布のなかみがなくなる!完璧にだ。一円も残らねえ。給料日まではあと6日。餓死するか、どうかは鈴乃っ」

 ギラリと真奥が鈴乃を見る。

「お前にかかっている」

「し、しかしだな」

「鈴乃ただでとは言わねえ。この借りは必ず返す」

「でも、この計画は穴だらけにゃ」

「まっ、穴! どういうことだ」

「それはだにゃ、裏切り者がいるのにゃ。情報がただもれにゃ」

「う、裏切り?漆原か」

「真奥! そ、その声は私ではない」

 鈴乃の声に真奥がはっと後ろを向いた。そこにはピンク色のツインテールのリーダーが居た。ニコニコ笑っているのがさらに怖い。

「り、リーダー」

「だめにゃすずにゃん。不正に手を貸そうだにゃんて」

「い、いや私は」

「言い訳無用にゃ」

 鈴乃はうぐと口をつぐんでしまう。その鈴乃とリーダーの会話を脂汗を浮かべながら聞く、真奥。その真奥にリーダーが腰を折って目を合わせた。

「ご主人様、――はかなしいのにゃ……」

「フェ、なに? い、いやこれはだな」

「でも、記念すべき一人目の挑戦者をむげに帰すなんて、面白くないのにゃ!」

「じゃあ、無料の挑戦をさせてくれるのか」

「もちろんだにゃ。負けたときはオムライスのお値段にきゅっぱだにゃ」

「2980円!? オムライスが??」

「だにゃ。不正をしようとしたからには逃がさないのにゃ!」

 にゃふふふと色っぽく笑うリーダー。鈴乃はその本性の一部を垣間見た気がした。

 

 鈴乃は死にたかった。目の前には真奥がいる。

 ここは店で一番目立つ一角。来店中のご主人様の目が一手に集める場所。

「さー、今日初めての挑戦者は、このかっこいい黒髪のご主人様だにゃ」

 マイクを持ちつつ、解説をするリーダー。さらに続ける。

「そのお相手をするのは、期待の新鋭すずにゃんだニャー」

「「「おおおおお」」」

 真奥の時は全く聞こえなかった感性が鈴乃の紹介で起こった。そう今から鈴乃と真奥は不正をした策した罰としてじゃんけんをするのだ。勿論、鈴乃が行うのはただのじゃんけんではない。

「すずにゃん。今からお手本を見せるから、よく見ておくにゃ」

「はっはい」

 リーダーはそう言うと、店のお客に向かって体を向けた。ひらりとスカートが翻る。それだけで店の中がどよめいた。

「にゃん」

 リーダーが横を向いて、手を猫のようにくねらせる。足は片足を上げる。

「にゃん」

 今度は逆方向をむくリーダー。繰り返すがこれは鈴乃のお手本である。つまり全部彼女が行う。

「じゃんけん」

 ぱちりとウインクするリーダー。最後に両手を胸の前に置いて、ぐっと両手を握る。これがぐーだ。ちなみにチョキ、パーは手の形を変えればいい。

「ぽん」

 歓声が大きくなった。

 

「…………」

「…………」

 真奥と鈴乃は同時に青ざめた。汗が滝のように流れていく。真奥は鈴乃があれをやるのかという困惑、鈴乃はあれを私がやるのかという驚愕。思っていることは実は一緒だが当事者とそうでないかという違いがあった。

「す、ずず」

 鈴乃。と真奥がいう前にすずにゃんがきっと彼を睨みつけた。もう彼女は鈴乃ではない。

「やるにゃ! ごしゅじんさま」

「にゃ、にゃ?」

 赤面しつつ言うすずにゃんにリーダーが頷く。

「さあ、これからが本当の勝負にゃ! オムライスを挑戦者は食べられるのか、それとも皿洗いか。さあ勝負にゃ」

 さっきの話を聞いていたからか真奥がお金を持っていないことは知っているらしい。それでもエンターテイメントに仕立て上げるあたりリーダーはやり手である。

 すずにゃんは意を決した。スカートをひるがえして、猫耳を揺らす。

「にゃん」

 泣きそうだった。もうこれだけで半端ない精神的ダメージがあった。

「にゃーん」

 間延びしてしまった。それで店のお客たちが感嘆の声を上げる。

「じゃんけーん」

 ぱちりとウインクを真奥にするすずにゃん。目が、赤い。それでも彼女はやめなかった。腕を胸の前に持って行く。そうして真奥を見ながら最後の言葉を言う。

「ポン」

 真奥も応じて手を出す。彼は終始無表情だった。こんな時どういう顔をすればいいのかわからない。

 

 鈴乃は「グー」。真奥は「パー」。真奥の勝ちだった。

 

「きまったあぁ。挑戦者の勝ちにゃー」

 リーダーの遠い声をすずにゃんは涙目で聞いていた。勝ちたかった。できれば真奥に恥辱の報いを受けさせたかった。皿洗い、すればよかったのに。

だがまだ彼女の地獄は終わらない。

 

 

「あ、あーんごしゅじんさま」

 スプーンにたっぷりとオムライスを乗せて、横の真奥の口に持って行く鈴乃。多めにスプーンに乗せているのは、とっとと食べさせて帰したかったからだ。

 

「真剣勝負!? メイドさんとじゃんけんで勝ったらオムライスむりょうで食べさせてもらえるキャンペーン!」

 

 これがこのキャンペーンの名前だ。無料で食べられる、ではない。無料で食べさせてもらえるキャンペーンなのだ。

 

 スプーンが震える。鈴乃はにこやかに真奥の口へ、オムライスを持って行っては食べさせる。噛むのを待つ時間などない。のどに詰まらせてくれればいいのに。

 ちなみのこれは衆人環視。お店の中のお客さんがみんな彼らの「あーん」を羨ましげに見ている。鈴乃は知らないが一応、あーんの「お返し」と言えないこともない。

「……」

 真奥はじゃんけんの時から無言である。今日おみくじを引こうものなら大凶の自信が彼にはあった。口の中の物は味がしない上に、無限に追加してくる鈴乃の攻勢にむせそうだった。

 そんな中、リーダーが真奥に近寄ってきた。

「お疲れ様だにゃん、ご主人さま」

 すすっと笑顔を向けるリーダーに真奥は一瞬驚いた。だがリーダーは何かを真奥に握らせた。「コーヒー無料券」そう書いてある。

「また来てくれるにゃん?」

 きらきらとした目で落としにかかるリーダー。真奥は乾いた笑顔を張り付けたまま言う。リーダーの笑顔に押し切られたといってよい。

「……い、いいとも」

(に、二度と来るなー)

 鈴乃の心の叫びは誰にも聞こえない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おつかれさまでした。


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