いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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山鳴りは、ようやく、海風を運んできた

 音の忍らの殆どが制圧され、木ノ葉の忍たちの半分ほどが事後処理の段階へとシフトしていく中、残った半分は忙しなく里の中を駆けている。制圧できていないソレの情報は瞬く間に拡散され、精査され、多種多様な忍らに必然的な役割を与えていく。

 

 封印術を得意とする者、攻撃力に特化した者はソレを制圧に。

 

 結界術に秀でた者は、二次的な被害に巻き込まれないように非戦闘員らの保護の強化を。医療忍者は制圧に出た者たちのサポート及び被害者らの治療を。また、索敵能力を得意とする者は、里の外へ行き、情報が広まらないように他者がいないか察知を。

 

 各々が、里の危機を理解していた。それは、音の忍らが襲撃してきた際、直感的に抱いた危機の水位を大幅に飛び越える程の、明確なものだった。

 

 九尾が暴走した。

 

 その情報を訊いた者たちはいずれも同じ光景と恐怖を想起した事だろう。

 だからこそ、彼ら彼女らは迅速に且つ正確に動き、感情は一振りのブレも無かった。誰もが覚悟と決意を秘めている。死んでしまうかもしれない覚悟も、大切な事柄を守る決意も。

 

 しかし、彼ら彼女らの意志から逃げるように、木ノ葉隠れの里の塀を内側から吹き飛ばしながら―――フウは、ナルトを外へと押し出した。

 

「よう……やくッ! 捕まえったっすよぉおおおおッ!」

 

 塀を突き破り、里の周りを覆う深い森を構成する木々を薙ぎ倒しながら、フウはナルトを運んでいく。彼の腹部に回した腕には、木々を砕く度に重い衝撃が伝わってくる。両腕を組んでいる指たちの筋がミシミシと悲鳴をあげるが、まだ、離す訳にはいかない。

 

 ようやく捕まえることが出来たのだ。初撃のタックルの勢いを殺さぬように、七つの羽で空気を叩き続ける。それは、風圧によって呼吸が上手く出来ないほどの速度を叩きだす。

 

 まだ、遠くへ。

 

 少しでも里から……遠くへッ!

 

「―――ッ!? クソッ!」

 

 しかし、木々を薙ぎ倒す内に勢いは萎みを見せ、壁代わりとなってくれていた分厚い風圧はナルトの行動を許してしまう。横薙ぎに振るわれる、九尾のチャクラを纏った右腕に触れる瞬間、勢いそのままにフウはナルトから離脱する。

 空中の支えを失ったナルトは勢いそのままに木々を薙ぎ倒し、そして地面を削る様に転がり大きな砂煙の軌跡を作った。

 一度、フウは森の上へと上昇し、今の位置と木ノ葉の距離を見る。とりあえずは、互いに暴れ回っても被害が届くような距離ではない事に、フウは安堵する。

 

 ―――あとは、ナルトくんがフウだけを見るようにすればいいっすね。そうすれば、木ノ葉にはいかないっす!

 

 そして、急降下。

 

 眼下には勢いを殺そうと四肢と五本の尾を地面に刺しているナルトの姿が。その直上から、フウは蹴りを叩きこんだ。衝撃はそのまま地面を貫き、深く砕かれた地面は根を張った周辺の木々を吹き飛ばすものの、ナルト自身は姿勢一つ崩さない。こちらは足首に重い衝撃を受けて痺れているというのに。しかし苛立ちを滲ませながらもフウはすぐさま上空へ距離を取った。ナルトの五つの尾が、フウを捉えようと蠢き始めていたのだ。

 そのままフウは上空を、時には木々の間を、高速で動き回りながら攻撃を加え続けた。速度は、確実にフウが上回っている。初速、機動性はナルトの攻撃を躱し、死角に入り込み多少の打撃を与える。里の外を出る前から、フウはこのスタイルを貫いていた。いや、そのスタイルしか選べなかったというのが正確な事実だ。

 

 チャクラの質が違い過ぎたのだ。

 

 ナルトを覆っている真紅のチャクラは、ナルト自身の肉体組織を破壊してしまうほど、宿主の肉体を考慮していない乱暴なものだ。さらには蝕んだ肉体組織を蘇生させる役割も同時に果たしており、密度という面で言ってしまえば出鱈目な水位にある。対してフウのチャクラはそうではない。封印式は機能し、そして重明がチャクラの質を調整してくれている程度だ―――と言っても、平均的なチャクラの密度で考えれば、それでも十分な密度ではあるのだが、ナルトのそれに比べれば雲泥の差がある。

 

 つまりは、圧倒的なまでの強度の違い。

 

 こちらの攻撃はさながら、岩石に向かって虫が体当たりをしているようなもの。いや、もしかしたらそれ程の差は、実のところ無いのかもしれないが、目に見えた効果は観測されてはいなかった。ならばさらにチャクラを重明から渡してもらえればいいのだけれど、里の中で人柱力が二人争えば、被害は拡大してしまうだろう。

 里の外に出したのその為だ。いくら強度に差があるとは言え、勢いを付けてタックルをすれば外に運ぶことは可能だった。

 周りの被害を気にせず、尚且つ自由に動き回れる場所。フウにとって悪くないシチュエーションだ。

 

「重明ッ! まだまだ、いけるっすよッ!」

 

 木々の間を、重明のチャクラが線となって軌跡を生む。その軌跡は、フウの合図によって色濃くなり、七つの尾に叩かれる空気は一段と厚みを増した。

 

『調子に乗るとすぐ死ぬぞ』

 

 頭の中に響く重明の声が呆れている。理由は分かる。まだいけると言ってみたものの、既に身体の末端は痺れ始めているのだ。

 

 いくらチャクラの質を調整してもらっていても、当然ながら限界はある。

 

 七尾の人柱力として、単なる封印の器としての限界だ。元々、フウは七尾のチャクラを制御する事を目的に選ばれた訳ではない。

 滝隠れの里という、今は亡き忍里は小さかった。七尾のチャクラを使い回して力を誇示しようものなら、辺り一面が敵となって瞬く間に滅ぼされる。故に、あくまで抑止力としての張り子の虎でしかなかったのだ。

 こちらには最終手段の七尾がいるのだぞ、という友好的な脅迫手段の為の。

 

 運用するつもりなど里側には一切なく、一方的に、ただ封印術に耐えうるチャクラと身体機能を持ったフウが選ばれただけに過ぎない。重明のチャクラは毒という程ではないけれど、強大なそのチャクラはフウのチャクラと身体では重すぎるのだ。

 

 重明は、フウの身体のキャパシティを理解してくれている。だが、伝わってくる彼の感情は心配というよりも、呆れが強い。

 

 自分の身体の事も分からないのかと、馬鹿にしているような。

 

「だったら、死なないようにフウに力を貸してほしいっすよッ! このままじゃあ、ジリ貧っすからねッ!」

 

 今度はナルトの脇腹に両足の蹴りを叩きこむ。速度を乗せた蹴りはナルトを横に吹き飛ばす。木々を薙ぎ倒し地面を転がりながらも、即座に体勢を直しているのを見ると、やはりダメージは殆どないのだろう。

 ナルトの腕が伸びる。忍術でも何でもない。単純にチャクラが手の形を模っているに過ぎない。腕から逃れる為に上空へ。そしてちょうど、チャクラが増えた感覚が脳を重くする。飛んでいるはずなのに、落ちているような、あるいは止まっているような。やがて感覚は鋭敏となり、頭が真っ白になっていく。

 

 赤い腕。

 迫ってきている。

 避ける。

 尾は空に、頭は下に。

 尾を小刻みに痙攣させる。

 走り出す前に屈伸するように。

 息を止めて、そして、落ちる。

 初速で空気が弾け飛ぶ。

 下へ、下へ。

 回転しながら、空気を巻き込んでいき。

 ナルトに突き刺さる。

 

 里で行った時よりも、衝撃は強大で、もはや地面は岩へと起源を移し、クレーターが生まれる。だが、それだけではない。フウが巻き込んだ空気は重さのある竜巻となって、さらなる衝撃がナルトに襲い掛かる。その重みを尾で叩きながら、さらにナルトを地面に押し込む。

 フウが捉えたのはナルトの腹部だ。両手で抑え込むのは、ちょうど横隔膜。

 

 ―――いくら九尾に憑りつかれても、ナルトくんは人間っすからね……。意識を落とせば……ッ!

 

 横隔膜を押し潰し、意識を落とす。手からは、九尾のチャクラを歪めているのが分かる。チャクラで伸びた腕は竜巻に巻き込まれ元には戻せないが、伸びた腕の中から本物の腕がフウの顔を引き裂こうと触手を震わせる。

 

「させないっすよッ! 重明ッ! チャクラを、もっとッ!」

 

 チャクラは増幅し、比例して、身体中が震え始める。平衡感覚が狂い始めているのが分かった。

 羽ばたかせている尾の内、二本をナルトの腕へ。突き刺し、動きを封じる。空気を叩く羽の数は減ったが、チャクラの増加分と相殺され、ナルトへの圧力は変わらない。抑え込んでいる腹部が痙攣し始めている。呼吸がままならない事を示していた。

 もう少し、とフウは尾を羽ばたかせる。尾を羽ばたかせる為のチャクラコントロールは、よりフウの意識を凝縮させた。それは、頭に激痛を走らせるほどであり。

 横の地面から姿を現したナルトに反応するのも、一瞬だけ遅れる程だった。

 

 ―――どう、して……?

 

 真横に、強烈な殺意があった。

 止めていた呼吸は、肺に目一杯と詰めた空気があるはずなのに、ヒュッ、という音を立てて、空気をさらに吸い込んでしまう。思考が真っ白になってしまった証だった。

 腕を突き刺している尾も、腹部を抑えている両腕も、間違いなくナルトを抑えている。なのに、どうして。

 

 そこから先の思考は時間が許してはくれなかった。

 

 鉤爪が振りかぶられる。

 離脱は?

 難しい。

 空気を叩ける尾は五本だけ。七本で作り、五本で維持した勢いを、同じ五本で覆すには時間が必要だ。あまりにも、時間は足りない。

 駄目だ、間に合わない。

 やられる―――ッ!

 

『ラッキーだったな、フウ』

 

 重明の呟き。

 同時に、横から、エントリー。

 

「螺旋丸ッ!」

 

 小さな台風が、風を引き連れながら、鉤爪を構えたナルトを吹き飛ばした。

 

「自来也さんッ!?」

「ギリギリってぇ、トコかのうッ!」

 

 自来也の登場に、フウは呼吸を正しく取り戻す。獲得してしまった安心感は、自来也の姿を目撃してすぐに、無意識の内に、地面をバウンドして遠ざかっていくナルトを追ってしまっていた。近距離で、しかも無防備な真横からの殺意は、フウに不用意な警戒心を与えてしまっていたのだ。

 それを自来也がカバーする。フウの腹部を抱え、尾に刺されていた方のナルトが仕掛けてきた攻撃を寸での所で回避させた。フウの衝撃によって地面に抑えつけられていた筈の尾が、地下を強引に掘り進み、フウを貫こうと姿を現したのだ。

 

 もはや槍。だが、自来也の三忍としての経験がそれらを事前に回避させた。フウを脇に抱えたまま、自来也は充分な距離を取った。即座の攻撃にも対応でき、尚且つ、二つになったナルトの姿を見失わないベストな位置だった。

 

「フウ、無事のようじゃのう」

「……どうもっす。助かりました」

 

 と、フウは苦々しく笑って見せた。

 

「ナイスタイミングっすよ、自来也さん」

「お? もしや惚れてしまったかのう? いやいや、ワシも罪な男だのう」

「相変わらず、面白い事を言うっすね。状況分かってるんすか?」

「……そりゃあのう。嫌というくらいにの。忍術でも何でもない、ただのチャクラだけで分裂など、聞いた事ないぞ」

 

 ナルトが二人になった理由が、ようやく見て取れた。

 螺旋丸によって飛ばされたナルトと、フウに抑えつけられていたナルトが、チャクラで繋がっている。腕の形を模ったチャクラと同じ。自分自身を模ったチャクラ。

 驚くべきことは、それが、忍術ではないという事だ。

 ただただ、真っ赤なチャクラが形を成しているだけ。膨大な量のチャクラを、怒りと狂喜が、沙汰の外から形を作らせているのだ。理解の外の現象だった。

 

「こりゃあ……予想よりも、ヤバい感じじゃのう」

 

 悠々と呟いてみせるが、彼の額には疲れではない汗が静かに浮かんでいた。彼の視線の先には、螺旋丸で吹き飛ばした方のナルトが。完璧なタイミングで、そして確実に当てたにもかかわらず、彼は依然、立ち上がる。チャクラを分けたナルトが吸収され、低い唸り声を上げる。

 獰猛でありながら、悲痛な叫びのように、フウの耳には届いた。自来也に下ろされ、両足で立ち上がる。重明のチャクラを過剰に使用してしまった反動で、身体の節々に力が入り辛くなってしまっているが、

 

 ―――重明。言っておくっすけど、フウは全然平気っすよ。

 

 彼は『そうか』と、心底どうでも良さそうに呟くだけだった。

 

「フウよ」

 

 と、自来也はナルトを見据えながら低い声を出した。

 

「お主、封印術は得意かのう?」

「聞いて驚かないでください」

「ほう?」

「大の苦手っす」

「………まあ…………そうじゃろうのう」

「なんすか? その含みのある感じは?」

「いやなに、経験則じゃ。お主のような快活な奴は、大抵下手くそだ」

 

 中の重明が『こいつがそんな繊細な術を使えるわけないだろ』と呼応してみせる。腹立たしい。人間、得手不得手があって当然である。

 

「そういう自来也さんはどうなんすか? フウから見たら、自来也さんも中々不器用に見えますけど?」

「馬鹿言え、伊達に男を磨いてきた訳じゃねえっての。じゃが―――」

「ヴォォォォオオオオオオオッ!」

 

 チャクラと怒号が混ざり合って、文字通り、爆発する。砂煙が、石つぶてが、木片が、さながら矢の如く飛ばされてくる。即座に自来也もフウも、木の陰に身を隠すものの、視線のギリギリはナルトを捉えていた。チャクラの波の禍々しさが、一段二段と、飛躍したのだ。

 自来也は呟いた。

 

「じゃが……ワシの封印術で、どうにかなるレベルの問題じゃなくなってきたのう」

 ―――気分はどうっすか?

『何がだ?』

 ―――あともう一本で、同じ本数になっちまうっすよ?

 

 フウと自来也は見た。

 ナルトの尾が、五本から六本へと数を増やすのを。

 そして、赤い、朱い、チャクラに纏わり付き始めた骨格のようなものが現れたのを。

 二人は即座に直感する。

 もしも……尾が九本になったら。

 九尾は―――。

 そして、人柱力は―――。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「…………んぅ………」

 

 日向ヒナタは静かに目を覚ました。

 瞼を開けて確保される視界はぼんやりと歪み薄暗かったが、のっぺらと平らなそれが天井なのだというのは簡単に分かった。仰向きに寝ていた、と言うのを自覚して、ああ、とヒナタは小さく息を漏らす。どうして自分がそういう姿勢になっているのか、それは眠る前までの記憶が鮮明に導いてくれたからだ。

 

「お、ヒナタ。起きたか」

 

 聞こえてきた声の方向に顔を傾ける。ただ、首を傾けただけだったのに、全身の至る所が脆い繊維が千切れるような痛みに襲われ、ヒナタの表情は一瞬だけ歪んでしまう。

 

「キバ……くん…………」

 

 すぐ隣で座っていた彼の名を呟くと、犬塚キバは軽快に笑って見せる。

 

「無理に声とか出さなくていいぞ。身体痛ぇんだろ。そのまま寝てろよ」

 

 キバの頭に乗っていた赤丸が心配してくれているのか、可愛らしい鳴き声を合わせてくれる。彼なりの気遣いだというのは分かる。自然と笑みが零れてしまった。

 

「キバの言う通りだな」

 

 そして反対側からも声が。キバ同様、声だけで、誰なのか容易に想像できる。顔を向けると、やはり案の定、油女シノが座っていた。口癖なのか「なぜなら」と言葉を続けたのも、想像通り。

 

 だが、続けて出た言葉は疑問を抱かざるを得ないものだった。

 

「やることが何も無いからだ。なら、静かに寝ていた方が良い」

「………? やる……こと………?」

 

 ヒナタは視線だけを逸らし、周りを見た。薄暗い天井と壁の境界。視界に入った壁には装飾は無く、自身が横になっている床も石の肌がそのまま出ている。壁際には、奈良シカマル、秋道チョウジ、山中いのが並んで座っていた。

 今度は反対側に顔を向けてみる。そこには、ロック・リー、テンテン、そして日向ネジが壁に背を預け立っていた。一瞬だけ視線が、ネジと交差する。

 苦しさと悔しさ。それが微かに鼻の奥を刺激するものの、未だ身体に残る痛みと疲れに、多くを考える事はしなかった。遅れてヒナタは緩やかに視線をズラし、すると先には、春野サクラとうちはサスケがいた。サクラは膝を抱え、どういう訳か顔を埋めていた。その隣に座るサスケも、片膝を左腕に抱えて、苛立たしそうに左手を開いたり閉じたりしている。

 

「……キバ…………くん……」

 

 ん? とキバは、膝に降り立った赤丸の頭を撫でながら反応した。

 

「なんだよ。ていうか寝ろよ」

「……ここ…………どこ…………?」

 

 病院ではない事だけは分かる。どこだろうか。

 薄暗い室内に、大きな機能を求めていないような簡素な様式。そして何よりもの疑問は、中忍選抜試験に参加した者たちが―――厳密に言えば、最終試験まで勝ち残ったメンバーを持つチームが―――集っていて、全員がどこか暗い空気を出していること。

 

 どういう状況で。

 どういう目的で。

 この室内は、出来上がったのか。

 考えながら視線と顔だけを動かして室内を見回していくと、そこで、大切な人がいない事に気付いた。

 

 いない。

 

 彼が。

 

 うずまきナルトが。

 

 どうして。

 

 そして、思い出す。

 気を失う直前の記憶を、鮮明に。

 空か降ってきた死体。

 それらと共に姿を現したイロミ。

 嫌な予感がした。

 

「―――ッ! 痛ッ!」

 

 ナルトの姿が見えない事に慌てて、咄嗟に上体を起こしてしまった。痛みが脳を焼き切らんと襲い掛かってくる。それでも、視線を動かす。室内は広くなく、ナルトがいない事は、あっけなく分かってしまった。「寝てろよ」と語気を強くするキバを、ヒナタは見た。

 

「ね、ねえ……キバ、くん。ナルトくんは…………?」

 

 問いに、キバは応えなかった。ネジから受けた点穴への攻撃のせいで、未だ白眼を発動できない状態であるものの、他者の感情に機敏なヒナタにはすぐに、キバの感情が分かった。

 きっと、彼自身も、ナルトがどうしてこの場にいないのか、知らないのだ。だが、どうして知らないのか。それは、キバの表情からは見て取れなかった。

 ならばと、ヒナタはサクラに尋ねようとしたのだが、サクラは突如として立ち上がった。

 そして彼女は、いのの前に立ったのだ。サクラの表情は、怒っていた。

 

「いの。少し、力を貸しなさい(、、、、、、、)

 

 強い語気を頭の上から振り下ろされるが、いのはサクラが何を考えているのか、即座に理解してしまった。

 心配と苛立ち。それが混ざったような表情を、いのは浮かべる。

 

「アンタ……何考えてるの?」

「ナルトを探しに行く。その為にはまず、この避難所の結界術を破らないといけないわ。いの、アンタの心転身の術で、術者の人を操って結界を破ってちょうだい」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「また貴様か………小娘。忌々しいうちはに紛れた化物め。二度もワシの邪魔をしておきながら、今もまた、邪魔をしに来るか」

 

 だが、と低く、けれど勝ち誇ったように流暢に紡がれる言葉は、冷たく暗い奈落の底に響き渡る。

 

「もはや、貴様では止められん。木ノ葉を憎み、木ノ葉に怒り、木ノ葉を滅ぼしたいと願った。そして、力を求め、ワシを受け入れたのだ。誰にも止められはしない」

 

 巨大な檻。その奥から覗かせる獰猛な九尾の大きな瞳は鋭く、自身の述べた言葉を証明するかのように、檻の目前に膝を抱える男の子を見下ろした。

 

 男の子は泣いていた。

 苦しそうに、辛そうに、そして何よりも、悔しそうに。

 涙を流し、頬から涙を落として。

 落ちた涙を拾うかのように、男の子真下には、檻の隙間から伸びる九尾の赤く黒いチャクラが水溜りを作っている。チャクラは渦巻き、男の子を分厚く覆い、今も尚、厚さは増している。九尾のチャクラは止め処なく、男の子―――うずまきナルトに注がれていた。

 

 邪悪で、暗いチャクラ。

 

 触れるまでもなく、近付いただけでも皮膚が焦げて肉が焼かれるほどの重いチャクラが、ナルトを中心に広がっていく。それはさながら、まだ残っているナルトの感情や意識全てを、侵食し、掌握しようとしているようだった。

 

 赤と黒のチャクラの領域の中。

 

 女の子は毅然と無表情に、檻の向こうの九尾を、その赤い瞳で見上げた。

 

「ナルトくんは、お前を受け入れてなんかいない」

 

 九尾の声が古びた重い鐘がぶつかる音のように低いのに対して。

 女の子の声は洗練された高級な鈴の音である。

 涙を流しているナルトと、歳は大きく離れていないだろう。アカデミー生と言っても、疑う事の難しい体躯の女の子は、獰猛な九尾のチャクラの領域に踏み込んでも尚、恐怖の色を表情に出す事はしない。

 

 ただただ、無表情。

 

 しかし、彼女を深く知る者がいれば、そこには珍しい、怒りの感情があったと判断できる事だろう。

 女の子―――フウコは言った。

 

「ナルトくんは、何も知らないだけ。それが悔しいだけ。お前は何も知らないこの子に、色んな事が悔しいこの子に、むやみやたらにチャクラを送ってるだけに過ぎない」

「嗤わせる」

 

 と、九尾は口端を吊り上げた。

 

「たとえお前の言う通りだとしても、同じ事だ。こいつが何を思っていようが、ワシのチャクラを使っている事に変わりはない。木ノ葉隠れの里を恨んでいる事に変わりはない。木ノ葉は滅ぶ。そしてワシは、外に出る」

「私が出させない」

「クククッ。その身体でか?」

 

 フウコは瞳を写輪眼に変化させ、九尾の獰猛な赤い瞳を直視した。九尾のチャクラを調伏させようと、残された僅かな魂で―――。

 

「…………ッ!」

 

 視界が強烈に明滅する。至近距離で爆発の閃光を見てしまったような、けれども光は黒く、脳を溶かされるような、矛盾した光だった。フウコは光の強さに表情を歪め、咄嗟に双眸を手で覆ってしまった。

 掌に熱いぬめりが。血が眼孔を焼き、血涙が滴った。

 

「……くそッ! くそぉッ!」

 

 いよいよフウコは、舌を打った。アカデミーの頃の彼女ならば、自身の想定を超えた場面に遭遇したところで、表情に、そもそも感情にすら小波を出さないはずなのに。

 それは、ナルトの中で外の出来事を知り、感情を獲得してきたからに他ならない。

 ナルトを助けたい。強く育った彼女の感情は、一心不乱に再度、発現させた写輪眼で九尾を見上げるが、既に彼のチャクラはフウコの足元に及んでいた。

 魂が削られていく。

 残り僅かの魂。数に示してしまえば、三年分の魂ではあるが、実際に活動できる時間は一刻も持たない。元々、本体のフウコから分けられた魂は十余年。だが、波の国でのナルトの暴走で七年分を使ってしまっている。

 

 七年。

 

 それほどまでのチャクラを使っても、九尾の暴走を完全に防ぎきる事は出来なかったのだ。たった三年分で、何が出来ようか。

 

 それはフウコ本人も頭では理解できている。だが、諦めるという感情の選択肢は無かった。頭の中で膨れ上がる不安と恐怖、そして罪悪感が、九尾のチャクラへの抵抗の源泉だった。手足の端々から、水分を無くした砂の塊が崩れ落ちるように、削られていく。

 

 必死の抵抗は、実を結ばず、フウコはついに膝を崩してしまった。

 

 彼女の姿を、九尾はつまらなそうに上から見下ろすだけだった。

 

 つまらなそうに。

 くだらなそうに。

 呆れ果てたように。

 これまで眺めてきた、くだらない人々と全く同じように。

 

 九尾はナルトにチャクラを、さらに量を増して与えた。すると、ナルトの涙の量が増える。

最後の仕上げだ。これでナルトを完全に掌握し、檻の封印を彼自身を使って封印を破らせる。

 

 ようやくだ。

 ようやく。

 解放される。

 こんな子供から。

 こんな、力強いチャクラを持つ子供から。

 これまで何度、檻の隙間からチャクラで背を叩いても、磨き抜かれた鏡の如くチャクラを弾き返される。

 本来ならば、チャクラに晒され続けただけで壊れてしまってもおかしくないというのに。

 血か、と。かつて九尾は苦虫を噛みしめた。

 しかし。

 解放されるのだ。

 そして解放され、人の世を破壊し尽す。

 こんな、理想からかけ離れた、彼の者の理想の残骸ですら成りえなかった、世界から。

 ようやく、解放されるのだ。

 

「………だったらぁあッ!」

 

 フウコの写輪眼がナルトを見据えた。すると、ナルトを覆っていた九尾のチャクラは弾け飛ぶ。

 

「―――小娘ッ!」

 

 微かな苛立ちが、達観していた九尾の瞳に宿った。

 その瞳を、しかしフウコは睨み返さず、ただナルトを見て、守った。

 

「お前そのものを抑えられなくても、漏れてる程度のチャクラを邪魔するくらいは出来るッ!」

「下らん。お前を消せばすぐに終わる事だ、無駄な足掻きをする」

 

 九尾はチャクラの指向性を変えた。ナルトに向けていたチャクラを全て、フウコに向けたのだ。膨大な量のチャクラがフウコを覆い尽くした。

 砂塵のように消えていった四肢は、瞬く間に、業火に揺蕩う紙屑のようにボロボロと崩れていった。

 絶叫。

 悲鳴。

 自分の力が消え失せていくのを実感してしまう悲痛が込められた声でさえも、チャクラに燃やされようとしている。

 かつて本体のフウコが浴びた重明のチャクラを凝縮し、抽出したような、憎悪と絶望の深淵とも言える力だった。

 

 それでも尚、フウコはナルトを見て、守り続ける。

 見守り続ける。

 少しでも。

 少しだけでも。

 ナルトから、九尾のチャクラを遠ざける為に。

 フウコとナルトは、九尾を始点に一直線上に並んでしまっている。フウコにチャクラが集中してしまっていても、その通り道の上にナルトは座り込んでいるのだ。

 だから、そのチャクラを遠ざける。

 

 ―――あ……あと…………もう……少し………。

 

 ナルトの足元を完全な無地にした。

 

 ―――これで……ナルトくんは………安…………ぜ……。

 

「そんな事をして何になる……」

「あぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあああああッ!」

 

 フウコはボロボロに崩れ………もはや、首だけに。

 

 顎が、唇が。

 頭が、額が。

 崩れて、右眼まで侵食され。

 最後は左眼だけになっても。

 フウコはナルトを九尾のチャクラから守った。

 そうすれば、問題は無いから。

 九尾のチャクラを奪うのに。

 奪い尽くし、紡ぐために。

 

 ―――あとはお願いします………。

 

 ミナト様。

 

 クシナ様。

 

 二人の名を想い願った時、フウコは消滅し。

 

「ありがとうございます。フウコさん」

 

 フウコを食らい尽くした九尾のチャクラを、彼は掴んだのだ。

 自身のチャクラを掴まれたことよりも、九尾は、彼の姿に……そして、その後ろに立つ彼女の姿に、怒りを抱く。

 

「お前らは―――ッ!」

「久しぶりだね、九尾」

「正直……アンタともう一度会うのは、嫌だったんだけど。ナルトに会えるんだったら、嬉しい限りだってばね」

 

 波風ミナトは笑い。

 うずまきクシナは怒っていた。




 次話は今月中に投稿したいと思います。

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