次話は今月中に投稿します。
「クーデターって……どういうことだよ…………」
イタチとフウコが対峙しているのを、サスケは広場の横に広がる茂みの中から見ていた。
いや、彼は瞼を開いてはいるものの、眼から入ってくる視覚情報に対して意識が処理を完全に怠っていた。故に、見てはいるものの、視界は揺らぎ、あるいは僅かな暗闇に陥っていたのだ。
耳に入ってきた、イタチが語った言葉。
うちは一族がクーデターを企てていた。
夜の街中を歩いている最中に後ろから鈍器で頭を殴られたような衝撃が、サスケの視界を塞いでいたのだ。ついさっきまで抱え、必死になって抑えていたフウコへの殺意は霞のように消え失せて、ただ疑問だけが、そこにはあったのだ。
咄嗟に、耳に入れていたイヤホンに手をやってしまった。
任務の際に渡されるインカム。オリジナルのイタチが懐に隠し、フウコとの会話を盗聴したものが届いたイヤホンが、本当に耳に入っているのかを無意識に確認してしまったのだ。
何かの幻聴か、それとも、自分の中にいる甘ったれた考えが生み出した幻想なのか。しかし、イヤホンは確かに耳に装着されていて、イタチの懐で僅かに動く衣擦れの音が届き正常に可動していることを訴えてくる。
確かに、イタチは言ったということ。
サスケは横に一緒に控えているイタチの影分身体に目を向ける。
「なに……いきなり…………わけわかんねえこと言ってんだよ…………」
下顎が震え、声に力が入らなかった。怒りなのか、困惑なのかさえも、サスケ自身にも判別できない感情の渦巻きを察したのか、影分身体は落ち着いて頷いだ。
「証拠は現状……何もない。ただ、イロミちゃんが大蛇丸から聞いた情報、というだけだ。だが、確証は高いと俺は考えている。イロミちゃんが、ああまでして木ノ葉に対して怒りをぶつけたんだ」
敢えてイタチは細かい説明を省いた。大蛇丸から受けた呪印。その呪印から受け取ったという、情報は、この場では不要だと判断したためである。
そしてイタチは語った。
これまで、うちは一族が木ノ葉隠れの里成立以来、まともに
かつて発生した九尾の事件によって、うちは一族に掛けられた嫌疑と疑惑のこと。
それらが重なった果てに、クーデターを考えていた、ということを。
「うちは一族がクーデターを起こそうとしていた、というのは、現実的ではないとは思えるが、可能性としては十分に考えられる事だ。それを……フウコが止めた。俺とお前だけを残して」
「だけど」
イタチから語られる情報が、不思議にも意識が追い付いていかなかった。頭の中で情報が蓄積されているのに、どこか他人事のように感じてしまう。それでも、衝撃だけは強かった。イタチが語っているという事と、筋道が立てられた情報だったからだ。
信じたくない。
大好きで、誇り高かったうちは一族が、クーデターなどという、まだ子供である自分でも分かる愚かな行為を行おうとしていたなんて。
「そんなの……父さんと母さんが考えるわけないだろ…………。それに、兄さんは何も知らなかっただろう……知ってたら…………あの時……………」
もしも本当に、うちは一族がクーデターを企てようとしていたというのなら、どうしてフウコと対峙したあの夜に、その事を指摘しなかったのか。あの夜のイタチは、本当に何も知らない様子だった。
そんな事、あるはずがない。
うちは一族がクーデターを考えていたなら、当時──いや今も尚、他の忍よりも実力が飛び抜けている彼に、その話が行かない訳が無い。いや、もしその話が行ったとしても、彼ならばクーデターを止めようとするはず。フウコと同じ立場を取るはずだ。
だから、その。
考えが纏まらない。纏めようとすると、考えに矛盾が起きる。
つまり……クーデターという話は、誤っているのだ。間違っている。
「俺も……正直なところ、まだ完全には信じる事が出来ていない」
イタチは呟いた。
「だからこそ、ここにいる。確かめる為に」
ここもまた、イタチは伏せた。自分に掛けられている幻術の存在の可能性について。それは、蛇足というものだからだ。
「もし……フウコが何も言わなかったらどうするんだ?」
「その時はまた、考えるだけだ」
☆ ☆ ☆
イタチとフウコの写輪眼が視線を重ねる。それは、単なる忍同士の駆け引きの領域を超えていた。
相手の動きを正確に予測することが出来てしまう写輪眼では、同じ眼を持つ者同士の争いは動き出した段階で、半分以上の戦闘は終わっていると言えるだろう。
互いに見る相手の動きへの予測は、さながら可能性の追求だった。
フウコの動きに対して、自身の動きを。
イタチの動きに対して、自身の攻撃を。
どちらが先に優位を築く事が出来るか、どちらが先に相手を戦闘不能に出来るか。
もちろん、予測も永遠には続けられない。予測の分岐は膨大で、予測の時間を先に進めれば進めるほど、予測の精密さは失われていく。だが、近い未来の予測であれば、それはもはや予知と差異は無い。
奇しくも、二人の予測には重なりがあった。
かつて、うちはの町で戦いながらも、年月が経って互いの実力がどれほどなのか不鮮明である中で、まるで鏡合わせのように予測が重なっていく。
予測の上では、フウコの方が優勢か。
イタチは写輪眼を片眼しか保有していない事が主な原因だった。死角が生まれ、どうしてもそこからの攻めにはワンテンポの遅れが生まれてしまう。勿論、イタチほどの忍ならばそのワンテンポと言っても、一秒にすら到底満たない時間の隙間だ。だが、その隙間を精密にフウコは狙っていく。
守り、防ぐばかり。だが、イタチには焦りは無い。
目的は真実を確かめることだからだ。
時間が稼げればいい。
風が二人の間を駆け抜け、水面に波を作り──水面が止まる。枝葉に分かれた予測の波乱が、一点に収束し安定した事を示したかのようだった。
フウコが動き出す。
鞘に入ったままの刀を下段から水面を叩いた。作られる数多の水飛沫だが、もはや威力だけならば幼子の投げるクナイよりあるだろう。少なくとも、眼球に当たれば大きな損傷を与える程度には力があるだろう。
「火遁・豪火球の術」
返すのは巨大な火球。イタチにとって、忍術に必要な印は、一息よりも簡単で、そして素早く行える動作だ。水の弾丸に視界の殆どを覆われながらも、イタチの冷静さは盤石だ。細かい水飛沫を跡形もなく蒸発させる。
「水遁・
火球がそのまま襲いかかってくるのを、フウコも忍術で相殺した。刀を一瞬だけ手放した隙に結んだ印の速度は、イタチと同等。水面から四本の水の柱が生まれ、火球を絡め取ると、火球と水柱は消え、蒸発した水分が濃密な霧となって二人を飲み込んだ。
──なあ、フウコ。どうすれば、お前の味方になれる?
真実を語ってほしいと願っている。どうしてうちは一族を滅ぼしたのか、イロミが語っていた事の裏付け、うちは一族がクーデターを起こそうとしていた事が微塵も記憶に残っていないのか、それらを語ってほしい。
僅かでも構わない。
けれど、彼女は語ろうとしないだろう。それは、霧越しに伝わってくる彼女の殺意が訴えかけてくる。
黙れ、と。
関わってくるな、と。
それでも、とイタチは思う。
霧の流れが一部、偏る。予測の中にあった一つの選択肢。死角である右に視線を動かす。フウコの黒髪が揺らめき、殺意に満ちた赤い瞳がこちらを見つめていた。振り上げていた鞘に収まった刀が今まさに振り下ろされようとしているように見えるが──イタチの写輪眼は、その違和感を見逃しはしない。
刀は空中に放り投げられただけだ。
目に映るフウコは、忍術の基礎にも近い分身の術で生み出された幻影。刀を振り上げている動作は、フェイクだ。袖下からクナイを取り出し、左側へと振り向きざまに刃を立てる。
クナイの切っ先は、反対側から拳を構えたフウコの前髪を数本切り落とすだけ。クナイを持った腕をフウコは掴み、対してイタチもフウコの拳を掴んだ。
「フウコ……本当に、うちは一族はクーデターを考えていたのか?」
イタチの予測では、この段階で腹部を蹴られた衝撃で距離を離され、忍術を叩き込まれるというのは分かっていた。だが、それを言葉というノイズで歪める。
両眼があった時には、大切な友人をしっかりと見ると言ったのだ。
家族である彼女を、たった一つになっても尚、見続けられないでどうする。
「もしそうなら…………今からでも遅くない。いや、ずっとそうだ。俺はお前の味方だ。出来ることなら、何でもする」
「言ったよね? 弱いなら、私の前に出て来るなって」
「俺を殺すのか?」
わざと、挑発してみせた。
フウコの瞼が震えながら細くなる。
怒りが溢れているように見えるが、イタチの眼には確かに別の感情を掬い取っていた。
イロミとの喧嘩で──あるいは、シスイと精神の中で出会ったからか──相手の感情がこれまで以上に分かるようになった。
フウコが、動揺している。
その揺さぶりは、絶好の機会だ。
友達と喧嘩した。
なら、兄妹とも喧嘩しよう。殺し合いではない、喧嘩を。
そのためには、言葉を引き出す。
「そして、サスケも殺すのか? どうなんだ」
「うるさい。そんなこと、貴方が気にするようなことじゃない」
「答えろ。俺たちを殺して、お前は満足するのか?」
「だから……そんなのは…………」
「お前はそこまでして、俺たちを殺したいのか?」
「…………ええ、そう。貴方達を殺したいの。弱いからッ! 目障りなの!」
嘘だ。
確信を持つ。
皮肉なことに、今まで嘘を駆使してきたイタチだからこそなのか、はっきりとした
フウコの腕が震えている。怒りを演出する鋭い眼光からは怯えが見える。さらに揺さぶれば、と思うと同時に、こうもあっさりと彼女の感情を読み取れるものだろうかと疑問も獲得してしまう。
いや、これが……大蛇丸が語り、イロミが聞いた、壊れるという事なのだろうか。
うちは一族を滅ぼした時の彼女よりも、表現は奇妙だが、脆くなっている。単なる言葉だけで、ここまで彼女が感情を滲ませるのは異常だ。
「私は……お前たちみたいな弱い連中が嫌い。弱いから、すぐに間違える。間違えて、色んな人を不幸にする。努力出来るのに、出来る環境なのに。そう、出来るのに……」
フウコの瞳孔が震え始めた。
今にも零れそうなコップのようで、そしてその比喩が決して的外れではないように、不安定な言葉たちが無秩序に出てきた。
「ずっとずっと──もう不幸自慢はうんざり────どこでも、もう、どいつもこいつも、────今日の晩御飯はなんだろう……苦しいのに、お腹が空くの──寒いよ……寒いのに、幸せなの……………だから、どうして、私は────」
ただ、みんなと過ごしたかったのに。
その言葉が、本当に耳が感じ取ったのか、幻聴なのか。けれど間違いなく、口元はそう動いたのは写輪眼が間違いなく観測している。真意を問いただそうとするが、フウコに腹部を蹴り上げられた。
距離が離れてしまう。
腹部に受けたダメージは然程ではないものの、言葉をぶつけられる距離ではなくなった。あくまで、火影という地位にいる自分が、重犯罪者であるフウコに言葉を投げかけるというのは、サスケやイロミなどに聞かれも見られもしてはいけない。
フウコが水面を踏み込みながら刀を拾い上げ迫り来る。
予測も何もない乱暴な速度に任せた一直線の軌道。下段からの切り上げをクナイで何とか捌く。
「フウコ……」
「弱いなら、私に関わってくるな。みんなみんな、弱いくせに、奪うことばかり。どうしてそっとしておけないの? どうして? なら、私が殺すしかないの」
「誰の事を──」
捌いた刀が上段から振り下ろされたのを躱したが、刀は水面をへこませ、反動で吹き上がる水飛沫が下方より二人の顔を叩いた。
「言っている!」
「
「うちはが何をした」
「全部ぶち壊そうとしたんだッ!」
上空へ上がった水飛沫が雨のように降ってきた。
ざあざあ。
ざあざあざあざあ。
フウコは呟いた。
「だから、私は────」
水飛沫のせいで、髪を濡らした彼女が顔を上げる。
赤い瞳。写輪眼が解けていた。涙を流しているようで、苦しかった。
うちは一族はやはり──。
「え? イタチ?」
殺意が消えて、真っ白な表情に、フウコはなった。
今まさに目を覚ましたように瞳孔を震わせて、辺りを見回し始めた。
「ここ…………木ノ………葉………? どうして…………? 私…………何を言ったの…………? もしかして……フウコちゃんが…………? また、私…………」
何かに怯えたフウコが刀をあっさりと手放して、信じられない事にイタチへと縋り付いた。掴みかかってきた両手には強い力が込められながらも、軸を持たない大きな震えに苛まれていた。
疑問と困惑ばかりがイタチの冷静さを絡め取る。写輪眼が予測するフウコの行動には、一貫して敵意も殺意も感じ取れない。そして予測は、信じられない光景を捉えてしまい、イタチは咄嗟に息を呑んでしまった。
そして予測は現実に追いつかれる。
「……イタチ……………助けて……」
☆ ☆ ☆
「流石に、木ノ葉の上忍三人を前にコイツ一体だけで叩くってのは、無理があったか」
もはや可動させるには各部位の部品を削ぎ落とされた、ガラクタにも紛う無残な姿となったフウコの傀儡人形を呆れ果てたように、サソリは見下した。膝はひしゃげ、右腕は無くなり左腕は逆向きへとねじれ曲がっている。人工皮膚は到るところが剥げて、サソリが凝らした芸術性は見る影も無い。
しかし十分に情報は手に入った。十分だろう。復元には時間は掛かるが難しいことじゃない。性能の利点と欠点が今回の戦闘で明確になってくれた。
──再不斬と白も、里から離れた頃合いか。さっさとアジトに戻れればいいんだが……。
相対するカカシ、ガイ、アスマらを一度見やる。彼らにダメージは殆ど見受けられない。防戦一方だった為に、大したダメージを与えられなかったのである。元々、傀儡人形には純粋な戦闘力を求めてはいけない。
人間を模しながらも、人間には不可能に近い挙動や仕掛けを駆使する事が最大の利点だ。一瞬の隙、刹那の油断、それらに針を通して死を貫く。フウコの傀儡人形には、そういった特徴は一切搭載していない。
この人形は、限りなく人体に近い構造に作ったからである。
サソリ自身も狙われたものの、フウコの傀儡人形を駆使しながらも回避に専念していたためにダメージは無い。傀儡師としては、自身がダメージを受けない事が第一条件である。
サソリは警戒をしながらも、フウコの方を見た。
──壊れたか。いや、壊されたか。
イタチの腕に縋り付くフウコ。自分の立場と今後の計画を理解していれば、たとえ相手を騙す演技だったとしてもありえない選択肢だ。目と下顎は震えている。
幻術の影響下にある、というのはこれまでフウコを観察していて分かっていた。
薬が切れかかっている、という訳ではない。薬でも抑え切れないくらいの情報が入り込み、意識が覚醒しかかっているのだ。その意識の塊に、もう一人のフウコが幻術を内側から送り込んでいるのだろう。
ということは、イタチはフウコから、うちは一族を滅ぼした真実を知ったのだろう。つまり、味方に
いや、この場にイタチが姿を現した時点でフウコの味方だったのかもしれない。
──大蛇丸の野郎。さっさと殺しておくべきだったか……。
しかし、今は計画の修正は後回しである。根本的な部分から見直す必要があるために、時間は必要だ。時間にも精神にも安定が図れるアジトに行くのは絶対だった。
問題はどのようにしてこの場を切り抜けるか、であるが……。
「なあおい、お前ら。俺たちはこのまま何もしないで帰ってやる。だからもう構うな。なんなら、お前らに囲まれて正々堂々と正門から出ていってやってもいいぞ?」
「無理だな。うちは一族を滅ぼしたうちはフウコと、砂隠れの抜け忍である赤砂のサソリを見過ごす訳にはいけない」
答えたカカシに、ガイもアスマも同様に頷いてみせた。木ノ葉崩しに加担した形となってしまっている砂隠れの里への交渉のカードとして、サソリの捕縛はメリットが大きい。同盟里としての関係を遺恨無く健全なものへと戻す為だった。
それはサソリにも把握できていること。予定ではフウコを頼りにして逃げる事を考えていたが、やはりイタチの登場が余分だった。いや、しかし、そもそも【暁】のリーダーから木ノ葉隠れの里に行けと言われた時点で無理筋だった。
「……話の分からない連中だ。なら、こっちも好きにさせてもらうぞ。死んだら、まあ、人傀儡にしてやる」
フウコの傀儡人形を巻物に封印し直し懐に戻そうとする瞬間、カカシらは無言で迫ってきた。三者の速度は言わずもがな。それを前にサソリの行動は簡単なものだった。
【暁】の衣の袖下から出したのは手のひらサイズの黒い球──サソリが自作した煙玉だった。水面に叩きつけると同時に煙玉はいとも容易く破裂し、溢れ出てきた黄土色の煙が瞬く間に湖を覆い、端の煙はさらに低く広がっていく。
煙の濃度は濃く視界を自身の足元さえも見失う程だが、殺傷能力は低い。せいぜい、皮膚からの痺れと吸い込むことによる筋弛緩程度。それでも、即効性は強い。
当然ながら、人傀儡であるサソリ自身には大きな影響はない。
サソリは煙の中からカカシたちに言葉を投げた。
「じゃあな。俺たちは帰らせてもらう。それでも追ってくるなら、こっちも面倒だが相手してやる。どうせ俺たちが来たことは下っ端共には知らせてねえんだろ? だったらこれで勘弁しろ」
カカシたちの身体には既に痺れが現れ始めていた。煙の色から既に何らかの影響があるだろうとは予測していた彼らは呼吸を止めていたが、症状が出始めてきた以上、さらに警戒は強くなってしまった。
結果、彼らはひとまず煙から脱するという選択肢を選んだ。彼らにとって得体のしれない煙の中で戦うというのはリスクが大きすぎたからだ。
煙の外に脱し、痺れを感じながらも煙の流れを注視する。木ノ葉隠れの里から出る為には、当然ながら煙から出なければいけない。時空間忍術を用いられればどうする事もできないが、忍術が発現する瞬間ならば隙は生まれる。その一瞬だけならば煙の影響も大きく受けることなく、捕らえる機会としては十分だとリスクとの天秤で判断したのだ。その一瞬の機会を手に入れるかどうかは問題だ。
しかし、サソリにとっての懸念はそんなところにはない。
「さて……フウコの奴を連れて帰れるかどうか…………」
錯乱しイタチにしがみつく彼女を引き剥がしながらも、イタチの攻撃を至近距離で受けきれるかどうか。そこが最大の問題だ。
☆ ☆ ☆
サソリの煙は当然ながらイタチとフウコも飲み込んでいた。
既にイタチの指先は痺れの兆候を示している。けれど、イタチの両手は、袖を握ってきたフウコの手首を掴んでいた。
離さないように、遠くに行かないように。
そう、兄として。
家族なんだ。
手を離すなと、イタチの中の想いが身体を動かした。
「アイツが、来る……
マダラという言葉にイタチの脳裏に浮かんだのは、うちはマダラという、うちは一族における伝説の人物だった。
しかし、彼は故人のはず。どうして今のタイミングでフウコが、彼に怯えているのかは理解が及ばない。それでも、イタチは力強く頷いてみせた。
フウコが大罪人であることも、自分が火影であることも、全て理解しながらも彼女を助けようとした。煙の中であり、辺りからの視線が外れていることも、イタチの行動を後押したのだ。
「分かった。すぐにお前を匿う。だから立てっ。必ずお前を助けて──」
「どうして私を助けてくれないのッ! こんなに……
イタチの言葉を遮る彼女の言葉は脈絡を完全に無視したものだった。
助けたいのに、手首を掴んでいるのに、フウコにはこちらの言葉が聞こえていない様子だった。
月読が使えれば、きっとフウコを気絶させることが出来る。けれど、それは不可能だった。右眼は既に、イロミとの戦闘で
フウコに何が起きているのか。
理解したい。心の奥底から願った時だった、声がしたのだ。
【キャハハハハハハ! これでぇ………フウコさんが費やした、うちはの人たちを皆殺しにしたことは無駄になっちゃったねえ! せっかく、頑張って隠してたのにぃ! キャハハハハハハッ!】
気が付けばイタチの意識は、空と海だけの世界に立っていた。水平線の彼方だけが世界を囲う、遠く広く寂しい世界だ。木ノ葉隠れの里ではない。そして、幻術の類で無いことは、イタチ自身がはっきりと自覚していた。
目の前には抜け殻のように膝を折って座るフウコと……もう一人。その子は、幼いフウコの姿に酷似──いや、そのもので、イタチに背を向けて立っているが、その姿は幼い頃に初めて会ったフウコそのものだった。彼女はフウコの前に立ってケタケタと嗤っていたのだ。
「ん?」
女の子はイタチに気付き、振り返り顔を見せる。
顔はやはり、幼い頃のフウコだ。しかし、それでも、醜く歪み切った笑みを浮かべる口端は、決して大切な妹が作るはずのない表情だった。女の子は「ああ」と、さらに唇を伸ばして笑みを強くした。
「兄さん」
「……お前は、誰だ」
「何言ってるの? 私は──うちはフウコだよ? キャハハハハハハ」
「フウコに何をしたんだ」
「何って……何よ、その言い方は」
完全に身体をこちらに向ける女の子は勝ち誇ったように自分の胸に手を当てた。
「私がフウコさんをグチャグチャにしてあげたから、知れたんだよ? フウコさんが、うちは一族を滅ぼした事をね? ああでも、はっきり言わなかったかな? 幻術で動かすのも苦労するんだ。サソリの薬のせいで、フウコさんを上手くコントロール出来ないから。でも、おおよそ、分かったでしょ?」
女の子は言う。
「フウコさんは、うちは一族がクーデターを起こそうとしていたから滅ぼしたの。あ、言っておくけど、これは真実よ? どう? 気分は。私は最高。今までずーっと、フウコさんが隠して、辛い苦しい思いをして、それがぜーんぶ、ぶち壊してあげたの。それにサソリの計画も大きく狂う。これでマダラ様は私を褒めてくれる。ふふふ、ああ、いい気分。アンタもそうでしょ? ほら、フウコさんをサソリから助けてあげたら? 火影なんでしょ? お父さんを殺した、あの扉間と同じ火影なんでしょ? ま、どうせマダラ様が私を助けてくれるけど」
「マダラというのは……うちはマダラか?」
「そう。本当なら私が私の身体を動かしてマダラ様と一緒に夢の世界に行くつもりだったのに、フウコさんと、シスイとかいう奴に邪魔されて、身体を動かせないの。でも、フウコさんを虐め続けて、今じゃあすっかり、私の幻術で思い通りに動かせるの。見て、このみっともない姿を。ほら」
女の子が左手をフウコの頭に添えた途端だった。
虚ろのフウコの身体が内側から張り裂け、内部から泥のような灰色の液体が吹き出た。液体は少しづつ形を作っていく。それらは全てフウコの姿だった。フウコの像は幾多も生み出され、それらが全て空に向けて手を伸ばしながら柱のように連なっていた。
《わたしはぁ………わたしわぁあああ》
《こわい》
《ひとりは……くすりも……………もう……やだぁあ》
《たすけてぇ》
《なんでわたしだけ……こんなにぃ…………》
《つらいよぉ》
《ころしてぇ………………………ころしてぇええええ》
「キャハハハハハハ!。すごいでしょ? サソリの薬が無ければ、もっとグチャグチャに出来るんだけど、アイツ、根本まで腐らそうとしてるから幻術を当てても反応が無いの。もう少しなのに」
身体は心に直結している。心の気分一つで体調は悪くなり、身体の健康が保たれれば心は恒常性を強くする。
だからこそ、サソリは徹底的に薬を用いて、心の奥の奥まで影響を強めていた。故に、
しかし、イタチにはそうは見えてはいなかった。
壊されている。
妹が。
自分の記憶に残る、彼女の姿が、壊され、いつか、確実に壊されてしまう。
「やめろっ!」
「キャハハハハハハ。もうここから出て行けよ」
女の子の肩を掴んだ瞬間、身体が後ろに引っ張られる感覚に襲われた。重力が、空気が、肌に纏わりついてきた。
「フウコッ!」
遠ざかる空と海の世界。視界が急激に黒に塗りつぶされるその瞬間、フウコの像が涙を流した。
《イタチ………ごめんね》
意識が肉体に──現実に引き戻された。
「フウコ」
サソリの声が煙の向こう側から力強く響いてきた。フウコは何かを察したように、イタチの顔を見上げる。
たった一瞬だけ、イタチとフウコの視線が重なった。フウコは首を横に振った。
「たす…………けて…………」
絞るような声は、次の瞬間にはパタリと止んでしまった。
「その男から離れろ」
「────ッ!」
サソリの指示にフウコは人形のような直線的な動きをしてしまう。顔を伏せながら、両の腕を強引に上下に振り、イタチの袖から手を離すと同時にイタチの手から離れた。
濃い煙の中でも、微かに見えたのはフウコの背に接続されたチャクラ糸。それらがフウコの身体を引っ張り、煙の向こうへと誘った。
手を伸ばす。
だが。
手は煙を掴むだけ。
即座にフウコが消えていった方向へと直進する。手の感覚は失われ、膝が笑う。それでもイタチの速度は本来の速度に多少の陰りが見受けられる程度。イタチの写輪眼が煙の淀みを読み取り、進む。
サソリに抱えられるフウコの姿。クナイを、フウコに当たらないように、精密な投擲をした。クナイが手から離れると同時に印を結ぼうとするが、察知する。写輪眼の予測が──煙の影響もあり、予測が確立されるのに時間や精度の誤差が生まれていたせいだが──ここで見せる。
「遅かったな。だが、いいタイミングだ──白」
クナイがサソリの肩と両膝、そして頭部に刺さるが、それは分身体だった。
水分身の術。
術は解かれ、サソリとフウコは水に姿を戻すが、その中には人の頭部ほどの大きさをした球体が現れる。水分身の術に潜ませていたのは、先程の煙玉よりも一回りほどの大きさのものだ。
咄嗟にイタチは火影の衣を脱いで自身の前に広げ──球体が破裂する。
破裂と共に飛んできたのは薄く小さな……毒針だった。
一つ目の煙玉に入れていた煙を濃縮した液体に漬けられていた千本の大半は、火影の衣に幾つかの穴を作り出し、イタチの両肩、脹脛へと突き刺さる。
刺さりどころが、悪かったのである。下半身は筋肉が集中し、肩は関節だ。イタチの意識は前へ前へと急かすのに、身体は言うことを聞いてくれない。
さらには周りの煙がイタチの身体を侵食していく。
──………フウコ……………。必ず、助けるからな。
強く噛み締め奥歯が鳴るのを、イタチは耳障りに感じた。
☆ ☆ ☆
「よく俺たちの居場所が分かったな、白、再不斬」
木ノ葉隠れの里から離れ、予め、再不斬たちと合流する地点へとサソリはいた。
そこは、神社だったのだ。古い木造の神社は、辺りの深い森に紛れるように立っている。境内の真ん中にフウコを寝かせながら、横に立つ再不斬らを見た。
応えたのは白だった。
「念の為、お二人の様子を見に来たのです。そしたら毒を撒いていたので、もしかしたら、と」
「俺たちの依頼主なんだ。勝手に死なれたらこっちが困るんだよ」
腹立たしげに後を継いだ再不斬にサソリは笑ってみせた。
「随分と、手足としての自覚が出てきたな」
「そう思うなら、今度こそゆっくりさせてほしいもんだな」
「大した趣味もねえくせに」
「悪趣味なお前に比べればな」
「まあ、暫くは身を潜めねえとな。リーダーの奴にも、木ノ葉隠れの里に顔を出したってのには、十分な理解は貰えるだろうしな、お前らには暇を与えてやる。それより、ダンゾウの方はどうだった?」
「ほらよ」
再不斬がズボンのポケットから取り出し、それを放り投げてくる。
受け取ったのは小さな小瓶。中には、写輪眼が入っていた。しかし──。
「一つか」
小瓶に入っていた写輪眼は一つだけだった。再不斬が不愉快そうに鼻を鳴らした。
「不服か?」
「いや、一つ貰ってきただけでも十分だ。ダンゾウは何か言ってたか?」
「これからもサポートは惜しまないとほざいてたぞ」
鼻で笑い「古狸が」と嘯く。まあ、サポートをするという姿勢は一応は、確かにあるのだろう。今は、だが。
ならば、裏切られるまで利用させてもらおう。
「その目玉は、その証拠だとよ」
「なるほど。素直に渡してくれるとは考えていなかったがな。とことん、俺の計画はズレるようだな」
「ハナからズレた計画だろうが」
「まあな。だが、今回の件でかなり修正が必要だ。うちはイタチに、フウコの真実がバレた」
「まさか……僕たちのせいで…………」
白の言葉にサソリは「違う」と呟いた。
「大蛇丸が情報をバラしやがったんだ。遅かれ早かれ、こうなっていた。気にするな。大幅な修正が必要だが、頓挫ってほどじゃない。とりあえず、さっさとアジトに戻るぞ。白、術の準備をしておけ」
言いながら、サソリは注射器を取り出す。太い鉄の針が境内の入り口から入り込む日差しを怪しく反射した。白は針から目線を逸し、印を結び始める。
注射器の中には、強力な睡眠薬が入っている。
「やめ…………て………。サソリ…………」
脱力しきっているフウコが虚ろな声を出した。
「もう……薬は………………やめて……。おねがい……。あそこに、イタチがいたの。きっと、サスケくんも、ナルトくんも、いる。イロリちゃんだって、いるの。私は、あそこに……」
「おい再不斬。一応抑えておけ。針が血管に入ると面倒だ」
やれやれと再不斬はフウコに近づき、フウコの右腕を持ち上げ、膝に乗せるようにして固定した。ほんの少しでも体重を、掴んでいるフウコの手首に掛ければあっさりと腕が折れてしまいそうな程にフウコの身体には力が入っていない。サソリが声でフウコを縛り付けているからだろう。しかし、こんな状態のフウコにでも薬は必要なのだろうか。
「手首でもいい、血管を締め付けろ」
「おねがい……私は……………もう、苦しみたくない……………。どうして………どうして、私だけが……こんな目に……………」
「テメエが言ったんだろう」
どんなに壊れても。
どれほど壊れても。
計画を続ける。
それが、契約だった。最初から、こうなる自分を想定していたのだろう。サソリの耳には、今のフウコの言葉に価値を見出さない。
「グダグダ抜かすな」
「やだ…………やだぁ…………………助けてぇ………」
注射器を刺し、濃度の高い睡眠薬を適量の速度で入れていく。
ガクガクと指先が痙攣したが、やがてフウコの瞼はゆっくりと閉じ、眠りに落ちた。
「サソリさん。いつでもアジトに戻れます」
白が弱々しい声で報告してくる。フウコの姿に何かしらの感情を抱いているのだろう。淡々とサソリは呟いた。
「さて、帰るか」