闇の書が作った仮想世界の修練場で向かい合う二人の男女がいる。
少女の名は七瀬雪。かつて《紅蓮の魔女》と呼ばれ、管理局内外問わずその名を轟かせていた凄腕の魔導師。
青年の名は黒沢祐一。かつて《紅蓮の魔女》の相棒として、彼女と同様に管理局内外では《黒衣の騎士》と呼ばれ、その名を轟かせていた魔導師。
そんな二人が相対していた。
雪は祐一を辛い現実世界に返させないため、祐一は現実世界で自分の帰りを待っているであろう少女たちを助けに行くため。
お互いにゆずれない願いがあるため、二人は向き合っていた。
すぐに始まるかと思っていた戦いは、静かなものとなっていた。
祐一は自然体で右手に騎士剣《冥王六式》を持ち、冷静な表情で雪を見つめている。
一方、祐一と相対する雪も右手に祐一と同じデバイスである騎士剣《冥王六式》を持ち、特に騎士剣を構えることなく、自然体で祐一を見つめていた。
(《闇の書》が俺の記憶を読み取って作り出した、七瀬雪。どれほどの力を持っているのか……)
祐一はそう思い、静かに息を吐いた。
(いや、そんなことを考えるだけ無駄か。俺の記憶の中の雪であるならば、弱いはずがない)
生前、祐一は雪とともに管理局員となる前、幾度となく訓練を一緒に行っていた。その頃から七瀬雪には魔導師として天賦の才の片鱗を見せていた。
事実、祐一は局員時代の雪との模擬戦の戦績は数回勝ちを拾えたのみであった。
(だが、そんなことは関係ない。ここで雪に負けるようでは、なのはたちを救うことなどできないのだからな)
祐一は静かに騎士剣を正眼に構える。これからお前を倒すという意思表示を込めての行動であった。
「どうしても戦うの?」
祐一を見つめたまま、雪が問う。
そんな雪の言葉を聞き、祐一は静かに首を縦に振る。
「どうしてもだ」
「そう。どうしてもなんだね」
そして、雪は一度軽く深呼吸をし、
「なら、ここから先は言葉はいらないね」
祐一とは違い、正眼に騎士剣は構えず、僅かに地面に騎士剣の切っ先が触れるぐらい距離をおいただけであった。
――そして、唐突に戦闘は始まった。
まず最初に動いたのは祐一。
「ソニックムーブ」
二流の魔導師であれば目視することも困難なスピードで雪の正面へと移動する。
「ふっ!」
裂帛の声とともに祐一は上段に構えた騎士剣を雪に向けて振り下ろす。
並みの魔導師であれば防ぎようのない力の篭った一撃だ。
「よっと」
しかし、雪は軽い口調とともに祐一の上段からの一撃を自身の騎士剣を僅かに当てることによって受け流す。
それを見ると同時に、祐一は足に力を込め後ろへと下がる。
「逃がさないわよ」
雪はそれを見るや下段に騎士剣を構えたまま祐一へと肉薄し、騎士剣を祐一へ向けて振るった。
――下段から上段への鋭い斬撃。
祐一は体を横に倒すことでそれを避ける。雪が振るった騎士剣が祐一の体ぎりぎりに通過し、祐一の耳には風切り音が聞こえた。
「はっ!」
雪が大振りの一撃を放ったところで、いつもは声を上げることのない祐一が裂帛の気合いとともに上段からの一撃を雪へと振るった。
(体勢の整っていない今、この一撃、避けれないだろうっ!)
自分が避ける素振りをすれば、必ず雪はそれを追い、大振りの一撃を放ってくるだろうと、祐一は核心していた。
――それ故のカウンターの一撃。いかに《紅蓮の魔女》といえど、当たってしまえばダメージを必至。
(俺はこんなところで立ち止まるわけにはいかない)
そう思っている祐一は自分では気づいていないが、心の中で焦りを覚えている。いくら取り繕い冷静になっていたとしても、かつて、己の恋人でもあり、最愛の女性でもあった雪の姿を見て、平然としていられるわけもない。
そして、外では大切な少女たちが戦っている。
そんな中、いつものように冷静でいられるほど、祐一も大人ではなかった。
――故にその渾身の一撃は《紅蓮の魔女》には届かない。
「……それじゃあ、わたしには届かないよ」
雪がそう呟いたと同時に祐一は腕に衝撃を感じた。
「……っ!?」
いつも冷静な祐一の表情が驚愕に歪む。
祐一の視線の先には片手で騎士剣を持ち、もう片方の拳を下段から振り抜いた雪の姿があった。
それを見た祐一は自分の迂闊さにさらに表情を歪ませる。
下段からの一撃は隙と見せかけての雪の陽動だった。鮮やかではあるものの、普段の祐一であれば気づいていたかもしれない攻撃であった。
――そして、その隙を《紅蓮の魔女》が見逃すはずもない。
「業炎――」
静かに透き通る声を響かせ、雪が腰だめに騎士剣を構える。
(剣で受け止める……いや、間に合わんッ!? 魔力で防御するしかないッ!)
雪の拳の一撃によって、今の状態では騎士剣で防御は無理だと判断し、祐一は瞬時に魔力を張りめぐらせる。
焦る祐一の眼前で、紅蓮の炎を刀身に纏わせた雪がゆっくりと視線を上げる。
「一閃ッ!」
裂帛の声と同時に放たれたのは、《紅蓮の魔女》の横薙ぎの一撃。刀身に炎を纏わせ攻撃力を上乗せした、雪が《紅蓮の魔女》と呼ばれる所以の一撃。
「プロテクションッ!」
そんな一撃を祐一は真っ向から受け止める。
(……っ!? なんて圧力だっ!)
祐一は雪の攻撃を受け止め、額から汗を流していた。今、祐一に一撃を与えようとしているのは、かつての最強騎士である《紅蓮の魔女》七瀬雪。その力はかつて祐一が身に染みて感じたままであった。
そんな攻撃を受け、祐一が張ったプロテクションが軋みを上げはじめていた。
「っ!? ぐっ……」
雪の攻撃を受け止めたままの体勢で祐一は苦悶の表情を浮かべる。そして、さらにプロテクションが軋みを上げひび割れていく。
そんな祐一を雪は悲しげな瞳で見つめていた。
「駄目、全然、ダメだよ、祐一……」
言葉とともに雪の両手にさらに力が込められる。
「あなたの覚悟はその程度なの? あの子達があんなにも頑張っているのに、あの子達を守ると誓ったあなたの力が、その程度なの……?」
祐一と雪の魔力の衝突で轟音が周囲に響く中でも、雪の言葉は祐一にしっかりと聞こえていた。そんなことを話す雪の表情は、その内容と同じく悲しみに歪んでいた。
「なぜ今、そんな話をする? 何が、目的だ?」
雪の攻撃を防ぎながら、祐一はわざわざ言葉を返す。
「別に目的はないよ。だた、あなたの覚悟が聞きたいだけ」
「俺の、覚悟だと……?」
「そう、覚悟。あの子達は、今この瞬間、友達を助けようと必死で頑張ってる。それこそ命懸けでね。だけど、あなたは……?」
「……俺とて、あの子達と同じ気持ちだ。はやてを救い、なのはやフェイトも守ってみせ――」
「うん、それは知ってる」
祐一の言葉を雪は遮った。その声には僅かに怒りも含まれていた。
「確かに、祐一の今の気持ちに嘘偽りがないことは私もよく分かってる。だけど――」
雪の視線が鋭くなり、雪が騎士剣に纏わせている紅蓮の炎が強くなる。
「まだ、あなたは心のどこかで過去縛られている」
「……っ!? そんなことは――」
「ないと言えるの?
雪の言葉に祐一は声を詰まらせる。
「自分でも分かってるんでしょ? 今のあなたが、今の私に勝てないはずないんだから……」
そんなことはないと、祐一は声を上げようとしたが、のどに何かが詰まったように声が出なかった。
「今の私に勝てないようじゃあ、ここから出たところで結果は見えてる」
だから、と雪は息を大きく吸い、
「ここで終わりにしよう、祐一」
雪がその言葉を口にしたと同時に、祐一が何とか抑えていた雪の攻撃が一気に圧力を増した。
「ぐっ!?」
その攻撃にたまらず祐一は呻くように声を上げた。
そして、その攻撃に今まで耐えていた障壁が限界を迎えた。
「イグニッション!」
障壁が砕ける音と同時に、雪の声が周囲に響いた。
そして、炎を纏った騎士剣を祐一へと叩きつけた。
「が……っ!?」
轟音が響く。
腹部への強烈な一撃が祐一へと突き刺さり、祐一は弾丸のごとく壁へと吹き飛ばされた。
「ふぅ……」
雪は一度息を吐き、炎と衝撃の余波で舞い上がった砂塵を振り払うように騎士剣を振った。
視界が晴れた雪の視線の先には、崩れた壁とそこに倒れ伏す祐一の姿があった。
(本気の私の一撃。いくら祐一でも、もう起き上がれないでしょうね)
冷静に分析しながら、悲しげな表情を浮かべながら倒れ伏す祐一を見つめていた。
「祐一、あなたは十分に戦って、悲しくて辛い想いをたくさん経験してきた。だからもう、休もう? あなたがこれ以上辛い想いをする必要はない」
この言葉が、今この場にいる七瀬雪の嘘偽りのないものであった。
祐一の記憶をもとに《闇の書》に作られた仮想の人格ではあるが、その気持ちは本物だった。《紅蓮の魔女》としての強さだけではなく、自分の恋人であった祐一を想いも引き継がれていたから。
「私にとって大事なのはあなただけよ、祐一。あの子達のことは知らないし、それ以外がどうなろうと関係ない。これ以上、あなたが辛い想いをしないようにするだけ……」
そう話す雪の表情は、やはり悲しげに歪んでいた。
そして、今もなお倒れ伏す祐一の下へと歩みを進める。
「終わりだよ、祐一。今のあなたでは――誰も守ることなんて、できないのだから……」
――もう終わり。
――あなたでは誰も守れない。
そう静かに《紅蓮の魔女》は呟いていた。
◆
その言葉は、倒れ伏す祐一の耳にもしっかりと聞こえていた。
(……あぁ、もう、終わり、なのか)
朦朧とする意識の中、祐一は雪の言葉を反芻する。
雪の強烈な一撃を受け、すでに祐一の体はボロボロな状態。腹部の痛みから肋骨が何本か折れてしまっているのが分かる。
(ざまぁない。なのはたちに啖呵を切って、この体たらくとは、な……)
なのはたちを守ると誓い彼女たちの下へと戻ってきたというのに、何も出来ず自分はこの場に倒れている。
(その理由は分かっている。言われなくとも知っている。俺が未だに過去を引きずっているからだ。最愛の女性も守れず、俺だけが生きながらえてしまったからだ)
祐一の最愛の女性であった《紅蓮の魔女》――七瀬雪はこの世にはいない。その最後を祐一はこの目で確かに見ていた。何もできず、ただ見ていることしかできなかった。
(そんな役立たずは死んだ方がマシだ)
ずっと、そう思って生きてきた。なぜ己だけが生き残ったのか、なぜ雪は死ななければならなかったのか。
――自分があのとき死んでいればよかったと、どれほど思っていたか。
しかし、それでも――
(俺は醜態を晒してなお、それでもなお、生きながらえている)
それはなぜか?
(自分の命が惜しい?)
否。
(死ぬのが怖い?)
否。
では、なぜ、自分は生き続けているのか?
(――決まっている。もう、同じ過ちを繰り返したくはないからだ)
再び、祐一の心に火が灯り、拳に力を込める。
(雪が死んだのは俺のせいだ。……だが、それで後を追うようでは、それこそ俺は雪に殺されてしまう)
そんなことを想い、祐一は倒れたまま僅かに笑みを浮かべる。
(このままここで寝ていることが、俺のやりたかったことなのか? ――断じて否だ!)
祐一は痛む体に力を入れ、上体を起こす。
(雪が死に何もかも諦めていた俺に希望を与えてくれた。そんな彼女たちが、家族や友人が住んでいる世界を救うべく戦っている。それなのに……)
祐一は静かに目を開き、騎士剣を杖変わりにして立ち上がった。
祐一の眼前には驚いた表情で固まっている雪の姿があった。
「こんなところで寝てるわけには、いかんのだっ!」
祐一は立ち上がり裂帛の気合いとともに声を上げる。
その声に呼応するように祐一の体から魔力がほとばしり、周囲を揺るがした。
そんな祐一の姿を雪は驚いた表情で見つめていたが、平静を取り戻し静かに口を開く。
「なんだか、吹っ切れたみたいだね」
「完全に吹っ切ったわけではないがな。ただ、今やるべきことを全力でやるだけだ」
そっか、と雪は僅かに笑みを浮かべた後、すぐに真剣な表情へと戻る。
「でも、そんな満身創痍な状態で私に勝てると思っているの?」
「ああ。……もう、
祐一は手に持っていた騎士剣型のデバイスである《冥王六式》を待機状態へと戻し、ポケットへと仕舞った。
そして、いつも首に掛けていた剣型のアクセサリーをその手に持った。
「起きろ、
そう祐一が呟くと、
『……はい、マスター祐一』
それに答えるように、どこからともなく声が聞こえてきた。それは祐一が持っている剣型のアクセサリーから発せられていた。
「久しぶりだな、紅蓮」
『本当に久しぶりですね、マスター祐一』
祐一と流暢に会話をするのは、剣型のアクセサリーに模したインテリジェントデバイスである《紅蓮》――かつて、《紅蓮の魔女》七瀬雪の相棒であった。
『わたしを起こしたということは、過去を乗り越えたのですか?』
「全てではないがな。ただ、いつまでも過去を引きずっているようでは駄目だと思ってな」
『なるほど。数奇な運命ですが、あなたもお久しぶりです、マスター雪』
「……うん。ほんとに久しぶりだね、紅蓮」
紅蓮の言葉に雪は僅かに笑みを浮かべた。
『しかし、あなたがここに存在しているということは、ここは現実の世界では無いということですか。なるほど、状況は理解致しました』
「ああ。この状況を打破するため、お前の力を俺に貸してほしい」
『その言葉をわたしは長らくお待ちしていました。わたしはあなたのデバイスです。あなたがそれを望むのであれば、いくらでも力になります。例え、相手がわたしの元マスターであったとしても……』
「そうか。……ありがとう、紅蓮」
『当然です。あなたはわたしのマスターなのですから』
紅蓮の言葉に祐一は笑みを浮かべる。
こんなにも頼もしい相棒が自分には居たのだと。そのことをとても嬉しく感じていた。
『しかし、あなたも相当な怪我を負っています。長期戦は今後のことも考えると、とてもよろしくありません』
「ああ。だから……」
――短期決戦だ。
そう祐一が静かに言い放つと同時に待機状態であった紅蓮が戦闘状態へと切り替わった。
それはまさに紅蓮と呼ぶに相応しい姿であった。
全体を真紅に染め上げた騎士剣。長身の祐一が持っていてなお、その刀身の長さが目を引いた。《冥王六式》と同様の形状の騎士剣であるが、それよりもさらに長い刀身であり、《冥王六式》からは感じられない、力強さが感じられた。
そして、紅蓮を持つ祐一にも変化が見られていた。
紅蓮を開放したことで今まで抑えていた魔力が十全に扱えるようになったため、並みの魔導師であれば気絶してしまうほどの魔力を雪は感じていた。
(……流石だね、祐一)
そんな祐一を見て、思わず雪は笑みを浮かべた。
そして、祐一は体の感覚を確かめるように拳を握り、静かに息を吐いた。
「全開は久しぶりだ。体がなかなかついてこないな」
『そこは慣らしていくしかありません』
「そうだな」
そんなやり取りを紅蓮とした後、祐一は雪に視線を合わせる。
「すまない。待たせたな」
「別に構わないよ」
祐一の言葉に雪は気軽に言葉を返す。
そんないつもどおりな雪に祐一は少し笑みを浮かべた。
「もう時間もない。決着をつけよう」
「そうだね」
二人はそう言葉を交わし、どちらともなく騎士剣を構える。
「さぁ、未来を掴むために私を越えていきなさい」
「ああ。望むところだ」
そうして、《黒衣の騎士》と《紅蓮の魔女》の最後の戦いの火蓋が切って落とされた。
最後まで読んで頂き、誠にありがとうございます。
誤字脱字などありましたら、指摘をお願いします。