いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 投稿が遅れてしまい申し訳ございません。

 次話から、最終章に入る予定です。

 また長くなり、そして投稿が遅れてしまうかもしれません。気長に、手隙の際にでも読んで頂ければ幸いです。

 次話は今月中に投稿を行えればと考えております。


間話 知られざる想い

「お前はお前の信じる道を、俺達は俺達の信じる道を進んだだけだ。胸を張れ」

 

 父親として不器用だった彼は、やはりこの時も、不器用だった。言葉の中に忍としての気構えを含めてしまいながらも、彼は真っ直ぐに言葉を紡いできた。

 

「貴方の選んだことだもの。私は誇らしいわよ。だから、ね? そんな辛そうな顔しないで」

 

 母親として目一杯の愛と伝えてきた彼女は、やはりこの時も、愛を伝えた。言葉だけだが、言葉しか伝える事を許さない娘の決意を前に優しく微笑んだ。

 

「道が違っても、どんな事があっても、俺達は家族だ。お前が胸を張って行う全てを、俺達は認める。迷うな」

「あまり偏食をしないようにね。いっぱい食べるのは良いけど……身体に、気を付けて」

 

 静か過ぎる夜に。

 静か過ぎる夜だから。

 静か過ぎる、夜なのに。

 雨のような音が、聞こえてくる。

 

「さあ、早く終わらせるんだ。イタチとサスケが帰ってくる。今ここで決着を付けなくては駄目だ。最後までしっかりやるんだ。大丈夫だ。お前なら出来る」

 

 うる……ざい………だまれぇ……。

 がっでなごど……を……おまえだぢ………は、……かぞくでも…………なんでもぉ……。

 

「ずっと、私達は家族よ。ただ、道が違っただけ。私達は、うちはの幸せを願ったの。勿論、イタチやサスケ、貴方のことも」

 

 うるざい……うるざい………。

 ふざげるな……おまえだぢが……こんなごど…………こんな……ひどいことを……。

 

「やれ、フウコ」

「頑張って、フウコ」

「フウコ。お前がどこにいても、血は繋がっていなくとも……俺達は家族だ。お前の父だったことが、俺の誇りだ」

「お母さんって、呼んでくれないの? フウコ。私も、どこまで行っても、貴方の家族よ。怖いことなんて、何もないわ」

 

 月は、その夜を知らない。

 

 

 

   ★ ★ ★

 

 

 

「出掛けてきます」

 

 昼食を食べ終えると、イタチはそう言って玄関に向かう。第三次忍界大戦が終わってから、そんな暗黙のルーティンが出来上がっていた。

 

「今日も御散歩かしら? これからアカデミーが始まるのに、勉強しなくていいの?」

 

 まだ戦争の傷跡が残る木ノ葉隠れの里。そこに行くのをフガクもミコトも、あまり心地よくは思っていなかった。遠回しに留めようとするミコトに、イタチは知ってか知らずか、年不相応の落ち着いた笑みを浮かべながら、玄関で靴を履いてこちらを向いた。

 

「大丈夫だよ。帰ってきてからしても問題ないから」

 

 言葉尻は幼さを残していながらも、たしかにイタチの地頭の良さは親であるミコトは十分に知っている。我が子ながら自慢の息子だと、今の時点で十分に感じているのだけれど、戦後という特殊な環境では少し複雑な気分ではあった。

 

 今は、家に夫のフガクはいない。警務部隊の仕事に行っている。未だ、木ノ葉の人々に深い傷を残している今では、様々な所で小さな衝突が起きている。当然だ。大切な人を失ってしまった者もいるのだから。

 

 そういった小さないざこざを監視・無くすのに奔走している。

 

 いや。

 

 それだけでは、無いのだろうけれど。

 

 ミコトは、イタチがそういった小さないざこざに巻き込まれないのか不安だったのだ。

 戦争で他一族に比べて死傷者の少なかったうちは一族は、多くの人々から疎まれている。それは、警務部隊という、里の治安を守る立場にいるのも要因の一つだ。

 

「暗くならない内に戻ってくるのよ? いいわね?」

「うん」

 

 こちらの小さな不安を余所に、イタチはさながら林道の景色でも眺めに行くのだと言わんばかりに家を出て行った。

 

 もうすぐ、子供が産まれる。

 

 もう名前も決めてある。サスケだ。戦争が終わり、これから平和な世の中が訪れるのだと、そう信じて身籠った子である。健やかに育ってほしい、イタチと共に。

 けれど、今の里の治安──いや、うちは一族の状況が、どうにもミコトには嫌な知らせを告げてくるのだ。

 

 イタチが年不相応に知的で冷静な子であるのは、きっとサスケを助けてくれる。

 

 けれど同時に、不安もあった。では、イタチを救ってくれるのは誰だろうか?

 

 アカデミーで友達を作って欲しい。

 

 母親として、そう願うばかりだった。

 

 

 

   ☆ ☆ ☆

 

 

 

「それで、フウコちゃんを養子に迎えた訳か。最初は驚いたぞ。お前の家に、知らない女の子がいたからな。実直なお前の家庭が複雑なんだと、腰を抜かしそうになったもんだ」

 

 コロコロ笑うカガミを横目に、フガクは鼻から重い溜息を零した。

 

「ご冗談にしても、あまり言わないでください。フウコは俺の娘です」

「ああ。分かってる。いや、フウコちゃんに対して言ったわけじゃないんだがな……。お前に対しての皮肉だぞ?」

「分かってます。それを含めて、言わないでくださいと言ったんです」

 

 すると、やはり彼は小さく笑った。穏やかさを残した彼の表情は、良い年の取り方をしたのだとはっきりと分かるくらい、懐の深さを伺わせる。勿論、彼がうちは一族からの信頼や発言力を獲得しているのは、それだけではないのだけれど。

 

 遠くで子供たちが修行をしている。

 

 イタチ、フウコだけではなく、カガミの孫であるシスイと、そして三人の友達であるイロミという少女だ。訓練場に置かれている三本の太い丸太に向かって投擲の修行をしていた。

 

 イロミが投げては失敗し、すぐにフウコが御手本と言わんばかりに投げて見せ、イタチが言葉で伝えようと丁寧に教え、シスイが横でそれらを眺めている。そんな、賑やかな光景だった。

 

「まあ、ワシと話してても楽しくは無いだろう? あの子らに修行を付けてやったらどうだ?」

 

 二人して、訓練場を囲う林の木に背をもたれて立っていた。まだ、イロミはフガクの仏頂面に苦手意識を持っているのか、修行は最初、子供たちだけで行うようになっていた。

 

 我が子とその友達が修行をしているのを見て、自分が修行を付けてあげたいと思うのは、子を持つ忍ならば誰もが抱くことなのだろう。カガミの言葉は、正にそれを促すような言葉であった。

 

 だが、フガクにとってはまた別の意味に捉える事が出来てしまった。

 

 ふと、背後の林に視線を送る。太陽はまだ十分に高く、透明な強い光を地上に降ろしているが、枝葉が重なる林の中は微かに薄暗い。視線を凝らさなければ、誰かが身を潜めていることも分からないかもしれない。

 

「誰もおらんよ」

 

 フガクの様子を察してか、カガミはそう呟いた。

 

「状況が状況だ。ワシも、そこら辺には細心の注意を払っておる」

「……そうでしたか」

「そもそも、ここでこうして話している事に目くじらを立てる奴はおらんよ。せいぜい、お前がワシを取り込もうとしているくらいにしか思われんさ」

 

 辺りを警戒してから、不意に入ってきてしまった、不穏な空気に、自責するようにフガクは顔を伏せてしまった。わーわーと賑やかな子供たちの声が、本当に、遠く感じてしまう。

 

 うちは一族がクーデターを考えている。

 

 その事実がどうしても、フガクの頭の中に、暗い緊張を根差してくる。

 ようやく平和になって、子供たちが楽しそうに日々を過ごしているのを毎朝毎夜眺める日々が訪れて、家族の未来を心待ちしてしまう日々がやってきたというのに。

 

 ある日、声を掛けられたのだ。

 

 話がある、と。

 そして夜に集会所に集まってみると、部下たちが神妙な顔で言ってくるのだ。

 自分たちの力を木ノ葉に示してやろうと。

 

「そう思われるくらいには、フガク、お前さんは良く皆を纏めている。お前さんのおかげで、まだうちはと木ノ葉で話し合いの場が保たれているんだ」

 

 警務部隊の隊長である自分が、クーデターをと声を立てる者たちのリーダーとして選ばれたのは、ある意味では自然の流れだったとも言える。それは、彼らがフガクに対しての信頼度の現れでもあるからだ。

 

 その信頼が、フガクに無言で脅迫してきた。

 

 もしも此方側に立たないのならば貴方も敵だ、と。

 

 話を聞き、彼らのクーデターに対する誤った静かな熱狂を感じたあの日の絶望を、フガクは今でも鮮明に思い出す事ができる。目の前に突如、火の着いた爆弾を置かれたようなものだった。

 

 その日を境に、フガクはクーデターの先頭に立つことにした。

 

 

 

 いずれ、クーデターが無くなる機を手にするその日まで、一族を管理するために。

 

 

 

 カガミが、皆を纏めている、と言ったのはクーデターを起こさせない(、、、、、、)ように、皆のフラストレーションを絶妙に宥めてコントロールしているという意味だった。

 時には賛同を。

 時にはより良い選択肢を。

 時にはリスクを明示して、うちは一族という名目を掲げて冷静な立ち振舞をしよう、と。

 そうやって、フガクはうちは一族の感情をコントロールしてきた。

 

 うちは一族の抱えている不満は分かる。フガク自身も、怒りを超えた事が何度もあった。しかし、それを抑える事が出来たのは、妻のミコトの存在と子供たちの姿だった。

 

 誤ちを犯してはいけない。それを行えば、家族が巻き込まれてしまう。

 

 その思想は、クーデターの話を耳にした時でさえ同様だった。

 

 だから、わざと自分がクーデターの首謀者として先頭を切るようにしている。でなければ、制御を失った彼ら彼女らは、いつ動き出すとも分からない暴徒となってしまう。コントロールし、いずれ訪れるだろう、例えば木ノ葉側からの妥当な提案を引き出す事が出来れば、全てが丸く収まる。

 

 そう、考えていた。

 

 けれど……。

 

「日に日に、皆の不満が強くなっています。今はまだ、木ノ葉との対話が成立していますが、どちらかが不当な動きを示せばクーデターが起きてしまう。貴方の方から、火影に進言は出来ないのですか?」

 

 現火影、猿飛ヒルゼンとは何度かの会談を行っていた。こちらの要求に対して、ヒルゼンはうちは一族だけではなく、木ノ葉隠れの里全体を考慮した提案をしてくれてはいる。フガクから見れば、至極当然な提案だったものの、他の者たちには納得のいくものではなく、平行線のような会談が続いていた。

 

 カガミは、クーデターを画策するうちは一族の中でも数の少ない穏健派の中心人物だった。二代目火影・千手扉間に仕えていたという経歴と、忍としての実績を背景とした彼の発言は、うちは一族の中でも群を抜いていたのだ。フガクだけではなく、カガミの発言もまた、クーデターを抑える大きな要因となっていた。

 

 そんな彼は、今でも火影との強いパイプを持っている。現火影、猿飛ヒルゼンとは旧知の仲だ。彼ならば、その平行線の会談を──この袋小路の状況を打破してくれるのではないかと思ったのだ。

 

「……すまないが、それは無理だ」

 

 と、カガミは深く呟いた。

 

「ワシが言った所で、うちはの意見が変わらぬ限り意味が無い。何せ、うちは一族の要求がそもそも受け入れ難い、という問題だからだ。ワシがヒルゼンに進言できる事はない」

「だが、貴方が火影に意見をしてくれるだけでも変わるかもしれない。貴方を見る目を変え、言葉に耳を貸すかもしれない」

「そう信じたいが……これまで、何度も言った。うちは一族が警務部隊である事は責任の押し付けではない、名誉だとな。しかし、一向に届きはしなかった。その想いも……分からないまでもない。うちは一族を疎んでいる者たちの心もな」

「……あの事件さえ無ければ…………」

 

 九尾が復活した、あの忌まわしき事件。

 あの事件を機に、うちは一族の方向性は決まってしまった。

 これまではクーデターを視野に入れた程度の懐の深い会合が、クーデターを第二の手段として考えた狭窄的な会合としたのだ。

 

「いつの時代も……大きな不運はやってくるものだ。戦争もあった。三度もだ。だが、その中でも不運を跳ね返そうと多くの者が全てを賭けた。嘆く暇は無い。嘆けば、イタチくんもフウコちゃんも、その友達のイロミちゃんも、そしてワシの自慢の孫も、不運に巻き込まれてしまう」

 

 四人を見る。

 彼らはまだ、投擲の練習をしている。

 手に持っているクナイを手渡したり、投げ方を真似してみたり、指で指し示し合ったり、手を叩いて笑ったり。

 

「ワシも、出来得る限りの手は考える。ワシなりの考えでな。だからお前も、不運に頭を垂れるな」

「……はい」

「ほれ、暗い話は終わりだ」

 

 カガミが話を終わらせたのは、イタチがこちらに歩いてきてるからだった。

 友達との楽しい時間の名残を残す笑顔を浮かべた彼は、目の前に立ってこちらを見上げた。

 

「父さん。そろそろ、修行を付けてほしいんだけど」

「イロミちゃんの投擲か? まだ俺は怖がられていると思うが……」

「大丈夫だと思う。それに、もうフウコだけじゃ教えきれてないから」

 

 見るとイロミは膝を抱えて丸くなってしまっている。その上を、フウコが不思議そうに指で突いている。何やら色々と限界が来たようだ。

 

 少しだけ楽しもう、とフガクは思った。

 

 イタチの頭を叩くように撫でながら、子供たちの輪の中に入っていった。

 

 

 

   ☆ ☆ ☆

 

 

 

 うちは一族と木ノ葉隠れの里の溝が日を増す事に深くなっていってしまっている。夫のフガクがそう語ってから、うちはの町を見る目が変わってしまったような気がする。

 

 人々が往来する道。軒先で話している住人。無邪気に走り回っている子供たち。それらが全て、仮初のように思えてしまった。

 

 自分の愛する人達が大切……だからクーデターを起こす。

 

 その発想を、ミコトは許容出来ないでいた。

 

 理解は出来る。愛情は時には、暴力を誘発させてしまうものだ。しかし、その理解の先には必ず、最悪の想定が待ち受けている。愛する者が、今度は暴力を返されるという想定だ。その想定は、誰もがするはずなのだ。

 

 なのに、踏み込んでしまう。

 

 その感情の暴走が、分からなかった。

 クーデターを計画しながら、平和を演じる町。仮初の空気が、ミコトは嫌いだった。

 その中を、一人の女の子が歩いていた。見知ったどころではない、一目見て全てが分かってしまう我が子だ。

 

「フウコ」

 

 足早に近づいてそう呼び止めると、フウコはこちらを振り向いた。面倒くさがり屋で伸ばしっぱなしになった黒い髪は、ミコトの腹部ほどの身長の彼女のちょうど背中の真ん中に触れる程に長くなって、振り返ると毛先が振れて可愛らしさが増しているように見えた。当然、親の欲目という部分はあるが。

 

「ミコトさん」

「今日はもう、任務が終わったの?」

 

 まだ昼下がりの時刻だ。中忍にしては、帰路につくには早すぎる時間だった。

 

「終わりました」

 

 と、フウコは淡々と応えた。嬉しそうにも悲しそうにもしない娘に、いつもどおりだと、ミコトは安堵してしまう。

 仮初の平和の中であっても変わらない。もう少し笑えば良いのにといつも思っているが、こういう時だけは嬉しい限りだった。

 

「ミコトさんは、買い物ですか?」

「ええ。私も、ちょうど終わったところよ」

 

 二人は並んで歩き始めた。

 

 意外にも、貴重な時間であった。フウコと一緒に外を歩くというのは、数える程しか無い。基本的には、フウコは家にいる。サスケがいるからだ。どちらかというと、イタチと一緒に歩くことの方が多い。イタチの方が社交的で、買い物に行くと言ったら手伝ってくれる。

 

 貴重な時間を堪能しながら、フウコと会話を弾ませる。

 

「今日の晩御飯は何だと思う?」

「ハンバーグですか?」

「食べたいだけでしょ」

「食べたいです」

「んー、残念」

「そうですか。残念です」

「もう少し野菜とか食べないといけないわよ。お肉ばっかり食べてると、大人になったら胃が弱くなっちゃうんだから」

「今のうちに痛め付けたほうが強くなると思います」

「もう十分痛め付けられてると思うわよ?」

 

 家に着いた。

 

 あっという間だと、仮初の光景が過ぎた嬉しさと、フウコと一緒に並んで歩く時間が無くなってしまった物寂しさを抱えて居間に入った。フウコも後ろから付いてくる。もしかしたら、買い物袋から何か食べ物をくすねるのではないかと微笑ましく彼女を眺めていたが、彼女は素直にテーブルに着いたのだ。

 

 そんなにお腹が減っていたのだろうか? とミコトは不思議に思いながらも、仕方無しと料理の下準備に入る。鍋に水を入れ、味噌汁から作ろうと考えた。

 

「ミコトさん。サスケくんは寝ているんですか?」

 

 ふと、フウコはそんな言葉を零した。

 

「ええ。そうよ。ぐっすり寝てるわ」

 

 と、ミコトは何となしに応えてから……疑問を抱いた。

 どうしてそんな事を聞いてくるのだろう。そもそも、いつもならサスケの所へ行って、丹精込めて作ったでんでん太鼓を鳴らす筈なのに。

 

「イタチは……まだまだ帰って来ないですか?」

「多分……ね」

 

 嫌な予感がする。

 フウコの声は変わらず平坦なのに、どうしてだろうか。

 不安に駆られ、振り返ってしまった。

 赤い瞳がこちらをじっと見つめている。

 

「訊きたい事があるんですけど」

「何かしら?」

「フガクさんの事です」

 

 ……お願い。そう、ミコトは願った。

 

 ただ、幸せを享受して欲しい。

 きっと幸せな時代に生まれてきたのだから。

 間違いなく、幸せな家族のままで、いられたのだから。

 仮初に変わらないで欲しい、と。

 

「夜、よくフガクさん、外に出掛けていますよね? どこに行ってるんですか? 何か、あるんですか? そう……例えば、警務部隊の人達とかと、会合とか……」

 

 ──それ以上は、言わないで。興味を、示さないで。

 

「私、警務部隊に凄く、その、興味があるんです。フガクさんや、うちは一族が誇りを携わっている部隊なので。もし、そういう会合なら、参加したいと思ってるんですけど。私も、中忍になりましたし」

 

 駄目だ、駄目だ。

 連れて行く事は出来ない。

 フガクがコントロールしているクーデター推進派の中に、大切な愛娘を連れて行く訳にはいかない。フウコが行ってしまえば、いつかイタチも連れて行かれる。いずれは、サスケも?

 

 そんなの、地獄じゃないか。

 

「フウコには、まだ早いわよ」

 

 涙を、絶叫を抑えて、ミコトは笑顔を作った。

 優しい嘘で、覆い隠そうとした。

 

「子供だからですか? でも、子供でも、中忍です」

「中忍って言ったって、特別扱いにはならないわ。うちは一族は中忍になるなんて当たり前。私はとても素敵なことで自慢出来るけど、警務部隊はそんな甘いところじゃないの。もう少し立派になったら、私からお父さんに薦めてあげるわ。貴方は先の事よりも、そうね、もうちょっと友達を作りなさい。イロミちゃんとシスイくんだけが友達なんて、たとえ会合に出ても変な目で見られるわよ?」

 

 冗談調子に、そして饒舌に説き伏せようとする。気が付けば料理を作る手が早くなっていた。きっとこの子なら、料理が目の前に出れば無我夢中で食べるに違いない。そこからは、また幸せな家庭の時間が始まる。

 

 それだけでいい。

 

 それ以上の成長なんて望まない。

 

 夫が奥歯を噛み締めて家の外を守ってくれている。

 なら、妻は子供たちを守らなければならない。

 

 どうか、どうか。ミコトは願った。フウコがこれ以上、前に進まないように。子の成長を、この時だけは、止まって欲しいと願った。

 

 ……しかし。

 

「実は──」

 

 カサリ、と。

 フウコの方で紙が擦れる音がしたのだ。

 霊佇む木枯らしのような不気味で不吉な音。

 沸騰し始めた味噌汁の鍋の湯気が、冷たかった。

 

「暗部の方から、入隊しないかと打診の文を頂きました。まだ内定した訳ではなく、話をしないか、と。ミコトさん。暗部入隊は、うちは一族でも誇れる実績だと──思うのですが」

 

 仮初だと思っていた外の光景が、家の中にまで入ってきた。

 

 

 

   ☆ ☆ ☆

 

 

 

 おそらく、終わりが始まったのだろうとフガクは予感した。

 

 これまで抑え込んできたうちは一族のフラストレーションは、近い内に歯止めを無くす。クーデターのトップである自分が諌めても、それはクーデターを望む者たちが怒り、こちらに刃を向けかねない程。

 まだうちは一族は、いや、フガク自身でさえも、その終わりの切っ掛けというものを分からずにいるのだが、それも近い内にやってくるだろう。もしかしたら、朝の鳥が鳴くよりも早く知らせが来るかもしれない。

 

 それは、今日の夜遅くに帰ってきた、フウコの様子で察する事が出来た。

 

 無表情に淡々と、この家にやってきた時と同じ表情。しかし、フガクには、確かな親心というものがあった。それは、イタチにもサスケにも分け隔てなく指し示したものである。その心を表立って出すには、彼の人格や父親という立ち位置が邪魔してしまい、いうなれば不器用という凡庸な表現で終わらせてしまえるのだが、確かに親心があった。それが叫んだのだ。

 

 娘が、泣いている。

 

「ねえ。貴方」

 

 寝室で一向に眠りにつくことが出来なかったフガクに、隣の布団で横になっていたミコトが静かに声をかけてきた。彼女も、眠れなかったようだ。

 身体を横に向けると、彼女は既にこちらを向いていた。

 障子から透けて入る月明かりの薄暗い中でも、ミコトの目から一筋の涙が溢れているのが分かった。

 

「子供たちを……助けてあげて」

 

 フウコの様子に、ミコトも同じことを感じていたのだろう。

 イタチとフウコが会合に参加するようになっても、いずれはサスケも巻き込まれてしまうのではないかと悪い未来を想定しても、二人で子供たちを支えようと誓った。だが、それが今日の事でミコトは初めて、絶望を感じたのだ。

 

「お願い。もう、あの子たちの苦しそうな姿……見たくないの」

「……それは出来ない」

「どうして?」

「もう、うちはは、止まらない。俺が言った所で、彼らは裏切られたと判断する。そして、イタチもフウコも敵と判断される。サスケも、その中に入ってしまうかもしれない。それだけは回避しなければならない」

「このままだと……また、あの子達は辛い想いをするわ」

「それは──覚悟を決めていた事だ」

 

 フガクとミコトは──フウコとイタチ、そしてシスイがクーデターを止めようとしている事を知っていた。

 

 いくらフウコとイタチに忍の才があるとは言え、フガクもまた、エリートと呼ばれる警務部隊の隊長である。同じ屋根の下で過ごし、夜更けに家を抜け出す子供たちに何も感じない程の凡人ではない。

 

 子供たちが裏で動き、クーデターを阻止しようとしている。その事をミコトと話し合い、出した結果は、自分たちはこのまま続けよう、というものだった。

 

 子供たちを此方側に引き入れても意味がない。フガクがクーデターのトップに立っている以上は、クーデターを進める以外の意思表明が行えない。であるならば、自分たちはあくまで子供たちの敵として立つ方が、きっと子供たちに最も累の及ばない最良の選択だと信じたのだ。

 たとえそれが……クーデターが始まってしまった時に、子供たちと対立するという構図になったとしても。

 

 二人は既に、フウコとイタチに殺される覚悟をしていたのである。

 容易な覚悟では無かった。

 本当なら、子供たちと一緒に、心の底から笑顔で日々を過ごしたかった。

 それでも、うちはと木ノ葉隠れの里との確執……過去が、家族を縛りあげた。

 二人で耐えよう。

 その誓いが、砕かれつつあった。

 

「……最近、夢を見るの」

 

 力無く、ミコトは呟いた。

 

「イタチとフウコとサスケが、一緒に家に帰ってくるの。夕方に。サスケが下忍くらいになっててね、修行を付けて欲しいって我儘を毎日言うから、イタチとフウコが修行を付けてあげてるの。……お風呂に入って皆で食卓を囲んで話をするの。食器を洗って、ゆったりした時間を過ごして、寝て。朝起きて、また皆の御飯を作って──。ねえ……これって、そんなに難しい夢かしら? 子供たちが苦しんでいるのを、歯を食いしばって我慢してようやく、手に入る夢なのかしら?」

 

 涙の道が徐々に大きくなっていっている。

 

「ただ、私は……あの子達に笑っていてほしいの。健やかに、未来を見てほしいの。うちは一族の過去なんかじゃなく……もう、どうにもならないの?」

「……すまない」

 

 その夜、ミコトは静かに泣き続けた。

 これから起こる、あまねく全てに備えて、流せる全てを流し尽くすように。

 フガクは、声を必死に抑えながら涙を流すミコトの頭を撫でながら、呟いた。

 

「俺達があの子達の重しになってはいけない。お前は最後まで、あの子達を暖かく迎えてやってくれ。俺は、あの子達が迷い無く進めるように背中を押す。だから、もう少しだけ、頑張ってくれ」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 別れの日がやってきた。

 

 ミコトは、そう直感した。何かの前触れがあった訳ではない。とても静かな夜だ。あまりにも静か過ぎる事が、ミコトにその覚悟をさせたのかもしれない。それでも、虫の知らせと何ら変わりのない不思議な感覚がミコトの背中を触れたのだ。

 

 彼女は、今から始めようとしていた料理の手を緩やかに止めた。手に取っていた包丁をまな板の上に起き、出していた野菜類は冷蔵庫に収めた。これから、全てが終わるというのに、とミコトは小さく笑ってしまいそうなりながらも、目端にじわりと浮かんだ涙を感じていた。

 

「やだ、もう。分かってたことじゃない」

 

 我が子達の為に、血の涙を抑え、絶叫を呑み込み続けてきた。

 そして自分は十分に幸福を感じてきた。

 

 優しく聡明な息子がいる。

 

 不器用で強い娘がいる。

 

 元気で可愛い息子がいる。

 

 短い時間でも──いや、十分過ぎるほどに、長かった──幸せが在った。

 

 だから、泣いてはいけない。

 

 泣けば、子供たちを否定することに成りかねない。親の涙は、子に不幸を伝播させてしまう。これから、多くの辛い時間を過ごすであろう子供たちが少しでも、頑張れるように、笑っていよう。

 

 コン、コン。

 

 玄関から、音がした。

 

 ミコトは玄関へ足を進めていく。

 いつものように、笑顔で。

 

 ──さようなら、イタチ、フウコ、サスケ。

 

 戸を開ける。

 

 ──私は……私達は幸せだったわ。間違いなく。今までも……これからの最後の瞬間までも。

 

 

 

 全身を血に染めた娘が、怯えた様子でそこに立っていた。

 

 

 

 まるで、家にいないで欲しかったと願っていたように。

 

 母親が家にいるのは当たり前じゃないかと、頭を撫でてあげたかった。

色んな夢が打ち砕かれてしまったような、泣きそうな顔を胸に抱いて、一緒に布団に入って宥めてあげたかった。

 

 でも、それは出来ない。

 

 これまでの全てが、必然であったとしなければいけない。

 

 つまり、我が子らの責任なのではないと、命を賭けて教えてあげなければいけない。

 

 悪いのは全て、私達なのだと、責任を取らなければいけない。

 

 だから、せめて、心の中だけでも。

 

 ──大丈夫よ、フウコ。怖いことなんて、何もないわ。

 

 

 

「おかえりなさい。フウコ」

 


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