いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 投稿が遅れてしまい申し訳ありません。

 今回の話で次世代編は終わりとなります。

 次話は今月中に投稿できればと思います。


原始の繋がり:信頼

 感情があるから、人は速さから取り残される。

 

 重大な決断を遅らせ、決断した後にも挙動を鈍らせる。

 

 感情は一方向だけのエネルギーではないからだ。風船を膨らませるように、他方へと力が広がるのだ。問題なのは、そのエネルギーが均一ではないこと。歪に蠢き内側から暴発しようとしている風船のようだ。

 

 そして風船が破裂してしまえば、人は後先を考えられなくなる。

 

 忍は軍事力。遅く、そしていつ誤作動を起こしてもおかしくないものなど、災害に他ならない。

 

 かつての忍界大戦がそうだった。

 

 うちは一族の反乱もそうだった。

 

 そして──彼女の犠牲もそうだった。

 

 全ては、感情があるからこそ、招かれてしまったのだ。

 だからこそ、その感情の無い部下を作り上げた。だからこそ、感情を利用して他国とのパイプを作り上げた。そのパイプを使い、サソリとのコンタクトや【暁】の情報も仕入れることが出来たのだ。

 

 積み上げてきたもの。

 

 その、一切合切を、彼女に……イロミに打ち砕かれた。

 

「……俺を、笑いに来たのか?」

 

 【根】の拠点。その最深部の、暗く、あまりにも広すぎる廊下に腰を落ち着かせていたダンゾウの耳に、足音が聞こえてきた。

 無遠慮で、しかし他意を感じさせない素直な足音。ただ話に来たのだと言いたげなそのテンポを奏でる者は【根】にはいない。いや、現時点では、【根】の者たちは動けすらしないだろう。暴虐の限りを尽くし、けれど誰一人として死なせる事の無かったイロミの手によって、気を失っているのだから。

 

 そう、今は、イロミが木ノ葉隠れの里を抜けた後である。

 

 こんなタイミングでやってくる者など、やって来ることが出来る者など、一人しかいない。

 

「イタチよ」

 

 うちはイタチは、ダンゾウとやや距離を離して、立ち止まった。

 

「貴方を笑う意味がない。何を笑えと?」

「お前の望み通りの状況に、なっているではないか。猿飛イロミを里から出し、俺の部隊を壊滅させている。後は、俺を殺せば、全てを丸く収めたつもりなのだろう? そして、イロミはナルトの世話係。上手くコントロールし、いずれは里に戻す腹積もりだろう」

 

 イタチは応えない。

 まるで見当違いも甚だしいことに、いちいち反論する必要も無い、とでも思っていそうな無言だった。

 ダンゾウは「ふっ」と鼻で自嘲した。

 

「貴様がやっている事は所詮、火種を遠ざけているに過ぎない。問題の先送りだ。いずれ、うちは一族の時のように、どこかで問題はやってくる。避けようのない形でな。その時、お前はどうする?」

「そうですね……皆と協力して、問題を解決します」

 

 とてもフランクに、イタチはそう応えた。

 その表情が、被って見える。

 猿飛ヒルゼンに。

 いつも彼は、目の前の問題に対して軽く笑って見せた。憎らしいのは、その笑みが無責任な判断によるものではなかったということ。彼は彼なりの責任を感じ、そして最後には、死んでいった。

 

「ただ、言っておきますが、俺は問題を先送りにしているつもりはない」

 

 イタチは言った。

 

「ナルトくんを里から出すつもりはなかった。出来ることなら……共にフウコを追いかけてほしかった」

「なら、なぜ止めなかった? 貴様自身が出向けば、止める事が出来たはずだろう」

 

 たとえ火影という地位にいても、抜けていったのは人柱力だ。里から出る口実としては里の内外共に十分のはずだ。

 

「俺が止めに行っても、いずれはまた、彼は自分で外に出ると思った。それこそ、問題の先延ばしにすぎないと。なら、外に出して……彼を信じてみようと思った」

「お前らしくない。そのような賭けを──」

「だから、イロミちゃんを外に出した。賭けを賭けじゃなくする為に」

 

 イタチは、しかし平坦に語った。

 

「大蛇丸なら、彼女を手元に置く。彼女の身体は、大蛇丸の研究材料として魅力的だ。それに、手駒としても十分な力を、前の中忍選抜試験の反逆で示している。そして、今も」

 

 ダンゾウと、その部下たちを打ちのめしたのだから。

 しかし、ダンゾウにとって、やはりそれは賭けでしかない。

 たった一人の少女が、何を変える事が出来るのだろう。確かに力は恐ろしさすら感じる程だ。

 

 ダンゾウはイロミと戦った。

 

 全力を費やして。

 

 うちは一族の眼球と千手柱間の細胞を移植した右腕。その右腕を使用した、うちは一族に秘密裏に伝えられていたイザナギを用いて、何度もイロミを追い詰めて、殺した。

 頭を潰した。心臓を貫いた。全身を燃やしてやった。首の骨を砕いてやった。

 何度も、何度も。

 それでもイロミはあらゆる手段──彼女曰く、仕込み──で、あるいは呪印の力で。暴れに暴れた。争いの様相は、ダンゾウの忍術が発動が出来なくなるか、イロミの命のストックが無くなるかといった、泥沼となっていった。

 

 結果は、向こうの命が勝った。

 

 そして、彼女は自身の細胞を、イタチの記憶を取り戻す為に、シスイの眼球を埋め込んだ右眼へと延ばした。

 

 彼女は涙を流し、大いに泣いて、里を抜けていった。

 涙を流す。

 それは感情に他ならない。

 感情は……遅く、暴発する。コントロールの利かない、欠陥だと言うのに。

 

「お前も、ヒルゼンと同じ過ちを犯すのだな。あいつも、人を、人の心を信じ、そして死んでいった。いつだって、敗北の始まりは人の心からだ。そうだろう? うちは一族よ」

「……だが、俺やあんた、そして木ノ葉があるのも、人の心だ。血や習慣、秩序といった、記号じゃない」

「それを問題の先延ばしだと言うのだ」

 

 心が、感情が、意志が。

 火のように紡がれる。聞こえは良いが、それは責任の引き継ぎの免罪符にもなり得る。どこかで誰かが、感情を押し殺して問題を終わらせなければいけないのだ。

 けれど。

 その言葉は、果たして。

 イタチに言ったのか。

 それとも……かつての──。

 

「そう言う貴方だからこそ、俺はここに足を運びに来た」

 

 と、イタチは一歩足を踏み入れた。

 そこで初めて彼は、小さく笑みを浮かべた。自嘲気味な、爽やかな青年らしい笑顔だ。

 

「正直……忍に感情が不要という考えは共感できる。完全に否定するつもりはありません。ただ、人の感情と……向き合うという事を友達から学んだ。感情を捨てる前に、行うべき事柄があると学んだんだ」

「………………」

「それでも、俺一人では行えない事は山のようにある。もしかしたら、貴方の言う、感情に囚われて判断を過ってしまうかもしれない。火影という地位、それをフウコを追う事の為だけに使うつもりは毛頭ない。だが、過ってしまえば、うちは一族の血と歴史を持つ俺は、他者から見れば俺は復讐者(、、、)に見える。それだけは出来ない」

「結局は、自分の為か……」

「他人を慮ってばかりでは、感情とは向き合えない。お前の眼は節穴か? ちゃんと見ろと、友達に言われたばかりだからな」

 

 イタチは続けた。

 

「貴方なら……木ノ葉隠れの里を支えてきた貴方なら、俺の過ちを見極める事が出来るはずだ」

「……お前は、どうして火影になった?」

 

 イロミとナルトを里から出し、そして自分自身もうちは一族という背景を持つ火影となった今、身勝手に動くことは許されない。

 もはや、今のイタチにとって火影になるメリットなど皆無に等しい。

 

「まだ俺が子供だった頃……木ノ葉に九尾が現れ、暴れた事件があった。その時から、ずっと疑問に思っている事がある。あれは本当に災害だったのか? と。うちは一族自らが行う筈がない。あの事件が、うちは一族がクーデターを考える決定打になったはずだからだ」

 

 もし、

 

「あの事件が、人為的なものならば……九尾を意図的に動かせる人物は、限られている。更に言えば、あの夜、フウコは俺に幻術を掛けてどこかへ行っている。赤子のサスケを溺愛していたフウコが、勝手にどこかへ行ったんだ。そして……あいつが黙ってどこかへ行くのは、今まで、それを含めて二度ほどあった」

 

 一つは、九尾の事件の夜。

 そして一つは、

 

「シスイと共に暗部の任務に行った時だ」

 

 ダンゾウは、黙ったままだった。

 

「あの夜、うちは一族は末期に近い状態だった。いつ、勝手にクーデターを起こしてもおかしくはない程度に。だからこそ俺達は協力して、うちは一族を止めようと考えていた……にも関わらず、あの二人が一時的にどこかへ行っていた。シスイが行くのは分かる。フウコが傍にいたからだ。では、フウコは? あいつがどうして、どこかへ行く必要がある? ずっと、それが気掛かりだった。記憶を取り戻しても、それだけは分からなかった。だが、フウコの感情から考えれば、答えが出た。重大な仮説だが……うちは一族という爆弾を目の前に、赤子のサスケを目の前に、あいつがどこかへ行ったのは、明確な敵がそこにいたからだ。違うか?」

「だったら……どうしたというのだ?」

「俺は、全てを守りたい。人の感情からそれを学んだ。秩序という歴史からそれを学んでいた。だから、火影になった。フウコの敵は、かつての泥沼のような大戦から端を発する、泥川のような歴史の延長線上にいる。俺は火影として、その男から全てを守りたい」

 

 だから。

 だから、

 だから。

 

「ダンゾウ、貴方の積み重ねてきた全てを使わせてくれ」

 

 俺は。

 

「近い将来……五影会談を開くつもりだ。貴方が広げていった人脈ならば、可能なはずだ。そして俺と、木ノ葉隠れの里の将来を、また一から見定めて、支えてほしい」

 

『木ノ葉と、木ノ葉の子らを……頼む』

 

 長ったらしい、ヒルゼンらしい遺書の一文を、ダンゾウは頭に思い浮かべた。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おう、イルカ。お前、煙草吸うか?」

 

 アカデミーの職員室だった。

 

 昼休み。午前中の授業が終わって、職員室に戻ってきたところのイルカは、自身のデスクに着いたタイミングを見計らうように声を掛けられた。アカデミーでタバコを吸い、そして職員室にも関わらず堂々と煙草を吸うと発言する人物は、一人しかいない。

 

 イルカは驚いた表情を一瞬だけ浮かべてしまった。

 

「あの……吸いませんが」

 

 互いに教師として同じ学び舎で活動している筈なのに、それすら知られていない事がイルカにとってはややショックな事だった。ブンシとは特別親しい間柄でもなく、そして将来的にもなる事も無いはずであり、けれども同じアカデミーの教師という職業上の関係としては尊敬しており、そんな彼女がこれまでこちらに一切関心が無かったというのは、自分のこれまでの教師としての存在感が希薄だったのだと叩きつけられたようだった。

 

「あたしとお前、どっちが先輩だ?」

「……はい?」

「あたしだよな?」

 

 何か悪いことをしてしまったのだろうか。イルカは本気で考えてしまった。状況としてはカツアゲされているにも劣らない。

 他の教師たちに視線を送るが、彼ら彼女らは一様に顔を伏せるばかりだった。

 

 もう一度、ブンシを見上げる。

 

 額を大きく出したヘアスタイル。その額には、青筋は立っていない。しかし、表情はどこか無表情。

 分からない。怒っているのか、怒る前触れなのか、平常運転なのか。

 イルカは恐る恐る応えた。

 

「勿論、ブンシ先生が、先に教師になっていましたので」

「じゃあよ、茶、付き合え」

「……はい?」

 

 脈絡が分からなかった。

 煙草の次は茶。

 

「えっと……今は、昼休みですが……」

「文句あんのか?」

 

 額が僅かに震えるのを確かに確認してしまった。

 あと数回もすれば、拳が飛んでくる事は間違いない。問題なのは、その数回というスパンが極端に短いパターンがある事だった。

 

「あたしが奢ってやっから。何食いたい?」

「えーっと、何か話があるのでしたら、ここでも……」

「酒でも何でも奢ってやっから、さっさと言えゴラァッ!」

 

 青筋が一瞬で三本に増えた為、テキトーな食事処を言うとブンシはさっさと教員室を出て行った。どうやら、付いてこいという意味なのだと、彼女の背中が語っていた。他の教師たちに視線を送っても、やはり彼ら彼女らは顔を伏せたままだった。

 

 アカデミーを出て、しばらく、二人で歩いた。二人で歩くといっても、ブンシが前を歩き、その後ろを三歩ほど離れてイルカが歩くという、微妙な距離感での移動だった。

 

 何度か声を掛けて、この気まずい雰囲気を払拭しようとしたが、ブンシは無言のままだった。表情は後ろからでは見えず、重い空気が漂っていた。

 食事処に着くと、店員に案内される。提供の早い定食屋だった。

 

 意外にも、ブンシは案内される際に「二名でお願い」と普通の様子だった。

 

 席に着く。店内の個室。狭いながらも、互いに話すには、紙一枚程ではあるが機密性は担保された場所だった。

 

「煙草、吹かしていいか?」

「ええ……どうぞ」

「お前は?」

「ですから吸いませんよ」

「他の連中への建前じゃなかったのか」

 

 どうして煙草を吸わせたがるのだろうかと思っているとブンシは慣れた手付きで火を点けた。喫煙席のようで、用意されていた灰皿を手元に寄せた。

 煙草を口端に加えながら、淡々とブンシはメニュー表を開く。

 

「何食いたい? 何でもいいぞ。これでも金はある。気にすんな」

「……あの」

「んだよ」

「何か、話があったのでは?」

「あ?」

 

 黒縁メガネの奥の瞳がじろりとこちらを見た。怒っている様子が無いことは額から予想出来てしまい、イルカは静かに伝えた。

 

「ブンシ先生に奢ってもらえるというのは初めてのことですよね? だから、何か話でも……」

「そうだな。だが、それよりも先に飯だ。あたしは決めた。お前も決めろ」

「……はい」

「あ、酒飲むか?」

「終業してませんよ」

 

 ブンシは親子丼、イルカは煮魚定食を注文した。

 料理はすぐに来た。昼休みという事もあり、匂いで空腹が強く、ブンシが箸を取り親子丼を黙々と食べ始めるのを見てから自分も箸を付けた。黙々と昼食にありつく。

 

 ブンシはあっという間に食べ終わってしまった。自分はまだ、三分の一ほど残っている。食後の一服をブンシが始めると、ようやく、彼女は独り言のように呟いた。

 

「仕事したくねえよなあ」

 

 煙草の誘いから、奢りの話から……また唐突な言葉が出てきた。

 それも、衝撃はかなり大きい。ブンシは粗暴なイメージがあるが、仕事には熱心な教師だというのは、生徒も他教師たちも理解している部分だった。

 

「最近のあたしはストレスで頭がパンクしそうだ。カカシの野郎をぶん殴って、イタチも殴って、怒鳴り散らして……喉が痛ぇよ。なのにガキ共の世話をしなくちゃいけないってのは、何か、嫌だよな」

 

 大きく紫煙を天井に向けて吐いて、彼女は灰を落とした。

 

「あたしはまあ、そんな感じでストレス発散? してるけどよ。お前はどうなんだよ。ナルトのやつ、里を出て行っちまったぞ」

 

 その、言葉は。

 

 アカデミーの教師としての義務や、業務といったものを吹き飛ばすには、あまりにも強すぎた。

 自身の箸が、ピタリと、止まった。

 

「あたしさあ」

 

 と、ブンシは呟いた。

 

「もうさ、二回。可愛い生徒が里を出て行っちまってさ。教師なのに、なーんも相談もされず、頼られもせず、手を貸してやる事も出来ねえでやんの。ガキ共の為につって教師やってんのに、そのガキ共は想像以上にやんちゃで、気が付かねえ内に成長してるの見るとさ、あたし惨めだよなあとか、んなこと、考えちまう訳」

 

 普段のブンシとは程遠い、穏やかでフランクな語り口。けれど、その言葉は、まるで鏡写しであるかのように思えてしまった。

 誰の?

 それは、自分の。

 気が付けば箸を握った手は、膝の上で固まっていた。

 

「もうベテランな訳だ、あたしは。だからよ、イルカ」

 

 そう言いながら、ブンシは眼鏡を外して、小さく笑った。

 頬を赤く染めて、涙袋を腫らして、そして、涙を溜めながら。

 

「今日はよ……学校…………サボっちまうか……? サボってよ……ヤケ酒でもさぁ…………飲まねえか?」

 

 ああ、そうだ、とイルカは思い出した。

 

 ブンシ(、、、)の教え子も、抜け忍となっている。

 うちはフウコと猿飛イロミ。

 ブンシの目から、ボロボロと涙が溢れていく。

 今まで溜めてきた涙を止められないかのように。

 けれど、彼女はすぐに涙を拭った。顔を伏せ、赤くなってしまったみっともない顔を見られたくないように。

 

「……今のは忘れろ。いいな?」

「……はい」

「後輩のくせに、世話焼かせるなよ。顔に出過ぎなんだよテメエは。ガキ共がこぞって、テメエを叱ったんじゃねえかってあたしに言って来るたびに、腹が立ってしょうがねえ……じゃあ、お前の番だ」

「え?」

「先輩に奢ってもらったら、本音を言うのがルールなんだよ。ナルトの事、どう思ってんだよ……。先輩が、このあたしがだ! ここまで気ぃ使ってやってんだから、察しろ」

 

 今の木ノ葉隠れの里では、ナルトの話題はどこかタブーのようになってしまっている。中忍選抜試験で見せた九尾の暴走。それが、あまりにも強烈過ぎた。

 そして、ナルトが抜け忍となったのは未だ公表されていない。ナルトが抜け忍となったと聞いたのは、カカシからだった。ブンシも、おそらくは、彼から聞いたのだろう。

 そんな状況の中を、きっとブンシは理解している。理解……してくれている。

 話せるのは……。そう、ヤケ酒のような事が出来るのは。

 

「ナルトが里を出ていったのは……、きっと、何か理由があるのだと思っています」

「どうして、そう思う? 嫌な言い方をするが、あいつは、里では疎まれてたぞ?」

「もしもそれで里を抜けるなら、もうとっくの前に出て行ってます。だけど、それをあいつは、しなかった。真っ直ぐな目で、火影になる、そう言うんです。皆に認めてもらう為に、敢えて困難な道を進むと言っていたんです。その道を変えて、里を出て行った……それは、決して楽な道である筈がない。そして、自分よりも誰かを守るために出て行った。俺は、そう信じています」

「……そうだな。ナルトのバカは、そういうやつだな」

 

 相槌が彼女の本心かは、分からない。アカデミーの教師であるブンシがナルトを知っているのは当然ではあるけれど、もしかしたら、こちらに気を使っているだけの事もあるだろう。

 そうは分かっていても、共感してくれるだけで、込み上げてくるものがあった。

 

「だから……あいつが、里を抜けたと聞かされた時は、あいつはあいつなりに大きな決断をしたんだなと、その、火影を目指すと言い出した時みたいに、また別の夢が出来たんじゃないかって、親心とは、全然違うのかもしれないんですけど……」

 

 言葉を、出せば出すほど。

 自分の感情が分からなくなっていく。本当に自分が抱いていた感情が、どこかへ行ってしまったかのようだ。

 

 ブンシに対して虚勢を張っている訳じゃない。嘘をついているつもりはない。本当だ。なのに、自分の感情に見合った言葉が口から出ない。酒を呑んで酩酊してしまったみたいだと、イルカは思う。思考がフラフラする。

 

「何か、すみません。変……ですよね?」

 

 逃げるようにブンシに尋ねてしまった。

 

「変じゃねえよ。良いんじゃねえか? そういう考えがあっても。それぐらい、お前はあいつのこと、見てたってことだろ?」

「……最初は、そう思っていました。ただ、えっと……だから」

 

 ナルトは自分が想像している以上に、成長していった。

 下忍候補生を尽く落第させていったカカシの班に入る事が出来たし、中忍選抜試験にも出場できるようにもなって、最終選抜にも選ばれて。

 だけど自分は、かつて九尾に親を殺された時から足を止めてしまっていて。ナルトと和解してからは、また進み始めたけれど。

 

 年上ながら、ナルトは。

 

 自分よりも先に進んだ子だった。

 彼がいなくなって、そういう関係になってしまっていたんじゃないかと、不安に思った。

 だから……。

 

「だから……」

 

 涙が。

 

「なぁ……ナルト…………俺って……そんな、頼りなかったかぁ……? どうして、相談してくれなかったんだよ……」

 

 不安な事柄という訳じゃなくてもいい。戸惑いの話という訳じゃなくてもいい。

 いつもの一楽で自慢気に語る口調で将来の事を話してくれるだけでも、良かった。

 木ノ葉隠れの里を出ていく前に、どこに行くのか、話して欲しかった。

 最後までナルトの味方でありたいと、心の底から想って、そして自慢気に語る話がどんどんと膨れ上がっていくのを楽しみにしていたのに。

 

 分かってる。

 

 ナルトが木ノ葉隠れの里を出ていくまで、牢に繋がれていたのは分かっている。顔を出すことが難しかったことも。それでも……。

 感情がぐちゃぐちゃになる。

 

「やっぱ……そう思うよなあ。ガキって身勝手だよなあ」

 

 どこか嬉しそうに、どこか楽しそうに、ブンシは言う。

 

「でもさ、ナルトはよ、お前に相談するのを忘れてたりだとか、嫌がったりとかしなかったんじゃねえか?」

「え?」

「あたしの生徒なんてよぉ、ひでえもんだぞ? 一人は鉄でも埋め込んでんじゃねえかってくらいに無表情で何考えてるか分からねえし、一人は訳分からねえ所で根性出して変なことしだすしで、正直、自信無くすけどよ。ナルトの奴はちげえだろ。あんな分かりやすい奴、そうそういねえよ。お前に、迷惑かけたくなかっただけだろ? 抜け忍になるわけだし」

「…………それでも、」

「相談してほしいよなあ」

「そう、思いますよ……本当に」

「そんな飯で足りるか? 他に食いたいもんがあるならちゃっちゃと注文しろよ」

 

 涙が流れて、頼ってほしかったという感情がきっと自分にとっての正確なものなのだと分かると、急激に空腹が襲ってきた。

 

 残った食事を一気に口にかきこみ、飲み込む。

 

 味なんて分かったものじゃない。それでも、少しだけ、そう、午後の授業はまともな顔で行えそうだと想った。

 

「学校、サボるか?」

「いえ……大丈夫です」

「本当か?」

「ええ。俺は……ナルトにとって、立派な先生ですから」

 

 ブンシは新しい煙草を取り出して火を点けた。漂う細い紫煙の奥で、ブンシは笑った。

 

「まあ、あたしの生徒も、お前の生徒も、もう立派な忍だ。あたしらもな。傍にいるいないでジタバタクヨクヨすんのは、一度きりにしようぜ。気長に、次に会う時はもっと立派になって帰ってくるだろうって、腰据えて待つことにしよう。それに、今の火影はイタチだ。つまりあたしの生徒だ。ナルトの捜索に力入れろって、ケツ叩いといてやるよ」

 

 だから、

 

「信じて待って、いざあいつらが頼ってきた時は、いの一番に駆けつけてやろうぜ」

 

 

 

 ★ ★ ★

 

 

 

 人間は学習する生き物だ。

 

 とりわけ、痛み、という現象はより学習には強い力を秘めているだろう。痛みが分からなければ、生きていく事が出来ない。相手が何者であるのかと悠長に考えていたら、生きてはいけない。だからこそ、痛みという直感的な部分で知らせてくれるのだ。

 

 痛みは学習を促す。痛みを知らなければ、人は徐々に痛みを忘れていく。自分の行動が、他者の行動が、どれほど広大に、どれほど無遠慮に何かを痛めているのかを分からなくなっていく。

 

 その不理解は、やがて突如として大きな歪みとなって目の前に現れる。

 それが争いの火種だ。

 火種は束になり、重なり、炎となって人を焦がし駆り立てる。

 終わらない、不毛な闘争に。

 

「だからお前は、痛みを与えるのか?」

 

 その空と海の世界で、彼は問いかけてきた。

 死者である筈の彼は、白い鎖から姿を現し、こちらの腕を掴んできたのだ。とても真っ直ぐに、見据えてくる。写輪眼をその男が持っているからなのか、彼特有のものなのか、全てを見通すような印象を受けた。

 

「全ての人間が痛みを受ければ、世界は、次の痛みを止めようとする。痛みを知っていれさえすれば、そう、お前たちうちは一族が感じた事を木ノ葉の者も理解できたかもしれない。お前も、そう思わないか?」

「全然、思わないな」

 

 と……シスイは言った。

 

「痛みが無ければ他人を思えない程、人間は馬鹿じゃない」

 

 うちはシスイがどのような経緯で、うちはフウコの内部にいるのかというのは粗方知っている。白ゼツと黒ゼツが、僅かながらにも細々と木ノ葉隠れの里に潜入して情報は手に入っている。

 既に死者となった彼にとって、もはや干渉できるのは、フウコの内部のみ。彼自身も、それは知っている事だろう。もしかしたら、外部の情報だけは彼に届いているかもしれない。もしもそうであるならば、今の状況は彼にとっては絶望以外の何ものでもないだろう。

 それなのに、

 

 ──どうして、そんな目が出来る。

 

 シスイの目には憎しみも怒りも、荒々しい感情は伝わってこなかった。

 分からない問題を先生に尋ねるような子供の、その瞳に等しかった。

 

「うちは一族のクーデターは決して、木ノ葉に痛みを教えるための……復讐なんかじゃなかった。そういう人達がまるでいなかった訳じゃない。だが、根本的な部分として、未来を案じて、クーデターを考えたんだ。でなければ、クーデターなんてとっくの前に起きている」

「その未来というものを案じ始めたのは、痛みを与えられたからだ。その始まりを根絶やしにする。全ての世界に、最後の痛みを与えることが出来れば、お前たちのような人間はいなくなる」

「それはありえない」

 

 平行線。

 

 それを確信してしまう程に、シスイの語気は強かった。

 

「あんたの言う痛みは、酷く狭窄的だ。単なる嗜虐心や、理不尽な憎悪、そんな限られた状況だけの想定だ。痛みは、赤の他人に対してだけ生まれる訳じゃない。仲が良いからこそ、痛みが生まれる事もある。少なくとも俺の友達は……校門で大泣きしたり、一人で勝手に努力して相談しようとしなかったり、痛みばかりだ。ましてや爺ちゃんとなんか、買い言葉に売り言葉が当たり前だった」

 

 痛みを与えれば、

 

「そんな言葉を皆が繰り返して、戦争が起きているんじゃないのか? 大切なのは、単純な事のはずだろ?」

 

 怒りを感じたのは、男の方だった。シスイのその言葉が、かつての親友を否定し、そして些末な戦争の被害者へと貶めるように感じた。

 

「ねえ、ちょっとさあ。どーでもいいけど、さっさとそいつ殺してよッ!」

 

 その時、一人の女の子ががなり声を挙げた。

 男が抱いた怒りよりも乱暴で、密度が薄く、爆発する風船のような怒り。

 

 声は、シスイの背後から。そこには、二人の人物がいた。

 

 一人はフウコだった。しかし、彼女はピクリとも動かない。現実世界で徹底的に痛め付けられ、肉体に精神が合わさるように、四肢の骨がひしゃげて、腹部には穴が空いている。自分がそうしたとは言え、見るも無残な姿だ。だが、そうしなければ彼女は止まりはしなかったのである。

 声を出したのは、もう一人。女の子の方。彼女は、全身を白い鎖で巻かれ倒れ込んでいた。まだ幼子でありながらも、浮かべる憎しみの表情は、彼女の顔に深い皺を作っていた。

 

「マダラ様の友達でしょ?! だったら、そいつ殺して、この邪魔っくさい鎖を解いてッ! そのために、あんたは来たんでしょ! グダグダ話してないで、早くしてよ!」

 

 女の子の言う通り、男はシスイの写輪眼が発現できる【別天神】を解くためである。最上位の幻術に位置する【別天神】といえど、男の瞳術を使えば、時間を要するが不可能な事ではない。

 

 本来なら、解除の目処を立ててからフウコを治し、それから事を進めるつもりだった。

 だが、その予想外に、シスイが姿を現したのだ。

 そしてシスイは……言葉として出してはいないものの、実直な眼で伝えてくるのだ。

 

 

 

 いずれ、お前の過ちは断絶される。

 

 

 

 と。

 

 死者でありながら、それを一切に疑わないその姿勢が、男にさらなる苛立ちを抱かせた。自身が死に、一族を皆殺しにされ、大切な者が大罪人として抜け忍となった現実を直視できていないのではないかとすら思えてしまう程のシスイの姿勢に、男は──賭けを申し出た。

 

「なら、この女の中で見定めてみろ」

 

 男はシスイの腕を振り払った。

 真っ直ぐ、彼の瞳と対立する。

 

「お前は、痛み以外にも平和を築くことが出来ると言ったな。なら、それが真実か、確かめてみろ。いずれ、この女は自身の痛みに疑問を持つようになる。どうして自分だけが、こんな苦しんでいるのかと。そして、多くの人間が痛みを知れば、と思い至るだろう」

「…………」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよッ! ふざけたこと言わないでよッ!」

 

 二人の間に、女の子が声で割り込んだ。

 

「あんた、マダラ様を裏切るつもり?! 私を解放しろって──」

「俺とお前に直接の繋がりは無い。お前がいなくとも、問題は無い」

「はぁあああああッ! ふっざけんな、この裏切り者ッ! マダラ様に言いつけてやるッ!」

 

 男は女の子の罵声に耳を傾けず、視線さえももはやシスイだけを睨んでいた。

 

「お前の言う、単純な事というのが如何に子供じみた理想か、よく見ておけ」

 

 そして、男はその世界から出て行った。

 背中から「俺の友達をナメるなよ」と、シスイの言葉が届いたような気がした。

 


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