いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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天暴怪々其にして交わる

 

 

 暴力の塊が襲ってきた。

 

 人間が抱えることのできる感情を排し、相手を滅ぼすことだけを一心不乱に詰め込んだ力は、赤い風を撒き散らしながら飛び掛かってくる。狐のような鋭い爪の形を模る赤いチャクラはナルトの右腕を大きく覆い、大蛇丸の顔面を抉り潰そうと振り抜いてくる。

 

 躊躇のない赤い瞳。

 内臓が震えあがるほどのチャクラの圧迫感。

 考える時間も与えてくれない速度。

 

 並みの忍ならば、何もできないまま、その人生を閉じるだろう。

 

 愉快そうに笑みを浮かべ、振り抜かれた爪を躱し、後方の樹をなぎ倒し広範囲を覆う砂煙の向こう側を、別の樹に飛び移っては見下ろし、舌なめずりをする大蛇丸はやはり―――異常だった。

 

 九尾のチャクラを纏ったナルトの一撃を悠々と躱す実力も人間離れしているが、それよりも、楽しむように不気味な笑みを浮かべることへの異常さだ。蛇のような瞳で、砂煙の奥に蠢くナルトを見定める。

 

 ―――……一つ増えただけで、これほどとは。

 

 サスケとサクラの遺体を見せた時―――正確には、連れてきた音隠れの下忍らの遺体を偽装した、偽物のサスケとサクラの遺体なのだが―――ナルトが纏った九尾のチャクラは、一本の尾だけしか模っていなかった。忍術とも体術とも区別できない、純粋な暴力を躱している内に、尾は二つとなり、途端に力も速度も倍増した。その証拠に、辺りの樹や地面に刻まれた暴力の名残は、一本目の傷跡を徹底的に塗りつぶしていた。

 

 砂煙の向こう側から見え隠れする九尾のチャクラが、ゆらりと立ち上がり、こちらを見据える。たったそれだけの動作なのに、頬に触れる空気が剃刀かの様に鋭利になる。

 

 覚えのある殺気だった。

 数年前、滝隠れの里で戦った七尾の時を思い出す。しかし、当時よりも遥かに、九尾の方が冷たく獰猛であることに疑いの余地はない。

 

 耳を突き刺す叫喚が、砂煙を四散させる。ナルトが激突した部分の樹は深くへこんみ、端の方は砕けていた。だが、ナルト自身に傷はなくこちらを見上げている。

 

「ククッ。君、いいわね。もっと見せてちょうだい」

「うるせえ………。てめえは絶対、ぶっ殺すッ! よくも………、サスケを………ッ! サクラちゃんをッ!」

「できるかしら? それに、私を殺せば、うちはフウコの情報は聞けなくなるわよ?」

「だったら―――」

 

 腹に感情を貯め込むように、ナルトは言葉を止めた。剥き出しの歯―――牙と言ってもいいかもしれない照準の如く見せてくると、両手を地面に付け、獣のような前傾姿勢を取った。

 

「てめえの両手足ぶった切って、口だけ動かせるようにしてやらぁあッ!」

 

 ナルトの言葉と呼応し、二本の尾は、三本へ。チャクラの圧迫感がより、濃厚になる。

 

 ―――このまま最後まで見てみたいものだけど、これ以上は危険ね。

 

 大蛇丸は静かに今後の算段を確かめていく。

 

 今は、あくまで確認だけである。ナルトの中に封印されている九尾の力、施された屍鬼封尽がナルトの感情の起伏に応じて九尾のチャクラが漏れ出すように作られているということ。これらを確かめるためだ。

 

 彼女(、、)のから与えられた情報を確かめるために。

 

『ふふふ。初めまして、大蛇丸さん。私、うちはフウコっていうの。本物の、ね?』

 

 まだ、フウコと同盟関係だった頃の、アジトで、それと出会った。

 

 アジトに割り当てられた自室に入ってきたそれは、灯りを消した暗い部屋の中で赤い瞳の写輪眼を浮かべていた。

 

 ねっとりとした甘い声を聞いた時、途方もない吐き気が込み上げてきた。

 

 恐ろしいとか、悍ましいとか、そういう類のものから起因した訳じゃない。かといって、はっきりと言葉で定めれる訳でもなかった。ただ、気持ち悪さだけが、鮮明に伝わってきたのだ。何人も、何十人も何百人もの人間を解体し解剖し、研究し尽くしてきた自分が、初めて純粋な気持ち悪さを、他者に感じたのだ。

 

『ごめんなさい。こんな、フウコさんを幻術で操るような形で挨拶して。でも、こうしないと会話できないんです、ムカつくことに。フウコさんの意識が寝てる間じゃないと、会話もできない。あ、今日はフウコさんは叫ばないから安心してください。ふふふ、毎日毎日、こわーい夢を、たーっぷり見せてるから、今日くらいは安心させてあげないと。フウコさんが壊れちゃったら、お父さんが治してくれたこの身体が動かなくなっちゃうからねえ。ふふふ、代わりに明日は五十回くらい、イタチとサスケがぐちゃぐちゃになるのを見せてあげるから』

 

 勝手にしゃべり始めたかと思うと、突然『ああ!』と【何か】は声をあげて、悪びれる素振りのない笑みを作った。感情の起伏があまりにも不安定なのだと確信させられる。

 

『ごめんなさい。えっと、大蛇丸さん、お願いがあるんですけど』

『……何かしら?』

『フウコさんとの同盟、捨てちゃってください。できれば、あのサソリとかっていう奴をぶっ殺してください。私の身体に変な薬を入れてるので』

 

 普段は人形のように無表情で無機質なフウコを知る大蛇丸にとって、夜中に出会った【何か】は幽霊にも近しい存在に思えた。

 

 これ以上、この【何か】と会話をしてはいけないと本能が訴えかけてきた。ケタケタとした嗤い顔から逃れるように顔を背けようとした時に、彼女は呟いた。

 

『お父さんとお母さんに、会いたいんですよね?』

 

【何か】は勝手に呟く。

 

『フウコさんとの会話、私も聞いてたんですよねー。輪廻眼を使って、貴方のお父さんとお母さんを転生させるってこと』

『その子が』

『フウコさんですね?』

『その子が勝手に言ってるだけよ。私はそんなくだらないことに使うつもりはないわ』

『あらー、そうなんですか。ふふふ、やっぱりフウコさんは馬鹿だなあ。人の気持ちを知った気になって。まあ、私としてはどっちでも良いですけど』

『……貴方は何なのかしら? さっき、本物と言ったけど?』

『まあ細かい所は気にしないでください。フウコさんが偽物だって分かってくれれば、それだけで。それより、どうですか? 私のお願い、聞いてくれます?』

『論外ね。メリットが無いわ』

『実は分かってるんじゃないですか? このままだと、輪廻眼は手に入らなんじゃないかって?』

 

 それは、当時大蛇丸が抱き始めていた考えだった。

 

 フウコとの絶対的な実力差による、契約の反故。大蛇丸の真意を言い当てた【何か】は妖艶な笑みを浮かべて呟いた。

 

『私としても、このままフウコさんに好き勝手やられると困るんですよねえ。だ、か、ら、大蛇丸さんに色々ぶっ壊してほしいなあって、思ってるんです。もし上手くいけば、輪廻眼が素直に手に入るかもしれませんよ? それにそれに、ふふふ、大蛇丸さんの知りたいことだったら、教えれる限りは幾らでも教えます。どうですか? 悪い話しじゃないと、思うんですけど』

 

 そこで、【何か】から色々と教えてもらったのだ。

 

 うちは一族をなぜ滅ぼしたのか。

 その陰で木ノ葉は何をしたのか。

 九尾は誰に封印され、どんな封印がされたのか。

 

 それらの情報を元に、今回の計画を立案したのだ。彼女からは『イロミちゃんを説得してくださいね!』と言われているが、そんなものは知ったことではない。

 

 兎にも角にも。

 

 ナルトの力は見せてもらったことに、一定の満足を得ることができた。後は、面倒にならない程度の始末を付けて、次に移らなければいけない。もし招待状を与えた我が子が、予想以上の無能でなければ、九尾のチャクラを察してもうそろそろ近くまで来ていることだろう。大蛇丸の好奇心はナルトから、我が子(、、、)へと移りつつあった。

 

 だから、だろう。

 

 油断した訳ではなかった。視線を外したわけではない。ただ、好奇心の移り変わりによる、意識の隙間が生まれただけで、その刹那は大蛇丸の表情からも指先の機微からも一切に読み取ることが不可能なほどの、光よりも一瞬の時だった。

 

 大蛇丸の背後に、ナルトがいたのだ。

 

「…………ッ!」

 

 ナルトが移動した訳ではない。未だ下方にはナルトはいる。だが、暴力の気配は間違いなく真後ろから出現し、瞬時に振り向くとそこには、ナルトが―――右手に巨大な赤いチャクラの塊を持っていた。

 

 影分身の術。

 砂煙に紛れている隙に、ナルトが行った機転は、大蛇丸の思考の外。

 暴力の塊が、小技を利かせてきたのだ。

 

 ―――この子……、意外と…………ッ!?

 

 ナルトの評価が更新される。

 野蛮な凡才の暴力だと思っていた。

 直線的な思考の持ち主なのだと思っていた。

 しかし、それは違う。

 九尾のチャクラを身に纏いながらも、暴力に身を委ねながらも、彼には知性がある。

 

 地面を抉り、樹をなぎ倒す、知性を持った暴力。

 

 その暴力の権化となった赤いチャクラの塊が、大蛇丸を呑み込む。赤いチャクラの塊は大蛇丸に必殺の圧力を加えながら分身体のナルトの手から離れ、地面へと向かって急降下する。うねりを上げ、空気を悉く吸い上げながらチャクラの塊は地面へ堕ち、爆発。半球状のエネルギーが地面を押しつぶし、樹々をなぎ倒し、暗闇を退かせる。

 

 だが、その中を、オリジナルのナルトは突き進む。オリジナルはエネルギーの方向を真逆に突き進み、中央で押しつぶされている大蛇丸の顔面を掴む。もはや息耐えているのか、中身のない革袋の様に軽く、エネルギーの中を引きずられていく。

 

 爆発が収まると同時に大蛇丸は投げ飛ばされ、根元の少ししか残っていない樹の残骸に叩き付けられた。

 

「影分身の術ッ!」

 

 さらに、分身体は増える。大蛇丸に奇襲を仕掛けた分身体を含め、四人。それらが先行し、あっさりと大蛇丸の四肢を引き千切る。

 無残な傷口から血が飛び散り、体液が噴出す。言葉通りに、そして先ほど見せられた遺体のようにしたナルトは、けれど迷うことなく大蛇丸の首を掴み、力の限り樹に叩き付けた。

 

「……おい、さっさと言えってばよ。フウコの姉ちゃんは、今…………どこにいんだッ! おいッ!」

 

 あまりの力に樹には亀裂が生じる。

 ナルトの行動と言葉は、過分な程に矛盾を訴えかけていた。

 大切な人の行方を知りたいという想いと、大切な仲間を殺した復讐に駆られた想い。

 大蛇丸を生かして情報を聞きたい。

 大蛇丸を殺して現実を否定したい。

 

 コントロールしきれない感情に決着を付けれないままに、何度もナルトは大蛇丸の頭を首ごと叩き付け続けた。だが、死んだかのように動かないソレを見て、感情が黒く染まる。

 

 止まらない。

 溢れだしてくる。

 怒りが、悲しみが。

 思いが、想いが。

 肉体から乖離し始める意識は、内へ、内へ。

 

 薄暗い、水で満たされた世界。ナルトはその世界が何なのかすら、気にも留めなかった。

 

 ぼんやりとした意識は完全な暗闇となっている彼方を見据えるだけ。息苦しくて、涙のようにしょっぱい水の中は、幼い頃の孤独を思い出させる。

 

 ―――フウコの、姉ちゃん…………。いかないでくれよ……。

 

 水の彼方に、ぼんやりと彼女の背中が揺蕩っていた。

 手を伸ばす。もちろん、届くはずのない距離。見えているのに、太陽のように、月の影のように、水平線のように、ずっとずっと向こう側にいるようで。だけどもう一度昔みたいに、何も言わずに、何も表現しないままに、あの夜だけに繋がれた手の体温を思い出したくて、身体は水中の中を勝手に進んでいく。

 

 ―――俺ってば……頑張ったんだ。だから…………。

 

 何も考えることができない。蜃気楼に浮かぶ清水を渇望するように、彼女の背中を追いかける。その向こう側に聳え立つ、巨大な檻の中の怪物が垂涎を我慢しながら待ち構えてるとも分からずに。

 

 ―――サスケの野郎も、サクラちゃんも、いなくなっちまった……。

 

 身体が軽くなり、速度を上げる。

 あまりにもあっさりと消えた繋がり。また、自分の知らない所で、繋がりが消えた。今度は、永遠の別れ。苦しい思いも悲しい思いも、逃げるように、彼女を追いかける。

 

 あと少しで、手が届きそうだとナルトは思う。そう夢想させる地点は、九尾の手元。

 

 あと、少し。

 もうすぐ。

 もう、目の前―――。

 

 

 

「しっかりしなさい、ナルトォッ!」

 

 

 

 ―――……え?

 

 檻の一歩手前で、その声が響き渡った。

 頭の天辺から針金を通されたように、意識がはっきりと蘇る。

 世界から水が引いていく。どこかの栓を抜いたように、瞬く間に。浮いた身体は地面に付き、ナルトは後ろを振り返る。大切な彼女の反対側―――犯罪者となってしまった彼女の過去の、反対側を。

 

 振り向いた瞬間に、幾つかの人の顔が浮かんでいた。

 

 恩師、うみのイルカは笑っていた。

 上司、はたけカカシは死んだ魚のような目で愉快にVピースをしていた。

 友達の猿飛イロミが手を振っている。

 サスケが、サクラが、いる。

 

 気が付けば、意識は身体に戻っていた。

 

 振り返る動作はそのまま、身体を動かし、荒れ果て壊れ果てた樹々の向こう側には、あまりにも分かりやすい桜色の髪をした少女が、泣きそうな顔でこちらを見ていた。

 

「サクラ…………ちゃん……………………?」

 

 声と共に、焦点が震えた。つい先ほど、四肢を切断された遺体を見たはずで、だから四肢がはっきりと在り、けれど五体満足というほど無傷ではない彼女が生きて立っていることに、混乱してしまっていた。

 

「アンタ、なに一人で先走ってるのよッ!」

 

 涙声だが、その怒った声は間違いなく鼓膜を揺らし、現実だと訴えてくれる。頭を痺れさせていた怒りも悲しも、纏っていた赤いチャクラと尾と共に引いていく。

 

「おいナルトッ!」

 

 そして、サクラのすぐ横に姿を現したのは、サスケだった。

 

「他に敵はいないか!?」

 

 サクラと同じように、頬や腕に擦り傷や砂埃を付けてはいるが、サクラよりも力が余っているようで、鋭い視線で辺りに注意を払っている。乱暴で、苛立ちを抱いてるのがすぐに分かってしまうほど、普段よく聞くトーンの声。だけど、その苛立ちが自分に向けられてはいなかった。

 

「……サスケ……………、お前、生きてんのか……?」

「あぁあ?! 何言ってんだ、当たり前だろッ!」

「だって! さっき………」

 

 二人のものだと思しき遺体があったところを見る。しかしそこには、大きなクレーターのような跡と、その跡に広がる血痕だけで、肉片骨片すら残っていない。

 

 だが、むしろその方が良かったかもしれない。二人の遺体だと思っていた残骸が無かったおかげで、二人が生きているという現実を受け入れるのに、拒絶的な反応は示さなかった。自然と目端に涙が溜まり始める。

 

 ―――……よかった…………。

 

 その感情は、サスケが生きてくれているおかげで、彼の実姉のフウコが、いつか里に帰ってきた時に悲しまなくて済むということへ安堵もあるが、彼自身が生きてくれているということへの喜びも―――曖昧ながら―――あった。

 

 ただ、そこにいる。

 そこにいて、言葉を発している。

 自分の知っている相手が、自分を知っている相手が。

 それだけで喜べた。

 たとえ、それが自分の大嫌いな相手でも。

 

 その不可解な感情の氾濫を言葉にしようとする前に、サスケが言う。

 

「とにかく、さっさとここから離れるぞッ! 他のチームに見つかる前に一旦隠れるッ! 早くしろッ!」

「……へッ! おめえはバテてるみてえだけど、俺はこの通りピンピンしてんだ! コソコソ隠れたきゃお前だけでやってろってばよ!」

 

 ナルトは掴んでいた物から手を離し、ついでに影分身の術を解いてから、小さく指で鼻を掻き笑ってみせる。そんな自分の日常的な仕草に、サスケは明らかに不機嫌な顔を作ったが、それもナルトと同様で、日常的なものだった。

 

「このバカ! サスケくんの言う通りにしなさいッ!」

 

 と、サクラも、普段通りに怒った。すっかり、涙も引いているようだ。

 

「言う通りにしないと殴るわよッ!」

「ちょ、サクラちゃん、そんなのはねえってばよ……」

「いい訳しないッ!」

「……へーい。しょうがないなあ。なーんでサスケの野郎ばっかり」

 

 ぼさぼさの髪を乱暴に掻きながら、そういえば、と思い出す。

 巻物のことだ。怒りで頭の中がぐちゃぐちゃになっていたせいで、すっかり忘れてしまっていたが、男―――大蛇丸が持っていたのは【地】の巻物だった。それを回収すれば、第二の試験をクリアすることができる。

 

 だが……。

 

 振り返り、四肢を切断されて地面に仰向けになっているソレを見下ろす。

 

 ―――……こいつ、食べたんだったよな…………。

 

 ただでさえ無残な死体だというのに、腹を裂いて胃から巻物を取り出すのを想像すると薄ら寒くなってしまう。相手を殺すことに何の抵抗は無いとは言えないが、遺体を傷付けるというのはそれよりも上の次元の抵抗感がある。遺体を傷付けるのは、この世で最も無駄な行為に思えた。

 

 ―――フウコの姉ちゃんのこと、聞けなかったな……。

 

 まばたきをした一瞬、瞼の裏に、彼女の姿が映った。やはり、後姿だけで、瞼を開けるとすぐに消えた。

 

 そこにあったのは、遺体だと思っていた物体が、ドロドロの液体になった姿だった。

 

「な、なんだよッ! これ―――」

「全く、中途半端に手間を取らせてくれたものね。まだ七尾の人柱力の方が可愛げがあったわ」

「……ッ!?」

 

 言葉の途中に割り込んできた、蛇の皮膚のようなぬるりとした声は、すぐ横から。顔を傾け目視するよりも早く、大蛇丸の人外に長い舌がナルトを縛り付けた。

 

 サクラとサスケの二人が、大きく息を呑む音がはっきりと聞こえてくる。ミミズのように地面から出てきた大蛇丸の姿に驚愕すると共に、戦慄したからだろう。捉えられたナルトも同様だったが、腕を自由に動かすことができず、印を結ぶことはおろかホルスターに指をかけることもできない。

 獰猛な目。

 寒気を招く笑み。

 しかしそれらよりも、ナルトは驚愕し瞼を大きく開けてしまうものがあった。

 大蛇丸の顔の皮膚が、右口端から細いエラにかけて、大きく剥がれていた。その下には、白化粧をべったりと塗られた、全く別の男性の顔が。

 

 どういうことなのか、それを考える暇もなく「でも」と大蛇丸は呟く。

 

「聞いた話しよりも強くて驚いたわ。本当ならもっと君と遊んでいたいけど、もうそろそろで私の娘が来るものだから、今回はお暇させてもらうわね」

「離せってばよッ! 気色悪ぃッ!」

「ククク、次会う時はもっと仲良くしましょ? 私、君のこと、嫌いじゃないわよ」

「けっ! テメエみてえな蛇野郎となんか、頼まれたって仲良くしたかねえってばよッ! さっさと離して、そんでもって、フウ―――」

 

 言葉の途中を、右手で塞がれた。顔がより近づき、大蛇丸の潜めた声が細々と聞こえる。

 

「彼女のことはまた今度、教えてあげるわ。それまでは、このことは誰にも言わないようにね? 特に、サスケくんにはね?」

 

 大蛇丸が名指しした彼は、既に動いていた。思わず舌を巻きそうになるほどのサスケの速度は、大蛇丸の背後に完全に回り切り、クナイを振りかぶっていた。怒りとも焦りとも区別できない歪んだ表情には、写輪眼の赤が鋭く光る。

 

 逆手に持ったクナイが大蛇丸の首を掻っ切ろうと一直線に軌道を描く刹那、大蛇丸は予定通りと嘲笑うかのように回し蹴りでサスケの胸部を蹴る。

 

 骨が何本か折れる鈍い音。

 

 呻き声を小さく出したサスケはあばらが折られた勢いに後方へと吹き飛んでいき、地面を転がった。俯きに地面に倒れ、痛みで強張る口端からは血が覗かせているのを、大蛇丸は自虐気味に嗤う。

 

「あまり私の好奇心を刺激しないでほしいものね。今は君に構ってあげれるほど余裕がないのよ。そこで地面でも舐めてなさい。それじゃあナルトくん、また会いましょう」

 

 大蛇丸は印を結ぶと、右手の五本指にチャクラが集中した。

 

 五行封印と呼ばれる、封印術だった。身体を縛る長い舌の先端が、ナルトの服を軽くたくし上げて腹部を晒させた。臍を中心に浮かび、しかし今まさに消えようとしていた封印式を大蛇丸は見て、そして、その上に指を押し付けた。

 

 身体の中のチャクラが分離されていくような痛みに、ナルトは意識を手放した。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「てめえ……ナルトに何をしたッ!」

 

 気を失ったナルトを粗末に地面に放り投げた大蛇丸に向かって、サスケは声を荒げた。拍子に、折れたあばら骨が軋み痛みを訴え、肺から込み上げてきた喀血に口の中が鉄臭くなる。立ち上がろうとするが、両腕を動かそうとするだけ胸に激痛が走り、膝が笑ってしまう。あまりにも無防備な状態を続けているにもかかわらず、サスケは敵意をむき出しにした写輪眼を収めることはしなかった。

 

「安心なさい、殺しちゃいないわよ。ただ気を失っただけ。これ以上無暗やたらに暴れられたりして、暗部に目を付けられちゃ困るもの」

 

 困ると言いながらも、ニタニタとした表情を決して崩すことはしない大蛇丸。顔の皮膚が剥がれ落ちた姿も相まって、生理的な嫌悪感が首裏を舐めまわす。大蛇丸が、たった一歩、こちらに向かって歩いてきた。それだけで、嫌悪感が何十倍にも強くなる。サクラも同じく思ったのか、怯えながらも、サスケのすぐ傍に駆け寄り「サスケくんッ!」と、膝を地面に付け意味もなく名を呼んでくる。

 

「それに、君たちにとっても良いことじゃないかしら?」

「何だと……?」

「あら? もしかして知らないのかしら。ナルトくんの中に眠ってる強力で危険な力の事よ。かつて木ノ葉隠れの里を半壊にまで追い込んだ、九尾の化け狐を身に宿してるのよ、ナルトくんは。さっき感じたんじゃないかしら? だからここに辿り着けたのでしょう? あの肌を刺すようなチャクラの波を」

 

 波の国で見た、ナルトの異変。膨大で、暴風のような赤いチャクラ。アレが何なのか、サスケもサクラも、具体的には知らない。何かを知っているかのような素振りを見せるカカシに尋ねてもはぐらかされるだけだった。

 

 知っていると言えば知っているし、知らないと言えば……知らない。

 

 そして―――危険かどうかと尋ねられれば…………。

 

「その子は自覚しているようだけど?」

 

 大蛇丸に見下ろされたサクラは、下顎を震わせながらも、キッと睨み返した。

 

「ナルトは私たちの仲間よッ! バカで、ドジで、滅茶苦茶やるけど、すごい努力する奴なんだから! 危険だとかなんだとか、勝手に決めつけないでッ!」

「あらそう。それは残念ね」

 

 と、どうでも良さそうに大蛇丸は吐き捨てた。

 

「それにしても、あの大蛇を倒してここまで来るなんて、しかも私の予想以上に早く……正直驚いたわ。流石は、うちはの生き残りと言った所かしら? やはり、写輪眼はとてつもない遺伝子ね」

「俺を……知ってるのか?」

「ククク、君が分かっていないだけで、他の子たちや中忍選抜試験を見に来る大名たちの間では、君は有名人なのよ? ましてや、あの神童のうちはイタチの弟なんだから、知ってて当然じゃない。この世に数少ない、選ばれし血統。喉から手が出るほど、私は君に興味があるのよ?」

 

 また一歩、一歩と、大蛇丸が近づいてくる。まだ立ち上がることすら、ままらないというのに。

 

 そして、写輪眼が捉える大蛇丸の挙動が、どんどんと獰猛になっていくのが分かった。

 

 まん丸と太った蛙を前に、身体をうねらせる大蛇のように。

 目をギラギラと輝かせて。

 近づいてくる。

 

 大蛇丸に対する恐怖が、この場は逃げるべきだという本能が、無意識の自分が警鐘を鳴らし始める。痛みを堪えて、十秒ほど思い切り逃げ出せばいい。不必要に相手を刺激する必要がどこにある。

 

 分かっているのに、分かってはいるのに……。

 

 ―――……起きろよ……………ナルト………………………ッ!

 

 大蛇丸の後ろで倒れているナルトを見捨てることが、出来なかった。

 どうしてそんなことを思い始めている自分がいるのか、理解できないまま。

 

 大蛇丸は、目の前に。

 

「ああ、そんな綺麗な眼で見つめられたら、我慢できなくなってきちゃったわ。片方だけでいいのよ?」

 

 片方だけ。

 片方だけちょうだいな。

 

「君の写輪眼、ちょっとだけ―――」

 

 

 

 カタ、

 カタカタ、

 カタカタカタカタ、

 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ。

 

 

 

 サスケとサクラの前に、

 狸の形をした傀儡人形が、

 不気味な音を立てながら、

 上から降ってきた。

 

「「「―――ッ!?」」」

「解」

 

 どこからか、すぐ近くの樹の残骸の影からか、あるいは遠くの葉の影から、薄い声がサスケの耳に届く。同時に、狸の傀儡人形は、関節の節々から真っ白な煙幕を大量に噴出する。

 

 ―――これは……イロミの大嘘狸…………ッ!?

 

 聞こえてきた声、そして彼女との忍術勝負で二、三度見たことのある傀儡人形の姿と、一度だけ見たことのある、関節から噴射される煙幕に、サスケだけは一瞬で状況を理解する。

 

 どうして彼女がここにいるのか、その疑問は泡沫の如く浮かべて打ち消し、三人の中でいち早く動き出した。

 

 大きく息を吸い込み、肺に空気を留める。足にチャクラを集中させ、肺に留めた空気を決して逃がさないように力強く奥歯を噛みしめ、口を閉じた。

 

 痛みを我慢しろ。

 一つのこと以外、何も考えるな。

 あばら骨が折れただけだ、死ぬわけじゃない。

 

 すぐ近くにいるサクラの顔すら、輪郭だけでしか捉えることのできない濃煙の中、サスケは写輪眼でナルトの位置を確認する。深い煙の中、青い微弱なチャクラの塊が地面に倒れているのを確認すると、サクラの腕を引っ張り、動く。

 

 大嘘狸を大きく迂回するように弧を描きながら、倒れているナルトの所へ。サクラも、サスケが何を考えたのかすぐに理解する。彼女の頭の回転は速い。ナルトを背負うと、そのまま二人はその場を離れていった。

 

「ククク、賢明な判断ね」

 

 不気味な声は真後ろから。追いかけてくる気配はないが、二人は脱兎の如く森の中を突っ走っていく。

 

「いずれ、また会いましょう」

 

 その不吉な言葉を最後に、二人は大蛇丸から無事、逃げ果せることができた。

 

 だが、二人はまだ知らない。

 

 咄嗟に選んでしまった逃げ道には、また別の―――気狂いと血肉を砂に染み込ませた暴力が待ち構えているのを。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 傀儡人形。

 

 その多くは形の中に多種多様な仕掛けが施されており、例に漏れることなく毒が仕込まれている。毒の種類は使用者の趣味趣向や戦闘に対する考え方に大きく作用されるものの、大抵の場合は致死性の高い毒が使用されている。障害を排除する能力、それが最も重要視される忍にとって、相手を麻痺させるものや眠らせるものなどは、正直な所、使用する場面は殆どないからだ。皆無と言ってもいいかもしれない。そんな相手を殺しきれない毒を使用するなら、自身オリジナルの毒を使用し、解毒させる手段を見つける前に死に至らしめるものを考案した方が何倍もマシだからだ。

 

 しかし、どういう訳か、追いかけてくる狸の傀儡人形は、一度として致死性の毒を使用してはこなかった。

 

 鋭い爪には、相手の神経を麻痺させる毒が。

 口から吐き出される毒煙には睡眠薬が。

 丸い尾から飛び出す針には、眩暈を強く起こさせる毒が。

 

 わざとそれらの攻撃を皮膚先だけで受けた大蛇丸は、呆れて大きなため息をついてしまう。

 

 ―――……腑抜けた子ね…………。

 

 大蛇丸の体内には、多くの薬が眠っている。薬だけに留まらず、禁術や、他の忍の細胞から採取した研究成果など、軽く百は超えるだろう。そんな彼に、明確な効き目をもたらす毒を、狸の傀儡人形は持ち合わせてはいなかった。

 

 神経が麻痺する毒を受けても、正座をした時のような軽い痺れだけ。

 睡眠薬を受けても、眠気なんて全く。

 眩暈を引き起こす毒を受け入れても、むしろ視界がクリアになるほど。

 

 平然としている大蛇丸の姿を、おそらく使用者には、既に毒が有効ではないことは分かっていることだろう。だからこそ、先ほどから行われている狸の傀儡人形からの攻撃は、どの毒が効くかどうかを試行しているようだった。一度行った攻撃は、二度行われていないのが、その証拠。

 

 大蛇丸はいい加減、退屈してきていた。印を結び、右腕を前に伸ばすと、袖口から何匹もの大蛇が傀儡人形を絡めとり、ヒビを入れた。

 

「解」

 

 また、声が聞こえてきた。

 

 初めて会った時とはまるで違う、捕食者が纏わせる冷酷な声。その声を合図に、狸の傀儡人形は爆発四散した。

 

 巻き付いていた大蛇らの首は刎ね飛び、さらには傀儡人形の中に仕込まれていた針やら手裏剣やら毒のスモッグやらが四方八方へと不規則に飛び散り、大蛇丸の長い髪を一本、切り落とした。切られた髪の毛はヒラヒラと樹の幹に落ちる。大蛇丸は、先ほどナルトと戦闘していた場所から幾らか離れた場所の、樹の太い枝の上に立っていた。

 

「いい加減、姿を見せたらどうかしら? お人形遊びをするほど、馬鹿な子じゃないでしょう。私に、その顔を見せてちょうだい」

 

 傀儡人形を操っていたチャクラの糸が空中で霧散していく。広がった毒のスモッグは、やがて空気との比重で下へと落ちていき、辺りがクリアになる。

 

 三秒ほどの……間。

 

 それを経て、彼女は姿を現す。反対側の樹の枝。ちょうど、大蛇丸が立っている枝と同じくらいの高さであろうそこに、猿飛イロミはゆっくりと姿を現した。

 

 特徴的な白と黒の髪。首から巻いている長いマフラーと、背負うのは巨大な巻物。マフラーを攫おうと横から吹く風が、イロミの長い前髪を揺らし、その隙間から黒と灰色のオッドアイを覗かせた。

 

「ククク、約束通り、ちゃんと、一人で来たようね」

「ええ、約束通り。私一人で来ました。今度は、貴方が約束を守る番ですよ」

「まあまあ落ち着きなさい、折角会えたのだから、少しばかり昔話でもしないかしら?」

「貴方の昔話に興味はありません。教えてください。フウコちゃんは今、どこにいるんですか? どこで、何をして、何をしようとしているんですか? そして貴方は……この里で、何をしようとしているんですか? フウコちゃんとは、どういう関係ですか?」

 

 風がざわめき立つ。末端の枝葉が揺れ、木の葉が飛び回る。まるで、イロミの感情に合わせるように。

 

「まあ、ちょっとした気晴らしよ。それには、貴方にも手伝ってもらおうかと思っているところなの。その話しを聞いてくれるなら、うちはフウコの事を教えてあげてもいいわよ?」

「貴方が何をしようとしているのか、興味ありません。それに、貴方に手を貸すつもりは、もっと興味がありません」

「そう言わないでほしいものだわ。まるで他人行儀ね」

「ええ、他人ですよ」

「違うわ。私は、貴方の生みの親よ。正真正銘、私が、貴方を生んだの。作ったのよ」

 

 不愉快そうに、イロミの口元が微かに歪む。

 

 別段、彼女を作ったことに誇りなどは無い。所詮は道具だ。だが、道具だからと言って、素直にこちらに手を貸してくれるような気配もない。

 

 だからこそ、利用しようと思った。

 

 この甘ったれた木ノ葉の里の価値観を。

 

 家族だとか、友人だとか、そんな、目に見えることのない、本質をぼやかしたアウトラインを尊重する間抜けな里の空気を、目一杯に吸い込んだ価値観を。

 

 戦争孤児という嘘で育った彼女の立場を。

 親子という関係を。

 

 大蛇丸は語った。

 イロミが一体、どれほどの人間の血と肉と骨と臓物を混ぜ込んだフラスコの中から生まれたのか。

 

 その経緯と、どれほど我が子を愛しているのかという反吐が出てしまうほどの嘘話を。

 




 今年の最後の投稿となります。
 次話の投稿は、1月15日までに行いたいと思います。

 来年も、特に投稿ペースに大きな変化もなく続けていきたいと思います。

 今年も残り一日となります。これを読んでいただいた方、そうでない方も、よい年を迎えられるよう、今年の残り最後まで無事にお過ごしいただけばと思います。

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