いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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また、涼しい茜色の空の下で、綺麗な東雲を眺めよう

 懐かしい、激痛だった。

 

 懐かしい? と、フウコの意識はぼんやりと、寝ていた子が毛布から顔を出すような覚束無さで疑問符を浮かべた。

 

 記憶が遡る。不思議な事だったのは、遡る記憶が、清流のようにスムーズだったことだった。激痛が白糸となって、記憶を引っ張っていってくれる。いつもなら、前後左右も分からないが、統一性もない想起が嘘のようだった。

 

 記憶の中で激痛は幾つかあった。頭部の痛みとなれば、数は少ない。

 

 最初に見えた記憶は、目覚めのものだった。頭の内側を虫が這い出るような現実感の無い、けれど確かにズキズキと痛みを発している。その記憶の中で自分は悲鳴をあげていた。すぐに、サソリが様子を見に来ては、慣れた手付きで注射器を取り出している。普段の記憶だ。場所は室内で、夜のように暗い記憶だった。

 

 次の記憶は、敗北のものだった。視界には六人の男たちが、こちらを見下ろして佇んでいる。いや、七人だった。七人目は忌まわしい仮面を被り、他の六人は顔中に黒い杭のようなものを打ち込んでいている。自分は両手足を折られながらも、半分ほどになった黒刀を片手に惨めに抵抗している。そんな自分を、一人の男が手を伸ばし、顔を抑え込んできた。後頭部を地面に押さえつけられる自分は、止めろ、と、殺す、と無力にも喚き散らすだけ。次の瞬間に訪れた斥力のような膨大な力が襲いかかってきた。何度も、何度も。場所は夜で、全てが打ち砕かれた記憶だった。

 

 最後の記憶は、衝撃のものだった。

 

 真っ昼間の、天気の良い昼間。その記憶では、視界いっぱいに一人の少女の顔が映っていた。

 

 ──ああ、イロリちゃん……私の、大切な……………。

 

 懐かしさは、その記憶にピッタリと当てはまった。

 

 その当てはまりは力強く、夜空の一等星にも劣らない輝きを放った。輝きは一条の光となって、これまでの記憶を紡ぎ合わせ、そしてフウコという人格を取り戻していく。

 

 幻術で溶かされた意識はやや(、、)固まり、薬で焼かれた理性はやや(、、)紡がれる。平静を手にして、認識が頭の中に入り込む。

 

 正確な意味で、フウコは目を覚ましたのである。

 

「…………え? イロリ……ちゃん…………どうして………ここに?」

 

 視界の中には、かつて遠ざけた親友の姿が。

 そして、まるで。

 

 親友はさながら───そう、イロミは昔からその言葉を使うタイミングを考えてはいたのだ──昨日の約束事のように当然と言ってみせた。

 

「会いに来たよ! フウコちゃんっ!」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

「会いに来たよ! フウコちゃんっ!」

 

 咄嗟に叫んでしまった言葉。君麻呂の術で身体中を貫く硬質な骨から起き上がり、大量の出血をしながらも、声は意外なほどに力強く出せた。

 

 ずっと、親友を追い求めてきたからだ。

 思いが、届いたのか。

 

 仰向けに倒れていた親友が立ち上がると、その表情は、狂いも(ひずみ)もなく、割れて出血する額をそのままに、迷子のような呆然としたものだった。手を伸ばせば、もしかしたら握ってくれるかもしれない。そんな錯覚を与えてくれる程に、今度こそ完全な無防備なのだと分かった。

 

 追いつく。

 

 そして、助けられるかもしれない。

 

 親友を壊し続ける何かから。

 

「待ってて! お願い! すぐ、傍に……ッ!」

 

 一歩踏み出すが、痛みに身体が囚われる。感情が先行して、肉体の損傷に気が回っていなかった。急所が三箇所と、大関節が二箇所、内臓の殆どが損傷している。出血は足元に水溜りを作って、手足が痺れを通り越して、冷たい。

 

 死ぬかもしれないとは感じない。身体中の細胞が蠢き、修復している感覚がある。でも、治り切るまでは動かせない。

 

「大丈夫ですか? イロミ様」

 

 と、地中から出てきた君麻呂が姿を現し、横に立つ。彼の身体には既に呪印が広がっていて、どういうわけかフウコに殺意を向けていた。

 

「私は……っ! 問題ないから……………。君と、あと、多由也ちゃん? ……だっけ。二人は……ナルトくんを大蛇丸に届けるんでしょ? そっちに集中しておいて。フウコちゃんは、私が………」

「ですが……」

「いいからッ!」

 

 大蛇丸への手土産として助けた二人。だが、今となっては単なる邪魔者だ。しかもどういうわけか、君麻呂には懐かれて様付け。フウコが目の前にいるのに、間に入られてたまるか。

 

「……あと、ナルトくんの傍に倒れてるサスケくんには、手を出さないで」

 

 君麻呂は一拍の間を置いてから、フウコを迂回するようにしてナルトの元へ移動した。後方にいた多由也も合流し、君麻呂に追随する形でナルトの傍へと寄った。

 これで、邪魔者が離れてくれた。いや、しかしフウコは、不思議そうに君麻呂たちに視線を向けている。状況を把握しようとしているのか、状況が把握できていないのか。

 

 折角会えたのに、どうしてだろう。

 

 平行線じゃないと思う。ねじれの位置、でもないと思う。今は。

 

「………ねえ、イロリちゃん」

 

 震える小さな声で、ようやくフウコから声を掛けてくれた。まだ、顔はこっちを向いてくれない。

 だけど、それだけで、もう、何だか嬉しかった。

 痛みと、修復の違和に耐えながらイロミは笑顔に努める。

 

「うん。なに?」

「どうして、サスケくんと、ナルトくんが……ここにいるの? いつから、二人はここで、倒れてるの?」

「ついさっきかな、多分だけど。ナルトくんとサスケくんが、ここにいるのは、えーっとね………さあ、うん。分からない」

 

 一歩、一歩と、ゆっくり近づく。歩幅は小さい。もっと早く、身体が治ってほしいと歯噛みするばかり。

 

「イロリちゃん」

 

 と、ようやく。

 フウコはこっちを向いてくれた。

 片目に涙を浮かべて、瞳孔を震わせながら。

 

「イロリちゃんは、ど、どう……して? ここに……いるの?」

「フウコちゃんを助けるためにだよ」

「そんなの……私は、望んでない」

「どうして?」

「イロリちゃんが、ここにいるって事は、私が……負けたって、ことに…………なっちゃうでしょ。どうして(、、、、)……ここにいるの……?」

「負けたって……誰に?」

「何で? どうじでぇ………あんなに、苦しい想いをして……………全部捨てたのに……………」

「落ち着いて、フウコちゃん。大丈夫だよ。ほら、木ノ葉──じゃないね。もう、戻れないし。どこか、二人で逃げよ? 私、強くなったんだから」

「……話が違う」

「え?」

「次に目を覚ます時は……全て用意しておくって………言ったのに……」

「何の……話?」

「この前は、イタチにも会った……全部…………何もかも、話が違う……………ふざけるな………」

「フウコちゃん。待って……私の手を、取って。私、助けに──」

 

 

 

「話が違うッ! どうなってるのッ!? サソリィッ!」

 

 

 

「きっとそりゃあ、全員(、、)が思ってる話だ」

 

 男の声。真上からだ。

 匂いはしなかった。気配は……ああ、そうだ。フウコに意識が傾いていたからか。

 顔を上げる。コートを空気抵抗に靡かせて、おそらく跳躍したのだろう声の主は、緩い放物線を描きながらフウコの元に辿り着こうとしている。

 

 直感する。

 

 アレが、大蛇丸の語った同盟相手。

 

 止めなければ。

 

「……解ッ!」

 

 身体が動かないけれど、殺傷能力の高い仕込みは残っている。コートの肩部分から、起爆札を巻きつけた矢十数本を射出する。

 相手は空中。

 移動は──。

 

「やはり、猿飛イロミか。再不斬の野郎……素通りさせたのはムカつくが、報告したのは上出来だ。最悪は免れた」

 

 コートの男が細い腕を軽く振るっただけのように、イロミには見えた。しかし、その実、彼は十本の指からチャクラ糸を伸ばし、指の数よりも多い矢に接続していた。軌道を変えさせては、次の矢の軌道を変更。その手捌きは、常軌を逸していた。

 

 全ての矢は男に掠る事も、そして起爆札の爆炎さえも男の後方で意味もなく空気を押し返すだけだった。

 

他の仕込みを……しかし、身体の激痛にチャクラを練る事が出来なかった。込み上げてくる血液の鉄臭さに奥歯を噛み締めながら、イロミは男を睨みつけた。

 

 早く。

 

 早く、治れ。

 

 怒りを双眸に込めた。

 

 男は悠々とフウコの傍へと着地する。その際に、ふわりと、コートのフードがズレた。赤い髪と、幼い男の顔。相手の顔が見えた事で、イロミの怒りはより鮮明になる。

 

「ああ、いや、待て」

 

 口内の血に染まるイロミの歯を見て、サソリはさも、冷静に会話をしようとでも言いたげに片手を突き出した。

 

「お前に色々と言いたい事はあるが……とりあえず、そこの餓鬼を連れてさっさと失せろ」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 白から連絡が入ったのは、シズネを眠らせた時だった。サソリは、全身に切り傷を受け、傷口から侵入した大量の薬品で動かなくなった彼女をつまらなそうに見下ろしている時に、その衝撃が飛び込んできたのだ。

 

「猿飛イロミが通っただと?」

『はい。コートを着ていて、速度も凄まじかったので一瞬しか見れませんでしたが、間違いありません』

 

 フウコの管理の一貫で、彼女に親しい人間の情報は、手足である彼らには伝えている。人相も、白自身は木ノ葉崩しの際に忍術で生み出した【眼】で獲得していた。

 

 見間違いだ、と容易に切り捨てる事が出来るほど、サソリは無深慮ではない。

 

 どうして、このタイミングで姿を現したのか。

 

 再不斬らをダンゾウの元へ送り込んだ際に、猿飛イロミは投獄されているという情報を与えられていた。おそらく、イタチの判断だ。そして、イロミがここにいるのも、おそらくイタチの──。

 

「お前らは」

『今、そちらに向かっています』

 

 と、白は素早く応え、続けた。

 

『再不斬さんと一緒ですが……カカシさんは見失いました』

「損傷は?」

『大きなモノはありません』

「なら、お前らはとっととアジトに戻ってろ」

『……いいんですか?』

 

 珍しく白の声が重くなった。納得がいかないようだ。

 

「目的は、うずまきナルトを大蛇丸の元へ行かせる事……そのサポートだ。おそらく、猿飛イロミの目的も、俺達と同じだ」

『どうしてですか?』

「猿飛イロミを外に出したのは、うちはイタチだろうな。他に考えられない」

 

 ダンゾウの可能性もあるが、サソリは話題として出すことはしなかった。ダンゾウがイロミを出すメリットは、フウコやイタチに対するカードとして重宝できる点から見れば皆無に等しい。大切に残虐(、、)に囲って、里に留まらせるはず。

 

「火影になったばかりの奴が、罪人のイロミを外に出して手に入るモノなんて何もねえ。そもそも、里で大暴れしたナルトを外にすら出させないはずだ。わざと、里の外に出したんだ。理由は知らねえがな。イロミを外に出したのは、ナルトの跡を追わせて守らせる為だろう。罪人にはうってつけの任務だ」

『彼らは、友人だったのでは……?』

「どうあれ、猿飛イロミは姿を現した」

 

 今にして思えば。

 

 ナルトを追うメンバーには違和感があった。

 

 どうして、サスケがいるのか。

 

 下忍の中で見れば優秀ではあるだろう。しかし、戦力不足なことは明白だ。写輪眼を使えたとしても、九尾を抑え込む事が出来る瞳力を持っている筈もない。木遁使いの忍がいた事も考えれば、いよいよ彼の必要性は見い出せない。

 

 初めてメンバーを見た時、まるで、サスケを護衛するかのような陣形に見えた。

 

 きっと、その印象は間違いではなかったのだろう。

 

 サスケをナルトに会わせる為に。

 

 そして、保険(、、)としてイロミを出した。

 

 ナルトを捕らえる事が出来なかった時の保険ではなく……ナルトが捕らえられてしまった時の保険。

 

「どういう考えなのか知らねえが、今回はイタチがこっちの為に動いてくれたようだ。無駄にお前らが外にいる必要はねえ。養生でもしてろ」

 

 

 

 しかし、サソリにとって誤算はあった。

 

 

 

 一つは、通り過ぎたとしているイロミは、先の木遁使いとの戦闘をあっさりと終わらせていた事。嬉しい誤算だった。後ろから不意を突かれたのだろう。森の切り目に広がる草原は、オブジェのような巨大な木々や、鋭い牙のような骨らが、地面に突き刺さりあるいは地面から突き出し、嵐のように見受けられた。その中で、衣服に傷は残りながらも、ほぼ無傷で倒れている木遁使いを横目に先を急いだ。

 

 そして、第二の誤算。

 

 どういうわけか。

 

 フウコがアジトから出て、猿飛イロミと出会っていた。

 

 傀儡人形の肉体ではあるが、呼吸を忘れてしまう、という感覚を錯覚してしまったのは久方ぶりの出来事だ。

 

 サイはアジトで何をしているのか、だとか。

 

 フウコ自身の意志で外に出たのか、あるいは内側の者の意図か、だとか。

 再不斬と白を離脱させたのが裏目に出た、だとか。

 

 そんな些末な思考は一瞬で投げ捨てていた。

 

 気配を消し、音を消し、動く。

 

「話が違うッ! どうなってるのッ!? サソリィッ!」

 

 跳躍する瞬間、フウコが激怒する。

 

 話が違う。

 

 その言葉に、しかしサソリは憂いなど感じていない。

 

 元から、そんな、未定のような計画なのだ。

 

 契約時も、フウコは語っている。

 

『私がこの先、何を言っても、気にしないで。人の考えは、良くも悪くも、変わるから。うん、空模様みたいに』

 

 本人自身でさえ、すり減る自身の精神に確信を持てていなかったのだ。暢気に空を見上げながら。

 

「きっとそりゃあ、全員が思ってる話だ」

 

 イロミの殺意を前に、攻撃を避け、フウコの傍へ。

 

 彼女の眼球を見据える。

 

 感情が高ぶって瞳孔が絞られ、眼球運動は不安定だが、表情筋や呼吸の動きは、通常の人間の怒りのソレと近似だ。

 

 珍しく親友と会って平常に戻ったのか。

 

 ──だったら、さっさとアジトに戻ればいいものを……。

 

 人は変わる。

 

 契約時の彼女なら、冷静に印を結び、冷徹にイロミと別れを行っただろう。心が、甘い蜜を求める蜂のように、求めてしまったのか。

 

 安心できる環境を。

 助けを求め、応えてくれる環境を。

 

 ──まあ、どうでもいいが。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「行くぞ、フウコ。ったく、どうしてここにいやがる。サイの野郎は何してやがんだ」

「説明してよ……今、計画は…………」

「アジトに戻ってからな」

「させないッ!」

 

 身体の修復が終わる。動ける。

 

 ──力を……、フウコちゃんに追いつける、力をッ!

 

『ええ。貸してあげるわ』

 

 蛇のような艶めかしい声が頭の中に響いた。

 

 呪印が身体に広がっていく。段階は1。波紋の模様が全身を覆った。

 

 サソリがフウコの襟元を掴み跳躍すると同時に、こちらも地面を踏み込んだ。距離が縮まる。手を伸ばすのは、サソリではなく、フウコに。だが、届かない。サソリは空いた手でチャクラ糸を滝の上へと伸ばした。

親友の長い黒髪が指先に触れ、けれど、離れていく。跳躍は空振りに終わり、地面へと着地してしまう。けれど、躊躇う事も、当然諦める事も、ありはしない。着地と同時に曲げた膝に力を加え、大腿筋が極度に肥大する。

 

 見上げ、定める。

 

 狙い澄ませ。

 

 怒りを、憎しみを。

 

 アレが。

 

 あの男が……私の友達をッ!

 

「ギィィィィヤァァァアアアアアアアッ!」

 

 感情に任せて、呪印が無意識に段階を上げる。意識が怒りに囚われる。しかし、木ノ葉崩しでイタチに向けた時よりも心地良さを感じてしまう。邪悪だ、と残った理性が呆れてしまう。

 

 ──それでも、いいや。

 

 蛇の道は蛇。いや、邪の道は……蛇だ。

 

 ──フウコちゃんを……壊そうとする()は、殺す。

 

 殺意を解放する事に躊躇いはない。それを象徴するかのように、彼女の尾てい骨から、巨大な尾が。全身は濃い紫へと変色した。

 

 次の瞬間、時間がゆっくりになった。

 

 世界が遅く──違う。自分が速くなったのだ。

 

 普通の感覚で一歩を踏み込んだはずなのに、空中にいるサソリは全く動かない。

 視覚が、聴覚が、触覚が、嗅覚が、そして空気が舌に触れる時の味覚が、全て全て、凝縮される。

 

 千手柱間とうちはマダラの巨像。その間に流れる滝を、イロミは駆け上がる。落ちる水を蹴り上へと昇る彼女の足跡は、さながら大蛇のようだった。

 

 未だ、空中に留まっているサソリと、同じ高さに。ようやくそこで、サソリの眼球がこちらを向き、動きを変えようとしていた。

 

 しかし、こちらの()が早い。イロミは口を広げる。唾液にまみれた犬歯をこれ見よがしに逆立てて、サソリの胸へ。そこに、肉の香りがしたからだ。食べれば美味いに違いない。

 

「食いたいなら、食ってみろ」

 

 イロミの速度に驚いた表情は見せつつも、サソリは冷静に対応してみせる。

 必要最小限の動きで、そしてシンプルに、イロミの目の前にフウコを差し出してみせた。

 互いに至近距離で、顔を見つめ合った。

 

「イロリ……ちゃん…………?」

 

 刹那の時間。

 

 確かに、フウコは、震えた声で呟いたのだ。

 

 その言葉だけで、ああ、想いが届けられてしまう。

 

 どうして、そんな姿になってるの? と、幻聴が耳に。

 見ないでと、イロミは後悔した。呪印に囚われながらも、化物地味た食欲に垂涎を許しながらも、心が絶叫する。

 フウコちゃんのせいじゃないよ。

 私が望んで、この姿を手に入れたの。

 だから……。

 

「ッ!?」

 

 立てた牙を収めた瞬間に、サソリの空いた手に顔面を掴まれ、眼下の川に投げ落とされる。

 

「サソリッ?! イロリちゃんに──」

「これぐらいは目を瞑れ。アジトに戻るぞ」

 

 そんな会話が遠ざかり、川の中へ。

 呪印の段階が落ちていく。冷たい川に火照った肉体が冷まされているからか……いや、フウコに見られたから。

 

 心配を掛けたくない。

 

 もう、心配されるような関係は、嫌だ。

 

 ──それに、フウコちゃんと、少しでも話を……。

 

 呪印は完全に解かずに、段階1で留める。それでも十分な力は発揮できる。

 

 コートを脱ぎ捨てる。水を吸って動き辛い。コートの下は機能を優先した、黒のタンクトップに薄いハーフパンツ。全て黒色だが、仕込みは施されていない。誤作動によるコートの破損を恐れた為だ。

 

 しかし、首元には、長いマフラーが。

 

 親友への憧れと、自分の目標を兼ね備えた、薄っぺらく長いマフラー。水流に抗い泳ぐ中で重く靡くマフラーを、呪印の段階1の肉体で引っ張り進む。

 このまま、まともに話が出来ないまま、また、離れるなんて嫌だ。

 

 ──ずっと、言いたかった事を……。

 

 上半身を水面から出し、見上げる。びっしょりと額に張り付く前髪の隙間から、サソリとフウコが、滝の向こう側に姿を消した瞬間が見えた。

 まだ、きっと、間に合う。

 

 ──間に合わせるッ!

 

 段階1の呪印のギリギリを保つ。

 爆発しそうな感情に誘われて段階を上げないように、理性を強固に、水上を駆ける。その一直線に進む軌跡と打ち上げられる水飛沫は、再び大蛇の軌跡を作る。さっきよりも、力強く、真っ直ぐに。

 

「待ってッ!」

 

 再び、向き合う。

 うちはマダラと、千手柱間の巨像……その二つの陰に隠れるように流れる川を挟んで。

 だが、向き合ったのはサソリとだった。フウコは彼の傍で、夜の怪談話を聞かされた子供のように、両手で顔を覆って、震えている。

 

 見てくれない。

 

 それが、悲しかった。

 

 どうして、そんなに怯えているのか。

 

 助けてあげたいのに。

 

 助けたくて、頑張ってきたのに。

 

 まだ、努力が足りないのか。

 

 イロミはサソリを見た。

 

 フウコの同盟相手。

 

 けれど、こうして見れば、彼は、そんな対等な位置にいるようには思えなかった。フウコを道具にして、人形にして、良いように利用しようとしている、悪魔のように見えた。

 

「貴方は……貴方たちは、何をしようとしてるの?」

「知ってどうする?」

 

 と、淡々とサソリは応え、怯えるフウコの髪を乱暴に掴み頭を揺らして見せた。

 

「見てみろ。コイツの惨めな姿を。お前が姿を現しただけで、声を出すだけで、このザマだ。こっちの予定じゃ、お前とコイツが会うのは、まだまだ後(、、、、、)の筈だったんだがな。丁寧にメンテナンスしてきたのが、全て御破算だ。アジトに戻ってからも、面倒な事になる」

 

 髪を掴まれて、頭を揺らされるフウコは、怒りも表さず、何かを呟いているように顎が細かく震えていた。声を、出しているのかもしれない。川の音が、その言葉をかき消している。

 

「お前に出来る事なんざ、今となっては何も無い。お前がそこにいるだけで、コイツは壊れるんだ。親友だとかぬかすんなら……二度と関わるな」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「私は……負けたの? また……またぁ……またぁ………」

『キャハハハッ! バァカ。負けたに決まってるじゃんッ! イロミちゃんは、全部全部ぜーんぶ知ってるんだってぇッ! きっと、イタチも知ってるよ? 残念だったねえ、残念だったねえ? あーんなに頑張って、こーんなに苦しんでるのに、計画がパアだねえ? これで、フウコさんの味方が増えちゃったねえ? 皆皆、死んじゃうねえ?』

「違う……違う違う違う違う…………。イロリちゃんはぁ……私を恨んでるの……………、大嫌いなのぉ…………」

『バーカバーカバァァァァァァヵアアア???? 私とね、イロミちゃんの友情は、誰にも負けないの。イロミちゃんはね? 私と初めて会った時から、ずーっと友達なんだから。その友情が? キャハハハ、お前の間抜けな演技に勝ったんだよ』

「…………ぢぐじょう…………どうじでぇ…………」

『ね? フウコさん。諦めよ? 諦めて、マダラ様のところに行こ? シスイの奴が残したこのウザったい鎖を解いてもらお? そうすればね、イロミちゃんだけは、助けてあげられるよ?』

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ふざけないでッ!」

 

 イロミは、叫んだ。

 川の音なんかに、サソリの言葉に、負けない精一杯の力で。

 

「友達に、二度と関わるなって言われて……はいそうですかなんて、頷くわけ無いでしょッ! 馬鹿にしないでッ! 私は、フウコちゃんの友達なんだからッ!」

 

 ずっと、諦めないで進んできた。

 

 紆余曲折を経て、決して正しい道ではないけれど。

 

 それでも、少なくとも、他人から二度と関わるなと言われて素直に従える程、安い感情ではない。

 

「お前はコイツを壊したいのか?」

「何も教えてくれない癖に、勝手ばかり言う癖に、壊れるとか、壊れないとか……そんな、そっちの同盟の事情なんて知らないよッ! 私には……私の…………友達の事情があるんだッ!」

 

 どんなに泣きじゃくって、大丈夫だと言っても、敵討ちだって手を引っ張る友達がいるんだ。

 どんなに我慢して、大丈夫だと言っても、大きな御世話を焼いてくれる友達がいるんだ。

 何も教えてくれない他人の事情なんて、知ったことじゃない。

 傍迷惑ばかりで、喧嘩ばりで、傷付いてばかりで、デメリットばかりを被りながらも、嬉しくて楽しいという、些細な夢の時間を喜べる小さなメリットを、互いに共有するのが友達なんだ。

 

「フウコちゃん!」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「フウコちゃん!」

『うふふ。イロミちゃんが私を呼んでる。私の事が、大好きなんだ』

「……お願い、イロリちゃん…………もう、呼ばないで…………」

「私ね、ああ、もう……はっきり言うからねッ! 私を見なくて良いから、よく聞いてね!」

『ほらほら、フウコさん。早く早く、マダラ様のところに行こうよ。イロミちゃんが、きっともうすぐ、私達に手を伸ばすよぉ? その手を掴んで、ね? 分かるよね?』

「やだ、やだっ。友達なんかじゃないのぉ………、巻き込みたく無いの………」

「私は──」

『なぁに? イロミちゃん』

「いや……いやぁ……」

 

 

 

「お前なんか……大っ嫌いだぁぁぁぁああああッ!」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「フウコちゃんなんて、大っ嫌いッ!」

 ずっと、ずっと、言いたかった言葉。

 

 訳の分からない理由で大怪我をさせられてから。

 

 うちは一族の問題を何も言ってくれなかった時から。

 

 うちは一族の真実を知ってから。

 

 ずっとずっと……心の奥底で閉じ込めていた感情をぶつけた。

 

 イタチにぶつけたように、彼女にも、胸を張って、ぶつけてやる。

 

 友達は……対等に言い合える仲なんだから。

 

 大嫌い。そんな言葉を使ったのは、彼女が、アカデミーを卒業した日以来だった。あの時も、彼女は勝手に、先へ行ってしまった。

 

「もう、本当に、頭にきてるんだからッ! 両手グチャグチャになって、喉も痛くして、今は平気だけど、生活大変だったんだからッ! 分かる? お風呂とかトイレとか、ああもう、フウコちゃんと話をしてると、乙女の方向に行かないのも昔から気に食わなかったよッ! いや、そんな事はどうでも良いのッ! 良くないけどッ! 兎に角、怒ってるんだからッ!」

「イロリ……ちゃん?」

「怒ってるから、私グレたんだからね?! 大蛇丸の呪印を貰って肌とか髪染めちゃったし、犯罪者になったし、イタチくんと大喧嘩したし裸見られたし、どうしてうちは一族は写輪眼なんか持ってるのさあッ! その後も、しばらくお風呂に入れないで一日中縛られてたしッ! それも全部腹立たしいよッ! サスケくんからは馬鹿にされるし、ナルトくんには何だか尊敬されてるようなされてないような中途半端な扱いだしッ! こんなに必死こいて努力してきたのに皆邪魔ばっかりしてくるしッ! 特別上忍って何なのさッ! もう訳が分からないのッ! それもこれも全部全部ぜーんぶッ! フウコちゃんのせいなんだからッ! 謝ってよ頭が高いッ! 身長も胸もデカイッ! それすら不愉快だよ今となってはあッ! 寸胴まな板で何が悪いのさ希少価値だよ女性的魅力の一つだよだぁから勝手に老後の心配するなあ!」

 

 今まで溜めてきた鬱憤が爆発する。

 

 嫌いだ、嫌いだ、大嫌いだ。

 

 そんな言葉を大声で叫んでやる。

 

 何を勘違いしてるんだと、言葉で殴ってやる。

 

 まるで大好きだから追いかけてきたんだと勝手に考えて、だから遠ざけたいんだと言いたげに言葉を並べて態度で示してきた彼女に、本当の気持ちを目一杯にぶつけてやった。

 

 いつの間にか。

 

 サソリも、

 

 そしてフウコも。

 

 こっちを見てくれていた。

 

 二人共、間抜けな呆けた顔で。

 

「嫌い嫌い大っ嫌いだよ本当にッ! 私を馬鹿にしてッ! 何が天才だよッ! 天才の癖に、そんなボロボロになってさあッ! 昔からフウコちゃんはそうだよッ! だらしない、身嗜みを気にしないッ! 自己管理が出来なくて何が天才だよッ! そんなのだから、失敗ばかりするんでしょッ! 恥ずかしくないの?! 私は恥ずかしいよ! それに悔しいよ! そんなフウコちゃんが私よりも天才で、女性的なところがさあ!」

「……ッ」

「悔しかったら何か言ってみてよ、このヘタレの大間抜けッ! 頼んでないこと胸張ってやってみせたらボロボロになった、大間抜けッ!」

「……誰の…………為にやったことだって…………思ってるの?」

「何?! 聞こえないよ! このタコ! このイカ! 無表情!」

「誰の為にやったって…………言ってんのよッ!」

 

 川の音に遮られて聞こえなかった親友の言葉が。

 

 はっきりと感情をぶつけてくれる親友の言葉が。

 

 ようやくまともに、耳に届いた。

 

 しっかりと二本足で立ち上がってくれている。

 

 真っ直ぐ、赤い瞳で見てくれる。

 

 それが、本当に、懐かしい。

 

「イロリちゃんを守りたくて……皆を守りたくて、酷いことしたのに……………勝手に追いかけてきて、勝手に私の邪魔をしてきて……勝手な事言わないでよッ!」

 

 隣に立つサソリが、驚いたように、瞼を大きく開いていた。

 

 きっと、同盟相手の彼にとっても、驚愕の出来事なのだろう。

 

 昔の彼女から見ても、衝撃的な事かもしれない。

 

 ずっと無表情で、淡々としていたのに。

 

 今じゃ、両眼からボロボロと涙を零して、叫んでいる。

 

「イロリちゃんが才能見つけられないから遠ざけたのに……大蛇丸の呪印でしょ? それ! それを貰って、こんなところまで来て…………犯罪者になったって……ふざけないでよッ!」

「フウコちゃんが、何も言わないからでしょッ!」

「言っても何も出来ないから、私が守ってあげたんでしょッ!? 昔みたいにッ!」

「頼んでないッ!」

「言っても何も出来ないって言ってるの!」

「何も出来ない訳じゃないッ! それが私を馬鹿にしてるって言ってるの!」

「馬鹿でしょッ! 手裏剣クナイまともに投げられない癖にッ!」

「いつの話してるのさ?!」

「何も出来ない、何も上手く行かない、ただの任務でさえ命懸けだって言うイロリちゃんを、巻き込みたくなかったんだッ! それなのに……色んな人、殺したのに…………こんな、事に……何で、じゃあ、あの人達は……フガクさんや、ミコトさんは…………」

 

 うん、ごめんね、フウコちゃん。

 

「どうして……ねえ、どうしてッ! どうして私を、追いかけてきたの……? 私の事、大嫌い…………なんでしょ?」

「そうだよ。大嫌いだよ」

「だったら……どうして…………」

 

 大嫌いだけど、友達だからだよ。

 また、大好きな友達同士に、なりたいからだよ。

 大嫌いと、友達だっていうのは、両立できるんだよ。

 

「どうして」

 

 人は。

 

 よく、人は。

 

 人が変わるから、友達ではなくなるという。けれど、それは嘘だ。友達同士が変わるなら、互いに変えて、また友達になれるはずだ。

 人が変わらないから、友達ではなくなるという。だけど、それも嘘だ。変わらないなら、友達が変わるはずがない。

 どうして仲が良かった記憶が尊いのか。

 それは、確信だからだ。

 互いに全てを受け入れたからではない。互いに、共有できる部分があったという、その、確信が、仲が良い記憶を素晴らしいと述べたらしめるものなのだ。

 どれほど嫌い合っても。

 共有できた部分があったという確信が、実績が、在るから。

 友達は、友達で在り続けられる。

 

「友達だからだよ」

 

 と、イロミは言った。

 

「……言ってる意味、分からないよ、イロリちゃん」

「大嫌いだけど、友達でいよう、ってこと」

「好きだから……友達なんでしょ?」

「仲直り出来ると信じてるから、友達なんだよ。好きだっていうのも、嫌いだっていうのも、そんな前提があるから、成り立つんだよ」

 

 ねえ、フウコちゃん。

 

「フウコちゃんは、私を遠ざけたかったの?」

「傷……付けたくなかった」

「嫌われたかった?」

「嫌ってほしかった。なのに、イロリちゃんは、ここにいる」

「大嫌いも、大好きも、我儘なんだよ」

 

 イロミは続ける。

 

「さっき言った、グレたとか、乙女の話に行かないとか、それは全部、フウコちゃんのせい。私のせいじゃないよ」

 

 でもね。

 

「もしも今の状況が、フウコちゃんが自分のせいだって思ってるなら、それは違うよ。だって、大嫌いだから。大嫌いって我儘を押し通したから、私はね、ここにいるんだよ。だから、そう、だね。こうなったのは、フウコちゃんのせいじゃないよ。大好きだって思っても、きっと私は、ここに来た。フウコちゃんの目の前にやってきた。我儘を押し通した」

「違うよ。私のせいだよ」

「それは違う。強いて言うなら」

 

 空を見上げる。

 誰が悪いか、とふと考える。

 

「悪いのは、私を友達にしたことだね。うん」

「……ふふ」

 

 雲を運ぶ風のような、笑い声が聞こえた。

 アカデミーで額をぶつける前に見た、笑顔だった。

 

「何? それ」

「良い天気だね」

「どういうこと?」

「ねえ、フウコちゃん。私、フウコちゃんの事、大っ嫌いだけど」

「うん」

「仲直り……して、くれないかな…………」

 

 また、友達になってほしいな。

 横に、立たせて、ほしいなあ。

 

「そして、ね? 私に、フウコちゃんの手伝いを──」

 

 その言葉を言い終わる前に。

 フウコは、後ろから姿を現した再不斬に後頭部を掴まれ。

 頭部を前のめりに、地面に叩きつけられたのだ。

 

「フウコちゃん!?」

「状況が状況だったからな、サソリ。勝手に動かさせてもらったぜ? 文句ねえだろ」

 

 再不斬の声に、サソリは驚きの表情を収め、再び人形のように淡々とした顔を作った。

 

「悪くないタイミングだな。アジトに戻ったんじゃねえのか?」

「サイのガキに聞いてな。フウコが外に出たと言ったもんだからよ、もしかしたらと思ってな」

 

 フウコはピクリとも動かない。細かい音は届かないが、ゴリゴリと、岸の石たちに顔を押し付けられているのが分かった。

 気絶をしているのか。

 折角、仲直り出来る時間だったのに。

 

「再不斬。フウコを担げ。戻るぞ」

「アレは、良いのか?」

 

 顎でこちらを示す彼に、サソリはこちらに視線を向けた。

 

「おい、猿飛イロミ」

「……何?」

「テメエが何をほざこうが、こっちの予定を邪魔してるのは変わりねえ。関わってくるな」

「それは──」

「死なねえ事だ」

 

 え? と、イロミは息を飲む。

 

「とりあえず、死ぬな。死んだら、コイツも死ぬからな」

「……そんなの、分かってる」

「うちはイタチにも、伝えられるなら伝えておけ」

「イタチくんも分かってるよ。それよりも、お前が、フウコちゃんに──」

「どいつも勘違いするんだがな、俺はコイツを壊してねえ。メンテナンスをしているだけだ」

「じゃあ、どうしてフウコちゃんはそんな状態に」

「知るか。コイツの仕組み(、、、)なんざ」

 

 完全に四肢を脱力したフウコを再不斬は片腕で担ぎ上げる。

 

「さっさと、うずまきナルトを抱えて失せろ。木ノ葉に連れて帰られると、いよいよあのガキは大暴れするぞ?」

 

 完全に背を向けたサソリは、もう二度と話す事はしないと言いたげに、印を結び始めた。サソリの言う通り、自分は、イタチとの相談の末に定めた、ナルトを大蛇丸の元へ送り届ける事が仕事だった。

 

 でも。

 でも。

 

「フウコちゃん、もしも聞こえてたら、聞いて!」

 

 何て頭の悪い言葉だろうかと思いながら、最後に、叫んだ。

 

「大嫌いって言って……ごめんね! 私、頑張るからッ! 努力……するから!」

 

 また、

 

「また、会おうね!」

 

 フウコは何も、応えないままに。

 サソリたちは姿を消したのだ。

 




 度々、投稿が遅れてしまい申し訳ありません。

 今月は投稿が難しいかもしれませんので、来月中には必ず投稿いたします。

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